華厳・真言の元祖、法蔵・澄観、善無畏・金剛智・不空等が、釈尊一代聖教の肝心なる寿量品の一念三千の法門を盗み取って、本より自らの依経に説かざる華厳経・大日経に一念三千有りと云って取り入るる程の盗人にばかされて、末学深くこの見を執す。はかなし、はかなし。結句は、真言の人師云わく「争って醍醐を盗んで各自宗に名づく」云々。また云わく「法華経の二乗作仏・久遠実成は無明の辺域、大日経に説くところの法門は明の分位なり」等云々。華厳の人師云わく「法華経に説くところの一念三千の法門は枝葉、華厳経の法門は根本の一念三千なり」云々。これ、跡形も無き僻見なり。真言・華厳経に一念三千を説きたらばこそ、一念三千という名目をばつかわめ。おかし、おかし。亀毛・兎角の法門なり。
—————————————(第七章に続く)———————————————-
現代語訳
華厳宗や真言宗の元祖である法蔵・澄観や善無畏・金剛智・不空らは、釈尊の一代聖教の肝心である寿量品の一念三千の法門を盗み取って、もともと一念三千を説いていない自宗の依経の華厳経や大日経にも一念三千の法門があるといって取り入れたのであり、このような盗人に騙されて、後代の学者が深くこの見解に執着しているのは、まことに愚かなことである。
揚げ句の果てに、真言宗の人師は「われがちに真言の醍醐を盗んで、それぞれ自分の宗旨に取り込んだ」と、また「法華経に説かれる二乗作仏と釈尊の久遠実成は迷いの辺鄙な領域であり、大日経に説かれる法門こそ悟りの領域である」等といっている。
また、華厳宗の人師は「法華経に説かれる一念三千の法門は枝葉であり、華厳経の法門は根本の一念三千である」といっている。
これらは全く論拠のない間違った見解である。真言経・華厳経に一念三千を説いているのならば、一念三千と云う名目を使えようが、まことに笑うべきことである。それは亀に毛が生じ兎に角が生えているといっているような法門である。
語句の解説
華厳・真言の元祖
華厳宗と真言宗の祖師。①華厳宗、法蔵・澄観。②真言宗、善無畏・金剛智・不空。
法蔵
(0643~0712)。智儼の弟子で、華厳宗の第三祖。華厳和尚、賢首大師、香象大師の名がある。智儼について華厳経を学び、実叉難陀の華厳経新訳にも参加した。さらに法華経による天台大師に対抗して、華厳経を拠りどころとする釈迦一代仏教の批判を五教十宗判として立てた。「華厳経探玄記」「華厳五教章」「華厳経伝記」などの著があり、則天武后の帰依をうけた。
澄観
(0738~0839)。中国華厳宗の第四祖。浙江省会稽の人。姓は夏侯氏、字は大休。清涼国師と号した。11歳の時、宝林寺で出家し、法華経をはじめ諸経論を学び、大暦10年(0775)蘇州で妙楽大師から天台の止観、法華・維摩等を学ぶなど多くの名師を訪ねる。その後、五台山大華厳寺で請われて華厳経を講じた。著書には「華厳経疏」60巻、「華厳経綱要」1巻などがある。
善無畏
(0637~0735)。中国・唐代の真言密教の僧。もとは東インド烏仗那国の王子で、13歳の時国王となったが、兄のねたみを受けたので、王位を譲り出家した。ナーランダ寺で密教を学んだ後、中国に渡り、唐都・長安で玄宗皇帝に国師として迎えられ、興福寺、西明寺に住して経典の翻訳にあたった。中国に初めて密教を伝え、「大日経」七巻、「蘇婆呼童子経」三巻、「蘇悉地羯羅経」三巻などの密教経典を訳出した。また、一行禅師に大日経を講じて「大日経疏」を造ったが、その中で、法華経の一念三千の法門を盗んで大日経に入れ、理同事勝の邪義を立てた。同時代の金剛智、不空とともに三三蔵の一人に挙げられる。
金剛智
(0671~0741)。インドの王族ともバラモンの出身ともいわれる。10歳の時那爛陀寺に出家し、寂静智に師事した。31歳のとき、竜樹の弟子の竜智のもとにゆき7年間つかえて密教を学んだ。のち唐土に向かい、開元8年(0720)洛陽に入った。弟子に不空等がいる。
不空
(0705~0774)。中国・唐代の真言密教の僧。不空金剛のこと。北インドの生まれで幼少のころ、中国に渡り、15歳の時、金剛智に従って出家した。開元29年(0741)帰国の途につき、師子国に達したとき竜智に会い、密蔵および諸経論を得て、天宝5年(0746)ふたたび唐に帰る。玄宗皇帝の帰依を受け、浄影寺、開元寺、大興寺等に住し、密教を弘めた。「金剛頂経」三巻、「一字頂輪王経」五巻など百十部百四十三巻の経を訳し、羅什、玄奘、真諦とともに中国の四大翻訳家の一人に数えられている。
