序講 1
御述作の由来
観心本尊抄は、日蓮大聖人、佐渡ご流罪のおり、聖寿52歳の時に、御述作された御抄である。末尾に「文永10年太歳癸酉卯月二十五日日蓮之を註す」と明記されているとおりである。そして、翌26日には、富木殿にあてて「観心本尊抄送状」をそえて送られている。
一、対告衆と御正筆の所在
本抄の対告衆は、富木胤継である。くわしくは富木五郎左衛門射胤継のことで、因幡国の人である。弱冠にして鎌倉幕府に仕え、下総国葛飾郡の若宮に住し、入道して常忍と称し、日蓮大聖人の折伏教化を受けて、日常と法諱を賜わった。次第に行学が進み、大聖人の御化導を受けつつ、房総関東方面の信徒の中心的立場にあって、大田、曾谷氏とともに、大聖人門下として、活躍していたのである。
文応元年(1260)7月16日、日蓮大聖人は立正安国論をもって国家諌暁されるや、たちまち、三類の敵人は競い起こり、怒り狂った念仏者たちは、権力をたてに大聖人を迫害してきた。松葉ヶ谷の草庵は焼き打ちにされ、所を追われた大聖人をお助け申し上げたのは、ほかならぬ富木胤継であった。また、その後の諸難にも、鎌倉の四条金吾とよく連繋をとり、つねに外護の任にあたってきた。
とくに宗門の二大柱石といわれる「開目抄」を四条金吾に、「観心本尊抄」を富木胤継に与えられたということは、四条・富木の両人が、大聖人の外護の任の双翼であったことを如実に示すものである。
いただいた御書も数多く、観心本尊抄のほかに、法華取要抄・四信五品抄の10大部の御書をはじめ、寺泊御書・佐渡御書・始聞仏乗義・常忍抄・観心本尊得意抄、その他を含めれば数十篇にものぼるほどである。
日享上人は、「付近の大田・曽谷等の武人と連盟し、鎌倉の四条氏と結合して外護にあたり、安国論奉献前後の法難を凌いで、少しも退くことなく勇猛精進を励んできた。これをもって信徒の首領として老弟子と比肩するに至り、本門第一の重書たる観心本尊抄を始め、数十の義抄を賜っており、また関東の重鎮として聖教多く自然に集まりて今に現存している」と述べられている。
ただ、本抄に対告衆の名が記されていないことから、また本抄送状の御文の誤った解釈によって、曾谷入道への賜書としたり、大田・曾谷両氏の賜書として富木氏も兼ねたものであるとするごとき異説がある。
しかしこれらの説はいずれも誤りであって、次にあげる建治元年(1275)の観心本尊得意状の文によって対告衆が誰であるかは明瞭である。
「抑も今の御状に云く教信の御房・観心本尊抄の未得等の文字に付て迹門をよまじと疑心の候なる事・不相伝の僻見にて候か、去る文永年中に此の書の相伝は整足して貴辺に奉り候しが其の通りを以て御教訓有る可く候」(0972:06)
次に、本抄御正筆は、本書17紙の漢文体であり観心本尊抄送状とともに中山・法華経寺に現存する。
中山・法華経寺は、富木日常が始祖である。日常は、若宮の地に法華寺を起こし、大田乗明の子の帥阿闍梨日高を住せしめたが、後に大田家が、その住地に本妙寺を起こすにおよんで、若宮の寺と合併してできたのが今の法華経寺である。
富士一跡門徒存知の事では、観心本尊抄の項については「一、観心本尊抄一巻」(1605:05)とあり「取要抄」「四信五品抄」と合わせて「已上の三巻は因幡国富城荘の本主・今は常住下総国五郎入道日常に賜わる、正本は彼の在所に在り」(1605:08)とある。この文ではっきりしているように、大聖人の御正筆が、はじめから現在にいたるまで、中山・法華経寺に存することがわかる。また、本抄を賜った主が、富木日常であることも明記されている。現在、中山には富木・大田・曾谷等の各氏に与えられた大聖人の御真筆が数多く残されていることは、富木常忍の功績といえる。
それにしても、大聖人が、富木氏等に、多くの御書を与えられたということは、今にして思えば不思議である。大聖人が、未来のために、もっとも安全な地に御書をのこされようとしたためか。仏智はかりがたしである。およそ、その日暮らしの民家や、定住の寺もない僧尼では、長年の間に散失するおそれも多く、まして国全体が三災七難に襲われている時代には、大聖人の御書を保存することは、非常に困難なことであったと想像される。
日蓮大聖人が、御書をあらわされたのは、一往は、大聖人御在世の人々のためである。だが再往考えれば、滅後の人々のためである。とくに重要な御書は、令法久住のために、末法万年の一切衆生救済のために留め置かれたのである。たとえば、三大秘法抄をあらわされ、それを大田入道に与えられた趣旨を、大聖人は次のように述べられている。
「今日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり予年来己心に秘すと雖も此の法門を書き付て留め置ずんば門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加う可し、其の後は何と悔ゆとも叶うまじきと存ずる間貴辺に対し書き送り候、一見の後・秘して他見有る可からず口外も詮無し」(1023:10)と。
すなわち、大聖人は、滅後のために三大秘法抄をあらわされたことを述べられ、さらに大田入道にそれを大事にして後世のために残しておくよう指示されているのである。
観心本尊抄もまた同様である。同送状には次のように仰せられている。
「観心の法門少少之を注して大田殿・教信御房等に奉る、此の事日蓮身に当るの大事なり之を秘す、無二の志を見ば之を開柘せらる可きか、此の書は難多く答少し未聞の事なれば人耳目を驚動す可きか、設い他見に及ぶとも三人四人坐を並べて之を読むこと勿れ、仏滅後二千二百二十余年未だ此の書の心有らず、国難を顧みず五五百歳を期して之を演説す乞い願くば一見を歴来るの輩は師弟共に霊山浄土にて三仏の顔貌を拝見したてまつらん」(0255:01)
したがって当時は俗弟子門下のなかでは、富木日常を主として、下総の一部の2・3人のみが、本抄を拝読することができたのであろう。直弟子門下のなかでも、日興上人のように常髄給仕して文筆の助手をつとめておられた方以外は、恐らくは本抄の相伝はなかったものとうかがえる。
したがって、大聖人弟子門下の御写本も日興上人のものと、中山・法華経寺の日高のものぐらいである。
また現存する遺文の中で、安国論の名は20数ヶ所にその名を見るし、開目抄でも4ヵ所に見られるが、本尊抄の場合は、観心本尊得意抄の1ヶ所のみである。
かくして本抄は「当身の大事」と送状におおせのごとく、三人四人並座の誡めのとおり、厳格に護持して、後世に伝えられたのである。
大聖人は当時なにゆえに、本抄を公開されようとしなかったのか。
それは、まだ一宗弘通の始めであり、大聖人の門下で、このような前代未聞の重要な御書を理解する人は少なかったからであろう。それは大聖人滅後五老僧が、公然と天台沙門と名のり、数々の師敵対の大謗法をおかしていることからも明瞭である。
送状に「大田殿、教信御房等に奉る」と名を連ねている大田入道・曾谷入道のような人でさえ「一品二半よりの外は小乗教・邪教・未得道教・覆相教と名く」(0249:06)等の文を曲解して、迹門不読の見解を起こし、大聖人より「私ならざる法門を僻案せん人は偏に天魔波旬の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候つたなしつたなし」(0989:四菩薩造立抄:09)ときびしく戒められているほどである。すでに本抄述作の文永10年(1273)から7年も過ぎていたのである。大聖人の御一生を通じても、晩年に当たるのに、本迹の立て分けにすら迷っていたのである。
大田入道・曾谷入道のふたりはともかく、本抄の直接の対告衆となった富木入道ですら、弘安2年(1279)になってから、次のようなお質問をした模様である。
「御状に云く本門久成の教主釈尊を造り奉り脇士には久成地涌の四菩薩を造立し奉るべしと兼て聴聞仕り候いき、然れば聴聞の如くんば何の時かと」(0987:四菩薩造立抄:03)
また、大黒天をまつったり、釈尊の仏像を造立したりするなど、天台流の造仏造像の執着がぬけきれていなかったことも事実である。仏法に対するこの程度の理解で、どうして種脱相対や第三の法門がわかろうか。観心本尊抄に遠くおよばないのも当然である。
この本尊抄こそ、実に末法万年の一切衆生救済の大御本尊を明かしているがゆえに、無二の信心に立脚しなければ拝することはできないものである。またこれを誹謗すれば、無間地獄の焔にむせび、永久に苦悩に沈まなければならないことは必定である。そこで大聖人は、広く門下に公開することなく、富木日常に託し、未来のためにのこされたのであった。それは、富木日常が本抄を理解できる人だからというより、大事に大聖人の御抄を後世にのこす人であると信頼されたからであると推察できるのである。
日蓮大聖人の正法正義は、ひとり第二祖日興上人によって受け継がれ、後世に伝えられた。日興上人が、日蓮大聖人の御入滅後、諸抄を集められたことは有名である。そして、日興上人は、多くの御抄を筆写された。現存する写本としては、立正安国論・法華取要抄・本尊問答抄・開目抄・観心本尊抄・始聞仏乗義などである。これは大聖人が御入滅後、日興上人が御抄を大事にされた証拠である。
富木日常が、本尊抄等の多くの御書をのこしたのは、信心というより家宝として大事にしてしまっておこうとしたからであろう。それに対して日興上人が、五老僧が御書をないがしろにし、焼却したりしたのを断固いましめ、御書を集め、できるかぎり書写されたのは、ひとえに令法久住のためであり、末法万年の民衆救済のためであった。その精神は富士一跡門徒存知事の「具に之を註して後代の亀鏡と為すなり」(1604:08)とのおおせにも、にじみ出ているではないか。本尊抄こそ滅後の明鏡であることを誰よりも知っておられたのは日興上人だったのである。
以上のことで、大聖人が、本尊抄をあらわされたのは、まったく滅後の人々のためであることは明白である。
しかして、滅後のなかでも、化儀の広宣流布の時、すなわち今日のために、あらわされたといっても過言ではない。「時を待つべきのみ」のおおせは、いまや時来たれりの現実となってあらわれたのである。日蓮大聖人は、法体の広宣流布の時代にあって、あらゆる末法の原理をのこされたのである。本門戒壇の大御本尊をご建立あそばされたのも、一往は在世の人々のため、再往は今日のためであり、かつ全人類の永久の幸福を築くためである。法体の広宣流布の時にあたっては、大聖人おひとりの戦が中心であった。そのような時に、本尊抄をあらゆる人に公開する必要もなく、かえって害があり、これを秘して後世にとどめたのは今から考えるときにまことに、当然至極のことであった。
今まさに、時きたり、機熟す。かく思うならば、化儀の広宣流布に邁進するわれらこそ、観心本尊抄その他いっさいの御書の対告衆といえるではないか。
二、御述作の背景
日蓮大聖人が、観心本尊抄をあらわされたのは、先にも述べたように、文永10年(1273)4月25日、佐渡の国、一の谷においてである。われわれは、観心本尊抄を拝するにあたり、御述作の背景がいかなるものであったかを知ることが、本抄の重大性を理解するのに必要なことではないかと思う。そこで、その背景を大聖人の佐渡御流罪中のご行動を中心に論じていくことにする。
時はさかのぼって文応元年(1260)7月16日、日蓮大聖人は、立正安国論をもって、最明寺入道を諌めたのである。いうまでもなく、第一回の国諌である。だが、にわかに三類の強敵競い起こり、文応元年(1260)8月27日には松葉ヶ谷の法難に遭われ、翌弘長元年(1261)5月12日、伊豆の伊東へ流罪されたのであった。弘長3年(1263)には赦免されて鎌倉へ帰られる。だが息つくひまなく翌文永元年(1264)には、安房に行かれた際、小松原の法難に遭われた。それは弟子が戦死をし、御自身も傷を負われるという重大事件であった。
文永5年(1268)には、11通の御状をもって、当時の幕府ならびに宗教界を諌め、公場対決を迫ったのである。ときに大聖人の御心底にはいよいよ蒙古襲来近しという他国侵逼難を予言されてのご行動であったことは当然であり、この最大国難をいかにして救済せんとの固い御決意であったと拝される。
その後、文永8年(1271)にはいって、幕府はふたたび弾圧をはじめた。その背後には、祈雨の勝負で敗北し大聖人より完膚なきまでに破折され、うらみ骨髄に徹していた極楽寺良寛等の陰険な裏工作があったことはいうまでもない。
そのときのもようは、種種御振舞御書に「さりし程に念仏者・持斎・真言師等・自身の智は及ばず訴状も叶わざれば上郎・尼ごぜんたちに・とりつきて種種にかまへ申す」(0911:03)とあり、報恩抄に「禅僧数百人・念仏者数千人・真言師百千人・或は奉行につき或はきり人につき或はきり女房につき或は後家尼御前等について無尽のざんげんをなせし程に最後には天下第一の大事・日本国を失わんと咒そする法師なり、故最明寺殿・極楽寺殿を無間地獄に堕ちたりと申す法師なり御尋ねあるまでもなし但須臾に頚をめせ弟子等をば又頚を切り或は遠国につかはし或は篭に入れよ」(0322:12)とあり、また妙法比丘尼御返事には「極楽寺の生仏の良観聖人折紙をささげて上へ訴へ建長寺の道隆聖人は輿に乗りて奉行人にひざまづく諸の五百戒の尼御前等ははくをつかひてでんそうをなす」(1416:16)等とおおせられているなかに、その光景がまのあたりに映じてくるではないか。
かくして、9月10日、大聖人は奉行所に呼び出され、平左衛門尉が取り調べに当たった。つづいて9月12日、幕府は大聖人を捕えて竜の口の頸の座にすえた。いわゆる竜の口の法難である。だが所詮、いかなる国家権力をもってしても御本仏の境涯をこわすことはできなかった。夜空に突如あらわれた光り物に、役人たちは肝をつぶした。「日蓮申すやう・いかにとのばら・かかる大禍ある召人にはとをのくぞ 近く打ちよれや打ちよれやと・たかだかと・よばわれども・いそぎよる人もなし、さてよあけば・いかにいかに頚切べくはいそぎ切るべし夜明けなばみぐるしかりなんと・すすめしかども・とかくのへんじもなし」(0914:05)
まさに荘厳な儀式というべきである。この瞬間こそ、日蓮大聖人が、迹の姿をはらわれ、御本仏の境地を開かれたそのときであった。
竜の口の法難後、大聖人は、相模の国依智に行かれた。そこに滞在すること20余日、その間、鎌倉に火事がしきりと起こり、人殺しもひんぱんに行われ、世の中は騒然としていた。念仏者たちは、てんでに、幕府に讒言を加え、火つけや人殺しは、日蓮大聖人の弟子が、幕府の仕打ちを怨んでやったことであると申し立てたのである。じつは、火つけ等は念仏者たちの策謀であった。この事実をみても、いつの時代でも邪宗教がいかに人の心を陰険に、残酷に、また横暴にしていくか、わかるではないか。
その結果、大聖人は佐渡流罪と決定。弟子たちも260人ほど、名簿に名が記され、皆遠島に流罪するか、首を切るか等と詮議されたのであった。
しばらくして、大聖人は佐渡に流罪された。文永8年(1271)10月10日依智を出発、28日に佐渡上陸、11月1日佐渡塚原に到着。
竜の口の頸の座、佐渡流罪は、日蓮大聖人の御一生において、ご自身の御身の上にも、また同門の上からも、佐渡以前、佐渡以後というあざやかな一線を画すほどの一大転換期であった。次の御書がそのことを如実に示している。
四条金吾殿御消息にいわく、「今度法華経の行者として流罪・死罪に及ぶ、流罪は伊東・死罪はたつのくち・相州のたつのくちこそ日蓮が命を捨てたる処なれ仏土におとるべしや、其の故は・すでに法華経の故なるがゆへなり、経に云く『十方仏土中唯有一乗法』と此の意なるべきか、此の経文に一乗法と説き給うは法華経の事なり、十方仏土の中には法華経より外は全くなきなり除仏方便説と見えたり、若し然らば 日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか、娑婆世界の中には日本国・日本国の中には相模の国・相模の国の中には片瀬・片瀬の中には竜口に日蓮が命を・とどめをく事は法華経の御故なれば寂光土ともいうべきか」(1113:06)と。
竜の口において、日蓮大聖人は「命を捨てた」「命をとどめた」とおおせられているように、凡身を捨てて、上行菩薩としての迹の姿をはらわれたのである。
開目抄にいわく、
「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず・みん人いかに・をぢぬらむ、此れは釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国・当世をうつし給う明鏡なりかたみともみるべし」(0223:16)と。
この御文中の「此れは魂魄・佐渡の国にいたる」とは、久遠元初自受用報身如来、すなわち末法の御本仏としての生命の誕生を意味するのである。
佐渡の国にお着きになってからのご生活は、われわれ凡夫の立場でいえば、さながら、地獄のどん底のような苦しいものであった。佐渡は厳寒の地であり、一度流されれば生きては帰れないところで、名目は流罪であるが、死罪同様なものだ。しかも、頃は冬に向かう。もっとも厳しい季節であった。住まいといえば、塚原という死人を捨てるような場所で、さびしく立っている一間四面の堂であった。それも天上は板間が合わず、すきま風がびゅうびゅう吹き込んでくるあばら屋である。
食べるものも着るものもなく、火の気のないところで北国の厳寒を過ごされる大聖人のご境遇は、想像も絶するほどである。また監視もきびしく、お弟子方が大聖人のもとへゆくことも至難のことであった。
「同十月十日に依智を立つて同十月二十八日に佐渡の国へ著ぬ、十一月一日に六郎左衛門が家のうしろ塚原と申す山野の中に洛陽の蓮台野のやうに死人を捨つる所に一間四面なる堂の仏もなし、上はいたまあはず四壁はあばらに雪ふりつもりて消ゆる事なし、かかる所にしきがは打ちしき蓑うちきて夜をあかし日をくらす、夜は雪雹雷電ひまなし昼は日の光もささせ給はず心細かるべきすまゐなり、彼の李陵が胡国に入りてがんくつにせめられし法道三蔵の徽宗皇帝にせめられて面にかなやきをさされて江南にはなたれしも只今とおぼゆ」(0916:04)
また「かくて・すごす程に庭には雪つもりて・人もかよはず堂にはあらき風より外は・をとづるるものなし」(0917:10)と。
さらに、念仏の僧たちは、大聖人の命を虎視たんたんとうかがってあらゆる挙に出ようとしていた。大聖人の命は、危険にさらされ、いつ殺されるかわからない状態であった。
「いづくも人の心のはかなさは佐渡の国の持斎・念仏者の唯阿弥陀仏・生喩房・印性房・慈道房等の数百人より合いて僉議すと承る、聞ふる阿弥陀仏の大怨敵・一切衆生の悪知識の日蓮房・此の国にながされたり・なにとなくとも此の国へ流されたる人の始終いけらるる事なし、設ひいけらるるとも・かへる事なし、又打ちころしたりとも御とがめなし、塚原と云う所に只一人ありいかにがうなりとも力つよくとも人なき処なれば集りていころせかしと云うものもありけり」(0917:12)と。まさに、大聖人の命は風前の灯であった。
一方、迫害の魔の手は、鎌倉にいる弟子たちにも伸びた。所領を没収される者、妻子をとられるもの、牢へ入れられるもの等が続出した。あまりのつらさに、ひるむものも出はじめた。
だが、日蓮大聖人は、一歩も退かれなかった。難があればあるほど、偉大な御本仏としての大確信の上にたたれて、弟子たちを励まされた。
大聖人のご行動は、まさしく師子王の姿そのものであった。文永9年(1272)正月、有名な塚原問答が行われた。集う邪宗の僧は数百人。「越後・越中・出羽・奥州・信濃等の国国より集れる法師等なれば」(0918:03)とあるように、北陸地方・奥羽地方一帯の僧が、大聖人との問答にかけつけてきた。しかし、大聖人の師子吼ひとたびひびいて百獣おののき、邪宗の僧百千万ありとも、大聖人の一刀のもとに屈服してしまったのである。「さて止観・真言・念仏の法門一一にかれが申す様を・でつしあげて承伏せさせては・ちやうとはつめつめ・一言二言にはすぎず、鎌倉の真言師・禅宗・念仏者・天台の者よりも・はかなきものどもなれば只思ひやらせ給へ、利剣をもて・うりをきり大風の草をなびかすが如し、仏法のおろかなる・のみならず或は自語相違し或は経文をわすれて論と云ひ釈をわすれて論と云ふ、善導が柳より落ち弘法大師の三鈷を投たる大日如来と現じたる等をば或は妄語或は物にくるへる処を一一にせめたるに、或は悪口し或は口を閉ぢ或は色を失ひ或は念仏ひが事なりけりと云うものもあり、或は当座に袈裟・平念珠をすてて念仏申すまじきよし誓状を立つる者もあり」(0918:08)
さらに、大聖人は、佐渡在島中に、数多くの御書をあらわされている。
生死一大事血脈抄・草木成仏口決・祈祷抄・諸法実相抄・如説修行抄・顕仏未来記・佐渡御書・当体義抄等々、38種もの現存せる重要なご述作があり、とくに日蓮大聖人の仏法の骨髄ともいうべき人本尊開顕の書たる開目抄および法本尊開顕の書たる観心本尊抄は、これらの御述作中でも、もっとも赫々たるものである。
「佐渡の国は紙候はぬ上」(0961:07)とあるように、紙や墨、筆さえも充分にない佐渡流罪中のわずか2年数か月間に、これほど多くの、かつ重要な御書をあらわされた。その御境涯というものは、とうてい、われわれの想像も及ばないところである。
その内容もまた、巌のごとき御本仏のご境涯、広宣流布への絶対の確信に満ちている。
開目抄にいわく「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(0232:05)またいわく「日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし」(0237:11)と。
これが、極寒の真冬に、雪中にしるされた御文であるとだれが想像できようか。まさになにものにもおかされず、なにものをもおそれず、ただ全民衆の幸福のため、かつは永久の未来の人々のためを思う一念に徹せられているお姿ではないか。
如説修行抄にいわく「天下万民・諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり」(0502:06)
諸法実相抄にいわく「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」(1360:09)
おそらく、当時の大聖人ご境涯を知らない人が、これらの御文を読めば、広宣流布は順調に進み、あたかも旭日のごとき勢いを想像するに違いない。日本国の大半の人が、大聖人に帰依したのではないかと思う人もあるであろう。だが、事実は、まったくちがい、まさしく絶体絶命の逆境にあったのである。しかし、その大聖人の叫びは700年後の今日において事実となってあらわれた。わが創価学会の行動こそ、大聖人の広宣流布への宣言が虚妄でない証拠である。釈尊は3ヵ月後の涅槃を知り、また付法蔵経の予言も適中し、法華経勧持品その他涅槃経等に説かれた、御本仏出現のいっさいの末法の世相も寸分も狂いなく、事実となってあらわれた。いわんや大聖人は、釈尊より百千万億倍すぐれたる御本仏である。すでに「余に三度のかうみようあり」(0287:08)と申されているごとく、大聖人の御在世において、予言せられたことはことごとく適中している。さらに、あの逆境のさなかに「大地を的とするなるべし」(1360:11)とまで、絶対の確信をもって叫ばれた広宣流布のご断言は、実に大聖人が今日あるを知って言々句々であられたことを痛感するのである。
顕仏未来記にいわく「問うて曰く仏記既に此くの如し汝が未来記如何、答えて曰く仏記に順じて之を勘うるに既に後五百歳の始に相当れり仏法必ず東土の日本より出づべきなり」(0508:10)と。
大聖人は佐渡の地において、たんに日本の広宣流布のみならず、日本より起こった仏法がかならず、西へ西へと滔々と流れゆくことをご断定あそばされたのである。700年前の日本の国の現状を考え、かつは日本国の広宣流布すら思いもよらない、当時の情勢をかんがみ、この大聖人の御文を括目して拝するならば、大聖人こそ、末法の全民衆救済のために出現された御本仏であることが躍如しているではないか。
さらに観心本尊抄にいわく「一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」(0254:09)と。一閻浮提とは、現代語に訳せば全世界である。すなわち、大聖人のあらわされた大御本尊は全世界に流布するとの宣言である。なんと偉大な御確信であろうか。大海原をもって、たとえることのできない雄大さ、広さではないか。
文永9年(1272)2月、大聖人が前年の9月10日の取り調べおよび12日の竜の口の法難のさいに、平左衛門尉に向かって「遠流・死罪の後・百日・一年・三年・七年が内に自界叛逆難とて此の御一門どしうちはじまるべし、其の後は他国侵逼難とて四方より・ことには西方よりせめられさせ給うべし」(0911:11)と予言されたことが、現実となって起こった。
すなわち、北条時宗の兄・時輔が、弟が政村の跡をついで執権になったのを不満に思い、その政権を奪おうとはかったのである。陰謀は事前に発覚し、時宗は、大蔵頼季らを遣わし、名越時章・教時らを倒し、ついで北条義宗に時輔を襲って殺させた。幕府はいちおう事なきを得たが、この事件は、人々の心に深刻な動揺を与えた。執権とその兄とが同族相食む争いを展開した。その姿が、そのまま世相の鏡に映し出された。しかも、時は蒙古襲来寸前であり、大聖人は、そのときのありさまを次のように述べられている。
「相州鎌倉より北国佐渡の国.其の中間・一千余里に及べり、山海はるかに.へだて山は峨峨.海は涛涛・風雨.時にしたがふ事なし、山賊.海賊・充満せり、宿宿とまり・とまり・民の心・虎のごとし.犬のごとし、現身に三悪道の苦をふるか、其の上当世は世乱れ去年より謀叛の者・国に充満し今年二月十一日合戦、其れより今五月のすゑ・いまだ世間安穏ならず」(1217:10)
さらに日蓮大聖人は、このように、予言が適中したこと、また薬師経の「自界叛逆難」仁王経の「聖人去る時七難必ず起らん」、金光明経の「三十三天各瞋恨を生ずるは其の国王を縦にし冶せざるに由る」等の経文に照らし、ご自身こそ末法の御本仏であることを宣言せられている。佐渡御書にいわく「宝治の合戦すでに二十六年今年二月十一日十七日又合戦あり外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を破るべし師子身中の虫の師子を食等云云、大果報の人をば他の敵やぶりがたし親しみより破るべし、薬師経に云く『自界叛逆難』と是なり、仁王経に云く『聖人去る時七難必ず起らん』云云、金光明経に云く『三十三天各瞋恨を生ずるは其の国王悪を縦にし治せざるに由る』等云云、日蓮は聖人にあらざれども法華経を説の如く受持すれば聖人の如し又世間の作法兼て知るによて注し置くこと是違う可らず現世に云をく言の違はざらんをもて後生の疑をなすべからず、日蓮は此関東の御一門の棟梁なり・日月なり・亀鏡なり・眼目なり・日蓮捨て去る時・七難必ず起るべしと去年九月十二日御勘気を蒙りし時大音声を放てよばはりし事これなるべし纔に六十日乃至百五十日に此事起るか是は華報なるべし実果の成ぜん時いかがなげかはしからんずらん」(0957:13)
幕府の動揺はひとからぬものであった。すでに、他国侵逼難も時々刻々と迫りきたり、自界叛逆難も適中したことに幕府は恐れをなし、竜の口の難以来捕えていた弟子たちを放免する一方、文永10年(1273)4月、佐渡へもお使いを送って、大聖人を塚原の三昧堂から一の谷に移すよう命じたのである。
それからというものは、大聖人に対する監視もずっと軽くなり、文永11年(1274)2月、赦免となり、無事鎌倉へお帰りになられたのである。その時も、念仏者たちが、なんとか大聖人を本土へ帰すまいと、あらゆる準備をしていたのである。だが当時としては天候の悪いときには日本海の荒海を渡るのに100日・50日も待たされることもあり、順風であっても3日かかるところを絶好の天候と順風にめぐまれ、ほんのわずかの時間で渡ることができた。そのため、かれらは、予定がはずれ、まったく手のくだしようがなかったのである。まことにいかに国家権力が強くとも、邪宗の僧がそれと結託し、さまざまな留難をなすといえども、御本仏の金剛不壊の幸福境涯をいかんともすることができなかったのである。
以上、佐渡流罪中の大聖人の行動をみてきたが、まことに御本仏の御振舞い以外のなにものでもないことが明瞭である。また、大聖人のあらわされた、観心本尊抄・開目抄等の諸御抄は、まったく御本仏の所作であることを知るのである。
このようにして、日蓮大聖人は、竜の口法難、佐渡流罪という大法難を契機として顕本し、御本仏の立場から、出世の本懐たる大御本尊建立へ総仕上げの段階に入られたのである。
本抄の大意および元意
一 本抄の大意
本抄は、大要次のように論旨が進められている。すなわち、本抄が本門戒壇の大御本尊の御抄となることは、後に詳論するところであるが、その大御本尊を説き明かすにあたり、大きく四段に分けている。
第一、一念三千の出処を示し、観心の本尊を明かす序分とされている。
第二、観心の本尊の観心について。
第三、末法に建立される三大秘法。
第四、久遠元初の自受用身たる日蓮大聖人が、妙法五字の大御本尊を建立される。
第一に一念三千の出処を示すのであるが、末法に弘通される観心の本尊を明かす御抄において、なにゆえに最初に一念三千の出処を示すか。それは法華経の迹門にも本門にも一念三千の名のみあって実体はない、一念三千の当体はすなわち末法に建立される観心の本尊であり、文底下種事行の一念三千とはすなわち三大秘法随一の本門戒壇の大御本尊であられるからである。
第二に観心の本尊を明かすのであるが、まず観心について論じられている。
まず観心の意義については、
「問うて曰く出処既に之を聞く観心の心如何、答えて曰く観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり」(0240:01)
と示されている。だが観心には天台家と日蓮大聖人の二通りの観心があり、附文の辺と元意の辺とに分別して拝さなければ、正しく観心の意義を理解することはできない。
すなわち、この文をそのまま読めば附文の辺であり天台家の観心である。元意の辺でよめば「己心を観じて」とは御本尊を信ずる義で、「十法界を見る」とは妙法蓮華経と唱える義であり、これは大聖人の観心である。
観心の意義を示されたあと、さらに一歩すすめて、観心を十界互具の面から論ずるのである。この十界互具というのは、なかなか理解するのがむずかしい。なかんずく凡愚のわれわれが仏たる素質を持っているということを信ずるのは容易ではない。そこでまず前提として、十界互具を示した法華経の経文を引かれているのである。
そして実際生活の上から、われわれの生命に六道、三聖が具していることを明かし、さらに「但仏界計り現じ難し」の文を受けて、末代凡愚のわれわれの生命の中に仏界を具していることを説き明かすのである。
次に、受持に約して観心を明かす段になる。まず教主、すなわち仏に約して疑いを強くして正解を請うのである。すなわち権・迹・本の釈尊の因位の万行、果位の万徳をあげて、主師親の三徳を備えた立派な仏が、凡夫の劣心にどうして存在しえようかと疑うのである。
次は経論の上から、仏教には十界互具はありえないと疑うのである。まず初めに華厳・仁王・金剛・般若等の三経、起信・唯識等の二論をあげ、次に法華経方便品の「断諸法中悪」の文を引いて、十界互具を否定するのである。この二つの難のうち、初めの教主の難をしばらくおいてまず経論の難を会するにあたって、四義をあげて弁駁されている。方便品の文も「彼は法華経に爾前の経文を載するなり往いて之を見るに経文文明に十界互具之を説く」と答えられ、十界互具を説き明かした法華経こそ最高唯一であることを論じられている。
さて教主の難を会するにあたって、まずこのことが、いかに難信難解であるかを所受の本尊の徳用を法華経の開結二経の文によって明かし、最後に正しく受持即観心を明かすのである。なぜ観心を明かすに本尊の力用が問題になるかといえば、天台は観念観法によって、自力で己心の十法界を見ようとしたのに対し、末法の観心は本尊の徳用によって観心の義を成ずるからである。
