木絵二像開眼之事

現代語訳

仏に三十二相があり、それらは皆色法である。三十二相のうち、一番下の千輻輪相から終わり無見頂相に至るまでの三十一相は、可見有対色であるから書くこともでき、作ることもできる。しかし、梵音声の一相は不可見無対色であるから、書くこともできないし、作ることもできない。

 

語釈

三十二相
 仏や転輪聖王が身にそなえている勝れた特質の中で、とくに著しい三十二の相。仏が一般の人々よりも勝れていることを具体的に表したもので、八十種好と合わせて仏の相好という。三十二の名称・順位については諸経論に異説があるが、大智度論巻四によると次のようになる。
   ① 足下安平立相
   ② 足下二輪相相
   ③ 長指相
   ④ 足跟広平相
   ⑤ 手足指縵網相
   ⑥ 手足柔軟相
   ⑦ 足趺高満相
   ⑧ 伊泥延膊相
   ⑨ 正立手摩膝相
   ⑩ 陰蔵相
   ⑪ 身広長等相
   ⑫ 毛上向相
   ⑬ 一一孔一毛生相
   ⑭ 金色相
   ⑮ 丈光相
   ⑯ 細薄皮相
   ⑰ 七処隆満相
   ⑱ 両腋下隆満相
   ⑲ 上身如獅子相
   ⑳ 大直身相
   ㉑ 肩円好相
   ㉒ 四十歯相
   ㉓ 歯斉相
   ㉔ 牙白相
   ㉕ 獅子頬相
   ㉖ 味中得上味相
   ㉗ 大舌相(広長舌相)
   ㉘ 梵声相
   ㉙ 真青眼相
   ㉚ 牛眼睫相
   ㉛ 頂髻相(無見頂相)
   ㉜ 白毛相

色法
 一切の物質的存在のこと。心法に対する語。

千輻輪
 仏の三十二相の一。足の裏にある、千の輻をもつ車輪の形の文様。

無見頂相
 仏の三十二相の一。仏の頭頂部にある肉髻。だれも見ることのできないところからいう。

可見有対色
 可見で有対の色法のこと。三種色の一つ。可見は目に見えるものをいう。対はさまたげの意で、有対は他の物質と同時に同一の空間を占有できないものをいう。五境のなかの色境がこれにあたる。

梵音声
 仏の音声をいい、32相のひとつ。四条金吾殿御返事には「乃至梵音声と申すは仏の第一の相なり、小王・大王・転輪王等・此の相を一分備へたるゆへに此の王の一言に国も破れ国も治まるなり、宣旨と申すは梵音声の一分なり、万民の万言・一王の一言に及ばず、則ち三墳・五典なんど申すは小王の御言なり、此の小国を治め乃至大梵天王三界の衆生を随ふる事・仏の大梵天王・帝釈等をしたがへ給う事もこの梵音声なり、此等の梵音声一切経と成つて一切衆生を利益す」(1122:11)とある。

不可見無対色
 不可見で無対の色法のこと。三種色の一つ。無表色をいう。不可見は目でみることができないことをいい、無対色は互いに障害とならないものをいう。煩悩声は、俱舎論等によれば不可見有対色にあたる。

 

講義

本抄の御述作は、文永元年(1264)とも文永9年(1272)とも、また弘安5年(1282)の説もある。しかし、木絵の二像について述べられるのは、弘安5年はあまりに時代が下り過ぎている感がする。文永元年と文永9年の説は多くとられているが、文永7年(1270)ごろ、釈迦仏像造立に関しての御書があり、このころ仏像についての質問が大聖人のところにきていたことも考えられ、もしそうした質問への返事の草案として本抄がまとめられ、したためられたとすれば、文永9年ごろの御述作と考えられる。本抄は御手紙の体裁になっていない。したがって、こうした質問一般に対する返事の草案として、準備されたものと考えられる。ただ、これは推定であって、文永元年説を否定するものではない。
 本抄の御真筆は現存しないが、かつて身延にあったといわれている。いただいたのは、釈迦仏供養の関係から、四条金吾ではないかとの説もあるが、四条金吾釈迦仏供養事とは内容が離れている。特定の人とは定められないように思われる。
 本抄の題号についても特別定められていず、後世の命名である。題号を一見すると木絵の二像を許された御書のようであるが、内容からいうならば、むしろ「開眼」に元意があり、たとえ木像、絵像といっても、法華経という肝心がなければなんの意味もない、いわんや、真言等の開眼によるならば魔や鬼にさえもなるといわれていて、けっして無条件に木像、絵像を許されたものでないことがわかる。本抄の別名を「法華骨目肝心」「法華骨目抄」等というが、むしろこのほうがその内容をよく説明していよう。
 本抄の大意は、まず仏には三十二相があるが、三十一相まではつくりえがくことはできても、梵音声はえがくことも作ることもできないから、生身の仏と同じにはならない。そこで、仏像の前に仏の声教たる経典を置くことによって三十二相が具することになると示されたあと、では、いかなる経典を置くかが根本の鍵であると述べられている。
 そして、それこそ法華経以外にないのであり、とくに真言による開眼を厳しく破され、真言で開眼した仏像は今生には国を滅ぼし、後生は無間の獄に堕す魔像となると断じられている。なぜ法華経を根本としなければならないかについては、法華経にこそ草木成仏の法理が明かされているゆえであるといわれている。

 

木絵二像について

 

