二乗作仏事
第一章(爾前得道の有無を論ず)
文永後期
爾前得道の旨たる文。経に云わく「諸の菩薩を見る」等云々。また云わく「始見我身(始め我が身を見る)」等。これらの文のごときは、菩薩、初地・初住に叶うこと有ると見えたるなり。故に、「諸の菩薩を見る」の文の下には「しかも我らはこの事に預からず」と。また「始見」の文の下には「先より修習せるをば除く」等云々。これは、爾前に二乗作仏無しと見えたる文なり。
現代語訳
爾前で得道する旨を記している文としては、法華経譬喩品第三に「過去に諸の菩薩が受記し作仏することを見たことがある」等、また、法華経従地涌出品第十五に「もろもろの衆生は始め我が身を見、我が所説を聞いて如来の智慧に入ることができる」等と説かれている。
これらの文は、菩薩が初地・初住の位に至ることがあるということである。
ゆえに、譬喩品の「諸の菩薩を見る」の文の下には「しかしながら、我ら(舎利弗等の声聞)は受記にあずかることができなかった」と説かれ、また従地涌出品の「始め(我が身を)見る」の文の下には「過去に修習して小乗を学んでしまった者は除く」等と説かれているのである。
すなわち、これらは爾前教には二乗作仏がないとしている文である。
語句の解説
見諸菩薩
「諸の菩薩を見る」と読む。法華経譬喩品第三に「今、世尊従り此の法音を聞き、心に踊躍を懐き、未曾有なることを得たり。所以は何ん、我れは昔、仏従り是の如き法を聞き、諸の菩薩の記を受けて作仏するを見しかども」とある。
始見我身
「始め我が身を見る」と読む。法華経従地涌出品第十五に「始め我が身を見、我が説く所を聞き、即ち皆な信受して、如来の慧に入りき」とある。
初地
大乗の菩薩の修行の階位である五十二位(十信・十住・十行・十回向・十地・等覚・妙覚)の中の第四十一位。十地(歓喜地・離垢地・明地・焔慧地・難勝地・現前地・遠行地・不動地・善慧地・法雲地)の初めの歓喜地のこと。菩薩瓔珞本業経等に説かれる。一分の中道の理を証得することから大いに歓喜を生ずる位。別教では初地以上を聖、十回向以下を凡とし、初地位に入ると成仏できるとした。
初住
大乗の菩薩の修行の階位である五十二位(十信・十住・十行・十回向・十地・等覚・妙覚)の中の第十一位、十住(発心住・治地心住・修行心住・生貴心住・方便具足心住・正心住・不退心住・童真心住・法王子心住・灌頂心住)の初めの発心住のこと。菩薩瓔珞本業経等に説かれる。円教の菩薩は初住で一分の中道の理を証得して正念に安住するゆえに、初住位以上を菩薩道から退転しない不退位とする。円教では十住以上を聖、十信以下を凡とした。
┌― 十 信 ―――┬― 退位
│ └― 凡夫菩薩未だ見思を断ぜず
├― 十 住 ―┐ ┌― 不退位
五十二位 ―┼― 十 行 ―┼―┤
├― 十回向 ―┘ └― 見思塵沙を断ぜる菩薩
├― 十 地 ―――┬― 無明を断ぜる菩薩
├― 等 覚 ―――┘
└― 妙 覚 ―─――― 無明を断じ尽せる仏なり
而我等不預斯事
「而も我等は斯の事に預らず」と読む。法華経譬喩品第三の文。この文は、この前の「我れは昔、仏従り是の如き法を聞き、諸の菩薩の記を受けて作仏するを見しかども」に続く文である。すなわち舎利弗が、自分は菩薩が作仏したのを見たことがあるが、我々二乗が作仏したことはないとの意。
除先修習
「先より修習せるを除く」と読む。法華経従地涌出品第十五の「始め我が身を見、我が説く所を聞き、即ち皆な信受して、如来の慧に入りき」に続く文で、「先より修習して小乗を学せる者をば除く」とある。
二乗作仏
法華経迹門において二乗(声聞・縁覚)の成仏が釈尊から保証されたこと。法華経以外の大乗経では、二乗は自身が覚りを得ることに専念することから利他行に欠けるとして、成仏の因である仏種が断じられて成仏することはないとされていた。このことを日蓮大聖人は開目抄で、華厳経・維摩経などの爾前経を引かれ、詳しく論じられている。それに対し法華経迹門では、二乗にも本来、仏知見(仏の智慧)がそなわっていて、本来、成仏を目指す菩薩であり、未来に菩薩道を成就して成仏することが、具体的な時代や国土や如来としての名などを挙げて保証された。さらに法華経迹門では、この二乗作仏、また提婆達多品第十二で説かれる女人成仏・悪人成仏によって、あらゆる衆生の成仏が保証され、十界互具・一念三千の法門が理の上で完成した。
講義
本抄がどのような由来と背景に基づいて著されたものであるかについては、現在のところ全く不明である、といってよい。
ただ、本抄が正元元年(1259)、御年38歳で御述作された十法界事、同じく正元元年御述作の爾前二乗菩薩不作仏事などとほぼ同じ系列に属する御書であることは明らかである。
すなわち、爾前経では誰人も得道・成仏できないこと(すなわち爾前無得道であること)をさまざまな観点から証明され、法華経のみが万人を成仏・得道せしめる経であることを示されている。
日蓮大聖人は正嘉2年(1258)、御年37歳御述作の一代聖教大意において、爾前の諸経によって成仏・得道が可能であるか否かという点に関し、次のような問答を設けられている。
「問うて云く諸経にも悪人が仏に成る華厳経の調達の授記・普超経の闍王の授記・大集経の婆籔天子の授記・又女人が仏に成る胎経の釈女の成仏・畜生が仏に成る阿含経の鴿雀の授記・二乗が仏に成る方等だらに経・首楞厳経等なり、菩薩の成仏は華厳経等・具縛の凡夫の往生は観経の下品下生等・女人の女身を転ずるは雙観経の四十八願の中の三十五の願・此等は法華経の二乗・竜女・提婆菩薩の授記に何なるかわりめかある、又設いかわりめはありとも諸経にても成仏はうたがひなし如何。答う予の習い伝うる処の法門・此の答に顕るべし此の答に法華経の諸経に超過し又諸経の成仏を許し許さぬは聞うべし秘蔵の故に顕露に書さず」(0401:14)と。
すなわち、爾前の諸経にも提婆達多、阿闍世王、婆籔天子に対する授記(未来に必ず成仏・得道ができるという保証を仏が授けること)が説かれていて〝悪人の成仏〟を明かしており、また〝女人成仏〟や〝二乗の成仏〟を説く経典があり、これらが法華経に説くところの二乗や竜女や提婆や菩薩の授記とどれほどの相違があるのか、また相違があったとしても爾前の諸経にも成仏・得道が明かされていることは疑いない事実ではないか、という問いである。
これに対して、この問いに答えるには、「予」(日蓮大聖人)が習い伝えるところの大事の法門を明かさなければならないから、顕露に書さないと述べられている。
更に、正嘉3年(1259)、38歳御述作の守護国家論においては「此の故に在世滅後の一切衆生の誠の善知識は法華経是なり、常途の天台宗の学者は爾前に於て当分の得道を許せども自義に於ては猶当分の得道を許さず然りと雖も此の書に於ては其の義を尽くさず略して之を記すれば追つて之を記すべし」(0068:01)と仰せられている。
ここでは、在世滅後の一切衆生の真実の善知識は法華経のみであり、通途の日本天台宗の学者達は、爾前の諸経でも当分(跨節に対する語で〝ある範囲において〟という意)の得道が可能であるとしているが、自義、すなわち日蓮大聖人の仏法においては、爾前経では当分の得道も認めないとする。
しかし、何ゆえに許さないのかという理由ならびに意義については、守護国家論においては略する、と書かれている。
このように、一代聖教大意、守護国家論では、爾前経によっては成仏・得道はできないと断定されるのみで、その説明は秘蔵の法門であり、記さないといわれている。
この追って記すといわれているのにあたるのが、十法界事や爾前二乗菩薩不作仏事などであろうと推察される。
この二乗作仏事も、その内容からいって、これらの追って記すの系統に入る御書として位置づけられると思われる。
本抄の御述作の系年に関しても、以上のことから、一代聖教大意や守護国家論等を著されたあと、十法界事や爾前二乗菩薩不作仏事が著された正元元年か二年頃と考えられる。
本抄は、法門に関する覚書として認められた趣があるところから、特定の人に宛てられたものではないであろう。
あるいは、始まりも終わりも唐突であることから、もっと長い御書の一部分をなすものであったかもしれない。なお、本抄の御真筆は現存していない。
本抄の内容に入って、まず「爾前得道の旨たる文」、つまり爾前経における得道を認めている法華経の文が挙げられている。
すなわち、法華経譬喩品第三の「見諸菩薩」云々の文と同涌出品第十五の「始見我身」云々の文とである。
これらの二つの経文は、菩薩が初地・初住にかなって得道・成仏できるという文証とされる。しかし、その次下に明らかなように、二乗の作仏は爾前経にはないことが明らかである。
見諸菩薩等、始見我身等の経文について
初めに「見諸菩薩等云云」の法華経譬喩品第三の一節を紹介すると次のようにある。
「爾の時、舎利弗は踊躍歓喜し、即ち起ちて合掌し、尊顔を瞻仰して、仏に白して言さく、『今、世尊従り此の法音を聞き、心に踊躍を懐き、未曾有なることを得たり。所以は何ん、我れは昔、仏従り是の如き法を聞き、諸の菩薩の記を受けて作仏するを見しかども、而も我れ等は斯の事に予らず。甚自だ如来の無量の知見を失えることを感傷しき。世尊よ。我れは常に独り山林樹下に処して、若しは坐し若しは行きて、毎に是の念を作しき、『我れ等も同じく法性に入れり。云何んぞ如来は小乗の法を以て済度せらる』と。是れ我れ等が咎にして、世尊には非ざるなり。所以は何ん、若し我れ等は阿耨多羅三藐三菩提を成就する所因を説きたまうを待たば、必ず大乗を以て度脱せらるることを得ん。然るに我等は方便もて宣しきに随って説く所を解せず、初めて仏法を聞いて、遇ま便ち信受し、思惟して証を取れり。世尊よ。我れは昔従り来、終日竟夜、毎に自ら剋責しき。而るに今、仏従り未だ聞かざる所の未曾有の法を聞いて、諸の疑悔を断じ、身意泰然として、快く安穏なることを得たり。今日乃ち知んぬ、真に是れ仏子にして、仏の口従り生じ、法従り化生して、仏法の分を得たり』と」と。
譬喩品のまえの方便品第二において、舎利弗は、釈尊の〝諸法実相・十如是〟の深遠な法理を聞き、釈尊の化導の目的(出世の本懐)が、あらゆる人々に内在する仏性を〝開・示・悟・入〟して成仏させることにある、ということを覚知した。そして踊躍歓喜して述べたのがこの譬喩品の言葉である。
さて、この引用文のなかで、「我れは昔、仏従り是の如き法を聞き、諸の菩薩の記を受けて作仏するを見しかども、而も我れ等は斯の事に予らず」の個所が、本抄において大聖人が引かれている経文である。
ここは、爾前経においても同様の教えを聞いたが、そのときに受記作仏したのは諸菩薩のみで、自分達声聞衆は受記することができなかった、と述壊しているところである。
このなかの「見諸菩薩。受記作仏(諸の菩薩の記を受けて作仏するを見しかども)」が、菩薩の得道・成仏を示す依文とされるのに対し、爾前の諸経が二乗の作仏を許していないことを示しているのが「而我等不預斯事(而も我れ等は斯の事に予らず)」の言である。
次に、もう一つの「始見我身」等の経文は、法華経従地涌出品第十五の一節中に出てくるものである。この経文の一節を引用すると次のとおりである。
「爾の時、世尊は諸の菩薩大衆の中に於いて是の言を作したまわく、『是の如し、是のごとし。諸の善男子よ。如来は安楽にして、少病少悩なり。諸の衆生等は、化度す可きこと易く、疲労、有ること無し。所以は何ん、諸の衆生は、世世より已来、常に我が化を受け、亦た過去の諸仏に於いて、供養・尊重して、諸の善根を種えたり。此の諸の衆生は、始め我が身を見、我が説く所を聞き、即ち皆な信受して、如来の慧に入りき。先より修習して小乗を学せる者をば除く。是の如き人も、我れは今亦た是の経を聞いて、仏慧に入ることを得しむ』と。
従地涌出品では、初めに、過八恒沙の他方の菩薩が娑婆世界での法華経弘通を申し出たのに対し、釈尊はこれを断り、地の下から無数の地涌の菩薩を召し出す。
地涌の菩薩達は、多宝・釈尊の二世尊を瞻仰しつつ、賛嘆する。この間、〝五十小劫〟という途方もない時間が過ぎたけれども、仏の神力によって、会座の大衆には〝半日〟のように思わしめた、とある。
続いて、地涌の菩薩の上首唱導の師である四大菩薩が釈尊に対して〝如来は少病少悩で安楽であるか否か、衆生達は教化しやすく疲労はないかどうか〟という労いの言葉を申し上げたとき釈尊がこれに応答したのが、今、紹介した一節である。
釈尊は〝如来は安楽にして少病少悩であり、衆生達も化度しやすく疲労もない〟と答え、その理由として、これらの衆生は何世にもわたって釈尊の教化を受けてきたし、また、過去の諸仏のところで、供養賛嘆してさまざまな善根を植えてきたので、初めて私の身を見、私の説法を聞くだけで、ことごとく信受して如来の智慧に入ることができるからである、と説いた後、ただし、過去に小乗を学習してしまった者達は除外する、と説いている。
「始見我身。聞我所説(始め我が身を見、我が説く所を聞き)」という文は、すでに生々世々に釈尊ならびに諸仏のところで供養讃嘆して、さまざまな善根を積んできた菩薩達が爾前の教えによって得道可能であることを示している。
このことから、十法界事には「爾前の菩薩に於て『始めて我が身を見・我が所説を聞いて即ち皆信受し・如来慧に入りにき』と説く、故に知んぬ爾前の諸の菩薩三惑を断除して仏慧に入ることを」と仰せである。
「除先修習。学小乗者(先より修習して小乗を学せる者をば除く)」という文は小乗の教えを修習(修行)してきた者を除く、と述べて二乗を除外しているのである。したがって、涌出品の「始見我身」の文の「諸の衆生」とは、二乗ではないのであり、菩薩の成仏を明かした文となるのである。
此等の文の如きは菩薩初地初住に叶う事有りと見えたるなり
「此等の文」とは、いうまでもなく、法華経譬喩品第三の「諸の菩薩の記を受けて作仏するを見しかども……」の文と従地涌出品第十五の「此の諸の衆生は、始め我が身を見、我が説く所を聞き、即ち皆な信受して、如来の慧に入りき」の文である。
この二文は、菩薩のなかには爾前経によっても得道することができた者があるとの根拠とされる。「初地初住に叶う事有る」の初地、初住とは、菩薩道五十二位(十信・十住・十行・十回向・十地・等覚・妙覚)のうち、第十一位(初住)と第四十一位(初地)をさしている。
五十二位について、天台大師は法華玄義巻四下において、大乗菩薩の階位に四十一位、五十一位などさまざまな説があることを述べ、「今謂く、瓔珞の五十二位は名義整足す。恐らくは是れ諸の大乗方等別円の位を結するならん」として、菩薩瓔珞本業経巻上の五十二位説を採用している。
この五十二位に、別教が立てる階位と円教が立てる階位とがある。別教では第四十一位の初地以上を聖、十回向以下を凡(このうち十信を外凡、十住・十行・十回向を内凡)とするのである。天台大師はこの別教の五十二位を借りて円教の菩薩の階位を明かし、十住以上を聖、十信を内凡とし、更に法華経分別功徳品第十七によって、十信のまえに五品弟子の位を置いてこれを外凡としている。
以上からも明らかなように、別教と円教とでは聖位に入る位の高さが異なっており、別教は初地以上、円教は初住以上としている。
この違いは、教えの高低によって生じたもので、円教は別教よりはるかに高い教法なので、別教よりはるかに低い位で聖位に入ることができるのである。
このことを摩訶止観巻六下で「前教にその位を高うする所以は、方便の説なればなり、円教の位の下きは、真実の説なればなり」と述べている。
この文を釈して妙楽大師の述べた言葉が「教弥実位弥下、教弥権位弥高(教弥実なれば位弥下し。教弥権なれば位弥高し)」という文である。
したがって、菩薩が初地、初住に叶うとは、この不退の聖位に入って成仏得道するということである。
なお、ここでは爾前に二乗作仏の義がないことを表にされているゆえに、菩薩の初地初住を許した文とされているが、「叶う事有ると見えたり」とあるごとく、それも一往であり、再往は爾前には菩薩の成仏もないことを、以下に述べられるのである。
第二章(二乗不作仏ならば菩薩も不作仏)
問う顕露定教には二乗作仏を許すや顕露不定教には之を許すか秘密には之を許すか爾前の円には二乗作仏を許すや別教には之を許すか、答う所詮は重重の問答有りと雖も皆之を許さざるなり、所詮は二乗界の作仏を許さずんば菩薩界の作仏も許さざるか衆生無辺誓願度の願の闕くるが故なり、釈は菩薩の得道と見たる経文を消する許りなり、所詮華・方・般若の円の菩薩も初住に登らず又凡夫二乗は勿論なり化一切衆生皆令入仏道の文の下にて此の事は意得可きなり。
現代語訳
問うていうには、顕露定教では二乗作仏を許しているであろうか。顕露不定教では二乗作仏を許しているであろうか。秘密不定教では二乗作仏を許しているであろうか。爾前の円では二乗作仏を許しているであろうか。別教では二乗作仏を許しているであろうか。
答えていうには、所詮、重々の問答があるといっても、皆二乗作仏を許していないのである。そして、所詮、二乗界の作仏を許していないとすれば、菩薩界の成仏も許していないことになるのである。それは衆生無辺誓願度の願が闕けているからである。したがって、天台宗の学者の解釈は、菩薩が得道したとみている経文を消釈しているだけなのである。
所詮、華厳部・方等部・般若部の諸経で説かれる円教の菩薩も初住位に登ることはできないのであり、また凡夫・二乗が成仏できないのはもちろんのことである。法華経方便品第二の「法華経によって一切衆生を皆な仏道に入らしむる」の文の下において初めて、このこと、すなわち菩薩等が成仏できるのであると心得るべきである。
語句の解説
顕露定教
顕露は秘密に対する語で、仏の意趣をあらわにした教え。定教は不定教に対す語で、すべての衆生に対して利益が等しく与えられる教え。利根の菩薩のために説かれた華厳経、二乗のために説かれた阿含経等をさす。
顕露不定教
秘密不定教(略して秘密教)に対する語。天台大師の化儀の四教(頓教・漸教・秘密教・不定教)のうちの不定教にあたる。衆生は同一の場所で同一の内容の教えを聞き、互いにその存在を認識するが、教えの理解に相違がある。
秘密
秘密不定教のこと。天台大師の化儀の四教(頓教・漸教・秘密教・不定教)のうちの秘密教にあたる。仏は同一の説法を行うが、それを聞く衆生は互いにその存在を知らず、説法の理解に相違がある。顕露不定教と秘密不定教は、ともに説法の聞き手である衆生の機根に応じて得益が一定しない(不定)説き方であるという点で共通している。しかし、仏の意趣があらわで衆生にそれぞれ異なる利益がある場合を顕露不定といい、それぞれに説かれた教えを衆生が互いに知らない場合を秘密不定という。
爾前の円
法華経より前に説かれた諸経にも、部分的に円教(真実の完全な教え)にあたる教えが説かれており、これを「爾前の円」と呼ぶ。これに対して、法華経は純粋な円教(純円)とされる。日寛上人は開目抄愚記で、爾前の円といえども、法華経の相待妙と比較した時は悪であり、たとえ法華経の相待妙と同じだと容認したとしても、法華経の絶待妙には到底、及ばないと解釈している
衆生無辺誓願度
「衆生の無辺なるを度せんと誓願す」と読む。金剛経纂要刊定記巻二等に説かれている、衆生をかぎりなく苦悩から救っていこうとの誓願。あらゆる菩薩が、仏道修行を始めるに当たって立てる四種の広大な誓願「四弘誓願」の第一。釈尊の衆生無辺誓願度は、万人成仏を明かした法華経を説くことによって成就した。
消する
消釈のこと。経文のなかの難解な意義を消し除き、解釈すること。ここでは、天台宗の学者が、菩薩は爾前経で得道したとする一面のみをみた解釈をして、二乗不作仏との関連を深く思慮していないことを指摘されている。
化一切衆生皆令入仏道
「一切衆生を化して 皆な仏道に入らしむ」と読む。法華経方便品第二に「舎利弗よ当に知るべし 我れは本と誓願を立てて 一切の衆をして 我が如く等しくして異なること無からしめんと欲しき 我が昔の願いし所の如きは 今者已に満足しぬ 一切衆生を化して 皆な仏道に入らしむ」とある。
講義
ここから問答を積み重ねつつ、論を展開されていく。
まず、第一の問答において、爾前教に二乗作仏を許さないということは、結局、菩薩の成仏をも許さないことになると論じられている。
初めに、問いの内容であるが、ここでは爾前教の教えに関して天台大師の化法の四教と化儀の四教の立て分けに応じて、更に細かく〝顕露定教〟〝顕露不定教〟〝秘密〟(秘密不定教のこと)〝爾前の円〟〝別教〟と分け、これらの教えのなかで二乗作仏を許しているものはあるか、と問うている。
言い換えれば、爾前の教えのどれかには二乗作仏を許しているのではないか、と逆に問うことにより前文の爾前・二乗不作仏の義をより徹底して問い詰められているのである。
これに答えて、重々の問答や論議はあるであろうが、所詮は、爾前のどの教えにおいても二乗の作仏は許していず、そして二乗界の成仏を許していないということは、菩薩界の作仏をも許していないことになると述べられ、その理由として、二乗が作仏しないとなると、菩薩が立てる誓願の一つである〝衆生無辺誓願度(衆生の無辺なるを度せんと誓願す)〟の願いを成就することができなくなるからであると仰せられている。
これは、爾前には二乗の作仏はないが菩薩は得道・作仏できるとしていることの矛盾を指摘され破折されているのである。
ゆえに「釈は菩薩の得道と見たる経文を消する許りなり」と仰せられたのである。ここに〝釈〟とは、爾前経で菩薩は得道できたとする解釈文であり、冒頭の本文にあたる。
すなわち、法華経の二つの文から、菩薩は爾前経で得道したとするのは一面のみをみた解釈にすぎず、二乗不作仏との関連を深く思慮していないからである。と破折され、爾前による菩薩の作仏も、厳密にみればありえないことを「所詮華・方・般若も初住に登らず又凡夫二乗は勿論なり」と仰せられている。
前述のように、菩薩は、別教では初地、円教では初住に入って得道できるとされていたが、厳しくいえば、華厳部、方等部、般若部のそれぞれに説かれた爾前の円教を修行しても菩薩達は初住にも登ることはできず、得道・成仏は全く及びもつかないのであり、ましてや、凡夫、二乗が爾前で成仏・得道できないことはいうまでもない、と仰せられている。
この日蓮大聖人の立場はあくまで法華経方便品第二の「我れは本と誓願を立てて 一切の衆をして 我が如く等しくして異なること無からしめんと欲しき 我が昔の願いし所の如きは 今者已に満足しぬ 一切衆生を化して 皆な仏道に入らしむ」の経文から心得るべきであると仰せられている。
つまりこの方便品の文は、二乗であれ菩薩であれ、一切衆生の得道は、法華経により初めて可能となったことを示す経文だからである。
顕露定教、顕露不定教、秘密、爾前の円、別教について
天台大師は釈尊の一代聖教を五時八教に立て分けて分類したが、これは、釈尊の五十年にわたる衆生教化に関して、説法の時期・次第、説法の内容、説法の方法・形式という観点から整理し体系化したものである。
〝五時〟は説法の時期・次第を華厳時、阿含時、方等時、般若時、法華涅槃時の五時に分類したものである。
これに対し八教とは、説法された教説の内容によって四つに分類した〝化法の四教〟と説法の形式・教化方法により四つに分類した〝化儀の四教〟とを合わせていうのである。
化法の四教とは蔵教・通教・別教・円教であり、化儀の四教とは頓教・漸教・秘密教・不定教である。
ここで、化儀の四教についてとくに述べると、まず、頓教とは釈尊が自らの悟りを衆生に対して〝頓に〟〝直ちに〟説き、誘引のためのなんらの手段を使わない教えである。五時でいえば華厳部の教えがそれである。
次の漸教とは、低きから高きへ衆生を次第に漸次に誘引していく方法で、五時でいえば阿含・方等・般若部の説法がこれにあたる。