そして「『未だ六波羅蜜を修行する事を得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す』等云云、法華経に云く『具足の道を聞かんと欲す』等云云、涅槃経に云く『薩とは具足に名く』等云云、竜樹菩薩云く『薩とは六なり』等云云、無依無得大乗四論・玄義記に云く『沙とは訳して六と云う胡法には六を以て具足の義と為すなり』吉蔵疏に云く『沙とは翻じて具足と為す』天台大師云く『薩とは梵語なり此には妙と翻ず』等云云、私に会通を加えば本文を黷が如し爾りと雖も文の心は釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0256:11)とおおせられ、正しく受持即観心を明かしている。要するに、独一本門の大御本尊に権・迹・本の釈尊の因位の万行・果位の万徳がそなわり、われわれはこの大御本尊を受持することによって自然にその福徳をことごとく譲り受け、観心を成ずると結論されているのである。
第三に末法に建立される三大秘法の大御本尊を明かすのである。そこでまず簡略に従浅至深して本尊を明かしている。すなわち権迹熟益の本尊、本門脱益の本尊、文底下種の本尊と、そしてさらに詳論して五重三段の教判によって本尊を明かしている。
五重三段とは、一代三段、十巻三段、迹門熟益三段、本門脱益三段、文底下種三段である。三段とは序分・正宗分・流通分のことである。本抄の文底下種三段を明かす段の終わりに、
「在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」(0249:17)
とおおせのように、釈尊在世と末法の本門との種脱勝劣を論じ、末法に流通する大御本尊の正体を示して、観心の本尊を結成されているのである。
以上をもって、末法の観心の本尊、すなわち本門戒壇の大御本尊の解明がなされたわけである。しからば、この大御本尊は、だれがいつ、どこでご建立になり、弘通されるのか。この点について、次に述べられていくのである。
まず、法華経本門の序分・正宗分・流通分のそれぞれの証文を引き、寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経は、ただ地涌の菩薩にのみ付嘱があったことを明かし、さらに地涌の菩薩は、正像2000年の間に出現せず、ただ末法に限って出現することを明かすのである。それを経文によって論証し、そして、自界叛逆・西海侵逼の二難が起きている今こそ、地涌の菩薩が出現し「本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊」を建立することを述べられている。地涌の菩薩とは外用の辺であり、付属の儀式をふんでおおせられたもので、内証の辺は、久遠元初自受用身がそのまま末法に出現し、全世界の民衆を救う大御本尊を建立あそばすことを宣言せられたものである。久遠元初自受用身の再誕は即日蓮大聖人であり、末法の御本仏として、本門戒壇の大御本尊を、末代幼稚の頸にかけたもうことを「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」(0254:18)とおおせられ、本抄を終えられている。
二、本抄の元意
日蓮大聖人の御出現の意義は、一切衆生を幸福にすることにある。したがって民衆を化導されるにあたって、一代にわたって種々の法門を説かれている。だが、弘通された法門の究竟するところは、三大秘法なのである。
三大秘法とは、第一に本門の本尊・南無妙法蓮華経の大御本尊であり、第二は本門の戒壇・大御本尊おわしますところであり、第三は本門の題目・大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることである。
日蓮大聖人が、仏滅後2220余年の末法濁悪の世に出現され、なぜ三大秘法を顕示されたのか、そしてこの三大秘法とはいかなる法であるのか。このような、最大神秘の法門を説き明かされたのが、日蓮大聖人の文底下種仏法である。
大聖人御在世中に認められた御書は400数十編におよぶ。これら多数の御書のなかで、三大秘法について述べられているのは、ひじょうに少ない。すなわち、三大秘法抄・報恩抄・法華取要抄・法華行者逢難事・御義口伝等の御書である。
いまその一文を報恩抄より拝する。
「問うて云く天台伝教の弘通し給わざる正法ありや、答えて云く有り求めて云く何物ぞや、答えて云く三あり、末法のために仏留め置き給う迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・天台・伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり、求めて云く其の形貌如何、答えて云く一には日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本・乃至漢土・月氏・一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだ・ひろまらず一閻浮提の内に仏滅後・二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり」(0328:13)と。
さて、日蓮大聖人はまず、建長5年(1253)4月28日、32歳にして宗教革命の大宣言をなされ、南無妙法蓮華経の題目を建立されたのである。そして27年目の弘安2年(1279)10月12日に、本門戒壇の大御本尊を御図顕あそばされたのである。日蓮大聖人の出世の本懐が大御本尊のご建立にあったことは次の御文に明確である。
聖人御難事にいわく、
「去ぬる建長五年太歳癸丑四月二十八日に安房の国長狭郡の内東条の郷今は郡なり、天照太神の御くりや右大将家の立て始め給いし日本第二のみくりや今は日本第一なり、此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年・弘安二年太歳己卯なり、仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(1189:01)と。
さらに大聖人は、この大御本尊とともに、末代の化儀の広宣流布を日興上人に遺付され、弘安5年(1282)10月13日、61歳で御入滅あそばされたのである。
日蓮大聖人一代の仏法の大網は、前述のとおり三大秘法であるが、なかでもその要は大御本尊にある。この要を知らずして、いかに大聖人の弘通せる法門を千万言を尽くして論じようとも、それは実に群盲評象のたぐいであり、木石が衣鉢を帯持しているようなものである。
ゆえに、弘安2年(1279)10月12日の大御本尊建立より立ち還って、大聖人ご一代を拝するならば、いっさいのご説法、お振舞いの真意は明白となる。なかんずく本抄が、在世文上脱益の本尊を簡び、まさしく文底下種観心の本尊を説き明かした御抄であることを体得できるのである。これ本抄の真髄であり、元意である。
この大御本尊に迷うところに、いっさいの誤りの原因があり、不幸の原因がある。日蓮大聖人は、御在世当時の宗教が、根本として尊敬すべき本尊に迷っている状態を、次のようにおおせられている。
開目抄にいわく、
「而るを天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり、倶舎・成実・律宗は三十四心・断結成道の釈尊を本尊とせり、天尊の太子が迷惑して我が身は民の子とをもうがごとし、華厳宗・真言宗・三論宗・法相宗等の四宗は大乗の宗なり、法相・三論は勝応身ににたる仏を本尊とす天王の太子・我が父は侍と・をもうがごとし、華厳宗・真言宗は釈尊を下げて盧舎那の大日等を本尊と定む天子たる父を下げて種姓もなき者の法王のごとくなるに・つけり、浄土宗は釈迦の分身の阿弥陀仏を有縁の仏とをもうて教主をすてたり、禅宗は下賎の者・一分の徳あつて父母をさぐるがごとし、仏をさげ経を下す此皆本尊に迷えり、例せば三皇已前に父をしらず人皆禽獣に同ぜしが如し」(0215:01)と。
しかして、大聖人滅後700年になんなんとする今日においてはどうか。以前にもまして本尊の雑乱ぶりは、目に余るものがあるではないか。
日本の宗教界は、18万もの教団が雑居している。もちろん教義も本尊もまったく相異なる。しかも、「宗教界は協力しよう」などと称して結束を図っている。
本尊という、宗教として、もっとも根本的な問題を解決しようとせず、自らの邪教性をかくさんがために、策をもって自己の宗教を粉飾し、時の権力と結びついて、いかにすれば宗教に無知な大衆をだましつづけることができるかに腐心しているのが、今日の宗教界なのである。まことに憎むべき魔の所作というべきである。
しからば、なにをもって本尊となすべきなのか。大聖人は次のように仰せである。
本尊問答抄にいわく、
「問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし、問うて云く何れの経文何れの人師の釈にか出でたるや、答う法華経の第四法師品に云く『薬王在在処処に若しは説き若しは読み若しは誦し若しは書き若しは経巻所住の処には皆応に七宝の塔を起てて極めて高広厳飾なら令むべし復舎利を安んずることを須いじ 以は何ん此の中には已に如来の全身有す』等云云、槃経の第四如来性品にく『復次に迦葉諸仏の師とする所は所謂法なり是の故に如来恭敬供養す法常なるを以ての故に諸仏も亦常なり』云云、天台大師の法華三昧に云く『道場の中に於て好き高座を敷き法華経一部を安置し亦必ずしも形像舎利並びに余の経典を安くべからず唯法華経一部を置け』等云云」(0365:01)
そしてさらに、同抄にいわく「問うて云く然らば汝云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや、答う上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり」(0366:07)と。
ここにおおせられる法華経の題目とは、寿量文底秘沈の三大秘法の南無妙法蓮華経の大曼荼羅であらせられることは、いうまでもない。
同じく本抄にも、次のようなおおせがある。
「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字」(0247:15)、「我が内証の寿量品を以て授与すべからず末法の初は謗法の国にして悪機なる故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」(0250:09)、「是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり」(0251:09)等と。
以上の御文は、究竟するところ大御本尊を示しているのである。
また「本尊とは勝れたるを用うべし」の御金言を拝するならば、日蓮門下と称しながら、釈尊や、竜神や、云何や、先祖の戒名等、なんでもまつって本尊とするとは、まったく言語同断である。もっとも勝れた南無妙法蓮華経の大御本尊でなくてはならないのが当然である。
さて、本抄に説き明かされた御本尊のお姿を拝するならば、
「其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士上行等の四菩薩・文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり」(0247:16)とおおせである。
また、建治3年(1277)8月にお認めの日女御前御返事には、釈尊滅後、正法時代に出現した竜樹・天親等も、また像法時代に現われた天台・伝教も顕わすことのできなかった大御本尊を、日蓮大聖人がはじめて図顕されたことを述べ、その御本尊の相貌を明かされている。すなわち、
「されば首題の五字は中央にかかり・四大天王は宝塔の四方に坐し・釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ普賢・文殊等・舎利弗・目連等坐を屈し・日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅・其の外不動・愛染は南北の二方に陣を取り・悪逆の達多・愚癡の竜女一座をはり・三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等・加之日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神・総じて大小の神祇等・体の神つらなる・其の余の用の神豈もるべきや、宝塔品に云く『諸の大衆を接して皆虚空に在り』云云、此等の仏菩薩・大聖等・総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり」(1243:09)と。
これらの御文は、いずれ建立されるべき大御本尊の相貌を予め述べられたものである。
しかして、いよいよ現実に出世の本懐たる大御本尊建立の時が到来した。すなわち建長5年(1253)に立宗宣言せられて以来27年目の弘安2年(1279)10月12日に本門戒壇の大御本尊をあらわされたのである。それは先に引用した聖人御難事の「余は二十七年なり」(1189:04)との御文のごとくである。
この御本尊こそ、本抄に「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」(0254:08)とおおせられた一閻浮提第一の大御本尊なのである。
前述のとおり日蓮大聖人は、御入滅にあたり、お弟子の日興上人にいっさいをご付嘱になった。身延相承書に「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり」(1600:01)と。そして第二祖日興上人は大聖人の付嘱を受けて大石寺の建立、お弟子の養成、国家諌暁と広宣流布の基をかためられて、御入滅に先だって、お弟子日目上人にいっさいを付嘱あそばされた。日興跡条条事に、
「日興が身に充て給わる所の弘安二年の大御本尊弘安五年御下文、日目に之を授与す」と。
この大御本尊が、日本国中はいうまでもなく、全世界へ広宣流布し、末法万年より永遠の未来にわたって、いっさいの民衆を苦悩から救い、即身成仏の大功徳を得せしめ、平和楽土が建設させるとの仏教の予言である。
法華経の薬王品には「我が滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布」弥勒菩薩の瑜伽論には「東方に小国有り其の中に唯大乗の種姓のみ有り」天台大師は「後の五百歳遠く妙道に沾わん」妙楽大師は「末法の初め冥利無きにあらず」伝教大師は「正像稍過ぎ已って末法太だ近きに有り、法華一乗の機今正しく是れ其の時なり」等と述べられている。
これらの文は、数ある中の代表的な予言をあげたにすぎないが、ことごとくその指示するところは、大御本尊の広宣流布にある。
しかしながら日蓮大聖人は、ご一生を通じて立正安国論の大精神をお説きになり、本門戒壇の大御本尊を建立あそばされて、法体の広宣流布を成就されたが、化儀の広宣流布をば未来の弟子に遺命されたのである。
上野殿御返事にいわく「梵天・帝釈等の御計として日本国・一時に信ずる事あるべし、爾時我も本より信じたり信じたりと申す人こそおほくをはせずらんめとおぼえ候」(1539:15)
しかして、時のしからしむるか。はたまた仏意仏勅によるか。今や創価学会の手によって、広宣流布の予言が着々と実現しつつある。折伏活動による本尊流布は急増し、五百数十万の一大集団となり、学会即社会という姿になりつつある。今日こそ、化儀の広宣流布、すなわち順縁広布の時なのである。
本抄にいわく、
「当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」(0254:01)と。
日寛上人は、この御文を、
「折伏に二義有り、一には法体の折伏、謂く法華折伏破権門理のごとし、蓮祖の修行是れなり。二には化儀の折伏謂く涅槃経に云く正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず、応に刀剣弓箭鉾槊を持つべし」等云云。仙予国王等是れなり。今化儀の折伏に望み法体の折伏を以て摂受と名づくるなり。或いは復、兼ねて順縁広布の時を判ずるか」と。このように、化儀の折伏に相対すれば、数々の大難に遭われた日蓮大聖人の折伏行すら、聖僧として摂受を行ずるお姿となる。しかし、この場合における摂受も、釈迦仏法における摂受とは、本質的に異なるのである。
われわれは、仙予国王のごとく、弓矢のごとき武器こそ持たないが、大聖人の仏法哲理を根底において、言論戦・経済戦、文化・芸術・教育等、一切をあげて、戦いを進めている唯一の団体である。ゆえに、創価学会の立ち場こそ賢王となって愚王を誡責している姿そのものであると確信してやまぬ。
いま、いやまして大御本尊の偉大な功徳は、中央に輝く太陽のごとく、全人類の上に、さんさんとふりそそぐ時代となった。本門に入った創価学会の責任の重大さを感じ、化儀の広宣流布の総仕上げへ、さらに力強く前進することこそに、日本・世界平和達成の要諦であると叫ぶものである。
三、教行証における本抄の位置
教とは仏の所説の教法、行は教法によって立てた行法、証は教行によって証得される果徳をいう。この教行証の三つを日蓮大聖人の御書の上から拝し、本抄の位置を論ずることとする。なお、日寛上人が当体義抄文段に述べられているので、それをもとにした。開目抄と本抄と当体義抄とを、教行証に配すると、開目抄は教の重、本抄は行の重、当体義抄は証の重となる。
開目抄が教の重となるのは、開目抄において、一代の諸経の勝劣浅深を配しているからである。その一切経の勝劣浅深を判ずるに五段の教相をもってしている。
一に内外相対。通じて一代諸経もってこれを論ずる。「一代・五十余年の説教は外典外道に対すれば大乗なり大人の実語なるべし」(0188:11)と。
二に権実相対。八箇年の法華経をもって真実となし、40余年の権教に相対して論じられている。「大覚世尊は四十余年の年限を指して其の内の恒河の諸経を未顕真実・八年の法華は要当説真実と定め給し」(0188:15)と。
三に権迹相対。迹門の二乗作仏をもって爾前の永不成仏に相対して論じている。「此の法門は迹門と爾前と相対して爾前の強きやうに・をぼゆもし」(0195:18)と。
四に本迹相対。本門をもって爾前迹門に相対してこれを論ずる。「本門にいたりて始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる、四教の果をやぶれば四教の因やぶれぬ、爾前迹門の十界の因果を打ちやぶつて本門の十界の因果をとき顕す」(0197:15)と。
五に種脱相対。寿量品の文上は脱益、文底は下種である。「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」(0189:02)と。
以上のように、五重相対して、はじめて日蓮大聖人の御本懐に達するのである。
一念三千文底秘沈とは、但法華経、但本門寿量品、但文の底に秘し沈められているとの意で、権実・本迹・種脱の相対が明らかである。
この種脱相対は、本抄においては「彼は脱此れは種なり」(0249:17)と判ぜられ、また常忍抄には「日蓮が法門は第三の法門なり」(0981:08)とも判ぜられている。
諸宗の輩は、ただ内外相対のみを知って、余の相対を知らなかったり、あるいは一致派の徒は本迹相対を知らず、勝劣派といえども本迹相対までは知っているが、種脱相対を知らないのである。ゆえに大聖人の本門に達することなどできないのは理の当然である。
妙楽は「諸の法門は所対によって同じからず」といい、大聖人は法華取要抄に「所詮所対を見て経経の勝劣を弁うべきなり」(0332:07)とおおせられている。このような金言があるにもかかわらず、他門流の者は盲目のゆえか、はたまた偏見のゆえかこのことを知らないのは、哀れむべきことである。まことに法門を論ずるには、この判定の基準がなければ、空論・盲論となることを知らねばならない。
次に、本尊抄が行の重であるということは、本抄に受持即観心の義を明かしているからである。
本尊抄に「無量義経に云く『未だ六波羅蜜を修行する事を得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す』等云云、法華経に云く『具足の道を聞かんと欲す』等云云、涅槃経に云く『薩とは具足に名く』等云云、竜樹菩薩云く『薩とは六なり』等云云、無依無得大乗四論・玄義記に云く『沙とは訳して六と云う胡法には六を以て具足の義と為すなり』吉蔵疏に云く『沙とは翻じて具足と為す』天台大師云く『薩とは梵語なり此には妙と翻ず』等云云、私に会通を加えば本文を黷が如し爾りと雖も文の心は釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246:11)と。
またいわく「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」(0254:18)と。
以上の御文は、事の一念三千の本尊を受持すれば、事の一念三千の観行を成就すとの明文である。
次に、当体義抄が証の重であるということは、当体義抄に「然るに日蓮が一門は正直に権教の邪法・邪師の邪義を捨てて正直に正法・正師の正義を信ずる故に当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕す事は本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱うるが故なり」(0518:15)と、また「本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり」(0512:12)とあることによって明らかである。
なお、教行証御書に、末法には教のみあって行証なしというのは、釈迦仏法においては、行証がないということである。しかるに、末法には大聖人の仏法において教行証がことごとくそなわっているのである。
序講 2
本抄の題号
(一)日寛上人観心本尊抄文段の首文
まず日寛上人の観心本尊抄文段の首文を拝読してみよう。
「それ当抄に明かすところの観心の本尊とは一代諸経の中には但法華経・法華経二十八品の中には但本門寿量品・本門寿量品の中には但文底深秘の大法にして本地唯密の正法なり。
この本尊に人あり法あり。人は謂く久遠元初の境智冥合自受用報身・法は謂く久遠名字の本地難思境地の妙法なり。法に即してこれ人・人に約してこれ法・人法殊なれどもその体恒に一なり。その体一なりといえどもしかも人法宛然なり。応に知るべし当抄は人即法の本尊の御抄なるのみ。これすなわち諸仏諸経の能生の根源にして諸仏諸経の帰趣せらるるところなり。ゆえに十方三世の恒沙の功徳・十方三世の微塵の経経の功徳・皆威くこの文底下種の本尊に帰せざるなし。たとえば百千枝葉同じく一根に趣くがごとし。
ゆえにこの本尊の功徳無量無辺にして広大深遠の妙用あり。ゆえに暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うればすなわち祈りとして叶わざるなく・罪として滅せざるなく・福として来らざるなく・理として顕われざるなし。妙楽のいわゆる『正境に縁すれば功徳猶多し』はこれなり。これすなわち蓮祖出世の本懐・本門三大秘法の随一・末法下種の正体・行人所修の明鏡なり。ゆえに宗祖云く『此の書は日蓮が身に当て一期の大事なり』等云云」。
御文に明らかにお示しのとおり観心本尊抄にお述べの御本尊とは実に十方三世の仏・十方三世の諸経がことごとく帰一するところの大御本尊であらせられる。ゆえにこの御本尊の功徳は広大深遠であらせられ、「祈りとして叶わざるなく・罪として滅せざるなく・福として来らざるなく・理として顕われざるはなし」との御文のごとく、われわれ凡夫の祈りはことごとく叶えられ、いかなる重罪もことごとく消滅し、人生の幸福がことごとく凡夫の一身に具わり、理として顕われないものはないのである。
しからばその大御本尊を日蓮大聖人は、いつ、どこへお遺しあそばされたか。これこそ弘安2年(1279)10月12日に本門戒壇の大御本尊として建立あそばされ、御弟子日興上人に一期の弘法とともにご相伝あそばされた大御本尊である。
われわれ創価学会員はいまだ広宣流布にいたらない今日といえども、この御本尊に親しくお目通りがかない、また各自の家庭においては大御本尊の分身としてそれぞれの御本尊をいただいて朝夕勤行し奉ることのできる無上最大の幸福に歓喜し、さらにさらに広宣流布の仏意・仏勅のままに日夜闘争する福運を深く感じて感謝と感激を新たにすべきである。たとえいかほどに観心本尊抄の研究や勉学を積むといえども、肝心の大御本尊に対する信仰と感激の広宣流布の決意がなければまったくその深意に到達しえないのみか、かえって懶惰懶怠の徒となり、謗法の徒輩となって、無間地獄に沈むのである。実に誡心すべきことである。
しかるに日蓮宗学者と自称する僧俗は、古来多数あったが、彼らはことごとくこの大御本尊を知らず、信心の血脈がないために釈迦本尊・釈迦仏像を崇めて本抄の深意を解することができなかった。京都・要法寺の日辰、八品派の日忠などである。
ただ房州・妙本寺の日我のみは、ある程度その大要を得ていたようであるが、それでもまだ不完全であると日寛上人は仰せられている。ましてそのほか各宗派の学者はもとより最近にいたっても各種の解釈が行われているがことごとく文底下種の三大秘法に迷う妄論にすぎないのである。
いま、本抄の題号について述べるにあたり、日寛上人の分段に準じて、通じて文点を詳らかにし、別釈・総結を論ずる。
(二)通じて文点を詳らかにす
一、「始」の文点
本抄の題号は文点によって次にあげるようにまちまちの読み方となり、したがって文意がまったく異なってくる。しかればどのように読むのが正しいか。
(1)五五百歳に始めて心を観る本尊抄
(2)五五百歳の始め
(3)五五百歳に始まりたる心の本尊を観る抄
(4)五五百歳に始まる観心本尊抄
上のような古来の文点はすべてご文意に反して誤りであり、正しくは次のように四義具足してまったきを得るのである。
時・応・機・法の四義を説明すれば、「時」とは仏の出世する時を指し、「応」とは衆生の機根に応じて仏が出現して法を説く等の振舞いを指し、「機」とは衆生の機根であり、「法」とは仏の説き弘める法体である。すなわち衆生に機あって仏の出世を感じ、仏はこれに応ずる。これを感応という。これに反して衆生の機がないところに仏は出世することなく、仏の出世にあわない衆生はそれだけの機がないのである。
御義口伝にいわく「衆生に此の機有つて仏を感ず故に名けて因と為す、仏機を承けて而も応ず故に名けて縁と為す」(0716:第三唯以一大事因縁の事:03)
この原理を現在のわれわれに当てはめるならば、「時」は末法であり、「応」は日蓮大聖人が久遠の本仏としてご出現になり、「機」とはわれわれ末法の衆生であり、「法」とは三大秘法の南無妙法蓮華経である。
四義
時 如来滅後五五百歳 上行出世の時を明かす
応 始む 上行始めて弘むる義を明かす
機 観心 文底下種仏法に縁のある衆生の観心
法 本尊 人即法の本尊
すなわち、この文点は「如来滅後五五百歳に始む観心の本尊抄」とするのが正しい。ゆえにその題意は「如来滅後五五百歳に上行菩薩始めて弘む観心の本尊抄」となるのである。なにゆえにこれが正しいか。日寛上人はその理由として次の五門に約して証明している。
①題号所依の本文による
この題号は法華経神力品第二十一に「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし」の文によられている。というのは神力品において上行菩薩に別付嘱があり、上行菩薩が末法に出現して三大秘法を弘通する正しき証文がここにあるからである。さて「我が滅度の後」とは「如来滅後五五百歳」にあたり末法の時を示している。「応」の一字は仏が勧奨するのを示し、すなわち「始む」の字にあたる。「受持」は機に約して「観心」にあたり、「斯経」は法に約して「本尊」にあたる。このように本抄の題号の依り所となる神力品の文と一致」して四義を具足すべきである。
②四義具足の例証による。
法華経には、次の通り四義具足の文がある。
四義 方便品 寿量品
時 爾の時 爾の時
応 世尊は告げて云く 仏告げて云く
機 舎利弗に 諸菩薩及一切大衆
法 諸仏智慧甚深無量 如来秘密神通之力
③四義具足の明文による
また同じく観心本尊抄の次の文には正しく四義を具足している。
この時(時)地涌の菩薩始めて世に出現し(応)但妙法蓮華経の五字を以て(法)幼稚に服せしむ(機)。
仏・大慈悲を起し(応)妙法五字の袋の内に此の珠を裏み(法)末代(時)幼稚(機)の頸に懸けさしめ給う。
上のような明文からみても題号もまた四義を具足すべきことは明らかである。
④「始」の字を応に約する明文による
救護本尊の端書に「後五百歳の時・上行菩薩世に出現し始めて之を弘宣す」との明文があり、「始」の字は「始めて弘む」という「応」の意となる。
救護本尊と万年救護の本尊とも称し、文永11年(1274)に日蓮大聖人が御建立あそばされた御本尊で現在は保田本妙寺にある。
⑤古来の諸師の文点を料簡す
古来の諸師の文点は次のように誤りである。
(1)蒙抄 不受不施派 日講の書
蒙抄には「五五百歳に始めて心の本尊を観ずる抄」と点じ、始の字は正像を簡んで未曾有の言に合すると説いている。
難じていわく蒙抄にいうこころの「始めて観ず」との意は機に約しているのであり、「未曾有」の言は法に約して言うべき語であるから、始と未曾有が合するわけがない。まして豪抄のごとく読めば「始めて観ず」が体となり本尊の二時が用となって本抄の大旨に反するのである。
(2)忠抄 八品派 日忠の書
忠抄には五五百歳の200年に蓮祖が出現するから「五五百歳の始」と点ずべきであるという。
難じていわくそれは文異義同を知らないで煩重の失を招くことになる。すなわち「如来滅後五五百歳」とことわる必要がない。いわんや「始めて之を弘宣す」との御文に反するから、用いるわけがないのである。
(3)常抄 中山派 日祐の書
常抄には「五五百歳に始まりたる心の本尊を観ずる抄」と点じ、しかもこれが相伝であるといっている。
難じていわく常抄は富木入道日常の述作ではなく中山派三代日祐の筆である。相伝であると言いながら同じ一致派の蒙抄すらこれを用いておらない。ましてそのように読めばすでに始まったことになり、本抄の今始むという大旨に反することになる。
(4)辰抄 要法寺 日辰
辰抄には万年の始を指して始というと。
難じて云く五五百歳とは既に末法の始を指している。なにゆえに重複して始というか。
(5)日我抄 本妙寺 日我
日我抄には「五五百歳に始まる観心本尊抄」と言っている。これは「始」を法に約し、しかも今始むに約して未曾有の言に合い、また広宣流布の文に応じているではないか。
難じていわく日我は所弘の辺に約するから始まるという。今能弘の辺に約すれば始むとなるのである。もし能弘の辺をあげればおのずから所弘の辺を摂する。すなわち始む人があってこそ始まるのである。ゆえに始むと点ずればおのずから日我の始まるという点を含む。いわんやまた広宣流布の言はつぎにおおせられるのごとく能弘の辺、大聖人が始めて弘めるという意を強くおおせられているから日我の点を用いるべきではない。
顕仏未来記にいわく、
「此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか」(0507:06)と。
二、観心本尊の文点
この文を古来の諸師は
(1)「心の本尊を観ずる抄」
(2)「心を観ずる本尊抄」
(3)無点で「観心本尊抄」
等としているが、はたしてどう点ずるのがご正意であるかといえば、これらはみな誤りで、正しくは「観心の本尊抄」と点ずべきである。およそもろもろの法相は多くは相対してその名を立てている。たとえば十双権実・六重本迹等はもとより、大小・権実・迹本等もみな相対の上に立てた法門である。教相と観心の立て分けは諸宗を通じて同じ立て分けである。さてこのような相対の法門にあっては、事の言は理を簡び、果の言は因を簡び、大の言は小を簡び、実の言は権を簡び、本の言は迹を簡ぶ。ゆえに観心の言もまた教相を簡ぶのである。たとえば三大秘法の中に本門の本尊という時には本迹の本尊を簡ぶと同じで、観心の本尊とは教相の本尊を簡ぶのである。
