如来滅後五五百歳始観心本尊抄(観心本尊抄)2

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文永10年(ʼ73)4月25日 52歳

  1. 第十章(仏界を明かす)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
  2. 第十一章(教主に約して問う)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
      1. 釈迦仏法における「歴劫修行」
      2. 日蓮大聖人の仏法における「受持即観心」
      3. 平左衛門尉の例
      4. 因果倶時について
  3. 第十二章(教論に約して問う)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
  4. 第十三章(教論の難を会す)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
  5. 第十四章(教主の難を会すにまず難信難解を示す)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
  6. 第十五章(所受の本尊の徳用を明かす)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
  7. 第十六章(受持即観心を明かす)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
  8. 第十七章(権迹熟益の本尊を明かす)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
  9. 第十八章(本門脱益の本尊を明かす)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
      1. 成住壊空と永遠の生命
      2. 娑婆即寂光土
  10. 第十九章(文底下種の本尊を明かす)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
  11. 第二十章(末法出現の本尊を問う)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
  12. 第二十一章(一代三段・十巻三段を示す)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
  13. 第二十二章(迹門熟益三段を示す)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
  14. 第二十三章(本門脱益三段を示す)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
      1. 所説の法門も亦天地の如し十界久遠の上に国土世間既に顕われ一念三千殆んど竹膜を隔つ
  15. 第二十四章(文底下種三段の序正を明かす)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
      1. 一品二半の二意

第十章(仏界を明かす)

本文

 問うて曰く十界互具の仏語分明なり然りと雖も我等が劣心に仏法界を具すること信を取り難き者なり今時之を信ぜずば必ず一闡提と成らん願くば大慈悲を起して之を信ぜしめ阿鼻の苦を救護したまえ。

  答えて曰く汝既に唯一大事因縁の経文を見聞して之を信ぜざれば釈尊より已下四依の菩薩並びに末代理即の我等如何が汝が不信を救護せんや、然りと雖も試みに之を云わん仏に値いたてまつつて覚らざる者・阿難等の辺にして得道する者之れ有ればなり、其れ機に二有り一には仏を見たてまつり法華にして得道す二には仏を見たてまつらざれども法華にて得道するなり、其の上仏教已前は漢土の道士・月支の外道・儒教・四韋陀等を以て縁と為して正見に入る者之れ有り、又利根の菩薩凡夫等の華厳・方等・般若等の諸大乗経を聞きし縁を以て大通久遠の下種を顕示する者多々なり例せば独覚の飛花落葉の如し教外の得道是なり、過去の下種結縁無き者の権小に執着する者は設い法華経に値い奉れども小権の見を出でず、自見を以て正義と為るが故に還つて法華経を以て或は小乗経に同じ或は華厳大日経等に同じ或は之を下す、此等の諸師は儒家外道の賢聖より劣れる者なり、此等は且らく之を置く、十界互具之を立つるは石中の火・木中の花信じ難けれども縁に値うて出生すれば之を信ず人界所具の仏界は水中の火・火中の水最も甚だ信じ難し、然りと雖も竜火は水より出で竜水は火より生ず心得られざれども現証有れば之を用ゆ、既に人界の八界之を信ず、仏界何ぞ之を用いざらん堯舜等の聖人の如きは万民に於て偏頗無し人界の仏界の一分なり、不軽菩薩は所見の人に於て仏身を見る悉達太子は人界より仏身を成ず此等の現証を以て之を信ず可きなり。

現代語訳

問う、前から示された文によって十界互具を仏が説いた経文は分明になったが、われら凡夫の劣等な心に尊極無上の仏界を具しているということはとうてい信ずることができない。今もしこれを信じないならば一闡提(いっせんだい)不信の者となるであろう。どうか大慈悲心を起こしてこれを信ぜしめ、阿鼻地獄へ堕ちて苦悩するのを救ってもらいたいと思う。
 答う、汝は既に方便品の一大事因縁を説かれた文に衆生に仏知見があると説かれているのを見聞しておりながら、しかもこれを信じないというならば、釈尊の言を信じないのだから、釈尊を始め、四依の菩薩もならびに末代理即の凡夫たるわれらが汝の不信を救護することができないのは当然である。しかしながら試みにもう少し人界所具の仏界を説明してみよう。なぜなら釈迦仏の教化を受けておりながら覚らなかった者が、かえって弟子の阿難等によって得道する者があったのだから、今ここで説明して汝にわからせることが不可能とは一概にいえないのである。
 一体、衆生には二種の機根があって、一には仏に値い直接の教えを受けて法華経によって得道した者、二には仏には値わないけれども法華によって得道する者がこれである。その上、仏教以前の時代にあっては中国の道士やインドの外道たちが儒教や四韋陀というそれぞれの教えを縁にして正見に入った者があった。すなわち仏教以前には外道の教えであっても、それが縁となって法華の正見へ入ることができたのである。また爾前経を説いている四十余年のあいだには、利根の菩薩や凡夫は華厳・方等・般若等の諸大乗経を聞いた縁によって、過去三千塵点劫のその昔釈迦仏によって法華経の下種を受けたことを悟った者がたくさんある。すなわち法華経迹門の説法を聞く前にすでに大通智勝仏の時の下種を受けた衆生が自分であるという過去世の因縁を思い起こすことができたのである。たとえば独覚の人は仏のいない世に生まれて、飛花落葉などを見ては無常観の極地を悟ることができるというようなものである。これらを教外の得道というのである。
 もし過去世に法華経の下種結縁がない者で現在権教小乗教に執着している者は、たとえ法華経に値い奉ることができても、小権の見を脱けきれないで、自分の見解をもって正義とするがゆえに、かえって法華経をあるいは小乗経と同じだといい、あるいは華厳や大日経と同じだといい、あるいは法華経はこれらの経に劣るものだなどといっている。このように主張する仏教学者は、儒教や外道の賢聖よりも劣る者である。ただし過去世に下種結縁がなくても権小に執着しない者は法華の正見に入り得道することができるのである。これらの論議はしばらくこれをおく。
 本題の十界互具を説明しよう。十界互具を立てることは石の中に火が燃え、木の中に花が咲くように信じ難いけれども、なにかの縁に値ってこれが事実となって現われれば、人々はこれを信ずるのである。人界に仏界を具していることは、水の中の火・火の中の水のようにもっとも甚だ信じがたいけれども、竜火は水から出で、竜水は火から生ずるといわれている。甚だ心得られないことではあるが、現証があれば人々はこれを信じないわけにはいかない。既に汝は人界に地獄から菩薩までの八界があることを信じたのであるから、どうして経文に説かれているとおり仏界があることを信じないのか。中国古代の堯王や舜王は万民に対して偏頗の心がなく平等に善政を行なったことは人界に具している仏界の一分の現われである。不軽菩薩は見る人をことごとく礼拝して「汝等に仏性がある」といっている。またインドの悉達太子は人界に生まれながら仏身を成就して釈迦牟尼仏となった。これらの現証をもって人界に仏界を具えていることを信ずべきである。

語釈

四依の菩薩
 四依には法の四依と人の四依があり、人の方をいう。依とは依止所の意である。仏の滅後、仏法を弘通し、衆生済度の中心人格となった人々の位を四段階に分け、初依、二依、三依、四依とする。この人の四依がかならず遵守しなければならないところの四種の法があり、これを法の四依という。いま小乗および別教、円教の菩薩の位に配立すれば次のごとくになる。
    小  乗          別 教      円 教
初依:三賢(煩悩性を具す人)……… 十住・十行・十回向 … 十信
二依:初果(須陀洹の人)
 〃:二果(斯陀含の人)…………… 初地乃至六地 … 初住乃至六住
三依:三果(阿那含の人)…………… 七地乃至九地 … 七住乃至九住
四依:四果(阿羅漢の人)…………… 十地・等覚 …… 十住以上
 末法の四依とは、地涌の菩薩で、別しては日蓮大聖人、総じては折伏するものがすべて四依の菩薩である。

理即
 天台所立の六即位のもっとも低い位である。理即とは理性においてのみ仏と相即するの意。すなわち、理の上で論ずれば一切衆生にことごとく仏性があるゆえに理即の凡夫という。六即とは、理即、名字即、観行即、相似即、分真即、究竟即の六つの位をいう。

月氏
 中国、日本で用いられたインドの呼び名。紀元前三世紀後半まで、敦煌と祁連山脈の間にいた月氏という民族が、前二世紀に匈奴に追われて中央アジアに逃げ、やがてインドの一部をも領土とした。この地を経てインドから仏教が中国へ伝播されてきたので、中国では月氏をインドそのものとみていた。玄奘の大唐西域記巻二によれば、インドという名称は「無明の長夜を照らす月のような存在という義によって月氏という」とある。ただし玄奘自身は音写して「印度」と呼んでいる。

四韋陀
 四つのヴェーダ(Veda)。韋陀はヴェーダの音写。ヴェーダとは「知る」の名詞で知識を意味し、とくに聖なる知識を指すようになり、古代インドのバラモン教の四聖典を総称した。リグ・ヴェーダ(讃誦)、ヤジュル・ヴェーダ(祭祀)、サーマ・ヴェーダ(歌詠)、アタルヴァ・ヴェーダ(穣災)をいう。各ヴェーダの主要部分は、サンヒター(本集)と呼ばれ,狭義のヴェーダはこの部分をさす。付随文献のブラーフマナ(祭儀書)、アーラニヤカ(森林書)、ウパニシャッド(奥義書)を含めて広義のヴェーダと呼ぶ。成立年代は紀元前千五百年頃、また前千二百年頃、あるいは前一千年頃からと諸説あるが、以来、紀元前五百年頃にかけて編纂されたとするのは一致している。最古のリグ・ヴェーダから最新のアタルヴァ・ヴェーダまで、成立には約一千年から数世紀の開きがある。

大通久遠の下種
「大通」とは三千塵点劫の過去に大通智勝仏が出現した時をさす。三千塵点劫とは、三千大千世界(一人の仏の教えが及ぶ範囲とされる)の国土を粉々にすりつぶして塵とし、千の国土を過ぎるごとにその一塵を落としていって塵を下ろし尽くし、今度は一塵を下ろした国土も下ろさない国土も一緒にしてまた粉々にすりつぶして、その一塵を一劫とし、その膨大な数えきれない劫以上の無量無辺の長い時間をいう。この三千塵点劫の昔に仏がいて、その名を大通智勝仏といった。大相という時代に、好成国に転輪聖王の太子として生まれた。いちどは国王となり十六人の王子があったが、のち修行を積み仏となった。十六人の王子も出家した。大通智勝仏は、十六人の王子の願いによって二万劫過ぎてから妙法蓮華経を説いた。その時十六王子および少分の声聞は信受して法益を得たが、多分の衆生は疑いを起こして信じなかった。そこで後に十六王子が父王の説をくりかえして、法華経を説いた。これを「大通覆講」という。また、これによって、その時の衆生は、ようやく信解することができた。この時の第十六番目の王子が釈尊で、その時の下種を大通下種、大通久遠の下種等という。

不軽菩薩
 法華経常不軽菩薩品第二十に説かれる常不軽菩薩のこと。釈尊の過去世における修行の姿の一つ。威音王仏の像法の時代に仏道修行をし、自らを迫害する人々に対してさえ、「我れは深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」と、〝必ず成仏できる〟との言葉(鳩摩羅什の漢訳では二十四文字なので「二十四文字の法華経」という)を唱えながら、出会ったすべての人を礼拝したが、増上慢の人々から迫害された。この修行が成仏の因となったと説かれる。

堯舜
 ともに中国古代の伝説上の帝王。堯は、姓は伊祁、名は放勲。堯は諡号。陶、次いで唐に封建されたので陶唐氏といい、唐堯ともいう。徳をもって天下を治め、中国の皇帝の模範とされた。史記では五帝の一人に数えられている。舜は、姓は虞、名は重華。舜は諡号。虞舜ともいう。30歳で堯王の信任を受けて後に摂政となった。王の死後、人心が舜に傾いたので位に就き、八元八愷という十六人の人材を起用しよく善政を行なったという。史記では五帝の一人に数えられている。舜は孝に徹した人で、頑愚な父が後妻のことばに迷い、たびたび舜を殺害しようとした。あるときは屋根にのぼらせて火を放ち、あるときは井戸に生き埋めにしようとしたが果たさなかった。ついに父は盲目になったが、舜は最後まで孝養をつづけたという。堯典、報恩伝等にある。

講義

六道を明かし三聖を明かして「但仏界計り現じ難し」との前文を受け、十界互具の経文は明らかであるが、われら凡夫の劣心に仏界を具するとは信ずることができない、もしその義を信じなければ必ず一闡堤となるであろうからどうか信じられるようにして欲しいと質問をおこして、しかして、これに対して人界に必ず仏界を具していることを懇切にお示しになっている。
 いうまでもなく、当御抄は、末法凡愚のわれわれが信ずべき御本尊を明らかにせられているのであるから、そのためには、われわれの生命の中に仏界を具していることをはっきりとしなければならぬために、いろいろとおおせられているのである。一大事因縁の経文はさきにも説いたように、仏が出現するその根本目的は衆生の仏知見を開発して、その仏知見を衆生に示し、その仏知見を悟らしめ、そして仏知見道に入らしめるためである。いかに仏に力ありとするも、衆生に仏知見がなかったならばどうしてこれを開くことができようか。われわれ衆生に仏界を具していることは明らかなことではあるが、問題は末法に至ってどうしてこの仏知見を開かしめるかにある。
 思うに在世の釈尊は法華経二十八品をもって衆生の仏知見を開き、像法の天台・伝教は摩訶止観をもって仏知見を開いたのであるが、末法に至っては法華経二十八品も摩訶止観も、理上のものであって事実としては役立たないのである。ここにおいて末法の民衆の仏知見を開いて、これらに最高唯一の幸福を得させんと念願せられた大聖人は、三大秘法の御本尊を図顕してわれらにお授けになったのである。このゆえにこの御本尊を信行しなくては、絶対に仏知見を開くことはできないのである。されば大聖人のおおせに、
「其れ機に二有り一には仏を見たてまつり法華にして得道す二には仏を見たてまつらざれども法華にて得道するなり」と。
 このおことばは一応は釈尊在世に通ずるのであるが、再往これを見ればその機とは末法の機を指すのである。末法の機においては、大聖人に会い奉って自行化他の題目を唱え奉った者、あるいは御本尊をいただいて題目を唱えた者は皆成仏したのである。またわれらのごとく大聖人に会い奉ることができなくとも、御本尊を信じてこれを行ずるものはまた成仏し得るのである。
 また大聖人は仏の出世以前の悟りを説いて「儒教、四韋陀等を以て正見に入る」とおおせられているが、これは真の悟りではない。有余涅槃といって声聞縁覚の悟りである。これに当たるものは、今日においてはキリスト教等がその中に入るであろう。また「利根の菩薩凡夫等の華厳・方等・般若等の諸大乗経を聞きし縁を以て大通久遠の下種を顕示する者多々なり」とおおせられているのは正法像法のことであって、末法においてはこれらでは絶対に得道成仏はできない。末法においてはただ題目の五字のみが仏知見を開発するものであって、この御抄に例するものを考うればいまだ三大秘法の御本尊の流布しない朝鮮、中国、インドの国々において利根の菩薩凡夫があれば、ただ題目を唱えることによって久遠元初の下種を顕示することができることもある。
 また、たとえ末法下種の本尊たる三大秘法の大曼荼羅に会うといえども、他の邪宗に執着のある者はけっして仏知見を開いて幸福になることはできないのである。これについて日寛上人のおおせに「過去の下種結縁無しと雖も権小に執着せざれば今日始めて下種結縁して正法の行者と成るなり」と。
 また十界互具を立て人界に仏界ありと断ずることは石中の火・木中の花のごとく信ずることができないが、縁に会って出生すればこれを信ずるとおおせられているのは、仏教は全部証拠主義である。文証・理証・現証と三つの証拠を立てるが、その中でも現証をもっとも大切にする。御本尊を信ずれば幸福になり、仏知見を開発することができるという経文や理論があっても、事実幸福にならなかったら真実のものとはいえない。しかるにこの御本尊を信ずる者は百発百中、皆幸福になる証拠をつかみ得るのである。

 

 

第十一章(教主に約して問う)

本文

 問うて曰く教主釈尊は此れより堅固に之を秘す三惑已断の仏なり又十方世界の国主・一切の菩薩・二乗・人天等の主君なり行の時は梵天左に在り帝釈右に侍べり四衆八部後に聳い金剛前に導びき八万法蔵を演説して一切衆生を得脱せしむ是くの如き仏陀何を以て我等凡夫の己心に住せしめんや、又迹門爾前の意を以て之を論ずれば教主釈尊は始成正覚の仏なり、過去の因行を尋ね求れば或は能施太子或は儒童菩薩或は尸毘王或は薩埵王子或は三祇・百劫或は動喩塵劫或は無量阿僧祇劫或は初発心時或は三千塵点等の間七万・五千・六千・七千等の仏を供養し劫を積み行満じて今の教主釈尊と成り給う、是くの如き因位の諸行は皆我等が己心所具の菩薩界の功徳か、果位を以て之を論ずれば教主釈尊は始成正覚の仏四十余年の間四教の色身を示現し爾前・迹門・涅槃経等を演説して一切衆生を利益し給う、所謂華蔵の時・十方台上の盧舎那・阿含経の三十四心・断結成道の仏、方等般若の千仏等、大日・金剛頂等の千二百余尊、並びに迹門宝塔品の四土色身、涅槃経の或は丈六と見る或は小身大身と現じ或は盧舎那と見る或は身虚空に同じと見る四種の身乃至八十御入滅舎利を留めて正像末を利益し給う、本門を以て之れを疑わば教主釈尊は五百塵点已前の仏なり因位も又是くの如し、其れより已来十方世界に分身し一代聖教を演説して塵数の衆生を教化し給う、本門の所化を以て迹門の所化に比校すれば一渧と大海と一塵と大山となり、本門の一菩薩を迹門十方世界の文殊観音等に対向すれば猿猴を以て帝釈に比するに尚及ばず、其の外十方世界の断惑証果の二乗並びに梵天・帝釈・日月・四天・四輪王・乃至無間大城の大火炎等此等は皆我が一念の十界か己心の三千か、仏説為りと雖も之を信ず可からず。

 

現代語訳

問う、教主釈尊は、(これより以下に説く所は、御本尊の妙用によって受持即観心の義を明かす、これこそ文底深秘の奥旨であるから堅固にこれを秘せよ)見思・塵沙・無明の三惑をすでに断じ尽くした仏様である。このように三惑を断じて娑婆世界の衆生を化導するうえに、また十方世界の国主・一切の菩薩・二乗・人天等の一切衆生の主君である。そして釈尊の行かれる時は、大梵天王が左に、帝釈天が右にお伴し、四衆と天竜八部がその後に従い、金剛神は前を導き、八万法蔵といわれる一切経を演説して、一切衆生を得脱させるのである。このように荘厳・尊厳な仏様がどうしてわれら凡夫の己心に住しているといえようか。
 また法華経の迹門・爾前経等の意をもってこれを論ずるならば、教主釈尊は十九歳で出家し、三十歳で成道した仏である。過去世にどのような因行があるかと見れば、ある時は能施太子と生まれて布施を行じ、儒童菩薩と生まれては、髪を布き、燃燈仏に供養し、尸毘王と生まれては、鳩に代わって自分の肉を鷹に与え、薩埵王子と生まれては、飢えた虎にわが身を施された。このような菩薩行を、蔵教では三大阿僧祇・百大劫の間行じたと説き、通教では動喩塵劫、別教では無量阿僧祇劫の間行じたと説き、円教では初発心の時より四十二位の菩薩行を行じてきたと説いている。以上のように四教を説いて後、法華経迹門化城喩品では、三千塵点劫にわたる修行を説いている。このような長時にわたり、七万・五千・六千・七千等の諸仏を供養し奉り、劫を積み、修行を満足して、インドに出現し悟りを開いて、今の教主釈尊と成り給うたのである。このような因位におけるもろもろの修行は、皆われらが己身に具えている菩薩界の功徳であるというのか。
 また爾前迹門における仏としての果位をもってこれを論ずれば、教主釈尊は、過去世における因行によってインドに出現し三十歳で成道した仏である。しかして成道の時より華厳・阿含・方等・般若と説き進め、四十余年の間、蔵・通・別・円の四教を説くごとにそれぞれ四種の仏身を示現し、爾前経・法華迹門・涅槃経等を演説して、一切衆生を利益し給うたのである。いわゆる華厳経を説法の時は、十方に化作した諸仏の中央蓮華台上に、盧舎那仏と現われ、阿含経の時には、三十四の智慧心をもって見思の惑を断じ尽くして成仏の姿を示し、方等の時には、来集した諸仏の中において説法し、般若の時には千仏とともに現じて説法し、大日経・金剛頂経の時には胎蔵界の七百余尊・金剛界の五百余尊の威儀を現じ、法華経迹門では、宝塔品第十一の時、三変土田して、凡聖同居土・方便有余土・実報無障礙土・常寂光土の四土の仏身を示現し、涅槃経の時には、一会の大衆があるいは丈六の仏と見、あるいは小身・大身と現われ、あるいは盧舎那報身の仏と見、あるいはその身が虚空と等しい法身仏と見た。すなわちこのように四種の身を現じたのである。乃至御年八十歳でご入滅あそばされた後までも、正法・像法・末法の三時にわたって一切衆生を利益し給うたのである。このような仏が凡夫の己身に住するとは考えられない。
 また法華経本門の内容からこれを疑うならば、教主釈尊は久遠五百塵点劫已前に成仏し、因位もまた五百塵点復倍上数の長遠である。それより已来娑婆世界はいうまでもなく、十方世界に分身の諸仏を遣わし、一代聖教を演説して、大地微塵のごとき無数の衆生を教化してきた。本門における所化の衆生を、迹門の所化に比べるならば、一渧と大海の水を比べるごとく、一塵と大山のごとき相違がある。本門の一菩薩を迹門の十方世界から来集した文殊・観音等の菩薩に相対するならば、猿と帝釈天を比較するよりさらに大きな相違がある。このように無量無辺の大菩薩たちを教化してきた大徳の釈迦仏がわれらの己心に住するとは、なおいっそう信じ難いことである。
 そのほかにまた十方世界にいて、惑を断じ果を証した二乗や、梵天・帝釈・日月・四天・四輪王等の天界や、また無間大城の大火炎等々、これらはみなわが一念の十界であるのか。わが己身の三千世間であるというのか。たとえ仏の説であるからといってもこれを信ずることはできないではないか。

 

語釈

四衆八部
 四衆とは比丘(出家の男性)、比丘尼(出家の女性)、優婆塞(在家の男性)、優婆夷(在家の女性)のこと。八部とは八部衆で、仏法を守護する八種類の諸天や鬼神。法華経譬喩品第三などにある。天竜八部ともいう。天(天界の神々)・竜・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽の八種。

金剛
 執金剛神のこと。賢劫千仏の法を護る二神で、寺門の左右に安置される。大日経には「是れ夜叉王なり、金剛杵を執りて常に仏に侍衛するが故に金剛手という」とある。

能施太子
 釈尊が過去世に檀波羅蜜を修めた時の名。大施太子ともいう。賢愚経巻八、大智度論巻十二にある。昔、波羅奈国に大施太子という人があって、衆生が生活に苦しみ、羊や狗(いぬ)などを殺生しているのを憐れみ、所持の宝を全部民衆に施し、なお竜宮にいたって、万宝を生ずる如意宝珠を得て衆生に万宝を施したという。

儒童菩薩
 釈尊が過去世に修行していた時の名。太子瑞応本起経(瑞応経)巻上によると、釈尊が、因位の修行のとき儒童菩薩として、五百の金銭で買い取った五茎の青蓮華を定光仏に奉り、自分の髪を解いて泥地に敷き、仏に通らせた。その功徳をもって、仏は儒童菩薩に、「汝は将来仏となり、釈迦牟尼仏という名で世界の燈明となるであろう」と授記した。

尸毘王
 釈尊が過去世に修行していた時の名。鷹に追われた鳩を救うため、自分の肉を切り取って鷹に与えたという。鳩も鷹も、それぞれ毘沙門天と帝釈天が尸毘王の求道心を試そうとして現した仮の姿であった。檀(布施)波羅蜜を説く仏教説話として、菩薩本生鬘論巻一、大荘厳論巻十二等にある。

薩埵王子
 釈尊が過去世に修行していた時の名。摩訶羅陀王の第三子で摩訶薩埵王子という。金光明経巻四によると、薩埵王子が二人の兄と竹林で遊んでいた時、子を産んで飢え苦しんでいる虎を見つけた。二人の兄は去ったが、薩埵王子は我が身を与えて虎を助けたという。

動喩塵劫
「動もすれば塵劫を喩ゆ」と読む。動踰塵劫とも書く。通教の菩薩の修行の期間が、塵劫を喩えていること。通教の菩薩は十地の第七・已弁地で三界見思の惑を断ずるが、断じ尽くすと三界に生ずることができないゆえに、誓って習気(煩悩の残習)をのこして三界に生じ衆生を化度し、第八地、第九地で修行に励み、塵劫を経て第十地の仏地で余残の習気を断じ尽くし、七宝樹下に天衣を座として成道する。この期間が動もすれば塵劫を喩えることをいう。

十方台上の盧舎那
 華厳の結経たる梵網経(梵網経盧舎那仏説菩薩心地戒品第十)に説かれる報身仏。すなわち華厳の教主は華蔵世界・蓮華中台に坐し、蓮華の千葉上に千釈迦、その葉中に百億の小釈迦がありとする。

三十四心・断結成道の仏
 阿含経で三蔵教の菩薩が最後に成道する時、煩悩を断ずる過程である。三蔵教の菩薩は最後まで煩悩を持ち六道に生じて化導の功を積み、最後に煩悩を断尽するという。

四土色身
 法華経宝塔品で十方分身の諸仏が多宝如来の宝塔を供養するために娑婆世界へ来集するにあたり、釈尊が三度国土を清浄にする儀式が説かれている(三変土田)。すなわち、初めに白毫相を現じて娑婆世界を清浄ならしめ、さらに八方の二百万億那由他阿僧祇の国土を変じて清浄ならしめ、さらにまた八方の二百万億那由他阿僧祇の国土を変じて清浄ならしめた。これにしたがって、仏身もまた凡聖同居土では劣応身、方便土では勝応身、実報土では報身、寂光土では法身とそれぞれ姿を現じた。これを四土の色身というのである。

四種の身
 涅槃経の文で「丈六」は劣応身、「小身大身」は勝応身、「盧舎那」は報身、「身虚空に同じ」は法身を指す。

 

講義

堅固にこれを秘せよとのおことばは「正像未弘の御本尊の妙能に寄せて、受持即観心を成ずるということを説いても、権小に執着する人はなかなかこれを信じられない。信じないだけでなく誹謗する。これは堕獄の罪を成ずるばかりでなく、大聖人出世の本懐を無にするの恐れがある、ゆえに強信の者でなければ説いてならぬ」とのおこころである。されば当抄の送状にいわく「観心の法門少少之を注して大田殿・教信御房等に奉る、此の事日蓮身に当るの大事なり之を秘す、無二の志を見ば之を開祏せらる可きか、此の書は難多く答少し未聞の事なれば人耳目を驚動す可きか、設い他見に及ぶとも三人四人坐を並べて之を読むこと勿れ、仏滅後二千二百二十余年未だ此の書の心有らず、国難を顧みず五五百歳を期して之を演説す乞い願くば一見を歴来るの輩は師弟共に霊山浄土に詣でて三仏の顔貌を拝見したてまつらん」(0255:01)と。
 また日寛上人当抄の講義にあたっていわく、
「享保第六太歳、猛夏中旬、総州細草の学校および当山所栖の学徒等四十数輩、異体同心に予に当抄を講ぜよと謂う、懇志一途にして信心無二なり、余謂く四十余輩一人にあらずや、あるいは三四並席の誡を脱れんか、このゆえに老病堪うべきなしといえどもついに固辞するあたわず粗文の起尽を分かち、略して義の綱要を示す、またこれを後代の君子に贈り苦に三仏の顔貌を拝せんことを帰するのみ」と。
 以上のように重大なる当抄の肝要を述べられるがゆえに、「堅固に之を秘せよ」とおおせられているのである。されば古義にこの義を種々の観点から説かれているのを一応次にあげることにする。
 一、天台の自解仏乗の一念三千は、余師未弘の深秘なるがゆえである。
 二、天台の一念三千に寄せて、当家の深意を尋ぬるゆえである。
 三、本門の難信難解に寄せて、観門の深旨を問うゆえである。
 四、迹化未弘の寿量の文を引いて、事の一念三千を判ずるゆえである。
 五、末法の凡夫の信心の一念に釈尊の因行果徳を具足する深義を顕わすゆえである。
 六、日寛上人は、「これより堅固に秘せよ」を説いていわく、この下まさに本尊の妙能によりて受持即観心を成ずるの義を明かす。これすなわち文底深秘の奥旨、久遠名字の直達正観のゆえに「堅固に之を秘す」というのである。
 さて十界互具が真理として正しい以上、いままでの権小の宗教では自分以外に自分以上のものとして存在していた仏が、われらの己心に内在することになる。
 われらの生命に内在する仏は、総じていえば三惑已断の仏(親の徳)であり、十方世界のあらゆる者の主君であり(主の徳)、またあらゆる荘厳をつくして八万法蔵を演説する仏(師の徳)である。とすれば、実にりっぱな仏である。このような仏が、どうしてわれわれ凡夫の心に住しているかということが信じられない。信じられないけれども内在するのだということを、これから強く説かれるのである。さればその仏の因位と果位を爾前、迹門、本門の三重に分けて説き、ますます疑いを深めて結論を出そうとせられている。
 しかして本文において、その菩薩を称嘆して、「本門の所化を以て迹門の所化に比校すれば一渧と大海と一塵と大山となり、本門の一菩薩を迹門十方世界の文殊観音等に対向すれば猴猿を以て帝釈に比するに尚及ばず」とおおせられているのは、本門の所化とは地涌の菩薩をさしておられるからである。
 また、十界互具の道理よりして「是くの如き因位の諸行は皆我等が己身所具の菩薩界の功徳か」とおおせられて、われら個々の生命に菩薩界を具していることを説かれている。また「其の外十方世界の断惑証果の二乗並びに梵天・帝釈・日月・四天・四輪王・乃至無間大城の大火炎等此等は皆我が一念の十界か己身の三千か」とおおせられて、仏界、菩薩界以外に声聞・縁覚・天・地獄・修羅等の八界をも具しているのだと説かれるのである。十界互具の道理を信じない以上は、これを解することはなかなかむずかしいことであるので、これから章を追って文証・道理・現証をあげて説明せられているのである。そして結論として末法の観心・末法の本尊を明らかにして、末法の凡愚のわれわれを救済くださる御慈悲を示されるのである。
 また、梵天左に在り帝釈右に侍りのおことばについて日寛上人は次のようなご意見を述べられている。
 この文は止観の文であるが、おそらくは左右のとり違えで、梵天が右、帝釈が左となるべきであろう。そのゆえは、およそインドの風俗としては右尊左卑である。そのゆえは君・父・師は東面するので、右は南にあたり陽で尊、左は北にあたり陰で卑となる。ゆえに諸文に帝釈は左、梵天は右とあり、また舎利弗は右、目連は左等の文があり、これは仏が行く時、あるいは座する時に東面を正座とするから右尊左卑となるのである。次に聴法の時は、仏が東向きなら大衆は西向きとなり、仏が西向きなら大衆が東向きとなる。法華経宝塔品以後は仏が西向きで説法し、衆生は東面でこれを聞く。