 さて、本文に入る前提として、木絵二像について述べておかねばならない。
 日蓮大聖人が釈尊の造像を許されたとする説は、諸御抄に散見される門下への造像許可と、大聖人御自身が仏像を所持されていたことからきている。
 門下に釈尊の一体仏の造立を認められている御書は四編ある。善無畏三蔵抄、真間釈迦仏御供養逐状、四条金吾釈迦仏供養事、日眼女造立釈迦仏供養事である。
 また清澄寺大衆中、神国王御書、忘持経事等には、大聖人が伊豆流罪の折、得られた仏像を随身されたことが拝せられ、そのほか唱法華題目抄、四菩薩造立抄等から一尊四士、二尊四士の造立を許可されていたとする説もある。
 しかし、それらはいずれも、大聖人の随宜方便の立場であり、本尊問答抄の「法華経の題目を以て本尊とすべし」(0365:01)等の御文からすれば御化導の本筋にあたらないことはいうまでもない。
 大石寺第二十六世日寛上人は、末法相応抄において「一には猶是れ一宗弘通の初めなり是の故に用捨時宜に随うか、二には日本国中一同に阿弥陀仏を以て本尊と為す、然るに彼の人適釈尊を造立す豈称歎せざらんや、三には吾が祖の観見の前には一体仏の当体全く是れ一念三千即自受用の本仏の故なり」と、その理由を明確にされている。
 大聖人御自身が一体仏を所持されていたのも、第三の理由によること明白であろう。また一尊四士や二尊四士等の造像も、唱法華題目抄や四菩薩造立抄の御文全体を拝すれば、かえって制止されんとする御真意を知ることができる。日興上人が波木井実長にやむをえず釈尊の立像に加えての四菩薩の造立を示されたかのごときものもあるが、これとて御本意でなかったのは、一体仏を哆哆婆和の拙仏とされ、大聖人所持は「継子一旦の寵愛・月を待つ片時の螢光か」(1614:07、五人所破抄)のゆえであるとされたうえで、あえて「執する者」に対して許されているとことからもはっきりしている。
 五人所破抄の御文に執するなら、富士一跡門徒存知の事の「聖人御立の法門に於ては全く絵像・木像の仏・菩薩を以て本尊と為さず、唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為す可しと即ち御自筆の本尊是なり」(1606:02)の明確な御文をいかに拝するのか。その日興上人の御心も知らず波木井実長がさらに増長したため、ついに日興上人は身延を去られたのである。
 そのほか「仏像」の言が観心本尊抄等にあるが、それも木絵二像をさす意でないことは日寛上人の文段によっても明らかである。末法相応抄にはさらに詳しく論じられている。
 木絵二像は、三十二相を具した色相荘厳の仏像である。この仏像を用いない理由を、末法相応抄には三つ挙げられている。
 第一は、色相荘厳の釈尊は在世熟脱の教主であって、末法下種の本仏でない故である。
 第二は、末法の衆生にとって主師親三徳の縁が浅い故である。末法の衆生は本未有善であって、釈尊の仏法とは縁が浅いのである。
 第三は、人法勝劣の故である。久遠元初において、自受用報身如来が我が身妙法と悟られた故に人法一箇なのであって、それより後の成道の釈尊が法より劣るのは当然である。本尊問答抄の「本尊とは勝れたるを用うべし」(0366:05)の御文からしても、人法一箇の大御本尊を捨てて、劣った釈尊像を用いる理由は全くない。
 これらの理由により、日蓮大聖人の仏法においては、木絵の二像は根本ではなく、大聖人御自筆の曼荼羅をもって本尊とするのである。したがって、前に述べたごとく、本抄においても木絵二像の「開眼」が重要であることを示されるのが本意であって、仏像造立を称賛されるところにあるのではないことを踏まえたうえで、御文を拝していきたい。

 

三十二相について

 

 三十二相は仏が具えている三十二の相である。三十二大人相、三十二大丈夫相、三十二大士相などともいう。転輪聖王も三十二相を具えているとされるが、仏に比べて、あるいは欠けていたり、明瞭な相でなかったりしており、劣っているとされている。
 仏の備える徳を具体的な相として象徴化したもので。なかには千輻輪相(足に輻の紋がある)や手足指縵網相(手足に水かきがある)などといった、現代の常識では理解に苦しむものもあるが、全体的には健康、大身、柔軟に代表される相が示されている。
 これら三十二相を色相荘厳といい、荘厳な相を示すことによって衆生に渇仰の心を起こさせたのである。それゆえにこそ、大智度論にも諸天・魔王もこの三十二相を示すとあるように、魔は衆生をたぶらかすため仏と同じ姿をとることがあるのである。
 なお釈尊に敵対した提婆達多は三十相を具していたが、千輻輪相と眉間白毫相(眉間に白毛があり光を放つ)が欠けていたため「鉄をのして千輻輪につけ・螢火を集めて白毫となし」(1348:18)というようなことまでして、自らを新仏に見せようとしたという。
 この三十二相の一つ一つは、百福を起こして得られるという。法蓮抄にはその因について「此の三十二相の中の一相をば百福を以て成じ給へり、百福と申すは仮令大医ありて日本国・漢土・五天竺・十六の大国・五百の中国・十千の小国・乃至一閻浮提・四天下・六欲天・乃至三千大千世界の一切衆生の眼の盲たるを本の如く一時に開けたらんほどの大功徳を一つの福として此の福百をかさねて候はんを以て三十二相の中の一相を成ぜり」(1043:09)と述べられている。
 このような福徳の因があってこそ得られるのが、三十二相の一つ一つであるとされたのである。釈尊滅後、仏を求める心から木像・絵像が造られ仏法信仰の根本となっていった。しかし半面、荘厳な姿をとることにより、仏と衆生の懸隔はますます甚だしくなっていったのである。
 ところが、日蓮大聖人の仏法から見ると、このような色相荘厳の姿自体が法より人が劣っていることを示すものである。日寛上人は文底秘沈抄で「色相荘厳の仏は是れ世情に随順する虚仏なり故に人法体別なり、譬えば影は池水に移るが故に天月と是れ一ならざるが如し」といわれている。
 すなわち、三十二相は衆生が荘厳と見る心、そうした姿に憧れる世情に随順してあらわしたものである。すなわち、勝れた法へ導くために方便として示しているにすぎない。法は勝れ人は劣るのである。
 それに対し、久遠元初自受用身の仏は、人法体一であるから、方便のために飾る必要がない故に凡夫相であられる。そしてこの仏の御生命をそのまま末法に一幅の曼荼羅として顕現された故に、御本尊は尊極の当体であられる。
 伝教大師は「一念三千即自受用身・自受用身とは尊形を出でたる仏と・出尊形仏とは無作の三身と云う事なり」といっている。三十二相の尊形の仏を超え、凡夫即極の仏こそ、衆生に随った迹中化他の仏でなく本地自行の真仏なのである。御義口伝巻下には「久遠とははたらかさず・つくろわず・もとの儘と云う義なり、無作の三身なれば初めて成ぜず是れ働かざるなり、卅二相八十種好を具足せず是れ繕わざるなり本有常住の仏なれば本の儘なり是を久遠と云うなり、久遠とは南無妙法蓮華経なり実成無作と開けたるなり云云」(0759:第廿三 久遠の事:01)と仰せになっている。

 

三十一相は可見有対色なれば書きつべし作りつべし梵音声の一相は不可見無対色なれば書く可らず作る可らず

 

