一代五時鶏図
第一章(竜樹の大論の説を示す)
寿命三百年
羅什訳
百論千巻 法雲自在王如来 観自在王如来
仏滅後六七八
大論に云く十九出家三十成道
三十万巻 竜樹菩薩 第十一馬鳴菩薩の御弟子付法蔵の第十三
大悲方便論 十万巻 └猛
大 心 論 十万巻
大無 畏論 十万巻
現代語訳
竜樹の寿命は三百年といわれている。
大智度論は、羅什が訳す。
竜樹の本地は法雲自在王如来である。また観自在王如来ともいう。
大智度論は百論からなり、インドの原本は千巻である。
竜樹の出現は仏滅後六百七十八年である。
大智度論には、釈尊は十九歳で出家し、三十歳で成道したとある。
竜樹菩薩は付法蔵の第十一、馬鳴菩薩の御弟子で、付法蔵の第十三である。
└竜猛菩薩ともいう。
竜樹の著作は三十万巻ともいわれている。内訳は
大悲方便論 十万巻
大 心 論 十万巻
大無 畏論 十万巻、となる。
語句の解説
講義
本抄は、釈尊一代五時の説法の次第と中国・日本に成立した諸宗派との関連、また釈尊の立場と諸宗の立てる諸宗が一目瞭然に見渡せるように書かれたメモ、あるいは覚書といってよい。その内容から、それ故に、特定のだれかに与えられたものではなく、門下の修学の資料とされたものと考えられる。
その点、これまでの一代五時図の広本・略本と同趣旨のものと思われるが、覚書の意図された力点において、それぞれに若干の相違がある。一代五時図の広本においては法然の浄土宗破折に、略本においては法華経が釈尊説法の究極であることに、本抄では真実の人本尊を明らかにされるところに、それぞれの力点がある。
ところで本抄御執筆の年代については文永9年(1272)、文永10年(1273)、建治元年(1275)説があり、したがって、大聖人51歳、52歳、あるいは54歳の御時の著作ということになる。おそらく、若い弟子たちを教育するための教材として構想されたものではないだろうか。御真筆は西山本門に現存する。
題名の「一代五時鶏図」であるが、釈尊が成道してから入滅するまで説法した期間を五つの時期に分けたうえで、その次第展開を表された図で、ここでは中国の天台大師智顗の分け方に依られる。
先の二抄の場合は「五時図」とあり、他の場合でも「釈迦一代五時継図」とある。五時図というものはともかく、五時継図の場合は五時系図という場合と同じで、五時の順序を次第に系統だてて図示するという意味となる。これらに対し、本抄の場合は「鶏図」という一風変った題名が付されている。鶏について中国文学の古典である説文解学という書物に「鶏は時を知る畜なり」とあるところから、五つの時の経過を鶏に象徴されて、それを図示するという意味で、このように述べられたものと考えられる。
本文に入って、まず「大論に云く十九出家三十成道」と記されている。その左右に記されているのは、「大論」の著者である竜樹にかかわる事項である。以下、釈尊の一代50年間の説法について記されるに当たり、説法開始までの釈尊の経歴として「十九出家三十成道」とされていることを大論によって示されたのである。これは、他の「五時図」「五時継図」と共通している。
大論は大智度論の略称で、その巻三に「我一十九に出家して仏道を学ぶ。我出家してより已来、已に、五十を過ぎ、浄戒・禅・智慧あり、外道は一分も無く、少分すら尚有ること無し。何に況や一切智をや」とある。
なお、ここには「三十成道」はないが、80歳の入滅は一般に認められているところで、しかも説教は50年にわたったとされるところから、逆算して30歳の成道は含まれていると解されたと考えられる。あるいは大智度論に異本があり、それに「三十成道」の記述があったのを記されたのかもしれない。
さて、これを中心にして左右に施されている記をみていこう。
まず「百論 千巻」という記は大論が「百論」「千巻」から成ることを示されている。日蓮大聖人御真蹟対照録によれば「百論」百と論との間に他筆として「巻」が記されており、百巻の論ということ、また仏教のあらゆる問題を論じているという意味を表している。「千巻」とあるのは開目抄にも「竜猛菩薩・初地の大聖の大智度論千巻の肝心に云く」(0209:04)とある。鳩摩羅什は抄訳して百巻としたが、梵本は千巻という大著であったと考えられている。
また「寿命三百年・羅什訳・法雲自在王如来・仏滅後六七八」などの文がある。「寿命三百年」は竜樹が100歳とか150歳、あるいは200歳・300歳の長寿を全うしたという諸説があり、そのうち、300歳説を挙げられたのであろう。「羅什訳」は竜樹作の「大論」が鳩摩羅什によって漢語に訳されていたことを示している。次いで「法雲自在王如来」との注は、開目抄にも「諸宗の元祖・本地は法雲自在王如来・迹に竜猛菩薩・初地の大聖の大智度論千巻の肝心」(0209:04)とあり、竜猛の本地は法雲自在如来と信じられていたことを示されている。「仏滅後六七八」とあるのは、竜樹の生涯を表すと思われるが、御真筆には「仏滅後三六八」とあり、意味は定かではない。「法雲自在王如来」の下に「観自在王如来」の注記があるが、日蓮大聖人御真蹟対抄録によると、他筆であるとされている。この両如来の関係は定かではないので、何故に、この筆が加えられたかは不明であるがここでは「法雲自在王如来」「観自在王如来」としておく。
次いで「大論に云く」云々をはさんで「三十万巻」「大悲方便論・十万巻、大心論・十万巻、大無畏論・十万巻」とあり、竜樹の著した書物が「三十万巻」で、その内訳が「大悲方便論 ・十万巻」「大心論・十万巻」「大無畏論・十万巻」であるということである。
なお、ここで「巻」というのは偈のことで、大聖人は撰時抄で「竜樹菩薩の所造の論三十万偈」(0267:11)と述べられている。また「第十一馬鳴菩薩の御弟子付法蔵の第十三」とある。竜樹は付法蔵11番目の馬鳴の弟子であり、付法蔵13番目ということである。
ところで鳩摩羅什訳の竜樹菩薩伝には「広く摩訶衍を明らかにして、優波提舎を十万偈を作り、また荘厳仏道論五千偈・大慈方便論五千偈を作り、摩訶衍教を天竺において行わしむ。また無畏論十万偈を造る。無畏の中に於いて中論出づ」とあり、仏祖統記でもこれは同じで、合計二十一万偈にしかならないが、それぞれを十万偈とした異本があったのかも知れない。
第二章(五時のうち爾前四時を図示す)
┌実大乗 ┌杜順和尚
┌┴権大乗 立五教摂尽一代 ├智儼法師
│ 二七日 華厳宗──────┴法蔵大師
華厳経 二七日 ├香象大師
│ ├賢首法師
└─結経梵網経 大乗戒之を出す └華厳和尚
定
経
┌小 乗 ┌長 阿 含┐ ┌倶舎宗
├十二年 ├中 阿 含┤ │
阿含経─────┼増一阿含┼──┼成実宗
│ └雑 阿 含┘ │ 戒
└結教遺教経 小乗戒之を出ず └律 宗
┌大乗 ┌或云法華巳前
┌─┼或説時不定 ┌─┴或云法華巳後 弥勒菩薩説
│ ├或一六年 ┌深密経 一百巻 無著菩薩筆
│ └或八箇年 │ │五巻 瑜伽論
┌方等部 │ │ 世親菩薩造
│ 権大乗 │ │ 唯識論
│ │ │ 三十頌
│ │ │
│ │ │┌有相宗 三時を立て一代を摂尽す┌玄奘三蔵
│ │ └法相宗──────────────┴ 慈恩大師
│ │ 六経十一論
│ ├瓔珞経
│ │ 結経
│ ├楞伽経──禅宗──達磨大師
│ │ 或は諸法無行経 或は金剛般若経 或は大円覚経 或は首楞厳経
│ │ 或は云く一切経 或は云く教外別伝
│ │ ┌─────一巻七枚
│ │ 菩提心論──┬或云竜樹造
│ │ └或云不空造
│ │ 七巻
│ │┌大 日 経──┬──善無畏三蔵
│ ││ 三巻 │
│ ├┼金剛頂経 │ 真言宗
│ ││ 三巻 │ 顕密二道を分ち五蔵を立て或は十住心を立つ
│ │└蘇悉地経 └──金剛智三蔵・不空三蔵・一行阿闍梨
│ │ 或は云く 方等部
│ │ 或は云く 華厳部
│ │ 或は云く 般若部 ┌曇鸞法師
│ │ 或は云く 法華部 ├道綽禅師
│ │ 或は云く 涅槃部 ├善導和尚
│ │ 或は一代諸経の外 ├恵感禅師
│ │ 雙観経 ├小康法師
│ ├観 経──浄土宗──┴法 照
│ 三十年 └阿弥陀経
│ ┌或は云く二十一年 │├難行
│┌┴或は云く十四年 └┼易行
││ ├聖道
││ ┌大品 般若 ├浄土
││ ├光讃 般若 ├雑行
││ ┌┼金剛 般若 ├正行 ┌百 論 竜樹菩薩造
││ │├天王問般若 ├諸行 ├中 論 同
││ │└摩訶 般若 └念仏 ├十二門論 同
├般若経─────────────────┴大 論 同
│ └仁王般若 結経
│ ┌或は四論宗という ┌浄影
└三論宗─────────┬─┼興皇
├或は法性宗と云う │ ├嘉祥寺の吉蔵大師
└或は無相宗と云う │ └道朗
└三時を立て一代を摂尽す、或は二蔵を立て或は三転法輪を立つ
┌華厳三七日・阿含十二年・方等般若三十年・已上四十二年なり
├法界性論に四十二年
無量義経に云く方便力を以ての故に四十余年には未だ真実を顕さず、又云く無量無辺不可思議阿僧祇劫を過るも終に無上菩提を成ずるを得ず、所以は何ん菩提の大直道を知らず険逕を行くに留難多きが故に、又云く大直道を行けば留難無きが故に。
現代語訳
┌実大乗 ┌杜順和尚
┌┴権大乗 立五教摂尽一代 ├智儼法師
│ 二七日 華厳宗──────┴法蔵大師
華厳経 二七日 ├香象大師
│ ├賢首法師
└─結経梵網経 大乗戒之を出す └華厳和尚
定
経
┌小 乗 ┌長 阿 含┐ ┌倶舎宗
├十二年 ├中 阿 含┤ │ 律
阿含経─────┼増一阿含┼──┼成実宗
│ └雑 阿 含┘ │ 戒
└結教遺教経 小乗戒之を出ず └律 宗
┌大乗 ┌或云法華巳前
┌─┼或説時不定 ┌─┴或云法華巳後 弥勒菩薩説
│ ├或一六年 ┌深密経 一百巻 無著菩薩筆
│ └或八箇年 │ │五巻 瑜伽論
┌方等部 │ │ 世親菩薩造
│ 権大乗 │ │ 唯識論
│ │ │ 三十頌
│ │ │
│ │ │┌有相宗 三時を立て一代を摂尽す┌玄奘三蔵
│ │ └法相宗──────────────┴慈恩大師
│ │ 六経十一論
│ ├瓔珞経
│ │ 結経
│ ├楞伽経──禅宗──達磨大師
│ │ 或は諸法無行経 或は金剛般若経或は大円覚経 或は首楞厳経
│ │ 或は云く一切経 或は云く教外別伝
│ │ ┌─────一巻七枚
│ │ 菩提心論──┬或云竜樹造
│ │ └或云不空造
│ │ 七巻
│ │┌大 日 経──┬──善無畏三蔵
│ ││ 三巻 │
│ ├┼金剛頂経 │ 真言宗
│ ││ 三巻 │ 顕密二道を分ち五蔵を立て或は十住心を立つ
│ │└蘇悉地経 └──金剛智三蔵・不空三蔵・一行阿闍梨
│ │ 或は云く 方等部
│ │ 或は云く 華厳部
│ │ 或は云く 般若部 ┌曇鸞法師
│ │ 或は云く 法華部 ├道綽禅師
│ │ 或は云く 涅槃部 ├善導和尚
│ │ 或は一代諸経の外 ├恵感禅師
│ │ 雙観経 ├小康法師
│ ├観 経──浄土宗──┴法 照
│ 三十年 └阿弥陀経
│ ┌或は云く二十一年 │├難行
│┌┴或は云く十四年 └┼易行
││ ├聖道
││ ┌大品 般若 ├浄土
││ ├光讃 般若 ├雑行
││ ┌┼金剛 般若 ├正行 ┌百 論 竜樹菩薩造
││ │├天王問般若 ├諸行 ├中 論 同
││ │└摩訶 般若 └念仏 ├十二門論 同
├般若経─────────────────┴大 論 同
│ └仁王般若 結経
│ ┌或は四論宗という ┌浄影
└三論宗─────────┬─┼興皇
├或は法性宗と云う │ ├嘉祥寺の吉蔵大師
└或は無相宗と云う │ └道朗
└三時を立て一代を摂尽す、或は二蔵を立て或は三転法輪を立つ
┌華厳は三週間・阿含十二年間・方等般若合わせて三十年間・合計四十二年である。
├法界性論にも四十二年とある。
無量義経には「方便の力をもっての故に、四十余年には未だ真実を顕わしていない」とある。また「無量無辺不可思議阿僧祇劫を経過しても、ついに無上の悟りを成ずることができない。理由はなぜか、悟りへの大直道を知らず、険逕の道を進むので困難が多いからである」とある。また「悟りへの大直道を行けば困難は無いのである」とある。
語句の解説
講義
ここでは、華厳・阿含・方等・般若の爾前四時を図示されそれぞれに説かれた経教と、それをよりどころにして立てられた諸宗についても細かく示されている。
まず「華厳経」については、脇に「権大乗」「実大乗」と記され、さらに下に「三七日」「二七日」と記され、「結経梵網経」とあり、その下には「大乗戒之を出す」とある。いずれも、一代五時のうち、第一の華厳時を示されたところである。下の方には「華厳宗」と書かれ、脇書には「立五教摂尽一代」その下に「杜順和尚・智儼法師・法蔵大師」の名が示され、その法蔵大師には「香象大師・賢首大師・華厳和尚」と付記されている。「華厳経」の脇書の「実大乗」「権大乗」については、御真筆では線がなく、「華厳経」に権実が含まれるという意でないことは、先の「一代五時図」では「華厳経」を「権大乗」とのみされていたことからも明らかである。では、なぜここで権実を並べて書かれているのか、ここから大乗を述べるにあたり、「実大乗」は法華経であり、華厳経以下はその前段階としての「権教」であることを教えるための講義の手順として記されたものと拝すべきであろう。