次に不定教と秘密教とは、これまでの頓教と漸教の二つの化導・説法形式では済度することのできない機根の衆生に対して、仏は別の特殊な方法を用いて説法したとする。
それは、衆生達は同じ説法内容を聞いても、機根がそれぞれ異なっているので、異なって理解し、受け取る利益も不同である場合が生ずる。したがって、仏は得益の不同(これを不定という)をあらかじめ予想しつつ説法するのである。
天台四教儀によると、初めに秘密教とは「前四時の中、如来の三輪不思議なるが故に、或は此の人の為に頓を説き、或は彼の人の為に漸を説くが如き、彼此互いに相知らずして能く益を得せしむ」とある。
「如来の三輪不思議」とは、如来の身口意の三密(三業)を用いて衆生を自在に化導していく不思議の説法をいう。
すなわち、如来は衆生を前にして同時に、この人には頓教を説き、かの人には漸教を説くというようにするけれども、聞く衆生のほうは〝同聴異聞〟であるから、相互に頓、漸別々の教えが語られたことや、その利益が異なることを知ることなく、しかもそれぞれ利益を得ることができる。これが秘密教(または秘密不定教)である。まさに、如来の不思議説法というべきものであろう。
次に不定教というのは、同じく天台四教儀には「前四味の中、仏一音を以って法を演説し給うに、衆生、類に随って各解を得るに由る。此れ則ち如来の不思議の力、能く衆生をして、漸説の中に於いて頓の益を、頓説の中に於いて漸の益を得せしむ」とある。
すなわち、法華以前の前四教の説法において、仏はただ〝一音〟により法を説いたのであるが、聞く衆生のほうはそれぞれの類にしたがって、おのおのに理解するというもので、ある者には頓教において漸益を得せしめ、ある者には漸教において頓益を得せしめる説法形式を不定教(または顕露不定教)という。
さて、秘密教と不定教との相違をもう少し簡略化して述べよう。
秘密教は正式には秘密不定教といい、不定教を正式には顕露不定教という。このことから明らかなように、まず〝不定〟という点においては両者とも共通している。
すなわち、仏の説法を聞く衆生が、機根に応じてその受ける利益が一定でないような説き方を不定教というのである。
では、どこが異なるのかといえば、その不定教が顕露なのか秘密なのか、という点である。顕露というのは〝あらわ〟ということで、文字通り秘密に対する言葉であることはいうまでもない。
まず、顕露は仏の意趣や意図をあらわにして隠すところのない教え、ということであるから、顕露不定教というのは、仏の意図や意趣があらわで衆生が相互に利益の異なることを知っている場合であるのに対し、秘密不定教は仏の意図や意趣が隠れていて、かつ衆生が相互に利益の異なることを知らない場合である。
顕露定教は、仏の意図や意趣をあらわにして隠すところがなく、更にすべての衆生に対して利益が等しく与えられる教えで、化儀の四教では頓教と漸教とにあたる。
また、爾前の円については本抄の後の展開において詳細に述べられるところであるが、爾前の諸経に説かれる円教のことである。
円教は化法の四教(蔵教・通教・別教・円教)の一つで、円融円満で完全無欠な教法のことで、凡夫が位の次第を経なくとも、あるいは煩悩を断じなくても成仏すると説く教えのことである。
一代聖教大意には「円教に二有り一には爾前の円・二には法華・涅槃の円なり」(0396:01)と仰せであり、爾前の円とは華厳時(華厳経)、方等時(浄名経、観経等)、般若時に説かれた円教をいう。
更に、別教は化法の四教の一つで、独り界外(かいげ)(三界の外)の変易生死からの出離を求める菩薩のためにのみ説かれた教えで、主として二乗のために説かれた蔵教や通教とも異なり、また後の円教とも異なるので別教という。代表的なものに華厳経がある。
顕露定教、顕露不定教、秘密(秘密不定教)、爾前の円、別教は以上のとおりである。ところで本文の問いは、これらの教えのどれが二乗作仏を許しているのかというものである。それに答えて、さまざまな論議があるにしても、結論的にいえば、皆ことごとく二乗作仏は許していない、と述べられている。
所詮は二乗界の作仏を許さずんば菩薩界の作仏も許さざるか衆生無辺誓願度の願の闕(か)くるが故なり
この一文は、もし二乗界の成仏が許されなかったなら、菩薩界の成仏も許されないはずである、というものである。
その理由としてここでは、菩薩が自らの修行を始めるにあたり、必ず立ててその成就を願う四弘誓願の一つである。「衆生無辺誓願度(衆生の無辺なるを度せんと誓願す)」に反するゆえであると指摘されている。
なぜなら、もし二乗の作仏が許されないならば、菩薩が立てた無辺の衆生を済度するという誓願を成就することができなくなる(無辺の衆生のなかに二乗が入るからである)のであり、それによって菩薩自身、自らの成仏が不可能となるからである。
この一文と同様の指摘は、例えば爾前二乗菩薩不作仏事、小乗大乗分別抄などにある。爾前二乗菩薩不作仏事には「前四味の諸経に二乗作仏を許さず之を以て之を思うに四味諸経の四教の菩薩も作仏有り難きか、華厳経に云く『衆生界尽きざれば我が願も亦尽きず』等と云云、一切の菩薩必ず四弘誓願を発す可し其の中の衆生無辺誓願度の願之を満せざれば無上菩提誓願証の願又成じ難し、之を以て之を案ずるに四十余年の文二乗に限らば菩薩の願又成じ難きか」(0424:13)と述べられている。
また小乗大乗分別抄には「仏と経とは父母の如し九界の衆生は実子なり声聞・縁覚の二人・永不成仏の者となるならば菩薩・六凡の七人あに得道をゆるさるべきや、今此の三界は皆是我が有なり其の中の衆生は悉く是吾子なり乃至唯我一人のみ能く救護を為すの文をもつて知るべし、又菩薩と申すは必ず四弘誓願をおこす第一衆生無辺誓願度の願・成就せずば第四の無上菩提誓願証の願も成就すべからず」(0522:05)と指摘されている。
釈は菩薩の得道と見たる経文を……又凡夫二乗は勿論なり
ここで〝釈〟といわれているのは、おそらくは本抄冒頭に掲げられた内容をさしていわれたものと考えられる。
すなわち、法華経譬喩品第三の「見諸菩薩」等の経文や、同従地涌出品第十五の「始見我見」等の経文を、爾前の教えにおいて菩薩が得道できることを裏づけた経文としてとらえることで、これは菩薩得道の面のみをみて消釈したにすぎないと指摘されているのである。
そして、華厳、方等、般若の爾前の円教を修行した菩薩は、不退の位である初住にも登ることができず、したがって得道はなく、菩薩ですらこのとおりであるから、いわんや凡夫二乗においては爾前における得道がないのはいうまでもない、と仰せられている。
このように、爾前における菩薩の得道には一往、再往の義がある。十法界事に「但し未顕真実と説くと雖も三乗の得道を許し正直捨方便と説くと雖も而も見諸菩薩授記作仏と云うは、天台宗に於て三種の教相有り第二の化導の始終の時過去の世に於て法華結縁の輩有り爾前の中に於て且らく法華の為に三乗当分の得道を許す所謂種熟脱の中の熟益の位なり是は尚迹門の説なり、本門観心の時は是れ実義に非ず一往許すのみ、其の実義を論ずれば如来久遠の本に迷い一念三千を知らざれば永く六道の流転を出ず可からず」(0418:13)と仰せの御文は、一往、法華経の迹門の説を依拠として爾前の前三教の菩薩の得道を許されている。それはあくまでも法華による得道を明かすために、しばらく爾前当分の得道を許したまでなのである。
化一切衆生皆令入仏道の文の下にて此の事は意得可きなり
法華経方便品第二に「舎利弗よ当に知るべし 我れは本と誓願を立てて 一切の衆をして 我が如く等しくして異なること無からしめんと欲しき 我が昔の願いし所の如きは 今者已に満足しぬ 一切衆生を化して 皆な仏道に入らしむ」と説かれている。
釈尊が出世の本懐である法華経を説くことにより、一切衆生を、自分(仏)と等しくて異なることなき境地に導くという当初の請願を成就して、現在は満足したと舎利弗に告げているところである。
言い換えれば、一切の衆生を化導して、ことごとく仏道に入らせることができた、すなわち得道・成仏させることができたというのである。
この「化一切衆生令入仏道(一切衆生を化して 皆な仏道に入らしむ)」の経文の下において、法華経にきたって初めて菩薩や衆生は得道・成仏できるのであって、爾前の教えでは不可能である、ということを心得るべきであると仰せられている。
第三章(爾前の円にも二乗作仏無し)
問う円の菩薩に向つては二乗作仏を説くか、答う説かざるなり未曾向人説如此事の釈に明かなり。
問う華厳経の三無差別の文は十界互具の正証なりや、答う次下の経に云く如来智慧の大薬王樹は唯二所を除きて生長することを得ず所謂声聞と縁覚となり等云云二乗作仏を許さずと云う事分明なり、若し爾らば本文は十界互具と見えたれども実には二乗作仏無ければ十界互具を許さざるか、其の上爾前の経は法華経を以て定む可し既に除先修習等云云と云う華厳は二乗作仏無しと云う事分明なり方等般若も又以て此くの如し。
現代語訳
問うていうには、爾前の円教では菩薩に向かって二乗作仏を説いているか。
答えていうには、説いていない。そのことは法華経信解品第四の「未だ曽て人に向かいて此の如き事を説かず」の文についての天台大師の解釈に明らかである。
問うていうには、華厳経の「心と仏と及び衆生、是の三差別無し」の文は、十界互具の正しい文証ではないか。
答えていうには、華厳経のその文のすぐ次に「如来の智慧である大薬王樹は、ただ二か所を除くのであり、その二か所では生長することができない。いわゆる声聞・縁覚(および法器に非ざる者)である」等と説かれている。
ここから、爾前の円教で二乗作仏を許していないことは明らかである。したがって、経の本文は十界互具のようにみえるが、実は二乗作仏がないのであるから、十界互具を許していないのである。
そのうえ、爾前の経は法華経をもって判断すべきである。既に法華経従地涌出品第十五には「先より修習して、小乗を学せる者をば除く」等とあることから、華厳経に二乗作仏がないことは明らかである。方等部・般若部もまた同じである。
語句の解説
未曾向人説如此事
「未だ曽て人に向かいて此の如き事を説かず」と読む。法華経信解品第四の文。慧命須菩提・摩訶迦栴延・摩訶迦葉・摩訶目揵連の中根の声聞が釈尊の法を聞いて歓喜して長者窮子の譬を説くなかの文。すなわち、長者が幼い時に自分を捨てていった子のことを五十余年の間、常に心の中で心配していながら、決して人にはそのことを言わなかったことをいう。
十界互具
法華経に示された万人成仏の原理。地獄界から仏界までの十界の各界の衆生の生命には、次に現れる十界が因としてそなわっていること。この十界互具によって九界と仏界の断絶がなくなり、あらゆる衆生が直ちに仏界を開くことが可能であることが示された。この十界互具を根幹として、天台大師智顗は一念三千の法門を確立した。
大薬王樹
華厳経巻三十五(旧訳・六十華厳)にある。雪山の頂にある大樹。新訳で無尽根という。すべての草木の王で、この樹の葉が茂り実がなると、すべての草木も葉が茂り実がなるとされる。華厳経の意では、この樹を仏性にたとえ、すべての草木を一切衆生とし、仏の智慧が一切の智慧の根本であるとしている。しかし、この大樹は地獄の坑と水輪の二所では生長しないとある。地獄の坑とは二乗、水輪は一闡提にたとえている。
法華経
大乗仏典の極説。梵名サッダルマプンダリーカ・スートラ(Saddharmapuṇḍarīka-sūtra)、音写して薩達摩芬陀梨伽蘇多覧、意は「白蓮華のごとき正しい教え」である。経典として編纂されたのは紀元一世紀ごろとされ、すでにインドにおいて異本があったといわれる。漢訳には「六訳三存」といわれ、六訳あったが現存するのは三訳である。その中で後秦代の鳩摩羅什訳「妙法蓮華経」八巻は、古来より名訳とされて最も普及している。内容は前半十四品(迹門)には二乗作仏、悪人成仏、女人成仏等が説かれ、後半十四品(本門)には釈尊の本地を明かした久遠実成を中心に、本因妙・本果妙・本国土妙の三妙合論に約して仏の振る舞い、また末法に法華経を弘通する上行菩薩等の地涌の菩薩に結要付嘱されたこと等が説かれている。
講義
前段で、爾前の円教の菩薩も成仏できないとの指摘を受けて、では、爾前経の円教の菩薩に向かっても二乗作仏は説かれなかったのか、という疑問が提出されている。
つまり、爾前経でも、円教という以上、円融円満の教えであるから、二乗作仏が説かれたに違いないというのが、この問いの背景に横たわっている。
したがって、二乗に向かっては作仏を許さないと説いたけれども、菩薩の前では円教を明かしたのだから、二乗作仏を説いたのではないか、という問いである。
それに対する答えとして、爾前の円では菩薩に対しても二乗作仏は説いていないと断定され、そのことを明らかにする文証として、法華経信解品第四の「而未曾向人説如此事(而も未だ曽て人に向かいて此の如き事を説かず)」という経文についての法華文句巻六上の釈を挙げられている。
法華文句の釈では「未曾説(未だ曾て説かず)」について「応世より已来、昔の華厳・方等・大品の諸座よりは、未だ曾て諸の大士に向かって、此の声聞は本是れ大乗の子と説かず」と述べており、華厳・方等・大品(般若)における〝諸の大士〟(菩薩達)に向かって、声聞が本来大乗の子であるとは説かなかったことであると解釈している。
声聞が大乗の子であると説かなかったというのが、二乗作仏を許さなかったことにあたるのはいうまでもない。
次の問答では初めに、爾前の円のなかでも、法華経に次ぐ高い教えである頓教・華厳経に説かれる「心仏及衆生・是三無差別(心と仏と及び衆生、是の三差別無し)」という経文は十界互具の正しい文証となるかどうか、を問うている。
これに対して、同経の経文を引用して華厳経が二乗の作仏を許していないことを証明され、二乗作仏なくして十界互具も成立しない、と答えられている。
更に、爾前経のことは法華経によって判断すべきであると説かれ、華厳経に二乗作仏がないことも、法華経従地涌出品第十五の「除先修習・学小乗者(先より修習して、小乗を学せる者をば除く)」という経文から明らかであると述べられている。
そして、方等部(時)、般若部(時)も、華厳経と同様にとらえるべきであると結論されている。
未曾向人説如此事の釈
「而未曾向人説如此事(而も未だ曽て人に向かいて此の如き事を説かず)」という経文は、法華経信解品第四に説かれる〝長者窮子の譬〟のなかに出てくるものである。
ある長者の子が幼くして家出し、他国を流浪して五十余年が経過した。あるとき、父の長者の住む町に辿り着いた。
長者は窮子を一見して我が子であることを知るが、窮子のほうは長者の威容を見ただけで畏怖の心を抱き、逃げ去ってしまうありさまであった。
そこで、長者は最も卑しいとされた職業に就かせることから始めて徐々に重要な仕事を与えるという方便を用いて窮子を自らに近づけ、遂に臨終間際のときに、親族・国王・大臣等を集めて、窮子は実は我が子であり、自分の所有する財産のことごとくは我が子のものであると宣言して、すべてを託したというのが、たとえの大要である。
さて「未曾向人説如此事」等の文は、自分の子が家出して五十余年の間、父としての長者が常に心に思っていた事柄を述べることに出てくるものである。
すなわち「父は毎に子を念えども、子と離別して五十余年、而も未だ曽て人に向かいて此の如き事を説かず。但だ自ら思惟し、心に悔恨を懐いて、自ら念わく、『老朽し、多く財物有り。金・銀・珍宝は、倉庫に盈溢すれども、子息有ること無し。一旦に終没しなば、財物は散失して、委付する所無けん』と。是を以て慇懃に毎に其の子を憶う。復た是の念を作さく、『我れは若し子を得て財物を委付せば、坦燃快楽にして、復た憂慮無けん』」とある。
つまり「父である長者は常に子のことを思っていた。子と離別して五十余年も経過しているが、そのことについて、いまだかつて人に向かって説いたことはなかった。ただ、いつもそのことを考え、後悔していた。長者が思うことには『私は財物は多いが年老いている。金銀・珍宝が倉庫にあふれているのに、託すべき子がいない。死んでしまえばこの財物は、委託すべき人がなく、散失してしまうであろう』と。こうして子供のことばかりを思っていた。そして『もし子がいれば一切を委託することができ、心は安穏にして快くなり憂慮はなくなるであろうに……』と、いつも長者が思惟してきた」というものである。
この「而未曾向人説如此事」の経文を天台大師は、法華文句巻六上で次のように釈している。
「未曾説とは、未だ曾て方便有余土の臣・佐・吏人に向かって、此の子の機縁有ることを説かざるなり。又応世より已来、昔の華厳・方等・大品の諸座よりは、未だ曾て諸の大士に向かって、此の声聞は本是れ大乗の子と説かず。既に仏子に非ざれば仏法を解せず。或は聾唖の如く、或は華著き座を拝し、或は鉢を棄てて茫然たり」と。
ここで、自分に家出した子がいることを、他の人に向かっていまだかつて説かなかった、ということを解釈して、仏(長者)が華厳、方等、大品(般若)を説く爾前の諸座において、いまだかつて〝諸の大士〟すなわち、もろもろの菩薩達に向かって、声聞(窮子)が大乗の子(長者の子)であることを説かなかったことにあたるとしている。
ゆえに、爾前の諸経においては二乗(窮子)は、仏子でないから仏法を理解することができないとされて、あるときは聾唖のようなものであるとか(華厳)、あるときは華著き座を拝し(方等)、あるときは仏から弾呵されて、持っていた托鉢の鉢を落とすほど茫然たる状態に陥る(大品般若)、というような扱いを受けたことが説かれているのである。
その姿はちょうど、長者の子が五十余年間、諸国を巡って、貧窮、困窮の状態に陥っていることにあたるのである。
ここから、法華文句の文は華厳、方等、大品般若のうちの、爾前の円教においても、仏が菩薩達(諸の大士)に向かって二乗の作仏を説かなかったことの裏づけとなるとされるのである。
華厳経の三無差別の文と十界互具
華厳経巻十の夜摩天宮菩薩説偈品には次のような文が説かれている。
「心は工みなる画師の如く、種種の五陰を画き、一切世界の中に、法として造らざる無し。心の如く仏も亦爾り、仏の如く衆生も然り。心と仏と及び衆生とは、是三差別無し……応当に是の如く観ずべし、心は諸の如来を造ると」と。
この文は「心如工画師(心は工(たく)みなる画師の如し)」、「心造諸如来(心は諸の如来を造る)」などのような経中の熟語とともに有名になり、また、妙楽大師の止観輔行伝弘決巻五の三では「心造一切三無差別(心は一切を造り、三の差別無し)」と、簡潔な言葉のなかに要約されている。また、この経文は〝唯心法界の法門〟〝法界唯心の法門〟とも称して、華厳経の代表的な法門として位置づけられている。
要するに、この〝三無差別〟の文は、心を巧みな画家にたとえ、画家が種々の五陰(色・受・想・行・識)を描いて世界の事物を表現していくように、世界のあらゆる存在(法)はただ心が造り出したものであり、心を離れて存在するのではなく、心のほかには別の法はない、したがって、迷いの衆生も悟りの仏も、ただ心があらわしたものにほかならないから、心・仏・衆生の三つはそれぞれ別々のものではなく、一体であるというものである。
この三無差別の経文は十界互具の正しい証文であるか否かというのが問いである。その背景には、天台大師が一念三千の説明において、この三無差別の文を引用しているという事実がある。
すなわち、天台大師は、摩訶止観巻五上において一念三千を説くにあたり、思議境と不思議境とを区別した。思議境とは、爾前諸経に説かれる、心が一切世間を生ずるという法理をいう。
小乗の場合は心から地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六界を生ずるものとするのに対し、大乗の場合は六界に声聞・縁覚・菩薩・仏の四界を加えて十界が心から生ずるとするのである。これを〝心生説〟という。
これに対して、法華円教は心生ではなく、心具を説き、これを不思議境としたのである。そして、この不思議境を展開するにあたり、華厳経の「心仏及衆生・是三無差別」の文をその根拠として掲げたのである。
「不可思議の境とは、華厳にいうがごとし、『心は工なる画師が種々の五陰を造るがごとし。一切世間のなかに、心より造らざるはなし』と。種々の五陰とは、まえの十法界の五陰のごときなり。法界とは三義あり。十の数はこれ能依なり。法界はこれ所依なり。能所を合わせ称するが故に十法界という。またこの十法界は各各の因、各各の果、あい混濫せず。故に十法界という。またこの十法は、一一の当体みなこれ法界なり。故に十法界という云云」と。
このように、天台大師が華厳の三無差別の経文を十界互具の法理を説くうえで用いたことから、この華厳経の文は十界互具の正しい証文といえるのではないかとの質問が立てられたのである。
次下の経に云く如来智慧の大薬王樹は唯二所を除きて生長することを得ず……二乗作仏を許さずと云う事分明なり
以上の問いに対して大聖人は、華厳経では二乗作仏を否定していることを経証を挙げて示され、二乗作仏がないのであるから十界互具も許されるわけがない、と答えられている。
三無差別の文が説かれているのは華厳経巻十(旧訳)の夜摩天宮菩薩説偈品(新訳では巻十九の昇夜摩天宮品)であるが、巻三十五(旧訳)の宝王如来性起品(新訳では巻五十一の如来出現品)に大薬王樹云々の文がある。
大薬王樹というのは雪山の頂にある大樹で、無尽根ともいう。無尽根とは大薬王樹の根が茎を生じた後、またその茎から根を生じて、それが茎となるというように、どこまでも尽きることのないところに名づけられたものである。大薬王樹はすべての草木の王で、この樹の葉が茂り実がなると、すべての草木も葉が茂り実がなるとされている。
華厳経では、如来の智慧が広大無辺であり、一切の智慧の根本であることを大薬王樹にたとえ、この大樹が生長しないところが二個所あることを次のように説いている。
巻三十五(旧訳)にいわく「仏子、如来の智慧の大薬王樹は、唯二処の生長することを得ざるをば除く。謂ゆる声聞、縁覚の涅槃の地獄の深坑、及び諸の犯戒、邪見、貪著の法器に非ざる等となり。而も如来の樹は生長せざるに非ず。其余の一切の応に化を受くべき者には皆悉く生長し、而も如来の智慧の大薬王樹は増せず減ぜざるなり」と。
すなわち、如来の智慧である大薬王樹は、あらゆるところで生長して、しかも増減はないのであるが、ただ二個所だけは生長することができない。その二個所とは、声聞、縁覚の無余涅槃の境地と法器にあらざる者達(一闡提等)の境地とであると説いている。この文に、華厳経が二乗作仏を否定していることは明らかである。
本文は十界互具と見えたれども実には二乗作仏無ければ十界互具を許さざるか
華厳経の三無差別の経文だけみると、十界互具を明かしているかのようにみえるし、また天台大師も摩訶止観でこの経文を依文として〝心具〟の不可思議境としての一念三千を明かしたのであった。
しかし、それはあくまで法華迹門の立場から会入して用いたにすぎず、華厳経自体は二乗作仏を否定しているのであるから、十界互具も許していないのであると指摘されている。
まえの段においては、二乗界の作仏が許されなければ菩薩界の作仏も許されない、と指摘された。その理由として、もし二乗の作仏が許されなければ菩薩の四弘請願の一つである、無辺の衆生(このなかに二乗も当然入る)を済度するという誓願――衆生無辺誓願度――を成就することができなくなるために、結果的に菩薩自身の成仏がかなわないからである、ということが挙げられていた。ここでは、二乗作仏がなければ十界互具が成立しないという点を強調されているのである。
