日妙聖人御書

日妙聖人御書

日妙聖人御書    文永九年五月    五十一歳御作

第一章 楽法梵志の求道を説く

本文

  過去に楽法梵志と申す者ありき、十二年の間・多くの国をめぐりて如来の教法を求む、時に総て仏法僧の三宝一つもなし、此の梵志の意は渇して水をもとめ飢えて食をもとむるがごとく仏法を尋ね給いき、時に婆羅門あり求めて云く我れ聖教を一偈持てり若し実に仏法を願はば当にあたふべし、梵志答えて云くしかなり、婆羅門の云く実に志あらば皮をはいで紙とし・骨をくだいて筆とし・髄をくだいて墨とし・血をいだして水として書かんと云はば仏の偈を説かん、時に此の梵志悦びをなして彼が申すごとくして皮をはいでほして紙とし乃至一言をもたがへず、時に婆羅門・忽然として失ぬ、此の梵志・天にあふぎ・地にふす、仏陀此れを感じて下方より涌出て・説て云く「如法は応に修行すべし非法は行ずべからず今世若しは後世・法を行ずる者は安穏なり」等云云、此の梵志・須臾に仏になる・此れは二十字なり、

 

現代語訳

過去に楽法梵志という者がいた。十二年の間多くの国をめぐり歩いて如来の教法を求めていた。当時は仏法僧の三宝が一つもなかった。この梵志の心は、あたかも渇して水を求め飢えて食を求めるように仏法を尋ね求められたのであった。

ある時、一人の婆羅門があって、楽法梵志にいうには「私は聖教を一偈持っている。若しまことに仏法を聞きたいと願うならばまさに授けよう」と。そこで梵志は「仰せのとおりに私は仏法を求めている」と答えた。婆羅門は「まことに志があるならば、身の皮をはいで紙とし、骨を砕いて筆とし、髄を砕いて墨とし、血を出して水として、私の授ける法を書こうというならば、仏の偈を説こう」と。そのときに梵志は大いに悦び、彼のいうとおりにして皮をはいで乾して紙とし、その他一言をもたがえなかった。そのとき、婆羅門はたちまちに消え失せた。この梵志は天を仰ぎ地に伏して嘆いた。

仏陀は、梵志の至心を感じられて、下方から涌き出て説かれるには「正法はかならず修行すべきであり、非法は行じてはならない。今世、もしくは後世に、法を修行する者は安穏である」と。これを聞いて梵志は須臾の間に仏になった。この偈は二十字である。

 

語釈

楽法梵志

釈尊が過去世に菩薩行を修行した時の名。大智度論巻四十九にあるが、本抄では、大智度論巻十六の愛法梵志の話と合わせて愛法梵志を楽法梵志と同一人物とし、一つの本生話として用いられている。

如来

仏の十号の一つ。梵語タタ-ガタ(Tathāgata)の訳語。多陀阿伽陀と音写する。如実に来至した正覚者の意。長阿含経巻十二に「仏は初夜に於て最正覚を成じ、末後夜に及び、其の中間に於て言説する所有りて尽く皆、如実なり。故に如来と名づく」

仏法僧の三宝

仏・法・僧を三宝と称する所以について究竟一乗宝性論第二に「一に此の三は百千万劫を経るも無善根の衆生等は得ること能はず世間に得難きこと世の宝と相似たるが故に宝と名づく」等とある。ゆえに、仏宝、法宝、僧宝ともいう。仏宝は宇宙の実相を見極め、主師親の三徳を備えられた仏であり、法宝とはその仏の説いた教法をいい、僧宝とはその教法を学び伝持していく人をいう。三宝の立て方は正法・像法・末法により異なるが、末法においては、仏宝は久遠元初の自受用身であられる日蓮大聖人、法宝は事行の一念三千の南無妙法蓮華経、僧宝は日興上人である。

婆羅門

インドの四姓の中の最高位で、ヴェーダを学び祭祀を司る僧およびその階級のこと。梵語ではブラーフマナ (Brāhmana)といい、婆羅賀摩拏とも書き、淨行、淨志と訳す。悪法を捨てて梵天に奉事し淨行を修するとの意味からきた呼称。

聖教

釈尊の説いた経教のこと。

一偈

「偈」ゲダ(gāthā)の音写。仏典の中で韻文形式を用いて仏の徳を讃嘆したり、法理を述べたもの。頌ともいう。梵語の仏典では、八音節四句からなるシュローカ、音節数は自由だが必ず八句二行からなるアールヤーなどがある。漢訳仏典では別偈と通偈に分かれており、別偈は一句の字数を三字四字などに定めて四句となしたものをいう。別偈は更に、前に散文の教義なしに記された伽陀と、前に散文の教義があって重ねてその義を説いた祇夜の二つに分かれている。通偈は首盧迦ともいい、散文、韻文にかかわらず、三十二字を一頌と数えることをいう。なお教義には別偈のみを偈とする。

仏陀

仏のこと。

「如法は応に修行すべし……」

大智度論巻十六に「如法は応に修行すべし。非法は受くべからず。今世亦後世に、法を行ずる者は安穏なり」とある。如法は正法、非法は邪法の意。この文は正法を勧め邪法を排するによって今世、後世に安穏であることを説いている。

須臾

時を表す語。二意あり。① 一昼夜の三十分の一(48分)を表す。転じて、しばらくの間の意。② 刹那の意。

 

講義

本抄は、鎌倉に住んでいた一人の女性が、配流の地・佐渡に日蓮大聖人を訪ねてきたことに対し、その厚い求道心を賞でてしたためられたものである。

対告衆の日妙聖人の名は、この求道の志を讃えて大聖人が授けられたもので、本名は不明である。日亨上人は、乙御前の母であると推定されている。

大聖人は、この年2月に開目抄を完成され、3月に佐渡御書を著して、鎌倉在住の弟子檀那一同に送られている。43日に一谷へ移られているから、本抄のご述作も一谷・本間重連邸ということになる。開目抄、佐渡御書等、この当時の御抄からうかがわれるように、一門のなかから退転し、大聖人に対してかえって批判を浴びせる人々が少なからずあった。事実、竜口の難に続く佐渡流罪は、日蓮大聖人にとって最大の法難であるのみならず、弟子檀那のなかにも、追放、過料、入牢といった弾圧にあう人々が出て、不信に陥った人々がいたとしても不思議ではない、苦難の時代であった。それだけに、頼るべきもののない寡婦の身で、幼子を抱えて、佐渡にまで大聖人をお訪ねした日妙聖人の信心は、なみなみならないものであったということができる。本抄が、過去の不惜身命の実践者の例を挙げられ、女性の身でありながら微動だにしない強盛な日妙聖人の信心の篤さを讃えられて認められていることも、こうした当時の背景を考えてみるならば、より深く大聖人のお心を拝察できるのではないか。

まず、最初のこの段では、過去の不惜身命の求道者の例として、楽法梵志の話が挙げられている。楽法梵志の話は、竜樹の著と伝えられる大智度論にあり、自分の身体の皮をはいで紙とし、骨を筆とし、髄をくだいて墨に、血を水として、法を求めたというエピソードである。

仏法を教えてくれるはずであった婆羅門は、しかし、教えないで姿を消してしまう。嘆く梵志の前に、仏が出現し、二十字の偈を教え、それによって梵志は成仏することができたという。このエピソードを紹介するなかに、大聖人は、仏法を求めるとは、いかにあるべきかを示されている。

楽法梵志は、仏法を求めて十二年間、多くの国々を巡り歩いた。その心は「渇して水をもとめ、飢えて食をもとむるがごとく仏法を尋ね」たのであった。十二年間ものあいだ、求法の一念を貫きとおすということは容易なことではない。だが、たゆむことのない求める心こそ真実の求道精神である。

また、多くの国を巡り歩いたというのは、日妙聖人が、鎌倉から、はるばる佐渡にまで旅したことと対応している。たとい、どんなに遠い所へでも出かけていって法を求めるのが求道者であることを教えられているのである。そして、その心を、渇して水を求め、飢えて食を求めるようであったとは、求道の心は生命の真底から湧き起こってくるのでなくてはならないとのお意であろう。このような、生命の奥底から湧き出る求道心であったからこそ、皮をはぎ、骨を砕き等、みずからの身命を文字どおり犠牲にしたのであった。

仏法を教えると約束しながら姿を消してしまった婆羅門は、貴げにみえた謗法の僧が真実の求道心に立って見たとき、その本性が明らかになることをあらわしている。そして、この真実の求道心はかならず報われることを、仏陀が下方より涌出し法を説いたことをもってあらわしたのである。法華経寿量品に説かれるように、仏はこの娑婆世界に常住しているのであり、ただ衆生の求道心に応じて、その姿をあらわされるのである。つまり、真実の求道心のみが、仏の姿を見、その説く教えを聞くことができるのである。求道の心がなければ「雖近而不見」で、仏を見ることはできず、仏法を聞くこともできない。仏の出現が希有で、仏にあうことは難いというのは、実は、人々が真実の求道の心を起こすことが、いかに難いかを述べたのにほかならない。

なお、「如法は応に修行すべし、非法は行ずべからず、今世若しは、後世、法を行ずる者は安穏なり」の二十字が意味する内容を考えてみると、これは正しい法を行ずるなかに生死を超えた安穏の境地があるということである。したがって、正法の実践こそ、永遠不変の生命を覚知する鍵であることを教えており、生命をなげうって正法を求めた楽法梵志の心を見事に満足するものであったわけである。

 

 

第二章 釈迦菩薩の求道を説く

 本文

   昔釈迦菩薩・転輪王たりし時き「夫生輙死此滅為楽」の八字を尊び給う故に身をかへて千燈にともして此の八字を供養し給い人をすすめて石壁・要路に・かきつけて見る人をして菩提心をおこさしむ、此の光明・忉利天に至る天の帝釈並びに諸天の燈となり給いき。
  昔釈迦菩薩・仏法を求め給いき、癩人あり此の人にむかつて我れ正法を持てり其の字二十なり我が癩病をさすりいだきねぶり日に両三斤の肉をあたへば説くべしと云う、彼が申すごとくして二十字を得て仏になり給う、所謂「如来は涅槃を証し永く生死を断じ給う、若し至心に聴くこと有らば当に無量の楽を得べし」等云云。