次に「三七日」「二七日」の注記は、共に、華厳時の時間の長さ、言い換えれば華厳経をどれだけの日数をかけて説かれたかということである。その日数に三七日・二七日のふたつがあるのは、当時の通例として天台宗は三七日を立て、法相宗では二七日としていたということである。
「華厳経」の脇書の「結経梵網経」とその下の「大乗戒之を出す」というのは、華厳時の結経が梵網経であり、この経の別名を菩薩戒経ともうように、大乗の菩薩戒として十重禁戒や四十八軽戒を説いていることを表している。
「華厳経」の下方に「華厳宗」とあり、その脇に「立五教摂尽一代」とある。これは「五教を立て一代を摂尽す」と読み、五教の区分けによっては釈尊一代の説法を収め尽くす、というのが華厳宗の教相判断であることを表されている。「五教判」は法蔵が立てたもので、第一の小乗教は灰身滅智の涅槃法を説く阿含経等の教えで、第二の大乗始教は大乗の初門の教えである。これを相始教と空始教の二種がある。第三の大乗終教は、真如縁起の理を説き、一切衆生の成仏が可能であると説く楞伽経や起信論の教えで、第四の頓教は、部分的な言説によらず種々の位階を経ることなく直ちに究竟の真理を徹見することを説く維摩経等の教えを指している。第五は円教で、円融具足の一乗を説く華厳経・法華経の教えとしている。なかでも華厳経は円融不思議の法門を開示し、その他の教えとは別異であるとして別教一乗と名付ける。法華経より勝れているとする教判である。もとより、たとえ円融具足の文言はあっても、華厳経には二乗作仏久遠実成が説かれていない故に、真実の円教ではなく、伝教大師が南都六宗を打ち破った際に、華厳の五教説も打ち破られている。安国論御勘由来には「延暦廿一年正月十九日高雄寺に於て南都七大寺の六宗の碩学・勤操・長耀等の十四人を召し合せ勝負を決談す、六宗の明匠・一問答にも及ばず口を閉ずること鼻の如し華厳宗の五教・法相宗の三時・三論宗の二蔵・三時の所立を破し了んぬ但自宗を破らるるのみに非ず皆謗法の者為ることを知る」(0034:08)と述べられている。
「華厳宗」の文字の下方には「杜順和尚」「智儼法師」「法蔵大師」の三人の名が記されている。華厳宗では杜順を開祖・智儼を第二祖・法蔵を第三祖とするのである。さらに「法蔵大師」のところには「香象大師」「賢首法師」「華厳和尚」と書かれている、いずれも法蔵の尊称として使われていた呼び名である。
次に「阿含経」については、脇書に「小乗」「十二年」と記されている。「阿含経」は総称で、この下に「長阿含・中阿含・増一阿含・雑阿含」とあるように、四つの経典から成る。しかしいずれも、自身の煩悩を消滅して涅槃に至ることを願う声聞縁覚のための教えであるので「小乗」に位置付けられる。「十二年」とあるのは、これら四つの阿含経典が説かれた期間である。阿含時は鹿宛時とも称されるように、釈尊が波羅奈国の鹿野宛などで12年間にわたって説法したものである。この「阿含経」の脇書に「結経遺教経」と書かれ、それに「小乗戒之れを出す」と付記されている。「遺教経」は正式には仏垂般涅槃略教誡経というように、仏が涅槃に臨んで諸の弟子のために最後の誡めを説いたもので、小乗の涅槃経とされる。したがって実際に説かれた時でいえば、はるかにあとの釈尊の最晩年であるが、内容的に声聞の弟子たちの守るべき戒律が説かれていることから、阿含時経典の結経とされたのである。
以上、阿含時経典について示された図の下に「俱舎宗・成美宗・律宗」の小乗三宗の名が挙げられ、「俱舎宗」の脇には「経」「定」、「成実宗」の脇には「論」、「律宗」の脇には「戒」と記されている。
「俱舎宗」は「俱舎論」をもとに成立したもので、「俱舎論」は世親が兄の無著に破折されて大乗経に帰する以前の小乗時代に著した書である。小乗ながら根本原理であることとから、経律論では「経」に配されていたのである。「成実宗」はインドの論師、訶梨跋摩の「成実論」をもとにしたもので、「成実論」自体は大乗の教えも踏まえて書かれているが、基本的には小乗の論なので、小乗の経律論のなかでの論とされる。苦集滅道の四諦を論じ、滅諦に入る道を明かしていることから、特に記されてはいないが、戒定慧では慧に配されたと考えられる。「律宗」が戒定慧の「戒」であることは注記されているところであるが、経律論の「律」に当たることも、宗名自体に明らかである。
次に「方等部」については、「大乗・或説時不定・或十六年・或八箇年」と記されている。「大乗」と記されているのは、前項の「阿含経」に付された「小乗」に対して、ここから大乗に入るとの意と拝される。また「方等」という呼び名自体が「大乗」の意であることを示すために書かれたと拝される。「方等部」については、釈尊がどれくらいの年月をかけて説いたのか確定していないので「説時不定」とあり、阿含経を説いた後「十六年」で説いたとする説や「八箇年」と説いたとする説など種々あることを示されている。御書の「一代五時図」では、広本・略本ともに、方等時と般若時を合わせて「三十年」としている。そのなかで、方等部を16年とした場合は般若時は14年、方等部を8年とした場合は般若部は22年になるので、次の「般若部」の脇書に「二十二年」「十六年」の両説が記されることになる。
続いて「方等部」に説かれた権大乗経典の代表的なものを挙げておられる。まず、「深密経」とあり「或云法華已前」「或云法華已後」と両説され「五巻」とある。
深密経は解深密経ともいい、全五巻からなる。その内容の主眼は己心の外にあると思われる諸現象といっても、ただ阿頼耶識によって認識の対象に似た姿が心に映しだされたものにすぎないとする唯識の義を説くところにあり、法相宗の依経の一つである「或云法華已前「或云法華已後」とは深密経がいつ説かれたかをめぐって、法華已前と已後の二説があったことを示されている。
「深密経」の下に書かれている「瑜伽論」と「唯識論」は御真筆では「深密経」のすぐ左右に書かれており、深密経をもとに正法時代に成立した論であることが示されている。
「瑜伽論」は「一百巻」「弥勒菩薩説・無著菩薩筆」と記されており、これが100巻から成り、弥勒菩薩が説いたのを無著菩薩が筆録したと伝承されていることを示されている。いうまでもなく、弥勒菩薩は釈尊在世の諸経の対告衆となった菩薩で、釈尊のあとを継いで娑婆世界に出現し、衆生を済度するために兜率天の内院で五十六億七千万歳、その時を待っているとされている。無著菩薩はこの兜率天に登って弥勒菩薩が説いたところを筆録した。それがこの「瑜伽論」であるという伝承である。
「唯識論」には「世親菩薩造」「三十頌」と記されている。「唯識論」は無著の弟である世親菩薩が著した書とされている。これを玄奘が中国に持ち帰って訳したものであるが、同じ玄奘訳にも「唯識二十論」「唯識三十論頌」がある。ここでは後者を指しておられる。
次に、この「深密経」と「瑜伽論」「唯識論」をよりどころとして立てられた宗派が「法相宗」であることを示されている。この「法相宗」に付して「有相宗」と書かれ、下の方に「玄奘三蔵」「慈恩大師」の名が記されている。
「有相宗」は三論宗を「無相宗」というのに対して法相宗につけられた別称である。すなわち、三論宗が一切諸法は空であるとするのに対して、法相宗は万物の相を論ずるので、このように呼ばれたのである。玄奘三蔵は唐の初め、西インドへ経典を求めて大旅行したことであまりにも有名であるが、この旅で持ち帰ったなかに唯識哲学があり、これを訳して中国に紹介したところから法相宗の開祖とされる。これを教義的に組み立て、実質的にこの宗派を開いたのが慈恩大師である。
「六経十一論」と三時を立てて一代を摂尽す」とは「法相宗」の脇書になっているが、御真筆の紙幅の都合上であろうか、「法相宗」から線を引いて離れたところに書かれている。「六経十一論」は深密経のほかに、華厳経・如来出現功徳荘厳経・大乗阿毘達磨経・楞伽経・厚厳経の五経を加えて「六経」さらに瑜伽師地論・顕揚聖教論・大乗荘厳論・集量品・摂大乗論・十地経論・分別瑜伽論・観所縁縁論・二十唯識論・弁中辺論・大乗阿毘達磨雑集論の「十一論」が法相宗のよりどころとなった経と論である。
次いで「三時を立てて一代を摂尽す」とあるのは、法相宗が、初時・有教、第二時・空教、第三時・中道教の三つの期間に分類して釈尊の一代説法を収める教相判釈を立てたことをいう。すでに中国には天台宗があったのに、あとから法相宗を広めようとしたため、天台大師に対抗した主張が多い。教義的には「三乗真実・一乗方便」と唱えたり、深密経と法華経とどちらが後で説かれたかについても、敵対意識を露骨に示した論議が行われたのであった。
次いで「瓔珞経」と記されている。脇書に「結経」と記されている。釈迦一代五時継図の方等部の項で「結経は瓔珞経なり」(0635:10)とあり、一代五時大意でも「結経瓔珞経」(0396:12)と記されていることからも、瓔珞経が方等部の結経とされていたことが明らかである。「瓔珞経」は姚秦代の竺念仏の訳で「菩薩瓔珞経」「菩薩瓔珞本業経」とあるが、菩薩の52位の階位が示され、菩薩修行の結果得られる功徳を説いているので、方等部の結経とされたのである。
次いで「楞伽経」とあり、その下に「禅宗」「達磨大師」と記されている。脇書には「或は諸法無行経或は金剛般若経 或は大円覚経 或は首楞厳経或は云く一切経 或は云く教外別伝」と記されている。「楞伽経」は北涼の時代に漢訳されており、西暦500年ごろにインドからきた達磨大師は、基本的には「教外別伝」としながら、坐禅修行を裏付けるものとして楞伽経を利用しながら「禅宗」を広めた。当然、日本にも伝わって禅宗諸派の流れを形成している。
ただし禅宗は楞伽経だけでなく、諸法無行経・金剛般若経・大円覚経・首楞厳経なども依経と称し、それこそ、一方で、一切経のすべてが禅宗の依処とする者もいれば、逆に、仏の教えとは別に以心伝心で伝わった仏心を依処と主張する者もある。大聖人当時、特に鎌倉地方に広まっていたのは大日能忍の流れを引くもので、佐渡御書で「教外別伝と号して法華経を月をさす指只文字をかぞふるなんど笑ふ者は 六師が末流の仏教の中に出来せるなるべし」(0959:01)と仰せられているのをはじめ、禅宗は特定の経典に依らないとする考え方が優勢だったようである。
次に「大日経七巻・金剛頂経三巻・蘇悉地経三巻」の真言三部経が記されている。そして真言三部経の脇書に「或は云く方等部・或は云く華厳部・或は云く般若部・或は云く法華部・或は云く涅槃部・或は一代諸経の外」と記され、真言三部経を一代五時のうち、いずれに属するかということをめぐって諸説があることを示されている。
大聖人は真言経典を一代聖教のなかに位置付ける場合は、その法のレベルから方等部に配されるのが普通であるが、一般仏教のなかには、大日如来すなわち毘廬遮那は華厳経の教主の廬遮那と同義で、華厳経の焼き直しであるとする人々もいる。また、中国の真言宗の開祖・善無畏が大日経の理と法華経の理は同じだと唱えて、「理同事勝」を宣伝し、日本の天台宗の慈覚・智証もこれを引き継いだように、法華部に属するとする人々もいる。あるいは、日本真言宗の開祖・弘法大師のように、法華経は応身如来である釈迦仏の説いたものであるのに対し、真言経典は法身如来たる大日如来の説いたものであるという人々もいる。この場合は「一代諸経の外」ということになる。
真言経典が中国に将来されたのは唐代で、すでに天台大師亡きあとであったため、天台の五時教判のなかにないことをよいことに、勝って気ままな位置付けが行われたのである。しかし、歴史的に見れば、仏教外の外道であり、教理的に位置付けるとすれば、方等部に属するのが妥当であろう。
この真言三部経の下の方には「真言宗」と記されており、真言宗の開祖である「善無畏三蔵」の名が「大日経七巻」の下に置かれているのは、彼が「大日経」の漢訳者であるからである。御真筆では「善無畏三蔵」は「蘇悉地経三巻」から線を引かれ、これも彼の訳であることが示されている。
善無畏と共に真言宗の祖師の一人である「金剛智三蔵」は「金剛頂経三巻」の漢訳者でもあるので、御真筆では金剛頂経と金剛智三蔵が線で結ばれている。
「顕密二道を分ち五蔵を立て或は十住心を立つ」の文字は、真言宗の教義を簡潔にまとめて記されている。「不空三蔵」「一行阿闍梨」の名は、御真筆では「善無畏三蔵」「金剛智三蔵」に並べて書かれている。真言三部経の名をあげられた脇には「菩提心論」とあり、また「或云竜樹造」「或云不空造」と付記されている。また「一巻七枚」とも記されている。「菩提心論」一巻は竜樹造・不空三蔵訳とされているが、大聖人は諸御書で竜樹の作ではなく、不空自身の作であろうと指摘されている。
