妙一女御返事(事理成仏抄) 第五章(妙一女の求道心を称える)
弘安3年(ʼ80)10月5日 59歳 妙一女
然るにさばかりの上代の人人だにも即身成仏には取り煩はせ給いしに、女人の身として度度此くの如く法門を尋ねさせ給う事は偏に只事にあらず、教主釈尊御身に入り替らせ給うにや・竜女が跡を継ぎ給うか・又憍曇弥女の二度来れるか、知らず御身は忽に五障の雲晴れて寂光の覚月を詠め給うべし、委細は又又申す可く候。
弘安三年十月五日 日 蓮 花 押
妙一女御返事
現代語訳
しかしながら、このような上代の人々ですら即身成仏の法門について、悩まれてきたのに、女性の身としてたびたびこのように即身成仏の法門についてたずねられたことは、ひとえにただごとではなく、おそらく教主釈尊があなたの身に入り替られたのであろうか。それとも竜女が跡を継いで、女人成仏を証明される人か、あるいは釈尊の姨母憍曇弥女生まれ替わってこられたのか。いずれかは知らないが、あなたの身はたちまちに、五障の雲が晴れて寂光の覚月を詠められるであろう。詳しい事は、またまた次の機会に申しあげましょう。
弘安三年十月五日 日蓮 花 押
妙一女御返事
語句の解説
憍曇弥女
インド刹帝利種族中の一つ、釈尊の一つ、摩訶波闍波提比丘尼のこと。
五障
女性の五つの障害。五礙ともいう。法華経提婆達多品第十二の竜女成仏の段に、舎利弗が女人は法器に非ず等と歎じ、更に女人の五障を数えて成仏を難ずる文に「又た女人の身には猶お五障有り。一には梵天王と作ることを得ず。二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、五には仏身なり。云何んぞ女身は速かに成仏することを得ん」とある。
寂光
本有常住の仏が発する智慧の光明。
講義
妙一女の真剣な求道の姿勢を心から励まされている段である。
教主釈尊御身に入り替らせ給うにや・竜女が跡を継ぎ給うか・又憍曇弥女の二度来れるか、知らず御身は忽に五障の雲晴れて寂光の覚月を詠め給うべし
大聖人御在世当時、即身成仏の法門については、誤った諸説が流れ、学者、宗教家の論争の焦点となっていた。大聖人の門下の中では妙一女が、女性の身でありながらこの最も本質的な法門に取り組み、たびたび大聖人にも疑問をお尋ねした真面目な求道心をたたえられている。
ともかく女性は現在に固執しがちな傾向性を従来もってきた。しかし妙一女の求道の姿勢には、そうした弊害を乗り越えて現象に左右されない常住の幸福観にめざめさせようとする決意があふれている。その決意が、仏法の本質である即身成仏に対する質問となったのであろう。
大聖人はその姿に対し、女人成仏を阻む五障の雲が晴れて常寂光の仏土の月をながめるような成仏の境涯を、胸中に築くに違いないと激励されている。
大聖人が女性に与えられたお手紙の中には、女人成仏の代表的な竜女を挙げられて、同じくその列にもつながるべきかと激励されているものが多い。
例えば富木尼御前御返事の「竜女があとをつぎ摩訶波闍波提比丘尼のれちにつらなるべし」(0976:06)阿仏房尼御前御返事「尼御前の御身として謗法の罪の浅深軽重の義をとはせ給う事・まことに・ありがたき女人にておはすなり、竜女にあにをとるべきや」(1308:11)等々である。
ここには、妙法に出会った女人が成仏への深い確信に促されながら、明るく逞しく自己変革に邁進する姿を温かく見守られる大聖人の慈悲をほうふつとさせるものがある。