 法勝の阿毘曇心論の界品第一に「界中にて一は可見なり。十界を有対と説く」とある。眼・耳・鼻・舌・身・意の六種の器官、それのもつ認識・了別の作用、その対境を十八界というが、その六境のうち色が可見であり、他は不可見である。また、眼・耳・鼻・舌・身の五根と色・声・香・味・触は有対であり、他は無対である。この場合、可見とは「ここに在る、またかしこに在る」と見ることができることをいう。色とは物質であり、その存在を判別できるので可見なのである。他は見ることができないので不可見となる。
 つぎに有対とは「それぞれ相対し、さまたげあうこと、すなわち一つのものがあれば他のものはないこと」である。一つの場を占めたもののことであり、二物が同時に同じところを占めることができない不可入性をいう。
 そこで可見有対、不可見有対、不可見無対の三種類が区別される。
 倶舎論等では五根と五境と法境の一部を色として捉えているが、色境が可見有対、他の四境と五根が不可見有対であり、不可見無対は法境の一部にあたると説く。仏のもつ三十二相のうち梵音声相を除く三十一相は、可見であり、かつ有対の色である。ところで声はこの分類によると、不可見だが有対の色になるはずである。ところが大聖人は、梵音声相を不可見で無対の色としておられる。これは、どういう意味であろうか。
 不可見無対色は無表色ともいう。表すことのできない色のことである。倶舎論には「無表は色業を以て性と為すこと、有表業の如しと雖も、而も表示して、他をして了知せしむるに非ず、故に、無表と名く」とある。すなわち、身口意の三業のうち身業・口業は意業が外に表れたもので有表業である。これによく似てはいるが、身口の二業が表示されるのに対して、それが不可能なものを無表色という。
 倶舎論にはつづいて「略して説かば、表業と定とにて生ぜらるる善不善の色を名けて無表と為す」と説いている。善や不善は色にあたらないという考え方もできるが、善不善は存在することはたしかだから表示することはできないにしても、実有であると考えることもできる。これを無表色としたのである。倶舎論等は説一切有部であり、自らを取り巻くものを実体的に捉えていたから、このような考え方が強く出てきたのである。
 そこで仏の梵音声相は、声にはちがいないが、たんなる物理的な声ではなく、声教であって、そこに説かれた法の内容に主体がある。その意味で大聖人は、不可見無対の色とされたのであろう。また、それゆえ、いかなる経典をもって開眼するかが重大事となるのである。

第二章 木絵二像と生身の仏と相対す

仏滅後は木画の二像あり是れ三十一相にして梵音声かけたり故に仏に非ず又心法かけたり、生身の仏と木画の二像を対するに天地雲泥なり、何ぞ涅槃の後分には生身の仏と滅後の木画の二像と功徳斉等なりといふや又大瓔珞経には木画の二像は生身の仏には・をとれりととけり、

 

現代語訳

仏滅後は木像・画像の二像がある。これは三十一相まではそなえているが、梵音声が欠けている。ゆえに仏ではない。また、心法が欠けている。生身の仏と木画の二像を比べると、天地雲泥の差がある。それなのに、どうして涅槃経後分には「生身の仏と滅後の木画の二像と、その功徳は等しい」と説くのか。菩薩瓔珞経には、「木画の二像は生身の仏には劣る」と説かれている。

 

語釈

木画の二像
 木像と画像のこと。木像は木に彫った仏・菩薩像、画像は絵に書いた仏・菩薩像。

心法
 心のこと。縁によって起こるさまざまな思慮・知覚の本体。また心の働き・精神作用のこと。色法に対する語。

生身の仏
 五体をもって実在する仏のこと。法身の仏に対する語。生身とは母の肉身より生じた身体のこと。諸仏や菩薩が衆生を救済するために、母胎に託して生まれる肉身のこと。

涅槃の後分
 涅槃経の後をうけて、釈尊入滅前後の事蹟を訳出したもので、上下2巻からなる。若那跋陀羅訳。巻上には「現在する仏を供養する福徳も、仏の滅後に仏の形像を供養する福徳も異なることはない」とある。

大瓔珞経
 正しくは菩薩瓔珞経という。14巻。竺仏念訳。菩薩の身を無量の福徳を以って荘厳すべきことを、瓔珞に譬えて説いている。巻11には如来の色身に対して全身舎利の劣ることが明かされ、その差別が述べられている。

 

講義

釈尊在世の衆生にとって、釈尊はあまりにも偉大であり、その入滅は大変な衝撃であった。入滅後、釈尊を火葬にし、その身骨を分けてまつったが、それにも限りがある。また釈尊の姿はそこには見られない。生前の釈尊を知らない衆生にとっても、釈尊を求める気持ちは変わらない。そこで釈尊の像を模して拝するようになった。それが木絵の二像である。木像とは木に彫った像であるが、木に彫った像であるが、木に限らず石などに彫刻したものを含めていわれたと考えてよい。絵像は絵にかいたものである。ともに仏の形像である。
 ところが木絵にはどうしても欠けているものがある。姿・形は仏をあらわしていても、釈尊のごとく声を発することはない。これが三十二相の上からいえば、梵音声の一相が欠けているということなのである。
 しかもそれは声が欠けているというだけではない。仏は衆生を救うために、さまざまな教えを説いてくれたが、仏像は説いてくれない。すなわち心法が欠けているのである。
 涅槃経後分に、在世中の仏に供養するのも、滅後において仏の像に供養するのも、功徳に変わりはないと説いても、同じであるわけはない。
 したがって、大瓔珞経には、木絵の二像が実在の仏に劣ることを示しているのである。なお同経で比較しているのは木絵の二像と仏身ではなく、仏身と舎利とである。舎利を木絵二像に置きかえておられるのは、仏の声もなく心法もない点において同じだからであるとともに、仏の身骨でさえ、生身の仏に劣るのであるから、仏の姿のみ似せた仏像が、生身の仏に劣るのは当然であるとの意と拝せられる。
 といって、生身の仏をもう一度得ることはできない。そこでいかにして仏の心法を補い、生身の仏に近づけるか。ここに開眼の問題が起こってくるのである。