自の依経
自分の宗派のよりどころとする経典。
華厳経
正しくは大方広仏華厳経という。漢訳に三種ある。①60巻・東晋代の仏駄跋陀羅の訳。旧訳という。②80巻・唐代の実叉難陀の訳。新訳華厳経という。③40巻・唐代の般若訳。華厳経末の入法界品の別訳。天台大師の五時教判によれば、釈尊が寂滅道場菩提樹下で正覚を成じた時、3週間、別して利根の大菩薩のために説かれた教え。旧訳の内容は、盧舎那仏が利根の菩薩のために一切万有が互いに縁となり作用しあってあらわれ起こる法界無尽縁起、また万法は自己の一心に由来するという唯心法界の理を説き、菩薩の修行段階である52位とその功徳が示されている。
大日経
大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐代の善無畏三蔵訳7巻。一切智を体得して成仏を成就するための菩提心、大悲、種々の行法などが説かれ、胎蔵界漫荼羅が示されている。金剛頂経・蘇悉地経と合わせて大日三部経・三部秘経といわれ、真言宗の依経となっている。
末学
①未熟な学問・枝葉の学問②後学の学者・末弟のこと。
真言の人師
真言宗の教導者。
醍醐
五味の一つ醍醐味のこと。①蘇を精製してとる液で、濃厚甘味。薬用などにもする。②天台大師が一切経を五時の教判に約して、法華涅槃を醍醐味とたてたこと。③真言宗では自宗のことを醍醐とする邪義を立てている。
二乗作仏
「二乗」とは声聞・縁覚のこと。法華経以前においては二乗界は永久に成仏できないと、厳しく弾呵されてきたが、法華経にはいって初めて三周の声聞(法説周・喩説周・因縁周)が説かれて、成仏が約束されたのである。
久遠実成
釈尊は、法華経如来寿量品第十六で、五百塵点劫の成道を説き、仏の本地を明かした。すなわち、爾前経および法華経迹門ではインドに出世して30歳のとき菩提樹下で初めて成仏したことが説かれ、これを始成正覚という。しかるに本門寿量品では、五百塵点劫という久遠の昔に、すでに仏であったことが説かれている。これを久遠実成といい、長遠の生命を説き明かしたものである。
無明の辺域
真言の祖・弘法がその著「秘蔵宝鑰」のなかでいっている言葉。「法身真如一道無為の真理を明かす乃至諸の顕教においてはこれ究竟の理智法身なり、真言門に望むれば是れ即ち初門なり……此の理を証する仏をまた、常寂光土毘盧遮那と名づく、大隋天台山国清寺智者禅師、此の門によって止観を修し法華三昧を得……かくの如き一心は無明の辺域にして、明の分位にあらず」と。すなわち「顕教諸説の法身真如の理は、真言門に対すれば、なお、仏道の初門であって、このような初門すなわち因門は明の分位たる果門に対すれば、無明の辺域にほかならない」という邪義を述べている。
明の分位
悟りを得た仏の境地。
華厳の人師
華厳宗の教導者。
僻見
偏った見方、誤った考え方、見解。僻は偏る・あやまる・よこしま。見は考え方、見方。
真言華厳経
真言経と華厳経。
名目
名前・名称。
亀毛兎角の法門
亀に毛が生じ、兎に角が生えるとの意で、ありえない法門をいう。亀毛は、亀に海藻がまとわりついているのを毛と見間違えたもので、兎角は兎の耳を角と見誤ったもの。一見、似ているが、真実と全く違うものを見誤ることを譬える。
講義
ここでは真言宗と華厳宗が法華経寿量品の一念三千の法門を盗み取ったこと、そればかりでなく、逆に、自分たちの一念三千こそ本物で、法華経の一念三千は〝無明の辺域″〝枝葉〟などと悪口していることを明らかにされ、そのような言い分を鵜呑みにしている人々の愚かさを憐れまれている。
この点については、諸御書に述べられているので詳しくいうまでもないが、真言宗が中国に伝えられ、一念三千のことをいうより約二百年前に天台大師が一念三千法門を法華経の極理として明らかにしていたことを指摘するだけで十分であろう。華厳宗も、一念三千についていい始めたのは、天台大師よりずっとあとの時代になってからである。
最後に、華厳経や大日経に一念三千の名目がないにもかかわらず、末学の人師たちが一念三千の言葉を多用するおかしさを、「亀毛兎角の法門」であると破折されている。
これは語訳に示したように、一見似ているようであるが、全く違っていることを意味している。真言・華厳の僧たちは、真言の経典や華厳経のなかから、一念三千の法門と一見思わせるような言葉を引き出して主張しているが、実体は全く異なったものであるので、こういわれたのである。