開目抄
第四十五章 諸宗の謬解を破折し正義を示す
本文
日蓮なげいて云く上の諸人の義を左右なく非なりといはば当世の諸人面を向くべからず非に非をかさね結句は国王に讒奏して命に及ぶべし、但し我等が慈父・雙林最後の御遺言に云く「法に依つて人に依らざれ」等云云、不依人等とは初依・二依・三依・第四依・普賢・文殊等の等覚の菩薩が法門を説き給うとも経を手ににぎらざらんをば用ゆべからず、「了義経に依つて不了義経に依らざれ」と定めて経の中にも了義・不了義経を糾明して信受すべきこそ候いぬれ、竜樹菩薩の十住毘婆沙論に云く「修多羅黒論に依らずして修多羅白論に依れ」等云云、天台大師云く「修多羅と合う者は録して之を用いよ文無く義無きは信受すべからず」等云云、伝教大師云く「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ」等云云、円珍智証大師云く「文に依つて伝うべし」等云云、上にあぐるところの諸師の釈・皆一分・経論に依つて勝劣を弁うやうなれども皆自宗を堅く信受し先師の謬義をたださざるゆへに曲会私情の勝劣なり荘厳己義の法門なり・仏滅後の犢子・方広・後漢已後の外典は仏法外の外道の見よりも三皇五帝の儒書よりも邪見・強盛なり邪法・巧なり、華厳・法相・真言等の人師・天台宗の正義を嫉ゆへに実経の文を会して権義に順ぜしむること強盛なり、しかれども道心あらん人・偏党をすて自他宗をあらそはず人をあなづる事なかれ。
現代語訳
このとおり各宗派の誤れる主張を見て日蓮は歎いていわく。以上にあげた諸人の主張をすべて邪智謗法であるというならば、当世の諸人は聞き入れないのみか顔さえも向けることなく、ますます邪智強盛となり、結局は国主に讒奏して、日蓮が首の座にまでおよぶであろう、しかしながら、真に仏法求めるならば、法華経こそ釈尊出世の本懐であり、しかも仏説を基準として勝劣を判定すべきであり、仏滅後の論師・人師を基準とすべきでないことを、つぎのように説かれている。すなわち釈尊は雙林において最後のご遺言として説かれた涅槃経に「法に依って人に依らざれ」と、「人に依らざれ」とは初依・二依・三依・第四依等、すなわち普賢菩薩・文殊師利菩薩等の等覚の菩薩が法を説かれるとも、経を手ににぎり仏説を根本として説法しないならば、これを用いてはならないとの意味である。また「了義経に依って不了義経に依ってはならない」と定めて仏経の中にも了義経と不了義経があるから、それを糾明して信受すべきであることを知らなければならない。竜樹菩薩の十住毘婆沙論にいわく「真実の経法に依らざる邪論に依ってはならない。真実の経法を本とした正論に依るべきである」と。天台大師はいわく「経文と合致するものはこれを録して用いよ。経に文もなく義もないものは信受してはならない」と。伝教大師いわく「仏説に準拠して修行し、口伝を信じてはならない」と。円珍智証大師云く「文に依って伝えるべきである」と。
上にあげた華厳宗・法相宗・三論宗・真言宗等の諸師は、みな一分は経論に依って勝劣を弁えているようであるけれども、みな自宗をかたく信受し、先師のあやまれる義を糾明しないから、曲会私情の勝劣であり、己義を荘厳する法門である。仏滅後の犢子・方広は附仏法の外道として仏法を破り、後漢以後、仏法が中国へ渡ってからの外典は、仏法外の外道の見よりも、三皇五帝の儒書よりも、邪見が強盛であり、邪法が巧みである。これとまったく同様に、華厳・法相・真言等の諸宗の人師は天台宗の正義を嫉むゆえに、実経たる法華経の文を曲会して、権経の義に順ぜしむる邪見が強盛である。しかれども道心のある人は偏党を捨て、自宗だ他宗だと争わず、人を軽蔑することをやめよ。
語釈
雙林最後
雙林は沙羅双樹のこと。沙羅樹の二株が対となって生じたもの。沙羅は梵語シャーラ(śāla)の音写で、堅固・高遠などの義。拘尸那掲羅(クシナガラ)城外の跋提河の畔にあり、釈尊が涅槃経を説き入滅した地。釈尊の臥床の四辺に、一双(二幹)ずつ八本の沙羅樹があったので雙樹または雙林という。この説処をとって、涅槃の時を雙林最後という。
「法に依つて人に依らざれ」
涅槃経巻六に「依法不依人」とある文。仏道修行にあたっては、仏の説いた経文をよりどころにすべきであって、人師・論師の言を用いてはならないとの意。日蓮大聖人も諸御抄で頻繁に引用され、報恩抄には「涅槃経と申す経に云く『法に依って人に依らざれ』等云云依法と申すは一切経・不依人と申すは仏を除き奉りて外の普賢菩薩・文殊師利菩薩乃至上にあぐるところの諸の人師なり」と、あくまでも仏の説いた正しい法によらなければならないことを示されている。
「了義経に依つて不了義経に依らざれ」
涅槃経巻六にある。了義経とは、意味が明瞭な経典の意。釈尊が真意を説いた経をいう。そうでない経典を不了義経といい、真意を完全に明かしていない方便の教えを説いた経をいう。ただし、これは相対概念であって、大乗と小乗とを相対すれば、大乗経は了義経、小乗経は不了義経。また権経と実経を相対すれば爾前の権大乗経は不了義経、法華経が了義経であり、種脱相対すれば、三大秘法の南妙法蓮華経が了義経であり、二十八品の法華経は不了義経である。
「修多羅黒論に依らずして修多羅白論に依れ」
竜樹の「十住毘婆沙論」第七に「不依修多羅黒論、依修多羅白論」とある文。「経典に基づかない論は誤った論である。経典に基づく論は正しい論である」との意。修多羅とは十二部経の一つ。梵語スートラ(sūtra)の音写で、契経また経と訳す。長行のことで、長短の字数にかかわらず義理にしたがって法相を説く。
「修多羅と合う者は録して之を用いよ文無く義無きは信受すべからず」
天台大師の「法華玄義」十の上の文である。経論と合するものは用いていくが、経論に文証も義もないものは信じてはいけないということ。
「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ」
伝教大師の「法華秀句」下の文である。無問自説果分勝三の末文で「誠に願はくは一乗の君子、仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ。誠文を仰信して、偽会を信ずること莫れ。天台所釈の法華経宗は、諸宗に勝る。寧んぞ所伝を空しうせんや」とある。依憑とは依り憑むの意。人師の私意我見などをまじえた口伝のごときは、信じてはならないとのいましめである。
犢子・方広
いずれも附仏教の外道。犢子は小乗の分派の一つである犢子部の部主で、外道より出て仏教に帰依したが、不可説我を立て、無我の理に迷ったので、附仏教の外道と呼ばれる。方広は大乗を学び、大乗の理に迷って「一切法不生不滅、空にして所有なし」と説き、外道の見解に堕した。妙楽大師は弘決に「犢子は小乗により、方広は大乗によって、我見を立てた」と述べている。
講義
以上にあげた諸宗の謬解を破折する段である。はじめに「依法不依人」等の文をあげて、諸宗の正邪はまず仏の文証を第一として、後世の論師人師の立てた自己流の見解を基にしてはならないことを示し、ついで法華経の正義を示し、別して真言の邪義を打破っている。
仏教外の外道等
釈尊がインドに出現する以前は、外道はまるで赤子のごとき幼稚な論議をもてあそんでいたが、釈尊が出現するや、外道はこぞって仏教を取り入れて、邪見が強盛になった。またこの仏法が中国に渡ったのは、後漢の明帝の時代であったが、ここでも、いち早く外道が仏教を取り入れ、後漢以後の外道の邪見は強盛になった。
天台大師が出現して一念三千の法門を説き明かすや、それまではかない論争をくりかえしていた権教がこぞってこの一念三千の義を自宗に取り入れ、邪見がさかんとなった。この方程式はずっと、今日までかわっていない。七百年前に出現された日蓮大聖人は、それまでの既成宗教を、こっぱみじんに打ち砕かれた。念仏にせよ、真言にせよ、禅宗にせよ、すべて大聖人の手によって、破折され、根を断ち切られた。それらの宗派が年々衰微していくのは、すでに、大聖人により、いっさいの功徳の根を断ち切られてしまったからである。
大聖人の滅後、それまでの既成仏教にかわって、日蓮大聖人の門下と称する多くの日蓮宗教団が誕生し盛んになった。いずれも「南無妙法蓮華経」と唱え、一見すれば、どの宗派も同じように見える。なかには、本迹勝劣、三大秘法などの教義を巧みに取り入れ、自宗の誤りをおおいかくしているものもある。だが七百年経った今日、わが創価学会の手によって、ようやくそれらの誤りが指摘され、多くの邪宗日蓮宗が周章狼狽したのは周知のとおりである。
戦後、一時雨後のたけのこのように、多くの新興宗教がはびこったとき、そのほとんどが、まるで申し合わせでもしたかのように、南無妙法蓮華経と題目を唱えた。だが、そのどれも創価学会の進出によって、前進をはばまれてしまったといえよう。それらの新興宗教の中には、創価学会のめざましい発展の原因を調べて、なにからなにまで創価学会のまねごとをする教団もあった。布教方法をまねし、組織をまねし、印刷物をまねし、学会のやることなら、旬日を経ずして、まねを怠らなかった。
だが、日蓮大聖人を誤って信仰するものの悲しさ、創価学会のめざましい発展とは逆に、衰亡の一途をたどるのみである。
「日天東に出でぬれば万星の光は跡形もなし」(1393:松野殿後家尼御前御返事:04)の仏語はむなしくないはずである。
第四十六章 一家の正義を明かし相似の文を会す
本文
法華経に云く「已今当」等云云、妙楽云く「縦い経有つて諸経の王と云うとも已今当説最為第一と云わず」等云云、又云く「已今当の妙玆に於て固く迷う謗法の罪苦長劫に流る」等云云、此の経釈にをどろいて一切経・並に人師の疏釈を見るに狐疑の冰とけぬ今真言の愚者等・印真言のあるを・たのみて真言宗は法華経にすぐれたりとをもひ慈覚大師等の真言勝れたりとをほせられぬれば・なんど・をもえるは・いうにかいなき事なり。
密厳経に云く「十地華厳等と大樹と神通勝鬘及び余経と皆此の経従り出でたり、是くの如きの密厳経は一切経の中に勝れたり」等云云、大雲経に云く「是の経は即是諸経の転輪聖王なり何を以ての故に是の経典の中に衆生の実性・仏性・常住の法蔵を宣説する故なり」等云云、六波羅蜜経に云く「所謂過去無量の諸仏・所説の正法及び我今説く所の所謂八万四千の諸の妙法蘊なり、摂して五分と為す一には索咀纜・二には毘奈耶・三には阿毘達磨・四には般若波羅蜜・五には陀羅尼門となり此の五種の蔵をもつて有情を教化す、若し彼の有情契経調伏対法般若を受持すること能わず或は復有情諸の悪業・四重・八重・五無間罪方等経を謗ずる一闡提等の種種の重罪を造るに銷滅して速疾に解脱し頓に涅槃を悟ることを得せしむ、而も彼が為に諸の陀羅尼蔵を説く、此の五の法蔵譬えば乳・酪・生蘇・熟蘇及び妙なる醍醐の如し、総持門とは譬えば醍醐の如し醍醐の味は乳・酪・蘇の中に微妙第一にして能く諸の病を除き諸の有情をして身心安楽ならしむ、総持門とは契経等の中に最も第一と為す能く重罪を除く」等云云、解深密経に云く「爾の時に勝義生菩薩復仏に白して云く世尊・初め一時に於て波羅痆斯仙人堕処施鹿林の中に在て唯声聞乗を発趣する者の為に四諦の相を以て正法輪を転じ給いき、是甚だ奇にして甚だ為れ希有なり一切世間の諸の天人等・先より能く法の如く転ずる者有ること無しと雖も、而も彼の時に於て転じ給う所の法輪は有上なり有容なり是れ未了義なり是れ諸の諍論安足の処所なり、世尊在昔第二時の中に唯発趣して大乗を修する者の為にして一切の法は皆無自性なり無生無滅なり本来寂静なり自性涅槃なるに依る隠密の相を以て正法輪を転じ給いき、更に甚だ奇にして甚だ為れ希有なりと雖も、彼の時に於て転じ給う所の法輪亦是れ有上なり容受する所有り猶未だ了義ならず、是れ諸の諍論安足の処所なり、世尊今第三時の中に於て普く一切乗を発趣する者の為に一切の法は皆無自性・無生無滅・本来寂静・自性涅槃にして無自性の性なるに依り顕了の相を以て正法輪を転じ給う、第一甚だ奇にして最も為れ希有なり、今に世尊転じ給う所の法輪・無上無容にして是れ真の了義なり諸の諍論安足の処所に非ず」等云云、大般若経に云く「聴聞する所の世・出世の法に随つて皆能く方便して般若甚深の理趣に会入し諸の造作する所の世間の事業も亦般若を以て法性に会入し一事として法性を出ずる者を見ず」等云云、大日経第一に云く「秘密主大乗行あり無縁乗の心を発す法に我性無し何を以ての故に彼往昔是くの如く修行せし者の如く蘊の阿頼耶を観察して自性幻の如しと知る」等云云、又云く「秘密主彼是くの如く無我を捨て心主自在にして自心の本不生を覚す」等云云、又云く「所謂空性は根境を離れ無相にして境界無く諸の戯論に越えて虚空に等同なり乃至極無自性」等云云、又云く「大日尊秘密主に告げて言く秘密主云何なるか菩提・謂く実の如く自心を知る」等云云、華厳経に云く「一切世界の諸の群生声聞乗を求めんと欲すること有ること尠し縁覚を求むる者転・復少し、大乗を求むる者甚だ希有なり大乗を求むる者猶為れ易く能く是の法を信ずる為れ甚だ難し、況や能く受持し・正憶念し・説の如く修行し・真実に解せんをや、若し三千大千界を以て頂戴すること一劫身動ぜざらんも彼の所作未だ為れ難からず是の法を信ずるは為れ甚だ難し、大千塵数の衆生の類に一劫諸の楽具を供養するも彼の功徳未だ為れ勝れず是の法を信ずるは為れ殊勝なり、若し掌を以て十仏刹を持し虚空の中に於て住すること一劫なるも彼の所作未だ為れ難からず是の法を信ずるは為れ甚だ難し、十仏刹塵の衆生の類に一劫諸の楽具を供養せんも彼の功徳未だ勝れりと為さず是の法を信ずるは為れ殊勝なり、十仏刹塵の諸の如来を一劫恭敬して供養せん若し能く此の品を受持せん者の功徳彼よりも最勝と為す」等云云、涅槃経に云く「是の諸の大乗方等経典復無量の功徳を成就すと雖も是の経に比せんと欲するに喩を為すを得ざること百倍千倍百千万倍、乃至算数譬喩も及ぶこと能わざる所なり、善男子譬えば牛従り乳を出し乳従り酪を出し酪従り生蘇を出し生蘇従り熟蘇を出し熟蘇従り醍醐を出す醍醐は最上なり、若し服すること有る者は衆病皆除き所有の諸薬も悉く其の中に入るが如し、善男子仏も亦是くの如し仏従り十二部経を出し十二部経従り修多羅を出し修多羅従り方等経を出し方等経従り般若波羅蜜を出し般若波羅蜜従り大涅槃を出す猶醍醐の如し醍醐と言うは仏性に喩う」等云云。
現代語訳
法華経にいわく「已今当」と。妙楽大師はこれを釈して「たとえある経に、諸経の王であると説いているとはいえ、法華経のごとく已に説き、今説き、当に説かんとする一切経中において、この法華経をもっとも第一となすとはいっていない」と説かれている。またいわく「法華経は已今当最為第一の妙法であるにもかかわらず、ここにおいてかたく迷い、邪智謗法におちいるものは、その謗法の罪が未来長劫に流れて、無間地獄に苦しまなければならない」と。この経釈に驚き、これをかたく心にとどめて一切経ならびに、人師の疏釈を見ると、初めて狐疑は氷解するのである。真言宗の愚者等が、印と真言をたのみて、真言宗は法華経よりすぐれていると思い、慈覚大師等が真言はすぐれているといっているから間違いはなかろう、などと思うのは、じつにいうもかいなきことである。
法華経が爾前権経にすぐれていることは、以上のとおり明らかであるが、爾前四十余年の経々においても、またそれぞれの経を讃嘆している。その文を若干引いて法華経に相対してみよう。密厳経にいわく「別教十地の功徳を説いた十地華厳経等と大樹緊那羅王所問経と神通経と勝鬘経およびその他の諸経はみなこの経より出ている。すなわち、このように根本となっている密厳経は一切経の中にすぐれた経である」と説いている。大雲経には「この経はすなわちこれ諸経の転輪聖王である。なぜかというに、この経典の中に衆生の真実の性・仏性の常住を宣説しているからである」と説かれている。また六波羅蜜経には「いわゆる過去無量の諸仏が説かれたところの正法およびわがいま説くところのいわゆる八万四千のもろもろの妙法蘊(教法の集まり)はこれを統摂して五分となす。一には索咀纜(経蔵)・二には毘奈耶(律蔵)・三には阿毘達磨(論蔵)・四には般若波羅蜜(慧蔵)・五には陀羅尼門(秘密蔵)である。この五種類の蔵をもってそれぞれ一切有情を教化するのである。
もし、かの有情が鈍根のため、契経(経蔵)・調伏(律蔵)・対法(論蔵)・般若(慧蔵)を受持することができないで、あるいは、また有情がもろもろの悪業たる四重罪、また八重罪、あるいは五逆罪を犯すもの、あるいは方等経(大乗経)を誹謗し、あるいは正法不信の一闡提等の重罪をつくるに、この重罪を消滅してすみやかに解脱し、即座に悟らしめるため、重罪の有情のために、もろもろの陀羅尼蔵を説くのである。この五の法蔵はたとえば、乳味・酪味・生蘇味・熟蘇味および妙なる醍醐味のごときものである。総持門(陀羅尼蔵)とはたとえば醍醐味のごときものである。醍醐の味は乳・酪・蘇の中に微妙第一にしてよくもろもろの病をのぞき、もろもろの衆生をして身心を安楽ならしめるのである。と同様に、総持門(陀羅尼)とは大乗経の中にもっとも第一となし、よく衆生の重罪を滅するのである」と。
また解深密経にいわく「その時に勝義生菩薩がまた仏に申しあげていわく、世尊よ、世尊はむかし初めて成道した時に、波羅痆斯国の仙人堕処・施鹿林中において、ただ声聞乗を修する心を発するもののために、苦・集・滅・道の四諦の法輪を説き、正法輪を転じられたのである。これははなはだ奇であり、かつ、またはなはだ希有の法であった。いっさい世間のもろもろの天人等は、一人として先に、このような微妙の法を説くものはなく、じつに未曾有の大法であった。
しかしながらその時において、転じ給うところの法輪は、なおそれ以上の大法があり、かつまた諍論をいれる余地が残されていて、いまだ顕了に真実の義を説き示したものではなかった。それゆえにもろもろの諍論が闘わされる場所となったのである。ついで世尊は第二の時においてただ大乗を修する心を発するもののために、いっさいの法はみな自性がなく、無性無滅であると説き、一切法は本来寂静であり、自性がそのまま涅槃であると説かれた。これは仏の内証を隠密の相をもって説き示されたのである。
これは第一時に相対すればはなはだ奇にして、はばはだ希有の法であったけれども、しかもこれまた有上の法であり、容受する所があって、いまだ顕了の実義は説き示されないため、諍論の余地が多く残されていた。世尊よ、いま第三時の中において、あまねく一切乗、すなわち、一切衆生の成仏を説く教えを求めるもののために、いっさいの法は皆無自性であり、無生無滅であり、本来寂静で、自性そのままが涅槃であり、自性というものは無い性――すなわち、自性の性と名づくべきものはないのであると説き、しかも顕了の相をもって正法輪を転じ給うたのである。これこそ第一はなはだ奇にして、もっともこれ希有であり、いま世尊が転じ給うところの法輪は無上無容にして、これこそ真の了義であり、もろもろの諍論が起こりうる余地はないと説かれている。
大般若経にいわく「聴聞するところの世間、出世間の法にしたがって、みなよく般若甚深の理趣に会入(えにゅう)し、もろもろの造作するところの世間の事業もまた般若をもって法性の一理に会入し、かくして一事も法性のそとに出ずるものはない」と。
大日経第一にいわく「秘密主(金剛薩埵)よ、大乗の行がある、それは無縁乗の心――すなわち、法にとらわれざる心を起こしていっさいの法には我性がないと修行するのである。なにゆえに法に我性がないとするか。それはかの昔、かくのごとく修行したものが、万法の当体たる五蘊の阿頼耶識を観察して自性は幻のごとしと知ったからである」と。またいわく「秘密主よ、かれはかくのごとく無我を捨てて、心の主体に自在の境地を得、自心の本来不生不滅なるをさとったのである」と。またいわく「いわゆる空性というものは、六根・六境等を離れ、無相にして境界なく、もろもろの戯論に超越して虚空がいっさいを包含するにひとしい。乃至、法界の事々物々にまったく自性なしときわむるのである」と。またいわく「大日如来が秘密主につげていわく。秘密主よ、いかなるものを菩提というかとなれば、いわく、じつのごとく、自心を知ることである」等と説かれている。
華厳経にいわく「いっさいの世界のもろもろの衆生のなかで、仏道に入り、声聞乗を求めようと欲するものは少ない。まして縁覚を求めるものはさらに少ない。大乗の仏道を求めるものはなはだまれに有る少数の人である。しかしながら、大乗を求めることはなおかつやさしいことであって、この経(華厳経)を信ずることは、はなはだむずかしいことである。いわんやよくこの経を受持し、正しく憶念し説のごとく修行し、もって真実の義を解することはさらにさらに困難なことである。もし三千大千界を頭の頂にのせて一劫の長いあいだ、身動きしないとしても、このようなことはやさしいことであり、この法を信ずることは、すなわち、これ以上に困難なことである。
また大千世界を微塵にしたほどの無量無辺の衆生に対して、一劫のあいだもろもろの楽具を供養するとしてもその功徳はいまだすぐれたものではない。この法を信ずるは、それ以上に殊勝な功徳となるのである。もし掌をもって十の仏国土を持ちあげ、虚空の中に一劫のあいだ住するとしても、その所作はいまだ困難なことではないが、この法を信ずることははなはだむずかしいことである。また十仏国土を微塵にしたほどのたくさんの衆生類に一劫のあいだもろもろの楽具を供養するも、その功徳はいまだすぐれているとはいわれないで、この法を信ずる功徳はすなわちこれ殊勝である。また十仏国土を微塵となしたほどのもろもろの如来を、一劫のあいだ、恭敬し供養するとして、もしよくこの品を受持するものの功徳は、それよりももっとすぐれた功徳となすのである」と説かれている。
涅槃経にいわく「このもろもろの大乗方等経典は無量の功徳を成就するのであるけれども、涅槃経の功徳に比較するならば、たとえることもできない。百倍千倍百千万倍、乃至算数譬喩もおよぶことのできないほど涅槃経の功徳はすぐれている。善男子よ。たとえば牛より乳を出し、乳より酪を出し、酪より生蘇を出し、生蘇より熟蘇を出し、熟蘇より醍醐を出す。その醍醐の味は最上である。もし服する時には、衆病をみな除き、あらゆる諸薬の功徳もすべてその醍醐に入っているようなものである。善男子よ。仏もまたこのとおりであって、仏より十二部の経を出し、十二部経より修多羅(阿含経)を出し、修多羅より方等経を出し、方等経より般若波羅蜜を出し、般若波羅蜜より大涅槃を出す。なお醍醐のごとく涅槃経こそ最上の経である。醍醐というのはすなわち仏性にたとえるのである」等と説かれている。
語釈
十地華厳等と大樹と神通勝鬘
十地とは「十地経」で、華厳経十地品の別出の経とされる。大樹とは「大樹緊那羅王所問経」四巻(鳩摩羅什訳)。神通とは「仏説菩薩行方便境界神通変化経」三巻(求那跋陀羅訳)。勝鬘とは「勝鬘師子吼一乗大方便方広経」一巻(求那跋陀羅訳)である。
大雲経
「大方等無想大雲経」六巻(曇無讖訳)のこと。
一には索咀纜・二には毘奈耶・三には阿毘達磨・四には般若波羅蜜・五には陀羅尼門となり
合わせて五種の蔵という。一の索咀纜は経蔵で、仏の説法をそのまま記し留めたもの。二の毘奈耶は律蔵で、戒律を説かれたもの。三の阿毘達磨は論蔵で、経の音義を哲学的に解明したもの。四の般若波羅蜜は慧蔵で、諸法に通達して断惑証理する仏の智慧を説いたもの。五の陀羅尼門は秘密蔵で、総持とも名づけ、修行せず戒律も持たず煩悩におおわれたものを、そのままただちに解脱せしめ、涅槃の境界に至らしめるために説かれた教え。
契経・調伏・対法・般若
契経は経蔵のこと。調伏は律蔵のことで、律は人々の煩悩を伏するを主とするところから調伏という。対法は論蔵。智慧を持って理境を対弁するということから対法という。般若は慧蔵のこと。
勝義生菩薩
解深密経の対告衆。経の第二巻無自性相品第五に出ている。
四重
四重罪。比丘の極重罪で、①殺生、②偸盗、③邪淫、④妄語の四罪。
八重
八重罪。八波羅夷ともいう。比丘尼の極重罪で、四分比丘尼戒本によれば、四重罪に加えるに⑤摩触戒(欲心をもって男性に首下から膝上までを触れさせない)、⑥八事成重戒(欲心をもって男性との八種の逢瀬を戒める)、⑦覆蔵他重罪戒(他の比丘尼の犯した重罪を覆い隠さない)、⑧随順被挙比丘戒(僧伽から罪を挙げられている比丘に随うことに対し他の比丘尼から三度までにその注意に従う)の四戒を加えたもの。
五無間罪
五逆罪。殺父・殺母・殺阿羅漢・破和合僧・出仏身血のこと。
波羅痆斯仙人堕処施鹿林
「波羅痆斯」は波羅奈とも呼び、インドの恒河の流域にある国の名。「仙人堕処」「施鹿林」はいずれも鹿野苑の別名で、釈尊が成道後はじめて四諦の法を説いた場所である。むかし五百の仙人が空から王宮の妥女をみて欲心を起こし、ために通力を失って空より林中に堕ちたという故事、また菩薩の化身たる鹿主が妊胎の鹿の身代わりとなって助けたのに感じて梵達多王が大林を群鹿にほどこし与えたという故事等により上記の名がある。
秘密主
金剛薩埵のこと。梵名ヴァジラサットヴァ(Vajra-sattvaḥ)、金剛手秘密主ともいう。大日如来の内眷属とされる諸の執金剛の上首。真言八祖のうち、大日如来を第一祖とし、金剛薩埵を第二祖とする。大日経の対告衆で、大日経を結集して竜樹に伝えたとされる。金剛界曼荼羅では三十七尊の一つで、胎蔵界曼荼羅では金剛手院の主尊となっている。普賢菩薩と同体異名とされる。
蘊の阿頼耶
蘊は五陰(新訳では五蘊)のこと。生命を構成する五つの要素、色・受・想・行・識をいう。阿頼耶は第八識、阿頼耶識のこと。善悪の行いの影響を蓄積し、縁に応じてその報いを生じる生命の働きであり、煩悩におおわれた凡夫の生命それ自体に具した八識をいう。
十仏刹
仏刹は仏土のこと。十の仏土すなわち十の三千大千世界をいう。
講義
爾前の経にもまた成仏得道ができるように説かれた教がある。しかしこれもじつには、法華経を説くための前段階として説かれたもので、爾前経自体に得道があるのではない。すなわち法華経に相似している文があって、これから誤りが生ずるので、この相似の文を会するために、まず八経の文を引かれているのである。
第四十七章 諸宗の教理の浅深勝劣を知らざるを示す
本文