第四章 法華経こそ仏の意なるを述べる

法華経の文字は仏の梵音声の不可見無対色を可見有対色のかたちと・あらはしぬれば顕形の二色となれるなり、滅せる梵音声かへつて形をあらはして文字と成つて衆生を利益するなり、人の声を出すに二つあり、一には自身は存ぜざれども人をたぶらかさむがために声をいだす是は随他意の声、自身の思を声にあらはす事ありされば意が声とあらはる意は心法・声は色法・心より色をあらはす、又声を聞いて心を知る色法が心法を顕すなり、色心不二なるがゆへに而二とあらはれて仏の御意あらはれて法華の文字となれり、文字変じて又仏の御意となる、されば法華経をよませ給はむ人は文字と思食事なかれすなわち仏の御意なり、故に天台の釈に云く「請を受けて説く時は只是れ教の意を説く教の意は是れ仏意仏意即是れ仏智なり・仏智至て深し是故に三止四請す、此の如き艱難あり余経に比するに余経は則易し」文 此の釈の中に仏意と申すは色法ををさへて心法といふ釈なり、

 

現代語訳

法華経の文字は、仏の梵音声という不可見無対色を、可見有対色のかたちにあらわしたので、顕色と形色の二色となったのである。消滅した梵音声がかえって形をあらわして、文字となって衆生を利益するのである。人が声を出すには二つの場合がある。一には、自分自身は思っていないけれども、他人をたぶらかそうとするために声を出すことがある。これは随他意の声である。二には、自分自身の思いをそのまま声にあらわすことがある。ゆえに意が声とあらわれる。意は心法、声は色法である。心法より色法をあらわす。また、声を聞いて心を知る。これは、色法が心法をあらわすのである。色心不二であるがゆえに色法、心法の二つとあらわれて、仏の御意はあらわれて法華経の文字となったのである。法華経の文字は変じて、また仏の御意となるのである。ゆえに、法華経を読まれる人はたんに文字と思われてはならない。それはとりもなおさず仏の御意なのである。
 ゆえに天台大師の法華玄義巻十上には「度々の請を受けてから法を説く時は、ただ教の意を説くのである。教の意とは仏意であり、仏意とはすなわち仏智である。仏智はまことに深い。このゆえに、三止四請するのである。法華経の説法にはこのような艱難がある。これを余経と比較すると余経は容易である」とある。この文の中で仏意といっているのは、色法である経文を指して心法であるという釈なのである。

 

語釈

顕形の二色
 顕色と形色のこと。倶舎論巻一によると、顕色とは眼識によって明らかに識別される青・黄・赤・白・雲・煙・塵・霧・影・光・明・闇の十二種。形色は目に見える形で、長・短・方・円・高・下・正・不正の八種のこと。

随他意
 仏が衆生の機根や好みに随って説法し、真実の法門に誘引すること。また、その方便の教えをさす。隋自意に対する語。

色心不二
 色とは物質・肉体、心とは精神・心の働き、この精神と肉体は、二つであって実は二つでない一体のものであることを不二という。

而二
 もともと不二・一体なるものが、二つの存在として現ずること。

天台
 (05380597)。天台大師。中国天台宗の開祖。慧文・慧思よりの相承の関係から第三祖とすることもある。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。中国の陳代・隋代の人。荊州華容県(湖南省)に生まれる。天台山に住したので天台大師と呼ばれ、また隋の晋王より智者大師の号を与えられた。法華経の円理に基づき、一念三千・一心三観の法門を説き明かした像法時代の正師。五時八教の教判を立て南三北七の諸師を打ち破り信伏させた著書に「法華文句」十巻、「法華玄義」十巻、「摩訶止観」十巻等がある。

三止四請
 方便品において、略開三顕一から広開三顕一の説法に移るとき、仏が法を説くのを三度止めたのに対し、舎利弗がそのたびに三度請い、仏の許しが出たあと重ねて請うたこと。三止三請許説ともいい、寿量品の冒頭でも同様の儀式がふまれている。

 

講義

法華経の文字は仏の梵音声の不可見無対色を可見有対色のかたちと・あらはしぬれば顕形の二色となれるなり

 

 法華経の文字は不可見無対色である仏の梵音声を可見有対色とあらわしたものである、といわれている。
 仏の悟りは甚深である。法華経方便品で、諸仏の智慧は甚深無量であり、その智慧の門は難解難入であると述べられている。それは、仏と仏のみが究め尽くされたものであって、声聞・縁覚等の知るあたわざるところであった。仏がさまざまな衆生に法を説いたといっても、あるいは表面的であり、あるいは一部分であって、法華経においてさえも、明確には説き示していない。というより、仏の悟りは、言語道断し心行の滅するところにあるもので、文字や形であらわすことのできる次元を超えたものだからである。禅宗などでは、それを都合のよいように解釈して、経文には仏の悟りは含まれていないから文字を立てず、直接、自力で仏の悟りを得るのであると唱えて、仏教破壊の天魔の働きをなすにまで陥ってしまったのである。
 しかし日蓮大聖人は、法華経の説こうとしたもの、法華経の肝心をその文底から取り出され、南無妙法蓮華経の題目を末法の一切衆生に示されたのである。
 恐れ多いことではあるが、南無妙法蓮華経の題目もまた、文字である。しかしその文字は、法華経の肝心、すなわち「心」である。仏の悟りはことばとしてあらわすことができないものだとしたのは、釈尊の仏法、天台大師の法門の限界であったともいえよう。南無妙法蓮華経は、名でありながら、体であり宗であり、用・教をも含んだ、仏の悟りの生命そのものなのである。この事の一念三千を文底に秘沈しているゆえにこそ、法華経は仏の教えを不可見無対色から可見有対色にしたものといえるのである。
 四条金吾殿御返事にいわく「此等の梵音声一切経と成つて一切衆生を利益す、其の中に法華経は釈迦如来の書き顕して此の御音を文字と成し給う仏の御心はこの文字に備れり……釈迦仏と法華経の文字とはかはれども心は一つなり、然れば法華経の文字を拝見せさせ給うは生身の釈迦如来にあひ進らせたりと・おぼしめすべし」(1122:14)と。
 本尊供養御書にいわく「法華経の文字は六万九千三百八十四字・一一の文字は我等が目には黒き文字と見え候へども仏の御眼には一一に皆御仏なり」(1536:01)と。
 法華経の文字は皆これ仏であるとの御文は数多い。それは、法華経が南無妙法蓮華経を文底に秘沈しているがゆえなのである。そのゆえに文字といえども心であるといわれているのである。
 このように、文字が色でありながら心を含んでいることを示されたのは、画期的なことといわなければならない。例えば、概念は色ではないと考えられる。具象の集積から取り出した一つの抽象である。その概念を理解することにより、他の具象を広く把握することができる。犬なら犬というものを知ろうとするとき、一匹一匹の犬をいくら知っても、普遍的に知ることはできない。いったん犬とはどういうものかという概念を知らなければならない。それを知れば他の犬にもあてはめることができ、知識は普遍的なものとなる。
 このような概念は抽象的である。しかしその概念は、ことばで表現される。ことばをとおしてでなければ理解できない。すなわちことばは、真理を表現できるのである。
 「心」もある意味で同様である。悲しみにくれているとき、その悲しみはことばでは言い表せない。その限りにおいては、悲しみはことばを超えている。しかし、それを悲しみと知るのは、ことばによってである。否、人間の知識はすべて、ことばをとおして系統立てて教えられるのである。「心」はことばの次元を超えているようであっても、その心がいかなるものかを他の人に伝えたり、自らが心を把握するのは、ことばをとおしてであるといえよう。もとより、ことばのない動物に心はないとすることはできないが、心の概念がわからないことは確かであろう。
 ともあれ、ことばが人間社会において文化を形成する基盤となり、知識のよりどころとなっていることは明らかであり、同時に、ことばが法理・哲理を表現する最良の方法であることも疑いない。
 この点からも、木絵の二像と、大聖人が文字によってあらわされた御本尊の違いは歴然としている。御本尊について拝察するのは僭越ではあるが、木絵の像において表現できるものは外形であり、心を表現しても感情の一部分にすぎない。それによって仏への渇仰の心を起こさせるにとどまるであろう。しかし、文字はそこに甚深の義と意を含むことができるのである。