 

現代語訳

昔、釈迦菩薩が転輪聖王であった時、「夫れ生まれた者は輙ち死ぬ。この死滅を楽とする」の八字を尊び敬うゆえに、身を代えて千燈としてともし、この八字を供養し、また、人を勧めて石壁や要路に書きつけて、見る人の菩提心を起こさせた。この千燈の光明が遠く忉利天にいたり、天界の帝釈天ならびに諸天を照らす燈となった。 また昔、釈迦菩薩は仏法を求めていた。そのときハンセン病患者がいて、この菩薩に向かって「私は正法を持っている。その正法の文字は二十字である。わが病の身をさすり、懐き、舐め、一日に二三斤の肉を与えてくれるならば、法を説こう」といった。そこで菩薩はハンセン病患者のいうとおりにして二十字を得て仏になられた。その二十字というのは、いわゆる「如来は涅槃を証得して永く煩悩生死の絆を断たれた。若し人がいて至心に聴くならば、かならず無量の楽を得るであろう(如来証涅槃・永断於生死・若有至心聴・当徳無量楽)」というのである。

 

語釈

 釈迦菩薩

釈尊が過去世において久しく菩薩行を修行していた時の名前。

 

転輪王

転輪聖王のこと。梵語チャクラバルティラージャ(Cakravarti-rāja)の訳語。斫迦羅伐刺底曷羅闍と音写する。インド古来の伝説で、武力を用いず正法をもって全世界を統治するとされる理想の王。

 

「夫生輙死此滅為楽」

大方便仏報恩経巻第二の文。「夫れ生じて輙ち死す、此れ滅を楽と為す」と読む。夫生輙死は、生ある者はかならず死ぬという生者必滅の理を表す。此滅為楽の滅は、煩悩生死を滅すること、楽は涅槃の意。此滅為楽は、無常の諸相によって苦悩を現起するのが煩悩であるから、この煩悩生死を滅したところに涅槃の境界があるとの意味である。

 

菩提心

悟りを求めて仏道を行ずる心。菩提は梵語ボーディ(bodhi)の音写で、覚・智・道などと訳す。菩提に声聞・縁覚・仏の三種ある。

 

忉利天

忉利は梵語のトラーヤストゥリンシャ(Trāyastriśa)の音写。三十三天と訳す。欲界の六欲天の第二。須弥山の頂上にある天で、中央に帝釈天がおり、四方の峰の頂上に各八天がおり、合わせて三十三天という。

 

帝釈

帝釈天の略称。釋提桓因ともいう。ヴェーダ神話上の最高神であったが、仏法では諸天善神とされる。欲界第二忉利天の主として、須弥山の頂の喜見城に住し他の三十二天を統領している。

 

癩人

ハンセン病患者

 

両三斤

1.21.8

斤は重量の単位。令義解によると、律令制の重さの単位で、小斤と大斤があり、小斤では1斤は16両、1両は24銖、一銖は黍(キビ)100粒の重さに相当し、大斤はその3倍の重さに相当する。小斤は薬物をはかる場合に用い、大斤はその他の物をはかるときに使用した。今日の重さの単位に換算すると、小斤の1斤は600㌘に相当する。

今日でも600㌘のパンを1斤と表示している。

 

「如来は涅槃を証し……」

涅槃経巻二十高貴徳王菩薩品の文。「如来は涅槃を証して、永く生死を断ず、若し至心に聴く有らば、常に無量の楽を得ん」とある。この四句は、涅槃経の要偈であり、古来から諸師が多義にわたって広説している。文意は、如来は涅槃を証得し、永く煩悩生死を断尽している。ゆえに、もし至心に如来の言葉を聴き信受するならば、つねに無量の法楽を得られるとの意である。

 

涅槃

梵語(nirvāana)滅・滅度・寂滅・円寂と訳す。生死の境を出離すること。また自由・安楽・清浄・平和・永遠を備えた幸福境界をいい、慈悲・智慧・福徳・寿命の万徳を具備している境涯ともいえる。①外道では、六行観によって悲想天に達すれば、涅槃を成就できると考えた。②小乗仏教では煩悩を断じ灰身滅智すること。③権大乗では他方の浄土へ往生すること。④法華経では三大秘法の御本尊を信ずることによって、煩悩即菩提・生死即涅槃を証することができると説く。

 

講義

  本章では、釈迦菩薩の修行を例として述べられている。転輪聖王であった時の話は大方便仏報恩経から、癩人に仕えた時の話は涅槃経から、それぞれ引かれている。前者はわずか八字であり、後者は、やはりわずか二十字の仏の教えであるが、そのためにいかに身命を惜しまず求め、供養し、宣揚したかということが、これらの話の眼目である。

そのなかでも、転輪聖王であった時、身をかえて供養し、また石壁や要路に書きつけて人々に菩提心を起こさせたというのは、求法よりも、それを弘めたことの例である。そして、供養した千燈の光明が忉利天 に至り、諸天の燈となったということは、平和で豊かな社会が現出したことを、このように表現されたと考えられる。

権力をもつと、自分が尊い存在になったように思い、おごり高ぶるのが人間の常である。釈迦菩薩が転輪聖王でありながら、八字を尊ぶゆえに、身をかえて千燈をともし供養したことは、どこまでも仏法を尊び、おごる心がなかったことをあらわしている。「身をかへて」とは、国家・国民の金によってでなく、みずからの持てるものをなげだして供養したことである。また「人をすすめて」とは、権力によって強制したのでなく、一個の人間として人々に語り、すすめたことを意味している。権力を用いて行なうのは容易である。だが権力によらず、みずからの真心によって行なったがゆえにこそ、偉大な功徳を生じたのであることを知らなければならない。

もう一つの癩人に仕えた話は、昔、ハンセン病はその症状ゆえ、患者の体に触れると病気が移るとして、もっとも嫌われた。釈迦菩薩は、二十字の仏法を教わるために、わが身を惜しまない決意であったから、求められるとおり、さすり、いだき、なめ、さらに、この人のために日に二、三斤の肉を与えて養ったのである。ともに、至難の実践であることはいうまでもない。

ここに挙げられている八字、二十字の教法も、生死を滅したところに、真実の楽があることを述べている。すなわち、生死を繰り返す無常の生命に対する執着を超えることの大切さを教えているのであり、釈迦菩薩は、いずれの場合も、不惜身命の実践によって、この教法を、身をもって読んだのである。

 

 

第三章 雪山童子の求道を説く

 本文

   昔雪山童子と申す人ありき、雪山と申す山にして外道の法を通達せしかども・いまだ仏法をきかず、時に大鬼神ありき説いて云く「諸行無常是生滅法」等云云、只八字計りを説いて後をとかず時に雪山童子・此の八字を得て悦きはまりなけれども半なる如意珠を得たるがごとく華さき菓ならざるに・にたり、残の八字を・きかんと申す、時に大鬼神の云く我れ数日が間・飢えて正念乱るゆへに後の八字を・ときがたし食をあたへよと云う、童子問うて云く何をか食とする、鬼答えて云く我は人のあたたかなる血肉なり、我れ飛行自在にして須臾の間に四天下を回つて尋ぬれどもあたたかなる血肉得がたし、人をば天守り給う故に失なければ殺害する事かたし等云云、童子の云く我が身を布施として彼の八字を習い伝えんと云云、鬼神の云く智慧甚だ賢し我をや・すかさんずらん、童子答えて云く瓦礫に金銀をかへんに是をかえざるべしや我れ徒に此の山にして・死しなば鴟梟虎狼に食はれて一分の功徳なかるべし、後の八字にかえなば糞を飯にかふるがごとし、鬼の云く我いまだ信ぜず、童子の云く証人あり過去の仏も・たて給いし大梵天王・釈提桓因・日月・四天も証人にたち給うべし、此の鬼神後の偈をとかんと申す、童子身にきたる鹿の皮を・ぬいで座にしき踞跪合掌して此の座につき給へと請ず、大鬼神・此の座について説て云く「生滅滅已・寂滅為楽」等云云、此の偈を習ひ学して若しは木・若しは石等に書き付けて身を大鬼神の口になげいれ給う、彼の童子は今の釈尊・彼の鬼神は今の帝釈なり。

 

現代語訳

  昔、雪山童子という人がいた。雪山という山で外道の法を通達したけれども、いまだ仏法を聞かなかった。その時一人の大鬼神がいて説いていうには「諸行は無常であり、是れ生滅の法である」等と。大鬼神は、ただ八字だけを説いて後の偈()を説かなかった。そのとき雪山童子は、この八字を得ておおいに悦んだが、その心境は、あたかも半分の如意珠を得たようで、また、花が咲いて果がならないのに似ていた。そこで、童子は残りの八字を聞きたいといった。そのとき大鬼神は「私はこの数日間、飢えていて、正念を乱しているから後の八字を説くことができない。食を与えよ」といった。そのとき童子は「あなたは何を食とするのか」といった。鬼は「私は人の温かい血や肉を食とする。私は飛行が自在にでき、わずかの間に四天下をめぐって尋ね求めるけれども、温かな血や肉は得がたい。それは、天が人を守られるゆえに、人に罪がなければ殺害することが難しいからである」と答えた。童子のいうには「私の身を布施としてかの八字を習い伝えよう」と。鬼神のいうには「お前は智慧があり、たいそう賢い。私をだますのであろう」と。童子の答えていうには「瓦や礫が金銀に換えられるとしたらこれを換えないものがあろうか。私がむだにこの山で死ぬならば、鴟梟虎狼に食われて少しの功徳もない。わが身を後の八字に換えるならば糞を飯に換えるようなものである」。鬼のいうには「私はいまだ信じない」。童子のいうには「証人を立てよう。過去の仏も証人にたてられた大梵天王、釈提桓因、日天、月天、四天も証人にお立ちになるであろう」。こうして、ようやく鬼神は「後の偈を説こう」といった。童子は、身につけている鹿の皮を脱いで座に敷き、踞跪合掌して、鬼神に「この座にお着きください」と請うた。大鬼神がこの座について説くのには「生滅滅し已って、寂滅を楽とする」と。童子は、この偈を習い学んで、あるいは木、あるいは石等に書き付けて、わが身を大鬼神の口に投げ入れられた。この童子が今の釈尊であり、かの鬼神は今の帝釈である。