此等の経文を法華経の已今当・六難・九易に相対すれば月に星をならべ九山に須弥を合せたるににたり、しかれども華厳宗の澄観・法相・三論・真言等の慈恩・嘉祥・弘法等の仏眼のごとくなる人・猶此の文にまどへり、何に況や盲眼のごとくなる当世の学者等・勝劣を弁うべしや、黒白のごとく・あきらかに須弥・芥子のごとくなる勝劣なを・まどへり・いはんや虚空のごとくなる理に迷わざるべしや、教の浅深をしらざれば理の浅深を弁うものなし巻をへだて文・前後すれば教門の色弁えがたければ文を出して愚者を扶けんとをもう、王に小王・大王・一切に少分・全分・五乳に全喩・分喩を弁うべし、六波羅蜜経は有情の成仏あつて無性の成仏なし何に況や久遠実成をあかさず、猶涅槃経の五味にをよばず何に況や法華経の迹門・本門にたいすべしや、而るに日本の弘法大師・此の経文にまどひ給いて法華経を第四の熟蘇味に入れ給えり、第五の総持門の醍醐味すら涅槃経に及ばずいかにし給いけるやらん、而るを震旦の人師争つて醍醐を盗むと天台等を盗人とかき給へり惜い哉古賢醍醐を嘗めず等と自歎せられたり、此等はさてをく我が一門の者のためにしるす他人は信ぜざれば逆縁なるべし、一渧をなめて大海のしををしり一華を見て春を推せよ、万里をわたて宋に入らずとも三箇年を経て霊山にいたらずとも竜樹のごとく竜宮に入らずとも無著菩薩のごとく弥勒菩薩にあはずとも二所三会に値わずとも一代の勝劣はこれをしれるなるべし、蛇は七日が内の洪水をしる竜の眷属なるゆへ烏は年中の吉凶をしれり過去に陰陽師なりしゆへ鳥はとぶ徳人にすぐれたり。 日蓮は諸経の勝劣をしること華厳の澄観・三論の嘉祥・法相の慈恩・真言の弘法にすぐれたり、天台・伝教の跡をしのぶゆへなり、彼の人人は天台・伝教に帰せさせ給はずば謗法の失脱れさせ給うべしや、当世・日本国に第一に富める者は日蓮なるべし命は法華経にたてまつり名をば後代に留べし、大海の主となれば諸の河神・皆したがう須弥山の王に諸の山神したがはざるべしや、法華経の六難九易を弁うれば一切経よまざるにしたがうべし。
現代語訳
爾前四十余年の経々において、当分にそれぞれの経の賛嘆した文と法華経の「已今当説最為第一」「六難九易」の文とを相対するに、月に星をならべ、九山に最高最大の須弥山をならべ合わせたごときものである。しかれども華厳宗の澄観、法相・三論・真言宗等の慈恩・嘉祥・弘法等のごとく、世間からは仏眼のごとくあおがれているものが、なおこの文に迷っているのである。まして盲眼のごとき当世の学者等が勝劣を弁えることができようか。黒と白のごとく、あるいはまた須弥の大山と芥子粒のごとく、小なるはっきりとした比較を誤って、諸経と法華経の勝劣になお迷っている。いわんやその経教によって説かれている虚空のごとき理に迷わないわけがあろうか。能詮の教の浅深を知らなければ、所詮の理の浅深を弁えるわけがない。法華経と爾前の経とは巻をもへだて、その文も前後しているから、比較して勝劣浅深を判定することが困難であるゆえ、さらに相似の文を出して、愚者たちに教えてやろうとするのである。
王といっても、小王あり、大王あり、いっさいに少分全分の区別がある。また五味についても、釈迦一代の経全体に配するたとえと、それぞれの経に当分に配して判定しているたとえとを区別すべきである。六波羅蜜経には有情の成仏は説いているが、無性の成仏を説かず、しかして久遠実成など説いているわけがない。この経は涅槃経の五味にすらおよばないで、しかして法華経の迹門や本門に相対して論じられるわけがない。しかるに日本の弘法大師はこの経文に迷って、法華経を第四の熟蘇味に入れている。事実はかの経で説く第五の総持門の醍醐味でさえ、なお涅槃経の醍醐よりはるかに劣るのであり、法華経におよぶわけがないのになにを狂ったのか「中国の人師は争ってこの経の醍醐を盗んだ」などと書いて天台大師等を盗人であるとしている。そして「惜しいことには、いにしえの賢人はいまだこの醍醐味をなめていない」といって自分が最高の仏教学者であるかのごとくいっている。
これらの愚論はさておいて、わが一門のために仏法の極理を説き示そう。他宗の者は信じないで、地獄へおちるのは逆縁の衆生である。一滴の水をなめても、大海の潮味を知ることができる。一つの花が咲くのを見ても春の訪れたことを推察せよ。万里の大海を渡って宋の国までいかなくても、昔の中国の法顕が行ったごとく、三年もかかってインドの霊鷲山に行かなくても、竜樹のごとく竜宮まで行かなくても、無著菩薩のごとく毎夜弥勒菩薩に対面しなくても、釈迦在世の二所三会の法華の会座にあわなくても、一代仏教の勝劣は知ることができるのである。
すなわち、法華第一と決定する日蓮の判定は絶対にまちがいのないことである。蛇は七日の内の洪水を知るといわれている、そのゆえは竜の眷属であるから。烏は過去世に陰陽師であったから、その年中の吉凶を知るといわれている。また鳥は飛ぶ徳が人間より勝れている。畜生すらこのようにそれぞれの徳を持っている。
日蓮は諸経の勝劣をはっきりと知っていることは、華厳の澄観よりも、三論の嘉祥よりも、法相の慈恩よりも、真言の弘法よりもはるかにすぐれている。そのゆえは釈迦出世の本懐たる法華経を仏説のごとく正しく解釈し、弘通した天台・伝教のあとをそのまま承継して、末法に日蓮は本仏として出現し、三大秘法を建立するがためである。かの澄観等は天台・伝教に帰伏しなかったならば、謗法罪の失から永久に脱れられなかったであろう。当世日本国に第一に富める者は日蓮である。命は無上最大の法華経に奉り、名をば後代に留めるのである。大海の主となれば、もろもろの河神はすべてこれにしたがう。山の王たる須弥山には諸々の山神がみなしたがっているのはとうぜんである。法華経の六難九易をはっきりと弁えるならば、一切経を読まなくとも、いっさいの経教の仏菩薩すべてこの行者に随従するのである。
語釈
九山に須弥を合せたるににたり
古代インドの世界観によると、この世界の下には三輪(風輪・水輪・金輪)があり、その最上層の金輪の上に九つの山と八つの海があって、この九山八海からなる世界を一小世界としている。須弥山はスメール(Sumeru)の音写で、修迷楼・蘇迷盧などとも書き、妙高、安明などと訳す。須弥山は九山の一つで、周囲を七つの香海と七つの金山とが交互に取り巻き、その外側に鹹水(塩水)の海がある。この鹹水の中に閻浮提などの四大州が浮かんでおり、一番外側には鉄囲山が取り囲む。須弥山の高さは八万四千由旬。七つの金山は内側から持双山、持軸山、坦木山、善見山、馬耳山、障碍山、持地山といい、その高さは金山の外側に向かうに従い、隣接する内側の山の半分の高さとなり、最も外側の持地山の高さは六百二十五由旬となる。九山に須弥山をならべ合わせたように、爾前経と法華経の差は歴然とし、はっきりしているということ。
有情の成仏あつて無性の成仏なし
有情とは、梵語サットヴァ(sattva)の訳。人間や動物のように感情や意識をもち、生命活動を能動的に行えるものをいう。鳩摩羅什らの旧訳では「衆生」と訳し、玄奘らの新訳では「有情」と訳した。有情に対する語が、非情である。草木・山河・大地のように感情を能動的に表すことができず、活動も受動的なものをいう。
無性とは、無仏性の略。法相宗の教判で、五性各別、すなわち衆生が本来具えている宗教的能力を、阿頼耶識に蔵する種子によって五種に分類し、それらは永久に区別されているとし、その中の一つをいう。仏地経論巻二等に説かれる。五性とは①声門定性(阿羅漢果を得ることに定まった者)、②緑覚定性(辟支仏果を得ることに定まった者)、③菩薩定性(仏果を得ることに定まった者)、④不定性(三乗のいずれとも定まっていない者)、⑤無性(三乗の種がなく永遠に生死の苦界を免れることのない者)をいう。
ここは、六波羅蜜経には有情の成仏は説いているが、全ての有情が成仏できるわけではなく、無性の者は永遠に成仏できない、の意。
万里をわたて宋に入らずとも
大聖人御在世当時、中国は宋代であったが、仏道を求めるために、わざわざ万里の波濤を越えて中国へ行かずとも、の意。
三箇年を経て霊山にいたらずとも
中国・東晋代の僧、法顕が六十余歳の老齢になってから、仏法を求めて、遠くインドまで旅立ったことを指したもので、西暦三九九年に長安を発って、前後十五年間かかって、中央アジア、インド、セイロン(現在のスリランカ)、ジャワの各国をまわったことをいったもの。
竜樹のごとく竜宮に入らずとも
竜樹が仏法の奥義を知ろうとして苦悩していた時、大竜菩薩は竜樹を大海の竜王の宮殿に案内し、大乗経典を取り出し与えたという。竜樹菩薩伝に「大竜は菩薩の、その是の如くなるを見、惜んで之を愍み、即ち之を接して海に入り、宮殿の中に於て、七宝の蔵を開き、七宝の華函を発き、諸の方等深奥の経典、無量の妙法を以て之に授け」とある。
無著菩薩のごとく弥勒菩薩にあはずとも
無著が、はじめ小乗教を学んだが、得るところがなく、のちに、唯識派の開祖である弥勒に会って大乗の教えを学んだことを指したもの。後世の伝説では、弥勒は兜率天上の弥勒菩薩と同一視された。
二所三会に値わずとも
釈尊が一代の説法の最後として説き明かした法華経の二所三会の会座に列していなくとも、の意。
蛇は七日が内の洪水をしる竜の眷属なるゆへ
蛇は水辺湿地に多く生息することから、古くから水の神の姿、またはその使者とみなされた。曾谷入道殿御返事にも「蛇と申す虫は竜象に及ばずとも七日の間の洪水を知るぞかし」(1058:13)と述べられている。
烏は年中の吉凶をしれり過去に陰陽師なりしゆへ
烏は全身黒色の羽毛や不気味で大きな鳴声、鋭い眼光などの特徴が神秘的な印象を与えるため、古くから神意を伝える霊長と考えられ、年中の吉凶を伝えるとされた。曾谷入道殿御返事にも「烏と申す鳥は無下のげす鳥なれども鷲鵰の知らざる年中の吉凶を知れり」(1058:12)と述べられている。
河神
河川をつかさどる神で、水神ともいう。中国では河伯といって、抱朴子という書によるとある人が河を渡ろうとして溺れ死んだ、天帝はこれを河伯としたとある。
講義
このように諸宗の元祖はみな経文に迷って、経の勝劣浅深を知らないのである。ましてや、今時の諸宗の学者はなおさら教の勝劣浅深を知るはずがないのは当然のことで、ここに仏教の乱れがあり、また仏教の統一ができない根本がある。王にも大王あり、小王のあるごとく、法華経こそ大王中の大王であることは、仏教の勝劣浅深を知るなら、とうぜんと理解せられるであろう。
また、上来の意を決する御文の「此等はさてをく我が一門の者のためにしるす」云云は大聖人のじつに偉大なる確信をお述べ遊ばしておられるので、身の引きしまる思いがする。万里を渡って宋に入らずとも、三箇年をへて霊山にいたらずとも、竜樹のごとく竜宮に入らずとも、無著菩薩のごとく弥勒菩薩にあわずとも、二所三会に値わずとも、一代の仏法の勝劣はことごとく知っていると、大聖人様ははっきりとおっしゃっている。また重ねて「日蓮は諸経の勝劣をしること華厳の澄観・三論の嘉祥・法相の慈恩・真言の弘法にすぐれたり」と確信なくしてこのおことばをおおせられるものではない。
澄観、嘉祥、慈恩、弘法等のごときは、一代の仏法を知らざるものといいはっておられるのである。これ御本仏でなくして、どうしてこのようにいいはなたれるものがあろうか。その心地の荘厳さは光明赫々と輝くの思いがする。また「当世日本国に第一に富める者は日蓮なるべし」とさもありなん。これはとうぜんのことと吾人は拝するのである。けっして誇耀ではない。法相のしからしむるところである。いかんとなれば、由比ケ浜辺の首の座より、無作三身自受用報身を証得して、そのご内証は寿量品の文底下種事行の一念三千の南無妙法蓮華経である。されば大聖人は脱益寿量文底の本因妙の教主であらせられるから、一切経を読まずとも、一切経の仏菩薩が大聖人に随従し、かつ一切経の功徳が大聖人に雲集しているのである。
第四十八章 二箇の諌暁嘖を引き一代成仏不成仏を判ず
本文
宝塔品の三箇の勅宣の上に提婆品に二箇の諫暁あり、提婆達多は一闡提なり天王如来と記せらる、涅槃経四十巻の現証は此の品にあり、善星・阿闍世等の無量の五逆・謗法の者の一をあげ頭をあげ万ををさめ枝をしたがふ、一切の五逆・七逆・謗法・闡提・天王如来にあらはれ了んぬ毒薬変じて甘露となる衆味にすぐれたり、竜女が成仏此れ一人にはあらず一切の女人の成仏をあらはす、法華已前の諸の小乗教には女人の成仏をゆるさず、諸の大乗経には成仏・往生をゆるすやうなれども或は改転の成仏にして一念三千の成仏にあらざれば有名無実の成仏往生なり、挙一例諸と申して竜女が成仏は末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし、儒家の孝養は今生にかぎる未来の父母を扶けざれば外家の聖賢は有名無実なり、外道は過未をしれども父母を扶くる道なし仏道こそ父母の後世を扶くれば聖賢の名はあるべけれ、しかれども法華経已前等の大小乗の経宗は自身の得道猶かなひがたし何に況や父母をや但文のみあつて義なし、今法華経の時こそ女人成仏の時・悲母の成仏も顕われ・達多の悪人成仏の時・慈父の成仏も顕わるれ、此の経は内典の孝経なり、二箇のいさめ了んぬ。
現代語訳
宝塔品に滅後の弘教をすすめた三箇の勅宣に引きついで、提婆品の二箇の諌暁を引いて、一代諸経の成仏不成仏を明らかにしよう。提婆達多は一生を通じて徹底的に仏に反対した一闡提でありながら、しかも法華経においては天王如来と授記されている。涅槃経四十巻にはいっさいの衆生はことごとく仏性ありと説き、一闡堤の成仏を説いているが、その現証は法華経の提婆品に示されているとおりである。善星比丘や阿闍世王等のごとき、釈尊在世の無量の五逆罪謗法のものの中から、極悪の提婆をあげてその成仏を明かしたことは、頭をあげて同類のものいっさいを収め、枝葉を随従させたのである。いっさいの五逆・七逆の罪をおかした謗法・闡提は、すべて天王如来の授記によって成仏を決定せられたのである。毒薬が変じて甘露となる法華経こそ、衆味にすぐれた妙法である。また竜女の成仏もただ一人の成仏を顕したものではなくて、いっさいの女人の成仏を顕わしたものである。法華已前のもろもろの小乗教には、女人の成仏を許さなかった。もろもろの大乗経には女人の成仏往生を許すようではあるが、それは即身成仏ではなくて、改悔発心ののちに許される改転の成仏であり、一念三千の即身成仏ではないから有名無実の成仏往生である。「一をあげてもろもろに例す」と申して、竜女の成仏は末代女人の成仏往生の道をふみあけたものである。
儒教で説く孝養は現世に限られているから、死んで行く父母の来世になんの役にも立たない。ゆえに外道の聖人賢人といわれるものも有名無実なのである。婆羅門外道は過去、未来にわたる三世の生命は知っているが、父母の来世までたすける道がない。仏道こそ父母の後世をたすけるのであるから、真の聖賢と呼ばれるべきである。しかれども、法華経已前の大小乗経を立てる諸宗は、自分自身の成仏得道すらえられないから、まして父母をたすけることができようか。成仏とか追善供養の文のみあって、その義がないから現証もない。いま法華経の時にいたって女人成仏が現実に証明されてこそ、悲母の成仏も顕われ、また提婆達多の悪人が成仏の時に、初めて慈父の成仏も顕われるのである。この経は父母の即身成仏をこのように説き明かされているから、内典の孝経ともいうべきである。以上で二箇の諌暁が終わった。
語釈
天王如来
提婆達多が未来に成仏する時の名。法華経提婆達多品第十二では、提婆達多は阿私仙人という釈尊の過去世の修行の師であったことが明かされ、無量劫の後、天王如来になるだろうと記別を与えられている。これは悪人成仏を明かしている。
善星
善星比丘。釈尊の出家以前の子といわれる。涅槃経巻三十三によると、出家して仏道修行に励み、十二部経を受持して四禅定を得たが、これが真の涅槃かと思い、苦得外道に親近し仏法を否定する悪見を起こした。そのうえ、釈尊に悪心を懐いたため、生きながら地獄に堕ちたという。
五逆・七逆
五逆とは五逆罪のことで、殺父、殺母、殺阿羅漢、破和合僧、出仏身血の五つ。七逆は出仏身血、殺父、殺母、殺和尚、殺阿闍梨、破羯磨転法輪僧、殺聖人の七重罪で、主として師匠を殺める大罪であり、梵網経に述べられる。五逆における殺阿羅漢は、七逆では殺和尚、殺阿闍梨、殺聖人へと種類を細かくする。五逆での破和合僧は、七逆の破羯磨転法輪僧に相当する。破羯磨転法輪僧は、羯磨(受戒や懺悔の作法)と転法輪(教義の伝道)の僧を破る等の意。
改転の成仏
歴劫修行の中で生まれ変わって身を改め転じて成仏すること。この一生のうちにその身のままで成仏する一生成仏・即身成仏に対する語。法華経提婆達多品第十二に説かれる竜女の成仏は即身成仏の例である。
挙一例諸
ひとつの例をあげて、他の多くの例とする意味。ここでは竜女の成仏という一事実をもって他のいっさいの女人成仏の方程式としていることを示されている。
竜女が成仏
竜女は海中の竜宮に住む娑竭羅竜王の娘で八歳の蛇身の畜生。法華経提婆達多品第十二には、竜女は、文殊師利菩薩が法華経を説くのを聞いて発心し、不退転の境地に達していた。しかし智積菩薩や舎利弗ら聴衆は竜女の成仏を信じなかったので、竜女は法華経の説法の場で「我は大乗の教を闡いて 苦の衆生を度脱せん」と述べ、釈尊に宝珠を奉った後、その身がたちまちに成仏する姿を示した、と説かれている。竜女の成仏は、一切の女人成仏の手本とされるとともに、即身成仏をも表現している。
孝経
中国・十三経の一つ。孝、すなわち親に対して子が尊敬し仕えることについて記した書。孔子の弟子である曾子の門人が編纂したとされる。一巻。
講義
これより二箇の諌暁を引いて、一代諸経の成仏不成仏を判定する。極悪人の提婆達多と、畜身の女人たる竜女の成仏は一代の諸経にまったくその類例がない。爾前経では修行している本人の成仏すら許されないのに、まして人を救えるわけがない。だからせっかく出家して仏道修行に入っても、自分の親さえ救うことができない不孝者となるのに対して、法華経は提婆と竜女の成仏から、慈父と悲母が成仏できることが実証され、法華経こそ一代仏経中に真の孝経であると説いている。
提婆達多天王如来等の文
提婆達多は釈尊一代にわたる謗法の人で一切世間の諸善を断じた。ゆえに爾前経では「悪がなければもって賢善を顕すことができない。このゆえに提婆達多は無数劫以来つねに釈尊とともにあって、釈尊は仏道を行じ、提婆は非道を行じてきた。しかしてたがいに相啓発してきたものである」と。しかるに対悪顕善が終われば、悪の全体はすなわちこれ善である。ゆえに法華経では、善悪不二・邪正一如・逆即是順となるのである。このことは爾前経ではいまだ説かれなかった奥底の義である。日蓮大聖人はこの点につき、つぎのごとくおおせである。
呵責謗法滅罪抄にいわく
「提婆達多は仏の御敵・四十余年の経経にて捨てられ臨終悪くして大地破れて無間地獄に行きしかども法華経にて召し還して天王如来と記せらる」(1131:16)と。また
種種御振舞御書にいわく
「釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり……日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信・法師には良観・道隆・道阿弥陀仏と平左衛門尉・守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべき」(0917:05)
改転の成仏・一念三千の成仏等の文
改転の成仏とは、諸大乗経で女人が女身を改め、男子と変わって成仏すると説くのを指す。これと同様に悪人は悪を変じ、善人と成って成仏すると説いている。ゆえに即身成仏ではない。法華経においては、一念即十界・十如・三千と開かれるので、十界は同時に成仏するのである。妙楽の「一身一念法界にあまねし」と釈するごとくである。
一大聖教大意には「法華経已前の諸経は十界互具を明さざれば仏に成らんと願うには必ず九界を厭う九界を仏界に具せざるが故なり……此れをば妙楽大師は厭離断九の仏と名くされば爾前の経の人人は仏の九界の形を現ずるをば但仏の不思議の神変と思ひ仏の身に九界が本よりありて現ずるとは言わず」(0403:09)と説かれている。
仏法においては成仏ということがひじょうに大事なことである。すなわち仏道修行の目的は成仏するにある。しからば成仏とはいかなる状態を指すのであろうか。
さきに説いたようにわれわれの生命の状態を大別すれば、十の範疇がある。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏がそれである。しかしてこの十の生命が冥伏し、また顕現してわれらの一生をつづけるのである。しかし冥伏せる仏の生命は、これを顕現し、これを証得することが至難のわざなので、時と機とに適える仏法を修行して、これを顕現し証得しようとする。この仏の生命を現わし証得することを成仏といい、その成仏の状態は永遠に幸福な生命の状態である。永遠に幸福な生命の状態とは金剛不壊の幸福感の永遠の連続である。幸福ということについても種々の考えかたがあろうが、大別して二種になしうる。家が建ったら幸福であろう、金ができたら幸福であろう、はなやかな生活をしたならば幸福であろうというような相対的な幸福を考えることができる。
この幸福のほかに吾人は絶対的幸福と名づける幸福があることを主張する。この絶対的幸福が成仏の境涯である。それは種々なる条件があるにもせよ、生きているそれ自体が楽しいのである。しかも、永遠にその幸福は連続し、いかなるものにもこわされない金剛不壊のものであり、この境涯は人生にもっとも必要であり、もっとも尊いものであるが、哲学することや、または修養やいわゆるたんなる修行のごときもので得られるものではない。しからばひじょうに面倒な方法によってでなければ得られないかというとそうではない。ただ三大秘法の御本尊を受持し信行に励むことによって、すべての人が等しく、この境地を得ることができる。
第四十九章 三類の強敵を顕わす
本文
已上五箇の鳳詔にをどろきて勧持品の弘経あり、明鏡の経文を出して当世の禅・律・念仏者・並びに諸檀那の謗法をしらしめん、日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頸はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず・みん人いかに・をぢぬらむ、此れは釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国・当世をうつし給う明鏡なりかたみともみるべし。勧持品に云く「唯願くは慮したもうべからず仏滅度の後恐怖悪世の中に於て我等当に広く説くべし、諸の無智の人の悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん我等皆当に忍ぶべし、悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為れ得たりと謂い我慢の心充満せん、或は阿練若に納衣にして空閑に在つて自ら真の道を行ずと謂つて人間を軽賤する者有らん利養に貪著するが故に白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるることを為ること六通の羅漢の如くならん、是の人悪心を懐き常に世俗の事を念い名を阿練若に仮て好んで我等が過を出さん、常に大衆の中に在つて我等を毀らんと欲するが故に国王・大臣・婆羅門・居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説いて是れ邪見の人・外道の論議を説くと謂わん、濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん悪鬼其身に入つて我を罵詈毀辱せん、濁世の悪比丘は仏の方便随宜の所説の法を知らず悪口し顰蹙し数数擯出せられん」等云云、記の八に云く「文に三初に一行は通じて邪人を明す即ち俗衆なり、次に一行は道門増上慢の者を明す、三に七行は僣聖増上慢の者を明す、此の三の中に初は忍ぶ可し次の者は前に過ぎたり第三最も甚だし後後の者は転識り難きを以ての故に」等云云、東春に智度法師云く「初に有諸より下の五行は第一に一偈は三業の悪を忍ぶ是れ外悪の人なり次に悪世の下の一偈は是上慢出家の人なり第三に或有阿練若より下の三偈は即是出家の処に一切の悪人を摂す」等云云、又云く「常在大衆より下の両行は公処に向つて法を毀り人を謗ず」等云云、涅槃経の九に云く「善男子一闡提有り羅漢の像を作して空処に住し方等大乗経典を誹謗せん諸の凡夫人見已つて皆真の阿羅漢是大菩薩なりと謂わん」等云云、又云く「爾の時に是の経閻浮提に於て当に広く流布すべし、是の時に当に諸の悪比丘有つて是の経を抄略し分ちて多分と作し能く正法の色香美味を滅すべし、是の諸の悪人復是くの如き経典を読誦すと雖も如来の深密の要義を滅除して世間の荘厳の文飾無義の語を安置す前を抄して後に著け後を抄して前に著け前後を中に著け中を前後に著く当に知るべし是くの如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり」等云云、六巻の般泥洹経に云く「阿羅漢に似たる一闡提有つて悪業を行ず、一闡提に似たる阿羅漢あつて慈心を作さん羅漢に似たる一闡提有りとは是の諸の衆生方等を誹謗するなり、一闡提に似たる阿羅漢とは声聞を毀呰し広く方等を説くなり衆生に語つて言く我れ汝等と倶に是れ菩薩なり所以は何ん一切皆如来の性有る故に然も彼の衆生一闡提なりと謂わん」等云云、涅槃経に云く「我涅槃の後乃至正法滅して後像法の中に於て当に比丘有るべし持律に似像して少かに経を読誦し飲食を貪嗜し其の身を長養す、袈裟を服ると雖も猶猟師の細視徐行するが如く猫の鼠を伺うが如し、常に是の言を唱えん我羅漢を得たりと外には賢善を現わし内には貪嫉を懐かん啞法を受けたる婆羅門等の如し、実に沙門に非ずして沙門の像を現じ邪見熾盛にして正法を誹謗せん」等云云。
現代語訳
以上のとおり、五箇の仏勅に驚いて、勧持品にいたり「われ身命を愛せず」とて滅後末法の弘教を誓っているのである。いまこそ明鏡の経文を出して、当世の禅・律・念仏者および、その諸檀那の謗法を知らしめよう。日蓮というものは去年の九月十二日子丑の時にくびをはねられた。すなわち凡夫の肉身は竜の口において断ち切られ、久遠元初の自受用報身如来と顕われて、佐渡の国へいたり、翌年の二月「開目抄」を著述して、雪の深い佐渡の国より、鎌倉方面の有縁の弟子へ送るのである。
