持妙法華問答抄

持妙法華問答抄

弘長3年(ʼ63) 42歳

  1. 第一章 成仏の直道を説く
    1. 現代語訳
    2. 語釈
      1. 仏法
      2. 大小・権実
      3. 一代聖教
      4. 頓証菩提の指南
      5. 直至道場の車輪
    3. 講義
      1. 希に人身をうけ適ま仏法をきけり
      2. 大小・権実は家家の諍ひなれども一代聖教の中には法華独り勝れたり、是れ頓証菩提の指南・直至道場の車輪なり
  2. 第二章 法華の独勝を示す
    1. 現代語訳
    2. 語釈
      1. 人師
      2. 釈尊
      3. 一経・一流
      4. 大荘厳等の八万人の菩薩
      5. 法華経
      6. 将非魔作仏
      7. 智証大師
    3. 講義
  3. 第三章 権実相対して法華最第一を明かす
    1. 現代語訳
    2. 語釈
      1. 已今当
      2. 兼但対帯
      3. 如来
    3. 講義
      1. 唯法華経計りこそ最後の極説なるが故に已今当の中に此の経独り勝れたりと説かれて候へ
  4. 第四章 二乗作仏を示し法華の帰依を勧める
    1. 現代語訳
    2. 語釈
      1. 徳一大師
      2. 法相宗
      3. 麤食者
      4. 一代の化儀
      5. 三周の善巧
      6. 華厳経には地獄の衆生は仏になるとも二乗は仏になるべからず
      7. 無学
      8. 善根
      9. 闡提
      10. 焦種の者
      11. 我慢偏執
    3. 講義
  5. 第五章 法華経の信受を勧める
    1. 現代語訳
    2. 語釈
      1. 南都
      2. 瑜伽唯識
      3. 北嶺
      4. ほとぎを蒙り……
      5. 経には「浄心に信敬……」
      6. 唯我一人・能為救護
      7. 以信得入
      8. 決定無有疑
      9. 堕在泥梨
      10. 経には「疑を生じて……」
    3. 講義
      1. 一切衆生・皆成仏道の教なれば上根・上機は観念・観法も然るべし下根下機は唯信心肝要なり
      2. 唯我一人・能為救護の仏の御力を疑い以信得入の法華経の教への繩をあやぶみて決定無有疑の妙法を唱へ奉らざらんは力及ばず菩提の岸に登る事難かるべし、不信の者は堕在泥梨の根元なり
  6. 第六章 法華信受の功徳を示す
    1. 現代語訳
    2. 語釈
      1. 名聞
      2. 狐疑
      3. 偏執
      4. 十方の仏陀の願海
      5. 三世の菩薩の慈天
      6. 有為・無為
      7. 三途
      8. 八難
      9. 七方便
      10. 九法界
      11. 無垢地
      12. 是人於仏道・決定無有疑
      13. 一念信解
      14. 五波羅蜜
      15. 五十展転
      16. 頓証菩提
      17. 顕本遠寿
    3. 講義
      1. 受けがたき人身をうけ値いがたき仏法にあひて争か虚くて候べきぞ
      2. 持つ処の御経の諸経に勝れてましませば能く持つ人も亦諸人にまされり
      3. 一念信解の功徳は五波羅蜜の行に越へ五十展転の随喜は八十年の布施に勝れたり
  7. 第七章 法華誹謗の業因を明かす
    1. 現代語訳
    2. 語釈
      1. 恒沙
      2. 孝経
      3. 冥の照覧
    3. 講義
      1. 一切の仏法も又人によりて弘まるべし
      2. 冥の照覧について
      3. 上根に望めても卑下すべからず下根を捨てざるは本懐なり、下根に望めても憍慢ならざれ上根も・もるる事あり心をいたさざるが故に
  8. 第八章 我慢偏執を排し妙法帰命を諭す
    1. 現代語訳
    2. 語釈
      1. 月卿雲閣
      2. 霊山浄土
      3. 我即是父
      4. 暮行空の雲の色・有明方の月の光
      5. 風さはぎ村雲まよふ夕にも
      6. 昨日が今日になり
      7. 一念随喜
      8. 我れいつまでか三笠の雲と思ふべき
      9. 以何令衆生・得入無上道
      10. 順縁・逆縁
      11. 悲母深重の経文
      12. 我即歓喜・諸仏亦然
      13. 伝教大師・是を講じ……
      14. 空也上人是を読み……
    3. 講義
      1. 臨終已に今にありとは知りながら我慢偏執・名聞利養に著して妙法を唱へ奉らざらん事は志の程・無下にかひなし、さこそは皆成仏道の御法とは云いながら此の人争でか仏道に・ものうからざるべき
      2. 命已に一念にすぎざれば仏は一念随喜の功徳と説き給へり
  9. 第九章 末代流布の最上真実の秘法を示す
    1. 現代語訳
    2. 語釈
    3. 講義

第一章 成仏の直道を説く

そもそも、希に人身をうけ、たまたま仏法をきけり。しかるに、法に浅深あり人に高下ありと云えり。いかなる法を修行してか、速やかに仏になり候べき。願わくは、その道を聞かんと思う。
 答えて云わく、家々に尊勝あり、国々に高貴あり。皆その君を貴み、その親を崇むといえども、あに国王にまさるべきや。ここに知んぬ、大小・権実は家々の諍いなれども、一代聖教の中には法華独り勝れたり。これ、頓証菩提の指南、直至道場の車輪なり。

 

現代語訳

そもそも、まれに人間として生まれ、たまたま仏法を聞くことができた。ところが、仏の法に浅深があり、人の機根に高下があるという。どのような法を修行すれば、すみやかに仏になるのであろうか。願わくは、その道を聞きたいと思う。

答えていうには、家々に尊勝の親がおり、国々に高貴の君主がいる。皆その君主を尊敬し、その親を崇めるといっても、どうして国王に勝るはずがあろうか。これと同じく、大乗と小乗、権教と実教との対立や争いは家々の諍いのようなものであるが、釈尊一代の聖教の中では法華経が独り勝れているのである。なぜなら、この法華経は、すみやかに菩提(悟り)を証得するための指南であり、ただちに菩提の道場に至る即身成仏の車輪だからである。

 

語釈

仏法

①仏の説いた教法のこと。これには八万四千の法門があるといわれる。②仏の証得した真理のこと。

 

大小・権実

大乗教と小乗教、権教と実教のこと。乗は乗り物の意で、仏の教説が衆生を乗せて悟りに至らしめることをたとえた言葉。小乗教は、自己の解脱のみを目的にした声聞・縁覚のための教法をいう。大乗教は自利、利他の両面をみたす菩薩のための教法をいい、数多くの衆生を救うことをめざす教えである故に大乗という。権教の権とは仮の意で、仏が衆生を実教(法華経)に導くために説いた爾前・方便の教え、実教とは仏が自らの悟りをそのまま説いた真実の教えで法華経をいう。

 

一代聖教

釈尊が説いた一切経のこと。釈尊が成道してから入涅槃するまでの一代に説いた一切の経教をいう。

 

頓証菩提の指南

頓証菩提とは、すみやかに仏の悟り・仏の智慧である菩提を証得すること。即身成仏・直達正観と同意。指南は教え示すこと。即ち法華経が即身成仏・直達正観の道を指し示す教えであるとの意。

 

直至道場の車輪

法華経譬喩品第三に「此の宝乗に乗じて 直ちに道場に至らしむ」とある。直至とは直達正観、道場は菩提(悟り)、仏果のこと。車輪は衆生を成仏に導く一仏乗の教法に譬える。法華経は凡夫をただちに悟りを開く場所へ導く乗り物であるとの意。

 

講義

本抄の成立の由来については、大きく二説があり、いまだに決定的な説はない。

一つは、弘長3年(1263)、日蓮大聖人が四十二歳の時、伊豆流罪の赦免直後に、鎌倉でしたためられたものとされている。

いま一つは、古来からの伝承であるが、日持が本抄を執筆し、それを日蓮大聖人が御印可されたとするものである。しかし、正本が存在しない今日、この説を決定することはできない。

いずれの説も対告衆は不明である。

さらに、御述作の年代についても、建治2年(1267)説、弘安3年(1280)説等があり、いずれも確証はない。しかし、ここでは、第一の説にしたがって弘長3年(1263)に大聖人により書かれたものとして、講述していくことにする。

本抄は、題号に「持妙法華」とあるように妙法華即ち妙法蓮華経を持つことに関して、五つの問答形式をもって、展開されているのである。

大意は、成仏得道の法は法華経であり、法華経が諸経中最勝であることを、多くの文証を引いて述べ、つぎに、その法華経の受持は、観念観法でなく、受持即観心であることを明かして信が強調されている。さらに、法華経およびその行者を誹謗する罪の重さを説き、最後に世間の名聞名利に執着することなく、ひたすら法華経を信じ、題目を唱えて成仏を遂げるよう勧められている。

第一の問答である本章では、受けがたき人身を受け、人間として生まれることができたうえに、さらに聞きがたき仏法を聞く機会を得た問者が、人間の機根に高下があり、さらに仏の法にも高低浅深の差のあることに気づき、一体、どの法を修行すればすみやかに仏になることができるのか、と根本的な質問をする。これに対して、答者である日蓮大聖人は、家々に尊卑があり、それぞれの国々に、尊敬する君主がいるけれども、たった一人の国王を尊敬しない人はいないとの例を引かれて、それと同様に、仏法においても、諸経の王たる一仏乗の法華経を信じ尊敬すべきであると答えられ、釈尊の一代聖教の中で、法華経のみが最も勝れた教であり、成仏得道の法であることを強調されている。

 

希に人身をうけ適ま仏法をきけり

 

本抄の冒頭の一節であるが、本抄全体にとって重要な意味をもっている。

これは問者の言葉であるが、問いの内容との関連で考えるならば、日蓮大聖人が、当時の仏教全般に対して抱かれた根本的な疑問がここによく表れている。

仏法においては、六道輪廻を説き、生死生死と変化してゆく生命の流転のなかで、人間として生を受けることは非常に稀であると説かれる。人身を受けることも難しいのに、人間に生れても、仏法をきくことはさらに難しいのである。涅槃経巻二十には「人身の得難きことは優曇花の如きに、我今已に得たり。如来の値い難きことは優曇花に過ぐるに、我今已に値いたてまつる。清浄の法宝は見聞を得ること難きに、我今已に聞く。猶し盲亀の浮木の孔に値えるが如し」とある。

このように、稀に受けがたき人身を受け、そのうえ、聞きがたき仏法を聞くことができたにもかかわらず、せっかくの機会がむだになるばかりか、かえって、謗法になって地獄に堕する場合もあるということを、日蓮大聖人は早くから察知しておられた。

妙法比丘尼御返事には「此の度いかにもして仏種をもうへ生死を離るる身とならんと思いて候し程に、皆人の願わせ給う事なれば阿弥陀仏をたのみ奉り幼少より名号を唱え候し程に、いささかの事ありて、此の事を疑いし故に一の願をおこす、日本国に渡れる処の仏経並に菩薩の論と人師の釈を習い見候はばや、又倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗・真言宗・法華天台宗と申す宗どもあまた有りときく上に、禅宗・浄土宗と申す宗も候なり、此等の宗宗・枝葉をばこまかに習はずとも所詮肝要を知る身とならばやと思いし故に、随分に・はしりまはり十二・十六の年より三十二に至るまで二十余年が間、鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国国・寺寺あらあら習い回り候し程に・一の不思議あり。我れ等が・はかなき心に推するに仏法は唯一味なるべし、いづれもいづれも・心に入れて習ひ願はば生死を離るべしとこそ思いて候に、仏法の中に入りて悪しく習い候ぬれば謗法と申す大なる穴に堕ち入つて、十悪五逆と申して日日・夜夜に殺生・偸盗・邪婬・妄語等をおかす人よりも・五逆罪と申して父母等を殺す悪人よりも、比丘・比丘尼となりて身には二百五十戒をかたく持ち心には八万法蔵をうかべて候やうなる、智者聖人の一生が間に一悪をもつくらず人には仏のやうにをもはれ、我が身も又さながらに悪道にはよも堕ちじと思う程に、十悪・五逆の罪人よりも・つよく地獄に堕ちて阿鼻大城を栖として永く地獄をいでぬ事の候けるぞ」(1407:10)と述べられ、若き日蓮大聖人の心を捉えた当時の仏教界全般に対する問題意識を回顧風に表現されている。

この問題意識を背景にして、本抄の問いを拝読したとき、「法に浅深あり人に高下ありと云へり何なる法を修行してか速に仏になり候べき願くは其の道を聞かんと思ふ」との文は、同じ仏の法の中にも高低浅深があり、凡夫の機根にも善悪、高下があるが故に、この人身を受け仏法を聞くことのできた千載一遇の機会に、かならず成仏できる法は何か、と問うているのである。

 

大小・権実は家家の諍ひなれども一代聖教の中には法華独り勝れたり、是れ頓証菩提の指南・直至道場の車輪なり

 

日蓮大聖人当時、仏教の名の下に、さまざまな教えが説かれ、八宗・十宗といわれる多くの宗派があったことは、さきに引用した妙法比丘尼御返事の御文からも明らかである。それらを大きく分けると、大乗教と小乗教、あるいは権教(経)と実教(経)とになる。そして、いずれの教えも宗派も、自らの優越性を主張して、相互に対立し争っていた。

日蓮大聖人は、それら大小・権実の対立と争いを、家柄の高さを主張して争う家々の対立に譬えられている。そして、一国の王が出現すれば一挙に、それらの争いが解決するように、一代聖教中の王たる法華経のみが仏教各宗の争いを解消しうる最高の教えであると説かれている。

では何故、法華経のみが諸経中の王であるかといえば、法華経が「頓証菩提の指南・直至道場の車輪」の経典であるからである。

即ち、間違いなく、一切衆生を成仏の境界へただちに導くことのできる法が法華経には説かれているからである。それは同時に問者の問い――「何なる法を修行してか速に仏になり候べき」の答えになっているのである。

 

 

 