 

人の声を出すに二つあり

 

 ここは声と心の関係を掘り下げられ、声に二つがあると示されている。
 一つは、自分の本意をあらわすためでなく、人をだますために出す声で、これを随他意の声という。
 二つは、自らの思っていることを、そのまま声にあらわすもので、これを随自意の声という。
 これらはともに、心が声にあらわれるのであり、したがって声によって、その心を知ることができる。
 これは、色心不二のゆえであると大聖人はいわれている。声は色法で心は心法、心が声にあらわれるのは心法が色法にあらわれることであり、声で心を知ることができるのは、色法が心法をあらわしているゆえである。この色心不二のゆえに、仏の声教を記した経典が心法をあらわしているのである。
 我々が自分の心を相手に伝えようとする場合、ことばという媒介を用いる。手紙のように、字を書くこともあれば、直接、話すこともある。いうまでもなく、字を書くことは、話すという伝達方法の補助的なものとして生まれたものであり、最初は話すことであった。
 したがって、声に心が乗っているのである。その声が相手の耳に到達したとき、再びそれは心となって刻み込まれる。心法が色法となって相手に伝わり、その色法が再び心法となって、意志の疎通が行われるのである。テレパシーなどという特殊な意思伝達手段は別として、この方法は変わらないであろう。
 声自体は、ある意味では無機的なものである。物理学的にいえば空気の震動であり、波形としてあらわすことができる。しかし、この波の形によって、優しい声、冷たい声、美しい声、しわがれた声などの違いが出る。そこにはすでに心が込められている。空気の震動の強弱も、リンとした声、ひよわな声の違いを示す。あたかも名手のピアノの音は、物理的には鍵盤をたたく速度や強弱であらわされるのみであるにもかかわらず、多くの人々を魅了するのと同じである。
 しかも、声、ことばによって、いかなる真理内容があらわされているかが問題である。随他意の声は、相手に合わせて話そうとするゆえに、その響きも内容も、どうしても飾り立てられる。すなわち色相荘厳なのである。随自意の声は、飾り立てる必要はない。ありのままである。
 法華経は仏の随自意の教えである。したがってその経は随自意の、仏の御意をそのままあらわされた経であり、法華経を読む人は、たんなる文字と思ってはならない、仏の御意であると信じて読みなさいと仰せられているのである。
 ここで天台大師の法華玄義の文「請を受けて……」を引かれているのは、法華経が三止四請によって説かれたのは仏の意をそのまま説いたものであるということを示されるためである。文字は色法であるが、法華経は仏の心法をそのままあらわしているのである。

第六章 真言開眼の邪義を示す

 今の天台の学者等・我一念三千を得たりと思ふ、然りと雖も法華をもつて或は華厳に同じ或は大日経に同ず其の義を論ずるに澄観の見を出でず善無畏・不空に同ず、詮を以て之を謂わば今の木絵二像を真言師を以て之を供養すれば実仏に非ずして権仏なり権仏にも非ず形は仏に似たれども意は本の非情の草木なり、又本の非情の草木にも非ず魔なり鬼なり、真言師が邪義・印真言と成つて木絵二像の意と成れるゆへに例せば人の思変じて石と成り倶留と黄夫石が如し、法華を心得たる人・木絵二像を開眼供養せざれば 家に主のなきに盗人が入り人の死するに其の身に鬼神入るが如し、今真言を以て日本の仏を供養すれば鬼入つて人の命をうばふ鬼をば奪命者といふ魔入つて功徳をうばふ魔をば奪功徳者といふ、鬼をあがむるゆへに今生には国をほろぼす魔をたとむゆへに後生には無間獄に堕す、

 

現代語訳

今の天台宗の学者等は、我こそ一念三千の法門を会得したと思っている。しかしながら、彼等は法華経をあるいは華厳経と同じであるとし、あるいは大日経と同じであるとする。それらの義を論ずれば澄観の見解を出でず、善無畏、不空の説と同じである。結論していえば、今の木絵の二像を真言師によって開眼供養するときは、この二像は真実の仏ではなくて権仏である。さらにいえば権仏でもない。形は仏に似ていても、意はもとの非情の草木である。またもとの非情の草木でもない。魔であり、鬼である。真言師の邪義が印、真言となって木絵の二像の意となってしまうからである。たとえば、人の思いが自身を変えて石となすことがある。倶留外道と黄夫石のようなものである。
 法華経を心得た人が木絵の二像を開眼供養しないときは、家に主がなくて盗人が入り、人が死んだときその身に鬼神が入るようなものである。今、真言をもって日本の仏像を開眼供養するときは、仏像に鬼が入って人の命を奪う。鬼を奪命者という。また仏像に魔が入って人の功徳を奪う。魔を奪功徳者という。鬼をあがめるゆえに、今生には国を滅ぼす。魔を尊重する故に後生には無間地獄に堕ちるのである。

