窪尼御前御返事(金と蓮の事)

 あまざけ一おけ、やまのいも・ところしょうしょう、給び了わんぬ。
 梵網経と申す経には、一紙一草と申して、かみ一枚・くさひとつ。大論と申すろんには、つちのもちいを仏にくようせるもの、閻浮提の王となるよし、とかれかかれて候。
 これは、それにはにるべくもなし。そのうえ、おとこにもすぎわかれ、たのむかたもなきあまの、するがの国西山と申すところより、甲斐国はきいの山の中におくられたり。
 人にすてられたるひじりの、寒にせめられて、いかに心ぐるしかるらんとおもいやらせ給いておくられたるか。父母におくれしよりこのかた、かかるねんごろのことにあいて候ことこそ候わね。せめての御心ざしに給うかとおぼえて、なみだもかきあえ候わぬぞ。

 

現代語訳

甘酒一桶・山芋・野老を少々いただきました。

梵網経という経には、一紙・一草といって、菩薩は紙一枚、草一つを惜しんでも破戒となると説かれ、大智度論という論には土の餅を供養した者が、一閻浮提の王となったことが説かれています。

この度の御供養は、それとは比べることもできません。そのうえ、夫にも別れて頼る人もいない尼の身でありながら、駿河の国の西山という所から甲斐の国の波木井の山中に送られたのです。

世の人に捨てられている聖が寒さに責められて、どのように苦しかろうと思われて御供養を送られたのでありましょうか。日蓮は父母に死に別れてから、このような懇ろな志を受けたことはありません。これほどにも温かい御志かと思えば涙をこらえることができません。

 

語句の解説

ところ

鬼野老の別名。ヤマノイモ科の蔓性多年草。各地の山野に自生。地下茎は数㍍に伸び、葉は互生の心臓形で先がとがり、長い柄がある。根茎の苦みをぬいて食用としていた。

 

梵網経

梵網経は、「梵網経盧舎那仏説菩薩心地戒品第十」上下2巻の略。下巻を特に「菩薩戒経」とよぶ。梵網経すべてを翻訳すると12061品となるが、鳩摩羅什が長安で同経中の菩薩心地戒品第十のみを訳出した。梵網とは仏が衆生の機根に合わせて教を設け、病に応じて薬を与えて、一人も漏らさず彼岸に達せしめることが、あたかも大梵天王の因陀羅網のようであるということから名づけられた。この経の教主は蓮華台蔵世界において成道した報身仏の盧舎那仏であり、釈迦応化身の覆述によるのである。大乗律の経典で、衆生の戒は仏性の自覚によって形成されるとしている。上巻には菩薩の階位の十住・十行・十回向・十地の四十法門が、下巻には菩薩戒の十重禁戒、四十八軽戒が説かれている。

 

閻浮提

全世界のこと。南閻浮提ともいう。閻浮は梵語で樹の名。提は州と訳す。古代インドの世界観に基づくもので、中央に須弥山があり、八つの海、八つの山が囲んでおり、いちばん外側の海を大鹹海という。その中に、東西南北の四方に東弗波提、西瞿耶尼、南閻浮提、北鬱単越の四大州があるとされていた。現在でいえば、地球上すべてが閻浮提といえる。

 

あま

普通は女性の出家者をいったが、在家のまま入道した女性をも呼んだ。ここは後者のほうで、窪尼のこと。

 

講義

本抄は、弘安4年(1281)、大聖人が聖寿六十歳の御時、身延から窪尼に書き送られた御消息文である。内容から拝察するに、尼御前が甘酒などの品々を大聖人に御供養したことに対して、感謝の情を込めて送られた返書である。

内容は、前半で、尼御前の布施供養の志を、梵網経と大智度論の話を引用されつつ称賛され、後半は、法華経の行者の身は不浄であっても、所持の経が最勝の経であることを述べられ、法華経を捨ててはならないと戒められている。

