諫暁八幡抄 第三章(漢土・日本諸宗の迷妄を破す)
弘安3年(ʼ80)12月 59歳
何に況や今の小乗経と小乗宗と大乗経と大乗宗とは古の小大乗の経宗にはあらず、天竺より仏法・漢土へわたりし時・小大の経経は金言に私言まじはれり、宗宗は又天竺・漢土の論師・人師或は小を大とあらそい或は大を小という或は小に大をかきまじへ或は大に小を入れ或は先きの経を後とあらそい或は後を先とし或は先を後につけ或は顕経を密経といひ密経を顕経という譬へば乳に水を入れ薬に毒を加うるがごとし、涅槃経に仏・未来を記して云く「爾の時に諸の賊醍醐を以ての故に之に加うるに水を以てす水を以てする事多きが故に乳酪醍醐一切倶に失す」等云云、阿含小乗経は乳味のごとし方等・大集経・阿弥陀経・深密経・楞伽経・大日経等は酪味のごとし、般若経等は生蘇味の如く華厳経等は熟蘇味の如く法華・涅槃経等は醍醐味の如し、設い小乗経の乳味なりとも仏説の如くならば争でか一分の薬とならざるべき、況や諸の大乗経をや何に況や法華経をや。
然るに月氏より漢土に経を渡せる訳人は一百八十七人なり其の中に羅什三蔵一人を除きて前後の一百八十六人は純乳に水を加へ薬に毒を入たる人人なり、此の理を弁へざる一切の人師末学等設い一切経を読誦し十二分経を胸に浮べたる様なりとも生死を離る事かたし又現在に一分のしるしある様なりとも天地の知る程の祈とは成る可からず魔王・魔民等・守護を加えて法に験の有様なりとも終には其の身も檀那も安穏なる可からず譬ば旧医の薬に毒を雑へて・さしをけるを旧医の弟子等・或は盗み取り或は自然に取りて人の病を治せんが如しいかでか安穏なるべき、当世日本国の真言等の七宗並に浄土・禅宗等の諸学者等、弘法・慈覚・智証等の法華経最第一の醍醐に法華第二・第三等の私の水を入れたるを知らず仏説の如くならば・いかでか一切倶失の大科を脱れん、大日経は法華経より劣る事七重なり而るを弘法等・顚倒して大日経最第一と定めて日本国に弘通せるは法華経一分の乳に大日経七分の水を入れたるなり水にも非ず乳にも非ず大日経にも非ず法華経にも非ず而も法華経に似て大日経に似たり大覚世尊此の事を涅槃経に記して云く「我が滅後に於て正法将に滅尽せんと欲す爾の時に多く悪を行ずる比丘有らん、乃至牧牛女の如く乳を売るに多利を貪らんと欲するを為ての故に二分の水を加う、乃至此の乳水多し、爾の時に是の経閻浮提に於て当に広く流布すべし、是の時に当に諸の悪比丘有て是の経を鈔略し分て多分と作し能く正法の色香美味を滅すべし、是の諸の悪人復是くの如き経典を読誦すと雖も如来の深密の要義を滅除せん、乃至前を鈔て後に著け後を鈔て前に著け前後を中に著け中を前後に著けん当に知るべし是くの如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり」等云云。
現代語訳
ましてや、今の小乗経と小乗宗と大乗経と大乗宗は、昔の小乗・大乗の経や宗ではない。
インドから仏法が中国に渡った時、小乗・大乗の諸経は仏の金言に私言が混じってしまった。諸宗もまた、インド・中国の論師や人師が小乗を大乗といって争ったり、大乗を小乗といったり、あるいは小乗に大乗を書きまじえたり、大乗に小乗を入れたり、あるいは先に説かれた経を後といって争ったり、後のを先としたり、あるいは先のを後につけたり、あるいは顕経を密経といい、密経を顕経といったりしている。たとえば、乳に水を入れ、薬に毒を加えるようなものである。
涅槃経に仏が未来を予言して「その時にもろもろの賊は、醍醐味に水を加える。水を多く加えたために乳味・酪味・醍醐味の一切がともに失われる」等と説いている。
阿含経である小乗経は乳味のようであり、方等経の大集経・阿弥陀経・深密経・楞伽経・大日経等は酪味のようであり、般若経等は生蘇味のようであり、華厳経等は熟蘇味のようであり、法華経・涅槃経等は醍醐味のようである。
たとえ、小乗経が乳味であるといっても、仏説のとおりに行ずるならば、どうして一分の薬とならないことがあろうか。ましてやもろもろの大乗経、まして法華経においてはなおさらである。
ところが、インドから中国に経典を渡した翻訳者は百八十七人である。そのなかで羅什三蔵一人を除いて前後の百八十六人は、純乳な乳に水を加え、薬に毒を加えた人々である。