第二章 法華の独勝を示す

 疑つて云く人師は経論の心を得て釈を作る者なり然らば則ち宗宗の人師・面面・各各に教門をしつらい釈を作り義を立て証得菩提と志す何ぞ虚しかるべきや、然るに法華独り勝ると候はば心せばくこそ覚え候へ。答えて云く法華独りいみじと申すが心せばく候はば釈尊程心せばき人は世に候はじ何ぞ誤りの甚しきや、且く一経・一流の釈を引いて其の迷をさとらせん、無量義経に云く「種種に法を説き種種に法を説くこと方便力を以てす四十余年未だ真実を顕さず」云云、此の文を聞いて大荘厳等の八万人の菩薩・一同に「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐるとも終に無上菩提を成ずることを得ず」と領解し給へり、此の文の心は華厳・阿含・方等・般若の四十余年の経に付いていかに念仏を申し禅宗を持ちて仏道を願ひ無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐるとも無上菩提を成ずる事を得じと云へり。しかのみならず方便品には「世尊は法久くして後要当に真実を説きたもうべし」ととき、又唯有一乗法・無二亦無三と説きて此の経ばかりまことなりと云い、又二の巻には「唯我一人のみ能く救護を為す」と教へ「但楽いて大乗経典を受持して乃至余経の一偈をも受けず」と説き給へり、文の心はただわれ一人して・よくすくひ・まもる事をなす、法華経をうけたもたん事をねがひて余経の一偈をも・うけざれと見えたり、又云く「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば則ち一切世間の仏種を断ぜん乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」と云云、此の文の心は若し人・此の経を信ぜずして此の経にそむかば則ち一切世間の仏のたねを・たつものなりその人は命をはらば無間地獄に入るべしと説き給へり。此等の文をうけて天台は将非魔作仏の詞正く此の文によれりと判じ給へり、唯人師の釈計りを憑みて仏説によらずば何ぞ仏法と云う名を付くべきや言語道断の次第なり、之に依つて智証大師は経に大小なく理に偏円なしと云つて一切人によらば仏説無用なりと釈し給へり、天台は「若し深く所以有り復修多羅と合せるをば録して之を用ゆ無文無義は信受す可からず」と判じ給へり、又云く「文証無きは悉く是れ邪の謂い」とも云へり、いかが心得べきや。

 

現代語訳

  疑っていうには、人師とは経論の心を会得して釈をつくる人のことをいうのである。そうであれば、即ち各宗の人師が、めいめい、それぞれに教門を設け、釈を作り、義を立て、菩提を証得する道を志している。どうしてそれが空しいことがあろうか。しかるに法華経のみが独り勝れているというのは、心が狭いのではないかと思われる。

答えていうには、法華経独り勝れているというのが心が狭いというのであれば、釈尊ほど心の狭い人は世にいないであろう。何と誤りのはなはだしいことか。しばらく一経・一流の釈を引いて、その迷いを悟らせよう。無量義経には「衆生の機根にあわせて種々に法を説いたが、それは仏の方便の力によるものであって、四十余年の間は未だ真実を顕さなかった」とある。この文を聞いて大荘厳等の八万人の菩薩は一同に「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぎても、法華経以前の教えではついに無上菩提を成ずることはできない」と領解されたのである。この文の意は、華厳・阿含・方等・般若の四十余年の諸経にしたがって、いかに念仏を称え禅宗を持って仏道を願い、無量無辺・不可思議・阿僧祇劫を過ぎたとしても無上菩提を成ずることはできないというのである。

そればかりではなく、法華経方便品第二には「仏は方便の教えを久しい間説いた後に、かならず真実の教えを説かれるであろう」と説き、また「唯一乗の法のみ有り、二も無く亦三も無い」と説いて、この経だけが真実であるといっている。また法華経巻二の譬喩品第三には「唯我一人のみ能く一切衆生を救い護ることができる」と教え、「但だ楽って大乗経典を受持して、余経の一偈をも受けてはならない」と説かれている。文の意は「ただ我一人だけがよく衆生を救い護ることができる。法華経を受け持つことをねがって、余経の一偈をも受け入れてはならない」ということである。また譬喩品に「若し人が信じないで此の経を毀謗すれば、則ち一切世間の仏種を断ずるであろう。乃至その人は命終して阿鼻獄に入るであろう」とある。この文の意は、もしこの人がこの経(法華経)を信じないで背くならば、則ち一切世間の成仏の種子を断つものである。その人は命が終われば無間地獄に堕ちるであろうと説かれたのである。

これらの文をうけて天台大師は「『将に魔の仏となるに非ずや』との詞はまさしくこの文による」と判じたのである。ただ人師の釈ばかりを憑みにして、仏説によらなければ、どうして仏法という名を付けるべきであろうか。言語道断の次第である。これによって智証大師は授決集巻上に「『経に大乗、小乗の相違なく、理に偏円の差別はない』といって一切人師の言を用いるならば仏説は無用である」と釈している。天台大師は法華玄義巻十に「もし深い道理があり、また修多羅(経典)と合うものは収録してこれを用いよ。経典のなかに文が無く義の無い説は信受すべきではない」と判じている。同じく法華文義巻二には「文証のないものは、悉く邪見である」ともいっている。人師の説にのみ依る者はこれをどのように心得るのか。

 

語釈

 

人師

凡夫であって人を教え導く師のこと。仏を大導師というのに対する語。

 

釈尊

釈迦牟尼世尊のこと。釈迦は種族の名で、能、すなわち能力の意。牟尼は尊称で聖者を意味し、仁・忍と訳する。ここから、釈尊を能仁、能忍等と訳される。釈迦族の王である浄飯王を父、摩耶夫人を母として生まれた。ある説によれば、19歳の時に出家し、30歳の時、伽耶城近くの菩提樹下で大悟を得て仏陀となったといわれている。そののち多くの人々を化導し、入滅まで50年間に説いた法門は膨大なものにのぼり、のちに八万法蔵と称された。

 

一経・一流

法華一経と天台一流のこと。無量義経は法華経の開経であるところから、ここでは法華一経の中に含めている。

 

大荘厳等の八万人の菩薩

無量義経の会座に集まった多数の菩薩のこと。大荘厳とは大荘厳菩薩のことで、釈尊が耆闍崛山(霊鷲山)で無量義経を説法した時、その座に列なった八万の菩薩の代表の一人。八万とは多数・無数の意をあらわす。

 

法華経

梵名をサッダルマプンダリーカ・スートラ(Saddharmapuṇḍarīka-sūtra)といい、音写して薩達摩芬陀梨伽蘇多覧、意は「白蓮華のごとき正しい教え」である。すでにインドにおいて、異本があったといわれる。そのためこれを中国で漢訳する段階では、訳者によって用いた原本が異なり、種々の漢訳本ができたと推察される。こうしてできた漢訳本は、次の六種である。

「法華三昧経」  六巻。魏の正無畏訳       (0256年訳出)。

「薩曇分陀利経」 六巻。西晋の竺法護訳      (0265年)。

「正法華経」   十巻。西晋の竺法護訳      (0285年)。

「方等法華経」  五巻。東晋の支道根訳      (0335年)。

「妙法蓮華経」  八巻。姚秦の鳩摩羅什訳     (0406年)。

「添品妙法蓮華経」七巻。隋の闍那崛多・達磨笈多共訳(0601年)。

このうち、法華三昧経、薩芸分陀利経、方等法華経はすでに消失し、正法華経、妙法蓮華経、添品法華経の三本のみが現存しているので、六訳三存という。

 

将非魔作仏

法華経譬喩品第三に「初め仏の説きたまいし所を聞いて 心中大いに驚疑しき 将に魔の仏と作って 我が心を脳乱するに非ずや」とある。法華経方便品第二の「世尊法久後要当説真実」、「唯有一乗法・無二亦無三」等の未曽有の仏説を聞いて、舎利弗が初めは容易に仏の真意を理解できず、将に天魔が仏の姿をして法を説き、わが心を悩乱しているのではないかと疑ったこと。

 

智証大師

08140891)。比叡山延暦寺第五代座主。台密三派の一つ智証大師流(寺門派)の祖。諱は円珍。智証は諡号。讃岐(香川県)の生まれ。俗姓は和気氏。十五歳で比叡山に登り、義真に師事して顕密両教を学んだ。勅をうけて仁寿3年(0853)入唐し、天台と真言とを諸師に学び、経疏一千巻を将来した。貞観10年(0868)延暦寺座主となる。著書に「授決集」二巻、「大日経指帰」一巻、「法華論記」十巻等がある。円仁(慈覚)が進めた天台宗の密教化をさらに推進した。

 

講義

  第一章で、一代聖教中、法華経のみが独り勝れているとの答えが出されたのに対し、この章では、そのように法華経のみ勝れると主張するのは心が狭いではないかという批判を挙げ、それに対して、仏法の本義は仏の経典によらねばならないことを強調され、この主張は仏の説であることを述べられている。

この章は、仏法の高低浅深の価値判断を、人師や論師の説に仰がず、あくまで、釈尊の説によって行うべきであることを述べられている点が重要な一章である。

法華玄義巻二下に「文証無き者は、悉く是れ邪謂なり」とある。仏法上の教義はすべて文証を基本としなければならない。その文証というのも人師・論師の釈ではなく「修多羅(経文)と合する者は、録して之を用う」とあるように、仏法の原典である仏の経によらねばならないとされている。即ち、仏説によらずに、人師の釈によれば、それはもはや仏法ではなく邪見である。日蓮大聖人も破良観等御書に「論師・訳者・人師等にはよるべからず専ら経文を詮とせん」(1293:03)と述べられている。また仏法には「依法不依人」(法に依って人に依らざれ)という原理がある。これは涅槃経巻六等に説かれる「法の四依」の一つで、仏法の勝劣浅深の判釈は、仏の説いた経典をよりどころとし、人師・論師の言を用いてはならないということである。即ち、人師・論師のさまざまな所見が横行した場合、まず原典である経にかえり、経の勝劣によって諸宗を判別していくことが肝要なのである。

さてここで「経・論・釈」という概念に少し触れておきたい。

「経・論・釈」は仏法に関する一切の書物体系のことで、一般に、仏の説いた教法を「経」といい、それを仏弟子が論じて展開したものを「論」、さらにそれらの義を人師・論師が解釈したものを「釈」という。

日蓮大聖人は報恩抄に〝依法不依人〟を釈して「依法と申すは一切経・不依人と申すは仏を除き奉りて外の普賢菩薩・文殊師利菩薩乃至上にあぐるところの諸の人師なり」(0294:11)と述べられ、あくまで「経」によるべきであって「論・釈」によるべきではないことを明かされている。日蓮大聖人はあくまでも仏の説である経によってその勝劣を見極め、一切経の中で法華経が最第一であることを世に示されたのである。

 

然るに法華独り勝ると候はば心せばくこそ覚え候へ

 

問者の言葉であるが、この問いの背景に、大聖人当時の人々の宗教観、仏教観が反映していることを知らねばならない。否、当時に限らず、今日においても同じような宗教観を持っている人が多いであろう。

その宗教観とは、種々の宗派は経論を源としてそこから立てられたものであるから、帰着するところは同じであり、宗教に勝劣浅深があるわけがないとの考え方である。

この考え方に立つ者にとっては、日蓮大聖人が一代聖教の中で法華経のみ、独り勝れていると断定されると、たちまち、大きな疑惑にとらわれたのである。

その疑惑に対して、日蓮大聖人は、あくまで釈尊の教えによるべきであり、釈尊自身が法華経のみを真実と定められていることを強調されていく。日蓮大聖人の法華経独り勝るの主張は、あくまでも、仏説を根本にしていうことであるとの仰せである。そして、無量義経、法華経方便品、譬喩品の文、さらには、天台大師の法華玄義等の釈を引かれてこの主張を裏づけていかれるのである。

 

無量義経に云く「種種に法を説き種種に法を説くこと方便力を以てす四十余年未だ真実を顕さず」

 

なに故に、法華経のみが独り勝れているといえるのかとの問いの答えとして、まず、挙げられた重要な経文である。

無量義経は法華経の開経であるが、釈尊が成道以後四十余年間に説いた爾前の諸経を、あくまで真実を顕すための方便の教えであると規定した点で、大きな意味を持っている。釈尊の悟りの真実を顕す教えはいうまでもなく出世の本懐とされる法華経で説かれるのであるが、その前に、開経・無量義経で四十余年の爾前の諸経を方便の教えであって、いまだ真実を顕していない、とはっきりと述べたのである。

ここで、方便と真実の間の関係が重要になってくる。方便は、手だて、手段の意味であり、目的である真実をあらわすために仮に設ける手段の意味である。釈尊は、自らの悟りの真実をそのまま説いたのではまだ聞き受ける能力(機根)のととのっていない衆生には皆目分からず、かえって混乱を生ずるので、まず、衆生の機根を徐徐にととのえ、向上させるために、さまざまな爾前の諸経を説いたのである。そして、四十余年経って、機根が十分ととのった段階で、ついに、自らの悟りそのものを法華経として説いたのである。

無量義経の「種種に法を説くこと方便力を以てす」とは、爾前の諸経が釈尊の仏としての衆生を導く巧みな手段によって説かれたものということであり、同時に、それは衆生の機根に合わせた説き方であるから、「四十余年未だ真実を顕さず」ということなのである。

爾前の諸経、即ち方便と、法華経、即ち真実とは、部分と全体の関係になっている。そのことを、日蓮大聖人は、蒙古使御書の中でつぎのように明確に説かれている。

「外典の外道・内典の小乗・権大乗等は皆己心の法を片端片端説きて候なり、然りといへども法華経の如く説かず」(1473:08)と。即ち、爾前の諸経は、釈尊の悟りの真実を部分部分説いた教えにすぎないのに対し、法華経は全体をそのまま説いている、との意である。

したがって、無量義経のつぎの文である大荘厳等の領解(りょうげ)の文は、部分観にすぎない爾前の諸経を無量無辺不可思議阿僧祇劫という長期間、修行しても、無上菩提を成就することはできないことを明かし、この文を裏づけとして日蓮大聖人は、爾前の諸経を人師がどれだけ巧みに解釈し、そのうえに教えを構築しても、衆生を成仏に導くことはできない、と断定されているのである。

 

唯有一乗法・無二亦無三

 

法華経方便品の文で「十方仏土の中には 唯だ一乗の法のみ有り 二無く亦た三無し」とある。

一乗とは一仏乗ともいい、一は唯一無二ということであり、乗は乗り物の意で、迷いの衆生を乗せて成仏の悟りの境地におもむかせる教えをこのように譬えている。

無二亦無三とは、声聞・縁覚の二乗も、これに菩薩乗を加えた三乗も、本来は無く、すべて一仏乗の立場に帰入していくことを説いている。

法華経以前に説かれた諸経は、大きく小乗教の声聞乗・縁覚乗と大乗教の菩薩乗の三つに分けられる。そのなかで、権大乗教では声聞乗・縁覚乗は成仏不可能とされ、菩薩乗のみが強調されていたが、この方便品の文で、声聞乗も縁覚乗も菩薩乗もすべて一仏乗に記入すると説かれている。

これを、方便と真実の関係でいえば、爾前の諸経で三乗がべつべつに説かれたのは、一仏乗の真実に入らしめるための方便であったと明かしたのが、方便品の根本の意図なのであり、これを開三顕一とも三乗方便一乗真実ともいい、法華経迹門の主要な法門となっている。

それ故、方便品のこの文はまさに、法華経こそ釈尊の悟りの真実を明かした卓越した経典であることをはっきりと明言しているのである。

 

此等の文をうけて天台は将非魔作仏の詞正く此の文によれりと判じ給へり

 

此等の文とは、これまで引用されてきた、無量義経、法華経の文である。

無量義経の文は「四十余年未顕真実」を表し、法華経の方便品では、法華経の一仏乗のみが真実の法門であると説き、また、法華経譬喩品では、唯仏のみが衆生を救う大慈悲の当体であることを述べている。さらに、同じ譬喩品で、法華経を受持し余経の一偈をも受けてはならないと強く勧めると同時に、逆に、法華経を信ぜず、そむいたりすると、自らの仏種(仏になる可能性)を断ち、死後、無間地獄に堕ちると厳しく戒めている。