この御抄を拝する弟子たちは、濁劫悪世に法華経を弘通する大難を思うて、怖じ恐れるであろう。しかし日蓮は「われ身命を愛せず、ただ無上道をおしむ」の法華経の行者であるから、なにひとつ恐れるものもなく、かつ日蓮と同じく広宣流布の決意をかたく持っているものは絶対に恐怖がないのである。「身命を愛せず」の志が決定していないものはこの御抄を拝していかほど怖れることであろう。これは釈迦・多宝・十方の諸仏が、法華経に予言した三類の強敵を、日蓮が一身に受けて末法の弘通と大難を実証している。すなわち日蓮の行動は明鏡であり、勧持品の予言は日蓮の形見であり、すなわち開目抄こそ日蓮の形見である。
勧持品にいわく「ただ願わくは世尊よ、心配したもうなかれ。仏の滅度ののち恐怖悪世の中において、われらはまさしく広く法華経を弘通するであろう。もろもろの無智の人は悪口罵詈し、および刀や杖をもって迫害するであろう。しかしわれらはみなこれを耐え忍ぶであろう。悪世の中の比丘は邪智で、心は諂曲であり、いまだ得ていない悟りを得ているといい、我慢の心が充満している。あるいは人里離れた閑静な場所に衣をまとい、静かなところで真の仏道を行じているといい、世事にあくせくする人間を軽賤するものがあるであろう。
この人は悪心をいだき、つねに世俗の事を思い、閑静な場処にいるとの理由だけで、自己保身のため、正法の行者の悪口を並べ立てるであろう。つねに大衆の中にあって、正法の行者を毀るため、国王や大臣や婆羅門居士およびその他の比丘衆に向って誹謗して、われらの悪を説いていわく『これは邪見の人であり、外道の論議を説いている』というであろう。濁劫悪世の中には多くもろもろの恐怖する事件があり、悪鬼がその身に入ってわれら正法の行者をののしり、批判し、はずかしめるであろう。濁世の悪比丘は、仏が方便随宜の説法をしていることに迷い、経の浅深勝劣を知らず、正法の行者に悪口し、顔をしかめ、しばしばその居所を追い出すであろう」と。
記の八に、妙楽大師はこれを釈して「この勧持品の文は三あり、初めに有諸無智人とは通じて、邪智謗法の人を明かす、すなわち俗衆増上慢である。つぎに悪世中比丘はすなわち道門増上慢のものを明かしており、三に阿練若云々は僣聖増上慢のものを明かしている。この三の中に第一の俗衆は忍びやすいが、第二の道門はそれ以上に悪く、第三はもっともはなはだしい。そのゆえは無智の大衆より僧尼、僧尼より聖人とあおがれているもののほうが、その邪智であり、謗法であることを知りがたいからである」。
また妙楽大師の弟子、智度法師は東春にいわく「はじめに有諸無智人より好出我等過までの五行の中、第一にはじめの一偈は謗法者たちの身・口・意三業の悪、すなわち刀杖の迫害や、怨嫉を忍ぶことを明かす。これは在家の悪人俗衆である。つぎは悪世中比丘の下の一偈は、道門慢上慢で出家の上慢を明かしている。第三に或有阿練若より下の三偈は僭聖増上慢で、聖人のごとくあおがれている出家のところに、いっさいの悪人を摂して、法華経の行者を迫害怨嫉するを明かしている」と。またいわく「常在大衆より下の二行は国王大臣等の国家権力者に訴えて、法をそしり、行者を誹謗するのを説いている」と。
涅槃経の九にいわく「善男子よ、一闡提の人が阿羅漢のごとく装って空閑のところに住し、大乗経典を誹謗すると、多くの凡夫人はこれを見て、みなこの人は真の阿羅漢であり、大菩薩であるというであろう」と。またいわく「その時に、この経が閻浮提の中に広く流布するであろう。この時にもろもろの悪比丘があって、この経を抄略して、多くの部分に分け、よく正法の色香美味を滅するのである。このもろもろの悪人はまたこのような大乗経典を読誦するといえども、如来の深密の要義を滅除して、世間にありふれた荘厳の美辞麗句や無義の語を並べ、経文の前をとって後につけ、後をとって前につけ、前後を中につけ、中を前後につけたりする。まさに知るべし、このようなもろもろの悪比丘は魔の伴侶である」と。
また六巻の般泥洹経には「阿羅漢に似た一闡提があって、悪業を行ずる。これと反対に一闡提に似た阿羅漢があって、慈悲心をもって衆生を済度するのである。羅漢に似た一闡提とは、これらの衆生中で大乗経典を誹謗するものである。一闡提に似た阿羅漢とは、声聞を批判して、広く大乗を説くものである。ゆえに大衆に向かって、『自分は汝等とともにこれ菩薩である。なぜかというに、いっさいはみな如来の性がある。しかるにかの謗法者はかえってわれらのことを、一闡提であるというであろう』」と。
涅槃経にいわく「仏が入滅ののち、正法時代を過ぎて、像法の中において出家の比丘があり、戒律を持つに似て、わずかばかり経文を読誦し、飲食をむさぼり、その身を長養している。袈裟を着ているとはいえ、布施を狙うさまは猟師が獲物をねらって細目に見て、しずかに近づいて行くがごとく猫が鼠をねらっているようなものである。しかもつねに自分は阿羅漢果を得たといっているであろう。外には賢善の姿を現わし、内心にはむさぼり、ねたみをいだき、法門のことについては、唖法の修行を積んだ婆羅門尊者のごとく黙りこくっている。じつには出家の仏弟子ではないのに、僧侶の姿をして邪見が強盛で正法を誹謗するであろう」と。
語釈
五箇の鳳詔
釈尊が自身の滅後の法華経弘通を弟子に勧めた五つの命令。法華経の見宝塔品第十一の「三箇の勅宣」と提婆達多品第十二の「二箇の諫暁」とをいう。鳳は鳥の中の王をいい天子をあらわすが、仏教では仏の意に用いられ、鳳詔は仏の命令の意。
阿練若
梵語アランニャ(araṇya)の音写。阿蘭若、阿蘭那、阿練茹とも書く。無事閑静処という意味で、人里はなれた山寺などのこと。勧持品の意は、僭称増上慢のものが静かな山寺などにこもって、人々に邪法を説く姿をあらわしている。
納衣
僧衣のこと、糞掃衣ともいう。人のすてた布をひろって法衣をつくったもの。僧がこれを著すのは十二頭陀行の一つだという。
白衣
在家の信者のこと。釈尊在世のインドでは俗人がみな白衣を着ていたのでこのように呼んだ。
六通の羅漢
六通とは六神通のこと。仏や菩薩などがそなえるとされた六種の超人的な能力。①神足通(神境通、如意神通とも)。自身の変現が自在で、どこにでも行ける能力。②天眼通。遠近大小にかかわらず何でも見える能力。③天耳通。何でも聞こえる能力。④他心通。他人の考えが分かる能力。⑤宿命通。衆生の過去世の生涯がわかる能力。⑥漏尽通。一切の煩悩を断じ尽くすことができる能力。六通の羅漢とは、六神通を習得した阿羅漢のこと。六神通のうち、宿命通までの五通は外道の仙人でも成就できるが、第六通(漏尽通)は阿羅漢位でなければ成就できない。法華経勧持品第十三の二十行の偈では、僭聖増上慢が世間から敬われるさまは六通の羅漢のようであると説かれている。
東春に智度法師云く
智度法師は中国・唐代の天台宗の僧。妙楽大師の弟子。「天台法華疏義纉」六巻をつくった。智度が東春に住んでいたところから、その人と書を「東春」と呼んだ。天台大師の法華文句の註釈書であるが、その内容は初めに法華玄義によって五重玄を概説し、つぎに法華経の本文、法華文句記等にわたって懇切に注釈し、自己の見解を主張している。
方等大乗経典
方等は梵語ヴァイプリヤ(vaipulya)の訳。毘仏略と音写し、方広、広大とも訳す。①十二分経の一つ。広大な理義を説いたもの。②大乗、または大乗経のこと。③方等時。大乗経典のうち、華厳経・般若経・法華経・涅槃経などを除いた経典の総称。天台教学の教判である五時八教では、阿含経の後に説かれたとされ、二乗と菩薩に共通の教え(通教)を説いたとされる。ここでは②の大乗経典のこと。
般泥洹経
中国・東晋代の法顕訳「大般泥洹経」六巻のこと。般泥洹とは釈尊の入滅のことで、大般涅槃、涅槃ともいう。これは中国・北涼代の曇無讖訳「大般涅槃経」四十巻(北本)の前十巻分の内容に相当する。
唖法を受けたる婆羅門等の如し
唖とは、話しことばを発することができない状態をいう。唖法とはバラモンの修行で、無言の行。究極の真理は言説では尽くせないとの意による。ここでは、悪僧が外面は賢人のごとく装っているが、内面には貪りと嫉妬を強く懐いており、偉そうな顔ばかりしていても説法もできなければ、信者の指導もできず、また法門のことを質問されても答えられないさまは、ちょうどインドのバラモンの修行で、唖法を受けて黙りこんでしまった連中のようなものであると述べられたもの。
講義
いままで説ききたった五箇の詔勅に応じて勧持品の弘教がある。勧持品の証文を引いて日本国当世の諸人はことごとく三類の強敵であり、日蓮こそ法華経の行者であることを顕わそうとする段である。
日蓮といゐし者等の文
明鏡の経文云云以下は経釈を引く意を示す。すなわち、第一に当世の禅・律・念仏者等は、正しく法華経の三類の怨敵なるを示し、第二に日蓮といゐし者云云の下は所述おそれざるの意を示す。開目抄には北条執権をはじめ天下万民の帰依している禅・律・念仏等の高僧は僣聖増上慢・道門増上慢であり、これに帰依している国王・大臣その他の民衆はことごとく俗衆増上慢であり、無間大地獄におつべしとお述べになれば、重ねて大難の襲いきたるはとうぜんである。されば、このような濁悪の世に、正法を弘通するのは一応おそろしきことであるが、日蓮はすでに頸をはねられ、魂魄のみ佐渡の国にいたりて、有縁の弟子へ送るのであるから、いかなる大難きたるとも、一向におそろしからずとのおおせである。
子丑の時に頸はれられぬの文
子の刻は鎌倉を引き出され給う時、すなわち九月十二日の夜半である。丑の刻はすなわち、竜の口に頸の座につらなった時である。「頸はねられぬ」はすなわち、勧持品の「及加刀杖」の難であり、「魂魄佐土の国にいたる」はすなわち数数見擯出の文にあたる。ゆえに大聖人こそ「我身命を愛せず」と誓った末法の法華経の行者であらせられることは、誰人もこれを疑う余地がないであろう。ただしこれは附文の辺である。
元意の辺は、大聖人の凡夫の御身が即久遠元初の自受用身と顕われ給うのである。丑の刻はすなわち陰の終わり・寅の刻はすなわち陽の初めであり、死の終わり生の初めで、すなわち生死の中間である。ゆえに御書には「三世の諸仏の成道はねうしのをわり・とらのきざみの成道なり」(1558:上野殿御返事:04)と。ゆえに子丑の刻は、大聖人の凡身が死にいたる終わりであり、頸を刎ねらるる寅の刻は、久遠元初自受用身の生のはじめである。房州日我の本尊抄見聞には「開目抄に魂魄佐渡に到るとは凡夫の魂魄にあらず、久遠名字本仏の魂魄なり」といっている。釈尊は二月八日明星の出ずる時大悟し、大聖人はまた九月十二日明星の輝く寅の刻に久遠元初の御本仏とあらわれ給うたのである。
返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子等の文
竜の口の難を免れ、十三日の昼ごろ依智に着き、本間六郎左衛門尉の家におはいりになる。そこで二十余日ご逗留ののち、十月十日依智を出発、同二十八日佐渡にご到着遊ばされた。翌十一月のころよりただちに開目抄のご述作にかかり、塚原において冬中お勘えの上、翌年二月中務三郎左衛門にあてて、鎌倉へ送られたしだいである。「有縁の弟子」とはおよそ弟子たるものはすべて有縁なれども、この三郎左衛門(四条金吾)殿は竜の口の法難に、馬の口にとりすがりて泣く泣くお伴もし、もし大聖人が斬られるならば、ともに自害して果てる決意を示されたのであるから、有縁中にもとくに有縁なることを知るべきである。
をそろしくてをそろしからずの文
勧持品にいわく「濁劫悪世の中には多く諸の恐怖あらん」の文が「をそろしくして」の文にあたり、同じく「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」の文が、すなわち「をそろしからず」の御文である。日本国中の諸人はことごとく法華経の大怨敵であり、正法を弘通するにあたっては、じつに恐怖悪世のゆえに一往は恐ろしき状態なれども、日蓮は「我不愛身命、但惜無上道」の末法に出現する法華経の行者なるゆえになんのおそるるところがあろうか。一向に恐ろしからず。されどいまだ我不愛身命の決意がないものは「見ん人いかにをぢぬらん」のたぐいである。
啓蒙には「幽霊の書なるがゆえ恐ろしき義なり、年来有縁の師なるがゆえをそろしからず、つねの他人これを見ば幽霊の書なるがゆえにをぢぬらん」と、このように大聖人のご精神を一向に解さぬ註釈を、日寛上人は「蒙の義笑うべし笑うべし」とおおせられている。
此れは釈迦多宝等の文
この下は所述付嘱の意を示す。
釈迦多宝十方の諸仏は、勧持品に日本国当世の禅・律等の三類の怨敵が競い起こるさまを写し出したが、これがそのまま日蓮の一身に写し出されて、すなわち日蓮の一身が明鏡である。この明鏡を見て、自身の謗法を知り、無間地獄に堕つべきことを知れ。この経文を見よ、日蓮が形見である。勧持品の経文を形見と見るは、すなわち当抄を形見とせよ、とのおおせがすなわち当抄に勧持品を引かれる御文意である。
阿羅漢に似たる一闡堤有って悪業を行ず等の文
阿羅漢に似たる一闡堤は悪業を行ず。その悪業とは方等(大乗)を誹謗するのである。この一闡堤は、前の引経の涅槃経に「凡夫人見已って皆真の阿羅漢是れ大菩薩なりと謂わん」といわれるものである。現今当世のさまを見るのに、仏法のはしくれを知り、またはわずかな通力を得て、生如来とか今日蓮とか称して愚にもつかぬことをいい、世の人をまどわしている。これが上来の引経の人にあたるのである。天に二つの日なく、国に二人の王なし、とは絶えず大聖人のおおせでもあり事実のことでもある。末法にすでに日蓮大聖人が本仏として出現あるのに、改めて生如来が二人も三人もあらわれるべきはずがない。一仏国土に二人の仏があるわけではないのだから、これだけ知っても、生如来と称するものは偽物であり、その宗教は邪教であることがわかる。また今日蓮と称するものがほんとうに大聖人と同じであるとするならば、大聖人はご在世中説き残し、いい残した法があることになる、末法のご本仏がそんな粗そうな仏法を説かれたわけがない。この見地よりしても、これはにせものであり邪宗教のものである。この二類こそ末法の仏法たる寿量文底秘沈の下種の法門を乱すものであり、仏法の敵といわなければならない。
一闡堤に似た阿羅漢とは当今においては凡夫の身を自覚し、深く仏意を信じ、良き下種仏法の信者としておのおの凡夫手を携えて、互いに成仏せんことを願うもののことである。
持律に似像して少かに経を読誦しの文
当今のさまを見るにこの経文にぴたりとあらゆる僧侶、あらゆる宗教家があてはまっているではないか。経はわずかしか読まず、読むといっても意味は少しも知らない。葬式と法事と墓守を業として、檀那にへつらうこと芸者女郎のごとしではないか。かかる人間の生存を許している日本の社会はいかに宗教に無智であるかを示している。
われわれは、世界に誇るべき大宗教、創価学会を根幹として理想社会を建設していかなければならない。
第五十章 三類について釈す
本文
夫れ鷲峯・雙林の日月・毘湛・東春の明鏡に当世の諸宗・並に国中の禅・律・念仏者が醜面を浮べたるに一分もくもりなし、妙法華経に云く「於仏滅度後恐怖悪世中」安楽行品に云く「於後悪世」又云く「於末世中」又云く「於後末世法欲滅時」分別功徳品に云く「悪世末法時」薬王品に云く「後五百歳」等云云、正法華経の勧説品に云く「然後末世」又云く「然後来末世」等云云、添品法華経に云く等、天台の云く「像法の中の南三北七は法華経の怨敵なり」、伝教の云く「像法の末・南都・六宗の学者は法華の怨敵なり」等云云、彼等の時はいまだ分明ならず、此は教主釈尊・多宝仏・宝塔の中に日月の並ぶがごとく十方・分身の諸仏・樹下に星を列ねたりし中にして正法一千年・像法一千年・二千年すぎて末法の始に法華経の怨敵・三類あるべしと八十万億那由佗の諸菩薩の定め給いし虚妄となるべしや、当世は如来滅後・二千二百余年なり大地は指ば・はづるとも春は・花は・さかずとも三類の敵人・必ず日本国にあるべし、さるにては・たれたれの人人か三類の内なるらん又誰人か法華経の行者なりとさされたるらん・をぼつかなし、彼の三類の怨敵に我等入りてやあるらん又法華経の行者の内にてやあるらん・をぼつかなし、周の第四昭王の御宇二十四年甲寅・四月八日の夜中に天に五色の光気・南北に亘りて昼のごとし、大地・六種に震動し雨ふらずして江河・井池の水まさり一切の草木に花さき菓なりたりけり不思議なりし事なり、昭王・大に驚き大史蘇由・占つて云く「西方に聖人生れたり」昭王問て云く「此の国いかん」答えて云く「事なし一千年の後に彼の聖言・此の国にわたつて衆生を利すべし」彼のわづかの外典の一毫未断見思の者・しかれども一千年のことをしる、はたして仏教・一千一十五年と申せし後漢の第二・明帝の永平十年丁卯の年・仏法・漢土にわたる、此は似るべくもなき釈迦・多宝・十方分身の仏の御前の諸菩薩の未来記なり、当世・日本国に三類の法華経の敵人なかるべしや、されば仏・付法蔵経等に記して云く「我が滅後に正法一千年が間・我が正法を弘むべき人・二十四人・次第に相続すべし」迦葉・阿難等はさてをきぬ一百年の脇比丘・六百年の馬鳴・七百年の竜樹菩薩等・一分もたがはず・すでに出で給いぬ、此の事いかんが・むなしかるべき此の事相違せば一経・皆相違すべし、所謂舎利弗が未来の華光如来・迦葉の光明如来も皆妄説となるべし、爾前返つて一定となつて永不成仏の諸声聞なり、犬野干をば供養すとも阿難等をば供養すべからずとなん、いかんがせん・いかんがせん。
現代語訳
仏滅後における三類の強敵と法華経の行者出現については、以上に引いた、日月のごとく明らかな法華経・涅槃経および明鏡のごとき妙楽大師・智度法師の明文に照らしてまことに明らかである。すなわち当世の諸宗ならびに国中の禅宗・念仏宗等の謗法の醜面をこの明鏡に浮かべると、一分のくもりもなく明らかである。妙法蓮華経勧持品には「仏滅度の後恐怖悪世の中において広くこの経を説かん」また安楽行品には「後の悪世において」またいわく「末世の中において」またいわく「後の末世・法の滅せんと欲する時」分別功徳品にいわく「悪世末法の時」薬王品にいわく「後の五百歳広宣流布」といずれも悪世末法の時を予言している。さらに同本異訳の正法華経勧説品にいわく「しかるに後の末世に」と、またいわく「しかるに後の未来世に」と説かれており、同じく添品法華経にも同趣旨の文がある。
天台は「像法時代の南三北七は法華経の怨敵である」といい、伝教は「像法の末に奈良にあった六宗の学者は法華の怨敵である」といっている。しかし天台・伝教の時代は正しく法華本門の流布すべき時代ではなかったから、怨敵の相もいまだ分明ではなかった。いますでに末法に入り、天台・伝教の時代とは違う。すなわち教主釈尊と多宝仏・十方分身の諸仏が来集して行なわれた荘厳なる儀式の席上において、八十万億那由佗の諸菩薩が、正像二千年ののち末法の始めに、法華経の怨敵が三類あるべしと定めたことばが、どうして妄語となるであろうか。当世は如来の滅後二千二百余年になる。大地を指さしてはずれることがあろうとも、春になって花の咲かないことがあろうとも、三類の敵人はかならず日本国にあるはずである。それならば、どの人々が三類の敵であるのか、まただれが法華経の行者であるといえるであろうか。心もとないことである。われらはかの三類怨敵のうちに入っているのであろうか。それとも法華経の行者のうちであろうか。心もとないことである。
周の第四昭王の時代、二十四年四月八日の夜空に天に五色の光気が南北にわたり、昼のように明るくなった。大地は六種に震動し、雨が降らないのに江河・井池の水が増水し、いっさいの草木に花が咲き、菓がなるという奇瑞を現じた。じつにふしぎのことである。昭王は大いに驚いたが、大史・蘇由がうらなっていわく「西方に聖人が生れた」と。昭王は問うて「この国はどうか」蘇由は答えて「なにごともない。一千年ののちにかの聖言がこの国に渡って衆生を利益するであろう」といった。かの外典の見思の惑すら、いまだ断じてない蘇由ですら、一千年の未来を知ることができた。はたして仏教は一千十五年のち、後漢の第二明帝の永平十年に漢土へ渡ってきた。
しかるに法華経の予言は、外典と比較にならない釈迦・多宝・十方分身の諸仏の御前で誓った諸菩薩の未来記である。当世日本国に三類の法華経の敵人がないわけがあろうか。釈迦は付法蔵経等に未来を予言して「自分が滅度ののち正法一千年のあいだに、自分の正法をひろむべき人が二十四人出現して次第に相続する」と説いている。迦葉・阿難等は仏在世の弟子であるからさておいても、百年後に脇比丘・六百年後に馬鳴菩薩・七百年後の竜樹菩薩と二十四人が一分もたがわず、出現して相続している。
ゆえに末法の法華経の行者と三類の怨敵の予言がどうして虚妄となるわけがあろうか。もしこの予言が相違するならば、一経がことごとく相違してしまう。いわゆる舎利弗が未来の華光如来・迦葉の光明如来となるべき仏の授記もみな妄語となる。爾前経はかえって真実決定的の教えとなるから、舎利弗・迦葉も永久に成仏することのできない諸声聞となる。野良犬をば供養するとも阿難等の声聞を供養してはならないと説かれた爾前経が真実であるならば、いったいどうしようもないではないか。
語釈
鷲峯・雙林の日月
鷲峯は霊鷲山、雙林は沙羅林でそれぞれ法華経および涅槃経の説処である。鷲峯・雙林の日月とは法華経および涅槃経をあらわす。
毘湛・東春の明鏡
妙楽大師の「疏記」(法華文句記)と智度法師の「義纉」(天台法華疏義纉)の文を明鏡にたとえられたもの。毘湛は妙楽大師の住んでいたところの名。また東春は智度法師の住んでいたところの名である。
正法華経の勧説品
正法華経は法華経六訳三存のひとつで、竺法護訳。十巻二十六品。勧説品はその第六巻にある。鳩摩羅什以前の訳経であり「古訳」と呼ばれる。竺法護は中国・西晋時代の訳経家。インド北方の月氏国の出身で、敦煌に住した。竺法護は中国名。八歳で出家得道したが、諸大乗経があまり中国へ伝わらないのを嘆き、西域に遊行し、広く言語を学び翻経に一生を捧げ、敦煌菩薩と尊称された。
添品法華経
正しくは添品妙法蓮華経。法華経六訳三存のひとつで、中国・隋の仁寿元年(0601)、闍那崛多・達摩笈多が訳出した。七巻二十七品。鳩摩羅什訳の妙法蓮華経に基づき、鳩摩羅什訳に欠けていた薬草喩品の後半などを増補した。
昭王
生没年不詳。紀元前十世紀ごろ、中国・周の第四代の王。伝承によれば、昭王の在位二十四年目の四月八日夜、河川や井池に水があふれ大地が震動して、天に五色の光が現れ西方にまで行き渡った。そこで昭王が臣下の蘇由に問うたところ、蘇由は西方に偉大な聖人が生まれ、千年後にその聖人の言葉がわが国に伝わるだろうと答えたという。この伝説は現存しない「周書異記」にあるものとして仏教史書「仏祖統記」などに紹介され、釈尊の誕生の時期が推測されている。
付法蔵経
付法蔵因縁伝ともいう。中国・北魏の吉伽夜・曇曜による共訳。六巻。釈尊の付嘱を受けて正法一千年の間に出現し仏法を広めた後継者(付法蔵)二十三人の事跡が記されている。
脇比丘
梵語パールシュバ(Pārśva)、訳して脇である。脇尊者、脇羅漢ともいう。付法蔵の第九(第十ともいわれる)。迦弐志加(かにしか)王の命を受けて仏典の第四回結集を行なったといわれる。「大毘婆沙論」の編纂に中心的役割を果たしたとされ、論書中にその所説が記されている。大唐西域記には八十歳にして出家したとあり、高年齢で仏門に入り、誓いをたてて苦行を修し、脇をもって地に臥すことがなかったので、人は尊称して脇尊者と号した。西域記に「城中の少年、すなわち之、八十歳で出家したことを誚りていわく、愚夫の朽老よ、一に何ぞ浅智なるや、それ出家の者に二業あり。一にすなわち定を習い、二にすなわち経を誦す。しかも今は衰老して進取するところなし。濫りに清流に迹し、いたずらに飽足を知るのみと。時に脇尊者はもろもろの譏議を聞き、因って時人に謝し、しかもみずから誓っていわく、われもし三蔵の理に通ぜず、三界の欲を断ぜず、六神通を得て八解脱を具するにあらざれば、ついに脇をもって席に至さずと。それより後は唯々日も足らず、経行し宴坐し住立し思惟して、昼はすなわち理教を研習し、夜はすなわち静慮に神を凝す。三歳を経歴して、学は三蔵に通じ、三界の欲を断ちて、三明の智を得たり。時人敬仰して因って脇尊者と号せり」とある。
馬鳴
梵名アシュヴァゴーシャ(Aśvaghoṣa)の訳。二~三世紀ごろに活躍したインドの仏教思想家・詩人。付法蔵の第十一(第十二ともいわれる)。はじめ婆羅門の学者として一世を風靡し、議論を好んで盛んに仏教を非難し、負けたならば舌を切って謝すと慢じていたが、付法蔵第十の富那奢に論破され、屈服して仏教に帰依し弘教に励んだ。中インド華氏城で民衆を教化していたとき、北インドの迦弐志加王が中インドを征服し、和議の結果、華氏王に報償金九億を求めた。そこで華氏王は、報償金の替わりに馬鳴と仏鉢と一つの慈心鶏をもって各三億にあて、迦弐志加王に納受された。こうして馬鳴は北インドに赴き、迦弐志加王の保護のもと、おおいに仏法を弘め民衆から尊敬された。馬鳴の名は、過去世に白鳥を集めて白馬を嘶かせて、輪陀王に力を与え、仏法を守ったためといわれる。著書には、釈尊の一生を美文で綴った「仏所行讃」(ブッダチャリタ、Buddhacarita)五巻があり、「犍稚梵讃」一巻、「大荘厳論」十五巻等も馬鳴に帰せられる。
竜樹菩薩
梵名ナーガールジュナ(Nāgārjuna)の漢訳。0150年~0250年ころ、南インドに出現し大乗の教義を大いに弘めた大論師。付法蔵の第十三(第十四ともいわれる)。新訳経典では竜猛と訳される。はじめ小乗教を学んでいたが、ヒマラヤ地方で一老比丘より大乗経典を授けられ、以後、大乗仏法の宣揚に尽くした。主著「中論」などで大乗仏教の空の思想にもとづいて実在論を批判し、以後の仏教思想・インド思想に大きな影響を与えた。八宗の祖とたたえられるが、同名である複数の人物の伝承が混同して伝えられている。著書に「十二門論」一巻、「十住毘婆沙論」十七巻、「中観論」(中論、中頌、中論頌、根本中頌ともいう)四巻等がある。日蓮大聖人は、世親(天親、ヴァスバンドゥ)とともに、釈尊滅後、正法の時代の後半の正師と位置づけられている。
講義
この下は第二に釈であり、当世は末法にあたり、三類の強敵が充満すべきことを引経して示し、また外典外道の予言すら事実となって現れるを見て、かつまた付法蔵その他の釈迦の予言が適中したことを見ても、末法の三類に法華経の行者が出現するとの予言がはずれるわけがないとお述べになっている。