この道理をわきまえない一切の人師や末学等が、たとえ一切経を読誦し、十二分経を学び尽くしているようであったとしても、生死の苦しみを離れることは難しい。
また、現在に一分の効験があるようであっても、天神地祇が知るほどの効験のある祈りとはなるわけがない。魔王や魔民等が守護を加えて、法に効験があるようであったとしても、最後にはその身も檀那も安穏ではないであろう。
例えば、先輩の医師が薬に毒を混ぜておいたのを、その医師の弟子らが盗み取ったり、あるいは自然に手に入れて人の病を治そうとするようなものである。どうして安穏でありえようか。
当世の日本国の真言等の七宗、ならびに浄土宗や禅宗等の諸学者等は、弘法や慈覚や智証等が法華経最第一の醍醐味に法華最第二・第三等の私見の水を入れたのを知らないでいる。仏説のとおりであるならば、どうして「一切倶に失われる」という大罪を免れることができようか。
大日経は法華経より劣ること七重である。それなのに、弘法等が顛倒して大日経最第一と定めて日本国に弘通したのは、法華経という一分の乳に大日経という七分の水を入れたようなものである。
それは、水でもなく乳でもないように、大日経でもなく法華経でもない。しかも、法華経に似て大日経に似ている。
釈尊はこのことを涅槃経に記して「我が滅後に正法が滅尽しようとするときに多くの悪を行ずる僧があるであろう。(中略)牛飼い女が、乳を売るにあたり、多くの利益を得ようと思って二分の水を加えるようなもので(中略)この乳は水気が多い。そのときに、この経が全世界に広く流布するであろう。このときにもろもろの悪僧がいて、この経をかすめ取り、多くに分けて、よく正法の色・香・美味を滅失するであろう。このもろもろの悪人は、また、このような経典を読誦するといっても、仏の深密の根本の教えを滅除することになる。(中略)前の部分を取って後に付け、後の部分を取って前に付け、前後の部分を中に付け、中の部分を前後に付けるであろう。このようなもろもろの悪僧は魔の仲間であると知るべきである」等といっている。
語句の解説
小乗経
小乗の教えを説いた経典のこと。
小乗宗
小乗教を依経とする宗派。
大乗経
大乗のうち権教である教え、経典。
大乗宗
大乗教を依経とする宗派。仏教を二つに大別したうちの一つ。自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の教えを小乗というのに対して、広く衆生を救済するために利他行としての菩薩道を説き、それによって成仏すると教えた法。乗は運載の義で、衆生の迷いの彼岸から、悟りの彼岸に運ぶための教法を乗り物にたとえたもの。大乗の大とは広大、無限、最勝を意味し、小乗に比べ、多くの人を彼岸に運べる優れた乗り物で大といった。天台大師の教判では華厳・阿含・方等・般若・法華・涅槃時の経教が大乗にあたる。
天竺
中国および日本で用いられたインドの古称。
漢土
漢民族の住む国土。唐土・もろこしともいう。現在の中国。
顕経
「けんきょう」「けんぎょう」とも読む。文字の上にあらわに説き示された教え。真言宗では応身の釈迦仏が説いた法華経を「顕教」とし、法身の大日如来が説いた教法を密教とするという邪義を立てている。
密経
呪術や儀礼、行者の憑依、現世肯定・性的要素の重視などを特徴とする神秘的宗教。インドにおいてヒンズー教の発展と密接な関係を持ち、大乗仏教と融合し、ネパール・チベット・中国・日本などに伝播していった。秘密仏教ともいう。真言宗の説く邪義がこれにあたる。
涅槃経
大般涅槃経の略。釈尊の臨終を舞台にした大乗経典。中国・北涼の曇無讖訳の40巻本(北本)と、北本をもとに宋の慧観・慧厳・謝霊運らが改編した36巻本(南本)がある。釈尊滅後の仏教教団の乱れや正法を誹謗する悪比丘を予言し、その中にあって正法を護持していくことを訴えている。また仏身が常住であるとともに、あらゆる衆生に仏性があること(一切衆生悉有仏性)、特に一闡提にも仏性があると説く。天台教学では、法華経の後に説かれた涅槃経は、法華経の利益にもれた者を拾い集めて救う教えであることから、捃拾教と呼ばれる。つまり、法華経の内容を補足するものと位置づけられる。異訳に法顕による般泥洹経6巻がある。