教相の本尊と観心の本尊とは、その体がどのように違うかとなれば、教相の本尊とは、文上脱益迹門理の一念三千の本尊をいうのであり、観心の本尊とは、文底下種本門事の一念三千を本尊というのである。この義をつまびらかにするにあたり日寛上人の文段に準じてつぎの三段として解説する。
①大聖人所立の教相観心の相
教相と観心については各宗派ともこれを立てるのであるが、教相の観心とはどのような相であるかを次に五文を引いて説明する。
開目抄、
「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」(0189:02)
上の御文で「一念三千」とは観心の法門であり、文底をもって観心と名づけているから、文上の法門はすべて教相であることが知られる。
十法界事、
「法華本門の観心の意を以て一代聖教を按ずるに菴羅果を取つて掌中に捧ぐるが如し、所以は何ん迹門の大教起れば爾前の大教亡じ・本門の大教起れば迹門爾前亡じ・観心の大教起れば本迹爾前共に亡ず此れ是れ如来所説の聖教・従浅至深して次第に迷を転ずるなり」(0420:06)
爾前・迹門・本門・観心と立てられているが、第四の観心とは諸宗でいうところの観心とは異なり、文底下種法門をもって観心と名づける。文底下種法門をもって観心と名づけるから、爾前・迹門・本門ともに教相となるのである。
本因妙抄,
「一には名体無常の義・爾前の諸経諸宗なり、二には体実名仮.迹門.始覚無常なり、三には名体倶実・本門本覚常住なり、四には名体不思議是れ観心直達の南無妙法蓮華経なり」(0870:14)
御文の通り文底をもって観心直達と名づけるゆえに爾前・迹門・本門ともに教相に属することが明らかである。
本因妙抄
「迹門を理具の一念三千と云う脱益の法華は本迹共に迹なり、本門を事行の一念三千と云う下種の法華は独一の本門なり、是を不思議実理の妙観と申すなり」(0872:07)
文底下種本門事の一念三千をもって不思議真理の妙観となすのであるから、文上脱益迹門も理の一念三千となり、教相に属するのである。
本因妙抄、
「一代応仏のいきをひかえたる方は理の上の法相なれば一部共に理の一念三千迹の上の本門寿量ぞと得意せしむる事を脱益の文の上と申すなり、文の底とは久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず直達の正観・事行の一念三千の南無妙法蓮華経是なり」(0877:02)
文底下種法門事の一念三千を直達正観と名づけるので、文上脱益迹門理の一念三千は教相に属する。
上の諸文によって大聖人所立の教相観心が実に明白となるのである。
②大聖人所立の下種三種の教相
第一、根性の融不融の相───┬第一、権実相対
第二、化導の始終不始終の相─┘
第三、師弟の遠近不遠近の相──第二、本迹相対
第三、種脱相対
すなわち天台の第一・第二は、大聖人仏法の第一法門・権実相対にあたり、天台の第三法門は、大聖人仏法の第二法門・本迹相対にあたり、大聖人仏法の第三法門は、種脱相対、天台・伝教もいまだかって弘通したことのない深秘の法門であって次の御書にお述べのとおりである。
常忍抄にいわく、「法華経と爾前と引き向えて勝劣・浅深を判ずるに当分・跨節の事に三つの様有り日蓮が法門は第三の法門なり、世間に粗夢の如く一二をば申せども第三をば申さず候、第三の法門は天台・妙楽・伝教も粗之を示せども未だ事了えず所詮末法の今に譲り与えしなり、 五五百歳は是なり」(0981:08)
しかるに、日蓮の名を冠にする各宗派においては、天台の第三法門をただちに日蓮大聖人の第三法門と解している。これは大聖人出世の御本懐たる種脱相対を知らず、文底と文上の勝劣に迷うがために起こる迷乱である。
つぶさに日蓮大聖人の出世の本懐たる種脱勝劣のご深意に到達しなければならないのである。
③本抄にまさしく下種観心の本尊を顕わす
本抄には在世脱益の本尊を簡び、まさしく下種観心の本尊を顕わしているが、次の諸御書をあわせ拝してその理由を明らかにしよう。
本因妙抄、
「一は待教立観.爾前・本・迹の三教を破して不思議実理の妙法蓮華経の観を立つ」(0872:06)
「不思議実理の妙法蓮華経の観」とは、すなわち文底下種観心の本尊である。ゆえに迹門・本門ともに文上熟脱の教相を破すことが明らかである。
本因妙抄、
「四に会教顕観・教相の法華を捨てて観心の法華を信ぜよ」(0872:11)
「教相の法華」とは文上熟脱の法華経である。「観心の法華」とは文底下種の法華経であり、まさしく観心の本尊である。
観心本尊抄、
「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず何に況や其の已外をや」(0247:15)
すなわち本門の言は本迹相対して迹門脱益の本尊を簡び、肝心の言は種脱相対して文上脱益の本門を簡び、南無妙法蓮華経とは文底下種観心の本尊を顕わすのである。
観心本尊抄、
「地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」(0250:10)「是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり」(0251:09)
上記の御文で寿量品とは迹門を簡び、肝心といい肝要というのは、文上脱益本門を簡び、南無妙法蓮華経はまさしく文底下種本尊を顕わすことは前文と同趣旨である。
観心本尊抄、
「在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」(0249:17)
これらの諸文に文上脱益本尊を簡んで文底下種観心の本尊を顕わすことが明らかである。
(三)別釈
次に別釈にあたり同じく日寛上人の文段に準じて次の4項に分けて説明する。
一、如来滅後五五百歳
如来滅後五の五百歳に広宣流布するとは法華経薬王品の文であり、この文に準じて五五百歳と立てられた正意は、神力品の「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし」の文である。「如来」とは三身即一の応身如来であり、「滅後」といえば正像末の三時にわたるが、その意は末法にあり「五五百歳」とは500年にわたるが、その意は大御本尊建立の末法のはじめである。すなわち仏滅後2220余年等とおおせられるのがこれである。
二、「始」の意義
正像2000年いまだかってひろまらざる大御本尊を末法の初めに久遠の本仏が出現して弘通を始むの義である。すなわち次の御書に示されるごとし。
本尊問答抄、
「此の御本尊は世尊説きおかせ給いて後二千二百三十余年が間・一閻浮提の内にいまだひろめたる人候はず、漢土の天台日本の伝教ほぼしろしめしていささかひろめさせ給はず当時こそひろまらせ給うべき時にあたりて候へ」(0373:17)
さしてしからば日蓮大聖人御一代においていつこれを始められたのであるか。建長5年(1253)に宗旨を建立せられたが、題目のみで、いまだ三大秘法の名字すらなかった。ゆえに御抄には佐渡以前は仏の爾前経と思しべせと次のごとくおおせられている。
三沢抄、
「又法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門は・ただ仏の爾前の経とをぼしめせ、此の国の国主我が代をも・たもつべくば真言師等にも召し合せ給はんずらむ、爾の時まことの大事をば申すべし、弟子等にもなひなひ申すならばひろうしてかれらしりなんず、さらば・よもあわじと・をもひて各各にも申さざりしなり。而るに去る文永八年九月十二日の夜たつの口にて頚をはねられんとせし時より・のちふびんなり、我につきたりし者どもにまことの事をいわざりけるとをもうて・さどの国より弟子どもに内内申す法門あり」(1489:07)
すなわち佐渡以前においてはいまだ身業読誦が終わらず、佐渡にいたって初めて「内内申す法門」とて開目抄および観心本尊抄を御述作あそばされた。しかして開目抄には日蓮大聖人が上行菩薩の再誕であらせられること、および末法にいたって主師親三徳の御本仏は日蓮大聖人であらせられるとて末法に建立される人の本尊を開顕あそばされたのである。ついで観心本尊抄においては法の本尊を開顕あそばされ、末代三毒強盛のわれら衆生が即身成仏の大御本尊の相貌をまさしく説き示したのである。
しからば佐渡において初めて大御本尊を建立あそばされ終窮究竟の御本懐を達せられたかというにそうではない。大御本尊の建立は広宣流布の暁に本門の戒壇が建立されることを予期し、その時にいたって本門の大戒壇に安置されるべき本門戒壇の大御本尊のご建立こそ真の極説中の極説と拝せられるのである。ゆえに、
聖人御難事にいわく、
「仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(1189:03)
日興跡条条事にいわく、
「日興が身に充て給わる所の弘安二年の大御本尊弘安五年御下文、日目に之を授与す」
以上のごとく日蓮大聖人出世のご本懐は、まさしく弘安2年(1279)10月12日の本門戒壇の大御本尊建立にあらせられ、しかも御入滅にさきだってお弟子日興上人に付属せれ、日興上人はまた、日目上人にご相伝あそばされたことが明らかなのである。
弘安2年(1279)に出世のご本懐を達せられた点について日寛上人は、大聖人と天台大師とを次のように比較しその不思議をお述べになっている。
天台大師 日蓮大聖人
隋の開皇十四年御年57歳 文永10年4月25日本尊抄を終わり
4月26日より止観を始め 弘安2年御年58歳10月12日に
一夏にこれを説き4年後 戒壇本尊を顕わして4年後
同17年御年60歳11月に御入滅 弘安5年御年61歳10月に御入滅
これについて三つの不思議あり、
一には、天台大師は57歳で止観を説き、日蓮大聖人は58歳で本門戒壇の大御本尊を顕わす。天台は60歳で入滅、大聖人は61歳の御入滅、このように像法の天台は末法の大導師にさきだっている。
二には、天台は4月26日に止観を始め、大聖人は4月25日に本尊抄を完成されている。天台は11月御入滅、大聖人は10月の御入滅。すなわち大聖人は後に生まれても下種の本仏であらせられるゆえ、熟益の教主たる天台にさきだって化導を終えられている。
三には、天台も大聖人も同じく4年前の終窮究竟の極説を顕わしている。
次に諸御書ならびに御本尊脇書が「二千二百二十余年」と、「二千二百三十余年」とあり、その相違はいつから起きているのか。弘安4年(1281)が2230年になるが、弘安元年(1278)以後すでに「二千二百三十余年」とおおせられている。すなわち、
弘安元年(1278)7月御述作の千日尼御前御返事「仏滅度後すでに二千二百三十余年になり候」(1310:03)
弘安元年(1278)9月御述作の本尊問答抄「二千二百三十余年」(0373:17)
とあり、弘安元年(1278)以後には、すでに「30余年」とおおせられている。しかし、弘安元年(1278)は仏滅後2227年である。なにゆえに30年とおおせられるのか。これについて日寛上人は深意ありと次のようにお述べになっている。釈尊の法華経は8ヵ年にわたって28品を説かれているゆえに、1年には3・5品となる。御年72歳より法華経を始めると、76歳で寿量品を説き、77歳で神力品を説き、地涌千界に付嘱して4年後、80歳で御入滅となる。ゆえに釈迦仏の出世の本懐である寿量品を説き顕されてから弘安元年を数えると、弘安元年は(1278)は2231年となる。すなわち「今此の御本尊は寿量品に説き顕し」と仰せのごとく、また本尊問答抄にも「此の御本尊は世尊説き置かせ給いて後」等の文意から拝して、寿量品の説法より数えて弘安元年(1278)以後をまさしく2230余年とおおせられたと拝することができるのである。
三、観心の二字を釈す
観心を釈するにあたり日寛上人の文段に準じて二段に分けて釈する。
①まさしく我等衆生の観心なるを明かす
文底下種の一念三千を観心と名づけることは前段の説明ではっきりしたが、しからばその観心とはだれびとの観心かとあるかといえば、末法今時のわれら衆生の観心である。その理由は次の文に明らかである。
観心本尊抄、
「此の時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ」(0253:16)「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」(0254:18)
「服せしむ」「懸けさしむ」ともに観心の意であり、「末代幼稚」とは、末法今時のわれら衆生であることもはっきりしているのである。
また日辰抄には観心の二字が能化・所化に通ずると言っているが、この義は一般的に論ずればその通りであるが、当文の観心の二字は所化に約すべきである。すでに「始む」の字が能化の動作であるから、観心を所化に約するのが正しいのである。
また、日我抄にいわく「当流の意は、観とは智なり智とは信なり信とは信智の南無妙法蓮華経なり、心とは己心なり己とは末法出現の地涌なり、地涌の心法・妙法蓮華経なる処が観心なり、末世の衆生を救わんが為に出現あれば本尊なり」等云云、すでに観心の二字をもって地涌の菩薩の境地の二法に約し、どうしてわれら衆生の観心であるといえようか、と言っているが、そのように考えるのは観心と本尊とを混乱しているのである。本門の本尊とは本地難思境智の妙法である。地涌の菩薩をもって本尊の二字を釈すべきであり、観心の二字をもって釈すべきではない。いわんや三大秘法のなかの「本門の本尊」と今の「観心の本尊」とその意が同じではない。どうしてこの観心の二字をもって本尊の二字と同じであるといえるのか。もし即本尊であるというなら、時応機法の四義を欠くことになり不徹底である。
②我等衆生の観心の相貌
「久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず直達の正観・事行の一念三千の南無妙法蓮華経是なり」(0877:04)等とお示しのごとくである。
およそ観心とは、正法1000年は最上利根の衆生であったから、あるいは不起の一念を観じ、あるいは八識元初の一念を観じた。
ついで像法に入ると衆生も鈍根となり根塵相対芥爾六識に三千の性を具すことを観じて観心となした。
しかるに末法はただ題目を唱えて観心となすということか。
末法今時は理即但妄の凡夫であって、正像年間の観心と末法の観心とは違うのが当然である。しかしまた、像法時代の観心といっても一様ではなかった。伝教大師が天台山国清寺で道邃和尚から四箇の大事を相伝した中に、一心三観・一念三千があり、そのなかに甚深の口伝がある。その中で「法具の一心三観とは、臨終の苦しみの時南無妙法蓮華経と唱えよ」と、また「臨終の一念三千とは妙法蓮華経であり臨終の時南無妙法蓮華経と唱えよ」と言っている。ゆえに題目を唱えることが観心であるとはすでに天台宗においても甚深の口伝となっているのである。
像法迹門の時ですらこのとおりであって、末法本門の時には、ただ信心口唱をもって観心となす。天台大師は「心に思惟せざれども法界に遍照す」と釈し、伝教大師は「本門実証の時は無思無念に三観を修す」と釈しているのがこれである。
また、唱法華題目抄にいわく「愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず其の志あらん人は必ず習学して之を観ずべし」(0012:17)との文によれば、一念三千の観を修学すべきであって、信心口唱のみではならないのではないか、と天台流の考え方の者は疑問を出すであろう。だがそれは次の諸御抄と、当文の御書における位置とを考えるならばはっきりとする。
すなわち、四信五品抄にいわく「汝何ぞ一念三千の観門を勧進せず唯題目許りを唱えしむるや」(0341:13)持妙法華問答抄にいわく「利智精進にして観法修行するのみ法華の機ぞと云つて無智の人を妨ぐるは当世の学者の所行なり是れ還つて愚癡邪見の至りなり、一切衆生・皆成仏道の教なれば上根・上機は観念・観法も然るべし下根下機は唯信心肝要なり」(0464:05)等云云、十章抄にいわく「真実に円の行に順じて常に口ずさみにすべき事は南無妙法蓮華経なり、心に存すべき事は一念三千の観法なり、これは智者の行解なり・日本国の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととなへさすべし、名は必ず体にいたる徳あり」(1274:08)等云云。これらの諸御書の意に準ずるならば、おのずから明らかであり、かの唱法華題目抄は佐渡以前文応元年(1260)の御著作にして一往天台随順の釈であり、日蓮大聖人の正意ではないのである。
また、唯信心口唱のみをもって、即観行を成ずることができるということは、なかなか信じ難いことであろうが、日蓮大聖人の意をもってすれば、ただ弘安2年(1278)10月12日御出現の一閻浮提総与の大御本尊を信じて題目を唱うるならば則所信所唱の本尊の仏力と法力によって速やかに観行を成ずるのである。
ゆえに、
当体義抄にいわく、
「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は 煩悩業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦・即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、能居所居・身土・色心・倶体倶用・無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり是れ即ち法華の当体・自在神力の顕わす所の功能なり 敢て之を疑う可からず之を疑う可からず」(0512:10)と。
さて御文に明らかなごとく「但法華経を信じ」とは信力である。「南無妙法蓮華経と唱う」とは行力である。「法華の当体」とは法力であり「自在の神力」とは仏力である。ゆえに信力・行力を励むときは、則仏力・法力によって観行を成就するのである。
同じく当体義抄にいわく、
「日蓮が一門は正直に権教の邪法・邪師の邪義を捨てて正直に正法・正師の正義を信ずる故に当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕す事は 本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱うるが故なり」(0518:15)と。
「本門寿量の教主」とは人の本尊・仏力であり、文底下種寿量品の教主とは、即日蓮大聖人であらせられる。「金言」とは要の法華経、意の法華経、下種の法華経であって、すなわち大御本尊の法力である。「信じて」は信力、「唱うる」とは行力である。このように信力・行力を励む時は法力・仏力によって観行を成就することが明らかである。伝教大師の神秘の口伝にいわく「臨終の時南無妙法蓮華経と唱うれば妙法三力の功により速やかに菩提を成ず」と。妙法三力とは、一には法力、二には仏力、三には信力であり、南無妙法蓮華経と唱うるは即行力である。ゆえに前引の当体義抄の意とまったく同じであることを知るのである。
本因妙抄にいわく、
「五に住不思議顕観・文に云く理は造作に非ず故に天真と曰う・証智円明なるが故に独朗と云う云云、釈の意は口唱首題の理に造作無し、今日熟脱の本迹二門を迹と為し久遠名字の本門を本と為す、信心強盛にして唯余念無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば凡身即仏身なり」(0872:12)と。
ゆえに、文底下種本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うる時は、仏力・法力によって観行を成就するのである。不信の者は絶対にこれを成就することができないのである。
持妙法華問答抄に、
「唯我一人・能為救護の仏の御力を疑い以信得入の法華経の教への繩をあやぶみて決定無有疑の妙法を唱へ奉らざらんは力及ばず菩提の岸に登る事難かるべし、不信の者は堕在泥梨の根元なり」(0464:11)
とおおせられているのがこの意である。
四、本尊の二字を釈す
本尊を釈するにあたり、また日寛上人の文段に準じて二段となす。
①本尊の体徳
およそ本尊とはわれら衆生が受持する法体であり、信じて題目を唱うるところの大曼荼羅である。まさしく本尊を明かしたところの本抄の大意は、在世八品の本尊ではない。在世の本門八品の儀式は、ただこれ在世脱益の本尊であって、末法下種の本尊ではない。ゆえに本抄の中に、具さにこれを簡別して、文底神秘の大法・本地難思・境智冥合・本有無作・事の一念三千の妙法をもって末法幼稚の本尊となしているのである。これすなわち、本抄所宣の元意である。
また事の一念三千についても、諸門流の義は異論がまちまちである。当流の意は次のごとし、
迹門は諸法実相に約して一念三千を明かすゆえに理の一念三千と名づく。
本門は因果国に約して一念三千を明かすゆえに事の一念三千と名づく。
ただ文底神秘の久遠元初自受用身即一念三千をもって事の一念三千と名づくるのである。
また、久遠元初自受用身の身相をたずぬるに、日本国中の諸門流の輩は劣応・勝応・報身・法身・応仏昇進の自受用身を知って、いまだ久遠元初の自受用身を知らないのである。ゆえに日蓮の名を冠にする流派は数多くあるけれども、同じく本尊に迷っているのである。久遠元初の自受用身とは、本地難思・境智冥合・本有無作の真仏であらせられ、名字凡夫の当体・本因妙の教主であらせられる。
三世諸仏総勘文教相廃立にいわく、
「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時 我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき」(0568:13)と。
久遠のゆえに五百塵点といい、元初のゆえに当初と言う。知の一字は本地難思の智妙であり、我が身等は本地難思の境妙のことである。この境と智とが冥合して南無妙法蓮華経と唱うるゆえに即座に開悟し、久遠元初の自受用身とあらわれるのである。
この自受用身の色法の境妙も一念三千の南無妙法蓮華経である。すなわち釈尊の五大即十法界の五大である。地獄界より仏界にいたる十法界のおのおのが異なるが、その構成要素たる五大種は即一である。すなわち、 三世諸仏総勘文教相廃立に、
「五行とは地水火風空なり五大種とも五薀とも五戒とも五常とも五方とも五智とも五時とも云う、只一物・経経の異説なり内典・外典・名目の異名なり、今経に之を開して一切衆生の心中の五仏性・五智の如来の種子と説けり 是則ち妙法蓮華経の五字なり、此の五字を以て人身の体を造るなり本有常住なり」(0568:01)
とおおせられているのがこれである。
また、この自受用身の心法の智妙も、一念三千の南無妙法蓮華経である。すなわち、
当体義抄にいわく、
「至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時・因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し」(0513:04)
この文に「因果倶時・不思議の一法」とは、すなわち自受用身の一念の心法であるゆえに一法という。因果倶時のゆえに蓮華と名づく。不思議の一法なるゆえに妙法と名づけるのである。この妙法蓮華経の一念の心法に十界三千の諸法を具足しているのであるから、自受用の妙心・妙智が一念三千の南無妙法蓮華経である。
また、この無始の色心すなわち妙境と妙智とが、境智冥合するところに因果があり、ゆえに天台大師は「境智冥合則因果あり、境を照らす末だ窮らざるを因と名づく、源を尽くすを果と名づく」等と」おおせられている。「境を照らす末だ窮らず」とは、自分の智が、まだ客観世界を見きわめえない状態で、すなわちこれは下種家の本因妙・九界である。「源を尽くす」とは、智が客観世界をきわめつくすのであり、すなわちこれは下種家の本果妙・仏界である。この本因・本果は、刹那の始終・一念の因果であって、真の十界互具・百界千如・一念三千の南無妙法蓮華経である。このように本地難思の境智冥合・本有無作の事の一念三千の南無妙法蓮華経を証得するのを、久遠元初の自受用身と名づけるのである。この時に、法をたずねれば、人の外に別の法なく全体が即法である。この時、人をたずねれば、法の外に別の人なく、法の全体が即人である。すでに境智冥合して人法一体であるから、事の一念三千と名づけるのである。ゆえに日蓮大聖人は「自受用身即一念三千」また伝教大師いわく「一念三千即自受用身」等とおおせられるが、これはすなわち今ここに説き明かそうとする御本尊のことであり、ゆえに事の一念三千の本尊というのである。
この久遠元初の自受用身が末法に出現して、日蓮大聖人とあらわれ給うといえども「雖近而不見」にして、だれびとも自受用身即一念三千を知らぬゆえにことごとく本尊に迷っている。本尊に迷うがゆえに、わが色心に迷う。わが色心に迷うがゆえに生死を離れることができない。ゆえに本仏・大聖人は大慈悲を起こして、大聖人の証徳し給うところの全体を、一幅の大曼荼羅に図顕して末法幼稚のわれら一切衆生にこれを授けられたのである。ゆえにわれわれはただこの御本尊を信じ、余事を雑えることなく南無妙法蓮華経と唱え奉れば、その深義を理解することができなくても、自然に自受用身即一念三千の本尊を知ることになる。すでに本尊を知ることにならば、わが色心の全体が事の一念三千の本尊であることを知ることになる。たとえば幼児が乳の味を知らなくても、自然にその身を成長し、名医の良薬は、その理を知らなくても、服すれば自然に病の癒えるのと同じである。これすなわち本尊の仏力・法力のあらわすところの功徳である。けっして疑ってはならない。
②本尊の名義
本尊と名づけるものは、外道にも、内道にも、権教にも、実教にも、迹門にも、本門にも通じている。ゆえに、あらゆる宗派はことごとく主師親をもって、それぞれ本尊となしているのである。
開目抄にいわく「夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり」(0186:01)とおおせられているのがこの意である。このように各宗派にあって「根本と為して尊敬する」ものを本尊と名づけるのである。
さて、このように、各宗派とも本尊を立てているから、その当体は天地雲泥の相違がある。儒教にあっては三皇五帝を本尊とし、キリスト教は神を、また狐、蛇等の畜生を本尊とするものもある。仏教では、倶舎・成美・律ならびに禅宗等は、三鞍・劣応の小釈迦を本尊とす。法相・三論の二宗は通教の勝応身・大釈迦を本尊とす。浄土宗は阿弥陀仏を、華厳宗は廬遮那報身を、真言宗は大日如来を本尊とす。また、あるいは弘法大師のごとく、祖師であるからといって本尊とするものもある。天台大師は、止観の四種三昧のときは阿弥陀をもって本尊となし、別時の一念三千の時は南岳所伝の十一面観音をもって本尊となし、まさしく法華三昧の中には但法華経一部をもって本尊と定めた。また伝教大師は、迹門戒壇に四教開会の迹門の教主釈尊を本尊とした。また根本中堂の本尊は薬師如来であるが、これについては多くの相伝があるという。
このように、各宗各派によって多くの本尊があるけれども、すべて根本となして尊敬しているものがすなわち本尊である。日蓮仏法もまたそのとおりである。文底深秘の大法・本地難思の境智冥合・久遠元初の自受用報身・本有無作の事の一念三千の南無妙法蓮華経を根本となして尊敬し、これを本尊と名づけるのである。これすなわち十方三世諸仏の御本尊であり、末法下種の主師親であらせられるがゆえである。
本尊問答抄にいわく、
「問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし、問うて云く何れの経文何れの人師の釈にか出でたるや、答う法華経の第四法師品に云く『薬王在在処処に若しは説き若しは読み若しは誦し若しは書き若しは経巻所住の処には 皆応に七宝の塔を起てて極めて高広厳飾なら令むべし復舎利を安んずることを須いじ所以は何ん此の中には已に如来の全身有す』等云云、涅槃経の第四如来性品に云く『復次に迦葉諸仏の師とする所は所謂法なり是の故に如来恭敬供養す法常なるを以ての故に諸仏も亦常なり』云云、 天台大師の法華三昧に云く『道場の中に於て好き高座を敷き法華経一部を安置し亦必ずしも形像舎利並びに余の経典を安くべからず唯法華経一部を置け』等云云。疑つて云く天台大師の摩訶止観の第二の四種三昧の御本尊は阿弥陀仏なり、不空三蔵の法華経の観智の儀軌は釈迦多宝を以て法華経の本尊とせり、汝何ぞ此等の義に相違するや、 答えて云く是れ私の義にあらず上に出だすところの経文並びに天台大師の御釈なり、但し摩訶止観の四種三昧の本尊は阿弥陀仏とは彼は常坐・常行・非行非坐の三種の本尊は阿弥陀仏なり、文殊問経・般舟三昧経・請観音経等による、是れ爾前の諸経の内・未顕真実の経なり、半行半坐三昧には二あり、一には方等経の七仏・八菩薩等を本尊とす彼の経による、二には法華経の釈迦・多宝等を引き奉れども法華三昧を以て案ずるに法華経を本尊とすべし、 不空三蔵の法華儀軌は宝塔品の文によれり、此れは法華経の教主を本尊とす法華経の正意にはあらず、上に挙ぐる所の本尊は釈迦・多宝・十方の諸仏の御本尊・法華経の行者の正意なり」(0365:01)
その他類文は繁多のゆえに省く。
さて、この本尊に人法があり、人は即久遠元初の自受用報身・法は即事の一念三千の大曼荼羅である。人に即してこれ法のゆえに事の一念三千の大曼荼羅をもって主師親となす。法に即してこれ人のゆえに久遠元初の自受用身日蓮大聖人をもって主師親となす。人法の名は異なれども、その体は恒に一つである。これすなわち末法われが下種の主師親の三徳である。しかるに、日本国じゅうの諸門流は己の主師親を知らないで在世脱益の三徳に執着し、他人の主師親をもって自分の主師親とし、かえって己の主師親を卑下している。じつにあわれむべく悲しむべき現状である。
蒙抄には「この本尊は本有の尊像なり、ゆえに本尊という」と。忠抄には「本門事具の三千の尊敬なり、ゆえに本尊という」と。日我抄には「本とは本地・尊とは迹仏の思慮に及ばず無始色心妙境妙智の尊体なり、ゆえに本尊という」と。これらの諸義は皆一分の義で、正義は先に示したとおりである。
(四)総結
当抄の題号に多くの意を含む。今、日寛上人の釈を略して示す。
一、三大秘法を含む
「如来滅後五の五百歳に始む」とは、すなわち正像末弘の意である。「観心」の二字は、すなわち題目である。そのゆえは本門の題目とは、但本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉ることであり、今この観心もまた、本尊を信じて南無軽報蓮華経と唱える義であるから、観心即題目である。「本尊」の二字は、まさしくこれ本門の本尊であり、その本尊所住の処は本門の戒壇である。ゆえに当抄の題号は正像末弘の三大秘法である。
二、事の一念三千を含む
「如来滅後五五百歳に始む」とは末法弘通の始めであり、「観心本尊」とは弘通するところの事の一念三千である。すなわち「観心」の二字はわれら衆生が能く行ずる意味で九界であり、「本尊」の二字は一念三千即自受用身の仏界である。われらが一心に御本尊を信じ奉れば、本尊の全体が即我が己心であり、ゆえに仏界即九界である。ゆえに「観心本尊」の四字は、即十界互具・百界千如・事の一念三千である。ゆえに「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」とは、また末法弘通の事の一念三千である。
三、本因の四妙を含む
「如来滅後五五百歳」とは、すなわち末法下種の始めである。「観心本尊」は、すなわち本因妙であり、この本因妙にまた境智行位の四妙を具すのである。「本尊」とはすなわちこれ境妙である。「観心」とはすなわちわれらが信心口唱である。信心とは智妙であり、口唱は行妙であり、これを信じ唱うるわれらはすなわち理即但妄の位妙である。この四妙を合して種家の本因妙と名づける。すなわち四妙の名は同じであっても、脱家の本因妙とは天地の相違があるわけである。ゆえに「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」とは末法下種の本因妙抄である。
