持妙尼御前御返事 第三章(一生成仏の信心を勧める)

持妙尼御前御返事 第三章(一生成仏の信心を勧める)

 建治2年(ʼ76)11月2日 55歳 窪尼

 

過去遠遠より女の身となりしが・このおとこ娑婆最後のぜんちしきなりけり。

  ちりしはな・をちしこのみも・さきむすぶ・いかにこ人の・返らざるらむ。

  こぞもうく・ことしもつらき・月日かな・おもひはいつも・はれぬものゆへ。

  法華経の題目を・となへまいらせて・まいらせ候。

       十一月二日                      日 蓮 花 押

     妙心尼御前御返事

 

 

現代語訳

過去遠遠劫より女人の身と生まれて、この度の夫こそ娑婆での最後の善知識です。

散った花、落ちた木の実も再び咲き結ぶのに、どうして死んだ人は帰らないのだろうか。

去年も悲しく、今年も辛い月日です。(悲しく辛い)思いがいつも晴れないから。

法華経の題目をお唱え申して差し上げました。

十一月二日              日 蓮  花 押

妙心尼御前御返事

語句の解説

娑婆

雑会の意で忍土、忍界と訳す。権教の意においては、もろもろの煩悩を忍受していかねばならないということであるが、妙法を弘通する立場からは、いま「本化弘通の妙法蓮華経の大忍辱の力を以て弘通するを娑婆と云うなり」と仰せのごとく、三障四魔・三類の強敵を耐え忍び、これを乗り越えていかねばならない。

 

ぜんちしき

正直・有徳の友のこと。悪知識に対する語。仏・菩薩・人・天等を問わず、人を仏道に導き入れる者をいう。

講義

最後に、亡くなった夫こそ妙心尼を法華経に導いてくれた恩人であり、娑婆世界最後の善知識であると述べられる。そして、歌二首を掲げられて人生無常の逃れがたさを説かれた後に、亡夫のために法華経の題目を唱えた旨を述べられて本抄を結ばれている。

過去遠遠より女の身となりしが・このおとこ娑婆最後のぜんちしきなりけり

この御文から、亡夫の入道殿が妙心尼より先に日蓮大聖人の信者となって尼を法華経の信仰に導いたことがわかる。

大聖人はそのことから、亡き夫こそ尼にとっての善知識であると述べられたのである。しかも「このおとこ娑婆最後のぜんちしきなりけり」と仰せられているのは「過去遠遠より女の身となりしが」と仰せのように、遠い過去の昔から生々世々、娑婆世界を流転してきた妙心尼が必ずやこの人生において信心を貫いて成仏得道し常寂光土に行くであろう、またそのような強盛な信心に励んでいきなさいとの御気持ちが込められていると拝せられる。そして、尼御前の心をくまれて和歌を二首詠まれ、入道への追善のために題目を唱えて差し上げましたと述べて結ばれている。

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