爾前の経は法華経を以て定む可し
爾前経について判断するには、一代聖教の最高峰であり、結論である法華経にどのように述べられているかによるべきであるとの仰せである。
なぜなら、それぞれの経の言い分で判断しようとすると、それぞれに勝れている等の言葉が必ずあるから、全体観のなかから正しく位置づけることができないからである。
そして、冒頭にも挙げられた従地涌出品第十五の「先より修習して、小乗を学せる者をば除く」の文を示して、ここに「小乗を学せる者」すなわち二乗が爾前経では成仏できる者から除外されていたことが明らかであると述べられているのである。
第四章(爾前の円における二つの法門)
惣じて爾前の円に意得可き様・二有り、一には阿難結集の已前に仏は一音に必ず別円二教の義を含ませ一一の音に必ず四教三教を含ませ給えるなり、故に純円の円は爾前経には無きなり故に円と云えども今の法華に対すれば別に摂すと云うなり、籤の十に又一一の位に皆普賢行布の二門有り故に知んぬ兼ねて円門を用いて別に摂すと釈するなり此の意にて爾前に得道無しと云うなり、二には阿難結集の時・多羅葉に注す一段は純別・一段は純円に書けるなり方等・般若も此くの如し、此の時は爾前の純円に書ける処は粗法華に似たり、住中多明円融之相等と釈するは此の意なり。
現代語訳
総じて爾前の円について心得るべきことが二つある。
一つには、阿難が仏典を結集する以前、釈尊は必ず一つの教えに別教・円教の二教の義を含ませて、一つ一つの教えに必ず四教三教を含ませられたのである。ゆえに純円の円は爾前経にはないのであり、ゆえに円教といっても今の法華経に対すれば別教に摂するといえるのである。法華玄義釈籤巻十には「一つ一の位に皆、普賢(円融円満)と行布(差別)の二つの法門がある。ゆえに、円教の門(文)をもって別教に摂するのである」と釈している。この意において爾前経に二乗の得道はないというのである。
二つには阿難が仏典を結集した時、多羅葉に教えを記したが、そこで、一段は純別、一段は純円に書いた。方等・般若も同様である。このとき爾前の純円に書いた部分は、ほぼ法華経に似ている。法華玄義釈籤で「住の中には多くの円融の相を明かす」と釈しているのはこの意である。天台智者大師はこの道理を得られたゆえに、他師の華厳など、総じて爾前の経の心を得たとしているものとは違うのである。
この二つの法門をどのようにして天台大師が心得られたかと尋ねてみれば、法華経の信解品第四等をもって、一つ一つの文字が別円の菩薩への教えであり、また四教三教を含んでいると心得られたのであった。またこの智恵を得た後に、それらの経に向かってみる時は、一向に別、一向に円等と見えるところがあるが、これは阿難の仏典結集の後の立て分けであると思われたのである。
語句の解説
阿難結集
マガダ国の王舎城付近の畢波羅窟で行われた第一回仏典結集のこと。仏祖統記巻四にはそのありさまを「四月十五日、大迦葉は是くの如く思惟すらく『まさに三蔵を結集して、法をして久住せしむべし』と、……諸の弟子の神力を得る者、皆来たり集会す。迦葉選んで千人を得たり、皆阿羅漢なり……迦葉告げて言わく『仏の説きたもう所の法は、一言一字、闕くること有らしむ勿れ』と。……時に阿難、声を発し、唱えて言わく、『我れ聞きき。是くの如きを。一時仏所居処に住す』と。迦葉大衆は皆悉く涙を堕とし、老死を咄嗟し、幻の如く化の如し。『昨日は仏を見奉る、今日已に我聞くと称す』と」と記している。
阿難
梵名アーナンダ(Ānanda)の音写。釈尊の声聞の十大弟子の一人で、釈尊の従弟にあたる。釈尊の侍者として、多くの説法を聞き、多聞第一とされる。付法蔵の第二。法華経授学無学人記品第九で、未来世に山海慧自在通王如来に成ると釈尊から保証された。
一音
仏の声の意から、仏の説法をさす。
籤
法華玄義釈籤のこと。十巻(または二十巻)。中国・唐代の妙楽大師湛然述。釈籤ともいう。天台大師の法華玄義の注釈書。妙楽大師が天台山で法華玄義を講義した時に、学徒の籤問(疑問箇所に付箋をつけて意味を質すこと)に答えたものを基本とし、後に修正を加えて整理したもの。注釈は極めて詳細で、天台大師の教義を拡大補強している。
普賢
①普賢菩薩。②普く賢い、平等などの意。ここでは②の意。十界互具・一念三千の法門をあらわしている。ただし、ここでの「普賢」は法華の円ではなく爾前の円といて用いられている。
行布
行列配布の義。一位即一切位とする法華の円融の教えに対して、爾前権教の説く階位は行布を存することをいう。すなわち、差別をあらわす。日寛上人は、三重秘伝抄に「行布とは即ち是れ差別の異名なり。所謂昔の経経には十界の差別を存するが故に仍未だ九界の権を開せず。故に十界互具の義無し、故に迹門の一念三千を隠せりと云うなり」と釈されている。
多羅葉
多羅は梵名ターラ(tāḷa)の音写。葉は紙の代用として用いられた(貝葉という)。竹筆・鉄筆などで文字を彫り刻んだ。経文は、葉の中軸に二~三個の穴をあけ、これを重ねて紐を通し、木版ではさんで表紙とした(梵夾と呼ばれる)。
天台智者大師
(0538~0579)。中国・南北朝から隋代にかけての人で中国天台宗の開祖。智者大師ともいう。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。荊州華容県(湖南省)に生まれる。18歳の時、湘州果願寺の法緒について出家し、ついで慧曠律師に仕えて律を修し、方等の諸経を学んだ。陳の天嘉元年(0560)大蘇山に南岳大師(慧思)を訪れ、修行の末、法華三昧を感得した。その後、大いに法華経の深義を照了し、「法華玄義」「法華文句」「摩訶止観」の法華三大部を完成した。
講義
ここでは、爾前の円に関して留意すべきこととして、そこに二つの法門があると説かれている。
爾前の円とは法華経以前(爾前)の華厳時、方等時、般若時のそれぞれにおいて説かれた経教のなかの円教をいう。
すなわち、華厳時には円教に別教を兼ねて説き(兼)、方等時には蔵・通・別・円の四教の機に対してそれぞれの四教の法を説く(対)ゆえに円教を内に含み、般若時は通・別の二教を帯びて円教を説いている(帯)。このように兼・但・対・帯の違いはあるが、但蔵教のみを説いて(但)円教を説かない阿含時を除いて、他は一部、円教を説いている。
円教とは、前述のごとく、簡単にいえば凡夫の位の次第・順序を経ず、煩悩を断じないで成仏できると説く教えのことである。この教えが、単に経文の言葉のうえだけのことであるか、現証上の事実として説かれているかによって、爾前の円と法華経の円との相違が出てくるのである。ここに、本抄で二乗作仏・不作仏の問題を論議されている理由がある。
さて、爾前の円に関して二つの法門があるとは、一つは阿難が仏典を結集する以前、すなわち、仏が生存中に説法したままの爾前教の円と、今一つは仏滅後に阿難が仏の説法を多羅葉に書き記して遺した経典としての爾前の円とである。
一つは、仏の生存中の説法においては、仏は〝一音〟に必ず別と円との二教の義を織り込んで説法し、また一一の音に必ず四教と三教とを含ませて説法した、とある。
ここで〝一音〟とか〝一一の音〟とあるのは、古来、仏の説法のことを〝一音〟と呼称するが、その根底には、仏と同一の音声によって説法をしているのであるが、衆生の機根の異なりに応じて、その領解、受け取り方にさまざまな差異が生ずるとされたのである。
ところで「一音に必ず別円二教の義を含ませ」というのは、仏が華厳を説くときに円教に別教を兼ねて説いたこと(兼)を表し、「一一の音に必ず四教三教を含ませ給える」というのは〝一音〟に四教を含ませ、〝一音〟に三教を含ませということで、言い換えれば、方等を説くときには蔵・通・別・円の四教を含ませて説き(対)、般若を説くときには通教、別教を帯びさせて円教を説いた(帯)、ということである。したがって、仏の在世中の説法に関するかぎり、純円の円は爾前経には説かれなかった。
〝純円〟というのは、蔵・通・別の三教と混ぜ合わせて説かれたものではなく、全く純粋の円教のことで、これは法華経でなければ説かれないのである。
次に、仏滅直後の仏典結集のとき、阿難を代表とする結集者達は仏在世時の説法を多羅葉に記していったのであるが、華厳の教えを注記する際、「一段は純別・一段は純円」と書いたとされている。仏は音声によって華厳の教えを説法したときには別円の二教を微妙に含ませて説いたのであるが、これを結集して多羅葉に文字として記したとき、一段は純粋の別教、一段は純粋の円教というように、明確に立て分けて編集した。しかも、純円は仏の説法では法華経にのみ説かれたのであるが、仏典結集の段階で華厳、方等、般若の爾前の円に対しても〝純円〟として書き記したのである、と述べられている。
このように、経典としての爾前の円の場合は〝純円〟の書き方がなされているところがあるから、そのところに関しては、ほぼ法華経に類似した内容がある、と仰せられている。
要するに、ここは、仏の音声による実際の説法と仏滅後に結集され文字化された経典とのあいだには、少し隔たりのあることに留意するよう促されているのである。
次に、爾前の円に関して以上の二つの法門があるという道理を悟ることができたのは天台大師であるが、大師が他師と異なって、何ゆえにこの道理を悟ることが可能であったのか、ということに説き及んで、次のように仰せられている。
すなわち、天台大師はまず法華経の信解品等をもって、一々の文字に、別円の菩薩への教え(華厳)や化法の四教(蔵・通・別・円)を含み(方等)、更に三教(通・別・円)を含んでいる(般若)ことを悟った。そして、この悟りの智慧を得て後に、具体的に諸経典に向かってみると、経のなかに、徹底して〝別〟の部分と徹底して〝円〟の部分などというように、明確に立て分けられているところがあることを知って、それは阿難が経典を結集した後に立て分けられたものであると天台大師は見抜いたのである、と仰せられている。
籤の十に又一一の位に皆普賢行布……釈するなり
妙楽大師の法華玄義釈籤の巻十上の文である。この文を含む前後は天台大師の法華玄義巻十上の次の一文に対する釈義として説かれている。
すなわち「一に大網に三種あり。一には頓、二には漸、三には不定なり。此の三の名は旧に同じくして義は異なり云云。今此の三教を釈するに各二解を作す。一には教門に約して解し、二には観門に約して解するなり……先に教に約せば、華厳の七処八会の説の若きは、譬えば日出でて先に高山を照らすが如し。浄名の中には唯簷蔔を嗅ぐ。大品の中には不共般若を説く。法華に云く『但無上道を説く』と。又『始め我が身を見、我が所説を聞き、即ち皆信受して如来の慧に入る』と。『若し衆生に遇えば、尽く仏教を教う』と。涅槃の二十七に云く『雪山に草有り、名づけて忍辱と為す。牛若し食えば即ち醍醐を得』と、又云く『我、初め成仏するに、恒沙の菩薩来りて是の義を問う。汝が如く異なること無し』と。諸大乗教の此くの如きの意義類例して、皆頓教の相と名づく。頓教の部には非ざるなり」と。
この個所は、法華玄義において天台大師自身の教相判釈を明かすにあたり、まず頓、漸、不定の三種の大綱を挙げた後、この大綱を解釈するのに、教門と観門の二門に約して論ずることを明かし、初めに教門に約して解釈していくところである。そして、まず、頓教の相を諸大乗経典のなかから類例の文証を挙げて述べていくくだりである。
まず、華厳の七処八会の説は、ちょうど太陽が出て最初にまず高山を照らすように、直ちに究極の境地を教えており、また浄名(維摩)経巻中の観衆生品第七においては、舎利弗の質問に答えて天女が「舎利弗、人の瞻蔔林に入りて唯瞻蔔を嗅ぎて、余香を嗅ぐが如し。是くの如く、若し此の室に入れば、但仏の功徳の香のみを聞ぎて、声聞・辟支仏の功徳の香を聞ぐを楽わざるなり」と述べているところがある。
このように「此の室」(維摩詰の室)に入ると、瞻蔔林に入って、ただ瞻蔔の香りのみをかいで他の香りをかがないように、ただ仏の功徳の香りをかいで、声聞・辟支仏(縁覚)の香りをかぐことを願わなくなるということは、究極はただ仏の功徳のみであることを説いているので〝頓教の相〟ということができる。また、大品(般若)経においては〝不共般若〟すなわち、他と共通しない独特の般若(智慧)を説くのである。それは別円二教の教えで、このなかに〝頓教の相〟を含むのであろう。更に法華経方便品第二には「但だ無上道を説く」、「若し我れは衆生に遇わば尽く教うるに仏道を以てす」とあり、従地涌出品第十五には「始め我が身を見、我が説く所を聞き、即ち皆な信受して、如来の慧に入りき」とある経文も、同じ頓教の相であり、この他涅槃経二十三の文も挙げられているが、いずれも経中に説かれた究極の境地として頓教の相を表しているのである。
さて、この法華玄義の文に対して釈籤は、始めに「始め華厳自り終わり法華に至って皆頓の義有り。故に顕露の中に唯鹿苑を除く。余部の中は皆頓有るを以ての故に名づけて頓教と為す。而て頓の部に非ず」と、鹿苑での阿含部を除いて、顕露の華厳、方等、般若、法華の四部において頓があるから頓教というのであって、〝頓部〟という部があるのではないということである。
次に華厳経の七処八会について、六十華厳(旧経)と八十華厳(新経)とでは会座の数において相違のあることを説明し、とくに十住・十行・十回向・十地の菩薩行の次第・階位を明かす品々の紹介をした後、「是くの如き処会に明かす所の位行別円を出ず。但経意兼含にして義分判じ難し。始め住前従り登住に至って来、全く是れ円の義なり。第二住従り第七住に至って文相次第にして又別の義に似たり。七住の中に於いて又一多相即自在を弁ず。次に行、向、地又是れ次第差別の義なり。又一一の位に皆、普賢行布の二門有り。故に知んぬ。兼ねて円文を用いて別を接す」と説いている。
ここでは、華厳が明かすところの菩薩道の次第・階位は、別教と円教とを出ない。
まず、十住以前から十住の初住に登ったところは円の義であるのに対し、第二住から第七住に至るところは経文の書き方自体が順序次第を帯びていて、別の義のようである。
七住のなかで、一つの位と多くの位とが相即して自在であることを弁じているのは、円の義のようであり、次に、十行、十回向、十地の順序次第は差別の義で、別といえる。また、四十位のどの一つ一つの位にも、普賢(円)と行布(別)の二門があり、ゆえに華厳に代表される爾前の円の教え(円門、円文)には別教を摂していることが明らかである、というのである。
住中多明円融之相等と釈するは此の意なり
「住中……」の釈は法華玄義釈籤巻十上の文である。
これは法華玄義巻十上の「華厳の、初めに円、別の機に逗じ、高山を先に照らすが如きに至っては、直ちに次第不次第の修行、住上地上の功徳を明かして、如来説頓の意を弁ぜず」という文を釈したものである。
玄義の文自体は、天台大師の教相を明かすにあたって、まず、仏が無名相のなかにおいて名相を借りて説くのが仏説である、との根本を明かした後、教法の優劣を論じていくなかで、華厳の特徴を明かしたところである。
すなわち、華厳というのは、説法の最初にあたって、円教と別教の意が分かる機根に向けて投じられた教えであり、それゆえ華厳においては、直ちに菩薩の修行における次第行(別)と不次第行(円)を説き、円教では十住、別教では十地にのぼる功徳は明かしたけれども、如来自身が成仏に至った根本は弁じていないというのである。
これに対して釈籤では、玄義の文の最初の「華厳の、初めに円、別の機に逗じ、高山を先に照らすが如きに至っては、直ちに次第不次第の修行、住上地上の功徳を明かして」という文は、華厳では、別円二位の修行と、その十地(別教)・十住(円教)にのぼる功徳を明かしたということである、と釈している。
続いて、華厳経における菩薩の修行の階位・次第(十住、十行、十回向、十地)が説き明かされる会座と品名とが紹介され、その後「一経三十七品は倶に菩薩の行位の功徳を明かす。円別と言うは、住の中には多く円融の相を明かし、行の後には多く歴別の相を明かす。而して皆行位の意を明かさず、初成頓説の大旨を語らず」と釈している。これが本抄に引用の「住中……」の釈文である。
華厳経一経のうちの三十七品(新経)はただ菩薩の修行のそれぞれの位における功徳を明かしていることになる。華厳が円教に別教を兼ねて説く(兼)とされるのは、十住を明かすなかで多くは円融の相を明かし(円)、十行を説いてからは十回向、十地と次第して〝歴別の相〟すなわち、別々に段階的に説いていくのであるが、真実の成仏の義については明確にされていない、と釈している。
大聖人がこの釈籤の文を引用されたのは、阿難結集のときに多羅葉に仏の説法を記した際に、華厳経においては〝一段は純別・一段は純円〟というように書いたことを裏づけられるためであったといえよう。
法華経の信解品等を以て一一の文字別円の菩薩……見給えるなり
それでは、天台大師はどのようにして爾前の円に関する二つの法門を会得したのかについて説明されている。
天台大師は、法華経の信解品等を判読していったとき、経の一つ一つの文字が別円の菩薩のために説かれていたり、あるいは蔵・通・別・円の四教や蔵・通・別の三教を含んでいたりすることを会得した。
この智慧を得てから、改めて爾前の経教のことごとくを検討してみたとき、それぞれに別円や蔵通別を本来は含んでいたのであるが、ある経は一向に別、ある経は一向に円等というように、阿難による経典結集の後に人為的に施されたものである、と天台大師は見抜いたというのである。
ところで、前の「一には阿難結集の已前に仏は一音に必ず別円二教の義を含ませ一一の音に必ず四教三教を含ませ給えるなり」という御文がここでの「一一の文字別円の菩薩及び四教三教なりけりとは心得給いしなり」という御文に対応し、「二には阿難結集の時・多羅葉に注す一段は純別・一段は純円に書けるなり方等・般若も此くの如し」の御文は「此の智恵を得るの後にて彼等の経に向つて見る時は一向に別・一向に円等と見えたる処あり、阿難結集の後のしはざ(所作)なりけりと見給えるなり」という御文に対応することは明らかであろう。
なお、〝法華経の信解品等〟というのは天台大師が釈尊の一代聖教を五時八教に立て分ける依処として用いている信解品の長者窮子の譬喩や涅槃経の五味の教え、などをさしていることはいうまでもない。
第五章(爾前の円に迷う天台宗の学者)
天台智者大師は此の道理を得給いし故に他師の華厳など惣じて爾前の経を心得しには・たがい給えるなり、此の二の法門をば如何として天台大師は心得給いしぞとさぐれば法華経の信解品等を以て一一の文字別円の菩薩及び四教三教なりけりとは心得給いしなり、又此の智恵を得るの後にて彼等の経に向つて見る時は一向に別・一向に円等と見えたる処あり、阿難結集の後のしはざなりけりと見給えるなり、天台一宗の学者の中に此の道理を得ざるは爾前の円と法華の円と始終同の義を思う故に一処のみの円教の経を見て一巻二巻等に純円の義を存ずる故に彼の経等に於て往生成仏の義理を許す人人是れ多きなり、華厳・方等・般若・観経等の本文に於て阿難・円教の巻を書くの日に即身成仏云云即得往生等とあるを見て一生乃至順次生に往生成仏を遂げんと思いたり、阿難結集已前の仏口より出す所の説教にて意を案ずれば即身成仏・即得往生の裏に歴劫修行・永不往生の心含めり、句の三に云く摂論を引いて云く了義経・依文判義等と云う意なり、爾前の経を文の如く判ぜば仏意に乖く可しと云う事は是なり、記の三に云く法華已前は不了義なる故と云えり此の心を釈せるなり、籤の十に云く「唯此の法華のみ前教の意を説き今経の意を顕す」と釈の意は是なり。
現代語訳
天台宗の学者のなかで、この道理を得ていない者は、爾前の円と法華の円とについて始めの華厳も終わりの法華も同じ義であると考えているために、一か所のみに説かれている円教の経を見て、またその経の一巻や二巻等に純円の義が説かれているので、その経等に往生成仏の義や理があるとする人々が多いのである。
華厳・方等・般若・観無量寿経等の本文のなかに、阿難が仏典結集の時、「円教の巻」を書く時に「即身成仏」云々、「即得往生」云々としているのを見て、一生ないし順次生に往生成仏を遂げることができると思っているのである。
しかし、阿難が仏典を結集する以前の、仏の口から説き出されたところの説法でその意を考えてみれば、「即身成仏」「即得往生」の裏に「歴劫修行」「永不往生」の心を含んでいるのである。
法華文句の巻三に摂大乗論を引用して「了義経は文に依って義を判じ、不了義経は義に依って文を判ず」というのはこの意である。爾前の経を文のままに判ずるならば仏意に背くことになるというのはこのことである。
法華文句記の巻三には「法華以前は不了義なるゆえに」と言っているのは、法華文句のこの意を釈したものである。
法華玄義釈籤の巻十にいう「ただこの法華経のみが爾前経の意を説き明かして、今経(法華経)の意をあらわしている」との釈の意はこれである。
語句の解説
天台一宗
天台宗のこと。法華経を依経として、中国・隋代に天台大師智顗が開創した宗派。法華宗・天台法華宗・天台法華円宗ともいう。教相には南三北七の諸義を破して五時八教を立て、観心には円融の三諦をとなえ、一念三千・一心三観の理を証することにより、即身成仏を期することを説く。中国では北斉代の慧文が、竜樹の大智度論と中論によって一心三観の理を説き、これが南岳大師慧思を経て天台に伝えられた。天台は「法華文句」「法華玄義」「摩訶止観」の法華三大部を著して天台宗の教義および観心の行法を大成した。
始終同
天台の一部の学者が、釈尊が初めに説いた華厳経も最後に説いた法華経も、円頓の義において斉しいとしたこと。
順次生
今世の直後の生のこと。俱舎論などでは、業の報いを受ける時を三つに分ける。すなわち、今世の内に報いを受ける順現業、今世の直後の生に報いを受ける順次生業、それ以後の生に報いを受ける順後業があるとする。
歴劫修行
成仏までに極めて長い時間をかけて修行すること。無量義経説法品第二にある語(『妙法蓮華経並開結』三三㌻ 創価学会刊)。「歴劫」とはいくつもの劫(長遠な時間の単位)を経るとの意。無量義経では、爾前経の修行は歴劫修行であり、永久に成仏できないと断じ、速疾頓成(速やかに成仏すること)を明かしている
句
法華文句の略。中国・隋代の天台大師智顗が講じ、章安大師灌頂が記したもの。十巻(各巻に上下あるため二十巻ともする)。妙法蓮華経八巻の文々句々について、天台大師独自の釈経方法である因縁・約教(やっきょう)・本迹・観心の四釈を示している。
摂論
普通は無著(四~五世紀ごろ。梵名アサンガ〔Asaṅga〕)著の摂大乗論のことであるが、ここでは摂大乗論を釈した摂大乗論釈をさしている。世親(梵名ヴァスバンドゥ〔Vasubandhu〕)、無性(梵名アスヴァバーヴァ〔Asvabhāva〕)によって注釈が作られた。世親釈は中国・梁代の真諦訳(十五巻)と唐代の玄奘訳(十巻)、無性釈は玄奘訳(十巻)がある。
了義経
意味が明瞭な経典の意。釈尊が真意を説いた経をいう。そうでない経典を不了義経という。涅槃経巻六には「了義経に依りて不了義経に依らざれ」とある。
記
法華文句記の略。十巻(あるいは三十巻)。中国・唐代の妙楽大師湛然述。天台大師の法華文句の註釈書。
講義
日本天台宗の学者達が、爾前の円と法華経の円の相違に迷っていることを指摘され、破折されているところである。
天台宗の学者のなかで、爾前の円に仏典結集以前と以後との二つの法門があるという道理が分からない者は、爾前の円と法華の円とは同じであると思うので、ある経の一個所のみに〝円教〟が説かれているのを見て、その経の一巻や二巻などに〝純円の義〟があると思い、その経で往生成仏ができると考えている人々が多い、と仰せられている。