 

語釈          

 雪山童子

釈尊が過去世で修行していたときの名。涅槃経巻十四等に出てくる。釈尊は過去の世に雪山で法を求めて修行していた。ここで木の実を食べ、思惟坐禅して無量歳を経た。ある時、帝釈天が羅刹に化身して現れ、童子に向かって過去仏の説いた偈を「諸行無常・是生滅法」と半分だけを述べた。これを聞いた童子は喜んで残りの半偈を聞きたいと願い、この身を捨て、羅刹に食せしめることを約束して半偈の「生滅滅已・寂滅為楽」を聞いたのである。童子はその偈を石、壁、樹、道に書写してから高い樹に登り、身を投げた。その時、羅刹は帝釈天の姿に戻り、童子の体を受け止め大地に置き、その不惜身命の姿勢をほめて、未来に必ず成仏するであろうと説いて姿を消したという。

 

外道の法

仏教以外の低級・邪悪な教え。心理にそむく説のこと。

 

通達

覚知すること。成仏の境涯に達すること。仏法の奥底を極めること。末法今日においては信心が通達であり、大御本尊以外に幸福になる道はないと確信すること。

 

大鬼神

鬼神の中でも大変暴悪なものや、神通力などの能力が大きいものをいう。鬼神とは、目に見えない超人的な力を有する働きをもつものに付けられた総称。仏法では夜叉・羅刹などをさす。人の功徳・生命を奪い、蝕む働きをする悪鬼神のこと。

 

「諸行無常是生滅法」

涅槃経巻十四の文。「諸行は無常なり、是生滅の法なり」と読む。後の「生滅滅已寂滅為楽」の半偈と合わせて諸行無常偈または雪山偈という。前半の八字は無常の理を説き、後半の八字で、無常である生滅の法を滅するならば不生不滅の寂滅の境界があり、それが常楽即ち涅槃であると説くのである。したがって、小乗思想の無常観を超克した大乗思想の空観を基底にした常楽我浄の無為涅槃がこの偈の思想的背景にあるわけである。

 

如意珠

如意宝珠のこと。意のままに宝物や衣服・食物を取り出すことのできるという宝珠。如意珠・如意宝ともいう。大智度論には仏舎利の変じたものとか竜王の脳中から出たものといい、雑宝蔵経には摩竭の脳中から出たものといい、また帝釈天の持ち物である金剛杵の砕け落ちたものなど諸説がある。摩訶止観巻五上には「如意珠の如きは天上の勝宝なり、状芥粟の如くして大なる功能あり」等とある。兄弟抄には「妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出して三国の一切衆生に普く与へ給へり」(1087:12)、また御義口伝には提婆達多品の有一宝珠を釈し「一とは妙法蓮華経なり宝とは妙法の用なり珠とは妙法の体なり」(0747:01)と仰せになっている。

 

正念

正しい念慮(思い・考え)をもつこと。仏道を歩み続け成仏を確信し、大満足の心で臨終を迎えること。日蓮大聖人は南条時光に「故親父は武士なりしかども・あながちに法華経を尊み給いしかば・臨終正念なりけるよしうけ給わりき」と仰せである。

 

四天下

須弥山を中心にした四大洲のことで、東の弗婆提、西の瞿耶尼、南の閻浮提、北の欝単越の四洲をいう。古代インドの世界観である。

 

布施

物や利益を施し与えること。大乗の菩薩が悟りを得るために修行しなくてはならない六波羅蜜の一つ。壇波羅蜜のこと。布施には財施・法施等、種々の立て分けがある。

 

智慧

①物事・事象の是非。②智と慧、悟りを導く基となるものが慧で、外に向かって働くもの、発現するものが智。③聡い、賢いこと。

 

鴟梟虎狼

鴟梟は①フクロウの漢名。②鴟と梟。③ミミズクとフクロウ。ただし本章の前後の文脈からみれば③の意と思われる。虎狼は虎と狼の意。涅槃経巻十四聖行品に「我設い命終せば、此の如きの身は復用うる所無く、当に虎狼・鵄梟・鵰鷲に噉食せられるべし」とある。

 

大梵天王

梵語マハーブラフマン(Mahãbrahman)。色界四禅天の中の初禅天に住し、色界諸天および娑婆世界を統領している王のこと。淫欲を離れているため梵といわれ、清浄・淨行と訳す。名を尸棄といい、仏が出世して法を説く時には必ず出現し、帝釈天と共に仏の左右に列なり法を守護するという。インド神話ではもともと万物の創造主とするが、仏法では諸天善神の一人としている。

 

釈提桓因

釈迦提桓因陀羅が、梵語シャクラデーヴァーナームインドラ(Śakra-devānām-indra)の音写で、その略称のこと。帝釈天ともいう。

 

日月

日天子、月天子のこと。また宝光天子、名月天子ともいい、普光天子を含めて、三光天子といい、ともに四天下を遍く照らす。

 

四天

四天王、四大天王の略。帝釈の外将で、欲界六天の第一の主である。その住所は、須弥山の中腹の由犍陀羅山の四峰にあり、四洲の守護神として、おのおの一天下を守っている。東は持国天、南は増長天、西は広目天、北は多聞天である。これら四天王も、陀羅尼品において、法華経の行者を守護することを誓っている。

 

踞跪合掌

踞跪は胡跪と同意で、右膝を地につけること。合掌は掌を合わせること。古くからのインドの礼法である。

 

生滅滅已・寂滅為楽

涅槃経聖行品の文。「生滅を滅し已って寂滅を楽と為す」と読む。雪山童子が聞いた後の半偈。煩悩を断ずるところに悟りがあるとの意。生滅は生死の煩悩、滅已は煩悩を断ずること、寂滅は涅槃、為楽は悟り、を意味する。

 

釈尊

釈尊とは通常釈迦牟尼仏をさすが、六種の釈尊がある。①蔵教の釈尊②通教の釈尊③別教の釈尊④法華経迹門の釈尊⑤法華経本門の釈尊⑥法華経本門文底の釈尊である。⑥を教主釈尊といい、久遠元初の自受用報身如来たる日蓮大聖人である。

 

講義

  この雪山童子の話は涅槃経に説かれたものであるが、内容は、仏法の半偈を聞くために、文字どおり、わが身を与えたという話である。

半偈を教える代償として、雪山童子の身体の肉と血を求めた鬼神は、帝釈の化身ということであるが、少なくともその姿は、たとえようもなく醜く、卑しいものであったにちがいない。鬼とは、十界に約せば餓鬼界である。しかし、雪山童子は、その外面の容姿や境涯の醜さにとらわれることなく、真剣に仏法を聞くことを求め、その賤しい要求に応じたのであった。これもまた、人間の常として、容易にできることではない。ともすれば、外面の姿や、位階等の立場といった浅薄なものにさえ、とらわれ、それをもって基準としてしまうのが人間の常だからである。

まして境涯が低劣であるとなると、よほどの人でさえ、とらわれてその説くところが真実であり、すぐれた法であっても、聞く耳を持ちえなくなることがしばしばである。雪山童子が、卑しい鬼神に法を求めたこの話は、仏法を得るには、説く〝人〟に依るべきでなく、どこまでも〝法〟に依らなければならないこと――すなわち「依法不依人」の原理を示しているのである。涅槃経が、仏滅後のために、仏法実践の根本精神を教えた経であるように、この精神は末法の大法を実践するわれわれにとっても、永久に忘れてはならないものである。

なお、この雪山童子が聞いた「諸行無常是生滅法・生滅滅已寂滅為楽」の偈が意味するところについて、若干、考察しておきたい。

前半は、いうまでもなく、この世の一切の諸行は無常であり、生滅流転するものであるとの、小乗教的無常観をあらわしている。しかし、それだけならば少し心ある人は分かることであって、雪山童子が、残りの半偈を熱烈に求めたゆえんもここにある。

後半の「生滅滅し已って寂滅を楽と為す」にいたって、小乗教的無常観を超克した大乗教の思想が明らかとなる。もとより、ここに示されているのは、寂滅という空観であるが、常楽我浄の絶対的境地がそこにあることを説き、たんなる無常的空観を超えている。ではどうすれば、こうした常楽我浄の寂滅の境地を得ることができるか。生滅を滅することであり、それは、生死流転する凡夫としての生命を惜しまず、不変常住の仏法を求めることである。雪山童子の実践が、じつはこの偈の教えるところを、そのまま具現しているのである。

 

第四章 薬王・不軽等の求道を説く

 本文

   薬王菩薩は・法華経の御前に臂を七万二千歳が間ともし給い、不軽菩薩は多年が間・二十四字の故に無量無辺の四衆に罵詈・毀辱・杖木・瓦礫・而打擲之せられ給いき、所謂二十四字と申すは「我深く汝等を敬う敢て軽慢せず所以は何ん汝等皆菩薩の道を行じて当に作仏することを得べし」等云云、かの不軽菩薩は今の教主釈尊なり、昔の須頭檀王は妙法蓮華経の五字の為に千歳が間・阿私仙人にせめつかはれ身を床となさせ給いて今の釈尊となり給う。

現代語訳

  薬王菩薩は法華経の御前で七万二千年の間臂を焼いて供養され、不軽菩薩は多年の間、二十四文字のゆえにありとあらゆる四衆に罵詈され毀辱され、杖・木・瓦・礫で打擲されたのである。いわゆる二十四字というのは「私は深くあなた方を敬う。あえて軽慢しない。そのわけは、あなた方は皆菩薩の道を修行して、まさしく仏に作ることができるからである(我深敬汝等、不敢軽慢、所以者何、汝等皆行菩薩道、当得作仏)」等と。かの不軽菩薩は今の教主釈尊である。昔の須頭檀王は妙法蓮華経の五字のために、千年の間、阿私仙人にせめ使われ、わが身を床として仕えられて今日の釈尊となられたのである。

 

語釈

 薬王菩薩

法華経薬王菩薩本事品第二十三にある菩薩。同品には過去世で一切衆生憙見菩薩として日月浄明徳仏のもとで修業し、身を焼き臂を焼いてともすなどして仏に供養したことが説かれる。

 