 

語釈

善無畏
 (06370735)。中国・唐代の真言密教の僧。もとは東インド烏仗那国の王子で、13歳の時国王となったが、兄のねたみを受けたので、王位を譲り出家した。ナーランダ寺で密教を学んだ後、中国に渡り、唐都・長安で玄宗皇帝に国師として迎えられ、興福寺、西明寺に住して経典の翻訳にあたった。中国に初めて密教を伝え、「大日経」七巻、「蘇婆呼童子経」三巻、「蘇悉地羯羅経」三巻などの密教経典を訳出した。また、一行禅師に大日経を講じて「大日経疏」を造ったが、その中で、法華経の一念三千の法門を盗んで大日経に入れ、理同事勝の邪義を立てた。同時代の金剛智、不空とともに三三蔵の一人に挙げられる。

不空
 (07050774)。中国・唐代の真言密教の僧。不空金剛のこと。北インドの生まれで幼少のころ、中国に渡り、15歳の時、金剛智に従って出家した。開元29年(0741)帰国の途につき、師子国に達したとき竜智に会い、密蔵および諸経論を得て、天宝5年(0746)ふたたび唐に帰る。玄宗皇帝の帰依を受け、浄影寺、開元寺、大興寺等に住し、密教を弘めた。「金剛頂経」三巻、「一字頂輪王経」五巻など百十部百四十三巻の経を訳し、羅什、玄奘、真諦とともに中国の四大翻訳家の一人に数えられている。

非情
 無心の草木・山河・大地などをいう。


 魔とは梵語で(Māra)、奪命・奪功徳・障礙・攪乱・破壊等という。正法を持つ者の信心を妨害したり、幸福な生活を破壊し、人命を奪い、病気を起こさせる等の働きをなす。四魔のなかの死魔・病魔等がそれで、他に権力者や父母の姿をかりて信心を妨げる天子魔がある。いずれも仏身や菩薩身や天界の姿を現じながら、仏と反対の働きをする。魔は天界に住むとも、仏と同所に住むともいわれる。所詮は澄みきった鏡に映して魔を魔と見破っていくことが肝要である。「最蓮房御返事」に「予日本の体を見るに 第六天の魔王智者の身に入りて正師を邪師となし善師を悪師となす、経に「悪鬼入其身」とは是なり、日蓮智者に非ずと雖も第六天の魔王・我が身に入らんとするに兼ての用心深ければ身によせつけず、故に天魔力及ばずして・王臣を始として良観等の愚癡の法師原に取り付いて日蓮をあだむなり」(1340)、「持病大小権実違目」に「法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶備われり元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」(0997)とあるように、正法への信心が強ければ、魔といえども、正法護持者を守護する善神の働きに変えることができるのである。


 本来は死者の霊魂をさすが、餓鬼道・夜叉・羅刹など、凶暴で恐ろしい形相をしているものをさす。

倶留
 倶留外道。勝論派の祖。休留仙、優樓僧佉ともいう。死を恐れて長生の薬を飲み、石になったという。止観私記巻十には「真諦云く、休留仙人は成劫の末に出ず。長生の薬を服して変じて石と為す。形は牛の臥するが如し。仏の前八百年の中に在って石消融して灰の如し。門人皆涅槃に入らんと称す」とある。

黄夫石
 黄夫とは数論派の祖・迦毘羅外道のこと。髪や顔面が赤黄色なので迦毘羅と名づくという。止観輔行伝弘決巻十の一に「迦毘羅……身の死せんことを恐れて自在天に往きて問う。天、頻陀山に往きて余の甘子を取らしむ。食して寿を延ぶべし。食し已って林中に於て化して石と為る」とある。

鬼神
 鬼神とは、六道の一つである鬼道を鬼といい、天竜等の八部を神という。日女御前御返事に「此の十羅刹女は上品の鬼神として精気を食す疫病の大鬼神なり、鬼神に二あり・一には善鬼・二には悪鬼なり、善鬼は法華経の怨を食す・悪鬼は法華経の行者を食す」(1246:11)とある。このように、善鬼は御本尊を持つものを守るが、悪鬼は個人に対しては功徳・慧命を奪って病気を起こし、思考の乱れを引き起こす。国家・社会に対しては、思想の混乱等を引き起こし、ひいては天災地変を招く働きをなす。悪鬼を善鬼に変えるのは信心の強盛なるによる。立正安国論で「鬼神乱る」(0019:04)とあるのは、思想の混乱を意味する。

無間獄
 無間地獄のこと。八大地獄の中で最も重い大阿鼻地獄のこと。梵語アヴィーチィ(avīci)の音写が阿鼻、漢訳が無間。間断なく苦しみに責められるので、名づけられた。欲界の最低部にあり、周囲は七重の鉄の城壁、七層の鉄網に囲まれ、脱出不可能とされる。五逆罪を犯す者と誹謗正法の者が堕ちるとされる。

 

講義

この段では真言宗による開眼を厳しく破しておられる。
 その理由は、今まで述べられてきたように、木絵二像の開眼は法華経を心として行わなければならないのに、法華経を依経とするはずの天台宗においてそのことを忘れ去り、慈覚・智証以後は真言に毒されて、大日の印・真言をもって開眼するようになってしまったゆえである。
 撰時抄にいわく「仏事の木画の開眼供養は八宗一同に大日仏眼の印真言なり」(0281:14)と。
 報恩抄にいわく「天台宗の人人・画像・木像の開眼の仏事を・ねらはんがために日本・一同に真言宗におちて天台宗は一人もなきなり」(0309:03)と。
 このように、日本天台宗が真言に堕ちて、印・真言をもって開眼するようになったことを指摘されている。
 大聖人は本抄で、真言をもって開眼供養をすれば、それは実仏にあらず権仏であり、権仏よりももとの草木となんら変わらないのであり、さらに厳しくいえば、草木にとどまらず、魔・鬼ともなると破折されているのである。
 大聖人は四箇の格言にあるように、真言は亡国の教えであると破しておられる。それは本師たる釈尊をそしるゆえである。
 大日経において説かれる大日如来は法身仏であり、法を体とする仏である。これは、宇宙万物の根源の法を象徴化したのである。しかし、その実体は大日経には明かされていない。根源的には久遠実成の釈尊の法身の面をあらわした分身と考えてもよい。
 釈尊の滅後、仏のいないことを悲しんだ衆生は、法を体として永遠不変に存在する仏に憧れ、釈尊はこの根本の仏から、娑婆世界へつかわされた仏であると考え始めた。そうすれば釈尊の在世であると否とにかかわらず、仏を求めることができる。
 しかしながら、これは完全な転倒の思想である。現実に娑婆世界の衆生を救うために出現し法を説いた仏は釈尊である。この恩ある釈尊を忘れて抽象的な大日如来を崇めることは忘恩も甚だしいといわなければならない。大日如来は法を体とする仏といっても、実体もなければ人々を救う力ももっていないのである。
 天台真言宗が法華経にない真言の秘法として尊んだのは印・真言であるが、元来、印や真言が法華経にないのは、そのようなものを必要としないからである。印は手でさまざまな印相を結んで、仏の悟りをあらわし、真言は梵語の呪文をとなえるもので、仏の真実のことば、悟りであるというが、印・真言ともに実体は原始的な呪術にほかならない。
 このような印・真言を重んずること自体、仏法にあらず、神秘主義・呪術主義の外道の行き方である。本来、仏の悟りや慈悲とは関係のない外道の法である印・真言による開眼は、外道の魔・鬼の生命をその像に入れることになってしまうのである。

