妙法比丘尼御返事 第十四章(不軽菩薩を超える大聖人の大難)
弘安元年(ʼ78)9月6日 57歳 妙法尼
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されば過去の不軽菩薩は法華経を弘通し給いしに、比丘・比丘尼等の智慧かしこく二百五十戒を持てる大僧ども集まりて優婆塞・優婆夷をかたらひて不軽菩薩をのり打ちせしかども、退転の心なく弘めさせ給いしかば終には仏となり給う、昔の不軽菩薩は今の釈迦仏なり、それをそねみ打ちなんどせし大僧どもは千劫阿鼻地獄に堕ちぬ、彼の人人は観経・阿弥陀経等の数千の経・一切の仏名・阿弥陀念仏を申し法華経を昼夜に読みしかども、実の法華経の行者をあだみしかば法華経・念仏戒等も助け給はず千劫阿鼻地獄に堕ちぬ、彼の比丘等は始には不軽菩薩をあだみしかども後には心をひるがへして、身を不軽菩薩に仕うる事やつこの主に随うがごとく有りしかども無間地獄をまぬかれず、今又日蓮にあだをせさせ給う日本国の人人も此くの如し、此は彼には似るべくもなし彼は罵り打ちしかども国主の流罪はなし・杖木瓦石はありしかども疵をかほり頚までには及ばず、是は悪口杖木は二十余年が間・ひまなし疵をかほり流罪・頚に及ぶ、弟子等は或は所領を召され或はろうに入れ或は遠流し或は其の内を出だし或は田畠を奪ひなんどする事・夜打・強盗・海賊・山賊・謀叛等の者よりもはげしく行はる、此れ又偏に真言・念仏者・禅宗等の大僧等の訴なり、されば彼の人人の御失は大地よりも厚ければ此の大地は大風に大海に船を浮べるが如く動転す、天は八万四千の星・瞋をなし昼夜に天変ひまなし、其の上日月・大に変多し仏滅後既に二千二百二十七年になり候に・大族王が五天の寺をやき十六の大国の僧の頚を切り・武宗皇帝の漢土の寺を失ひ仏像をくだき、日本国の守屋が釈迦仏の金銅の像を炭火を以てやき・僧尼を打ちせめては還俗せさせし時も是れ程の彗星大地震はいまだなし、彼には百千万倍過ぎて候大悪にてこそ候いぬれ、彼は王一人の悪心大臣以下は心より起る事なし、又権仏と権経との敵なり僧も法華経の行者にはあらず、是は一向に法華経の敵・王・一人のみならず一国の智人並びに万民等の心より起れる大悪心なり、譬えば女人物をねためば胸の内に大火もゆる故に、身変じて赤く身の毛さかさまにたち・五体ふるひ・面に炎あがりかほは朱をさしたるが如し眼まろになりてねこの眼のねづみをみるが如し、手わななきてかしわの葉を風の吹くに似たりかたはらの人是を見れば大鬼神に異ならず。
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現代語訳
そこで過去の不軽菩薩は法華経を弘通された時、比丘・比丘尼等で智慧が賢く、二百五十戒を持つ大僧等が集まって優婆塞、優婆夷をかたらって不軽菩薩を罵詈し打擲したけれども、退転の心なく法華経を弘められたので、ついには仏となったのです。昔の不軽菩薩は今の釈迦仏です。それを嫉み、打擲した大僧等は、千劫の長い間、阿鼻地獄に堕ちました。彼の人々は観経や阿弥陀経等の数千の経、一切の仏名や阿弥陀念仏を称え、法華経を昼夜に読んだけれども、真実の法華経の行者を怨んだので、法華経も念仏も戒律等もこれを助けず、千劫の長い間、阿鼻地獄に堕ちたのです。彼の比丘等は、初めには不軽菩薩を怨んだけれども、後には心を翻して、身を不軽菩薩に仕えること、あたかも奴僕が主人に従うようにしたけれども、無間地獄を免れることはありませんでした。
今日蓮に怨をなす日本国の人々も同じです。日蓮は不軽菩薩には似るべくもありません。不軽菩薩は罵詈・打擲はありましたが、国主の流罪はありませんでした。杖木瓦石はありましたが、疵を受け頸をきられるまでにはいたりませんでした。日蓮は悪口・杖木は二十余年の間ひまなく、疵を被り流罪にあい、さらに頸に及びました。弟子らは、あるいは所領を召され、あるいは牢に入れられ、あるいは遠流され、あるいは追放され、あるいは田畑を奪われることは、夜討ち・強盗・海賊・山賊・謀叛等の者より厳しい取り扱いをされたのです。これはひとえに真言・念仏者・禅宗等の大僧等の讒訴によるのです。