不軽菩薩

常不軽菩薩の略。法華経常不軽菩薩品第二十に説かれる菩薩。威音王仏の滅後の像法に出現して一切衆生に仏性があるとして「我深敬汝等…」の二十四字の法華経を説いて人々を礼拝讃歎した。これに対し当時の四衆は菩薩を軽蔑し杖木瓦石で迫害した。だが菩薩は礼拝行をやめずにかえって六根清浄を得て成仏した。菩薩は釈尊の前身を表している。

 

四衆

比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を四衆といい、また四部の衆ともいう。比丘は男の出家者、比丘尼は女の出家者、優婆塞は男の在家、優婆夷は女の在家の意。

 

罵詈毀辱

罵と詈はともに、ののしるの意。毀はそしること。辱ははずかしめること。

 

杖木瓦礫

不軽品の文。勧持品の文。末法の法華経の行者の遭難を示す文。①文永元年(12641111日・東条景信による小松原法難。②文永8年(1271912日、平左衛門尉のが一の郎従・少輔房による法華経の第五の巻をもっての殴打がある。

 

須頭檀王

法華経提婆達多品第十二に説かれている。釈尊の過去世の修行中の名。妙法を求めるために王位を捨て、千年の間阿私仙人に仕えた。同品に「即ち仙人に随って、須うる所を供給し、菓を採り水を汲み、薪を拾い食を設け、乃至身を以て牀座と作せしに、身心倦きこと無かりき。時に奉事すること千歳を経て、法の為めの故に、精勤し給侍して、乏しき所無からしめき」とある。

 

阿私仙人

阿私仙は梵語アシタ(Asita)の音写。阿私陀ともいう。無比、端正と訳す。仙人はバラモン教等のインドの修行者中の達人をいう。法華経提婆達多品第十二に説かれる仙人で提婆達多の過去世の姿。釈尊が過去世に須頭檀王として妙法を求め、千年の間身心を尽くして仕えた師。

 

講義

  薬王菩薩、不軽菩薩、須頭檀王の不惜身命の実践例を示されている。これらは、いずれも、法華経に説かれている話で、その供養し、弘め、根本とした法も法華経である。前章までの話では、対象の法は法華経にまで到達していない。

すなわち、生死を滅したところに真実の安穏、楽があるとするもので、常住の法自体は抽象的な示唆にとどまっている。それに対し本章では、この常住の法を顕しているのが法華経であるとの前提から、具体的に薬王は法華経を供養し、不軽は二十四文字の法華経を弘め、須頭檀王は妙法蓮華経の五字のために阿私仙人に仕えたと述べられているのである。

なお、不軽菩薩がとなえた、漢字で二十四文字からなる言葉が、いわゆる「二十四文字の法華経」と呼ばれるゆえんについて考えておきたい。

それは「我れは深く汝等を敬い、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」という言葉が、いかなる衆生にも仏性が具わっていることをあらわしているからである。不軽菩薩は、この言葉をとなえて、罵詈し杖木瓦石で迫害してくる人々をも礼拝したのであった。このことは、そのような逆縁の衆生にも、等しく仏性が具わっていることを前提にしている。

前述したように、この話自体、法華経の中に出ているのであるが、釈迦仏の説いた法華経二十八品が、全体として、まさに一切衆生に仏性が常住することを説いているのである。方便品の「諸法実相」「開示悟入の四仏知見」がそれであり、さらに分かりやすく、衣裏珠の譬、長者窮子の譬は、このことを述べんがために説かれたのであり、そして、これの実証として二乗、悪人、女人等の成仏授記が行なわれたのである。このようにみると、不軽菩薩のとなえた二十四文字の言葉は、法華経が説かんとしたことの要約であったことが理解できる。そして、このゆえに「二十四文字の法華経」と呼ばれたのである。

同じく「妙法蓮華経」の五字が、さらにこれを凝縮した意味内容をもっていることもいうまでもない。日蓮大聖人は、御義口伝に「妙とは法性なり、法とは無明なり、無明法性一体なるを妙法と云うなり」(0708-08)と示されている。

すなわち、無明の凡夫も、法性の仏も、その法は一であり、したがって、一切衆生は本来、悟りの仏の生命をもっているということである。しかし、そればかりでなく、三世の諸仏が得、かつ、あらゆる衆生の中に本来あるこの仏性が、妙法蓮華経そのものにほかならないのである。

 

 

第五章 妙法の功徳力を説示する

本文

 然るに妙法蓮華経は八巻なり・八巻を読めば十六巻を読むなるべし、釈迦・多宝の二仏の経なる故へ、十六巻は無量無辺の巻軸なり、十方の諸仏の証明ある故に一字は二字なり釈迦・多宝の二仏の字なる故へ・一字は無量の字なり十方の諸仏の証明の御経なる故に、譬えば如意宝珠の玉は一珠なれども二珠乃至無量珠の財をふらすこと・これをなじ、法華経の文字は一字は一の宝・無量の字は無量の宝珠なり、妙の一字には二つの舌まします釈迦・多宝の御舌なり、此の二仏の御舌は八葉の蓮華なり、此の重なる蓮華の上に宝珠あり妙の一字なり。
 此妙の珠は昔釈迦如来の檀波羅蜜と申して身をうえたる虎にかひし功徳・鳩にかひし功徳、尸羅波羅蜜と申して須陀摩王として・そらごとせざりし功徳等、忍辱仙人として・歌梨王に身をまかせし功徳、能施太子・尚闍梨仙人等の六度の功徳を妙の一字にをさめ給いて末代悪世の我等衆生に一善も修せざれども六度万行を満足する功徳をあたへ給う、今此三界・皆是我有・其中衆生・悉是吾子これなり、我等具縛の凡夫忽に教主釈尊と功徳ひとし彼の
功徳を全体うけとる故なり、経に云く「如我等無異」等云云、法華経を心得る者は釈尊と斉等なりと申す文なり、譬えば父母和合して子をうむ子の身は全体父母の身なり誰か是を諍うべき、牛王の子は牛王なりいまだ師子王とならず、師子王の子は師子王となる・いまだ人王・天王等とならず、今法華経の行者は其中衆生悉是吾子と申して教主釈尊の御子なり、教主釈尊のごとく法王とならん事・難かるべからず、但し不孝の者は父母の跡をつがず堯王には丹朱と云う太子あり舜王には商均と申す王子あり、二人共に不孝の者なれば父の王にすてられて現身に民となる、重華と禹とは共に民の子なり・孝養の心ふかかりしかば堯舜の二王・召して位をゆづり給いき、民の身・忽ち玉体にならせ給いき、民の現身に王となると凡夫の忽に仏となると同じ事なるべし、一念三千の肝心と申すはこれなり、

現代語訳

さて妙法蓮華経は八巻である。八巻を読めば十六巻を読んだことになるのである。それは釈迦・多宝の二仏の説き明かされた経であるゆえである。十六巻は無量無辺の巻軸である。なぜなら十方の諸仏が真実と証明した御経だからである。一字は二字である。それは釈迦と多宝の二仏の文字のゆえである。一字は無量の文字である。十方の諸仏の証明の御経のゆえである。

譬えば如意宝珠の玉は一珠であるが、二珠乃至無量珠の財をふらす。これもそれと同じである。法華経の文字は一字は一つの宝であり、無量の文字は無量の宝珠である。妙の一字には二つの舌がある。釈迦と多宝の二仏の御舌である。この二仏の御舌は八葉の蓮華である。この八葉の重なる蓮華の上に宝珠がある。それが妙の一字である。

この妙の珠は、昔釈迦如来が檀波羅蜜といって、わが身を飢えた虎に与えた功徳、鳩 を救うためにわが身を鷹に与えた功徳、尸羅波羅蜜といって、須陀摩王として虚言しなかった功徳等、また忍辱仙人として歌梨王に身をまかせた功徳、能施太子、尚闍梨仙人等としての六度万行の功徳を、この妙の一字に収めている。釈迦はこの妙の珠をもって末代悪世のわれら衆生に、一つの善根も修行していないけれども六度万行を満足する功徳を与えられたのである。「今此の三界は、皆是れわが所有である。その中の衆生は、悉く是れわが子である」とあるのはこのことをいうのである。われら煩悩に縛られた凡夫が、たちまちに教主釈尊と功徳が等しくなるのである。それは教主釈尊の功徳の全体を受けとるからである。法華経には「我が如く等しくして異なること無し」とある。法華経を信じ行ずる者は釈尊と等しいという文である。譬えば父母が和合して子を産む。その子の身はすべて父母の身である。だれがこのことで異論をはさむであろうか。牛王の子は牛王であり、いまだに師子王とはならない。師子王の子は師子王となる。いまだに人王や天王等とはならない。今、法華経の行者は「其の中の衆生は悉く是れわが子である」とあって教主釈尊の御子である。よって、教主釈尊のように法の王となることは困難ではないのである。

ただし、不孝の者は父母の跡を継がない。堯王には丹朱と云う太子があり、舜王には商均という王子があった。だが二人とも不孝の者であったために父の王に捨てられて現身に民となった。重華と禹とは共に民の子である。孝養の心が深かったので、堯と舜の二王は彼らを召し出して王位を譲られた。すなわち、民の身がたちまちに玉体になられたのである。民が現身に王の身となるのと、凡夫がたちまちに仏となるのと同じことである。一念三千の肝心というのは、このことである。

語釈

釈迦

釈迦仏、釈迦牟尼仏の略称、たんに釈迦ともいう。釈迦如来・釈迦尊・釈尊・世尊とも言い、通常はインド応誕の釈尊。

多宝

多宝如来のこと。東方宝淨世界に住む仏。法華経の虚空会座に宝塔の中に坐して出現し、釈迦仏の説く法華経が真実であることを証明し、また、宝塔の中に釈尊と並座し、虚空会の儀式の中心となった。

如意宝珠

意のままに宝物や衣服・食物を取り出すことのできるという宝珠。如意珠・如意宝ともいう。大智度論には仏舎利の変じたものとか竜王の脳中から出たものといい、雑宝蔵経には摩竭の脳中から出たものといい、また帝釈天の持ち物である金剛杵の砕け落ちたものなど諸説がある。摩訶止観巻五上には「如意珠の如きは天上の勝宝なり、状芥粟の如くして大なる功能あり」等とある。兄弟抄には「妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出して三国の一切衆生に普く与へ給へり」(1087:12)、また御義口伝巻上には提婆達多品の有一宝珠を釈し「一とは妙法蓮華経なり宝とは妙法の用なり珠とは妙法の体なり」(0747:01)と仰せになっている。

