妙心尼御前御返事(妙の字功徳の事) 第二章(妙の一字の広大の功徳を示す)
建治2年(ʼ76)または同3年(ʼ77)の5月4日 55歳または56歳 窪尼
又妙の文字は花のこのみと・なるがごとく半月の満月となるがごとく変じて仏とならせ給う文字なり。
されば経に云く「能く此の経を持つは則ち仏身を持つなり」と、天台大師の云く「一一文文是れ真仏なり」等云云、妙の文字は三十二相・八十種好・円備せさせ給う釈迦如来にておはしますを・我等が眼つたなくして文字とは・みまいらせ候なり、譬へばはちすの子の池の中に生いて候がやうに候はちすの候をとしよりて候人は眼くらくしてみず、よるはかげの候をやみにみざるがごとし、されども此の妙の字は仏にておはし候なり、又此の妙の文字は月なり日なり星なりかがみなり衣なり食なり花なり大地なり大海なり、一切の功徳を合せて妙の文字とならせ給う、又は如意宝珠のたまなり、かくのごとく・しらせ給うべし、くはしくは又又申すべし。
五月四日 日 連 花押
はわき殿申させ給へ
現代語訳
また、妙の文字は花と果となるように、半月がやがて満月となるように、変じて仏となられる文字です。
それゆえに経には「能く此の経を持つ人は則ち仏身を持つなり」と説かれ、天台大師は「一一文文是れ真仏なり」等と述べられているのです。妙の文字は三十二相・八十種好を円満に備えられている釈迦如来であられますが、我等の眼がつたないので文字と見ているのです。例えば蓮華の果が池の中に生えているようなものです。蓮華はあっても、年寄りは目が悪くて見えず、夜は影があっても暗くて見ることができないようなものです。しかし、この妙の文字は仏であられるのです。
また、この妙の文字は月であり、太陽であり、星であり、鏡であり、衣であり、花であり、大地であり、大海なのです。一切の功徳を合わせて妙の文字となられたのです。または、如意宝珠の珠なのです。このように知りなさい。詳しくはまた申し上げます。
五月四日 日 連 花 押
伯耆殿から申してください。
語句の解説
「一一文文是れ真仏なり」
古来、天台大師の釈と伝えられているが、未詳。
三十二相
応化の仏が具えている三十二の特別の相をいう。八十種好とあわせて仏の相好という。仏はこの三十二相を現じて、衆生に渇仰の心を起こさせ、それによって人中の天尊、衆星の主であることを知らしめる。三十二相に八十種好が具り円満になる。大智度論巻四による三十二相は次の通りである。
1 足下安平立相(足の下が安定して立っていること。足裏の全体が地について安定している)
2 足下二輪相(足裏に自然にできた二輪の肉紋があり、それは千輻が放射状に組み合わさって車の輪の相を示していること)
3 長指相(指が繊細で長い)
4 足跟広平相(足の踝が広く平らかであること)
5 手足縵網相(手足の指の間に水かきがあり、指をはればあらわれ、張らなければあらわれないこと)
6 手足柔軟相(手足が柔らかいこと。皮膚は綿で編んだように微細である)
7 足趺高満相(足の甲が高いこと)
8 伊泥延膊相(膝・股が鹿の足のように繊細で引き締まっていること)
9 正立手摩膝相(立てば手で膝をさわることができること)
10 隠蔵相(陰部がよく整えられた馬のように隠れてみえないこと)
11 身広長等相(インド産の無花果の木のように、体のタテとヨコが等しいこと)
12 毛向上相(身体の諸の毛がすべて上に向いてなびくこと)
13 一一孔一毛生相(一つ一つの孔に一毛が生ずること。毛は青瑠璃色で乱れず右になびいて上に向かう)
14 金色相(皮膚が金色をしていること)
15 丈光相(四辺にそれぞれ一丈の光を放つこと)
16 細薄皮相(皮膚が薄く繊細であること。塵や土がその身につかないことは、蓮華の葉に塵水がつかないのと同じである)
17 七処隆満相(両手・両足・両肩・頭の頂の七処がすべて端正に隆起して、色が浄いこと)
18 両腋下隆満相(両脇の下が平たく隆満しており、それは高すぎることもなく、また下が深すぎることもない)
19 上身如獅子相(上半身が獅子のように堂々と威厳があること)
20 大直身相(一切の人の中で、身体が最も大きく、またととのっていること)
21 肩円好相(肩がふくよかに隆満していること)
22 四十歯相(歯が四十本あること)
23 歯斉相(諸の歯は等しく、粗末なものはなく、小さいもの・出すぎ・入りすぎや隙間のないこと)
24 牙白相(牙があって白く光ること)
25 獅子頬相(百獣のように獅子のように、頬が平らかで広いこと)
