諫暁八幡抄 第十六章(中国・日本の真言師の罪科)

諫暁八幡抄 第十六章(中国・日本の真言師の罪科)

 弘安3年(ʼ80)12月 59歳

真言の善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等は設とい法華経を大日経に相対して勝劣を論ぜずして大日経を弘通すとも滅後に生まれたる三蔵・人師なれば謗法はよも免れ候はじ、何に況や善無畏等の三三蔵は法華経は略説・大日経は広説と同じて而かも法華経の行者を大日経えすかし入れ、弘法等の三大師は法華経の名をかきあげて戯論なんどかかれて候大科を明らめずして此の四百余年一切衆生を皆謗法の者となせり、例せば大荘厳仏の末の四比丘が六百万億那由佗の人を皆無間地獄に堕せると、師子音王仏の末の勝意比丘が無量無辺の持戒の比丘・比丘尼・うばそく・うばいを皆阿鼻大城に導きしと、今の三大師の教化に随いて日本国四十九億九万四千八百二十八人或は云く日本紀に行基の人数に云く男女四十五億八万九千六百五十九人云云の一切衆生又四十九億等の人人四百余年に死して無間地獄に堕ちぬれば其の後他方世界よりは生れて又死して無間地獄に堕ちぬ、かくのごとく堕つる者は大地微塵よりも多し此れ皆三大師の科ぞかし、此れを日蓮此に大に見ながらいつわりをろかにして申さずば倶に堕地獄の者となつて一分の科なき身が十方の大阿鼻獄を経めぐるべしいかでか身命をすててよばわらざるべき涅槃経に云く「一切衆生異の苦を受くるは悉く是如来一人の苦なり」等云云、日蓮云く一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし。

 

現代語訳

真言宗の善無畏、金剛智、不空、弘法、慈覚、智証等は、たとえ法華経を大日経と比較相対し、その勝劣を論じないで、ただ大日経を弘通しただけだったとしても、仏滅後に生まれた三蔵であり人師であるから、とうてい謗法を免れることはできまい。
 ましてや善無畏等の三三蔵は、「法華経は略説で、大日経は広説である」として両経を同等にし、しかも法華経の行者を大日経へ欺き入れた者であるし、弘法等の三人は法華経の名を挙げて戯論などと書いており、その大なる誤りを隠して、この四百余年の間に、一切衆生を皆、謗法の者としてしまった。
 例えていえば、大荘厳仏の末の時代の四比丘が、六百万億那由佗の人々を皆、無間地獄に堕としたのと、師子音王仏の末の勝意比丘が、無量無辺の持戒の比丘、比丘尼、うばそく、うばいを皆、阿鼻大城に導いたと、今の三大師の教化に従って日本国の四十九億九万四千八百二十八人、あるいは日本紀に行基がいう人数、男女四十五億八万九千六百五十九人云云の一切衆生、また四十九億等の人々が、四百余年の間に、死んで無間地獄に堕ち、その後他方世界から生まれてきた人々も、また死んでは無間地獄に堕ちてしまったのである。
 このようにして、無間地獄に堕ちた者は大地微塵よりも多い。これらは皆、三大師の科なのである。
 このようなありさまを日蓮が大いに見ながら、知らぬふりをしてこれを言わなければ、ともに堕地獄の者となって、一分の科もない身が十方の大阿鼻地獄を経めぐることになるであろう。どうして身命を捨て、謗法を責めずにいられようか。
 涅槃経に「一切衆生が種々の苦しみを受けるのは、ことごとくこれ如来一人の苦である」等と説かれている。
 日蓮も同じく「一切衆生の同一に受ける苦は、ことごとくこれ日蓮一人の苦である」と言うのである。

 

語句の解説

善無畏
 (06370735)東インドの王族出身の密教僧。唐に渡り、大日経(大毘盧遮那成仏神変加持経)を翻訳し、本格的な密教を初めて中国に伝えた。主著に『大日経疏』がある。

金剛智
 (06710741)サンスクリットのヴァジラボーディの訳。中インドあるいは南インド(デカン高原以南)出身の密教僧。唐に渡り、金剛頂経(金剛頂瑜伽中略出念誦経)などを訳し、中国に初めて金剛頂経系統の密教をもたらした。弟子に不空、一行がいる。