文中にある「将非魔作仏」とは「将に魔の仏に作りしには非ざるか」と読み、譬喩品の言葉である。

これは、釈尊の説法に前後相違のある故に、舎利弗等が抱いた疑問である。爾前四十余年の諸経の中で、それぞれ真実であると説きながら、最後の法華経にきて、それを逆転させて、爾前経は方便、法華経こそ真実と説き、それに止まらず法華経以外の余経を信ずるならば無間地獄に堕ちる、と説いたために、舎利弗等は驚いて、悪魔が仏に変じてこのような自語相違の言葉を吐くのであろうと疑ったというものである。

このことは、それほど、法華経の説法が、それまでの爾前の諸経に比べて、革命的で卓越したものであったということである。

 

 

第三章 権実相対して法華最第一を明かす

 問うて云く人師の釈はさも候べし爾前の諸経に此の経第一とも説き諸経の王とも宣べたり若し爾らば仏説なりとも用うべからず候か如何。答えて云く設い此の経第一とも諸経の王とも申し候へ皆是れ権教なり其の語によるべからず、之に依つて仏は「了義経によりて不了義経によらざれ」と説き妙楽大師は「縦い経有りて諸経の王と云うとも已今当説最為第一と云わざれば兼但対帯其の義知んぬ可し」と釈し給へり、此の釈の心は設ひ経ありて諸経の王とは云うとも前に説きつる経にも後に説かんずる経にも此の経はまされりと云はずば方便の経としれと云う釈なり、されば爾前の経の習として今説く経より後に又経を説くべき由を云はざるなり、唯法華経計りこそ最後の極説なるが故に已今当の中に此の経独り勝れたりと説かれて候へ、されば釈には「唯法華に至つて前教の意を説いて今教の意を顕す」と申して法華経にて如来の本意も教化の儀式も定りたりと見えたり。之に依つて天台は「如来成道・四十余年未だ真実を顕さず法華始めて真実を顕す」と云へり、此の文の心は如来・世に出でさせ給いて四十余年が間は真実の法をば顕さず法華経に始めて仏になる実の道を顕し給へりと釈し給へり。

 

現代語訳

問うていうには、人師の釈はいかにもそのとおりであろう。しかし、爾前の諸経に「此の経第一」とも「諸経の王」とも宣べている。もしそうならば、仏説であっても用いてはならないのであろうか。

答えていうには、たとい「此の経第一」とも「諸経の王」とも述べていようと、これらは皆権教である。その言葉によってはならない。このことを仏は「了義経に依るべきであって不了義経に依ってはならない」と説き、妙楽大師は「たとい経があって『諸経の王』というとも、已今当説最為第一といわなければ、兼但対帯(けんたんたいたい)の義によって方便の経と知るべきである」と釈されている。この釈の意は「たとい経があって『諸経の王』というとも、その経よりも前に説いた経にも、後に説かれる経にも、この経は勝れているといわなければ、方便の経と知りなさい」というものである。故に爾前の経の常として、今説いている経の後に、又経を説くべき由来をいわないのである。ただ法華経のみが、仏の最後の極説である故に「已今当の経々の中で此の経が独り勝れている」と説かれているのである。それ故、法華玄義釈籤には「ただ法華経に至って、爾前教が方便であるとの意を説いて、今教(法華経)の本意を顕した」といって、法華経において仏の本意も、教化の儀式も確定したと説いている。

これによって天台大師は「釈迦如来は成道して四十余年の間、未だ真実を顕さず、法華経で始めて真実を顕した」と述べている。この文の意は、如来が世に出られて四十余年の間は真実の法を顕さず、法華経で始めて仏になる真実の道を顕された、と釈されている。

 

語釈

已今当

已は過去、今は現在、当は未来をさす。法華経法師品第十に「我が説く所の経典は無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし。而も其の中に於いて、此の法華経は最も為れ難信難解なり」とある。天台大師はこの文を法華文句巻八上に、過去の説法(已説)とは、法華経以前に説かれた、いわゆる爾前の諸経、現在の説法(今説)とは法華経と同時期の無量義経、未来の説法(当説)とは法華経より後に説かれた涅槃経などをさすと釈している。

 

兼但対帯

兼・但・対・帯の併称。法華玄義巻一上に「華厳は兼、三蔵は但、方等は対、般若は帯、此の経は復た兼・但・対・帯無し」とある。「華厳は兼」とは華厳部の経は円頓の法を明かしているのであるが、またところどころに行布(※追記参照)の次第を述べ、円教に別教を兼ねているので「兼」という。「三蔵は但」とは小乗阿含部の経はただ経・律・論の三蔵のみを説いて、通・別・円の三教の理を明かさないことをいうので「但」という。「方等は対」とは方等部の経々は蔵・通・別・円の四教の機に対応して具に四教の法を説くところから「対」という。「般若は帯」とは般若部に共般若・不共般若があるが、不共般若は菩薩のみに説いて声聞・縁覚の二乗に共通しない別・円の二教をさし、共般若は声聞・縁覚・菩薩の三乗に共通する通教をさす。般若はこの不共に共を帯びて説くのであり、別・円二教と通教を帯びて説くゆえに「帯」という。したがって、阿含は円のみならず通・別さえも明かしていないから「爾前の円」に含まれず、華厳・方等・般若は円教を説いても、その経のなかに蔵・通・別の三種の教法をも存しているから「権を帯びた円」すなわち「帯権の円」になるのである。即ち前四時の経教は、円教を説く経でさえも方便を雑えて説くゆえに、純円一実の法華経に比べて劣ることを示している。

 

如来

仏の尊称である十号の一つ。梵語タターガタ(Tathāgata)の漢訳で、「真如(真実)から来た」という意味。もとは修行を完成した者の意で、諸宗教で用いられていたが、仏教では釈尊や諸仏の呼び名とされた。

 

講義

人師・論師の釈によらずに、あくまで仏説によれば、法華経こそ諸経中の王であり、一切衆生を成仏させる教えであるといわれたことに対し、問者は仏の説いた爾前の諸経典の中にも、それぞれ自らの教えを最第一とも、諸経の王ともいっているが、なぜ爾前の諸経を用いないか、と問うているのである。

確かに爾前の諸経にも、自らの経が第一であるとの文が多々ある。たとえば、大乗密厳経巻上には「是の如き密厳経は、一切経の中に勝れたり」とあり、金光明経巻一には「是の金光明は、諸経の王なり」とあり、六波羅蜜多経巻一には「総持門は契経等の中、最も第一なり」とある。また大智度論巻四十六には「此の諸経の中にて、般若波羅蜜は、最も大なるが故に摩訶衍(大乗)と説き」とある。このように、たしかに爾前の諸経にも自らの経が最勝であると説かれている。だが、権経であるがゆえに、その教説にはしたがってはならないのである。この点について、日蓮大聖人はその所以を諸経論を引かれて論証されている。そしてここは総じて、権実相対の立場から、法華経の実教こそを用うべきことを明かされているのである。

 

唯法華経計りこそ最後の極説なるが故に已今当の中に此の経独り勝れたりと説かれて候へ

 

釈尊の一代聖教の中で、法華経が極説中の極説であり、あらゆる経に対して独り勝れた経であることを結論されている。まず初めに涅槃経巻六で説かれる法の四依の譬えの中の「仏法の道理を完全に顕示した了義経に依って、衆生の機根にあわせて説いた方便の教えである不了義経に依ってはならない」の文を挙げ、さらに、天台大師・妙楽大師の疏釈を引いて、法華経が釈尊出世の本意を明かした経典であり、已今当の三説に超過した最勝の経典であることを示している。即ち、法華経法師品第十に「我が説く所の経典は無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし。而も其の中に於いて、此の法華経は最も為れ難信難解なり」と。天台大師はこの文を釈して法華文句巻八上には「已説とは爾前の四十余年の諸経、今説とは無量義経、当説とは涅槃経をいう」と述べている。また法華文句記巻七上には「縦い経有りて諸経の王と云うとも已今当説最為第一と云わざれば兼但対帯其の義知んぬ可し」とある。法華経は前後の諸経に比べて最も勝れており第一の経典であると説くが、爾前の諸経ではそれまでに説いた諸経と相対して第一と立てているのであって、たとい諸経の王と説いてもことごとく方便の教説であるとの意である。

日蓮大聖人は法華取要抄に「専ら本経本論を引き見るに五十余年の諸経の中に法華経第四法師品の中の已今当の三字最も第一なり」(0331:14)、また、開目抄では「此等の経文を法華経の已今当・六難・九易に相対すれば月に星をならべ九山に須弥を合せたるににたり」(0222:05)と説かれ、権実相対のうえで法華経と華厳・大日・涅槃等の諸経を比較して法華最勝の義を宣揚されている。つまり、釈尊は自ら已今当の三説、即ち過去の説法、現在の説法、そして未来の説法の中において法華経が最第一であることをはっきりと宣言しており、そこから釈尊の出世の本懐が法華経の説法にあったことを重ねて論証されているのである。

 

 

 

第四章 二乗作仏を示し法華の帰依を勧める

問うて云く已今当の中に法華経・勝れたりと云う事はさも候べし、但し有人師の云く四十余年未顕真実と云うは法華経にて仏になる声聞の為なり爾前の得益の菩薩の為には未顕真実と云うべからずと云う義をばいかが心得候べきや。答えて云く法華経は二乗の為なり菩薩の為にあらず、されば未顕真実と云う事二乗に限る可しと云うは徳一大師の義か此れは法相宗の人なり、此の事を伝教大師破し給うに「現在の麤食者は偽章数巻を作りて、法を謗じ人を謗ず何ぞ地獄に堕せざらんや」と破し給ひしかば徳一は其の語に責められて舌八にさけてうせ給いき。未顕真実とは二乗の為なりと云はば最も理を得たり、其の故は如来布教の元旨は元より二乗の為なり一代の化儀・三周の善巧・併ら二乗を正意とし給へり、されば華厳経には地獄の衆生は仏になるとも二乗は仏になるべからずと嫌い、方等には高峯に蓮の生ざるように二乗は仏の種をいりたりと云はれ、般若には五逆罪の者は仏になるべし二乗は叶うべからずと捨てらる、かかる・あさましき捨者の仏になるを以て如来の本意とし法華経の規模とす。之に依つて天台の云く「華厳大品も之を治すること能わず唯法華のみ有りて能く無学をして還つて善根を生じ仏道を成ずることを得せしむ所以に妙と称す、又闡提は心有り猶作仏す可し二乗は智を滅す心生ず可からず法華能く治す復称して妙と為す」と云云、此の文の心は委く申すに及ばず誠に知んぬ華厳・方等・大品等の法薬も二乗の重病をばいやさず又三悪道の罪人をも菩薩ぞと爾前の経にはゆるせども二乗をばゆるさず。之に依つて妙楽大師は「余趣を実に会すること諸経に或は有れども二乗は全く無し故に菩薩に合して二乗に対し難きに従つて説く」と釈し給えり、しかのみならず二乗の作仏は一切衆生の成仏を顕すと天台は判じ給へり、修羅が大海を渡らんをば是れ難しとやせん、嬰児の力士を投ん何ぞたやすしとせん、然らば則ち仏性の種あるものは仏になるべしと爾前にも説けども未だ焦種の者作仏すべしとは説かず、かかる重病を・たやすく・いやすは独り法華の良薬なり。只須く汝仏にならんと思はば慢のはたほこをたをし忿りの杖をすてて偏に一乗に帰すべし、名聞名利は今生のかざり我慢偏執は後生のほだしなり、嗚呼恥づべし恥づべし恐るべし恐るべし。 

 

現代語訳

問うていうには、已今当の三説の中で、法華経が最も勝れているということは、いかにもそのとおりであろう。但しある人師の「四十余年未顕真実というのは法華経によって仏になる声聞のための言葉であり、爾前の諸経で得益した菩薩のためには、未顕真実というべきではない」という義をどのように心得るべきであろうか。

答えていうには、「法華経は二乗のために説かれた経であり、菩薩のためではない。ゆえに未顕真実ということは二乗に限るべきである」というのは、徳一大師の義である。これは法相宗の人である。このことを伝教大師が「現在の麤食者は偽りの書物を数巻作って正法を謗り、人を謗っている。どうして地獄に堕ちずにいようか」と破折されたので、徳一はこの言葉に責められて舌が八つに裂けて死んでいった。

しかし「未顕真実」とは二乗のためであるというのは最も道理を得ている。そのゆえは釈尊の布教の根元の趣旨は、もとより二乗の得道のためである。釈尊一代の化儀、三周の巧みな説法も、ことごとく二乗を正意とされたのである。それゆえ華厳経には、地獄の衆生は仏になっても二乗は仏になることができないと嫌い、方等経典には、高い峯に蓮が生じないように、二乗は仏の種子を焦った衆生であるといわれ、般若経には五逆罪の者は仏になるが、二乗は成仏が叶わないと捨てられている。このようにあわれな捨てられ人が仏になることをもって仏の本意とし、法華経の規模とするのである。

それゆえ、天台大師は、摩訶止観巻六下に「華厳経、大品般若経も二乗を治すことはできない。ただ法華経のみがよく無学の二乗に善根を生じさせ、仏道を成就させることができる。故に妙と称する。また一闡提にも心があるから、やはり仏になることができる。しかし二乗は智慧を滅するので、菩提心を生ずることができない。法華経はよくそれを治す。ゆえに妙と称するのである」と。この文の意はくわしくいうにはおよばない。まことに華厳・方等・大品般若等の法薬も、二乗の重病をいやさず、また三悪道の罪人をも菩薩であるとして爾前の諸経には成仏を許しているが、二乗の成仏を許さないのである。

これによって妙楽大師は法華玄義釈籤巻二に「余趣の衆生を仏道に会入させることは諸経にも説かれているが、二乗についてはまったく説かれていない。ゆえに余趣を菩薩に合して、二乗に対して、その難き二乗の作仏を示して法華経の力用を説いたのである」と釈している。そればかりでなく「二乗の作仏は、一切衆生の成仏を顕す」と天台大師は判じている。修羅が大海を渡るのをむずかしいとするだろうか。幼児が力士を投げることをどうしてたやすいといえようか。そうであるならば、則ち仏性の種子のあるものは仏になる、と爾前経にも説くけれども、いまだ焦種の者(二乗)が仏になるとは説かれず、このような重病をたやすく治すのは、独り法華の良薬だけである。

ただあなたが仏になろうと思うならば、慢心のはたほこを倒し、瞋りの杖を捨てて、ひとえに一仏乗の法華経に帰依すべきである。名聞名利は今生だけの飾りであり、我慢や偏執は後生の足かせである。まことに恥ずべきであり、恐るべきことである。

 

語釈

徳一大師

生没年不明。得一、徳溢とも書く。平安時代初期の法相宗の僧。藤原仲麻呂の子と伝える。出家して興福寺の修円について法相宗を学び、東大寺で弘教した。のち常陸国筑波山に中禅寺を開き、また奥州会津に慧日寺を創建した。法華一乗は権教であるとし、三乗真実・一乗方便の説を立て、伝教大師とのあいだにしばしば法論をたたかわした。著書に「仏性抄」一巻、「中辺義鏡」三巻、「中辺義鏡残」二十巻、「恵日羽足」三巻などがある。