三千年前、インドに出現した釈尊の予言は七百年前の日蓮大聖人の出現によって完全に証明された。日蓮大聖人はそのご在世中に、立正安国論その他の御書において、自界叛逆難、他国侵逼難等のあることを予言されたが、そのいずれも適中した。
釈尊の予言が全部証明されたこと、また日蓮大聖人ご在世中の予言がすべて適中したことからみて、この大聖人の広宣流布達成の予言がどうして虚妄となるわけがあろうか。大聖人が立宗宣言されて、七百有余年、この大聖人の予言はいまやわが創価学会の出現によって、達成されんとしている。未曾有の他国侵逼難ともいうべき、第二次大戦の敗北――これこそ、広宣流布達成の瑞相でなくてなんであろうか。御書にいわく「大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし」(1300:大悪大善御書:01)
さらに、現在の世界の動乱、とくにアジアの不幸は、これ、妙法によってその悲惨の二字をなくす以外にないことを物語るものである。すなわち、東洋広布、世界広布の先相であると確信する。すでに大聖人のおおせどおりである。一見複雑に見える社会、日本、世界の動きも、その奥底の流れは、広宣流布へ、広宣流布へと向いつつあるのである。しかして、大聖人のおおせを実現すべき使命をになうものは、われわれしかないことを知るべきである。
この人類はじまって以来の大偉業に参加できる身の福運、あいがたき広宣流布達成の時に生まれ合わすことのできた身の光栄に感激せずにはおれない。御書にいわく「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」(1360:08)
されば、文中にもしばしば示されているとおり、法華経の敵人たる三類の強敵の出現もとうぜんであり、第一類、第二類、そして第三類の僭聖増上慢といえども、何らおそれてはならない。あらゆる邪宗教団が結束して、わが学会に対して抵抗することも、国家権力をもって学会を弾圧する動きがあることも、すべて、大聖人の予言のとおりであり「これぞ広宣流布達成の先兆」と確信し、これらの魔軍をことごとく打ち破りただひたすら前進していこうではないか。
第五十一章 別して俗衆道門を明かす
本文
第一の有諸無智人と云うは経文の第二の悪世中比丘と第三の納衣の比丘の大檀那と見へたり、随つて妙楽大師は「俗衆」等云云、東春に云く「公処に向う」等云云、第二の法華経の怨敵は経に云く「悪世中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為れ得たりと謂い我慢の心充満せん」等云云、涅槃経に云く「是の時に当に諸の悪比丘有るべし乃至是の諸の悪人復是くの如き経典を読誦すと雖も如来深密の要義を滅除せん」等云云、止観に云く「若し信無きは高く聖境に推して己が智分に非ずとす、若し智無きは増上慢を起し己れ仏に均しと謂う」等云云、道綽禅師が云く「二に理深解微なるに由る」等云云、法然云く「諸行は機に非ず時を失う」等云云、記の十に云く「恐くは人謬り解せん者初心の功徳の大なることを識らずして功を上位に推り此の初心を蔑にせん故に今彼の行浅く功深きことを示して以て経力を顕す」等云云、伝教大師云く「正像稍過ぎ已て末法太はだ近きに有り法華一乗の機今正しく是其の時なり何を以て知ることを得る安楽行品に云く末世法滅の時なり」等云云、慧心の云く「日本一州円機純一なり」等云云、道綽と伝教と法然と慧心といづれ此を信ずべしや、彼は一切経に証文なし此れは正しく法華経によれり、其の上日本国・一同に叡山の大師は受戒の師なり何ぞ天魔のつける法然に心をよせ我が剃頭の師をなげすつるや、法然智者ならば何ぞ此の釈を選択に載せて和会せざる人の理をかくせる者なり、第二の悪世中比丘と指さるるは法然等の無戒・邪見の者なり、涅槃経に云く「我れ等悉く邪見の人と名く」等云云、妙楽云く「自ら三教を指して皆邪見と名く」等云云、止観に云く「大経に云く此よりの前は我等皆邪見の人と名くるなり、邪豈悪に非ずや」等云云、弘決に云く「邪は即ち是れ悪なり是の故に当に知るべし唯円を善と為す、復二意有り、一には順を以つて善と為し背を以つて悪と為す相待の意なり、著を以つて悪と為し達を以つて善と為す相待・絶待倶に須く悪を離るべし円に著する尚悪なり況や復余をや」等云云、外道の善悪は小乗経に対すれば皆悪道小乗の善道・乃至四味三教は法華経に対すれば皆邪悪・但法華のみ正善なり、爾前の円は相待妙なり、絶待妙に対すれば猶悪なり前三教に摂すれば猶悪道なり、爾前のごとく彼の経の極理を行ずる猶悪道なり、況や観経等の猶華厳・般若経等に及ばざる小法を本として法華経を観経に取り入れて還つて念仏に対して閣抛閉捨せるは法然並びに所化の弟子等・檀那等は誹謗正法の者にあらずや、釈迦・多宝・十方の諸仏は法をして久しく住せしめんが故に此に来至し給えり、法然並に日本国の念仏者等は法華経は末法に念仏より前に滅尽すべしと豈三聖の怨敵にあらずや。
現代語訳
前章に引いた勧持品の三類の強敵を当世日本国の宗教界に引き合せるならば、まったく経文を事実によって証明することができる。まず第一の「有諸無智人」ということは、経文の第二の「悪世中比丘」と第三の「納衣の比丘」の教えを信じている大檀那等である。したがって妙楽大師はこれを「俗衆増上慢」と呼んでいる。また妙楽の弟子智度法師が東春に「公処に向う」等と述べているのがこれである。
第二の怨敵は経に「悪世の中の比丘は心が諂いまがっていて、いまだ仏の悟りなど得ているはずがないのに得たかのごとく謂って、我慢の心が充満している」と説かれているのがこれである。涅槃経にはこれを説いて「この時にもろもろの悪比丘があって乃至この悪比丘たちは仏教典を少しばかり読誦するとはいえ、かえって如来の深密の要義を滅除してしまうであろう」といっている。また天台は摩訶止観に「もし法華経に対する信心のないものは、法華経等は聖人のやるような高い教えであって、われわれのような凡愚のものには用のないものであるという。またもし智慧のないものは増上慢を起こして自分は仏の悟りとひとしいなどという」と説いている。
中国の念仏の開祖たる道綽禅師は、法華経を捨てるべき理由の第二として「聖道門の教えは理が深くて修行してもわれわれのような鈍根のものには極くかすかにしか解することができない」といって、天台の止観に説かれている様相と一致し、自ら第二の道門増上慢であることを証明している。日本の法然は「阿弥陀以外の教えを修行しても、衆生の機根に合わないし、すでに時代が適しておらない」といっている。妙楽は記の十に「おそらく法華経の真義をあやまって解するものは、初信の功徳が極めて大きいことをしらないで、その功徳は上聖でなければ顕われないといい、この初信の功徳をないがしろにするであろう。ゆえにいま初信者の修行は浅くて、その功徳がいかに莫大であるかを示して法華経の真義を顕わそう」等といっている。伝教大師は「正像二千年はあと少しで過ぎ終わり、末法がはなはだ近くなった。一仏乗の法華経が流布して、一切衆生の即身成仏するのはまさしくこの時である。なぜそのことがわかるかといえば、安楽行品に末世において、法が滅せんとする時に流布すると説かれている」。慧心僧都は「日本全国が円機純一で一人残らず、法華経によってのみ成仏することができる」と説いている。
このように念仏の学者たる道綽と法然と、法華経を説く伝教や慧心とはまったく相反することを説いているが、いずれを信ずべきであろうか。念仏のみ末法に利益するなどという議論は、一切経にその証文はないが、法華経は諸経中第一であり、しかも末法に流布すると明白に示されているゆえ、とうぜん伝教・慧心等の説によるべきである。そのうえ日本国中の人々にとって比叡山の伝教大師は、法華迹門の戒を授けてくれた受戒の師である。なにがゆえに天魔がその身に入った法然に心を寄せて、自分の受戒剃髪の師たる伝教を捨てるのか。
法然がもし智者であるならば、なぜ天台・妙楽・伝教・慧心等の法華経広宣流布の釈を選択集に載せ、道理を立てて会通しなかったのか。それをしないで、ただ念仏の開祖たちの釈を引き、自己流の論議を構えることは人の理を隠すものである。よって経文に説かれている第二の「悪世中比丘」を日本国当世に映し出せば、法然等の無戒・邪見のものを指しているのである。涅槃経にいわく「法華経の以前はわれらことごとく邪見の人であった」と。妙楽いわく「みずから法華以前の三教(蔵教・通教・別教)を指してみな邪見と名づく」と。止観にいわく「涅槃経にはこれより以前の諸経の時、われらはみな邪見のものであったと。邪はすなわち悪ではないか」と。弘決にいわく「邪はすなわちこれ悪である。このゆえに唯円を善となすのである。これにまた二意あり。一には実相にしたがうを善となし実相に背反するを悪となす。これは相待妙の意である。二には円に執著するを悪となし、円に達するをもって善となす。これは絶待妙の意である。このように相待・絶待の二妙とも、すべからく悪を離るべきである。円に執著するものすらなお悪であるから、しかして余の悪はいうまでもない」と。
外道の善悪は小乗経に対すればみな悪道である。また小乗の善道も爾前の四味三教も、ことごとく法華経に対すれば邪悪であり、ただ法華経のみが正善である。爾前の諸経に説かれた円教は相待妙である。この円教も絶待妙に対すれば、なお悪である。またこの円を前三教に摂すれば、なお悪道となるのである。爾前経に説かれている極理をそのとおりに行じてさえ悪道である。いわんや念仏の依経とする観経等はなお華厳・般若の諸経にすらおよばない小法である。このような小法をもととして法華経を観経に取り入れ、かえって法華経を捨てよ、閉じよ、閣け、抛て、という法然や、法然の弟子檀那等は「誹謗正法」のものではないか。釈迦・多宝・十方の諸仏は「令法久住」のためにこそ、宝塔の儀式に来会したのであるが、法然ならびに日本国の念仏者等は、法華経は末法に念仏より前に滅尽するといっているのは三仏に対する怨敵といわねばならない。
語釈
公処に向う
公処とは公の役所。ここでは、俗衆増上慢が法華経の行者を公権力に訴え、讒言すること。
道綽禅師
(0562~0645)。中国の隋・唐時代の浄土教の祖師の一人。并州汶水(山西省太原)の人。姓は衛氏。十四歳で出家し涅槃経を学ぶが、玄中寺で曇鸞の碑文を見て感じ浄土教に帰依した。曇鸞の教説を受け、釈尊の一大聖教を聖道門・浄土門に分け、法華経を含む聖道門を「未有一人得者」の教えであるとして排斥し、浄土門に帰すべきことを説いている。弟子に善導などがいる。著書に「安楽集」二巻等がある。
理深解微
道綽がその著「安楽集」に述べていることば。聖道の法門は道理が深くて、末世の衆生のおろかな智恵では、その道理をさとることは極めて微少であって成仏することはできないとし、聖道門すなわち念仏以外の教えとくに法華経をくだしたことば。これは天台大師の指摘した「信なき、智なき」に該当し、みずから第二道門増上慢であることを証明している。
慧心
(0942~1017)。恵心とも書く。日本天台宗恵心流の祖。大和国(奈良県)葛城郡当麻郷に生まれた。父は卜部正親。幼くして出家し天暦4年(0950)比叡山にのぼる。慈慧大師良源に師事し、天台の教義を学んだ。13歳で得度受戒し、源信と名乗った。権少僧都に任じられた時、横川恵心院に住んで修行したので、恵心僧都・横川僧都と称された。寛和元年(0985)に「往生要集」三巻を完成した。これは浄土教についての我が国初めての著述で、浄土宗の成立に大きな影響を与えた。しかし、晩年に至って「一乗要決」三巻を著し、法華経の一乗思想を強調している。本書は寛弘3年(1006)頃の作で、一切衆生に仏性のあることを明かし、法相宗の五性各別説を破折したものである。
日本一州円機純一
慧心の著「一乗要決」の中の句で、日本国中はみな円教である法華経に縁のある機根のものばかりで、蔵通別の三教に縁のあるものはいない、との意。
選択
選択本願念仏集の略。法然(源空)の著作。一巻。九条兼実の依頼によって建久9年(1198)に著されたといわれる。主として浄土三部経や善導の観無量寿経疏の文を引いて念仏の法門を述べている。内容は十六章に分けられ、釈尊一代の仏教を聖道門と浄土門、難行道と易行道、雑行と正行とに分け、浄土三部経以外の法華経を含む一切の教えを排除し、阿弥陀仏の誓願にもとづく称名念仏こそ、極楽世界に生まれるための最高の修行であると説いている。日蓮大聖人は「立正安国論」、「守護国家論」などでその誤りを破折されている。
弘決
止観輔行伝弘決のこと。十巻。中国・唐代の妙楽大師湛然の著。天台大師の摩訶止観の注釈書。内容は題号の釈出をはじめ、無情仏性に関する十難や華厳宗の法華漸頓・華厳頓頓説を打ち破るなど、摩訶止観の妙旨を明らかにするとともに、天台宗内外の異義に破折を加えている。
相待妙・絶待妙
各経典を比較してその勝劣を判ずるのを相待妙という。小乗経と大乗経とを比較すれば大乗が勝れ小乗は劣り、また大乗経の中で権大乗経は劣り、実大乗経である法華経が勝れる。これに対し最高の法華経、文底下種の南無妙法蓮華経があらわれれば、一切の経教はすべてこの一法に含まれ、一切が南無妙法蓮華経の一法に帰すると見るのを絶待妙という。
三聖
釈迦・多宝・十方分身の諸仏をいう。
講義
この章は俗衆増上慢と道門増上慢を明かす。俗衆はもし末法唯一の下種の仏を信仰し、日蓮大聖人のおおせにしたがって、誤れる仏法を破折して、正しき仏法をかれらに説かんと決意した時から、同じ家庭内でも、隣近所でも、職場でも、この種の増上慢と闘争が始まることは必至である。しかし相手の謗法を責めなければ、この俗衆増上慢は現われない。しかし強く責めるならば、この強敵に遭うこと、仏説のごとく非難迫害の的となるであろう。
道門増上慢とは従来の日蓮宗の誤れる教学を信奉した各宗の人々が大学者のごとく装いながら、日蓮大聖人の正義をなんの研究もなく、盲評をしてきたものである。とくにこれらのものは大聖人を本仏とあおぐべきこと、末法民衆の救済主であることに対しては、誤評盲評のかぎりをつくしていることは悲しむべきことである。
昭和27年(1952)、創価学会の折伏が活発に展開されると、日本全土にわたって、三類の強敵の炎はがぜん燃えあがった。まず第一の俗衆あらわれ、やがて、第二類の道門もいっせいに蜂起した。自らの生活が脅かされるところから、自分たちの教義や歴史の上にさらに誤謬を上塗りして、創価学会に対抗してきた。
なかでも、かれらの唯一の切り札は「改宗を理由とする埋葬拒否」であった。愚にもつかないこじつけをならべ、はてはバリケードまで組んで、墓地への埋葬を拒否する姿は、まさにかつて、平安時代に武器をとって、争い合った僧兵さながらの姿であった。しかし、これとて、仏法に照らす以前に、国法に照らして許されることではなくかれらの最後の砦もむなしくくずれ去った。
第五十二章 第三僭聖増上慢を明かす
本文
第三は、法華経に云く「或は阿練若に有り納衣にして空閑に在つて乃至白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるることを為ること六通の羅漢の如くならん」等云云、六巻の般泥洹経に云く「羅漢に似たる一闡提有つて悪業を行じ一闡提に似たる阿羅漢あつて慈心を作さん、羅漢に似たる一闡提有りとは是諸の衆生の方等を誹謗するなり一闡提に似たる阿羅漢とは声聞を毀呰して広く方等を説き衆生に語つて言く我汝等と倶に是れ菩薩なり所以は何ん一切皆如来の性有るが故に然かも彼の衆生は一闡提と謂わん」等云云、涅槃経に云く「我れ涅槃の後・像法の中に当に比丘有るべし持律に似像して少かに経典を読誦し飲食を貪嗜して其の身を長養せん袈裟を服ると雖も猶猟師の細視徐行するが如く猫の鼠を伺うが如し、常に是の言を唱えん我羅漢を得たりと外には賢善を現し内には貪嫉を懐く啞法を受けたる婆羅門等の如く実には沙門に非ずして沙門の像を現じ邪見熾盛にして正法を誹謗せん」等云云、妙楽云く「第三最も甚し後後の者転識り難きを以つての故に」等云云、東春云く「第三に或有阿練若より下の三偈は即是出家の処に一切の悪人を摂す」等云云、東春に「即是出家の処に一切の悪人を摂する」等とは当世・日本国には何れの処ぞや、叡山か園城か東寺か南都か建仁寺か寿福寺か建長寺か・よくよく・たづぬべし、延暦寺の出家の頭に甲冑をよろうを・さすべきか、園城寺の五分法身の膚に鎧杖を帯せるか、彼等は経文に納衣在空閑と指すにはにず為世所恭敬・如六通羅漢と人をもはず又転難識故というべしや華洛には聖一等・鎌倉には良観等ににたり、人をあだむことなかれ眼あらば経文に我が身をあわせよ、止観の第一に云く「止観の明静なることは前代未だ聞かず」等云云、弘の一に云く「漢の明帝夜夢みし自り陳朝に洎ぶまで禅門に予り厠て衣鉢伝授する者」等云云、補注に云く「衣鉢伝授とは達磨を指す」等云云、止の五に云く「又一種の禅人乃至盲跛の師徒二倶に堕落す」等云云、止の七に云く「九の意世間の文字の法師と共ならず、事相の禅師と共ならず、一種の禅師は唯観心の一意のみ有り或は浅く或は偽る余の九は全く此無し虚言に非ず後賢眼有らん者は当に証知すべきなり」、弘の七に云く「文字法師とは内に観解無くして唯法相を構う事相の禅師とは境智を閑わず鼻膈に心を止む乃至根本有漏定等なり、一師唯有観心一意等とは此は且く与えて論を為す奪えば則ち観解倶に闕く、世間の禅人偏えに理観を尚ぶ既に教を諳んぜず観を以つて経を消し八邪八風を数えて丈六の仏と為し五陰三毒を合して名けて八邪と為し六入を用いて六通と為し四大を以つて四諦と為す、此くの如く経を解するは偽の中の偽なり何ぞ浅くして論ず可けんや」等云云、止観の七に云く「昔鄴洛の禅師名河海に播き住するときは四方雲の如くに仰ぎ去るときは阡陌群を成し隠隠轟轟亦何の利益か有る、臨終に皆悔ゆ」等云云、弘の七に云く「鄴洛の禅師とは鄴は相州に在り即ち斉魏の都する所なり、大に仏法を興す禅祖の一・其の地を王化す、時人の意を護りて其の名を出さず洛は即ち洛陽なり」等云云、六巻の般泥洹経に云く「究竟の処を見ずとは彼の一闡提の輩の究竟の悪業を見ざるなり」等云云、妙楽云く「第三最も甚だし転識り難きが故に」等、無眼の者・一眼の者・邪見の者は末法の始の三類を見るべからず一分の仏眼を得るもの此れをしるべし、向国王大臣婆羅門居士等云云、東春に云く「公処に向い法を毀り人を謗ず」等云云、夫れ昔像法の末には護命・修円等・奏状をささげて伝教大師を讒奏す、今末法の始には良観・念阿等偽書を注して将軍家にささぐ・あに三類の怨敵にあらずや。
現代語訳
第三の強敵を当時の世相に合わせて誰人かを定めてみよう。法華経にいわく「あるいは閑静のところに袈裟衣をまとっていて空閑にあり、乃至在家のために法を説いて、世間の人々からは六通の羅漢のごとく恭敬されている」。六巻の般泥洹経にいわく「形ばかりが羅漢ににてる一闡提があって悪業を行じ、外面は一闡提に似ている阿羅漢があって、慈悲心をもって衆生を救うであろう。羅漢に似た一闡提があるとは、このもろもろの衆生の大乗を誹謗するものである。一闡提に似た阿羅漢とは、声聞をだめだと破って、広く大乗を説き、衆生に対してつぎのように語る。すなわち、自分はなんじらとともに菩薩である。なぜなら一切衆生はみな如来の法性があるからであると。しかも、かれの衆生はその阿羅漢を一闡提というであろう」と。
涅槃経にいわく「仏が入滅ののち像法の時代につぎのような比丘がある。外面は戒律を持っているように見せかけて、少しばかり経文を読誦し、飲食をむさぼってその身を長養し、袈裟を着けているけれども、信者のお布施を狙うありさまは猟師が獲物を狙って、見て見ぬふりをして近づいて行くがごとく、猫が鼠を取るために狙いを定めているようなありさまである。つねに自分は悟りを得た羅漢であるというであろう。外面には賢人・聖人のごとく装っているが、内面にはむさぼりと嫉妬を強くいだいており、偉そうな顔ばかりしていて説法もできなければ、信者の指導もできないし、また法門のことを質問されても答えられないさまは、ちょうどインドの婆羅門の修行で、唖法の術を受け、黙りこくってしまう連中のようなものである。じつには僧侶でないくせに、僧侶の姿をしており、邪見がひじょうにさかんで、正法を誹謗するであろう」と。
妙楽大師は「第三の僣聖増上慢がもっともはなはだしい害毒を流す。俗衆よりも道門・道門よりも僭聖が、害毒がはなはだしいのであるが、のちのちのものは、この僭聖が法華の怨敵であり、大謗法であり、かれらが正しい仏法を知っていないということを知りがたいからである」といっている。また妙楽の弟子、智度法師は東春に「第三に『あるいは阿練若に有り』より下の三偈は、すなわち僣聖増上慢という出家の僧侶のところへ、いっさいの悪人を摂している。すなわち僣聖増上慢がいっさいの悪の代表である」と述べている。この東春に「出家のところにいっさいの悪人を摂する」等とは当世の日本国にはどこであるか。比叡山をいうのか、三井の園城寺か、京都の東寺か、奈良の諸大寺か、あるいは鎌倉の建仁寺か、寿福寺か、建長寺かよく尋ねるべきである。延暦寺の坊主が頭に甲冑をよろうているのを指すべきか、園城寺の僧が五分法身を成じたという膚に鎧杖を帯しているのをいうべきか。しかしこの連中は経文に「納衣在空閑」(納衣にして空閑に在って)と指摘している姿には似ておらないし、「為世所恭敬・如六通羅漢」(世の恭敬する所と為ること六通の羅漢の如くならん)と経文にはあるが、この連中は世間の人がそうは思っていない。また妙楽が「転難識故」(転識り難きゆえ)と言っているのにも反して、かれらの破法ぶりは世間にもよく知られている。さて当世日本国には京都の聖一等・鎌倉には良観等がまさしくこの経文に指摘する第三類の強敵にあたると思われる。だからといってけっして人をうらむべきではない。眼があるならば経文にわが身を合わせてみよ。
止観の第一にいわく「止観の明静なることは前代にいまだ聞かず、未曾有のすぐれた法門である」と、弘の一にいわく「漢の明帝が夜、夢みて仏教が伝来してより天台大師の陳朝におよぶまで、禅門にまじわって師より弟子へ衣鉢を伝授するものは数多くあったが、みなつぎに述べられているように、盲跛の師弟ともに堕落した」と。補注にいわく「衣鉢を伝授するものとは、達磨から慧能にいたるあいだを指す」と、止観の第五にいわく「また一種の禅人があり乃至、観行にばかり励んで教解の学問を怠る盲の師も、禅定の行を怠り、理論ばかりもてあそぶ跛の弟子も、双方ともに堕落した」と。止観の七にいわく「天台独自の十意をもって仏法を融通するにあたって立てた十意のうち、九意は世間の文字をもてあそぶ法師等とは違うし、また反対に事相に観心修行をもっぱらにする禅師ともまったく異なる。また十意の中にただ観心ばかり修行する一種の禅師があるけれども、その観心といえどもあるいは浅くあるいはいつわっており、九意はまったく見られない。これは虚言ではない。後世の賢人等はまさにこのことを証知すべきである」
弘の七にいわく「文字法師というのは内心に観解がなくて、ただ法相上の理論に走っているものを指し、事相の禅師とは、境と智の二法を閑却して心を静めるという修行の形式にばかりとらわれているものをいう。乃至これらの連中がやる座禅は外道の根本有漏定くらいのもので、出離生死など思いもよらないところである。「一師唯有観心一意」(一師はただ観心の一意あり)等といったのは、しばらく与えて論じたものであり、奪っていえばすなわち観も解もともにないまったくの邪道である。世間の禅人はひとえに理観ばかりを尚んで、教を習おうとしない。観をもって経文を消釈し、たとえば八邪八風を数えて、丈六の仏であるとなし、五陰三毒を合して八邪となし、六入を用いて六通となし、四大をもって四諦となしている。このように自己流の観解をもって、経を解釈することはいつわりの中のいつわりである。このように浅薄な論議はいちいち論ずる価値さえないのである」
止観の七にいわく「昔鄴洛の禅師たちはその名が河海に響きわたり、住する時は、すなわち四方から仰ぎ尊ぶ者が雲のごとく集まり、去る時は別れを惜しんで阡陌の群をなしていたが、このように車馬の隠隠轟轟と往来したのもまた、なんの利益があったろうか。禅師の臨終をみてみな後悔した」と。これについて弘の七にいわく「鄴洛の禅師とは、鄴は相州にあって斉魏の都したところである。禅祖のひとりがおおいに仏法をおこし、その地を王化した。時人の意を護ってその名は出さないが、それは達磨のことである。洛とは洛陽のことである」と。六巻の般泥洹経にいわく「究竟のところを見ずとは、かの一闡提の輩がつくる究竟の悪業が底知れなくて、見られないとの意である」と。また妙楽いわく「第三はもっともはなはだしい。世の聖人にたっとばれていて、謗法の重罪をつくっていることが知りがたいゆえである」と。
以上のとおり経釈の明鏡にあてて、当世日本国第三類の僣聖増上慢は、禅・律の徒であることはわかりきっていることであるが、無眼のものや、一眼のものや、邪眼のものは末法の三類を見ることができないであろう。一分の仏眼を、正法を信じて得られたものがこれを見ることができるのである。「国王大臣婆羅門居士に、正法の行者を訴える」と法華経にあり、東春には「公処に向かって法を毀り、人を謗ず」と説いている。むかしの像法の末には、護命・修円等が奏状を捧げて伝教大師を讒奏した。いま末法の始めには、良観・念阿等が偽書を作って将軍家に捧げている。この連中こそまさしく三類の強敵ではないか。
語釈
園城寺の五分法身の膚に鎧杖を帯せる
五分法身とは戒身、定身、慧身、解脫身、解脫知見身の五つをいう。すなわち、仏法によって浄化された生命のこと。鎧杖はよろいとつえ。文意は、当時勢力をもった僧兵のことをいったもの。僧兵は古くは七、八世紀ごろから現われていたが、平安時代になると寺領自衛のため、急激にその数がふえ、なかでも延暦寺の僧兵は山法師、園城寺のそれは寺法師と呼ばれて、とくに勢力が大きかった。大聖人ご在世のころは、ようやく峠をこし、勢力はしだいに衰えてきたが、時には徒党を組んで入京強訴するなど、まだまだ横暴なふるまいが目立った。
華洛
「洛」は、中国の古代からの都・洛陽のことで、転じて都をさす。日本では京都をさす。
聖一
(1202~1280)。鎌倉時代の臨済宗の禅僧。円爾、弁円ともいう。嘉禎元年(1235)入宋し、無準師範のもとで約六年間禅を学び、印可を得て帰国。博多の承天寺で活動した後、摂政・九条道家の発願により京都に建立された東福寺の開山として迎え入れられた。教学面では禅宗と密教の兼修を特徴とする。北条時頼に授戒するなど、国政の要人に影響力をもち、名声をほしいままにした。生前に聖一和尚の名を賜り、没後、正和元年(1312)に国師号を得て聖一国師と呼ばれた。