八葉の蓮華

八弁の蓮華。諸宗により意義が分かれる。①浄土宗では、極楽浄土にある花弁が八枚の蓮の花のこと、また極楽浄土の別名。②密教の法華曼荼羅で、中央に多宝塔を置いて釈迦牟尼仏と多宝如来とが並び、周囲の八葉蓮華の花弁に法華経に登場する菩薩を配する。③密教の胎蔵界曼荼羅で、中央を中台八葉院と名づけ、八弁の蓮華にかたどり、大日如来を中心に八葉の各弁に四体の如来(宝幢・開敷華王・無量寿・天鼓雷音)と四体の菩薩(普賢・文殊師利・観自在・弥勒)を配する。本抄では③の意。釈迦仏は、釈迦院という別枠に描かれる。

檀波羅蜜

梵語ダーナパーラミター(Dānapāramitā)の音写。六波羅蜜の一つ。檀那波羅蜜多ともいう。檀は与えることで、布施、捨施の意。波羅蜜は、度、到彼岸などと漢訳する。布施には人に財を与える、法を与える、安心を与えること等がある。

身をうえたる虎にかひし

釈尊の因位の菩薩行で、薩埵太子として飢えた虎に身を与え、檀波羅蜜を修したことをいう。金光明経巻四等に詳しい。

鳩にかひし

釈尊の因位の菩薩行で、尸毘王として、鳩の代わりにわが身肉を飢えた鷹に与え、檀波羅蜜を行じたことをいう。菩薩本生鬘論巻一等に詳しい。

尸羅波羅蜜

梵語シーラパーラミター(Śīlapāramitā)の音写。尸羅は尸怛羅ともいう。清涼、戒と訳す。持戒波羅蜜ともいい、よく戒を持ち悪業を対治して、身心清涼であることをいう。

須陀摩王

梵語シュルタソーマ(Śrutasoma)の音写。須陀須摩王ともいい、普明王と訳す。釈尊が過去世に国王として、尸羅波羅蜜を行じた時の名。大智度論巻四にあり、要約すると、鹿足王に虜われ命を奪われようとするが、一人の婆羅門との約束を守るために、王から七日間の猶予を得て、約束を果たし不妄語戒を満たした。仁王経巻下には普明王として取意が述べられている。

忍辱仙人

釈尊が過去世に羼提波羅蜜を修めた時の名。羼提仙人、羼提波梨ともいう。賢愚経巻二、大智度論巻十四にある。大智度論によると、迦利王の怒りにふれて耳鼻手足を切断されるが、これを忍んだとある。

能施太子

釈尊が過去世に檀波羅蜜を修めた時の名。布施、大施太子ともいう。賢愚経巻八、大智度論巻十二にある。大智度論によると、衆生の貧窮を見た太子は、衆生に財物を施したが足りないので、海中に住む竜王の持つ如意宝珠を求め、これを用いて種々の宝物・衣服・飲食等を雨のようにふらして衆生を満足させたとある。

尚闍梨仙人

釈尊が過去世に禅波羅蜜を修めた時の名。螺髻仙人といい、大智度論巻十七には、つねに四禅を行じ、自分の螺髻の中に鳥の卵があることを知り、雛が巣立つまで立ち上がらなかったとある。

六度

六波羅蜜のこと。六波羅蜜は、檀波羅蜜、尸羅波羅蜜、羼提波羅蜜、毘梨耶波羅蜜、禅波羅蜜、般若波羅蜜をいう。

六度万行

六度は六波羅蜜のこと、万行は一切の修行のこと。菩薩の行法は大別すると六波羅蜜であるが実際は万差にわたるので万行という。

今此三界・皆是我有・其中衆生・悉是吾子

法華経譬喩品第3に「今此の三界は、皆是れ我が有なり。其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり」とある。

具縛の凡夫

煩悩をそなえて生老病死などの四苦・八苦などに縛られる凡夫のこと。

如我等無異

方便品に「我が如く等しくして異なること無からしめんと欲しき」とあり、一切衆生と仏と同じ境涯に入らしめるということである。観心本尊抄にはこの経文を引いて「『我が如く等くして異なる事無し 我が昔の所願の如き今は已に満足しぬ一切衆生を化して皆仏道に入らしむ』、妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや」(0264:17)とあり、仏の大慈悲を示されている。

堯王

中国古代の伝説上の帝王、三皇五帝の一人で、徳をもって天下を治め、中国の皇帝の模範とされた。

丹朱

驩兜堯の息子である驩兜のこと。三苗人の論戚誼と組んで堯に対して反乱を企てたとされ、それが四罪と目される由来となっている。驩兜・讙頭・鴅吺・讙朱・丹朱が同一の存在であるとの考察は古くから『読書偶識』や郭璞による『山海経』の「讙頭」につけられた注などに存在する

舜王

中国古代の伝説上の帝王、三皇五帝の一人。姓は虞、名は重華。三十歳で堯王の信任を受けて後に摂政となった。王の死後人心が舜に傾いたので位に就き、八元八愷という十六人の人材を起用しよく善政を行なったという。

商均

中国神話舜の息子中国神話の帝王・舜とその妻・女英の 息子。義均ともいう。この世で最初の優れた工人で、地上の民のために様々な器具を 作ったという。だが、歌舞を好む不肖の息子で、舜の位は継げなかった。

重華

のちの舜王のこと。

中国古代の伝説上の聖君。夏の国の王。姓は姒、名は文命。洪水を治めた功によって舜王から位を譲られたといわれる。

一念三千

天台大師智顗が『摩訶止観』巻5で、万人成仏を説く法華経の教えに基づき、成仏を実現するための実践として、凡夫の一念(瞬間の生命)に仏の境涯をはじめとする森羅万象が収まっていることを見る観心の修行を明かしたもの。このことを妙楽大師湛然は天台大師の究極的な教え(終窮究竟の極説)であるとたたえた。「三千」とは、百界(十界互具)・十如是・三世間のすべてが一念にそなわっていることを、これらを掛け合わせた数で天台大師智顗が『摩訶止観』巻5で、万人成仏を説く法華経の教えに基づき、成仏を実現するための実践として、凡夫の一念(瞬間の生命)に仏の境涯をはじめとする森羅万象が収まっていることを見る観心の修行を明かしたもの。このことを妙楽大師湛然は天台大師の究極的な教え(終窮究竟の極説)であるとたたえた。「三千」とは、百界(十界互具)・十如是・三世間のすべてが一念にそなわっていることを、これらを掛け合わせた数で示したもの。このうち十界とは、10種の境涯で、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏をいう。十如是とは、ものごとのありさま・本質を示す10種の観点で、相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等をいう。三世間とは、十界の相違が表れる三つの次元で、五陰(衆生を構成する五つの要素)、衆生(個々の生命体)、国土(衆生が生まれ生きる環境)のこと。日蓮大聖人は一念三千が成仏の根本法の異名であるとされ、「仏種」と位置づけられている。「開目抄」で「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(189㌻)と仰せのように、一念三千の中核は、法華経であらゆる衆生に仏知見(仏の智慧の境涯)が本来そなわっていることを明かした十界互具であり、「観心本尊抄」の前半で示されているように、特にわれわれ人界の凡夫の一念に仏界がそなわることを明かして凡夫成仏の道を示すことにある。また両抄で、法華経はじめ諸仏・諸経の一切の功徳が題目の妙法蓮華経の五字に納まっていること、また南無妙法蓮華経が末法の凡夫の成仏を実現する仏種そのものであることが明かされた。大聖人は御自身の凡夫の身に、成仏の法であるこの南無妙法蓮華経を体現され、姿・振る舞い(事)の上に示された。その御生命を直ちに曼荼羅に顕された御本尊は、一念三千を具体的に示したものであるので、「事の一念三千」であると拝される。なお、「開目抄」(215㌻以下)などで大聖人は、法華経に説かれる一念三千の法理を諸宗の僧が盗んで自宗のものとしたと糾弾されている。すなわち、中国では天台大師の亡き後、華厳宗や密教が皇帝らに重んじられ隆盛したが、華厳宗の澄観は華厳経の「心如工画師(心は工みなる画師の如し)」の文に一念三千が示されているとし、真言の善無畏は大日経を漢訳する際に天台宗の学僧・一行を用い、一行は大日経に一念三千の法理が説かれているとの注釈を作った。天台宗の僧らはその非を責めることなく容認していると批判されている。

講義

前章ではじめて示された根本とすべき法―すなわち妙法蓮華経が、いかに絶大な功徳を有しているかを述べられている。

妙法蓮華経は、釈迦・多宝の二仏および無量の十方の諸仏が集って説かれた経である。したがって、この妙法蓮華経は、釈迦・多宝の二仏の功徳のみならず、十方の諸仏のあらゆる功徳を収めた宝聚である、と。ゆえに、この妙法蓮華経を受持するならば、六度万行を修し無量の功徳を収めた仏と等しい尊極の当体となることができる、と強調されている。

要するに、不惜身命の実銭で法を求めるべきであるといっても、では、その法とは何かが問題となる。あくまで妙法蓮華経でなくてはならないことを、本章では教示されているのである。

一字は二字なり、釈迦多宝の二仏の字なる故へ。一字は無量の字なり、十方の諸仏の証明の御経なる故に

法華経は釈迦仏が説いたのであるが、多宝如来が宝塔に乗って現れ「皆是真実」と証明した。したがって法華経八巻を読めば、その倍の十六巻を読んだと同じであり、一字は二字と同じである。さらに、十方の諸仏が来集し、やはり広長舌相をもって、この法華経が真実であることを証明している。したがって、それは無量無辺の巻軸、無量の字と同じことになるのである。