不空
 (07050774)北インド(一説にスリランカ)出身の密教僧。金剛智の弟子。唐に渡り、金剛頂経(金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経)など100143巻におよぶ多くの経典を訳した。玄宗・粛宗・代宗の3代の皇帝の帰依を受け、密教を中国に定着させた。彼の弟子には空海(弘法)に法を伝えた恵果がいる。

三蔵
 仏教聖典を三つに分類した経蔵(スートラ、修多羅)、律蔵(ヴィナヤ、毘尼)、論蔵(アビダルマ、阿毘曇)のこと。経蔵とは釈尊が説いた教法を集成したもの。律蔵とは修行上の禁戒儀則。論蔵とは釈尊が説いた法を体系づけて論議、注釈したものを集めたもの。釈尊滅後、阿闍世王の外護のもとに、マガダ国王舎城(ラージャグリハ)の南、畢波羅(ピッパラ)窟で摩訶迦葉を中心に第1回仏典結集が行われ、阿難は人々に推されて経を誦出し、優婆離は律を誦出したという。論蔵は弟子たちが仏の教法を理論的に体系化したもので、各部派において盛んに研究された。

大荘厳仏の末の四比丘が六百万億那由佗の人を皆無間地獄に堕せる
 仏蔵経巻中に説かれる。過去久遠無量無辺不可思議阿僧祇劫に出現した大荘厳仏の滅後百年に弟子は五派に分裂した。このなかで普事比丘だけは大荘厳仏の教えを正しく守ったが、他の苦岸、薩和多、将去、跋難陀の四比丘は邪道に迷い、邪見を起こして普事比丘を迫害した。四比丘とこれに従った在家出家の大衆六百万億那由多の人が地獄に堕ちたという

師子音王仏の末の勝意比丘が無量無辺の持戒の比丘・比丘尼・うばそく・うばいを皆阿鼻大城に導きし
 諸法無行経巻下、大智度論巻六等に説かれる。過去に師子音王仏の滅後、六万歳の世に喜根菩薩、勝意菩薩の二人の比丘がいた。喜根菩薩は容儀質直にして諸法の実相が清浄であることを説き、勝意比丘は十二頭陀を行じ、四禅と四無色定を得ていた。あるとき、勝意は喜根の弟子と婬欲の相について問答して敗れたことから「喜根は多く衆生を誑わし、邪道の中に著く」と悪口誹謗した。此のことを聞いた喜根は七十余の偈を説いて大衆を解脱させたが、勝意は地獄に堕ちて無量千万歳の苦を受け、彼の教化を受けた比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷もまた地獄に堕ちたとある。

比丘
 ビクシュ(bhiku)の音写。仏教に帰依して,具足戒を受けた成人男子の称。

比丘尼
 ビクシュニー(bhiksunīの音写)。仏教に帰依して,具足戒を受けた成人女子の称。

うばそく
 在家の男子をいう。

うばい
 在家の女子をいう。

四十九億九万四千八百二十八人
 日蓮大聖人御在世当時の日本の人口。数字の出所は不明。

日本紀
 『続日本紀』のこと。平安時代初期に編纂された勅撰史書。『日本書紀』に続く六国史の第二にあたる。菅野真道らが延暦16年(0797)に完成した。文武天皇元年(0697)から桓武天皇の延暦10年(0791)まで95年間の歴史を扱い、全40巻から成る。奈良時代の基本史料である。編年体、漢文表記である。

行基
 (06680749)。奈良薬師寺の僧。和泉国大鳥郡の百済系渡来人の豪族・高志氏の出身。15歳で出家して法相宗を学んだのち、諸国を遊歴して衆生を教化し、多くの帰依者を得たという。朝廷は、その動きに不安を感じ、民心を惑わす者として弾圧したが、のちに公認した。天平15年(0743)の大仏建立誓願には全国的に勧進を行い、同17年(0745)に大僧正に任じられた。諸国遊歴の時、要害の地に橋をかけ、堤を築き、路を修し、開墾や水利に尽くして民利をはかったので、行基菩薩と呼ばれた。本朝法華験記には行基菩薩が日本第一の法華の持者であり、過去二万億日月燈明仏の時に妙光法師として法華経を受持していたとの記述がある。

四十五億八万九千六百五十九人
 日蓮大聖人御在世当時の日本の人口。数字の出所は不明。本文には「日本記」となっているが、日本記にその文はない。(あるいは別冊があったものか?)