良観
(1217~1303)。鎌倉中期の真言律宗(西大寺流律宗)の僧・忍性のこと。良観房ともいう。奈良の西大寺の叡尊に師事した後、戒律を広めるため関東に赴く。文永4年(1267)、鎌倉の極楽寺に入ったので、極楽寺良観と呼ばれる。幕府要人に取り入って非人組織を掌握し、その労働力を使って公共事業を推進するなど、種々の利権を手にした。一方で祈禱僧としても活動し、幕府の要請を受けて祈雨や蒙古調伏の祈禱を行った。文永8年(1271)の夏、日蓮大聖人は良観に祈雨の勝負を挑み、打ち破ったが、良観はそれを恨んで一層大聖人に敵対し、幕府要人に大聖人への迫害を働きかけた。それが大聖人に竜の口の法難・佐渡流罪をもたらす大きな要因となった。
衣鉢伝授
禅宗の始祖達磨が、第二祖慧可に正法眼蔵(真理を見通す知恵の眼によって悟られた秘蔵の法)を伝えたとき、その証として袈裟と鉢を授けたという。これは、仏滅後に付法蔵第一の摩訶迦葉が化導を終え、法を阿難に付属して、インド伽耶城の東南にある鶏足山で入定し、釈尊から仏法を相伝したしるしとして経典と衣を奉持し、弥勒の出現を五十六億七千万歳待つ、という話にもとづいている。以来、禅宗では、西天の二十八祖、東土の六祖を立て、衣鉢をもって付法の証としている。しかし日蓮大聖人は、この禅宗で立てるインドの二十八祖説について、聖愚問答抄のなかで、その誤りを破している。
補注
「法華三大部補注」の略。中国・北宋の天台宗の僧・従義による著作。十四巻。天台三大部、すなわち法華玄義・法華文句・摩訶止観に補注を施したもの。
九の意
天台の止観第七に、釈尊一代の聖教を正しく解釈し行ずるための条件を、十意をもって釈している。「九の意」とは、その十意のうち第九意の翻訳名数を除いた九意をいう。「九に梵漢を翻訳す、名数兼通して方言をしてふさがらざらしむ……ただ翻訳名数、いまだ広く尋ぬるに暇あらず」とある。なお「九の意」とは、はじめの九意をさすとか、第九意の翻訳名数をさすとの説もあるが、ここではとらない。
文字の法師・事相の禅師・一種の禅師
妙楽大師の弘決によれば、「文字の法師」とは、内心に観解がなくてただ法相上の理論に走っている者をさし、「事相の禅師」とは、境と智の二法を閑却して心を静めるという修行の形式にばかりとらわれている者をさす。「一種の禅師」とは、ただ観心の一種ばかり修行するが、観も解もともにない者である。
八邪八風を数えて丈六の仏と為し
八邪は、邪見・邪思惟・邪語・邪業・邪命・邪方便・邪念・邪定で八正道の反対、人生の苦を生ずる原因。八風は、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽である。三身のうち応身の仏を丈六仏といい、身のたけが一丈六尺であるという。ここは、教えを習おうとしない世間の禅人等は、八邪と八風とを数えて十六尺のゆえに一丈六尺の仏と為す等の、愚にもつかぬ我見の例。
五陰三毒を合して名けて八邪と為し
五陰は色・受・想・行・識をいい、三毒は貪・瞋・癡のこと。世間の禅人による、我流の観解をいったもの。
鄴洛の禅師
禅宗の達磨のこと。「鄴」は春秋時代、斉の邑。三国時代の魏もここを都とした。現在の河北省臨漳県の西。「洛」は洛陽で洛水の北。後漢、西晋、北魏、隋などもここを都とした。鄴、洛ともに達磨の法が広めた地である。
無眼の者・一眼の者・邪見の者
「無眼の者」とは仏法にまったく無智のもの。「一眼の者」とは仏教の一部分しか知らない生かじりのもの。「邪見の者」とは仏法を自己流に曲げて解釈し、邪説を立てるもの。
護命・修円
護命は法相宗の僧。美濃に生まれ元興寺に学ぶ。弘仁9年、伝教大師と祈雨の争いをして敗れた等のことがある。修円は同じく法相宗の僧で、護命とともに伝教大師の顕戒論を難じて、大乗戒壇の設立に激しく反対した。
念阿
(1199~1287)。鎌倉時代の浄土宗の僧・良忠のこと。阿弥号は然阿弥陀仏。然阿と略称する。「念」は音の通じる文字を用いられたものか。法然の孫弟子にあたり、日蓮大聖人の時代には鎌倉の念仏者の中心となっていた。文永8年(1271)6月、極楽寺良観が祈雨に失敗した後に、大聖人は行敏から提訴されたが、この訴えに対して大聖人が出された反駁書「行敏訴状御会通」では、良観や道阿弥陀仏とともに然阿弥陀仏がこの訴状に関わっていることが明らかにされている。然阿は鎮西流の祖・聖光房弁長の門流を継ぎ、浄土宗第三祖と称される。法然の門弟が立てた浄土の五流のうち三派は早くほろび、鎮西流が主流となり、西山流とともに現在に至る。
講義
本章は勧持品に示されている三類の怨敵中、第三僣聖増上慢を明かし、禅・律の二宗がまさしく当時の僣聖増上慢に該当する旨を明かされている。
僣聖増上慢とはくわしくお示しのごとく
一、世間から名僧・知識とあおがれ、聖人のごとく尊ばれていて、世間の依怙依託となっている人と思われておるもので、
二、しかも内心には邪見が強く、貪欲で在家のために少し法を説き、猟師が獲物を狙うごとく、猫が鼠を狙うがごとく、お布施にばかり狙いを定めており、
三、正法の行者を怨嫉し誹謗し、
四、ついには国家権力に訴えて、正法弘通者を流罪死罪にまでおよぼす。
さて、広宣流布達成の時がまさに近きにありと、確信される今日において、第一類俗衆増上慢、第二類道門増上慢とも、わが学会の前進の前にほとんど影をひそめ、現在は第三類僣聖増上慢との戦いの時代である。
しからば、今日の僣聖増上慢は何か。それは、この僣聖増上慢の特徴が、さきにも示したとおり、社会的に認められた名声、権威、権力をもとにして、何の理由もなく正法を誹謗することである。されば世間の人々に指導者として信頼されている学者および評論家、文学者および世の指導機関たる一流の日刊新聞の論説などが、その利益および感情等のために官憲等と結んで下種仏法とその広宣流布への活動に強く攻撃を加えるとすれば、これ僣聖増上慢の出現と断定ずることができるであろう。しかして現在の一部マスコミの力を利用した評論家たちの無認識な学会批判に狂奔する姿こそ、現代の僣聖増上慢のはしりである。その底流にはあいかわらず邪宗の動きがあることは大聖人の時代とまったく同様である。
今後もますますこうした動きが活発になることは必然である。しかし、今や、わが創価学会は、その数の上からも、スケールの上からも、日本における最大の団体である。この姿こそ、じつに日蓮大聖人の仏法の偉大さを証明するものであり、大聖人のご予言たる広宣流布が絶対に実現するという証拠にほかならない。
現代は順縁広布の時である。日蓮大聖人の時代は逆縁広布の時代であった。したがって、大聖人ご自身も、多くの弟子檀那も、あらゆる迫害と戦わなければならなかった。命をおとす人もあった。だが現在は、順縁広布の時代であり、三類の強敵といえども、もはや、学会を押しつぶすことはできない。またそうさせてはならない。日本の発展のため、世界平和のため、全人類の幸福のため、学会は瞬時たりともその歩みをとどめてはならないのである。
第五十三章 諸宗の非を簡ぶ
本文
当世の念仏者等・天台法華宗の檀那の国王・大臣・婆羅門・居士等に向つて云く「法華経は理深我等は解微法は至つて深く機は至つて浅し」等と申しうとむるは高推聖境・非己智分の者にあらずや、禅宗の云く「法華経は月をさす指・禅宗は月なり月をえて指なにかせん、禅は仏の心・法華経は仏の言なり仏・法華経等の一切経をとかせ給いて後・最後に一ふさの華をもつて迦葉一人にさづく、其のしるしに仏の御袈裟を迦葉に付属し乃至付法蔵の二十八・六祖までに伝う」等云云、此等の大妄語・国中を誑酔せしめてとしひさし、又天台・真言の高僧等・名は其の家にえたれども我が宗にくらし、貪欲は深く公家・武家を・をそれて此の義を証伏し讃歎す、昔の多宝・分身の諸仏は法華経の令法久住を証明す、今天台宗の碩徳は理深解微を証伏せり、かるがゆへに日本国に但法華経の名のみあつて得道の人一人もなし、誰をか法華経の行者とせん、寺塔を焼いて流罪せらるる僧侶は・かずをしらず、公家・武家に諛うて・にくまるる高僧これ多し、此等を法華経の行者というべきか。
現代語訳
当世の念仏者等が天台法華宗の檀那である国王・大臣・婆羅門・居士等に向かって誹謗していうには「法華経の理は深いから、われらはかすかに解することしかできない。末法に法華経を弘めたところで、法はいたって深く、これを信ずる衆生の機根はいたって浅いから、時代に適しない」等と申しのべて、法華経をうとむることは前に引いた止観の「法華経を誤まり解するものが高く聖境に推し上げて、おのれの智分ではおよばないものがあるという」との文と一致するではないか。禅宗のいわく「法華経は月をさす指で、禅宗は月そのものである。月を得たなら、指はなんの用にもならない。禅は仏の心であり、法華経は仏のことばである。仏は法華経等の一切経を説かれてのち、最後に一ふさの華を迦葉一人に授けられ、そのしるしに仏の御袈裟を迦葉に付嘱し、それが付法蔵の二十八・東土の六祖まで伝えられた」等といっている。これらの大妄語が国中を惑わし酔わしめて年久しくなった。
また天台・真言の高僧等は、名だけはそれぞれ天台真言の宗を名乗っておりながら、自宗のいわれ、因縁をよくわきまえておらない。貪欲が深く、公家や武家をおそれて法華を誹謗する邪宗邪義に証伏し、かえってそれを讃歎している。むかし釈尊が法華経を説法した時は、多宝仏・分身仏が法華経を久しく住せしめんと証明した。いま天台宗の大学者達は新興邪宗教の説く「理深解微」等の邪義を証伏している。じつに歎かわしいことではないか。このゆえに日本国にはただ法華経の名のみあって、得道の人はひとりもない。だれをか法華経の行者であるとしよう。寺塔を焼いて流罪される僧侶は数知れないほど多数である。公家武家にへつらって憎まれる高僧ばかりが多い。これらを法華経の行者であるといえるであろうか。
語釈
高推聖境・非己智分
天台大師の摩訶止観第一巻の文。「高く聖境をゆずり、己が智分に非ず」と読む。法華経の真意は難解なものとして、とうてい、われらの智慧のおよぶところではないとして、ひたすら法を尊び、自己を下すかのようにみせかけて、実際には、我見をはり、法を下げてしまっていることをいう。
禅宗の云く等
禅宗で立てた邪義。霊鷲会上で、釈尊が、華をひねり、黙然として大衆に示したところ、だれもその暗示的意味を理解することができなかったなかに、魔訶迦葉のみその意を悟り、顔をほころばせ微笑した。大梵天王問仏決疑経に「正法眼蔵・涅槃の妙心・微妙の法門あり、文字を立てず、教外に別伝して迦葉に付属す」とあり、釈尊は、己心に秘めた微妙の法を迦葉のみに付嘱したとされる。迦葉から阿難、商那和修と代々相付し、達磨に至り、以来、中国から日本へと弘通されてきたという。
法華経は月をさす指
禅宗では、円覚修多羅了義経に「修多羅の教は月を標する指の如し」とある文によって、修多羅の教え、つまり経文に説かれた教えは、月をゆびさす指のようなものであり、月を見れば指は無用であるように、禅法によって真如の月を悟ればよいのであって、指である経文は不用である、と主張する。
迦葉
梵名マハーカーシャパ(Mahākāśyapa)の音写・摩訶迦葉の略。摩訶迦葉波などとも書き、大飲光と訳す。釈尊の十大弟子の一人。バラモンの出身。王舎城で釈尊と出会い、弟子となって八日目に悟りを得たという。衣食住等の欲に執着せず、峻厳な修行生活を貫いたので、弟子のなかでも頭陀第一と称される。釈尊滅後、付法蔵の第一として、王舎城外の畢鉢羅窟で第一回の仏典結集を主宰した。以後二十年間にわたって小乗教を弘通し、阿難に法を付嘱した後、鶏足山で没したとされる。法華経信解品第四には、須菩提・迦旃延・迦葉・目連の四大声聞が、三車火宅の譬をとおして開三顕一の仏意を領解し、更に舎利弗に対する未来成仏の記別が与えられたことを目の当たりにし、歓喜踊躍したことが説かれ、さらに法華経授記品第六において、迦葉は未来に光明如来になるとの記別を受け、他の三人も各々記別を受けた。
付法蔵の二十八
西天の二十八祖ともいう。禅宗で説く法統。インドで釈尊の奥義を相伝したとされる二十八人の祖師のこと。伝法正宗記巻四・五には、付法蔵二十四人と婆舎斯多・不如密多・般若多羅・菩提達磨を挙げ、二十八祖とする。しかし付法蔵因縁伝巻六では、第二十四祖師子尊者の後は、付法の人は絶えたとされる。
六祖
東土の六祖ともいう。中国で禅宗を伝えた六人の高僧。①菩提・②慧可・③僧璨・④道信・⑤弘忍・⑥慧能をいう。
令法久住
法華経見宝塔品第十一の文。「法をして久しく住せしめん」と読み下す。未来永遠にわたって妙法が伝えられていくようにすること。
講義
まさしく日蓮大聖人が法華経の行者なることを顕わすにあたり、本章は諸宗の邪義を示して、日本国中の諸僧が法華経に反対している姿を顕わしている。
禅・念仏等もさることながら、天台・真言の髙僧たちが、自宗の教義や、歴史に暗く、貪欲は深く、公家武家の権力をおそれて新興邪宗教の義に証伏してしまったことをお述べになっている。法華経が尊いというならば、天台宗は法華経の宗であり、天台宗でよいではないかと一往は考える。しかし天台宗には法華経の文字のみあって、その功徳はなくなっているのである。その理由は末法にいたって文上の法華経はその功徳を失なっているうえに慈覚智証から真言宗を取り入れたために、玉をくだいたような低級宗教になってしまったのである。このゆえに天台宗は誤れる宗教なりと大聖人はおおせられているのである。
このように正しい宗教でありながら、時代の移り変わりによってその真義を失って、破仏法の姿になるということは悲しむべきことである。ことに日蓮宗においても、当今の身延山や、田中智学のごとき、あるいは立正佼成会等のごとき、新興宗教が横行していることは、じつに宗開両祖に相すまないことである。この点からも、絶えず日蓮大聖人以来の正しい歴史と教義を世にひろめるべく信心と団結をもって広宣流布の大道を前進しよう。
第五十四章 正しく法華経の行者なるを顕わす
本文
仏語むなしからざれば三類の怨敵すでに国中に充満せり、金言のやぶるべきかのゆへに法華経の行者なし・いかがせん・いかがせん、抑たれやの人か衆俗に悪口罵詈せらるる誰の僧か刀杖を加へらるる、誰の僧をか法華経のゆへに公家・武家に奏する・誰の僧か数数見擯出と度度ながさるる、日蓮より外に日本国に取り出さんとするに人なし、日蓮は法華経の行者にあらず天これを・すて給うゆへに、誰をか当世の法華経の行者として仏語を実語とせん、仏と提婆とは身と影とのごとし生生にはなれず聖徳太子と守屋とは蓮華の花菓・同時なるがごとし、法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし、三類はすでにあり法華経の行者は誰なるらむ、求めて師とすべし一眼の亀の浮木に値うなるべし。
現代語訳
仏の予言は虚妄でないから、三類の怨敵はすでに国中に充満している。しかし、一方にあっては金言が破れるべきなのか、法華経の行者がおらない。いったいどうしたことであろうか。そもそも誰人が法華経勧持品の予言のとおりに衆俗に悪口をいわれ、ばかにされているか。どの僧が刀杖を加えられているか。どの僧をか法華経のゆえに公家武家へ訴えられたか。どの僧がしばしばところを追い出され、たびたび流罪されているか。これらの予言に適中するものは日蓮以外には日本国中絶対にありえない。しかし日蓮は法華経の行者ではない。なぜなら諸天がこれを捨てて助けようとしない。しからば、だれをか当世法華経の行者として、仏語が真実であるとの証明にしようか。仏と大悪の提婆とは身と影のごとく生生世世に離れることがない。聖徳太子に敵対する守屋とは、蓮華の花と菓が同時になるがごとき関係にあった。これと同じく法華経の行者があるならば、かならず三類の怨敵があるべきである。しかるに三類はすでに日本国にあり、法華経の行者はだれであろう。求めて師としたいものである。あたかも一眼の亀が浮木にあうようなものである。
語釈
数数見擯出
法華経勧持品第十三に説かれる。同品には「濁世の悪比丘は 仏の方便 宜しきに随って説きたまう所の法を知らず 悪口して嚬蹙し 数数擯出せられ 塔寺を遠離せん」(『妙法蓮華経並開結』とある。釈尊滅後に法華経の行者を迫害する様相の一つ。度々、追放され流罪されること。「数数」とは、しばしばという意で、二度以上のこと。日蓮大聖人は、この経文通りに伊豆と佐渡へ流罪に遭われた。大聖人はこの「数数」の二字に意をとどめられて、この文を身口意の三業で読みきられたのは大聖人おひとりである、すなわちご自身が末法の法華経の行者であることをのべられている。「仏滅度後・二千二百余年が間・恐らくは天台智者大師も一切世間多怨難信の経文をば行じ給はず数数見擯出の明文は但日蓮一人なり」(916:種種御振舞御書:09)。
守屋
(~0587)。物部守屋のこと。飛鳥時代の中央貴族。敏達・用明天皇の時代に大連となり、父の尾輿の排仏論を継いで、崇仏派で大臣の蘇我馬子と対立した。敏達天皇の時に疫病が流行したが、守屋はそれを仏法を崇拝したためであるとして、堂塔を壊し仏像を焼いた。用明天皇の没後,守屋は穴穂部皇子の即位を図ったが、皇子は馬子に殺され失敗した。用明天皇の同母妹で敏達天皇の皇后である額田部皇女(のちの推古天皇)と、その甥の厩戸皇子(聖徳太子)とを奉じた馬子や諸豪族のなかで孤立し、馬子らに攻められて敗死した。
一眼の亀の浮木に値うなるべし
仏や仏の説く正法に巡り合うことがいかに難しいかを示す譬えである。盲亀浮木の譬えともいう。法華経妙荘厳王本事品第二十七に「仏には値いたてまつることを得難きこと、優曇波羅華の如く、又た一眼の亀の浮木の孔に値えるが如し」とある。また「松野殿後家尼御前御返事」に、次のように仰せである。「大海の中に八万由旬の底に亀と申す大魚あり、手足もなくひれもなし・腹のあつき事はくろがねのやけるがごとし、せなかのこうのさむき事は雪山ににたり、此の魚の昼夜朝暮のねがひ時時剋剋の口ずさみには・腹をひやしこうをあたためんと思ふ、赤栴檀と申す木をば聖木と名つく人の中の聖人なり、余の一切の木をば凡木と申す愚人の如し、此の栴檀の木は此の魚の腹をひやす木なり、あはれ此の木にのぼりて腹をば穴に入れてひやし・こうをば天の日にあてあたためばやと申すなり、自然のことはりとして千年に一度出る亀なり、しかれども此の木に値う事かたし、大海は広し亀はちいさし浮木はまれなり、たとひよのうききにはあへども栴檀にはあはず、あへども亀の腹をえりはめたる様に・がい分に相応したる浮木の穴にあひがたし我が身をち入りなばこうをも・あたためがたし誰か又とりあぐべき、又穴せばくして腹を穴に入れえずんば波にあらひ・をとされて大海にしづみなむ、たとひ不思議として栴檀の浮木の穴にたまたま行きあへども我一眼のひがめる故に浮木西にながるれば東と見る故にいそいでのらんと思いておよげば弥弥とをざかる、東に流るを西と見る南北も又此くの如し云云、浮木には・とをざかれども近づく事はなし、是くの如く無量無辺劫にも一眼の亀の浮木の穴にあひがたき事を仏説き給へり、此の喩をとりて法華経にあひがたきに譬ふ」。
講義
法華経勧持品の予言どおりに、三類の強敵が日本に充満している時、法華経の真実の行者がないわけは絶対にありえない。じつに日蓮大聖人こそ予言どおりに悪口罵詈され、刀杖を加えられ、官権に訴えられてたびたび流罪されている。「日蓮よりほかに日本国に取り出さんとするに人なし」の断定が、開目抄の最初より提言の主師親三徳の仏であるとの結論になる。すなわち、初め五重相対を立て、釈迦一代仏教の勝劣浅深を判じて、熟脱の大恩を明かし、ついで日蓮大聖人が法華経の行者なるを明かし、末法下種三徳の深恩を顕わされるのが本抄を通ずる大意である。
「日蓮は法華経の行者にあらず」とは世間の疑いが、もっぱら大聖人の流罪死罪の大難にあり、すなわち国中のいっさいの宗教が正法に背く邪宗教なるゆえに民衆は一人残らず地獄の苦しみにあえいでいる。ゆえに幸福になるためには日蓮大聖人の仏法を信仰する以外に道がないと説かれる。にもかかわらず、大聖人は、遠く佐渡へ流されて生きて帰れるとも考えられず、おもだった弟子檀那はあるいは捕えられ、あるいは追放され、あるいは主君の圧迫を受けて、だれ一人幸福だとは思われない。説かれることと現実の姿はあまりにも相反しているではないかとの疑いである。諸天加護の有無と、大難に遭う理由と、その時におけるわれわれの心構えとは次下にくわしくお述べになっている。
法華経の行者とは、たんに法華経を読誦したとか、法華経によって祈禱したとかいうような現今の通念にあてはまってはいない。すなわち、前章においても述べたように、主師親の三徳を具備した仏様ということを意味する。いかんとなれば、読誦には口の読誦・意の読誦・身の読誦とある。しかして、天台・伝教もいまだ身の読誦はないのである。まして他の凡愚においてはあろうはずがない。法華経にいわく「一偈一句も阿耨多羅三藐三菩提を得」と。されば法華経十巻を身読せられた大聖人は、阿耨多羅三藐三菩提を得られないはずがない。しかも、阿耨多羅三藐三菩提を得られた時は末法である。大聖人を末法の仏と申しあげる一因はここに存するのである。
大聖人を現今の通念のようにたんなる法華経の行者と考える人々は、日蓮大菩薩とか日蓮大士とかいって、仏を菩薩の階級に下げているのである。「日蓮を悪しく敬わば国亡ぶ」(919:種種御振舞御書:05)とおおせのごとく、これらはもってのほかの破仏破国の徒輩である。これらのものが国に充満して真実の仏法を隠蔽していることはじつに悲しむべきことではないか。かれらは口に南無妙法蓮華経を唱えるも、なんらの功徳もないのである。
第五十五章 行者遭難の故を明かす
本文
有る人云く当世の三類はほぼ有るににたり、但し法華経の行者なし汝を法華経の行者といはんとすれば大なる相違あり、此の経に云く「天の諸の童子以て給使を為さん、刀杖も加えず、毒も害すること能わざらん」又云く「若し人悪罵すれば口則閉塞す」等、又云く「現世には安穏にして後・善処に生れん」等云云、又「頭破れて七分と作ること阿梨樹の枝の如くならん」又云く「亦現世に於て其の福報を得ん」等又云く「若し復是の経典を受持する者を見て其の過悪を出せば若しは実にもあれ若しは不実にもあれ此の人現世に白癩の病を得ん」等云云、答えて云く汝が疑い大に吉しついでに不審を晴さん、不軽品に云く「悪口罵詈」等、又云く「或は杖木瓦石を以て之を打擲す」等云云、涅槃経に云く「若しは殺若しは害」等云云、法華経に云く「而かも此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し」等云云、仏は小指を提婆にやぶられ九横の大難に値い給う此は法華経の行者にあらずや、不軽菩薩は一乗の行者といはれまじきか、目連は竹杖に殺さる法華経記莂の後なり、付法蔵の第十四の提婆菩薩・第二十五の師子尊者の二人は人に殺されぬ、此等は法華経の行者にはあらざるか、竺の道生は蘇山に流されぬ法道は火印を面にやいて江南にうつさる・此等は一乗の持者にあらざるか、外典の者なりしかども白居易北野の天神は遠流せらる賢人にあらざるか、事の心を案ずるに前生に法華経・誹謗の罪なきもの今生に法華経を行ずこれを世間の失によせ或は罪なきをあだすれば忽に現罰あるか・修羅が帝釈をいる金翅鳥の阿耨池に入る等必ず返つて一時に損ずるがごとし、天台云く「今我が疾苦は皆過去に由る今生の修福は報・将来に在り」等云云、心地観経に曰く「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」等云云、不軽品に云く「其の罪畢已」等云云、不軽菩薩は過去に法華経を謗じ給う罪・身に有るゆへに瓦石をかほるとみへたり、又順次生に必ず地獄に堕つべき者は重罪を造るとも現罰なし一闡提人これなり、涅槃経に云く「迦葉菩薩仏に白して言く世尊・仏の所説の如く大涅槃の光一切衆生の毛孔に入る」等云云、又云く「迦葉菩薩仏に白して言く世尊云何んぞ未だ菩提の心を発さざる者・菩提の因を得ん」等云云、仏・此の問を答えて云く「仏迦葉に告わく若し是の大涅槃経を聞くこと有つて我菩提心を発すことを用いずと言つて正法を誹謗せん、是の人即時に夜夢の中に羅刹の像を見て心中怖畏す羅刹語つて言く咄し善男子汝今若し菩提心を発さずんば当に汝が命を断つべし是の人惶怖し寤め已つて即ち菩提の心を発す当に是の人是れ大菩薩なりと知るべし」等云云、いたうの大悪人ならざる者が正法を誹謗すれば即時に夢みて・ひるがへる心生ず、又云く「枯木・石山」等、又云く「燋種甘雨に遇うと雖も」等・又「明珠淤泥」等、又云く「人の手に創あるに毒薬を捉るが如し」等、又云く「大雨空に住せず」等云云、此等多くの譬あり、詮ずるところ上品の一闡提人になりぬれば順次生に必ず無間獄に堕つべきゆへに現罰なし例せば夏の桀・殷の紂の世には天変なし重科有て必ず世ほろぶべきゆへか、又守護神此国をすつるゆへに現罰なきか謗法の世をば守護神すて去り諸天まほるべからずかるがゆへに正法を行ずるものにしるしなし還つて大難に値うべし金光明経に云く「善業を修する者は日日に衰減す」等云云、悪国・悪時これなり具さには立正安国論にかんがへたるがごとし。
現代語訳
ある人がいうには、当世の三類の怨敵はほぼあるように思うが、ただし法華経の行者はいない。汝を法華経の行者であるといおうとすれば、つぎのような大きい相違がある。すなわち法華経安楽行品にいわく「法華経の行者に対しては、天のもろもろの童子が来て給使をなすであろう。刀杖も加えることもできないし、毒も害することができないであろう」と。また同品にいわく「法華経の行者に対して、もし人があって悪口悪罵すれば、口がすなわち閉塞してしまう」と。また薬草喩品には「現世には安穏の生活を送り、後生は善処に生まれるであろう」と。また陀羅尼品には「もし法華経の行者を悩乱するものがあれば、その頭は七分に破れて阿梨樹の枝のごとく破れさけるであろう」と。また勧発品には「この経を持つものは、現世において、その福報を得る」と。また同品に「もしまた法華経を受持するものを見て、その過悪を出すならば、もしもそのことが実であろうと、不実であろうと、この人は現世に白癩(びゃくらい)の病を得るであろう」と。以上のように、法華経の行者は現世において幸福であり、行者を迫害するものは現世に法罰を受けるはずであるのに、竜の口の首の座から、佐渡まで流罪されている現在、鎌倉幕府が安穏であるのはどうしたことか。