「一巻七枚」というのは一代五時継図では「菩提心論一巻七丁」(0665:14)とあり、丁が和装本の表裏2㌻を指すことから、和装本では14㌻7枚の本であることを示されたのである。この論は日本・真言宗の祖の弘法が重んじられた書であるので、ここに記されたのであろう。
続いて「雙巻経・観経・阿弥陀経」の浄土三部経の経典の名が記され、浄土三部経の下に「浄土宗」「曇鸞法師・道綽禅師・善導和尚・恵感禅師・小康法師・法照」との注がある。
雙巻経とは無量寿経二巻のこと、観経は観無量寿経一巻のこと、阿弥陀経一巻で合わせて浄土三部経という。これらの浄土三部経を依処として浄土宗が成立したのであるが、中国浄土教の開祖たち六人の名が記されている。「恵感禅師」は「懐感禅師」、「小康法師」は「少康法師」ともいう。
この浄土三部経の脇に、「難行・易行・聖道・浄土・雑行・正行・諸行・念仏」と記されている。これらはそれぞれ対になっており、「難行・易行」「聖道・浄土」「雑行・正行」「諸行・念仏」ということになる。
次に「涅槃経」と記され、一代五時のうち、第四時の般若時を示されている。「三十年」とあるのは、前述のごとく「方等部」「般若時」を合わせて、その長さを示されている。「或は云く二十一年・或は云く十四年」前述の通りである。
さらに「大品般若・光讃般若・金剛般若・天王問般若・摩訶般若」という五つの代表的な般若経典の名を記されている。
天台智顗の般若時では、釈尊が22年間般若諸経を説いた期間としており、天台四教儀ではこれを受けて、光讃般若・金剛般若・大品般若などの経名が挙げられている。ちなみに「般若」とは梵語プラジュニャーの音写で、智慧の意である。
般若経の注の下には「百論・十二門論・大論」と記され、いずれも「竜樹菩薩造」となっているが、「百論」は正しくは提婆菩薩造である。
また「般若経」の脇書に「仁王般若・結経」と記されている。釈迦一代五時継図にも「結経は仁王経なり」(0636:14)とあり、立正安国論でも、正法が滅びたときに七難が起きることを仁王経の文によって示されているように、まさに、仏滅後への戒めを説いた結論であることが明らかである。
さらに続けて「三論宗」とあり、「或は四論宗という」との注があり「或は法相宗という」「或は無相宗という」とある。
「三論宗」は四論から「大論」を除いた三論によって成立したもので、この名がある。「大論」を加えると「四論宗」となるが、その場合でも三論を通論、大智度論を別論とした。
「法性宗」とも名付けるのは「三論宗」が諸法の本性を説く宗であるからであり、「無相宗」と名付けるのは諸法の空を説くからである。
「三論宗」の下には「浄影・興皇・嘉祥の吉蔵大師・道朗」と記されている。「浄影」とは、中国・随の三大法師の一人である浄影寺慧遠のことで、「三論宗」の成立には関係はないが、別名の「法性宗」の中には華厳も入っており、慧遠が華厳系の「十地経論」や「華厳経」の注釈を書いていることから、ここに、その名を記されたものと考えられる。
次の「興皇」は中国の梁・陳代の三論宗の相・法朗のことで、嘉祥寺の吉蔵法師の師にあたる。「嘉祥寺の吉蔵大師」は三論宗の中興の祖とされ、嘉祥寺を拠点に活躍したので、嘉祥大師といわれる。主たる著書に三論玄義・中観論疏・大乗玄論などがある。
「道朗」は三論宗の直接の出発点となった人物で、彼の後に興皇寺の法朗、嘉祥寺の吉蔵と続いているので、本来ならば、彼の地位は「興皇」の前に書かれるべきであったろう。
「三時を立て一代を摂尽す、或は二蔵を立て或は三転法輪を立つ」とあるのは三論宗の教相判釈を簡潔に述べたものである。三時とは釈尊一代の説法を菩薩のための教えと、鈍根のために一仏乗を三乗に分別して説いた阿含・方等・般若の教え、最後に三乗を一仏乗に帰せしめた教えの三段に分けるもので、三転法輪もこれと同義である。
二蔵は二種の法蔵という意味で、釈尊一代の教えを声聞蔵と菩薩蔵とに二大別するものである。三転法輪とは釈尊の説法に根本法輪・枝末法輪・摂末帰本法輪の三つを立てるものである。
以上のように、華厳・阿含・方等・般若を図示されたうえで、無量義経から三文が引用されている。これまで示されてきた四時の諸経が、まだ仏教の真実を明かさない方便の説法であることを示す文証が挙げられているのである。
ここで、「方便力を以ての故に 四十余年には未だ真実を顕さず」の「四十余年」の個所に「華厳三七日・阿含十二年・方等般若三十年・已上四十二年なり」と、その内訳とし、合計42年になることが記されている。
また、「法界性論」とある。この書は現存していないが、天台大師・妙楽大師の釈には多くその名がみえ、法華文句記巻四には「菩提流支の法界性論に云く『仏成道後、四十二年にして法華経を説く』と」とある。
最初の文は法華経より以前の方便として説いたものであることを釈尊自身が述べた文としてあまりにも有名である。無量義経説法品第二にあり、正確には「方便力を以ってす。四十余年なは未だ真実を顕さず」との文である。
つまり「釈尊が道場菩提樹下で成道し、衆生のために説法を開始しようとした時、衆生の好みと傾向性にさまざまな違いがあることを知って、それぞれの欲と性とに応じて真実へ導く手段の教えを40余年の間説いてきた。したがって、40余年間の教えにはまだ真実を顕していない」という意味である。
次の文は同経十功徳品第三の文で「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐれども、終に無上菩提を成ずることを得ず。所以は何ん、菩薩の大直道を知らざるが故に、険行を行くに留難多きが故に」という文である。
真実を聞くことのできない衆生は大きな利益を失い、どれほど長期間を過ぎても、ついに無上の悟りを成就することはできない。その理由は、直ちに成仏に至ることのできる道を知らないために、留難の多い険しい道を行かなければならないからである、と説いている。すなわち、爾前権教の諸経の教えでは険しい道と同じで、困難が多いので成仏することはできない、ということである。
次は同経十功徳品第三の文で「大直道を行じて留難なきが故に」という文が引用されている。
この前の経文とは対照的に、ここでは真実の教えは教法を包摂しているので、大直道によって困難なく成仏に至れるという文である。これは、次の第五時の法華経への橋渡しを込めて、ここに挙げられている。
第三章(第五・法華涅槃時を図示す)
┌諸宗依憑宗 世尊法久後要当説真実
┌─┼仏 立 宗 ┌廃也
或は前三教と云い或は前四教前四味と云うなり、或は先の三教の円教に摂尽するを云う。
│ ├天 台 宗
│ └法 華 宗 正直捨方便但説無上道
法 華 経 ┌四時・七教・五時・八教
│ │ ┌秘密宗 │ ┌唯一仏乗
│ └─┴顕露彰灼宗 雖示種種道・其実為仏乗
└普賢経 結経 将非魔作仏・悩乱我心耶
└叡山戒壇 久黙此要・不務速説
┌華厳経・大日経・深密経・楞伽経・大品経・般若経等
│ ┌ 無量義経
│ │ ┌涅槃経等
「我が所説の経典は無量千万億にして已に説き今説き当に説かん 而も其の中に於て此の法華経最も為難信難解なり」、記の六に云く「縦い経有つて諸経の王と云うとも已今当説最為第一と云わず、兼但対帯其の義知んぬべし」、玄の三に云く「舌口中に爛る」、籤の三に云く「已今当の妙此に於て固く迷えば舌爛れて止まざるは猶華報と為す謗法の罪苦長劫に流る」、又云く「諌暁止まず」
結経 ┌法四依第六巻 ┌人四依
┌像法決疑経 ┌依法不依人────┘
│ 一日一夜 │依義不依語
涅槃経──────────────────┤ ┌仏智┌菩薩等識
│ ┌─七十九・八十・八十一 │依智不依識
└八十御入滅┴─八十二・百五・百二十 │ ┌法華経┌爾前の経経
└依了義経不依不了義経
現代語訳
┌諸宗依憑宗 世尊法久後要当説真実
┌─┼仏 立 宗 ┌廃也┌あるいは前三教といい、あるいは前四教・前四味ともいうのである。あるいは先の三教を円教に摂尽するという。
│ ├天 台 宗
│ └法 華 宗 正直に方便を捨ててただ無上の道を説く。
法 華 経 ┌四時・七教・五時・八教
│ │ ┌秘密宗 │ ┌唯一仏乗
│ └─┴顕露彰灼宗 種種の道を示すと雖も、それ実には仏乗の為なり。
└普賢経 結経 将に魔の仏となて、我が心を悩乱するに非ず。
└叡山戒壇 久しく斯の要を黙して、務いで速やかに説かず。
┌華厳経・大日経・深密経・楞伽経・大品経・般若経等
│ ┌ 無量義経
│ │ ┌涅槃経等
已 今 当
法華経法師品第十に「私が説いた経典は無量千万億という計り知れないほどになるが、已に説いた経、今説いている経、これから当に説こうとする経はある。しかしその中において、この法華経が最も信じ難く解し難い」とある。法華文句記の六には「たとえ経があって諸経の王とはいっても、已今当説最為第一とはいっていない。兼・但・対・帯の意義を知るべきである」とある。法華玄義の三には「軽慢を止めなければ舌が口の中で爛れる」とある。法華玄義釈籤の三には「已今当の妙について、頑なに迷い誹謗すれば、今世において受ける、舌が爛れて止むことなき報いはまだ華のようなもので、謗法の罪の苦しみは来世の長い劫にわたる」とある。また、同じく法華玄義釈籤には「法華経が究極の法であるのに、華厳・般若経が勝れているといい諌暁しても止めない場合は、舌が爛れる」とある。
結経 ┌法四依第六巻 ┌人四依
┌像法決疑経 ┌依法不依人────┘
│ 一日一夜 │依義不依語
涅槃経──────────────────┤ ┌仏智┌菩薩等識
│ ┌─七十九・八十・八十一 │依智不依識
└八十御入滅┴─八十二・百五・百二十 │ ┌法華経┌爾前の経経
└依了義経不依不了義経
語句の解説
法華経
大乗経典。サンスクリットではサッダルマプンダリーカスートラという。サンスクリット原典の諸本、チベット語訳の他、漢訳に竺法護訳の正法華経(286年訳出)、鳩摩羅什訳の妙法蓮華経(0406年訳出)、闍那崛多・達摩笈多共訳の添品妙法蓮華経(0601年訳出)の3種があるが、妙法蓮華経がもっとも広く用いられており、一般に法華経といえば妙法蓮華経をさす。経典として編纂されたのは紀元1世紀ごろとされる。それまでの小乗・大乗の対立を止揚・統一する内容をもち、万人成仏を教える法華経を説くことが諸仏の出世の本懐(この世に出現した目的)であり、過去・現在・未来の諸経典の中で最高の経典であることを強調している。インドの竜樹(ナーガールジュナ)や世親(天親、ヴァスバンドゥ)も法華経を高く評価した。すなわち竜樹に帰せられている『大智度論』の中で法華経の思想を紹介し、世親は『法華論(妙法蓮華経憂波提舎)』を著して法華経を宣揚した。中国の天台大師智顗・妙楽大師湛然、日本の伝教大師最澄は、法華経に対する注釈書を著して、諸経典の中で法華経が卓越していることを明らかにするとともに、法華経に基づく仏法の実践を広めた。法華経は大乗経典を代表する経典として、中国・朝鮮・日本などの大乗仏教圏で支配階層から民衆まで広く信仰され、文学・建築・彫刻・絵画・工芸などの諸文化に大きな影響を与えた。
【法華経の構成と内容】妙法蓮華経は28品(章)から成る(羅什訳は27品で、後に提婆達多品が加えられた)。天台大師は前半14品を迹門、後半14品を本門と分け、法華経全体を統一的に解釈した。迹門の中心思想は「一仏乗」の思想である。すなわち、声聞・縁覚・菩薩の三乗を方便であるとして一仏乗こそが真実であることを明かした「開三顕一」の法理である。それまでの経典では衆生の機根に応じて、二乗・三乗の教えが説かれているが、それらは衆生を導くための方便であり、法華経はそれらを止揚・統一した最高の真理(正法・妙法)を説くとする。法華経は三乗の教えを一仏乗の思想のもとに統一したのである。そのことを具体的に示すのが迹門における二乗に対する授記である。それまでの大乗経典では部派仏教を批判する意味で、自身の解脱をもっぱら目指す声聞・縁覚を小乗と呼び不成仏の者として排斥してきた。それに対して法華経では声聞・縁覚にも未来の成仏を保証する記別を与えた。合わせて提婆達多品第12では、提婆達多と竜女の成仏を説いて、これまで不成仏とされてきた悪人や女人の成仏を明かした。このように法華経迹門では、それまでの差別を一切払って、九界の一切衆生が平等に成仏できることを明かした。どのような衆生も排除せず、妙法のもとにすべて包摂していく法華経の特質が迹門に表れている。この法華経迹門に展開される思想をもとに天台大師は一念三千の法門を構築した。後半の本門の中心思想は「久遠の本仏」である。すなわち、釈尊が五百塵点劫の久遠の昔に実は成仏していたと明かす「開近顕遠」の法理である。また、本門冒頭の従地涌出品第15で登場した地涌の菩薩に釈尊滅後の弘通を付嘱することが本門の眼目となっている。如来寿量品第16で、釈尊は今世で初めて成道したのではなく、その本地は五百塵点劫という久遠の昔に成道した仏であるとし、五百塵点劫以来、娑婆世界において衆生を教化してきたと説く。