 

法相宗

南都六宗の一つ。解深密経、瑜伽師地論、成唯識論などの六経十一論を所依とする宗派。中国・唐代に玄奘がインドから瑜伽唯識の学問を伝え、窺基(慈恩)によって大成された。教義は、五位百法を立てて一切諸法の性相を分別して体系化し、一切法は衆生の心中の根本識である阿頼耶識に含蔵する種子から転変したものであるという唯心論を説く。また釈尊一代の教説を有・空・中道の三時教に立て分け、法相宗を第三中道教であるとした。さらに五性各別を説き、三乗真実・一乗方便の説を立てている。日本伝来については四伝あり、道昭が孝徳天皇白雉4年(0653)に入唐し、玄奘より教えを受けて、斉明天皇6年(0660)帰朝して元興寺で弘通したのを初伝とする。

 

麤食者

伝教大師が法華秀句および守護国界章の中で、法相宗の徳一を呵責した語。いまだ法華の醍醐味も知らず、爾前権経の粗食で満足している者との意。

 

一代の化儀

釈尊一代の化導の儀式・方式のこと。仏が衆生を、小乗から大乗へと誘引し、一仏乗の法華経に帰入させる形式をいう。天台大師はこれを法華文句巻一上で、四種に分類して化儀の四教を立てた。

 

三周の善巧

三周の説法のこと、善巧は仏が巧みな方便をもって衆生を教化・化導すること。三周の説法とは法華経方便品第二から人記品第九に至る法説周・譬説周・因縁周の三段階の説法の形式をいう。爾前の諸経では永不成仏とされていた声聞に対し、仏はその機根に応じて三段階の法門を説き、成仏の記別を授けた。

 

華厳経には地獄の衆生は仏になるとも二乗は仏になるべからず

地獄の衆生は成仏できても、二乗は成仏できないとの意。ただし華厳経にはこれに相当すする文は見当たらない。華厳経巻五十一に「如来の智慧の大薬王樹は唯二処に於ては生長の利益を作すこと能わず。謂ゆる二乗の無為広大の深坑に堕するものと、及び善根を壊する非器の衆生の大邪見貪愛の水に溺るるものとなり」等の二乗不作仏の文があり、これらの経文の義を取ったものと思われる。

 

無学

有学に対する語。すでに学をきわめ、学ぶべきものがなくなった位、またはその境地。声聞の四果の第四、阿羅漢果のこと。

 

善根

善を木の根に譬え、善を生ずるもとになるものをいう。

 

闡提

一闡堤のこと。一闡提は梵語イッチャンティカ(Icchantika)の音写で、一闡底迦とも書き、断善根・信不具足と訳す。正法を信ぜず、成仏する機縁のない衆生をいう。

 

焦種の者

二乗(声聞・縁覚)のこと。焦種とは焼種・燋穀種ともいい、焼いた種のことで、二乗の仏性を譬えたもの。焦種が芽を出さないのと同じように二乗は成仏できないことをあらわしている。

 

我慢偏執

おごり高ぶった心にとらわれ、偏った考えに執着すること。

 

講義

前章で「四十余年未顕真実」を挙げられたのに対し、この「未顕真実」は二乗の作仏に限るとの法相宗の義をとりあげられている。この答えの要旨は、たしかに二乗作仏が正意であるが、二乗作仏に限るのではなく、それによって一切衆生の成仏の法が確立されたところに法華経のすぐれているゆえんがある、ということである。声聞・縁覚の二乗は、身心を滅尽して空寂に帰することを目的として修行した。そのために低い悟りに満足し、他者を救済する心を失っているゆえに、権大乗の諸経では永久に成仏できない衆生であると弾呵された。法華経に至って初めて二乗作仏の記別が与えられたのである。

このように、最も至難な二乗作仏をもって一切衆生皆成仏道が可能になったのであり、法華経第一の証拠なのである。

したがって「未顕真実とは二乗の為なりと云はば最も理を得たり」とあるように、四十余年間の爾前の諸経が未顕真実なのは、あくまで二乗が作仏できないからであるという点については、道理に叶っている。

しかしながら「二乗の作仏は一切衆生の成仏を顕すと天台は判じ給へり」とあるように、法華経迹門において、二乗の成仏が説かれることによって十界すべての衆生の成仏が等しく可能となったのである。一切衆生を平等に成仏に導くという仏の目的がここに完成されたのであり、その意味からも法華経が最高究極の法であると述べられているのである。

本抄の最後で、「只須く汝仏にならんと思はば慢のはたほこをたをし忿りの杖をすてて偏に一乗に帰すべし、名聞名利は今生のかざり我慢偏執は後生のほだしなり」とあるように、法華経は二乗をはじめ一切衆生の成仏を平等に説いている最高の経典であるが、法華経に身心ともに帰依することなしに成仏はできない。成仏をめざすなら、自らの慢心・怒り・名聞名利・我慢偏執を捨てて、素直に法華経を受持すべきであると厳しく述べられている。

御書に「地獄も仏界も一如なれば成仏決定するなり所謂南無妙法蓮華経の受持なり」(0791:04、御義口伝)とある。末法今時の信心は受持即観心であり、身口意の三業にわたって妙法を受持することに尽きる。慢心、忿り、名聞名利等は、この妙法の受持を妨げ、信心向上を阻止する働きを持っているので厳しく戒められているのである。

名聞名利の人生は今世だけの虚飾であり、我慢と偏執の心は未来成仏の妨げでしかないのである。結局、いかなる人であっても純粋な信仰を貫く人生ほど尊いものはないと知るべきである。

 

 

第五章 法華経の信受を勧める

問うて云く一を以て万を察する事なれば・あらあら法華のいわれを聞くに耳目始めて明かなり、但し法華経をば・いかように心得候てか速に菩提の岸に到るべきや、伝え聞く一念三千の大虚には慧日くもる事なく一心三観の広池には智水にごる事なき人こそ其の修行に堪えたる機にて候なれ、然るに南都の修学に臂をくたす事なかりしかば瑜伽唯識にもくらし北嶺の学文に眼を・さらさざりしかば止観玄義にも迷へり、天台・法相の両宗はほとぎを蒙りて壁に向へるが如し、されば法華の機には既にもれて候にこそ何んがし候べき。答えて云く利智精進にして観法修行するのみ法華の機ぞと云つて無智の人を妨ぐるは当世の学者の所行なり是れ還つて愚癡邪見の至りなり、一切衆生・皆成仏道の教なれば上根・上機は観念・観法も然るべし下根下機は唯信心肝要なり、されば経には「浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は地獄・餓鬼・畜生に堕ちずして十方の仏前に生ぜん」と説き給へり、いかにも信じて次の生の仏前を期すべきなり。譬えば高き岸の下に人ありて登ることあたはざらんに又岸の上に人ありて繩をおろして此の繩にとりつかば我れ岸の上に引き登さんと云はんに引く人の力を疑い繩の弱からん事をあやぶみて手を納めて是をとらざらんが如し争か岸の上に登る事をうべき、若し其の詞に随ひて手をのべ是をとらへば即ち登る事をうべし。唯我一人・能為救護の仏の御力を疑い以信得入の法華経の教への繩をあやぶみて決定無有疑の妙法を唱へ奉らざらんは力及ばず菩提の岸に登る事難かるべし、不信の者は堕在泥梨の根元なり、されば経には「疑を生じて信ぜざらん者は則ち当に悪道に堕つべし」と説かれたり。

 

現代語訳

問うていうには、一をもって万を推察するのであるから、あらあら法華経が他経に勝れる趣旨を聞いて、耳目が初めて明らかになった。しかし法華経をどのように心得て修行することが、速やかに菩提の岸に至るのであろうか。伝え聞くところによると、一念三千の法門の大空には智慧の日の光が輝いて曇ることがなく、一心三観の広大な池には、智水の水が濁ることのない人こそ、その修行に堪えられる機根であるという。ところが、私は奈良の都の修学に臂をくだくほど励むことがなかったので、瑜伽・唯識の法門にもくらい。また比叡山延暦寺の学文に眼をさらさなかったから、摩訶止観や法華玄義の法門にも迷うばかりである。天台や法相の両宗については、鉢を頭にかぶって壁に向かっているのと同じである。そうかといって法華経によって得道する機根にはすでにもれている。どうしたらよいのであろうか。

答えていうには、智慧がすぐれておりただひたすら精進して観法の修行をする人のみが法華経の機根であるといって、無智の人を妨げるのは今の世の学者の所行である。これはかえって愚癡・邪見の至りである。法華経は一切衆生皆成仏道の教えであるから、上根・上機の者は観念・観法もよいであろう。ただし下根・下機の者はただ信心が肝要である。故に法華経提婆達多品第十二には「浄心に信じ敬って疑惑を生じない者は地獄・餓鬼・畜生に堕ちることなく、十方の仏前に生ずるであろう」と説かれているのである。なんとしても法華経を信じて、つぎの世に仏前に生まれることを期すべきである。

たとえば、高い岸壁の下に人がいて登ることができないときに、また岸の上に人がいて繩をおろし「この繩にとりつけば、私が岸の上に引いて登らせよう」というのに、引く人の力を疑い、繩が弱いのではないかと危ぶんで、手を出さず縄を取らないようなものである。どうして岸の上に登ることができようか。もしその人の言葉に随って、手を差し出し縄をつかめば即ち登ることができるのである。

唯我一人・能為救護(唯我れ一人が能く衆生を救い護る)の仏の御力を疑い以信得入(信を以て入ることを得)の法華経の教えの繩を危ぶんで決定無有疑(決定して疑いのあることがない)の妙法を唱えなければ、仏の力も及ばず、菩提の岸に登ることもむずかしいのである。不信は地獄に堕ちる根元である。故に法華経従地涌出品第十五には「疑いを生じて信じない者は即ち悪道に堕ちるのである」と説かれているのである。

 

語釈

南都

奈良(平城京)のこと。京都(平安京)を北都というのに対していう。また京都の比叡山に対して、奈良の興福寺をさす。

 

瑜伽唯識

瑜伽論と唯識論のこと。いずれも法相宗の所依の論である。瑜伽論は瑜伽師地論の略。弥勒説(漢訳)または無著説(チベット訳)。玄奘訳・百巻が有名。瑜伽は相応と訳し、一切の境・行・果・教が互いに相応することをいう。師地は三乗の行者が聞思等によって次第に瑜伽を習行して境界を深め、それぞれの分に従って諸の有情を教化することをいう。唯識論には世親作の唯識三十頌(玄奘訳・一巻)と唯識二十論(玄奘訳・一巻)、護法作の成唯識論(玄奘訳・十巻・唯識三十頌の註釈書)などがあり、諸法はすべて心識の転変によって生じた仮の存在であり、心識のみが実在するという万法唯識の法門を説いている。

 

北嶺

比叡山延暦寺のこと。奈良の興福寺に対していう。

 

ほとぎを蒙り……

ほとぎは、①壺状の器。②口が広く酒や水を入れる鉢のこと。保元物語下に「瓫を蒙り壁に向かうが如し」とあるが、前途のまったくわからないという意で用いている。ここでは、天台宗や法相宗は教義が難解で、はちをかぶって壁に向かって修行するようなもので、到底理解することができないとの意で使われている。

 

経には「浄心に信敬……」

法華経提婆達多品第十二の文。「未来世の中に、若し善男子・善女人有って、妙法華経の提婆達多品を聞いて、浄心に信敬して、疑惑を生ぜずば、地獄・餓鬼・畜生に堕ちずして、十方の仏前に生ぜん」とある。

 

唯我一人・能為救護

法華経譬喩品第三の文。「唯だ我れ一人のみ能く救護を為す」と読み下す。仏のみが一切衆生を救う力があること。同品に「今此の三界は皆な是れ我が有なり其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり而るに今此の処は 諸の患難多し唯だ我れ一人のみ 能く救護を為す」とある。

 

以信得入

法華経譬喩品第三の文。「信を以て入ることを得たり」と読み下す。智慧第一とたたえられた舎利弗ですら、信によって初めて法華経に示される仏の智慧の境涯に入ることができたこと。

 

決定無有疑

法華経如来神力品第二十一の末尾の文。「(是の人は仏道に於いて)決定して疑い有ること無けん」と読み下す。釈尊滅後に法華経の功徳を聞いてこの経を受持すれば、その人が仏道を成就することは疑いないということ。

 

堕在泥梨

地獄に堕ちること。泥梨は梵語ニラヤ(Niraya)の音写。泥黎とも書き、地獄の意。

 

経には「疑を生じて……」

法華経従地涌出品第十五に「若し此の経に於いて 疑いを生じて信ぜざること有らば 即ち当に悪道に堕つべし」とある。

 

講義

前章において、法華経が出離生死の大法であることが明らかにされたが、そのようなすばらしい法華経は凡夫の身では修行できないのではないか、という問いが設けられたのが本章である。それに対して、法華経の修行は信が根本であり、万人が修行できる法であることを示されている。

 

一切衆生・皆成仏道の教なれば上根・上機は観念・観法も然るべし下根下機は唯信心肝要なり

 

この御文には、像法時代の天台宗が一部の階級のみのものになったことへの指摘と、法華経の修行を困難であるとして排斥しようとしている当時の邪宗教の考え方への鋭い破折が含まれている。

法華経は他経で否定している二乗作仏や悪人・女人の成仏を説いており、一切衆生が皆、成仏できるとする教えを鮮明にしている。にもかかわらず、一部の者しか修行や理解ができなかったのはなぜか。天台大師や伝教大師によって南三北七、南都六宗の非が明らかとなり、社会から天台宗の正しさが認められたことは歴史の示すところである。それにより、権威ある存在となり、後にそれが形骸化して貴族階級の師弟の専有物と化していったことが、理由の一つとして挙げられよう。しかし、最も大きな原因はやはり、その修行法が困難であることであろう。その故に、本抄でもこの疑問が設けられているのである。

天台宗では観念・観法の修行を説いている。天台大師は、法華経方便品第二の諸法実相の文を根本にして、衆生の起こす一念心に三千の諸法を具すことを明らかにした。これを天台の一念三千の法門という。この理法を体得する実践として一心三観の修行を説いた。これは己心の一念を観じて、そこに三千の諸法が円満にそなわっていることを感得する修行であり、三観とは、一念のなかに空仮中の三諦が円有相即して欠けることなくそなわっていると観ずることをいう。この修行を観念観法とも止観ともいうのである。

こうした観念観法の修行は、必然的に禅定を中心とした、脱社会的な方法をとることになる。事実、坐禅の方法を確立したのは天台大師である。しかも、思索をこらして究極の法たる一念三千の法門に迫ることは、まさしく上根・上機でなければできない難事でもある。

ここに、天台宗が一部の者のみの所有物となり、民衆から遊離していった根本原因があるといってよい。そしてそれが、浄土宗などから「千中無一」「未有一人得者」と批判される口実を与えたともいえよう。