答えていわく、汝の疑う点はじつによろしい。ついでにその不審を晴らそう。まず文証として、法華経不軽品にいわく「悪口罵詈せられる」また同品にいわく「あるいは杖木瓦石をもってこれを打擲す」と。涅槃経にいわく「もしは殺され、もしは害せられる」と。法華経法師品にいわく「しかもこの経は、如来の在世においてすらなお怨嫉が多い。いわんや滅後において、この経を弘めるものはさらに大きな怨嫉を蒙るであろう」と。
ついで現証を示すならば、釈迦仏すら小指を提婆達多の投げた石で破られる等の九横の大難に値われている。これをもって釈尊は法華経の行者でないといえるであろうか。不軽菩薩は「我深敬等」の二十四文字の法華経を弘通して、一国の迫害を受けたが、不軽が一乗の行者といわれないことがあろうか。目連尊者は法華経で成仏の授記を受けてのちに、しかも竹杖外道に殺されている。付法蔵第十四の提婆菩薩や、第二十五の師子尊者は法のために人に殺されている。これらは法華経の行者でないといえるであろうか。羅什三蔵の弟子たる竺の道生は蘇山に流され、法道三蔵は顔に火印を押されて、江南に流されている。これらは一仏乗の法を持っていたものではないか。外典のものであるけれども、白楽天や菅原道真は遠く流罪されているが、しかしだれびとも認める賢人ではないか。
さて、これら事の心を案ずるのに、つぎのような三意があると思われる。すなわち第一に前世において、法華経誹謗の罪のないものが、今生に法華経を行じているとする。これを世間法の罪からあるいはまったくそのような罪のないのに怨すれば、たちまちに現罰を受けるもののようである。たとえば、修羅が帝釈を射て、たちまちその身をほろぼし、金翅鳥が阿耨池の竜を食わんとして、かえってその身を損ずる等のごときものである。されば天台いわく「いま自分の現在の疾苦は、みな過去にそのような原因をつくってきたからである。今生における修福の報は将来にあるわけである」と。心地観経にいわく「過去に、自分がどのような因をつくってきたかは、現在の果を見ればわかる。同様に未来の果を知ろうとするなら、現在の因を見よ」と。不軽品にいわく「その罪がおわって……」と。すなわち、不軽菩薩は過去世に法華経を誹謗した罪があるゆえに、正法を弘通して瓦石を投げつけられ、種々の迫害を受けられたものとみえる。
第二に順次生に、かならず地獄へ堕つべき悪業の因縁をもっているものは、現世に重罪をつくっても現罰がない。一闡提人はこれである。涅槃経にはこれについて「迦葉童子が仏に申しあげていうには、世尊よ、仏の説法はそのとおりに大涅槃の光が一切衆生の毛孔にまであまねく沁み入るであろう」といい、また「迦葉童子が仏に申しあげていわく、世尊よ、どうしていまだ菩提の心を発しないものが菩提の因を得ることができるであろうか」と。仏はこの問いに答えていわく「仏が迦葉童子に告げていわく。もし、この大涅槃経を聞くことができても、自分は菩提心をおこし、悟りを得ようとは考えないといって、正法を誹謗するものがある。この人は即時に夜夢の中に、恐ろしい羅刹の像を見て、心の中に驚き恐れるが、その時羅刹がいうには、咄し、善男子よ、汝はもし菩提心をおこさないならば、当に汝の命を断つであろうと。この人はおおいに恐怖心を懐き、夢から寤めてすなわち菩提心を発するようなものである。この人はすでに菩提心をおこせば、すなわち大菩薩であると知るべきである」と。
このようにはなはだしい大悪人でないものが正法を誹謗すれば、即時に夢を見て自身の謗法を恐れ、信心することができるのである。また極悪の一闡堤人が、容易に心をひるがえして発心することができないことを「枯木に花が咲かない。石山に草木が生じないのと同じである」と。また「燋れる種は甘雨にあっても、生じないのと同じである」また「明珠も泥の中では光を放たないごとく一闡堤人は発心の光を放つことがない」と。またいわく「手に傷のある人が毒薬を持てば、傷はいよいよ悪くなる」またいわく「大雨は空にとどまることがないように、一闡堤人はかならず地獄へおちる」等々多くのたとえがある。結局のところ、上品極悪の一闡堤人になれば、つぎの世で必ず無間地獄へおちるゆえ、現世にいくら重罪を犯しても現罰がない。たとえば夏の桀王や、殷の紂王のごときはいくら悪政を続けても、天変等の災害がないのはかならず世が滅亡すべき時であったからであろう。
つぎに第三の理由として、守護の善神がこの国を捨てて去ったために現罰がないのであろう。謗法の世をば、国土守護の諸天善神が捨て去ったゆえに、正法の行者は一向に加護がなく、ますます大怨嫉を受けて、重罪に陥れられて行く。金光明経にいわく「善業を修するものは日日に衰減して行く」とあるが、これは当世日本国のごとき悪国悪時を指しているのである。この点はつぶさに立正安国論に書いておいたとおりである。
語釈
阿梨樹の枝の如くならん
「如阿梨樹枝」の文。法華経陀羅尼品第二十六に、十羅刹女が法華経を持つ者を守護する誓いのなかに「若し我が呪に順ぜずして、説法者を脳乱せば、頭破れて七分と作ること、阿梨樹の枝の如くならん」と罰論が説かれてあり、天台は文句に「阿梨樹の枝の地に堕つれば、法爾として、破れて七片と為る」と釈している。阿梨はインドなどに生育するシソ科の植物アルチャカ(arjaka)の音写。英名ホーリーバジル(holy basil)、和名カミメボウキ(神目箒)。一本の茎の先端から多くの茎が生え、そこに多くの花をつける。頭がいくつにも割れることの譬喩として仏典でしばしば用いられる。
不軽菩薩は一乗の行者といはれまじきか
不軽菩薩は、法華経常不軽菩薩品第二十に説かれる常不軽菩薩のこと。釈尊の過去世における修行の姿の一つ。威音王仏の像法の時代に仏道修行をし、自らを迫害する人々に対してさえ、「我は深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べければなり」と、〝必ず成仏できる〟との言葉(鳩摩羅什の漢訳では二十四文字なので「二十四文字の法華経」という)を唱えながら、出会ったすべての人を礼拝したが、増上慢の人々から迫害された。この修行が成仏の因となったと説かれる。
目連は竹杖に殺さる
目連は梵名マウドゥガリヤーヤナ(Maudgalyāyana)、音写して目犍連、略して目連。目犍尊者、摩訶目犍連ともいう。釈尊十大弟子の一人で、神通第一。「毘奈耶雑事」巻十八によると、釈尊入滅の前に、羅閲城で托鉢の修行をしていたとき、竹杖外道にかこまれた。いったんはのがれたが、過去世の宿業であることを知って自ら外道に殺されて業を滅したといわれる。
付法蔵の第十四の提婆菩薩・第二十五の師子尊者の二人は人に殺されぬ
提婆菩薩は梵名アーリヤデーヴァ(Āryadeva)、音写して提婆。聖提婆、迦那提婆ともいう。二~三世紀頃の南インドの僧。提婆は梵語で天と訳し、迦那は片目の義。一眼を天に供養したため、片目となったと付法蔵経に伝えられる。また一女人に与えて不浄を悟らせたともいわれる。竜樹のもとで出家し、諸国を遊化して広く衆生を救った。あるとき南インドの王が外道に帰依しているのを救おうとして、王の前であらゆる外道を破折した。ときに一外道の無知・凶悪な弟子があり、師が屈服したのを恥じて恨みを懐き、提婆を刺したが、提婆は命尽きる前に、かえってその狂愚をあわれみ、外道を救ったという。著書に「百論」「四百論」などがある。
師子尊者は梵名アーリヤシンハ(Āryasimha)、獅子(ライオン)の意。付法蔵第二十三(第二十四との説もある)の最後の伝灯者。六世紀ごろの中インドの人。付法蔵因縁伝(付法蔵経)巻六によると、罽賓国でおおいに仏事をなしたが、国王弥羅掘は邪見の心が盛んで敬信せず、仏教の塔寺を破壊し、衆僧を殺害し、最後に利剣で師子尊者の頸を斬った。その時一滴の血も流れず、白い乳のみが涌き出たという。これは尊者が白法(正しい教え)をもっていたこと、また成仏したことをあらわすとされる。摩訶止観巻一では、弥羅掘王を檀弥羅王としている。景徳伝灯録巻二によると、師子尊者を斬ったあと、王の右手は地に落ち、七日のうちに王も死んだという。
竺の道生は蘇山に流されぬ
竺道生(~0434)は中国・東晋代から南北朝の宋代にかけての高僧。竺法汰につき出家。のちに長安に上り、鳩摩羅什の門に入り、羅什門下四傑の一人となる。般泥洹経(涅槃経)を学び、闡提成仏の義を立て、当時の仏教界に波紋を投じた。これにより衆僧の大いに怨嫉するところとなり、宋の都の建康(南京)から追放され、蘇州の虎丘山に逃れた。ここで頑石に向ってこれを説いたところ、石がうなずいたという。後に洪州廬山に入り、「わが所説、もし経義に反せば現身において癘疾を表わさん、もし実相と違背せずんば、願わくは寿終の時、獅子の座に上らん」と誓ったという。のちに、曇無讖訳の「涅槃経」が伝わり、正説であると証明され、誓いの通り元嘉11年(0434)に廬山で法座に上り、説法が終ると共に眠るがごとく入滅したといわれる。日蓮大聖人は仏法を広めて大難を受けた一人として挙げられている。
法道は火印を面にやいて江南にうつさる
法道(1086~1147)は中国・宋代の僧。もと永道と称した。宣和元年(1119)徽宗皇帝が詔を下し、仏を大覚金仙、菩薩を大士、僧を徳士、尼を女徳とするなど仏僧の称号を廃して道教の風に改めることを定めた。法道はこれに反対し、上書してこれを諌めたが、帝は怒って永道の面に火印を押し、江南の道州に放逐した。翌年、仏教の称号を用いることが許され、永道も許されて帰り、護法の功績により「法道」の名を与えられた。ただし、「仏祖統紀」(1269年成立)巻四十七によると、法道は黥涅を入れられたことになっており、焼き印ではない。
白居易北野の天神は遠流せらる
白居易(0772~0846)は中国・中唐期の詩人。太原(山西省)の人。字は楽天。白楽天の名で知られる。翰林学士となり、昇進を重ねて太子左賛善大夫に至ったが、元和10年(0815)讒言のため江州の司馬(知事の下僚)に左遷された。仏教の信奉者として有名であった。日蓮大聖人は「立正安国論」で予言された自界叛逆難・他国侵逼難が現実のものとなったことを受けて、安国論こそ、白楽天が時の政治を諫めた「新楽府」よりも優れた諫暁書であり、その予言は仏の未来記にも劣らないと仰せである。
北野の天神は菅原道真
(0845~0903)のこと。宇多天皇に重く用いられ、醍醐天皇の時は右大臣に昇ったが、左大臣藤原時平に讒訴され、大宰府の大宰権帥に左遷され、現地で没した。死後、天変地異が続いたことで、怨霊を恐れた朝廷は道真の罪を赦し、京都の北野に北野天満宮を建立、道真を主祭神とした。
修羅が帝釈をいる金翅鳥の阿耨池に入る等必ず返つて一時に損するがごとし
修羅と帝釈については、観仏三昧海経によれば、香山の乾闥婆の娘と阿修羅との間に生まれた娘の悦意を、帝釈が求めて妻とした。ある時、帝釈が多くの綏女(采女)と歓喜園で遊戯しているのをみて嫉妬した悦意は、父の阿修羅にこのことを知らせた。阿修羅は激怒し、四兵を出し、帝釈の住む喜見城、須弥山を動かし、また、四大海の水を波動させて帝釈を攻めた。帝釈は、善法堂で大名香をたき、般若波羅蜜を持して仏道を護持する大誓願をすると、虚空から大刀輪が下りてきて、阿修羅の耳・鼻・手・足を切り落とした。阿修羅は恐れおののいたが遁げるところがなく、小身となって蓮の絲の孔の中にかくれたとある。他の説によると、帝釈が阿修羅の娘を力ずくで奪ったことで、父の阿修羅が激怒したことになっている。娘の名は舎脂で、シャチー(Śacī)の音写。涅槃経巻三十三や大智度論巻五十六には、帝釈天が人間だった頃の名前を憍尸迦(Kauśika)と説かれており、御書には帝釈天の后を憍尸迦女、憍尸迦夫人と呼ばれている。ここでは、感情に駆られて見境なく戦を起こした阿修羅は、必ず帝釈に敗れるということ。
金翅鳥は古代インド伝説上の鳥で、天竜八部衆の一つ。梵名ガルダ(garuḍa)の訳で、迦楼羅(かるら)と音写する。翅や頭が金色なのでこのように呼ばれ、妙翅鳥とも訳す。翼をひろげると三百三十六万里あるとされ、須弥山の下に棲み、竜を食すといわれる。阿耨池は阿耨達池といい、無熱池、無熱悩池、清涼池ともいう。倶舎論巻十一には、大雪山の北、香酔山の南にあり、金・銀・瑠璃・頗胝(水晶)の四宝を岸とし、周囲八百里の大池で、清冷の水を四方に流し閻浮洲をうるおすという。長阿含経巻第十八によると、八大竜王の一つ阿那婆達多竜王(阿耨達竜王)は無熱池に棲む竜であり、竜には熱風・熱沙に身を焼かれる苦、突風で塔や衣類を奪われる憂い、金翅鳥に狙われる苦の、三種の苦悩があるが、この竜王は無熱池に棲むために苦悩がないといわれている。法華文句巻第二下に「この池は三患なし。若し鳥の心を起こして往かんと欲せば、即便ち命終わる。ゆえに無熱池と名づくなり」とある。ゆえに、金翅鳥が無熱池(阿耨池)の竜を捕食しようとしても、その前に命尽きてしまい、到底できるはずがないこと。
迦葉菩薩
涅槃経のなかの迦葉菩薩品の対告衆で、迦葉童子、迦葉童子菩薩ともいう。いわゆる十大弟子の摩訶迦葉とは別人。涅槃経で仏に三十六の問いを発しているが、前四十余年の会座にも連ならず、法華の会座にも漏れた捃拾の機の人である。
明珠淤泥
涅槃経の中に一闡提の成仏できないことをたとえた十譬の中の第三のたとえのことば。すなわち明珠を濁水の中に入れれば、その威徳によって水をすますことができるが、もし泥の中に投げ込めば清水にすることができないとし、五無間在、四重禁を犯した衆生を濁水にたとえ、一闡提を泥にたとえてある。
講義
前章に日蓮は法華経の行者なりとご決定遊ばされて、しかも世間では、日蓮大聖人に諸天善神の加護がないことからこれを疑うむねをお述べになった。ついで本章には、なぜ諸天善神の加護がなく、法華経の行者が難にあうかをお示しになっている。
第一に法華経の行者が過去世に法華経誹謗の罪があるか、ないか。
第二に謗ずるものが地獄へ堕つべき時には現罰なし。
第三に諸天が国土を捨てて去ったゆえに現罰がない。
現罰の有無について
本抄のご文意によれば、日本国は悪国謗法のゆえに諸天善神は国を捨てて去り給うゆえ、謗法のものに現罰がない。もし聖代で正法の国ならば、法華経の行者を謗ずるものには、たちまち現罰があるとのおおせである。これを要するに、法華経の行者は安穏にして、謗ずるものは現罰を受けるのは、過去世に宿謗のない行者に約するゆえである。また謗ずるものが地獄へおちると決定していない場合も、諸天善神が国土を守護している場合も、行者は安穏で謗者に現罰がある。しかるに、日蓮大聖人は過去世に謗法があり、日本国中の人が堕獄必定の逆縁の衆生であり、諸天は謗法の悪国を捨て去ったゆえに、謗ずる幕府などがかえって安穏で、日蓮一門は大難にあうとお示しになっているのである。
日蓮大聖人は教相においては、本化地涌の大菩薩であり、しかも観心においては、そのご内証は久遠の本仏であらせられるのに、なぜ過去世に謗法があるとおおせられるのであろうか。そのゆえは、
一つには示同凡夫の辺によるのである。邪智謗法の末法の衆生を化導されるためには、同じく荒凡夫のお姿をもって出現されなくては、大衆を指導し、その苦悩から救い出すことができない。これを示同凡夫というのである。
二つには、衆生が謗法のもののみで、しかもその衆生が苦悩に沈んでおり、南無妙法蓮華経によってのみ救われる機根である、その時に出現する仏に約するのである。
方便品にいわく「諸仏世尊は一大事の因縁をもってのゆえに、世に出現し給う」一大事の因縁とは衆生の仏知見を開き、仏知見を示し、仏知見を悟らしめ、仏知見に入らしめ給うことである。末法出現の御本仏、日蓮大聖人の仏知見とは南無妙法蓮華経である。この南無妙法蓮華経を衆生に開示悟入しようとしても、衆生はみな謗法である。しかるに、かれらはみな南無妙法蓮華経の機根のものである。文句の四にいわく「衆生にその機あって仏を感ず、ゆえに名づけて因となす。仏機を受けてしかも応ず、ゆえに名づけて縁となす」すなわち衆生の機縁が熟して仏を感じ、仏これに応じて出世し、説法し給うのであるから、仏は衆生と同じく、謗法の因を存した姿をとってご出現になられるのである。
これは法華経のところどころに、菩薩が仏に問い奉って「少病少悩にわたらせ給うか」とあるに同じである。そのゆえは、仏は世間の悩みから離れているのであるから、病悩があるわけがない。同様に大聖人も末法の本仏であるから謗法のあるわけがないのである。しかるに世間の有漏をはなれた仏に少病少悩ありといい、大聖人に謗法の因ありというのは、仏は病悩はないけれども、衆生の病をわが病とするがゆえに少病少悩というのである。大聖人においても同様に、衆生が謗法の因のために苦悩しているそのゆえに、衆生と同じくまた衆生の謗法をわが身の謗法として、謗法なしとはおおせられないのである。さればわれわれは、大聖人がいかなる大難をも敢然と乗り切られたお姿を拝し、われらに過去、現在の謗法を消滅するの方法をお示しくだされたものとして、とうてい大聖人の大難にはおよばないけれども、大法護持におこるところのあらゆる艱難を耐え忍んで、屈することなく成仏の彼岸に到達しなければならない。
しかして今生においては、法華経の行者にまったく利益がなく、これを誹謗するものが終生安穏であるかというに、そうではない。日蓮大聖人は、佐渡からお帰りののち、九か年を安穏に身延山でお過ごしになった。東条景信は早くその身を亡ぼし、清澄寺の明心房、円智房は白癩病となり、道阿弥はめくらとなり、平左衛門は宗祖滅後、一族みな滅亡していることは諸御書にご記載のとおりである。
また順次生に地獄に堕つの御文を明鏡として、現在の世の中を照らすならば、今日の邪智謗法の指導者が、現世に現罰のないのがうつって来る。かれらはほしいままに大聖人の仏法を壊し、いつわりの教義をつくって、一般大衆を不幸のどん底へおとしいれていく。しかるにかれらには現罰がないけれども、けっして罰の証拠がないわけではない。かれらが地獄へおちる身であるがゆえに、臨終の相は必ずよくないのである。ゆえにかれらの臨終の相を見るものは、大聖人の金言を信ずるであろう。
また涅槃経の夢に鬼神の現われる話であるが、これらは実際問題としてつぎのように読むベきである。真の仏法である末法下種の法門を信ずべきことをすすめられた場合、これを信ずることをこばんで発心しないとすると、その人の身に持つ不幸の過去世の原因がたちまち現れて、現世に悪報として生活上に不幸を感ずるのである。これを罰と普通呼ぶのであるが、この罰によってかの涅槃経の人のごとく、真の仏法に対して発心するのである。そしてその罰は信仰することによって夢のごとく消え去るのである。
第五十六章 法華経の行者を顕わす文を結す
本文
詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん、身子が六十劫の菩薩の行を退せし乞眼の婆羅門の責を堪えざるゆへ、久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり、善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし、大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頸を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず。
現代語訳
諸天の加護があるかないかを論じてきたのであるが、詮ずるところは天も日蓮をすて給え、諸難にいくらあおうとも問題でない。一身一命を投げうって正法の弘通に邁進するのみである。舎利弗が六十劫にもわたる菩薩行を積みながら、中途で退転し、成仏できなかったのは、乞眼の婆羅門が舎利弗の眼を欲しいと、責められたのに耐えられなかったためである。久遠五百塵点劫および三千塵点劫のむかしに、法華経の下種を受けながら、しかも三千塵点劫や五百塵点劫のあいだ悪道におちていたのも、悪知識に染まって権教から小乗教へ、小乗教から外道へと退転して行ったからである。
善につけ悪につけ、法華経を捨てるのは地獄の業である。いまこそ大願を立てよう。法華経をすてて観経等の信仰に入り、後生の極楽往生を願うならば、日本国の位をゆずろうとの大誘惑があろうとも、また念仏を申さないならば、父母の頚をはねようとのごとき大脅迫があろうとも、またその他の、種々の大難が出来しようとも、智者に日蓮の立てる義が破られない限り、絶対に他の教義にはしたがうことはない。この智者にわが義を破らるの難以外の大難は、風の前の塵のごとき問題にならない事件である。われは日本の柱となろう(主の徳)、われは日本の眼目となろう(師の徳)、われは日本の大船となろう(親の徳)等と、すなわち主師親の三徳をもって末法の一切衆生を地獄の苦しみから救い出そうとの誓いは絶対に破ることがないのである。
語釈
身子
梵名シャーリプトラ(Śāriputra)、音写して舎利弗と書く。身子は意訳。
乞眼の婆羅門
舎利弗が乞眼の婆羅門の責めによって、退転した話である。兄弟抄に「舎利弗は昔禅多羅仏と申せし仏の末世に菩薩の行を立てて六十劫を経たりき、既に四十劫ちかづきしかば百劫にて・あるべかりしを第六天の魔王・菩薩の行の成ぜん事をあぶなしとや思いけん、婆羅門となりて眼を乞いしかば相違なく・とらせたりしかども其より退する心・出来て舎利弗は無量劫が間・無間地獄に堕ちたりしぞかし」と述べられる。これは大智度論巻十二に「舎利弗の如きは六十劫の中に於いて、菩薩の道を行じ、布施の河を渡らんと欲す。時に乞人あり、来って其の眼を乞う。舎利弗言く『眼には任すべき所ならず。何を以ってか之を索むるや。若し我が身及び財物を須いなば、当に以って相与うべし』と。答えて曰く『汝が身及び財物を以って須いず。唯眼を得んと欲す。若し汝実に檀を行ずるならば、以って眼を与えよ』と。爾の時、舎利弗は、一眼を出して之を与う。乞者は眼を得て、舎利弗の前に於いて之を嗅ぎ、臭を嫌って唾して地に棄て、又脚を以って蹹む。舎利弗思惟して言く『此くの如きの弊人等は、度す可きこと難し。眼は実に用無きも、而も強いて之を索め、既に得れば而も棄て、又脚を以って蹹む。何ぞ弊なるの甚だしきや。此くの如きの人輩は度す可からず。自ら調えて、早く生死を脱せんには如かず』と。是く思惟し已って、菩薩の道より退き、小乗に回向せり」と説かれている。
久遠大通の者の三五の塵をふる
「久遠」とは釈尊が成道した五百塵点劫という久遠の過去をいい、「大通」とは三千塵点劫の過去に大通智勝仏が出現した時をさす。久遠実成の釈尊、また大通智勝仏の第十六王子としての釈尊から、法華経の説法を受けながら信受することなく、それぞれ五百塵点劫・三千塵点劫という長遠な期間を経てしまった者をいう。
観経
観無量寿経のこと。一巻。中国・劉宋代の畺良耶舎訳。内容は、悪子・阿闍世のいる濁悪世を嘆き、極楽浄土を願う韋提希夫人に対し、釈尊は神通力によって諸の浄土を示し、そこに生ずるための三種の浄業を説き、特に阿弥陀仏とその浄土の荘厳の相を十六観に分けて説いている。
講義
本章は法華経の行者をあらわす項の結文にあたり、法華経の行者としてのご心境とご決意を述べられている。すなわちこの大確信と大決意のうえに立たれなくては、法華経の行者とも末法の本仏ともいえないのである。
「天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」と、このご一文は、大聖人の心境を明々白々と述べられている。天の助けも借りぬ、諸難も恐れぬ、命のかぎりをつくして主師親の三徳の仏を顕わさんとのお心である。身子が六十劫の菩薩の行を退転したのは、難をおそれ身を愛したのであるから、かかることは日蓮にとって断じてなすまじとの御意である。これは仏に約してのお言葉である。「久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり」というは、衆生に約しているのである。邪教邪師がいかに民衆を不幸にするかということを、深く痛感されておおせられているのである。菩薩の行を退転せずして、身命を期とするは、あらゆる善を摂し、悪知識にあうはあらゆる悪を摂しているのである。ゆえに善につけ、悪につけ、法華経を捨つるは地獄の業なりとおおせられて、善悪いずれにもせよ、法華経を捨ててはならぬと強くいましめられたのである。
日本国の位を譲らんとはひじょうに大きな誘惑であるが、これはまた耐えしのぶとしても、父母の頸をはねん、念仏申さずばとのことにいたっては、とうてい忍ぶあたわざるところである。孝養第一の大聖人にとっては、考えてみるだにおそろしいことである。それをも敢然として、わが義破られずば用いじとなりとのご決心ただただありがたさにむせぶだけである。
日寛上人は「日本国の位をゆづらむ」等々の御文について「ひとたびこの文を拝すれば、涙かずかずくだる、後代の弟子等心腑に染めよ」とおおせられているが、よくよく心腑に染めようではないか。
また日本国の柱、日本国の眼目、日本国の大船とは日本の主、日本の師、日本の親とならんとのお誓いである。すなわち末法今時の主師親の仏にならんとのお誓いである。このお誓いこそは、大聖人出世の本懐であることはいうまでもない。しかして聖人御難事にいわく、
「仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり」(1189:03)
日蓮大聖人は出世の本懐を、二十七年に達せられたことになる。されば、日本の主師親の三徳たらんと誓いしお誓いは、ここに達せられたと拝すべきではないか。この御文よりしても、大聖人は末法の御本仏と拝するのになんの異議があろうか。
第五十七章 転重軽受を明かす
本文