四、事行の題目を含む
「如来滅後五五百歳始」とは末法事行の始めである。「観心本尊」とは事行の題目である。すなわち観心は能修の九界であり、本尊は所修の仏界であるから、十界・十如が分明であり「法」の字に当たる。このように、九界と仏界が感応道交し能修と所修・境智冥合し、甚深の境界は言語同断・心行所滅であるから「妙」の字に当たる。また信心は題目を唱える始めであるから本因妙であり、題目を唱えるのは信心の終わりのゆえに本果妙である。これすなわち刹那の始終・一念の因果で「蓮華」に当たるのであり、この妙法蓮華経は本有常住であるから「経」の字に当たる。ゆえに「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」とは末法事行の題目抄である。
五、決定作仏の義を含む
如来滅後五五百歳に「始む」とは、すなわち末法下種の教主・本地自行の真仏・最極無上の仏力である。「本尊」とはすなわち久遠元初自証の本法・尊無過上の法力である。「観心」とはわれら衆生が本尊を信じ奉り、南無妙法蓮華経と唱うる義であるから、信力・行力ではないか。信力・行力・仏力・法力とは決定成仏の義をあらわすのである。もししからば「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」とは「於我滅度後・応受持此経・是人於仏道・決定無有疑抄」ともいうべきである。
鳳凰は樹を選んで栖み、賢人は王を選んで仕えるという。仏法を学ぶ者が、どうして、本尊を選ばないで信行できようか。もし正しい本尊でなければ、たとえ信力・行力を励んでも、仏種を成ずることはできない。本抄をよくよく拝して、法華経文上・脱益教相の本尊を簡別し、下種観心の本尊を肝に銘ずべきである。この御本尊は,三世の諸仏の恩師であり、八万法蔵の勧進であり、正中の正境・妙中の妙境である。ゆえに、この御本尊を一念も信解する功徳は五十展点の功徳にも超え「妙法経力即身成仏」といわれるのである。ゆえに、この御本尊は最極無上の尊体であらせられ、尊無過上の力用があらせられるのである。
末法の今日において、仏道を修行せんとする者は、すべからく信力・行力の観心を励むべきである。智慧第一の弟子といわれた舎利弗すら、なお信をもって得道することができたのである。いわんや末代の愚人たるわれらは、信心なくしては、けっして成仏得道がないわけである。像法の智者と仰がれた天台大師ですら、なお毎日一万遍の題目を唱えたという。どうして末代のわれらが題目を唱えないでおられようか。さいわいにして人身を受けたのに、今生を空しく終わるならば、万劫にもふたたび人身を受けがたいのである。一生を空しく過ごして永劫悔ゆることなかれ。
本朝沙門日蓮について
一、本朝沙門の義
本朝とは日本国のことであり、沙門とは出家して仏道を修める者の通号である。沙門はまた桑門ともいい、勤息と釈すのである。善法を修して悪法を止息する者の意である。
とくに本朝沙門と記されたゆえんのものは、日本国こそ、民衆救済の御本尊御出現の所であり、仏道を修する僧侶によってのみ、なされることを意味したものである。
二、日文字の義
日文字については重々の口伝がある。釈尊の氏は、あるいは日種と号し、日種太子とも呼ばれた。また慧日大聖尊とも号したが大聖尊とはすなわち大聖人の意である。唯我一人というも唯我独尊というも同意であり、尊とは人である。また、本化地涌の菩薩をば神力品に「日月の光明の如く…能く衆生の闇を滅す」と説かれている。これすなわち本化の大菩薩を日月にたとえ、また、その地涌の菩薩の出現する国の名は日本であり、その日本国の御主を日の神と呼び、しかも本門戒壇の建立されるべき地を大日蓮華山という。みなこれ日の字を用いられたことは自然の道理ではないか。
このゆえに文底下種の教主であらせられるがゆえに、日蓮とお名のりあそばされたのである。なおこれらの深義については、次の諸御書を参照にするとよい。
撰時抄、
「摩耶夫人は日をはらむとゆめにみて悉達太子をうませ給う、かるがゆへに仏のわらわなをば 日種という、日本国と申すは天照太神の日天にてましますゆへなり」(0282:12)
産湯相承抄,
「富士は郡名なり実名をば大日蓮華山と云うなり、我中道を修行する故に是くの如く国をば日本と云い神をば日神と申し仏の童名をば日種太子と申し予が童名をば善日・仮名は是生・実名は即ち日蓮なり」(0879:09)
百六箇抄、
「久遠元始の天上天下・唯我独尊は日蓮是なり、久遠は本・今日は迹なり、三世常住の日蓮は名字の利生なり」(0863:06)
三、蓮の字の義
蓮の字には泥の中より生じて泥に染まらない徳、種子を失わざる徳、因果倶時の徳、その他十八円満等の種々の深があり、また本化地涌の菩薩をば湧出品に「蓮華の水に在るが如し」と説かれており、しかも弘通し給う法は妙法蓮華経である。しかしこれらの深義をここに説きつくすことはできない。また次の諸御書もあわせ拝読すべきである。
当体義抄では、全体の大旨が蓮華の当体と譬喩について詳述されている。
十八円満抄には
「問うて云く十八円満の法門の出処如何、答えて云く源・蓮の一字より起れるなり、問うて云く此の事所釈に之を見たりや、答えて云く伝教大師の修禅寺相伝の日記に之在り此法門は当世天台宗の奥義なり秘すべし秘すべし」(1362:01)とあり、以下、十八円満について詳説されている。
四、日蓮大聖人とは慧日大聖尊
慧日大聖尊とは、仏の通号であって、方便品第二に「慧日大聖尊久しくいまし此の法を説く云云」とある。すなわち日蓮大聖人と申し上げる御名は、慧日大聖尊と申し上げるのと同じである。ゆえに日蓮大聖人は、御自ら諸御抄に次のごとくおおせられているのである。
「日本第一の大人なりと申す」(0289:07)
「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」(0974:12)
「南無日蓮聖人ととなえんとすとも南無計りにてやあらんずらん」(0287:06)
また日文字は主師親の三徳を顕わす。章安大師は会疏第二に「日字に三義あり一には高く円明なるは主徳に譬え、万物を生長するは親徳に譬え、照了して闇を除くは師徳に譬う」と言っている。ゆえに諸御書には日蓮大聖人が、末法当世の主師親三徳を備えた本仏であるとおおせられているのである。
また日文字は唯我独尊の義を顕わす、韻会にいわく「通論にいわく天に二の日なし、ゆえに文において…一を日と為す」等云云、経にいわく「世に二仏なく国に二主なし、一仏境界に二尊なし」等云云、顕仏未来記にいわく「五天竺並びに漢土等にも法華経の行者之有るか如何、答えて云く四天下の中に全く二の日無し四海の内豈両主有らんや」(0508:01)等云云、百六箇抄にいわく「久遠元始の天上天下・唯我独尊は日蓮是なり」(0863:05)
以上のようにお示しのごとく日文字が顕すところの日蓮大聖人の御名は慧日大聖尊と同号であらせられ、主師親の三徳を備えた久遠元初の唯我独尊であらせられる。されば文底下種の教主であらせられ、末法今時の人本尊であらせられることが明らかではないか。
しかるに日本国中の日蓮の名を冠に置く諸門流はこの義を知らず、あるいは釈尊を仏宝となし、大聖人を僧宝に下し、あるいは日蓮大菩薩と下して本尊に迷っているのは、ことごとく誤謬の甚だしいものといわなければならない。
実に久遠元初においては自受用報身と号し、霊鷲山においては上行菩薩と号し、末法においては日蓮大聖人と号されているが、名字は異なれども一体の御利益であらせられる。ゆえに百六箇抄に「本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮」(0854:03)とおおせられているのである。また日興上人の御弟子の三位日順は、詮要抄に「久遠元初の自受用身とは蓮祖聖人の御事なりと取り定め申すべきなり」等と言っているのである。しかるに諸門流の学者は、ただ上行菩薩の再誕であらせられることのみを知って、いまだ久遠元初の自受用身であらせられることを知らない。その上かえって大聖人の正義を破ろうとしているさまは、妙楽が次に言っているがごとき呵責を蒙ることになる。
籤八にいわく「学者・法をやぶり人を毀る・良に体同名異を知らざるによる。天主の千名を識らず・しこうして憍尸はこれ帝釈ならずとおもう、ゆえに弘教者はここに旨を失い、恐らくは弘法利他の功は秘法毀人の失を補わず」と。
たとえいかなる立派な法を説き、いかに私利私欲を捨てて民衆を救うために努力しようとしても、久遠元初の自受用身が即日蓮大聖人であらせられることを知らず、正法の正義を非難するならば、弘法利他の功はさらになく、その謗法の罪は絶対に消えることがないのである。
この義を知らぬ輩は、日蓮大聖人は上行菩薩の再誕であるのに、どうして久遠元初の自受用身というか、との疑念をもつであろう。しかし天台大師は薬王の再誕・伝教大師は後身であるが、山門の口伝には天台・伝教を教主釈尊と呼んでいる、と日寛上人が仰せられているように、久遠元初の自受用身の垂迹は上行再誕であり、上行菩薩の再誕は日蓮大聖人であらせられるから、久遠元初の自受用身は即日蓮大聖人であらせられるのである。
第一章(一念三千の出処を示す)
本文
如来滅後五五百歳始観心本尊抄 本朝沙門日蓮撰 文永十年 五十二歳御作
摩訶止観第五に云く世間と如是と一なり開合の異なり。
「夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す、此の三千・一念の心に在り若し心無んば而已介爾も心有れば即ち三千を具す乃至所以に称して不可思議境と為す意此に在り」等云云或本に云く一界に三種の世間を具す。
現代語訳
摩訶止観の第五にいわく
「夫れ一心に十法界を具し、一法界に又十法界を具すれば百法界である。この百法界の一界に三十種の世間を具すれば即ち一心に三千種の世間を具することになる。この三千世間は一念の心にあり、もし心がなければ三千を具することがない。ほんのわずかばかりの心でもあれば即ち三千を具するのである。ないし所以に不可思議境と称し、意は此にあるのである」。
語釈
摩訶止観
略して止観ともいう。天台大師智顗が隋の開皇14年(0594)4月26日から一夏九旬にわたって荊州玉泉寺で講述したものを、弟子の章安大師灌頂が筆録した書である。本書で天台大師は、仏教の実践修行を〝止観〟として詳細に体系化した。それが前代未聞のすぐれたものであるので、梵語で偉大なという意の〝摩訶〟がつけられている。〝止〟とは外界や迷いに動かされずに心を静止させることであり、それによって正しい智慧を起こして対象を観察することを〝観〟という。内容として、法華経の一心三観・一念三千の法門を開き顕し、それを己心に証得する修行の方軌を示しており、天台大師の出世の本懐とされる。構成は、章安大師の序分と天台大師の正説分からなっている。正説分として①大意、②釈名、③体相、④摂法、⑤偏円、⑥方便、⑦正修、⑧果報、⑨起教、⑩旨帰、の十章が立てられており、これを「十広」ともいう。しかしながら、⑦正修章において十境を立てるなか、十境中の第八増上慢境以下は欠文のまま終わっている。
世間と如是と一なり開合の異なり
止観の第五には、一念三千を明かす文が二つあるが、開釈のなかでは如是に約し、結成のなかでは世間に約して法数を成ずるから、計算の過程においては、次のような違いがある。
開釈 …… 百界-三百世間-三千如是 になる。
結成 …… 百界-千如是――三千世間 となる。
以上のように、開釈のなかでは三千如是で結び、結成のなかでは三千世間となっているが、三千の数量を成ずることに変わりなく、その途中において、あるいは世間を合して如是を開き、あるいは如是を合して世間を開いているだけの相違であるから、「世間と如是と一なり開合の異なり」とおおせられているのである。
一念三千を明かすのに、天台は法華経方便品の十如の文によったのであるから、如是に約すべきであり、世間に約すのはおかしいという疑問があるが、天台は迹面本裏といって、一往迹門を表面に立てて、裏に本門の意をおいて一念三千を説いた。したがって、開釈のなかで迹門の如是に約して法数を成じ、結成のなかでは、国土世間のあらわれた本門の意によって法数を成じているのである。十章抄には「一念三千の出処は略開三の十如実相なれども義分は本門に限る」とある。
十法界
十界と同義。凡聖迷悟の一切の世界を十種に分類したもの。地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界をいう。「十界」の明文は経論にはないが、法華経法師功徳品第十九には「三千大千世界の下阿鼻地獄に至り、上有頂に至る、其の中の内外の種種の所有る語言」として挙げられているなかに、地獄声・畜生声・餓鬼声・比丘声・比丘尼声・声聞声・辟支仏声・菩薩声・仏声などがある。また大智度論巻二十七には「四種の道あり。声聞道・辟支仏道・菩薩道・仏道なり……復六種の道あり。地獄道・畜生・餓鬼・人・天・阿修羅道なり」とあり、十界の名称が出そろっていたことが分かる。これらの経釈を受けて、天台大師の法華玄義巻二上には「気類相似を取って合して四番と為す。初めに四趣、次に人天、次に二乗、次に菩薩・仏なり」とある。十を通じて法界と名づける理由について、法華玄義巻二上には「今権実を明かすとは十如是を以って十法界に約す、謂く六道四聖なり。皆法界と称することは其の意三あり。十数皆法界に依る、法界の外に更に復法なし。能所合称するが故に十法界と言うなり。二には此の十種の法は分斉同じからず、因果隔別し凡聖異あるが故に、之に加うるに界を以ってするなり。三には此の十は皆即ち法界にして一切法を摂す。一切法は地獄に趣く、是の趣過ぎず。当体即ち理にして更に所依なきが故に法界と名づく。乃至仏法界も亦復是くの如し」と釈している。
或本に云く一界に三種の世間を具す
引用されている本は、十如のそれぞれに三世間を具する意であるから、三十種の世間を具すれば、「一界に……」となる。「或本」のほうは、十如の中の一如是に約するから、三種の世間という。一をあげて九に例するのである。両方とも十如を挙げていないが、十界と三世間をあげて、おのずから十如を含め顕わしているのである。
講義
摩訶止観の文を通解のように理解すれば、ただ止観の第五の文を表面的に解釈したのにすぎない。すなわちこれは附文の辺である。もし観心の本尊を明かすに当たって最初にこの文を引かれた元意はまったく事行の一念三千の御本尊の相貌をお示しになったのであり、したがって次のごとく拝すべしと日寛上人はおおせられている。
最初は本尊の文で「夫れ一心」の一心とは、すなわち久遠元初自受用身の一念の心法でありすなわち御本尊の中央の南無妙法蓮華経である。「十法界を具す」というのは南無妙法蓮華経の左右にしたためられている仏・菩薩・梵天・帝釈・鬼子母神等によって、左右の十界互具・百界千如・三千世間が顕わされている。
ゆえにこの御本尊は久遠元初の自受用身たる日蓮大聖人の心具の十界三千(ご生命)の相貌である。ゆえに宗祖のおおせには「此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし……日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし」(1124:07)と。次に観心の文で「此の三千一念の心に在り」とは、この一念三千の御本尊がまったく余所にあることなく、ただわれら衆生の信心の中にあり、もし信心がなければ一念三千を具することがない、「介爾も心有れば」とは介爾ばかりの微細の信心でもあれば、一念三千の本尊を我が一身に具することができるとのことである。次に結文で「不可思議境」等とは本尊を結す。不可思議境とは妙境をいい、妙境とは南無妙法蓮華経の御本尊をいうのである。「意此に在り」とは観心を結して天台大師の深意はまさしくここにありとのおおせである。
問う、信ずる者の一念に三千を具足し、不信者は三千を具さないというならば、十界の依正は悉く妙法蓮華経の当体であるとの御書の意に反するがどうか。
答う、若し理によって論ずるならば法界にあらざるはなく悉く三千の当体である。いま事について論ずれば信・不信によって具・不具が定まるのである。当体義抄においても十界の依正悉く妙法の当体なりとおおせられているが、さらに正直に方便を捨てて但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱える日蓮の弟子檀那が本門寿量の当体蓮華仏であるとおおせられているのである。このように文底下種の法華経たる三大秘法の御本尊を信じないならば、当体蓮華の仏と顕われることがないのである。妙楽は「取着一念・不具三千」と説いているが、もし文上の熟脱の釈迦本尊に執着して文底下種の信心がないならば、どうして一念三千の本尊を具すことができようか。たとえば水のない池には月の影がうつることなく少しばかりの水でもあればすなわち影をうつすのと同じである。
問う、「夫れ一心」の文をそのように解釈するのは前代未聞であるがどうか。
答う、不相伝家にはとうていうかがい知ることができない深義であり、これこそ日蓮大聖人の御正意であるから次に甚深の御相伝を示そう。
本因妙抄にいわく、
「観行理観の一念三千を開して名字自行の一念三千を顕す、大師の深意・釈尊の慈悲・上行所伝の秘曲・是なり」(0872:10)
すなわち釈尊も天台も窮極において志す仏法の最大秘密の大法は、事行の一念三千の御本尊であらせられる。これこそ上行所伝の秘曲であり、日蓮大聖人御建立の御本尊であらせられるのである。
以上、日寛上人の文段にもとづいて論じたが、さらに、ここで一念三千の一念について考察し、十界互具等については、後章にゆずり、ここでは省略することにする。
一念について
一念というと、一般的には、心に深く思い込むこと、心に強く信ずること、ふと思い出すこと、きわめて短い時間等の意味があるが、そのもとは、仏法から出ているのである。
所詮、生命の奥底を説ききる仏法においては一念の問題が最重要問題であり、この解決にあらゆる聖賢がいっさいの努力を払ったといっても過言ではない。
一念三千の哲理も、一念を十界互具、百界千如、三千世間で説明しようとしたものであり、法華経の極理も、この解明に徹しきっていることはいうまでもない。
いま、われわれは、この一念の問題を、仏法に説くところにしたがって、漸次考察していこうと思う。
仏法で説く一念にはおよそ次の二つの意味がある
(1)時間の短少なることをあらわす
法華経神力品第二十一、普賢経には弾指を説かれている。一弾指は、おや指と中指をもって人さし指を圧し、急に人さし指をはずして弾声を発する時間をいう。この一弾指を六十分にしたものを一念とする。大智度論第三十に「一弾指の頃に六十念あり」として、同三十八に「時の中にもっとも小なるものは六十念中の一念なり、大なる時を劫と名づく」とある。仁王経上に「九十刹那を一念となす」、止観三上に「六百生滅を一念となす」、また「六十刹那を一念となす」等とある。種々の説があるが、いずれも文句八上に「一念は時節の極促なり」とあるごとく、刹那、瞬間の時間をさすのである。
(2)瞬間の生命をさす
天台は一念を一心ともいい、妙楽は一心法といっている。止観正観章中の一念三千を明かす文にある一念、すなわち一念三千の一念もこれである。天台は、一瞬の生命をとらえて、これを子細に観察してみれば、そこに十界、百界千如、三千世間が具足することを明かしたのである。妙楽もまた、「初めに一念において唯一念の時頃(時の間)を経るにあらず、一心法をさして、名づけて一念となす」といい、一念とはたんなる時間の微小なことをいうのみではなく、瞬間の心法(生命)をさしていることを明かしている。
十八円満抄に「一念円満謂く根塵相対して一念の心起るに三千世間を具するが故に」(1362:12)とあるのもこの意である。心王と心数でいえば、心王にあたるものである。また持妙法華問答抄に「命已に一念にすぎざれば仏は一念随喜の功徳と説き給へり」(0466:14)とあるのも、やはり瞬間瞬間の生命をさしていっているのである。
まことに、生命ほど不思議なものはない。瞬間瞬間の生命に、幸、不幸を感じ、因果を具足し、森羅万象も、過去遠々劫、未来永劫をはらみ、善悪も、色心二法もことごとく具足しているのである。西欧でいうたんなる「こころ」というような観念的な意味ではない。あらゆるものを包含しているがゆえに、これを究明した哲学もまた、あらゆる哲学を、あらゆる思想をリードしていくところの大哲学である。
しかして、これを、遠くは三千年前に釈尊が法華経において説き、像法時代の天台は、観念観法という実践的立ち場から説き、七百年前に出現された、日蓮大聖人は、それらをも包含し、さらに徹底して瞬間の生命に言及し、しかも受持即観心を説き明かし、末法の一切衆生救済の大哲理を示されたのであった。
まさに、日蓮大聖人の仏法こそ、全思想界の最高峰であり、「智者に我義破られずば用いじとなり」との大宣言、大確信のごとく、唯一無二の哲理であり、東洋哲学の真髄である。
いま、これを示すのに、①色心不二の一念であること ②善悪を起こす根本の一念であること ③依正不二の一念であること ④因果倶時の一念であることをあげ、さらに ⑤信心の一念であること ⑥御本尊の中央の南無妙法蓮華経であることを論じていきたい。
① 色心不二の一念である
一念というのは、けっして西洋哲学でいう「観念」とか「こころ」といったものではない。「観念」とか「こころ」は、肉体や物質を離れたものとして考えられている。仏法で説く一念は、色心不二の一念である。
一念三千理事には「十如是とは如是相は身なり玄二に云く相以て外に拠る覧て別つ可し文籤六に云く相は唯色に在り文、如是性は心なり玄二に云く性以て内に拠る自分改めず文籤六に云く性は唯心に在り文、如是体は身と心となり玄二に云く主質を名けて体となす文、如是力は身と心となり止に云く力は堪忍を用となす文、如是作は身と心となり止に云く建立を作と名く文、如是因は心なり止に云く因とは果を招くを因と為す亦名けて業となす文、如是縁止に云く縁は縁業を助くるに由る文、如是果止に云く果は剋獲を果と為す文、如是報止に云く報は酬因を報と曰う文、如是本末究竟等玄二に云く初めの相を本と為し後ちの報を末と為す文」(0407:11)とある。
このように、十如是が色心にわたることは明らかである。十如が一念に収まる以上、色心の二法はともに一念に具わるのである。
また、一念に空仮中が具わる、空諦は心法、仮諦は色法、中諦は色心二法、ゆえに一念は色心総在の一念なのである。
また、日寛上人は、当体義抄文段に「問う因果倶時不思議の一法とはその体何物ぞや、答うすなわちこれ一念の心法なり、ゆえに伝教の釈を引いて一心の妙法蓮華というなり、まさに知るべし一念の心法とはすなわちこれ色心総在の一念なり、妙楽の総在一念というは別して色心に分け、別を摂し総に入る等とこれなり」とおおせられている。
たしかに、地獄の苦にさいなまれている人は、その時の苦悩は顔やからだ全体に、にじみ出てくる。餓鬼道におちこんでいる人は、それがありありと色法にあらわれ、修羅の境涯の人も、天界の境涯の人も、それぞれの心法が、厳然と色法にあらわれるのである。
逆に色心の変化は、即座に心法に影響し、さまざまな心の変化をきたす。色法は心法に、心法は色法にと、たがいに影響し合い、一体不二なる関係をたもっているのが、生命の実体なのである。
最近の物理学などでも、素粒子の世界が究明されつつあり、それにともない、質量とエネルギーが同一のものの別形態であり、瞬間瞬間にエネルギーが質量に、質量がエネルギーにと変化していることが判明している。これなども、広く論ずれば色心不二に通ずるものである。また、すべての物質は、粒子の性格だけではなく、波の性格もあるとされ、それが物質波と名づけられるなど、森羅万象が、たんなる一面的な見方だけではとらえられないことが明らかとなっている。
生命学においても、色心不二に近い発想をする学者がしだいにあらわれるようになり、また医学においても、実際に患者を扱うところから、従来の唯物的な生命観ではどうすることもできず、病気の治療にとっては、精神面の働きが重要であることを痛感しないわけにはゆかなくなっているのである。最近とみに精神身体医学が叫ばれるようになったのも、そのあらわれである。
このように、現代科学も、帰納的に仏法の説く色心不二の生命哲学の正しさを証明しつつあるのが時代の趨勢であり、しかも、現実に、われわれの生活の実相は、色心不二なのである。
御義口伝にいわく「色心不二なるを一極と云うなり」(0708:04)と。
色心不二の生命哲学こそ、最高、究極の哲学であることが示されている。この大聖人の呼号こそ、かならずや全世界に行きわたり、矛盾と混乱とにみちた思想界、哲学界にくさびを打ち込み、かつまた、唯物、唯心の二大思想をリードし、世界平和達成の指針となることは必然であると確信してやまない。
② 善悪を起こす根本の一念である
瞬間の生命に、善悪がともに具わるのである。
妙楽の止観輔行伝弘決の八には「一念というは極促一刹那をいうにあらず、いわく善悪業成を名づけて一念となす」とあり、一念は善悪を起こす根本であることが示されている。
当体義抄には「法性の妙理に染浄の二法有り染法は熏じて迷と成り浄法は熏じて悟と成る悟は即ち仏界なり迷は即ち衆生なり、此の迷悟の二法二なりと雖も然も法性真如の一理なり」(0510:06)とあり、また治病抄には「法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶備われり元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」(0997:07)とおおせられ、善悪ともに備わったその本質が生命なりと示されているのである。
中国の荀子や孟子は、人間の本質を性悪だけとしたり、性善だけとしたりしているが、これは、人間生命の本質を、一面的に見たにすぎず、部分観であり、偏見であり、ともに仏法の善悪不二の生命観に摂せられるのである。
また、現今の多くの思想哲学は、煩悩や我欲が、不幸の根本であるとし、これを断ち、あるいは、はなれるべきことを教えているが、これまたあまりに、観念的であり、生活の実相を見失った偏見である。
低き思想、哲学なるゆえ、煩悩を忌み、我欲を嫌い、あたかも、聖人君主のごとき特別な人間を理想とするのである。それこそ現実からはなれようとするものであり、逃避の哲学なのである。
力ある思想、哲学は、煩悩、我欲に左右されない自己を形成していくがゆえに、それらを断ずる必要はないのである。むしろ、それらを用い、幸福の方向へと転換させていくのである。
また、煩悩を断ずるというのは、たんなる架空の議論であり、現実にはできるものではない。人間の生活を虚心にながめるならば、瞬間瞬間が煩悩即菩提を願っての生活なのである。
善悪不二こそ、生命のあるがままの実相であり、これを説ききった仏法こそ、人間性を最高度に発揚させる大哲学であり、人間のあまりにも自然な欲求を満足し、幸福へと導く大哲理である。
③ 依正不二の一念である
聖愚問答抄上には「此の妙法蓮華経は一代の観門を一念にすべ十界の依正を三千につづめたり」(0487:01)とあり、依正がともに一念に具足していることが示されている。また三世間のうち国土世間は依法である。すでに三世間が一念のなかに具足することが説かれているのである。したがって、依正不二の一念であることは明瞭である。この依正不二の原理からすれば、宇宙の森羅万象は、ことごとく、一念に具足するのである。妙楽は文句記に「ゆえに成道の時この本理にかのうて、一身一念法界に遍し」と述べているのである。文中「法界」とは、宇宙の森羅万象を意味する。また一生成仏抄に「一心法界の旨とは十界三千の依正色心・非情草木・虚空刹土いづれも除かず・ちりも残らず一念の心に収めて此の一念の心・法界に徧満するを指して万法とは云うなり」(0383:04)とあり、われわれの生命が大宇宙に遍ずることが明かされている。
依正不二については、後に詳論するところであるが、今はこれによって、われわれの生命は、環境と不可分であること、また自己の一念によって、環境を変え、国土まで楽土にしていくことができること、さらに、瞬間瞬間宇宙の大リズムと合致した生活をしていく方途が示されたことをあげるにとどめておく。
④ 因果倶時の一念である
当体義抄には「至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時・因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し之を修行する者は仏因・仏果・同時に之を得るなり、聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば妙因・妙果・倶時に感得し給うが故に妙覚果満の如来と成り給いしなり」(0513:04)とのおおせがある。
このなかの「因果倶時不思議の一法」とは、一心の妙法蓮華経であり、色心総在の一念であることは、さきに当体義抄文段を引いて示したとおりである。当体義抄文段には、さらに一念の生命における因果倶時の相貌を明かしている。
「一には一往九因一果に約す。いわくこの一念の心に十法界を具す。九界を因となし仏界を果となす。十界宛然といえども互具互融して一念の心法にあり。ゆえに因果倶時不思議の一法というなり、二には再往各具に約す。しばらく地獄の因果の如き悪の境智和合すればすなわち因果有り。いわく瞋恚はこれ悪口の因、悪口はこれ瞋恚の果、因果を具すといえどもただ刹那にあり。ゆえに因果倶時不思議の一法というなり。……善の境智和合すればすなわち因果あり、いわく信心はこれ唱題の因、唱題はこれ信心の果、因果を具すといえども唯一念にあり。ゆえに因果倶時不思議の一法というなり。これ仏界の因果なり。略して始終をあぐ。中間の八界准説して知るべし」と。
歴劫修行が根幹となっている釈迦仏法は、因果異時の立ち場であり、受持即観心を説ききる日蓮大聖人の仏法は因果倶時の立ち場である。因果異時も因果倶時も生命の因果の両面である。生命のあらわれたる現象面を問題にすれば因果異時であり、生命の本源をたずねれば、因果倶時である。
佐渡御書に「人を軽しめば、還って我が身人に軽易せられん。形状端厳をそしれば醜陋の報いを得……是は常の因果の定れる法なり」(0960:03)とあるのは、過去の行業の果報を現在に受け、現在の行為が未来に影響する等の因果異時の立ち場である。したがって釈迦仏法では過去世の罪業を何回か生まれてきては一つずつ消していくのである。そのため現在は、ただ悪いことをしないようにといったていどの消極的な態度になってしまうのである。
日蓮大聖人の仏法は、瞬間瞬間の生命を説ききり、過去遠々劫の宿命をも転換し、未来永劫の福運も、この瞬間に決定づけるのである。本尊抄の、受持即観心を明かすところの「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」の文は、妙法を唱うる一念に、三世十方の諸仏のあらゆる因位の修行も、果位の万徳もそなわることを示されたものであり、因果倶時をあらわしているのである。因果倶時と因果異時については、さらに後に詳論することにする。
以上、瞬間瞬間の生命には、宇宙の森羅万象、色心、善悪、依正、因果をことごとく具足しているのである。結局、生命といっても瞬間の連続であって、瞬間以外に生命の実在はない。この瞬間の生命こそ、真実の存在で、仏法ではこれを中道法相といっているのである。いま、その瞬間と思った刹那は、ただちに過去となり、未来と思った瞬間は、現在となって、ただちに過去にうつるので、ありといえばなく、なしといえばあるという空の概念にあたる実在である。したがって、この瞬間が、生命全体といえるのである。実に、この瞬間の生命にこそ、たてに過去、現在、未来をも具し、横に三千万法をも具足するのである。なんと不思議ではないか、偉大ではないか。天台大師が、わが生命を不可思議境となしたのもゆえなくはない。
⑤ 信心の一念である