しかも、大聖人御在世の時代には、観心の修行を重んずるあまり、止観が法華経にまさるという曲論を展開し、本末転倒の姿を示すまでになったのである。「立正観抄」に「当世天台の教法を習学するの輩多く観心修行を貴んで法華本迹二門を捨つと見えたり」(0527:01)と、その風潮を厳しく指弾されている。止観と法華の勝劣は、与えていっても止観は法華迹門の分にすぎないのであり、奪っていえば大蘇開悟を根本にしているのであるから爾前権教、別教の分斉であるということができる。その勝劣は天地の開きがあるといってよい。

こうした状況のなかで考えてみれば、日蓮大聖人が「上根・上機は観念・観法も然るべし」といわれているのは、まだ容認の立場で与えていわれたものと拝せられる。末法は三毒強盛の衆生であり、上根・上機の者はいないばかりか、天台宗の観念観法自体が本末転倒の姿を示しているのであるから、この修行法では、いかなる衆生も成仏することはできないのである。

末法においては「唯信心肝要なり」といわれているように、たとい下根下機の者であっても「信」によって仏の智を得、成仏の道を歩むことができるのである。「以信代慧」とはこのことであり、どのような機根の者であっても、成仏を可能にしたところに法華経の偉大さがあることを知らねばならない。

天台宗の行き過ぎもさることながら、法華経は上根上機の者でなければ悟ることはできないというのは、当時の浄土宗をはじめとした諸宗の卑劣な妨害である。自らの教義と比較して争おうとするのではなく、「理深解微(りじんげみ)」等といって、ことさら法華経を讃歎しているかのようにみせかけながら、かえってその修行の道を閉ざそうとすることほど、悪質なことはない。そうした当時の諸宗の邪論を鋭く破折されているのである。

もとより、五濁悪世の末法の衆生はすべて三毒熾盛の下根下機であり、末法においては、観念観法によって成仏する者は誰もいないのである。妙法への「信心」によってのみ皆成仏道の教えにかなうのであり、そこに「肝要」といわれている意味がある。

また、考え方を変えていえば「下根下機」といわれていることは、日蓮大聖人の仏法こそ、あらゆる民衆を救いきる教えであり、最も苦しみ、悩んでいる人々こそ、真っ先に幸せにしていく、庶民のための仏法であることを示しているともいえよう。そこにこそ、一切衆生皆成仏道の法華経の意義があるのである。

 

唯我一人・能為救護の仏の御力を疑い以信得入の法華経の教への繩をあやぶみて決定無有疑の妙法を唱へ奉らざらんは力及ばず菩提の岸に登る事難かるべし、不信の者は堕在泥梨の根元なり

 

法華経を信ずることによって一切衆生が成仏できることは前述してきたが、逆に法華不信の者は成仏できないことは当然であり、不信謗法の故に地獄に堕ちることになる。仏を「疑い」、法華経を「あやぶみて」とはまさしく「不信」である。その不信にとらわれて決定無有義の南無妙法蓮華経を唱えることをしないならば、菩提を成ずることができないばかりか、地獄の苦をうけることになるのである。まさに法華経譬喩品第三に「若し人は信ぜずして 此の経を毀謗せば 則ち一切世間の 仏種を断ぜん……其の人は命終して 阿鼻獄に入らん」とあるとおりである。

いかに仏に力があろうとも、また法華経が最高の教えであっても、それを信じ行じなければ、成仏は思いもよらない。法華経は、信の一字によって成仏することができる教えである故に、逆に法華不信ほど恐ろしいものはないのである。それ故、いかなる艱難辛苦があろうとも御本尊を信じぬいていくことこそ、最も肝要であるということを知るべきである。

 

 

第六章 法華信受の功徳を示す

受けがたき人身をうけ値いがたき仏法にあひて争か虚くて候べきぞ、同じく信を取るならば又大小・権実のある中に諸仏出世の本意・衆生成仏の直道の一乗をこそ信ずべけれ。持つ処の御経の諸経に勝れてましませば能く持つ人も亦諸人にまされり、爰を以て経に云く「能く是の経を持つ者は一切衆生の中に於て亦為第一なり」と説き給へり大聖の金言疑ひなし、然るに人此の理をしらず見ずして名聞・狐疑・偏執を致せるは堕獄の基なり。只願くは経を持ち名を十方の仏陀の願海に流し誉れを三世の菩薩の慈天に施すべし、然れば法華経を持ち奉る人は天竜八部・諸大菩薩を以て我が眷属とする者なり、しかのみならず因身の肉団に果満の仏眼を備へ有為の凡膚に無為の聖衣を著ぬれば三途に恐れなく八難に憚りなし、七方便の山の頂に登りて九法界の雲を払ひ無垢地の園に花開け法性の空に月明かならん、是人於仏道・決定無有疑の文憑あり唯我一人・能為救護の説疑ひなし。一念信解の功徳は五波羅蜜の行に越へ五十展転の随喜は八十年の布施に勝れたり、頓証菩提の教は遙に群典に秀で顕本遠寿の説は永く諸乗に絶えたり。爰を以て八歳の竜女は大海より来つて経力を刹那に示し本化の上行は大地より涌出して仏寿を久遠に顕す言語道断の経王・心行所滅の妙法なり。

 

現代語訳

受けがたい人身をうけ、あいがたい仏法にあいながら、どうして一生をむなしく過ごしてよいものか。同じく仏法を信ずるならば、大小・権実とあるなかには、諸仏出世の本意であり衆生の成仏の直道である法華一乗をこそ信ずべきである。

持つところの法華経が諸経に勝れていれば、能く持つ人もまた諸人に勝れるのである。このことを法華経薬王菩薩本事品第二十三には「能くこの経を持つ者は、一切衆生の中でまた第一である」と説かれている。仏の金言は疑いないのである。ところが世間の人は、この道理を知らず、また見もしないで、名聞を求め、疑い深く、偏見に固執しているのは地獄に堕ちるもとである。

ただ願うところは、法華経を持ち、名を十方の諸仏の誓願の海に流し、誉れを三世の菩薩の慈悲の天に施すべきである。そうすれば、法華経を持つ人は、天竜等の八部衆や諸大菩薩を自分の眷属とする者である。そればかりでなく、因位にある凡夫の身の肉団に果位円満の仏眼をそなえ、有為の凡身に無為の聖衣を着たことになるから、三途にあっても恐れなく、八難所にあっても憂いはない。七方便の山の頂に登って九法界の迷いの雲を払い、無垢地の園に花は開き、法性の空に月は明らかとなるであろう。法華経如来神力品第二十一の「法華経を受持する人が、仏道を成就することは疑いない」との文は頼りになり、法華経譬喩品第三の「ただ我一人のみが、よくこの三界の衆生を救護する」との仏説も疑いない。

一念信解の功徳は、五波羅蜜の修行を越えており、五十展転の随喜の功徳は、八十年間の布施よりも勝れている。すみやかに菩提を証得する教えは、はるかにあらゆる経典に秀で顕本遠寿の説(仏の久遠の寿命を明かした説)は、諸余の経典にはながく絶えてないのである。

このような次第で、八歳の竜女は大海から霊鷲山にきて即身成仏の経力を一瞬に示し、本化の上行菩薩は大地から涌出して仏の寿命が久遠であることをあらわした。まさしく法華経は言語で表現することのできない不可思議の経王であり、心の思慮分別の遠く及ばない妙法である。

 

語釈

名聞

名聞名利・名聞利養のこと。俗世間の地位・名誉・財産・評判等を追い求めることをいう。

 

狐疑

狐は疑い深い動物だといわれるところから、疑い深く事に臨んでためらうことをいう。

 

偏執

片寄った見解に偏えに執着すること。

 

十方の仏陀の願海

三世十方の諸仏の誓願のこと。仏は菩薩のときから、仏法を求め一切衆生を救おうとして、海のように広く深い誓いや願いがあること。願海とは、誓願が深大であることを大海に譬えている。

 

三世の菩薩の慈天

一切衆生を救済しようとする三世十方の菩薩の慈悲が、天のように広大であること。慈天とは、菩薩の慈悲が一切を覆い、養うさまを天に譬えた語。

 

有為・無為

有為とは無為に対する語。有為法ともいう。因と縁が仮に和合して生じた現象や存在のこと。倶舎論巻五には「有為の法には必ず生・住・異・滅の四相があり、常住ではないと説かれている」。無為とは無為法ともいう。因縁によって作られることなく、生滅変化のない常住不変の真理(真如)のこと。大毘婆羅論巻七十六に「若し法にして、性無く滅無く、因無く果無くして無為相を得るものなれば、是れ無為の義なり」とある。

 

三途

亡者の行くべき三つの途。猛火に焼かれる火途(地獄道)、刀剣・杖で強迫される刀途(餓鬼道)、互いに食い合う血途(畜生道)の三つをいう。三悪道、三悪趣と同義。

 

八難

仏を見ず、仏法を聞くことができない八種類の難所をいう。一代五時継図に「一、八難処の事 弘決の四に云く北州と及び三悪に長寿天と並びに世智弁聡と仏前仏後と・諸根不具を加う、是を八難と為すと文」と。すなわち①地獄・②餓鬼・③畜生・④長寿天・⑤鬱単越(北州)・⑥盲聾瘖啞(諸根不具)・⑦世智弁聡・⑧仏前仏後のことで、八難処、三途八難ともいう。

 

七方便

七種の方便の位のこと。(一)声聞の修行位中、七賢位のこと。見道の聖位に入る前の方便の行位。(二)天台所立の七方便で二種ある。①法華経薬草喩品によって立てた、人・天・声聞・縁覚・蔵教の菩薩・通教の菩薩・別教の菩薩の七種の人。②蔵教の声聞・縁覚・菩薩、通教の声聞・縁覚・菩薩、別教の菩薩の七種の人。ここでは(二)の①の意。

 

九法界

九界のこと。十法界(十界)のなかの仏界を除いた地獄から菩薩までの九界をいう。九法界は迷いの境界をさす。

 

無垢地

菩薩十地の第二、離垢地のこと。種々の煩悩の垢(あか)を離れた清浄な境地の意。②等覚の位のこと。五十二位のなかの五十一位。等覚とは、仏の覚り(妙覚)と等しい菩薩の最高位のこと。ここでは仏または仏と等しい境界に譬えて「無垢地の園」と仰せられたものであろう。

 

是人於仏道・決定無有疑

法華経神力品第二十一に「我が滅度の後に於いて 応に斯の経を受持すべし 是の人は仏道に於いて 決定して疑い有ること無けん」とある。

 

一念信解

法華経分別功徳品第十七に「能く一念の信解を生ぜば、得る所の功徳は、限量有ること無けん」とある。法華経を聞いてわずかに信解の心を起こすこと。法華経の修行者のなかで、最も初歩の位である。法華経修行の四段階(四信)の第一。それでも、この一念信解の功徳と比べるならば、八十万億那由佗劫にわたる五波羅蜜(後掲)を行ずる功徳は、百千万億分の一にも及ばない、と説かれている。

 

五波羅蜜

菩薩の持つべき五種の修行。六波羅蜜のうち般若(智慧)波羅蜜を除いたもの。波羅蜜は梵語パーラミター(Pāramitā)の音写で、度・到彼岸と訳す。檀那(布施)・尸羅(持戒)・羼提(忍辱)・毘梨耶(精進)・禅那(禅定)の五種の波羅蜜をいう。これに、般若(智慧)波羅蜜を加えて六波羅蜜、または六度という。

 

五十展転

仏の滅後に法華経を聞いて随喜して人に伝え、その人もまた聞きおわって随喜して人に伝え、このようにして順次に人に伝えて五十人目に至ること。法華経随喜功徳品第十八に「第五十の人の展転して法華経を聞いて随喜せん功徳すら、尚お無量無辺阿僧祇なり。何に況や最初、会中に於いて聞いて随喜せん者をや」とある。展転とは、ころがる、めぐりうつるの意で、教法を人から人へと伝えていくこと。この五十番目の人が法を聞いて随喜する功徳は、四百万億阿僧祇の世界の衆生に八十年にわたり楽具、珍宝等を供養し、阿羅漢果を得させる功徳よりも、はるかにすぐれると説いている。化他の功徳を欠く五十番目の者でさえ功徳が絶大であることを説いて、一番目の自行・化他を具足する者の功徳がいかに大きいかをあらわしている。

 

頓証菩提

すみやかに菩提(仏の悟り・仏の智慧)を証得すること。頓はすみやか。法華経は即身成仏の教えであるところからいう。

 

顕本遠寿

「本の遠寿を顕す」と読み下す。仏の久遠の本地を顕し、無死無終の長遠の寿命を示すこと。法華経本門の中心をなしている法門。発迹顕本・開近顕遠と同義。法華文句記巻十下には「此の経は……顕本遠寿を以て其の命と為す」とある。

 

講義

本章は、引き続き前章の問答の答えの部分で、法華経の信受を勧め、一念信解の功徳が大きいことを明かされている。

 

受けがたき人身をうけ値いがたき仏法にあひて争か虚くて候べきぞ

 

仏法においては三世の生命を説いている。そしてそれぞれの業によって、さまざまな生を受けるとされている。正法を誹謗すれば、無数劫のあいだ阿鼻獄に堕ちると説かれ、たといそれを過ぎても、人身を受けることはまことにまれであり、蛇身となったり、野犬となったり、また牛馬となって、小虫に食われたり人々から迫害され使役されたりすると説かれている。その他、さまざまな業因に応じた生を受けていくが、善業をなすことが少ない故に、人界に生を受けることは、まことに難しいのである。

もちろん、法華経においては、一切の生命が一念三千の当体であると説いているから、理のうえにおいては平等である。しかし、人間は「聖道正器」として、仏道を修める正しい器という、大きな価値をもっている。仏道修行ができるのは、人間だけなのである。したがって、いかに一念三千の当体であっても、その一念三千の当体であることを事相のうえにあらわすこと、即ち自ら修行して成仏の姿を示すことは、人間にしかできないことは、いうまでもない。

その故に人間界に生を受けることは、仏法の道理からいって、まことに尊いことなのである。私達はまず、人界に生を受けたことを喜ばねばならない。

しかし、では人間界に生を受ければ、それでよいかというと、そうではない。一念三千の当体として、成仏への道を説いた法にあわなければ成仏できないのは当然である。その故に、第二に、正法にめぐりあうことが重要になるのである。

ところが、この正法にあうということがまた、なかなかの難事である。日寛上人は「三重秘伝抄」のなかで、その困難なことについて、三つの点から教えられている。

即ち①仏が世に出ることが難しい。②たとい世に出ても法を説くことがなかなかない。③たとい法を説いても信受することが難しい、ということである。

たしかにこの地球の世界にあっても、かつて釈尊が出現し、末法において日蓮大聖人が御本仏として出現されたのみである。多宝仏のごときは、出現しても法を説いていない。そこに、正法にあうことの困難さがわかるのである。