したがってこの大僧等の謗法の失は大地よりも厚いので、この大地は大海に浮かべる船を大風が動転させるように、天は八万四千の星が瞋りをなし、昼夜に天変が続き、そのうえ日月に異変が多いのです。
仏滅後すでに二千二百二十七年になりますが、大族王が五天竺の寺を焼き、十六大国の僧侶の頸を切り、武宗皇帝が中国の寺院を破壊し仏像を砕き、日本国の守屋が釈迦仏の金銅の像を炭火で焼き、僧尼を打ち責めて還俗させた時も、これほどの彗星、大地震はいまだありませんでした。今の人々はこれよりも百千万倍もすぎた大悪です。大族王等の例は王一人の悪心によるものであって、大臣以下は心から起こしたことではありませんでした。また、権仏と権経との敵でした。僧も法華経の行者ではありません。それに対し日蓮の場合は一向に法華経の敵、王一人だけでなく一国の智人並びに万民等の心から起こった大悪でした。たとえば、女人が物を妬めば胸の内に大火が燃えるので身体が赤くなり、身の毛は逆に立ち、五体は震い、面に炎が上がって顔は朱をさしたようになります。眼は円くなって鼠を捕る猫の眼のように、手はわなないて柏の葉が風に吹かれる時のように似ています。傍らの人からこれを見れば大鬼神に異なることはありません。
語句の解説
不軽菩薩
法華経常不軽菩薩品第二十に説かれている常不軽菩薩のこと。威音王仏の滅後の像法時代に出現し、増上慢の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆から悪口罵詈・杖木瓦石の迫害を受けながらも、すべての人に仏性が具わっているとして常に「我れは深く汝等を敬い、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」と唱え、一切衆生を礼拝した。あらゆる人を常に軽んじなかったので、常不軽と呼ばれた。釈尊の過去の姿の一つとされる。一方、不軽を軽賤・迫害した者は、改悔したが、消滅しきれなかった余残によって千劫の間、阿鼻地獄に堕ちて大苦悩を受けた後、再び不軽の教化にあって仏道に住することができたという。
二百五十戒
「戒」とは非を防ぎ悪を止めさせるもの。小乗教で出家の持つ具足戒は、比丘に「二百五十戒」比丘尼に500戒とわかれる。「二百五十戒」は年齢20歳以上70歳以下の比丘の戒で、諸根具足し、身体清浄、過失のないもののみが持つことを許された。
優婆塞
在家の男子をいう。
優婆夷
在家の女子をいう。
阿鼻地獄
阿鼻大城・阿鼻地・無間地獄ともいう。阿鼻は梵語アヴィーチィ(Avici)の音写で無間と訳す。苦をうけること間断なきゆえに、この名がある。八大地獄の中で他の七つの地獄よりも千倍も苦しみが大きいといい、欲界の最も深い所にある大燋熱地獄の下にあって、縦広八万由旬、外に七重の鉄の城がある。余りにもこの地獄の苦が大きいので、この地獄の罪人は、大燋熱地獄の罪人を見ると他化自在天の楽しみの如しという。また猛烈な臭気に満ちており、それを嗅ぐと四天下・欲界・六天の転任は皆しぬであろうともいわれている。ただし、出山・没山という山が、この臭気をさえぎっているので、人間界には伝わってこないのである。また、もし仏が無間地獄の苦を具さに説かれると、それを聴く人は血を吐いて死ぬともいう。この地獄における寿命は一中劫で、五逆罪を犯した者が堕ちる。誹謗正法の者は、たとえ悔いても、それに千倍する千劫の間、無間地獄において大苦悩を受ける。懺悔しない者においては「経を読誦し書持吸うこと有らん者を見て憍慢憎嫉して恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入り一劫を具足して劫尽きなば更生まれん、是の如く展転して無数劫に至らん」と説かれている。