疑つて云くいかにとして汝が流罪・死罪等を過去の宿習としらむ、答えて云く銅鏡は色形を顕わす秦王・験偽の鏡は現在の罪を顕わす仏法の鏡は過去の業因を現ず、般泥洹経に云く「善男子過去に曾て無量の諸罪種種の悪業を作るに是の諸の罪報は或は軽易せられ・或は形状醜陋・衣服足らず・飲食麤疎・財を求むるに利あらず・貧賤の家邪見の家に生れ・或は王難に遭い・及び余の種種の人間の苦報あらん現世に軽く受るは斯れ護法の功徳力に由るが故なり」云云、此の経文・日蓮が身に宛も符契のごとし狐疑の氷とけぬ千万の難も由なし一一の句を我が身にあわせん、或被軽易等云云、法華経に云く「軽賤憎嫉」等云云・二十余年が間の軽慢せらる、或は形状醜陋・又云く衣服不足は予が身なり飲食麤疎は予が身なり求財不利は予が身なり生貧賤家は予が身なり、或遭王難等・此の経文人疑うべしや、法華経に云く「数数擯出せられん」此の経文に云く「種種」等云云、斯由護法功徳力故等とは摩訶止観の第五に云く「散善微弱なるは動ぜしむること能わず今止観を修して健病虧ざれば生死の輪を動ず」等云云、又云く「三障四魔紛然として競い起る」等云云我れ無始よりこのかた悪王と生れて法華経の行者の衣食・田畠等を奪いとりせしこと・かずしらず、当世・日本国の諸人の法華経の山寺をたうすがごとし、又法華経の行者の頸を刎こと其の数をしらず此等の重罪はたせるもあり・いまだ・はたさざるも・あるらん、果すも余残いまだ・つきず生死を離るる時は必ず此の重罪をけしはてて出離すべし、功徳は浅軽なり此等の罪は深重なり、権経を行ぜしには此の重罪いまだ・をこらず鉄を熱にいたう・きたわざればきず隠れてみえず、度度せむれば・きずあらはる、麻子を・しぼるに・つよくせめざれば油少きがごとし、今ま日蓮・強盛に国土の謗法を責むれば此の大難の来るは過去の重罪の今生の護法に招き出だせるなるべし、鉄は火に値わざれば黒し火と合いぬれば赤し木をもつて急流をかけば波山のごとし睡れる師子に手をつくれば大に吼ゆ。
現代語訳
疑っていわく、どうして汝の流罪や死罪等を、過去の宿習であると知ることができるのか。答えていわく、銅の鏡は外界の色や形をうつし出す。秦王の用いた験偽の鏡は現在の罪をうつしあらわすことができたという。仏法の鏡は、過去世の業因を現在のわが身にうつし現わしている。すなわち般泥洹経にいわく「善男子よ、過去世にかつて無量の諸罪や、種々の悪業を作るにこのもろもろの罪報によって、あるいは人に軽んじられ、あるいは姿形が醜陋であり、衣服が不足であったり、飲食がそまつなものばかりであったり、財を求めるに利益がなく、貧賎の家や邪見の家に生まれ、あるいは王難にあって国家の権力者から迫害を受ける、その他もろもろの人間の苦報を受けるであろう。このような報いを現世に軽く受けて、未来にながく持ち越して受けなければならない苦報を、今生に消してしまうのは正法を護持する功徳力によるのである」と。
この経文はまったく日蓮の一身にぴったりと一致している。疑いは氷解して、現在に受ける千万の難もまったくやむをえないことである。一々の句を我が身に合わせてみよう。人に軽易せられるとは法華経譬喩品に「軽賎憎嫉される」と説かれているごとく、日蓮は二十余年のあいだ人から軽慢されている。あるいは形が醜いと。またいわく衣服が不足するとは予が身のことである。飲食が粗末なものばかりとは予が身である。財を求めて利がないとは予が身である。貧賎の家へ生まれたのも予が身である。あるいは王難に遭うの経文どおり、佐渡まで流されてきている。このようにまったく経文どおりなのをだれが疑うことができようか。
法華経には「数数擯出せられるであろう」とあり、この経文には「種種の苦報」と説かれているが、そのまま日蓮の一身と該当している。「これは護法の功徳力による」とは、摩訶止観の第五につぎのとおり説かれている。「散乱心でなす微弱の善根では自己の宿命を動かすことができない。いま止観を修して、陰入界境・煩悩境・病患境のいずれも欠けなければ、よく生死の輪を動転し、宿命を打破することができる」と。またいわく「行解を既に勤めるならば、三障四魔が紛然として競い起こるが、これをおそれてはならない。またこれに従ってはならない」と説かれている。
自分は無始よりこのかた、悪王と生まれて法華経の行者の衣食・田畠等を奪い取ったことは数知れずあるであろう。それはちょうど当世日本国の諸人が法華経の山寺を破壊するようなものであった。また法華経の行者の頚を刎ねたことも数知れないのである。これらの重罪をすでに消滅したものもあり、いまだ消滅していない罪もあるであろう。罪を一応は消滅したからとて、余残はいまだ尽きていない。生死を離れ、即身成仏しようとする時には、かならずこの重罪を消し果てて、六道輪廻の苦悩から出離するのである。いままで積んできた功徳はまだまだ浅軽であり、これらの罪は深重である。どうしても自分の犯してきた罪は消し果てなければ成仏することはできない。権経の修行をしていたのでは、この重罪の報いを現世に消すことはできないから、大難を受けることはない。
鉄を焼くのに強くきたえなければ、その傷は隠れてみえないけれども、たびたび熱してきたえるならば、その傷があらわれてくる。麻の実をしぼって油を取るのに、強くしぼらなければ油が少ないのと同じである。いま日蓮は強盛に国土の謗法を責めるからこの大難が来るのであり、それは過去の重罪を今生における護法の功徳によって招き寄せるのである。そのありさまは鉄が火に熱せられて赤くなり、木をもって急流をかけば、波が山のごとく捲き起こり、眠っている師子に手をつければ大いに吼えるごときものである。
語釈
秦王・験偽の鏡
西京雑記に「秦の始皇方鏡あり、心胆を照見し、およそ女子邪心のもの、これに照らせばすなわち胆悸き心動く」と出ている。心の中が明かされるというところから、「照心鏡」ともいう。
健病虧ざれば生死の輪を動ず
「健病」とは摩訶止観の十境のうち第一「陰入界境」と第二「煩悩境」の二つは体について観ずるところから、これを「健」となし、第三の「疾患境」を「病」としている。「生死の輪」とは煩悩に迷った六道輪廻の生活のこと。陰入界境、煩悩境、疾患境のいずれも欠けないならば、よく生死の苦しみの輪を動かして宿命打破することができるとの意。
三障・四魔
仏道修行を妨げ善心を害する三種の障りと四種の魔のこと。三障は①煩悩障(貪瞋癡等の惑によって起こる障り)、②業障(五逆・十悪等の業による障礙。また妻子等によって起こる障り)、③報障(謗法・一闡提による三悪道の果報が仏道の障礙となること。また国王や父母、権力者からの障礙)である。四魔は①煩悩魔(貪瞋癡等の惑によって起こる魔)、②陰魔(衆生は五陰の仮和合したものであるから常に苦悩の中にあるゆえに五陰を魔とする)、③死魔(死の苦悩で、死がよく命を断つので魔という)、④天子魔(他化自在天子魔の略称。他化自在天王がよく人の善事・善行を害すること。権力者による迫害等がこれにあたる)である。
講義
法華経の行者が現世に大難を受けるのは、過去世の重罪を今生に軽く受けて消滅する大利益であるゆえんをお説きになっている。
般泥洹経の文は過去世の重罪が八難として現在に現われている。姿が醜い・食べ物がない・衣服が足りない・貧乏している等々の難は、すべてわれわれが日夜身近に体験している難である。それを日蓮大聖人は「衣服不足は余が身なり」「求財不利は余が身なり」等と、ご自身をもって現実にお示しあそばされている。
そもそもこれらの難にあうは、すべて自分自身の過去世の謗法の罪によるのである。佐渡御書に「これは常の因果の定まれる法であるが、日蓮はこの因果ではない。法華経の行者を過去に軽易した謗法の罪によって現世にその報を感ずるのである。この八種は尽未来にわたって一つずつ消していくべきを、日蓮は強く法華経の敵を責めるために一時に競い起こるのである」とおおせられているのがこれである。われわれは無始よりこのかた、悪王と生まれて法華経の行者の衣服や田畑を奪い取ったり、法華経の行者の首を斬ったことが数知れないのであるといわれても、ふしぎに思うであろうが、現世の悩み多い不幸の自分の生活は、ことごとくその現われである。「功徳は浅軽なり此等の罪は深重なり」と、つねに自分の積んできた功徳はまだまだ浅軽なものであり、これら謗法の罪はきわめて深重であることを思い、今生においてはいかなる大難迫害にあうとも、真の仏法を求めてこれをかたく信じ奉り、かならずこれらの罪を今生に消し果たして、しかも今生に成仏の確証をつかんで死ななければならない。
すなわち、われわれの人生が過去世の罪業および善根によって、運命が定まっているということは信じると信じないとにかかわらず、真実のことである。宿命が定まっているならば、どうしようもないということになれば、それはあきらめの人生であり、また、かく教えることはあきらめの仏法である。このあきらめの人生では、不幸の人はどうすることもできないことになる。ここにおいて日蓮大聖人は過去世に悪業を積んで、現世に不幸な人をどうして運命を転換させて救おうかと思惟なされて、ここにわれら不幸の衆生に三大秘法の南無妙法蓮華経をおさずけ遊ばされたのである。されば文底秘沈の南無妙法蓮華経こそ、われらの宿命転換の尊き教えである。われらの苦悩の宿命を転換せしめんと、一生涯をかけられた大慈大悲の大聖人に深く感謝し、その教えのとおり行じてこそ、大聖人もお喜びあそばすことであろう。吾人は一日もすみやかに日本国じゅうのすべての人が真の仏法たる文底下種の仏法を信じて、幸福にならんことを希求してやまぬものである。
第五十八章 不求自得の大利益
本文
涅槃経に曰く「譬えば貧女の如し居家救護の者有ること無く加うるに復病苦飢渇に逼められて遊行乞丐す、他の客舎に止り一子を寄生す是の客舎の主駈逐して去らしむ、其の産して未だ久しからず是の児を擕抱して他国に至らんと欲し、其の中路に於て悪風雨に遇て寒苦並び至り多く蚊虻蜂螫毒虫の唼い食う所となる、恒河に逕由し児を抱いて渡る其の水漂疾なれども而も放ち捨てず是に於て母子遂に共倶に没しぬ、是くの如き女人慈念の功徳命終の後梵天に生ず、文殊師利若し善男子有つて正法を護らんと欲せば彼の貧女の恒河に在つて子を愛念するが為に身命を捨つるが如くせよ、善男子護法の菩薩も亦是くの如くなるべし、寧ろ身命を捨てよ是くの如きの人解脱を求めずと雖も解脱自ら至ること彼の貧女の梵天を求めざれども梵天自ら至るが如し」等云云、此の経文は章安大師・三障をもつて釈し給へり、それをみるべし、貧人とは法財のなきなり女人とは一分の慈ある者なり、客舎とは穢土なり一子とは法華経の信心・了因の子なり舎主駈逐とは流罪せらる其の産して未だ久しからずとはいまだ信じて・ひさしからず、悪風とは流罪の勅宣なり蚊虻等とは諸の無智の人有り悪口罵詈等なり母子共に没すとは終に法華経の信心をやぶらずして頸を刎らるるなり、梵天とは仏界に生るるをいうなり引業と申すは仏界までかはらず、日本・漢土の万国の諸人を殺すとも五逆・謗法なければ無間地獄には堕ちず、余の悪道にして多歳をふべし、色天に生るること万戒を持てども万善を修すれども散善にては生れず、又梵天王となる事・有漏の引業の上に慈悲を加えて生ずべし、今此の貧女が子を念うゆへに梵天に生る常の性相には相違せり、章安の二はあれども詮ずるところは子を念う慈念より外の事なし、念を一境にする、定に似たり専子を思う又慈悲にも・にたり、かるがゆへに他事なけれども天に生るるか、又仏になる道は華厳の唯心法界・三論の八不・法相の唯識・真言の五輪観等も実には叶うべしともみへず、但天台の一念三千こそ仏になるべき道とみゆれ、此の一念三千も我等一分の慧解もなし、而ども一代経経の中には此の経計り一念三千の玉をいだけり、余経の理は玉に・にたる黄石なり沙をしぼるに油なし石女に子のなきがごとし、諸経は智者・猶仏にならず此の経は愚人も仏因を種べし不求解脱・解脱自至等と云云、我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし、妻子を不便と・をもうゆへ現身にわかれん事を・なげくらん、多生曠劫に・したしみし妻子には心とはなれしか仏道のために・はなれしか、いつも同じわかれなるべし、我法華経の信心をやぶらずして霊山にまいりて返てみちびけかし。
現代語訳
涅槃経にいわく「たとえば一人の貧女があり、おるべき家もなく、救護してくれる人もなく、その上に病苦と飢渇にせめられてさまよい乞食して歩いた。その時ある宿に止まり、子供を生んだ。ところがその宿の主人はこの貧女を追い出してしまった。いまだ産して日も経たないのに、赤児を抱いて他国へ行こうと欲したが、その中途で悪風雨にあい、寒さと苦しみに襲われ、多くの蚊・虻・蜂・螫等にすい食われるありさまであった。このような苦難のおりに大河にさしかかり子供を抱いて渡ろうとした。その水は急流であったが、しかも子供を放ち捨てることなく、ついに母子ともに没しておぼれ死んでしまった。このような女人は子供を愛する慈悲の心の功徳によって死んでのちは梵天に生じたのである。文殊師利よ、もし善男子があって、正法をまもろうと欲するならば、かの貧女が大河の中にあって、わが子を愛念するがために身命を捨てるように、正法をかたく護持して身命を捨てよ。善男子よ、護法の菩薩もまたこのとおりである。正法をまもり惜しむためには、むしろ身命を捨てよ。そうするならば、解脱を求めなくても、解脱がみずから来ることは、かの貧女が梵天に生れることを求めたのではないが、わが子を思う一心で、みずから梵天に生じたのと同じである」
この経文を章安大師は煩悩・業・報の三障をもって釈しているから、それを見よ。この経文に「貧人」とは法財のないものである。「女人」とは一分の慈心があるものである。「客舎」とは三毒強盛の穢土であり、「一子」とは法華経の信心であり、了因の子である。「舎主駈逐」とは、日蓮のごとくところを追われ、流罪されることである。「其の産して未だ久しからず」とは、いまだ信心して久しくないことであり、「悪風」とは流罪の勅宣が吹き来たり、「蚊虻」等とはもろもろの無智の人があり、悪口罵詈することである。「母子共に没す」とはついに法華経の信心を破ることなく、頚をはねられることであり、「梵天に生る」とは成仏の大功徳を受けて、仏界に生れることをいうのである。
引業すなわち現世の業因を、来世の果報として受けることは、六道にあっても、仏界にあっても、変わることがない。日本や中国やその他万国の人を殺そうとも、五逆罪と謗法の罪がなければ、無間地獄へおちることはない。その他の地獄や、悪道へながいあいだおちて苦報を受けるのである。また色界天へ生れる功徳は万戒を持っても、万善を修しても、散乱の心を修する散善では生れることができない。また色界天でも、梵天へ生れることは世間・有漏定の引業の上に、慈悲の行を加えて生ずることができる。いまこの貧女は子を念う慈悲心のゆえに梵天に生れたのであり、通常の規則には相違している。これについての章安の二つの釈はあるけれども、結局子をおもう慈悲心よりほかのことではない。ただひたすら子をおもう一念は定善に似ているし、また慈悲にも似ている。このゆえに他の善因はなくても天に生れるのであろう。
さてこれによって成仏の因を考えるのに、仏になる道は華厳の唯心法界や、三論の八不中道観、法相の唯識、真言の五輪観等では成仏できるとは考えられない。ただ天台の一念三千こそ、成仏の唯一の道である。しかしこの一念三千についても、われらは一分の慧解(えげ)もない。しかれども、一代経経の中には、この法華経ばかりが、一念三千の玉をいだいている。余の爾前経の理は玉に似た黄色の石である。たとえば沙をしぼっても油はなく、石女に子供はできないように爾前経で成仏することは不可能である。諸経では智者でもなお成仏することができないが、この法華経は愚人も仏の因を了して成仏することができる。「解脱を求めなくとも、解脱がみずから至る」との経文はこれである。
われおよびわが弟子はいかなる大難があろうとも、疑う心を生じなければ、自然に仏界にいたるであろう。天の加護がないからとて、法華経の大利益を疑ってはならない。現世に安穏でないと嘆いてはならない。わが弟子に朝晩このことを教えてきたのに、疑いを起こしてみな退転してしまったであろう。拙いものの習いとして、平常の時に約束したことをまことの時に忘れるのである。妻子をふびんと思うゆえに、現実の大難で妻子と別れることを歎いているのであろう。しかしながら考えてみよ。無始以来いつも生れてきては、親しんでいた妻子とはわが心に予期してみずから別れたのか、それとも仏道のためにわかれたのか。いつも同じ別れではないか。今生において、まず自分が法華経の信心を最後まで破らずに即身成仏し、霊山浄土へ参りてかえって妻子を導き給え。これこそ真にわが身も妻子も、絶対の幸福を獲得する唯一の道ではないか。
語釈
此の経文は章安大師・三障をもつて釈し給へり
章安大師は天台大師の弟子で、師の講義を聴講し、法華三大部としてまとめた高僧である。章安大師はこの涅槃経の文を、三障をもって釈した。三障とは、仏道修行の実践を妨げる三つの働きをいい、煩悩障(貪り、瞋り、癡の惑い)、業障(五逆罪や十悪業など)、報障(過去世の悪業の報いとして現世に受ける地獄・餓鬼・畜生の苦報の境涯)である。この文では「舎主」は報障、「悪風雨に遇い蚊虻蜂螫に食われる」は業障、「恒河に逕由」は煩悩障としている。
一子とは法華経の信心・了因の子なり
了因とは三因仏性の中の了因仏性である。信心をかたく持ち続ければ了因仏性が報身如来と顕われる。すなわち、われ仏なりと解了することができるのである。
引業
業(行い)のうち、次の生における生命境涯を決定する最も強力なもの。六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)、四生(卵生・胎生・湿生・化生)の果報を引き起こす業のこと。次の生命境涯における個々の衆生の差異を決定する満業に対する語。「俱舎論」巻十七によれば、未来世で果報を引き起こす業は、その報いの性質に応じて引業と満業の二つに分けられる。報いに二種類があり、人間として生まれるという報いを受けた場合、人間として共通な面である肉体・五官などを総報と名づけ、各個人によって異なる面である男女・貴賤・美醜・賢愚などを別報という。このような人界や畜生界などの各界に生まれるという総報を引き起こす業を引業と名づけ、各界に生まれた者に対して個々の別報を引き起こす業を満業という。
色天
色界。色界天ともいう。三界(欲界・色界・無色界)のひとつ。欲界のような欲望や煩悩はないが、肉体などの物質的制約がある世界。
講義
本章は疑いなく信心を続けるならば、求めずしてみずから得る大利益を明かされている。
はじめ涅槃経の文を引き、貧女が煩悩障・業障・報障の三苦にせめられて苦悩のどん底に沈み、愛子とともに水におぼれて死にながらも、愛子を思う一念からついに梵天に生ずることができた。すなわち求めざるにみずから梵天の功徳を得たことを明かし、これと同様にいかなる諸難があろうとも、「疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」とご教示あそばされている。「天台の一念三千こそ仏になるべき道」とおおせられて、同じく上巻に「一念三千文底秘沈」の御文から、じつは文底下種事行の一念三千は、すなわち三大秘法の御本尊であらせられる。われらはこの御本尊をかたく信じ奉って、疑う心がなければ求めずしてみずから得る大利益――即身成仏という絶対の幸福を獲得することができるのである。
観心本尊抄にいわく、
「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う、四大声聞の領解に云く『無上宝聚・不求自得』云云」(0246:15)
この文に明らかなとおりである。
しかしてそのつぎの文にお示しのご教誡はじつに重大である。妻子をふびんと思い、現身にわかれんことを嘆いていてはいけない。永遠の昔よりいつも生れてきては、妻子と死に別れていたではないか。まず自分が最後まで絶対に退転することなく信心をいたし、霊鷲山に参りてかえって妻子を導きなさい。これらのことはつねづねに教えておいたとおりであるが、拙きものはまことの時に忘れていけないとの誡めである。
思うに、宗教を商売と心得て、名聞名利に執着する他宗の姿は問題にならない。たとえ御本尊を信じ奉るものといえども、現世の利益をのみ願い、葬式と法事に形式的な勤行をいとなむ僧侶や俗人に、このご心境がわかるものではない。大衆が不幸のどん底に苦悩している国土を見ては、一国広宣流布の大願に燃え立ち、三世にわたる永遠の生命観のもとに、いかなる大難をも乗り切って折伏行に邁進するもののみがその万分の一をも解了することができるものと確信する。
第五十九章 適時の弘経を明かす
本文
疑つて云く念仏者と禅宗等を無間と申すは諍う心あり修羅道にや堕つべかるらむ、又法華経の安楽行品に云く「楽つて人及び経典の過を説かざれ亦諸余の法師を軽慢せざれ」等云云、汝此の経文に相違するゆへに天にすてられたるか、答て云く止観に云く「夫れ仏に両説あり一には摂・二には折・安楽行に不称長短という如き是れ摂の義なり、大経に刀杖を執持し乃至首を斬れという是れ折の義なり与奪・途を殊にすと雖も倶に利益せしむ」等云云、弘決に云く「夫れ仏に両説あり等とは大経に刀杖を執持すとは第三に云く正法を護る者は五戒を受けず威儀を修せず、乃至下の文仙予国王等の文、又新医禁じて云く若し更に為すこと有れば当に其の首を断つべし是くの如き等の文並びに是れ破法の人を折伏するなり一切の経論此の二を出でず」等云云、文句に云く「問う大経には国王に親付し弓を持ち箭を帯し悪人を摧伏せよと明す、此の経は豪勢を遠離し謙下慈善せよと剛柔碩いに乖く云何ぞ異ならざらん、答う大経には偏に折伏を論ずれども一子地に住す何ぞ曾て摂受無からん、此の経には偏に摂受を明せども頭破七分と云う折伏無きに非ず各一端を挙げて時に適う而已」等云云、涅槃経の疏に云く「出家在家法を護らんには其の元心の所為を取り事を棄て理を存して匡に大経を弘む故に護持正法と言うは小節に拘わらず故に不修威儀と言うなり、昔の時は平にして法弘まる応に戒を持つべし杖を持つこと勿れ今の時は嶮にして法翳る応に杖を持つべし戒を持つこと勿れ、今昔倶に嶮ならば倶に杖を持つべし今昔倶に平ならば倶に戒を持つべし、取捨宜きを得て一向にす可からず」等云云、汝が不審をば世間の学者・多分・道理とをもう、いかに諫暁すれども日蓮が弟子等も此のをもひをすてず一闡提人の・ごとくなるゆへに先づ天台・妙楽等の釈をいだして・かれが邪難をふせぐ、夫れ摂受・折伏と申す法門は水火のごとし火は水をいとう水は火をにくむ、摂受の者は折伏をわらう折伏の者は摂受をかなしむ、無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし、譬へば熱き時に寒水を用い寒き時に火をこのむがごとし、草木は日輪の眷属・寒月に苦をう諸水は月輪の所従・熱時に本性を失う、末法に摂受・折伏あるべし所謂悪国・破法の両国あるべきゆへなり、日本国の当世は悪国か破法の国かと・しるべし。
現代語訳
疑っていわく、念仏者と禅宗等を無間地獄へおちるというのはあらそう心があり、修羅道へおちるではないか。また法華経の安楽行品には「ねがって他人や、他の経典の過失を説いてはならない。また他の法師を軽慢してはならない」と説かれている。汝はこの経文に相違して他宗を攻撃するから、安楽行品に説かれているごとき諸天の加護を受けられないのではないか。
答えていわく、日蓮の弟子でさえそのような邪見をなかなか捨てようとしないから、まず天台、妙楽等の釈を示し、道理を示してこのことを明らかにしよう。止観にいわく「いったい仏には法を弘めるについて二つの説があり、一には摂受・二には折伏である。安楽行品に他者の長短をあげるなというごときは摂受の義である。大涅槃経に刀杖を執持し、乃至謗法の首を斬れというのは折伏の義である。摂受は相手の立ち場を尊重し、与えて法を弘むるに対し、折伏は奪って法を弘む。そのみちは、まったく異なるといえども、ともに衆生を利益せしむるのである」と。
弘決にいわく「それ仏に両説あり等と止観にいうのは、摂受と折伏である。乃至大涅槃経に刀杖を執持すとは経の第三に正法を護るものは、五戒を持たず、威儀を修しなくてもよいと説き、乃至下の文に仙予国王が正法をまもり惜しむがゆえに、無量の謗法者の命を断絶したと説いている文、また同経の新医が禁じていわく旧医の薬に害毒が多いから、さらにこれを用いるならば、その首を断つべしといっている文等、これらはすべて破法の人を折伏する文であり、いっさいの経論は摂受か折伏かの二を出ない」と。
文句にいわく「問う大涅槃経には、国王に法を親ら付嘱し、弓を持ち箭を帯し、悪人を摧伏して正法を護持せよと明かしており、この法華経安楽行品には、国王・大臣等の豪勢を遠く離れへりくだり、慈善の心を持てと説いている。すなわち涅槃経の剛と安楽行品の柔とおおいに相反している。どうして異ならないといえようか。答う、涅槃経にはもっぱら折伏を論じている。けれども、仏は平等にわが子を思うと同じ一子地に住しているからどうして摂受がないわけがない。この法華経にはもっぱら安楽行品に摂受を明かしているけれども、陀羅尼品では、鬼子母神・十羅刹女が法華経の行者を悩ますものは、頭を七つに破り裂くであろうと誓っているごとく、折伏がないのではない。おのおのその一端をあげて時にかなうのみである」と。
章安大師の涅槃経の疏にいわく「出家も在家も法をまもるには、その根本となる心の所為が第一に肝要であり、事相の形式的な戒律等を捨て、その内容となる理を存して匡に大経を弘めるのである。ゆえに護持正法というのは、小節にこだわらないから威儀を修せずというのである。むかしは時代が平穏で、よく法が弘まったから、戒律を持たなくてはならないし、杖を持って強く法を弘めてはいけない。いまの時代は嶮悪で正法が隠没しているから、杖を持って強く法をひろめ、戒を持つべきではない。今昔倶に時代が嶮悪ならば、ともに杖をもつべきである。今昔ともに平穏ならば、倶に戒を持つべきである。摂と折の取捨は時代にしたがい、よろしきにかなって一向にすべきではない」等と説いている。汝の不審をば、世間の学者は多分道理だと思い、日蓮が誤まっていると思っている。いかに日蓮が諌めたとしても、日蓮の弟子さえこの考えを捨てないで批判的になり、一闡提・不信の人のごとくなるゆえにまず天台、妙楽の釈を出してかれらの邪難を防ぐ。
いったいに摂受と折伏の二つの法門は水火のごとき関係にあり、火は水をいとい、水は火をにくんでたがいにその立ち場が相容れないのである。摂受のものは折伏するものを冷笑し、折伏のものは摂受の手ぬるいのを見て悲しく思う。いまその原則を示すならば、無智・悪人の国土に充満する時は、摂受を第一に立てて法を弘む、安楽行品のごときがこれである。邪智・謗法のものの多い時は、折伏を第一に立て常不軽品のごとくに法を弘む。たとえば熱い時に冷たい水を用い、寒い時に火をこのむようなものである。草木は太陽の眷属であり、寒い冬には苦しみの状態にある。諸水は月の所従であるから、熱い時にその本性を失なってしまう。