われわれは、いままで、生命に三千万法が具足していることを論じ、その立ち場から一念を論じてきた。だが、大聖人は、そればかりではなく、さらに一念三千の一念とは、信心の一念であり、理の上から論ずれば一切衆生ことごとく三千を具するが、事の上から論ずれば、信心のないものには、三千を具することはなく、ただ、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える信心の一念に三千万法を具足するのであることを説かれている。止観の正観章の文の元意も実にここにあり、すでに日寛上人の文段にもとづいて論じたところである。
それは、あたかも当体義抄において、冒頭には、一切衆生ことごとく妙法華経の当体であるとおおせられていながら、次には、信心のないものは妙法蓮華の当体ではない、ただ、日蓮大聖人の弟子檀那で、御本尊を信じ、妙法を唱える強盛なる信力行力を有するもののみが、当体蓮華の仏であると示されているのと同じである。
ゆえに、信心の一念にこそ、宇宙の三千万法も具足し、三世十方の諸仏、菩薩も己心におさまり、悠然たる人生行路を行くことができるのである。
⑥ 御本尊の中央の南無妙法蓮華経である
一念三千の究極は御本尊である。ゆえに本尊抄の結文には、「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」(0254:18)とある。この文の「仏」とは、久遠元初の自受用身即日蓮大聖人の御事である。すなわち、御本仏日蓮大聖人は、大慈悲を起こされて、妙法五字の本尊に自受用身即一念三千の相貌を図顕されて、末代幼稚の頸にかけてくださったのである。また、草木成仏口決に「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり、当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり」(1339:13)とあるのも、これとまったく同意である。
御本尊に約して一念三千を論ずれば、一念三千の一念とは、中央の南無妙法蓮華経であり、三千とは、左右の十界互具、百界千如、三千世間である。御本尊は、宇宙の森羅万象を一法も欠くることなく具足しているから輪円具足ともいい、三世十方の諸仏のあらゆる功徳が雲集しているから、功徳聚というのである。われわれが御本尊に帰命したてまつったときにわが一念に三千を具することができるのも、所詮は、御本尊が一念三千の当体だからである。
第二章(止観の前四等に一念三千を明かさざるを示す)
本文
問うて云く玄義に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く妙楽云く明かさず、問うて曰く文句に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く妙楽云く明かさず、問うて曰く其の妙楽の釈如何、答えて曰く並に未だ一念三千と云わず等云云、問うて曰く止観の一二三四等に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く之れ無し、問うて曰く其の証如何、答えて曰く妙楽云く「故に止観に至つて正しく観法を明かす並びに三千を以て指南と為す」等云云、疑つて曰く玄義第二に云く「又一法界に九法界を具すれば百法界に千如是」等云云、文句第一に云く「一入に十法界を具すれば一界又十界なり十界各十如是あれば即ち是れ一千」等云云、観音玄に云く「十法界交互なれば即ち百法界有り千種の性相・冥伏して心に在り現前せずと雖も宛然として具足す」等云云、問うて曰く止観の前の四に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く妙楽云く明さず、問うて云く其の釈如何、答う弘決第五に云く「若し正観に望めば全く未だ行を論ぜず亦二十五法に歴て事に約して解を生ず方に能く正修の方便と為すに堪えたり是の故に前の六をば皆解に属す」等云云、又云く「故に止観の正しく観法を明かすに至つて並びに三千を以て指南と為す乃ち是れ終窮究竟の極説なり故に序の中に「説己心中所行法門」と云う良に以所有るなり請う尋ね読まん者心に異縁無れ」等云云。
現代語訳
問う、玄義に一念三千の名目を明かしているか。
答う、妙楽は明かさないと言っている。
問う、文句に一念三千の名目を明かしているか。
答う、妙楽は明かさないと言っている。
問う、その妙楽の釈はどうか。
答う、「並びに未だ一念三千と云わず」と。
問う、止観の一・二・三・四等に一念三千の名目を明かしているか。
答う、明かしていない。
問う、その証拠があるか。
答う、妙楽がいわく「止観に至って正しく観法を明かすに当たり並びに三千を以て指南となしている」と。
疑っていわく、玄義第二には「又一法界に九法界を具すれば百法界に千如是となる」と、文句第一には「一入に十法界を具すれば一界が又十界である。十界が各十如是を具して即ち千如是となる」と、観音玄にいわく「十法界が交互に具して百法界となり、千種の性相は冥伏して心にあり、一時にその性相が現われるのではないが宛然(おんねん)として具足している」等とあり、これらの意はどうかとの疑いを設けている。その答えはないがこれらの意はすべて千如是を明かしており、一念三千を明かしていないことが文にあって明らかである。
問う、止観の前の四に一念三千の名目を明かしているか。
答う、妙楽は明かしていないと言っている。
問う、その妙楽の釈はどうか。
答う、弘決第五にいわく「若し止観の第五正観章に相対するならば、それまでの一・二・三・四等は全く未だ行を論じておらないでまた二十五法の修行等を明かし具体的な問題に約して解を生ぜしめている。正に能く正修のための方便となす修行であった。この故に前六章は皆解に属して正行ではなかった」と。またいわく「故に止観に至って正しく観法を明かす際に三千を以て指南となした。即ちこれが終窮究竟の極説である。故に止観会本・章安の序の中に『己心の中に行ずる所の法門を説く』といっているが、天台大師の己心に行ずる自行の法門が即ち一念三千であるとは誠に理由の深いことである。請い願わくば尋ね読まん者、この点において心に異縁を生じてはならない」と。
語釈
玄義
妙法蓮華経玄義のこと。十巻。天台大師智顗講述、章安大師灌頂筆記。法華玄義ともいう。法華経の題号である妙法蓮華経の深義を明かした書で、法華文句とともに、天台教学の教相を説いたもの。妙法蓮華経の題号は一経全体の意を顕すという考えから、五重玄を用いて題号の意義を明らかにし、法華経の内容を総括的に示している。
一念三千
天台大師智顗が摩訶止観巻五で、万人成仏を説く法華経の教えに基づき、成仏を実現するための実践として、凡夫の一念(瞬間の生命)に仏の境涯をはじめとする森羅万象が収まっていることを見る観心の修行を明かしたもの。このことを妙楽大師湛然は天台大師の究極的な教え(終窮究竟の極説)であるとたたえた。三千とは、百界(十界互具)・十如是・三世間のすべてが一念にそなわっていることを、これらを掛け合わせた数で示したもの。このうち十界とは、十種の境涯で、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏をいう。十如是とは、ものごとのありさま・本質を示す十種の観点で、相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等をいう。三世間とは、十界の相違が表れる三つの次元で、五陰(衆生を構成する五つの要素)、衆生(個々の生命体)、国土(衆生が生まれ生きる環境)のこと。
妙楽
(0711~0782)。中国・唐代の人。天台宗第九祖。天台大師より六世の法孫で、中興の祖。常州晋陵県荊渓(現在の江蘇省宜興市)の人。諱は湛然。姓は戚氏。家は代々儒教をもって立っていた。はじめ蘭陵の妙楽寺に住したことから妙楽大師と呼ばれ、また出身地の名により荊渓尊者ともいわれる。開元18年(0730)左渓玄朗について天台教学を学び、天宝7年(0748)38歳の時、宿願を達成して宜興浄楽寺で出家した。当時は禅・華厳・真言・法相などの各宗が盛んになり、天台宗は衰退していたが、妙楽大師は法華一乗真実の立場から各宗を論破し、天台大師の法華三大部の注釈書を著すなどおおいに天台学を宣揚した。天宝から大暦の間に、玄宗・粛宗・代宗から宮廷に呼ばれたが病と称して応ぜず、晩年は天台山国清寺に入り、仏隴道場で没した。著書には天台三大部の注釈として「法華玄義釈籖」十巻、「法華文句記」十巻、「止観輔行伝弘決」十巻、また「五百問論」三巻等多数ある。直弟子に、唐に留学した伝教大師最澄が師事した道・行満がいる。
文句
法華文句のこと。天台大師智顗の講義を章安大師灌頂が編集整理した法華経の注釈書。十巻。法華経の文々句々の意義を、因縁・約教・本迹・観心の四釈を用いて解釈し、迹門の開三顕一、本門の開近顕遠等の法華経の深義を解明している。
一入
十二入の一つ。十二入とは、六根(眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根)と六境(色境・声境・香境・味境・触境・法境)の十二をいう。十二処ともいう。入とは渉入の義。渉とは水と歩がいっしょになって徒ちわたる心である。すなわち、根と境とが渉入、相互に関係し合って、六識を生ずること。たとえば、耳根が外界の声境に触れて、その働きを起こす等をいう。
観音玄
天台の著作中、五小部と呼ばれる中の「観音玄義」をいう。法華経観世音菩薩普門品の大綱を五重玄の分科を立て釈したもの。二巻。章安の筆録であるが天台がどこで、いつ講述したものであるかは不明である。その内容は百界千如を説いているところから、摩訶止観以前の説であろうともいわれる。
弘決
止観輔行伝弘決のこと。十巻。中国・唐代の妙楽大師湛然の著。天台大師の摩訶止観の注釈書。内容は題号の釈出をはじめ、無情仏性に関する十難や華厳宗の法華漸頓・華厳頓頓説を打ち破るなど、摩訶止観の妙旨を明らかにするとともに、天台宗内外の異義に破折を加えている。
二十五法
止観の第六方便に説く二十五の方便である。すなわち第七正観章にはいる前に観心の完全を期するため身心を調え定慧を磨く等の方便である。①具五縁(持戒清淨・衣食具足・閑居静処・息諸縁勝・近善知識)、②呵五欲(色・声・香・味・触)、③棄五蓋(貪欲・瞋恚・睡眠・掉悔・疑)、④調五事(調心・調身・調息・調眠・調食)、⑤行五法(欲・精進・念・巧慧・一心)
講義
天台大師御一代の仏法は広範囲にわたるが、そのうち最も大切で有名な御著作が玄義・文句・止観の三大部である。
玄義は法華経の幽玄なる義旨を概説し、この経の一代仏教における最極無上なるを明かし、
文句は法華経八巻の文々句々について科段を分け字句を解釈し、法華独尊の旨義を明かし、
止観は一念三千の法門に諸大乗の円義を総摂し、己心修証の方規として十境十乗の行門を明かし、法華円頓の行法とした。
しかして玄義と文句と止観の第四巻までは五時・八教・百界千如等を説いていまだ究極の極説たる一念三千を明かすことがなかった。実に一念三千こそは仏教の極理であり、竜樹・天親は内鑑冷然にして天台智者大師のみこれをいだけりとは開目抄に次のごとくお示しの通りである。
「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」(0189:02)
さて一念三千の法門とは何か、これこそ三大秘法の南無妙法蓮華経である。このことは釈尊・竜樹・天台等はじゅうぶんに知っていたのであるが、時いまだ至らざるゆえと付嘱なきゆえに、化他に出ずる場合には戒定慧の三学と説いて、三大秘法とは言わなかった。しかして釈迦仏は法華経二十八品を説き、竜樹・天親は権大乗教を弘め、天台・伝教は理の一念三千等と説いてきたが、それらのことごとく帰一するところが文底下種事行の一念三千の南無妙法蓮華経なのである。
ゆえに文底下種事行の一念三千を知らない学者は、いかに博学多才であろうとも、いかに世間の尊敬を受けようとも、まったく仏法の正軌を逸脱したものである。あたかも三大秘法の御本尊を知らない日蓮宗各派が日蓮大聖人に師敵対謗法の人であるのと同様である。
「説己心中所行法門」について
「説己心中所行法門」とは、「己心の中に行ずる所の法門を説く」ということであって、これは、摩訶止観の序の中に、章安のいっていることばである。
すなわち、天台大師は一念三千を説いて、十界互具、百界千如、三千世間と立て、全宇宙も即わが一念に具し、わが一念は即全宇宙に遍ずると説いた。この法門が、天台の指南とする根本義であり、己心の中に行ずるところの法門である。
天台の場合は観念観法によって、このように生命の本質を体得しようとするのに対し、日蓮大聖人の仏法では事行の一念三千を、三大秘法の御本尊とお建てになった。この事の一念三千の御本尊こそ、日蓮大聖人の御内証の法門であり、己心の中に行ずるところの法門なのである。
われらはこの御本尊を信じ、南無妙法蓮華経と唱えることによって、観行を成就し、わが生命は、御本尊と一体であり、全宇宙と一体であると、証得することができるのである。
「説己心中所行法門」を、さらに生命論、生活に約して論じておこう。
われわれの生活というものは、瞬間瞬間の生命活動のあらわれたる現実である。いっさいのふるまい、いっさいの姿、それらはことごとく、わが一念の所作である。われわれの生活すべてが、己心の中に行ずるところの法門を説法している姿である。地獄の苦にさいなまれている人は、その一念が強く、その人の姿に、ふるまいにあらわれている。修羅の境涯の人もそれがその人の行動に、姿・形に強くにじみ出ている。天にものぼらんばかりの楽しい境涯のとき顔は生き生きと、身も、足どりも軽く、また口からは自然と軽やかな歌が出たりする。その人のいっさいのふるまいが、その人の境涯を説きあらわしているのであり、諸法実相である。これ、「説己心中所行法門」なのである。
さらに、一歩立ち入って、仏法の眼をもって、みるときに、まさに、奥底の一念が、いっさいを決定していくということは、厳然たる事実である。どんなに、表面をつくろおうと、偽善をよそおうと、一念の表われをどうすることもできないのである。
御義口伝にいわく「秘とはきびしきなり三千羅列なり是より外に不思議之無し」(0714:07)と。三千万法もことごとく一念に具足しているのが、生命の実相であり、きびしき大宇宙の鉄則なりとのおおせである。
されば、瞬間瞬間をどう生ききるかが大事なのである。信心を失えば、形はどうであろうと、その人の生命の奥底は地獄である。その証拠に、必ず、その人の人生は、破壊の道をたどっていくのである。また、御本尊に対する絶対の信に立った人生は、即座に無量の福運と光輝にみちた人生である。その証拠に、未来は洋々と開けゆき、十年、二十年、三十年たつうちに功徳がとめどもなく、生活にあらわれるのである。
きびしくいえば、国土も、楽土とするも、悪国土とするのも、われらの一念である。謗法の者が充満すれば、国土に天変地夭があいついで起こり、生命力の弱まったところに、疫病も曼延するのである。さらに、戦争を起こすも、起こさないも、われわれの一念なのである。
所詮「説己心中所行法門」なれば、一念のめざめこそ、いっさいを幸福へ導く源泉である。信心を根本にし、みずからに立ちかえるならば、いかなる難関も、太陽のまえの霜露のごときものなりと確信すべきである。
第三章(一念三千を結歎)
本文
夫れ智者の弘法三十年・二十九年の間は玄文等の諸義を説いて五時・八教・百界千如を明かし前き五百余年の間の諸非を責め並びに天竺の論師未だ述べざるを顕す、章安大師云く「天竺の大論尚其の類に非ず震旦の人師何ぞ労わしく語るに及ばん此れ誇耀に非ず法相の然らしむるのみ」等云云、墓ないかな天台の末学等華厳真言の元祖の盗人に一念三千の重宝を盗み取られて還つて彼等が門家と成りぬ章安大師兼ねて此の事を知つて歎いて言く「斯の言若し墜ちなば将来悲む可し」云云。
現代語訳
それ天台智者大師の弘法は30年におよび、29年の間は玄義・文句等を説き五時八教・百界千如を明かした。しかしてそれまで五百余年にわたり中国の仏教界が甲論乙駁していた諸非を責め、さらにインドの大論師さえいまだかつて述べたことのない甚深の奥義を顕わした。章安大師は天台を賛嘆して、「インドの大論師さえなお天台と比較することができない。いわんや中国の仏教学者をどうして一々挙げて批評する必要があろうか。これは誇りたかぶっていうのではなくて、まったく天台の説かれた法相がそのように優れ勝っているからである」と。しかるに情けないことには天台の末学者が華厳宗や真言宗の元祖に一念三千の重宝を盗み取られ、かえって彼らのごとき盗人の門家となってしまった。章安大師はかねてこのことを知って嘆いていわく「この一念三千の法義がもし将来失墜するようなことがあれば実に悲しむべきことである」と。
語釈
智者
(0538~0597)。中国・南北朝から隋代にかけての人。天台宗開祖(北斉の慧文、南岳慧思に次ぐ第三祖でもあり、竜樹を開祖とするときは第四祖)。智者大師と尊称し、また天台山に住んだので天台大師という。姓は陳氏。諱は智顗。字は徳安。荊州華容県(湖南省)の人。父の陳起祖は梁の高官であったが、梁末の戦乱で一族は離散し、父母もまたなくなった。十八歳の時、湘州果願寺の法緒について出家し、慧曠律師から方等・律蔵を学び、大賢山に入って法華三部経を修学した。陳の天嘉元年(0560)23歳のとき、光州の大蘇山に南岳大師慧思を訪れた。南岳は初めて天台と会った時、「昔日、霊山に同じく法華を聴く。宿縁の追う所、今復来る」(隋天台智者大師別伝)と、その邂逅を喜んだ。南岳は天台に普賢道場を示し、四安楽行を説いた。大蘇山での厳しい修行の末、法華経薬王菩薩本事品第二十三の「其中諸仏、同時讃言、善哉善哉。善男子。是真精進。是名真法供養如来」の句に至って身心豁然、寂として定に入り、法華三昧を感得したといわれる。これを大蘇開悟といい、後に薬王菩薩の後身と称される所以となった。南岳から付嘱を受け「最後断種の人となるなかれ」との忠告を得て大蘇山を下り、32歳(あるいは31)の時、陳都金陵の瓦官寺に住んで法華経を講説し高名をはせた。宣帝の勅を受け、役人や大衆の前で8年間、法華経、大智度論、次第禅門を講じ名声を得たが、開悟する者が年々減少するのを嘆いて天台山に隠遁を決意した。太建7年(0575)天台山(浙江省)に入り、翌年仏隴峰に修禅寺を創建し、華頂峰で頭陀を行じた。至徳3年(0585)陳主の再三の要請で金陵の光宅寺に入り、大極殿で「大智度論」「仁王経」を講ず。禎明元年(0587)齢50で法華経を講じて章安が筆録したのが「法華文句」である。隋の世となるや、開皇11年(0591)隋の晋王であった楊広(のちの煬帝)に菩薩戒を授け、智者大師の号を賜わる。その後、故郷の荊州に帰り、玉泉寺で「法華玄義」「摩訶止観」を講じ天台三大部を完成す。間もなく晋王広の請いで揚州に下り、ついで天台山に再入し、翌年の開皇17年(0597)、石城寺で入寂した。60歳であった。著書に法華三大部のほか、五小部と呼ばれる「観音玄義」「観音義疏」「金光明玄義」「金光明文句」「観経疏(観無量寿経疏)」がある。
百界千如
天台教学において諸法実相(万物の真実の姿)を分析的に表現した語。百界とは、衆生の境涯を十種に分類した十界のいずれにも、それ自身と他の九界が、次に現れる可能性として潜在的にそなわっていること(十界互具)。十界それぞれが十界をそなえているので、百界となる。さらに、この百界に、諸法(あらゆる事物)が共通にそなえている特性である十如是がそれぞれにあるので、千如となる。
章安大師
(0561~0632)。天台智者大師の弟子で、師の論釈をことごとくを聴取し結集した。字は法雲。諱は灌頂。中国浙江省臨海県章安の人で、陳の文帝の天嘉2年(0561)に生まれ、7歳で摂静寺にはいった。陳の至徳元年(0583)、天台大師に謁して観法を稟け、常随給仕し、所説の法門をことごとく領解した。その聴受の結集は、天台三大部(文句・玄義・止観)をはじめ、大小部合わせて百余巻ある。師が亡くなってから「涅槃玄義」二巻、「涅槃経疏」三十三巻を著わす。名声天下に響き、三論の嘉祥は章安の「義記」を借覧して天台に帰伏したという。唐の貞観6年(0632)8月7日、天台山国清寺で年72にして寂し、弟子智威に法灯を伝えた。
華厳真言の元祖の盗人
具体的には、華厳宗の澄観、真言宗の善無畏等をさす。開目抄上に「華厳宗と真言宗とは本は権経・権宗なり善無畏三蔵・金剛智三蔵・天台の一念三千の義を盗みとつて自宗の肝心とし其の上に印と真言とを加て超過の心ををこす、其の子細をしらぬ学者等は天竺より大日経に一念三千の法門ありけりと・うちをもう、華厳宗は澄観が時・華厳経の心如工画師の文に天台の一念三千の法門を偸み入れたり、人これをしらず」とおおせである。
講義
本節では天台の三十年にわたる弘法が正法時代千年はいうまでもなく、像法に入って五百年のあいだにも誰一人述べたことのない深義であることをお示しになっている。このように仏教の極理たる一念三千を天台大師が説き顕わしているにもかかわらず、天台宗の末学たちは、一念三千の法門が仏法の最極理たることを知らないで他宗がよいと思い、かつはまた、華厳真言等の開祖が天台の一念三千の法門を盗み取ったのを知らないで、かれがれの法門の中に一念三千の重宝があると思い込んで、かえって彼らの門家となってしまった。実にはかないことではないか。宗祖日蓮大聖人、日興上人の流れを汲みながら戦時中に邪教怪山の身延へ合同化した北山本門寺・西山本門寺・要法寺等もこの類いであろう。実にはかない者どもである。
第四章(一念三千情非情にわたるを明かす)
本文
問うて曰く百界千如と一念三千と差別如何、答えて曰く百界千如は有情界に限り一念三千は情非情に亘る、不審して云く非情に十如是亘るならば草木に心有つて有情の如く成仏を為す可きや如何、答えて曰く此の事難信難解なり天台の難信難解に二有り一には教門の難信難解二には観門の難信難解なり、其の教門の難信難解とは一仏の所説に於て爾前の諸経には二乗闡提・未来に永く成仏せず教主釈尊は始めて正覚を成ず法華経迹本二門に来至し給い彼の二説を壊る一仏二言水火なり誰人か之を信ぜん此れは教門の難信難解なり、観門の難信難解は百界千如一念三千・非情の上の色心の二法十如是是なり、爾りと雖も木画の二像に於ては外典内典共に之を許して本尊と為す其の義に於ては天台一家より出でたり、草木の上に色心の因果を置かずんば木画の像を本尊に恃み奉ること無益なり、疑つて云く草木国土の上の十如是の因果の二法は何れの文に出でたるや、答えて曰く止観第五に云く「国土世間亦十種の法を具す所以に悪国土・相・性・体・力等」と云云、釈籤第六に云く「相は唯色に在り性は唯心に在り体・力・作・縁は義色心を兼ね因果は唯心・報は唯色に在り」等云云、金錍論に云く「乃ち是れ一草・一木・一礫・一塵・各一仏性・各一因果あり縁了を具足す」等云云。
現代語訳
問う、百界千如と一念三千とどう違うか。
答う、百界千如は有情界に限り一念三千は情非情にわたるのである。
不審していわく、非情界にまで十如是がわたり因果が具わるならば、草木にも心が有って有情と同じに仏道を修行して成仏するのであろうか。
答う、このことは難信難解である。天台の難信難解に二つあり、一つは教門の難信難解、二には観門の難信難解である。その教門の難信難解とは爾前経で二乗と一闡提は未来永久に成仏しないと説き、また教主釈尊はこの世で始めて成仏したと説いたが、法華経迹門では二乗と闡提の成仏を説き、また本門では始成正覚を破って久遠実成を説き顕わしている。このように爾前と法華経では所説がまったく相反するので一仏が二言となり水火のごとき関係になって誰人も容易に信ずることができない。これは教門の難信難解である。
観門の難信難解とは百界千如一念三千であり、非情界に色心の二法・十如是を具えていると説く点である。しかしこの点が難信難解であるからと言っても木像や画像をば外道でも仏教の各派でもこれを崇めて本尊としているが、その義は天台一家より出でたというべきである。なぜなら非情の草木の上に色心の因果をおかなければ、木画の像を本尊として崇め祈願することがまったく無意味になるからである。
疑っていわく、それでは草木国土の上の十如是の因果の二法はいずれの文に出ているのか。
答う、摩訶止観の第五にいわく「非情の国土にも十如是がある故に悪国土には悪国土の相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等があり、同じく善国土にも二乗の国土にも菩薩の国土にも仏国土にもそれぞれの十如是を具している」と。釈籤の第六にいわく「相は外面に顕われたもので物質である。性は内在する性質であり心である。また体は物の本体で色心をかね、力は外に応ずる内在性で、作は外部への活動、縁は善悪の事態を生ずる助縁であり、これらの体力作縁は皆色心の二法を兼ね、因と果は唯心、報は唯色法である」と説いている。また金錍論にいわく「一本の草、一本の木、一つの礫、一つの塵等皆悉く一個の仏性、一つの因果が具わっており縁因・了因の性を具足している。すなわち実在する物はことごとく本有常住の三因仏性を具足しており、非情の草木であっても有情と同じく色心・因果を具足していて成仏するのである」と。
語釈
国土世間
十界の衆生の住む場所にそれぞれ差別があること。三世間の一つ。国土は、その世界を構成する山川草木など非情のすべてをさす。ここでいう世間は、差異の意。国土は十界それぞれに特徴があり違っているので、国土世間という。摩訶止観巻五上に「十種の所居、通じて国土世間と称するは、地獄は赤鉄に依って住す、畜生は地水空に依って住す、修羅は海畔海底に依って住す、人は地に依って住す、天は宮殿に依って住す、六度の菩薩は人に同じく地に依って住す、通教の菩薩の惑いまだ尽きざる者は人天に同じく依住す、惑を断じ尽くせる者は方便土に依って住す、別円の菩薩の惑未だ尽きざる者は人天方便等の住に同じく、惑を断じ尽くせる者は実報土に依って住す、如来は常寂光土に依って住す……土土同じからざるが故に、国土世間と名づくるなり」とある。
釈籤
法華玄義釈籤のこと。十巻(または二十巻)。妙法蓮華経玄義釈籤の略称で、天台法華釈籤、法華釈籤、釈籤、玄籤ともいう。天台大師の法華玄義の注釈書。妙楽大師湛然が天台山で法華玄義を講義した時に、学徒の籤問(疑問箇所に付箋をつけて意味を質すこと)に答えたものを基本とし、後に修正を加えて整理したもの。注釈は極めて詳細で、法華玄義の本文を適当に分けて大小科段を立て、順次文意を解釈し、天台大師の教義を拡大補強している。
金錍論
「金剛錍論」の略。一卷。荊溪湛然(妙楽大師)の著。華厳宗・澄観の非情に仏性なしとする説を破折し、仏性は、情非情にわたることを顕わした。天台の法門を金剛の斧にたとえている。
講義
天台の難信難解に教門の難信難解と観門の難信難解の二つあるとおおせられている。実にもってしかりである。
教門の難信難解
爾前経においては声聞の成仏を説かず、かつまた仏の永遠の生命も明かしていない。しかるに法華経に至って声聞の成仏はおろか、提婆、竜女の成仏をも説いて皆成仏道とて悪人も女人も声聞も一切成仏し、衆生と仏とともに永遠の生命であるとなしている。実に爾前経につかまっている者からすれば「惑耳驚心」「驚天動地」の事件である。近ごろの学者が法華は金口にあらずというのもこの辺から来たのであろう。
この境涯は末法に至って大聖人が出現して文上文底の法華経をたて分け、第三の法門とて種脱の法を顕わされたのと同じである。法華経文上に執着している輩には、日蓮大聖人の下種の法門、文底秘沈の大法を聞いては惑耳驚心、驚天動地のことであろう。
まず、二乗作仏についていえば、爾前経においては、実に徹底的に二乗が排撃され、それこそ、大悪人以上の取り扱いをうけたのであった。
大方広仏華厳経には「如来の智慧・大薬王樹は唯二処に於て生長して利益を為作すこと能わず、所謂二乗の無為広大の深坑に堕つると及び善根を壊る非器の衆生は大邪見・貪愛の水に溺るるとなり」等とある。
この経文の心は、雪山という山に大樹があり、その名を無尽根とも大薬王樹ともいい、世界じゅうの諸の木の中の大王とされている。この木の高さは十六万八千由旬であり、世界じゅうのいっさいの草木は、この木の根ざしで、また枝葉華菓の次第にしたがって華菓がなるのである。この木を仏の仏性にたとえ、一切衆生を、一切の草木にたとえたのである。だが、この大樹は、火の坑と水輪の中には生長しないとされる。これをもって、二乗の心中を火の坑に、一闡提人の心中を水輪にたとえたのであり、二乗と一闡提人が永久に成仏できないと示したのがこの経文の意味なのである。
また大集経には「二種の人有り必ず死して活きず畢竟して恩を知り恩を報ずること能わず、一には声聞二には縁覚なり、譬えば人有りて深坑に堕墜し是の人自ら利し他を利すること能わざるが如く声聞・縁覚も亦復是くの如し、解脱の坑に堕して自ら利し及以び他を利すること能わず」等とある。これもまた、二乗は、自分のわずかばかりの悟りに満足しそのなかに閉じこもり、みずから成仏できないばかりではなく、人をも利益することもできず、むしろ父母等をも永久に不成仏の道へ入れてしまうので、不知恩の者であるといっているのである。
維摩経には「維摩詰又文殊師利に問う何等をか如来の種と為す、答えて曰く一切塵労の疇は如来の種と為る、五無間を以て具すと雖も猶能く大道意を発す」また「譬えば族姓の子・高原陸土には青蓮芙蓉衡華を生ぜず、卑湿汚田乃ち此の華を生ずるが如し」また「已に阿羅漢を得て応真と為る者は終に復道意を起して仏法を具すこと能わざるなり、根敗の士・其の五楽に於て復利すること能わざるが如し」等とある。
貪瞋癡の三毒は仏の種となり、父を殺す等の五逆罪も仏種となり、高原の陸土に青蓮華が生ずることがあっても、二乗は絶対に仏にならないと、二乗の善をそしり、凡夫の悪をほめているのである。
また、方等陀羅尼経には、枯れた木に花が咲かないように、山から流れてきた水が逆流して山に戻るようなことがないように、また破れた石が合わないように、また焦った種から芽が生じないように、二乗は絶対に成仏できないとあり、浄名経には、二乗を供養すれば三悪道におちるとまで説かれ、さらに大品般若経、首楞厳経等、またその他のあらゆる経典で二乗の永不成仏が述べられている。
開目抄には、これらの経文を引いたあとに次のように述べられている。
「此等の聖僧は仏陀を除きたてまつりては人天の眼目・一切衆生の導師とこそ・をもひしに幾許の人天・大会の中にして・かう度度・仰せられしは本意なかりし事なり只詮するところは我が御弟子を責めころさんとにや、此の外牛驢の二乳・瓦器・金器・螢火・日光等の無量の譬をとつて二乗を呵嘖せさせ給き、一言二言ならず一日二日ならず一月二月ならず一年二年ならず一経二経ならず、四十余年が間・無量・無辺の経経に無量の大会の諸人に対して一言もゆるし給う事もなく・そしり給いしかば世尊の不妄語なりと我もしる人もしる天もしる地もしる、一人二人ならず百千万人・三界の諸天・竜神・阿修羅・五天・四洲・六欲・色・無色・十方世界より雲集せる人天・二乗・大菩薩等皆これをしる又皆これをきく、各各国国へ還りて娑婆世界の釈尊の説法を彼れ彼れの国国にして一一にかたるに十方無辺の世界の一切衆生・一人もなく迦葉・舎利弗等は永不成仏の者・供養しては・あしかりぬべしと・しりぬ」(0193:07)
釈尊が二乗を呵責することは、このように「責め殺すのではないか」とまで思われるようなきびしいものであった。
ために、迦葉尊者の渧泣の音は三千大千世界にひびきわたり須菩提尊者は、ぼうぜんとして手にもっていた鉢をすててしまい、舎利弗は食べている飯を吐き出し、富楼那は宝器に糞を入れているような下劣な人間であることを嫌われた。
かくまで嫌われ、責めつけられた二乗が、法華経にきたって、劫・国・名号等の記を授けられたのである。これ難信難解であるゆえんである。
開目抄には、これについて次のようなおおせがある。
「而るを後八年の法華経に忽に悔還して二乗作仏すべしと仏陀とかせ給はんに人天大会・信仰をなすべしや、用ゆべからざる上・先後の経経に疑網をなし五十余年の説教・皆虚妄の説となりなん、されば四十余年・未顕真実等の経文はあらませしか天魔の仏陀と現じて後八年の経をばとかせ給うかと疑網するところに・げにげに・しげに劫・国・名号と申して二乗成仏の国をさだめ劫をしるし所化の弟子なんどを定めさせ給へば教主釈尊の御語すでに二言になりぬ自語相違と申すはこれなり、外道が仏陀を大妄語の者と咲いしこと・これなり」(0193:16)