釈迦・多宝・十方諸仏の心を合わせて説かれたのが法華経であるということは、これら三仏の分担するすべての分野において、この法華経の功徳は通用するし保証されるということである。そこで、では、比喩的な言い方であるが、釈迦の担当する分野とは何か。釈迦は現実にこの世に一個の人間として出現し、悟りを開いて成道した仏である。すなわち、人間がみずから悟りを開き、生命を変革する立場を象徴しているといえる。したがって、釈迦仏の功徳を受けるとは、凡夫が妙法の受持によって、自身の仏智を開き、生命を変革する人間革命を成就できるということである。次に、多宝如来は、みずからは法を説かず、法華経が説かれるところに出現して、客観的に証明する仏である。このような客観的証明の領域とは、人間に約していえば、生活領域である。したがって、多宝如来の功徳を受けるとは、生活の面で功徳に満ちあふれ、妙法受持のすばらしさを証明していくことにほかならない。さらに、十方の諸仏とは、十方とは他土である。諸仏とは、人間生命に約していえば、他の人々の生命の謂である。したがって、十方の諸仏の功徳とは、まわりの人々、ひいては全社会の人々が互いに尊敬し合い、守り合っていくようになることであり、生命尊重の原理に貫かれた平和世界の現出ということである。

妙法蓮華経を受持し、読み、実践していくならば、このように、あらゆる面と次元にわたって、偉大な功徳を涌き出させていくことができるのである。

此妙の珠は……六度の功徳を妙の一字にをさめ給いて、末代悪世の我等衆生に一善も修せざれども六度万行を満足する功徳をあたへ給う

この御文は、観心本尊抄に、無量義経の「未だ六波羅蜜を修行する事を得ずと雖も、六波羅蜜自然に在前す」の文等を引いて「釈尊の因行・果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば、自然(に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246)と述べられているのと一致している。

本抄では、この釈尊の因行としての六波羅蜜の幾つかが、具体的に挙げられている。檀波羅蜜すなわち布施、尸羅波羅蜜すなわち持戒、また忍辱波羅蜜である。六波羅蜜は、菩薩の修行の根幹で、成仏のための必須とされた修行である。爾前経においては、菩薩は、無量劫にわたって、これらの六種を修行し、その結果、はじめて成道することができるとされたのである。しかるに法華経は、無量義をことごとく収めている根源の一法を明かし、この一法を信じ受持するならば、六波羅蜜を長い間にわたって修行しなくとも、自然に具わり、それらを修めた仏とまったく等しくなることが可能であると説いたのである。

このように、長い期間にわたる修行を必要としないということは、過去にそのような修行をせず、一善も修しないで生まれた末代悪世の凡夫にとって、もっとも適合した法である。否、それゆえにこそ、この妙法蓮華経は、究極的には、仏法の極理であり、あらゆる衆生の成仏の法であるが、なかんずく末代悪世に広宣流布すべき法として、本化地涌の菩薩に付属されたのである。

その法華経の付嘱どおり、末法に出現してこの妙法蓮華経を三大秘法として確立されたのが、日蓮大聖人である。したがって、以下に「今此三界皆是我有」等の譬喩品にある主・師・親三徳具備の文が挙げられており、釈迦仏が末代悪世の我等衆生にとって主であり親であるように述べられているが、元意は、日蓮大聖人が主・師・親三徳の仏であられる。そしてこれは、本抄の三か月前に述作された開目抄に明確に宣言されているところでもある。

経に云く「如我等無異」等云云。法華経を心得る者は釈尊と斉等なりと申す文なり

方便品の諸法実相の理に示されるように、仏も衆生も、本来、等しく妙法蓮華経の当体である。違うのは、仏はわが身が妙法の当体であることを覚っているのに対し、衆生はこれを知らず、迷っていることである。法華経は、まさしく、この一切衆生が仏と同じく妙法蓮華経の当体であることを明かした経であるから、法華経を「心得る」ならば、いかなる衆生も、釈尊と等しい仏となるのである。

いうまでもなく、ここで「心得る」といわれる意味は、軽いものではない。たんに思考のレベルで理解するなどということではない。法華経に帰命し、法華経をわが生命に得ることである。この真髄を日蓮大聖人は「南無妙法蓮華経」の七文字の題目をもって顕されたのである。したがって「法華経を心得る」とは、日蓮大聖人御建立の三大秘法の南無妙法蓮華経を信受し行学に励むことをいうのであると知るべきであろう。

そのとき、子がその親の生命を受け継ぎ、牛の子は牛に、師子の子は師子に、人間の子は人間になるように、仏の生命を受け継いで仏になることができるのである。

今法華経の行者は其中衆生悉是吾子と申して教主釈尊の御子なり。教主釈尊のごとく法王とならん事難かるべからず。但し不孝の者は父母の跡をつがず

三大秘法の妙法を受持し実践する人は仏の子であり、したがって、仏になることができる。ただし、もし不幸であれば親の跡を継ぐことができないように、本来、仏の子であるといっても、仏の正法に背くならば、仏になることはできない。逆に、一介の民の子であっても、人徳がすぐれているゆえに王の位を譲られた例があるように、過去になんの善根もない荒凡夫であっても、正法にかなえば仏になることができる。

仏法は、形式や資格ではなく、どこまでも正法を正しく実践しているかどうかという内実を根本とする。いわんや、社会的、世法的な位や資格は、問題外である。信心の深さと強さ、行学の実践のいかんが成仏か否かの、もっとも重要な基盤となることを知らなければならない。

一念三千の肝心と申すはこれなり

一念三千は、十界互具を前提にしており、仏と衆生と、本来、差別がないことを明らかにした哲理である。すなわち、いかなる衆生といえども、わが身が妙法の当体であると覚れば、即座に仏である。これが、十界互具、一念三千の法理の意味である。

衆生が長い期間を要する修行によって、次第にその姿と位を変えながら、成仏に近づいていく爾前経の場合と異なり、妙法の受持によって、凡夫のままで、即座に仏になることができる。ここに一念三千の肝心があるとの仰せである。一念三千法門といえば、複雑で難解な法門とされてきたことを思うと、このように明快な実践論としてとらえられている大聖人の教えは、刮目すべきであろう。

 

 

第六章 時にかなう仏道修行を示唆する

 本文

  いかにとしてか此功徳をばうべきぞ、楽法梵志・雪山童子等のごとく皮をはぐべきか・身をなぐべきか臂をやくべきか等云云、章安大師云く「取捨宜しきを得て一向にすべからず」等これなり、正法を修して仏になる行は時によるべし、日本国に紙なくば皮をはぐべし、日本国に法華経なくて知れる鬼神一人出来せば身をなぐべし、日本国に油なくば臂をも・ともすべし、あつき紙・国に充満せり皮を・はいで・なにかせん、

 

現代語訳

  さてどのようにしてこうした法華経の功徳を得られるのか。楽法梵志や雪山童子等のように身の皮をはぐべきであろうか。身を投げるべきであろうか。臂を焼くべきであろうか。章安大師のいう「取捨は宜しく時を得て、一向にすべきではない」等がこれである。正法を修行して仏になる行法は時によるべきである。日本国に紙がないのなら身の皮をはぐべきである。日本国に法華経がなくて、知っている鬼神が一人現れたのならば身を投げるべきである。日本国に油がないならば、臂をもともすべきである。だが、厚い紙は日本国に充満している。身の皮をはいでなんになるであろう。

 

語釈

 章安大師

05610632)。中国隋末の人で天台宗の事実上の第二祖。姓は呉氏、諱は灌頂。浙江省台州府臨海県章安の人。二十五歳で天台の弟子となり、十三年間教えを受けて天台教観の奥義を究め、師の所説を百余巻に編纂した。天台三大部の「法華文句」十巻、「法華玄義」十巻、「摩訶止観」十巻などは章安の筆記である。

 

「取捨宜しきを得て……」

章安大師の涅槃経疏巻三の文。持戒と持仗は、その時宜によって取捨すべきで、一向にすべきでないとの意。

 

講義

前章で明らかにされたように、根本とすべき法は妙法蓮華経であるが、では具体的な実践の在り方はどうかを示唆されているのが本章である。

この実践の根本精神は「不惜身命」である。しかし、一言に不惜身命といっても、具体的実践は、さまざまである。先に、過去の実践例として、楽法梵志、釈迦菩薩、雪山童子、薬王・不軽の両菩薩、須頭檀王の話が紹介された。

これらだけをみても、それぞれに実践が違うように、いま末法の修行においても、こうした過去の例をそのまままねしたのでは、意味がない。ここで大聖人は「日本国に紙なくば皮をはぐべし」と、身の皮をはいで紙としたという楽法梵志のまねをする愚かさを明快に指摘されている。楽法梵志の場合は、紙がなかったから、皮をはいで、その代用としたのである。目的は、仏法を後世に残すことであり、そのために紙を必要としたのである。紙があればそれに記して、永く後世に残るようにすればよいのである。また、法華経がなくて、一人の鬼神だけが知っていて、身を布施しないなら教えないというなら、身をなげだすべきである。しかし、現実には、きちんと記された法華経があり、いつでも読み、学び、実践することができるのであるから、雪山童子のように身をなげる必要など毛頭ない、との意である。さらに、薬王菩薩が臂を焼いて供養したことも、もし、いま日本に油がないのならば、同じようにすることも意味がある。しかし、幾らでも油があり、燈を供養することができるのであるから、薬王のまねをすることはナンセンスである、といわれている。

このように仏法は、それ以外に方法がないという場合に、めざす目的にかなった実践法をとることを教えるのである。これは、きわめて合理的な考え方である。ただし、その目的のためには、微塵も身命を惜しまないのが信心であり、求道心であり、成仏の直道であると教える。言い換えるなら、具体的実践法は、その時に合致した合理的なものでなくてはならないから千差万別であるが、根本精神の「不惜身命」は、一貫して変わらないのである。

では、時にかなった正しい実銭とは何か。総じて末法という時にかなった実践として示されているのが、佐渡御書の次の御文である。少し長くなるが、正しい認識のために掲げておこう。「畜生の心は弱きをおどし、強きをおそる。当世の学者等は畜生の如し。智者の弱きをあなづり、王法の邪をおそる。諛臣と申すは是なり。強敵を伏して始めて力士をしる。悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は、師子王の如くなる心をもてる者、必ず仏になるべし。例せば日蓮が如し。これおごれるにはあらず、正法を惜しむ心の強盛なるべし。おごれる者は必ず強敵に値いておそるる心出来するなり。例せば修羅のおごり、帝釈にせめられて、無熱池の蓮の中に小身と成って隠れしが如し。正法は一字一句なれども、時機に叶いぬれば必ず得道なるべし。千経万論を習学すれども、時機に相違すれば叶うべからず」(0957:07)と。