釈迦仏法における「歴劫修行」

本文は、受持即観心を説き起こす問いの文である。この文に、釈迦仏法と日蓮大聖人の仏法の相違がきわめて明確に示されていることを知らなければならない。
 まず「問うて曰く教主釈尊は此れより堅固に之を秘す三惑已断の仏なり又十方世界の国主・一切の菩薩・二乗・人天等の主君なり行の時は梵天左に在り帝釈右に侍べり四衆八部後に聳い金剛前に導びき八万法蔵を演説して一切衆生を得脱せしむ是くの如き仏陀何を以て我等凡夫の己心に住せしめんや」と、総じて教主を嘆じ、これほどまでに尊い教主釈尊が、なんでわれわれのごとき凡夫の己心に住することがあろうかと疑問をなげかけている。
 さらに疑問はつづく。すなわち、別して権迹本の仏に約して、その因位の万行と果位の万徳を嘆じ、このような権迹本の仏の因位の万行と果位の万徳がわれらの己心にあるとは考えられないと疑うのである。初めに爾前迹門の意でいえば、釈尊は、かつてあるときは能施太子として、または儒童菩薩、尸毘王、薩埵王子等とさまざまな姿を現じて、あるいは三大阿僧祇、百大劫、動踰塵劫、無量阿僧祇劫あるいは初発心時、また三千塵点劫という長い間、何千何万という仏を供養したり、六波羅蜜の修行をして、仏となったとしているのである。また果位をもって論ずれば、四十余年の間、一切衆生を利益し、また、滅後の人々まで救っているのである。
 さらに、本門の意でいえば、釈尊は、五百塵点劫という昔から仏であり、それにいたるまで、その数に倍するほどの長い間修行しており、それ以来無数の衆生を利益してきたのである。このような仏は、われわれ凡人がとうてい到達できるものではない。まして、われわれの生命のなかに備わるということなど、ありえようはずがないではないかとの疑問がかかげられている。
 この疑問のなかに貫かれているものは、仏の境涯というものは、歴劫修行によって、ようやくたどりついた特別なものであり、凡人のとうていおよびもつかぬ理想境であるという思想である。
 当時の衆生は、釈尊を遠くの世界にみたことであろう。遠くの世界にいる仏に渇仰恋慕をなし、それに向かって、みずからも歴劫修行をはげみ、理想とする仏に近づこうとしたのであった。衆生の目に映じた仏は、三十二相八十種好をそなえた色相荘厳の仏であった。すなわち完成された仏であり、まさに理想人格そのものであった。これは釈迦仏法全般につうじていることであり、たとえ、法華経本門において、五百塵点劫を説き、久遠以来常住する仏を説き明かしても、やはり、その時仏になるまでに、それに倍するほど長きにわたって菩薩道を修したと説くのであるから、作られた仏であり、いまだ宇宙とともに常住する仏ではなく、迹中化他の虚仏にほかならない。
 このように、釈迦仏法は、完成された仏を中心とする教法であるから、本果妙の仏法といい、また仏果(果)とそれにいたる修行(因)とが遠く離れているから、因果異時と名づけるのである。
 このような、歴劫修行によって仏になるという考え方には、釈迦仏法の本質的な因果論が横たわっている。
 すなわち、釈尊は、次のように三世の因果を説いている。この世で多病である、また短命である人は、殺の報い、貧愚で失財の人は盗みの報い、眷属不良で婦が貞実でない人は、邪淫の報い、身に誹謗を受け人に誑惑されるのは妄語の報い、親類に離れ親友にも捨てられるのは両舌の報い、悪声を聞き訴訟をおこすのは悪口の報い、人に信じられず言語が不明瞭なのは綺語の報い、多欲で足ることを知らず、金がほしい物がほしいというのは貪の報い、人のためにすきをうかがわれ、あるいは殺されたりするのは瞋りの報い、邪見の家に生まれて心諂曲なのは愚癡の報いである等と。
 佐渡御書に般泥洹経を引いていわく「我人を軽しめば還って我が身人に軽易せられん。形状端厳をそしれば醜陋の報いを得。人の衣服飲食をうばへば必ず餓鬼となる。持戒尊貴を笑へば貧賎の家に生ず。正法の家をそしれば邪見の家に生ず。善戒を笑へば国土の民となり王難に遇ふ」(0960:03)と。
 そしてさらに、このような因果の理法は「是は常の因果の定れる法なり」とおおせられ、釈迦仏法で説くところの通途の因果であり、とうぜんのこととされているのである。
 これは低き因果であり、浅き因果である。しかし、いかに低いとはいえ、また浅いとはいえ、これらの因果の理法はまちがいではなく、厳然たる事実なのである。
 しかしながら、このような低い因果の説法をもって仏法の全体とするならば、運命は定まれるものとなり、ただ人生を悪いことをしないようにするていどの消極的な生活におちてしまうのである。
 所詮釈迦仏法においては、ずっと過去からの悪業が原因で今生に不幸な結果を生じたのであるから、その原因は、今世・来世と順次生に断ち切っていけば、遠い未来のいつか、その悪業をぜんぶ断ち切って幸福な結果を得ると説くのである。これ歴劫修行であり、遠きかなたに理想境をおくゆえんである。

日蓮大聖人の仏法における「受持即観心」

これに対し、日蓮大聖人の仏法は、釈尊の五百塵点劫の成道をも打ち破って、さらにその本源を説き明かしている。すなわち、久遠元初の顕本であり、働かさず、つくろわず、もとのままの本有常住の生命観をうちたてられたのである。
 総勘文抄にいわく「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき」(0568:13)と。
 この文において、釈迦如来とは、法華経本門文底の釈尊即久遠元初の自受用身如来であり、五百塵点劫の当初とは、久遠元初である。
「我が身は地水火風空」とは、我が身即全宇宙ということである。すなわち、生命は宇宙より先に生じたものでもなく、宇宙より後から発生したものでもなく、宇宙と同時に存在し、宇宙が流転してゆく限り、宇宙とともに無限に続きゆくものである。
 日蓮大聖人はさらにこの無始無終の生命が、実は瞬間のなかに含まれるのだと説かれたのである。瞬間は永遠をはらみ、永遠は瞬間の連続である。これを久遠即末法という。
 過去とか、現在とか、未来とかいっても、いったい、どのようにして区別するのであろうか。現在の一瞬は矢のごとく流れ、次の瞬間には過去となっており、また未来はたちまちのうちに現在に流れ込んでくる。その瞬間は、有りといえば無く、無しといえば有るという、いわゆる空という概念にあたる実在なのである。
 しかし、その瞬間にしか生命の実在はなく、永遠といえども瞬間の連続である。現在のこの瞬間こそ真実の存在であり生命の全体であり、これを仏法では中道法相という。また、われわれはこの瞬間に幸福を感じ、不幸を味わい、希望をもったり、失望したりする生活を送るのである。
 因果論でいえば、この一瞬の生命に因果を具しているのである。過去のあらゆる行業、あらゆる行動の集積が因となって、現在を規定し、現在に結果としてあらわれている。また現在の行動が因となり、未来に果を生むのである。現在の瞬間を離れて未来はない。否、未来は現在の瞬間の一念でどのようにも変えることができるのである。すなわち、一瞬の実相のうちに過去永遠の生命をはらみ、かつ未来永遠の生命をはらむ。これを「因果倶時不思議の一法」すなわち妙法蓮華経と名づけるのである。日蓮大聖人の仏法はこの瞬間の生命をあますところなく説ききり、永遠の幸福確立の方途を示されたのであった。これこそ、末法の御本仏の所作であり、釈迦仏法と根本的に相違せるゆえんである。
 総勘文抄にいわく「過去と未来と現在とは三なりと雖も一念の心中の理なれば無分別なり」(0562:08)と。過去、現在、未来は、一念の生命におさまるとの明文である。また御義口伝にいわく「所謂南無妙法蓮華経は三世一念なり」(0788:10)と。また百六箇抄にいわく「久遠一念元初の妙法」(0867:01)と。また本因妙抄にいわく「久遠一念の南無妙法蓮華」(0874:10)と。本因妙抄にいわく「因果一念の宗」(871:04)と。
 これらの文によれば、久遠の生命も一念に収まることは明々白々たるものがある。
 日蓮大聖人は、かかる大生命哲学を根本として、受持即観心を説き明かし、末法の一切衆生が、真実の幸福を会得する原理をうちたてられたのである。本抄にいわく「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246:15)と。釈尊とは、権・迹・本の釈尊である。また十方三世のあらゆる仏を代表して釈尊といわれたのである。あらゆる仏の因位の万行、果位の万徳は、ことごとく三大秘法の御本尊を信ずる一念のなかに具足するのである。これ因果倶時ではないか。
 したがって、釈迦仏法のように、過去遠々劫よりの悪因を、これから何度も生まれてきて消していくようなものではなく、たとえ過去に少しも福運を積んでいなくとも、御本尊を信ずる一念のなかにあらゆる因位の万行が含まれ、それだけの修行を積んできたと同じことになり、また、未来のあらゆる幸福境涯を現在の瞬間に開くのである。
 幸福というものは、なにか遠くにある特別な世界ではない。また、過去の因によって現在というものが、がんじがらめに身動きができないようにしばりつけられているものでもない。大事なのは過去でもない。また現在をはなれた未来でもない。この瞬間瞬間がいっさいである。しかして、御本尊を信ずる一念こそ、現在の瞬間を、真に幸福に生ききる源泉であり、絶対の幸福境に思うがままに遊戯することができる本源なのである。
 以上のことを結論すれば、歴劫修行を説く釈迦仏法は、因果異時であり、受持即観心を説く日蓮大聖人の仏法は、因果倶時の生命観に立脚しているのである。
 ゆえに、釈迦仏法と日蓮大聖人の仏法の相違を克明に知るためには、さらに因果異時と因果倶時の問題を追究していかねばならない。今ここにそれを、われわれの生活に約して論じていこう。
 春に種をまくと秋に実がなる。一生懸命に勉強して試験に合格できた。薬を飲んで、その薬が全身にまわり、利き出すのに時間がかかる。これらは、原因と結果が同時ではなく、ある一定の間隔があるのである。したがって、これらの事象の因果を表面的に追っていけば、因果異時である。
 これに対し、熱湯の中に手を入れて熱いと感ずるのは、瞬間の因果である。また、怒ると人相が変わるというのも瞬間の因果である。このように因果が同時であるのを因果倶時というのである。しかし、これらの例は、あくまでも因果倶時をわかりやすくするための類似の例であり、因果倶時そのものではないことを了承されたい。因果倶時は、仏法、なかんずく日蓮大聖人の生命哲学の奥底をなすものである。
 もしも、厳密にいえば、因果異時の例としてあげた春種をまいて秋実が成るということも、因果倶時の例としてあげた、熱湯の中に手を入れて熱いと感ずることも、ともに因果異時である。因果異時とか因果倶時というものは、けっしてこれが因果異時で、これが因果倶時であるというような、因果の法則のたんなる分類ではない。正しくいえば、いっさいが因果異時であり、いっさいが因果倶時である。
 たとえば、春種をまいて秋実が実るということはたしかに因果異時にみえる。しかし春にまいた種のなかに秋に成る実が含まれていると考えた場合、それは因果倶時なのである。すなわち、ある事象にあらわれた姿について因果を究明していけば、因果異時であり、その事象の本質をみていけば因果倶時なのである。

平左衛門尉の例

いま、それを七百年前、日蓮大聖人を迫害しつづけた平左衛門尉を例にとって考えてみよう。
 平左衛門尉頼綱は、大聖人を竜の口で頸を切ろうとした張本人であり、佐渡流罪を画策した張本人であり、また熱原の法難で神四郎、弥五郎、弥六郎の三人の頸をはねた張本人である。頼綱は、当時の執権の家司と侍所の所司を兼ねていた。北条氏の政務は評定制であるが、最後の決定権は執権が握っていたので、執権の執事たる家司の政治上の権力は絶大なものがあった。のみならず侍所の所司として軍事、警察権をも握っていた。実質的には政府と軍部の大権を、みずからの手中におさめていたのである。しかも父祖三代にわたってこの任にあたったことをもって頼綱の権勢のいかに大きいかを知るべきである。このことは日蓮大聖人が十一通御書のなかの平左衛門尉頼綱への御状のなかで「貴殿(頼綱)は一天の屋梁為り万民の手足為り」(0171:03)と述べられていることからも推察できるのである。
 ところが、この頼綱は、晩年は悲惨であり、次男資宗(すけむね)を将軍の位に登らせようと計って長男宗綱に訴えられ、永仁元年四月、北条貞時によって父子ともに誅殺され、長子宗綱は佐渡に流罪された。大聖人滅後十二年目のことである。日寛上人はこれについて撰時抄文段に「今案じて云く、平左衛門入道果円は首を刎ねられてしまった。これすなわち蓮祖大聖人の御顔を打った故である。また最愛の次男である安房の守も首を刎ねられた。これすなわち安房の国の蓮祖大聖人の御頸を刎ねようとしたためである。嫡子宗綱は佐渡に流罪になった。これすなわち蓮祖大聖人を佐渡が島へお流ししたゆえである」と述べられている。
 ところで大聖人が建治三年六月にあらわされた下山御消息には「教主釈尊より大事なる行者を法華経の第五の巻を以て日蓮が頭を打ち十巻共に引き散して散散に蹋たりし大禍は現当二世にのがれがたくこそ候はんずらめ」(0363:01)と仰せられている。また熱原法難の真最中であった弘安二年十月の御書、聖人御難事には「過去現在の末法の法華経の行者を軽賎する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(1190:02)とおおせられている。
 すなわち、平左衛門尉頼綱が滅亡することが、はっきりとこれらの御書の上にあるのである。これらの御書があらわされたときには、頼綱は、まさに天をもつかん勢いであり、権勢をほしいままにし、栄耀栄華を誇っていた。しかしながら、その時すでに彼があのような悲惨な末路をとげることは、決定づけられていたといえるではないか。
 もしも、頼綱を表面的にあらわれた現実をみれば、そのときは華々しい、また万人からうらやましがられる立ち場である。しかしその頼綱の生命の奥底は、無間地獄の苦悩をはらんだ生命である。頼綱は大聖人滅後十二年にして滅亡したとみれば因果異時である。大聖人を迫害したときすでに頼綱の滅亡は決定していたととれば、因果倶時ではないか。
 このように日蓮大聖人の仏法は、あらわれた事実を表面的に因果づけるのではなく、事物の本質、生命の奥底を問題にし、また瞬間というものを、徹底して説ききわめられているのである。 
 心地観経にいわく「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」と。それを表面的にみれば釈迦仏法の因果の説である。しかし、この文を大聖人の仏法の立ち場からみれば因果倶時をあらわしているといえるのである。すなわち、過去の因は現在の瞬間にあり、未来の果もまた現在の瞬間にあるのである。
 この平左衛門尉の例からも明らかなように信心を失えば、ただちに地獄なのである。だんだんと地獄に落ちるというのは、皮相的であり、あらわれた姿、形のみ注目するいきかたである。生命の究極を論ずれば、だんだんと地獄に落ちるのではない。たとえ、形はどうあろうとも生命の本質はすでに地獄である。

因果倶時について

逆に御本尊を信ずる立ち場で、因果倶時を考えてみよう。二十年、三十年と、うまずたゆまず信心を貫いていけば、必ず幸福に満ち満ちた生活になる。どんなに落ちぶれた人でも、心に御本尊を信ずれば、将来かならず幸福になる。
 しかし、このように考えることは、まだ因果異時の立ち場である。御本尊をひとたび受持する者は、たとえ身はどんなに貧賎であろうと、その人の生命の本質は即座に仏界であり、いかなる大王よりも尊貴なのである。
 松野殿御消息にいわく「又法華経の薬王品に云く能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦為れ第一等云云、文の意は法華経を持つ人は男ならば何なる田夫にても候へ、三界の主たる大梵天王・釈提桓因・四大天王・転輪聖王乃至漢土・日本の国主等にも勝れたり、何に況や日本国の大臣公卿・源平の侍・百姓等に勝れたる事申すに及ばず、女人ならば憍尸迦女・吉祥天女・漢の李夫人・楊貴妃等の無量無辺の一切の女人に勝れたりと説かれて候」(1378:06)と。されば、われら御本尊を護持したものは、世界一の幸福者であると確信して進んでいこうではないか。
 いまは、不幸な身であるが、二十年、三十年後は幸福な身になる、それは、あらわれた姿についていったにすぎない。いまが幸福なのだ。いま大福運を積んでいるのである。こうなれば幸福だ、ああすればよいのにと願うのは、人間の自然の心の発露である。しかし、こう願うだけでなすすべを知らず、また瞬間瞬間の行動がなんら幸福の方向に向かわず、悶々として楽しまざる日々を送っているとすれば、因果異時にとらわれたものであり、釈迦仏法の亜流と断ぜざるをえないのである。
 十字御書にいわく「今又法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし」(1492:08)と。御本尊を信じた人は、すでにありとあらゆる福運を積んでいるのである。現在の瞬間瞬間を幸福に生きることこそ大聖人の仏法に生きる態度なのである。だからといって因果異時が誤りなのではない。生命の本質、奥底は因果倶時である。しかしあらわれた現象、姿は、因果異時であることは当然である。直達正観とか、即身成仏というのは、因果倶時についていっているのであり、生命の奥底を問題にしているのである。だが、その証拠として、幸福な姿を五年、十年、二十年先に現じていくのである。したがって因果異時も因果倶時に摂せられるのである。
 仏法はきびしい。それは、表面的な因果の追求ではなく、奥底の一念を問題にしているからである。御義口伝にいわく「秘とはきびしきなり三千羅列なり是より外に不思議之無し」(0714:08)と。三千万法も一念におさまる。一念がすべてを決定するのである。洋々たる未来を開くのも、悲惨な末路を遂げるのも、けっして現在の自分の地位や身分や立ち場ではなく、自己の一念が決定していくことを思えば、これでよいという現在に対する自己満足をうち破り、このかけがえのない瞬間瞬間を強くたくましく生ききろうではないか。
 四条金吾殿御返事にいわく「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く『衆生所遊楽』云云、此の文・あに自受法楽にあらずや……所とは一閻浮提なり日本国は閻浮提の内なり、遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千・自受用身の仏にあらずや、法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし現世安穏・後生善処とは是なり……苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(1143:01)と。
 これ、南無妙法蓮華経と唱えた、ただ今の生活が、ゆうゆうたる生活であり、幸福境涯であるとのおことばである。信心ほど強きものはない。信心の一念があれば、いっさいを動かせる。国土を安穏に、悲惨な世界を平和な世界に変えるのも、また三災七難をくいとめることも、信心によってなしうるのである。さらには、過去遠々劫の罪業をことごとく宿命転換し、偉大な未来を築きゆくのも、ことごとく信心しかないことを心に銘記すべきである。

 

 

第十二章(教論に約して問う)

本文

 此れを以て之を思うに爾前の諸経は実事なり実語なり、華厳経に云く「究竟して虚妄を離れ染無きこと虚空の如し」と仁王経に云く「源を窮め性を尽して妙智存せり」金剛般若経に云く「清浄の善のみ有り」馬鳴菩薩の起信論に云く「如来蔵の中に清浄の功徳のみ有り」天親菩薩の唯識論に云く「謂く余の有漏と劣の無漏と種は金剛喩定が現在前する時極円明純浄の本識を引く彼の依に非ざるが故に皆永く棄捨す」等云云、爾前の経経と法華経と之を校量するに彼の経経は無数なり時説既に長し一仏二言彼に付く可し、馬鳴菩薩は付法蔵第十一にして仏記に之れ有り天親は千部の論師・四依の大士なり、天台大師は辺鄙の小僧にして一論をも宣べず誰か之を信ぜん、其の上多を捨て小に付くとも法華経の文分明ならば少し恃怙有らんも法華経の文に何れの所にか十界互具・百界千如・一念三千の分明なる証文之れ有りや、随つて経文を開〓するに「断諸法中悪」等云云、天親菩薩の法華論・堅慧菩薩の宝性論に十界互具之れ無く漢土南北の諸大人師・日本七寺の末師の中にも此の義無し但天台一人の僻見なり伝教一人の謬伝なり、故に清涼国師の云く「天台の謬りなり」慧苑法師の云く「然るに天台は小乗を呼んで三蔵教と為し其の名謬濫するを以て」等云云、了洪が云く「天台独り未だ華厳の意を尽さず」等云云、得一が云く「咄いかな智公汝は是れ誰が弟子ぞ、三寸に足らざる舌根を以て覆面舌の所説の教時を謗ず」等云云、弘法大師の云く「震旦の人師等諍つて醍醐を盗んで各自宗に名く」等云云、夫れ一念三千の法門は一代の権実に名目を削り四依の諸論師其の義を載せず漢土日域の人師も之を用いず、如何が之を信ぜん。

 

現代語訳

以上のように十界互具・一念三千は信じられないことから考えてみるのに、法華経は誤りであって、爾前の諸経が実事であり、仏の実語である。ゆえに華厳経にいわく「初住の悟りの相は究竟して煩悩の虚妄を離れ、染がなくて清らかなこと虚空の如し」と。仁王経にいわく「大覚涅槃にいたれば無明の本源を窮めつくし、無明の本性をことごとく尽くし除いて、妙智のみが存している」と。金剛般若経にいわく「悟りにいたれば清浄の善のみがあり」と。また仏滅後においても馬鳴菩薩の起信論にいわく「如来蔵の中には清浄の功徳のみがあり」と。天親菩薩の唯識論にいわく「煩悩障と所知障を棄捨してなおあますところの有漏と・劣れる無漏の種とは、菩薩の最高位たる第十法雲地に、金剛のごとき堅固な禅定が現前すれば、極円明純浄の本識に入ることができる。かの余の有漏・劣の無漏を種とするものでないから、本識を所依として煩悩生死を永く棄捨するのである」と。これらの経論には、仏の生命にはただ清浄の善のみがあって、十界互具がない。
 さて爾前の経々と法華経と比較してみるのに、爾前経は無数であり、法華はただ一経である。また説く期間も爾前経は四十余年にわたり、法華経はただ八年である。ゆえに爾前と法華の所説に相違があるならば、爾前につくべきである。また馬鳴菩薩は付法蔵の第十一で仏の予言にあり、天親菩薩は、千部の論師で四依の大菩薩である。どうして馬鳴・天親の説くところに誤りがあろうか。それに比較して天台大師は仏教発祥の中心たるインドからはるかに離れた辺鄙の中国に生まれた小僧であっていまだ一論をも述べていない。どうして天台を信ずることができようか。
 その上にまたあるいは大部の爾前経を捨てて、少ない法華経につくことがありうるとしても、法華経の文に十界互具がはっきり説かれているなら、少しはよりどころとなるけれども、法華経の中のどこに十界互具、百界千如、一念三千を説いた明らかな証文があるか。そのような文はないのである。したがって法華経を開いて見るのに、方便品では「諸法の中の悪を断じ給えり」と説いて、仏界の善には九界の悪が具わっていないことを明らかにしている。ゆえに天親菩薩の法華論にも、堅慧菩薩の宝性論にも、十界互具は説かれていない。さらに中国においても、天台以前の南三北七の十派におよぶ諸人師も、日本における七宗の末師の中にも、十界互具を述べたものがない。ただ天台一人の間違った見解であり、伝教一人の誤り伝えたものである。ゆえに清涼国師は「華厳経を下して法華経を尊重するのは天台の謬りである」と説き、慧苑法師は「天台が小乗教を三蔵教と名づけているが、三蔵は小乗教に限らず、大乗にも経・律・論があるから、天台の説く所は大小を謬乱している」と説き、了洪は「天台の判教などは相当なものであるが、しかし天台はいまだ華厳の深意を解しておらない」といい、得一は「咄いかな智公(天台)よ、汝はいったい誰の弟子か、三寸にも足りない舌根をもって面を覆うほどの舌を持つ仏が説法した教時を謗り、法相の説く真実の三時教判を誹謗し、自己流の五時八教を立てている」といい、日本の弘法大師は「中国の人師たちはみな諍って六波羅蜜経に説く第五陀羅尼蔵の醍醐味を盗んでおのおの自宗に取り入れている。天台が法華を醍醐味にたとえるのも、実はこのようにして盗み入れたに過ぎない」といっている。このように一念三千の法門は、釈尊一代の権教にも実教にも説かれていないし、釈尊滅後の四依の諸論師も、その義を載せていないし、中国・日本の人師もだれ一人これを用いておらない。どうしてこれを信ずることができようか。

 

語釈

馬鳴菩薩
 梵名アシュヴァゴーシャ(Aśvaghoa)の訳。二~三世紀ごろに活躍したインドの仏教思想家・詩人。付法蔵の第十一。はじめ婆羅門の学者として一世を風靡し、議論を好んで盛んに仏教を非難し、負けたならば舌を切って謝すと慢じていたが、付法蔵第十の富那奢に論破され、屈服して仏教に帰依し弘教に励んだ。中インド華氏城で民衆を教化していたとき、北インドの迦弐志加王が中インドを征服し、和議の結果、華氏王に報償金九億を求めた。そこで華氏王は、報償金の替わりに馬鳴と仏鉢と一つの慈心鶏をもって各三億にあて、迦弐志加王に納受された。こうして馬鳴は北インドに赴き、迦弐志加王の保護のもと、おおいに仏法を弘め民衆から尊敬された。馬鳴の名は、過去世に白鳥を集めて白馬を嘶かせて、輪陀王に力を与え、仏法を守ったためといわれる。著書には、釈尊の一生を美文で綴った「仏所行讃」(ブッダチャリタ、Buddhacarita)五巻があり、「犍稚梵讃」一巻、「大荘厳論」十五巻等も馬鳴に帰せられる。

起信論
 大乗起信論の略称。梁の真諦訳一巻と唐の実叉難陀訳二巻があるが、真諦訳が広く流布した。大乗への信心を起こさせることを目的として、すべての衆生に如来となる可能性がそなわっているとする如来蔵思想の立場から大乗仏教の教理と実践を要約した論書。冒頭に「馬鳴菩薩造」とあるが、馬鳴は二世紀頃の人であり、内容から竜樹や世親らの思想より後の五~六世紀の成立と考えられる。サンスクリット原本はなく、中国撰述説もある。古来、大乗諸宗に広く読まれ、数多くの注釈書がある。

天親菩薩
 四~五世紀ごろのインドの仏教思想家。北インドのプルシャプラ(現在のパキスタンのペシャワル)出身の論師。梵名ヴァスバンドゥ(Vasubandhu)、音写して婆薮槃豆。旧訳で天親、新訳で世親という。大唐西域記巻五等によると、北インド・健駄羅国の出身。はじめ、阿踰闍国で説一切有部の小乗教を学び、大毘婆沙論を講説して倶舎論を著した。後、兄の無著(アサンガ)に導かれて小乗教を捨て、大乗教を学んだ。そのとき小乗に固執してきた非を悔いて舌を切ろうとしたが、兄に舌をもって大乗を謗じたのであれば、以後、舌をもって大乗を讃して罪を償うようにと諭され、大乗の論をつくり大乗教を宣揚し、唯識思想(実在するのは認識主体の識だけであって、外界は心に立ち現れているだけで実在しないという思想)を発展させた。著書に「倶舎論」三十巻、「十地経論」十二巻、「法華論」二巻、「摂大乗論釈」十五巻、「仏性論」四巻、「唯識三十論頌」など多数あり、千部の論師といわれる。

唯識論
 本抄に引用の文は、天親(世親)の著書を玄奘が解釈した「成唯識論」の文である。すなわち天親の「唯識三十論頌」に対する十人の論師の解釈を、護法(ダルマパーラ)の説を中心に、玄奘が一書として漢訳したもの。十巻。唯識の論書として法相宗でよりどころとされた。

堅慧菩薩
 梵名サーラマティ(Sāramati)。摩竭陀国那蘭陀寺の学者。玄奘のいう那蘭陀の八大学者の一人。解説西域記によると、堅慧は中インドの刹帝利に出て仏教を修め、「大乗法界無差別論」一巻を著し、真如縁起を主張したとある。また賢首の無差別論疏を引いて、「究竟一乗宝性論」四巻も堅慧の作であることを認め、その時代を、五世紀より六世紀の前半にまたがって生存した大衆であると断じている。しかし堅慧については異説多く詳かではない。

宝性論
「究竟一乗宝性論」四巻のこと。著者は堅慧といわれるが、弥勒とする説もある。内容としては一切衆生に仏性があるとして二乗、一闡提も成仏することができると主張している。

清涼国師
 (07380839)。澄観のこと。中国・唐代の僧。中国華厳宗の第四祖。浙江省会稽の人。姓は夏侯氏、字は大休。11歳の時、宝林寺で出家し、法華経はじめ諸経論を学び、大暦10年(0775)蘇州で妙楽大師から天台の止観、法華・維摩等を習うなど、多くの名師を訪ねる。その後、五台山大華厳寺(清涼寺)で請われて華厳経を講じ、多くの書を著し、華厳宗の興隆に努めた。著作に「華厳経疏」六十巻、「華厳経随疏演義鈔」九十巻等多数ある。華厳経随疏演義鈔巻一には、「法華は余経を摂して華厳に帰す。是れ則ち法華亦華厳を指して根本と為す」と説いて、法華経をはじめとする一切経の帰すべき根本の教えが華厳経であるとしている。同巻十九では、華厳経の「心如工画師」の文を、天台大師の一念三千の法門が説かれてはじめて可能な性悪性善の法門を用いて解釈している。

慧苑法師
 華厳宗の僧。出家して、中国華厳宗第三祖の法蔵三蔵の弟子となり、華厳に精通した。法蔵が「新訳華厳経」を十九巻まで注解して死んだため、その後「続華厳経略疏刊定記」十五巻を著わした。また、華厳の音訳「新訳華厳経音義」二巻(「慧苑音義」といわれる)を書いた。しかし、法蔵が説き明かした五種の教(小乗教、大乗始教、大乗終教、頓教、円教)は、まったく天台大師の影響をうけたものであるとして、みずからは四教を立てた。そのため、異端者とされ、華厳宗の正統を継ぐものとはみなされず、法蔵三蔵の後は、澄観が継いで、中国華厳宗の第四祖となった。

了洪
 伝不詳で、あるいは奈良の華厳宗の僧ともいわれる。

得一
 生没年不明。徳一、徳溢とも書く。平安時代初期の法相宗の僧。藤原仲麻呂の子と伝える。出家して興福寺の修円について法相宗を学び、常陸(国筑波山に中禅寺を開いた。法華一乗は権教であるとして三乗真実・一乗方便の説を立て、伝教大師とのあいだにしばしば法論をたたかわした。著書に「仏性抄」一巻、「中辺義鏡」三巻、「中辺義鏡残」二十巻、「恵日羽足」三巻などがある。「三寸に足らざる舌根」等の文は「中辺義鏡残」にあるといわれている。

 

講義

ここは、十界互具がありえないとして、爾前の経論を反論し一念三千を説く天台・伝教は誤りであると反駁している。このような反論を見ると、権経小乗経に執着する者の考え方がはっきりすると同時に、十界互具・一念三千の法門が一代仏教の真髄であり極理であることを、理解するのが、いかにむずかしいことかがわかる。小泉八雲氏が、高等仏教教理論(ハイヤーブディズム The Higher Buddhism)において「日本の大乗仏教を研究すると、あたかも迷路に入った感がある」と述べているが、これは権大乗経にとらわれてくると、実大乗教の理論がつかめないことを意味しているのである。現代の人々も、権小の宗教たる、念仏、真言、禅、法華経文上の天台等に執着すると、末法の本門の原理がどうしても理解できないのである。要するに、末法の本門の三大秘法の原理がわからなければ、経教を知ったとはいいえないのである。
 政治、経済、教育、文化、科学、道徳その他あらゆる活動が、ことごとく人類永遠の幸福を求めて進んでいる。しかし、これらの日常生活の根本は、みな宗教であり、しかも、その宗教は十界常住、一念三千をその極理とする宗教でなければならぬということを、一般世間が知らないのを遺憾とするのである。
 さればいかに十界互具・一念三千を知らない宗教を信仰し修行を積んだところで、十界互具、一念三千がわからないのだから、自己の生命の実体を知ることがとうていできない。生命の実体・本質がわからなければ、世間の諸現象の根源を見きわめることができないことになる。寿量品に「如来は如実に三界の相を知見す」とあるが、われわれは三界の相を如実に知見することができないから迷いの凡夫となり苦悩にあえぐ衆生となっているのである。さてしからばいかにして自具の十界、己心の三千を知るかとなれば、ただひたすらに十界互具の本門の御本尊を受持し奉って信行を励む以外にその道はないのである。  

 

 

第十三章(教論の難を会す)