例えば、華厳、方等、般若、観経(観無量寿経)などの本文のなかに、阿難が仏典結集のときに「即身成仏」であるとか「即得往生」等と書き記しているのを見て、学者達は一生あるいは順次生(今生の次の生)で往生成仏を遂げることができる、と思っているのである。
しかし、阿難が結集する以前の実際の仏の口から説き出された説法をもって考えてみると、「即身成仏」や「即得往生」という言葉の裏に必ず、「歴劫修行」を必要とするという前提や、二乗などは「永久に往生しない」という別教の心が含まれているのであって、爾前の経を爾前の文のままに釈すると、仏の意に背くことになるといわれるのはこのことである、と述べられている。
爾前の円と法華の円と始終同の義
ここでの〝始終同の義〟というのは、本抄の冒頭に挙げられた法華経の文についてもいえるが、天台大師も法華玄義巻十下において「初後の仏慧、円頓の義斉し。故に般若の後に次いで華厳海空を説くは、法華と斉し。亦第五時教なり」と説いており、この「初後の仏慧、円頓の義斉し」の句を日本天台宗の学者は表面的にとらえたのである。
ここで〝初〟が華厳経に、〝後〟が法華経にあたり、華厳と法華の仏慧は、その円頓の義において等しい、ということである。始終同も、始めの華厳、終わりの法華とは、円頓の義において同じであるということである。〝円頓の義〟とは、凡夫が修行の位を経ず煩悩を断ぜずに〝頓に〟成仏できると説く義である。また、妙楽大師の法華玄義釈籤巻一上には、法華玄義「譚玄本序」に「文に云く『是れ第一寂滅なり。道場に於いて知り已んぬ。大事因縁をもって世に出現す。始め我が身を見て仏慧に入らしめ、未だ入らざる者の為に、四十余年、異の方便を以って第一義を助顕せり』『今、正直に方便を捨てて、但、無上道を説く』と」と述べている文を釈して、次のように述べている。
すなわち「大事の下は説の本意を明かす。意仏乗に在り。故に始終を挙げ、意仏慧に在り。中間の調斥は仏の本懐に非ず。故に助顕と云う」と。
すなわち、仏の説法の本意は仏乗を明かすところにあり、そのために、仏は始め華厳を説き、終わりに法華を説いて仏慧の内容を知らしめたのであるが、中間の阿含、方等、般若は衆生の機根を調えたり呵責したりして熟するために説かれたもので、仏の本懐ではない、というものである。
以上の玄義、釈籤をみるかぎり、華厳と法華のあいだにはその円頓の義において相違がないとしているかのようであるが、再往は天台大師も妙楽大師も法華経のみが真実の円頓の義を有しているとしていることは、すでに二乗の作仏・不作仏の論議で明らかになっているので、ここでは略する。
華厳・方等・般若・観経等の本文に於て……往生成仏を遂げんと思いたり
華厳、方等、般若、観経(観無量寿経)などの経文の本文のなかで「即身成仏」「即得往生」等の文があることについては、日蓮大聖人が一代聖教大意においても次のように説かれている。
「爾前の円とは華厳経の法界唯心の法門・文に云く『初発心の時便ち正覚を成ずと』又云く『円満修多羅』文、浄名経に云く『無我無造にして受者無けれども善悪の業敗亡せず』文、般若経に云く『初発心より即ち道場に坐す』文、観経に云く『韋提希時に応じて即ち無生法忍を得』文、梵網経に云く『衆生仏戒を受くれば位大覚に同じ即ち諸仏の位に入り真に是れ諸仏の子なり』文、此は皆爾前の円の証文なり。此の教の意は又五十二位を明す名は別教の五十二位の如し但し義はかはれり、其の故は五十二位が互に具して浅深も無く勝劣も無し、凡夫も位を経ずとも仏にも成り又往生するなり、煩悩も断ぜざれども仏に成る障り無く一善一戒を以ても仏に成る少少開会の法門を説く処もあり、所謂浄名経には凡夫を会し煩悩悪法も皆会す但し二乗を会せず、般若経の中には二乗の所学の法門をば開会して二乗の人と悪人をば開会せず、観経等の経に凡夫一毫の煩悩をも断ぜず往生すと説くは皆爾前の円教の意なり」(0396:02)と。
(通解)「爾前の円に五十二位、また戒定慧がある。爾前の円とは華厳経の法界唯心の法門がそれであり、華厳経に『初発心の時、直ちに正覚を成ず』と、また『円満修多羅(円経)』とある。浄名経に『我がなく、造がなく、受者がないけれども善悪の業は滅しない』、般若経に『初発心から即座に道場に坐す』、観無量寿経に『韋提希(いだいけ)は時に応じて、速やかに無生法忍を得る』、梵網経に『衆生が仏戒を受けると位は妙覚に同じ、即座に諸仏の位に入り、真にこれ諸仏の子である』と述べられているのは皆、爾前の円の証文である。この教の趣意は又五十二位を明かす。名は別教の五十二位と同じであるが、ただし義は異なっている。そのゆえは円教では五十二位が互いに具して浅深もなく勝劣もない。凡夫も一々の位を経なくとも仏にも成り、また往生するのである。煩悩も断じないけれども仏に成る障りはなく、一善一戒をもってしても仏に成る。少々、開会の法門を説くところもある。いわゆる浄名経には、凡夫を開いて仏に会入し、煩悩や悪法も皆、開会する。ただし二乗を開会しない。般若経のなかには二乗の所学の法門は開会(法開会)しているが、二乗の人と悪人は開会(人開会)していない。観無量寿経等の経々に凡夫がほんの少しの煩悩をも断じないで往生すると説くのは皆、爾前の円教の意である」と。
ここに引用された諸経の経文を見るかぎり、直接、即身成仏や即得往生という言葉は見受けられないが、思想的には円教の考えを表していることは明らかである。
すなわち、華厳経(華厳部)、浄名経(維摩経のことで方等部)、般若経(般若部)、観経(方等部)などのそれぞれの文は、結局、凡夫が位を経ずして仏に成ることを説いたり、あるいは一つの戒を受けるだけで仏の位に入るとしたり、また、煩悩を一毫も断ぜずして仏に成ること(成仏)や往生すること(往生)を明かしていることにおいて、円満の経ということができるのである。しかし、それぞれ二乗を開会しなかったり(二乗不作仏)、悪人の成仏を説かなかったりして、爾前の円教には限界があるのである。
このように爾前の円として限界があるにもかかわらず、これらの文をみて、日本天台宗の多くの学者達は、一生においてか次の一生において、成仏往生できることを表した文証として読んでしまっていたのである。
句の三に云く摂論を引いて云く……と釈の意は是なり
この段は三つの文を引用されながら、爾前の経(不了義経)は経文のとおりに解釈すると仏意に背くゆえに、法華経(了義経)の義に基づいて経文を判じなければならない、と仰せられているところである。
初めに、「句」というのは法華文句のことであり、その巻三下に次のようにある。すなわち「『摂大乗』に云く『了義経は文に依って義を判じ、不了義経は義に依って文を判ず』と。即ち斯義なり」と。
この釈文で、了義経とは仏法の義が完全に説き尽くされた経典のことで法華経を表すのに対し、不了義経とは〝義を了せず〟で、仏法の義がいまだ不完全である経典のことであり、方便権教の爾前経をさす。「摂大乗」とは、本来、無著著の摂大乗論のことであるが、ここは摂大乗論釈のことである。
いうまでもなく、摂大乗論は唯識思想の法相宗の聖典であるから、了義経は唯識中道教を説く解深密教をさし、不了義経とは唯識以前の有教と空教を説く諸経典を表すこととなる。
しかし、法華文句では、この文のあらわしている原理を借りて、了義経の法華経は義が完全に顕了に説かれているので、ただ法華経の文に依って義を判ずればよいのに対し、不了義経の爾前経は不完全な教えであるから、その経文自体に仏法の義を求めることはできず、法華経の義によって判じなければならない、というのが法華文句の意である。前者を依文判義というのに対し、後者は依義判文、というのである。
この法華文句の釈文を受けて「爾前の経を文の如く判ぜば仏意に乖く可しと云う事は是なり」、つまり爾前の経は不了義経であるから、その文のとおりに判ずると、真実の意図に背くことになるというのである。
次に、「記の三」というのは、妙楽大師の法華文句記の巻三のことであり、先の法華文句巻三の釈文を受けて「随情等とは法華已前は不了義の故に。故に難解と云う」と、法華文句の引用文中の〝不了義経〟が法華以前の爾前権教であることを明言している。
さらに「籤の十」というのは、妙楽大師の法華玄義釈籤巻十上のことで、そこでは法華玄義巻第十上の「此の難を過ぎ已って之を定むるに子父を以って、之に付するに家業を以ってし、之を払うに権迹を以ってし、之を顕すに実本を以ってす」の文を釈して次のように説いている。
「此の難過ぎ已って従り、去りては唯法華に至る。前教の意を説いて今教の意を顕す……一代の教法を収め、法華の文心を出る。諸経の所以を弁ず」と。
〝ただ法華経のみが、何ゆえに爾前経が説かれたのかを説き明かし、今経(法華経)の意をあらわすことができる〟という本抄の引用は、この釈籤の意をとって述べられたものである。
第六章(一代聖教中の法華経の重要性)
抑他師と天台との意の殊なる様は如何と云うに他師は一一の経経に向つて彼の経経の意を得たりと謂へり、天台大師は法華経に仏四十余年の経経を説き給へる意をもつて諸経を釈する故に阿難尊者の書きし所の諸経の本文にたがひたる様なれども仏意に相叶いたるなり、且らく観経の疏の如き経説には見えざれども一字に於て四教を釈す、本文は一処は別教・一処は円教・一処は通教に似たり、釈の四教に亘るは法華の意を以て仏意を知りたもう故なり、阿難尊者の結集する経にては一処は純別・一処は純円に書き別円を一字に含する義をば法華にて書きけり、法華にして爾前の経の意を知らしむるなり、若し爾らば一代聖教は反覆すと雖も法華経無くんば一字も諸経の意を知るべからざるなり、又法華経を読誦する行者も此の意を知らずんば法華経を読むにては有る可からず、爾前の経は深経なればと云つて浅経の意をば顕さず浅経なればと云つて又深義を含まざるにも非ず、法華経の意は一一の文字は皆爾前の意を顕し法華経の意をも顕す故に一字を読めば一切経を読むなり一字を読まざるは一切経を読まざるなり、若し爾らば法華経無き国には諸経有りと雖も得道は難かる可し、滅後に一切経を読む可き様は華厳経にも必ず法華経を列ねて彼の経の意を顕し観経にも必ず法華経を列ねて其の意を顕すべし諸経も又以て此くの如し、而るに月支の末の論師及び震旦の人師此の意を弁えず一経を講じて各我得たりと謂い又超過諸経の謂いを成せるは曾て一経の意を得ざるのみに非ず謗法の罪に堕するか。
現代語訳
そもそも他師と天台大師との解釈の異なりはどこにあるかといえば、他師は一つ一つの経々に向かって解釈し、それでその経々の意を得たと思っている。
天台大師は釈尊が法華経で四十余年の諸経について述べられる意をもって解釈しているゆえに、阿難尊者の書いた諸経の本文と違っているようではあるが、仏意には叶っているのである。
例えば、天台大師の観無量寿経疏をみると、観無量寿経の経説にはないけれども、一字について四教をもって釈している。
本文は一か所は別教、一か所は円教、一か所は通教に似ているのである。しかし、それを四教にわたるものとして解釈したのは法華経の意をもって仏意をお知りになっているからである。
阿難尊者の結集した経では、一か所は純別、一か所は純円に書き、別・円の二教を一字に含む義は法華経で書いたのである。法華経で爾前の経の意を知らしめようとしたからである。
したがって、一代聖教を反覆して読んでも、法華経がなければ一字も諸経の意を知ることができない。また、法華経を読誦する行者もこの意を知らなければ法華経を読んだことにはならない。
爾前の経は深経であるからといって浅経の意をあらわさなかったり、浅経であるからといって、また深義を含まないというのではない。
法華経の意は一々の文字は皆、爾前の意をあらわし法華経の意をもあらわしている。ゆえに、一字を読めば一切経を読むことになり、一字を読まないのは一切経を読まないことになるのである。
したがって法華経のない国では諸経があるといっても得道は難しい。釈尊滅後における一切経の読み方は、華厳経にも必ず法華経をつらねて華厳の意をあらわし、観無量寿経にも必ず法華経をつらねて観無量寿経の意をあらわすべきである。諸経もまた同じようにするべきである。
そうであるのに、インドの末期の論師や中国の人師はこの意をわきまえないで、一経を講義して、おのおの自分はこの経の意を得たと思い、またその一経が諸経を超過しているとの増上慢をなしているのは、まったくその一経の意さえ得ていないばかりか、謗法の罪に堕するのである。
語句の解説
観経の疏
一巻。仏説観無量寿仏経疏、観無量寿仏経疏、観経天台疏ともいう。天台大師智顗説。なお現在では、この書は章安大師から妙楽大師の時代までの間で成立したものとされている。
月支
中国・日本などで用いられたインドの古称。月氏とも書く。もともとは紀元前後数百年、東アジア・中央アジアで活躍していた遊牧民族の名とされる。この月氏が、後に匈奴に追われ、中央アジアに進出し、ガンダーラ地方を中心にして大月氏国を築いた。特に二世紀のクシャーナ朝のカニシカ王以後、大乗仏教が盛んとなり、この地を経てインドの仏教が中国へ伝えられたことから、中国ではインド全体に対しても月氏と呼んでいた。
震旦
中国の歴史的呼称。梵語チーナスターナ(Cīna₋sthāna)の音写。真旦・真丹とも書く。チーナは秦の音写。スターナは地域・場所の意。秦(中国)人の住んでいる地域との意。古代インドで中国をさした呼称。おもに仏典のなかで用いられた。
人師
論師に対する言葉。経・論を解釈して人々を導く人のこと。例えば、像法時代の天台大師智顗、妙楽大師湛然などをさす
講義
天台大師の経典解釈法と他の人師達の解釈の仕方との相違はどこにあったかを明らかにされ、天台大師のように、法華経を根本にしてこそ釈尊の真意を知ることができることを述べられている。
したがって、法華経を離れては、いずれの経も正しくとらえられず、かえって謗法の罪に堕すと厳しく戒められている。
まず、天台大師と他師との相違であるが、他師は一つ一つの経をそれぞれ別々のものと考えて、それぞれの経の意味内容を理解して、それでその経の意を心得ることができた、と思っているのである。
これに対して、天台大師は法華経に基づいて諸経を解釈したから、天台大師の解釈は、一見すると阿難尊者が仏典結集のときに書き記した諸経の本文とは相違するように見えても、仏の意図にかなうとらえ方をしたのである、と仰せられている。
その一例として、天台大師の観経の疏を挙げられている(観無量寿経の解釈書)。天台大師はこの疏のなかで、実際の観経の経文の表には見えないけれども、蔵・通・別・円の四教をもって釈している。実際の観経の本文は、一字に四教を含むというものではなく、ある一か所は別教、別の一か所は円教、またある一か所は通教というように書かれている。
天台大師が観経疏の釈で一字についても四教にわたって解釈したのは、あくまで法華経によって仏の本意を知ったためである、と仰せられている。
阿難尊者が結集した経典において、一か所は純粋な別教(純別)、一か所は純粋な円教(純円)として書き記し、一字に別・円の二教を含むような在り方を法華経において書いたのは、法華経によって爾前四十余年の諸経の意を知らしめようとしたからである。
したがって、一代聖教を何度反復して学んだとしても、法華経なくしては、諸経それぞれの意味するところも知ることができないのであり、逆に、法華経を読誦する行者も、このことを知らなかったならば、法華経を読んだことにはならないのである。
爾前経の場合は深経だからといっても、それより浅い経の意をあらわしていないことがあるし、浅い経だからといっても、深義を含んでいることもある。
これに対して法華経は、一々の文字が皆ことごとく爾前教の意をあらわしていると同時に法華経の意をもあらわしているゆえに、法華経の一字でも読めば一切経を読んだことと同じになる。逆に、法華経の一字を読まないということは一切経を読まないことと同じになってしまうのである。
したがって、法華経のない国においては、諸経が存在していても得道・成仏はないのである。
また仏の滅後において、一切経を読むにあたっては次のようにしなければならない。例えば、華厳経を読むときには、必ず法華経とともに読誦して華厳の説かれた意図を明確にし、観経を読むときも必ず法華経を並べて観経の説かれた意図をあらわさなければならない。
このように、いかなる諸経も、法華経とともに読誦して、諸経それぞれの説かれた意図を明確にする必要があるのである。
ところが、インドの末期の論師や中国の人師は、このことをわきまえないで、一経だけを読んでその経の意を得たと思い、更にはその一経が他の諸経に〝超過〟しているという思いにとらわれたりしたのである。
しかし、それでは、その一経の意も得られないばかりか、かえって謗法の罪に堕する結果となっている、と厳しく戒められている。
天台大師は法華経に……仏意に相叶いたるなり
天台大師は、法華経を根本に諸経を釈したが、それは、仏が何ゆえに四十余年の間、爾前諸経を説いてきたかという、〝意図〟が明かされているからである。
天台大師が一切経について、その位置づけを定める五時教判を立てるにあたって、その依拠としたものは法華経の開経・無量義経、法華経の方便品第二、同信解品第四の三つの文証であったことは、法華玄義巻十上に明らかである。
まず方便品の文は「我れは始め道場に坐し 樹を観じ亦た経行して 三七日の中に於いて 是の如き事を思惟しき 我が得る所の智慧は 微妙にして最も第一なり 衆生の諸根は鈍にして 楽に著し痴に盲いられたり 斯の如きの等類 云何にしてか度す可きと……我れは寧ろ法を説かず 疾く涅槃にや入りなん 尋いで過去の仏の 行ぜし所の方便力を念うに 我が今得る所の道にても 亦た応に三乗を説くべし」という一節である。
この文は、釈尊が菩提樹の下で悟りを開いた後、三七日(三週間)の間、思惟した内容が明かされている。
すなわち、自らが得た智慧は微妙で最第一である。しかも、もろもろの衆生は機根が純であって目先の快楽に執着している。これらの衆生を済度するにはどうすればよいのかと思惟し、その結果、むしろ法を説かずに早く涅槃に入ってしまおうかとも考えたが、過去の仏が行った方便の力を思い出しているうちに、自らも過去の仏と同様に、声聞、縁覚、菩薩の三乗に分けて法を説くことに決めたと述壊されている。
この経文について天台大師は法華玄義巻十上において、先に〝頓〟としての華厳経を説き、その後に衆生の機根(三乗)を考慮して〝漸〟としての経教を説く、という順序次第を表しているとしている。
次に、無量義経の文は「善男子よ。我れは先に道場菩提樹の下に端坐すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり。仏眼を以て一切の諸法を観ずるに、宣説す可からず。所以は何ん、諸の衆生の性欲は、不同なることを知れり。性欲は不同なれば、種種に法を説きき。種種に法を説くことは、方便力を以てす」、「文辞是れ一なれども、義は別異なり。義は異なるが故に、衆生の解は異なる。解は異なるが故に、得法・得果・得道も亦た異なる。善男子よ。初めに四諦を説いて、声聞を求むる人の為めにせしかども、八億の諸天は来下して法を聴いて、菩提心を発し、中ごろ処処に於いて、甚深の十二因縁を演説して、辟支仏を求むる人の為めにせしかども、無量の衆生は菩提心を発し、或は声聞に住しき。次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説いて、菩薩の歴劫修行を宣説せしかども、百千の比丘、万億の人天、無量の衆生は、須陀洹に住することを得、斯陀含を得、阿那含を得、阿羅漢果を得、辟支仏因縁の法の中に住す」という一節である。
この経文に対して、〝仏眼を以て一切の諸法を観ず〟とは、頓法が前にあることを表し、〝四諦、十二因縁〟(蔵教)は漸を後にすることを表し、〝方等十二部経〟は小乗・蔵教の後に方等を説くこと、〝摩訶般若・華厳海空を説いて、菩薩の歴劫修行を宣説せし〟とは方等の後に般若を説くことを表しており、結局、この文は阿含時、方等時、般若時という三つの〝漸〟の時を示しているのである、と法華玄義は釈している。
最後に、法華経信解品の文というのは、同品に説かれた長者窮子の譬喩のことである。天台大師はこの譬喩によって、釈尊一代の説法を五時に立て分ける教相の判釈を樹立したのである。
さて、長者窮子の譬喩は摩訶迦葉、摩訶目犍連、摩訶迦旃延、須菩提の四大声聞が自らの領解したところを述べたものである。
天台大師が一切経を五時の次第に立て分けるうえで基準としたのは、仏法上では最鈍根にあたる声聞二乗がいかに仏によって教化され、究極の目的の成仏へと導かれていったか、ということであった。この疑問に答えている最適の依文を、天台大師はこの長者窮子の譬喩に見いだしたのである。
長者窮子のたとえは大要、次のような内容である。
長者の子が幼いころ父を捨てて他国を放浪していた。やがて、
①長者がみすぼらしい我が子を見つけ、
②二人の召し使いを使わして長者の家にくるよう誘引し、
③自らみすぼらしい衣服をまとって我が子に接近し、
④財宝管理の職につかせ、
⑤やがて、家事財産の一切をその子に譲った、
というものである。
法華玄義巻十下においては、まず、長者が邸宅の前をたまたま通りかかった我が子を見つけて人をやって連れてこようとしたが、子のほうは父が分からず、捕らえられると思って恐怖のあまり悶絶した、という個所(①)に関して、次のように説いている。
「初め成仏して、寂滅道場にして法身の大士、四十一地の眷属囲繞して、円頓の経文を説く。時に於いて大を以って子に擬するに、機生じて悶絶することを領ずるなり。当に知るべし、仏日初めて出でて頓教先に開く。譬えば牛より必ず先に乳を出すが如きことを」と。
つまり、長者が我が子を見て直ちに邸宅に連れてこさせようとしたのは、仏が寂滅(菩提)道場で悟りを開いた直後に、法身の大士(菩薩)や四十一地の高位の眷属に囲まれて、円頓の経門、すなわち華厳経を説いたことにあたる。
〝大を以って子に擬す〟とあるように、華厳の頓教(大)を、直ちに子にあたる二乗に〝擬宜〟したのである。
華厳は二乗に直ちに高位の教えを仮に与えてみて、二乗がこの頓教を受け入れるに都合よい機根か否かを試してみたのである。また、五味でいえば、乳味にあたり、日(仏)が初めて姿を現したことにもたとえられている。しかし、当の二乗は長者の子と同じく、低い境地に低迷していたために、この頓教の教えがさっぱり分からなかった。
次の②では、我が子がとても低い境地に低迷していることを知った長者が、今度は方便を用いて、あえて貧しい姿をした二人の召し使いを遣わして、窮子に対して、糞はらいの仕事に雇いたい、といわしめた。これについては「此は頓の後に次で、舎那威徳の相好を隠し老比丘の像と作りて、三蔵の教を説き、二十年の中常に糞を除わしめ、一日の価を得しむることを領ずるなり。即ち是れ十二部より後修多羅を出す。時において見思已に断じて無漏の心浄し。譬えば乳より酪を出すが如し」と釈している。
これが〝誘引〟のための小乗阿含経であり、阿含時にあたり、五味でいえば酪味にあたるのである。
次の③では、長者自身が貧しい衣服を着て窮子に接近して、窮子を自分の子のように扱うことを述べて、長者と窮子との間には次第に心が通い合うようになっていくのであるが、これについて法華玄義では、〝弾訶〟にあたり、方等時の説法とし、五味でいえば生蘇味にあたると釈している。
また④では、更に進んで、病を得て死が間近であることを知った長者が、窮子を財宝管理の高職に就かせるのであるが、ここでは玄義で、〝淘汰〟になり、方等の後に般若を説くことにあたると釈している。また、五味でいえば熟蘇味にあたるとしている。