26 味中得上味相(食物を口に入れれば、味の中で最高の味を得ることができること)
27 大舌相(広長舌相ともいう。舌が大きく、口に出せば顔の一切を覆い、髪の生え際にいたること、しかも口の中では口中を満たすことはない)
28 梵声相(梵天王の五種の声のように、声が深く、遠くまで届き、人の心の中に入り、分かりやすく、誰からもきらわれないこと)
29 真青眼相(良い青蓮華のように、目が真の青色であること)
30 牛眼睫相(牛王のように、睫が長好で乱れないこと)
31 頂髻相(頭の頂上が隆起し、拳が頂上に乗っていること)
32 白毛相(眉間のちょうどいい位置に白毛が生じ、白く浄く右に旋って長さが五尺あり、そこから放つ光を亳光という)
八十種好
「はちじゅつしゅごう」とも読み八十種の好ましい相ことで、八十随形好・八十随好・八十微妙種好・八十小相ともいう。三十二相に八十種好が具り円満になるのである。
(1)無見頂相:仏の頂上の肉髻が高く、見上げようとしても愈々高くなって見ることができない。
(2)鼻高不現孔:鼻が高く、孔が正面からは見えない。
(3)眉如初月:眉が細く三日月のよう。
(4)耳輪垂:耳の外輪の部分が長く垂れている。
(5)身堅実如那羅延:身体が筋肉質で、天上の力士のように隆々としている。
(6)骨際如鉤鎖:骨が鎖のように際立っている。
(7)身一時廻旋如象王:身体を廻らすとき象が旋回するように一体となってする。
(8)行時足去地四寸而現印文:歩くとき足が地面を離れてから足跡が現れる。
(9)爪如赤銅色:爪が赤銅色。
(10)膝骨堅而円好:膝の骨が堅く円い。
(11)身清潔:身体が清潔で汚れない。
(12)身柔軟:身体が柔軟。
(13)身不曲:背筋が伸びて、猫背にならない。
(14)指円而繊細:指が骨ばっていず、細い。
(15)指文蔵覆:指紋が隠れていて見えない。
(16)脈深不現:脈が深いところで打つので、外から見えない。
(17)踝不現:踝が骨ばっていない。
(18)身潤沢:身体が乾いていず光沢がある。
(19)身自持不逶:身体がしゃんとして曲がっていない。
(20)身満足:身体に欠けた所がない。
(21)容儀備足:容貌と立ち居振る舞いが美しい。
(22)容儀満足:容貌と立ち居振る舞いに欠点がない。
(23)住処安無能動者:立ち姿が安定していて、動かすことが出来ない。
(24)威振一切:威厳があり身振り一つであらゆる者を動かす。
(25)一切衆生見之而楽:誰でも見れば楽しくなる。
(26)面不長大:顔は長くも幅が広くもない。
(27)正容貌而色不撓:容貌が左右対称で歪みがない。
(28)面具満足:顔のすべての部分が満足である。
(29)唇如頻婆果之色:唇が頻婆樹の果実のように赤い。
(30)言音深遠:話すときの声が深くて遠くまで届く。
(31)臍深而円好:臍の穴が深く、円くて好ましい。
(32)毛右旋:身体中の毛が右に旋回している。
(33)手足満足:手足に欠けた部分がない。
(34)手足如意:手足が意のままに動く。
(35)手文明直:手のひらの印文が明快で真っ直ぐ。
(36)手文長:手のひらの印文が長い。
(37)手文不断:手のひらの印文が途切れていない。
(38)一切悪心之衆生見者和悦:どんな悪者も見れば和やかになる。
(39)面広而殊好:顔は広々として好ましい。
(40)面淨満如月:顔は満月のように浄らか。
(41)隨衆生之意和悦与語:衆生の意のままに和やかに共に語る。
(42)自毛孔出香気:毛孔より香気が出る。
(43)自口出無上香:口より無上の香気が出る。
(44)儀容如師子:立ち居振る舞いの威厳あること師子のよう。
(45)進止如象王:歩くことも立ち止まることも象王のよう。
(46)行相如鵞王:歩くときとは片足づつ交互に運び、鵞鳥のよう。
(47)頭如摩陀那果:頭は摩陀那果のよう。
(48)一切之声分具足:声にはあらゆる音が備わっている。
(49)四牙白利:四本の牙が白く鋭い。
(50)舌色赤:舌の色は赤い。
(51)舌薄:舌は薄い。
(52)毛紅色:毛髪の色は紅色。
(53)毛軟淨:毛髪は軟らかく浄らか。
(54)眼広長:眼は広くて長い。
(55)死門之相具:死門の相が具わる。死はこの世からあの世へ行く門、不死の相ではないということ。
(56)手足赤白如蓮華之色:手足の色があるときは赤く、あるときは白い蓮華のようで濁っていない。
(57)臍不出:出臍ではない。
(58)腹不現:腹は常に隠されている。
(59)細腹:腹は脹れていない。
(60)身不傾動:身体は傾いていなくて、揺ぎない。