観経
観無量寿経のこと。浄土三部経の一つで、方等部に属する。元嘉元年(0424)~同19年(0442)にかかって中国・劉宋代の畺良耶舎訳。詳しくは観無量寿仏経。阿闍世王が父・頻婆沙羅王を殺し母を牢に閉じ込め、悪逆の限りを尽くしたのを嘆いた母・韋提希夫人が釈尊にその因縁を聞いたところ釈尊は神通をもって十方の浄土を示し、夫人がそのなかから西方極楽世界を選ぶ。それに対して釈尊が、阿弥陀仏と極楽浄土を説くというのが大意である。しかし、韋提希夫人の嘆きに対しては、この経は根本的には説かれていない。この答えが説かれるのは法華経提婆品で、観経ではわずかに、問いを起こしたaaというにとどまる。西方十万億土を説いたのも、夫人の現在に対する解決とはなっていない。
阿弥陀経
鳩摩羅什の訳。釈迦一代説法中方等部に属する。欲界・色界二界の中間、大宝坊で説かれた。無量寿経・観無量寿経とともに浄土の三部経のひとつ。教義は、この世は穢土であり幸福はありえないかあら、死後極楽浄土へ往生する以外にない。そのためには阿弥陀仏の名号を唱えよというもの。現世の諦めを根底とする方便の権教である。
戒
戒定慧の三学の一つ。仏道を修行する者が守るべき規範。非を防ぎ悪を止める義で、身口意の悪業を断じて一切の不善を禁制すること。三蔵の一つ・律蔵の中に説かれる。五戒・八斎戒・十戒・二百五十戒・五百戒・十重禁戒・四十八軽戒など種々ある。
やっこ
「ぬぼく」ともいう。下に使われる身分の低いもののこと。
杖木瓦石
不軽品の文。勧持品の文。末法の法華経の行者の遭難を示す文。①文永元年(1264)11月11日・東条景信による小松原法難。②文永8年(1271)9月12日、平左衛門尉のが一の郎従・少輔房による法華経の第五の巻をもっての殴打がある。
所領
領する所の意味で、土地・領地のこと。
八万四千
大数、多数のこと。
大族王
大唐西域記巻四にある。大族王は、北インド・結迦国の王で、邪見にして仏法を破壊した。時に、摩竭陀国の王、幻日王は篤く仏法を崇敬し、大族王との戦に勝った。大族王は幻日王の母のとりなしで、国に還るよう放されたが、大族王は加湿弥羅国に投じ、その国を奪って自立した。その勢いに乗り健駄羅国を征伐し仏教徒を殺害した。大族王は国に還ろうとしたが、中途で死んだ。幻日王は後に王位を捨てて出家した。
五天
五天竺のこと。インドの古称。全インドを東・西・南・北・中天竺と区分する。五印度・五天・五印ともいう。
十六の大国
釈尊在世の時代、インドにあった十六の大国のこと。長阿含経巻五には①鴦伽、②摩竭堤、③迦尸、④居薩羅、⑤抜祇、⑥末羅、⑦支堤、⑧抜沙、⑨居楼、⑩般闍羅、⑪頗漯波、⑫阿般堤、⑬婆蹉、⑭蘇羅婆、⑮乾陀羅、⑯剣并沙の国を挙げている。その他経論によって諸説がある。
守屋
(~0587)。物部守屋のこと。大和時代の中央豪族。物部尾輿の子。敏達・用明朝に大連となり、父尾輿の排仏論を受けて、崇仏派の蘇我馬子と対立した。日本書紀巻二十・二十一等によると、敏達天皇十四年の二月、蘇我馬子が大野丘の北に塔を建てて大会を行ったのに対して、このころ起こった疫病は崇仏が原因であるとして、物部守屋は中臣勝海とともに排仏を上奏した。そして勅によって寺を焼き、焼け残った仏像を難波の堀江に捨てさせ、さらに、善信尼らにも罰を与えた。時に疱瘡が流行し、敏達天皇、守屋、馬子がともに患い、天皇は崩御した。次いで用明天皇二年、勅によって崇仏が行われようとしたが、守屋はこれに反対した。用明天皇没後、穴穂部皇子を擁立しようとして馬子と対立。数度の戦いの後、厩戸皇子が四天王に祈願した矢を迹見赤檮に与え、守屋はその矢に当たって敗死した。
