しかるに、法華経と申す御経は、身心の諸病の良薬なり。されば、経に云わく「この経は則ちこれ閻浮提の人の病の良薬なり。もし人病有らんに、この経を聞くことを得ば、病は即ち消滅して、不老不死ならん」等云々。また云わく「現世安穏にして、後に善処に生ず」等云々。また云わく「諸余の怨敵は、みな摧滅す」等云々。取り分け奉る御守りの方便品・寿量品、同じくは一部書いて進らせたく候えども、当時は去り難き隙ども入ること候えば、略して二品奉り候。相構えて相構えて、御身を離さず、重ねつつみて御所持あるべきものなり。
—————————————(第五章に続く)———————————————-
現代語訳
そうではあるが法華経という御経は身心の諸の病の良薬である。だから法華経薬王品第二十三に「この経はすなわち閻浮提の人の病の良薬である。もし人が病であっても、この経を聞くことができれば病はすぐに治って不老不死になろう」等とある。また同経薬草喩品第五に「現世は安穏であって死んだ後には善い処に生まれるであろう」等とある。また同経薬王品第二十三に「諸のほかの怨敵は皆、悉く摧け滅びるであろう」等とある。
法華経の中から選り分け、御守りとして方便品・寿量品を書いて差し上げる。同じことなら法華経一部をすべて書いて差し上げたいと思ったけれども、今はどうしても時間の必要な用事があるので、略して方便品・寿量品の二品を差し上げることにした。よくよく用心して御身を離さず、重ね包んで御所持していなさい。
語句の解説
身心の諸病
身の病と心の病。
良薬
良く効く薬。法華経が一切衆生の苦悩を取り除く良薬である。
閻浮提
一閻浮提のこと。全世界を意味する。南閻浮提ともいう。閻浮は梵語で樹の名。提は州と訳す。古代インドの世界観に基づくもので、中央に須弥山があり、八つの海、八つの山が囲んでおり、いちばん外側の海を大鹹海という。その中に、東西南北の四方に東弗波提、西瞿耶尼、南閻浮提、北鬱単越の四大州があるとされていた。現在でいえば、地球上すべてが閻浮提といえる。
病即消滅
法華経薬王菩薩本事品第23の文。「病は即ち消滅して」と読む。
不老不死
老いたり死んだりしない若々しい生命状態をいう。
現世
過去・現在・未来の三世のなかの現在。この世、娑婆世界のこと。
安穏
平安で穏やかなこと。
後生
未来世。後の世のこと。また未来世に生を受けること。三世のひとつ。
善処
①よい所。福徳に満ち恵まれた場所。②適切に処置すること。
怨敵
仏及び仏の正法、またはその修行者に怨をなす敵をいう。謗法の者。
摧滅
くじかれ滅びること。おとろえなくなること。
方便品
妙法蓮華経方便品第二のこと。法華経迹門正宗分の初めに当たり、迹門の主意である開三顕一の法門が展開されている。無量義処三昧に入っていた釈尊が立ち上がり、仏の智慧を賛嘆しつつ、自らが成就した難解の法を住如是として明かし、一仏乗を説くために方便力をもって三乗の法を設けたことを、十方諸仏・過去仏・未来仏・現在仏・釈迦仏の五仏の説法の方程式を引いて明かしている。
寿量品
如来寿量品第16のこと。如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号である。別して本地三仏の別号。寿量とは、十方三世・二仏・三仏の諸仏の功徳を詮量えるので、寿量品という。今は、本地の三仏の功徳を詮量するのである。この品こそ、釈尊出世の本懐であり、一切衆生成仏得道の真実義である。寿量品得意抄には「一切経の中に此の寿量品ましまさずは天に日月無く国に大王なく山海に玉なく人にたましゐ無からんがごとし、されば寿量品なくしては一切経いたづらごとなるべし」(1211-17)と、この品が重要であることを説かれている。その元意は文底に事行の一念三千の南無妙法蓮華経が秘し沈められているからである。御義口伝には「如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752:04)、また「然りと雖も而も当品は末法の要法に非ざるか其の故は此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益滅後は下種なり仍て下種を以て末法の詮と為す」(0753:07)とあり、末法においては、寿量品といえども、三大秘法の大御本尊の説明書であり、蔵と宝の関係になるのである。
一部
一経全部のこと。ここでは法華経全巻全品、つまり法華経一部八巻二十八品を指す。
講義
身心不調の苦悩を克服する最高の良薬が法華経であることを説かれる。まず「法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり」と明言され、その文証として、法華経の薬王菩薩本事品第二十三、薬草喩品第五、同じく薬王菩薩本事品第二十三の経文を引用されている。
初めの薬王品の文において「是の経を聞くことを得ば」とは、ただ耳で聞くだけで病が消滅するということではない。聞法は信受・受持の初めであり前提である故に、こう述べられているのであり、さらにいえば「是の経」すなわち法華経の法力の偉大さを強調して、こう表現されたのである。また「不老不死」は、現実に「老いず死なず」ということはありえないし、次の薬草喩品の「現世安穏、後生善処」と矛盾する。なぜなら「後生」ということは、現在の人生が死によっていったん終わることを前提としているからである。従って、この「不老不死」とは、老苦、死苦を受けないとの意と解すべきである。
さらに、第三の引用の「諸余の怨敵」とは、怨をなして害そうとしてくる敵の意であるが、本抄では明らかに病を指して仰せられている。この背景には、病をもたらすものとして、法華経の受持者に対し、悪鬼神等が怨をなすという考え方があることで説明される。
次いで「取分奉る御守り方便品寿量品同じくは一部……略して二品奉り候」と仰せられて、本来なら大良薬としての法華経の一部八巻二十八品全部を書写してお守りとして差し上げたいところであるが、やむを得ない用事のため時間がないので、略して方便品・寿量品の二品のみを「取り分け」、つまり選別して、書写し差し上げたと述べられ、「相構え、相構えて御身を離さず重ねつつみて御所持有るべき者なり」と、心して方便品・寿量品の二品を体から離さず所持するよう諭されている。