また、成道までは菩薩行を行じていたとし、しかもその仏になって以後も菩薩としての寿命は続いていると説く。すなわち、釈尊は今世で生じ滅することのない永遠の存在であるとし、その久遠の釈迦仏が衆生教化のために種々の姿をとってきたと明かし、一切諸仏を統合する本仏であることを示す。迹門は九界即仏界を示すのに対して本門は仏界即九界を示す。また迹門は法の普遍性を説くのに対し、本門は仏(人)の普遍性を示している。このように迹門と本門は統一的な構成をとっていると見ることができる。しかし、五百塵点劫に成道した釈尊(久遠実成の釈尊という)も、それまで菩薩であった存在が修行の結果、五百塵点劫という一定の時点に成仏したという有始性の制約を免れず、無始無終の真の根源仏とはなっていない。寿量品は五百塵点劫の成道を説くことによって久遠実成の釈尊が師とした根源の妙法(および妙法と一体の根源仏)を示唆したのである。さらに法華経の重大な要素は、この経典が未来の弘通を予言する性格を強くもっていることである。その性格はすでに迹門において法師品第10以後に、釈尊滅後の弘通を弟子たちにうながしていくという内容に表れているが、それがより鮮明になるのは、本門冒頭の従地涌出品第15において、滅後弘通の担い手として地涌の大菩薩が出現することである。また未来を指し示す性格は、常不軽菩薩品第20で逆化(逆縁によって教化すること)という未来の弘通の在り方が不軽菩薩の振る舞いを通して示されるところにも表れている。そして法華経の予言性は、如来神力品第21において釈尊が地涌の菩薩の上首・上行菩薩に滅後弘通の使命を付嘱する「結要付嘱」が説かれることで頂点に達する。この上行菩薩への付嘱は、衆生を化導する教主が現在の釈尊から未来の上行菩薩へと交代することを意味している。未来弘通の使命の付与は、結要付属が主要なものであり、次の嘱累品第22の付嘱は付加的なものである。この嘱累品で法華経の主要な内容は終了する。薬王菩薩本事品第23から普賢菩薩勧発品第28までは、薬王菩薩・妙音菩薩・観音菩薩・普賢菩薩・陀羅尼など、法華経が成立した当時、すでに流布していた信仰形態を法華経の一乗思想の中に位置づけ包摂する趣旨になっている。
【日蓮大聖人と法華経】日蓮大聖人は、法華経をその教説の通りに修行する者として、御自身のことを「法華経の行者」「如説修行の行者」などと言われている。法華経には、釈尊の滅後において法華経を信じ行じ広めていく者に対しては、さまざまな迫害が加えられることが予言されている。法師品第10には「法華経を説く時には釈尊の在世であっても、なお怨嫉が多い。まして滅後の時代となれば、釈尊在世のとき以上の怨嫉がある(如来現在猶多怨嫉。況滅度後)」と説き、また勧持品第13には悪世末法の時代に法華経を広める者に対して俗衆・道門・僭聖の3種の増上慢(三類の強敵)による迫害が盛んに起こっても法華経を弘通するという菩薩の誓いが説かれている。さらに常不軽菩薩品第20には、威音王仏の像法時代に、不軽菩薩が杖木瓦石の難を忍びながら法華経を広め、逆縁の人々をも救ったことが説かれている。大聖人はこれらの経文通りの大難に遭われた。特に文応元年(1260年)7月の「立正安国論」で時の最高権力者を諫められて以後は松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、さらに小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪など、命に及ぶ迫害の連続の御生涯であった。大聖人は、このように法華経を広めたために難に遭われたことが、経文に示されている予言にことごとく符合することから「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」、「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なりと述べられている。ただし「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」、「仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」と仰せのように、大聖人は、それまで誰人も広めることのなかった法華経の文底に秘められた肝心である三大秘法の南無妙法蓮華経を説き広められた。そこに、大聖人が末法の教主であられるゆえんがある。法華経の寿量品では、釈尊が五百塵点劫の久遠に成道したことが明かされているが、いかなる法を修行して成仏したかについては明かされていない。法華経の文上に明かされなかった一切衆生成仏の根源の一法、すなわち仏種を、大聖人は南無妙法蓮華経として明かされたのである。
【三種の法華経】法華経には、釈尊の説いた28品の法華経だけではなく、日月灯明仏や大通智勝仏、威音王仏が説いた法華経のことが述べられる。成仏のための極理は一つであるが、説かれた教えには種々の違いがある。しかし、いずれも一切衆生の真の幸福と安楽のために、それぞれの時代に仏が自ら覚知した成仏の法を説き示したものである。それは、すべて法華経である。戸田先生は、正法・像法・末法という三時においてそれぞれの法華経があるとし、正法時代の法華経は釈尊の28品の法華経、像法時代の法華経は天台大師の『摩訶止観』、末法の法華経は日蓮大聖人が示された南無妙法蓮華経であるとし、これらを合わせて「三種の法華経」と呼んだ。
諸宗依憑宗
伝教大師が弘仁4年(0813)に著した書。本文は13章からなる。内容は天台の義を規範とし、依憑としながら、真言・華厳・三論・法相宗などが仏法の正義からはずれていることを破している。
仏立宗
仏の立てた宗。法華宗のこと。
天台宗
❶法華経を根本として中国・隋の天台大師智顗を事実上の開祖とする宗派。天台法華宗、法華宗ともいう。天台大師は五時の教判を立てて法華経を宣揚し、また一念三千の法門を明かして法華経に基づく観心の修行を確立した。その後、法相宗・華厳宗・密教・禅の台頭に対し宗勢が振るわなかったが、唐になって妙楽大師湛然が再興した。日本では、平安初期に伝教大師最澄が唐に渡って体系的な教義を学び、帰国後の806年に日本天台宗を開いて法華一乗思想を宣揚した。また伝教大師は比叡山に大乗戒壇を建立しようと努め、没後間もなく実現している。伝教没後は密教化が進み、特に円仁(慈覚)や円珍(智証)が唐に渡り密教を積極的に取り入れ、安然が体系的に整備した。❷御書中の用例としては「天台(宗)の教え」といった意味の場合がある。例えば「撰時抄」(263㌻)の「天台宗」は、来日した鑑真によって伝えられた中国天台宗の教えをさす。
法華宗
法華経を依経とする宗派①中国・陳・隋代に天台大師が開創した宗。②伝教大師が開創した宗。③日蓮大聖人が立てられた法華文底独一本門を根本とする宗。
秘密宗
①深奥秘義の教によって立てられた宗のこと。釈尊が本意として説いた法華経を依経とする天台宗のこと。②密教を宗義とする真言宗のこと。
顕露彰灼宗
法華経を依経とする宗のこと。顕露は、はっきり顕れるの意。彰灼は明らかの意。
普賢経
中国・南北朝時代の宋の曇無蜜多訳。普賢経、観普賢経と略す。1巻。普賢経は法華経の教えをふまえた観法の実践を説くので、法華経の直後にその内容を承けて締めくくる経典(結経)と位置づけられた。無量義経(開経)と法華経(本経)と普賢経(結経)を合わせて法華三部経と呼ばれる。
叡山戒壇
法華迹門の円頓戒壇であるが、慈覚・智証の代より真言の邪義に汚染されている。
世尊法久後要当説真実
「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたまうべし」と読む。法華経方便品第二の文。仏は長い間、方便の教えを説き、後に真実の教えを説くとの意。仏が教えを説くのは、一切衆生を成仏させることにあり、法華経には四十余年の方便権教と異なり、釈尊の真実の悟り、一仏乗の法が説かれていることをいう。
正直捨方便但説無上道
正直捨方便とは法華経方便品第二の「今我れは喜んで畏無し、諸の菩薩の中に於いて、正直に方便を捨てて、但だ無上道を説く」の文である。これはまさしく権教方便を捨て、実教、一仏乗の教えを説く、という意味である。但説無上道とは方便品の文。「但無上道を説く」と読む。仏が40余年の権経方便を廃して、実教である無上道の法華経を説くこと。無上道とは有上道に対する語。極説の法である南無妙法蓮華経のこと。これを信じ、実践する日蓮大聖人の門下は、見濁・思想の濁り・偏見の思想を離れるのである。
方便
仏が衆生を教化するうえで、真実に導くために設ける巧みな手段、教えのこと。爾前経では、十界の境涯の差別を強調し、二乗や菩薩の覚りを得ることを修行の目的とする方便の教えを説いている。
無上道
種脱相対して、無上道とは文底下種の妙法であり、無上のなかの無上である。御義口伝には「無上道とは南無妙法蓮華経是なり」(0749:第十三但惜無上道の事:02)「今日蓮等の類いの心は無上とは南無妙法蓮華経・無上の中の極無上なり」(0727:第五無上宝聚不求自得の事:05)等とある。
仏乗
一仏乗・一乗と同義。一切衆生を成仏させるための教えのこと。釈尊一代の聖教のすべては、総じては皆成仏道の教法といえるが、別しては法華経に限るのであり、南無妙法蓮華経に限るのである。
四時
天台大師の五時の教判のうち法華を除いた前、華厳・阿含・方等・般若のこと。
七教
化儀・化法の四教・八教のうち、円教を除いたもの。すなわち、蔵教・通教・別教・頓教・漸教・秘密教・不定教のこと。
五時
天台大師智顗による教判。諸経典の教えを釈尊一代で説かれたものとみなし、成道から入滅までの教えを内容によって五つの時期に分類し、矛盾なく理解しようとした。華厳時・阿含時(鹿苑時)・方等時・般若時・法華涅槃時をいう。①華厳時。釈尊が伽耶城(ガヤー)近くの菩提樹の下で成道した後、21日間、華厳経を説いた擬宜(試みに説いた)の期間。②阿含時。華厳時で教えを理解できなかった者がいたので、波羅奈国(ヴァーラーナシー)の鹿野苑などで12年間、衆生を仏法に誘引するため長阿含経などの四阿含を説いた期間。大乗に対して小乗と位置づけられる。③方等時。続いて16年間(一説には8年間)、阿弥陀経・維摩経などの諸大乗経典を説き、小乗に執着する声聞を糾弾して大乗を慕わせた期間。④般若時。鷲峰山(霊鷲山)・白露池など四処十六会で14年間(一説には22年間)、摩訶般若などの一切皆空の教えを説き、衆生の機根を菩薩として高めた期間。⑤法華涅槃時。マガダ国の霊鷲山と虚空会の二処三会で、8年間法華経を説き、大乗・小乗を超えて一切衆生が成仏できる真実の教えを開会した期間。また入滅直前に拘尸那城(クシナガラ)の西北の跋提河の沙羅双樹において涅槃経を説き、法華経の説法に漏れた人のために補足的に説法した期間。天台大師は、この五時を乳を精製する段階の五味(乳味・酪味・生蘇味・熟蘇味・醍醐味)にあてはめ、醍醐味にあたる法華涅槃時の経が最高の教えであることを強調している。日蓮大聖人は「守護国家論」で、「大部の経大概是くの如し此より已外諸の大小乗経は次第不定なり、或は阿含経より已後に華厳経を説き法華経より已後に方等般若を説く皆義類を以て之を収めて一処に置くべし」(40㌻)と述べられている。
八教
化儀の四教と化法の四教を合わせて八教という。❶化法の四教。①三蔵教。略して蔵教ともいう。経律論の三蔵をそなえ、三界内の生死・因果のみを明かし、諸法を構成要素に分析して空とする析空観を観法とし、諸法の空をみて不空を知らない但空の理を説く。主として声聞・縁覚を対象とし、傍に菩薩を対象とするが、その究極は声聞の覚りにすぎないので、声聞教という。小乗教と位置づけられる。②通教。大乗の初門となる教えで、前の三蔵教と後の別教・円教とに通ずるので通教という。また、三乗に通じる教えなので通教という。界内の理を明かし、諸法の体に即してそのまま空とする体空観を用い、空の中に自ら不空が存在するという不但空の理を説く。声聞・縁覚・菩薩がともに学ぶが、菩薩を主たる対象とする。③別教。前の蔵・通二教とも後の円教とも別なので別教という。界外の事である菩薩の歴劫修行の様相を明かし、空仮中の三諦のそれぞれが但空・但仮・但中であるという隔歴の三諦を説く。二乗を除いて特別に菩薩のために説かれる。④円教。三諦・十界・十如・三千の諸法が円融円満に説かれるので円教という。界外の理を明かし、万法の円融相即を説き、一即一切、一切即一であり、三諦についていえば三諦それぞれが不但で即空・即仮・即中という円融の三諦を説く。一行即一切行、一位即一切位と説き、初心の行位に万行・万位の功徳を包摂するので、一切衆生を対象として救済する利益を有する。❷化儀の四教。。①頓教(覚りの真実を直ちに説く)②漸教(順を追って高度な教えに導いていく)③秘密教(仏は同一の説法を行うが、それを聞く衆生は互いにその存在を知らず、説法の理解に相違がある)④不定教(衆生は同一の場所で同一の内容の教えを聞き、互いにその存在を認識するが、教えの理解に相違がある)。