最後に⑤において、長者が臨終の間際に、窮子が真実の我が子であることを明かし、一切の家事財宝を譲るのであるが、玄義では、これこそ二乗も元来、仏の子であり、一切衆生はことごとく仏性を有して成仏できることを明かす法華経が説かれたことをたとえ、また法華経により初めて仏の説法教化の意図が明確になることをたとえている、と述べている。まさに〝開会〟であり、五味では醍醐味にあたるのである。
天台大師は以上のように、法華経信解品の長者窮子のたとえを依拠として、仏の四十余年の説法教化の意図を明確に把握していたので、一切経のそれぞれがどのような仏の元意に基づいて説かれたかを正しくとらえ、そこから経文を読んだので、正しくその真意を把握することができたのである。
第七章(天台のみが仏の正意を明かす)
現代語訳
問うていうには、インドの論師、中国の人師のなかに、天台大師のように、阿難が仏典を結集する以前の、釈尊が直接に説いた諸経をこのように理解した論師や人師がいたであろうか。
答えていうには、無著菩薩の摂大乗論には四意趣をもって諸経を釈し、竜樹菩薩の大智度論には四悉檀をもって一代聖教の心を得ている。これらはほぼ釈尊の意を釈しているようではあるが、天台大師のように分明には釈していない。天親菩薩の法華論もまた同じである。
中国においては天台大師以前の五百年の間には、一代聖教の心を得た義は全くなかったのである。法華玄義の巻三には「インドの大論ですら、まだ比較に耐えない」と述べている。
語句の解説
無著菩薩
生没年不明。四世紀ごろ、北インド・健駄羅国のバラモンの家に生まれた。梵名アサンガ(Asaṅga)。無障礙と訳す。世親(天親)の兄。最初は化地部(上座部仏教の一派)の僧として出家したが、空の教えに興味をもち、さらに弥勒に大乗の空観を教えられてから、大乗に帰して大乗の諸教義を研究し、瑜伽・唯識の教えを弘めた。小乗の論師であった弟の世親を教化して大乗に帰入させた故事は有名である。著書に「摂大乗論」三巻、「金剛般若論」二巻、「顕揚聖教論」二十巻、「順中論」二巻などがある。
四意趣
仏が説法するときに四種の意向があることをいう。無著の摂大乗論巻中に説かれる平等意趣・別時意趣・別義意趣・衆生意楽意趣のこと。①平等意趣。往時の仏と今の釈尊とで形は異なるが、仏の悟る法は平等であるところから、今の釈尊は往時の仏であり、往時の仏は今日の釈尊であると説くこと。②別時意趣。多宝如来の名を称えればただちに等正覚を決定するとか、阿弥陀仏の名を称えればただちに往生できると説くこと。実際は、如来の名を唱えたり発願したりするだけでは、成仏や往生は不可能なのであるが、怠惰な衆生を励ますために別時の利益を説くこと。③別義意趣。言説と意義とが同じでないこと。恒河沙(無数)の仏につかえれば、大乗の実相の義を解了できると説くことをいう。凡夫は大乗の法義について、その言葉の意味は理解できても、実際に究極の実相にまで到達するのは困難であって、そこをよく知る仏は、大乗の法義は言葉の意味を理解してなされるのではなく、無数の仏に師事することによって証得できる、とするのであり、ここに言説と意義とが別であること。④衆生意楽意趣。衆生の意楽にしたがって、さまざまに説法して正道に導くこと。たとえば、先に一衆生に対して布施行を讃嘆し、後にその布施行をそしるような場合がある。衆生が物を惜しむ傾向性の強いときには、慳貪の心を除かんがために賛嘆するのであり、つぎに布施行に執着して他の勝れた教えを求めない心を破するためである。別名を補特伽羅意楽意趣という。補特伽羅は、梵語プドガラ(Pudgala)の音写。輪廻の主体をさす語。自我、人格、個人の存在等の意。
竜樹菩薩
生没年不明。二世紀から三世紀にかけての南インドの大乗論師。梵名ナーガールジュナ(Nāgārjuna)。付法蔵第十三祖(一説には第十四祖)。八宗の祖と称される。バラモンの出身で、初め小乗経を学んだが雪山で一老比丘から大乗経典を授けられ、以後、大乗仏法の宣揚に尽くした。晩年は南インドのキストナ(Kistna)川上流・黒峰山(吉祥山)に住んで弟子を育成し、提婆菩薩(迦那提婆(かなだいば))に法を付嘱して没したという。著書に「中観論」四巻、「十二門論」一巻、「十住毘婆沙論」十七巻等がある。
大論
大智度論の略称。百巻。竜樹造と伝えられる。姚秦の鳩摩羅什訳。摩訶般若波羅蜜経釈論ともいう。内容は摩訶般若波羅蜜経(大品般若経)を注釈したもので、序品を第一巻から第三十四巻で釈し、以後一品につき一巻ないし三巻ずつに釈している。大品般若経の注釈にとどまらず、法華経などの諸大乗教の思想を根底に置いて般若空観を解釈し、大乗の菩薩思想や六波羅蜜などの実践法を解明しており、単に般若思想のみならず仏教思想全体を知るための重要な文献であるとともに、後の一切の大乗思想の母体となった。
四悉檀
仏が衆生の仏道を成就させるための四種類の説法をいう。竜樹菩薩造と伝える大智度論巻一等に説かれる世界悉檀・各各為人悉檀・対治悉檀・第一義悉檀のこと。①世界悉檀。仏が衆生のさまざまな願いや欲望にしたがって法を説き、聞く者を歓喜させ利益を与えること。楽欲悉檀ともいう。②各各為人悉檀。衆生おのおのの性質や能力などに応じて、それぞれに適した法を説き、善根を増長させること。生善悉檀ともいう。③対治悉檀。三毒(貪・瞋・癡)を対治するための説法をいう。たとえば貪欲の多い者には不浄観を教え、瞋恚の多い者には慈悲心を教え、愚癡の者には因縁を観じさせること。断悪悉檀ともいう。④第一義悉檀。前の三種が仮の化導であるのに対し、真理をただちに説いて衆生を覚らせることである。入理悉檀ともいう。
天親菩薩
生没年不明。四~五世紀ごろのインドの学僧。梵名ヴァスバンドゥ(Vasubandhu)。音写して婆薮槃豆。旧訳で天親、新訳で世親という。大唐西域記巻五等によると、北インド・健駄羅国の出身。無著の弟。はじめ、阿踰闍国で説一切有部の小乗教を学び、大毘婆沙論を講説して倶舎論を著した。後、兄の無着に導かれて小乗教を捨て、大乗教を学んだ。その時、小乗に固執してきた非を悔いて舌を切ろうとしたが、兄に舌をもって大乗を謗じたのであれば、以後、舌をもって大乗を讃して罪を償うようにと諭され、大乗の論をつくり大乗教を宣揚した。著書に「倶舎論」三十巻、「十地経論」十二巻、「法華論」二巻、「摂大乗論釈」十五巻、「仏性論」四巻など多数あり、千部の論師といわれる。
法華論
二巻。天親(旧訳)または世親(新訳)釈。中国・後魏代の菩提流支・曇林等共著。正しくは妙法蓮華経憂波提舎という。インドにおける法華経の注釈書として唯一現存する。法華経が諸経より優れている点を十種挙げた十無上などを説く。如来蔵思想による法華経解釈を特色とし、天台大師智顗や吉蔵(嘉祥)、基(慈恩)らに影響を与えた。
玄
法華玄義の略。正しくは妙法蓮華経玄義。十巻。中国・隋代の天台大師智顗が講じ、章安大師灌頂が記したもの。法華経の題号である妙法蓮華経の玄義(奥深い意味、深玄な意義)を明かした書。妙法蓮華経の題号は一経の全意をあらわすという考えから、五重玄義(釈名・弁体・明宗・論用・判教〔名・体・宗・用・教〕の五つの観点)を用いて題号の意義を明らかにし、法華経の内容を総括的に示している。
講義
ここは、天竺(インド)の論師や震旦(中国)の人師のなかに、天台大師のように、阿難が仏典の結集をする以前の仏の直接の説法(仏口)に関してその真意を心得た人はいたかどうかという問いを起こされ、それに対して、存在しないと答えられている。
インドの論師として、無著菩薩、竜樹菩薩、天親菩薩の三人が挙げられ、これら三人も、諸経を解釈するのに独自の法理を立てたが、天台大師ほど明快に諸経の真意を解明していない、と指摘されている。
そして、中国に仏教が伝来してから天台大師が出現するまでの五百年間の人師のなかには、仏の説法の正意を心得た人は一人も存在しなかったと仰せられ、最後に、その文証として法華玄義巻三の「天竺の大論尚其の類に非ず」を挙げられている。この文中の「天竺の大論」には諸説があるが、竜樹菩薩の大智度論、無著菩薩の摂大乗論などをさすと考えられる。
無著の四意趣、四悉檀について
四意趣というのは、無著菩薩がその著・摂論(摂大乗論)のなかで用いた諸経解釈の方法である。また、同じ無著の荘厳経論、摂論を釈した天親菩薩の摂大乗論釈にもこの方法が説かれている。
大乗荘厳経論巻六には「諸仏の説法は四意を離れず」とあり、無著は、経典に結集される以前の仏の説法そのものに溯(さかのぼ)って、これを四つの意趣(意向)をもって釈したのである。
四意趣の具体的な名称については、ここでは摂大乗論釈巻五に基づいて説明しておきたい。まず〝意趣〟とは、文字どおりの意味では、考え、思惑、趣旨などのことであるが、ここでは、仏が衆生に対して説法するときの意向や考え方をさしている。
摂大乗論釈においては、その仏の意趣に四種類があるとし、①平等意趣、②別時意趣、③別義意趣、④衆生意楽意趣(補特伽羅意楽意趣)、の四つを挙げている。
まず①の平等意趣については巻五に「平等の法身は置いて心中に在れば、説いて言く、我昔、曾て彼に等しと。彼の昔時の毘鉢尸仏は即ち是れ今日の釈迦牟尼なるに非ざるも、平等の義の起こす所の意趣に依りて是くの如きの説を為す」とある。
すなわち、仏自身の心のうちにある〝仏の法身〟は平等であるので、彼の昔の毘婆尸仏と今日の釈迦牟尼仏とは同じでないにもかかわらず、今の我(釈迦仏)は昔の彼(毘婆尸仏)である、と説いたりすることである。
次に②の別時意趣については、巻五に「謂く此の意趣は嬾惰なる者をして、彼々の因に由りて彼々の法に於いて精勤修習せしめ、彼々の善根をして皆増長することを得せしむ。此の中の意趣は多宝如来の名を誦するの因を顕す。是れ昇進の因にして、唯名を誦するのみにて、便ち無上正等菩提に於いて已に決定することを得るには非ず。説いて言える有るが如し。一の金銭に由りて千の金銭を得るは、豈一日に於いてならんや。意は別時に在り。一の金銭は是れ千を得る因なるに由るが故に此の説を作す。此も亦是くの如し。唯発願するのみに由りて便ち極楽世界に往生するを得とは、当に知るべし亦爾なり」とある。
つまり、別時意趣とは仏が懶惰で怠け者の衆生を励まして仏道を進めさせるために用いる方便である。
例えば、多宝如来の名を誦するだけで無上正等菩提を得る(成仏する)ことができると説いたり、あるいは発願するだけで往生できると説いたりする。実際は、如来の名を唱えたり、発願したりするだけでは、成仏や往生は不可能なのであるが、それらの行が成仏や往生のための因であることには変わりがないので、衆生の成仏や往生が万行の完成の後に達せられるという未来の別の時点にあることを仏は心に存しながら、あえてこのように説くのが別時意趣である。
これに関して譬喩が説かれている。わずか一日で、一つの金銭で千の金銭を得ることができる、と説いたとする。実際にはそんなことは不可能であり、それを説く本人も、一つの金銭が千の金銭になるためには、多くの日数を経た未来の別の時点に達成できるものであることを知っているのである(別時意趣)。しかし、怠け者を励まして仕事をさせるために、この方便を使用するのである。
③の別義意趣とは「説いて言うが如し。若し已に爾所の恒河沙等の仏に逢事すれば、大乗の法に於いて方に能く義を解せん」とある。
大乗の法義について、凡夫はその言葉の意味は理解できても、究極の実相にまで到達するのはなかなか困難なことであり、そのことをよく知っている仏が、恒河沙のような無数の仏に会って師事すれば大乗の実相の義を了解できると説くことをいう。
この場合、大乗の法義は言葉の意味を理解してなされるのではなく、無数の仏に師事することによって証得できるとしているので、これを〝別義異趣〟というのである。
最後の④の衆生意楽意趣とは、補特伽羅意楽意趣ともいい「謂く一の為に先には布施を讃し、後には還って毀呰するが如し。此の中の意は、先には慳悋多ければ、為に布施を讃し、後には施しを行ずることをのみ楽わば、還って復毀呰して勝行を修せしむ。若し此の意無ければ一の施の中に於いて、先には讃し、後には毀するは則ち相違を成ず。此の意有るに由りて讃するも毀るも理に応ず。尸羅等に於いても当に知るべし。亦爾なり」とある。
これは、衆生の意楽(思い願うこと)に従って、仏の説法に相違の生ずることをさしている。
例えば、ある一人の修行者に対して、仏があるときは布施行を賛嘆し、後になって、その布施行をそしるような場合がある。一見すると、これは矛盾するようであるが、次のような仏の意向によっているのである。衆生が吝嗇で物を惜しむ傾向性の強いときには、布施を行ずるように促すが、今度は布施行だけにとらわれて他の行をおろそかにすると、あえてその衆生のために、布施をそしって、他の勝れた行を修行させようとするのである。これは衆生の意楽を思い計って説くのであるから、衆生意楽意趣というのである。
以上が四意趣で、これも確かに仏の衆生に対する説法の意図をとらえようとする方法ではあるが、天台大師の五時八教の釈にはとても及ばない、と日蓮大聖人は仰せられている。
次に、竜樹菩薩が大智度論巻一に明らかにした四悉檀をみてみよう。
まず四悉檀の〝悉檀〟とは、成就、宗要などの意味をもっており、仏が衆生の仏道を成就させ成仏させていくことをさし、そのための仏の法の説き方に四つあることを四悉檀というのである。今その名目を明らかにすると、①世界悉檀、②各各為人悉檀、③対治悉檀、④第一義悉檀、である。
大智度論巻一では「四悉檀の中に、総べて一切の十二部経、八万四千の法蔵を摂す」と説き、仏の一切の教法、八幡法蔵がこの四つの悉檀のなかに収まるとしている。
初めに①の世界悉檀は、楽欲悉檀ともいい、仏が衆生の願い欲するところにしたがって、世界・世間の法を説いて、聞く者をして歓喜させ利益を与えることをいう。
次に、②の各各為人悉檀とは生善悉檀ともいい、衆生おのおのの性質や能力などに応じて法を説いて正信を生ぜしめ、過去の善根を増長させることをいう。
③の対治悉檀とは断悪悉檀ともいい、貪・瞋・癡の三毒を治すためにとられる仏の説法である。例えば貪欲の者には不浄観を観じさせ、瞋恚の者には慈悲の心を修せしめ、愚癡の者には因縁を観じさせる、というように、仏が衆生の心の悪病を除くために種々の法の薬を施すことをいうのである。
最後に④の第一義悉檀とは入理悉檀ともいい、まえの三つによって衆生の機の熟するのをみて、最後に諸法実相の真理を説いて真実の悟りへと入らしめることをいう。この竜樹菩薩の四悉檀も、天台大師の五時八教の立て分けと比較すると、その精密さと深さとにおいてはるかに及ばない、と大聖人は仰せられている。
第八章(「華厳・法華同等」の義を破す)
現代語訳
妙楽大師の法華玄義釈籤巻三に「天台宗の章疏は法理に従い仏の教えに基づいており、およそ立てるところの義は、他宗の人々が、自宗を弘通するために、おのが経典を賛嘆しているのと同じではない。もし法華経を弘通するために偏って賛嘆するならば、それはおおいなる誤りである。また、他のことも同じである」とある。なぜかといえば、すでに「開権顕実」が説かれたというのに、どうして一向に権教を毀ることがあろうか。
華厳経の「心と仏と及び衆生、是の三は差別がない」との文について、華厳宗の澄観等がこの文で「一心・覚・不覚」の三義を立てたのは、その源は大乗起信論の名目を借りてこの文を解釈したからである。
南岳大師は「妙法」の二字を釈するのに、この「心と仏と及び衆生、是の三は差別がない」を借りて三法妙の義を立てた。天台智者大師は南岳大師のこの義を依用している。ゆえに天台宗の人は華厳・法華同等の義を立てているのであろうか。また、澄観は「心仏及衆生」の文によって「一心・覚・不覚」の義を立てたのみではなく、性悪の義を立てていて、澄観の釈には「天台宗ではこのことを実としている。華厳宗の立義は、それと理において通じないものはない」等と述べている。これらの法門を許すべきかどうか。
答えていうには、妙楽大師の止観輔行伝弘決の巻一に「もし天台宗のもろもろの円教の文の意がなければ華厳経の偈の法理を解釈することはできない」と述べている。同じ止観輔行伝弘決巻五には「法華経の文を理解することができなければ、どうしても『心造一切三無差別』の文を釈すことができようか」とある。又法華文句記巻七に「天台宗以外では全く性悪の名を聞いたことがない」といっている。
これらの文のとおりであるならば、天台大師の法門を心得ずしては華厳経の偈の意を知ることが難しいのである。また、中国の人師のなかには、天台大師のほかには性悪の名目を出している人はないのである。また法華経でなければ一念三千の法門を談ずることができないのである。
天台大師以後の華厳宗の末師ならびに真言宗の人々が性悪の法門をもって自宗の依経の所詮としているのは、インドから伝わったのか、祖師から伝わったのか。また天台大師の名目を盗んで自宗の内証の法門としたといえようか。よくよくこのことを調べてみるべきである。
問うていうには、性悪の名目は天台宗に限るのである。諸宗にこの性悪の名目はない。もし性悪の法門を立てなければ九界の因果がどうして仏界の上に現れるであろうか。
答えていうには、妙楽大師の止観義例には「もし仏が性悪を断じてしまえば、どのように種々の色身をあらわすことができるであろうか」と述べている。
語句の解説
華厳経
大方広仏華厳経の略。漢訳に三種ある。①六十華厳(六十巻)。東晋代の仏駄跋陀羅訳。②八十華厳(八十巻)。唐代の実叉難陀訳。③四十華厳(四十巻)。唐代の般若三蔵訳。華厳経末の入法界品のみの訳。華厳経は「十地品」と「入法界品」が特に重視され、多くの部分訳が存する。華厳経の内容は、毘盧舎那仏が利根の菩薩のために一切万有が互いに縁となり作用しあってあらわれ起こる法界縁起(無尽縁起)、また万法は自己の一心に由来するという唯心法界の理を説く。また入法界品には、五十三人の善知識を歴訪し、最後に悟りを開いた求道物語を展開し、仏道修行の段階とその功徳を示している。
起信論
大乗起信論の略称。梁の真諦訳一巻と唐の実叉難陀訳二巻があるが、真諦訳が広く流布した。大乗への信心を起こさせることを目的として、すべての衆生に如来となる可能性がそなわっているとする如来蔵思想の立場から大乗仏教の教理と実践を要約した論書。冒頭に「馬鳴菩薩造」とあるが、馬鳴は二世紀頃の人であり、内容から竜樹や世親らの思想より後の五~六世紀の成立と考えられる。サンスクリット原本はなく、中国撰述説もある。古来、大乗諸宗に広く読まれ、数多くの注釈書がある。
南岳大師
(0515~0577)。中国・南北朝時代の北斉の僧。字は慧思。姓は李。河南に生まれる。天台大師智顗の師。後半生に南岳(湖南省衡山県)に住んだので南岳大師と通称される。慧文のもとで禅を修行し、法華経による禅定(法華三昧)の境地を体得する。その後、北地の戦乱を避け南岳衡山を目指し、大乗を講説して歩いたが、悪比丘に毒殺されそうになるなど度々生命にかかわる迫害を受けた。これを受け衆生救済の願いを強め、41歳の時に光州の大蘇山に入り、金字の大品般若経および法華経を造り、立誓願文を著した。この立誓願文には正法五百年、像法一千年、末法一万年の三時説にたち、自身は末法の82年に生まれたと述べられており、これは末法思想を中国で最初に説いたものとされる。主著「法華経安楽行義」では、法華経安楽行品第十四に基づく法華三昧を提唱した。天台大師は23歳で光州(河南省)の大蘇山に入って南岳大師の弟子となった。陳の光大2年(0568)、戦乱を避けて南岳に移り、ここに晩年を過ごして、太建9年(0577)に没した。日蓮大聖人の時代の日本では、観音菩薩が南岳大師として現れ、さらに南岳の後身として聖徳太子が現れ仏法を広めたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、本抄(和漢王代記)で、南岳大師を「観音の化身なり」、聖徳太子を「南岳大師の後身なり救世観音の垂迹なり」とされている。
澄観
(0738~0839)。中国・唐代の僧。中国華厳宗の第四祖。清涼国師と号した。浙江省会稽の人。姓は夏侯氏、字は大休。11歳の時、宝林寺で出家し、法華経はじめ諸経論を学び、大暦10年(0775)蘇州で妙楽大師から天台の止観、法華・維摩等を習うなど、多くの名師を訪ねる。その後、五台山大華厳寺(清涼寺)で請われて華厳経を講じ、多くの書を著し、華厳宗の興隆に努めた。著作に「華厳経疏」六十巻、「華厳経随疏演義鈔」九十巻等多数ある。華厳経随疏演義鈔巻一には、「法華は余経を摂して華厳に帰す。是れ則ち法華亦華厳を指して根本と為す」と説いて、法華経をはじめとする一切経の帰すべき根本の教えが華厳経であるとしている。同巻十九では、華厳経の「心如工画師」の文を、天台大師の一念三千の法門が説かれてはじめて可能な性悪性善の法門を用いて解釈している。
性悪の義
仏に本性としての悪があるとする教義のこと。天台大師が立てた十界互具・一念三千の法門に基づいたもの。性善・性悪は、すべての生命に本来的にそなわる善悪の性分を指している。これに対して、行動の次元に本来の性分が顕れて、その効用を発揮することを修善・修悪という。天台大師の観音玄義巻上に「仏は修悪を断じ尽くして、但性悪あり。(中略)仏は性悪を断ぜずと雖も、而も能く悪に於て達す。悪に達するを以っての故に、悪に於いて自在なり。故に悪の染むる所と為らず、修悪起こるを得ず。故に仏、永く復悪無し。自在を以っての故に、広く諸悪の法門を用いて衆生を化度す。終日之を用いて、終日染まらず」とある。
弘
止観輔行伝弘決のこと。十巻。中国・唐代の妙楽大師湛然の著。天台大師の摩訶止観の注釈書。内容は題号の釈出をはじめ、無情仏性に関する十難や華厳宗の法華漸頓・華厳頓頓説を打ち破るなど、摩訶止観の妙旨を明らかにするとともに、天台宗内外の異義に破折を加えている。
義例
二巻。止観義例のこと。妙楽大師湛然(0711~0782)の著。摩訶止観の内容を要約し、七条に分けて天台教学の観心門を明らかにした注釈書。他宗からの天台観心門に対する批判を破折している。
講義
初めに、妙楽大師の法華玄義釈籤巻三の文を引いて、日本天台宗の人は華厳をはじめ権教の諸経と法華経とを同じ義であると考えているはずであり、華厳宗の澄観も〝性悪〟の義について天台宗と我が宗と同じであるとしているが、これについてどう考えるかと問いかけている。
それに答えて、妙楽大師は止観輔行伝弘決の巻一、巻五の文、法華文句記巻七の文とを引用されて、まず権教や華厳経の意は法華経を釈した天台大師の意を根底にしなければ知ることができないと破られ、次に、震旦の人師のなかに〝性悪〟の義を明らかにした者は天台大師以外にはないことを説いて、澄観の〝性悪〟の義は、これを盗んだものであると示されている。
最後に、性悪の法門は天台一家のみが説いており、他宗には存在しないことを確認する問答を挙げられて、この段を閉じられている。
籤の三に云く「一家の章疏は理に附しに憑り……」文……権を毀る可きや
問いに引用された妙楽大師の法華玄義釈籤巻三下の文である。
この文は法華玄義巻三下の次の文を釈したものである。すなわち「夫れ二諦の差別は已に上に説くが如し。此の七の権実、二十一の権実を説くに、頗る世人の所執の義を用うるや不や、頗る世人の所説の語に同ずるや不や、頗る諸論の所立の義を用うるや不や。既に世人に従わず、亦文疏に従わず。特に是れ大小乗の経を推して此の釈を作すのみ。若しは破、若しは立、皆是れ法華の意なり」と。