本文

 答えて曰く此の難最も甚し最も甚し但し諸経と法華との相違は経文より事起つて分明なり未顕と已顕と証明と舌相と二乗の成不と始成と久成と等之を顕わす、諸論師の事、天台大師云く「天親竜樹・内鑒泠然たり外には時の宜きに適い各権に拠る所あり、而るに人師偏に解し学者苟も執し遂に矢石を興し各一辺を保ちて大に聖道に乖けり」等云云、章安大師云く「天竺の大論尚其の類に非ず真旦の人師何ぞ労わしく語るに及ばん此れ誇耀に非ず法相の然らしむるのみ」等云云、天親・竜樹・馬鳴・堅慧等は内鑒泠然なり然りと雖も時未だ至らざるが故に之を宣べざるか、人師に於ては天台已前は或は珠を含み或は一向に之を知らず已後の人師或は初に之を破して後に帰伏する人有り或は一向用いざる者も之れ有り但し断諸法中悪の経文を会す可きなり、彼は法華経に爾前の経文を載するなり往いて之を見るに経文分明に十界互具之を説く所謂「欲令衆生開仏知見」等云云、天台此の経文を承けて云く「若し衆生に仏の知見無んば何ぞ開を論ずる所あらん当に知るべし仏の知見衆生に蘊在することを」云云、章安大師の云く「衆生に若し仏の知見無くんば何ぞ開悟する所あらん若し貧女に蔵無んば何ぞ示す所あらんや」等云云。

 

現代語訳

答えていう、今述べたところの難問は最も甚だしい非難である。これに答うるにまず教論の難を説明しよう。ただし爾前の諸経と法華経との相違は経文に説き示された事実によって明らかである。爾前は未顕真実で法華は正直捨方便・但説無上道、法華には多宝如来・十方分身諸仏の証明と梵天にまでとどく舌相の証明があるのに、爾前の諸経にはこのような証明がない。阿弥陀仏の舌相も問題にならない。爾前では二乗が永久に不成仏であるが法華では一切皆が仏道を成ずる。爾前の諸経は釈尊がこの世で修行し成道したと説く始成正覚、法華は久遠実成を説き顕わしている。このように比較してみると、爾前は劣小の教であり、法華経こそ最勝真実の教であることが経文によって明らかではないか。
 次に諸論師が非難している点について説明しよう。天台大師いわく「天親や竜樹は一念三千の法門を心の中では知っていた。しかし外に対しては正法時代に適した法門を立て、権大乗教を弘めてそれぞれ権に拠る所があった。しかるにその後の人師は偏見に執着し、仏教学者も我見を立てて、ついに論争に論争を重ね衆生済度を忘れて闘争し合い、各宗各派は仏教のわずか一辺を保って我見を立て大いに釈尊の真意に背反してしまった」と。章安大師いわく「仏教の発祥地たるインドの大論師さえなお天台大師とは比較にならない。中国の仏教学者など、どうして一々に論ずる必要があろうか。これは誇って自慢して言っているのではない。天台の説く法門自体がこのように勝れているのである」と。天親・竜樹・馬鳴・堅慧等の諸菩薩は、内心で一念三千を知っていたが、未だ正法時代で法華経流布の時でなかったからこれを弘通しなかったのである。その他、正法時代の人師および像法時代の人師たちは、天台以前の人々はあるいは一念三千の宝珠を内心に含み、あるいは一向にこれを知らなかった。天台以後の人師たちはあるいは初めに一念三千の法門を破りながら後に帰伏した者もあり、あるいは一向にこれを用いない者もあった。
 但し方便品の「諸法の中の悪を断じ給えり」の文を理由に論難している点をはっきりさせなければならない。この方便品の文は、法華経に爾前の教義を説いている文であるから、十界互具を否定しているようにみえる。しかし法華経の文を開いてよくこれを見るならば、分明に十界互具を説いている。いわゆる「衆生をして仏の知見を開かしめんと欲す」とは、衆生に仏の知見が本来具足している旨を説いたことが明らかである。ゆえに天台はこの経文を釈していわく「もし衆生に仏の知見が無いならば、どうして開かしめることができようか、まさに仏の知見が衆生の本性に蘊り具わっていることを知るべきである」と。章安大師はさらにこれについて「衆生にもし仏の知見が無いならば、どうして仏知見を開いたり悟ったりすることができようか。もし貧乏の女に自分の蔵がないなら、何物も開いたり示したりすることができないではないか」と釈している。

 

語釈

矢石を興し
 中国の故事に虎と見間違えて石を射たというところから、矢と石と相容れざるに譬えたという。また、矢も石も昔の戦争の道具であるところから仏教の各宗派が諍論闘諍を事としたのを指すと考えられる。

天台已前は或は珠を含み
 天台以前に一念三千の珠を含んでいたのは、傅大士・慧文・南岳・羅什・道生のごとき人師で、法華経の真義を会得した上で権教を弘めていた。南三北七のごとく法華経に敵対しなかったのである。

 

講義

前章において仏教上十界互具の論はあり得ないとして、三経(華厳経・仁王経・金剛般若経)二論(起信論・唯識論)を挙げて文証上の否定をなし、また人師論においてもこれを説いた人がいない、かつ法華経においてすら「諸法中の悪を断ず」との方便品の文を引いて、どこまでも十界互具は仏教上の理論ではないとする人々に対して、本章においては三経二論は、四義を挙げて弁駁しているのである。四義とは、
 一、未顕と已顕
 二、証明と舌相
 三、二乗の成不
 四、始成と久成
とである。
 また、前章において挙げられた論師人師の意見は依るべき文証もなく道理もないと論駁し、天台以前においても天親・竜樹・馬鳴・堅慧のこれ等の人々は、十界互具・一念三千を知っておったと説かれている。いうまでもなく、真に実大乗経を研究するならば一切宇宙はこれ南無妙法蓮華経であり、南無妙法蓮華経即宇宙生命であることを知るのは当然である。されば古代の仏教研究者が、これに到達したということは何らの疑いもないことであろう。
 次に法華経中に十界互具は説いていないとして「諸法中の悪を断ずる」の文を引いているが、この文は仏が法華経を説くに当たって法華経以前に四十二年間、阿含・方等・般若・華厳を説いた理由を説明する中の文で、爾前の仏の境涯をいったことばである。すなわち今まで仏は荘厳であるとして、衆生に声聞・縁覚・菩薩の三乗を説いてきた。しかしこれは方便であって、実際は一乗妙法を説くのが仏の出世の本懐であるという方便の教相において、その三乗を説かねばならなかった理由の一句である。それであるから本抄に「彼は法華経に爾前の経文を載するなり往いて之を見るに経文分明に十界互具之を説く」とおおせられているのである。

 

 

第十四章(教主の難を会すにまず難信難解を示す)

本文

 但し会し難き所は上の教主釈尊等の大難なり、此の事を仏遮会して云く「已今当説最為難信難解」と次下の六難九易是なり、天台大師云く「二門悉く昔と反すれば信じ難く解し難し鉾に当るの難事なり」章安大師の云く「仏此れを将つて大事と為す何ぞ解し易きことを得可けんや」伝教大師云く「此の法華経は最も為れ難信難解なり随自意の故に」等云云、夫れ仏滅後に至つて一千八百余年・三国に経歴して但三人のみ有つて始めて此の正法を覚知せり所謂月支の釈尊・真旦の智者大師・日域の伝教此の三人は内典の聖人なり、問うて曰く竜樹天親等は如何、答えて曰く此等の聖人は知つて之を言わざる仁なり、或は迹門の一分之を宣べて本門と観心とを云わず或は機有つて時無きか或は機と時と共に之れ無きか、天台伝教已後は之を知る者多多なり二聖の智を用ゆるが故なり所謂三論の嘉祥・南三北七の百余人・華厳宗の法蔵・清涼等・法相宗の玄奘三蔵・慈恩大師等・真言宗の善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等・律宗の道宣等初には反逆を存し後には一向に帰伏せしなり。

 

現代語訳

(経文と論師人師が十界互具・一念三千を明かしていることは以上のように明らかであるが、それ以上に)会釈し難い所は、さきほど権教・迹門・本門の教主釈尊がわれらの己心に住していること、また地獄界から菩薩界に至る九界がことごとくわれらの己心に具足していることを論難する点である。この十界互具の法門はただ法華経に限る法門であるから、仏はあらかじめ法華経の難信難解であることを次のように示している。
 すなわち法師品には「四十余年の爾前経を已に説き、無量義経を今説き、また将来に説く涅槃経の中にあって、この法華経は最も難信難解である」と。しかして次の宝塔品に諸経は易信易解・法華経は難信難解と六難九易のたとえをもって示しているのがこれである。また像法時代の正師たる天台大師も法華文句に「法華経の迹門に二乗作仏・十界互具を説き、本門に久遠実成を説くが、その二門ともことごとく昔に説いた爾前経と相反するから信じ難く解し難いのであって、戦場で鉾に当たるの難事である」と。天台の弟子章安大師は「仏はこの法華経をもって出世の本懐となす大事を説かれているのであるから、どうして解し易いことがあろうか」と。日本の伝教大師いわく「この法華経はもっとも難信難解である。なぜなら仏の悟りをそのままに説く随自意の教えであるから」と。すなわち十界互具こそ仏の本懐であり随自意であるから難信難解であるのはとうぜんである。
 一体、釈尊滅後一千八百余年の長い期間に、インド・中国・日本の三国にわたってわずかに三人の人が初めてこの正法を覚知したのにすぎない。それはインドの釈尊と中国の天台智者大師と日本の伝教大師の三人である。この三人は実に内典の聖人というべきである。
 問う、竜樹・天親などはどうであるか。答う、これらの聖人は心の中に知っていたが言わなかった人たちである。あるいは迹門の一部分の教義を述べて本門と観心については一向に説き示すことがなかった。この時代には一念三千を聞く衆生の機根はあっても説くべき時代ではなかったのか、あるいは機も時もともになかったのであろう。しかるに天台伝教以後は一念三千を知った者がたくさんあり、みな二聖すなわち天台大師・伝教大師の智慧によって開拓されたものである。なかでも初めには天台に反対していたが、のちしだいに天台の法門に屈し、一向に帰伏するようになったものが多い。すなわち三論の嘉祥、南三北七の百余人の僧、華厳宗の法蔵・清涼等、法相宗の玄奘三蔵・慈恩大師等、真言宗の善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等、律宗の道宣等の人々は、それぞれの宗派では開祖や大学者と尊ばれていてもことごとく天台に帰伏した人たちである。

 

語釈

遮会
 遮はさえぎる、会は会通するの意。会通とは和会疏通の意。和会、融会、会釈ともいう。経論の異義異説を和会し、一意に帰させること。和会は経論の説を照らし合わせること、疏通は筋道が通ることをいう。ここで十界互具は難信難解であるから、そのような疑問をもつのは当然のことであると、容易にわかろうとするのをさえぎり、会通しているわけである。

六難九易
 法華経見宝塔品に、法華経を持つことのむずかしさが示されている。およそ不可能な九易でさえ、六難に比べればまだ易しいと説いたうえで釈尊は、滅後の法華経の弘通を促している。「九易」とは、①余経説法易(法華経以外の無数の経を説く)②須弥擲置易(須弥山をとって他方の無数の仏土に擲()げ置く)③世界足擲易(足の指で大千世界を動かして遠くの他国に擲げる)④有頂説法易(有頂天に立って無量の余経を説法する)⑤把空遊行易(手に虚空・大空を把って遊行する)⑥足地昇天易(大地を足の甲の上に置いて梵天に昇る)⑦大火不焼易(枯草を負って大火に入っても焼けない)⑧広説得通易(八万四千の法門を演説して聴者に六神通を得させる)⑨大衆羅漢易(無量の衆生に阿羅漢位を得させて六神通をそなえさせる)。「六難」とは、①広説此経難(悪世のなかで法華経を説く)②書持此経難(法華経を書き人に書かせる)③暫読此経難(悪世のなかで、暫くの間でも法華経を読む)④少説此経難(一人のためにも法華経を説く)⑤聴受此経難(法華経を聴受してその義趣を質問する)⑥受持此経難(法華経をよく受持する)。

鉾に当るの難事なり
 戦場の最前線で大勢の兵士が鉾を突き出してすき間なく並べ構えている槍衾に向かって突進して当たるほどの、容易ならぬ難事である。

三論の嘉祥
 嘉祥(05490623)は中国・南北朝から唐代にかけての僧。三論教学の大成者。名は吉蔵といい、祖父または父が安息(パルチア)人(胡族)であったことから胡吉蔵と呼ばれ、嘉祥寺(浙江省紹興市会稽)に住したので嘉祥大師と称された。姓は安氏。金陵(南京)の人。幼時、父に伴われて真諦に会って吉蔵と命名された。12歳で法朗に師事し、三論(中論・百論・十二門論)を学ぶ。隋代の初め、開皇年中に嘉祥寺で八年ほど講義をはって三論、維摩等の章疏を著わし、三論宗を立て般若最第一の義を立てた。その後、晋王広(後の煬帝)に招かれて揚州(江蘇省)の慧日道場に移り、諸経論の講義を行なった。また天台大師智顗とも交友があった。著作に「三論玄義」一巻、「中観論疏」十巻、「大乗玄論」五巻、「法華玄論」十巻、「法華遊意」一巻など数多くある。法華遊意では「二乗作仏を明かすことについては般若経よりも法華経が勝れているが、もし菩薩のために実恵と方便の二恵を明かす点では、般若経が勝れ法華経が劣る」として、般若経の智慧を最勝としている。
 嘉祥が天台に帰伏した意は、開目抄に「三論の嘉祥は法華玄十巻に法華経を第四時・会二破二と定れども天台に帰伏して七年つかへ廃講散衆して身を肉橋となせり」(0210:10)とある。

華厳宗の法蔵・清涼等
 法蔵(06430712)は華厳宗の第三祖。華厳和尚、賢首大師、香象大師の名がある。智儼について華厳経を学び、実叉難陀の華厳経新訳にも参加した。さらに法華経による天台大師に対抗して、華厳経を拠りどころとする釈迦一代仏教の教判を五教十宗判として立てた。「華厳経探玄記」「華厳五教章」「華厳経伝記」などの著があり、則天武后の帰依をうけた。
 法蔵が天台に帰伏した意は、撰時抄に「華厳宗の法蔵大師天台を讃して云く『思禅師智者等の如き神異に感通して迹登位に参わる霊山の聴法憶い今に在り』等云云」(0270:10)とある。
 清涼は中国華厳宗の第四祖。名は澄観といい、五台山清涼寺に住んだことから清涼国師と呼ばれた。浙江省越州山陰の人。姓は夏侯氏、字は大休。清涼国師と号した。11歳の時、宝林寺で出家し、南山律、三論等を学び、蘇州妙楽大師から天台の止観等を習うなど多くの名師を訪ねる。その後、五台山大華厳寺(清涼寺)で請われて華厳経を講じた。多くの書を著し、華厳宗の興隆に努めた。華厳経随疏演義鈔巻十九では、華厳経の「心如工画師」の文を天台大師の一念三千の法門が説かれてはじめて可能な性悪性善の法門を用いて解釈している。著作には「華厳経疏」六十巻、「華厳経随疏演義鈔」九十巻等と著述が多い。
 清涼が天台に帰伏した意は、開目抄下に「華厳の澄観は華厳の疏を造て華厳・法華・相対して法華を方便とかけるに似れども彼の宗之を以て実と為す此の宗の立義・理通ぜざること無し等とかけるは悔い還すにあらずや」(0216:14)とある。

法相宗の玄奘三蔵・慈恩大師等
 玄奘(06020664)は中国・唐代の僧。中国法相宗の初祖と立てられる。洛州緱氏県に生まれる。姓は陳氏、俗名は褘。13歳で出家。律部、成実、倶舎論等を学び、のちにインド各地を巡り、仏像、経典等を持ち帰る。その後「般若経」六百巻をはじめ七十五部千三百三十五巻の経典を訳したといわれる。太宗の勅を奉じて十六年にわたる旅行を綴った書が「大唐西域記」である。
 慈恩(06320682)は中国・唐代の僧で、法相宗第二祖。事実上の開祖である。名は基といい、窺基と通称され、長安の大慈恩寺に住んだので慈恩大師と称される。長安に生まれる。姓は尉遅氏、字は洪道。17歳のとき玄奘三蔵がインドから帰ると、その弟子として出家。大慈恩寺に入りもっぱら玄奘に師事し、梵語を習い、ついで大小の経の翻訳に従事した。著書に「成唯識論述記」「成唯識論掌中枢要」等多数がある。
 玄奘、慈恩が天台に帰伏した意は、開目抄上に「玄奘三蔵・慈恩大師・委細に天台の御釈を見ける程に自宗の邪見ひるがへるかのゆへに自宗をば・すてねども其の心天台に帰伏すと見へたり」(0190:03)、同下に「法相の慈恩は法苑林・七巻・十二巻に一乗方便・三乗真実等の妄言多し、しかれども玄賛の第四には故亦両存等と我が宗を不定になせり、言は両方なれども心は天台に帰伏せり」(0216:11)とある。

真言宗の善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等
 各々インド出身の人で、唐代に中国へ渡り、真言宗をひろめた。この三人が、天台に帰伏した意は、開目抄下に「善無畏三蔵の閻魔の責にあづからせ給しは此の邪見による後に心をひるがへし法華経に帰伏してこそ・このせめをば脱させ給いしか、其の後善無畏・不空等・法華経を両界の中央にをきて大王のごとくし胎蔵の大日経・金剛の金剛頂経をば左右の臣下のごとくせし・これなり」とある。また撰時抄には「真言宗の不空三蔵・含光法師等・師弟共に真言宗をすてて天台大師に帰伏する物語に云く高僧伝に云く『不空三蔵と親たり天竺に遊びたるに彼に僧有り問うて曰く大唐に天台の迹教有り最も邪正を簡び偏円を暁むるに堪えたり能く之を訳して将に此土に至らしむ可きや』等云云、此の物語は含光が妙楽大師にかたり給しなり」とある。

律宗の道宣
 道宣(05960667)は中国・唐代の僧。南山律師ともいう。律に詳しく、終南山(長安の南方)の豊徳寺に長く住んでいたので、彼の学派を南山律宗、四分律宗とも呼ぶ。著書は広範にわたり、「四分律行事抄」などの律の研究書のほか、「大唐内典録」「続高僧伝」などがある。日本に授戒制度をもたらした鑑真は、その孫弟子にあたる。玄奘の訳経を援助し堅く戒を持ち随一の大学者といわれた。
 道宣が天台に帰伏した意は、撰時抄に「修南山の道宣律師天台大師を讃歎して云く『法華を照了すること高輝の幽谷に臨むが若く摩訶衍を説くこと長風の太虚に遊ぶに似たり仮令文字の師千羣万衆ありて彼の妙弁を数め尋ぬとも能く窮むる者無し、乃至義月を指すに同じ乃至宗一極に帰す』云云」(0270:07)とある。

 

講義

仏法の極理は難信難解である。世人――特に知識人といわれる人たちは、自分でわからなければ信じようとしない。しかし仏教は一般世人の常識や凡智には、とうていおよぶことのできない広大深遠の大哲理であり、ただ信じてこそ始めてその門に入ることができるのである。ゆえに仏は「難信難解」であると断わっているのである。しかし、またここにも重々の難信難解があり、内外相対する時は外道は易で小乗教は難、大小相対する時は小乗教は易で大乗教は難、権迹相対する時は権教は易で迹門は難、本迹相対する時は迹門は易で本門は難、種脱相対する時は文上脱益本門は易信易解、ただひとり文底下種法門のみが真実の難信難解である。

 

 

 

第十五章(所受の本尊の徳用を明かす)

本文

 但し初の大難を遮せば無量義経に云く「譬えば国王と夫人と新たに王子を生ぜん若は一日若は二日若は七日に至り若は一月若は二月若は七月に至り若は一歳若は二歳若は七歳に至り復国事を領理すること能わずと雖も已に臣民に宗敬せられ諸の大王の子以て伴侶と為らん、王及び夫人の愛心偏に重くして常に与共に語らん所以は何ん稚小なるを以ての故にと云うが如く、善男子是の持経者も亦復是くの如し、諸仏の国王と是の経の夫人と和合して共に是の菩薩の子を生ず若し菩薩是の経を聞くことを得て若しは一句若しは一偈若しは一転若しは二転若しは十若しは百若しは千若しは万若しは億万恒河沙・無量無数転せば復真理の極を体すること能わずと雖も、乃至已に一切の四衆八部に宗仰せられ諸の大菩薩を以て眷属と為し乃至常に諸仏に護念せられ慈愛偏に覆われん新学なるを以ての故なり」等云云、普賢経に云く「此の大乗経典は諸仏の宝蔵十方三世の諸仏の眼目なり乃至三世の諸の如来を出生する種なり乃至汝大乗を行じて仏種を断ぜざれ」等云云、又云く「此の方等経は是れ諸仏の眼なり諸仏是に因つて五眼を具することを得・仏の三種の身は方等従り生ず是れ大法印にして涅槃海に印す此くの如き海中能く三種の仏の清浄身を生ず此の三種の身は人天の福田なり」等云云。
  夫れ以れば・釈迦如来の一代・顕密・大小の二教・華厳・真言等の諸宗の依経往いて之を勘うるに或は十方台葉・毘盧遮那仏・大集雲集の諸仏如来・般若染浄の千仏示現・大日金剛頂等の千二百尊・但其の近因近果を演説して其の遠因果を顕さず、速疾頓成之を説けども三五の遠化を亡失し化導の始終跡を削りて見えず、華厳経・大日経等は一往之を見るに別円四蔵等に似たれども再往之を勘うれば蔵通二教に同じて未だ別円にも及ばず本有の三因之れ無し何を以てか仏の種子を定めん、而るに新訳の訳者等漢土に来入するの日・天台の一念三千の法門を見聞して或は自ら所持の経経に添加し或は天竺より受持するの由之を称す、天台の学者等或は自宗に同ずるを悦び或は遠きを貴んで近きを蔑みし或は旧を捨てて新を取り魔心・愚心出来す、然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏・木画二像の本尊は有名無実なり。

 

現代語訳

さて十界互具を論難した先の大難を遮するならば、
 無量義経にいわく「たとえば国王と夫人との間にひとりの王子が生まれたとする。この王子がもしくは一日・二日もしくは七日と日が立ち、もしくは一月・二月・七月にいたり、もしくは一歳・二歳もしくは七歳にいたり、いまだ一国の政治をとることはできないにしても、すでに臣民に尊敬され、国内のもろもろの大王の子をもって伴侶とするようになるであろう。王および夫人の愛心はひとえに重く常にこの王子のことについて語り合うであろう。なぜかというにこの王子は稚少であるから、すなわち稚少の王子がこのように尊敬され将来を期待されるのも、国王の威徳が強盛であるがゆえである。善男子よ、この経(御本尊)を信じ持つ者もまたこの通りである。諸仏の国王とこの経の夫人と和合して(人法一箇の御本尊が建立されて)この菩薩の子を生じた(御本尊を信仰して地涌の菩薩となった)。この菩薩はこの経を聞くことができて(御本尊を信じ奉って題目を唱え)もしくは一句・一偈(南無妙法蓮華経)もしくは一転・二転・十転・百転・千転・万転・億万恒河沙・無量無数転(唱題)するならば、未だ真理の極地を身に体することはできないにしても、すでに一切の四部衆・八部衆に崇び仰がれ諸の大菩薩をもって眷属となし、乃至常に諸仏に護念され、ひとえに慈愛をもって覆われるであろう。これは新学のゆえである(御本尊の功徳の賜物である)」
 普賢経にいわく「この大乗経典(妙法蓮華経)は諸仏の宝蔵であり十方三世の諸仏の眼目である。乃至この大乗経典こそ三世の諸の如来を出生する種である。乃至汝はただひたすらこの妙法蓮華経を受持し信行を励んで仏種を断じてはならない」と。またいわく「この方等経(妙法蓮華経)は諸仏の眼である。諸仏はこの妙法蓮華経を信心修行した因によって肉眼の上に天眼・慧眼・法眼・仏眼の五眼を具することができて、すなわち諸仏の智慧は完成したのである。また仏の法報応の三身は妙法蓮華経より生ずるのであり、この妙法蓮華経は大法印であり涅槃海に印すというべきである。このように海の広大無辺の中に法報応の三種の仏の清浄身を生ずるが、この三種の身は人天の福田であって一切衆生の大利益を得る所である」と。
 さてよく考えてみるのに、釈迦如来一代五十年の説法の中で、顕教と密教・大乗教と小乗教があり、華厳宗・真言宗等の諸宗の依経をいちいち勘(かんが)えてみるのに、あるいは十方蓮華台上の毘盧遮那仏と華厳経に説き、大集教には諸仏如来が雲集したと説き、般若経には染浄の千仏が示現したと説き、大日金剛頂等の経に説かれた千二百余尊等々の爾前経の説法はただその近因近果を演説しているのであって、未だ久遠の本因本果を説き顕わしていない。中には速疾頓成を説いて眼前に悟りを得るように説いていることはあっても、三千塵点劫・五百塵点劫の久遠より教化してきたことを顕わしていないから、現世に偶然に師弟の縁を結んだ偶然の悟りに過ぎない。いつの時代に下種し、どのように熟益してきたのか化導の始終がまったく顕われていないから、現世の得脱はまったく有名無実である。華厳経・大日経等は特に勝れた経であると世間の学者はいっているが、一往これを見ると別円四蔵等に似て成仏のできる教えのようであっても、再往これを勘えるならば、蔵通二教に同じであって三界六道を対象として説いた劣小の法門であり、いまだ別教・円教には遠くおよばないのである。一切の諸法にことごとく具足している本有の三因仏性が説かれていないからどうして成仏の種子を決定することができようか。それにもかかわらず、玄奘以後の新訳の翻訳者たちは中国へ仏教典を持ってきて翻訳する時に、天台の一念三千の法門を見聞してあるいは自分の持ってきた経文に盗み入れ、あるいはインドの経文の原本に一念三千の法門があるのを持ってきたと主張した。天台の学者等は、このように天台の法門を盗まれておりながら、あるいは他宗でも天台と同じように一念三千を説くのを喜び、あるいは遠いインドを尊んで中国に出現した天台の法門を蔑み、あるいは旧く天台の説いた法門を捨てて新興宗教の教義を取り、実にこのような魔心・愚心が出来した。しかしながら結局のところ一念三千の仏種でなければ有情の成仏も木像・画像の本尊もまったく無益であり有名無実である。

 

語釈

無量義経
 法華三部経の一。一巻。中国・蕭斉代の曇摩伽陀耶舎訳。0481年成立。内容は「無量義とは、一法従り生ず」等と説き、この無量義の法門を修すれば無上正覚を成ずることを明かしている。また、「善男子よ。我れは先に道場菩提樹の下に端坐すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり。仏眼を以て一切の諸法を観ずるに、宣説す可からず。所以は何ん、諸の衆生の性欲は、不同なることを知れり。性欲は不同なれば、種種に法を説きき。種種に法を説くことは、方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず。是の故に衆生は得道差別して、疾く無上菩提を成ずることを得ず」と述べ、これまでに説いた経教は、まだ真実を明かさない方便の教えであると説いた。法華経序品第一には、釈尊は「無量義」という名の経典を説いた後、無量義処三昧に入ったという記述があり、その後、法華経の説法が始まる。中国では、この序品で言及される「無量義」という名の経典が「無量義経」と同一視され、法華経を説くための準備として直前に説かれた経典(開経)と位置づけられた。

新学
 新発意ともいう。新たに菩提心を起こすことをいう。新発意の菩薩とよくいう。始行であって、まだ不退位を得ていない菩薩のことである。だがここでは、ひとたび法華経(御本尊)を持つや、三世十方の諸仏からまもられることをいう。

普賢経
 観普賢菩薩行法経の略。一巻。中国・南北朝時代の宋の曇無蜜多訳。四四一年成立。観普賢経ともいう。普賢経は法華経の教えをふまえた観法の実践を説くので、法華経の直後にその内容を承けて締めくくる経典(結経)と位置づけられた。無量義経(開経)と法華経(本経)と普賢経(結経)を合わせて法華三部経と呼ばれる。

大法印
 印は偽りない証として世間で用いているもの。法印とは印のように誤りのない仏法という意で用いる。すなわち大法印とは真実絶対の仏法の意。

十方台葉・毘盧遮那仏
 華厳の結経たる梵網経に説かれる報身仏。すなわち華厳の教主は華蔵世界・蓮華中台に坐し、蓮華の千葉上に千釈迦、その葉中に百億の小釈迦がありとする。華厳では、盧舎那は毘盧遮那の略名であるとして、天台宗で毘盧遮那は法身・盧遮那は報身であると説くのに反対している。第十一章の語訳「十方台上の盧舎那」に既出。

別円四蔵
 別は別教、円は円教である。四蔵とは、玄義に声聞蔵、雑蔵、菩薩蔵、仏蔵と説き、上から次第に蔵、通、別、円に配している。大学三郎殿御書には「大日経一部六巻並びに供養法の巻一巻三十一品之を見聞するに、声聞乗と縁覚乗と大乗の菩薩と仏乗の四乗之を説く。其の中の大乗の菩薩乗とは三蔵教の三祇の菩薩乗なり。仏乗は実大乗なり。法華経に及ばざるの上、華厳・般若にも劣り、但だ阿含と方等との二経なり。大日経の極理は未だ天台の別教通教の極理にも及ばざるなり」とある。

 

講義

観心を明かすにあたり、種々の問いと疑いを設けてここまできたので、正しく観心を明かすべき本章になぜ御本尊の徳用を明かすために開結二経の文を借用したかというに、およそ末法今日の観心は自力の観心ではない。ここに天台と日蓮大聖人の仏法の相違がある。天台は観念観法によって自力で己心の十法界を見んとしたのに対し、末法においては本尊の徳用によって観心の義を成ずるのである。ゆえに本尊の徳用が不明であれば、観心も成り立たないから、開結の二文によって本尊にいかなる力があるかをまず説かれるのである。
 この本尊の力は能生の徳がなければならぬ。されば能生の徳のある本尊を信じてこそよく仏界を成ずるのである。ゆえに無量義経の第四の功徳の結文に「これを名づけてこの経の第四の功徳不思議の力となす」と。この不思議な力こそ本尊の徳用であり能生の徳である。さればさきに論難されて今これに答えている要は、われわれの劣心に仏界があり得ようはずがない、権迹本の仏を見てもいずれもりっぱな仏である、どうしてわれわれの己心にあり得ようかという疑問に対する答えとして、よく仏界を生む(能生)本尊によればかならず仏界が成ずるのであると説くために、無量義経の文を引かれたのである。
「諸仏の国王」とは能生の智であり「是の経の夫人」とは所生の境である。和合してとは境智が冥合することである。
 さてここに境智が冥合すればかならず種子能生の徳を含むのである。その種子とは仏になる種であって、経に「菩薩の子を生む」というところに当たるのである。
「菩薩是の経を聞くことを得て」とはその種子能生の徳ある本尊を信ずることである。ゆえに仏界を己心に開き、しかして示し、悟り、入らしめるためには能生の種子たる本尊を信じ行じなければならない。
 さて末法において種子能生の本尊とはいかなるものかというに、文底深秘の本地難思の妙法であるが、これは第十九章において詳らかにする。この章においては本尊の相を説かないで、ただ観心はどうして成ずるかということを説かれているのである。
 秋元御書にいわく
「三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり」(1072:05)と。
 この御書は三世十方の仏も種子能生の徳ある妙法蓮華経の五字を信じて仏になり給うたという御意である。されば末法においては、ただ仏になる種たる本尊を信ずることによって観心が成り立つのである。
 また普賢経に「大乗経典」とあるのは、久遠元初の種子能生の妙法蓮華経を指しているのであって、諸仏の宝蔵とは主の徳であり、十方三世の諸仏の眼目とは師の徳である。三世の諸の如来を出生する種なりとは親の徳である。
 すなわち大乗教典を久遠元初の種子能生の妙法なりと断じた意は、この大乗経典に主師親の三徳を具えているからである。大乗経典と名づけられる文上の経典はいくらもあるであろうが、末法今日において主師親の三徳を具えた大乗経典は、久遠元初の種子能生の妙法以外にないのである。
 また結文たる「汝大乗を行じて仏種を断ぜざれ」とは、われわれの劣心に仏界を成ずべき種を断じてはならぬとの意で、よくよく味わうべきである。
 また次の引文の「方等経」とは前説通り久遠元初の妙法を指し、「是れ諸仏の眼なり」とは師の徳であり、「諸仏是に因って」とは能生の義であり、「五眼を具す」とは所生の義である。すなわち諸仏は方等経典(能生)を信じ行じて(観心)仏となった(所生)のである。されば在世末法を問わず、種子能生の本尊を信じ行じてこそ観心を成ずるのである。「仏の三種の身は方等従り生ず」とは父母能生の徳であり、「これ大法印」とは主の徳である。ゆえに方等経典は主師親の三尊を「能生」する種子であるということがわかる。ただ方等経典といっても前説のごとく釈迦仏法において名づけられたものでなく、方等経典ということばの形式であって、末法においてその実体をさがすならば、いうまでもなく本抄に説かれる日蓮大聖人御図顕の御本尊である。この御本尊を、日蓮大聖人は一念三千の仏種なりとおおせられ、日寛上人は大聖人の極説中の極説なりとおおせられているのである。
 重ねて説くが、われらの己心に荘厳なる仏界があり得ないという論難に対し、十界互具一念三千の妙法こそ、われらの生命の中に冥伏する仏界を活動させる種子であるということをまず開悟しなければならぬ。