なお、本抄の御真筆は現存しないが、大石寺に日興上人の写本が所蔵されている。

初めに、尼御前から御供養された甘酒、山芋、野老をいただいた旨述べられ、御供養ということに関連して、梵網経と大智度論には一紙一草や土の餅のことが出ているが、尼御前の御供養した品は、それらとは比較にならぬほど上等のものであるとたたえられている。

しかも、尼御前は夫を亡くし、頼りもない身で、おそらく恵まれた立場でないにもかかわらず、厳しい環境におられる日蓮大聖人の身を思って御供養申し上げたのである。そのやさしい心遣いに対して「父母にをくれしよりこのかた・かかるねんごろの事にあひて候事こそ候はね、せめての御心ざしに給うかとおぼえてなみだもかきあへ候はぬぞ」と、深く感謝されている。

梵網経と申す経には一紙・一草と申して

梵網経は、現存する漢訳仏典では上下2巻からなる。中国・姚秦代の鳩摩羅什の訳である。正しくは「梵網経盧舍那仏説菩薩心地戒品第十」といい、「菩薩戒品」とも「菩薩戒経」ともいう。僧肇の序によると、梵網経の広本百二十巻六十一品のうち菩薩心地戒品第十だけを訳したものと記されている。

上巻には菩薩の階位である初発心(十信)、十発趣(十住)、十長養(十行)、十金剛(十回向)、十地を説き、下卷には菩薩戒である十重禁戒・四十八軽戒が説かれている。大乗戒を説いた経として中国・日本を通じて重んじられ、多くの注釈書が作られている。

ここで大聖人が引用されたのは、十重禁戒を明かすなかの不慳戒を説いたくだりからと考えられる。

 

 第二章(法華経の最上なるを説き信を勧む)

日蓮はわるき者にて候へども法華経は・いかでか・おろそかにおわすべき、ふくろはくさけれども・つつめる金はきよし・池はきたなけれどもはちすしやうじやうなり、日蓮は日本第一のえせものなり、法華経は一切経にすぐれ給へる経なり、心あらん人・金をとらんと・おぼさば・ふくろをすつる事なかれ、蓮をあひせば池をにくむ事なかれ、わるくて仏になりたらば法華経の力あらはるべし、よつて臨終わるくば法華経の名をりなん、さるにては日蓮はわるくても・わるかるべし・わるかるべし、恐恐謹言。

   月   日  御 返 事

 

現代語訳

日蓮は悪い者ではありますが、弘める法華経は、どうして、いい加減なものであられることがありましょうか。たとえば袋は臭くても中の金は浄く、池は濁っていても蓮は清浄であるようなものです。日蓮は日本第一の僻者です。しかし、法華経は一切経に勝れた経であります。経を求める心のある人は、金を取ろうと思うなら臭い袋を捨ててはなりません。蓮を愛するなら濁った池を憎んではなりません。

悪いといわれても、仏となるならば法華経の力は顕れるでありましょう。したがって、臨終が悪かったならば法華経の名折れとなるでありましょう。そうであるならば、日蓮はいかに悪くいわれても、悪いでよいのです。悪いでよいのです。恐恐謹言。

月 日   御 返 事

 

語句の解説

法華経

釈尊一代50年の説法のうちはじめの42年にわたって、華厳・阿含・方等・般若と方便の諸経を説き、最後の無量義経で「四十余年未顕真実」と爾前諸経を打ち破り「世尊法久後、要当説真実」と立てて後、8年間で説かれた真実の経。六訳三存。

現存しない経

①法華三昧経 六巻 魏の正無畏訳(0256年)

②薩曇分陀利経 六巻 西晋の竺法護訳(0265年)

③方等法華経 五巻 東晋の支道根訳(0335年)

現存する経

④正法華経 十巻 西晋の竺法護訳(0286年)

⑤妙法蓮華経 八巻 姚秦の鳩摩羅什訳(0406年)