次に一闡提人の成仏であるが、これを代表するのは、提婆達多である。提婆達多は、釈尊の従弟であり、阿難尊者の兄に当たる。釈尊の八万法蔵、外道の六万蔵を誦持し、出家して神通を学び、学道大いに進んだが、元来、憍慢な心の持ち主で、虚栄心、利欲の俗念が強く、仏として尊ばれている釈尊を深く恨んでいた。たまたま釈尊が、提婆の憍慢な心を指摘して、「汝は愚人であり、人の唾を食う者である」と叱咤したことがあった。これに提婆達多は毒箭が胸にはいったような思いをなし、うらんで「瞿曇(釈尊のこと)は仏陀ではない。自分は斛飯王の嫡子であり、阿難の兄であり、瞿曇とは従兄弟の間柄である。どんなに、悪いことがあっても、内々に教訓すべきであろう。それなのに、これほどの大衆の面前で一族の者を罵倒するような人が、大人や仏陀の中にいるであろうか。されば釈迦出家以前には恋人を奪われた敵であり、今は一座の敵である。今日よりは生々・世々に必ず釈迦の大怨敵となるのだ」と誓ったのである。以来、釈尊をなきものにしようとあらゆる策謀に出、三逆罪をおかし、また生涯をかけて、釈尊をののしり、迫害し、正法を誹謗し、ついに無間地獄の焔にむせぶのである。
だが、法華経にきて、これほどまで釈尊に敵対した提婆達多に天王如来の記別を与えたのである。霊山一会の大衆の驚きはひととおりではなかった。これこそ、善悪不二、邪正一如の大原理を示されたものである。だが爾前経に執する人にとっては、このような教法もまた、前代未聞であり、難信難解のことであった。
かくして、釈尊は、法華経にきたって、いままでの説を打ち破って、真実最高の法門を樹立したのである。しかしながら、法華経迹門においては、いまだ、始成正覚という考え方に立脚しており、久遠実成は隠されていたのであった。
19歳で出家し、それ以来難行苦行し、30歳で、伽耶城近くの菩提樹下で成道した――形の上ではこのとおりであり、なんの疑いもない事実である。したがって、雑阿含経には「初め成道」、大集経には「如来成道始め十六年」、浄名経には「始め仏樹に坐して力めて魔を降す」、大日経に「我昔道場に坐して」、仁王般若経には「二十九年」等と説かれ、いずれも、釈尊がインドに生まれてから出家して修行し、成仏したと説いており、法華経寿量品の久遠実成、永遠の生命観など微塵も説かれていない。さらに法華経の序分たる無量義経にも「我先きに道場菩提樹の下に端坐すること六年阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり」とあり、法華経方便品にも「我れは始め道場に坐し樹を観じ亦た経行して」等とあり、なおかつ、始成正覚をもとにしていたのである。
釈尊は涌出品にいたり、涌出した地涌の菩薩をさして、「是の諸の大菩薩摩訶薩の無量無数阿僧祇にして地従り涌出せる、汝等の昔より未だ見ざる所の者は、我れは是の娑婆世界に於いて阿耨多羅三藐三菩提を得已って、是の諸の菩薩を教化示導し、其の心を調伏して、道の意を発さしめたり」と説くのである。これに対し、弥勒が「如来は太子為りし時、釈の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまえり。是れ従り已来、始めて四十余年を過ぎたり。世尊よ。云何んぞ此の少時に於いて、大いに仏事を作したまえる」と質問するのである。
この疑念をはらすために寿量品を説こうとして、まず爾前迹門で説いてきたことを挙げて「一切世間の天・人、及び阿修羅は、皆な今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を得たと謂えり」等と述べ、しかして、まさしく、この疑いに答えて「然るに善男子よ。我れは実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり」として五百塵点劫を明かしたのであった。これこそ、釈迦仏教中の骨髄であり、それまでのあらゆる経典に明かさなかったところの甚深の義なるがゆえに、難信難解である。
以上のことは、すべて、釈尊の経文の上の難信難解であり、教門の難信難解というのである。
観門の難信難解
観門の難信難解に至っては難信難解中の難信難解である。
当本文において「観門の難信難解は百界千如一念三千・非情の上の色心の二法十如是是なり」とおおせられている。これはすなわち釈尊にしても天台にしても本仏日蓮大聖人にしても、あらゆる非情に仏性があると悟られることを表現しているのである。木にしても紙にしても瀬戸物にしても一枚の木の葉にしても仏性があると断ずるのである。ゆえに大聖人は道理として、
「爾りと雖も木画の二像に於ては外典内典共に之を許して本尊と為す其の義に於ては天台一家より出でたり、草木の上に色心の因果を置かずんば木画の像を本尊に恃み奉ること無益なり」とおおせられているのである。
事実釈迦仏法の時代にも木画の二像を仏と拝んで利益があったし、末法においても御本尊を拝んで利益がある。この事実は、いかんともすることのできないことで草木に仏性のあることを信ぜざるを得ない。しかしてその文証としその仏教哲学的理論として当文は止観第五、釈籤の第六と金錍論を引かれて説明している。
草木成仏の二意
諸御抄の意を案ずるのに草木成仏には二つの意があると日寛上人はおおせられている。一には不改本位の成仏、二には木画二像の成仏である。
一、不改本位の成仏
不改本位の成仏とは草木の全体(非情)本有無作の一念三千即自受用身の覚体である。このことをいま少しやさしくいうならば、宇宙の生命それ自体である。
草木成仏の口伝にいわく「草にも木にも成る仏なり」(1339:07)と。この御心は草にも木にもなる寿量品の釈尊なりというおおせで、寿量品の釈尊とは三大秘法の御本尊にわたらせられ、またいわく「草木の根本本覚の如来、本有常住の妙体なり」と仰せられているのも同じ意である。
三世諸仏総勘文教相廃立にいわく
「春の時来りて風雨の縁に値いぬれば無心の草木も皆悉く萠え出生して華敷き栄えて世に値う気色なり秋の時に至りて月光の縁に値いぬれば草木皆悉く実成熟して一切の有情を養育し寿命を続き長養し終に成仏の徳用を顕す」(0574:15)
この御文によれば草木の体すなわち草木それ自体が本覚の法身で、その時節を違えず花咲き菓の成る智慧は本覚の報身であり、有情を養育する慈悲は本覚の応身である。ゆえに草木がことごとくそのままの姿で本覚の三身如来であるところから不改本位の成仏というのである。すなわち宇宙生命の発動変化それ自体が不改本位の成仏というのである。
二、木画二像の成仏
木画二像の成仏とは木画の二像に一念三千の魂魄を入れる時、木画二像は生身の仏となる。
四条金吾釈迦仏供養事にいわく
「一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり。三種の世間と申すは一には衆生世間、二には五陰世間、三には国土世間なり。前の二は且く之を置く。第三の国土世間と申すは草木世間なり。草木世間と申すは五色のゑのぐは草木なり。画像これより起る。木と申すは木像是より出来す。此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり、天台大師のさとりなり。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり」(1144:14)
「此の法門」というのは一念三千の法門で、文底秘沈の三大秘法の南無妙法蓮華経のことで、「魂魄」とは命のことであり、「法華経の力」とは御本尊のことである。
木絵二像開眼之事にいわく、
「法華経を心法とさだめて三十一相の木絵の像に印すれば木絵二像の全体生身の仏なり、草木成仏といへるは是なり」(0469:08)
要するにこの草木成仏の二義が明らかになれば、われわれの日夜信仰し奉る文底下種・三大秘法の御本尊が生身の御本仏であらせられることがはっきりするであろう。ゆえに信じ奉る者は現世にも未来世にも絶対の幸福を獲得し、謗ずる者は無間地獄の苦悩へ堕ちるのである。決して木や紙であるといってないがしろにしてはならない。
有情と非情
現代科学においては、この宇宙に実在するすべてのものを、生物と無生物とに分ける。すなわち、生命あるもの(生物)と生命のないもの(無生物)とである。
だが、仏法においては、生物と無生物といった区別はまったく存在せず、これにかわって有情、非情という分類が存在するのである。有情とは、人間、動物等のように感情や意識をもち、意思活動を自動的にできるものをいう。非情とは、草木、山河、大地のように無感情、無意識で、その活動も他動的なものをいう。あるいは、これが厳密な定義とはいえないかもしれないが、生物学的にごく平易にいえば、有情とは「神経のあるもの」であり、非情とは「神経のないもの」である。また、広くいえば有情を動物界、非情を植物界(無生物を含む)とも立てることもできる。
したがって、植物は、生命学上は、動物とともに生物を構成するのであるが、仏法の上から論ずるならば、非情であり、無生物である土や石と同じ範ちゅうに含まれるのである。
さらに、ひとりの人間のなかに有情と非情を論ずることができる。われわれの爪の先や髪の毛はいくら切っても痛くない。すなわち、ここは神経の通っていない非情の部分である。草木成仏口決に「我等一身の上には有情非情具足せり、爪と髪とは非情なり・きるにもいたまず・其の外は有情なれば・切るにもいたみ・くるしむなり」(1339:10)とある。皮膚の一部でも、足の裏などはつねっても痛くないから、むしろ非情に近いといえる。
有情と非情と立て分けるが、しかし、ここに厳密な区分があるわけではなく、また、これが有情で、これが非情と絶対的に決定づけられているものではない。あくまでも相対的な区分であり、したがって、われわれの一身に具足する有情、非情も論ずることができるのである。
また有情と非情を、生と死にわければ、有情は生、非情は死である。正報と依報とに分ければ、有情は正報、非情は依報である。もとより仏法においては、生死不二と説き、依正不二と明かしている。したがって、有情も非情も「二にしてしかも不二」であり、ともに妙法蓮華経の当体であり、本質的には無差別であり、縁にふれて差別相を現ずるのである。ゆえに、有情と非情とは密接不可分であり、有情は非情に、非情は有情にと互いに交流しあい、転換し合うのである。
いま、まずこれを依正不二の観点から論じてみよう。
瑞相御書にいわく
「夫十方は依報なり・衆生は正報なり譬へば依報は影のごとし正報は体のごとし・身なくば影なし正報なくば依報なし・又正報をば依報をもつて此れをつくる」(1140:06)と。
ここに衆生とは有情と同義である。梵語の薩埵を新訳では有情と訳し、旧訳では衆生と訳すのである。ゆえに「衆生は正報なり」とは、有情の生命は正報であるとも拝せるのである。それに対して非情の草木国土は、依報である。有情の生命は、体であり、積極的に活動するものである。環境から物を摂取し、また、体内から物を分泌する。そこには、たえざる自己の維持と発展がある。そのために環境に順応しようとし、また環境を変えようとする。
この有情の生命は、また、非情である草木・国土によって作られていることも事実である。先に引用の総勘文抄にも「草木皆悉く実成熟して一切の有情を養育し寿命を続き長養し」(0574:16)云云とあるごとくである。国土自体も実に不思議である。たえず、生成発展をつづけ、内には偉大な力をそなえ、時には、絶大なエネルギーを放って、死におもむくこともある。大宇宙も、星雲も、無数の星も、あたかも、人生における生老病死のごとく、生住異滅の変化をしつつ流転してゆくのである。また、天体の運行、地球の自転、公転等、厳然たる法が貫かれているのである。まことに、国土自体も妙法の当体といわなければならない。したがって、本文に引用の摩訶止観第五の文にも「国土世間亦十種の法を具す所以に悪国土・相・性・体・力」等とあるのである。
この国土自体が妙法の当体である以上、ある一定の条件がそなわれば、国土自体にもともとあった力が発揮され、そこに生命体の発現があるのは当然である。衆生(有情)といい、国土(非情)といっても、それは同一のものの二つのあらわれかたであり、根底は差別がないと説いたのが仏法であることは前述のとおりである。したがって、いまどこかの天体に、かつて地球に起こった変化と同じ変化が起きないとはいえないし、また、地球と同様に、他の天体に人間がいないとだれが断定できようか。また、何兆何億年の昔に、他方の世界に、現在のわれわれと同じような社会がなかったと誰が言いきれようか。
はたせるかな現代の科学は、しだいに、このことを実証づけるような方向に進んでいるのである。まことに仏法は偉大であり、すばらしいではないか。
次に、有情、非情の関係を生死不二の観点から論じてみよう。
草木成仏口決にいわく「有情は生の成仏・非情は死の成仏・生死の成仏と云うが有情非情の成仏の事なり、其の故は我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは死の成仏にして草木成仏なり」(1338:03)と。また同抄にいわく「理の顕本は死を表す妙法と顕る・事の顕本は生を表す蓮華と顕る、理の顕本は死にて有情をつかさどる・事の顕本は生にして非情をつかさどる、我等衆生のために依怙・依託なるは非情の蓮華がなりたるなり・我等衆生の言語・音声・生の位には妙法が有情となりぬるなり」(1339:08)と。
われらの生命は、死後・非情にやどり、大宇宙それ自体となり、そこで苦楽を成ずるのである。たとえば焼死した人の生命は、死ぬ瞬間の苦悩煩悶がそのまま連続し、地獄界に宿り、現実に火焔の中に実在している。その証拠が黒き死体である。寒き世界で凍死した人は、極寒地獄にはいり、その生命は雪の中、氷の中に実在しているのである。
このように、死後のわれわれの生命は非情の世界なのである。だが、再び縁にふれて有情としてあらわれてくるのである。かくして有情から非情へ、非情から有情へと連続して、永遠にその流転を繰り返すのである。
有情から非情へ、非情から有情へ移行する姿は、現実のわれわれの身体についてもいえることである。摂取する食物は非情である。それが肉体にはいり、消化され、呼吸され、有情を構成する。また一方では、有情であるこの身体は、たえず新陳代謝を行ない、死んだ細胞が捨てられていく。これは有情から非情への移行である。先に述べた一身にそなわる有情非情についても、この事実を明白に証拠づけるものといえる。
また、非情から有情への転換は、現代科学と矛盾するものではなく、否、現代科学がそれを証明しつつあるのが、実相である。すなわち、非情である地球から、生命体が発生し、さらに動物界も、ほかでもない、この大地から形成されたという事実である。
伝教大師の修禅寺相伝日記に説かれている、十八円満の法門中第十五の内外円満の文に「非情の外器に六情を具す有情数の中に亦非情を具す」とあるのも、有情、非情の密接不可分の関係を示されたものである。
さらに、仏法においては、こうした応身論的な肉体、形質の連続のみならず、法報応の三身常住と説き、法身、報身の連続をも説き明かしているのである。とまれ、生命が永遠であるということは厳然たる大宇宙の鉄則であり、だれびとが否定しようが、事実はきびしく流転されていっているのが生命の実相である。
有情非情を三世間の関係についていえば、衆生世間、五陰世間は有情であり、国土世間は非情である。したがって百界千如までしか説いていない法華経迹門では、まだ有情の成仏のみ明かしているに過ぎない。それに対し法華経本門においては、国土世間を説いたがゆえに、情非情の成仏が明かされ、一念三千が確立するのである。
法華経本門において、国土世間があらわされたとは、具体的にはどういうことなのであろうか。本門寿量品の文にいわく「娑婆世界説法教化」また「常住此説法」と。すなわち、寿量品において、釈尊は、自分はこの娑婆世界に常住して説法してきたのだと述べたのである。これはまさに画期的なことであった。それまで、仏は娑婆世界には常住せず、別世界にいると考えられていた。したがって、同居土・方便土・実報土・寂光土の四土に差別し、仏は寂光土に住すると説いている。ところが寿量品にきたって、仏が現実に久遠以来、娑婆世界に常住したことが明かされ、娑婆即寂光の原理がうちたてられたのである。
これは教相の上のことであり、生命論でいえばこのわれらが住む現実の国土に仏界がそなわることを意味する。すなわち非情の草木国土に仏性があることを示すのである。ゆえに本文に止観第五の「国土世間亦十種の法を具す……」、金錍論の「一草・一木・一礫・一塵(・各一仏性・各一因果あり縁了を具足す」等の引用があるのである。
国土世間が確立することによって国土にも、十界互具、百界千如が具足すると説き、三千世間の数量が明かされるのであるが、この三千世間も一念の生命の中にあると説いたところに仏法の偉大さがある。われわれは、周囲の多種多様な世界に目を奪われ自己と対立的に見ようとする。だが、森羅万象は、けっして外にあるのではなく、自己の生命におさまるのである。非情の草木国土もわが生命の内にあり、わが己心が即一切法であり、一切法は即己心である。「己心の外に法なし」とは、このことをいうのである。
仏性について
まず「仏性」とはどういうものであろうか。「仏」とは、十界のなかの仏界を意味し、清浄無染で力強く、金剛石のごとく絶対に破壊されないところの大生命である。「性」とは不改(改めない)の意で、その仏界の生命がだれから作られたものでもなく、また時代の推移で変化するものでもなく、本然的にそなわり、無始無終に存続していくことをいうのである。
最高の仏法哲学では、この仏性が、特別の人間にのみそなわるのではなく、あらゆる人に、さらに有情、非情にわたり、森羅万象に具足することを説き明かしている。さらに、いかにしてわれら衆生に内在する仏性を開発し、崩れざる幸福境涯を樹立するかを究明しきっているのである。仏法の究極は、これにつきるといっても過言ではない。
仏法ほど生命の尊厳を明確に説ききった哲学はない。あらゆる人々が、最高価値ある仏界という大生命を内包する玉体なりと説き、しかも、それを事実の上に証明するからである。これまた、あらゆる人に仏性ありと断ずるゆえに、真の平等ではないか。また、仏界を顕現することは、なにものにもしばられず、なにものにもおかされない、自由自在の幸福境涯である。これ真の自由ではないか。
したがって、自由、平等、尊厳を基調とする民主主義の実体は、ことごとく仏法にあると叫んでやまない。
巷間、民主主義と口々に叫び、自由を口にし、平等を主張し、尊厳を論ずる。これは一面では、人間の本然の欲求をあらわしたものといえる。だがもう一面・時代の趨勢に同化し、なんら主体性なく、それを口にすることが近代人であるかのような、いわゆる〝進歩的知識人〟の慣用語になっていることも知らねばならない。後者の場合は、戦争中、時代の趨勢に押し流されて、ただ感情的に国粋主義を吹聴したり、いわゆる忠君愛国を唱えた、その当時の進歩的知識人に通ずる面がある。
民主主義をいかに口で叫ぼうとも、その民主主義の実体が明示されなければ無意味である。たしかに〝自由〟も美しきことばである。〝平等〟にもその人々の心をときめかす響きがある。〝尊厳〟もすばらしい。だが、なにをもって〝自由〟というのか。なにをもって〝平等〟というのか。なにを根拠として〝尊厳〟というのか。それを論ぜずして、いかに単語を並べても、根なし草であり有名無実である。現在唱えられている民主主義が、あまりにも空虚であるのはそのためである。所詮、生命の奥底を説ききった仏法哲理を根底に置かざる民主主義は、たんなる幻映にすぎない。
世の人々は、民主主義の幻影を追い、しかもあまりにも理想とは離反した現実のまえに、もだえ、苦しみ、懊悩するのである。
今なお世界には動乱の絶え間がない。幼ない子供までが、銃剣に、若き生命を絶つ悲惨な現実。核戦争の恐怖におののく民衆。クーデター、それも大国の意のままに、また、弱小国の貧困と無知。
一方、国内においても、吹きまくる中小企業の倒産旋風。政治汚職。殺ばつたる事件の続出。あたかも三悪道、四悪道さながらの現実である。ここに、なんの自由があり、平等があり、尊厳があるかといいたい。
これ、仏法の精神が具現化されていないがためである。また低級な哲学、偏狭なる思想、また貪・瞋・癡の三毒が人々の心を支配している結果である。ここに生命の尊厳をあますところなく説き明かした日蓮大聖哲の生命哲学を全世界の人々の支柱にすべきであると訴えるものである。
以上、仏性について略述してきたが、次に三因仏性について論及しよう。
正・了・縁の三因仏性
三因仏性とは、一に正因仏性、二に了因仏性、三に縁因仏性である。正因仏性とは、宇宙森羅万象が本然的に有する仏界という生命の本質であり、本体である。了因仏性とは、正因仏性を覚知する智慧の働きであり、縁因仏性とは、正境に縁することによって、了因の智慧を助け、正因仏性を開発していく働きである。正因が体であるのに対し、了因、縁因はその用の関係になる。
四明知礼(北宋時代の天台宗の学僧)の拾遺記には「正は謂く中正、了は謂く照了、縁は謂く助縁、縁因は了因を資く、了は正因を顕す、正因は勝縁を起す、亦た是れ正因は了因に発り、了因は縁因に導かれ、縁因は正因を厳り、正因は勝縁を起す」と、正、了、縁の三因仏性の関係を明かしている。これによれば、正、了、縁の三因仏性はたがいに、他を薫発し合い、影響し合い、しかも一個の生命に混然一体となっている。
ここに一つぶの柿の種があるとする。その種それ自体は正因仏性にたとえられる。その柿の種は、それ以外のたとえば桃の木や、栗の木に育つということは絶対になく、種自身の中に将来柿になる性質をそなえている。この、智慧といおうか、性質といおうか、かかる柿自身に本然的に有する働きは、了因仏性にたとえられる。だがそれだけでは柿の木にはならないし、柿の実もならない。日光、雨、湿度、養分等を縁とし、それらの外界と内部の要素とが相応し、しだいに成長していくのである。このように外界のものを呼吸し、外界に反応し、育ちゆく働きは、縁因仏性にたとえられる。しかも、これらの働きも一粒の種の中に収まるものであり、他から与えられたものではない。同様に三因仏性は、生命に本然的にそなわっているものであり、かつバラバラなものではなく、混然一体のものであり、俱体俱用なのである。
天台大師は、金光明玄義に三仏性を土中の金にたとえて説明している。
「云何なるか三仏性なる、仏とは名づけて覚となす。性とは不改に名づく。不改は是れ常に非ず、無常に非ず、土の内に金の蔵せるが如し。天魔外道も壊ること能わざるを、正因仏性と名づく。了因仏性とは、覚智は常に非ず、無常に非ず智、理と相応し、人の能く金の蔵せるを知るが如く、此の智破壊すべからざるを了因仏性と名く。縁因仏性とは、一切の常に非ず、無常に非ざる功徳善根覚智を資助し、正性を開顕す、草穢を耘り除いて、金の蔵せるを掘出するが如きを、縁因仏性と名づく。当に知るべし、三仏性皆常楽我浄にして、三徳と無二無別なり、すでに金光明の三字を見て三徳に譬うるなり」
すなわち、土中の金は、あらゆるもののなかに改められざる仏の性として自存している正因仏性をたとえ、土中の金を了することは智と理と相応し、正因仏性を覚知すること、すなわち了因仏性をたとえ、草や土を取り除いて、金蔵を掘り出すことをもって、正境に縁し、功徳善根を積み、了因を助け、正因仏性を開発する働き、すなわち縁因仏性をたとえているのである。
いま、この正、了、縁があらゆる人にそなわることを、折伏活動との関係において論じてみよう。一切衆生の生命に仏性があるというのは正因仏性についていったものである。ある人が、信心している人から折伏をうけたとする。だが、初めは信じられない。聞き入れようともしない。だがひとたび御本尊の話を聞くや、それは聞法下種となっているのである。そして、外面はいかに反対をつづけても、あたかも水が高きより低きに流れるごとく、自然に、信心しようという心が薫発されてくる。これあらゆる人々の生命に了因仏性があるからである。さらに、あるなんらかのものを縁として、御本尊を信ずるようになる。いわゆる発心下種である。これ、あらゆる人々の心中に縁因仏性がある証拠である。始聞仏乗義にいわく「凡そ心有る者は是れ正因の種なり随つて一句を聞くは是れ了因の種なり低頭挙手は是れ縁因の種なり」(0983:02)また証真いわく「聞法を下種と為す了因の種なるが故に、発心を結縁と為す仏果の縁なるが故に」と。
されば、われわれの折伏活動こそ、最高限に相手の生命の尊厳を認めた行為である。あらゆる人々の生命の奥底に、仏界という偉大な生命があり、折伏しておけば、たとえその時には入信しなくとも、折伏が縁となり、仏種が薫発され、やがて入信し、真に光輝ある人生を進みゆくことができると確信してのふるまいだからである。
事実、創価学会員、五百数十万世帯の中には、折伏された当初、猛反対した人が少なくない。否、すべての人が大なり小なり、反発の心をもっていたといっても過言ではない。ところが、それらの人々が、現在では口々に創価学会こそ最高唯一であると叫んでいるのである。これぐらい不思議なことがあろうか。これぐらい偉大なことがあろうか。これ、仏法が正しき原理であることを事実の上に証拠づけるものである。
法華経不軽品には、威音王仏の像法時代に不軽菩薩が我深敬等の二十四文字の法華経をもって、当時の一切衆生を救おうとしたことが説かれている。その時、不軽菩薩は、「但行礼拝」といって礼拝の行を専らにした。民衆は、不軽をみて、悪口し、石を投げ、杖で打つなど、さまざまに迫害した。だが不軽は礼拝の行をやめなかった。ではこのように迫害し、圧迫する衆生をなぜ礼拝して歩いたか。それは、そのような軽毀の衆生であっても妙法の当体であり、尊厳なる仏界を有しているからである。
御義口伝には、これについて「内証には汝等三因仏性の善因あり、事に顕す時は善果と成って皆当作仏す可しと礼拝し給うなり」(0768: 第廿四蓮華の二字礼拝住処の事)とおおせられている。すなわち、不軽の礼拝したのは衆生の心中にある三因仏性であった。礼拝の行は、現在まったく用をなさないが、仏法の一貫した方程式を示しているではないか。
また、さきに示したように法華経の提婆品には、提婆達多の天王如来の記別があげられている。あれほど釈尊をにくみ、たてつき、釈尊をなきものにしようと必死になった提婆達多が成仏の記をうけたのである。これこそ仏法が、一部の特別の人々を救うためのものではなく、あらゆる人々の生命の尊厳を説き、かつそれを事実の上にあらわさんとしていることが明瞭である。
また、日蓮大聖人は、松葉谷の焼き打ち、小松原の法難、および佐渡への流罪、竜の口の法難等々、あらゆる迫害にあった。だが、大聖人は、平左衛門尉等の迫害した張本人をうらむどころか、むしろ第一の善知識とよばれたのである。さらに、時の執権に対しても「願くは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん」(0509:顕仏未来記:05)とまでいわれたのであった。これ、一切衆生をことごとく包容しきった、末法の御本仏日蓮大聖人の広くかつ深きご境涯である。創価学会の折伏活動は、あくまでも、この仏法の精神、大聖人の御振舞いに立脚しているのである。
以上、あらゆる人にそなわる三因仏性について考え、われらの折伏活動は、実に、これらの三因仏性を開発せしめる実践行為であることを論じたが、次に、信心に約して三因仏性を論ずることにしよう。
われわれが信心をする目的は、この正、了、縁の三因仏性の開発にある。法華経方便品には、仏の出世の目的は、衆生の仏知見を開示悟入せしめることにあると説かれている。天台は、この方便品の文をうけて「若し衆生に仏の知見無んば何ぞ開を論ずる所あらん当に知るべし仏の知見衆生に蘊在することを」と釈し、また章安も、「衆生に若し仏の知見無くんば何ぞ開悟する所あらん若し貧女に蔵無くんば何ぞ示す所あらんや」と論じている。これも、仏の生命、成仏の境涯は、けっしてよそにあるものではなく、われわれ凡夫の生命のなかに本来備わっていることを示したものである。
しからば、この絶対にくずれない、最高の幸福境涯である仏界の生命(正因仏性)を、湧現するにはどうすればよいか。これが仏法の究極の問題であり、日蓮大聖人は、そのために、三大秘法の御本尊をあらわされたのである。
われわれが、この御本尊を信じて、題目を唱え、折伏に励むことは、縁因仏性の働きであり、それによって自分の生命の智慧の働きを豊かにし、自分自身が仏であるということを悟って、成仏の境涯を得る。これ、了因仏性の働きである。
大涅槃経邪正品にいわく「一切衆生仏性ありと雖も、かならず持戒に因りて、然して後乃ち見る、仏性を見るに因りて阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得」と。この文中「一切衆生仏性あり」とは、正因仏性である。次に「持戒に因りて、然して後乃ち見る」の「持戒」とは、すなわち縁因仏性である。持戒とは末法の今日においては、受持即持戒であり、御本尊を受持することである。これによって仏性を開発することができるのである。次に「仏性を見るに因りて阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得」の「仏性を見る」とは、了因仏性である。すなわち御本尊を受持することによって、わが身妙法の当体なりと悟り、即身成仏するのである。
法華玄義第五に、三仏性を三軌に約して「三因仏性に類通せば、真性軌は即ち是れ正因の性、観照軌は即ち是れ了因の性、資成軌は即ち是れ縁因の性なり、故に下の文(法華経信解品)に云く、汝は実に我が子なり、我は実に汝が父なりとは、即ち正因の性」であると述べている。
これまた同様であり、大宇宙、またわれらの生命に真理として厳然として存在している仏界の生命を真性軌といい、正因仏性をあらわしている。それを透徹した智慧をもって観ずるのを観照軌といい、了因仏性をあらわす。ここに観照とは、天台宗では観念観法によって、わが生命を照らし、仏界を観ずることを意味するのであるが、大聖人の仏法においては、御本尊を信じ、仏智によりわが身妙法の当体なりとさとることをいう。資成軌とは、資は「たすく」の意で、了因仏性を助け、仏界を顕現し、即身成仏することである。具体的には題目をあげ、折伏をし、福運を積み、内外相応し、真実の幸福境涯を自在に遊戯することをいうのである。(すなわち縁因仏性である――追記)
また、三因仏性は、日寛上人のおおせのごとく、空仮中の三諦となるのである。すなわち、正因仏性が中諦、了因仏性が空諦、縁因仏性が仮諦である。しかして、この三因仏性は、御本尊を信じ、題目を唱え、折伏を行ずるならば、御本尊の偉大な功力により、即法、報、応の三身とあらわれるのである。
妙法尼御前御返事にいわく「我等衆生悪業・煩悩・生死果縛の身が、正・了・縁の三仏性の因によりて即法・報・応の三身と顕われん事疑ひなかるべし、妙法経力即身成仏と伝教大師も釈せられて候」(1403:11)と。
ゆえに、われらの正因仏性は、金剛不壊の仏身とあらわれ、いかなる三類の嵐もものともせず、峨峨たる大山のごとく確固不動の幸福境に生ききることができるのである。また了因仏性は、仏智とあらわれ、宇宙、人生、社会を透徹した智慧で見ていけることができるのである。これこそ正しき人生を歩み、かつまた、社会、民衆に正しき方向を与えていく源泉なのである。
また、縁因仏性は、応身とあらわれ、事実の生活の上に、功徳があらわれ、福徳にみちみち、生き生きとした日々の行動をしきっていくことができるのである。
なお、正了縁の三因仏性が、非情の草木、また一微塵にもそなわることについては、先に論じた有情非情の問題と密接な関係がある。もったいなくも、御本尊は、紙である。だが、紙であっても、日蓮大聖人が南無妙法蓮華経とお認めになるや、御本尊として、偉大な力用を発揮するのである。これ、非情にも三因仏性が内在している証拠なのである。