唯一仏乗
一仏乗は一乗といい、仏乗は仏の境地に運ぶ乗り物。一切衆生を成仏させる法華経のこと。
将非魔作仏・悩乱我心耶
法華経譬喩品第3に「初め仏の所説を聞いて、心中大に驚疑しき、将に魔の仏と作って、我が心を悩乱するに非ずやと」とある。
久黙此要・不務速説
法華経薬草喩品第5に「久しく斯の要を黙して、務いで速かに説かず」とある。
難信難解
「信じ難く、解し難し」と読む。易信易解に対する語。法華経法師品第10には、諸経の中で法華経が最も難信難解であると明かされている(法華経362㌻)。信じ難く理解し難いこと。仏が自身の覚りを直ちに説いた教え(随自意)は凡夫にとって信じ難く理解し難い。それ故、難信難解は仏の真実の教えである証拠とされる。
涅槃経
大般涅槃経の略。釈尊の臨終を舞台にした大乗経典。中国・北涼の曇無讖訳の40巻本(北本)と、北本をもとに宋の慧観・慧厳・謝霊運らが改編した36巻本(南本)がある。釈尊滅後の仏教教団の乱れや正法を誹謗する悪比丘を予言し、その中にあって正法を護持していくことを訴えている。また仏身が常住であるとともに、あらゆる衆生に仏性があること(一切衆生悉有仏性)、特に一闡提にも仏性があると説く。天台教学では、法華経の後に説かれた涅槃経は、法華経の利益にもれた者を拾い集めて救う教えであることから、捃拾教と呼ばれる。つまり、法華経の内容を補足するものと位置づけられる。異訳に法顕による般泥洹経6巻がある。
記
妙楽大師が天台の法華文句をさらに解釈した「法華文句記」のこと。妙楽は中国の唐代の人で天台宗第九祖。天台より六世の法孫で、中興の祖としておおいに天台の教義を宣揚し、実践修行に尽くし、仏法を興隆した。そのなかでも、天台大師の注釈は天台の幽旨を明解にしたもので、法華玄義を法華玄義釈籤、摩訶止観を摩訶止観輔行伝弘決としている。
諸経の王
一切経の王のこと。法華経。末法にあっては日蓮仏法。
兼但対帯
法華玄義巻一上に「華厳は兼、三蔵は但、方等は対、般若は帯、此の経は復兼但対帯なし」とある。「華厳は兼」とは華厳部の経は円頓の法を明かしているのであるが、またところどころに行布の次第を述べ、円教に別教を兼ねているので「兼」という。「三蔵は但」とは小乗阿含経はただ経・律・論の三蔵のみを説いて、通・別・円の三教の理を明かさないことをいう。「方等は対」とは方等部の経々は蔵・通・別・円の四教の義に対応して四教の法を説くところから「対」という。「般若は帯」とは般若部に共般若・不共般若があるが、不共般若は菩薩のみに説いて声聞・縁覚の二乗に共通しない別・円の二教をさし、共般若は声聞・縁覚・菩薩の三乗に共通する通教をさす。般若はこの不共に共を帯びて説くのであり、別・円二教と通教を帯びて説くゆえに「帯」という。したがって、阿含は円のみならず通・別さえも明かしていないから「爾前の円」に含まれず、華厳・方等・般若は円教を説いても、その経のなかに蔵・通・別の三種の教法をも存しているから「権を帯びた円」すなわち「帯権の円」になるのである。それに対して「此の経は復兼但対帯なし」とは法華経が純円一実の教であるとの意である。
玄
法華玄義のこと。天台三大部のひとつ。妙法蓮華経玄義。全10巻からなり、天台大師が法華経の幽玄な義を概説したものであって、法華経こそ一代50年の説法中最高であることを明かしたもの。隋の開皇12年、天台55歳において荊州において講述し、弟子の章安が筆録した。本文の大網は、釈尊一代50年の諸教を法華経を中心に、釈名・弁体・明宗・論用・教判の5章、すなわち名・体・宗・用・経の五重玄に約して論じている。なかでも、釈名においては、妙法蓮華経の五字の経題をもとにして、法華経の玄義をあらゆる角度から説いており、これが本書の大部分をなしている。
籤
妙楽大師湛然の法華玄義釈籤のこと。十巻。妙法蓮華経玄義釈籤の略称で、天台法華釈籤、法華釈籤、釈籤、玄籤ともいう。天台大師の法華玄義の注釈書。妙楽大師が天台山で法華玄義を講義した時に学徒の籤問に答えたものを基本とし、後に修訂を加えて整理したもの。法華玄義の本文を適当に分けて大小科段を立て、順次文意を解釈し、天台大師の教義を拡大補強している。
華報
未来に受ける果に対して、その前兆として受ける報い、現証のこと。
謗法
誹謗正法の略。正法、すなわち釈尊の教えの真意を説いた法華経を信じず、かえって反発し、悪口を言うこと。これには、正法を護持し広める人を誹謗する、謗人も含まれる。護法に対する語。日蓮大聖人は、文字通り正法を謗ることを謗法とするだけでなく、たとえ法華経を信じていても、法華経を爾前経より劣る、あるいは同等であると位置づけて受容することも、釈尊が法華経をあらゆる経に対して第一とした教判に背くので謗法とされている。そして、諸宗が犯しているこの謗法こそが、万人成仏という仏の根本の願いに背き人々を不幸に陥れるものであるので、仏法上、最も重い罪であると人々や社会に対して明示し、その誤りを呵責された。
長劫
極めて長い時間のこと。
諌暁
いさめさとすこと。「諌」は礼をもって他のあやまちをただすこと。「暁」は説なりとあるように、さとし明かすこと。別していえば、国家の安危について、その責任者に進言すること。また、人生の重大事について、相手の蒙を開いて目をさまさせること。結果として、いちじ相手が驚いたり、恨んだり、あだをなしたりすることが多い。法師品には「如来現在猶多怨嫉」とあり、末法には釈尊在世以上の怨嫉の難があると説き、また明楽は「惑耳驚心」と説いている。
像法決疑経
仏入滅後に起る僧俗の非法をあげてこれを誡め、大慈布施を勧めたもの。諸経録では疑経とされる。
一日一夜
天台大師の五時教判によると、涅槃経は一日一夜の説で、跋提河の辺とされている。
八十御入滅
釈尊が80歳で入滅したこと。入滅は寂滅の意で、涅槃ともいい、仏の死を意味する。
七十九・八十・八十一・八十二・百五・百二十
釈迦の入滅は通常80歳とされているが、諸説がある。
依法不依人
涅槃経巻6の文。「法に依って人に依らざれ」と読み下す。仏道修行にあたっては、仏の説いた経文をよりどころにすべきであって、人師・論師の言を用いてはならないとの意。日蓮大聖人も諸御抄で頻繁に引用され、(481㌻など)「報恩抄」には「涅槃経と申す経に云く『法に依って人に依らざれ』等云云依法と申すは一切経・不依人と申すは仏を除き奉りて外の普賢菩薩・文殊師利菩薩乃至上にあぐるところの諸の人師なり」(0294:11)と、あくまでも仏の説いた正しい法によらなければならないことを示されている。
法四依
涅槃経の四依品では、仏滅後の末世(すなわち末法)に正しく依るべき4つの法義をいい、涅槃了義の観点から法四依を再説している。依法不依人・依義不依語・依智不依識・依了義経不依不了義経のこと。
人四依
涅槃経に説く、仏滅後の末世に正しく依るべき4種の人をいう。四種人ともいう。法四依を受持する凡夫と声聞衆(須陀洹・斯陀含・阿那含・阿羅漢)のこと。
依義不依語
法の四依のひとつ。「義に依って語に依らざれ」と読む。仏説の実義・真義をよりどころとして、経文の表面上の語句にとらわれてはならないということ。
依智不依識
法の四依のひとつ。「智に依って識に依らざれ」と読む。仏の真の智慧をよりどころとして、人の浅い知識や経験則によってはならないこと。
仏智
一切の事理に通じた仏の智慧のこと。最高・無上の智慧をいう。
菩薩等識
菩薩等の識を意味し、この識は菩薩の階位である52位のうち、等覚以下の識を意味する。
依了義経不依不了義経
法の四依のひとつ。 「了義経に依って不了義経に依らざれ」と読む。仏の真実の経である法華経をよりどころとして、法華経以外の方便の諸経をよりどころとしてはならないこと。
爾前の経
爾前経のこと。爾の前の経の意で、法華経已前に説かれた諸経のこと。釈尊50年の説法中、前42年に説かれた諸経。
講義
釈尊一代五時のうち、第五の法華涅槃について、法華経と涅槃経とに分けて図示されている。
「法華経」については「諸宗依馮宗・仏立宗・天台宗・法華宗」「秘密宗・顕露彰灼宗」との脇書がある。
このうち「諸宗依馮宗・仏立宗・天台宗・法華宗」については、普通なら法華宗~諸宗依馮集という順になるが、御真筆の線の引き方を拝しても、内容的にも、まず「法華宗」と書かれ、次いで「天台宗」「仏立宗」「諸宗依馮宗」の順になっている。(これは、創価学会版御書全集の図示部構成が、首部に近い部分から、読むようになっているためか)
「法華宗」とは文字どおり、法華経を根本とする宗団・宗派の意である。それが、具体的には「天台宗」であること、そして伝教大師が法華宗句で言っているように、法華宗こそ仏自ら立てた宗であるという意味で「仏立宗」と記されている。さらに「諸宗依馮集」は、これ以外のあらゆる諸宗がよりどころとすべき宗であるとの意である。
対側の「秘密宗・顕露彰灼宗」の「秘密宗」は「かくされている」、「顕露彰灼宗」は「あらわに示されている」で、逆の表現だが、どちらも法華経を根本とする宗を指していわれている。これは仏は法華経に真実を明らかにしめしたのであるが、九界の迷いの境界にいる凡夫にとっては捉えられず理解できない甚深の法である故に「秘密宗」となるのである。
なお、法華経の結経が普賢経、すなわち普賢菩薩行法経であることを示され、これに「叡山戒壇」と記されている。普賢菩薩行法経には大荘厳懺悔による滅罪と仏身の成就を明かされて仏滅後の持戒を説いていることから、この滅後の懺悔と持戒の道場として、伝教大師によって実現されたのが比叡山の大乗戒壇であったことを示されているのである。
以上のように「法華経」の意義を示されたあと、下の方に、法華経こそが真実を明かした経であることを示している経文として方便品第二から3つの文を抜き書きされている。
その第一は「世尊法久後要当説真実」の文で、釈尊は成道後、久しい間にわたって教えを説いた後に必ず真実を説く、というものである。この真実を明かした経が法華経でることを示すために掲げられたものである。
次いで「正直捨方便但説無上道」の文が示されている。
ここでは方便を捨てて、ただ“無上道”すなわち、最高・究極の境界である成仏の道を説いたのが法華経であることを示されている。
「捨」には「廃也」と記されている。ここで、方便の教えを捨てるというのは廃止することであると強調されている。また「方便」につては「或は前三教と云い或は前四教前四味と云うなり、或は先の三教の円教に摂尽するを云う」と記されている。
すなわち、廃すべき爾前の方便の教えとは「或は前三教」といって、化法の四教の内の円教を除く蔵経・通教・別教の三教であり、「或は前四教前四味」といって、五時五味の立て分けのうち、最後の法華・涅槃時を除く華厳時・阿含時・方等時・般若時の前四時前四味でもある。
次の「或は先の三教の円教に摂尽するを云う」とあるのは、「但無上道を説く」の文に付記されており、これは蔵経・通教・別教の前三教を円教のなかに摂尽しているのが無上道であることを示されていると拝せる。
次いで「雖示種種道・其実為仏乗」の文が挙げられている。
これは、仏は40余年にわたって方便権教を説いて「種種の道」を示したが、それは仏乗、すなわち、成仏の法を説くためであったことを明かされているのである。
「種種道」の脇には「四時・七教・五時・八教」と記されており“種種の道”を「四時・七教」の爾前経とする説と「五時・八教」で、一代聖教全体とする説とがあることを示されている。
前節では第五時の法華・涅槃時と八教のうちの円教を除いた爾前の諸経を“種種の道”とするが、後説ではさらに踏み込んで言葉によって説かれた円教・法華経を含む五時八教のすべてを“種種の道”とすることになる。
いずれにせよ「これまでの教えは方便であるから捨てよ」という相待妙の立場に対し、これまでの教えは法華経へ導くために説いたものであるという絶待妙の立場がここに明らかになる。法華経のみが真実で、他は方便とすることに変わりはないが、排除の理論と包摂の論理との違いがここに出てくることになる。
なお、「仏乗」の脇には「唯一仏乗」と記されており、仏乗という法華経方便品第二の言葉がそのまま方便品の他の個所で説かれている「但一仏乗」とまったく同じ意義であることを明らかにされている。ただし、「但」と「唯」との記述の相違はあるものの同義といってよかろう。
第四に「将非魔作仏・悩乱我心耶」という法華経譬喩品第三の文が示されている。これは舎利弗は、方便品の「一大事因縁・開示悟入」の説法を聞いて、譬喩品で領解した言葉のなかにあり、舎利弗は、方便品で諸法実相が説かれ、これは仏のみの知るところで声聞たちには分からないと断じられた時、驚いて、魔が仏となって説法し、自分の心を悩ましているのではないかと疑ったと言っているのである。「一大事因縁」を聞き、一切衆生が成仏できると説かれていた疑いが晴れて歓喜となったことはいうまでもない。