醍醐
釈尊の教えの高低浅深を牛乳を精製する五つの過程の味に譬えて分類した五味のうち法華経は最高に位置する。
大集経
大方等大集経の略。中国・北涼の曇無讖らの訳。60巻。大乗の諸経を集めて一部の経としたもの。国王が仏法を守護しないなら三災が起こると説く。また、釈尊滅後に正法が衰退していく様相を500年ごとに五つに区分する「五五百歳」を説き、これが日蓮大聖人の御在世当時の日本において、釈尊滅後2000年以降を末法とする根拠とされた。
阿弥陀経
中国・後秦の鳩摩羅什訳。1巻。阿弥陀仏がいる極楽世界の様子を述べ、阿弥陀仏を一心に念ずることで極楽世界に生まれることができると説く。浄土三部経の一つ。
深密経
深密経と略す。中国・唐の玄奘訳。5巻。唯識説(あらゆる事物・事象は心に立ち現れているもので固定的な実体はないという思想)を体系的に説き明かし、法相宗では根本経典とされた。
楞伽経
漢訳には4種ある。釈尊が楞伽島(スリランカ)で説いたという設定の大乗経典。唯識説や仏性説が説かれている。初期の禅宗で重視された。
月氏
中国・日本などで用いられたインドの古称。月支とも書く。仏教では伝統的に「がっし」と読み習わすが、現代では「げっし」と読む。月氏は、もともとは紀元前後数百年、東アジア・中央アジアで活躍していた遊牧民族の名とされる。この月氏が、後に匈奴に追われ、中央アジアに進出し、ガンダーラ地方を中心にして大月氏国を築いた。特に2世紀のクシャーナ朝のカニシカ王以後、大乗仏教が盛んとなり、この地を経てインドの仏教が中国へ伝えられたことから、中国ではインド全体に対しても月氏と呼んでいた。
羅什三蔵
(0344~0413)(一説に350年~409年)。サンスクリットのクマーラジーヴァの音写。中国・後秦の訳経僧。羅什三蔵とも呼ばれる。インド出身の貴族である父・鳩摩羅琰(クマーラヤーナ)と亀茲国(クチャ)の王族である母との間に生まれ、諸国を遍歴して仏法を学ぶ。後秦の王・姚興に迎えられて長安に入り、その保護の下に国師の待遇を得て、多くの訳経に従事した。訳経数は『開元釈教録』によると74部384巻にのぼり、代表的なものに妙法蓮華経・維摩経・大品般若経・『大智度論』などがある。その訳文は内容が秀抜で文体が簡潔なことから、後世まで重用された。前代の訳を古訳、後代の玄奘らの訳を新訳というのに対して、羅什らの訳は旧訳と呼ばれる。
十二分教
十二部とも十二部教ともいい、仏教の経文を内容、形式の上から十二に類別したもの。 一.修多羅。梵語スートラ(sūtra)の音写。契経という。長行のことで長短の字数にかかわらず義理にしたがって法相を説く。 二.祇夜。梵語ゲーヤ(geya)の音写。重頌・重頌偈といい、前の長行の文に応じて重ねてその義を韻文で述べる。 三.伽陀。梵語ガーター(gāthā)の音写。孤起頌・孤起偈といい、長行を頌せず偈句を説く。 四.尼陀那。梵語ニダーナ(nidāna)の音写。因縁としていっさいの根本縁起を説く。 五.伊帝目多。伊帝目多伽。梵語イティブッタカ(itivŗttaka)の音写。本事・如是語ともいう。諸菩薩、弟子の過去世の因縁を説く。 六.闍陀伽。梵語ジャータカ(jātaka)の音写。本生という。仏・菩薩の往昔の受生のことを説く。 七.阿浮達磨。梵語アッブタダンマ(adbhutadharma)の音写。未曾有とも希有ともいう。仏の神力不思議等の事実を説く。 八.婆陀。阿婆陀那の略称。梵語アバダーナ(avadāna)の音写。譬喩のこと。機根の劣れる者のために譬喩を借りて説く。 九.優婆提舎。梵語ウパデーシャ(upadeśa)の音写。論議のこと。問答論難して隠れたる義を表わす。 十.優陀那。梵語ウダーナ(udāna)の音写。無問自説のこと。人の問いを待たずに仏自ら説くこと。 十一.毘仏略。梵語ヴァーイプルヤ(vaipulya)の音写。方広・方等と訳す。大乗方等経典のその義広大にして虚空のごとくなるをいう。 十二.和伽羅。和伽羅那。梵語ベイヤーカラナ(vyākaraņa)の音写。授記のこと。弟子等に対して成仏の記別を授けることをいう。