彗星大地震
正嘉元年(1257)8月23日戌亥の刻鎌倉地方に、かつてない大地震が襲った。また文永元年(1264)6月26日に、東北の空に大彗星があらわれ、7月4日に再び輝きはじめて八月にはいっても光りが衰えなかった。このため、国中が大騒ぎし、彗星を攘う祈りが盛んに修された。正嘉の大地震については、吾妻鏡第四十七に同日の模様を次のように記している。「二十三日、乙巳、晴。戌尅大地震。音有り。神社仏閣一宇として全き無し。山岳頽崩す。人屋顛倒す。築地みな悉く破損す。所々に地裂け水涌出す。中下馬橋の辺、地裂け破れ、その中より火炎燃え出ず。色青し」とある。文永の大彗星については安国論御勘由来に「文永元年甲子七月五日彗星東方に出で余光大体一国土に及ぶ、此れ又世始まりてより已来無き所の凶瑞なり内外典の学者も其の凶瑞の根源を知らず」(0034:18)と述べられている。
権仏
権は方便の意で、釈尊が衆生教化・誘引のために説いた方便経説中の諸仏のこと。大日如来、阿弥陀仏、薬師如来等。
権経
実教に対する語。権とは「かり」の意で、法華経に対して釈尊一代説法のうちの四十余年の経教を権経という。これらの経はぜんぶ衆生の機根に合わせて説かれた方便の教えで、法華経を説くための〝かりの教え〟であり、いまだ真実の教えではないからである。念仏の依経である阿弥陀経等は、この権経に属する。
講義
法華経を弘めようとすると天魔がさまざまに迫害を加えさせるとの予言がなされていることを挙げられたのを受けて、不軽菩薩の法華経弘通の難と対比して、日蓮大聖人御自身の法華弘通の難のはるかに大なること、そして、不軽が釈迦仏となったことから、そうした難を受けながら弘法された大聖人の成仏は間違いないと明かされているところである。
不軽菩薩は法華経を弘通して四衆から悪口罵詈、杖木瓦石を受けたけれども、不退転の心で弘通したのでついに仏となった。すなわち、昔の不軽菩薩は今の釈迦仏である。
逆に、その不軽菩薩に迫害を加えた比丘比丘尼等は、後に反省して不軽菩薩に仕えたけれども無間地獄を免れなかった。それほどの大きな罪をつくったのである。
しかし、日蓮大聖人への迫害の大きさは不軽菩薩の比でないことを述べられ、そのゆえに大聖人を迫害した真言・念仏・禅の各宗の僧侶達の罪は、不軽菩薩に対する四衆達の罪とは比較にならないと仰せられている。「されば彼の人人の御失は大地よりも厚ければ此の大地は大風に大海に船を浮べるが如く動転す、天は八万四千の星・瞋をなし昼夜に天変ひまなし、其の上日月・大に変多し」と説かれているように、真言・念仏・禅の各宗の僧侶達の罪があまりにも大きいので、日本国に彗星の出現、大地震などの天変地夭が起こっているのであると断言されている。
また、仏滅後二千二百二十七年の間に仏教を破壊した大族王、武宗皇帝、物部守屋等の例を挙げられ、これらの場合にもみられなかった天変地異であることを指摘されている。天変地異の大小は仏法破壊の罪の大小の反映である。
すなわち、大族王、武宗皇帝、物部守屋の場合は王一人の悪心から出たものにすぎず、しかも迫害の対象も権仏、権経であり、法華経の行者ではなかった。それだけに罪悪もそれほど大きくはなかったのである。それに対し、末法の大聖人への迫害の場合は「王・一人のみならず一国の智人並びに万民等の心より起れる大悪心」であり、しかもその対象もひとえに実経である法華経と法華経の行者に向けられたものであった。そのため「彼には百千万倍過ぎて候大悪」となるのである。
最後に、日本国の上下万民が大悪心を起こして法華経の行者・日蓮大聖人をねたみ憎む姿を、女人が嫉妬したときの状態にたとえられている。どこまでも大聖人への迫害が当時の日本人僧俗のねたみ心から発していたことを洞察されていて興味深い一節となっている。