 

 

第十六章(受持即観心を明かす)

本文

 問うて曰く上の大難未だ其の会通を聞かず如何。
  答えて曰く無量義経に云く「未だ六波羅蜜を修行する事を得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す」等云云、法華経に云く「具足の道を聞かんと欲す」等云云、涅槃経に云く「薩とは具足に名く」等云云、竜樹菩薩云く「薩とは六なり」等云云、無依無得大乗四論玄義記に云く「沙とは訳して六と云う胡法には六を以て具足の義と為すなり」吉蔵疏に云く「沙とは翻じて具足と為す」天台大師云く「薩とは梵語なり此には妙と翻ず」等云云、私に会通を加えば本文を黷が如し爾りと雖も文の心は釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う、四大声聞の領解に云く「無上宝聚・不求自得」云云、我等が己心の声聞界なり、「我が如く等くして異なる事無し我が昔の所願の如き今は已に満足しぬ一切衆生を化して皆仏道に入らしむ」、妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや、宝塔品に云く「其れ能く此の経法を護る事有らん者は則ち為れ我及び多宝を供養するなり、乃至亦復諸の来り給える化仏の諸の世界を荘厳し光飾し給う者を供養するなり」等云云、釈迦・多宝・十方の諸仏は我が仏界なり其の跡を継紹して其の功徳を受得す「須臾も之を聞く・即阿耨多羅三藐三菩提を究竟するを得」とは是なり、寿量品に云く「然るに我実に成仏してより已来・無量無辺百千万億那由佗劫なり」等云云、我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり、経に云く「我本菩薩の道を行じて・成ぜし所の寿命・今猶未だ尽きず・復上の数に倍せり」等云云、我等が己心の菩薩等なり、地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なり、例せば大公・周公旦等は周武の臣下・成王幼稚の眷属・武内の大臣は神功皇后の棟梁・仁徳王子の臣下なるが如し、上行・無辺行・浄行・安立行等は我等が己心の菩薩なり、妙楽大師云く「当に知るべし身土一念の三千なり故に成道の時此の本理に称うて一身一念法界に遍し」等云云。

 

現代語訳

問う、先に人界所具の十界を論難したが、いまだその会通を聞かないがどうしたか。
 答う、無量義経にいわく「いまだ六波羅蜜の修行をしていなくてもこの経を信じ受持する功徳によって六波羅蜜は自然に具わってくる」と。法華経方便品にいわく「十界互具の具足の道を聞かんと欲す」と。涅槃経にいわく「薩とは具足のことである」と。竜樹菩薩いわく「薩とは六である」と。無依無得大乗四論玄義記にいわく「沙とは六と訳す、インドでは六をもって具足の義となすのである」と。吉蔵の法華経疏にいわく「沙とは翻訳して具足となす」と。天台大師いわく「沙とは梵語であり中国語に訳すれば妙という義である」と。
 右のように薩・沙・具足・妙といずれも異なることなく、妙法華経の一法に十界三千の諸法を具足して闕減がない。私に会通を加えるならばかえって引用した文の意をけがすことを恐れるのであるが、その文意を簡単にいうならば、先に論難したところの権教・迹門・本門の釈尊の因行と果徳の二法は、ことごとく妙法蓮華経の五字に具足している。われらがこの五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給うのである。
 法華経信解品に四大声聞が領解して「無上の宝聚を求めずして自ら得たり」と述べているが、われらの己心の声聞界が妙法蓮華経を受持し奉り、無上の大功徳に歓喜している姿がすなわちこれである。
 方便品には仏が「法華経を説いて一切衆生に即身成仏の大直道を与え、仏と衆生と等しくして異なることがなくなった。仏がその昔に誓願した一切衆生を度脱せんとの誓いが、今はすでに満足し、一切衆生をして皆仏道に入らしめることができた」と説かれている。
 妙覚の釈尊はわれらの血肉で因果の功徳は骨髄である。すなわち師も久遠元初の自受用身、弟子もまた久遠元初の自受用身と顕われ、自受用身に約して師弟が不二となること明らかである。
 宝塔品にいわく「それよくこの経法を護ること有らん者は、釈迦仏および多宝仏を供養する者であり乃至また、もろもろの来り給える分身の化仏が諸の世界を荘厳し光飾している者を供養することになるのである」と。このように無作の報身たる釈尊・無作の法身たる多宝・無作の応身たる分身、すなわち無作三身如来は妙法五字を受持するわれらの仏界であり、無作三身の跡を継紹して無作三身の功徳を受得するのである。同じく宝塔品に「刹那でもこれを聞く者は即阿耨多羅三藐三菩提を究竟して、凡身そのままで名字妙覚の悟りに入ることができる」というのはこれである。
 寿量品にいわく「しかるに我実に成仏してより已来・無量無辺百千万億那由佗劫である」と。われらが己心の仏界たる釈尊は久遠元初に所顕の三身にして無始無終の古仏である。同じく寿量品にいわく「我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命は今なお未だ尽きることなく、また上に説いた五百塵点劫に倍するのである」と。これすなわち、われらが己心の菩薩等の九界である。地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属であり、たとえば大公は周の武王の臣下、周公旦は幼稚の成王の眷属、武内の大臣は神功皇后の第一の臣下であり、また仁徳王子にも忠義の臣下であったようなものである。上行・無辺行・浄行・安立行等、地涌の大菩薩の上首唱導の師たちは、皆ことごとく、われらが己心の菩薩である。このように君主ある仏界も久遠元初、臣下たる九界も久遠元初に約すれば、ことごとく君臣が合体することが明らかである。
 妙楽大師いわく「当に知るべし、身土は一念の三千である。ゆえに成道の時にはこの本理に称うて一身一念が法界に遍するのである」と。すなわち自受用身の身土は、信ずるわれら衆生の一念に即三千と顕われる。ゆえに成仏の時にはこの本地難思境智の妙法に称って、われらの一身もわれらの信ずる一念もともに法界に遍満するのである。

 

語釈

会通
 和会疏通の意。和会、融会、会釈ともいう。経論の異義異説を和会し、一意に帰させること。和会は経論の説を照らし合わせること、疏通は筋道が通ることをいう。

無依無得大乗四論玄義記
 中国・唐代の慧均僧正の著。十巻。各論目について、毘曇、成実、地論、摂論の各宗派の主張をあげて、いちいちこれを有所得見と論破して、三論派の学無所得中道義を顕揚している。無依無得大乗とは般若の無所依不可得畢竟空の義、四論とは竜樹の大論・大智度論・十二門論と提婆の百論である。ともに一切空の義を論じているものである。

大公
 太公望のこと。周代の斉の始祖。姓は姜、氏は呂、名は尚。渭水で釣りをしていて周の西伯(後の文王)に会い、請われてその師となる。文王の祖父太公が周に必要な人材として待ち望んでいた人という意味で、のちに太公望と称された。文王の死後、武王(文王の子)を助け、殷の紂王を滅ぼして斉の主となった。

周公旦
 中国・周代の賢者。姓は姫氏、名は旦。文王(西伯)の子。文王の死後、兄の武王を助けて殷の紂王を滅ぼし、武王没後は幼い成王を助けて政治をとり周朝の基礎を固めた。周公旦の政治は殷代の神権政治を脱却し、礼楽(行為の規範と礼に伴う音楽)を採用して、社会秩序の根本としたことが特色とされる。儒教の礼は周公に始まるといわれ、その人格と治世は孔子の厚く尊崇するところであった。

周武
 中国・周王朝の祖、武王。名は発。父・西伯(文王)の死後、志をつぎ、黄河を渡って北進し、弟の周公旦らと協力して殷の紂王を滅ぼした。ついで鎬京に都を奠めて即位し、洛邑(洛陽)を建設して東都とした。また一族功臣に封土を与えて封建制をしいた。ながく開国の英主としてあおがれている。

成王
 中国・周王朝の武王の子。父の武王は殷王朝を直接統治せず、紂王の遺子武庚をたて、中原政治をまかせて監督するだけにとどめ、自身は峡西の本拠に帰った。まもなくして没したので、幼少の成王の代にいたって政治情勢が不安となり、これにつけこんで殷の武庚が大反乱を起こしたが、叔父の周公と召公とが協力して反軍を討伐し、完全に殷国を滅ぼした。その後、成王とその子の康王の時代は世に「成康の治」といわれ、周王朝の黄金時代をむかえた。

武内の大臣
 武内宿禰のこと。大和朝廷の政治家・武将。古事記・日本書紀に見られる伝説上の人物。第八代孝元天皇の曾孫で、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五人の天皇に仕え、なかでも神功皇后の新羅征伐にしたがって大功をたてたという。

神功皇后
 名は気長足姫尊、息長帯比売命のこと。仲哀天皇崩御ののち皇后は喪を秘し男装してまず熊襲を平定し、のちみずから渡海して新羅を征服し、高句麗・百済も朝貢を約したという(三韓征伐)。凱旋の途中、応神天皇を生んだという。大聖人御在世当時、神功皇后は第十五代天皇で、応神天皇は第十六代天皇であったが、大正十五年の皇統譜令施行以降、神功皇后は歴代天皇の代数から外され、応神天皇が第十五代天皇とされた。

仁徳王子
 第十六代天皇。応神天皇の第四子。名は大鷦鷯尊。父の崩御後、莵道稚郎子(宇治王子)と三年の間皇位を互譲しあっていたが、稚郎子の自殺により大鷦鷯尊が仁徳天皇として即位し、都を摂津の難波に定めた。即位後、仁徳天皇は大いに徳政を行なった。すなわち、高台に登って戸々のかまどの煙をながめ、その疎なるところから民の貧困を知り、「今より三年に至るまで、ことごとに人民の課、役を除せ」といって三年の間租税を免除した。そのため自らの住む大殿は雨漏りがして器で雨を受けたものの、修理もせず不自由な生活に堪えた。この結果、三年後に再び高台にから眺めると煙の盛んなるのを見て大いに喜んだという。天皇の陵は歴代の陵の中で最大のものであり、天皇の偉大なる徳がしのばれる。

 

講義

当節は正しく受持即観心を明かしているのである。まず引く所の無量義経の「未だ六波羅蜜を修行することを得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す」とは、因位の万行が妙法五字に具足するの義を顕わしているのである。ゆえにこの妙法五字を受持すれば、因位の万行を修しなくても、これを修行したと同じことになる。これは受持即観心を説かれていることになる。因位の万行を修行しなくても、ただ受持することによって修したと同じであるならば、果位の万徳もまた同じであることがわかるであろう。
 次に法華経以下の御文を引かれているのは、妙法とはすなわちこれ具足の義であることを顕わされているのである。妙楽大師の弘決の一には「法華経の前はいまだかつて権を開しないから具足と名づけない」と述べられている。具足とは権を開き迹を開き脱益を開き、文底下種を顕してこそ始めて具足というのである。「開」をもって仏法を論ずるならば、爾前は所開・迹門は能開、迹門は所開・本門は能開、脱益は所開・下種は能開、ゆえに文底下種本地難思の妙法をもって具足と名づけるのである。されば大聖人は「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す」とおおせられたのである。
 この「釈尊の因行果徳の二法」とは、先にわれらの己心に権・迹・本の本尊は住し得ないと難じたその権迹本の釈尊の因行果徳の二法である。また、「妙法五字に具足す」とは、前に引いた開結二経の本地難思の境智の妙法である。その権・迹・本の釈尊の因果の二法は所生で、本地難思の境智の妙法はすなわち能生であり、所生はかならず能生に帰するのである。されば権はかならず実に帰し、迹はかならず本に帰し、脱はかならず種に帰するのである。ゆえに彼の釈尊の因行果徳の二法は妙法五字に具足すというのである。
 玄文第七にいわく「若し過去は最初所証の権実の法を名けて本と為すなり、本証より已後方便化他し開三顕一・発迹顕本は還って最初を指して本と為す、中間示現の発迹顕本も亦復・最初を指して本と為す、今日の発迹顕本も亦・最初を指して本と為す、未来の発迹顕本亦最初を指して本と為す、三世乃ち殊なれども毘盧遮那一本異ならず、百千枝葉同じく一根に趣くが如し」等云云。この文は正しく久遠元初を一根にたとえ、本果第一番以後の垂迹化他を枝葉にたとえ、百千枝葉同じく一根に趣くがごとしという意味で、権迹本の釈尊の因果の功徳は、本地難思境智の妙法に具足することを明らかにした文である。
 また、本地難思境地の妙法は、釈尊一仏だけでなく、十方三世諸仏の因行果徳をも皆ことごとく具足すべきであるのに、どうして釈尊一仏の因行果徳とおおせられているのであるかというに、ただ釈尊一仏を挙げて諸仏に例しただけのことで、たとえば「我が方便是くの如し、諸仏も亦然なり、及び諸仏如来法皆是くの如し」等というのと同じである。
 されば一切諸仏の因位の万行・果位の万徳は、皆ことごとくこの妙法五字に具足する。ゆえに末法下種の御本尊の功徳は無量無辺で、広大深遠の力用を備え給うのである。
 次に「我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」とは、正しく受持即観心の義である。すなわち御本尊を受持することそれ自体が功徳を感ずるのであるから、受持即観心ではないか。しこうしてまた法華経神力品の「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし」の文に相応するのである。すなわち、「我等」とは「我が滅度の後」という末法のわれら衆生である。「受持すれば」の「受持」というのは、まったく経文に一致してこれが観心なのである。「此の五字」とは経文の「斯の経」に当たり、すなわち御本尊なのである。神力品にいう所の「斯の経」とはすなわち長行の四句の要法である。日蓮大聖人が三大秘法抄に「名体宗用教の五重玄の五字」とおおせられているごとく、釈尊滅後末法のわれら衆生がこの五字七字の御本尊を受持し奉ることをすなわち観心と名づくるのである。
 また、なにゆえに受持をもって即観心と名づけるかというに、およそ当下種家の観心はただ信心口唱をもって観心とするのであって、受持とは正しく信心口唱であるから受持即観心というのである。
 また、なにゆえ信心口唱が正しく受持に当たるかというに、今謹んで経文を考えるのに、受持には二つの義がある。一には総体の受持、二には別体の受持である。総体の受持とは受持・読・誦・解説・書写の五種の妙行を受持の一行に含めて受持と名づけるのである。この受持の義は受持の一語の中に五種の妙行が含まれているのである。法華経の文の処々に「能く斯の経を持つ云云」等とあるのがこれである。二に別体の受持とは五種の妙行の中の第一、第二、第三等とあるうちの第一の受持で、「信力の故に受け念力の故に持ち・文を看るを読となし・忘れざるを誦となす」等はこれである。ゆえに神力品の結要付嘱の文においても、長行の中には別体に約して「応に一心に受持読誦解説書写して説の如く修行すべし」と説いているが、これは要法五種の妙行である。偈の中では総体に約しているから「応に斯の経を受持すべし」と説いている。これすなわち日蓮大聖人のおおせられる唯受持の一行であって、この受持によって即身成仏することができるのである。当抄の意も正しく偈の中の総体の受持であるから五種の妙行を通じて受持としている。しかるに受持が正しく信心口唱に当たるとは、信心はすなわち受持が家の受持であり、口唱はすなわち受持が家の読誦である。ゆえに受持読誦はすなわち受持が家の自行であり、今の自行の観心を明かすがゆえにただ自行の辺を取るのである。解説・書写は化他を面となすゆえに論じないが、すなわち解説は折伏・説法である。
 またこの文の中に四種の力用を明かしている。「我等受持」とは信力・行力であり、「此の五字」とは法力であり、「自然に譲り与える」とは仏力である。いわゆる信力とは、一向にただこの御本尊を信じて、この御本尊以外には絶対に成仏できる道はないと強盛に信ずるを信力というのである。天台の「但法性を信じて其の諸を信ぜず」というのがこれである。行力というのは「日が出れば燈の用がなく雨降れば露は詮なし」の道理で、今末法においては余経も法華経も詮なしとおおせのように、余事を雑えずただ南無妙法蓮華経と唱うるのが即行力である。法力というのは、すでに迹中化他の三世の諸仏の因果の功徳は、ことごとく本地自行の妙法五字に具足している。ゆえにこの御本尊の力用・化功は広大で、利益の深遠なのはすなわち法力である。仏力というのは、久遠元初の自受用身の自行化他の因果の功徳を円満に具足する妙法の五字を、一幅の御本尊に図顕して末法の幼稚に授与せられた、これは「我本誓願を立つ」の大悲力をもってのゆえであるから、われらがこの御本尊を受持し奉れば、自然に彼の自行化他の因果の功徳を譲り与え給うて、皆ことごとく、われら凡夫の功徳となし「如我等無異」の悟りを開かしめ給う、これひとえに、仏力のしからしむるところである。
 もしこの仏力・法力によらないでは、どうしてよく、われらの観心を成ずることができようか。大論第一にいわく「譬えば蓮華、水に在り、若し日光を得ざれば翳死すること疑いなきが如く、衆生の善根若し仏に値わざれば成ずるを得るに由なし」等云云。今この文は花は信力で、蓮は行力で、水は法力で、日は仏力である。蓮華は水によって生ずるように、われらの信力・行力も必ず法力によって生ずるのである。もし水がなければ蓮華は生じないように、もし法力がなければ、われらの信力・行力も生ずることがないのである。このゆえに御本尊を仰ぎ奉りて法力を祈るべきである。また水によって蓮華を生ずることができても、もし日光がなければ枯れることは疑いない。われらが法力によって信力・行力を生じても、もし仏力を得なければ信行の退転することが疑いない。蓮華はもし日光を得れば、必ず栄えるように、われらは仏力をこうむってこそ信行を成就し、速やかに最高の幸福を得るのである。ゆえに末法今時の幼児たる、われら衆生は、唯仏力・法力によって観心を成ずるので、自力思惟の観察の要がないのである。
 以上の文意を次に一表としておくから、よくその内容を把握されたい。
 蓮 …… 行力 …┬… 蓮華水にあり
 華 …… 信力 …┘  われら凡夫が信力・行力を励む
 水 …… 法力 …┬… 蓮華は水によって生ず
          └… われらは法力によって信力・行力を生ず
 日光 … 仏力 …┬… 蓮華は日光に値うて栄う
          └… われらは仏力によって即身成仏す 
 このように、われら衆生が即身成仏の大利益を得るのは、ことごとく妙法五字の御本尊の法力と、久遠元初の自受用身たる本仏日蓮大聖人の仏力によるのである。止観第五にいわく「香城に骨を粉き雪嶺に身を投ぐるとも亦何ぞ以て徳を報ずるに足らん」と。また第一にいわく「常啼は東に請い・善財は南に求め・薬王は手を焼き・普明は頭を刎られ、一日三度恒河沙に身を捨つとも尚一句の力を報ずる能わず、況んや両肩に荷負して百千万劫すれども寧ろ仏法の恩を報ぜんや」等と言っているように、御本尊の重恩を厚く思うべきである。
 要するに、簡単にこれを結論するならば「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す」とは本尊の妙能、妙徳を顕わし、「我等此の五字」は末法の衆生の受持すべき本尊を顕わし、「受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」は受持即観心を顕わしているのである。今、この文を承けて「四大声聞の領解に云く『無上宝聚・不求自得』」とお引きになったのは、本尊行者体一を引き起こすのである。ゆえにこれを、上を承けて下を起こすと言うのである。
 無上宝聚とは爾前有上・迹門無上、迹門有上・本門無上、脱益有上・下種無上と読むべきであるから、文底下種の本尊は無上の中の極無上である。この文底下種の御本尊に釈尊の因位の万行、果位の万徳の宝を聚むるゆえに無上宝聚と名づけ、またこの御本尊をば「功徳聚」とも名づけるのである。かくのごとき無上の宝聚を何の辛労もなく何の行功もなく、ただ信心口唱によってこれを受得することができるので「不求自得」というのである。また四大声聞の領解を引いているのは、声聞の不求自得をあらわしているのであって、その声聞とは我等己心の声聞界である。その己心の声聞界が求めずして自得なるゆえに、われらの不求自得となるのである。ゆえに御抄に「我等が己心の声聞界なり」とおおせられているのである。
 また、「我が如く等しくして異なる事無し我が昔の所願の如き今は已に満足しぬ一切衆生を化して皆仏道に入らしむ」の文を引いて、「妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや」と、なぜおおせられているかというのに、これは三身即一身に約して久遠元初の自受用身を明かし、師弟不二を示されているのである。「我が如く等しくして異る事無し」とは「我が昔の所願の如き今は已に満足し」たからである。この「我」は久遠元初の自受用身であらせられる。「昔の所願」の「昔」は久遠元初を意味しているのである。他門流は、これを寿量品の「我本行菩薩道」の時に立てた誓願であると解しているが、当流においては「我本行菩薩道」の時はまだまだ近い時であって、これよりなおkなお遠い時である無始すなわち久遠元初の時とするのである。されば久遠元初の自受用身の誓願を「我が昔の所願の如き」といい、この久遠元初の自受用身が末法に出現して三大秘法の御本尊を幼稚の衆生に授与せしめ給うたから、「今は已に満足しぬ」というのである。またこの御本尊を受持する衆生は、皆久遠元初の仏道に入ることになるから「一切衆生をして皆仏道に入らしむ」というのである。すでに久遠元初の仏道に入れば、われら衆生の凡身の当体は、まったくこれ久遠元初の自受用身と一体であるから「妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや」とおおせられる。しかして自受用身は師であり、われらは弟子である。すでに「我が如く等しくして異る事無し」で師弟不二を示しているのである。
 御義口伝にいわく、
「御義口伝に云く我とは釈尊・我実成仏久遠の仏なり此の本門の釈尊は我等衆生の事なり……我等衆生は親なり仏は子なり父子一体にして本末究竟等なり、此の我等を寿量品に無作の三身と説きたるなり……如我昔所願は本因妙如我等無異は本果妙なり妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳骨髄に非ずや」(0720: 第六如我等無異如我昔所願の事:02)。
 また次に宝塔品にいわく「其れ能くこの経法を護る事有らん者は則ち為れ我及び多宝を供養するなり、乃至亦復(また)諸の来り給える化仏の諸の世界を荘厳し光飾し給う者を供養するなり」等云云。この経文を引かれて「釈迦・多宝・十方の諸仏は我が仏界なり其の跡を継紹して其の功徳を受得す」とおおせられたのは、無作三身に約して親子一体を示されているのである。本地の無作三身とは、一身即三身に約したのであって、「其れ能く此の経法を護る事有らん者」とは、これ観心で、「我及び多宝……諸の来り給える化仏」はすなわちこれ本尊であり、「我」はこれ無作三身の報身で智を顕わす。多宝はこれ無作の法身で境を顕わす。しこうして「我及び多宝」の「及」とはすなわち、境智冥合を意味しているのである。境智冥合するところかならず慈悲がある。慈悲はすなわちこれ無作の応身である。ゆえに「諸の来り給える化仏」とは無作の応身である。
 今これを次の図解に示してはっきりとしておく。
其れ能く此の経法を護る事有らん者 … 観心

┌ 我 …… 無作報身 … 智
 我及び多宝来り給える化仏 … 本尊 … ┼ 多宝 … 無作法身 … 境
                     └ 化仏 … 無作応身
 以上のごとく経文を読む時は「其れ能くこの御本尊を護らん者は」となって、この本尊を護るわれら衆生は、受持即観心の理によって、すなわちこれ無作の三身と顕われるのである。ゆえに釈迦・多宝・十方の諸仏はわれら己心の仏界となるのである。されば、われらは無作三身の跡を紹継して無作三身の功徳を受得し、即無作三身と顕われるのである。ゆえに「須臾も之を聞く・即阿耨多羅三藐三菩提を究竟するを得」というのである。すなわち須臾も御本尊を受持し奉れば、われらの当体が、まったく究竟円満の無作三身である。たとえば太子が先帝の跡を紹継して帝位に上れば、まったく先帝と等しく一国を統御するようなものである。されば本尊も無作三身・われらもまた無作三身、親も仏・子も仏、親も帝王・子も帝王で、まったく親子一体となることを知らねばならぬ。
 また、寿量品にいわく「然るに我実に成仏してより已来・無量無辺百千万億那由陀劫なり」等云云の文を引かれて、「我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり」とおおせられているのは、久遠元初に約して君臣合体を示されているのである。また然我実成仏已来とは、通じて三身を明かすので、我は即無作の法身、成仏は即無作の報身、已来は即無作の応身である。
 御義口伝にいわく、
「第十一自我得仏来の事 御義口伝に云く一句三身の習いの文と云うなり……我は法身・仏は報身・来は応身なり此の三身・無始無終の古仏にして自得なり、無上宝聚不求自得之を思う可し」(0756:第十一自我得仏来の:01)。
 されば無量無辺那由陀劫の、すなわち久遠元初の無作三身をわれらが受持するゆえに「我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり」というのである。五百塵点乃至の「乃至」とは何の意味か。蒙抄等には「能顕を以て乃至と云う、所顕の二字に望むる故」等と説明しているが、これは大聖人の元意に到達しておらない。今ここには五百塵点乃至とは時に約すべきである。蒙抄のごとくなれば五百塵点劫能顕所顕の三身にして無始の古仏なりとなる。しからば五百塵点劫と無始とは同じことになるか。五百塵点劫遠しといえども無始よりすれば、はなはだ近いのである。大なるあやまりが生ずるではないか。しからば乃至とはいかに読むかというに、これは後より前に向かい乃至というので、五百塵点はすなわちこれ久遠本果の時である。所願の三身は久遠名字の時にあり、いま久遠本果の時より久遠名字の時に向かってその中間を乃至するのである。すなわち、これは諸御抄の「五百塵点劫当初」の文と同じである。ゆえに今の「乃至」の二字は諸御抄の「当初」の二字と同じと読むべきである。
 当体義抄にいわく
「釈尊五百塵点劫の当初此の妙法の当体蓮華を証得して世世番番に成道を唱え能証所証の本理を顕し給えり」(0513:14)。
 三世諸仏総勘文教相廃立にいわく
「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき」(0568:13)。
 三大秘法稟承事にいわく
「寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり」(1022:08)。
 ゆえに今の文意は「我等己心の釈尊は五百塵点の当初・名字凡夫の御時に所顕の三身にして無始の古仏である」と。
 この釈尊こそ久遠元初の自受用身にして報中論三(報身を中心として三身を論ず)の無作三身であらせられることは明白である。諸門流の輩はこの無始の本仏を知らないから、当文のご深意に到達することができないので哀れむべき者である。
 また「我本菩薩の道を行じて……己心の菩薩等なり」の文意を論ずるに、われらが己心の釈尊は即種家の本果妙で、無始の仏界である。われらが己心の菩薩界は即種家の本因妙で、無始の九界である。この本因本果の釈尊は、われらが己心の主君である。地涌千界の菩薩は、己心の釈尊の眷属である。常に恒に仏の化導を輔けてきたことは大公や周公旦のごときものである。このように君臣がすでに、われらの一心に居すから君臣合体というのである。初めの難問がすでに三徳を挙げているから今また三徳に約して一体を示したのである。諸門流の輩はまったく当御抄の深秘を知らないので、謬解に謬解を重ね、甲論乙駁して大衆を惑わしているのである。
 また当節の結文である「妙楽大師いわく『当に知るべし身土一念の三千なり故に成道の時此の本理に称うて一身一念法界に遍し』等云云」の文は、次のように読むべきである。
 すなわち「当に知るべし身土」とは本尊を示し、当抄の初めの「夫れ一心に十法界を具す……三千種の世間を具す」の文と同じで、「一念三千」の四字は観心を明かし、当抄の初めの「此の三千・一念の心に在り……三千を具す」の文と等しいのである。さて身土とはすなわち本地自受用身の身土で、自受用身の身土は十法界の全体である。身は正報であり衆生世間・五蘊世間の二千、土は依報で国土世間の一千であるから三千となる。されば「一念」は即われらの信心、「三千」は即自受用身の身土である。「成道」とはわれらの成仏であり、「本」とは本地久遠元初、「理」とは難思境智の妙法、「一身」とはわれらの五大、「一念」はわれらの信心、「法界に遍し」とは自受用身である。ゆえに文意は「当に知るべし本地自受用身の身土・我等が一念のなかの三千である。ゆえに成仏の時この本地難思の境智の妙法に称い、一身の五大が法界に遍じて所証となり、一念の信心が法界に遍じて能証の智となり、久遠元初の境智冥合の自受用身と顕われるのである」と。
 また本理が本地難思の境智の妙法、即これ事の一念三千である理由を述べるならば、
 当体義抄に
「釈尊五百塵点劫の当初此の妙法の当体蓮華を証得して世世番番に成道を唱え能証所証の本理を顕し給えり」(0513:14)とある。
 五百塵点劫の当初とは、すなわち本地であり、証得の二字は能証の智・妙法の当体蓮華は所証の境である。世世番番成道はすなわち垂迹で、能証は証得の二字に当たり、所証は即妙法当体蓮華の六字である。また本理の本は五百塵点劫の当初で、理は妙法の当体蓮華の証得である。ゆえに本地難思境智の妙法を名づけて本理となすことは分明なことである。また世世番番の迹に対して久遠元初を本と名づけ、迹仏等の思慮にはとうていおよばないことであるから、難思境智の妙法を理と名づけるのである。
 さて事の一念三千と名づける理由は、この本地難思の境智の妙法は日蓮大聖人のご所有である。ゆえに日蓮大聖人の御振舞はまったく本地難思の境智の妙法の御振舞であるから、事の一念三千と名づけるのである。実にこの本地難思の妙法には無量の徳を含むから、その徳にしたがってそれぞれの名が生じたのであって、けっして一概に論ずべきではないのである。
 さらに末法における観心の意義を明らかにすれば、
 要するに正しく受持即観心を明かすということは、独一本門の御本尊を受持すること、それ自体が観心になるという一言に尽きるのである。もともと観心とは己心を観じて十法界を見るということで、これを天台流に読むときは、己心の十法界を観見することである。すなわち自分が自分の心の状態を今は苦しい、今は喜んでいる、今は怒っている、今は平和であるというように客観的に観察して、そこに一つの悟りを開くのであって、天台時代のごく上流の人の修行の仕方である。
 現代においても、われわれの人間界に十界があるとか、宇宙観が己心に住するとかいうような理論的問題を説いていると考えているが、それは観念論者の意見であって、天台の偉大な哲学に圧倒された考え方である。現在末法の人々にあっては、前記のごとき天台の観念観法によって幸福境涯を受得することはとうていなし得ない。文底よりこれを読めば、己心を観ずるというのは御本尊を信ずることであり、十法界を見るというのは、妙法を唱えることである。そのゆえは、御本尊を信じて妙法を唱えるときには、御本尊の十法界が即己心の十法界となるからである。すなわち信じ受持することによって、御本尊の因行果徳を譲り与えられて、歓喜の境涯に住することができるのである。ここに末法御本仏としての日蓮大聖人ご出世の深意があるのである。
 吾人をもって会通を加えしむれば「受持即観心」の観心とは、ある対象を絶対なりと信ずればその対象の持つ力がその人の生命生活に現われるということである。
 たとえばここに四つか五つの子供がいる。その子供は母親を絶対と信じているゆえに、母親のいうこと、なすことが、その子供にとっては絶対の信頼がある。そのゆえに母親の持つ力が子供の生活に現われてくる。母親を受持して母親のなすままに行なうゆえに安心がある。これすなわち受持即観心の定理である。母親が盗みをする。その子は母親を信頼しているとすれば盗みの母親を受持することになるので、母親の盗みの影響をその生活に受ける。それは盗みの母親を受持した子の観心ではないか。
 この「受持即観心」とは対境を絶対であると信ずることによって、対象の持つ力を自己の生命あるいは生活に現わすことである。ゆえに現代の人々の中においても自分自身で考え、そして人生観を確立して、これに執着して一歩も出ない者もいるし、また何物をも確立しないが自分というものをたよりにして、自分の心の中に画いた世界が最も正しいとしている者もある。これらの考え方は、像法時代の天台の行き方のごく初歩の者とすれば、これは与えていうことになる。もしこれを奪っていえば、達磨禅の最低のものか、いな下等な野狐禅といわれるものよりもまだ不徹底なものである。
 されば日蓮大聖人は、かかるともがらを幼稚とも貧窮・下賤ともおおせられているのである。
 この幼稚・貧窮・下賎・徳薄垢重のわれわれを日蓮大聖人は哀れとおぼしめされて、文底深秘の御本尊を確立あそばされたのである。「汝ら、幼稚下賤の身をもっていかように考えようとしても、十界互具の世界は観ずることはできない。あの上根の天台の末流が己心を観じて十法界を見るごとき観心は絶対にできるものではない。ゆえにここに御本尊を建立しておく。この御本尊を受持せよ。この御本尊を受持するなら、なんらの苦労なく天台が観じた己心の世界を現ずるであろう」とのご慈悲によりわれわれの知るあたわざる大功力ある御本尊を建立あそばされたのである。ゆえに国法とか世法とかを受持したのでは絶対に現わすことのできぬ仏界を、この御本尊によって幼稚・下賤のわれらが感得することができるのである。さればこの御本尊の受持こそ観心を成ずることになるではないか。
 天台流以下の観心は捨てよ、ただ無心に御本尊を拝め、しからば汝等の観心は成ずるであろう。これ受持即観心である。