⑥添品法華経 七巻 隋の闍那崛多・達磨芨多共訳(0601年)

このうち羅什三蔵訳の⑤妙法蓮華経が、仏の真意を正しく伝える名訳といわれており、大聖人もこれを用いられている説処は中インド摩竭提国の首都・王舎城の東北にある耆闍崛山=霊鷲山で前後が説かれ、中間の宝塔品第十一の後半から嘱累品第二十二までは虚空会で説かれたことから、二処三会の儀式という。内容は前十四品の迹門で舎利弗等の二乗作仏、女人・悪人の成仏を説き、在世の衆生を得脱せしめ、宝塔品・提婆品で滅後の弘経をすすめ、勧持品・安楽行品で迹化他方のが弘経の誓いをする。本門に入って涌出品で本化地涌の菩薩が出現し、寿量品で永遠の生命が明かされ「我本行菩薩道」と五百塵点劫成道を示し文底に三大秘法を秘沈せしめ、このあと神力・嘱累では付嘱の儀式、以下の品で無量の功徳が説かれるのである。ゆえに法華経の正意は、在世および正像の衆生のためにとかれたというより、末法万年の一切衆生の救済のために説かれた経典である。即ち①釈尊の法華経二十八品②天台の摩訶止観③大聖人の三大秘法の南無妙法蓮華経と区分する。

 

講義

ここでは世間的な眼から見て、あえて御自身のことを「わるき者」「日本第一のえせもの」と仰せられている。蒙古使御書でも分かるように、周りの人々が大聖人を悪しざまに言っている場面にしばしば触れていたであろうし、当然、尼御前もそうした話は聞かれていたにちがいない。大聖人は、それを御承知のうえで、あえて自らを弁護しようとはされず、法華経への信心を尼御前が全うすることを願ってこのように仰せられたものと拝せられる。

 

日蓮はわるき者・日蓮は日本第一のえせものなり

 

当時の日本国の人々が日蓮大聖人に対して抱いていた感じや思いにしたがって仰せられている。「わるき者」とは憎まれ者の意である。「えせもの」とは片意地な者とか、憎まれ者の意で「わるき者」とほぼ同じ意味である。

たとえ一般の人々から「わるき者」「えせもの」といわれようとも、大聖人が弘通される法華経は、一切経中で最も尊い経であることには変わりはないと説き進められている。したがってここでは、法華経の最上なることを強調されるために、このように仰せられたと思われる。

その「えせ者」である大聖人と、持っておられる〝法華経〟とを譬えて、「ふくろはくさけれども・つつめる金はきよし・池はきたなけれどもはちすしやうじやうなり」と仰せられている。

しかし「心あらん人・金をとらんと・おぼさば・ふくろをすつる事なかれ」と戒められるように、法華経を信じ求めるならば、日蓮大聖人を捨てては絶対に求めるものを得ることはできない。大聖人こそ真の正法を持っておられる人法一箇の御本仏であられるからである。

 

臨終わるくば法華経の名をりなん

 

一生の総決算ともいうべき臨終の大切さを述べられたところである。日ごろ法華経を持って立派な信仰生活をしていても、臨終が悪いと最高の経である法華経の名を折る、すなわち傷つけることになると仰せである。

日蓮大聖人がいかに臨終を重視されたかは、妙法尼御前御返事の「夫以みれば日蓮幼少の時より仏法を学び候しが念願すらく人の寿命は無常なり、出る気は入る気を待つ事なし・風の前の露尚譬えにあらず、かしこきもはかなきも老いたるも若きも定め無き習いなり、されば先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」(1404:05)との仰せにも拝せられる。

「臨終正念」といって、死に臨んでも心を乱さず、成仏を信じて疑わないことが信心の最も肝要である。大聖人は、人々が臨終正念で成仏していってくれることが願いであり、そうした人々の姿が法華経の名を高めていくのであって、自分は世間からどんなに悪く言われても、かまわないのだとの仰せであろう。

 

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