第五章(観心の意義を示す)
本文
問うて曰く出処既に之を聞く観心の心如何、答えて曰く観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり、譬えば他人の六根を見ると雖も未だ自面の六根を見ざれば自具の六根を知らず明鏡に向うの時始めて自具の六根を見るが如し、設い諸経の中に処処に六道並びに四聖を載すと雖も法華経並びに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば自具の十界・百界千如・一念三千を知らざるなり。
現代語訳
問うていうのには、一念三千の法門の出処が摩訶止観の第五に説かれているということを既に聞いて了解したが観心の意義はどうか。
答えていうのには、観心とは我が己心を観じて己心の生命に具足している十法界を見ることである。たとえば他人の眼・耳・鼻等の六根を見ることはできるが、自分自身の六根は見ることができないから自具の六根を知らない。明らかな鏡に向かって始めて自分の六根を見ることができるように、設い爾前の諸経の中に処々に六道ならびに四聖を説いているといっても、法華経ならびに天台大師の述べられた摩訶止観等の明鏡に向かわなければ自己の生命に具わっている十界・百界千如・一念三千を知ることができないのである。
語釈
六道並びに四聖
六道はまた六凡ともいい、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天上の六である。四聖は声聞・縁覚・菩薩・仏である。六道は凡夫迷者で、四聖は覚者聖人の意。
講義
観心について
(一)観心の意味
観心とは、一般的には心を対境としてそれを思索し、明らかに見ていくことをいう。心は万法の主であり、一法も心に欠けるものはない。したがって心を観ずることは、結局、いっさいを明らかに見通していけることになる。心が万法の主である文を参考に引用する。
① 華厳経の心如工画師の文。「心は工なる画師の種々の五陰を造るが如く一切世界のなかに法として造らざることなし心のごとく仏もまたしかなり、仏のごとく衆生もしかなり、三界唯一心なり、心の外に別の法なし、心・仏および衆生のこの三差別なし」②玄義第二「まえに明かすところの法、あに心の異なることを得んや。ただ衆生法は、はなはだ広く、仏法は、はなはだ高く、初心において難しとなす。しかるに心・仏および衆生、この三差別なければ、ただ己心を観ずるをすなわちやすしとなす」③総勘文抄「無量義経に云く『無相・不相の一法より無量義を出生す』已上、無相・不相の一法とは一切衆生の一念の心是なり」(0564:03)
そこで、天台の立てた観心を初めとして、正法像法年間には、さまざまな観心が唱えられた。いわゆる正法年間には不起の一念を観じたり、あるいは八識元初の一念を感じたりする修行が行なわれた。不起の一念とは華厳経に「頓とは言説に絶し、理性頓にあらわれ、解行頓に感じ、一念不生すなわちこれ仏なり」等とあるように、空観を観ずることである。また、八識元初の一念とは法相宗等で、第八識の阿頼耶識を根本識と立て、その一念を観じようとするのである。これらの観心は、観心という名目はあるが、真に己心を見つめきれる哲学ではない。
像法年間にはいって、天台は、法華経の十如実相、十界互具等の文により一念三千の法門を打ち立て、これを観心として、一念三千の観法、一心三観の修行を唱えたのであった。天台家の観心は観念観法ともいわれるものであり、法華経の極理を実践的に体系づけたのであった。この場合の心を観ずるというその心とは、たんなる唯識論的な心ではなく、現代的にいえば生命ともいえるものである。まことに生命というものは不思議な実体である。天台の止観第五に「心はこれいっさいの法、いっさいの法はこれ心なるなり。ゆえに縦にあらず、横にあらず一にあらず、異にあらず、玄妙深絶にして識の識るところにあらず。言の言うところにあらず、ゆえに称して不可思議境となす。意ここにあるなり」とある。一生成仏抄に「抑妙とは何と云う心ぞや只我が一念の心・不思議なる処を妙とは云うなり不思議とは心も及ばず語も及ばずと云う事なり、然れば・すなはち起るところの一念の心を尋ね見れば有りと云はんとすれば色も質もなし又無しと云はんとすれば様様に心起る有と思ふべきに非ず無と思ふべきにも非ず、有無の二の語も及ばず有無の二の心も及ばず有無に非ずして而も有無に徧して中道一実の妙体にして不思議なるを妙とは名くるなり」(0384:06)とある。
この妙なる生命の実体を把握するのが観心である。そして、自己の生命が十界互具、百界千如、一念三千の当体であると悟るのが天台家の観心である。そのために十乗観法等の修行方法を立てるのである。
しかしながら、天台家の観心は、もはや過去のものであり、現在のわれわれの幸福を築く力はまったくないのである。自分自身を見つめることが、いかに大事であるかを知ったとしても、また、自分を見つめることができたとしても、自分で自分自身をどうすることもできないのが現実である。さらにまた、現代のような複雑化した社会、せわしい生活のなかで、天台家のように、人里はなれた山林にまじわり、そこで観念観法などをするならば、それこそ、現実逃避であり、一部の特権階級、上流知識人の遊戯にすぎないではないか。
現在において、観心を論ずれば、日蓮大聖人の仏法で説く受持即観心こそ、末法の全民衆の幸福への大原理であり、それは、日蓮大聖人御建立の御本尊を信じて、南無妙法蓮華経と唱題することに尽きるのである。いまこのことについてさらに論じておこう。
観心とは、教相の対語である。玄義の一に「教とは聖人下に被らしむる言なり、相とは同異を分別するなり」とあるように、仏の所説の教法の相を分別し判釈するのを教相という。観心とは「己心を観じて十法界を見る」とあるごとく教相の肝要、奥底を己心に観じていく実践修行をいう。この教相・観心の二つは、大乗の諸宗で等しく立てているところである。たとえば法相宗では「三時の判」を教相とし、「五重唯識」を観心としている。天台家の教相と観心についていえば天台は、釈尊の一代の教法を、華厳・阿含・方等・般若・法華の五時、また蔵・通・別・円(化法の四教)・頓・漸・秘密・不定(化儀の四教)の八教に立て分け、法華経が釈尊の出世の本懐である最高の経文であり、それ以前の経教は権教であることを明らかにした。これが天台の教相である。
法華経が最高であるゆえんは、ここに生命の極理が説かれ、真に成仏の教法であるからである。爾前の経教では、空仮中の三諦をばらばらに説く、いわゆる隔歴の三諦の立ち場であるが、生命は本来、三諦円融を実相とする。この円融の三諦はさらにきわめれば一念三千となる。天台は法華経方便品第二の十如是の文により、本門の義を裏付けとして一念三千を説き明かした。すなわち、まえに引用した止観の五の文である。天台は心に真理を観念する法として三種の観法を立てた。すなわち天台所立の観心の方軌であり、一に託事観、二に附法観、三に約行観である。この第三の約行観がそのなかの肝要であり、一念の心を所観の対境として即空即中即仮を諦観するのである。
別言すれば、生命の真実の姿は円融の三諦であり、百界千如、一念三千である。自分の一念の心法が即三諦・一念三千なりと諦観する一心三観一念三千の観法が、天台の観心である。そして天台はこの観心を成就する行規として、十種の乗法を立てた。すなわち十乗の観行を練磨する、観念観法によって衆生はよく成仏の境涯に到達できるとしているのである。
しかしながら、天台家の観心というものは、あくまで釈尊の説いた法華経の実践修行であって、その域を出るものではない。天台の末流の人々が、天台の観心修行を尊んで法華経の本迹二門を捨てるというが、これは大きな誤りである。止観には「漸と不定とは置いて論ぜず今経によってさらに円頓を明かさん」、弘決には「法華経の旨をあつめて不思議・十乗・十境・待絶滅絶・寂照の行を成ず」、止観大意には「もし法華を釈するには、いよいよすべからく権実本迹を暁了すべし、まさに行を立つべし、この経ひとり妙と称することを得。まさにここによって、もって観意を立つべし、五方便および十乗軌行というは、すなわち円頓止観まったく法華による円頓止観は、すなわち法華三昧の異名なるのみ」、疏記には「観と経と合すれば他の宝を数うるにあらず。まさに知んぬ、止観一部はこれ法華三昧の筌罤なり、もしこの意をうれば、まさに教旨にかなう」、行満の天台学法門大意には「摩訶止観一部の大意は法華三昧の異名を出でず経によって観を修す」等とある。これらの文によれば、天台の観心が法華経の実践修行であり、法華経よりすぐれるとか、法華経を捨てて修行すべきものであるということがいかに誤りもはなはだしいかがわかる。したがって、日蓮大聖人も立正観抄に「若し止観修行の観心に依るとならば法華経に背く可からず止観一部は法華経に依つて建立す一心三観の修行は妙法の不可得なるを感得せんが為なり、故に知んぬ法華経を捨てて但だ観を正とするの輩は大謗法・大邪見・天魔の所為なることを」(0527:05)とおおせられている。したがって末法の今日においては、釈迦仏法の「白法隠没」とともに天台家の観心もなんの意味もなさなくなってしまっているのである。たとえそれが法華経であっても、いまや功力がなくなっている以上、それによって成り立つ天台家の観心はあえなくくずれさってしまったことを知るべきである。上野殿御返事には「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但(ただ)南無妙法蓮華経なるべし」(1546:11)とあり、高橋入道殿御返事には「法華経は文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず」(1458:14)とある。
さらに、天台家の観心は、あくまで天台の己心の法門であって迹仏の思慮であり、そこに限界がある。立正観抄に「止観の二字をば観名仏知・止名仏見と釈すれども迹門の仏智仏見にして妙覚極果の知見には非ざるなり、其の故は止観は天台己証の界如三千・三諦三観を正と為す迹門の正意是なり、故に知んぬ迹仏の知見なりと云う事を但止観に絶待不思議の妙観を明かすと云えども只一念三千の妙観に且らく与えて絶待不思議と名けるなり」(0531:06)とある。
末法にはいり、御本仏日蓮大聖人がご出現になり、三大秘法の御本尊を建立され、末法における観心をわれら衆生のために示されたのであった。しからば末法の観心とはいったいなにか。観心とは自己の生命の実体を見つめて幸福を証得することである。末法においては御本尊を信じ、唱題することが観心なのである。したがって本抄には「問うて曰く出処既に之を聞く観心の心如何、答えて曰く観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり」とあり、明鏡に向かって自具の十界、百界千如、一念三千をみるべきことを示され、これについて己心の十界は信じられないとの問いに、六道を明かし四聖を明かし、さらに「問うて曰く教主釈尊は此れより堅固に之を秘す」(0242:14)以降には、凡夫の一念に仏界を具しているというのは絶対に信ずることができないとの反問を掲げ、それに対する答えとして「但し初の大難を遮せば……」(0245:09)から本尊の妙用・大功徳を明かして、この御本尊を受持することが観心であると結論して「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246:15)とおおせられているのである。すなわち、釈尊の過去無量劫にわたって積んできた因位の万行および果位の万徳は、ことごとく妙法五字の御本尊に具足している。われらがこの御本尊を受持するならば、自然に仏と等しくなる。すなわち凡夫即諸法実相の仏と開顕するのである。
天台家の観心と末法の観心の勝劣については治病抄に「一念三千の観法に二つあり一には理・二には事なり天台・伝教等の御時には理なり今は事なり観念すでに勝る故に大難又色まさる、彼は迹門の一念三千・此れは本門の一念三千なり天地はるかに殊なりことなりと御臨終の御時は御心へ有るべく候」(0998:15)とあるごとく、天地のへだたりがあるのである。
さらに天台家の観心と末法日蓮大聖人の観心との関係は次のごとく諸御書にお示しになっている。①百六箇抄「 一品二半は在世一段の観心なり天台の本門なり、日蓮が為には教相の迹門なり云云」(0856: 在世観心法華経の本迹)②本因妙抄「彼の観心は此の教相……」(0875:05)③本因妙抄「四に会教顕観・教相の法華を捨てて観心の法華を信ぜよと」(872:11)④本因妙抄「仏は熟脱の教主・某は下種の法主なり、彼の一品二半は舎利弗等の為には観心たり、我等・凡夫の為には教相たり」(0874:01)、これらの文によって天台家の観心も大聖人の観心に比べれば、教相であることは明らかである。
(二)受持即観心
さきに引用した観心本尊抄の「観心とは己心を観じて十法界を見る」の文を、そのままよめば天台の観心であることは前述したとおりである。これを附文辺といい、このことばによって大聖人のお心を拝するを元意の辺という。
附文の辺において論ずるならば、自分の心をよくよく観測して自分の生命のなかに起こる種々な現象を十界、百界千如、一念三千と悟ることである。その悟った十法界は即仏心であり大宇宙そのものである。されば自己の生命は即宇宙の生命であり、仏の生命である。おのが生命を小宇宙なりと喝破した哲人があるが、それも一理といいうる。しかし、この考え方は宇宙に類似するというような意識を起こさせる。仏教観においては、類似でなく即である。いいかえれば大宇宙即小宇宙である。こういうならばことばの意味はわかるであろうが、宇宙即我とか、我即仏とかいうような実感はわいてこない。仏道修行の究極はこの実感が大事なのである。ここに天台家の観念観法が末法に用をなさないことが明らかである。そこでこの実感をうるために大聖人の仏法が必要となってくる。この短いことばを附文の辺と、元意の辺とにとるのはそのためである。元意の辺をもって観心を論ずれば「己心を観じて」とは、すなわち御本尊を信ずる義であって「十法界を見る」とは南無妙法蓮華経と唱える義である。そのゆえはただ御本尊を信じて妙法を唱えれば、御本尊の十法界はまったく、わが己心の十法界と冥合して一と観ずることができるからである。
以上のことを日寛上人は本尊抄文段に総勘文抄を引いて次のごとく説かれている。
「所詮己心と仏身と一なりと観ずれば速かに仏に成るなり、故に弘決に又云く『一切の諸仏己心は仏心と異ならずと観じ給うに由るが故に仏に成ること得る』と已上、此れを観心と云う」(0569:16)
仏心も妙法五字の本尊であり、己心も妙法五字の本尊である。己心仏心異なっているが妙法五字の本尊においては異ならない、ゆえに「一なりと観ずれば」とおおせられているのである。しこうして「観」とは、「信」のことをいうのである。されば初心の行者がその義を知らずともただ御本尊を信じて妙法を唱えれば、しぜんに己心と仏心と一なりと観ずることになるのである、これを末法の観心というのである。
また、自分の面と他人の面とのたとえを引かれて、自分の面の六根を見んとするならば鏡に向かって初めてその面を見ることができるとおおせられている。ただ鏡に向かって見るものは眼耳鼻舌身の五根であって六根ではない。されば他の一根を何とするかというに、「意」である。これを意根という。なぜ六根を鏡にうつしてこの意根まで見るかというに、心の動きたとえば喜怒哀楽というようなものは面に現われるからである。
つぎに鏡に向かう時には十界の相を見ることができる。いいかえれば鏡に十界の相を現ずるのである。すなわち、あるいは「瞋」あるいは「貪」あるいは「癡」あるいは「諂曲」あるいは「平」あるいは「喜」あるいは「無常」あるいは「慈愛」等がならび現ずるのである。しかして十界を現ずるということばに九界しか現じていないが、その一界はすなわち鏡であって、鏡自身は仏界を意味するのである。この鏡については、
「法華経ならびに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば自具の十界・百界千如・一念三千を知らざるなり」とおおせられて法華経ならびに摩訶止観を明鏡と指されている。附文の辺より論ずれば、いうところの明鏡は法華・止観であることはいうまでもない。しかし元意の辺はまさしく本尊をもって明鏡とするのである。
御義口伝にいわく、
「南無妙法蓮華経と唱え奉る者の希有の地とは末法弘通の明鏡たる本尊なり」(0763:第四是人持此経安住希有地の事:02)
また御義口伝にいわく
「惣じて鏡像の譬とは自浮自影の鏡の事なり此の鏡とは一心の鏡なり、惣じて鏡に付て重重の相伝之有り所詮鏡の能徳とは万像を浮ぶるを本とせり妙法蓮華経の五字は万像を浮べて一法も残る物之無し」(0724:第七以譬喩得解の事:02)
また御義口伝にいわく、
「鏡に於て五鏡之れ有り妙の鏡には法界の不思議を浮べ・法の鏡には法界の体を浮べ・蓮の鏡には法界の果を浮べ・華の鏡には法界の因を浮べ・経の鏡には万法の言語を浮べたり……我等衆生の五体五輪妙法蓮華経と浮び出でたる間宝塔品を以て鏡と習うなり、信謗の浮び様能く能く之を案ず可し自浮自影の鏡とは南無妙法蓮華経是なり」(0724:第七以譬喩得解の事:04)
以上の御義口伝をもって結論すれば、大聖人のおおせの「明鏡に向うの時」の明鏡とは、法華止観を指すのではなくして、一念三千の南無妙法蓮華経であることは明らかであろう。このゆえに元意の辺というのである。
また、鏡とは、信心に約せば、われらの信心こそ鏡である。ゆえに、引用の御義口伝の文に「一心の鏡」とおおせられているのである。一心とは、師に約し、自受用身の一念の心法即事の一念三千の御本尊であり、弟子に約して、御本尊を信ずる一念をいう。われわれは、信心により、生命の奥底より、仏智がほとばしり出てくるのである。心を澄まし自己の生活をみつめ、また、人生を、社会をさらに政治、経済、時代の潮流をも正しく見つめ、リードしていくことができるのである。
六根について
六根の六とは、眼・耳・鼻・舌・身・意の六官のことである。また根とは、生命には対境に縁すると即時に作用する力や機能があり、その力、機能の本源が根である。生命に眼根があるから、色境に縁すれば眼識(視覚)を生じ、生命に耳根があるから、声境に縁すれば耳識(聴覚)を生じ、乃至生命に意根があるから、対境に縁して、たとえばこわいとか、楽しい等の意識を生ずるのである。六根のうち前の五根、すなわち、眼・耳・鼻・舌・身の五根は、いずれも色法であり、意根だけは心法である。
法華経法師品第十九に「若し善男子・善女人は、是の法華経を受持し、若しは読み……若しは書写せば、是の人は当に八百の眼の功徳……千二百の意の功徳を得べし。この功徳を以て、六根を荘厳して、皆な清浄ならしめん」とある。すなわち、法華経は即身成仏の法であり、これを信じ行ずる凡夫は、不浄の凡身を即清浄の仏身に変えることができ、したがってその六根もまた清浄なものとなる。そして六根が清浄になるとは、たとえば意根を例にとれば、自分では自分の心をどうしようもないのである。人はさまざまなことを考え、思い、意識する。そのさまざまな考え、思い、意識にはその人の本質的なものがあらわれており、よく性根ということばで表現される。これが意根である。この意根それ自体が妙法の力によって浄化されるのである。ゆえに、いっさいの考え、思いが、ことごとく宇宙のリズムにかない、それによる行動も正しい人生行路を歩んでいけることになる。
御義口伝にいわく「眼の功徳とは法華不信の者は無間に堕在し信ずる者は成仏なりと見るを以て眼の功徳とするなり、法華経を持ち奉る処に眼の八百の功徳を得るなり、眼とは法華経なり此の大乗経典は諸仏の眼目と、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は眼の功徳を得るなり云云、耳・鼻・舌・身・意又又此くの如きなり」(0762:第二六根清浄の事:01)と。
さて、この六根というものを考えるにつけて、わがこの身体は、まさに宝器であることを痛感するのである。所詮、宇宙の多種多様な現象も、人生の千変万化も、六根がなければ感ずることができない。人生の醍醐味も、悲哀もともにこの六根を通じて知るのである。
もし生命が委縮し、地獄の苦悩に沈んでいるとすれば、眼に映ずるもの、耳に聞こゆるもの、香りも、味わいも、身体にふれるものも、心に思うことも、ことごとく、苦悩煩悶に満ち満ちたものである。だが、ひとたび境涯を開けば、われわれに映ずる世界は、楽しみに満ちた常寂光土となるのである。ゆえに、この身が宝器なりと真実にいいきれるのは、わが生命に仏界を顕現した人生、すなわち、信心根本の人生について、初めていいうるのである。
第六章(十界互具の文を引く)
本文
問うて云く法華経は何れの文ぞ天台の釈は如何、答えて曰く法華経第一方便品に云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」等云云是は九界所具の仏界なり、寿量品に云く「是くの如く我成仏してより已来甚大に久遠なり寿命・無量阿僧祇劫・常住にして滅せず諸の善男子・我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命今猶未だ尽きず復上の数に倍せり」等云云此の経文は仏界所具の九界なり、経に云く「提婆達多乃至天王如来」等云云地獄界所具の仏界なり、経に云く「一を藍婆と名け乃至汝等但能く法華の名を持つ者を護るは福量るべからず」等云云、是れ餓鬼界所具の十界なり、経に云く「竜女乃至成等正覚」等云云此れ畜生界所具の十界なり、経に云く「婆稚阿修羅王乃至一偈一句を聞いて・阿耨多羅三藐三菩提を得べし」等云云修羅界所具の十界なり、経に云く「若し人仏の為の故に乃至皆已に仏道を成ず」等云云此れ人界所具の十界なり、経に云く「大梵天王乃至我等も亦是くの如く・必ず当に作仏することを得べし」等云云此れ天界所具の十界なり、経に云く「舎利弗乃至華光如来」等云云此れ声聞界所具の十界なり、経に云く「其の縁覚を求むる者・比丘比丘尼乃至合掌し敬心を以て具足の道を聞かんと欲す」等云云、此れ即ち縁覚界所具の十界なり、経に云く「地涌千界乃至真浄大法」等云云此れ即ち菩薩所具の十界なり、経に云く「或説己身或説他身」等云云即ち仏界所具の十界なり。
現代語訳
問う、十界互具・一念三千を説く法華経はどのような文があり、天台の釈にはどのような釈があるか。
答う、法華経第一方便品に「衆生をして仏の知見を開かしめんと欲するが故に諸仏は世に出現する」と説いている。これは総じて九界の衆生に仏界を具えていることを顕わす。同じく寿量品に「かくの如く自分が成仏してよりこのかた甚(はなは)だ大いに久遠である。その寿命は無量阿僧祇劫であり常住不滅である。諸の善男子よ、自分が本菩薩の道を行じて成就した所の寿命は今なお未だ尽きないで復五百塵点劫と説いた上の数に倍するのである」と説かれているのは仏界に九界を具しているとの文である。
同じく提婆達多品に「提婆達多は天王如来となる」とある。これは謗法の罪により地獄へ堕ちた提婆達多すら仏界を具えているという。地獄界へ仏界を具えているならその他の八界を具えていることはいうまでもない。同じく陀羅尼品には「十羅刹女の第一は藍婆であり、十羅刹たちが妙法蓮華経を護持する行者を擁護すると誓ったその福報は無量である」と説かれているが、餓鬼界の羅刹が無量の福報たる仏果を得るのは餓鬼界に仏界を具えているのであり従って余の八界を具えていることが明らかである。同じく提婆達多品には「竜女が等正覚を成ず」とあり、竜は畜生であるからその女が成仏するのは畜生界に十界を具する文である。同じく法師品には「婆稚阿修羅王が此の経の一偈一句を聞いて随喜の心を起こすならば阿耨多羅三藐三菩提を得る」とあり、これは修羅界に十界を具する文である。同じく方便品に「若し人が仏を供養せん為に形像を建立するならばこの人は必ず仏道を成就する」とありこれは人界に十界を具する文である。同じく譬喩品に「大梵天王等の諸天子は我等も亦舎利弗の如く必ず作仏するであろう」とあり、これは天界に十界を具する文である。同じく譬喩品に「舎利弗は華光如来となる」とあり、これは声聞界に十界を具する文である。同じく方便品に「縁覚を求める比丘・比丘尼が合掌し敬順の心を以て具足の道を聞かんと欲した」とあり、具足の道とは一念三千の妙法蓮華経であってすなわちこれは縁覚界に十界を具する文である。同じく神力品に「千世界微塵数の無数の地涌の菩薩は是の真浄の大法を得ようと欲した」とあり、真浄大法とは事の一念三千の南無妙法蓮華経であって、すなわちこの文は菩薩界に十界を具する文である。同じく寿量品には「或は己身を説き或は他身を説き、或は己心を示し或は他身を示し、或は己事を示し或は他事を示す」等と説いているのは仏界を具する文である。
語釈
提婆達多
梵名デーヴァダッタ(Devadatta)の音写。また調達とも書く。漢訳して天授・天熱という。大智度論巻三によると、斛飯王の子で、阿難の兄、釈尊の従弟とされるが異説もある。出生のとき諸天が、提婆が成長の後、三逆罪を犯すことを知って、心に熱悩を生じさせたので、天熱と名づけたという。釈尊が出家する以前に悉達太子であったころから釈尊に敵対し、悉達太子から与えられた白象を打ち殺したり、耶輸陀羅女を悉多太子と争って敗れたため、提婆達多は深く恨んだ。また仏本行集経巻十三によると釈尊成道後六年に出家して仏弟子となり、十二年間修業した。しかし悪念を起こして退転し、阿闍世太子をそそのかして父の頻婆沙羅王を殺害させた。釈尊に代わって教団を教導しようとしたが許されなかったので、五百余人の比丘を率いて教団を分裂させた。また耆闍崛山上から釈尊を殺害しようと大石を投下し、砕石が飛び散り、釈尊の足指を傷つけた。更に蓮華色比丘尼を殴打して殺すなど、破和合僧・出仏身血・殺阿羅漢の三逆罪を犯した。最後は、王舎城の中で、大地が自然に破れて生きながら地獄に堕ちたとされる。しかし法華経提婆達多品第十二で釈尊が過去世に国王であった時、位を捨てて出家し、阿私仙人に千年間仕えて法華経を教わったが、その阿私仙人が提婆達多の過去の姿であるとの因縁が説かれ、未来世に天王如来となるとの記別が与えられ悪人成仏が説かれた。
「一を藍婆と名け……」
法華経陀羅尼品に「爾の時、羅刹女等有りて、一に藍婆と名づけ、二に毘藍婆と名づけ、三に曲歯と名づけ、四に華歯と名づけ、五に黒歯と名づけ、六に多髪と名づけ、七に無厭足と名づけ、八に持瓔珞と名づけ、九に皐諦と名づけ、十に奪一切衆生精気と名づく」とある文を指す。鬼子母神およびその子十羅刹女は、餓鬼界をあらわす。悪鬼である鬼子母神・羅刹女が法華経で善神と転ずることは、善悪不二、十界互具をあらわし、それは即百界千如一念三千なのである。
「婆稚阿修羅王……」
法華経序品に「四阿修羅王有り。婆稚阿修羅王・佉羅騫駄阿修羅王・毘摩質多羅阿修羅王・羅睺阿修羅王なり。各おの若干百千の眷属と俱なり」とある文を指す。①婆稚阿修羅王の婆稚とは、文句の二によれば、被縛、五処被縛等という。帝釈と戦って敗れ縛されたことによって、その名がある。②佉羅騫駄阿修羅王は、訳して吼如雷。文句の二によれば広肩胛という。形貌広大のゆえである。また悪陰と訳するのは、その性をあらわすものである。海水を沸かしむる者である。③毘摩質多羅阿修羅王は、訳して浄心または種々疑という。海水をかきわけて声を発さしめ、これを毘摩質多という。乾闥婆の女をめとり、舎脂夫人を生み、帝釈にとつがしめたという。新訳に綺画というのは、彼が文身(刺青、入墨)せるをいう。④羅睺阿修羅王は、つぶさには羅睺羅阿修羅王という。羅睺羅とは障持、執月と訳す。この阿修羅は帝釈と戦うとき、よくその手をもって日月を障蔽するゆえに名づける。以上四阿修羅王がいるが、ともにつねに帝釈と戦闘する。
講義
われら衆生の己心に十界を具しているから、尊厳無比の仏界も苦悩のどん底たる地獄界もことごとく我等の一念に具わっている。しかし、われらの生命の内に仏の境涯があるということ、すなわち、われらが仏たる素質を持っているということはなかなか信じられない。そのゆえにまず前提として十界互具という哲理を知らしめるために事実の上から説き明かした法華経の文を引かれるのである。
引用の文に総別あり、方便品の文は総じて九界所具の仏界を明かし、寿量品の文は総じて仏界所具の九界を明かしている。
「衆生をして仏知見を開かしめん」とは九界の衆生に仏の知見が蘊在しているからこそ、その知見を開かしめんというのである。もし衆生に仏の知見がないならば、開く開かない等と論ずることは無意味であろう。たとえば無一物の貧乏人が自分の蔵を開くとか開かないとかいうことができないのと同じである。
次に「菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命今猶未だ尽きず復上の数に倍せり」とは因位の万行が果海に流入しているがゆえに仏界所具の九界というのである。すなわち久遠において行じた菩薩行が成仏と同時に消え去ったのではない。その菩薩行がそのまま仏界に流入して今猶未だ尽きず、復上の数に倍するとの意である。菩薩行をなにゆえに九界というかについては、菩薩は九界の位であり一を挙げて余の八に例したのである。
次に「提婆達多乃至……地獄界所具の仏界なり」以下は別して十界互具の文を引く。地獄界のみが「所具の仏界」とあり、餓鬼界以下は「所具の十界」とあるけれども、仏界を具するならば十界を具することが明らかであり、また十界を具すならば仏界を具すことが当然の理であって互顕となるのである。
今この御文をはっきりするために、次のようなかんたんな表を付記しておく。参考とされたい。
総
衆生をして ………………… 九界所具の仏界
是の如く我成仏して ……… 仏界所具の九界
別
提婆達多乃至天王如来 …… 地獄界所具の仏界
一を藍婆と名け乃至汝等 … 餓鬼界所具の十界
竜女乃至成等正覚 ………… 畜生界所具 〃
婆稚阿修羅王乃至 ………… 修羅界所具 〃
若し人仏の為の故に ……… 人界所具 〃
大梵天王乃至我等 ………… 天界所具 〃
舎利弗乃至華光如来 ……… 声聞界所具 〃
其の縁覚を求むる者 ……… 縁覚界所具 〃
地涌千界乃至真浄大法 …… 菩薩界所具 〃
或説己身或説他身 ………… 仏界所具 〃
第七章 難信難解を示す
本文
問うて曰く自他面の六根共に之を見る彼此の十界に於ては未だ之を見ず如何が之を信ぜん、答えて曰く法華経法師品に云く「難信難解」宝塔品に云く「六難九易」等云云、天台大師云く「二門悉く昔と反すれば難信難解なり」章安大師云く「仏此れを将て大事と為す何ぞ解し易きことを得可けんや」等云云、伝教大師云く「此の法華経は最も為れ難信難解なり随自意の故に」等云云、夫れ在世の正機は過去の宿習厚き上教主釈尊・多宝仏・十方分身の諸仏・地涌千界・文殊・弥勒等之を扶けて諫暁せしむるに猶信ぜざる者之れ有り五千席を去り人天移さる況や正像をや何に況や末法の初をや汝之を信ぜば正法に非じ。
現代語訳
問う、自分の六根や他人の六根は見ることはできるけれども他人の生命にも自分の生命にも十界を具しているというのは一向に見えないがどうしたことか。
答う、法華経法師品には「信じ難く解し難し」と説かれ、宝塔品には「六難九易」を挙げて法華経の難信難解を説かれている。また天台大師は法華文句に「迹門は二乗の作仏、本門は久遠実成を説いて昔日四十余年に説いた権教とはことごとく相い反するので難信難解である」と。また章安大師は「仏がこれをもって大事となしているからどうして解し易いわけがあろうか」と。伝教大師は「この法華経は最も難信難解である。なぜなら衆生の意に随って説いた随他意の爾前経と異なって仏が悟りのままを説いた随自意の教えであるから」等といっている。
以上に明らかなごとく法華経は難信難解である。ゆえに釈尊在世の正機は過去世に下種を受けて宿習が厚い上に、釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏を始めとして、地涌千界の大菩薩・文殊・弥勒等の諸菩薩が釈迦仏の説法を助けて諌暁したのに、それでさえなお信じない者があった。すなわち方便品の広開三顕一の時には五千人の増上慢が席を去り、宝塔品の時には多くの人界天界の衆生が他の国土へ移された、在世の正機ですらこのとおりであったからいわんや仏滅後の正法時代、像法時代となればいよいよ難信難解となり、さらに闘諍堅固・白法隠没の末法となれば信じ難いのがとうぜんであり、汝が容易に信じられるとすれば、かえってそれは正法ではないのである。