 

 

第十七章(権迹熟益の本尊を明かす)

本文

 夫れ始め寂滅道場・華蔵世界より沙羅林に終るまで五十余年の間・華蔵・密厳・三変・四見等の三土四土は皆成劫の上の無常の土に変化する所の方便・実報・寂光・安養・浄瑠璃・密厳等なり能変の教主涅槃に入りぬれば所変の諸仏随つて滅尽す土も又以て是くの如し。

 

現代語訳

末法の衆生が、即身成仏のできる御本尊を見出すにあたって考えてみるのに、釈迦仏が寂滅道場で成道して最初に説法した華厳経の華蔵世界から、沙羅林で最後に涅槃経を説くまで一代五十余年の間に説かれた諸仏の国土はみなことごとく無常であり破滅する国土である。すなわち華蔵経で説く華蔵世界、大日如来の住するという密厳、法華経迹門で説く三変の三土、涅槃経に説く四見の四土は、みな成・住・壊・空の四劫の法則にしたがって変化してゆくところの無常の同居土であり、方便・実報・寂光・阿弥陀仏の安養・薬師如来の浄瑠璃・大日の密厳等、みな爾前迹門で説く国土は、三界同居の穢土である。ゆえにインド出世の釈迦仏が涅槃に入るならば所変の諸仏として方便土の勝応身、実報土の他受用身、寂光土の法身、安養の弥陀、浄瑠璃の薬師、密厳土の大日如来等は、釈尊の入滅にしたがって滅尽するのであるから、教主の滅尽とともにその国土もまたこのように滅尽するのである。

 

語釈

華蔵世界
 蓮華蔵世界の略。華厳経巻八で普賢菩薩が説いた仏の世界。盧舎那仏が微塵数の修行をして浄められた世界のこと。世界の最下に風輪があり、その上に香水海があって、その中から一大蓮華が生じており、この大蓮華に含蔵された世界をいう。その世界は、二十重に重なる中央世界を中心に、百十一個の世界が網のようにめぐらされ、そのおのおのに仏が出現し、衆生が充満しているという。華厳荘厳世界海ともいう。

密厳
 密厳世界、密厳浄土ともいう。大乗密厳経に説かれる、大日如来が住む世界。密厳は三密によって荘厳するとの意。特に院政期に真言宗の覚鑁が浄土思想を密教的に解釈する中で用いられた。

三変
 三変土田の略。法華経見宝塔品第十一で、釈尊が三度にわたり国土を浄化したこと。同品で多宝如来の宝塔が湧現し、釈尊は宝塔を開くにあたって十方の世界の分身の諸仏を集めることになり、まず白毫の光りを放って娑婆世界を変じて清浄ならしめ、法華経の説法の聴衆以外の不信の人界・天界の衆生を他土に移して分身の諸仏を集めた。しかし、まだ入りきらなかったため、さらに八方それぞれの二百万億那由他阿僧祇の世界を変じて清浄ならしめ、さらにまた八方それぞれの二百万億那由他阿僧祇の世界を変じて清浄ならしめ、それぞれの諸仏の天・人を他土に移して十方の世界の分身の諸仏を集め、十方世界通一仏土の相を現わした。

四見
 涅槃経に説く。衆生の機根や境涯の相違によって同じ沙羅双樹の林が、凡聖同居土・方便有余土・実報無障礙土・常寂光土の四種に違って見えること。

三土・四土
 三土は「三変の国土」で同居・方便・実報。四土は「四見の国土」で同居・方便・実報・寂光である。

方便・実報・寂光
 四土のうち同居土以外の三土のこと。四土とは一に凡聖同居土で凡夫も聖人も同じく住するゆえに名づけ、これをまた同居の浄土と同居の穢土とに分ける。二に方便有余土とは見惑思惑を断じていまだ塵沙・無明の惑を余すところの二乗・菩薩の住処である。三に実報無障礙土とは別教の初地以上・円教の初住以上等覚に至るまでの菩薩が分々の無明を断じた安心自立の無障礙の国土である。四に常寂光土とは仏の国土であり常は法身・寂は解脱・光は般若(智慧)の明了なるを顕わす。このように分かつけれどもその究極の意は次の総勘文抄に拝するごとくである。三世諸仏総勘文教相廃立にいわく、「寂光をば鏡に譬え同居と方便と実報の三土をば鏡に遷る像に譬う四土も一土なり三身も一仏なり今は此の三身と四土と和合して仏の一体の徳なるを寂光の仏と云う」(0573:18)。

安養
 安養世界の略。安養は梵語スカーヴァティー(sukhāvatī)の訳で、娑婆世界の西方にあるという阿弥陀仏の浄土。極楽とも訳される。往生した者は、心を安んじ、身を養うところからいう。

浄瑠璃
 浄瑠璃世界の略。娑婆世界の東方にあるという薬師如来の浄土。浄瑠璃とは、清浄なる瑠璃のことで七宝の一つ、紺青色の宝石。瑠璃をもって大地となすので浄瑠璃世界という。薬師如来本願経などに病気を除き,諸根を具足させる浄土と説かれる。

 

講義

本節は権教・迹門に説かれた熟益の本尊を明かしている。熟益の本尊を明かすのに、すでに第十一章の教主に約して問う時くわしくその教主の身相や脇士等を述べてあるから、いま、ふたたび説明することなく、ただ国土の無常変化することのみを説いて、無常変化の本尊は有名無実であることを教えられている。

 

 

第十八章(本門脱益の本尊を明かす)

本文

 今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず所化以て同体なり此れ即ち己心の三千具足・三種の世間なり迹門十四品には未だ之を説かず法華経の内に於ても時機未熟の故なるか。

 

現代語訳

爾前迹門に説いた仏も無常であり、その場かぎりで滅びてしまうものであったが、いま法華経本門寿量品の説法に至って仏の久遠の本地が明かされ、本因・本果・本国土の三妙が合論された時には、この娑婆世界が三災にも犯されることなく成・住・壊・空の四劫を循環するものでもない常住の浄土となった。久遠の本仏はすでに過去にも滅することなく未来にも生ずることのない常住不滅の仏であり、仏の説法を聞いている所化たちもまた本仏と同体で常住に実在することがはっきりと説き示された。このような説相がすなわち、釈迦在世の衆生舎利弗たちの己心の三千具足、三種の世間であった。迹門十四品には、いまだこのような三妙合論の事の一念三千が説かれなかったのは、法華経の内においてもいまだ時機が熟していなかったからである。

 

語釈


 法華経本門寿量品説法の時をいう。

本時
 寿量品に本因・本果・本国土が説かれ、久遠常住が説かれた時をいう。しかしその文底の意は末法に三大秘法の御本尊が建立される時を本時という。

三災
 大の三災と小の三災とある。小劫の減劫の時に穀貴(飢饉などによる穀物の高騰)、兵革(戦乱)、疫病(伝染病の流行)の災が起こるのを小の三災という。大集経で説かれる。大劫のなかで、住劫が終わって壊劫の時の火風水の三災を大の三災という。

 

講義

本章はまさしく本門脱益本尊を明かすとともに、「此れ即ち己心の三千具足」等とおおせられて在世の衆生の観心を明かしているのである。
 いま脱益の本尊を明かすのに寿量品の「時我及衆僧倶出霊鷲山」の文で消釈する。「時」とは即本時であり、「我」は即仏であり、「衆僧」は所化である。「倶出」はすなわち同体であり、師弟ともに三世常住である。「霊鷲山」はすなわち三災を離れ四劫をいでたる常住の浄土である。ゆえに伝教大師は「霊山宝土は劫火に焼けず」といっているのもこの意である。
 以上は文上脱益寿量品の意であるが、日蓮大聖人の御義口伝を拝すれば、
 御義口伝にいわく
「時我及衆僧倶出霊鷲山の事 御義口伝に云く霊山一会儼然未散の文なり、時とは感応末法の時なり我とは釈尊・及とは菩薩・聖衆を衆僧と説かれたり倶とは十界なり霊鷲山とは寂光土なり、時に我も及も衆僧も倶に霊鷲山に出ずるなり秘す可し秘す可し、本門事の一念三千の明文なり御本尊は此の文を顕し出だし給うなり……又云く時とは本時娑婆世界の時なり下は十界宛然の曼陀羅を顕す文なり、其の故は時とは末法第五時の時なり、我とは釈尊・及は菩薩・衆僧は二乗・倶とは六道なり・出とは霊山浄土に列出するなり霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり云云」(0756
 上の御文の如く「本時の娑婆世界」にも在世と末法・文上と文底の重大な相違のあることを知るべきである。
 また本文に「仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず」とあるのは、寿量品に「如是我成仏已来、甚大久遠、寿命無量阿僧祇劫、常住不滅」とあるところから、天台大師は仏の過去に不滅であることを説き、併せて未来の常住を明かしているので、いまの御文にも「未来にも生ぜず」と未来の常住を明かしているのである。
 また、在世の観心を明かす御文を消釈するのに「此れ即ち」とは上の「本時の娑婆世界」以下の文を指す。「本時の娑婆」とは本国土・依報の一千である。仏および所化は本因本果で衆生と五蘊の二千世間である、これすなわち在世の舎利弗等が己心具足の三種の世間・三千世間である。妙楽いわく「故に長寿を聞いて復宗旨を了す」と、すなわち舎利弗等は本因本果の長寿・久遠なるを聞いて一念三千の宗旨を解ったのである。
 百六箇抄にいわく、
「在世観心法華経の本迹、一品二半は在世一段の観心なり天台の本門なり、日蓮が為には教相の迹門なり云云」(0856:02
 このように在世の衆生の観心は、末法の日蓮大聖人の仏法からみると教相の迹門となるのである。この点が当門と他門との重大な相違で、これがわからなくては末法の仏法は会得できないのである。八品派の日忠なぞは「今本時の下は在世に約し、此れ即ち己心の下は末法に約す」といっている。また要法寺の日辰は「此れ即ち己心の三千具足とは蓮祖門弟の信者行者の己心の一念三千なり」と同様のことをいっているが、それは誤りもはなはだしいものである。なぜなら「夫れ始め寂滅道場」から「時機未熟の故なるか」までは、ぜんぶ釈尊在世のことを論じていて末法のことを論じている御文がない。この文だけを末法に約するという理由がないのである。さらにまた、この一段は本門に約して「迹門十四品には未だ之を説かず」等といっているのは釈尊在世の本門であって末法ではない。さらにまた、これを末法に約するなら、前出のごとき妙楽や日蓮大聖人の御相伝に背反するではないか。いわんや、また、この文を、強いて末法の観心となし在世の観心をもって末法の観心と混乱せしめては、まったく当抄の意に反するではないか。

成住壊空と永遠の生命

本文に「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり」とあるが、この文は、本門にいたって爾前迹門までの無常の世界を打ち破って常住の世界を説き明かしたことを意味する御文である。娑婆世界が即寂光土とあらわれたことは、次項で論ずることにする。およそ三災といい、四劫といい、国土それ自体もまた、他のいっさいのものと同様に成・住・壊・空の四段階をへて、必ず破壊され、死滅してしまうという、宇宙の実相を説ききったものである。にもかかわらず、寿量品ではなぜこれを常住であると説くのか。ここでは、この点について宇宙観・生命観・幸福論等の立ち場から論じてみたい。
 その前に、四劫ということについて説明しておこう。劫とは梵語であり、長時、大時等と訳すのである。劫については経論によりさまざまである。だが一般的には、劫に小、中、大の三種類の劫があるとして次のように説かれている。
 小劫とは住劫のはじめ、人寿無量歳より百年に一歳を減じつつ、ついに人寿十歳にいたる。これを第一減劫という。次に人寿十歳より百年に一歳を増して人寿八万歳にいたる。また八万歳より百年に一歳を減じて人寿十歳にいたる。この増減を第二の増減劫という。このように増減すること十八回、最後に人寿十歳より百年に一歳を増して無量歳にいたる。これを第二十の増劫という。第一はただ一減、第二十はただ一増であるけれども、その時節の長さは各中間の一増減に等しい。この一増減の時節を一小劫と名づける。したがって、一小劫は千六百万年より二千年を減じた数(15,998,000年)にあたる。中劫とは、以上のように住劫の一減より中間の十八増減、第二十の一増にいたる。この二十増減の時節を合して、中劫とする。すなわち中劫とは二十小劫であり、319,960,000年)の長さを指すことになる。
 そして、この中劫を四つ合わせたものを一大劫といい、この宇宙(当時は須弥山を中心とした一小世界、いまでいえば太陽系を指す)の始終の長さとしている。四つの中劫とは、成・住・壊・空をいう。これが本文にお示しの四劫のことである。
 一つの世界が成立するまでの期間を成劫、成立以後衆生の住んでいる期間を住劫、火災・風災・水災の三災によって、それが壊れる期間を壊劫、消滅して空となる期間を空劫という。そして、空劫が過ぎればまた成劫がはじまり、この成・住・壊・空の四劫が循環し尽きることがないと説かれている。三災については、このうち、小劫の減劫の時に飢饉・疫病・刀兵の災が起こるのを小の三災といい、大劫のなかで、住劫が終わって壊劫の時の火風水の三災を大の三災というのである。
 宇宙に存在するもののなかで、永遠に変化せず、そのままの姿でとどまっているものは一つもない。いかなるものも、かならず、誕生、存続、破壊、死滅を繰り返して絶えず変化を続けているのである。これを仏法では成住壊空と呼んでいるのである。
 これを人間の一生にあてはめてみると、母の胎内にやどり、出生して成長する青少年時代は「成」であり、人生の爛熟期である壮年時代は「住」、老年期は「壊」、死んで生命が宇宙の中に溶け込んだ状態を「空」ということができる。人間に限らず、アミーバのような下等動物から、机やコップなどの非情の生命にいたるまで、宇宙の万物はすべてこの四階段を循環すると説いている。
 最近の天文学では、恒星も、恒星の構成体である銀河系のような島宇宙も、いっさい、成住壊空の流転を繰り返していくことが確認されている。この近代天文学による宇宙観と三千年前の仏法の宇宙観とを比較したときに、ふしぎにも一致しているのである。現在の地球の状態などを倶舎論によれば、「住劫第九の減」に相当するという。すなわち、成劫をすでに過ぎ、間もなく住劫の半ばに到ろうとしているというのである。ところで、最近の天文学では、地球の年齢について「現在の地球は成立後約五十億年、生物ができてから三十億年を経過した壮年期の惑星である」という結論を出しているが、これもみごとな一致を示している。このように、小乗、権大乗にすでに説かれている成住壊空の原理すら、最近の天文学がようやくたどりついた結論にすぎないのである。まして、法華経の本門に説く生命観、その根底たる日蓮大聖人の生命哲理が、いかばかりか深いかを知るべきである。
 しかして、最高の仏法哲理は、たんに変化し、流転していく面のみを説くのではなく、それを認めつつもその根底に常住の世界を説き明かすのである。たしかに、現象の面のみをみれば、いっさいが変化し、流転しゆくものである。だが、実は、その奥底に、一切を変化せしめていく、常住にして不滅の本源力があるのである。科学は、あくまでも、これらの現象面を扱う分野のものであり、本質を扱うものではない。
 堀米日淳上人は、この点について次のように述べられている。「科学の対象はなんであるかといえば、それは仮有の世界である。仮有の世界は、一切世間の一小部門に過ぎないのである。而も仮有の世界は流転の世界である。したがってこれを対象とする科学的知識はまた変転を免れない。ゆえに科学においては絶対不変の真理というものは考えられない。これに対して真の宗教は一切世間を対象とする。したがってその智は絶対不変である。宗教が一切世間を対象とするというのは、生命そのものを対象とするがゆえである。宗教と科学との関係は相背馳するものでなく、それは科学が宗教の一小部門にすぎないのである。すなわち科学は宗教の前衛である」
 成住壊空は、変化の世界であり、流転の世界である。これを説き明かした、爾前迹門と科学の最近の発見とが一致するのも当然といえよう。だが、寿量品にいたりて、成住壊空に左右されない、不滅の常寂光の世界を説いたのである。しかも、その常寂光の世界はどこか別世界にあるのではなく、この世界すなわちわれわれの住む世界もわれら自身の生命もまさしくそれであると説き究めたのである。ゆえに、日蓮大聖人は、寿量品得意抄に「一切経の中に此の寿量品ましまさずは天に日月無く国に大王なく山海に玉なく人にたましゐ無からんがごとし、されば寿量品なくしては一切経いたづらごとなるべし」(1211:17)とおおせられたのである。
 しかして、なにものにも左右されず、万法の本源であり、かつ、あらゆるものを変化させ、流転せしめていく、宇宙に内在する大生命は、寿量品の文底に秘沈されたる南無妙法蓮華経なのである。ゆえに本抄の次下の文にいわく「所詮寿量品の肝心南無妙法蓮華経こそ十方三世の諸仏の母にて御坐し候へ」と。像法の天台大師はこれを説けないため一念三千と説き、止観と弘めたのである。日蓮大聖人は、この大宇宙の本源力たる南無妙法蓮華経をそのまま一幅の御本尊としてあらわされたのである。
 いかに、大宇宙に変化ありとも、成・住・壊・空と繰り返そうが、それは南無妙法蓮華経の世界で起きている現象にすぎない。すべて南無妙法蓮華経のあらわれであり、南無妙法蓮華経を土台として成り立っているのである。「起は是れ法性の起、滅は是れ法性の滅」とは、このことをいうのである。
 無量義経にいわく「大いなる哉大悟大聖主は 垢無く染無く著する所無し 天人象馬の調御師にして 道風徳香は一切に熏じ 智は恬かに情は泊かに慮は凝静なり 意は滅し識は亡して心も亦た寂なり 永く夢妄の思想念を断じて 復た諸大陰入界無し 其の身は有に非ず亦た無に非ず 因に非ず縁に非ず自他に非ず 方に非ず円に非ず短長に非ず 出に非ず没に非ず生滅に非ず 造に非ず起に非ず為作に非ず 坐に非ず臥に非ず行住に非ず 動に非ず転に非ず閑静に非ず 進に非ず退に非ず安危に非ず 是に非ず非に非ず得失に非ず 彼に非ず此に非ず去来に非ず、青に非ず黄に非ず赤白に非ず 紅に非ず紫種種の色に非ず……」と。
 また安楽行品の十八空の文にいわく、「一切の法は空なり、如実相なり、顚倒せず、動ぜず、退せず、転ぜず、虚空の如くにして所有の性無く、一切の語言の道断え、生ぜず、出せず、起せず、名無く、相無く、実に所有無く、無量無辺、無礙無障なりと観ぜよ」と。
 この無量義経および安楽行品に説かれたところのものも、文底の眼開けてみれば、その実体は南無妙法蓮華経なのである。ゆえに御義口伝に「十八空の体とは南無妙法蓮華経是なり」(0750:第二一切法空の事)また「所謂南無妙法蓮華経本来無起滅なり」(0790:01)等とあるのである。
 このように、南無妙法蓮華経それ自体は有でもなければ、無でもなく、生じたり、滅したりするものでもないが、それがあらわれたる現象の世界は「有であり、無であり、因であり、縁であり、自他であり、方であり、円であり、短長であり、出であり、没であり、生滅であり……」となるのである。すなわち、差別の世界であり、変化の世界であり、流転の世界なのである。
 以上のことは、生命についても同じくあてはまるものである。生命そのものは、作られもしないし、生ずるものでもなく、また、こわされることも、減ずることもないのである。むろん、生命現象というものは、時々刻々と変化し、また、生死、生死と流転しゆくものである。だが、その生命の本質それ自体は、いかなる変化にも左右されないのである。
 総勘文抄にいわく「生と死と二つの理は生死の夢の理なり妄想なり顚倒なり本覚の寤を以て我が心性を糾せば生ず可き始めも無きが故に死す可き終りも無し既に生死を離れたる心法に非ずや、劫火にも焼けず水災にも朽ちず剣刀にも切られず弓箭にも射られず芥子の中に入るれども芥子も広からず心法も縮まらず虚空の中に満つれども虚空も広からず心法も狭からず……」(0563:07)と。
 ここに心法とは、生命という意味である。生命それ自体は、生じも滅しもせず、劫火にも焼けない、またどのようなものでこわそうとしても絶対に破壊されないものであり、かつ宇宙大であることが示されているのである。
 しかし、これは生命の本質についていわれたものである。もし、あらわれたる現象をみれば、それは厳しき生死の流転であり、生住異滅の変化である。
 このことを、御義口伝には「自身法性の大地を生死生死と転ぐり行くなり」(0724: 第八唯有一門の事:04)とおおせられているのである。「法性の大地」とは、生命論に約せば、生命の本質であり、絶対にこわされない、不滅の実体をいう。「生死生死と転ぐり行く」とは、永遠不滅の生命を根底において、生死の流転を繰り返していくことをいう。また、この文は永遠の生命観に立脚し、現実の生活をしていくことをも意味する。永遠の生命を知らざる生活は、根なし草のごとく、いたずらに有為転変の無常の世界をさまようのである。だが、永遠の生命観の上に立った生死は、本有の生死であり、妙法に照らされた、力強き生活をしていくことができるのである。
 また、御義口伝には「御義口伝に云く我等が滅する当体は化城なり、此の滅を滅と見れば化城なり不滅の滅と知見するを宝処とは云うなり」(0734: 第六即滅化城の事:02)とある。不滅の滅とは、永遠の生命観に立脚した死であり、これまた本有の生死のことである。かく悟るを宝処といい、真実の幸福境涯なりと説かれているのである。
 さらに同抄には、次のような深き御文がある。
「第四如来如実知見三界之相無有生死の事 御義口伝に云く如来とは三界の衆生なり此の衆生を寿量品の眼開けてみれば十界本有と実の如く知見せり、三界之相とは生老病死なり本有の生死とみれば無有生死なり生死無ければ退出も無し唯生死無きに非ざるなり、生死を見て厭離するを迷と云い始覚と云うなりさて本有の生死と知見するを悟と云い本覚と云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時本有の生死本有の退出と開覚するなり、又云く無も有も生も死も若退も若出も在世も滅後も悉く皆本有常住の振舞なり……」(0753: –第四如来如実知見三界之相無有生死の事:01
 この文中「生死無ければ退出も無し」の文は、生命の本質についていったものであり、「本有の生死」とは、永遠の生命に立脚した生死の流転である。
 生死を離れるというのは、爾前迹門の考え方である。生死は厳しき実相であり、かつ生死不二であり、常住なりと説ききったのが本門の意である。
「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時本有の生死本有の退出と開覚するなり」の文は実に重大である。いかに観念的に永遠の生命であると自分の心に言い聞かせてみてもそれで永遠の生命を覚知したと思うならば、それは大いなる錯覚、迷妄である。信心なくば、永久に流転の世界であり、無常の悲哀にとざされたままである。信心を開いたとき初めて常住の世界が現出するのである。真実に幸福な寂光の世界に住し、なにものにもおかされず、なにものにもこわされず瞬間瞬間の生命活動が大宇宙のリズムに合致し、永遠不滅の幸福境を信心の一念に築くのである。されば、末法において御本尊を信ずる者は、未来永劫にいたるまで、飢饉、疫病、刀兵の三災や、住劫の終わりに起こる火・風・水の三災にもおびやかされることのない、また成住壊空の変化にも影響されない絶対の幸福をつかむことができるのである。如説修行抄にいわく「人法共に不老不死の理顕れん時」(0502:08)等と。これ御本尊を受持した生活こそ不老であり、不死であるとのおことばである。
 生死、生死と流転しつつも、たえず幸福にみちみち、生じては大福運の身と生まれ、死しては大宇宙と冥合し滞(とどこお)りなく、たえず新しき躍動の生命にみちみち、生死にしばられるのではなく、生死を楽しみ切っていけるのである。

 

娑婆即寂光土

爾前迹門の諸経では、凡夫の住むこの娑婆世界を、煩悩と苦しみが充満する穢土であるとし、十方の国土を、仏・菩薩の住む浄土とした。すなわち、このわれらの住む世界を忌み嫌い、遠きかなたに理想世界があるとしたのである。たとえば、西方十万億の国土を過ぎたところに、阿弥陀仏の住む極楽浄土があるとしたり、東方に薬師如来の住む浄瑠璃世界があるとしたり、また華蔵世界、密厳世界等と、経文によりさまざまな世界を説いてきたのである。
 また、娑婆世界を同居の穢土であるとし、仏の住む国土を寂光土、菩薩の住む世界を実報土、二乗の住む国土を方便土であると、国土を四つに区分して、それぞれ別世界であると述べてきたのであった。
 しかし、法華経本門寿量品にいたって、この娑婆世界に仏が現実に常住してきたことが明かされ、いままであれほど嫌われていた娑婆世界が、即本有の寂光土とあらわれたのである。また、四土も一土となり、その国土を寂光土とするか、穢土とするかは、すべてそこに住する人の一念によって決まることが明かされたのである。
 開目抄下にいわく「今爾前・迹門にして十方を浄土と・がうして此の土を穢土ととかれしを打ちかへして此の土は本土なり十方の浄土は垂迹の穢土となる」(0214:03)と。
 総勘文抄にいわく「四土不二にして法身の一仏なり十界を身と為すは法身なり十界を心と為すは報身なり十界を形と為すは応身なり十界の外に仏無し仏の外に十界無くして依正不二なり身土不二なり一仏の身体なるを以て寂光土と云う是の故に無相の極理とは云うなり」(0563:02)と。
 同抄にいわく「寂光をば鏡に譬え同居と方便と実報の三土をば鏡に遷る像に譬う四土も一土なり三身も一仏なり今は此の三身と四土と和合して仏の一体の徳なるを寂光の仏と云う」(0573:18)と。
 しからば、娑婆世界が即寂光土であるということが、いったいわれわれの生活にいかなる意味をもつのであろうか。
 幸福は遠くにあるものではない。どこかの別世界にあるものでもない。今現実に、自分が生きているこの世界にあるのだと説いたのが、娑婆即寂光の原理である。所詮、爾前迹門のごとき低級な哲学、思想では、現実に幸福を築くことができない。ゆえに、事を未来によせ、現実の苦悩を、あきらめによって軽減させようとする、消極的な説き方しかできないのである。
 しかし、これはたんなる仮説にすぎず、釈尊は、寿量品においてこれを徹底的に打ち破ったのである。そして事実、釈尊の境涯の上に、この原理をあらわしたのであった。
 今、末法においては、日蓮大聖人の大生命哲学以外に、いかなる世界をも幸福な楽土にしきれるものはない。それ以外の、あきらめの哲学、逃避の宗教は、ことごとく人々の心をむしばみ、無気力に、奈落の底に沈めていくのである。
 そのもっとも典型的なものは念仏思想である。この世は穢土だ、念仏を唱えて死ねば極楽往生できるという単純な理論にだまされ、それに従ってきた人が、かつてひじょうに多かったのである。そして、この害毒が歴史上も顕著にあらわれているのである。
 中国の念仏宗の開祖である善導が、発狂して、自分の寺の前の柳の木に登って自分の首をくくり自殺をはかり、飛びおりたところ、縄が切れたのか、柳の枝が折れたのか、堅い土の上に落ちて腰の骨を折り、七日七夜、苦しみあえいで、わめき、地をはいずって死んでいった最期はあまりにもみじめであった。かれが、柳の木に登ってなんといったであろうか。「此の身厭う可し諸苦に責められ暫くも休息無し」といい、西方に向かって「仏の威神以て我を取り観音勢至来って又我を助けたまえ」と叫んだのである。ここに、浄土思想の害毒がはっきりとあらわれているではないか。
 日本においても、平安末期保元の乱、平治の乱後、社会の混乱に乗じて、浄土宗がひろまり、当時の民衆をあきらめと退廃的な気分にひたらせ、自殺者を大量に出させている事実がある。これまた、どうせこの世は不幸であり、死んで極楽浄土へ行くのだという思想が蔓延した結果である。
 また徳川時代の宗教政策として、念仏をひろめたのは有名なことである。これは民衆の不平不満を抑えるためにとられた手段であった。ということは、裏を返せば、いかに念仏思想が、民衆を無気力にさせ、現状に甘んじさせるのに好都合であったという証拠である。
 まことに、低級な宗教、思想ほど恐ろしいものはない。知らずしらずのうちに、民衆の生命をむしばんでいくのである。
 ひるがえって日蓮大聖人の仏法は、いかにして、現実の不幸を打開し、この世界に真実の幸福境を現出せしめるかを、あますところなく説き明かしているのである。不幸から逃避するのではなく、その根源を絶ち、それを打破し、幸福を到来させるのである。遠きかなたの夢を追うのではなく、現実に確固たる人生を築き、未来永劫にわたる幸福を、会得せしめるのである。この日蓮大聖人の「娑婆即寂光」の大原理が樹立されないかぎり、人人は永久に不幸の巷(ちまた)を流転してゆく以外にないのである。
 次に、この世界を、娑婆と感ずるのも、常寂光と感ずるのも、その人の境涯の問題であり、一念の強さによる。
 わが奥底の一念が、地獄であれば、われらが住む世界はことごとく地獄である。奥底の一念が修羅界であれば、われわれをとりまく世界はことごとく修羅界である。われらの一念が天界であれば、国土も天界である。わが一念に仏界を涌現すれば、われらの行くところは、いっさい常寂光土である。
 一生成仏抄にいわく「衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり」(0384:01)と。
 したがって、いかなる、苦境に立たされた自分であり、いかなる難関が横たわろうとも、信心によって境涯を開けば、それらは、ことごとく、自分を成長させ、自分を荘厳ならしめるものとなるのである。また、それらを、ことごとく、強き生命力によって克服していくところ、人生の醍醐味がありこの世界を自在に遊戯することができるのである。
 上野殿後家尼御返事にいわく「夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり、これをさとるを仏といふ・これにまよふを凡夫と云う、これをさとるは法華経なり、もししからば法華経をたもちたてまつるものは地獄即寂光とさとり候ぞ、たとひ無量億歳のあひだ権教を修行すとも、法華経をはなるるならば・ただいつも地獄なるべし」(1504:09)と。
 地獄といい、浄土といい、それは他の世界にあるものではない。信心あれば、ただちに寂光土であり、信心がなければ、ただちに地獄であるとおおせである。たとえ、地獄の苦悩のどん底にあえぐ自分であっても、御本尊を受持するならば、すぐさま「地獄即寂光」と開けゆくことをお示しではないか。また「無量億歳云云」のおおせこそ、いかなる哲学、いかなる思想をもとにしても、またいかに努力しても、御本尊を離れるならば、たえず地獄であるとのきびしき仏法の方程式を示されたものである。
 報恩抄にいわく「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」(0329:05)と。
 なんと偉大なことであろうか。われらが、この世界において、いかにつらくとも、苦しくとも、難があろうとも、日々、題目をあげ折伏を行ずる行動が、もっとも大きな福運を積み、もっとも人間革命していく源泉であるとのおおせなのである。されば、一日一日は、否瞬間瞬間が無上に尊いのである。これ娑婆即寂光土ではないか。
 さらに、経王殿御返事にいわく「いかなる処にて遊びたはふるとも・つつがあるべからず遊行して畏れ無きこと師子王の如くなるべし」(1124:09)と。
 御本尊は、大宇宙のいっさいの力、十方三世諸仏のいっさいの功徳を具足しているのである。われらがこの偉大なる御本尊を受持しぬいていくならば、日々の行動は、宇宙の大リズムに合致し、われらの世界には諸天の働きは充満し、ゆうゆうたる、そしてかぎりなく力強い人生行路を進んでいくことができるのである。この世界を思うがままに乱舞できるとはなんたるすばらしいことか。
 以上、われわれの境涯において「娑婆即寂光土」を論じたが、これ個人における人間革命であり、さらに、妙法の広宣流布した世界こそ「娑婆即寂光土」なりと断ずるものである。
 今日、幾多の悲惨な現実が、われわれの眼前に展開している。それは残酷、冷酷、無慈悲等々、言葉では言い表わせない現状である。全人類は一触触発の核戦争の恐怖にさらされ、弱小国はたえず動乱と戦争の絶え間がない。
 これ、まさに娑婆世界である。だが、こうした世相も、その本源をたずねれば、人間生命の貪・瞋・癡の三毒の反映である。戦争を起こすも起こさないも人の心であることは、世の識者の一同に認めるところである。だが、それを知っても、いかんともしがたいのがいつわらざる実状である。それはなすべき、なんらの支柱もないからである。
これを解決する法もまた、人間生命の究極をつきつめ、それを説き明かした仏法哲理によらなければならないと主張するものである。
 法華文句にいわく「相とは四濁増劇にして此の時に聚在せり瞋恚増劇して刀兵起り貪欲増劇して飢餓起り愚癡増劇にして疾疫起り三災起るが故に煩悩倍隆んに諸見転た熾んたり」と、これ五濁乱漫の世相の根源は、実に人間生命の濁りであることを示したことばである。しかして、われわれが、妙法を全世界に広宣流布するならば、必ずやこの乱れきった娑婆世界も常寂光土と転ずることを確信してやまない。
 立正安国論にいわく「汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無んば身は是れ安全・心は是れ禅定ならん」(0032:14)。
 この原理は、たんに一国のみならず全世界について同様にいえるのである。一日も早く、全世界の人々に、御本尊の偉大な力を知らしめ、絶対にくずれない、恒久平和を築いていこうではないか。