現在の世界で考えてみても、大聖人の偉大な仏法がこの世界に存在していることさえまだ知らない人々が、知った人よりも、はるかに多い。大聖人の仏法が着々と広まっている今日の時代にあってもそうであるから、かつての時代にあっては、いかにそれが困難であったか想像がつく、私達は、あいがたき妙法にめぐりあったことを、何よりも喜びとしなければならないのである。

ではこれで十分かというと、これでもまだ十分ではない。たとい正しい法にめぐりあったからといって、日寛上人がいわれているように、それを信受し生涯実践しぬかなければ成仏することはないのである。その故にここで「争か虚くて候べきぞ」といわれているのである。

人間という恵まれた立場に生まれながら、法華経を信受することには耐えられないのではないかといって信受しないとすれば、そんな愚かなことはない。それは謙遜に名を借りた不信でもあろう。まして法華経は一切衆生皆成仏道の教えであり、すべての人に門戸が開かれているのである。今こそ、信を奮い起して正法を持つべきであると、慈悲を込めて教えられているのである。

 

持つ処の御経の諸経に勝れてましませば能く持つ人も亦諸人にまされり

 

ここでは一応、法華経がすばらしくても、持つ人が劣っていれば教えにかなわないのではないかという考え方に対して、それを打ち破っておられるのであるが、それをとおして、日蓮大聖人の偉大さがわからず悪口罵詈し、批判中傷する、当時の人々の誤りを厳しく指摘されているのである。

このことは、当時の社会、また宗教に限らず、いつの世にも、またどのような分野でもよくみられる誤りである。

一つの考え方が示された場合、たとえば新しい学説などが提出されたとき、それに対する反応はといえば、どのような人が発表したかということが、大きな尺度になることがある。有名な人であったり、名門の人であったり、そのときの主流に位置する人の言であれば素直に認められるが、学歴がないとか、縁故がない人の説であると、なかなか評価されないということがある。これなどは、その学説をみるのではなく、人をみて、そこから学説を判断しているのである。このことは、まことに恐ろしいことであり、悲しいことであるといわねばならない。

まして、人の生き方の根本を教える仏法について、このような考え方をするのは、謗法という、最も恐ろしい罪を作ってしまうのであり、そのような態度は厳に戒めなければならない。

ところが、大聖人の時代においても、まさしく、人を見て法を見るという風潮が、色濃く漂っていたのである。僧侶の大半は、文化の進んだ西国の出であった。しかも高僧のもとで修業し、比叡山等で正規の学問を積んだとか、外国からきたというような、経歴が重視されたのである。そうした僧侶はまた、当然のことながら、当時の権力者達とも濃いつながりをもっていた。

それに対して、大聖人は、そうした門閥や経歴とは無縁であられた。東国の貧しい庶民の出であられた。しかし、他の僧侶が及びもつかないほどの修学をされたのである。しかし、人々はその外見だけをみて、持つ法を見なかったのである。そこに、日本が一国謗法に陥った根本原因があった。

人間が人生になんらかの意味を探る生き物である以上、人間の価値は、いかなる人生観をもち、それをどう人生に残していったかによって決まるといっても過言ではない。とすれば、いかなる分野であれ「持つ法」がすぐれているか否かに、人間の価値は帰せられるものであろう。その意味からしても、日蓮大聖人の仏法を持つ私達は、最も誉れある存在であると確信してよいのである。

 

一念信解の功徳は五波羅蜜の行に越へ五十展転の随喜は八十年の布施に勝れたり

 

五波羅蜜は、大乗教に説かれる主要な菩薩行である。布施・持戒・忍辱・精進・禅定の五つは、また智慧を加えて六波羅蜜ともするが、これらはたしかに仏道修行の過程においては重要なことであるのは疑いない。

しかし、それらは、あくまでも経の深意を得るための方法として立てられたもので、それを目的化して、その形式さえ踏んでいれば仏道修行であると思ったならば、仏道修行の本道からはずれていくことになる。

法華経分別功徳品においては、在世の弟子に四信を、滅後には五品を説き示している。それぞれの最初が一念信解と、初随喜品である。これらは、修行の根本がどこにあるかを端的に示したものといえる。

法華経においては信をもってはじめて入ることができるのである。これが四信の最初にきているのはその故であり、それは最初であるとともに、最も根本のことなのである。その故に、一念信解の功徳は五波羅蜜の行に越えるといわれているのである。

初随喜品もそうである。初めて法を聞いて随喜するというのは、「信」の最も純粋なあらわれ方をあらわしている。正法に対する純真な信心が、随喜の心を起こすのである。御書に「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(078803)といわれているのは、南無妙法蓮華経こそ、生命の奥底からの大歓喜を呼び起こすとの仰せである。

法華経随喜功徳品第十八では、五十展転の功徳が説かれているが、これもまた、法華経を聞いて随喜する功徳がいかに大きいかを示している。さらに同品には、四百万億阿僧祇の世界のあらゆる衆生に対して80年にわたって一切の楽具、珍宝等を供養し、阿羅漢果を得せしめるよりも、法華経の一偈を伝え聞いて随喜する第五十番目の人の功徳のほうが大きいといわれている。

正法を唯一無二と信ずる一念、それを聞いて歓喜する純真な信、そして人に語り伝えていく功徳は、まさしく六波羅蜜自然在前であり、釈尊の因行果徳の二法さえも自然に譲り与えられるほどの広大無辺の大功徳であることを喜び、自行化他に邁進していきたいものである。

 

 

 

第七章 法華誹謗の業因を明かす

然るに此の理をいるかせにして余経にひとしむるは謗法の至り大罪の至極なり、譬を取るに物なし、仏の神変にても何ぞ是を説き尽さん菩薩の智力にても争か是を量るべき、されば譬喩品に云く「若し其の罪を説かば劫を窮むとも尽きず」と云へり文の心は法華経を一度もそむける人の罪をば劫を窮むとも説き尽し難しと見えたり。然る間三世の諸仏の化導にも・もれ恒沙の如来の法門にも捨てられ冥きより冥きに入つて阿鼻大城の苦患争か免れん誰か心あらん人・長劫の悲みを恐れざらんや、爰を以て経に云く「経を読誦し書持すること有らん者を見て軽賤憎嫉して結恨を懐かん其の人命終して阿鼻獄に入らん」と云云、文の心は法華経をよみ・たもたん者を見てかろしめ・いやしみ・にくみ・そねみ・うらみを・むすばん其の人は命をはりて阿鼻大城に入らんと云へり、大聖の金言誰か是を恐れざらんや正直捨方便の明文豈是を疑うべきや、然るに人皆・経文に背き世悉く法理に迷へり汝何ぞ悪友の教へに随はんや、されば邪師の法を信じ受くる者を名けて毒を飲む者なりと天台は釈し給へり汝能く是を慎むべし是を慎むべし。

  倩ら世間を見るに法をば貴しと申せども其の人をば万人是を悪む汝能く能く法の源に迷へり何にと云うに一切の草木は地より出生せり、是を以て思うに一切の仏法も又人によりて弘まるべし之に依つて天台は仏世すら猶人を以て法を顕はす末代いづくんぞ法は貴けれども人は賤しと云はんやとこそ釈して御坐候へ、されば持たるる法だに第一ならば持つ人随つて第一なるべし、然らば則ち其の人を毀るは其の法を毀るなり其の子を賤しむるは即ち其の親を賤しむなり、爰に知んぬ当世の人は詞と心と総てあはず孝経を以て其の親を打つが如し豈冥の照覧恥かしからざらんや地獄の苦み恐るべし恐るべし慎むべし慎むべし。上根に望めても卑下すべからず下根を捨てざるは本懐なり、下根に望めても憍慢ならざれ上根も・もるる事あり心をいたさざるが故に。

 

現代語訳

しかるにこの道理をおろそかにして、他の経と等しいとするのは、謗法の至りであり、これ以上の大罪はない。譬えようにも譬える物がない。仏の神通変化の力によっても、どうしてこの罪を説き尽くせよう。菩提の智慧の力によっても、どうしてこの罪の大きさを計れるであろうか。それゆえ法華経譬喩品第三には「もしその罪を説くならば、劫を窮めても尽きることがない」と述べているのである。文の意は、法華経を一度でもそむいた人の罪は、劫をつくしても説き尽くし難いということである。

故に法華経に背く人は三世の諸仏の化導にももれ、恒沙のように数多い如来の法門にも捨てられ、くらい悪道から悪道に入って阿鼻大城の苦しみをどうしてまぬかれよう。誰か心ある人はこの長劫の悲しみを恐れずにいようか。このことを法華経譬喩品第三には「経を読誦し書持する者を見て、軽賎憎嫉して恨みを懐くならば、その人は命を終えて阿鼻獄に入るであろう」と説いている。文の意は、法華経を読み持つ者を見て、軽んじ、賎しみ、憎み、嫉み、恨みを懐くならば、その人は命が終わって阿鼻大城に入るというのである。仏の金言であり、誰がこれを恐れずにいられようか。「正直に方便を捨てて、但無上道を説く」と説く法華経方便品第二の明文をどうして疑うことができようか。ところが人は皆、経文に背き、世はことごとく法理に迷っている。あなたはどうして悪友の教えに随うことがあるだろうか。それゆえ「邪師の法を信じ受ける者を名づけて毒を飲む者という」と天台大師は解釈されている。あなたはよくよくこのことを考え慎むべきである。

つくづく世間を見ると、法は貴いというけれども、その法を持つ人を万人が憎んでいる。あなたは、よくよく法の源に迷っている。どうしてかというと、一切の草木は大地から生ずる。このことから思うと、一切の仏法もまた人によって弘まるのである。これによって天台大師は「仏の在世でさえ、なお人によって法をあらわす。末代にあって、どうして法は貴いけれども人は賎しいといえようか」と解釈されている。それゆえ持たれる法さえ第一ならば、持つ人もまた第一なのである。そうであれば、その人を毀るのはその法を毀ることである。その子を賎しむのは即ちその親を賎しむことである。これに照らせば、当世の人は言葉と心とすべて合わず、孝経でもってその親を打つような姿であることがわかる。仏菩薩が御照覧あそばされるのが恥ずかしくはないのか。地獄の苦しみはまことに恐るべきであり、くれぐれも慎まなければならない。

上根に比べても卑下してはならない。下根を見捨てないのが仏の本懐だからである。下根に比べても高慢であってはならない。上根も救いに漏れることがある。心を尽くして仏法を求めないからである。

 

語釈

恒沙

恒河沙の略。恒河はガンジス川、沙は砂のこと。物の数の多いことに譬える。

 

孝経

一巻。中国古代の孝道について孔子がその門弟曽参に孝道を述べたものを、曽参の門人が記録したものといわれる。

 

冥の照覧

仏・菩薩や諸天善神が衆生の一切の思慮・言動をことごとく存知していること。冥とは顕に対し、深遠で凡夫の眼には計り知れない存在をいう。照覧は衆生を照らし見ること。

 

講義

最高究極の法華経を軽んじて余経を同時に置いたり、妙法を持つ行者を蔑る罪がいかに大きいかを指摘された段である。

 

一切の仏法も又人によりて弘まるべし

 

仏法の弘宣に寄せて、人の尊いゆえんを示された御文である。

仏教において「法」が大事であることはいうまでもなく、とくに釈尊の経典においては、「法」の優位が強調されている。それをうけて天台大師も、たとえば法華文句巻十下には「法は是れ聖の師にして、能く生じ能く養い、能く成じ能く栄うるは法に過ぐるは莫し、故に人は軽く法は重きなり」と述べているのである。このように仏法を修行するうえにおいては「身軽法重死身弘法」が根本精神である。しかし、仏法を弘めるうえにおいては「人」が重要である。この段では、弘経において、「人」がその要であると示されているのである。仏法を求める修行において「法」が最も重要であることは、当然である。「人」に頼ることは不安定であり、仏の教えが歪められる恐れもある。その故に、涅槃経でも「依法不依人」と説かれ、不変である法を根本とすべきであると教えてきたのである。

とくに仏の滅後において、それぞれ勝手な解釈が出る恐れがある。仏の在世であれば、仏自身によって、そうした考え方に修正がなされるし、そうした考え方が出ようはずもない。しかし、仏滅後においては、時を経るにしたがって、人師の都合や考え方にしたがって捉え方も変わってくる。そこに原理・原典が歪められる恐れもある故に、仏の法を根本とすべきで〝人師〟の説に頼ってはならないと教えたのである。

しかし法を弘めていくのは「人」であり法が存在するというだけでは、流布しない。

御書にいわく「法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」(0856:04、百六箇抄)と。妙楽大師の法華文句記巻九中にいわく「子父の法を弘む世界の益有り」と。「世界の益」とは世界悉檀の利益であり、娑婆世界の衆生にさまざまな利益を与えることを意味する。

法は人によって現実世界に生き生きと躍動し、その本来の力を発揮するのである。法の力を生かすも殺すも、すべて人の力である。それほど人の力は大きい。逆にいえば、その責任は重いともいえる。仏がこの世界に遺した法は、たとえようもなく尊い。その故に、その教えを正しく継承し、弘宣していく使命もまた、たとえようもなく尊い。その自覚、認識を、ここでは教えられているのである。

日蓮大聖人が、釈尊の仏法の本懐は、人の振舞いであり、不軽菩薩の修業が肝心であると教えられているのは、人を最大限に敬っていくべきことを教えられていることに留意しなければならない。しかも不軽品は、弘教の方軌を説いた品であり、法を弘める人の尊さを示しているのである。

 

冥の照覧について

 

諸仏・諸菩薩・諸天善神は、衆生は何を考え、何を行っているか、また、いっていることと行動とが一致しているか等ということについて、すべて照覧されているのであり、いくらごまかそうとしてもできるものではない。そのことを恥ずかしく思わなければならないと、厳しく当時の人々の、仏法を敬うといいながらそれを弘めている人を謗るという矛盾を指摘されているのである。

仏や諸天が一切を見通しているという考え方は、さまざまな説き方で示されている。同生同名天、俱生神がそうであり、閻魔王が裁くときに使われる浄頗梨の鏡もそうである。これらは、仏法の峻厳な因果の法則を、わかりやすい形で示したものといえる。

ただし、これらを、たんに倫理的な徳目を教えるための譬喩と考えることは誤りである。仏法の因果応報思想は、けっして倫理などで終わるものではない。文字どおり、因果という厳然とした法則なのである。

倫理や道徳は、法則ではない。人間としてこうあるべきである、こういうことが望ましいといった、一つの基準であり、そのことによって宇宙・自然が縛られているものではない。もちろん、それが人為的な法律として規制力をもつこともあるが、人為的である以上、時代や社会の変遷とともに変更を余儀なくされる面を含んでいる。とくに、人為的に拘束していない道徳については、法則として働くことはなく、まして、それに違反すればなんらかの罰則を受けるというようなことはまったくない。たとい、そうした応報らしきものを教えていたとしても、それは倫理を実践させるための譬喩にすぎないのである。

ところが、仏法におけるこうした説話は、因果の法則を説明するためのものである。即ち、あくまでも生命内在の因果の法則というものが奥底にあるのである。浄頗梨の鏡などが一つの譬喩であるとすれば、まさにそのための譬喩であって、根本にあるのは、あくまでも因果の法則である。

