妙法比丘尼御返事 第一章(妙法比丘からの手紙の内容を挙げる)

妙法比丘尼御返事 第一章(妙法比丘からの手紙の内容を挙げる)

 弘安元年(ʼ78)9月6日 57歳 妙法尼

 御文に云わく「たふかたびら一つ、あによめにて候女房のつたう」と云々。また「おわりの次郎兵衛殿、六月二十二日に死なせ給う」と云々。

———————————-(第二章に続く)—————————————————

現代語訳

御手紙には、太布帷一つは、兄の嫁にあたる婦人からのものとあります。また、尾張次郎兵衛殿が六月二十二日に亡くなられたとあります。

語句の解説

たふかたびら

太布で仕立てた帷のこと。太布は楮、科木などの樹皮の繊維をつむいで織った布。帷は裏をつけない単衣の衣類。

 

おはりの次郎兵衛

(~1278)。念仏の信徒。詳細は不明である。

講義

本抄は、妙法比丘尼が嫂から託された太布帷を供養するとともに、尾張次郎兵衛の死を報告したのに対し、身延山から妙法比丘尼と嫂に与えられた御返事である。

日付は弘安元年(127896日、日蓮大聖人聖寿57の御時の御消息である。本抄の御真筆は存在しない。

本抄の内容は、妙法比丘尼からの手紙にあった、嫂から帷を御供養されたことと、尾張次郎兵衛の死去のことの二つを挙げられ、まず帷の供養に対して、商那和修が死に瀬した聖者に衣を供養した因縁とその功徳の大きさを語られて、日蓮大聖人に帷を供養した功徳のいかに大きいかを述べられるとともに、感謝されている。さらに、迫害の連続であられた御自身の法華経の行者としての御生涯を回顧されて、御自身を不軽菩薩の弘教に比較されている。そして、御自身が末法の法華経の行者であることを経典の文証のうえから論じられた後、その法華経の行者を迫害する罰として天変地夭、内乱や他国侵逼難などの諸難が続出し、未来には謗法の人々はことごとく悪道に堕ちるであろうと説かれている。その反対に、法華経の行者に値ってこれを供養する功徳の広大なるを説かれている。最後に、尾張次郎兵衛の死去に対して、その死を悼まれ、妻の悲しみを慰められ、本抄を締めくくられている。

さて、本章の部分では妙法比丘尼からの手紙の内容である、嫂から帷を供養されたことと、尾張次郎兵衛の死去のことが述べられている。

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