 

 

 

第十九章(文底下種の本尊を明かす)

本文

 此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず何に況や其の已外をや但地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う、其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士上行等の四菩薩・文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり、是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し八年の間にも但八品に限る、正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し権大乗並に涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊普賢等を以て脇士と為す此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず、末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか。

 

現代語訳

この法華経本門の文底に沈められた肝心たる南無妙法蓮華経の五字にあっては、釈迦仏は随一の高弟たる文殊師利菩薩や薬王菩薩等にもこれを付嘱し給わないので、どうしてそれ以下の一般の弟子にこれを付嘱する訳がない。但涌出品から嘱累品に至る八品の間に地涌千界の大菩薩を召しいだして、これを付嘱し給うたのである。その文底下種の御本尊の為体は常住不滅の本仏が説き明かす常住の浄土たる娑婆世界の上に宝塔が空に居し、その宝塔の中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏と多宝仏がならび、釈尊の脇士には上行等の地涌の四菩薩がならび、文殊や弥勒等の迹化の菩薩は本化四菩薩の眷属として末座に居し、迹化の菩薩他方の国土の菩薩等大小の諸菩薩は下賎の万民が大地にひれふして雲閣月卿のごとき尊貴の人を見るがごとく、十方から来集した分身の諸仏は、迹仏迹土をあらわすゆえに大地の上に居した。
このような尊極無比の御本尊は在世五十余年にまったくこれなし、法華経八年のあいだにも涌出品から嘱累品に至るただ八品の間にこれを説き地涌の菩薩に付属した。正法像法二千年の間には小乗の釈尊は迦葉と阿難を脇士として建立され、権大乗や涅槃経・法華経の迹門等の釈尊は文殊や普賢等の菩薩を脇士として建立された。これらの仏をば正法・像法年間に造り画いたけれども未だ寿量品に説き顕わされた仏は建立されていない。末法に至って初めて文底下種・人法一箇の御本尊がかならず建立されるのである。

 

語釈

文殊
文殊師利菩薩のこと。梵名マンジュシュリー(Mañjuśrī)の音写。「うるわしい輝きをもつ者」の意。妙徳、妙首、妙吉祥と訳す。仏の智慧を象徴する菩薩。文殊菩薩の智慧は、諸仏要集経巻下に「博聞第一」とあるように、諸菩薩の中で最も勝れているとされる。一般に非常に勝れた智慧にたとえる。迹化の菩薩の上首であり、獅子に乗って釈尊の左脇に侍し、智・慧・証の徳を司る。法華経序品第一で六瑞が法華経の説かれる瑞相であることを示し、同提婆達多品第十二で沙竭羅竜王の王宮へ行き、女人成仏の範を示した竜女を化導している。

薬王
薬王菩薩のこと。梵名バイセイジャ・ラージャ(Bhaiṣajya-rāja)。音写して吠逝闍羅惹と書き、薬王と訳す。観薬王薬上二菩薩経(以降、二菩薩経と略称)によると、瑠璃光照仏の滅後、日蔵比丘が正法を宣布した。時に長者あり、兄を星宿光といい、弟を電光明と名づく。兄弟の長者は日蔵に従って仏慧を聞き、雪山の上薬を採って日蔵と衆僧に供養し、未来世において衆生の身心の二病を治せんと誓願を立てた。釈迦仏は、その時の星宿光が今の薬王、電光明が薬上であると明かし、釈迦仏は弥勒菩薩に、彼らは未来に浄眼・浄蔵という如来になるであろうと告げたと説いている。
法華経の会座に列しては、迹門流通の対告衆の首位となっており、薬王菩薩本事品第二十三では、過去世に一切衆生憙見菩薩として、日月浄明徳仏に、七万二千歳のあいだ、臂(腕)をやいて仏に供養した因位の修行を説いている。
また妙荘厳王本事品第二十七では、浄蔵・浄眼の二王子が、母の浄徳夫人とともに、バラモンの教えに執着していた父の妙荘厳王を仏道に導いたことが説かれ、その時の二王子が今の薬王菩薩、薬上菩薩であると明かしている。
なお、中国の小釈迦といわれた天台大師は薬王の化身であるといわれている。御義口伝には「天台大師も本地薬王菩薩なり」とある。

脇士
脇侍とも書く。中尊(本尊)の左右あるいは周囲にあって中尊の徳用を表顕し、その用務を弁ずる侍聖のこと。脇士の位・様相によってその本尊の徳用の高下が判じられる。次に各教主の脇士をみると、「正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し権大乗並に涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊普賢等を以て脇士と為す」とある。次に法華経本門の釈尊は「上行等の四菩薩」を脇士とし、「文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し」とされている。また次に文底独一本門の教主、すなわち御本尊の姿は、「妙法蓮華経(中尊)の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏」であり、さらに「釈尊の脇士」として「上行等の四菩薩」がある。すなわち妙法蓮華経の脇士は二重の脇士であって、正像の本尊とは比較にならないほどすぐれている。

弥勒
弥勒菩薩のこと。梵名マイトレーヤ(Maitreya)。慈氏と訳す。名は阿逸多といい無能勝と訳す。インドの婆羅門の家に生れ、のちに釈尊の弟子となり、慈悲第一と称され、次の生で仏となって釈尊の処(地位)を補うので一生補処の菩薩といわれた。釈尊に先立って入滅し、兜率の内院に生まれ、五十六億七千万歳の後、再び世に出て釈尊のあとを継ぐと菩薩処胎経に説かれている。法華経の従地涌出品では発起衆となり、寿量品、分別功徳品、随喜功徳品では対告衆となった菩薩である。紀元前後から、この世の救世主として弥勒菩薩の下生を願い信ずる弥勒信仰が盛んになり、インド・中国・日本を通じて行われた。古来、インドの瑜伽行派の学者である弥勒と混同されてきたのも、この弥勒信仰に起因している。

雲閣月卿
雲閣は、四位・五位・六位の昇殿をゆるされたものの称で、殿上人ともいう。月卿とは、天皇を日になぞらえ、三位以上の公卿を月になぞらえてこのようにいう。なお、公卿とは公と卿のこと。公は太政大臣・左大臣・右大臣をいい、卿は大納言・中納言・参議および三位以上の朝官をいう。大臣公卿と分けていうときは、公卿とは納言以下の公家をいう。

普賢
普賢菩薩のこと。梵名サマンタバドラ (Samantabhadra)。文殊師利菩薩とともに迹化の菩薩の上首で釈尊の脇士。普賢は六牙の白象に乗って右脇に侍し、理・定・行の徳を司る。普は普遍・遍満、賢は善の義。普賢は、この菩薩の徳が全世界に遍満し、而も善なることをあらわした名号である。なお、法華経普賢菩薩勧発品第二十八には「爾の時、普賢菩薩は、自在なる神通力、威徳、名聞を以て、大菩薩の無量無辺不可称数なると東方従り来る。経る所の諸国は、普く皆な震動し……」とあり、普賢菩薩が出現した時に大地が震動したことが説かれている。

 

講義

本章は文上熟脱の本尊を簡び文底下種の本尊を顕わす。初めに付嘱の人は本化地涌の大菩薩なることを明かし、「其の本尊の為体」以後はまさしく遺付の本尊の相貌を明かし、「是くの如き本尊」以下はかならず末法に出現すと結んでいる。
「此の本門」の三字は熟益迹門の本尊を簡び、「肝心」の二字は文上脱益の本尊を簡ぶ。ゆえに「此の本門の肝心」の五文字は文底下種本尊を顕わす文となるのである。「南無妙法蓮華経の五字に於ては」とは文底下種の本門事の一念三千の御本尊を明かしたので、これすなわち本化所属の法体である。日我は「本迹の不同・在世滅後の本尊能く能く意を留む可きなり」といっているが、在世の本迹とは始成正覚と久遠実成の相違であり、滅後の本迹とは脱益と下種益の相違であるから本迹の不同といい、文上の脱迹は在世の本尊であり文底は末法の本尊であるから在世滅後の本尊というのである。よくこの相違を領解しなければならない。あるいは「寿量品の肝心」あるいは「寿量品の肝要」等とおおせられるは、ことごとく寿量品の文底を御指示あそばされているのである。この最大事の末法弘通の本尊であるから「仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず」とおおせられたのである。
三大秘法稟承事にいわく、
「教主釈尊此の秘法をば三世に隠れ無き普賢文殊等にも譲り給はず況や其の以下をや」(1021:05)
「八品を説いて之を付属す」とは、涌出品第十五には付嘱すべき地涌の菩薩を召しいだし、寿量品には付嘱する本尊を説き顕わし、分別功徳品には、この本尊に対してよく一念の信解を生ずる功徳を明かし、随喜功徳品には、この本尊のことを聞いて五十展転する功徳を明かし、法師功徳品には、この本尊の五種の妙行の大利益を明かし、不軽品には、この本尊が末法に弘通する方軌を示し、神力品には別してこの本尊をまさしく地涌の菩薩に付嘱し、嘱累品第二十二では付嘱を受けおわって地涌の菩薩が退去する。ゆえに八品を説いて之を付嘱すとおおせられたのである。
妙楽いわく「今釈迦仏は本迹を説き竟って惣じて枢要を撮って諸菩薩に付嘱す」と。
天台いわく「今日本門を説いて一切諸仏の所有の法を付嘱す」と。
このように妙楽は一経三段の意に約し、通じて法華経一部の始終を挙げたから「本迹を説いて」という。天台は二経六段の意に約し、別して本門の始終を示すゆえに「本門を説いて」という。また宗祖日蓮大聖人は地涌の菩薩が法華経の会座につらなっている時に約し、付嘱の始終を明かすので「八品を説いて云云」とおおせられたのである。
次に「其の本尊の為体」とおおせられているのは、まさしく地涌の菩薩に付嘱された本尊の相貌を明かしているのである。
以下三段に分かち、第一にこれは寿量所顕の本尊なるを明かし、第二にこの本尊は文底下種の本尊なるを明かし、第三に文に随って消釈せられている。
第一に寿量所願の本尊であるとする理由は
新尼御前御返事にいわく
「今此の御本尊は……宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し神力品・属累に事極りて候」(0905:12)
御義口伝にいわく
「惣じて妙法蓮華経を上行菩薩に付属し給う事は宝塔品の時事起り・寿量品の時事顕れ・神力属累の時事竟(おわ)るなり」(0770:妙法蓮華経如来神力の事:03)
同抄にいわく
「宝塔品に事起り……涌出寿量に事顕れ神力属累に事竟るなり」(0782:16)
このように諸御抄はみな寿量品に説き顕わすとおおせられ、また本尊抄にも次下の文にいたって「未だ寿量の仏有さず」「本門寿量品の本尊並びに四大菩薩」等とおおせられて、日蓮大聖人のご真意は寿量所顕の仏であることは確かなことである。しかるに「八品の仏」「八品の本尊」という者があるが、これは大なる邪見である。「八品を説いて」とはただ付嘱の始終を顕わすことであると知らなくては大なる僻見に陥るのである。今日の仏立宗のごとき八品門流は八品が寿量所見の本尊の付属の儀式であることを知らないで、八品所顕の本尊といって大なる謗法をおかしている。
八品派の日忠は「此の本門の肝心・南無妙法蓮華経の五字は八品の間に説いて上行菩薩に付属し是を本尊と為す、又此は但題目の五字とは此れ但八品と口伝する」等と言っている。このように大聖人滅後、百年ごろ発生した八品派の邪義は本尊抄のこれらの文によっているのであるが、大聖人は寿量所顕とおおせられて、けっして八品所願とは説かれていないこと前述のとおりである。もし「八品を説いて云云」が八品所顕というならば、前掲の妙楽は「本迹を説き」というから二十八品所顕というのか、また天台は「本門を説き」というから十四品所顕というのであるか。いわんや本尊抄に「彼は一品二半此れは但題目の五字」とおおせられるのを「此れは但八品」と曲解させるがごとき誤謬(ごびゅう)を誰が信ずることができようか、まったく師敵対の謗法と断定せざるをえない。
また彼らは「是くの如き本尊は乃至但八品に限る」との文に執着して八品所願の本尊を主張するが、この寿量所願の本尊がただ八品のあいだにわたり余品にわたらないゆえに「但八品に限る」という意を知らないのである。かさねていうが、この御文意にはけっして八品所顕の意はないのである。
また諸門流は一同にいま、この本尊は八品の儀式であるというが、これまた大なる僻見であって、まさしく寿量品の儀式である。なんとなれば宝塔品のとき二仏座をならべ分身の諸仏が来集し、涌出品のとき地涌の菩薩が涌現し、寿量品のとき十界互具のうえに国土世間がすでに顕われ、一念三千の本尊の儀式が円満具足してさらに一事の闕減もない。じつに寿量所顕の本尊であることが明らかではないか。しかるに諸門流の輩は、地涌千界が列座する在世八品の儀式を取ってそのまま末法の本尊なりと曲解する。ゆえに日蓮大聖人のご正意に到達しえないのみか、かえって法華経の意義すら解しえない盲目の徒である。
日辰抄に、通じて本尊を明かすときは、八品所願の本尊であり、別して本尊を明かす時は寿量所顕の本尊であるから「本門寿量の本尊なり」という、といっているが、これも大なる僻見である。すなわち通じて本尊を明かす時は八品所顕というような説は日蓮大聖人の御抄に絶対にない。また日辰のいうところの寿量所顕も、文上脱益の相を帯びていて当流の所証、寿量所顕とは大いに異なるのである。
また、蒙抄に一部八巻二十八品がみなこれ本尊である。ただ八品に限るとは本仏の一念の尊像をただ八品のあいだに事相に示すゆえである。このように事相に顕われるか隠れるかは機によって異なり仏意は当然であるといっているが、これもまた違背の曲説である。日蓮大聖人はすでに「法華経の題目を以て本尊とすべし」(0365:01)とおおせられているからである。ただし唱法華題目抄に「本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可し」(0012:12)とおおせられているのは、佐渡以前文応元年の御抄で仏の爾前経のごとく、いまだご本懐を示しておられないからである。

第二に「其の本尊の為体」以下は文底下種の御本尊の相貌を明らかにせられたものである。すなわちこの御本尊はまさに文底下種・本地難思境智冥合・久遠元初自受用身の一身の相貌である。この義を明らかにするために文証を引く。
一には経にいわく「如来秘密神通之力」と。
御義口伝にいわく「此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり、戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥に霊山に於て面授口決せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云」(0760: 第廿五建立御本尊等の事)。

諸法実相抄にいわく「釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ、経に云く『如来秘密神通之力』是なり、如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし」(1358:11)
二には経にいわく「是好良薬今留在此」等云云。
観心本尊抄にいわく「是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり、此の良薬をば仏猶迹化に授与し給わず何に況や他方をや」(0251:09)
三には経にいわく「時我及衆僧倶出霊鷲山」等云云。
御義口伝にいわく「本門事の一念三千の明文なり御本尊は此の文を顕し出だし給うなり……時とは末法第五時の時なり、我とは釈尊・及は菩薩・衆僧は二乗・倶とは六道なり・出とは霊山浄土に列出するなり霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり云云」((0757:第十四時我及衆僧倶出霊鷲山の事:03)
四、本抄にいわく
「所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず末法の初は謗法のにして悪機なる故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」(0250:09)
五、撰時抄にいわく
「寿量品の南無妙法蓮華経の末法に流布せんずるゆへに、此の菩薩を召し出されたると」(0284:13)
六、下山御消息にいわく
「地涌の大菩薩・末法の初めに出現せさせ給いて本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に唱えさせ給うべき先序のためなり」(0346:11)
七、下山御消息にいわく
「釈迦・多宝・十方の諸仏・寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経の五字を信ぜしめんが為なりと出し給う広長舌なり」(0359:09)
以上のごとく諸御書に「本門寿量の肝要」とは熟益の迹門をえらび脱益の本門を取るゆえに本門寿量品といい、脱益の文上をえらび文底下種を取るゆえに肝要という。
開目抄に文底秘沈といい、諸御書に肝要というは同じ意である。ゆえに寿量文底大事にいわく
「文底とは久遠下種の法華経・名字の妙法に今日熟脱の法華経に帰入する処を志し給ふなり、されば妙楽大師釈して云く雖脱在現具騰本種と云云」
また御本尊の体相はまさしく釈迦多宝の二仏、本化迹化、舎利弗目連等、釈迦在世寿量品の儀式と同じである。しかして、これをもって在世寿量品の儀式のみと断ずるならば、文上脱益迹門・理の一念三千の教相の本尊となる。いま末法地涌に付属された本尊は文底下種本門・事の一念三千の観心の法門である。なぜ在世の儀式を用いるかというに「若し迹を借らずんば何ぞ能く本を識らんや」で在世寿量品の儀式をもって久遠元初自受用身の相貌を顕わすのである。妙楽の「脱は現に在りと雖も具さに本種を騰ぐ」の意を思い合わすべきである。
さらにこれを説明するならば施開廃の相伝がある。すなわち、
文上の意は
(施)久遠本果の本より、中間・今日の迹を垂れ
(開)中間・今日の迹を開し、久遠本果の本を顕わす
(廃)久遠本果の本を顕わし已んぬれば、さらに一句の余法なく、久遠本果の為体が一念三千の儀式である。
文底の意は
(施)久遠元初の本より、本果・中間・今日の迹を垂れ
(開)本果・中間・今日の迹を開し、久遠元初の本を顕わす
(廃)久遠元初の本を顕わし已んぬれば、さらに一句の余法なく、久遠元初の自受用身の当体相貌にして真の事の一念三千の為体である。
たとえば池の月に准じて天月の姿を知り、天月を知り已れば池月の影を撥って天月を指すようなものである。しかるに諸門流の輩は天月を知らず、ただ池月を見る。「嗚呼・聳駭なりなんぞ道を論ぜん」の徒輩というべきである。
さて末法の仏法においては、本果をもって迹に属することが重大な問題でこれを諒することが非常にたいせつなことである。すなわち文底の意はただ久遠元初をもって本地となし本果以後を通じて迹に属するのである。すなわち本果第一番成道の時すでに四教八教の浅深不同の教を説いているからである。文一にいわく「唯本地の四仏は皆是れ本なり」云云、籤七にいわく「既に四義浅深不同あり」と。このように不同があるということは、たとえ久遠の成道たりとも迹に属することを知るべきである。

第三に文にしたがって消釈す

「本師の娑婆の上に宝塔空に居す」云云とある。この本師の娑婆とはすなわち常在霊鷲山である。妙楽いわく「常在の言に拠る即ち自受用土に属す」等云云。ゆえに能居の五百由旬の宝塔というのは、すなわち本有の五大を意味し、所居の虚空はすなわち自受用身の住する寂光土を意味するのである。
「塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏」等とは、忠抄に「中央の妙法蓮華経の脇士は釈迦多宝なり、釈迦多宝の脇士は四大菩薩なり、文殊弥勒等は四大菩薩の眷属なり」といっているが、この義は最美であると日寛上人はおおせられている。すなわち妙法蓮華経の脇士は二重の脇士であって、正像の仏像とは大いに異なるのである。
また、釈尊在世の宝塔中の妙法蓮華経の体については次の三意がある。
一には妙法蓮華経とは即本有の五大である。いわゆる在世に出現した五百由旬の宝塔とは、密に本地自受用身の本有の五大を表わすのである。自受用身の本有の五大(地水火風空)とは即妙法蓮華経である。ゆえに三世諸仏総勘文抄教相廃立にいわく「五行とは地水火風空なり……是則ち妙法蓮華経の五字なり、此の五字を以て人身の体を造るなり本有常住なり本覚の如来なり」(0568:01)と。
二には妙法蓮華経とは即これ十界互具である。釈尊在世・虚空会の儀式に現われる十界の聖衆は本地自受用身の一念の心法所具の十界互具の妙法蓮華経を表わすのである。ゆえに当体義抄にいわく「因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し」(0513:04)と。
三には妙法蓮華経とはすなわち境智の二法である。いわゆる十界の聖衆が左右に坐して本地難思の境智の妙法蓮華経を表わすのである。天台いわく「境智和合すれば則ち、因果有り、境を照らす未だ窮らざるを因と為し、源を尽すを果と為す」等云云。すなわち列座の九界は境(客観世界)をいまだ照らし尽くすことができないゆえに妙因を表わし、釈迦多宝の二仏は源を尽くして智徳円満のゆえに妙果を表わし、このように境智和合因果の二法を表わすのである。
また、御本尊の妙法蓮華経の左右に文字に書き顕わす仏菩薩を色相荘厳の脱益の仏菩薩と拝する者のあるのは大いなるあやまりである。
すなわち種本と脱益は天地雲泥の相違である。御本尊の文字に書き表わされた仏菩薩等は、本地自証の妙法・無作本有の体徳であらせられる。たとえば一粒の種の中に百千の枝葉を具足しているようなものである。もし色相荘厳造立の仏菩薩等は迹中化他の形像で、たとえば種から生じた百千枝葉のごときものである。このようにじつに重大な相違がある。しかるに古来権迹の色相荘厳の仏菩薩に執着する者は、これは迹中化他の形像であるということがわからない。この迹中化他の形像では末法の衆生を救うことができないのである。なぜ色相荘厳の仏菩薩が迹中化他の形像であるかというに教時義にいわく「世間は皆仏に三十二相を具すを知る、此の世情に随って三十二相を以て仏と為す」と。すなわち劣応身の三十二相八十種好、勝応身の八万四千の相好、華厳経等の他受用報身の十蓮華蔵微塵の相好および微妙浄法身具相三十二、応仏昇進の自受用身等はみな世間の人情に順じて現ずるところの仏身である。ゆえに機根に随ってその相好にも多少がある。ゆえに止観第七にいわく「縁の為に同じからず、多少は彼に在り」等云云。
しかし色相荘厳の仏に執着する輩は、たとえ色相荘厳であってももし久遠本果の仏ならばすなわちこれ本地自行の成道で、決して迹中化他の形像でないと主張するが、これは大いなる僻見である。すなわち本果第一番の成道にすでに四仏があり四教八教を説いている。天台いわく「本地四仏皆是れ本なり」妙楽いわく「久遠亦四教有り」等云云、すでに方便を設けて四教八教を説くゆえに化他の形像なりというのである。妙楽いわく「本地の自行は唯円と合す、化他は不定亦八教有り」と。これらの文に明らかではないか。
また本尊について、辰抄にいわく「本尊に惣体別体あり、惣体の本尊とは一幅の大曼荼羅なり即当文是なり、別体の本尊に亦二義有り、一には人本尊・謂く報恩抄、三大秘法抄、佐渡抄、当抄の下文の事行の南無妙法蓮華経の五字七字ならびに本門本尊の文これなり、二には法本尊・即本尊問答抄の末代悪世の凡夫は法華経の題目を本尊とす可し等の文是なり」等と。この文について日寛上人のいわく、
「日辰の所説は文底の大事を知らず、人法体一の深旨に迷い但在世脱益教相の本尊に執着して以て末法下種の観心の本尊と為している。全く宗祖の諸御抄の意に通ずることなく恣に惣体別体の名目を立て祖文を曲会している。今の日辰が引くところの文はみな人法体一の本尊である。人法体一と雖も人法は宛然と具している。人即法の本尊とはすなわち自受用身即一念三千の大曼荼羅である。法即人の本尊とは一念三千即自受用身の日蓮大聖人であらせられる。いま『其の本尊の為体等』のこの文、および同じく本尊抄の『事行の南無妙法蓮華経並びに本門の本尊等』の文、本尊問答抄の文は人即法の本尊であり、三大秘法抄・報恩抄等は法即人の本尊である」と。
また「是くの如き本尊は但八品に限る」について詳論するならば、この意は、「かくのごときの本尊は在世四十年にこれ無く八年のあいだにもただ八品に限る、在世八品に限るのみで正像二千年のあいだには小乗・権教・迹門の仏をば造り画けどもいまだかくのごとき寿量の仏は有さず、末法に来入してはじめてこの寿量品の仏像が出現するのである」と、このように「是くの如き」から「此の仏像出現せしむ可きか」まで一連相続の文である。八品派の主張のごとく「八品所願の本尊は但八品に限る」と読むべきではない。「末法に来入して始めて」の「始」の字に留意するならば、このような読み方はいかに曲解謬釈のはなはだしいかは明瞭であり、このようなことから邪宗教が乱立したのである。
また前には「本尊の為体」として法の本尊を明かしながら、なにゆえ、いま「寿量の仏」・「此の仏像」等というのであるかというに、これは人法体一の深旨を顕わしているのである。前には人即法に約して本尊の為体を明かし、いまは法即人に約して末法出現を結するのである。しかして究極においてはその人法が体一である。いわく前に明かすところの本尊の為体はまったくこれ久遠元初自受用身の当体の相貌であるゆえに、いま「寿量の仏」・「此の仏像」というのである。
人法については文上熟脱は人法勝劣であり文底下種は人法体一である。いま文上熟脱で人法の勝劣をいうならば、すなわち諸経・諸文では人法の勝劣は天地のごとく供養の功徳はなお水火のごとく説かれている。すなわち普賢経にいわく「此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり。十方三世の諸仏の眼目なり。三世の諸の如来を出生する種なり」云云、薬王品にいわく「若し復人有って、七宝を以って三千大千世界に満てて、仏、及び大菩薩、辟支仏、阿羅漢に供養せん。是の人の所得の功徳も、此の法華経の、乃至一四句偈を受持する、其の福の最も多きには如かじ」等云云、文の十にいわく「七宝を四聖に奉るは一偈も持たんに如かず、法は是れ聖の師・能生・能成・能栄・法に過ぎたるは莫し、故に人は軽く法は重し」等云云。妙楽いわく「四不同と雖も法を以て本と為す」等云云。籤八にいわく「父母に非れば以て生ずるなく、師長に非れば以て成ずるなく、君主に非れば以て栄ゆるなし」等云云。その他これを略するが、これらの諸文の意は法によって生まれ、法によって成長し、法によって栄えることが明らかである。三世の諸仏がすでに法によって生じているのであるから、我等衆生もまた法を供養する功徳が勝れていることが明らかである。ゆえに法華経方便品にいわく「法を聞いて歓喜し讃めて 乃至一言をも発せば 即ち為れ已に 一切三世の仏を供養するなり」云云。宝塔品にいわく「其れ能く 此の経法を護ること有らん者は 即ち為れ 我及び多宝を供養するなり」云云、陀羅尼品にいわく「八百万億那由佗恒河沙等の諸仏を供養せん。乃至能く是の経に於いて、乃至一四句偈を受持し、読誦し、解義し、説の如く修行せん、功徳甚だ多し」云云、善住天子経にいわく「法を聞いて謗を生じ地獄に堕つるは恒沙の仏を供養するに勝る」云云、名疏十にいわく「実相は是れ三世の諸仏の母なり乃至仏母の実相を供養すれば則ち三世十方の仏所に於て倶に功徳を得」等云云。このように供養の功徳もまた法と人とでは天地雲泥の相違がある。
しかしながら文底下種の仏法においては人法は体一である。されば文底下種の本尊は人のほかに法なく・法のほかに人なし、人はまったくこれ法・法はまったくこれ人、人法の名は異なれどもその体は一である。
法師品にいわく「若しは経巻所住の処乃至此の中には、已に如来の全身有す」云云、天台いわく「此の経は是れ法身の舎利」等云云、いま天台のいう法身とはすなわち自受用身である。宝塔品にいわく「若し能く持つこと有らば即ち仏身を持つなり」云云、文第十にいわく「法を持つは即仏身を持つ」云云。また涅槃経には如来行を説き法華経には安楽行を説く。天台はこれを会していわく「如来は是れ人・安楽は是れ法・如来は是れ安楽の人・安楽は是れ如来の法なり、惣じて之を言う其の義異ならず」云云、妙楽いわく「如来と涅槃は人法・名殊にして大理別ならず、人即法の故に」云云、会疏十三にいわく「如来は即是れ人の醍醐・一実諦是れ法の醍醐・醍醐の人醍醐の法を説く、醍醐の法醍醐の人と成る、人と法と一にして二無し」等云云、略法華経にいわく「六万九千三八四・一々文々是れ真仏」云云、これらの文意はじつに下種の本尊・下種の本仏・人法体一の深旨を顕わすのである。経にいわく「一心に仏を見奉らんと欲せば自ら身命を惜まず、時に我及び衆僧倶に霊鷲山に出ず」等云云。この文はまさしく人法体一の深旨を示している、よくよくこれを思うべきである。
つぎに人法体一の釈を引くならば十界互具を円仏と名づけているのである。伝教大師の秘密荘厳論にいわく「一念三千即自受用身」等云云、御義口伝にいわく「自受用身とは一念三千なり」(0759:第廿二 自我偈始終の事:02)云云、諸法実相抄にいわく「されば釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ」(1358:11)云云。
また身延等の文底下種の仏法を知らぬ輩が色相荘厳の釈尊を作って、あえて間違いとしない理由は、「寿量品の仏」および「此の仏像等」というのを本門寿量の教主釈尊であって色相荘厳の画像・木像であると解しているからである。彼らの考えとしては釈尊一代の聖教を正像末の三時に配当すれば、正法像法は小乗教・権教・迹門の時であって末法の今時は本門の時である、ゆえに正像の時にはすでに小権迹の釈迦仏を造って本尊となしたから、末法の今時には本門寿量の教主釈尊を造り画いて本尊となすべきである、としている。
じつに一応はそのとおりであるが、この本門について彼らは透徹した理論を持っていない。それは大聖人のご聖意たる文底下種の仏法を知らないからである。末法今時の本門は文上脱益の本門でなく、文底独一の本門である。されば日蓮大聖人は「本門に於て二の心有り一には在世の為・二には滅後の為」とおおせられて、在世寿量の教主・色相荘厳の仏は在世脱益の本尊である。文底下種の本尊は滅後末法の本尊である。ゆえに正像末三時の配立)に少しの矛盾もないのである。
また「仏像」というから、かならず画像・木像に限るということはない。正像には「造り画く」とあり、末法には「出現」とあるによってもその意を知るべきである。さらに本尊抄に「此の時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ」と。また救護本尊にいわく「上行菩薩世に出現して始めて之を弘宣す」云々。以上、三か所に「始めて出現」と同じくおおせられている意をよくよく拝すべきである。