この文をここで引用されたのは、声聞第一の舎利弗すら大きな疑惑にとらわれるほど、法華経の説法は難信難解であり、甚深の法であることを示されるためと拝される。
第五の文は「久黙此要・不務速説」という法華経薬草喩品第五の文である。
この文の第一の「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたもうべし」という文と同趣旨のもので、釈尊が爾前の長い間、一仏乗を黙秘して、急いでは説かなかった、ということである。つまり、それほど法華経の説法は軽々しくは説かれない深淵にして重大なものであることをこの文によって示されているのである。
以上爾前経との対比で法華経が究極であることを示す文証であるが、次に、このあと掲げられる釈尊最後の説法たる「涅槃経」に対しても「法華経」が最極であることを裏付ける文証が挙げられる。それが法華経法師品第十の「我が所説の経典・無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いてこの法華経、最も為れ難信難解なり」という文である。
天台大師は法華文句巻八上で、已説は爾前の四十余年の諸経、今説は法華経の開経・無量義経、当説は涅槃経を指すと釈している。これを踏まえて、この経文の「已に説き」の個所に「華厳経・大日経・深密経・楞伽経・大品経・般若経等」と記されている。同じく「今説き」のところでは「無量義経」と記され、「当に説かん」の個所では「涅槃経等」と記されている。
このことから、法華経を、爾前経に対して勝れるとするだけでなく、法華経より後で説かれる涅槃経と対比しても勝れるとするのが仏意であることが明らかである。
次いで、この法華経法師品の一節を釈した「記の六」「玄の三」「籤の三」等の文が引用されている。まず「記の六」の文は法華経法師品の「已・今・当の三説」を釈した妙楽大師の法華文句記の一節で、その内容は、ある経典が自らを「諸教の王」であると讃嘆したとしても、法華経のように具体的に已・今・当の三説の中で「最第一」という言い方はしておらず、ある範囲の中での最勝に過ぎない、と釈している。その理由として、法華経以外の諸経には「兼但対帯」という立て分けがあることを知らねばならない、と説いている。
すなわち、「兼」は華厳部のことで、四教のうち、円教を“兼”ねる教えであることを示して、「但」は“但”蔵教のみを説いた教えであり、「対」は方等部のことで、四教の機根に“対”して具に四教の教えを説くのでこのようにいう。「帯」とは般若部のことで、通・別の二教を“帯”びて円教を説くのでこのようにいう。いずれも、爾前の諸経を指すが、これに対して、法華経の場合は兼但対帯の方便がまったくないので純円一実の最高の教えとなるのである。
続いて「玄の三」すなわち同じく天台大師の「法華玄義」の巻三の「舌口中に爛る」との文は、法華経が諸経に超越していることを認めないで、法華経に対して軽視し侮るような言説を述べると、その人の舌は口の中で爛れる、との報いを受けることを説いたものである。
次の「籤の三」は妙楽の法華玄義籤巻三の文である。その内容は已・今・当の三説を超過しているというこの法華経の妙法に対して強く迷うならば、舌の爛れが止まないというのはまだ「華報」、すなわち、未来の「果実」の前兆として現世の報いにすぎない。法華経を誹謗した謗法の罪苦は今生だけにとどまるものではなく、極めて長時間にわたる、と説いている。
次いで「又云く『諌暁止まず』」との文は前分と同じく釈籤巻六の文で、その内容は法華経を軽視し華厳般若の方が融通無碍であると説く謗法の人師に対して、諌めさとすにもかかわらず、謗法が止まなければその人師の舌が爛れることは疑いない、と述べているところである。
以上で、第五時・法華涅槃時のうち、法華経についての図示が終わり、続いて、涅槃経の図示に入る。まず「涅槃経」と書かれた脇に「一日一夜」と記され、さらに「像法決疑経」「結経」とある。「一日一夜」というのは涅槃経が釈尊の涅槃の日の一昼夜に説かれた教えを記したものであることを指している。「像法決疑経」は涅槃時の「結経」とされている。
「涅槃経」の脇に「八十御入滅」とあるのは釈尊の入滅した年が80歳であったことを記されている。その下に「七十九・八十・八十一・八十二・百五・百二十」と書かれているのは、釈尊の入滅の年齢をめぐって種々の説があったことを示されている。大聖人は他の御書においても「八十入滅説」を採用されている。
次に「涅槃経」から下に線を引かれており、「依法不依人」「依義不依語」「依智不依識」「依了義経不依不了義経」と書かれ、脇に「法四依」「第六巻」とある。「法四依」が「依法不依人」等をいうことは明らかである。すでに「一代五時図」の「涅槃時」の項でも“人の四依”と共に記されていたが、ここでは“法の四依”だけを記され「依法不依人」の「人」の傍に「人四依」と付記されている。
理論的に考えれば「法に依って人に依らざれ」と戒めながら「人の四依」を立てるのは明らかに矛盾であるが、あくまで「依法不依人」を根本としたうえでの「人の四依」であること、言い換えると依処とすべき人は「法四依」を弁えている人ということになろう。
「法に依って人に依らざれ」は、仏滅後において、仏法を修行し学ぶ人は、仏が説いた法を依りところとすべきで、人の言葉を依りどころとしてはならないという戒めである。
「義に依って語に依らざれ」は、その仏の説いた教えでも、その内容をよりどころとすべきで、表面的な言葉にとらわれてはならないという戒めである。
次いで「依智不依識」の項については「智」の脇に「仏智」と付記され、「不依識」の脇には「菩薩等識」と記されている。
つまり、依りどころとすべきは仏の智慧であり、菩薩・二乗などの識、つまり、さまざまな考えや心の動きを依りどころとしてはならないということである。
最後に「依了義経不依不了義経」の項では「了義経」には「法華経」、「不了義経」には「爾前の経経」と記されている。
真実を完全に説いた教えである法華経を依りどころとすべきであり、方便の教えで真実を説き尽くしていない爾前の経経を依りどころをすべきではないとの戒めである。
第四章(釈尊の主師親三徳を図示す)
┌主上 ┌二天┬魔醘修羅天
┌┼天尊───┘ └毘紐天 ┌大梵天
│└世尊 ┌─┼第六天
┌主───────────────│ └帝釈天
││┌法王 │
││├国王 │
│└┼人王 │ 天竺
│ └天王 ├─┬師子頬王
│ │ └浄 飯 王
│八虐に違す │ 震旦
│ │ ┌三 皇
釈尊─┼師───────────┐ ├─┼五 帝
│└師匠 │ │ └三 王 等
│ 七逆に違す │ │ 日本国
│ 涅槃疏云 章安釈 │ └──神武天皇
│ 一体の仏主師親と作る │ 外道師 ┌迦 毘 羅
│ ├三仙───┼漚楼僧伽
│五逆に違す │ 六 師 └勒 沙 婆
└親──┬八親 │ 外典師 ┌尹 喜
└六親 ├四聖───┼務 成
│┌周公旦 ├老 聃
└┼孔 子 └呂 望
└顔 回
┌ 世尊 三界特尊┌ 二十五有 ┌理性の子 結縁の子
今此三界・皆是我有 其中衆生・悉是吾子 文句の五に云く一切衆生等しく仏性有り仏性同じきが故に等しく是れ子なり
而今此処・多諸患難 唯我一人能為救護
└玄の六に云く本此の仏に従つて初めて道心を発し亦此の仏に従つて不退の地に住す
現代語訳
┌主上 ┌二天┬魔醘修羅天
┌┼天尊───┘ └毘紐天 ┌大梵天
│└世尊 ┌─┼第六天
┌主───────────────│ └帝釈天
││┌法王 │
││├国王 │
│└┼人王 │ 天竺
│ └天王 ├─┬師子頬王
│ │ └浄 飯王
│八虐に違す │ 震旦
│ │ ┌三 皇
釈尊─┼師───────────┐ ├─┼五 帝
│└師匠 │ │ └三 王等
│ 七逆に違す │ │ 日本国
│ 涅槃疏云 章安釈 │ └──神武天皇
│ 一体の仏主師親と作る │ 外道師 ┌迦 毘羅
│ ├三仙───┼漚楼僧伽
│五逆に違す │ 六 師 └勒 沙婆
└親──┬八親 │ 外典師 ┌尹 喜
└六親 ├四聖───┼務 成
│┌周公旦 ├老 聃
└┼孔 子 └呂 望
└顔 回
┌ 世尊 三界特尊┌ 二十五有 ┌理性の子 結縁の子
今此の三界は、皆これ我が有なり、其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり。 法華文句巻五に「一切衆生には等しく仏性が有り、仏性が同じである故に等しく仏の子である」とある。
而今此処・多諸患難 唯我一人能為救護(而も今此の所は、諸の患難多し、唯我一人のみ、能く救護を為す)
└法華玄義巻六に「もともと、この仏に従って初めて仏道を求め、また此の仏に従って不退転の境地に住する」とある。
語句の解説
講義
第一章でも述べたように、三編の一代五時図のなかで、本抄の」鶏図」では人本尊を明らかにすることに力点を置かれている。この段から本抄の後半においては、初めに釈尊が具えている主師親三徳に、諸宗教の立てる主師親を示されたあと、最後に仏法各宗派がいかなる仏を本尊としているかを図示しつつ法華経本門の釈尊こそ究極真実の主師親三徳具備の仏であることを示して結ばれている。
まず「釈尊」の下に「主」「師」「親」と記され、釈尊が主師親三徳を具えた仏であることを図示されている。「主」と書かれた脇に「世尊」「天尊」「主上」と書かれ、御真筆を拝すると、「世尊」に力点が置かれていることは明らかであり、釈尊を呼ぶ称号としても「世尊」が最も多いことから、これは当然である。「世尊」とは、この世のあらゆる人々から尊ばれる存在という意味の呼び名である。
「天尊」とは、天界の衆生からも尊ばれる存在ということであり、「主上」とは、主として最高位にある存在ということである。「主上」の称号は日本の歴史書や古典で、天皇を指して用いられた言葉であるが、ここでは広義で最も尊貴な存在という意味に使われている。このことは、人間世界における「主徳」をもつ具体例として天竺の場合、震旦の場合、日本の場合を下段に挙げられ、その日本国の例として「神武天皇」が示されている事実によっても明確である。
この「世尊」「天尊」「主上」の三つのうち「天尊」から線を引かれて「二天」と書かれ、魔醘修羅天と毘紐天の名が記されている。主師親三徳を明かされた開目抄でも「二には月氏の外道・三目八臂の摩醯首羅天・毘紐天・此の二天をば一切衆生の慈父・悲母・又天尊・主君と号す」(0187:08)と述べられている。
「大梵天」「第六天」「帝釈天」は、本文では「主」のところから引かれた線の先に天竺・真旦・日本国の人間界の主君と並列されているかのようになっているが、御真筆では、「二天」と並べた位置に記されている。「二天」がインドのバラモン教において宇宙の想像・破戒に関わる主神とされたのに対し、大梵天は万物の根源であるブラフマンの神格化、帝釈は神話上の戦争で勝利に導いた英雄神、第六天は他化自在天に住する魔王で、少なくともバラモン教における位置付けは「二天」よりも低くみられていた。
さて、元へ戻って「主」の文字の傍には「法王」「国王」「人王」「天王」と書かれている。ここは釈尊が主徳を示していることを示されていることに主眼があるから「法王」に力点が置かれていると拝される。「法王」とは「法の王」の意で、仏法を説いた仏を指す言葉だからである。
「法王」を仏の尊称として使われている御書の例として如説修行抄の「かかる時刻に日蓮仏勅を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ、法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し」(0501:15)があまりにも有名である。
次に、具体的に人間世界において「主徳」をもつ「国王」「人王」「天王」の例として、天竺すなわちインドでは「師子頬王」「浄飯王」の名が挙げたれている。もとよりこの二人はインドの歴史全体からすると特筆される王ではないが、インドでは古代の歴史記録が残されておらず、阿育王やカニシカ王といった後代の王は別にして、仏典に記されている王が馴染みがあったので挙げられたと考えられる。ちなみに師子頬王は釈尊の祖父であり、浄飯王は釈尊の父として仏典にその名が見られる。
震旦すなわち中国では、多くの歴史記録が残されており、神話・伝説時代から数え切れるほどの王たちの名が知られている。そうした歴代の王たちのなかで淵源を位置する王として挙げられているのが「三皇」「五帝」「三王」等であるが、こちらはインドとは逆に歴史書が多すぎて、だれを「三皇」とし「五帝」とするかについて、さまざまな説があり、定めようがないほどである。
日本国の王としては古事記・日本書紀などで第一代の天皇とされている神武天皇の名が挙げられている。もとよりこれは神武ただ一人ということではなく、その後の歴代天皇を含めておられることはいうまでもない。