この玄義の文は、天台大師が法華玄義で展開した七つの権実や二十一の権実などの法門は、世人が執着している義や世人の説いている語、あるいは論じている義を用いたものであるのかどうかという問いに対して、世人の文や疏(注釈書)に従わずに説いた天台大師独自の法門であり、またそれは、あるときは破り、あるときは立てる、という法華経の意を根本にして述べられた法門であると説いている。
これを妙楽大師が釈したのが、この釈籤の文である。〝一家の章疏〟とは天台宗の宗旨・宗義をさす。すなわち、天台宗の教えは法理に従い仏の教えに基づいたもので、他の宗派が自らの弘通する経典のみを賛嘆するために立てる偏頗な教義とは異なっていることを述べ、その普遍性・客観性を強調したものである。
したがって、法華経を弘通するためにこの経典だけを偏って賛嘆することは間違い(失)である、と戒めている。
なぜなら、法華経が説かれて既に〝開権顕実〟(権を開いて実を顕す)したのであるから、権教も、法華経の意をあらわすための法華経の体内の教えとして位置づけられるのであるから、法華経のみを偏って賛嘆し、権教を毀ることは誤りだというのである。
このように、一切経が説かれた意図を明晰にした法華経ですら自画自賛の釈義をなしてはならないのであるから、いわんや余経を自画自賛してはならないことはいうまでもない、と釈籤は戒めている。
もとより妙楽大師自身、法華経を〝超八の醍醐〟として賛嘆しているのであり、これは法華経を賛嘆すること自体を戒めたものでないことは明らかである。ここでいわんとしているのは、法華経を最高としてたたえるとともに、他の権教も分々の真理をあらわしたものとして用いるべきであるということである。
華厳経の心仏及衆生・是三無差別の文について
華厳と法華は同じ義であると主張する問者が、その根拠として「心仏及衆生・是三無差別」の文と南岳大師の三妙法、および天台大師の法門との共通性を挙げているのである。
まず「心仏及衆生・是三無差別」の文の出典は華厳経巻十の夜摩天宮菩薩説偈品第十六である。
この品において、功徳林、慧林など十人の〝……林〟という名をもつ菩薩達が次々に如来の功徳を賛嘆していくのであるが、最後の第九番目の如来林菩薩が述べた言葉が「心と仏と及び衆生……差別無し」を含む偈頌である。
今、その個所を引用すると、「心は工みなる画師の如く、種種の五陰を画き、一切世界の中に、法として造らざる無し。心の如く仏も亦爾り、仏の如く衆生も然り、心と仏と及び衆生とは、是の三差別無し」とある。
この文中で〝心〟が画家にたとえられている。ちょうど、上手な画家がさまざまな五陰(色・受・想・行・識によって表される人間と世界)を描いていくように、心も一切世間の諸事物、諸事象を描き造っていく、ということである。すべてが心の所産であるというのは、ここに由来する。
したがって、仏といい衆生といっても、所詮、心が描き造るものであり、心の産物ということができる。ここから、心と仏と衆生、の三つのものは差別がなく同一不二、ということになるのである。
華厳の人師・此の文に於て一心覚不覚……釈するなり
「華厳の人師」すなわち中国華厳宗第四祖の澄観は上の「心と仏と及び衆生……」の文について、その著・華厳経疏巻二十一に次のように釈している。
すなわち「若し一人に約せば、心は即ち総相なり。仏は即ち本覚なり。衆生は即ち不覚なり」と。これが本文に仰せの「一心覚不覚の三義」である。
さて、この、一心・覚・不覚の三義は、澄観が大乗起信論から名目を借りてきて用いたものである。大乗起信論の第二正宗分の第三段解釈分に次のようにある。
「一心の法に依りて二種の門あり。云何んが二となす。一には心真如門、二には心生滅門なり。是の二種の門は皆各一切の法を総摂す……心生滅とは、如来蔵に依るが故に生滅の心あり。所謂、不生不滅と生滅と和合して、一に非ず、異に非ざるを名づけて阿梨耶識となす。此の識に二種の義あり。能く一切の法を摂し、一切の法を生ず。云何が二となす。一には覚の義、二には不覚の義なり」と。
すなわち、大乗起信論では、衆生の一心に、心真如と心生滅の二つの門があるとする。心生滅門は不生不滅と生滅とからなり、この二つが和合しているのを〝阿梨耶識〟と称し、この阿梨耶識に覚の義と不覚の義との二義がある、と説いている。
澄観はこの記信論の心真如門と心生滅(阿梨耶識)門の覚・不覚二義の立て分けを用いて「一心」「覚」「不覚」を立てたのである。
南岳大師は妙法の二字……天台智者大師は之を依用す
南岳大師も、華厳経の「心と仏と及び衆生、是の三に差別無し」の文を借用して、心法妙・衆生法妙・仏法妙の三法妙を展開しており、それを天台大師も依用しているのだから、天台宗の人々は華厳経と法華経とを同等としているはずであるときめつけている。
南岳大師の場合は、三法妙の展開に関しては天台大師ほど明確ではないが、その著作全体を通じて、華厳経の「心と仏と及び衆生……」の文を用いており、また衆生法・衆生妙などの法門を説いている。
例えば、法華経安楽行義において「云何なるを名づけて妙法蓮華経と為すや……云何なるを復衆生の義と名づくや。答えて曰く妙とは衆生妙なるが故に。法とは即ち是れ衆生法なるが故に」と説いている。ここでは、衆生妙、衆生法という言葉がみえており、三法妙の考え方の原型が表れている。
また、大乗止観法門巻一では「問うて曰く若し本不覚無きに就いて名づけて覚者と為せば、凡夫即是仏なり、何ぞ修道を用いると為すや。答えて曰く、若し心体平等に就かば即ち修と不修、成と不成無し、亦覚と不覚無し。但明為ること如如仏の如き故に対説に擬して覚と為すなり。又復若し心体平等に拠らば、亦衆生諸仏と此の心体異なり有ること無し。故に経の偈に云く『心仏及衆生是三無差別』と。然し復心性縁起法界の法門法爾にして不壊なり。故に常平等常差別なり。常平等の故に心仏及衆生是三無差別なり」と説いている。
この文からも、南岳大師が華厳経の「心と仏と及び衆生……」の経文を引用して自らの法門を展開していることは明らかであろう。
次に天台大師は、法華玄義や摩訶止観に南岳大師の説いた法門を用い、また華厳経の「心と仏と及び衆生……」の文を借りて、大いに三法妙を論じている。
まず、法華玄義巻二上では「南岳師は三種を挙ぐ。謂く衆生法と仏法と心法となり。経に『衆生をして仏の知見に開示し悟入せしめんが為に』というが如き。若し衆生に仏の知見無くんば、何の開を論ずる所あらん。当に知るべし、仏の知見は衆生に蘊在することを……又経に『但父母所生の眼を以てす』とは……此れは是れ今経に衆生妙を明かすの文なり……仏法妙とは、経に『止みなん止みなん説くを須いず。我が法は妙にして思い難し』というが如し……心法妙とは安楽行の中の如し。其の心を修摂して一切法を観ずるに動ぜず退せずと……華厳に云く『心・仏及び衆生、是の三、差別無し。心の微塵を破して大千の経巻を出す』と。是れを心法妙と名づく」と説いている。
ここでは、明確に、衆生法妙、仏法妙、心法妙の三法妙が明かされているとともに、華厳経の「三無差別」の経文も引用されている。
更に、摩訶止観巻一下にも『心仏及び衆生是三差別無し』と。当に知るべし、己心に一切の仏法を具すと云うことを」とある。
性悪の法門について
天台大師が性悪の法門を明かしたのは、主として観音玄義である。この書は法華経観世音菩薩普門品第二十五についての五重玄義を説いたものである。すなわち、本書は釈名・出体・明宗・弁用・教相の五章に分けられていて、その第一釈名章が通釈と別釈とに分かれている。そして通釈が第一列名・第二次第・第三解釈・第四料簡の四段からなっており、第四段の料簡が人法・慈悲・福慧・真応・薬珠・冥顕・権実・本迹・縁了・智断の十項目に分かれているうち、第九の縁了を料簡するところで、性悪説が説かれている。
さて、十項目に分かれている第四段の料簡の章は、全体として、仏道修行する人が発心し修行して仏果に至るまでの始終次第について明らかにしている。
そのうち、人法から真応までが自行の次第を、薬珠から本迹までが化他の次第を明らかにしたものとされている。
こうして、修行者の自行と化他の次第を説いて八項目となるが、しかし、この八項目のみでは修行者が何故に仏道を行ずるのか、あるいは行じなければならないのか、という根本の理由が示されていないから、そこで第九に縁了を料簡するという項目が説かれているのである。
縁了とは縁因仏性と了因仏性をさし、暗に正因仏性を含む三因仏性を示していることはいうまでもない。つまり、修行者が仏道を行ずることのできる根本は行者各自が具備している三因仏性にあることを料簡(考えること)する、というのが第九の項目の意図である。そして、このなかで性悪の法門が説かれるのである。
すなわち、「縁了を料簡すとは、問う縁了既に性徳善有るや亦性徳悪有るや否や。答う、具す。問う闡提と仏は何等の善悪を断ずるか。答う、闡提は修善を断じ尽くして、但性善在り。仏は修悪を断じ尽くして但性悪在り。問う、性徳善悪何ぞ断ず可からんや。答う、性の善悪但是善悪の法門なり。性改むべからず三世を歴て誰か能く毀ること無けん。復断壊すべからず」とある。
ここで〝性(徳)善〟〝修善〟、〝性(徳)悪〟〝修悪〟の言葉が説かれているが、簡単に説明しておくと、〝性(徳)善〟〝性(徳)悪〟というのは、善や悪への可能性を性分として具備している、ということである。これに対して〝修善〟〝修悪〟というのは、具体的な行為として善や悪を為す(修す)ことを言う。
また、ここにいう〝善〟の極善が仏界であり〝悪〟の極悪が地獄界である。
引用文の意味は、まず、正・了・縁の三因仏性に善や悪への可能性が性分として具備しているか否か、と問うている。その答えは具備している、というものである。
次に、闡提とはどのような善を断じてしまった者のことをいい、仏とはどのような悪を断じてしまった者のことをいうのか、との問いに対する答えとして、性悪の法門が説かれるのである。
つまり、一闡提というのは具体的な行為として善を修する(修善)ことを断じ尽くしてしまっていて善行の片鱗もなさないが、ただ善への可能性(性善)は性分として備えている者のことをさしている。
これに対して、仏というのは逆に具体的な行為として悪を修する(修悪)ことを断じ尽くしてしまっているが、ただ悪への可能性(性悪)は性分として具備している者のことをいうと説いている。
闡提のほうはともかく、仏が性分として、悪への可能性を備えているという法門がとくに〝性悪説〟として天台大師の独創的な学説として注目を浴びたものである。
なぜならば、一般の仏教界にあっては、仏、如来といえば無明を断じ尽くして正覚を成就した覚者のことであり、そこには微塵も悪は存在しないはずである、と考えられていたからである。
しかし、天台大師はこの〝常識〟に対し、もし仏、如来が世間や凡夫の悪を微塵もそなえないとするならば、現実の衆生・凡夫を救済していく活動の根拠がなくなる、とするのである。
この性悪説が説かれた観音玄義は、法華経観世音菩薩普門品を釈したもので、この品は観世音菩薩が仏身から天・竜・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽・人・非人等に至るまでの三十三身をあらわして、一切の衆生を救済するためにあまねく現れることを説いた経である。
このためには、如来や仏も、可能性としての九界の悪すなわち性悪を、自己のなかに性分として具備しており、いつでもこの性悪を発動して九界の現実世界に応現し、衆生と苦悩を共感し得る存在でなければならない、と天台大師は説くのである。
しかし、如来は性悪を具備していても、自らの悪に敗れることはないゆえに、具体的な悪の行為としての修悪は全くないとされる。これが性悪の法門といわれるものであり、逆に一闡提に関しては性善の法門ということになるのである。
この性悪・性善の法門の考え方は単に天台大師だけではなく、すでに南岳大師の大乗止観法門でも説かれているところである。
参考までに触れておくと、南岳大師の大乗止観法門巻二では次のようにある。
「言う所の如来蔵染浄を具すとは、其れ二種有り。一には性染性浄、二には事染事浄なり。上に已に明かすが如し。若し性染性浄に拠るならば即ち無始以来倶時具有なり。若し事染事浄に拠るならば即ち二種差別有り。一は一一時中に倶に染浄の二事を具す。二には始終方に染浄二事を具す……本従り已来倶時に染浄の二性を具有す。染性を具するを以っての故に能く一切衆生の染事を現ず……亦仏性と名づく、復浄性を具するが故に能く一切諸仏等浄徳を現す」と。
その他、天台大師の法華玄義巻六上でも感応妙、神通妙を明かすくだりで、性悪、性善の法門が説かれている。
弘の一、同五、記の七の文について
以上のような、華厳宗の立義と天台法華宗の教義との共通性を挙げて、華厳経と法華経は同等ではないのかとの質問に対し、妙楽大師の止観輔行伝弘決の巻一、巻五、文句記の巻七の文を挙げて、答えが示されるのである。
いずれの文も、法華経ならびに天台大師の意を根本にしてこそ、華厳経の「心仏及び衆生……」の偈の本当の意味を釈することができるのであり、性悪の法門も、天台大師によって立てた一念三千法門によって成立するのであるから、華厳宗の性悪の義は何を根拠にしているかをよく追求してみるべきであると答えられている。
最初に「弘の一」の文は、妙楽の止観輔行伝弘決巻一の文である。すなわち、「故に華厳に初住心を歎じて云く、心の如く仏も亦爾り、仏の如く衆生も然り。心仏及び衆生是の三差別無し。諸仏は悉く一切心従り転ずと了知す。若し能く是の如く解せば彼の人真に仏を見る。身亦是の身に非ず。一切の仏事を作すこと自在にして未曾有なり。若し人三世の一切仏を知ることを求めんと欲するに応に是の如きの観を作すべし。心諸の如来を造る、若し今家の諸の円文の意無くんば彼の経の偈の旨理実に消し難し」とあるなかの一節である。
ここは、摩訶止観において、華厳経の「是三無差別」の文を引用しているのを受けて、妙楽大師が〝今家〟すなわち天台宗が説き明かす円教・法華経の意に基づいて立てられた一念三千論や円融の三諦論等の法門を根底にしなければ、〝是三無差別〟の偈文の真実の理法を解釈することは難しい、と述べているところである。
次に「弘の五」の文も、やはり華厳経の「是三無差別」の偈を引用した後に「今文を解せずんば如何ぞ偈の心造一切三無差別を消せん」と述べている。
つまり、法華経の意を了解せずしては華厳経の偈を釈することができないことを示しているのである。
更に「記の七」というのは妙楽大師の法華文句記巻七下の「忽ち都て未だ性悪の名を聞かず安んぞ能く性徳の行を有することを信ぜんや」という文である。
ここでは、天台大師以外はいまだ〝性悪〟という名さえ聞くことができないゆえに、どうして〝性徳の行〟があると信ずることができようか、と述べている。
問う性悪の名目は天台一家……性悪若断等云云
性悪の法門が天台宗のみに説かれた独自のものであることを確認されるために、まず、問いとして、性悪の名目や法門が天台宗のみに説かれていることを認めた後に「若し性悪を立てずんば九界の因果を如何が仏界の上に現ぜん」と述べている。
つまり、仏界のなかに九界の悪への可能性(性悪)を有するという法理を依りどころにしなければ、九界の衆生を救うことはできない、と問うている。
この問いは、問いというよりむしろ確認のためのものといってよいであろう。したがって、これに対して「義例に云く性悪若断等云云」と答えられている。
義例とは、妙楽大師の「止観義例」のことで、天台大師の摩訶止観の内容を要約し、七条に分けて天台教学の観心門を明らかにした書である。
ここに引用された性悪若断等というのは、第四大章総別例(止観に十大章を立てた意義を示す)の段のなか、四つの妙境を明かすところである。
その第四に「四に仏、本、性悪の法を断ぜざるが故に。性悪若し断ずれば、普く色身を現ずること何に従りて立つ」とある。
意味するところは、仏がもし九界の悪への可能性を断じ尽くしていたならば、一体、何によってあまねく種々の色身をあらわすことができるであろうか、ということであり、結論として、性悪の法門こそ仏がさまざまな色身、姿をとってあらゆる衆生を救済することのできる根拠であることを示している。
第九章(華厳の文を借る義を挙ぐ)
現代語訳
問うていうには、円頓止観の証拠と一念三千の法門の証拠として、華厳経の「心と仏とおよび衆生、この三は差別がない」の文を引用しているのは、華厳経に円頓止観および一念三千が説かれているということではないか。
答えていうには、たしかに天台宗の人々のなかには、爾前の円と法華経の円とは同じ義であると考えている者がいる。
問うていうには、天台大師の三大部三十巻と妙楽大師の三大部注三十巻の計六十巻のなかに、蔵通別の前三教の文を引用して円の義を釈しているのは文を借りていると考え、爾前の円の文を引用して法華経の円の義を解釈しているのを借りないとするのか。
もしそうであるならば、天台大師が漸次・不定・円頓の三種の止観の文証に爾前の諸経を引用するなかで、円頓止観の証拠として華厳経の「菩薩、生死に於いて」等の文を引用しているのを、妙楽大師が釈して「還って爾前の教を借りて、法華経の妙円を顕す」と述べているのは、この文は諸経の円の文を借りたものと解釈できるのではないか。
もしそうであるならば、華厳経の「心と仏及び衆生」の文を一念三千の証拠に引用することは、これを借りているというべきである。
答えていうには、現在の天台宗が華厳宗の見を出ていないことをいうのか。
華厳宗の意では法華経と華厳経との比較について同と勝の二義がある。「同」とは法華経と華厳経の所詮の法門は同じであるとすることである。
「勝」には二義がある。古の華厳宗では教主である仏と対告衆である菩薩衆等について勝の義を立てる。近来の華厳宗では華厳経と法華経とにおいて同と勝の二義があると論じている。その華厳宗の「勝」にまた二つの義がある。
語句の解説
円頓止観
天台大師の説いた三種止観(漸次止観・不定止観・円頓止観)の一つ。円頓とは、すべて欠けることなくそなえていて、速やかに成仏させること。天台教学では、万人成仏・即身成仏を実現する法華経の教えをさす。止観とは、瞑想修行のこと。「止」とは心を外界や迷いに動かされずに静止させることで、それによって正しい智慧を起こして対象を観察することを「観」という。
円頓止観の証拠に華厳の菩薩於生死等の文を引ける
摩訶止観巻一上に円頓止観を明かすなかで、華厳経(旧訳・六十巻本)巻六の「菩薩、生死に於いて最初に発心する時、一向に菩提を求め、堅固にして動かす可からず、彼の一念の功徳は深広にして辺際無し、如来分別して説きたもうこと劫を窮むとも猶尽くせず」の文を引用している。
妙楽
(0711~0782)。中国・唐代の人。天台宗第九祖。天台大師より六世の法孫で、中興の祖としておおいに天台の教義を宣揚し、実践修行に尽くし、仏法を興隆した。常州晋陵県荊渓(現在の江蘇省宜興市)の人。諱は湛然。姓は戚氏。家は代々儒教をもって立っていた。はじめ蘭陵の妙楽寺に住したことから妙楽大師と呼ばれ、また出身地の名により荊渓尊者ともいわれる。開元18年(0730)左渓玄朗について天台教学を学び、天宝7年(0748)38歳の時、宿願を達成して宜興浄楽寺で出家した。当時は禅・華厳・真言・法相などの各宗が盛んになり、天台宗は衰退していたが、妙楽大師は法華一乗真実の立場から各宗を論破し、天台大師の法華三大部の注釈書を著すなどおおいに天台学を宣揚した。天宝から大暦の間に、玄宗・粛宗・代宗から宮廷に呼ばれたが病と称して応ぜず、晩年は天台山国清寺に入り、仏隴道場で没した。著書には天台三大部の注釈として「法華玄義釈籖」十巻、「法華文句記」十巻、「止観輔行伝弘決」十巻、また「五百問論」三巻等多数ある。直弟子に、唐に留学した伝教大師最澄が師事した道・行満がいる。
華厳宗
華厳経を所依とする宗派。中国・唐代の杜順によって開かれ、法蔵によって大成された。教義は、一切万法は融通無礙であり、一切を一に収め、一は一切に遍満するという法界縁起を立て、これを悟ることによって速やかに仏果を成就できると説く。また五教十宗の教判を立て、華厳経を最第一としている。日本には天平8年(0736)、唐の道璿が華厳宗の章疏を伝え、天平12年(0740)新羅の審祥が講経し、その教えを受けた良弁が東大寺で宗旨を弘めた。南都六宗の一つ。
講義
天台大師が円頓止観と一念三千の証明のために、華厳経の「心仏及衆生是三無差別」の文を用いたことから、華厳と法華とは同じではないかとする考え方が天台宗の人々のなかにさえあることを挙げられている。
これに対する答えとして、日本天台宗の人々のなかには、華厳経に代表される爾前の円と法華経の円とは同じ義であると考えている者のあることを認められている。
次に、天台大師の三大部三十巻と妙楽大師の三大部注釈三十巻の計六十巻のなかにおいて、前三教(蔵・通・別)の経文を引用して円の義を解釈している場合は、それらの経文を単に〝借りている〟と考えるのに対し、爾前の円教の経文を引用して法華経の円の義を解釈する場合は、その経文を〝借りていない〟と考えるのか、との疑義を設け、もしそうであるならば、摩訶止観においても三種の止観(漸次・不定・円頓)を裏づける文証として爾前の諸経の経文を引用しているが、なかでも円頓止観を裏づける文証として華厳経の経文を引用していることについて、妙楽大師が「教味を借て以って妙円を顕す」と解釈しているのは、爾前諸経の円教の文を〝借りている〟ことを自ら認めているのであるから、天台大師が一念三千の文証として華厳経の「心仏及び衆生……」の経文を引用しているのも、この経文を〝借りて〟いることになるのではないか、と問うている。
これに対して、まず「当世の天台宗は華厳宗の見を出でざる事を云うか」と述べられ、日本天台宗の人々自身もそうした誤解に陥っていることを認められている。
次いで、華厳宗が華厳と法華とにおいて〝同〟と〝勝〟の二義を有していることを指摘されている。
〝同〟というのは、法華経と華厳経とは所詮の法門においては同じである、とするものである。
〝勝〟というのは、華厳経が法華経に〝勝〟っているということであるが、これに二つの場合がある、という。
一つは昔の華厳宗の場合であるが、教主と対告衆としての菩薩衆等において、華厳経のほうが法華経より勝っている、と説いていた。二つに新しい華厳宗の場合は、華厳と法華のあいだに〝同〟と〝勝〟の二つの義を有しており、〝同〟の義は昔の華厳宗と同様であるが、問題は〝勝〟の義にある。
すなわち、新しい華厳宗にあっては、華厳経がどの点において法華経に〝勝〟っているとするのかについて、二つの義があると説かれている。
円頓止観の証拠と一念三千の証拠……之を借れるにて有るべし
この段における、二つの問いの意味するところを明らかにしておく必要がある。
まず初めの問いは、天台大師が円頓止観と一念三千法門の根拠としての華厳経の「心仏及び衆生……」という経文を引用しているのは、華厳経自体が円頓止観と一念三千を説いているからではないのか、というものである。
この問いは、前の段において「法華経に非ずんば一念三千の法門・談ずべからざるか」と述べられたのに対し、当時の仏教界からの反論を想定されて立てられたもの、と考えることができる。
次の問いは、天台三大部と妙楽三大部の合計六十巻、という天台宗の教義の根幹を占める書物のなかで、蔵・通・別の前三教の経文を引用して円の義を釈している場合は、〝文を借りた〟というのに対し、爾前の円教の経文を引用して法華経の円の義を解釈している場合には〝文を借りた〟とはしないのか、と問うている。