 

 

第二十章(末法出現の本尊を問う)

本文

 問う正像二千余年の間は四依の菩薩並びに人師等余仏・小乗・権大乗・爾前・迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由之を申す、此の事粗之を聞くと雖も前代未聞の故に耳目を驚動し心意を迷惑す請う重ねて之を説け委細に之を聞かん。

 

現代語訳

問う、正像二千余年の間は仏滅後に正しい仏法を弘めた四依の菩薩ならびに人師等が阿弥陀仏や大日如来を建て、あるいは小乗・権大乗・爾前・迹門の釈尊等の寺塔を建立したけれども、本門寿量品文底下種の三大秘法の御本尊として、地涌の菩薩が建立する御本尊を三国の王臣が、いまだこれを崇重した例がないという。このことをほぼ聞いたけれども前代未聞のことであるゆえに、耳目を驚き動かし、心を迷い惑わすばかりである。願わくばもう一度くわしく説いてほしい。委細にこれを聞こうと思う。

 

語釈

四依の菩薩
 仏の滅後、仏法を弘通し衆生済度の中心人格となった人々の位を四段階に分け、初依・二依・三依・四依とする。四依に四類あり小乗・権大乗・迹門・本門のそれぞれであり、これらの菩薩の位の配立は諸説がある。第十章に既出。

 

講義

前章の略釈を聞いて「此の事粗之を聞く」云云との段階に至り、いま、また詳細に説明して欲しいとの質問である。これに対する答えが五重の三段となるのである。
 本章について「本門寿量品の本尊ならびに四大菩薩」と、とくにおおせられているのは深い御意がある。「本門寿量品の本尊」とは正釈の中の人即法の本尊を指し、「並びに四大菩薩」とは法即人の本尊を挙げているのである。
 この本門寿量の本尊とは寿量品の教主・色相荘厳の釈尊でなく、四大菩薩もまた、身みな金色の四脇士ではない。その理由は、前節に「其の本尊の為体」として「塔中の妙法蓮華経」といって本経の正体を明らかにしている。釈迦多宝はこの文底下種の妙法蓮華経の脇士であり、四大菩薩はさらにその釈迦多宝の脇士であるから、文上脱益の四大菩薩でないことは明らかである。まして答えの終わりには「彼は脱・此は種」として脱迹を簡ぶ説相であるゆえに色相荘厳の仏でないことは、はっきりしているのである。
 また四大菩薩が法即人の本尊であるというのは、これ摂前顕後の徳があるゆえである。すなわち前の自受用を摂して後の日蓮を顕わす。ゆえに四大菩薩をあげて双方を顕わしているのである。ゆえに当流深秘の名異体同のご相伝にいわく「本地自受用報身の垂迹・上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮」(0854:百六箇抄:03)とおおせられるのがこれである。
 しかして上の文意よりすれば、四大菩薩といっても、その意は別して上行菩薩にあることがはっきりするであろう。ゆえに救護本尊には上行出現とあり、また本尊抄にも「此の時地涌の菩薩出現して」とあるのである。

 

 

第二十一章(一代三段・十巻三段を示す)

本文

 答えて曰く法華経一部八巻二十八品・進んでは前四味・退いては涅槃経等の一代の諸経惣じて之を括るに但一経なり始め寂滅道場より終り般若経に至るまでは序分なり無量義経・法華経・普賢経の十巻は正宗なり涅槃経等は流通分なり、正宗十巻の中に於て亦序正流通有り無量義経並に序品は序分なり、方便品より分別功徳品の十九行の偈に至るまで十五品半は正宗分なり、分別功徳品の現在の四信より普賢経に至るまでの十一品半と一巻は流通分なり。

 

現代語訳

答う、末法下種の三大秘法の御本尊は一代仏教の中にあって、いかなる地位にあり、またいかなる実体かについて五重の三段を立て、くわしく説明しよう。
 釈尊一代の仏教といえば、法華経の一部八巻二十八品・それ以前には華厳より般若に至る前四味、それ以後には涅槃経等じつに広大な経教であるが、これら一代の諸経を総じて、これを括くるに、ただの一経となるのである。はじめ寂滅道場で説いた華厳経より般若経に至るまでは序分である。無量義経・法華経・普賢経の十巻は正宗分である。涅槃経等、法華経以後に説かれた経は流通分である。
 また一代三段で正宗分と立てる十巻の中においても序正流通があり、無量義経と法華経の序品は序分である。方便品第二より分別功徳品第十七の半ばで、十九行の偈に至るまで十五品半は正宗分であり、分別功徳品の現在の四信より後半分から普賢経に至るまでの十一品半と一巻は流通分である。

 

語釈

序正流通
 序分、正宗分、流通分の三段である。序分とは一経の序論で準備段階。正宗分とは一経の本論で、説法の中心であり、そこに本懐(ほんかい)が述べられる。流通分は正宗分の法水を流れ通わすの意で、すでに説かれた経の趣旨を後代に伝える意をもって説かれたものである。

分別功徳品の現在の四信
 分別功徳品は、すでに涌出品、寿量品で略広の開近顕遠が説かれ、菩薩大衆は種種の功徳を得たわけであるが、その功徳にも浅深不動がある。それを分別することを説いた品である。この品は二段に分かれていて、初めから、弥勒が領解を述べた偈頌の終わりまでは、本門の正宗分で、その中に授記と領解とがあり、まず総じて菩薩に法身の記を授け、大衆の供養があり、ついで、領解、分別供養がある。つぎに、後半「爾の時、仏は弥勒菩薩摩訶薩に告げたまわく」から終わりまでは流通分に属し、つぎの品の終わりまでは初品の因の功徳を明かすのであって、まず一念信解・略解言趣・広為他説・深信観成の現在の四信と、随喜品、読誦品、説法品、兼行六度品、正行六度品の滅後の五品を説き、次品の終わりまでにもおよんでいる。四信五品について略説すれば、
 まず四信とは、①一念信解、法華経の顕本の理を聞いて、即座にありがたいと思う心、この心をいう。②略解言趣、一念の信心が進んでいくと、その経の趣旨が了解される。一字一句から始まって、仏が教えを説いた意は、その趣旨は、目的はなんであるのかをほぼ理解していくことができる状態。③広為他説、広く他人のために法を説く状態、心に歓喜を生じて、他の人にも説きたくなること。④深信観成、自分では理解したが人に話してみるとわからないことが多い、しかし、ますます信心を強めて、より以上にわかっていく、内鑑していくこと。
 次に五品とは、⑴初随喜品で、法を聞いて随喜の心を起こすこと。⑵読誦品、経典を読誦すること。⑶説法品で、他人に向かってすすめること。⑷兼行六度品で、自他ともに救う六度の行をも心がけること。⑸正行六度品で、正しく六度すなわち六波羅蜜の修行を行ずること。だが日蓮大聖人は、末法においては、もっとも①一念信解および⑴初随喜の位が大事であるとされている。

 

講義

これより五重三段を立て第五の三段として文底下種三段に日蓮大聖人出世のご本懐をのこるところなくお述べになるのである。開目抄には五重相対を立て、いまここには五重の三段を立てる。その元意は、種脱相対して立つるところの末法流布下種の三大秘法をご顕示あそばされるのである。
 いま五重相対と五重三段の説相を比較するならば、

一往惣の三段 ┬ 一代一経三段 … 内外相対
        └ 法華十巻三段 … 権実相対
        ┌ 迹門熟益三段 … 権迹相対 ┬ 天台第一第二法門
        │              └ 当家の第一法門
 再往別の三段 ┼ 本門脱益三段 … 本迹相対 ┬ 天台の第三法門
        │              └ 当家の第二法門
        └ 文底下種三段 … 種脱相対 ─ 当家の第三法門

一往惣の三段とは再往別の三段を顕示するための所立であるから一往という。再往は迹門熟益と本門脱益と文底下種のそれぞれの本尊を顕わすゆえ再往別の三段という。別の三段のうち迹門の三段は天台の第一教相・根性の融不融(方便品)と第二教相・化導の始終不始終(化城喩品)とを含み、これは日蓮大聖人の第一教相権迹相対に当たる。すなわち天台の第一・第二はともに迹門と爾前経の比較相対にあるからである。次に本門の三段は天台の第三教相・師弟の遠近不遠近で、よく爾前迹門の始成正覚を破り、本門の久遠実成三妙合論を明らかにしているけれども、これは当家所立第二の法門・本迹相対である。当家所立の第三法門とは、文上脱迹の本尊を簡びて文底独一本門の御本尊を顕示する。これすなわち開目抄に種脱の相対を立て本尊抄に文底下種三段を立てる所以であり、常忍抄に「日蓮が法門は第三の法門なり」(0981:08)とご判定あそばされる深意がここにあるのである。なお文底下種三段の項に詳論する。

 

 

第二十二章(迹門熟益三段を示す)

本文

 又法華経等の十巻に於ても二経有り各序正流通を具するなり、無量義経と序品は序分なり方便品より人記品に至るまでの八品は正宗分なり、法師品より安楽行品に至るまでの五品は流通分なり、其の教主を論ずれば始成正覚の仏・本無今有の百界千如を説いて已今当に超過せる随自意・難信難解の正法なり、過去の結縁を尋れば大通十六の時仏果の下種を下し進んでは華厳経等の前四味を以て助縁と為して大通の種子を覚知せしむ、此れは仏の本意に非ず但毒発等の一分なり、二乗凡夫等は前四味を縁と為し漸漸に法華に来至して種子を顕わし開顕を遂ぐるの機是なり、又在世に於て始めて八品を聞く人天等或は一句一偈等を聞て下種とし或は熟し或は脱し或は普賢・涅槃等に至り或は正像末等に小権等を以て縁と為して法華に入る例せば在世の前四味の者の如し。

 

現代語訳

また法華経と開結二経をあわせた十巻においても、迹門と本門の二経があり、おのおの序正流通を具している。まず迹門の三段を明かすならば無量義経と序品は序分であり、方便品第二より人記品第九に至るまでの八品は正宗分であり、法師品第十より安楽行品第十四に至るまでの五品は流通分である。
 この迹門を説いた教主を論ずるならば、インドに生まれ修行して成仏したという始成正覚の仏が、本門の本有常住の一念三千に対比するなら本無今有の百界千如を説いている。しかし、また三千余年の爾前経に対比するなら已今当説に超過する随自意、難信難解の正法であって諸法の実相・二乗作仏を説き明かしている。さてその説法を聞く衆生等は過去三千塵点劫の時、大通智勝仏の第十六王子として釈尊が生まれ、法華経を説いた時に仏果の種を下したものである。その時いらい長期にわたって、調機調養して、いまインドに生まれ釈迦仏が華厳経等の前四味を説くのをきいて助縁となして、大通の種子を覚知するものがあった。しかし、これは仏の本意ではなくて身体の中に潜んでいた毒がある時に発するようなものであり、爾前経を聞いて種子を覚知したものはこのような毒発等の一分であった。大多数の二乗凡夫等は前四味を助縁とし、しだいに法華経へ来至して種子を顕わし開顕を遂げて成仏を許されたのである。また在世においてはじめて正宗の八品を聞き発心下種した人界天界の衆生等は、あるいは一句一偈等を聞いて下種とし、あるいは熟しあるいは脱し、なお法華経で脱しないものも普賢経や涅槃経で脱し、なお洩れたものは正法像法年間におよび、末法の初めに小乗教や権教を助縁として脱し、ことごとく成仏した。あたかも在世の前四味を聞いて助縁とし、大通の種子を覚知したごとく仏滅後の正像末、二千余年のあいだにことごとく法華に入って成仏を遂げたのである。

 

語釈

本無今有
 迹門で成仏を許されたものは本が無くていま仏に成るといわれ、また仏も久遠を説いてないから本が無くていま有る、したがって説く法門も本が無くていま有る法を説いているに過ぎない。本門の本有常住に対していう。

過去の結縁
 今生に法華経を信じ修行に励むものはこの世で偶然に信じたのではない。過去世に下種を受け結縁しているのであると説く。迹門は三千塵点劫・大通智勝仏の下種を説き、本門は五百塵点劫・寿量文底では久遠元初以来、本仏の弟子であり眷属であったことが明かされている。

大通十六の時
 釈尊が過去世に大通智勝仏の第十六王子であった時の意。法華経化城喩品第七に、大通智勝仏が三千塵点劫の昔に出現して法華経を説法したことが説かれる。劫を大相、国を好成といい、十六人の王子がいた。魔軍を破し終わった後、十小劫じっと坐ってついに悟りを得た。成道後、十六王子や諸の梵天王の請いによって四諦・十二因縁の法を説き、十六王子もまた出家した。更に二万劫を経て十六王子の請いによって法華経を説いた。その後八千劫の間、法華経を説いたが、十六王子と少数の声聞以外はだれも信解せず、ついに静室に入り八万四千劫の間、禅定に住した。その間、十六王子はそれぞれの場所で広く法華経を説き、おのおの六百万憶那由他恒河沙等の衆生を成仏させた。これを大通覆講といい、この時、法を聞いた衆生を大通結縁の衆という。大通智勝仏は八万四千劫の禅定の後、法座に登って十六王子の法を信受した者は成仏すると説いた。この十六王子の九番目の王子が阿弥陀仏、第十六番目が釈尊である。

毒発等の一分
 毒が体内にあれば、いつ発して死ぬかもしれないところから、爾前経を聞いて過去世の法華の下種を覚ったものを毒発の一分と譬えた。

 

講義

本節は迹門熟益の三段を五節に分けて明かしているのである。

一、正しく三段を明かす
 序 分 …… 無量義経と序品
 正宗分 …… 方便品より人記品までの八品
 流通分 …… 法師品より安楽行品までの五品
二、能説の教主
 迹門を説いた仏は「始成正覚の仏」であって、久遠実成の仏は本門寿量品に至ってからである。されば迹門正宗の方便品に「我れは始め道場に坐し 樹を観じ亦た経行)して 三七日の中に於いて 是の如き事を思惟しき」と明らかにこの世で修行して成仏したことを説いている。
三、所説の法体
 文に「本無今有の百界千如を説く」というのはのちに説く本門に相対するからである。もし与えてこれを論ずる時には、迹門を理の一念三千と名づけ、奪ってこれを論ずれば迹門は本無今有の百界千如にすぎない。
 開目抄上にいわく
「迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失・一つを脱れたり、しかりと・いえども・いまだ発迹顕本せざれば・まことの一念三千もあらはれず二乗作仏も定まらず」(0197:12
 十法界事にいわく
「迹門には但是れ始覚の十界互具を説きて未だ必ず本覚本有の十界互具を明さず故に所化の大衆能化の円仏皆是れ悉く始覚なり、若し爾らば本無今有の失何ぞ免るることを得んや」(0421:13
四、権実勝劣
 御文に「已今当に超過せる随自意・難信難解の正法なり」とは権実の勝劣を明かしている。すなわち本門に対する時は本無今有の百界千如である迹門が、もし権教に対するならば随自意・難信難解の正法であり、権教は随他意また易信易解である。
五、化導の始終
「過去の結縁を尋れば」云云とは化導の始終を明かしている。迹門の衆生は同じく大通第十六王子の下種でありながら次のような三類に分かれる。
 第一類は「爾前入実」といって四味三教を聞いて法華を知り大通の種子を覚知する。すなわち爾前経によって実教の境涯を覚る者である。ただしこれは仏の本意ではなくて、ただ毒が発するような不定のものであり、しかもその種類は一でないから「一分なり」とおおせられるのである。
 第二類は「今経当機」で二乗凡夫等が在世に前四味を縁として法華経に至って得脱する。これは当機衆である。この当機衆は法華経において得脱するのであるが、およそ得脱ということは種子を顕示することを得脱と名づけるので種を覚知することも得脱することも同じ意味である。ゆえに迹門の衆生は大通の種子を覚知するのが得脱であり、本門の衆生は五百塵点劫下種を覚知するのが得脱であり、いままた、われら末法の衆生は久遠下種を覚知し久遠の本仏日蓮大聖人の本眷属であることを覚知するのが得脱であり即身成仏である。また五百弟子品には親友の襟に無価の宝珠を繫けておいたのを、親友は知らないで諸国を流浪し貧窮下賤となってふたたび前の親友に会えた時、じつは君の襟にはこのような宝珠があるのにそれを知らないで、なぜ生活に困るような貧窮の身となったのかといわれ、はじめて自分が持っていた宝珠を知ったと説かれているが、これすなわち脱は必ず下種に還る明文である。われわれもまた久遠の本仏より妙法五字の御本尊を下種されておりながら、それを知らないで貧窮下賤の身となり苦悩にあえいでいたのであるが、いまだ三大秘法の御本尊に値うことができて久遠の下種を覚知しはじめて絶対の幸福の境地に立つことができるのである。籤の一にいわく「聞法は珠を繫けるなり是を円因と為す、得記は珠を示すなり名けて円果と為す」云云というのがこれである。
 第三類は結縁衆のことで「在世に於て始めて八品を聞く」云云の文である。またあるいは一句一偈を聞いて下種となすとおおせられている。この下種の義については二義がある。それは聞法下種と発心下種である。この御文の下種が聞法下種か発心下種かと考えるならばつぎのごとき疑問が生じてくる。もし聞法下種だというならば在世はみな本已有善の衆生であるから、いまごろになって聞法下種のものがあるはずはない。またもし発心下種であるとすればいまの文に「始めて八品を聞く」というのはおかしいことになる、すでに聞法の下種があっていままた八品を聞いて発心したはずである。こうなると聞法下種と発心下種の二義の中にいずれに属するのであろうかと、これについて日寛上人はつぎのごとくおおせられている。これは発心下種であると。そのゆえは大通十六の時すでに法華を聞いたのであるが、信じなかったから聞かないのと同じであるので、「始めて八品を聞く」等とおおせられたのである。たとえば大通第三類の人が「未だ曾て大乗の義を聞かず」というのと同じである。
 また第三類のものがあるいは「普賢経・涅槃経に至って」云云といってなぜ法華経本門寿量品で得脱したといわないかというに、本門得脱の人は本門下種の人であって、大通下種とはまったく異なるのであるから本門得脱とはいわないのである。たとえば舎利弗の大通下種といって論ずる時と五百塵点劫下種といって論ずる時とはまったく違うのと同じである。
 また「或は正像末」とあるのは、釈迦仏法は正法像法で終わるのであるが、末法の本仏出現までにそうとうの年数のあることが考えられるからである。事実、末法のはじめ二百年・日蓮大聖人のご出現までは釈迦仏法の流類として本已有善の衆生が出てきているのである。本尊抄に「三に迹門の四依は多分は像法一千年・少分は末法の初なり」というのもこの意である。
 以上の文は、迹門でもまさしく化導の始めから終わりまでを明かしているが、なぜこれを迹門熟益三段というのかというに、迹門の言は爾前に対し熟益の言は本門脱益に対するからである。されば爾前経に対する時は迹門に化導の始終を明かしているが、もし本門に望む時は通じて熟益に属するのである。ゆえに本尊抄に「一往之を見る時は久種を以て下種と為し大通前四味迹門を熟と為して本門に至つて等妙に登らしむ」(0249:14)とあるのがこの意である。
 そもそも化導の始終は当門流の第一法門であり、もし第二法門の教相に望むる時はすなわち熟益の分斉なのである。

 

 

第二十三章(本門脱益三段を示す)

本文

 又本門十四品の一経に序正流通有り涌出品の半品を序分と為し寿量品と前後の二半と此れを正宗と為す其の余は流通分なり、其の教主を論ずれば始成正覚の釈尊に非ず所説の法門も亦天地の如し十界久遠の上に国土世間既に顕われ一念三千殆んど竹膜を隔つ、又迹門並びに前四味・無量義経・涅槃経等の三説は悉く随他意の易信易解・本門は三説の外の難信難解・随自意なり。

 

現代語訳

また本門十四品の一経に序正流通があり、涌出品の前半分を序分となし、涌出品の後半分と寿量品の一品と分別功徳品の前半分、以上の一品二半を正宗分となし、その余はみな流通分となる。この本門の教主を論ずるならば、爾前迹門の始成正覚の仏ではなくて久遠実成の仏であり、説くところの法門も天地のごとき相違があり、十界の久遠常住、事の一念三千を説いて本国土妙を説き明かしている。しかし文底下種の独一本門に相対するならば本迹の一念三千の相違はほとんど竹膜を隔つがごときわずかなものとなる。また本迹の勝劣をいうならば迹門や前四味の爾前経・無量義経・涅槃経等の已今当の三説はことごとく随他意の易信易解であり、本門はこれら已今当の三説に超過する随自意・難信難解である。

 

語釈

始成正覚の釈尊に非ず
 この世で修行して成仏したというのが爾前経から迹門まで説いてきた始成正覚の仏である。ここは、本門の釈尊は五百塵点劫の成道であることを明かす。

国土世間
 五陰世間(五蘊世間)と衆生世間は迹門までにも明かしてきたが、寿量品にいたってまさしくこの娑婆世界が本国土であると明かす。

竹膜を隔つ
 竹膜とは竹の皮の意。竹の皮一枚の厚みほどの、わずかな違いをいう。

 

講義

本節は本門脱益の三段を明かして、その内容は迹門と同じくつぎの五となっている。
一、正しく三段を明かす。
 序 分 …… 涌出品の半品
 正宗分 …… 寿量品と前後の二半、ただしこの一品二半は天台の立てる略開近顕遠の一品二半であり後出の一品二半とは異なる。
 流通分 …… その余(分別功徳品の半品よりの十一品半と普賢経)
二、能説の教主
 始成正覚の釈尊ではなくて久遠実成の本仏である。
三、所説の法体
 十界久遠常住事の一念三千で、迹門の一念三千とは天地のごとき相違がある。しかし文底下種独一本門に相対すれば文上脱益の本迹の相違は竹膜を隔つほどの小異である。
四、本迹勝劣
 文底の意に相対すれば文上脱益の本迹の相違は竹膜を隔つほどの小異であるが、迹門や前四味と文上脱益の本門と相対すれば本門は三説の外の難信難解・随自意である。
五、化導の始終
 この段には化導の始終の文は略されているが、迹門三段および文底三段から推して明らかである。すなわち「一往之を見る時は久遠を以て下種と為し大通前四味迹門を熟と為して本門に至って等妙に登らしむ」というのがその始終である。
 しかしてこのように化導の始終を明かしているが、本門の三段とはいわないで脱益三段というのである。そのゆえは本門ということは迹門に対し、脱益ということは文底下種に対するからである。しかして迹門に対する時は化導の始終を明かしているが文底に望む時は脱益と名づけるのであるから、下文にて「彼は脱此れは種、彼は一品二半此れは但題目の五字」等とおおせられるのである。すなわち当家所立の第二の教相たる文上本門の種熟脱は、当家所立第三の教相たる文底下種本門に相対すれば、ただ脱益となるのである。

所説の法門も亦天地の如し十界久遠の上に国土世間既に顕われ一念三千殆んど竹膜を隔つ

この文には古来いくたの解釈があるが、要するに文上でただちに迹門と本門を相対すれば「天地の如き」相違があり、ついで文底に望んで文上の本迹を判ずればその本迹の相違は「竹膜を隔つ」ということになる。しかるにこの文については古来いくたの誤解があるので初めに異解を破しついで正義を示すこととする。
 初めに異解を破す。
 一には本迹抄にいわく、国土世間と十如是とただ開合の異なりのゆえに竹膜を隔つという。
 二には決疑抄にいわく、九界の一念三千と仏界の一念三千とただ竹膜を隔つるのである。
 三にはまたいわく、能居の十界と所居の国土とをすでに一念に具するゆえにただ竹膜を隔つという。
 四には幽微録にいわく、迹化の内証自行の辺と宗門の自行化他の口唱とがただ竹膜を隔つのである。
 五にはまたいわく、始成の仏を指すと久成の仏・久成の十界を説くとただ竹膜を隔つと。
 六にはまたいわく、在世の機情の近成を執する迷と仏意の悟と殆んど竹膜を隔つと。
 七にはまたいわく、十界久遠の大曼荼羅と一念三千は殆んど竹膜を隔つ。
 八にはまたいわく、法相に約する時は本有の三千・行者に約する時は一念三千、すでにこれは少分の異なりのゆえに竹膜を隔つという。
 九にはまたいわく、殆んど隔つの上に開悟の二字を添入してみよ、例えば証を取ることを掌を反すがごとしというようなものである。
 十には日朝抄にいわく、迹門の理円と本門の事円と、事理の心理がただ竹膜を隔つと。
 十一にはまたいわく、本門の一念三千がすでに顕れ已れば自己の一念三千とただ竹膜を隔つるのであると。
 十二には享抄にいわく、迹門にはいまだ国土世間を説かず本門にはこれを説く、この不同の相は殆んど竹膜を隔つと。
 十三には安心録にいわく、一念三千は凡聖同体・迷悟の隔ては猶竹膜のごときものであると。
 十四には蒙抄にいわく、寿量品の因果国の説相と、一念三千の本尊とただ竹膜を隔つと。
 十五には忠抄にいわく、十界久遠の上に国土世間既に顕れたると、一念三千の法門とただ竹膜を隔つるのであると。
 十六には辰抄にいわく、一念三千の始の相違は竹膜の如く後の相違は天地の如し、謂く迹門の妙法蓮華経を一念三千と名づけると本門の妙法蓮華経を一念三千と名づけるとは殆んど竹膜を隔つのである。もし種脱の流通に約して本化迹化の三千の不同を論ずれば天地水火の不同であると。
 十七には日我抄にいわく、一念三千殆んど竹膜を隔つとは、久成と始成と、事の一念三千と理の一念三千である。「雖近而不見」の類であり、近処の事の一念三千を知らざる竹膜を隔つというのである。略抄。
 以上のように説くのはすべて日蓮大聖人滅後の学者たちが不相伝すなわち文底の意を知らぬ者の我見を基にして解釈したものであって、まったく日蓮大聖人のご真意ではない。また以上のように日寛上人が一括してならべ上げられたことによってその誤謬は一切明白となりこれ以外の誤謬やこじつけはほとんどないのである。
 次に正義を明かす。
 この段は所説の法体を明かしているが、また二意があって、
 一にはただちに迹門と本門を相対す。ゆえにかれは本無今有の百界千如でこれは本有常住の一念三千なるがゆえ「所説の法門亦天地の如し」というのである。
 二には重ねて文底に望みて本迹を判ずるゆえに、本迹の不同は天地のごとしと雖も、文底独一の本門・真の事の一念三千に望み還って迹本二門の一念三千を見ればほとんど竹膜を隔つごときものである。譬えば一メートルと十メートルをくらべたら大きな相違があるけれども、百メートル・千メートルからみればその相違は竹膜のごとき少異となるがごときものである。仏教では二万億仏が出現したという時節は長いようであるが、もし三千塵点劫と比較したら昨日のようなものである。三千塵点劫といえばはるか遠い昔のようであるが、五百塵点劫にくらべたらなお信宿となるようなものである。妙楽は「凡そ諸の法相は所対によって不同である」と、また日蓮大聖人は「所詮所対を見て経経の勝劣を弁うべきなり」(0332:法華取要抄:07)とおおせられるのがこれである。
 また文底の大事に望む時は迹本二門とも同じく理の一念三千と名ける。ゆえに、
 本因妙抄にいわく
「一代応仏のいきをひかえたる方は理の上の法相なれば一部共に理の一念三千迹の上の本門寿量ぞと得意せしむる事を脱益の文の上と申すなり」(0877:本因妙抄:02
 またいわく
「迹門を理具の一念三千と云う脱益の法華は本迹共に迹なり、本門を事行の一念三千と云う下種の法華は独一の本門なり」(0872:05
 もし地上と二階を比べたなら二階は高いけれども何千メートルの高度を取った飛行機の上から見るなら、地上も二階もともに低いのと同じである。妙楽は「第一義は理と雖も観に望めば事に属す」といっている。すなわち爾前経が個々の問題を取り扱うことであるのに対し、法華経は諸法の実相を説く理であり根本である。しかし法華経の中でも第一義は理であるとはいえ観心に相対すれば事となり文底観心のみが最高唯一の理であるというのである。これと同様に当流の意は「本門は事なりと雖も文底に望めば理の一念三千に属する」のである。ゆえに文底に望む時は本迹ともに理の一念三千と名づく。いま「竹膜を隔つ」と判ぜられるのになんの不思議があろうか。また迹門熟益三段の所説の法体においても「本無今有の百界千如」といって迹門を本門に相対し、ついで「已今当に超過せる随自意難信難解の正法なり」といって迹門を爾前経に相対している点をも思い合わすべきである。
 しかし文上の本門と迹門と竹膜を隔てる程のものであっても本迹一致でないのである。およそ本迹の不同は実に天地のごとき相違がある。但文底独一の本門・真の事の一念三千に望む故に竹膜を隔つというのである。竹膜を隔つといっても、彼の天地のごとき不同がたちまち竹膜となるのではない。彼の二万億仏の時節がたちまち昨日となるのではないが、三千塵点劫という久々遠々に相対するからである。また三千塵点劫のごときがたちまち信宿となるのではない。但五百塵点劫の遠々に相対するからである。ゆえに文底に望むと雖もなお本迹一致というべきではない。まして一致派の連中は文底の大事を知らないから、どうして本迹一致といえようか。もし国王に望む時は万民がことごとく臣となるけれども、臣の中にも位階の高下がないのではない。しかるに一致派は国王を知らないでしかも万民一致というような誤謬を犯しているのである。

 

 

第二十四章(文底下種三段の序正を明かす)

本文

 又本門に於て序正流通有り過去大通仏の法華経より乃至現在の華厳経乃至迹門十四品涅槃経等の一代五十余年の諸経・十方三世諸仏の微塵の経経は皆寿量の序分なり一品二半よりの外は小乗教・邪教・未得道教・覆相教と名く、其の機を論ずれば徳薄垢重・幼稚・貧窮・孤露にして禽獣に同ずるなり、爾前迹門の円教尚仏因に非ず何に況や大日経等の諸小乗経をや何に況や華厳・真言等の七宗等の論師・人師の宗をや、与えて之を論ずれば前三教を出でず奪つて之を云えば蔵通に同ず、設い法は甚深と称すとも未だ種熟脱を論ぜず還つて灰断に同じ化の始終無しとは是なり、譬えば王女たりと雖も畜種を懐妊すれば其の子尚旃陀羅に劣れるが如し、此等は且く之を閣く

 