あえて説明するまでもなく、要は、正法を護持し、正法の師を守って、師子王の心をもって邪法と戦うこと、一言でいうなら折伏行こそ、末法の時にかなった実践であるとの仰せである。

ただ本抄では、その末法の中でも、とくに日蓮大聖人の佐渡流罪中という時のうえから、大聖人にお会いするため、身の危険もかえりみず、はるばる旅をした求道の姿を、時にかなった実銭として讃えられている。それは、次の第七章に述べられるところである。

 

 

第七章 日妙尼の求道心を称える

 本文

   然るに玄奘は西天に法を求めて十七年・十万里にいたれり、伝教御入唐但二年なり波濤三千里をへだてたり。
  此等は男子なり・上古なり・賢人なり・聖人なり・いまだきかず女人の仏法をもとめて千里の路をわけし事を、竜女が即身成仏も摩訶波闍波提比丘尼の記莂にあづかりしも、しらず権化にや・ありけん、又在世の事なり、男子・女人其の性本より別れたり・火はあたたかに・水はつめたし海人は魚をとるに・たくみなり・山人は鹿をとるに・かしこし、女人は物をそねむに・かしこしとこそ経文には・あかされて候へ、いまだきかず仏法に・かしこしとは、女人の心を清風に譬えたり風はつなぐとも・とりがたきは女人の心なり、女人の心をば水にゑがくに譬えたり、水面には文字とどまらざるゆへなり、女人をば誑人にたとへたり、或時は実なり或時は虚なり、女人をば河に譬えたり・一切まがられる・ゆへなり、而るに法華経は・正直捨方便等・皆是真実等・質直意柔輭等・柔和質直者等と申して正直なる事・弓の絃のはれるがごとく・墨のなはを・うつがごとくなる者の信じまいらする御経なり、糞を栴檀と申すとも栴檀の香なし、妄語の者を不妄語と申すとも不妄語にはあらず、一切経は皆仏の金口の説・不妄語の御言なり、然れども法華経に対し・まいらすれば妄語のごとし・綺語のごとし・悪口のごとし・両舌のごとし、此の御経こそ実語の中の実語にて候へ、実語の御経をば・正直の者心得候なり、今実語の女人にて・おはすか、当に知るべし須弥山をいただきて大海をわたる人をば見るとも此の女人をば見るべからず、砂をむして飯となす人をば見るとも此の女人をば見るべからず、当に知るべし釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏・上行・無辺行等の大菩薩・大梵天王・帝釈・四王等・此女人をば影の身に・そうがごとく・まほり給うらん、日本第一の法華経の行者の女人なり、故に名を一つつけたてまつりて不軽菩薩の義になぞらへん・日妙聖人等云云。

現代語訳

  しかしながら、玄奘は西インドに仏法を求めて十七年、歩くこと十万里にいたった。伝教の入唐はただ二年であるが、波濤三千里を越えたのである。これらは男子であり、昔のことであり、賢人であり、聖人である。いまだに女人が仏法をもとめて千里の路を踏み分けたことは聞かない。竜女の即身成仏も、摩訶波闍波提比丘尼が記別にあずかったことも、仏・菩薩が女人として権に現れた姿であったかもしれない。しかもまた在世のことである。

男子と女人の本性はもとより分かれている。火はあたたかで水は冷たい。海人は魚をとるのに巧みである。山人は鹿をとるのに賢い。女人は婬事に賢いと経文には明かされている。いまだ女人が仏法に賢いとは聞かない。

仏法では女人の心を清風に譬えている。風はつなぐことができても、つかみがたいのが女人の心である。女人の心を水に書くことに譬えている。水面には書いた文字がとどまらないからである。女人を誑人に譬えている。ある時は真実の人であり、ある時は虚偽の人である。女人を河に譬えている。河は一切が曲がっているからである。しかるに法華経は「正直に方便を捨てて……」等、「皆是れ真実……」等、「意が質直で柔輭である……」等、「柔和質直である者……」等と説いて、正直であること、あたかも弓の絃を張ったように、墨繩をうったような真っすぐな心の者が信ずる御経である。

糞を栴檀と云い張っても糞には栴檀の香はない。妄語の者を不妄語であるといっても妄語は不妄語とならない。一切経は皆仏の金口の説で不妄語のお言葉である。しかしながら法華経に対するならば妄語のようなもの、綺語のようなもの、悪口のようなもの、両舌のようなものである。この法華経こそ実語の中の実語である。実語の法華経は正直の者が信じ会得できるのである。今、あなたは実語の女人でいらっしゃるのであろう。まさに知りなさい。須弥山を頭にのせて大海をわたる人を見ることができても、この女人を見ることはできない。砂を蒸して飯とする人を見ることができてもこの女人を見ることはできない。まさしく、釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏、上行菩薩、無辺行等の大菩薩、大梵天王、帝釈天王、四天王等が、この女人を影が身に添うように守られるであろうことを知りなさい。あなたは、日本第一の法華経の行者の女人である。それゆえ名を一つ付けて不軽菩薩の義になぞらえよう。「日妙聖人」等と。

 

語釈

 玄奘

06020664)。中国唐代の僧。中国法相宗の開祖。洛州緱氏県に生まれる。姓は陳氏、俗名は褘。13歳で出家、律部、成実、倶舎論等を学び、のちにインド各地を巡り、仏像、経典等を持ち帰る。その後「般若経」六百巻をはじめ751,335巻の経典を訳したといわれる。太宗の勅を奉じて17年にわたる旅行を綴った書が「大唐西域記」である。

 

伝教

07670822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。

 

竜女が即身成仏

法華経提婆達多品第十二に説かれる八歳の畜身の女人の成仏をいう。竜女は沙竭羅竜王の娘で竜宮に住む。文殊師利菩薩の説法を聞いて菩提心を発し、法華経の会座に詣でて成仏の相を現じた。爾前経では許されなかった女人の成仏が、これによって初めて明かされた。

 

摩訶波闍波提比丘尼の記莂

法華経勧持品第十三で、一切衆生喜見如来の記別を受けたことをさす。摩訶波闍波提は梵語マハープラジャーパティー(Mahāprajāpatī)の音写。摩訶鉢刺闍鉢底とも書く。釈尊の姨母。釈尊の母摩耶の妹で、摩耶の死後、夫人に代わって淨飯王の妃となり釈尊を養育した。またのちに難陀を産んだ。淨飯王の死後出家し比丘尼となった。

 

「質直意柔輭」等

法華経如来寿量品第十六に「衆生は既に信伏し、質直にして意は柔軟に、一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜しまざれば」とある。すでに仏に信伏した者の心の状態を表している。質直意柔輭とは、素直で心穏やかなことの意。

 

権化

権現・応化・灰身ともいい、権はかり、化は変革を意味する。仏・菩薩が衆生救済のために、通力をもって種々の身を仮に化身すること。

 

誑人

誑惑の者。人を欺き、たぼらかすこと。

 

正直捨方便

法華経方便品第二の「今我れは喜んで畏無し、諸の菩薩の中に於いて、正直に方便を捨てて、但だ無上道を説く」の文である。これはまさしく権教方便を捨て、実教、一仏乗の教えを説く、という意味である。

 

皆是真実

他謗仏は、東方宝浄世界に住む仏であるが、法華経の説かれるところに出現して「皆これ真実なり」と証明する文。

 

「柔和質直者」等

法華経如来寿量品第十六に「諸有る功徳を修して、柔和質直なる者は、則ち皆な我が身此に在って法を説くを見る」とある。柔和質直とは、正法を護持して曲がることのないとの意。

 

旃檀

インド原産の香木。経文にみえる栴檀とはビャクダン科の白檀のことで、センダン科の栴檀とは異なる。高さ約六㍍に達する常緑喬木で、心材は芳香があり、香料・細工物に用いられる。観仏三昧海経巻一には、香木である栴檀は、伊蘭の林の中から生じ、栴檀の葉が開くと、四十由旬にもおよぶ伊蘭の悪臭が消えるとある。

 

妄語

偽りの言葉、妄言をいう。十悪の一つ。妄語に大妄語と小妄語があり、大妄語はいまだに法を証得していないのに証得したと称すること。小妄語はその他の虚偽・不真実の言葉をいう。

 

綺語

真実に背いて飾り立てた言葉。十悪の一つ。

 

須弥山

古代インドの世界観の中で世界の中心にあるとされる山。梵語スメール(Sumeru)の音写で、修迷楼、蘇迷盧などとも書き、妙高、安明などと訳す。古代インドの世界観によると、この世界の下には三輪(風輪・水輪・金輪)があり、その最上層の金輪の上に九つの山と八つの海があって、この九山八海からなる世界を一小世界としている。須弥山は九山の一つで、一小世界の中心であり、高さは水底から十六万八千由旬といわれる。須弥山の周囲を七つの香海と金山とが交互に取り巻き、その外側に鹹水(塩水)の海がある。この鹹海の中に閻浮提などの四大洲が浮かんでいるとする。

 

砂をむして飯となす

楞厳経巻六に「若し婬を断ぜずして禅定を修する者は、砂石を蒸して、其をして飯と成さんと欲するが如し」とある。

 

十方分身の諸仏

中心となる仏が衆生教化のために、十方の世界に身を分かちあらわれた仏のこと。ここでは、虚空会座に集まった釈尊の分身仏をさす。

 

上行・無辺行等の大菩薩

涌出品に出てくる上行菩薩を筆頭とする無辺行・浄行・安立行の四菩薩のこと。二菩薩をあげて、他を等とされている。

 

大梵天王

梵語マハーブラフマン(Mahãbrahman)。色界四禅天の中の初禅天に住し、色界諸天および娑婆世界を統領している王のこと。淫欲を離れているため梵といわれ、清浄・淨行と訳す。名を尸棄といい、仏が出世して法を説く時には必ず出現し、帝釈天と共に仏の左右に列なり法を守護するという。インド神話ではもともと万物の創造主とするが、仏法では諸天善神の一人としている。

 