このように「主」について記された脇書に「八虐に違す」は御真筆では「違八虐」と書かれているので、正しくは「違すれば八虐」と読むべきであろう。「主」に背くと次の八種の罪に違反することになることを示されている。「八虐」は八逆罪ともいい、謀反・謀大逆・謀叛・悪逆・不道・大不敬・不孝・不義の八つであるが、主師親三徳は人々にとって、尊敬し従うべき存在であることから、特に「主」に背いた場合は「八虐」という重い罪に問われるとされたのである。
以上で「主」の徳については終り、次に「師」の徳について図示されている。まず「師」の脇書が「師匠」とある。いわゆる師匠と呼ばれるひとたちがここに入ることを示されている。
「師」の徳は三徳の一つとして「釈尊」に具わることを示されているのであるが、「師」の下には仏教以外でインドのバラモン教、中国における儒教・道教の「師」にあたる人たちの名を列記されている。
インドでは「三仙」とあり、さらに「迦毘羅」「漚楼僧伽」「勒沙婆」の三人の名が記されている。「三仙」はバラモン教を開祖とする三人のことで、そのうち、「迦毘羅」は数論学派の祖とされる。因の中に果が有るとする“因中有果”論を説く派である。
「漚楼僧伽」は勝論学派の祖とされ、因の中に果無しとする“因中無果”論を説く派である。「勒沙婆」は因の中にまた果有りまた果無しとする“因中亦有果亦無果”論を称える派で、後のジャイナ教の遠き祖とされる。
次いで「六師」であるが、これは釈尊の在世当時、既成のバラモン教の権威を否定して、自由に思想を展開し、中インドで活動していた六人の外道の論師のことで“六師外道”ともいう。すなわち、富蘭那迦葉・末伽拘舎梨子・刪闍耶毘羅胝子・阿耆多翅舎欽婆羅・迦羅鳩駄迦旃延・尼乾陀若提子の6人である。
三仙と六師外道について開目抄には「迦毘羅・漚楼僧佉・勒娑婆・此の三人をば三仙となづく、此等は仏前八百年・已前已後の仙人なり、此の三仙の所説を四韋陀と号す六万蔵あり、乃至・仏・出世に当つて六師外道・此の外経を習伝して五天竺の王の師となる支流・九十五六等にもなれり」(0187:08)と仰せられている。
次に、中国では「四聖」と記され、その脇に「外典師」と書かれている。大聖人はインドのバラモン教を「外道」と呼び、それに対し、中国の儒教・道教を「外典」と呼んで区別されている。「四聖」とは儒家で師弟関係のモデルとされているなかの、師匠にあたる4人のことである。開目抄に「尹寿は尭王の師・務成は舜王の師・大公望は文王の師・老子は孔子の師なり」(0186:06)とある「尹寿」「務成」「大公望」「老子」の四人のことと考えられる。
ちなみに「尹喜」という名は中国・戦国時代の秦の人で、老子と共に西遊の旅に出たというエピソードを持つ人がいるが、「四聖」に位置付けられた例はないので、本文の「尹喜」は「尹寿」のことを指されているものと考えるべきであろう。また、本文の「老聃」は「老子」の字が「聃」であることから。同じ人物であることは明白である。次いで本文の「呂望」は「大公望呂尚」という名称の「呂」と「望」とを採って略称としたものである。「務成」については、開目抄とこの本文と同じである。
儒教・道教の師としては、以上の「四聖」の他に「周公旦」「孔子」「顔回」の三人の名を記さえている。この三人は儒家において「四聖」と並んで尊重されたということで、ここで挙げられたと考えられる。
もとへ戻って「師」の脇に「七逆に違す」と記されている。これも御真筆では「違七逆」とあるので、意味は「師に違すれば七逆」の罪になるということである。「七逆」とは七逆罪のことで五逆罪に殺和尚・殺阿闍梨の二罪を加えたものである。
五逆罪は次の「親」の徳の個所に記されている「五逆に違す」の「五逆」と同じであるが、「師」の徳への背反として典型的なのが、殺和尚と殺阿闍梨である。殺和尚は戒を授けてくれる和尚を殺すことであり、殺阿闍梨とは教えを授ける教団の先生役である阿闍梨を殺すことである。これに加えて、五逆罪も大きくは師敵対に入るので「七逆」とされたのであろう。
次に「釈尊」に具わる三徳にのうち「親」の徳について記されている。まず「親」の脇に「五逆に違す」と記されている。
これも「親に違すれば五逆」の意と拝される。「親」の徳にそむくと、五逆罪になるとの意味である。特に五逆罪を挙げていたのは、このなかでまず、父を殺す、母を殺す、等の「親」への罪が挙げられているからである。
「親」の下に「八親」「六親」とあり、「親」の徳を具える存在として尊ぶべき人の範囲は図示されている。一般的には「八親」とは八代の親族のことで、自分を中心に上四世の父・祖父・曾祖父・高祖と下四世の子・孫・曾孫・玄孫までの親族関係を指し、「六親」は父・子・兄・弟・夫・婦の親族あるいは父・母・兄・弟・妻・子の親族をいう。しかし、ここは、親族という意味は考えられないから、八代前あるいは六代前まで遡って先祖を「親」として尊ぶという意味とも解釈できる。あるいは自分の両親と、そのまた両親とそのまた両親・妻の両親とそのまた両親というように数えたのかもしれない。
さて、以上が「主」「師」「親」のそれぞれについて記されたものに関する解説であるが、最後に「師」と親との間に書かれている「涅槃疏云・章安釈・一体の仏主師親と作る」との注について触れておきたい。
この涅槃経疏の一文は同疏巻三の一節であり、一体の仏が主師親の三徳となってあらわれるとの意で、釈尊の一身に主師親の三徳が具わっていると述べた文である。これまでの外道・外典の例で示されたように、主徳を具わっているということが重要だからである。
さらに「而今此処・多諸患難 唯我一人能為救護」の文が示されている。これは法華経譬喩品第三の「今此三界。皆是我有。其中衆生。悉是吾子。而今此処。多諸患難。 唯我一人。能為 救護」の文を中略され示されたものであるが、一切衆生を成仏させる法華経を説くことにより、釈尊はこの世界の一切衆生に対して広大無辺の主師親三徳を具足した仏になったことを示されているのである。ということは、先述したように、主徳を具える人と師徳を具える人、親徳を具える人は別々であるうえ、たとえば眷属を守る主徳を有しているといっても、その守ってもらえる人々は限られている。日本の国主が守るのは日本の人々に限られているのである。
また、師徳といっても、何を教える師であるかによって、その伝授された智慧・師識の分野は制約されている。親徳もその範囲が限定されることはいうまでもない。
それに対して、この譬喩品の文は、釈尊が三界すなわち欲界・色界・無色界から成るこの現実世界全体を「我が所有なり」として臨み、そのなかの一切衆生を「吾が子」として慈愛する。しかも、この世界に充満する、あらゆる悩み・苦しみから人々を救う万能の智慧を持ち、それを教える主師親であることを宣言したものである。この「患難」すなわち悩み、苦しみには、今、現に起きているものだけではなく、過去世の宿業によるものであるし、死後、未来への不安も含まれるから、三世にわたる“救護”であることが明らかである。
以上の点を踏まえて、この譬喩品の文に付記されている言葉として拝してみよう。
まず「今此三界・皆是我有」の脇に「世尊」「三界得尊」と記されている。すなわちこの世界に対して主徳を有しておられる故に釈尊を「世尊」と呼ぶのであり、しかも「三界において特り尊し」とされるのである。この「三界特尊」が「天上天下唯我独尊」という、釈尊が生まれてすぐ発したとされる言葉とつながっていることは容易に察されよう。また「我有」の「有」の字の横に「二十五有」と記されているのは、三界六道を細かく分けたもので、欲界に四悪道・四州・六欲天の十四有、色界に梵天・無想天・五浄居天・師禅天(四有)の七有、無色界に四空処天の四有、合わせて二十五有である。
次いで「其中衆生・悉是吾子」の文の「吾子」の脇に「理性の子」「結縁の子」との二つの注記がある。ここで「子」とはいうまでもなく仏子のことで、一切衆生が悉く仏性を具えていることを「理性の子」ともいう。一切衆生が仏性を具えていることを「理性」ともいうからである。
また、「文句の五に云く『一切衆生等しく仏性有り仏性同じきが故に等しく是れ子なり』」の文も「理性の子」の意と拝される。
また「結縁の子」とは成仏・得道の縁を結ぶことを結縁といい、単に理論的・観念的に、一切衆生には仏性があるのだから、子であるというだけでなく、現実に仏は衆生に法を説き化導して仏性を覚知させようとする行動がそこに伴っていることを意味する。
最後に「唯我一人」の脇に「玄の六に云く」として法華玄義巻六下の文を引用して「本此の仏に従つて初めて道心を発し亦此の仏に従つて不退の地に住す」と記されている。
この文は曾谷殿御返事のなかでも引用されており「釈尊は一切衆生の本従の師にて而も主親の徳を備へ給う釈尊は一切衆生の本従の師にて而も主親の徳を備へ給う」(1056:13)と述べられている。
すなわち、釈尊こそ一切衆生の久遠下種以来の師であり、これを“本住の師”という。一切衆生はもともと、釈尊に従って「道心」すなわち、悟りを求める心を起こしたのであるから、この本住の師に従って「不退の地」すなわち成仏の境地に到達できるとの意である。
「諸の患難」すなわち、あらゆる苦しみ・悩みから「救われ護られた真実の安穏の境地は成仏以外にはないから、この「能為救護」とは成仏させることであり、それが法華経説法によって達成されたのである。
さらに、本文には欠落しているが、御真筆では「唯我一人」の「我」の右側に「娑婆有縁の仏」と記されている。つまり、釈尊こそ娑婆世界の衆生に縁ある根本の師で、しかも主親の徳をも具えた三徳具備の仏であることが示されているのである。
第五章(弥陀等の娑婆無縁なるを明かす)
文句の六に云く「旧は西方の無量寿仏を以て長者に合す今は之を用いず、西方は仏別に縁異り仏別なる故に隠顕の義成ぜず縁異る故に子父の義成ぜず又此の経の首末全く此の旨無し眼を閉し穿鑿せよ、舎那の著脱近く尚知らず弥陀は遠きに在り何ぞ嘗て変換せん」云云、記の六に云く「西方等とは弥陀・釈迦の二仏既に殊なり豈弥陀をして珍玩の服を隠さしめ乃ち釈迦をして弊垢の衣を著せ使めん状、釈迦珍服の隠す可き無く弥陀唯勝妙の形なるに当る、況や宿昔の縁別に化導同じからざるをや、結縁は生の如く成就は養の如し生養の縁異れば父子成ぜず、珍弊途を分ち著脱殊に隔る消経事闕けて調熟の義乖く当部の文永く斯の旨無し、舎那著脱等とは舎那の動ぜずして而も往くに迷う、 弥陀の著弊は諸教に文無し、若し平等意趣を論ぜば彼此奚ぞ嘗て自ら矜らん、縦い他を我が身とするも還つて我が化を成す我他の像を立つれば乃ち他の縁を助く人之を見ざれば化縁便ち乱る、故に知んぬ夫の結縁とは並に応身に約することを我昔曾て二万億等と云うが如し、況や十六王子始縦り今に至つて機感相成し任運に分解す、是の故に彼の弥陀を以て此の変換と為す可からず
種熟東方有縁 ┌主
┌第一 阿 閦 仏─┼師
│ 脱 └親
│ 種熟 西方有縁┌主
大通の太子├第九阿弥陀仏──┼師
十六王子──┤ 脱 └親
沙弥│ 種熟 娑婆世界┌主
└第十六釈迦牟尼仏┼師
脱 └親
記の九に云く「初此の仏菩薩に従つて結縁し還た此の仏菩薩に於て成熟す」、玄の六に云く「仏尚自ら分段に入つて仏事を施作す有縁の者何ぞ来らざるを得ん譬えば百川の海に潮す応須が如し縁に牽れて応生すること亦復是くの如し」、又云く「本此の仏に従つて初めて道心を発し亦此の仏に従つて不退地に住す」
現代語訳
法華文句巻六に「法華経信解品第四の長者窮子の譬を訳して、古い書には無量寿仏が長者であると訳しているが、今はこれを用いない。西方の仏は別で縁も異なる。仏が別であるから、長者が父であることを隠したのが釈迦仏で顕したのが阿弥陀仏という義は成り立たない。衆生との縁が異なるために、阿弥陀仏が娑婆世界の衆生と子の父の関係にあるという義も成り立たない。また、この法華経の初めから終りまで、全く、阿弥陀仏が娑婆世界の教主であるという旨は説かれていない。眼を閉ざして深く究明せよ。廬舎那仏は近くで著脱を行ったが、衆生は知らなかった。阿弥陀仏は遠い西方にいる。どうして阿弥陀仏が仏になりかわることがあろうか」とある。