 

魔と鬼について

 

 本抄では、真言をもって開眼した仏像は魔や鬼であり、それを崇めるゆえに、国を亡ぼし、無間地獄に堕ちるといわれている。ここでは鬼を奪命者とし、魔を奪功徳者と説かれている。
 一般には魔も奪命者として捉えられている。魔と鬼が混同されることもあるが、若干の違いがあり、大聖人がここで分けられているのは意味がある。
 鬼は、夜叉、羅刹、餓鬼など目に見えない力をもつものをいうとされる。
 それに対し、魔は人々を悩ませる働きをするものの意で、天台大師は煩悩魔、陰魔、死魔、天子魔の四魔に区別している。
 鬼は鬼神ということもあり、善鬼と悪鬼とがある。人々を悩ます鬼が悪鬼であり、人々や国土を守護する鬼は善鬼である。
 一方、人々を悩ます働きをするものがすべて魔である。したがって悪鬼も魔であり、天さえも魔となることがある。他化自在天王は魔王とされる。鬼には悪鬼と善鬼があるが、魔に善魔はない。
 本抄で鬼を奪命、魔を奪功徳といわれているのは、鬼が現実にある命という存在を破壊するのに対し、魔は生命の中に積まれる功徳を破壊し奪う。つまり魔の方がより根源的に、生命の奥深くから衰滅させていく働きといえよう。命は現世の寿命や健康であるのに対し、功徳は三世にわたる。ゆえに「鬼をあがむるゆへに今生には国をほろぼす」といわれ、「魔をたとむゆへに後生には無間獄に堕す」といわれているのである。

第七章 死骨供養も法華経に限るを示す

  人死すれば魂去り其の身に鬼神入り替つて子孫を亡ぼす、餓鬼といふは我をくらふといふ是なり、智者あつて法華経を讃歎して骨の魂となせば死人の身は人身・心は法身・生身得忍といへる法門是なり、華厳・方等・般若の円をさとれる智者は死人の骨を生身得忍と成す、涅槃経に身は人身なりと雖も心は仏心に同ずといへるは是なり、生身得忍の現証は純陀なり、法華を悟れる智者・死骨を供養せば生身即法身・是を即身といふ、さりぬる魂を取り返して死骨に入れて彼の魂を変えて仏意と成す成仏是なり、即身の二字は色法成仏の二字は心法・死人の色心を変えて無始の妙境・妙智と成す是れ則ち即身成仏なり、故に法華経に云く「所謂諸法如是相死人の身如是性同く心如是体同く色心等」云云、又云く「深く罪福の相に達して徧く十方を照したまう微妙の浄き法身・相を具せること三十二」等云云、上の二句は生身得忍・下の二句は即身成仏・即身成仏の手本は竜女是なり・生身得忍の手本は純陀是なり。

 

現代語訳

人が死んだとき魂は去り、その身に鬼神が入り替わって、子孫を滅ぼすのである。餓鬼というのは我を食らうというが、このことである。もし智者がいて、法華経を讃歎して死骨の魂とするときは、死人の身は人身であって、心は法身となる。生身得忍という法門がこれである。華厳・方等・般若の円教を悟った智者は、死人の骨を生身得忍とすることができる。涅槃経に「身は人身であっても心は仏心と同じである」と説かれているのはこのことである。生身得忍の現証は純陀である。法華経を悟った智者が死者を供養するならば、生身がそのまま法身となる。これを即身というのである。去っていった魂を取り返して、死骨に入れて、その魂を変えて仏の心とする。成仏とはこのことである。即身の二字は色法、成仏の二字は心法である。死人の色心を変えて無始の不可思議の境智とするこれがすなわち即身成仏である。ゆえに法華経方便品第二に「所謂諸法の如是相、如是性、如是体」云云とある。また提婆達多品第十二には「仏は深く罪と福との二つの相に通達して、あまねく十方を照覧される。奥深く不可思議で浄らかな法身は相を三十二具えている」とある。この文の上の二句は生身得忍、下の二句は即身成仏を示している。即身成仏の手本は竜女であり、生身得忍の手本は純陀である。

 

語釈

餓鬼
 梵語プレータ(Preta)の漢訳。常に飢渇の苦の状態にある鬼。大智度論巻三十には「餓鬼は腹は山谷の如く、咽は針の如く、身に唯三事あり、黒皮と筋と骨となり。無数百歳に、飲食の名だにも聞かず、何に況んや見ることを得んや」とある。

法身
 仏の三身の一つ。真理を身体とする仏。常住普遍の真理もしくは法性そのものをいい、寂光土に住する。三大秘法禀承事には「寿量品に云く『如来秘密神通之力』等云云、疏の九に云く『一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず』等云云」(1022:09)、総勘文抄には「此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好と為す是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり」(0562:01)、四条金吾釈迦仏供養事には「三身とは一には法身如来・二には報身如来・三には応身如来なり、此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐす譬へば月の体は法身・月の光は報身・月の影は応身にたとう、一の月に三のことわりあり・一仏に三身の徳まします」(1144:08)等とある。