帝釈

梵語シャクラデーヴァーナームインドラ(śakro devānām indra)の訳。釋提桓因・天帝釈ともいう。もともとインド神話上の最高神で雷神であったが、仏法では護法の諸天善神の一つとなる。欲界第二忉利天の主として、須弥山の頂の喜見城に住し三十三天を統領している。釈尊の修行中は、種々に姿を変えて求道心を試みている。法華経序品第一では、眷属二万の天子と共に法華経の会座に連なった。

 

四王

四天王、四大天王のこと。帝釈の外将で、欲界六天の第一の主である。その住所は、須弥山の中腹の由犍陀羅山の四峰にあり、四洲の守護神として、おのおの一天下を守っている。東は持国天、南は増長天、西は広目天、北は多聞天である。これら四天王も、陀羅尼品において、法華経の行者を守護することを誓っている。

 

講義

  本章では、仏法を求めて、はるばる旅をしなければならない時があり、それも一つの時にかなった実銭であるとの立場から、日妙聖人が佐渡に大聖人を訪ねてきたことを、心から讃歎されている。

はじめに、仏典を求めてインドへ旅した唐の玄奘、中国天台山へ行った日本の伝教の先例を挙げられ、それに対して、かよわい女人の身で佐渡まで旅をした日妙聖人を讃えられている。次に、女性の特質を挙げられて、女性は心を仏法のことに向けがたく、向けても移りやすく、正しいものを真っすぐに受けとめることがむずかしいと仰せられ、そうした女性の身でありながら、仏法を求めて命も惜しまないこの女性をほめて「日妙聖人」の名を授けられているのである。

 

其の性本より別れたり

 

この段では「男子女人其の性本より別れたり」と言われて、女性の特質について、幾つかの点が挙げられている。もちろん、すべての女性がそうというわけでないことは、日妙聖人をこれらにあてはまらないとして述べられていることからも明らかであるが、一般的な女性としての特質を、御文によって考察しておきたいと思う。

第一は「女人は婬事にかしこしとこそ経文にはあかされて候へ。いまだきかず、仏法にかしこしとは」と述べられている点である。婬事とは人間の本来そなえている生殖機能のことである。子を産み育てることは、女性の大事な役割であるから、これは、そうした生物学的な立場からも、女性の特質をいいあてているといえる。

ただ、これをもっと広い意味で理解すれば、要するに、本能的な感情や感覚に鋭いが、ともするとそうしたことがかえって束縛となって自己完成への目的観、すなわち成仏への求道という面には、なかなか心を開き、向けがたいのが女性の特質であるということであろう。

第二は、清風にたとえて「風はつなぐともとりがたきは女人の心」といい、水に描くのにたとえて「水面には文字とどまらざるゆへ」といわれている点である。これは、仮に仏法のことに心を向けたとしても、女性の心は移ろいやすいから、外界の縁に紛動されて、持ち続けることがむずかしいということである。

第三は「女人をば誑人(おうにん)にたとへたり。或時は実なり或時は虚なり」と仰せられている点である。すなわち、本気であるときと遊びであるときとあり、他人はもちろん、本人にも、それが分からない、といったことであろう。

第四は「女人をば河に譬えたり。一切まがられるゆへなり」とあって、真実を聞いても素直に受けとめられない、という点である。

これらの特質は、女性のすべてがそうであるというわけではないし、また、女性だけの特質であって男性はそうでないということでもないであろう。大聖人は、一往、総体的な意味で、女性の特質として挙げられたと考えられる。しかし、なによりも大事なことは、これらが仏道修行にとって妨げになることとして指摘されている点である。

したがって、それが女性の特質として挙げられたことが妥当かどうかということの議論は瑣末であって、男であれ女であれ、ここに挙げられている心の狭さや移ろいやすさ、ゆがみやすさを厳しく反省し戒めながら、仏の正しい教えをしっかり信じて、忍耐強く実践しぬいていくことが大切であろう。

 

故に名を一つつけたてまつりて不軽菩薩の義になぞらえん。日妙聖人等云云

 

「不軽菩薩の義になぞらえん」とは、不軽菩薩が四衆を心から敬い礼拝し、不軽という名を得たのにならおうということである。大聖人は、一人で鎌倉から佐渡へ、ひたすら求道の真心で旅してきたこの女性に対し、心からなる敬意を払われているのである。

そこには、その信心において出家と在家という差別意識も、師と弟子という上下意識もない。ただ、どこまでも仏法を求める真心の信心をみて、それに対して、真底から尊敬の意を示されているのである。

「日妙聖人」の名が、どれほど深い敬意をこめられたかは明瞭である。後年、弘安2年(127911月、熱原法難に際してなみなみならない外護の大任を果たした南条時光に対し、大聖人はそのあて名に「上野聖人殿」といったん書かれながら、消して「上野賢人殿」と改められている。南条時光ほどの人に対してさえ、聖人の称を用いられていないのである。

諸御抄でも「三世を知るを聖人という」等と述べられて、聖人の呼称は、仏と覚知された大聖人ご自身にのみ用いられているのである。それを思うとき、この一人の女性信者を聖人の称号で呼び、「日妙」と名づけられたことは、大聖人がどれほど深い尊敬の心をこめられているか、察するに余りあるといわなければならない。

 

 

第八章 日妙尼の信心を励ます

 本文

   相州鎌倉より北国佐渡の国・其の中間・一千余里に及べり、山海はるかに・へだて山は峨峨・海は濤濤・風雨・時にしたがふ事なし、山賊・海賊・充満せり、宿宿とまり・とまり・民の心・虎のごとし・犬のごとし、現身に三悪道の苦をふるか、其の上当世は世乱れ去年より謀叛の者・国に充満し今年二月十一日合戦、其れより今五月のすゑ・いまだ世間安穏ならず、而れども一の幼子あり・あづくべき父も・たのもしからず・離別すでに久し。
  かた・がた筆も及ばず心弁へがたければとどめ畢んぬ。

      文永九年太歳壬申五月二十五日               日蓮花押

     日妙聖人

 

現代語訳

  相州の鎌倉から北国の佐渡の国までのその中間は一千余里に及んでいる。山海をはるかに隔て、山は峨峨としてそびえ、海は濤濤として波立ち、風雨は時節にしたがうことがない。山賊や海賊は充満している。途中の宿宿の民の心は虎や犬のようである。さながら現身に三悪道の苦しみを経験するかと思うほどである。そのうえ当世の乱れで、去年から謀叛の者が国に充満し、今年の二月十一日に合戦があり、それから今五月の末までいまだに世間は安穏ではない。それなのに、あなたには一人の幼子がいる。預けておくべき父も頼みにできない。離別してすでに久しい。

あれこれと筆も及ばないし、心も分別しがたいのでこれで止める。

文永九年太歳壬申五月二十五日    日 蓮  花 押

日 妙 聖 人

 

語釈

 相州鎌倉

相模国鎌倉のこと。現在の神奈川県鎌倉市をいう。相州は相模国の別称。

 

北国佐渡

北陸道の佐渡のこと。北国はここでは北陸道の国の意。佐渡は新潟県の佐渡ヶ島のこと。日蓮大聖人は文永8年(12711028日から文永11年(1274313日までの25か月の間、佐渡国に流された。

 

三悪道

三種の悪道のこと。地獄道・餓鬼道・畜生道をいう。三善道に対する語。三悪趣、三途ともいう。

 

今年二月十一日合戦:

北条時宗の義兄・時輔の謀反をいう。北条時輔は、鎌倉幕第五代執権の北条時頼の長子であり、第八代執権北条時宗の異母兄にあたる。文永元年(1264)に六波羅南方探題となり、翌年には式部丞に任ぜられ。従五位下に叙された。しかし、第七代執権北条政村の後継として、弟の時宗が擁立されたのを不満とし、さらに蒙古・高麗の牒使の来朝にさいし時宗と対立した。文永9にいたって、両者の対立はその極点に達し、ついに時宗は時輔に叛心があるとして、まず大蔵頼季らをもって、時輔の与党である名越時章・教時・仙波盛直等を討った。ついで北条義宗を派遣して、六波羅南方に時輔を襲い殺させた。これを二月騒動という。ここで「今年二月十一日合戦」とあるのは、名越時章・教時等が誅殺された日であり、北条時輔はその4日後の215日に討伐された。

 

講義

  鎌倉から佐渡にいたる旅が、いかに苦難をともなうものであるかを、ご自身が歩かれた道であるだけに、簡潔ではあるが、如実に描かれている。

太平洋岸の鎌倉から、日本海に浮かぶ佐渡へ行くには、本州中央部を横断し、日本海岸の越後へ出て、そこからさらに、海を渡らなければならない。文字どおり山を越え、海を渡りの旅である。しかも、困難は、そうした地理的、自然的条件ばかりではない。「山賊海賊充満せり。すくすくとまりとまり民の心虎のごとし犬のごとし」と述べられているように、災害の打ち続いた当時、食べるものもなく、野盗などを働く者も多かったにちがいない。

加えて、大聖人も触れておられるように、同年二月、幕府の中枢に謀叛事件があり、動揺のあった直後である。さらに未曾有の国難である蒙古軍の襲来にそなえて騒然としている時であったから、国内各地の治安も手薄になっていたはずである。そうした事情を考えると「山賊海賊充満せり」とのお言葉も、けっして誇張ではないことが拝察されよう。山賊や海賊に身を落とさないまでも、打ち続く災害に、庶民の生活は困窮していたことを思えば、旅をする人に対し、隙あらばその財物を奪ってやろうという状態にあったことも、容易に想像できる。「虎のごとし犬のごとし」との表現も、おそらくそのとおりだったであろう。

そのようななかを、女性の身で旅をするということは、よほどの気丈さがなければ、できることではない。しかもなんのための旅かといえば、ただただ大聖人を慕い、仏法を求める信心のゆえである。この強靭な信心を、大聖人は心の底から讃え、感歎久しくして「かたがた筆も及ばず、心弁へがたければとどめ畢んぬ」と結ばれているのである。

本抄に教えられているように、形をまねることは無意味である。行動の在り方は、時代により、また、仏法興隆のためにその時要請されている問題によって変わる。だが、この仏法のためには身命を惜しまないという信心の根本精神だけは、永久に変わるものではない。日妙聖人が身をもって示し、日蓮大聖人が心から讃嘆されているこの信心の根本精神を私達も永久に鏡とし、実践しきって、大聖人のおほめにあずかりたいものである。

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