たとえば「佐渡御書」には「人の衣服飲食をうばへば必ず餓鬼となる」(0960:03)と説かれている。これが、餓鬼となるかどうかはわからないけれども、そうなると教えて人の物を奪う心を戒めるために説かれたにすぎないというのは、道徳・倫理の範疇である。しかし仏法が教えられている意味は、そうしたものではなく、現実に餓鬼となるということである。即ち、餓鬼界の苦しみを受けるという、因果の法則を教えているのである。

その法則は、いかに外見をつくろおうが、ごまかせるものではない。なんとなれば生命内在の因果であるからである。これを「冥の照覧」というのである。言葉でいくら上手なことをいっても、心や行動で仏法に背いていれば、すべて峻厳なる果・報を受けなければならない。

逆に、仏法を正しく修業している人は、たとい誰の目にも止まらなくても、厳然と功徳を積むことができる。「冥の照覧」という、逃れることのできない厳しき原理があるからこそ、謗法を恐れなければならないし、同時に、一切の仏道修行にも、功徳がかならずあることを確信して歓喜をもって取り組むことができるのである。

 

上根に望めても卑下すべからず下根を捨てざるは本懐なり、下根に望めても憍慢ならざれ上根も・もるる事あり心をいたさざるが故に

 

十如実相・一念三千の法理を説いた法華経は、一切衆生は妙法の当体であり、これを覚知することによって、すべて等しく成仏できることを明かしている。また方便品に「一切の衆をして 我が如く等しくして異なること無からしめんと欲しき」とあるように、一切衆生を成仏させるのが仏の大慈悲であり、そのために皆成仏道の法華経が説かれたのである。

この御文は、下根とか上根とかにとらわれてはならないという、修行の心がまえを述べられたところであるが、広くいえば社会的な地位の高下とか、学歴の有無とかの差は、成仏の資格に関係がなく、大事なのは求道の信心であるということである。末法今時においては、仏即ち三大秘法の御本尊への絶対の信に立って自行化他の実践に励むならば、すべての人は等しく絶対的な幸福の境界を会得することができるのである。

このことを大聖人は「此の道に入ぬる人にも上中下の三根はあれども同じく一生の内に顕はすなり、上根の人は聞く所にて覚を極めて顕はす、中根の人は若は一日・若は一月・若は一年に顕はすなり、下根の人はのびゆく所なくてつまりぬれば一生の内に限りたる事なれば臨終の時に至りて諸のみえつる夢も覚てうつつになりぬるが如く只今までみつる所の生死・妄想の邪思ひがめの理はあと形もなくなりて本覚のうつつの覚にかへりて法界をみれば皆寂光の極楽にて日来賎と思ひし我が此の身が三身即一の本覚の如来にてあるべきなり、秋のいねには早と中と晩との三のいね有れども一年が内に収むるが如く、此れも上中下の差別ある人なれども同じく一生の内に諸仏如来と一体不二に思い合せてあるべき事なり」(0411:05)と述べられている。

自己の才能や資質を他の人と比べて卑下したり、憍慢(きょうまん)になったりするのは、厳しくいえば謗法に通ずる行為であるといってよい。なぜなら、自己の才能を卑下して自己の成仏を絶望したり、成仏を他人事と捉えるならば、それは一切衆生に仏性があるという仏法の教えを疑い、否定することであり、受持即観心の御本尊の力に疑いをはさむことにほかならないからである。

「一代八万の聖教・三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとは・ゆめゆめ思ふべからず」(038310、一生成仏抄)また「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ」(0557:08、法華初心成仏抄)との御教示を深く信じ、御本尊への純粋な信に立って自行化他の実践を貫いていくことが大切である。

「下根に望めても憍慢ならざれ」とは、弘教者は、自己の才能に溺れて下根の衆生を見下してはならないとの謂である。自己の才を慢ずる点において、十四誹謗の憍慢に通じ、他を見下すことにおいて軽善に陥っている姿である。

こうした姿勢をただす例として不軽菩薩の弘教の姿勢を学ぶことが肝要である。大聖人は、この不軽に例をとって「過去の不軽菩薩は一切衆生に仏性あり法華経を持たば必ず成仏すべし、彼れを軽んじては仏を軽んずるになるべしとて礼拝の行をば立てさせ給いしなり、法華経を持たざる者をさへ若し持ちやせんずらん仏性ありとてかくの如く礼拝し給う何に況や持てる在家出家の者をや」(1382:06)と厳しく戒められている。

ともかく、上根・下根といっても、御本尊のもとにおいては平等であり、御本尊への信の厚薄のみが成仏・不成仏を決定する。自己を卑下することなく、憍慢に堕すことなく、謙虚に、また真摯に、信心を貫きたいものである。

 

 

 

第八章 我慢偏執を排し妙法帰命を諭す

凡そ其の里ゆかしけれども道たえ縁なきには通ふ心もをろそかに其の人恋しけれども憑めず契らぬには待つ思もなをざりなるやうに彼の月卿雲閣に勝れたる霊山浄土の行きやすきにも未だゆかず我即是父の柔輭の御すがた見奉るべきをも未だ見奉らず、是れ誠に袂をくだし胸をこがす歎ならざらんや。暮行空の雲の色・有明方の月の光までも心をもよほす思なり、事にふれをりに付けても後世を心にかけ花の春・雪の朝も是を思ひ風さはぎ村雲まよふ夕にも忘るる隙なかれ、出ずる息は入る息をまたず何なる時節ありてか毎自作是念の悲願を忘れ何なる月日ありてか無一不成仏の御経を持たざらん、昨日が今日になり去年の今年となる事も是れ期する処の余命にはあらざるをや、総て過ぎにし方を・かぞへて年の積るをば知るといへども今行末にをいて一日片時も誰か命の数に入るべき、臨終已に今にありとは知りながら我慢偏執・名聞利養に著して妙法を唱へ奉らざらん事は志の程・無下にかひなし、さこそは皆成仏道の御法とは云いながら此の人争でか仏道に・ものうからざるべき、色なき人の袖には・そぞろに月のやどる事かは、又命已に一念にすぎざれば仏は一念随喜の功徳と説き給へり、若し是れ二念三念を期すと云はば平等大慧の本誓・頓教一乗皆成仏の法とは云はるべからず、流布の時は末世・法滅に及び機は五逆・謗法をも納めたり、故に頓証菩提の心におきてられて狐疑執著の邪見に身を任する事なかれ。生涯幾くならず思へば一夜のかりの宿を忘れて幾くの名利をか得ん、又得たりとも是れ夢の中の栄へ珍しからぬ楽みなり、只先世の業因に任せて営むべし世間の無常をさとらん事は眼に遮り耳にみてり、雲とやなり雨とやなりけん昔の人は只名をのみきく、露とや消え煙とや登りけん今の友も又みえず、我れいつまでか三笠の雲と思ふべき春の花の風に随ひ秋の紅葉の時雨に染まる、是れ皆ながらへぬ世の中のためしなれば法華経には「世皆牢固ならざること水沫泡焰の如し」とすすめたり。「以何令衆生・得入無上道」の御心のそこ順縁・逆縁の御ことのは已に本懐なれば暫くも持つ者も又本意にかないぬ又本意に叶はば仏の恩を報ずるなり、悲母深重の経文・心安ければ唯我一人の御苦みもかつかつやすみ給うらん、釈迦一仏の悦び給うのみならず諸仏出世の本懐なれば十方三世の諸仏も悦び給うべし「我即歓喜・諸仏亦然」と説かれたれば仏悦び給うのみならず神も即ち随喜し給うなるべし、伝教大師・是を講じ給いしかば八幡大菩薩は紫の袈裟を布施し、空也上人是を読み給いしかば松尾の大明神は寒風をふせがせ給う。

 

現代語訳

およそ、その里を懐かしく思っても、道も絶え、縁もなければ通う心もおろそかになり、その人を恋しく思っても、もの人の心が頼みにならず、契り交わしたこともなければ、待つ思いもなおざりになるように、かの公卿や殿上人の宮殿よりも勝れて、しかも行きやすい霊山浄土にいまだ行かず、「我は即ち父である」と仰せられた仏の柔和な御姿を見奉るべきなのにいままで拝見しない。これはまことに涙で袂を腐らせ、胸をこがすほどの嘆きではないか。

暮れ行く空の雲の色や、明け方の次第に薄らいで行く月の光までも、心をせきたてる思いがする。事にふれ、折につけても、後世を心にかけ、花の春、雪の朝もこれを思い、風が騒ぎ、村雲の立ち迷う夕にも少しも忘れてはならない。命は出る息が入る息を待たないほど短いものである。いかなる時節にあっても、仏の毎自作是念(つねに衆生の成仏を念ずる)の悲願を忘れ、いかなる月日にあっても無一不成仏(一人として仏に成らないものはない)の法華経を持たずにいられようか。昨日が今日になり、去年の今年となることも期待できない余命ではないか。すべて過ぎた歳月を数えて年の積もるのを知るけれども、今から行く末のことは、一日片時も誰が命ある者の数に入ると定められるであろうか。臨終はすでに今にあるとは知りながら、我慢偏執・名聞利養にとらわれて、妙法を唱えないというのは、その志のほどはまったくいう甲斐もないのである。そのような姿であっては、皆成仏道(衆生が皆成仏する)の法華法とはいえ、この人がどうして仏道を成就できようか。情愛のない人の袖には、みだりに月が宿ることはないであろう。また、命はまさに一念の間に過ぎないから、仏は一念随喜の功徳と説かれたのである。もし、これが二念・三念を待つというならば、平等大慧の本誓・頓教一乗皆成仏の法とはいわれないのである。法華経は流布の時は末世・仏法の滅尽の時にまでおよび、衆生の機根は五逆や謗法をも納め入れている。ゆえに頓証菩提の心の指示にしたがって、狐疑・執著の邪見に身を任せてはならない。

生涯はいくばくもない。思えば、この世は一夜の仮の宿であることを忘れて、どれほどの名利を得ようというのか。また得たとしてもこれは夢の中の栄えであって、珍しくもない楽しみである。ただ先の世の業因に任せて生きるがよい。世間の無常を悟ろうとすれば、眼をさえぎり耳に満ちるほど多い。昔の人はただ名を聞くのみで、雲となり雨となったのであろうか。今の友もまた見えない。露と消え煙となって空に昇ってしまったのであろうか。自分はいつまでも三笠の山にかかる雲のようにあると思っていられようか。春の花が風にしたがって散り、秋の紅葉が時雨に染まる。これは皆、生きながらえない世の中の実例であるから、法華経随喜功徳品第十八には「世の中の皆牢固でないことは、水の泡や火の焔のようである」と説かれている。

「なんとしても、衆生を無上道に入らしめ、速やかに仏身を成就させたい」との御心の底、順縁・逆縁の者もともに救おうという御言葉は、まさに仏の本懐であるから、暫くも持つ者でもまた本意にかなうのである。また本意にかなうならば、仏の恩を報ずることになる。悲母のように慈悲深重の経文が心安めれば、「唯我一人・能為救護(ただ我一人のみ、よく衆生を救護する)」の御苦しみも、どうにか安まられるであろう。釈尊一仏が悦ばれるばかりでなく、法華経は諸仏出世の本懐であるから、十方三世の諸仏も悦ばれるであろう。「我即歓喜・諸仏亦然(我が歓喜するばかりでなく、諸仏もまたそうである)」と説かれているので、仏が悦ばれるばかりでなく、仏の垂迹たる神もまた随喜されるのである。伝教大師が法華経を講義したときは、八幡大菩薩は紫の袈裟を大師に布施し、空也上人がこれを読んだ時には、松尾の大明神は寒風を防がれたのである。

 

語釈

月卿雲閣

月卿は公卿のことで、天子を日に、公卿を月に譬えていったもの。雲閣は殿上人で、雲の上に譬えられる宮中で昇殿(平安時代以降、清涼殿の南廂にある殿上の間に昇ること)を許された人。

 

霊山浄土

法華経の説法が行われた霊鷲山のこと。久遠の釈尊が常住して法華経を説き続ける永遠の浄土とされる。日蓮大聖人は、法華経の行者が今ここにいながら往還できる浄土であるとともに、亡くなった後に往く浄土でもあるとされている。

 

我即是父

法華経譬喩品第三に「舎利弗に告ぐ 汝諸人等は 皆な是れ吾が子なり 我れは則ち是れ父なり」とある。仏の三徳(主・師・親)のなかの親の徳をあらわしている文。

 

暮行空の雲の色・有明方の月の光

ともに無常の相を表し、哀れの深いものとして、しばしば歌の題材となった。以下の文には、古歌を借りた表現が多い。

 

風さはぎ村雲まよふ夕にも

源氏物語野分の巻に「風騒ぎむら雲まがふ夕べにも忘るる間なく忘られぬ君」とある。

 

昨日が今日になり

古歌に「世の中はなにか常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」等とある。

 

一念随喜

法華経信仰の最も初心の位。一念は一瞬のわずかの心のこと。随喜は随順慶喜の義、信順して歓喜することで、瞬間のうちに仏法に随順して得た歓喜をいう。一般には、分別功徳品第十七で説く四信五品のうちの初随喜と同じ意味に用いる。また、五十展転の五十人目の随喜の異名として使われることもある。

 

我れいつまでか三笠の雲と思ふべき

「君が着る三笠の山に居る雲の立てば継がるる恋もするかも」。万葉集巻一一・二六七五番歌。「三笠の山にかかっている雲が涌いてはまた起こるように絶え間ない恋をすることよ」。君が着る「御笠」の意から、同音の地名「三笠」にかかる。

 

以何令衆生・得入無上道

法華経如来寿量品第十六の末の「速成就仏身」の前にくる偈文。「何を以てか衆生をして 無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめんと」と。いかにして一切衆生を無上道に入らしめるか、との仏の大慈悲の一念をいう。

 

順縁・逆縁

順縁とは、正法に随順する機縁をさす。教えを聞いて素直に信受し、仏道に入ること。逆縁とは、破法・謗法などの悪事を縁として仏道に入ること。

 

悲母深重の経文

母のように深重な慈悲を包む経文のこと。法華経の文をさす。

 

我即歓喜・諸仏亦然

法華経見宝塔品第十一に「此の経は持ち難し 若し暫くも持たば 我れは即ち歓喜す 諸仏も亦た然なり」とある。

 

伝教大師・是を講じ……

伝教大師伝巻下によると、弘仁5年(0814)、入唐のときの心願を果たそうと、筑紫の宇佐八幡宮(大分県)に詣で法華経を講じた時「八幡大菩薩あらたに託宣したまわく所持の法衣あり。これを聖人に奉らんとてみずから宝殿をひらき、紫の袈裟一衣同ころも一領を大師にさずけたもう」とある。

 

空也上人是を読み……

空也(09030971)は、平安中期の念仏僧。本朝高僧伝巻六十四によると、京都の雲林院にいたとき、一人の老人が寒そうにしていた。老人は「我は松尾の明神なり。般若の法味を受くるも、未だ白牛綩綖の車に上らず(いまだに法華の教えを受けていないとの意)。故に貪癡の風膚に逼る。師、法華を善す、乞う哀愍を垂れたまえ」と語る。空也は法華経を読んで、妙法の香薫の染めた衣を与えて、回向したといわれる。松尾の大明神とは、京都市西京区嵐山にある松尾大社の祭神のこと。