涅槃経
 大般涅槃経の略。釈尊の臨終を舞台にした大乗経典。中国・北涼の曇無讖訳の40巻本(北本)と、北本をもとに宋の慧観・慧厳・謝霊運らが改編した36巻本(南本)がある。釈尊滅後の仏教教団の乱れや正法を誹謗する悪比丘を予言し、その中にあって正法を護持していくことを訴えている。また仏身が常住であるとともに、あらゆる衆生に仏性があること(一切衆生悉有仏性)、特に一闡提にも仏性があると説く。天台教学では、法華経の後に説かれた涅槃経は、法華経の利益にもれた者を拾い集めて救う教えであることから、捃拾教と呼ばれる。つまり、法華経の内容を補足するものと位置づけられる。異訳に法顕による般泥洹経6巻がある。

一切衆生異の苦を受くるは悉く是如来一人の苦なり
 涅槃経巻38の文。

 

講義

諸宗のなかでもとくに真言宗を取り上げ、中国の元祖・善無畏等の三三蔵、日本の開祖・弘法、台密の慈覚・智証らの邪義によって誑惑された日本の一切衆生が無間地獄に堕していることを指摘し、これを破折するのは、一切衆生を救うためであることを述べられている。
 中国真言宗の善無畏等の三三蔵、日本の弘法、そして天台宗の座主でありながら真言の邪義に堕した慈覚・智証らが、仮に真言の大日経が法華経に勝るなどといわず、ただ大日経を弘めただけであったとしても、彼らは、釈尊が「法華最も第一なり」と説いて入滅した後に生まれた人師であるから、大日経の弘通は明らかに仏説に違背するものであり「謗法はよも免れ候はじ」と仰せられている。
 まして善無畏・金剛智・不空の三三蔵は「法華経は略説・大日経は広説」であり、二経は同等であると主張して、人々を大日経へ引き入れたのであるから、その罪は大きい。
 更に、弘法は法華経の名を明示して、大日経に比べれば「第三の劣」「戯論」などと誹謗しており、慈覚や智証はそうした弘法の邪義を明らかにしないで「法華経と大日経は理は同じだが、印と真言の事において大日経が勝れる」といって真言宗を容認した。このため、その後の四百余年の日本の人々を皆、謗法の大罪に堕としたのであるから、その罪は計り知れないと仰せである。
 そして、その罪の大きさを、インドにおける苦岸等の四比丘、また勝意比丘の名を挙げて示され、彼らが多くの人々を誑惑して無間地獄へ導いたように、弘法等の三大師の邪法によって、日本の総人口「四十九億九万四千八百二十八人」は、四百余年の間、無間地獄へ堕ちてきたことを嘆かれている。ここで使われている〝億〟は、現在の十万にあたり、したがって四百九十万余となる。この数値の出所については不明である。
 また、他方世界からこの国に生まれてきた者も同様に、死後、無間地獄へ堕ちてしまったと述べられ、その元凶は三大師の真言の邪法にあると述べられている。
 それゆえに、こうした「三大師の科」を眼前にしながら、黙認して呵責しなければ、大聖人御自身も与同罪で無間地獄に堕ちることになるのであるから、どうして身命を捨てても謗法を呵責せずにはいられようかと仰せられ、一切衆生の苦は我が身一人の苦であると、大慈悲の境地を示されている。

 

一切衆生の同一苦は悉く是日蓮一人の苦と申すべし

 

涅槃経巻三十八の「一切衆生の異の苦を受くるは、悉く是れ如来一人の苦なり」の文を受けて、日蓮大聖人御自身の心情も同じであるとされ、一切衆生を慈愛される御本仏としての御内証の境地を示されている。涅槃経の「一切衆生の異の苦」とは、衆生がそれぞれの因縁、果報によって受ける種々の異なった苦しみをいう。これに対し、大聖人の御心境として「同一苦」と述べられているのは、今の日本国の一切衆生の苦が〝謗法〟という同一の原因によって起こっている無間地獄の苦をさしておられる。
 しかしながら、無間地獄の苦のなかには、三悪道、八大地獄のすべての苦が含まれていることを知らなければならない。この筆舌に尽くせない無間地獄の苦から救わんがため、自らの身命をなげうって折伏される、どこまでも広大無辺なる大慈大悲の御本仏の御境界を示された御文ということができよう。

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