現代語訳

次に第五の三段として、文底下種三段を明かす。すなわち文底独一の本門において、序正流通があり、過去三千塵点劫の大通仏の十六王子が繰り返し説いた法華経から、現在にインドの釈尊が説いた華厳経をはじめとする阿含・方等・般若・法華経の迹門から涅槃経等一代五十余年の諸経も、あるいはまた十方三世諸仏の大地微塵にも等しい無量の経々は、ことごとく文底下種三大秘法の御本尊の序分である。この御本尊よりの外は、あらゆる諸経がことごとく小乗教であり邪教であり未得道教であり真実を覆いかくす覆相教である。そのような小乗教・邪教を信ずる衆生の機根を論ずるならば、徳が薄く垢が重く、幼稚であり、貧窮であり、みなし児のように孤露である。しかしてわれわれ末法の衆生のためにご出現の主師親の三徳を具えられた久遠元初の本仏を知らないのは、親を知らないようなもので禽や獣と同じである。爾前や迹門に説かれた「即身成仏」するという円教すら、なお成仏の因とはならない。なぜなら過去の下種も未来の得脱も一向に明らかにされていない。ましてや大日経や華厳経のような諸の小乗経で成仏できるわけがない。さらにまた華厳宗や真言宗等のような七宗の論師や人師が仏の滅後に我見で開いた宗派によって成仏できるわけがないではないか。与えてこれを論ずれば蔵・通・別の三教を出でず、奪ってこれをいえば蔵通の範囲で灰身入滅の教えしか説かれていない。たとえこれらの宗派でその教えが甚深であるといっていてもいまだ種熟脱を論じていないから、かえって灰断に同じであり化導の始終がないというのが、これらの宗派に対する適切な批判である。たとえば王女であっても畜生の種を懐妊すれば、その子供は人間としてもっとも下賤な階級である旃陀羅にさえ劣るのと同じである。すなわち七宗の論師人師は高貴の王女のようであっても畜種のような華厳真言を弘めることは旋陀羅にも劣るのである。これらはしばらくおく。

 

語釈

一品二半
 法華経如来寿量品第十六の一品と前後の二品の半分(従地涌出品第十五の後半と分別功徳品第十七の前半)のこと。本章では、法華経本門の十四品を一つの経典としてとらえ、それを序・正・流通に立て分けられて、一品二半を正宗分とされている。さらに「文底下種三段」を明かす箇所では、下種の法である「本門の肝心南無妙法蓮華経の五字」という仏の根本の教えがどこに説かれているのかを示すという点から、再度、序・正・流通の区別を明かされ、寿量品を中心とする一品二半を正宗分とされている。
 またここでいう「一品二半」は、天台教学におけるそれとは異なり、日蓮大聖人が改めて立て直されたものである。「法華取要抄」では、天台教学における一品二半は、釈尊の化導の枠組みに基づくもので、涌出品の略開近顕遠(地涌の菩薩は久遠以来の弟子であると述べ、ほぼ開近顕遠を明かしている)から始まり、寿量品の広開近顕遠(久遠の昔に成仏したことを述べ、仏の永遠の生命を明かした)を含むもので、在世の衆生に対する脱益のための教えであるとされる。それ故、「略広開顕の一品二半」と呼ばれる。
 これに対して、大聖人御自身の本門の正宗分としての一品二半は、略開近顕遠を含まず、動執生疑のところから始まり、もっぱら滅後、その中でも末法の凡夫のためであるとされる。それ故、「広開近顕遠の一品二半」と呼ばれる。この意味での正宗分の一品二半によって明かされる寿量文底の肝心たる妙法のみが、末法における衆生成仏の要法であり、三世の諸仏の一切の経々はすべて、この妙法をあらわすための序分と位置づけられるのである。

覆相教
 真実を覆(おお)い隠している低い教えをいう。文底下種一品二半(御本尊)のほかのあらゆる教は、本有常住事の一念三千の実相を覆い隠すゆえに覆相教である。

徳薄垢重
 法華経如来寿量品第十六の文。福徳が薄く煩悩の垢が積み重なっていること。寿量品で久遠実成という仏の本地を明かす際に釈尊は、劣った法に執着するこのような者に対し、方便の教えとして始成正覚を説いてきたと述べている。

孤露
 孤はみなし子、露は慈愛で覆われるもののないこと。すなわち、久遠の本仏を知らない者。

種熟脱
 下種・調熟・得脱のこと。仏が衆生を覚りへと導く三つの段階。各段階で仏が与える利益に応じて、それぞれ下種益・熟益・脱益と呼ばれ、合わせて三益という。

灰断
 身を灰にして、なにものもなくすという二乗の修行法、灰身滅智のこと。小乗教においては、一切の不幸の原因は煩悩にあるとし、この煩悩を断ち切れば、無余涅槃という悟りの境地に到達すると説き、そのために、比丘に二百五十戒、比丘尼に五百戒等の戒、その他さまざまな戒を設定した。さらに、生ある以上煩悩がつきまとうというので、ふたたび、この三界に生じないように身も心もなくしてしまおうとしたのである。これを灰身滅智という。しかし、これはあくまでも架空の論議であり、またそのような境涯がかりに得られたとしても、それなどは成仏の境涯よりはるかに低く、しかも、かえってそのようなものを理想として修行すれば、真実の幸福境涯からは遠ざかるだけである。まことにもって空虚な幸福論といわねばならない。

化の始終無し
 種熟脱を論じていないから、悟りを得たといってもそれは灰断であり、いつ、いかなる仏からいかなる仏法の下種を受けて、どのように熟し、どのように得脱するかの化導の始終が明かされていない。

旃陀羅
 梵語チャンダーラ(caṇḍāla)の音写。暴悪・屠者・殺者などと訳す。インドのカースト制度における四種姓外の賤民。狩猟・屠殺などを業とし、最も賤しい者とみなされ、蔑視、嫌悪された。
 日蓮大聖人は御自身の出自につき、佐渡御勘気抄に「日蓮は日本国・東夷・東条・安房の国・海辺の旃陀羅が子なり、いたづらに・くちん身を法華経の御故に捨てまいらせん事あに石に金を・かふるにあらずや」(0891:08)と仰せであり、さらに「旃陀羅が家より出たり」、「民の家より出でて」、「賤民が子なり」と。これを以て「日蓮大聖人は漁業に携わる家にお生まれになり」との解説がなされる。しかし、「日蓮がその出自をこのように卑下自称するときは、必ず法華経受持の法悦の無限さを、自己の穢身凡夫の肉身と比べて説明する場面であって、この自称をそのまま事実とすることは必ずしも妥当ではない」との穿った見解もある。本抄では旃陀羅の立場を入れ換えられていわく、「王女たりと雖も畜種を懐妊すれば其の子尚旃陀羅に劣れるが如し」と。「王女」とは「華厳・真言等の七宗等の論師・人師」等の僧を譬えられ、世に尊信をかち得た身分でありながら、旃陀羅より劣る「畜種」というべき低い教えを説いている、と喝破されている。

 

講義

これより正しく文底下種三段を明かす。この段は文底下種三段であることは明らかであるが、これを了すると了しないとによって末法の真の仏法を了するか了しないかに分かれる。邪教の日蓮宗が久遠実成の脱益の釈尊を仏宝とし、南無経法蓮華経を法宝とし、日蓮大聖人を僧宝とする、大いに誤れる三宝のたて方をしているのはこの御説を了解しないからである。久遠元初の自受用身即日蓮大聖人を仏宝と当然なすべきと確信する当家は、この説を聖旨のようによくよく了しているからである。
 いまなにゆえに文底下種三段と名づけるかについては幾多の理由があるが、略して次の五項を挙げることにした。
一、五重相対に准ず
 開目抄と当抄とはあるいは教相観心となり、あるいは一巻の始終となるからその大旨は違うわけがない。開目抄には五重の相対が説かれている。それは内外相対・権実相対・権迹相対・迹本相対・種脱相対である。いま当抄を拝すると五重の三段はまったく開目抄の意と同じであるから、第五の三段は正しく種脱相対を明かしたもので文底下種三段であることは間違いない。
二、三重秘伝に准ず
 いま一往惣の三段を除いて再往別の三段を論ずれば次のようになる。
 第一 迹門熟脱三段は爾前当分・迹門跨節、権実相対、第一の教相
 第二 本門脱益三段は迹門当分・本門跨節、本迹相対、第二の教相
 第三 文底下種三段は脱益当分・下種跨節、種脱相対、第三の教相
 以上のゆえに三重秘伝の意に准ずるときは当家所立第三の教相は正しく文底下種三段である。
三、本門の両意に准ず
 日蓮大聖人は諸御抄に、本門には二つの意があって、一には在世の衆生のための本門・二には滅後末法のための本門と仰せられている。
 法華取要抄にいわく、
「本門に於て二の心有り一には涌出品の略開近顕遠は前四味並(ならび)に迹門の諸衆をして脱せしめんが為なり、二には涌出品の動執生疑より一半並びに寿量品・分別功徳品の半品已上一品二半を広開近顕遠と名く一向に滅後の為なり……問うて曰く誰人の為に広開近顕遠の寿量品を演説するや、答えて曰く寿量品の一品二半は始より終に至るまで正く滅後衆生の為なり滅後の中には末法今時の日蓮等が為なり」(0334:04)と。
 その他諸御抄は略するが、この御抄の意よりして文上脱益第四の三段は正しく在世の衆生を得脱せしめるための説法で、この下の第五の三段は末法下種の三段であることが明らかである。
四、問中の意に准ず
 五重三段を説き起こす問の中には「此の事粗之を聞くと雖も前代未聞の故に耳目を驚動し」云云とあり、すでに前代未聞の法門について質問しているのである。それに答えたのがこの第五の文底下種三段である。されば正像二千年にはいまだ誰人もこれを弘めたことのない未曾有の大法であるから文底下種三段たることは明らかである。
五、序分の広大に准ず
 一尺の池には一丈の波は立たないように序分が狭小であれば正宗分も狭小である。しかるに序分が実に広大であるから正宗分は広大でなければならないことがわかる。正宗分が前代に超ゆる広大であるということは、これ前代未聞ではないか。天台いわく「雨の猛きを見て竜の大なるを知り華の盛なるを見て池の深きを知る」と。また日蓮大聖人は「法華経序品の六瑞は一代超過の大瑞なり、涌出品は又此れには似るべくもなき大瑞なり」(1129:01)等と。ゆえに十方三世微塵の経々をその序分となすからには、またまた広大な正宗分・流通分が具わって、前代未聞の文底下種三段となるのである。
 いま古来の学者がこの段の文をどう見ているかということを論ずれば、蒙抄ではこの下を序正勝劣と判ずと名づけ文底下種三段といわないのである。
 この蒙抄の論に対して日寛上人のおおせには、「これに至る第四の三段までは、結局のところ第五の文底下種三段を明かすための手段である。もし第五の文底三段を明かさないならば天に日月なく、国に大王なく、山河に珠なく、人に神のないようなものである。啓蒙の日講はすでに宗祖弘通の骨目・真髄を失った論議を立てているから実に天魔波旬というべきである」と。
 また、辰抄ではこの下を広序の三段と名づけるが、これに対しても日寛上人は次のように破折されている。
「もしそうならば第四の次に第五の三段を立てるということになる。さて、もし序分の広大さだけを論ずるというならば、一代三段は勝れ迹門三段は劣り、迹門三段は勝れ本門三段は劣ることになる。また、本門より迹門の方が序分は広く、迹門より一代の方が広い序分となっているからである。まして序分のみが特別に広大であって正・流通が通常の釈迦仏教と同じであるというのは意味が通らないではないか。天台の譬を『雨は猛くして竜が小・華が盛にして池が浅い』とでも修正する気なのか。ましてまた流通の文と義が倶に欠けているという考えは成り立たないのである」と。
 また、忠抄の意はこの下を法界三段と名づけるが、これまた日寛上人は次のように破折なされている。
「日忠が法界といってもいまだ文底下種の三段を知らないから、それは分々の法界であって全宇宙を含む全分の法界ではない。まして、『法界』という言葉は唯漠然と広い大きいという観念的なものになってしまうから大きい間違いである」と。以上をもってこの段が文底下種三段であることが明らかとなったと思う。
 次に本文の講義に移ることとする。
 まず過去大通智勝仏の法華経についていえば、
 古来の解釈では直ちに大通智勝仏の法華経としているが、これは大通仏の説いた法華経ではなくて大通十六王子が説いて下種した法華経でなければならない。御文に略して、大通仏の法華経というのは常に大通下種というように迹門常途(じょうず)の所談である。よくその法華経の中に寿量品があったかなかったかというようなことを論ずる者があるが、それは問題とするに足らないことである。しかして大通仏の説いた法華経は次下の「十方三世諸仏」の中に入るべきなのを特別に大通仏の法華経とおおせられた御聖旨は、この序分の大旨として迹門に説かれる化導の始終の経々がみな文底下種の序分に属するとなされるお考えからである。すなわち迹門に説かれる化導の始終の経々とは、大通十六王子の法華経は結縁の始めの経々であり、釈尊在世の華厳経等は第一類の毒発等の経であり、また第二類の当機衆の熟益の終わりの経々である。迹門十四品は当機衆が得脱の終わり、結縁衆は発心の始めの経である。涅槃経等は結縁衆の得脱の終わりの経である。さて十方三世諸仏も、また復同じように、諸仏が迹門で説く化導の始終の微塵の経々は、同じく文底下種の序分となるのである。法華経に「是れ我が方便・諸仏も亦然なり」と説いているのはこの意味である。
 また彼の諸仏の微塵の経々は、それぞれの仏の文底の序分とならなければならないのに、どうしていま特別に大聖人の文底の序分となるとおおせられるかというに、大聖人の文底の意は東方の善徳仏・中央の大日如来・十方諸仏・三世の諸仏等は皆是れ久遠元初の自受用身の垂迹であるとなされるのである。天台の「一月万影」というように彼の十方三世の微塵の経々は、みなこの文底下種の序分となるのである。玄文第七に「三世乃ち殊なれども毘盧遮那一本異ならず、百千枝葉同じく一根に趣くが如し」等云云、ここに毘盧遮那とはすなわちこれ久遠元初の自受用身なのである。 

一品二半の二意

末法の衆生の依怙依托となる本尊は久遠元初の自受用身であることは、いろいろといままでに明かされてきた。日蓮大聖人出世の本懐は、この自受用身を一幅の曼荼羅に納めて我等民衆に授与することにある。されば当抄もこれを明らかにせんとして説かれたのはもちろんである。しかして最もこれを明らかに表明せられているのはこの文底三段である。この文底三段において正宗分として述べられているおことばは、「寿量品の序分なり」の「寿量」と、「一品二半よりの他は小乗教・邪教云云」の「一品二半」である。「寿量」と「一品二半」とは名前は異なるが同じく文底下種仏法の正宗分である。
 また脱益の三段にも一品二半がある。文底下種三段にも一品二半がある。ことばは同じであるけれどもその義の異なることを知らなくては文底下種仏法の真意はわからないのである。いまこれを明らかにするために一品二半をここに示してその後にこれを説明する。
 一品二半とは、涌出品の後の半品と、寿量品と、分別功徳品の前の半品をいうのである。しこうして天台の配立と大聖人の配立とには従地涌出品の半品において相違がある。天台の涌出品の半分は略開近顕遠と動執生疑とをもって涌出品の半品とし、大聖人の配立では動執生疑だけをもって涌出品の半品としているのである。
 従地涌出品の半品の文はつぎのとおり。
略開近顕遠(天台の配立はこれより)
 爾の時、世尊は是の偈を説き已って、弥勒菩薩に告げたまわく、
「我れは今、此の大衆に於いて、汝等に宣告す。阿逸多よ。是の諸の大菩薩摩訶薩の無量無数阿僧祇にして地従り涌出せる、汝等の昔より未だ見ざる所の者は、我れは是の娑婆世界に於いて阿耨多羅三藐三菩提を得已って、是の諸の菩薩を教化示導し、其の心を調伏して、道の意を発さしめたり。此の諸の菩薩は、皆な是の娑婆世界の下、此の界の虚空の中に於いて住せり。
 諸の経典に於いて、読誦通利し、思惟分別し、正憶念せり。阿逸多よ。是の諸の善男子等は、衆に在って多く説く所有ることを楽わず、常に静かなる処を楽い、勤行精進して、未だ曾て休息せず。亦た人天に依止して住せず。常に深智を楽って、障碍有ること無し。亦た常に諸仏の法を楽い、一心に精進して無上慧を求む」と。
 爾の時、世尊は重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、
 阿逸よ汝は当に知るべし 是の諸の大菩薩は 無数劫従り来 仏の智慧を修習せり 悉く是れ我が化する所として 大道心を発さしめたり 此れ等は是れ我が子なり 是の世界に依止せり 常に頭陀の事を行じて 静かなる処を志楽し 大衆の憒閙を捨てて 説く所多きことを楽わず 是の如き諸子等は 我が道法を学習して 昼夜に常に精進す 仏道を求めんが為めの故に 娑婆世界の 下方の空中に在って住す 志念力は堅固にして 常に智慧を勤求し 種種の妙法を説いて 其の心に畏るる所無し 我れは伽耶城 菩提樹の下に於いて坐して 最正覚を成ずることを得て 無上の法輪を転じ 爾して乃ち之れを教化して 初めて道心を発さしむ 今皆な不退に住せり 悉く当に成仏を得べし 我れは今実語を説く 汝等は一心に信ぜよ 我れは久遠従り来 是れ等の衆を教化せり。
動執生疑(これより大聖人の配立)
 爾の時、弥勒菩薩摩訶薩、及び無数の諸の菩薩等は、心に疑惑を生じ、未曾有なりと怪しんで、是の念を作さく、
「云何んぞ世尊は少時の間に於いて、是の如き無量無辺阿僧祇の諸の大菩薩を教化して、阿耨多羅三藐三菩提に住せしめたまえる」と。
 即ち仏に白して言さく、
「世尊よ。如来は太子為りし時、釈の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまえり。是れ従り已来、始めて四十余年を過ぎたり。世尊よ。云何んぞ此の少時に於いて、大いに仏事を作したまえる。仏の勢力を以てせるや、仏の功徳を以てせるや、是の如き無量の大菩薩衆を教化して、当に阿耨多羅三藐三菩提を成ぜしめたまうべきや。
 世尊よ。此の大菩薩衆は、仮使い人有って千万億劫に於いて数うとも、尽くすこと能わず、其の辺を得じ。斯れ等は久遠より已来、無量無辺の諸仏の所に於いて、諸の善根を殖え、菩薩の道を成就し、常に梵行を修せり。
 世尊よ。此の如きの事は、世の信じ難き所なり。
 譬えば人有って、色美しく髪黒くして、年二十五なる、百歳の人を指して、是れ我が子なりと言い、其の百歳の人も亦た年少を指して、是れ我が父なり、我れ等を生育せりと言わんに、是の事は信じ難きが如し。
 仏も亦た是の如く、得道より已来、其れ実に未だ久しからざれども、此の大衆の諸の菩薩等は、已に無量千万億劫に於いて、仏道の為めの故に、勤行精進し、善く無量百千万億の三昧に入・出・住し、大神通を得、久しく梵行を修し、善能く次第に諸の善法を集め、問答に巧みに、人中の宝にして、一切世間に甚だ為れ希有なり。
 今日世尊は、方に、仏道を得たまいし時、初めて発心せしめ、教化示導して、阿耨多羅三藐三菩提に向わしめたりと云う。世尊は仏を得たまいて未だ久しからざるに、乃し能く此の大功徳の事を作したまえり。我れ等は、復た仏の宜しきに随って説きたまう所、仏の出だしたまう所の言は未だ曾て虚妄ならず、仏は知しめす所は、皆悉な通達すと信ずと雖も、然も諸の新発意の菩薩は、仏の滅後に於いて、若し是の語を聞かば、或は信受せずして、法を破する罪業の因縁を起こさん。唯だ然り。世尊よ。願わくは為めに解説して、我れ等が疑いを除きたまえ。及び未来世の諸の善男子は、此の事を聞き已りなば、亦た疑いを生ぜじ」と。
 爾の時、弥勒菩薩は重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく、
 仏は昔釈種従り 出家して伽耶に近く 菩提樹に坐したまえり 爾りしより来尚お未だ久しからず 此の諸の仏子等は 其の数量る可からず 久しく已に仏道を行じて 神通智力に住せり 善く菩薩の道を学して 世間の法に染まらざること 蓮華の水に在るが如し 地従りして涌出し 皆な恭敬の心を起こして 世尊の前に住せり 是の事は思議し難し 云何んぞ而も信ず可き 仏の得道は甚だ近く 成就したまえる所は甚だ多し 願わくは為めに衆の疑いを除き 実の如く分別し説きたまえ 譬えば少壮の人の 年始めて二十五なる 人に百歳の子の 髪白くして面皺めるを示して 是れ等は我が生ずる所なりといい 子も亦た是れ父なりと説かんに 父は小くして子は老いたる 世を挙げて信ぜざる所ならんが如く 世尊も亦た是の如し 得道より来甚だ近し 是の諸の菩薩等は 志固くして怯弱無し 無量劫従り来 而も菩薩の道を行ぜり 難問答に巧みにして 其の心に畏るる所無く 忍辱の心は決定し 端正にして威徳有り 十方の仏の讃めたまう所なり 善能く分別し説く 人衆に在ることを楽わず 常に好んで禅定に在り 仏道を求めんが為めの故に 下の空中に於いて住せり 我れ等は仏従り聞きたてまつれば 此の事に於いて疑い無し 願わくは仏は未来の為めに 演説して開解せしめたまえ 若し此の経に於いて 疑いを生じて信ぜざること有らば 即ち当に悪道に堕つべし 願わくは今為めに解説したまえ 是の無量の菩薩をば 云何んが少時に於いて 教化し発心せしめて 不退の地に住せしめたまえる。
 このように一品二半といっても、文上脱益の一品二半と文底下種の一品二半は、名前は同じであるが、義は異なるのである。この名同義異の義異はどうして生じたかというと、天台の配立は在世脱益のためであり、宗祖の配立は末法下種のためだからである。
 また、天台の配立を略開近顕遠の一品二半といい、日蓮大聖人の配立をば広開近顕遠の一品二半と名づけるのである。されば一品二半と寿量品とは同じきゆえに天台の配立を略開近顕遠の寿量品、大聖人の配立を広開近顕遠の寿量品と名づけるのである。また天台の一品二半を在世の本門と呼び、大聖人の一品二半を末法の本門と名づけるのである。大聖人の一品二半が一向に滅後末法のためであることは次の御抄から明らかである。
 法華取要抄にいわく、
「本門に於て二の心有り一には涌出品の略開近顕遠は前四味並に迹門の諸衆をして脱せしめんが為なり、二には涌出品の動執生疑より一半並びに寿量品・分別功徳品の半品已上一品二半を広開近顕遠と名く一向に滅後の為なり、……問うて曰く誰人の為に広開近顕遠の寿量品を演説するや、答えて曰く寿量品の一品二半は始より終に至るまで正く滅後衆生の為なり滅後の中には末法今時の日蓮等が為なり」(0334:04
 その他本尊抄の下文に「彼は一品二半・此れは但題目の五字」(0249:17)等とおおせられ、また本因妙抄に「迹の上の本門寿量ぞと得意」(0877:03)云云は、法華経本門が迹門の衆生を得脱せしめ、迹門の説法を証明するための本門寿量品であると考えるのを脱益の文の上と申すのであり、文底とは「久遠実成名字妙法を直達正観」云云とおおせられている辺からも明らかである。
 これによって略広開顕の一品二半は第四の本門脱益三段の正宗分であり、広開近顕遠の一品二半は第五の文底下種三段の正宗分である。
 しかして、日蓮大聖人はなぜ天台の略開近顕遠を除き動執生疑の半品をもって正宗分になされたかというに、これに深意がある。寿量品は一つの文ではあるがその意は両辺がある。文上は在世脱益のため、文底は末法下種のためである。先にも述べたとおりである。ここにおいて弥勒菩薩の疑請する内容から考えれば「我れ等は、復た仏の宜しきに随って説きたまう所、仏の出だしたまうの所の言は未だ曾て虚妄ならず、仏は知しめす所は、皆悉な通達すと信ず」との意よりして、文上脱益在世のための寿量品を略開近顕遠に属せしめ「然も諸の新発意の菩薩は、仏の滅後に於いて、若し是の語を聞かば、或は信受せずして、法を破する罪業の因縁を起こさん」との意よりして、文底下種末法のための寿量品を動執生疑の文に属せしめるのである。これすなわち弥勒の質問した内容によって日蓮大聖人はこのように立て分けられたのである。
 しかるに日什(顕本法華宗の開祖・大聖人滅後百年ころ)門流の輩は、一品二半の南無妙法蓮華経というが、これは彼の門流はいまだ文底の大事を知らないから、第四の三段在世脱益の一品二半をとっているにすぎない。哀れむべき徒輩である。
 ここに大聖人御内証の一品二半がはっきりとして、末法の真の仏法文底下種の本尊が確立すれば、他は小邪未覆の教であると断ずることができる。すなわち、
 序分の経々には久遠元初の種子の法体を明かしていないから小邪未覆というのである。もし別してこれを論ずるならば、久遠元初の大久の仏道を明かさないから小乗教であり、久遠元初の種家の因果を明かさないから邪見教であり、久遠元初の無上の種子を明かさないから未得道教であり、久遠元初の真秘を明かさないから覆相教というのである。
 しからば文底下種の正宗分以外の経が小邪未覆とすれば、文上の寿量品と並びに本門の十三品はみなこれ小邪未覆となるかというと、けっして文上本門は小邪未覆とはならない。いまこの文は序分と正宗分を相対しておおせられているので、序分の中に文上本門が入っていないから本門を小邪未覆というわけにはいかないのである。
 しかし迹門の十四品は、あるいは序分となし、あるいは流通分となっているのであるから、文上の本門は序分に属するのであるが「在世の本門と末法の始は一同に純円なり」で、ともに即身成仏の教であるから邪教・小乗教・未得道教・覆相教等と断ずることはできないのである。
 しかるに古来の諸師は本門流通の十一品半をもって小邪未覆なりとしているが、これは大聖人のご正意を増減する両謗である。すなわち文底の正宗を闕いているのは減の謗であり、流通の諸品を小邪未覆となすのは増の謗である。妙楽は寿量品に顕本すれば寿量品以後の流通分においても久遠の本地が説かれていることに変わりないといっているのでも、その失がわかるであろう。
 また、その小乗教・邪教・未得道教・覆相教の機を論ずるならば「徳薄垢重・幼稚・貧窮・孤露」である。すなわち本種を忘れ退転するから徳薄といって功徳なく、また迹に執着するから垢重といって煩悩に悩まされ、また本を退いて迹を取り、体を忘れて影に執着するその愚かなことは、あたかも小児のようであるから幼稚といい、久遠元初の主君を知らないでその加護を受けられないから貧窮といい、久遠元初の父母を知らないので、その頼るべきものがないから孤露というのである。
 いまの人生を見るに、ことごとく徳薄垢重・幼稚・貧窮・孤露の人々ばかりではないか。貧乏に沈んだとしても誰に頼ることもできない。事業に悩んだとしても誰に相談する相手も持たない。また病気に悩んだとしても医者は万能ではない。もし医者で治せない病気にかかったとしたらひたすら人生を悲しむ以外に方法はないのである。
 ここに日蓮大聖人ご出現の意義がある。小乗教・邪教・未得道教・覆相教によって徳薄垢重・幼稚・貧窮・孤露に悩まされている衆生を救わんとして、本種を忘れたものにこれを思い出さしめて迹の執着を忘れさせようとして師の徳を顕わされ、久遠元初の主君および父母を知らしめて貧窮孤露の境涯から離れさせようとしたのである。
 すなわち第一に法を論ずれば日蓮大聖人の内証の寿量品には久遠元初の大久の仏道を明かしているから〝大乗経〟であり、久遠元初の種家の因果を明かしているから〝正見〟の教であり、久遠元初の無上の種子を明かしているから〝得道〟の教であり、久遠元初の神秘を明かしているから〝顕露〟の教である。第二にその人を論ずれば、法華本門の直機であり文底下種の主師親・久遠元初の自受用身が最も愛している臣人であり、また愛子でもあり入室の弟子でもある。古来の日蓮宗学者と称する徒拝が誰ひとりこれを知らなかったのは実にあわれむべきである。
 また、「爾前迹門の円教尚仏因に非ず」とおおせられているのは、
「一品二半よりの外は云云」からは序分の非をもって正宗の是を顕し、その中で一品二半よりの下は在世に約し、いまこの「爾前迹門の円教云云」の下は滅後に約しているのである。
 而して、釈迦仏の説いた経教について論ずるのであるから在世に約すだけでよいのに、なぜ滅後にも約すかというに、この第五の三段の正宗は正しく末法日蓮大聖人の建立あそばされるご法門であるから滅後に約すのである。またその序分の経々は正像二千年に流布した宗派の依経であるから滅後に約するのである。
 また正像に流布した宗々が、どうして末法の大仏法の序分となるのかというと、これは次の日蓮大聖人の御抄で明らかである。
 下山御消息にいわく、
「迹化他方の大菩薩に法華経の半分・迹門十四品を譲り給う、これは又地涌の大菩薩・末法の初めに出現せさせ給いて本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に唱えさせ給うべき先序のためなり」(0346:10
 撰時抄にいわく、
「法然せんちやくをつくる本朝一同の念仏者、……此の念仏と申すは雙観経・観経・阿弥陀経の題名なり権大乗経の題目の広宣流布するは実大乗経の題目の流布せんずる序にあらずや」(0284:02
 このように念仏が一国に流布し上下万民がことごとく念仏を唱えたことが、じつは法華経の題目たる南無妙法蓮華経の流布する先序のためであったとは、七百年後の今日において身延山等の邪教日蓮宗が一国に流布したことをもって、当家の御本尊が正しく一国に流布する先序なりと堅く信ずるものである。
 また爾前迹門の円教とは天台宗所依の経々である。いわゆる天台宗は法華経・無量義経を正とし、傍には涅槃経および諸大乗経に説かれた円教を所依としている。このような天台宗の円教すら、なお久遠元初の下種を明かさないから仏因とはならない。いわんや大日経等の諸小乗教で仏因になるわけがない、とはっきりと大聖人はご決定あそばされたのである。
 また、なぜ天台伝教の弘通した法を序分の非に属さしたかというと、これには二意がある。一には天台伝教は像法時代に適う弘通の師であるから像法時代には非ではない。ただ天台伝教の所依とする爾前迹門の経々には久遠元初の下種を明かしていないから、末法においては序分の非に属するのである。二には彼の師の依経は像法熟益の法で末法下種の法ではない。ところが天台の末弟は時機を知らないで、いまなお末法に利益があると思っている。たとえ天台伝教のそのままの法門を弘通したからといってもいま末法に至っては去年の暦のようなもので、何の効用もない。まして慈覚大師以後は真言を合流せしめた大謗法の宗門となったのであるから、序分の非として破折しないわけにはいかないのである。
 このような天台仏立宗の依経すら仏因とはならないことがはっきりするなら、まして仏滅後の論師や人師の立てた宗々の依経が仏因になるわけがないのである。されば「与えて之を論ずれば乃至化の始終無しとは是なり」と法に約して断ぜられたのである。而してこの見地よりして「彼の論師人師の宗々の依経は与えて之を論ずれば前三教を出でず、奪って之を論ずれば蔵通に同ず」ということになる。どうして蔵通に同ずるかというならば、たとえ華厳真言等の経々に一生初地の即身成仏を明かし法は甚深であると称してみても、いまだ種熟脱を論じていない。そのゆえに、かえって二乗の灰断に同ずることになるから蔵通に同ずることになるのである。
 次に「譬えば王女たりと雖も乃至施陀羅に劣れるが如し」の文は、人に約して彼の非を断ぜられたのである。すなわち彼の七宗の論師人師の尊貴なことはたとえば王女のようであるが、蔵通のような下劣の経々を受持することは畜生の種を懐妊するようなものであると強く破折せられている。しかもその下賤なることは最下級の施陀羅にも劣る下劣な人間たちであると決定せられたことは痛快至極である。彼の宗々の者は現在でもまったく恥じずにいるが、このおことばをきいて何とも感じないものがあろうか。もし何も感じないならば犬畜生のようなものではないか。この宗々を信ずる者もまたその同類であると断ずることができる。

  

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