しかし、それはおかしいのであって、その証拠に、天台大師が三種止観のなかの円頓止観の証拠として華厳経の「菩薩於生死」の文を引いていることについて、妙楽大師は「還って教味を借て以て妙円を顕す」と諸経の円の文を借りるといっているのだから、一念三千の証拠に「心仏及衆生」の文を引いているのも「文を借りた」ことになるのではないか、というのである。
つまり、華厳や爾前の円の経文を借りるという場合は、これらの経文が法華経と同じ次元であることを表し、法門が同一であるということを暗示していることになる。
これに対し、本来の天台宗は、前三教の文を用いて円の義を釈するときは、前三教の文を借りたとはいう。
しかし、爾前の円の文を用いて法華の円の義を述べても、爾前の円の文を借りたとはいわずに、あくまで法華経の円を根本にしてこそ爾前の円はその意が完全に表される、というのである。
本来の天台宗はこの相違を厳然と守っているのに対し、大聖人当時の天台宗は、華厳(爾前)の円と法華の円とを同義とする華厳宗へと堕落していたのである。そのことを、答えのなかで「当世の天台宗は華厳宗の見を出でざるを云うか」と述べられている。
円頓止観と一念三千の証文について
円頓止観とは三種止観の一つである。三種の止観とは、摩訶止観巻一上の章安大師の序に説かれている。
「天台は南岳大師より三種の止観を伝えたまえり。一には漸次、二には不定、三には円頓なり。みなこれ大乗にして、ともに実相に縁じ、同じく止観と名づく。漸は、すなわち初め浅く後深く、かの梯隥のごとし、不定は、前後更互し、金剛宝のこれを日中に置くがごとし。円頓は、初後不二にして、(神)通者の空に謄るがごとし。三根性のために三の法門を説き、三の譬喩を引く。略して説くことおわんぬ。さらに広く説かん」と。
つまり、漸次、不定、円頓の三種の止観ことごとく皆大乗であり、実相を観ずる修行方法で、ともに〝止観〟と名づけられるが、同じ止観に三種あるのは、上・中・下の三種の機根に応じて分かれる。
初めに、漸次止観とは「初め浅く後深し」とあり、下根の修行者のために浅い段階から深い段階へと止観を行じていくものであり、次に、不定止観とは「前後更互す」とあるように、中根のために時と所に応じて浅深、前後を交互に行ずるものである。
天台大師の著作のなかで、とくに漸次の止観を中心として説き明かしているのは、次第禅門(詳しくは釈禅波羅蜜次第禅門)十二巻(あるいは十巻)であり、不定の止観を中心として説き明かしているのは六妙法門一巻である。
これらの著作のなかで、天台大師は爾前の諸経を縦横に引用して論を展開していることはいうまでもない。
最後の円頓止観は摩訶止観巻一上の序に次のように詳しく説かれている。
「円頓とは初めより実相を縁ず、境に造るにすなわち中(道)にして、真実ならざることなし。縁を法界に繫け、念を法界に一うす、一色一香も中道にあらざることなし。己界および仏界、衆生界もまたしかり。陰入みな如なれば苦の捨つべきなく、無明塵労即ちこれ菩提なれば集の断ずべきなく、辺邪みな中正なれば道の修すべきなく、生死即ち涅槃なれば滅の証すべきなし。苦なく集なきが故に世間なく、道なく滅なきが故に出世間なし。純(もっぱ)ら一実相にして実相のほかさらに別の法なし。法性寂然たるを止と名づけ、寂にして常に照らすを観と名づく。初後をいうといえども二なく別なし。これを円頓止観と名づく」とある。
円頓止観の〝円頓〟とは円満で頓足ということで、直ちに悟りに至れるような完全な止観をさしている。この序の文にもあるように、円頓止観とは直ちに最初から、実相について心をめぐらして中道にして真実の境地に至るものである。
すなわち、縁を初めから法界という真理の世界に結びつけ、心の思い(念)をも法界に結びつけていくと、一つの色や一つの香りも中道でないものはない、との境地があらわれる。
己界、仏界、衆生界も皆、中道のあらわれであり、五陰・十二入も真如のあらわれであるから、苦・集と滅・道という二つの対立・相違はなく、生死と涅槃、無明塵労(煩悩)と菩提、世間と出世間という二つの対立もなく、ことごとくが一実相としての絶待的一元の世界が開けてくるとされ、これを円頓止観というのである。
さて、この円頓止観は摩訶止観十巻において縦横に展開されていくのであるが、円頓止観を裏づけるために次のように、華厳経の経文を文証として用いている。
「いまは経によってさらに円頓を明かさん。甚深の妙徳に了達せる賢首のいうがごとし、『菩薩は、生死において最初に発心するとき、一向に菩提を求めて堅固にして動ずべからず。かの一念の功徳は深広にして崖際なく、如来、分別して説きたまうに、劫を窮むるも尽くすこと能わず』と。この菩薩は、円の法を聞き、円の信を起し、円の行を立て、円の位に住し、円の功徳をもってみずから荘厳し、円の力用をもって衆生を建立す」と。
この経文は、華厳経(六十巻)の巻第六、賢首菩薩品第八のなかで、文殊菩薩が賢首菩薩に、菩薩の行の深さとその功徳の広さとがどのようなものであるかと問うたのに対して、偈頌をもって答える段の冒頭の部分である。
賢首菩薩は、まず、菩薩の諸の功徳は無量で際限がないけれども、自分の力の範囲で、少々説いてみる、と断っている。
引用された経文の意味は、菩薩が生死の迷いの世界において初めて発心するときには、ただひたすら菩提の悟りを求めることに堅固で不動であらねばならない、その発心の際の一念の功徳は深く広く際限がなく、この功徳について、如来が衆生に対して分別して、〝劫〟という長い時間をかけて説いても、説き尽くすことができないほどである、ということである。
この経文において、菩薩が仏道修行に向けて発心する一念のなかに、菩提の悟りがはらまれ、また無限にして広大な功徳が収められているということ自体が〝円満で頓足〟(円頓)の義を含んでいるのであり、それゆえに天台大師は、円頓止観の文証として用いたのである。
次に、一念三千を明かす文証として天台大師が用いた経文は、問いのなかで示されていたとおり、華厳経の「心仏及衆生是三差別」の文である。
まず、法華玄義巻二上において、華厳経の「心仏及衆生……」の経文を引いて、心法、仏法、衆生法の三法妙を明かすなかで、更に華厳経の遊心法界の文――「心を法界に遊ばして虚空の如くなるは、即ち諸仏の境界を知る」――を釈して次のように述べている。すなわち「『又心を法界に遊ばす』とは、根塵相対して一念の心起こるを観ずるに、十界の中に於いて必ず一界に属す。若し一界に属すれば、すなわち百界千如を具して、一念の中に於いて悉く皆備足す。此の心の幻師は一日夜に於いて種々の衆生、種々の五陰、種々の国土を造る。所謂地獄の仮実国土、乃至仏界の仮実国土なり。行人自ら選択すべし、何れの道に従う可きやと……又復仏の境界とは、上仏法に等しく、下衆生法に等し。又心法とは、心、仏及び衆生、是の三差別有ること無き、是れを心法と名づくりなり」と。
次に、摩訶止観巻五上で、不思議境を明かすにあたり、華厳経の「心は工みなる画師の、種種の五陰を造るが如く、一切世界の中に、法として造らざる無し……心と仏と及び衆生、是の三に差別無し」の文を根拠として掲げ、この経文中の一切世間の〝世間〟を説明するために、百界千如を詳しく説いた後に、大智度論の三世間論を加えて、最後に一念三千を説いている。
以上のように、天台大師は円頓止観と一念三千の証拠として華厳経の経文をよく用いているが、このことが華厳宗の人々や日本天台宗の一部の人々にとって、天台大師は法華と華厳とを同義としてとらえていたように映っていたのである。
法華と華厳の〝同〟と〝勝〟について
ここでは、華厳宗の立場からの、法華経と華厳経との〝同〟と〝勝〟について、その内容を紹介されている。
まず、〝同〟というのは、文字どおり、法華経と華厳経とが所詮の究極の法門において同じであるとするものである。
これに対して〝勝〟の義、つまり、華厳のほうが法華に勝る、とする華厳宗の釈義については二義ある、とされている。
一つは古の華厳宗の説く〝勝〟の義であり、今一つは近来の華厳宗の説く〝勝〟の義、である。
初めに、古の華厳宗において、華厳経が法華経に勝るとした観点は「教主と対菩薩衆等」とあるように、華厳経を説く教主が毘盧遮那仏で宇宙大の仏であることを強調して、法華経の教主・釈尊よりはるかに偉大であるということ、また、華厳経の対告衆が高位の菩薩達で、法華経の対告衆が二乗・凡夫を含んでいるのと比較して勝れているということである。
この華厳経の対告衆の菩薩達について、大聖人は開目抄のなかでも次のように説かれている。
「世尊初成道の時はいまだ説教もなかりしに法慧菩薩・功徳林菩薩・金剛幢菩薩・金剛蔵菩薩等なんど申せし六十余の大菩薩・十方の諸仏の国土より教主釈尊の御前に来り給いて賢首菩薩・解脱月等の菩薩の請にをもむいて十住・十行・十回向・十地等の法門を説き給いき、此等の大菩薩の所説の法門は釈尊に習いたてまつるにあらず……此等の大菩薩は人目には仏の御弟子かとは見ゆれども仏の御師とも・いゐぬべし……されば此等の大菩薩は釈尊の師なり、華厳経に此等の菩薩をかず(数)へて善知識ととかれしはこれなり」(0207:11)と。
二つに、近来の華厳宗の説く〝勝〟の義であるが、これにまた二義ある、と述べられている。しかし、本文では、近代の華厳宗の説く〝同〟の義を明かされることで終わっていて、結局、華厳経の〝勝〟の義は省略されていて、逆に法華経が華厳経や爾前の円に〝勝〟れていることを説かれていくのである。
ちなみに「古の華厳宗」は、天台大師以前に成立していた華厳宗をいうのに対し、「近代の華厳宗」とは、天台大師以後、その一念三千の法門を盗み取って教義を強化した華厳宗をいう。
第十章(相対・絶対の二妙を明かす)
籤の二に云く「故に須らく二妙を以て三法を妙ならしむべし故に諸味の中に円融有りと雖も全く二妙無し」私志記に云く「昔の八の中の円は今の相待の円と同じ」と云へり是は同なり記の四に云く「法界を以て之を論ずれば華厳に非ざる無し仏慧を以て之を論ずれば法華に非ざる無し」云云、又云く「応に知るべし華厳の尽未来際は即ち此の経の常在霊山なり」云云、此等の釈は爾前の円と法華の相待妙とを同ずる釈なり、迹門の絶待開会は永く爾前の円と異なり、籤の十に云く「此の法華経は開権顕実開迹顕本の此の両意は永く余経に異なり」と云えり、記の四に云く「若し仏慧を以て法華と為さば即」等と云云、此の釈は仏慧を明すは爾前・法華に亘り開会は唯法華に限ると見えたり是は勝なり、爾前の無得道なる事は分明なり其の故は二妙を以て一法に妙ならしむるなり、既に爾前の円には絶待の一妙を闕く衆生も妙の仏と成る可からざる故に籤の三に云く妙変為麤の釈是なり、華厳の円変じて別と成ると云う意なり。
本門は相待絶待の二妙倶に爾前に分無し又迹門にも之無し、爾前迹門は異なれども二乗は見思を断じ菩薩は無明を断ずと申すことは一往之を許して再往は之を許さず、本門寿量品の意は爾前迹門に於て一向に三乗倶に三惑を断ぜずと意得可きなり、
現代語訳
法華経迹門を華厳経と対比すると、そこに「同」と「勝」との二つの義がある。すなわち、華厳経の円と法華経迹門の相待妙の円とは「同」である。それは華厳経の円も麤を判じ、法華経の円も麤を判ずるからである。
法華玄義釈籤の巻二には「法華は相待妙と絶待妙の二妙のゆえに心法・仏法・衆生法の三法を真に妙ならしめているのである。爾前権教には円融はあっても、法華経のように相待妙・絶待妙の二妙はない」と述べている。
法華文句私志記には「釈尊が法華経以前に説いた八教のなかに説かれた円は、今経である法華経の迹門に説かれる相待妙の円と同じである」と釈している。これは「同」である。
法華文句記の巻四には「法界についていえば華厳経で尽きているが、仏慧をもって論ずるならば法華経に尽きるのである」と釈している。
また、同じ法華文句記の巻四には「まさに知るべきである。華厳経で説く尽未来際とは、法華経に説くところの常に霊鷲山にいるということである」と釈している。
これらの釈は爾前の円と法華の相待妙とが同じであるという釈である。
迹門の絶待開会は全く爾前の円とは異なるのである。法華玄義釈籤巻十には「この法華経には開権顕実、開迹顕本の二つが説かれており、この二点で法華経以外の余経とは全く異なる」と説かれている。
法華文句記の巻四には「もし仏慧をもって法華経とするならば、すなわち始終ともに……」と述べている。この釈は仏慧を明かすのは爾前経と法華経にわたるが、開会はただ法華経に限るということで、これは法華経迹門絶待妙の「勝」の義である。
爾前が無得道であることは分明である。そのゆえは相待妙・絶待妙の二妙をもって三法の各一法を妙ならしめねばならないが、既に爾前の円は絶待の一妙を闕いており、衆生も妙の仏となることができない。ゆえに法華玄義釈籤巻三に「妙が変じて麤となる」との釈はこのことである。これは華厳の円は変じて別教となるということである。
法華経本門においては、相待妙・絶待妙の二妙ともに爾前にないものであり、迹門にも説かれていない。爾前と法華経迹門とは異なっているけれども、二乗は見思惑を断じ、菩薩は無明惑を断じるということを一往は許して、再往は許していない。
法華経本門寿量品からみれば、爾前・迹門では三乗ともに一向に三惑を断じていないと心得るべきである。
語句の解説
迹門
法華経の迹門。垂迹仏の説いた法門をいう。法華経一部八巻二十八品のうち、序品第一より安楽行品第十四までの前半十四品をいう。この十四品は、釈尊が久遠実成という本地を明かさず、始成正覚という垂迹の姿で説いたので迹門という。迹門の肝心は方便品第二にあり、諸法実相・十如是を明かし、二乗作仏を説いて開三顕一し、また悪人成仏・女人成仏を説いて万人成仏の道を明かした。
相待妙
相待妙とは「麤を破して妙を顕す」と仰せのように、比較相対して教えの勝劣を判じ、麤法を破って妙法を顕すもので、蔵通別円の四教を立てて蔵通別に対し円教の妙を顕し、また五味を立てて法華の醍醐味の妙を顕すことがそれにあたる。
判麤
「麤を判ず」と読む。二経を相対して法門の麤を定めること。麤は麤法のこと。粗雑で偏頗な劣った法。妙法に対する語。
私志記
十四巻。法華文句私志記のこと。妙経文句私志記ともいう。中国・唐代の石鼓寺の智雲述。本書は、一に法華文句の題名をあらわし、二に伝述の意を叙し、三に科釈している。科釈では巻一から巻九までは序品第一、巻十から巻十三までは方便品第二、巻十四は譬喩品第三を釈している。なお、注釈にあたって、智雲は妙楽大師が依用した法華文句とは別本によっていることから、法華文句が数本あったことが知られる。
霊山
霊鷲山のこと。中インド・摩竭提(まかだ)国(ガンジス川の下流域)の首都である王舎城の丑寅(東北)の方角にある。法華経の説処。梵名グリドゥラクータ(Gṛdhrakūṭa)、音写して耆闍崛山。その南を尸陀林といって、死人の捨て場になっていたため、鷲が飛来するので「鷲山」といい、三世諸仏成道の法である法華経が説かれたので「霊山」という。末法においては、御本尊のましますところこそ、霊鷲山であり、また、御本尊を受持する者の住所も、霊鷲山である。
絶待
絶待妙のこと。絶待妙とは「麤を開して妙を顕す」と仰せであり、法華玄義巻二下に「権を開し実を顕さば、諸麤皆な妙なり、絶待妙なり。若し上の如くんば、法華は衆経を総括して而も事は此に極まる。仏の出世の本意なり、諸の教法の指帰なり」とあるように、比較相対して麤法と妙法を立て分けるのではなく、爾前権教の麤法を開いてそのまま法華経の理として用いることをいう。しかし、あくまでも妙理の一分として用いるのであって、爾前権経をそのまま成仏得道の法として許すわけではないのである。そのことを、諸宗問答抄には「開会の後も、麤教とて嫌い捨てし悪法をば名言をも、其の所詮の極理をも、唱へ持つて交ゆべからずと見えて候。弘決に云く『相待絶待倶に須く悪を離るべし。円に著する、尚悪なり。況や復余をや』云云。文の心は、相待妙の時も絶待妙の時も、倶に須く悪法をば離るべし。円に著する、尚悪し。況や復余の法をや、と云う文なり」と仰せになっている。
見思
三惑(見思惑・塵沙惑・無明惑)の一つ、見思惑のこと。見思惑は声聞・縁覚・菩薩の三乗が共通して伏すべき迷いであるゆえに通惑ともいう。見思惑は見惑と思惑のことで、三界六道の苦果を招く惑をいう。見惑は、後天的に形成される思想・信条のうえでの迷い。思惑は、生まれながらにもつ感覚・感情の迷い。この見思惑を断じて声聞・縁覚の二乗の境地に至るとされる。
無明
三惑(見思惑・塵沙惑・無明惑)の一つ、無明惑のこと。塵沙・無明の二惑は別して菩薩のみが断ずる惑なので別惑ともいう。無明惑とは、仏法の根本の真理に暗い根源的な無知。別教では十二品、円教では四十二品に立て分けて、最後の一品を「元品の無明」とし、これを断ずれば成仏の境地を得るとしている。小乗では見惑を断じて聖者となり、思惑を断じて阿羅漢果に達するとしている。大乗では菩薩のみがさらに塵沙・無明の二惑を次第に断じていくとする。天台大師は摩訶止観巻四上で、三惑は即空・即仮・即中の円融三観によって断ずることができると説いている。すなわち空観によって見思惑を破し、仮観によって塵沙惑を破し、中観によって無明惑を破す。しかし、円融三観は空・仮・中のおのおのが時間的にも空間的にも円融相即して差別がないから、三惑は同時に断破される。
講義
この段は、華厳(爾前)の円と法華の円との関係を、法華経迹門の相待・絶待の二妙の法門のうえから位置づけられるとともに、法華経本門の超越性を説かれているところである。
初めに、法華迹門と華厳経とが〝同〟義であるといえるのは、法華迹門の相待妙の円と華厳の円とについてであると述べられている。
その理由として、どちらの円も「判麤」(麤を判ず)の上に立てられたものだからである、と述べられている。これを裏づけるために、妙楽大師の法華玄義釈籤巻二の文と法華文句記の巻四の文、更に私志記の文とを挙げられている。
次いで、法華経迹門も、絶待開会の法門になると、爾前の円とは決定的に異なることを、玄義釈籤巻十と文句記巻四の文を引用されて示される。
すなわち、仏慧を明かすことにおいては、爾前経と法華経とは共通しているが、〝開会〟という法門についてはただ法華経のみに限るのであり、その意味で法華経の円は華厳経等の爾前経の円に勝るのである。
そして、爾前経が無得道であることは、爾前の円には絶待妙の一妙を欠いているため、爾前経を信ずる衆生は「妙の仏」になることができないことから明らかである、と示されている。
更に、法華経の本門は相待・絶待の二妙ともに、爾前経はもとより法華経迹門にもないものである。
爾前と法華迹門との間には相違が存在するけれども、共通して、二乗は見思惑を断じ菩薩は無明惑を断ずるということを、再往の辺は別として一往はこれを許している。
しかし、本門寿量品の意からとらえれば、爾前・迹門では二乗、菩薩ともに見思・塵沙・無明の三惑を断ずることができない、と結論されている。
つまり、本門寿量品の明かす久遠の法については、爾前迹門の菩薩といえども未聞の法であるため、戸惑い、疑惑にとらわれなどして、見思惑を起こしたということである。
法華迹門の相待妙・絶待妙について
天台大師は法華玄義において、法華経の経題・妙法蓮華経の五字について釈するにあたり、通釈と別釈に二分している。通釈では妙法蓮華経の五重玄義である名・体・宗・用・教を概括的に説き、別釈では五重玄義の一つ一つについて詳しく説いているのである。
法華玄義十巻のうち、第一巻で通釈を説き、第二巻から第十巻までが別釈にあてられている。その別釈のなかで、妙法蓮華経の「名」玄義を釈すのに、第二巻から第八巻上までの七巻が費やされている。
したがって、釈名段が玄義の大部分を占めているのであるが、その釈名断のなかでも、妙法蓮華経の〝妙法〟の名を釈する段が大部分を占め、妙法釈のなかでも迹門十妙の説明が巻二から巻六の五巻、つまり玄義の半分が費やされているのである。
ここからも、天台大師がいかに法華経迹門の法門を重視しているかが明らかであろう。すなわち、天台大師は迹門方便品に説かれた実相の法門を根本の原理とするとともに、法華経の意義を実に爾前諸経の〝開会〟にあるとしたのである。
さて、法華玄義巻二上で「妙法」の妙を釈するなかで、「妙を明かさば、一には通釈、二には別釈なり。通に又二と為す。一には相待、二には絶待なり」と説いて、法華経の妙の一字に相待妙と絶待妙の二妙あることを明かしている。
この二妙を簡潔に述べると、まず、相待妙とは法華経以前に説かれた爾前諸経と法華経迹門の教説とを比較対照して、法華経に説かれた教説が妙法であり真実であるのに対し、爾前諸経に説かれた教説は麤法であり方便であることを論証することである。
言い換えれば、彼と此とを相待(対)することにより、彼が「麤」であることに対待してこれが「妙」である、と判断していくのが相待妙であり、破麤顕妙、廃麤顕妙の立場がこれにあたる。
これに対し、絶待妙とは、彼と此、麤と妙、というように比較相対することを絶したところで妙であることをいう。
法華玄義巻二下に「権を開して実を顕さば、諸麤皆妙なり。絶待妙なり。若し上に説くが如くんば、法華は衆経を総括して而も事は此に極まる。仏の出世の本意なり、諸の教法の指帰なり」とあるように、絶待妙は開権顕実、開麤顕妙ということであり、これこそ法華経の本意であると説いている。すなわち絶待妙は、一代聖教すなわち法華経なりと開き会入することをいうのである。
更にいえば、絶待妙は爾前諸経をただ麤法とか方便として排除するのではなく、絶待の妙法を開き顕す(開顕)ための不可欠の媒介・契機として位置づけ、法華経の体内に会入することである。
以上の二妙を説いた後、天台大師は法華経迹門の説法内容について迹門十妙を論じ、法華経が絶待・相待の二妙を具足していることを明かしたのである。
言い換えれば、法華以前の爾前諸経が説くところの境、智、行、位、三法、感応、説法、神通、眷属、利益の十の項目が〝麤〟であり〝権〟であること(相待妙)が明らかになるとともに、他方では法華経にとっては爾前諸経の〝麤〟や〝権〟が、絶待の妙法を開顕するための不可欠の媒介、契機として、あるいは妙法の体内の麤や権として位置づけられ、会入されるのである(絶待妙)。
同じようにして、法華経本門の十妙(本因、本果、本国土、本感応、本神通、本説法、本眷属、本涅槃、本寿命、本利益)の相待・絶待についても説かれ、本門の妙法たることが論じられている。
以上のように、天台大師は迹門十妙、本門十妙の本迹二十妙を挙げて、迹門だけでなく、本門の妙法たることも明らかにしているが、しかし、どこまでも迹門の妙法の開顕に重点を置いていた。
籤の二、私志記、記の四の文
これらはいずれも、華厳(爾前)の円と法華経の相待妙とが同義であることを示す文証として引用されている。
はじめに、籤の二というのは妙楽の法華玄義釈籤巻二上の文である。これは法華玄義巻二上の「是両妙を用いて、上の三法を妙にす。衆生の法も亦二妙を具すれば、之を称して妙と為す。仏法、心法も亦二妙を具すれば、之を称して妙と為すなり」という文を釈したものである。玄義のこの文の意味は、相待妙と絶待妙の二つの妙を駆使することによって、心法・仏法・衆生法の三法を妙にすることができる、すなわち、衆生法、仏法、心法の三法とも二妙を具しているゆえに、いずれも〝妙〟となすことができて、それぞれ、衆生法妙、仏法妙、心法妙となることを示している。
この玄義の文に対して妙楽大師は釈籤巻二上で次のように釈している。
「次に二妙が上の三法を妙にするは三妙法華に在りて方に妙と称することを得るを明かさんと欲す。故に二妙を須いて以て三法を妙にす。故に諸味の中に円融有りと雖も全く二妙無し」と。
