現代語訳
追申。御器のことについては、越後□□房が申し上げるであろう。御志の深いことであると内房殿へ伝えていただきたい。
春の初めの御悦び、お互いにお祝い申し上げる。そもそも、あなたが去年こちらへまいられたことは、優曇華の花の咲いたのに値ったようである。あるいはまた、夢か幻か、いまだにその疑いが晴れないでいるところに、
語句の解説
内房
日蓮大聖人御在世当時の信徒。駿河国庵原郡内房(静岡県富士宮市内房)に住んでいたので、こう呼ばれた。弘安3年(1280)8月14日の内房女房殿御返事には、亡父の100ヵ日忌に追善のため布施領10貫文を大聖人に御供養し、その際の願文に「読誦し奉る妙法蓮華経一部読誦し奉る方便寿量品三十巻読誦し奉る自我偈三百巻唱え奉る妙法蓮華経の題名五万返」(1420:02)「弘安三年女弟子大中臣氏敬白す」(1421:02)とあることから、信心強盛な女性で、姓は大中臣氏であったことがわかる。なお三沢抄に出てくる内房尼とは別人であろう。一説には内房尼は内房の姑であったとの説もある。
曇華
優曇華のこと。梵語ウドンバラ(Udumbara)の音写「優曇波羅」の略。霊瑞と訳す。
①インドの想像上の植物。法華文句巻四上等に、三千年に一度開花するという希有な花で、この花が咲くと金輪王が出現し、また、金輪王が現れるときにはこの花が咲く、と説かれている。法華経妙荘厳王本事品第二十七に「仏には値いたてまつることを得難きこと、優曇波羅華の如く」とあり、この花を譬喩として、仏の出世に値い難いことを説いている。
②クワ科イチジク属の落葉喬木。ヒマラヤ地方やビルマやスリランカに分布する。
③芭蕉の花の異名。
④クサカゲロウの卵が草木等についたもの。
講義
本抄は御真筆が堺の妙国寺に存しているものの、お手紙の最初と思われる部分であって、あとは欠失しているため、御執筆年月や本抄をいただいた人の名は、全く不明であるとされていたが、その後の研究で、東京・日暮里の本行寺にある御手紙との分蔵であることがわかり、始末整足して一編の御書となった。その全文は、次のようになる。
来臨曇華御書(内記左近入道殿御返事)
追つて申す、御器の事は越後□□房申し候べし、御心ざしふかき由・内房へ申させ給い候へ。
春の始の御悦び 自他申し篭め候い畢んぬ、 抑去年の来臨は曇華の如し、 将又夢か幻か疑いまだ晴れず候処
に。今年之始の深山の栖、雪山の室えを経て御使、山路をふみわけられて候に、去年の事はまことなりけるやまこと
なりけるやとおどろき覚え候へ。他行之子細。越後公御房の御ふみに候也。
正月十四日 日蓮花押
内記左近入道殿御返事
したがって、本抄を与えられた人は、内記左近入道ということになるが、内記左近入道の名は他の御書のどこにも名前がでてこないため、詳細は不明であるが、本抄中に内房の名があり、内房女房殿ではないかと思われることから、内房女房に縁のある人で、静岡県富士宮市芝川近辺に住んでいた人ではなかろうかと推測できる。
最初に「追って申す」とあることは、最初の部分の余白に書かれたものであろう。
本文の内容は、最初に新春の祝いを述べられた後に、昨年身延の草庵にこられたことは、あたかも優曇華の花の咲いたのに値ったようであったと仰せである。優曇華の花は3000年に一度咲くとされ、非常に珍しいことの譬喩に用いられているが、それとともに、貴重で素晴らしいことの意として、称賛されているのである。去年のみなら、まだそれがはたして本当のことだったのかと疑わしいが、今年また使いをもって身延の地まで訪ねてこられたことはまことに素晴らしいことであり、去年のことはやはり本当のことであったのかと喜ばれている。門下の信心の前進を心からほめたたえられているのである。
追伸の部分で「越後□□房申し候べし」の□□の難読文字は、本文から推察して「公御」ということになり、「御器」については日弁が申し上げるが、内記左近入道が何かの器を御供養したことに対し、その意義について日弁が大聖人の教えを伝えたのであろうか。器の供養に関連して、四つの失を示しながら法華経の信心を教えられた秋元御書に出てくるように、覆・漏・汙・雑を挙げ、信心も同じで、正しい教えを知りながら耳を覆ったり、捨てたり、ほかの教えを混ぜたりすれば大きな失となるとされ、この四つの失のない、正しい信行に励めば、仏の平等大慧の智水は乾くことはないと教えられている。いま内記左近にもこのことを日弁を通じて御教示されたのであろう。
「御心ざしふかき由・内房へ申させ給い候へ」と仰せになっているのは、内記左近と一緒に、内房殿からの御供養があったのであろうか。もしかすると御器の御供養は内房殿からのものであったのかも知れない。