生死
❶繰り返し迷いの境涯に生まれては死ぬこと。また、その苦しみ。❷生命の二つの側面としての、生きることと死ぬこと。
魔王
古代インドの世界観で、欲界の最上である第六天に住むとされた他化自在天。父母・妻子・権力者などの身に入り、あらゆる手段で仏道修行を妨げる。
魔民
魔界の衆生。魔王の眷属の民衆。仏道修行を妨げる働きをするもの。
七宗
❶小乗の経論に基づく俱舎宗・成実宗・律宗を除いた、大乗に基づく華厳・三論・法相・天台・真言・浄土(念仏)・禅の七宗。❷南都六宗に真言宗を加えた七宗。
弘法
(0774~0835)平安初期の僧。日本真言宗の開祖。空海ともいう。唐に渡り、不空の弟子である青竜寺の恵果の付法を受け、帰国後、密教を体系的に日本に伝える。大日経系と金剛頂経系の密教を一体化し、真言宗を開創した。高野山に金剛峯寺を築き、また嵯峨天皇から京都の東寺(教王護国寺)を与えられた。同時代の伝教大師最澄と交流があったが絶縁している。主著『十住心論』『弁顕密二教論』などで、密教が最も優れているとし、それ以外を顕教と呼んで劣るものとする教判を立てた。
慈覚
(0794~0864)平安初期の天台宗の僧。第3代天台座主。円仁ともいう。伝教大師最澄に師事したのち唐に渡る。蘇悉地経など最新の密教を日本にもたらし、天台宗の密教(台密)を真言宗に匹敵するものとした。法華経と密教は理において同じだが事相においては密教が勝るという「理同事勝」の説に立った。また、五台山の念仏三昧を始めたことで、これが後の比叡山における浄土信仰の起源となった。主著に『金剛頂経疏』『蘇悉地経疏』など。唐滞在を記録した『入唐求法巡礼行記』は有名。日蓮大聖人は、円珍(智証)とともに伝教大師の正しい法義を破壊し人々を惑わせた悪師として厳しく破折されている。
智証
(0814~0891)平安初期の天台宗の僧。第5代天台座主。円珍ともいう。空海(弘法)の甥(または姪の子)。唐に渡って密教を学び、円仁(慈覚)が進めた天台宗の密教化をさらに推進した。密教が理法・事相ともに法華経に勝るという「理事俱勝」の立場に立った。このことを日蓮大聖人は「報恩抄」などで、先師・伝教大師最澄に背く過ちとして糾弾されている。主著に『大日経指帰』『授決集』『法華論記』など。円珍の後、日本天台宗は円仁門下と円珍門下との対立が深まり、10世紀末に分裂し、それぞれ山門派、寺門派と呼ばれる。
法華経最第一
法華経法師品第10に、「我が所説の諸経、而も此の経の中に於いて、法華最も第一なり」とある。
法華第二・第三
①天台の座主、慈覚・智証は理同義勝の理を立て、大日経と法華経は理において同じであるが、法華経は印・真言を説いていないので第二・大日経第一と立てた。弘法は十住心論で、大日経第一・華厳経第二・法華経第三の邪義を立てた。
大日経最第一
弘法が十進心論で立てた邪義。すなわち、異生羝羊住心 愚童持斎住心 嬰童無畏住心 唯蘊無我住心 抜業因種住心 他縁大乗住心 覚心不生住心(法華経) 一道無為住心(華厳経) 極無自性心(大日経)である。
大覚世尊
仏、釈尊の別称。大覚は仏の悟り、世尊は仏の十号の一つで、万徳を具えており、世間から尊ばれるので世尊という。
牧牛女
①飼牛の乳を売る女人。②釈尊に乳の粥を供養した女性。
閻浮提
閻浮、南閻浮提とも。閻浮提はサンスクリットのジャンブードゥヴィーパの音写。閻浮(ジャンブー)という名の樹がある洲(ドゥヴィーパ、島)を意味する。贍部ともいう。古代インドの世界観では、世界の中心にあるとされる須弥山の東に弗婆提、西に瞿耶尼、南に閻浮提、北に鬱単越の四大洲があるとされ、「一閻浮提」で南の閻浮提の全体をいう。人間が住み、仏法が広まるべきところの全体とされた。もとはインドの地を想定していたものだったが、やがて私たちが住む世界全体をさすようになった。
講義
小乗・権大乗経と、それによって立てられた宗が、正法・像法時代には、衆生を利益し、諸天善神の威力を増す働きをもっていたのに、末法においてはその力がなくなるだけでなく、末法に入って、これらの諸経・諸宗は、翻訳の誤りや我見の解釈のため、その本来のものではなくなっていることを述べられている。