すなわち、法華経には相待・絶待の二妙があるゆえに、心・仏・衆生の三法を妙ならしめることができ、〝妙〟と称することができると述べ、爾前権教のなかには円融の教え(円)があっても、法華の円のように相待・絶待の二妙は具えていない、と説いている。
次に、私志記というのは、中国・唐代の智雲の述とされる法華文句私志記のことである。妙経文句私志記ともいう。
この書のなかで「昔の八の中の円は今の相待の円と同じ」と述べている。
〝昔の八〟とは、爾前において説いた、化法の四教(蔵教・通教・別教・円教)と化儀の四教(頓教・漸教・秘密教・不定教)の八教のことである。
その爾前の八教のなかに説かれた〝円〟は〝今〟すなわち法華経に説かれる迹門相待妙の円と同じである、と述べている。
更に、文句記巻四下から二つの文が引用されている。一つは「法界を以って之を論ずれば華厳に非ざる無し。仏慧を以って之を論ずれば法華に非ざる無し」とある。
この文は、仏法の真理の世界である法界観は華厳経で尽きているのに対し、仏陀が衆生を教化していく智慧という点について明かしたのは法華経である、というのである。
いま一つの文は「応に知るべし、華厳の尽未来際は即ち此の経の常在霊鷲山なり」とある。これは、華厳経で説くところの〝未来際を尽くす〟ということは、法華経に説くところの仏が〝常に霊鷲山にいる〟ということにあたる、と説いている。つまり、以上の二文が表すものは、華厳と法華とが同義であるということである。
迹門の絶待開会は……開会は唯法華に限ると見えたり是は勝なり
この部分は、法華経が華厳経を含む爾前の円より勝れていることを明かされているところである。この直前の御文では、華厳(爾前)の円と法華経迹門の相待妙の円とが〝同〟じであることを明かされていたのであるが、ここでは、法華迹門の絶待開会は爾前の円とは決定的に異なり、華厳(爾前)の円よりはるかに勝れている、と仰せられている。
さて、唱法華題目抄には次のように説かれている。
「天台の三大部六十巻総じて五大部の章疏の中にも約教の時は爾前の円を嫌う文無し、只約部の時ばかり爾前の円を押ふさ(聚束)ねて嫌へり、日本に二義あり園城寺には智証大師の釈より起つて爾前の円を嫌ふと云い山門には嫌はずと云う互に文釈あり倶に料簡あり然れども今に事ゆかず、但し予が流の義には不審晴れておぼえ候、其の故は天台大師四教を立て給うに四の筋目あり、一には爾前の経に四教を立つ二には法華経と爾前と相対して爾前の円を法華の円に同じて前三教を嫌う事あり、三には爾前の円をば別教に摂して前三教と嫌ひ法華の円をば純円と立つ四には爾前の円をば法華に同ずれども但法華経の二妙の中の相待妙に同じて絶待妙には同ぜず、此の四の道理を相対して六十巻をかんがうれば狐疑の冰解けたり」(0012:01)と。
ここでは、約教与釈と約部奪釈の二つの在り方が説かれている。
天台の三大部六十巻においては、教に約した場合は爾前経のなかの円教を捨てるという文はないが、ただ、部に約した時には、爾前経を他の蔵・通・別の前三教をまとめて、麤として破折している。
日本天台宗にも二義あって、園城寺派は智証大師円珍の釈に基づき、たとえ教に約する場合でも〝爾前の円を嫌う〟としている。山門派、すなわち比叡山延暦寺は約教与釈の立場に立って教に約するときだけは〝爾前の円を嫌はず〟としている。
この両者それぞれに譲らず、論争が決着しないでいるが、日蓮大聖人は独自の立場から、天台大師の化法の四教に四つの筋目を立てられているのである。
① 爾前の教にのみ蔵・通・別・円の化法の四教を立てて、法華経はこの四教を超越しているとするもの。
② 法華経と爾前経とを比較相対したうえで、爾前の円を法華の円と同じとみて、蔵・通・別の前三教を嫌い捨てる。
③ 爾前の円はどこまでも他の蔵・通・別の三教を兼ねたり帯びたりしているので、これを大きく別教に属させて前三教として嫌い、法華経の円教のみ純円であると立てる。
④ 爾前経の円教と法華円教とを同じとみるけれども、法華経の相待・絶待の二妙のなか、相待妙と同じとみて絶待妙と同じとはしない。
以上、四つの筋目をもって六十巻を考えていけば疑いや混乱は生じない、と述べられている。
更に「法華経の本門にしては爾前の円と迹門の円とを嫌う事不審なき者なり、爾前の円をば別教に摂して約教の時は前三為麤後一為妙と云うなり」(0012:08)と述べられ、法華経の本門になると、爾前の円と法華迹門の円もともにこれを嫌い捨てるのであり、この点については疑問の余地はない、と仰せられている。
本文に戻って、迹門の絶待開会とは、爾前の円教には決定的に存在しない法門であると述べられ、その文証として、法華玄義釈籤の巻十上の文が挙げられている。
この釈籤の文は、法華経の開権顕実(迹門)、開迹顕本(本門)の二義は、法華以外の余経に全くないものであることを説いている。
次に、文句記巻四の〝仏慧は爾前・法華にわたって明かされているが、開会は法華経のみに限る〟との文が挙げられている。
初めの仏慧を明かすことについては爾前も法華も同じであるというのは、「初後仏慧・円頓義斉(初後の仏慧、円頓の義斉し)」との法華玄義巻十下の文にもあるように、初め(華厳経)の仏慧も後(法華経)の仏慧も、ともに円頓の義は等しくて異ならないというのである。
しかし、華厳(爾前)の円は蔵・通・別の前三教の方便を兼ね帯びて説かれたものであるから、相待妙ではあっても絶待妙の義、つまり開会の義を全く成ずることはできないのである。
ゆえに、この開会の義を成ずるのは法華絶待妙の純円の教であることを本文に「開会は唯法華に限る」と説かれ、この開会の法門こそ法華経が爾前の諸経の円教に〝勝〟っている点である、と仰せられている。
爾前の無得道なる事は分明なり其の故は……華厳の円変じて別と成ると云う意なり
爾前経が無得道の教えであることは明らかであり、その理由としては、相待・絶待の二妙が明かされてこそ、心法、衆生法、仏法の三法を〝妙〟ならしめうるからである。先に法華玄義釈籤巻二の「二妙を以て三法を妙ならしむべし」と説かれているとおりである。
したがって、三法のうちの衆生法についても「既に爾前の円には絶待の一妙を闕く衆生も妙の仏と成る可からざる故に」と仰せられている。
すなわち、相待・絶待の二妙によって衆生法も妙になるのだから、相待妙はあっても絶待妙の〝一妙〟を欠いている爾前経では、衆生が〝妙の仏〟として開き会入されず、成仏・得道できないことになるからである。
このことを法華玄義釈籤巻三の「妙変じて麤と為す」の文を引用されて、法華の絶待妙開会の法門からみれば、華厳(爾前)の円教は変じて別教に成る、との意を表したものであると仰せられている。
本門は相待絶待の二妙倶に……三惑を断ぜずと意得可きなり
法華経本門についていえば、相待・絶待の二妙ともに爾前の円をはるかに超えていることを述べられている。
天台大師は法華玄義で、本因妙・本果妙・本国土妙・本感応妙・本神通妙・本説法妙・本眷属妙・本涅槃妙・本寿命妙・本利益妙の本門十妙を示すことにより、久遠の仏陀による本門の説法内容が相待・絶待の二妙を具していることを明らかにしている。
ところで、先に引用した唱法華題目抄に「法華経の本門にしては爾前の円と迹門の円とを嫌う事不審なき者なり」(0012:08)と説かれていたとおり、法華経の本門においては、爾前経はもとより法華迹門の円をも嫌い捨てるのである。
爾前経と法華迹門との間には多くの相違が存在するが、二乗は見思惑を断じ菩薩は無明惑を断ずるということを、一往の辺で許していることにおいては共通していると仰せである。
しかしながら、法華経の本門寿量品の法門からみれば、爾前と法華迹門の二乗や菩薩は、いずれも三惑を断じていない、と心得るべきであると仰せられている。
例えば、従地涌出品第十五において、地涌の菩薩が仏を五十小劫のあいだ賛嘆したが、一座の大衆は半日のごとく思った。爾前・迹門では、無明を断じたとされていた菩薩すら五十小劫であることを知らなかったのである。これは、無明はおろか見思惑さえ断じていない証左とされる。
言い換えると、本門で明かす法と仏の境地は、それだけ深く広大であるので、浅い爾前・迹門では悟り究めたと思っていた菩薩も、本門の仏法においては、三惑をまだまだ断じていないことになるのである。
第十一章(日本天台学者の堕落を破す)
現代語訳
この道理をわきまえないために、天台宗の学者は爾前と法華が一往は「同」であるとの釈だけをみて、全く異なるとの面を忘れ、その結果、名は天台宗であっても、その実質は華厳宗に堕落しているのである。
華厳宗に堕したために、方等・般若の円に堕し、結局は念仏の善導等の釈の見解を出ることができず、更にその結果は、謗法の法然と同じになって、師子身中の虫が自ら師子を食うようなありさまになってしまったのである。
仁王経巻下に「大王、我が滅度の後、未来世のなかにおいて、四部の弟子、もろもろの小国の王・太子・王子の、仏宝・法宝・僧宝の三宝を持ち守護すべき者が、ますます三宝を滅亡させ破ること、あたかも師子身中の虫が自ら師子を食うようなものである。外道ではなく、多くの仏弟子が仏法を破壊する大罪を犯すであろう」と説かれている。
法華玄義釈籤の巻十には「はじめ菩薩が十住以前の位から十住の初住位に至るまでの経の意は、全く円の義である。第二住位から次の第七住位に至るまでの経文の相は、次第順序を説いているので、別教の義に似ている。第七住位のなかにおいてまた、一つの位に多くの位を具足しているように弁じているところがある。次の十行位、十回向位、十地位はまた次第差別の義である。ゆえに十住位、十行位、十回向位、十地位の一つ一つの位にそれぞれ普賢・行布の二門を有していることとなる。ゆえに、華厳の円文を用いても、兼ねて別教を説いているので、結局は別教に摂せられることを知るべきである」と述べられている。
語句の解説
善導
(0613~0681)。中国・初唐の人で、中国浄土教善導流の大成者。姓は朱氏。泗州(安徽省)の人(一説に山東省・臨淄)。幼くして出家し、経蔵を探って観無量寿経を見て、西方浄土を志した。貞観年中に石壁山の玄中寺(山西省)に赴いて道綽のもとで観無量寿経を学び、師の没後、光明寺で称名念仏の弘教に努めた。正雑二行を立て、雑行の者は「千中無一」と下し、正行の者は「十即十生」と唱えた。著書に「観経疏」(観無量寿経疏)四巻、「往生礼讃」一巻などがある。日本の法然は、観経疏を見て専ら浄土の一門に帰依したといわれる。
法然
(1133~1212)。平安時代末期の僧。日本浄土宗の開祖。諱は源空。美作(岡山県北部)の人。幼名を勢至丸といった。9歳で菩提寺の観覚の弟子となり、15歳で比叡山に登り功徳院の皇円に師事し、さらに黒谷の叡空に学び、24歳の時に京都、奈良に出て諸宗を学んだ。再び黒谷に帰って経蔵に入り、大蔵経を閲覧した。承安五5年(1175)43歳の時、善導の「観経散善義」及び源信の「往生要集」を見るに及んで専修念仏に帰し、浄土宗を開創した。その後、各地に居を改めつつ教勢を拡大。建永2年(1207)に門下の僧が官女を出家させた一件が発端となって、勅命により念仏を禁じられて土佐(実際は讃岐)に流された。同年12月に赦があり、しばらく摂津国(大阪府)の勝尾寺に住した後、建暦元年(1211)京都に帰り、大谷の禅房(知恩院)に住して翌年、80歳で没した。著書に、「選択集」二巻をはじめ、「浄土三部経釈」三巻、「往生要集釈」一巻等がある。
師子身中の虫
師子(ライオン)の身の内部に発生してその師子を食べてしまう虫のこと。仏法が、仏教以外を信じる者によってではなく、かえって仏教者によって破壊されることを譬えている。蓮華面経などに説かれる。日蓮大聖人は佐渡御書で「外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を破るべし師子身中の虫の師子を食等云云」(0957:13)と仰せである。
仁王経
二巻八品。鳩摩羅什訳の「仏説仁王般若波羅蜜経」と、不空訳の「仁王護国般若波羅蜜多経」がある。五時八教のうち般若部の結経であり、わが国では法華経・金光明経と合わせて護国三部経と称され、鎮護国家の経とされた。内容は、仁徳ある帝王が般若波羅蜜を受持し政治を行なえば、三災七難が起こらず、万民豊楽、国土安穏となると説かれる。また正法が滅して思想が乱れる時に正法誹謗の悪業によって起こる七難を示し、この難を逃れる行法として五忍(伏忍・信忍・順忍・無生忍・寂滅忍)を説いている。
住前
大乗の菩薩が最初に菩提心を起こしてから仏果にいたるまでの階位である五十二位(十信・十住・十行・十回向・十地・等覚・妙覚)のうち、十住位の前の十信位をさす。
登住・第二住・第七住
五十二位のなかの十住(発心住、治地住、修行住、生貴住、方便住、正心住、不退住、童真住、法王子住、灌頂住)のうち、登住は初めの位である発心住に登ること、第二住は治地住で常に空観を修行して心を清浄にする位、第七住は不退住で究竟の空理を顕して退かない位。
一多相即自在
五十二位のうち、十住のなかの第七住位で一と多が相即して自在である境涯をうること。
行向地
五十二位のうち、十行と十回向と十地のこと。「十行」とは十信・十住で自利に満足した後、利他を行ずる位。「十回向」とはこれまでの仏道修行で得た功徳を回らし転じて衆生に振り向け、自他ともに成仏を期す位。「十地」とは無明惑を断じて中諦の理を証得する境涯。地とは能生・所依の義をいう。
普賢行布の二門
五十二位のうち、十住・十行・十回向・十地の四十位の一つ一つの位にも普賢(円融)と行布(差別)の二法門があること。
講義
前段で示されたように、法華経迹門絶待開会の法門や本門の教えが爾前経の円教に勝れることを知らない日本天台宗の学者達は、爾前と法華とが同等とのみ見て、その勝劣に迷ってしまい、その結果、名は天台宗でありながら、その実質の教義においては華厳宗に堕落していると厳しく指摘されている。華厳宗に堕ちた結果、必然的に方等・般若の円教に堕ち、あげくは浄土宗の善導等の釈にまで感化されて、大謗法である日本浄土宗の法然の門下にまでなっていることを「師子身中の虫の自ら師子を食うが如し」と、厳しく破折されている。
天台の学者は爾前法華の一往同の釈……師子を食うが如し文
爾前経の円教と法華経の相待妙の辺とは同じであるといえるのであるが、迹門も絶待妙の辺では、爾前経とは全く異なる。このことが分からないところに、天台宗の堕落の根源があるとの仰せである。
これに関連して、天台宗の一部の学者を破折されている諸御書を拝しておこう。
まず、諸宗問答抄では「彼の御釈共には爾前権教を簡び捨てらる事候はず、随つて或は初後仏慧・円頓義斉とも或は此妙彼妙・妙義殊なること無しとも釈せられて華厳と法華との仏慧同じ仏慧にて異なること無しと釈せられ候、通教・別教の仏慧も法華と同じと見えて候何を以て偏に法華勝れたりとは仰せられ候や意得ず候如何」(0375:02)と、〝同〟とする立場からの問いを挙げられている。
つまり、華厳経と法華経とは仏慧においては異なることなく、更に通教、別教の仏慧も法華の仏慧と同じであるから、独り法華経のみが諸経に異なり、独り勝っているとするのはいかがなものであろうか、と述べている。
また「世間の人・天台宗は開会の後は、相待妙の時斥い捨てられし所の前四味の諸経の名言を唱うるも、又諸仏・諸菩薩の名言を唱うるも、皆是法華の妙体にて有るなり。大海に入らざる程こそ各別の思なりけれ、大海に入つて後に見れば日来よしわるしと嫌ひ用ひけるは大僻見にて有りけり。嫌はるる諸流も用ひらるる冷水も、源はただ大海より出でたる一水にて有りけり。然れば何の水と呼びたりとても、ただ大海の一水に於て別別の名言をよびたるにてこそあれ。各別各別の物と思うてよぶにこそ科はあれ、只大海の一水と思うて何れをも心に任せて、有縁に従つて唱え持つに苦しかる可からずとて、念仏をも真言をも何れをも心に任せて持ち唱うるなり」(0377:05)と、これも天台学者の〝同〟とする見解を挙げておられる。
これは、法華経の絶待妙が開会の法門であることを前提にして、開会の後は、相待妙により〝麤法〟として捨てられた前四味、すなわち爾前権教も皆法華経の妙体のうちに入ることとなり、諸経の名言(題号)や諸仏・諸菩薩の名号も開会の後は皆法華の妙体になるから、これらの名言や名号を心に任せ縁に応じて唱えてもいいのではないかというものである。
更に如説修行抄では「諸乗一仏乗と開会しぬれば何れの法も皆法華経にして勝劣浅深ある事なし、念仏を申すも真言を持つも・禅を修行するも・総じて一切の諸経並びに仏菩薩の御名を持ちて唱るも皆法華経なりと信ずるが如説修行の人とは云われ候なり」(0502:11)と。これも開会した後は諸乗がことごとく一仏乗となるので、どの法も皆法華経となって勝劣浅深なく、念仏、真言、一切の諸経、仏菩薩の名を唱え持っても、ことごとく法華経となる、という当時の人々の考え方を挙げられたものである。
これに対して〝永異〟の立場から破折された御文は次のとおりである。
まず諸宗問答抄に「開会の後も、麤教とて嫌い捨てし悪法をば名言をも、其の所詮の極理をも、唱へ持つて交ゆべからずと見えて候。弘決に云く『相待絶待倶に須く悪を離るべし。円に著する、尚悪なり。況や復余をや』云云。文の心は、相待妙の時も絶待妙の時も、倶に須く悪法をば離るべし。円に著する、尚悪し。況や復余の法をや、と云う文なり……設ひ爾前の円を今の法華に開会し入るるとも、爾前の円は法華の一味となる事無し。法華の体内に開会し入れられても、体内の権と云われて実とは云わざるなり」(0377:17)と破られている。
ここでは、法華経の絶待妙による開会の後であっても、相待妙において〝麤〟法として廃棄された爾前権教(悪法)はその名言や理法を唱えたり持ったりしてはならない、とされている。
その文証として、止観輔行伝弘決巻二の「相待妙であれ絶待妙であれ、ともに悪を離れなければならない。絶待妙の開会という円融の考え方の一辺に執着することも悪である。ましてや円教以外の他の法においてこれに執着することはなおさら悪である」(取意)とする文を引かれている。
そして、たとえ爾前の円が開会によって法華に流入したとしても、爾前の円は法華経妙法の体内には入っても、どこまでも〝体内の権〟であって〝体内の実〟ではない、と破られている。
更に如説修行抄では「正宗の法華に至つて世尊法久後・要当説真実と説き給いしを始めとして無二亦無三・除仏方便説・正直捨方便・乃至不受余経一偈と禁め給へり、是より已後は唯有一仏乗の妙法のみ一切衆生を仏になす大法にて法華経より外の諸経は一分の得益も・あるまじきに末法の今の学者・何れも如来の説教なれば皆得道あるべしと思いて或は真言・或は念仏・或は禅宗・三論・法相・倶舎・成実・律等の諸宗・諸経を取取に信ずるなり、是くの如き人をば若人不信・毀謗此経・即断一切世間仏種・乃至其人命終・入阿鼻獄と定め給へり」(0502:18)と説かれ、仏の禁言に背いて、開会の後はどの経も得道できるなどと説く者は地獄に堕すると厳しく戒められている。
ところが天台宗の学者は、この厳格な立て分けを知らなかったために、名は天台宗であっても、その義において華厳宗に堕落し、更にそこから方等部や般若部に説かれる円教に堕落し、結局は善導等の浄土系の解釈にさえたぶらかされて、大謗法である日本浄土宗の法然の邪義にくだり、〝師子身中の虫の師子を食うが如し〟の状態に陥ったのであると指摘されている。
仁王経の下に「大王我が滅度の後……仏法を壊りて大罪過を得ん」云云
仁王経巻下嘱累品第八に説かれている文である。
この品は仏が諸国の王に向かって、仏滅後に悪比丘が出現して、〝破仏の因縁〟〝破国の因縁〟の生ずることを予言し、そのようにならないためには、般若波羅蜜を受持して仏法を護持するべきであると説き、最後に、諸国の王が般若波羅蜜を受持し仏法守護を誓う内容になっている。
本抄の引用は、仏滅後の未来に、三宝を護持した四部の弟子や諸の小国の王、太子、王子達のなかから退転して三宝を破壊する者が出てくる、それはまさに師子身中の虫が内側から師子を食う姿に似ている、つまり、仏法を破壊する者は外道ではなく、仏弟子達のなかから出てくる、と戒めているところである。
籤の十に云く「始め住前より登住に至る……円門を用いて別に摂することを」
法華玄義釈籤巻十上の文である。この文の一部分である「又一一の位に皆普賢行布の二門有り故に知んぬ兼て円門を用いて別に摂す」という文は本抄で既に引用されており、説明したとおりである。
したがってここでは、この釈がなされた原文の法華玄義巻十の内容に触れておこう。
法華玄義巻十上において「教相」を判ずるうち、教相の大綱を示すのに頓・漸・不定の三種があることを説いているが、そのなかで頓教の相を明かす文に対して妙楽大師が釈した文がここに引用された文である。
すなわち、華厳の七処八会、維摩経、大品般若経、法華経などの諸大乗教における〝頓教の相〟が挙げられているが、これに対し、釈籤では特に七処八会の次第を取り上げている。
ここに引用されている経文のまえの部分を簡潔に説明してみると、妙楽は華厳経の新訳(唐訳八十華厳)の九会三十九品の名称を紹介しつつ、菩薩の修行の位階の次第と対照させている。
まず第三会の忉利天会では、六品を説いて十住を後位に進ませる働きをしていると釈している。
次に、第四夜摩天会では十行を説き、第五都率天会では十回向を説き、第六の他化自在天会では十地の一品のみを説き、第七会の重会普光法堂会では十地勝進の行を説き、第八会の三会普光法堂会では六位を説くとしている。
〈追記 八十華厳経によると、第一会は摩掲陀国の菩提場会、すなわち菩提樹下で開かれた。第二会の普光法堂は、第一会の菩提場会から、ほど遠からぬところにあるとされる。第三会から第六会までは上記のとおり天上へと昇り、第七会からは再び地上に戻って第九会の逝多園林会で説会が終わる〉
このように釈してきて、華厳の会座で明かされるところの菩薩の位行は、華厳の経意がこの別円を兼ねて含んでいるゆえに、それぞれを別々に分離することが難しいとしている。
ここまで説いた後に、引用された部分が説かれているのである。
引用の部分の文は「初め菩薩が十住以前の境地から十住の初住位に登るに至るまでの経文の意はまさに円の義を含んで説いている。しかし、十住のうちの第二住から第七住に至るまでの経文は文の相が次第順序を説くような姿をしているので、別の義に似ているところがある。だが、その第七住のなかにおいてもまた、一つの位に多くの位を具足しているような〝一多相即自在〟な様を弁じているところがある(円)。次の、十行、十回向、十地を説く所はそれらの個々の位が互いに他の位と全く別のものとして次第差別を明らかにしている(別)。以上のことから考えるに、結局、十住、十行、十回向、十地の一つ一つの位に、それぞれ皆ことごとく〝普賢行布の二門〟を有していることになる」と結論している。
ここで〝普賢〟の門とは、普賢が平等の意を表すところから、一々の位に多くの位を具足しているという円融円満の法門(円教)をさし、〝行布〟の門とは、行列配布ということであり、十住、十行、十回向、十地の行位を順々に次第して仏果に至るとするもので、差別を説く別教の法門である。
このように、華厳の明かす菩薩道の四十位には、一つ一つの位に〝普賢〟の円教と〝行布〟の別教の二門が含まれている。
したがって、華厳経というのは円文を用いてはいても、兼ねて別教を説いているので、結局は「別」に摂するのである、と述べている。
この釈文は、日本天台宗の学者達が華厳宗に堕落しているのを破折されるために、華厳の円と法華の円とは決定的に異なっており、華厳経は本質的には別教と考えるべきであることを改めて確認するために挙げられたものと推察される。