摂・折二門はこのように相容れないのであるが、末法にもまた摂受と折伏があるべきである。いわゆる無智悪人の悪国と、邪智謗法の破法の国があるべきゆえに、悪国には摂受を行じ、破法の国には折伏を行ずるのである。されば日本国の当世は悪国か破法の国か。邪智謗法の国であることはとうぜんであり、折伏でなければ弘法も不可能であり、絶対に功徳を受けることがありえない。
語釈
仙予国王等の文
立正安国論にあり。すなわち涅槃経聖行品に「釈尊が昔、閻浮提において大国の王と生まれ名を仙予といった。その時に波羅門が正法を誹謗するのを聞いて、即時に殺してしまったが、この因縁によってそれより地獄へ堕ちないのである」と。
又新医禁じて云く……
同じく涅槃経の文。「ある国に医者があり、ただ乳薬ばかり用いて病気の本体を見ることができなかった。そのうちによく病気の根源を知る新医が現われたので、国王は旧医を放逐し、こんご乳を服せしめてはならぬと布令し、犯すものは断首すると布告した」。
一子地
一子地とは初地であり、法界の衆生をことごとく慈念するという意。別教の初地の位は円教の初住の位に当たる。天台大師の法華玄義四上に「慈悲喜はこれ化他の事行、一子地はこれその証なり。捨心はこれ化他の理、空平等はこれその証なり」とある。
講義
仏教の弘法には摂受と折伏があり、末法には日蓮大聖人のごとく折伏でなければならない。しかるに、世間はもちろんご門下ですら、折伏を嫌う風潮があるので、天台、妙楽の釈を出して正しく釈せられている。
摂受折伏の名目は勝鬘経より出ている。折伏は破折調伏の意、摂受とは彼機を摂してこれを受容するの意である。
当抄をはじめ、如説修行抄・佐渡御書その他ご一代を通じて、摂折二門のうち末法は折伏なりとおおせられ、しかも宗祖大聖人のご一生が実際に身をもって折伏を行ぜられたにかかわらず、ともすると摂受でもよいかのごとき説を立て、あるいは口に折伏を称えながら、実際には一向に折伏しない徒輩が多い。あるいは当抄の「摂受折伏あるべし」等の文から、末法においても摂受と折伏を兼ね備えて行ずるとの錯覚に陥っているものがある。次に日寛上人の開目抄愚記を拝して、これらの謬解を打破しよう。
末法に摂受折伏あるべし等の文
問うもししからば、末法にまた摂受を行ずべきや。答う摂折二門について古来の義蘭菊なり、いましばらく五義に約す云云。
一には教法に約す、いわくその大旨を論ずれば、法華はまさしくこれ折伏の教法なり。これすなわち法華の開顕は爾前の権理を破し、法華の実理を顕わすゆえなり。玄文第九にいわく、法華折伏、破権門理等、本迹開顕准例して知るべし。
二には機縁に約す、いわく、もし本已有善の衆生のためには、摂受門をもってこれを将護す。もし本未有善の衆生のためには、折伏門をもってこれを強毒す。このゆえに疏の第十にいわく、本已有善、釈迦小をもってこれを将護す。本未有善、不軽大をもってこれを強毒す等云云。
三には時節に約す、宗祖いわく末法においては小大権実顕密ともに教のみあって得道なし、一閻浮提みな謗法となりおわんぬ。逆縁のためにただ妙法蓮華経の五字に限るのみ、例せば不軽品のごとし、下文にいわく、たとい山林にまじわりて一念三千の観を凝すとも、時機を知らず、摂折二門を弁えずば、いかでか生死を離るべき、その諸文枚挙にいとまあらず云云。
四には国土に約す、すなわち今文の意なり、いわく末法折伏の時なりといえども、もし横に余国を尋ねば、あに悪国無からんや、その悪国においては摂受をさきとすべし、しかるに、日本国の当世は破法の国なること分明なり、ゆえに折伏をさきとなすべし。
五には教法流布の前後に約す、すでに竜樹、天親、天台、伝教等、前前流布の教法を破して、当機益物の教法をひろむ、いま蓮祖またしかなり、前代流布の爾前迹門を破して、末法適時の大白法本門寿量の肝心をひろむ、その相諸抄のごとしこれを略す。
第六十章 折伏を行ずる利益
本文
問うて云く摂受の時・折伏を行ずると折伏の時・摂受を行ずると利益あるべしや、答えて云く涅槃経に云く「迦葉菩薩仏に白して言く如来の法身は金剛不壊なり未だ所因を知ること能わず云何、仏の言く迦葉能く正法を護持する因縁を以ての故に是の金剛身を成就することを得たり、迦葉我護持正法の因縁にて今是の金剛身常住不壊を成就することを得たり、善男子正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず応に刀剣弓箭を持つべし、是くの如く種種に法を説くも然も故師子吼を作すこと能わず非法の悪人を降伏すること能わず、是くの如き比丘自利し及び衆生を利すること能わず、当に知るべし是の輩は懈怠懶惰なり能く戒を持ち浄行を守護すと雖も当に知るべし是の人は能く為す所無からん、乃至時に破戒の者有つて是の語を聞き已つて咸共に瞋恚して是の法師を害せん是の説法の者・設い復命終すとも故持戒自利利他と名く」等云云、章安の云く「取捨宜きを得て一向にす可からず」等、天台云く「時に適う而已」等云云、譬へば秋の終りに種子を下し田畠をかえさんに稲米をうることかたし、建仁年中に法然・大日の二人・出来して念仏宗・禅宗を興行す、法然云く「法華経は末法に入つては未有一人得者・千中無一」等云云、大日云く「教外別伝」等云云、此の両義・国土に充満せり、天台真言の学者等・念仏・禅の檀那を・へつらいをづる事犬の主にををふり・ねづみの猫ををそるるがごとし、国王・将軍に・みやづかひ破仏法の因縁・破国の因縁を能く説き能くかたるなり、天台・真言の学者等・今生には餓鬼道に堕ち後生には阿鼻を招くべし、設い山林にまじわつて一念三千の観をこらすとも空閑にして三密の油をこぼさずとも時機をしらず摂折の二門を弁へずば・いかでか生死を離るべき。
問うて云く念仏者・禅宗等を責めて彼等に・あだまれたる・いかなる利益かあるや、答えて云く涅槃経に云く「若し善比丘法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」等云云、「仏法を壊乱するは仏法中の怨なり慈無くして詐り親しむは是れ彼が怨なり能く糾治せんは是れ護法の声聞真の我が弟子なり彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり能く呵責する者は是れ我が弟子駈遣せざらん者は仏法中の怨なり」等云云。
現代語訳
問うていわく、摂受でなければならない時に折伏を行じ、折伏でなければならない時に摂受を行じて、利益があるかどうか。答えていわく、さらに利益はない。涅槃経にいわく「迦葉童子菩薩が仏に質問していうには、如来の法身は金剛不壊である。どうしてそのような法身を成就することができたかをいまだ知ることができない。どういう所因ですか。仏はこれに答えて、迦葉よ、よく正法を護持する因縁によって、この金剛身を成就することができたのである。善男子よ、正法を護持するものは五戒を受けず、威儀を修することもなく、まさに刀や剣や弓箭を持って正法をまもるべきである。濁悪の世に比丘があって戒律を持ち、摂受を行じて種々に法を説いても、なお師子吼をなすことはできないし、非法の悪人をも降伏することはできない。このような比丘は、自分自身に利益を受けることもできないし、また他を化して衆生を利益することはできない。まさに知るべし、このような輩は怠けものである。よく戒をたもち、浄行を守護しているからといっても、この人は世のため、人のために働かないし、仏法を守護することにもならない。乃至時に破戒のものがあり、折伏を行ずる人のいうことを聞いて、聞き終わってみなともにいかり、折伏する法師を殺害する。この説法者はたとえ殺されてしまっても、なお持戒のものであり、みずからも功徳を受け、他人をも利益せしめるものというべきである」と。章安のいわく「摂受と折伏とは取捨よろしきを得て、一向にすべきではない」と。天台いわく「摂受か折伏かいずれを取るかは、時にかなうのみである」と。時をはき違えて利益のないことは、たとえば秋の終わりに種子を蒔いて田畠を耕しても、稲や米を得ることができないのと同じである。
日本には、建仁年中に法然が念仏を弘め、大日というのが禅宗を弘めた。法然がいうには「法華経を修行しても、末法においてはいまだ一人も得道したものはなく、千人の中に一人も得道するものはない」と。大日がいうには「経文は月をさす指であり、釈迦の悟りは月そのものであって、教の外に別伝されたのが禅宗である」等と説いた。それより以来この両義が国中にひろまり、日本国中のものが禅と念仏に帰依してしまった。天台・真言の学者等が新興宗教たる念仏や禅の檀那に、へつらいおそれているありさまは、犬が主人に尾をふり、鼠が猫をおそれるような状態である。
しかして国王や将軍に仕えては仏法を破る因縁や国を破る因縁をよく説き、よく語っている。仏法を弘め、国を救うべき僧侶であるべき天台、真言の学者等が、このようであっては、今生には餓鬼道におち、後生には阿鼻地獄へおちるであろう。たとえ山林の奥深く端座して一念三千の観念観法をこらすとも、静かな場所にあって三密相応の油をこぼさずに修行しようとも、いまの時代がいかなる時代かを知らず、いかなる機根の衆生であるかを知らず、摂受と折伏の立て分けを知らなければ、どうして生死を離れることができようか。
問うていわく念仏者や禅宗等を邪宗だ、邪宗だと責め立てて、それゆえかれらにあだまれることはどんな利益があるのか。答えていわく、謗法を破折すべきことをつぎのように説かれている。すなわち涅槃経にいわく「もし善比丘が法を破るものを見て、そのままさし置いて呵責し、駈遣し、挙処しないならば、まさに知るべし、この人は仏法中の怨敵である。もしよく駈遣し、呵責し、挙処するならば、これこそわが弟子であり、真の声聞である」と。また章安は涅槃経の疏に「仏法を壊り乱すものは仏法中の怨である。相手の謗法を知りながら、それを諌めるほどの慈悲心もなくて、詐り親しむものは相手にとって怨である。よく相手の過誤を糾治してやるものが護法の声聞であり、真のわが弟子である。かれがためにかれの悪い点をのぞき、改めさせることはかれの親である。よく相手の悪を呵責するものはこれ仏弟子であり、駈遣しないで放って置くものは仏法中の怨である」といさめている。
語釈
迦葉菩薩
涅槃経のなかの迦葉菩薩品の対告衆で、迦葉童子、迦葉童子菩薩ともいう。いわゆる十大弟子の摩訶迦葉とは別人。涅槃経で仏に三十六の問いを発しているが、前四十余年の会座にも連ならず、法華の会座にも漏れた捃拾の機の人である。
三密の油をこぼさず
三密は手に印契を結ぶを身密、口に真言を誦するを語密に本尊を念ずるを意密、この三つを三密といい、油をこぼさずとは一心不乱に修行することをいう。
呵責・駈遣・挙処
呵責は口頭で弾劾する、相手の罪過を追求する。駈遣はそのところを追い払う。挙処はその罪過を検挙処分し、世をあげ国を挙げて謗法者を処分するをいう。
講義
折伏を行ずべき時代にはかならず折伏でなければならない。友人でも、親子でも、夫婦でも「慈悲の心」がなくいつわり親しんでいることは、けっして仲のよい間柄でないのみか、かえってたがいに怨敵の間柄になっているのである。「かれがために悪を除く」ことは一見して親しみを破るようであるが、じつはこれこそ相手の人にとっては「親」となるのである。
悪といっても小悪中悪があろう。小中の悪はまだしものこと、大悪だけは絶対にのぞいてやらなければならない。大悪とは誤れる宗教を信ずることで、またそれを信ずるものを責めないのも大悪である。
低級思想・宗教ほど人を不幸にするものはない。日本中の不幸はこの低級な宗教が、国中に充満しているのに起因しているからである。もったいなくも、大聖人が命がけで不幸の原因として叫ばれた念仏、禅宗、真言、天台がほろびもせずして悪鬼のように人心に食い込んでいるうえに、新興宗教という似て非なるものが国中に充満している。これが現在の日本人を不幸にしているものである。大聖人が七百年以前にこれを喝破せられたのに、いまなおこれを信じようとしない。それというのも大衆に仏教哲学がないからである。私がもっとも苦慮するところである。
国をうれい、民衆の不幸を悲しむ憂国の志士あらば、一日もすみやかに正法に帰依し一国の楽土建設に全力を尽くすべき時であろう。
また「天台真言の学者等・念仏・禅の檀那を・へつらいをづる事犬の主にををふり・ねづみの猫ををそるるがごとし、国王・将軍に・みやつかひ破仏法の因縁・破国の因縁を能く説き能くかたるなり」について。
天台山は法華経の山であり、大聖人は法華経、法華経と強く呼ばわっておられながら、法華経の山たる天台を用いられないのは種々なる深い理由があるが、この御文についてのみ論ずるならば、天台がすでに法を低くし、かつ謗法を責めないがゆえに仏弟子とみることができなくなったからである。いかに法華経を読誦すとも、謗法があるならば、仏はその山に住まないのである。
現今の身延山がこれとまた同様である。身延山には正統の日蓮大聖人のつながりがないことは、日興上人身延離山等の事実において明らかである。しかるにかれらは世をいつわって、大聖人より嫡々と法水が伝わって来たようにいいふらしている。そこで吾人はかれらに与えて、かれらのいつわりを真なりとしたとしても、身延山の謗法は仏敵という以外にはないのである。内は教権をめぐって闘争絶え間なく、外にはその信仰に功徳のないのを日に日に暴露しつつある。本山および末寺の様相を見るのに、大聖人が禁じられているあらゆる邪神をまつっている。帝釈・狐・竜神・蛇・鬼子母神等である。これ大聖人の御意志にそむくところである。その上に真言の謗法を責めるどころか、わが山に功徳のないことをおしかくすために、真言流の祈禱を取り入れて修行の一つとしている。
これをもってしても、大聖人の御魂はこの山に住まぬのである。謗法のおそろしさは、時とともにその実証を明らかに示すであろう。
第六十一章 結勧
本文
夫れ法華経の宝塔品を拝見するに釈迦・多宝・十方分身の諸仏の来集はなに心ぞ「令法久住・故来至此」等云云、三仏の未来に法華経を弘めて未来の一切の仏子にあたえんと・おぼしめす御心の中をすいするに父母の一子の大苦に値うを見るよりも強盛にこそ・みへたるを法然いたはしとも・おもはで末法には法華経の門を堅く閉じて人を入れじとせき狂児をたぼらかして宝をすてさするやうに法華経を抛させける心こそ無慚に見へ候へ、我が父母を人の殺さんに父母につげざるべしや、悪子の酔狂して父母を殺すをせいせざるべしや、悪人・寺塔に火を放たんにせいせざるべしや、一子の重病を炙せざるべしや、日本の禅と念仏者とを・みて制せざる者は・かくのごとし「慈無くして詐り親しむは即ち是れ彼が怨なり」等云云。
日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり一切天台宗の人は彼等が大怨敵なり「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親」等云云、無道心の者生死をはなるる事はなきなり、教主釈尊の一切の外道に大悪人と罵詈せられさせ給い天台大師の南北・並びに得一に三寸の舌もつて五尺の身をたつと伝教大師の南京の諸人に「最澄未だ唐都を見ず」等といはれさせ給いし皆法華経のゆへなればはぢならず愚人にほめられたるは第一のはぢなり、日蓮が御勘気を・かほれば天台・真言の法師等・悦ばしくや・をもうらんかつはむざんなり・かつはきくわいなり、夫れ釈尊は娑婆に入り羅什は秦に入り伝教は尸那に入り提婆師子は身をすつ薬王は臂をやく上宮は手の皮をはぐ釈迦菩薩は肉をうる楽法は骨を筆とす、天台の云く「適時而已」等云云、仏法は時によるべし日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし。
現代語訳
それ法華経の宝塔品を拝見するに、釈迦・多宝・十方分身の諸仏が来り集まったのはなんのためか。「法をして久しく住せしめんがために来集したのである」とはっきり説かれている。このように、釈迦・多宝・分身の三仏が未来に法華経をひろめて、未来の一切衆生に大利益を与えようとなさったお心の中を推しはかるに、父母がただひとりの子供の大苦にあっているのを救わんとする大慈悲心よりも、さらに強盛に未来のことを心配されている。しかるに、法然はこのような仏のお心を痛わしいとも思わないで、仏意に反し、末法には法華経の門をかたく閉じて人を入れないようにしてしまった。法然のやり方は狂った子供をたぼらかして持っている宝を捨てさせるように、法華経を抛たせてしまった心こそあまりにも無慚なことである。わが父母を、人が殺そうとするのを知って父母に告げないでいられようか。悪子が酔い狂って、父母を殺そうとするのを見て止めないでいられようか。悪人が寺塔に火を放って焼いてしまおうとするのを、とめないで放っておかれようか。一人の子供が重病の時にいやがるからといって灸をすえないではおかれないであろう。日本の禅や念仏を見て破折しないものはこのようなものである。「慈心がなくて詐り親しむは、すなわちかれの怨である」との金言をよく考えるべきである。
日蓮は日本国諸人にとって主であり、師であり、親である。いっさい天台宗の人は、一切衆生の大怨敵である。「かれがために悪をのぞくは、すなわちこれかれが親である」との文に照らすとき、だれびとが日本国当世に親としてふるまっているか。日蓮をのぞいて他には絶対にない。法然等は大怨敵である。道心の無いものは生死を離れることができない。教主釈尊はいっさいの外道に大悪人であると罵詈された。天台大師は南三北七の十派から怨嫉され、得一からも「拙いかな智公(天台)よ、汝はだれの弟子か。三寸に足らない舌をもって釈迦の所説を謗じ、五尺の仏身を断つものである」といわれ、伝教大師は奈良六宗の学者連中に「最澄はいまだ唐の都を見ていない。仏教の中心地を知らないくらいだからたいしたことはない」等と悪口をいわれているが、これらはすべて法華経のゆえに受けた怨嫉であるから、一向に個人的な恥ではない。それよりも愚人にほめられることが第一の恥である。日蓮が幕府のご勘気を蒙り、流罪されれば天台・真言の法師等は悦んでいるだろう。じつにかれらの心は無慚であり奇怪である。
それ釈尊は娑婆世界に応誕して法華経を説き、羅什は秦に渡来し、伝教は中国へ留学したのも、すべて仏法のためである。また提婆菩薩や師子尊者は法のため身を捨て、薬王菩薩は臂を焼いて供養し奉った。日本の上宮太子は手の皮をはいで経を写し、釈迦菩薩は肉を売って仏を供養し、楽法は骨を筆として法を書き留めた。これらのことを天台は「時に適う而已」といっている。仏法はじつに時によるべきである。日蓮は時にかなって折伏を行じ、流罪されていることは、今生の小苦であるから一向に嘆くことはない。後生には大楽を受けるのであるからおおいに悦ばしいのである。
語釈
得一
生没年不明。平安時代初期の法相宗の僧。徳一・徳溢とも書く。藤原仲麻呂の子と伝える。出家して興福寺の修円から法相宗を学び、東大寺で弘教したといわれる。法華一乗は権教であるとして三乗真実・一乗方便の説を立て、伝教大師と法華経の権実に関する論争を行った。常陸国筑波山に中禅寺を開き、また陸奥国会津に慧日寺を創建した。著書に「仏性抄」一巻、「中辺義鏡」三巻、「中辺義鏡残」二十巻、「恵日羽足」三巻などがある。「三寸の舌もつて」云云は「中辺義鏡残」の中に「咄かな智公、汝は是れ誰が弟子ぞ三寸に足らざる舌根を以て覆面舌の所説を謗じ五尺の仏身を断つ」とあるのを指していったもの。
「最澄未だ唐都を見ず」
伝教大師は三十七歳の時、唐に渡り、台州および天台山で八カ月間学んだが、都の長安には行かなかった。そのため、日本の南都六宗の僧らは「最澄は唐の都を見たことがない」と言って、仏教の本流を知らないと非難した。日蓮大聖人は、これを釈尊や天台大師が難を受けたこととともに挙げられた上で、「これらはすべて法華経を原因とすることであるから恥ではない。愚かな人にほめられることが第一の恥である」とおおせになっている。
羅什は秦に入り
羅什は鳩摩羅什(0344~0409)のこと。梵名クマーラジーヴァ(Kumārajīva)の音写。中国・姚秦(後秦)代の訳経僧。童寿と訳す。父はインドの一国の宰相の家柄から出家した鳩摩羅炎(くまらえん)(クマーラーヤナ)、母は亀茲国王白純の妹・耆婆(ジーヴァ)。七歳で母と共に出家し、仏法を学ぶ。生来英邁で一日に千偈、三万二千言の経を誦したという。九歳の時罽賓国(カシミール、もしくはガンダーラ)に留学し、王の従弟の槃頭達多について小乗を学ぶ。帰国して西域に遊学し、須利耶蘇摩について大乗教を修め、亀茲国に帰って大乗仏教を弘めた。当時、中国・前秦の王・符堅は、将軍・呂光に命じて西域を攻めさせた。羅什は、亀茲国を攻略した呂光に連れられて中国へ行く途中、前秦が滅亡したため、呂光の保護を受けて涼州に留まった。その後、後秦の王・姚興に迎えられて弘始3年(0401)長安に入り、国師の待遇を得て訳経に従事した。羅什は多くの外国語に通暁していたので、初期の漢訳経典の誤謬を正し、また抄訳を全訳とするなど、経典の翻訳をした。その翻訳数は、出三蔵記集巻二によると三十五部二百九十四巻、開元釈教録巻四によると七十四部三百八十四巻にのぼる。代表的なものに「妙法蓮華経」八巻、「大品般若経」二十七巻、「大智度論」百巻、「中論」四巻、「百論」二巻等、多数がある。弘始11年(0409)8月20日、長安で寂したが、予言どおりに舌のみ焼けず、訳の正しさを証明したと伝えられる。なお、寂年には異説があるが、ここでは高僧伝巻二によった。
提婆師子は身をすつ
付法蔵の二十四人のうち、第十四提婆菩薩と第二十四師子尊者のこと。提婆菩薩は外道に、師子尊者は外道にそそのかされた檀弥羅王にそれぞれ殺された。
薬王は臂をやく
薬王は薬王菩薩のこと。梵名バイセイジャ・ラージャ(Bhaiṣajya-rāja)、音写して吠逝闍羅惹と書き、薬王と訳す。「観薬王薬上二菩薩経」によると、瑠璃光照仏の滅後、日蔵比丘が正法を宣布した。時に長者あり、兄を星宿光といい、弟を電光明と名づく。兄弟の長者は日蔵に従って仏慧を聞き、雪山の上薬を採って日蔵と衆僧に供養し、未来世において、衆生の身心の二病を治せんと誓願を立てた。釈迦仏は、その時の星宿光が今の薬王、電光明が薬上であると明かし、釈迦仏は弥勒菩薩に、彼らは未来に浄眼・浄蔵という如来になるであろうと告げたと説いている。法華経の会座に列しては、迹門流通の対告衆の首位となっており、因位の修行のとき、七万二千歳のあいだ、臂をやいて仏に供養した。
上宮は手の皮をはぐ
上宮は上宮太子の略で、聖徳太子の別称。太子は自分の手の皮をはいで、それを紙として経文を書いたと言い伝えられる。白米一俵御書に「聖徳太子と申せし人は・手のかわをはいで法華経をかき奉り」(1596:15)と。なお、資料の伝えるところは梵網経である。
釈迦菩薩は肉をうる
釈迦菩薩とは釈尊が過去において久しく菩薩行を修していたときを指していったもので、肉を売って仏に供養したという。
楽法は骨を筆とす
楽法は楽法梵志の略。釈尊の因位のときの名。菩薩行を修しているとき、仏の一偈を聞くために、皮をはいで紙とし、骨をもって筆とし、血を墨として書写した。大智度論巻四十九に「釈迦文仏の如き、本菩薩たりし時、名を楽法という。時に世に仏なく善語を聞かず、四方に法を求め精勤して懈らず、了に得ることあたわず、そのときに魔変じて婆羅門となりてしかもこれに語りていわく、われ仏所説の一偈あり、汝よく皮をもって紙と為し、骨をもって筆と為し、血をもって墨となしてこの偈を書写せば、当にもって汝に与ふべし、楽法即時にみずから念わく、われ世世に身を喪うこと無数なるもこの利を得ず、すなわちみずから皮を剥いでこれを曝し、乾して其の偈を書かんと欲す、魔便ち身を滅す、この時に仏その至心を知ろしめして、すなわち下方より涌出してために深法を説く、すなわち無生法忍を得」とある。ここでは、骨を抜かないうちに魔が滅したとなっているが、弘決には愛法梵志を楽法梵志として取意引文しているなかに「この言のごとく骨を破り皮を剥ぎ血をもって偈を写す」とある。
講義
本章は開目抄上下全体を三段に分けた最後の結勧にあたる。上巻の最初に一切衆生の尊敬すべきものとして、主・師・親をあげ、いま本章にいたって「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」と御本仏・人本尊は日蓮なりとご宣言になって当抄を終わられている。
「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」とのご聖言は真の仏法を広布せんことを念願とする創価学会初代会長牧口常三郎先生が、つねに座右の金言となされていたご信条であった。先生は御文のとおり、法華経のためならば、いかなる非難迫害も恥ではない。愚人にほめられることこそ第一の恥であり、反対にいえば聖人にほめられたるこそ第一の光栄なりとの信念にもとづいて、法華経の肝心である三大秘法の南無妙法蓮華経を流布せんとして牢獄の露と消えられたのである。日蓮大聖人の仏法を信ずるものはこれこそ第一の亀鑑であると信ずるのである。
「日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし」とはいかに崇高にしてかつ確信に満ちたおことばではないか。このご心境は凡夫のとうていおよぶところではない。ご自身においては、すでに仏身を証得せられているが、これを顕わにいわずして、後生に託して断言されている。仏の境地に立たれればこそ、佐渡の流罪などはものの数ではない。それよりは仏を証得されたお喜びは言語に絶するものがあらせられたであろう。仏にあらずんば、いい出せぬこのご一言を深く味わうべきである。
さて広宣流布は仏の予言であるから必ず成就して一国平和の時はくるに違いない。しかして吾人は凡眼のゆえにその時を知るよしもないが、御書のお心に任せてこれを案ずるならば、広宣流布の実現は必定であると信ずるものである。しかし、その時にいたるまでの道ははなはだ峻難であることはいうまでもない。されば一国の平和を願う同志は、いかなる大難が襲い来たろうとも、開目抄において示された末法の本仏としてのご開顕を深く深く拝し、大慈大悲のご誓言の一語一句をかたく身に帯して、進まなくてはならぬ。この決意のもとに真の仏法を日本に広布して、全民衆を救おうとする大宗教運動に参加するもののみが真に即身成仏の大利益を獲得することができるのである。