「天竺より仏法・漢土へわたりし時・小大の経経は金言に私言まじはれり」と、まず経典がインドから中国へ伝えられる過程、すなわち翻訳の段階で、種々の歪みや我見が入り込んだことを指摘されている。
その具体的な事実として、元来、経典は五味に配されるように、それぞれに効験があったのであるが、「月氏より漢土に経を渡せる訳人は一百八十七人なり其の中に羅什三蔵一人を除きて前後の一百八十六人は純乳に水を加へ薬に毒を入たる人人なり」と、誤訳によりその効力が失われ、あるいは毒にさえなってしまっていることを述べられている。
インドから中国へ仏教が伝えられる過程で、羅什三蔵を除いた他の訳者は、仏の真意を曲げて伝えており、諸宗の学者はこの事実をわきまえていない。しかも当世の真言等の諸宗の学者は、弘法等の先師が邪義を混入したことを知らずに継承してきていると、再び涅槃経の文を示して末法の悪比丘の実態を鮮明にされている。
羅什については、死に際して自らの訳経の正しさを証明するため、我が身を焼いて舌が焼けたら、我が経を捨てよと遺言し、その予言どおり舌だけは焼けなかったと伝えられる。
訳経数は出三蔵記集によると、35部294巻にのぼり、代表的なものに妙法蓮華経八巻、大品般若経二十七巻、中論四巻、大智度論百巻、百論二巻などがある。
羅什以外は謬訳が多かったことについては、撰時抄でも「涅槃経の第三・第九等をみまいらすれば我が仏法は月支より他国へわたらん時、多くの謬誤出来して衆生の得道うすかるべしととかれて候(中略)今の人人いかに経のままに後世をねがうともあやま(過誤)れる経経のままにねがはば得道もあるべからず、しかればとて仏の御とがにはあらじとかかれて候」(0269:08)と述べられている。
次に、各宗の誤りについて「宗宗は又天竺・漢土の論師・人師或は小を大とあらそい……譬へば乳に水を入れ薬に毒を加うるがごとし」と述べられている。
つまり、依りどころとしている経典自体が、翻訳の段階で歪められているのに加え、各宗の元祖は、邪見をもとにして宗義を立てたのであるから、二重・三重に歪みを生じていることになる。
このことに関しては「当世日本国の真言等の七宗並に浄土・禅宗等」と、すべての宗にあてはまるのであるが、とくにその代表として「弘法・慈覚・智証等の法華経最第一の醍醐に法華第二・第三等の私の水を入れたる」と、真言宗および天台真言を挙げて破折を加えられている。
弘法大師空海が、法華経を大日経、華厳経に劣る第三の経と位置づけ、天台真言の慈覚大師円仁と智証大師円珍が「理同事勝」の義を受け入れて、法華経を大日経に次ぐ第二の経としたことは、語訳にも示したとおりである。
此の理を弁へざる一切の人師末学等設い……終には其の身も檀那も安穏なる可からず
仏説に背いた邪法を信じているかぎり、どんなに仏教に通達しているようであっても、成仏できないことは当然、今世の祈りもかなわないし、いったんは魔王・魔民等の守護で法に験があるようであっても、最終的には堕地獄を免れないと断言されている。
邪法を行じている者にも、いったんは法の験がある場合があることについては、種種御振舞御書に、次のような原理を示されている。
「人・善根をすれども念仏・真言・禅・律等の行をなして法華経を行ぜざれば魔王親のおもひをなして人間につきて其の人をもてなし供養す世間の人に実の僧と思はせんが為なり」(0917:02)と。
したがって、いったんは法の験があるようにみえるが「終には其の身も檀那も安穏なる可からず」と本抄に仰せのように、最後は無間地獄の苦を免れることはできないのである。
本段の涅槃経の引用文の最後に「当に知るべし是くの如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり」とあるように、諸宗の開祖自身が魔の伴侶であるから、それに随順する「人師末学」達は、魔王・魔民の守護を受けることになる。しかし、魔の本質は奪命・奪功徳であり、しかも、仏法の因果の法理はだれびとも逃れることができないから、邪義を信ずる人師末学は、最終的には生命力も功徳も奪われ、因果の法によって無間地獄に沈むことになるのである。