(61)身持重:身体に重量感がある。
(62)其身大:身体が大きい。
(63)身長:背が高い。
(64)四手足軟淨滑沢:手足は柔軟で浄らか、滑らかで光沢がある。
(65)四辺光長一丈:身体から放たれる光は長さが一丈ある。
(66)光照身而行:光は身を照らして遠くに届く。
(67)等視衆生:衆生を等しく視る。
(68)不軽衆生:衆生を軽くみない。
(69)隨衆生之音声不増不減:衆生の音声に随うも、声の大きさが増したり減ったりしない。
(70)説法不著:法を説いても、執著することがない。
(71)隨衆生之語言而説法:衆生の話す言葉の種類に随って、法を説く。
(72)発音応衆声:声を発すれば、衆生を同じ声を出す。
(73)次第以因縁説法:順に因縁を明らかにして説法する。
(74)一切衆生観相不能尽:誰も相を観て、明らかにし尽くすことがない。
(75)観不厭足:観相しても厭きることがない。
(76)髪長好:毛髪が長く好ましい。
(77)髪不乱:毛髪はまとまって乱れない。
(78)髪旋好:毛髪は好ましく渦巻いている。
(79)髪色如青珠:毛髪の色はサファイアのような青色。
(80)手足為有徳之相:手足は力に満ちている。
如意宝珠
意のままに、種々無量の宝を出すことのできる珠。仏舎利変じて如意宝珠になるとか、竜王の脳中から出るとか、摩竭魚の脳中から出る等といわれた。摩訶止観巻第五上には「如意珠の如きは天上の勝宝なり、状芥粟の如くして大なる功能あり」等とある。しかして兄弟抄には「妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出して三国の一切衆生に普く与へ給へり」(1087:12)、また御義口伝巻上には提婆達多品の有一宝珠を釈して「一とは妙法蓮華経なり宝とは妙法の用なり珠とは妙法の体なり」(0747:第八有一宝珠の事:02)と仰せであり、すなわち末法の如意宝珠とは御本尊のことと明かされる。
講義
本抄後半は、妙の功力を述べられる。すなわち、花が果実を結び、半月が満月となるように、妙の文字は変じて仏になると仰せである。したがって、宝塔品に「此の経は第一なり 若し能く持つこと有らば 則ち仏身を持つ」と説き、天台大師は「法華経の一一文文は皆、真仏である」と述べているのである。これらの文は、妙法蓮華経は即真仏の当体であるという法即人の深意を明かしているのである。
このように、妙の文字は「三十二相・八十種好・円備せさせ給う釈迦如来」なのであるが、凡夫は、それをただの文字としか見ることができないのである。
末法においては、南無妙法蓮華経の御本尊を、ただ、文字としてしか見ていないということである。それは、あたかも視力が衰えた老人の眼が池の中に咲いている蓮華の中に実のあるのを見ることができないのと同じであり、また、暗闇で人影が見えないのと同じである。つまり、仏と見えないのは、妙法の文字が仏ではないからでなく、見る眼をもたないからで、人が見ようと見まいと、妙法は即仏の生命の当体なのである。信心の眼を開くことによって初めて、妙法が尊極の仏の生命であることを体得できるといえよう。
また「此の妙の文字は月なり日なり星なりかがみなり衣なり食なり花なり大地なり大海なり」と仰せられているのは、この宇宙、自然、人間界の万象の具える一切の功徳が〝妙の文字〟すなわち御本尊に収まっているとの仰せである。「妙とは具の義なり具とは円満の義なり」(0944:06)との法華経題目抄の御文を思い合わすべきである。宇宙一切万法の当体が御本尊であられるのである。
また、意のままに無量の宝を出す如意宝珠であるとも仰せである。一切の功徳を自在に出すことができるのであるから、これは法華経題目抄の仰せでいえば「妙と申す事は開と云う事なり世間に財を積める蔵に鑰なければ開く事かたし」(0943:12)に当たると拝せよう。
以上のように、広大無量の功徳を具えた南無妙法蓮華経即御本仏の生命を、大聖人は一幅の御本尊に御図顕されたのである。ゆえに日寛上人は「この御本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用あり、故に暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕われざるなきなり」と述べられ、御本尊の功徳を賛嘆しておられるのである。
最後に「はわき殿申させ給へ」と仰せられているのは、日興上人から妙心尼に語り伝え、教えてあげなさいとの意である。