生身得忍
 現実の身のままで無生法忍という悟りを得ること。生身とは父母から生じた肉体をさし、忍とは真理に安住して心が動じないこと。つまり形は凡夫の身体であるが、心は法身であることをいう。天台大師は無生法忍を得る位を判じて円教の十住位とする。

現証
 三証のひとつ。現実の証拠のこと。

純陀
 梵語チュンダ(Cunda)の音写で、淳陀・周那とも書き、稚少、妙義と訳す。末羅族、波婆城の住人で、鍛冶屋の子といわれる。釈尊が入滅の前日、波婆城を訪れ涅槃経の説法をするのを聞いて歓喜した。翌日、釈尊を自宅に迎え食事を供養した。その後、釈尊は一樹下で入滅する。ここでは純陀が最後に釈尊に食物を供養した功徳によって、現身に悟りを得たことをいう。すなわち、涅槃経巻二には「純陀、施食に二つの果報有りて差なし……一つには受け已りて阿耨多羅三藐三菩提を得るなり。二つには受け已りて涅槃に入るなり。我今、汝が最後の供養を受けて、汝をして壇波羅蜜を具足せしめん」とある。

生身即法身
 凡夫が現身を改めず、そのままの姿で直ちに成仏すること。生身は衆生の生きている肉親。法身は仏身のこと。即身成仏と同意。

無始の妙境・妙智
 人間生命に本来具わる無始無終の境智。仏の身心をさす。無始とは三世にわたって常住不滅であること。妙境・妙智とは、絶妙不可思議の境地と智慧の一体となった仏の身心をいう。

即身成仏
 凡夫が凡夫そのままの姿で成仏すること。法華経で説かれた法門である。爾前経では凡身を断ち、煩悩を断ってからでなくては成仏できぬとされ、悪人や女人は成仏できぬとされたが、法華経にきて提婆達多と竜女が即身成仏の現証を示したのである。この元意は法華経の根底に秘沈された文底の妙法・久遠元初の妙法を信じたがゆえの成仏であり、その妙法の本体は南無妙法蓮華経の当体、御本尊であり、題目を唱えることにより即身成仏するのである。凡夫即極・直達正観に通じる。

竜女
 竜の女身である竜女は、大海の婆竭羅竜王のむすめで八歳であった。文殊師利菩薩が竜宮で法華経を説いたのを聞いて菩提心を起こし、ついで霊鷲山で釈尊の前で即身成仏の現証を顕わした。これを竜女作仏という。法華経が爾前の女人不成仏・改転の成仏を破折している。

 

講義

この章では、木絵二像の開眼供養の問題から進んで、死者への供養について述べられる。それに関して生身得忍と即身成仏が挙げられている。
 生身得忍とは、生身で無生法忍を得ることである。華厳経巻四十四では十忍が説かれているが、その第三に無生法忍がみえる。
 「此の菩薩摩訶薩は少法として生ずるもの有ることを見ず、亦少法として滅するもの有ることを見ず。何を以ての故に、若し生無ければ即ち滅無し。若し滅無ければ即ち尽くること無し。若し尽くること無ければ垢を離る……即ち寂静なり……即ち去ること無く来ること無し」とある。
 すなわち、生と滅を離れることを観ずれば、さとりに至ると述べているのである。生滅を離れるとは、一切が不生であり不滅とさとることである。一切諸法の永遠性を知ることで、この悟りを現身のうちに得れば、心は安住の境地に至るとされた。
 この生身得忍は「智者あつて法華経を讃歎して骨の魂」となすか、「華厳・方等・般若の円をさとれる智者」が死人の骨を供養することによって可能となる。
 それに対して「法華を悟れる智者」が死骨を供養すると即身成仏するのである。
 ここで法華経を讃嘆する智者と、法華を悟った智者とは違うことを知らねばならない。前者は法華経の深理にまで至らないが、賛歎する者の意である。法華経は円教であるゆえに生身得忍を与えることができるのである。爾前の円をさとった智者も、生身得忍を与えることができるといわれているのは、無生法忍は、円教の理をさとることによって得られるからである。
 それに対して、法華経をさとった智者とは、法即人、人法体一の日蓮大聖人のことである。すなわち死者を即身成仏させるのは大聖人以外にないが、大聖人の御生命は、そのまま大御本尊であられるから、末法の私達は御本尊への強盛な信心唱題によって即身成仏ができるし、また、亡くなった人の追善供養も御本尊を根本にして可能となるのである。
 生身得忍は現身に無生法忍を得るといっても、まだ生滅を離れるにとどまり、法華経の本有の生死とは天地の開きがある。
 本抄末尾に法華経提婆達多品の文を引かれて「深く罪福の相に達して徧く十方を照したまう」を生身得忍、その次下の「微妙の浄き法身・相を具せること三十二」を即身成仏といわれているのは、上の二句が罪と福の相に達するにとどまっているのに対し、下の二句は法身に三十二相を具していると述べており、罪福の相にただ智慧で通達しているのが生身得忍であるのに対し、その生命があらゆる福徳を具しているのが即身成仏であるゆえである。

 

追善供養について

 

 一般に、仏教においては、先祖を供養するのに塔婆を建てる。塔婆とは卒塔婆の梵語ストゥーパであり、本来は墓を意味していた。仏滅後、仏身を渇仰して塔の中に仏舎利を安置したことから、塔の形の切り込みをつけた細長い板の塔婆を建てるようになったのである。
 日蓮大聖人は、このように塔婆を建てて開眼供養するのも草木成仏の原理によることを述べられている。草木成仏口決にいわく「我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは死の成仏にして草木成仏なり」(1339:01)と。
 死後の生命は、自由意思をもたない。そこで生きている人が正法をもってはたらきかけることによって、苦しみの中から救い出すことができる。すなわち、妙法蓮華経という仏の体を表現した五輪の塔婆を立てて題目を唱えることによって、その功力を得て死者も、また回向する人も大功徳を受けることができるのである。
 御義口伝の「今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり、法華不信の人は堕在無間なれども、題目の光を以て孝子法華の行者として訪わんに豈此の義に替わる可しや」(0712:第五下至阿鼻地獄の事:06)をよくよく拝すべきである。

 

    HP編集者より
 創価学会においては、木版の塔婆を用いた法要を行わない。各自宅の仏壇・御本尊様の御前に追善したい方の名前を記した紙を安置し、追善の唱目を唱えることが塔婆にあたるともいえよう。また、彼岸・盂蘭盆時に各会館にて行われる合同法要時に参加し追善供養する方法もあることを付記しておく。

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