覚性房御返事
建治2年(ʼ76)7月18日 55歳 覚性房
いやげんた入道のなげき候いしかばむかはきと、覚性御房、このよしをかみへ申させ給い候え。恐々謹言。
七月十八日 日蓮 花押
覚性御房
現代語訳
弥源太入道が嘆かれているので、むかはきと覚性御房がこのことを申し上げてほしい。恐恐。
七月十八日 日蓮花押
覚性御房
講義
本抄は、日蓮大聖人御消息の最後の部分と思われ、7月18日と日付が記されているだけで、御述作の年代は明確ではないが、建治2年(1276)7月18日、身延でしたためられた書とされている。御真筆は京都・妙連寺にある。
覚性御房に宛てられ、何かことずけを依頼されている様子がうかがえるが、「かみ」がだれなのか、どのような内容なのか、この書面からはうかがい知ることができない。
「いやげんだ入道」は信徒の北条弥源太のことを指していると思われる。本抄御述作を建治2年(1276)とすれば、この当時、大聖人、及びその門下に対する迫害がいよいよ激しさを増しており、北条一門であった弥源太も、その板ばさみで苦境に立たされていたと思われる。その苦衷を身延におられた大聖人が思いやられ、覚性房にしかるべき筋へ申し開きするよう依頼されたのであろう。
身延山中の不自由な御生活を顧みず、妙法弘通に活躍する門下に思いをはせられ、心をくだかれている大聖人の御様子に、御本仏の深い慈愛を痛感する。
なお、御文のなかでは、「むかはき」は、「むかはぎ」とも読めるが意味についてはよく分からない。