語釈
難信難解
「信じ難く解し難し」と読む。易信易解に対する語。法華経法師品第十には、諸経の中で法華経が最も難信難解であると明かされている。仏が自身の覚りを直ちに説いた教え(随自意)は凡夫にとって信じ難く理解し難い。それ故、難信難解は仏の真実の教えである証拠とされる。
六難九易
法華経見宝塔品に、法華経を持つことのむずかしさが示されている。およそ不可能な九易でさえ、六難に比べればまだ易しいと説いたうえで釈尊は、滅後の法華経の弘通を促している。
まず「九易」とは、①余経説法易(法華経以外の無数の経を説く)②須弥擲置易(須弥山をとって他方の無数の仏土に擲げ置く)③世界足擲易(足の指で大千世界を動かして遠くの他国に擲げる)④有頂説法易(有頂天に立って無量の余経を説法する)⑤把空遊行易(手に虚空・大空を把って遊行する)⑥足地昇天易(大地を足の甲の上に置いて梵天に昇る)⑦大火不焼易(枯草を負って大火に入っても焼けない)⑧広説得通易(八万四千の法門を演説して聴者に六神通を得させる)⑨大衆羅漢易(無量の衆生に阿羅漢位を得させて六神通をそなえさせる)。
次に「六難」とは、①広説此経難(悪世のなかで法華経を説く)②書持此経難(法華経を書き人に書かせる)③暫読此経難(悪世のなかで、暫くの間でも法華経を読む)④少説此経難(一人のためにも法華経を説く)⑤聴受此経難(法華経を聴受してその義趣を質問する)⑥受持此経難(法華経をよく受持する)。
伝教大師
(0767~0821)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)滋賀郡に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。31歳にして内供奉十禅師に列せられ、36歳にして和気清麻呂の子、広世・真綱に招かれて初めて山を下り、京都高雄山寺(神護寺)において法華三大部の講義を行い、南都の諸大徳も列席し称賛したという。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生 の勅許が下り、訳語僧義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続けた。弘仁13年(0821)6月4日、比叡山中道院において入寂す。ときに寿56歳であった。没後7日目に大乗戒壇建立が聴許され、冬11月、嵯峨帝は「哭澄上人」の六韻詩を賜った。翌年、義真によって初めて大乗戒の受戒が行われ、延暦寺の寺号を賜った。貞観8年(0866)清和天皇から伝教大師の諡号が贈られたのは、円仁の慈覚大師号とともに、日本における僧侶の諡号の最初であった。著書に「法華秀句」三巻、「顕戒論」三巻、「守護国界章」三巻(各巻を上中下三巻に開いて九巻)、「山家学生式」一巻(三式)等がある。
諌暁
諌め暁すこと。諌(かん)は礼をもって他のあやまりをただすこと。暁はさとし明かすこと。
五千席を去り
法華経方便品の広開三顕一に入る時「此の語を説きたまう時、会の中に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷五千人等有りて、即ち座従り起ちて、仏を礼して退きぬ。所以は何ん、此の輩は罪根深重に、及び増上慢にして、未だ得ざるを得たりと謂い、未だ証せざるを証せりと謂えり。此の如き失有り。是を以て住せず。世尊は黙然として制止したまわず」とあるをいう。
講義
ここに難信難解を示す理由はこの疑いを挙げて十界互具・一念三千という法体の甚深を称嘆するのである。
問いの意は世間の鏡に向かえば自他面の六根を見ることができるけれども、法華経等の鏡に向かっても自分や他人の十界を見ることができない、どうしてこれを信じたらよいかとの意である。
人間界の十界については難信難解というといえども、これを説明することはさほどの無理ではない。そのゆえは各自の生活が九界まで顕然とこれを感じ得るからである。
今日において難信難解の根幹をなすものは十界互具ではなかろうか。
人間界の十界は信じるとしても人間界以外の十界すなわち前において表に示したように地獄界の十界、畜生界の十界ないし菩薩、仏界の十界とは、どんな状態を指すものであろうか。そしてそれはどこに存在するのであろうか、それは大きな問題となって来る。現代の人が仏教哲学を究明する時にまず突き当たるのはここであろう。しかし遺憾ながらここまで突き当たった人の苦慮もきいたことなく、これを解明しようと努力している人にも接したことがない。このことはまことに難信難解の問題なのである。
まず思索の第一歩をわれわれの生命の活動状態におくこととする。この方法はすなわち天台の「己心を観じて十法界を見る」ということに当たり、大聖人の「本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える」に当たるのである。
当抄にも示されており、われわれも生命論を論ずるたびに論じてきたことであるが、われわれの十界の生活を一応次に表示しておく。
瞋り ……怒りのあまり苦悩のどん底へ堕ちる生活 … 地獄界
貪り ……物を欲しがる生活 …………………………… 餓鬼界
癡か ……目先にとらわれて大意を失う生活 ………… 畜生界
諂曲 ……人に諂い己の心を曲げ闘争を事とする生活 修羅界
平か ……人間らしい生活 ……………………………… 人 界
喜ぶ ……歓喜に燃えた生活。時間的制限がある …… 天 界
無常 ……世の中に永久的なものはないと悟って
已れの思索に安心を求めているもの ……… 声聞界・縁覚界
徳 ………人間の徳性生活 ……………………………… 菩薩界
信仰 ……三大秘法の南無妙法蓮華経を信ずる生活 … 仏 界
以上のような生活場面が突如として日常生活の中に現われてくる。その一場面が常住しているのでもなければまた無いものであると断定できるものでもない。実在はするが、縁にふれなくてはその場面は現われないものである。それを体験することによって吾人はこの十界の生活の実体を認識せざるを得ないのである。さて、この十界の生活がわれらの生命に実在することを認識した以上は、そういう命が宇宙に存在することは認めざるを得ないであろう。
そうなると、仏界というと仏の住む清浄な世界が、宇宙のどこかに固定しているように考えられる。また菩薩界といえば観音菩薩や弥勒菩薩や文殊師利菩薩等々の、あの絵で表現されているような生活が宇宙のどこかにあるように考えられる。また地獄界といえば鬼の住む世界であって、そこで悪いことをした人がさかんにいじめられている特殊な世界があるように考えられる。また天といえば、天の一方に天国というような所があって梵天帝釈や神々が、ゆうゆうと汚れをわすれて遊んでいるような所があるように考えられる。
しかしこれらのような考え方は全部あやまりである。ただそういう生命を知らしめんがためのたとえとして、仏教典の中に表現されてはいるが、それは権大乗以下の経典の説明法であって決して実在ではあり得ない。しからばいかなる状態において存在するのか。
われわれの生命は即宇宙の生命であるとまず観じなくてはならぬ。その大宇宙は一個の大生命である。この大生命の中に、吾人等の生命の中に存在するがごとく十界が実在しているのである。地獄界が仏界に重なっているのでもなく、仏界と餓鬼界が別々の個所にあるのでもなく、混然一体として融和して融通無礙の状態にあるのである。たとえばラジオにおいて摂取できる各国各様の電波が重なっているのでもなくまじっているのでもなく、混然一体のような状態にあるがごときものである。ただ縁にふれてその生命が躍動するのであって、仏界の生命にも十界を具し、菩薩界の生命にも十界を具するというにすぎないのである。
死後の生命は大宇宙の生命に融和してしまう。とけ込んでしまう。その生命が、仏界の業を感ずるのも、地獄界の業を感ずるのも、皆生前の業によることであって、その業を感ずる状態は肉体も心もない生命というものの特質である。吾人の非才にしてはこれを書き切ることは至難であるが、大宇宙それ自体が十界の生命であり、その十界はまた互いに十界を具するということは事実である。真に難信難解という以外にはない。ゆえにこの章において仏は難信難解、六難九易、天台大師いわく「二門悉く昔と反すれば難信難解なり」章安大師いわく「仏此れを将て大事となす何ぞ解し易きことを得可けんや」伝教大師云く「此の法華経は最も為れ難信難解なり随自意の故に」と説かれているのである。
随自意について
随自意とは、随他意に対することばであり、衆生が信解するとしないとにかかわらず、みずから悟ったところの内証の法門を直接説くことをいう。諸経と法華経と難易の事にいわく「仏九界の衆生の意楽に随つて説く所の経経を随他意という譬えば賢父が愚子に随うが如し、仏・仏界に随つて説く所の経を随自意という、譬へば聖父が愚子を随えたるが如きなり」(0991:14)と。
釈尊の随自意の教法は法華経である。それに対し爾前経は随他意である。法華経方便品にいわく「我れは無数の方便、種種の因縁、譬喩言辞を以て、諸経を演説す。是の法は思量分別の能く解する所に非ず、唯だ諸仏のみ有して、乃し能く之れを知しめせり」と。すなわち、爾前経においては、衆生に理解しやすいように、さまざまな方便、種々の因縁、譬喩等をもって衆生を引導してきたが、いま説く法華経は、思慮分別もできない難信難解の大法であり、仏のみ知るところのものであるとの意である。
しかして、随自意、随他意といえども、それは「所対不同」であり、権実相対する時、権教は随他意、法華経は随自意。本迹相対する時、迹門は随他意、本門は随自意。さらに色相荘厳の釈尊の説く一代仏教は、たとえ法華経本門といえども、世情に随順する随他意の法であり、文底下種の南無妙法蓮華経こそ随自意なのである。まことに日蓮大聖人の仏法こそ、八万法蔵の奥底、生命の本源を説き明かして余りなく、全民衆を根底から救い切る大哲学である。あらゆる仏は南無妙法蓮華経によって仏となり、またあらゆる仏が帰趣するところも南無妙法蓮華経である。十方三世の諸仏の骨髄であり、魂であり、眼目である。ゆえに難信難解であることは当然であり、本文に「汝之を信ぜば正法に非じ」、汝が容易に信じられるとすれば、かえってそれは正法ではない、とあるのも、まことにゆえあるかなと思うものである。
随自意とファッショとの区別
いま、随自意ということを、創価学会に、信心および生活に約して論じてみよう。
創価学会の立ち場はまさしく随自意である。いままで、世間のいわゆる知識人・評論家と呼ばれる人たちの学会認識というものは、驚きあきれるほどいいかげんなものであった。
彼らは、かつて学会員を、知的レベルも低く、またなんの批判精神もなく、小羊のごとく随順であり、「病気がなおる」「金がもうかる」等の甘言にあやつられて、それに盲従するものと考え、またそのように言ってきた。その底流には恐るべき、民衆蔑視と、慢心とがひそんでいた。彼らは、学会員を馬鹿にし、あざ笑った、どうせ行くところまで行けば頭打ちになって、いずれは崩壊してしまうものと考えた。だが、学会は微動だにすることなく、さらに躍進につぐ躍進をつづけた。彼らは、こんなはずがないと、いままで傍観視していたのが、急にあわてだし、学会に恐怖・脅威の念を懐きはじめた。その脅威の念をこう表現した。
「学会はファッショである」と。
彼らは、学会の出現を、けっして謙虚な心で知ろうとしなかった。そしてことごとく自分の頭のなかの範ちゅうにあることばと結びつけようとした。やれナチズムに似ているとか、やれ一向一揆に似ているとか、やれプジャード派に似ている等と、そしてそれらの偏見は、さまざまに形を変え今なお続いている。
中世において、キリスト教徒たちは、教会の権威をおびやかす科学者を「無神論者」とか「魔術師」「マホメット教徒」と呼んで、迫害した。また、日本において戦時中に、少しでも正しいことをいえば、「自由主義者」「人民戦線」「非国民」というレッテルをはり、それを抑えたのである。終戦によって、その様相は一変した。だがそれは人間生命に巣食う事大主義、偏見、迷信が変革されたのではなく、その形が変わったにすぎなかった。自由主義者のかわりに「反動」ということばが使われ、また、どんな人でも自分が少しでも民主的な人間であるかのように装うのである。
団結=ファッショという単純なものの考え方のうらにもそうした人間の性向があることを知らねばならない。
みずからの目で正しく判断しようという気力なく、鸚鵡のように「ファッショ」「ファッショ」と繰り返す姿は、あわれの一言に尽きる。権力におもねり、迎合し、人気取りに熱中する世の評論人、知識人こそ、かつて軍部のお先棒をかついで日本を戦乱の巷に追いやった人間となんら変わりがないと断ぜざるをえないのである。
これに対し、学会の主張は定見である。最高の哲学に根ざし、願うところは全民衆の幸福であり、全世界の平和であるがゆえに、だれにこびへつらう必要もない。あくまでも随自意なのである。しかして、わが創価学会の行き方に対して万人が嵐のごとき賛同の意を表することは必然であると確信するものである。
「ファッショ」の意味するもの
学会はファッショであるといっている本人に、こう質問してみるがよい。彼らの大部分は、たちまち答えに窮してしまうであろう。学会とは何か、ファッショとは何か、この二つを冷静に、正しく認識し、しかるのちにこそ似ているか似ていないかの判断が下されるのである。子供でも心得ている、こんな道理を無視して「学会ファッショ論」をふりまわしている評論家たちは、まさしく牧口初代会長がいわれたごとく「高等精神病患者」ではないか。
ファッショとは、1919年、イタリアにおいてムソリーニが組織したファシスト党から始まり、以後、それに類似した動行、傾向、体制をいうようになった。その最も代表的な例として、ドイツのヒトラーによるナチズム、スペインのフランコ政権があり、わが国における軍国主義も、広い意味でのファッショに含まれる。
その特色として、すでに学会の定説となっていることは、まず第一に、暴力主義による独裁、第二に独占資本主義を擁護する体制、第三に、全体主義によって議会民主主義および個人の基本的人権を否定する。第四に、人間の価値の平等を認めない。国内的には少数の指導者が権力を独占行使する専制政治をしき、対外的には武力、策謀等、目的のためには手段をえらばない侵略主義をとる、という点である。
これらのファッショの基本的な原理を、いま、わが創価学会の行動、理想、また、その根本となっている仏法に照らし合わせてみるならば、何一つとして当てはまるものがない。むしろ、これらの狂気じみた考え方を、真っ向から否定し、根底から崩壊せしめる力ある哲学こそ仏法であり、創価学会の行動なのである。
第一の暴力主義による独裁について。およそ暴力主義の団体に、五百万世帯、一千数百万人の大衆が賛同してくるなどと考えること自体すでに狂気のさたというべきである。暴力で組織を拡大できるのであれば、新聞などで盛んに騒がれた暴力団がもっとも発展するはずである。
いったい学会の中で、暴力をふるったという事例があったか、断じて否である。ひるがえって世間を見ると、労働組合が第一、第二組合と分かれて血を流し合ったことがあった。会社が暴力団を雇って組合員を迫害したり、組合員が大挙して会社側につめよったりすることも、いまや珍しいことではない。国の中心たる国会においてすら、暴力国会という汚点を残している。世は挙げて修羅界の巷と化しているときに、わが創価学会のみが、和気あいあいと、明るく前進し、また、社会人として価値創造に励んでいる。しかして、世界を修羅界、地獄界より救済し、平和楽土を建設する、唯一の原理こそ、日蓮大聖哲の仏法であることを主張してやまない。
すなわちファッショないしファッショ化の傾向は、仏法を知らない修羅界の世界にこそあるといわなければならない。創価学会は慈悲の団体である。日蓮大聖哲の仏法をもって、永久に崩れざる平和を世界に打ち樹てる使命をもった唯一つの団体なのである。むしろ、暴力をふるわれたのは学会である。日蓮大聖人立宗七百年の歴史、また創価学会35年の歴史は、権力による弾圧、無知な人々による盲目的批判と迫害の連続であった。いまこそ、われわれは、この偉大な仏法を正しく認識し、正当な評価を下すべきことを世の人々に訴えるものである。
個人の独裁について一言する。独裁が成り立つ第一の要件は、指導原理、理念がないということである。すぐれた指導原理があるところには、独裁は成立しない。学会には、日蓮大聖人の大仏法哲学、南無妙法蓮華経の厳然たる法則がある。かつ、その原理、哲学をば、全会員が学び、身につけて、有智の団体の一大和合僧団と発展、前進しているのが学会の行き方である。独裁者は、成員、後輩の成長を嫌う。努めて無智化しようとするものである。後輩を自分より成長させよう、自分より力ある指導者に育てようというのが、令法久住を願う学会精神であり、これは独裁と全く相反するものであることは、いうまでもない。
第二の独占資本主義の擁護云云について。よく「学会は社会の底辺の人々を組織している」等と批判した評論家がいた。もとより、学会は日本の社会の縮図であり、即大衆であって、どの階層がとくに多いということはない。強いていえば青年層が多いといえようか。しかしながら、与えてこれを論ずれば、このような批判自体、独占資本主義擁護うんぬんの批判を否定することになる。奪って論ずれば、学会は、いまだかつて一度も資本家の味方をしたことはない。私腹を肥やさんがために民衆を踏み台にして、金もうけに狂弄する輩は、これ餓鬼の衆生であり、あわれむべき連中である。そのような者を、学会が擁護し結託する道理がないのである。
第三の全体主義による議会民主主義の否定、個人の基本的人権の否定についても、全く逆である。創価学会の目的、日蓮大聖人の仏道修行の究極するところは、一生成仏である。
一生成仏とは、現代語に訳すると、個人の主体性の確立、真実の自我の確立、自由自在の絶対的幸福境涯の確立である。個人の基本的人権を最高に確立してゆくのが、日蓮大聖人の大生命哲学実践の、究極の目的なのである。
また、仏法民主主義の樹立であり、人間性社会主義の実現である。指導理念なきがゆえに、腐敗と混乱におちいっている議会民主主義に魂を入れ、生かしていくところに学会の目標があるのである。
第四の人間の価値の平等についても、これをもっと正しく認めている団体が学会である。また、人間の価値を平等に認め、その尊厳を最高度に発揚してゆく原理が大聖人の仏法である。仏法は全人類ひとりもれなく事の一念三千の当体であり、仏の子と説く。社会的地位の相違、学歴の有無、男女の性別、年齢の高低、人種の差別等々を問わず、仏法の前に平等である。現実に、創価学会の同志愛に結ばれた和合僧の姿を見るならば、ファッショ云云の批判は雲散霧消するであろうことを確信するものである。
次に、信心および生活に約して随自意、随他意を論ずるならば、信心こそまさに随自意なのである。地位、名誉、財産等、これらはことごとく随他意である。信心ほど強いものはない。天上界の楽しみも五衰をうけ、地位、名誉、財産等も化城に等しい。いかなる時代がこようとも、巌のごとく盤石であり、あらゆる苦難を打開し、あらゆる福運を万里の外より招きよせる大源泉は信心である。
また、環境に支配された生活は随他意であり、環境に左右されず、むしろ環境を変え、支配し、思うがままに遊戯する生活は随自意である。生命力弱き人は、環境の重圧におしつぶされてしまい、もがき、苦しみ、あがくのである。生命力強き人は、環境にしばられず、真に自由自在の、幸福環境を満喫するのである。それも所詮は信心が根本である。信心はあたかも大綱のごとく、あらゆる自己の生活、また環境の網目のごときである。大綱を引けばいっさいの網目は引き寄せられるように、信心によって、いっさいを引っぱっていくことができるのである。
第八章(心具の六道を示す)
本文
問うて曰く経文並に天台章安等の解釈は疑網無し但し火を以て水と云い墨を以て白しと云う設い仏説為りと雖も信を取り難し、今数ば他面を見るに但人界に限つて余界を見ず自面も亦復是くの如し如何が信心を立てんや、答う数ば他面を見るに或時は喜び或時は瞋り或時は平に或時は貪り現じ或時は癡現じ或時は諂曲なり、瞋るは地獄・貪るは餓鬼・癡は畜生・諂曲なるは修羅・喜ぶは天・平かなるは人なり他面の色法に於ては六道共に之れ有り四聖は冥伏して現われざれども委細に之を尋ねば之れ有る可し。
現代語訳
問う、法華経の文にもまた天台・章安等の解釈にも、十界互具が説き明かされていることは疑う余地がないことがわかった。ただし火をもって水であるといい、黒い墨をもって白いというがごとく、われわれの常識とはまったく相反するのでたとえ仏説であるからといっても信じられない。今しばしば他人の面を見るにただ人界ばかりであって他の九界は見られない。自分の面を見てもまた人界ばかりであるが、どうして十界が互具すると信じられるであろうか。
答う、今しばしば他人の面を見るにある時は喜び、ある時は瞋り、ある時は平らかに、ある時は貪りの相を現じ、ある時は癡を現じ、ある時は諂曲である。これらは皆六道の輪廻であって瞋るは地獄、貪るは餓鬼、癡は畜生、諂曲なるは修羅、喜ぶは天、平らかなるは人界である。このように他人の相には六道がすべて具わっているのであり、四聖は冥伏していて日常に現われないけれども委しく探し求めるならばかならず具わっている。
語釈
瞋るは地獄
貪・瞋・癡の三毒を地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちる因とした。瞋恚は修羅闘諍にも通ずるが、瞋りのあまりに生活の一切を破壊し、苦悩のどん底へ堕ちるをいう。
貪るは餓鬼
慳貪ともいう。他に対して慳み貪ること。この因によって餓鬼道に堕ち飢渇に苦しむ。
癡は畜生
親子・兄弟で骨肉相喰み、また目前の安穏や利益に迷う等の愚癡を畜生の性とする。
諂曲なるは修羅
諂い曲れる心を修羅とし、闘争を事としてたがいに讒諂し合う。
平かなるは人
五常・五倫等の道を守り一家も平和に社会のためによく働く等を人という。人間界は苦と楽が相半ばし人はこのあいだにあって常道を守り平和を求めるという。
喜ぶは天
天界は日々の生活を喜び楽しむ境涯をいう。しかし天界の喜楽は一時的なものでかならず衰え移ろうのである。
四聖
声聞・縁覚・菩薩・仏をいう。仏道修行によって得られる覚りの境涯。迷いの境涯である六道に対する語。
講義
人界に十界を具えていることを明かすにあたり、まずわれわれの日常生活から推して六道を具えていることを明かしている。しかもわれわれの生活はある時に瞋り、ある時に貪り、またある時は平らかに、ある時は喜び楽しむ等の六道を毎日朝から晩までくりかえしていることがわかるであろう。ゆえにわれわれは六道輪廻の衆生である。
現在、世の中には多くの迷信が横行している。その中には仏教で説かれているものが、あやまり伝えられて起きたものも少なくない。十界もその一つである。たとえば世間の人に地獄とは何かと問えば「地獄なら知っている。なにか地の下にあって、悪いことをした人がおちるところだろう。三途の河を渡って獄卒に責められて、閻魔王のところにいき、審判をうけて苦しむという、あれだろう」ぐらいにしか答えられないのが実情である。
このように一方に迷信化されたものをほんとうと思いこむ無知な大衆がいれば、また他方、まったく生活と遊離した、わけのわからぬことをいってすます学者階級がいる。こころみに世間の仏教学者の十界についての説明をあげてみよう。
十界=迷悟の階級を十種に分けたもの。仏界・菩薩界・縁覚界・声聞界・天上界・人間界・阿修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界の称。六凡四聖。十法界(大蔵法教、五十三)法界者、諸仏衆生之本体也、然四聖六凡、感報界分不同、故有十法界菩(梁粛、三如来画像賛序)出八十界随所利見。
十界=顕教には法華経に依って地獄餓鬼畜生阿修羅人天の六梵と声聞縁覚菩薩仏の四聖を以って十法界となし、密教には理趣釈経に依って地鬼畜人天の五凡と声縁菩権仏実の五聖を以って十法界となす。(望月「仏教大辞典」)
いったいこれではなんのことやら、わからないのも当然である。このように難解な言辞をろうして、あたかも高遠な哲学のごとくふりまわすところに現代の仏教界の迷乱がある。
また、山辺習学の「仏教に於ける地獄の新研究」なる著には、およそつぎのように述べられている。
彼いわく「地獄、極楽や三世因果の説は、いわば過去に奏でられた音楽のようなものである」と。またいわく「三世因果説の宗教的任務は、まったく心霊上の基礎工事、または自覚に入る準備的施設である」と。
すなわち、彼に言わせれば、地獄や極楽は芸術的宗教的表現であり、科学的実証的立ち場と矛盾することがあってもよい。また地獄、極楽、三世因果説は、どこまでもそれを押し立てようとすれば無理がゆく。釈迦は、その思想を、宗教的内省への手段として用いた。たとえば、地獄に落ちるということによって、人に深い罪の自覚をよび起こして、内面的に宗教的自覚を得させるのだ、というのである。
彼の言い分だと、地獄などというものは、ほんとうにはない。ただ悪いことをすると、地獄に落ちるといって、悪いことをさせないようにする手段なのだ、ということになる。
さらにいわく「かようにして、現世の向上が地獄の向上であるということは、人間が正しく教養を進めてゆけば、ついに最下の無間に堕在するの外はないということである。すなわち、人間精神の最高の実に到達することは、地獄の最下に入ることで、他のことばで言えば、傲憍の自我がその全姿を自覚せらるるの謂である。魔極まりて仏は出現する」等と。
なんと愚かな、狂おしい説であろうか。所詮、仏法は真実の生命哲学なることを知らざる故に、仏教の原理をまげて勝手なこじつけ解釈をなし、まるで地獄というものを悪いことをさせるために架空に設定したというようなことをいってみたり、「現世の向上は地獄の向上」などという気違いじみた説をなすのである。
他の学者も、その主張する点は異なるとも、仏法を知らず、いたずらに観念論をもて遊んでいることにおいては同じである。
仏法は生活法である、ゆえに日蓮大聖人は総勘文抄に「八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり」(0563:17)とおおせられている。そして地獄界より仏界にいたるまでの十界についても十字御書に「抑地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば・或は地の下と申す経文もあり・或は西方等と申す経も候、しかれども委細にたづね候へば我等が五尺の身の内に候とみへて候、さもやをぼへ候事は我等が心の内に父をあなづり母ををろかにする人は地獄其の人の心の内に候」(1491:04)と、また、上野殿後家尼御返事にも「夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり、これをさとるを仏といふ・これにまよふを凡夫と云う、これをさとるは法華経なり」(1504:09)と説かれている。
また、本文において十界とは、じつに、われらの、悩み、苦しみ、悲しみ、欲望、怒り、おろか、また喜び等の生命状態をくまなく説き明かしたものであることが、述べられているのである。
仏教を迷信・神話・伝説などと同じように考えている現代社会の教育を受けた者は、このようにして地獄餓鬼畜生等のことばを表わす真の意味を知り、しかして十界常住・一念三千等の法門こそ真の宗教であり正しい哲学であることを知らなければならない。
第九章(心具の三聖を示す)
本文
問うて曰く六道に於て分明ならずと雖も粗之を聞くに之を備うるに似たり、四聖は全く見えざるは如何、答えて曰く前には人界の六道之を疑う、然りと雖も強いて之を言つて相似の言を出だせしなり四聖も又爾る可きか試みに道理を添加して万が一之を宣べん、所以世間の無常は眼前に有り豈人界に二乗界無からんや、無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり、但仏界計り現じ難し九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ、法華経の文に人界を説いて云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」涅槃経に云く「大乗を学する者は肉眼有りと雖も名けて仏眼と為す」等云云、末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり。
現代語訳
問う、われわれの生命に六道があるということははっきりしないけれども、今の説明で大体わかったように思う。しかし四聖があるということはぜんぜん見られないがどうか。
答う、前には人界の六道まで疑っていたので、しいて一々の相似した事例を挙げて説明したところ略わかったのである。四聖もまたこれと同じであろう。よって試みに道理の説明を加えて理解させることにしよう。すなわち世間の姿を見るに有為転変のありさまが眼前にある。この無常を日夜見ていることは人界に二乗界のある証拠ではないか。まったく他を顧りみることのない悪人もなお自分の妻子に対しては慈愛の念を持っているということは、人界に具えている菩薩界の一分である。ただ仏界ばかりは日常生活に現われがたいのである。しかしすでに九界を具していることがわかった以上は、しいて仏界のあることを信じ疑ってはならない。法華経方便品に人間界を説いていうには「衆生をして仏の知見を開かしめんと欲する故に諸仏世尊はこの世に出現し給うのである」と。この経文は人間に仏界を具している証拠である。涅槃経にいわく「大乗を学ぶ者(現在では御本尊を信じ奉る者)は物を見るに肉眼で見ているがそれを仏眼であるといえる」と。このように人界に仏の知見があることをはっきり説かれている。末代の凡夫が人間と生まれてきて法華経を信ずるのは人界にもとより仏界を具足しているから信ずることができるのである。
語釈
世間の無常
世間とは、衆生が住む世界をいう。無常とは、常に生滅変化して移り変わり、瞬時も同じ状態にとどまらないこと。二乗は世間の無常を観じて空寂の涅槃に帰するのを極地となした。
肉眼
肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼を五眼という。一に肉眼とは肉体にそなわった眼で、普通の眼である。二に天眼は天人所具の眼で遠近や昼夜にかかわらず見ることができる。三に慧眼は二乗が空理を遠見する智慧の眼。われわれ凡夫の立ち場からいえば、深い知識体験にもとづく物事の判断力である。四に法眼とは、菩薩が衆生を救うために法門を明らかに知る眼。われわれの立ち場でいえば、仏法の法則の上から、いっさいの事物を判断する力。五に仏眼は三世十方にわたり、いっさいの事物を見とおす仏の眼で、他の四眼もともにそなえており、五眼具足ともいう。しかして、開目抄上に「諸の声聞は爾前の経経にては肉眼の上に天眼慧眼をう法華経にして法眼・仏眼備われり」(0204:11)とあり、根本の判断力は、御本尊を信ずることによって得たところの法眼、仏眼によるほかないのである。
講義
地獄界から仏界までのうち、菩薩界までの九界をわれわれ人間生活に具えていることは、地獄とか菩薩とかの本性の一分を常識的な道理の上から説明することができるけれども、仏界ばかりは、ことばや説明のおよぶところではない。しかし、われわれ人間の生命には本有常住に仏界がある。その仏界を事実の上に顕現してそれが事実であることを確認するにはどうすればよいか。それは「明鏡」に向かって、わが生命の実体をうつし出して見なければならない。すなわち「明鏡」とは御本尊であり、「向かって」とは、われわれがこの御本尊を唯一最尊なりと信じ奉ることである。ゆえに「末代の凡夫出生して法華経を信ずる」とは、御本尊を信じ奉ることであり、われわれ凡夫が御本尊を信じ奉ることのできるのは人界に仏界を具する証拠なのである。