 

講義

本章は、人生の無常なる現実をさまざまな観点から説かれながら、たんに無常を嘆くのではなく、無常なる故にこそ法華経を信ずべきであると強調されている。

それ故に、ここに展開される無常観は、小乗仏教のそれではなく、実大乗経たる法華経を根底としたものであることを知らなければならない。

まず本章冒頭の「凡そ其の里ゆかしけれども道たえ縁なきには……是れ誠に袂をくだし胸をこがす歎ならざらんや」の一節は、いかに多くの衆生が法華経を信ぜず、我即是父(がそくぜぶ)の仏の慈悲を無視して生きているかを嘆かれているところである。

人の心は、瞬間瞬間、変化し移ろって止まる所がない。まさに、無常としかいいようがない。どれほど恋しく思う故郷であっても、いつも縁を結び、しげく通わなければ、人の心はいつしか故郷を離れて自然に疎ましく思うようになるものである。それと同じく、当世の人々の心も、ただちに霊山浄土に行ける法華経の教えや一切衆生を救う仏の慈悲から次第に離れ疎遠になっていると述べられ、そのことを大聖人は慈悲のうえから嘆かれているのである。

つぎの「暮行空の雲の色・有明方の月の光までも心をもよほす思なり……色なき人の袖には・そぞろに月のやどる事かは」の個所は、天体の運行や自然の事象、そして人の命の無常なる姿を説かれながら、それ故にこそ、法華経への信を片時も忘れてはならないと訴えられているのである。

この個所は、天然自然や人の命の常無くして変化しゆく冷厳なる事実を見通したうえで、その事実を法華経信仰への契機としていくべきことを教えておられるのである。人生・天然の無常を嘆くのではなく、無常を徹底して見つめたうえで、それを、永遠なるものへと昇華するための助縁にしていくのである。ここに大聖人の積極的な無常観がある。

さらに「又命已に一念にすぎざれば仏は一念随喜の功徳と説き給へり……故に頓証菩提の心におきてられて狐疑執著の邪見に身を任する事なかれ」の一節は、無常の意味を衆生の命に限定され展開されている。命が瞬間瞬間に起滅する一念の連続にすぎない、という生命に対する深い洞察のうえから、その一念をもって、法華経を信じ歓喜すれば、成仏しうることを説いた法華経を信じて、邪見にとらわれないよう促されているのである。

つぎに「生涯幾くならず思へば一夜のかりの宿を忘れて幾くの名利をか得ん……法華経には『世皆牢固ならざること水沫泡焰の如し』とすすめたり」の一節は、人間の生涯というものの無常なさまを説かれて、人が名聞名利や我慢偏執にとらわれる愚かさを訴えかけられているところである。したがって、ここは法華経への信仰になかなか入ろうとしない人に対して、かさねて人生の無常を知らしめようとされているのである。

本章の最後の「『以何令衆生・得入無上道』の御心のそこ順縁・逆縁の御ことのは……松尾の大明神は寒風をふせがせ給う」の個所は、「衆生をして無上道に入らしめたい」という仏の慈悲の広大さに身をまかせて、仏の本懐にかなうために、法華経を信ずるよう促されているのである。

所詮、この無常世界の六道輪廻を脱するには、生命の永遠を覚知し、胸中の仏性の常住を覚知して、絶対の境地を確立する以外にない。そのためには、法華経に対する絶対的な信を貫き通すことである。一切衆生を成仏させるために、仏は究極の真実を法華経に明かしたのであり、仏の出世はそのためなのであるから、法華経を信ずることが、また仏の本意に叶うことであり「本意に叶はば仏の恩を報ずるなり」となるのである。

 

臨終已に今にありとは知りながら我慢偏執・名聞利養に著して妙法を唱へ奉らざらん事は志の程・無下にかひなし、さこそは皆成仏道の御法とは云いながら此の人争でか仏道に・ものうからざるべき

 

人生の無常、人の命のはかなさをとおして、法華経への信を忘れ、我慢偏執・名聞名利に執着する人の愚かさを嘆かれている。人生の無常、命のはかなさを最も象徴的に表しているものは「死」であり、それは同時に人間存在の不安の最も根源にあるものである。どのような栄耀栄華も死の前には無力である。人間は死すべきものであり、不死への夢は、まさに夢でしかないことは、すべての人が知っている。しかし、かならず死ぬことはわかっていても、死の意味、死ねばどうなるかという点については、まったく無知である。そのような生死への無知のうえに築かれる人生というものは、沼地に建てられる建造物のようなもので、不安定をまぬかれることができない。

「日蓮幼少の時より仏法を学び候しが念願すらく人の寿命は無常なり、出る気は入る気を待つ事なし・風の前の露尚譬えにあらず、かしこきもはかなきも老いたるも若きも定め無き習いなり、されば先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」(1404:05)と仰せの一節は、まさに、人生、人の命というものの最も根本にある生死の問題を人生の最大事とされている点で、本章のこの文と軌を一にしている。

我々の凡智では未来は測りがたく、寿命を知ることができない。死は明日訪れるかもしれないし、一年後かもしれない。まさに「臨終已に今にあり」なのである。またかりに、寿命を知ることができたとしても、永遠の生命からみるならば、百年の人生も瞬時であり、その意味で「臨終已に今にあり」という状態と変わりはないといってよかろう。

このようなことは、理屈のうえでは、一往は、誰でも知っているといえる。しかし三毒強盛の凡夫は、永遠の生命を覚知して不動の境地を確立することよりも、眼前の名聞利養の価値を、まず獲得しようと、これらの追求に執着してしまう。たしかに、それらの価値も、それなりに人生にとっては意味はあるだろうが、生死の問題を解決することなく、外界の名聞利養に左右されて生きている姿は、明日も知れない漂流中のヨットの上で、魚釣りに興じている姿にもたとえられるはかないものといってよいだろう。

不動の人生の基盤は、生命の永遠を覚知して、胸中の仏性を涌現させていくところに初めて確立される。そのために「妙法を唱え奉る」即ち御本尊へ真剣な唱題を重ねていくのである。御本尊には一切の人々に、盤石の人生を築く力を涌現させる根源の力があられる。しかし、その力は、祈る側の信力・行力によることを知らなければならない。御本尊は皆成仏道の御法であり、絶対の仏力・法力を具えられている。だが、祈る側が「志の程・無下にかひなし」では、仏道を成就することはできない。

我々は「臨終已に今にあり」という冷厳な現実を直視し「我慢偏執」に陥ることなく、大聖人の御金言のままに、一生成仏をめざして、悔いなき人生を歩んでいきたいものである。

 

命已に一念にすぎざれば仏は一念随喜の功徳と説き給へり

 

さきの文では、ひとはいつ臨終を迎えるかもしれないという、生死の問題であったが、ここではさらに徹底されて、無常の究極は人の命の一念にきわまるとの生命に対する深い洞察のうえから展開されている。

生命は永遠であるといっても、過去はすでに存在しないものであり、未来もまだあらわれていないから、あるのはただ現在の一瞬だけである。生命というのは、結局、この一瞬の連続であるから、最も大事なことは、この一瞬の生命をどのように保つかということにある。

法華経法師品第十には「是の如き等類は、咸く仏の前に於いて、妙法華経の一偈一句を聞いて、乃至一念も随喜せば、我れは皆な与めに当に阿耨多羅三藐三菩提を得べしと授記すと。仏は薬王に告げたまわく、又た如来の滅度の後に、若し人有って妙法華経の乃至一偈一句を聞いて、一念も随喜せば、我れは亦た与めに阿耨多羅三藐三菩提の記を授く」とあり、法華経を聞いて一念も随喜するならば阿耨多羅三藐三菩提、即ち悟りを得ることができると説かれている。これが「一念随喜の功徳」であり、御本尊を信受することによって、この一瞬の生命に「随喜の功徳」をあらわすことができるのである。

御本尊を信受し、唱題することによって「一念随喜の功徳」を得ることができるが、十界の当体である生命は、縁によってさまざまに変化することをまぬかれえない。したがって随喜の一念を持続させることが大事である。「聴聞する時は・もへたつばかりをもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり」(1544:09、上野殿御返事)と述べられているように、御本尊への偉大な力を感じたときは、喜びに燃え、深い感謝の祈りを捧げるが、時間が経つにつれ、惰性に流されて感謝を忘れ、御本尊の功徳を当然のことのように思って、喜びを失っていくのが凡夫の常である。そこに、ふたたび六道輪廻の日々に陥る危険が隠されている。

「水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり」(1544:10、上野殿御返事)と仰せのように、絶えることなく流れ続ける川の水のごとく、日々、新たな決意で唱題を重ねていくことが大切である。

 

 

第九章 末代流布の最上真実の秘法を示す

されば「七難即滅七福即生」と祈らんにも此の御経第一なり現世安穏と見えたればなり、他国侵逼の難・自界叛逆の難の御祈禱にも此の妙典に過ぎたるはなし、令百由旬内無諸衰患と説かれたればなり。
  然るに当世の御祈禱はさかさまなり先代流布の権教なり末代流布の最上真実の秘法にあらざるなり、譬えば去年の暦を用ゐ烏を鵜につかはんが如し是れ偏に権教の邪師を貴んで未だ実教の明師に値わせ給はざる故なり、惜いかな文武の卞和があら玉何くにか納めけん、嬉いかな釈尊出世の髻の中の明珠今度我身に得たる事よ、十方諸仏の証誠として・いるがせならず、さこそは「一切世間・多怨難信」と知りながら争か一分の疑心を残して決定無有疑の仏にならざらんや。

 

現代語訳

それゆえ「七難即滅・七福即生」と祈るにも、この法華経が第一である。法華経薬草喩品第五に「現世安穏」と説かれているからである。他国侵逼の難、自界叛逆の難を防ぐための御祈禱にもこの法華経に過ぎた経典はない。法華経陀羅尼品第二十六に「百由旬の内に、諸の衰患無からしむべし」と説かれているからである。
 しかるに、今の世で行われている御祈禱はさかさまである。正法・像法時代に流布した権教であり、末代に流布するべき最上真実の秘法ではない。譬えば去年の暦を用い、烏を鵜のかわりに使うのと同じである。これはひとえに、権教の邪師を貴んでいまだ実教(法華経)の明師に会われていない故である。惜しいことに、文王・武王の時の名玉・卞和の粗玉は、どこに納めたのであろうか。実にうれしいことは、釈尊の出世の本懐たる転輪聖王の髻の中の明珠を、このたび我が身に得たことよ。
 このことは、十方の諸仏が証明したことであり、いいかげんな事柄ではないのである。さればこそ、法華経安楽行品第十四の「一切世間には、怨む者が多くて信じ難い」の文を知りながら、どうして少しでも疑いの心を残して「かならず成仏できる」と約束された仏に成らずにいられよう。

 

語釈

七難即滅七福即生
 仁王経巻下・受持品第七に「其の国土の中に七つの難とすべき有り、一切の国王は、是の難の為の故に般若波羅蜜を講読せば、七難即ち滅し、七福即ち生じ万姓安楽にして帝王歓喜せん」とある。七難は仁王経、薬師経、金光明経等に説かれるが、仁王経の七難は①日月失度難(太陽や月の異常現象)②星宿失度難(星の異常現象)③災火難(種々の火災)④雨水難(異常な降雨・降雪や洪水)⑤悪風難(異常な風)⑥亢陽難(干ばつ)⑦悪賊難(内外の賊による戦乱)をいう。七福とは、これらの七難を滅すること。また仁王経疏巻下に説かれる悪竜・鬼を鎮める徳などの七徳をさす。

令百由旬内無諸衰患
 法華経陀羅尼品第二十六の文。「我れも亦た自ら当に是の経を持たん者を擁護して、百由旬の内に、諸の衰患無からしむべし」とある。毘沙門天王が法華経を持つ者を守護すると誓った文。

文武の卞和があら玉
 卞和は中国・周代の楚の人。卞邑出身の和氏のこと。韓非子・和氏篇によると荊山で玉璞(玉になる原石)を得て厲王に献上した。王が玉人に鑑定させたところ、ただの石というので、王を欺く者として左足を切らせた。厲王の没後、即位した武王にも同様に璞を献上したが、またも石と鑑定されて右足を切られた。その後、文王が即位すると楚山の下で璞を抱いて三日三晩泣き明かし、ついに血涙を出した。文王がこれを知り理由を問うて璞を得、磨かせたところ、はたして宝石であったため、これを「和氏の璧」と名付けて天下に尊ばれた。のち、趙の恵文王がこの玉を得たが、秦の昭王が十五の城と交換したいと言ったので「連城の璧」とも称された。ここでは類いまれな名玉でさえ認められない故事を挙げて、最上真実の法華経を危急存亡のときでさえ国は用いようとしないことに譬えられている。

髻の中の明珠
 法華経安楽行品第十四に説かれる髻中明珠の譬え。転輪聖王の頂上の髻の中にある無上の宝珠のことで、同品には「如し勇健にして 能く難事を為すこと有らば 王は髻中の 明珠を解いて之れを賜わん」とある。明珠とは法華経のことであり、末法今時においては、南無妙法蓮華経の御本尊をさす。

 

講義

前章において、衆生の一人一人が、人生の無常、命のはかなさを覚知して、法華経への信に立ち帰ることを促されたのに対して、本章では、個人の次元から一歩進んで、国を安んずるための祈りにおいても、法華経の祈りにすぐるものはない、と述べられ、法華経への絶対の信に立つことを要請されている。
 同時に、当時の他宗の邪師による祈禱が権教に依拠するもので、いかに時代錯誤なものであるかを述べられ、実教の明師による祈りでなければならないと訴えられている。
 さて、災難の根本的な原因は、衆生の一念の濁りにあるというのが、仏法の見方である。「国土やぶれんとするしるしには、まづ山くづれ、草木かれ、江河つくるしるしあり。人の眼耳等驚そうすれば天変あり。人の心をうごかせば地動ず」(1140:09、瑞相御書)と述べられているように、依報と正報は不二であるから、正報である衆生の心の動き、一念の状態によって、依報である環境に変化が生じる。したがって、災難を対治するには、衆生の心を変える以外にない。大聖人が立正安国論において、背正帰悪こそ災難の原因であり、国土の安穏のためには「実乗の一善」即ち南無妙法蓮華経に帰していかなければならないと仰せになったのは、このことである。
 衆生の機根は時によって異なるから、衆生の生命を変革する法もそれにしたがって変わってくる。末法の衆生は本未有善(ほんみうぜん)の衆生であり、三毒強盛の衆生である。したがって「先代流布の権教」をもって祈るのは「去年の暦」を用いるようなもので、無意味であるばかりでなく、かえって災難を招いてしまうのである。本未有善の衆生に対しては、仏法の極理である三大秘法の南無妙法蓮華経をもって、生命を変革していく以外にないことを教えられているのである。

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