法華文句記巻六に「『西方の無量寿仏』等とあるのは、阿弥陀仏と釈迦牟尼仏の二仏は既に異なっているからである。阿弥陀仏にその立派な服を隠させて釈迦牟尼仏は隠すべき立派な服はなく、阿弥陀仏だけが見事な勝れて妙なる仏であるということになる。いわんや過去世における結縁も異なり、化導も同じでない。本来、結縁は四護のうちの生のごとくであり。成熟は養のごとくである。その生と養の結縁が異なるので、父と子の関係は成立しない。立派な服と粗略な服の違いは二仏を隔てるものがあり、服を著るか脱ぐかとの違いは殊に隔他理が大きい。法華義記の経文にはこのような解釈は欠点が多く、父が子を育てるという調熟の本義にそむいている。法華経一部の経には、阿弥陀仏がこの土の教主であるという旨は全く説かれていない。法華文句に『廬舎那仏著脱』等とあるのは、廬遮那仏が応身の姿を顕したり隠したりする義であるのが分からず、長者が阿弥陀仏であると迷ったのである。阿弥陀仏が粗末な衣を著て釈迦仏と現れるなどということは諸経に説かれていない。もし仏はいずれも平等である。故に釈迦仏と阿弥陀仏が同じであるというならば、諸仏はどうしてそれぞれの国を誇りにするのであろうか。たとえ他の仏を我が身としても、他仏が我が教化を成就することになる。また自分が他の仏の姿に立って教化すれば、他仏の縁を助けたことになる。衆生はこれを見ないので教化・結縁ということが混乱するのである。すなわち仏が衆生と結縁するのは応身仏の形によってであることを知るべきであり、釈尊が『我は昔、かって二万億の仏のもとで汝を教化した』と言っているのがそれである。ましてや化城喩品に説かれる十六王子が、始めより今にいたるまで機と感が相成じて、自然に十六王子のうち阿弥陀は西方で、釈尊は娑婆世界でと分々に領解させたのである。それ故に彼の阿弥陀仏をもって釈迦牟尼仏と変換してはならない」とある。
種熟 東方有縁 ┌主
┌第一 阿 閦 仏─┼師
│ 脱 └親
│ 種熟 西方有縁┌主
大通の太子├第九阿弥陀仏──┼師
十六王子──┤ 脱 └親
沙弥│ 種熟 娑婆世界┌主
└第十六釈迦牟尼仏┼師
脱 └親
法華文句記巻九に「初めこの仏菩薩に従って結縁し、またこの仏菩薩によって成熟する」とある。法華玄義巻六に「仏なお自ら分段に入って仏事を施す。有縁の者がどうして求め来ないことがあろうか。譬えば多くの川が海に流れ込むようなものである。有縁にひかれて仏の世に生まれるのは、またまたこのことである」とある。また法華玄義巻六に「もともとこの仏に従って初めて仏道を求め、またこの仏に従って不退転の境地に住する」とある。
語句の解説
文句
天台大師智顗の講義を章安大師灌頂が編集整理した法華経の注釈書。10巻。法華経の文々句々の意義を、因縁・約教・本迹・観心の四つの解釈法によって明らかにしている。
旧
古いこと。
西方
西方極楽世界のこと。観世音菩薩は西方極楽浄土の教主・阿弥陀如来の脇侍とされている。
無量寿仏
阿弥陀仏のこと。浄土経典に説かれ、西方の極楽世界を主宰する仏。阿弥陀はサンスクリットの原語であるアミターユスまたはアミターバの音写で、アミターユスは「無量寿」、アミターバは「無量光」と訳される。無量寿経によれば、阿弥陀仏の修行時代の名を法蔵菩薩といい、長期の修行の果てに衆生救済の48の誓願を成就し仏に成ったという。そして臨終に際して阿弥陀の名をとなえる者のところへ阿弥陀仏が来迎し、極楽浄土に導き入れるという。浄土教では阿弥陀仏の誓願に基づいて、念仏によってその浄土である極楽へ往生しようとした。
長者に合す
法華経の長者窮子の譬のなかで、長者を西方の無量寿仏に訳していることを指す。
西方は仏別に縁異り
西方の世界と娑婆世界は別の仏であり、衆生の縁も異なっているとの意。
隠顕の義
隠と顕の二義。隠はかくす、顕はあらわすの意。仏が隠れたり顕われたりしながら、衆生を教化すること。仏が常住であれば、衆生が懈怠の心を生ずるため、非滅非顕を示し、生死の相を顕すことによって、衆生に生死の当体の真実をさとらせようとすること。
子父の義
子と父の血縁関係があること。
首末
初めと終わり。始末のこと。
穿鑿
深く考えること。詳しく物事を調査すること。吟味すること。
舎那の著脱
舎那は美盧遮那、著脱は衣服を着たり脱いだりすること。法身の毘盧遮那仏が応身の姿を現じることを著、法身に戻ることを脱という。
弥陀
阿弥陀如来の略。阿弥陀は梵語(Amitāyus)阿弥陀痩(Amitābhā)阿弥陀婆で、阿弥陀痩は無量寿命の義、阿弥陀婆は無量光明の義である。西方極楽浄土の教主で、経により種々に説かれるが、一般にはインド・中国・日本ともに無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の浄土三部経に説かれている阿弥陀仏をさす。無量寿経には、その因縁誓願が説かれている。その内容は、過去無数劫に燃燈仏の五十三仏があらわれたのち、世自在王如来が出現し、民衆を教化した。そのとき、一人の国王がその仏の説に随喜し、信心の心を起こして、ついに王位を捨てて僧となり、法蔵比丘といった。法蔵比丘が世自在王仏を示した二百五十一億の諸仏諸国の先例から選択し、自分の国土を荘厳し浄化することを願って立てたのが法蔵比丘の四十八願である。この願を成就して法蔵は阿弥陀仏となり、その国土は西方十万奥の仏国土を過ぎたところにあるという。これが念仏宗で用いるもので、その思想は、あくまでもこの娑婆世界を穢土とし、極楽浄土へ往生することを説く。また、その根本としている第十八願には「十方の衆生、至心に信楽して我国に生まれんと欲して乃至十念せんに、もし生れずば正覚を取らじ」とあるが、次に「唯五逆と誹謗正法を除く」と断っているのを、浄土宗は隠しているのである。なお、同じく阿弥陀といっても、これは最も低劣な阿弥陀で、このほかに大通智勝仏の十六王子の一人で法華経大願の主迹門の阿弥陀、釈尊の分身たる本門の阿弥陀がある。久遠元初の自受用報身如来に対すれば、これらはすべて迹仏であり、権仏にすぎないのである。
嘗て
強い否定をあらわす言葉。
変換
取り換えること。
珍玩の服
珍しく得難い服。
弊垢の衣
破れて古びた服。
勝妙
非常にすぐれていること。
宿昔
①むかし昔。②一夜・昨夜。
化導
仏道に入らしめるため衆生を教化し導くこと。
結縁
仏法に縁を結ぶこと。成仏・得道の縁を結ぶこと。
生養の縁
生養は生じさせ養うこと。衆生を導く妙法の四義のうちの二つ。仏に約し、生養の縁は、仏が衆生に下種し、衆生を促して成仏へ進ませる縁のこと。仏を父・衆生を子、結縁を父の血を継いだ子が生まれること。化導を父が子を養育することにたとえ、生・養の縁が同じならば、真の父子であるように、衆生は初めに結縁して下種された仏を縁として化導を受け、成仏すること。
珍弊
珍は、珍しく得難い服、弊はやぶれて汚れた服。
消経
経文の解しがたきを消し、義理を明らかにすること。
調熟
衆生を化導するため、衆生の機根を調え、成熟させていくこと。
乖く
さからうこと。
当部の文
当該する文。
著弊
破れて汚れた粗末な服を着ること。
平等意趣
四意趣のひとつ。「意趣」とは、心から向かうところ、心ばせ、考え。無着菩薩の摂大乗論に出ている。その意味は、むかし出世した毘婆尸仏という仏と、いまインドに出現した釈尊とは異なった仏であるが、じつは釈尊自身がむかし出世して毘婆仏と称したのである。すなわち、仏の所詮の法は平等である故に、彼即我、我即彼と説く。これを通平等といい、また仏によっておのおの因行果徳が異なっているがまたみな同じであると説くのを別平等というのである。
化縁
化導・教化における仏と衆生の因縁。衆生を教化して仏縁を結ばせることをいう。
応身
仏の三身の一つ。仏の肉体・または慈悲をあらわす。三大秘法禀承事には「寿量品に云く『如来秘密神通之力』等云云、疏の九に云く『一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず』等云云」(1022:09)、総勘文抄には「此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好と為す是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり」(0562:01)、四条金吾釈迦仏供養事には「三身とは一には法身如来・二には報身如来・三には応身如来なり、此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐす譬へば月の体は法身・月の光は報身・月の影は応身にたとう、一の月に三のことわりあり・一仏に三身の徳まします」(1144:08)等とある。
我昔曾て二万億
法華経譬喩品第3に「我昔曾て二万億の仏の所に於て、無上道の為の故に、常に汝を教化す」とある。
十六王子
大通智勝仏が出家した時の16人の王子。父王とともにそれぞれの地で法華経を弘めると誓った。第九が西方の阿弥陀如来であり、第十六が娑婆世界の釈尊である。
機感相成
機は衆生が仏を求める機情、感は仏が衆生の機を感ずること。相成は互いに合致すること。仏と衆生の機根が合うこと。
任運
手を加えることなく、自然のままにの意。
分解
分分に領解すること。
大通の太子
大通智勝仏の16王子のこと。この第16王子が釈尊である。
沙弥
悪を止めて慈を行ずること。
阿閦仏
娑婆世界より東方に位置する阿比羅提世界(妙喜世界と訳す)の教主である仏。「阿閦」はサンスクリットのアクショービヤの音写で、「揺れ動かない」の意。もともと阿比羅提世界を主宰していた大目(広目)如来のもとで誓願を立て修行するさまが、揺るぎなく堅固だったことから、このように呼ばれた。菩薩行をへて成道し、大目如来の後を継いだ。阿閦仏国経などの大乗経典に説かれる。
種熟脱
下種・調熟・得脱のこと。仏が衆生を覚りへと導く三つの段階。各段階で仏が与える利益に応じて、それぞれ下種益・熟益・脱益と呼ばれ、合わせて三益という。
東方有縁
十方のなかの東方世界に、仏と衆生との縁が深厚であること。東方有縁の仏には阿閦仏・薬師如来がある。
阿弥陀仏
浄土経典に説かれ、西方の極楽世界を主宰する仏。阿弥陀はサンスクリットの原語であるアミターユスまたはアミターバの音写で、アミターユスは「無量寿」、アミターバは「無量光」と訳される。無量寿経によれば、阿弥陀仏の修行時代の名を法蔵菩薩といい、長期の修行の果てに衆生救済の48の誓願を成就し仏に成ったという。そして臨終に際して阿弥陀の名をとなえる者のところへ阿弥陀仏が来迎し、極楽浄土に導き入れるという。浄土教では阿弥陀仏の誓願に基づいて、念仏によってその浄土である極楽へ往生しようとした。
西方有縁
十方のなかの西方世界に、仏と衆生との縁が深厚であること。西方有縁の仏は阿弥陀仏。
第十六釈迦牟尼仏
大通智勝仏の十六王子の16番目が釈迦牟尼仏・釈尊である。
娑婆世界
娑婆はサンスクリットのサハーの音写で「堪忍」などと訳される。迷いと苦難に満ちていて、それを堪え忍ばなければならない世界、すなわちわれわれが住むこの現実世界のこと。
玄
法華玄義のこと。天台三大部のひとつ。妙法蓮華経玄義。全10巻からなり、天台大師が法華経の幽玄な義を概説したものであって、法華経こそ一代50年の説法中最高であることを明かしたもの。隋の開皇12年、天台55歳において荊州において講述し、弟子の章安が筆録した。本文の大網は、釈尊一代50年の諸教を法華経を中心に、釈名・弁体・明宗・論用・教判の5章、すなわち名・体・宗・用・経の五重玄に約して論じている。なかでも、釈名においては、妙法蓮華経の五字の経題をもとにして、法華経の玄義をあらゆる角度から説いており、これが本書の大部分をなしている。
文段
①章の切れ目・段落。②経論などの注釈書。
往生
死後、他の世界に往き、生まれること。おもに極楽浄土をさす。
不退地
不退転の地。仏道修行の過程ですでに得た功徳を決して失わないこと。
講義
釈尊のみが、娑婆世界の衆生にとって有縁の仏であることをさらに明確にするために、法華文句・法華文句記・法華玄義等の文を示されている。16王子の図示では、東方の阿閦仏、西方の阿弥陀仏等が娑婆世界の衆生にとっては無縁の仏であることが明らかにされているが、特に西方の阿弥陀如来の無縁であることを強調されていることは明らかである。大聖人当時の日本では、阿弥陀如来を崇拝する浄土宗が国中に広まって人々を惑わせていたからである。
さらにいえば、このように釈迦仏を正しい仏として宣揚されたのは阿弥陀信仰を破折するためであって、末法において真に崇めるべき仏は、呼び名は釈尊でも、法華経本門寿量品の久遠元初の釈尊であることは当然である。
初めに、法華文句巻六上の一節とその釈文である法華文句記巻六上の一節とが引用されている。
まず、法華文句の一節は法華経信解品第四の長者窮子の譬を釈しているところで、「旧」とあるのは天台大師智顗以前の法華経学者である光宅寺法雲の法華義記の解釈を指している。すなわち、法華義記では、窮子の父である長者を西方の無量寿仏であると釈しているが、天台大師はこれを用いない、と述べている。その理由として、「西方は仏別に縁異り仏別なるが故に隠顕の義成ぜず縁異なる故に子父の義成ぜず」とある。つまり、西方の世界と娑婆世界とでは仏も異なり、衆生の縁も異なっている。仏が異なっているのだから「穏顕の義は成立しないし、衆生の縁が異なっているのだから「子父の義」も成立しない、としている。「穏顕の義」とは長者が窮子に自分が父であることを明かしていないことを「穏」とし、それを明かしたことを「顕」とする。しかも法雲は、父が窮子に自分が父で明かす前段階として、子と同じように粗末な服を著て近づいたのを「釈迦」とし、父であり長者としての姿を顕したのを「阿弥陀」としたのである。
天台は長者窮子の譬はあくまで娑婆世界における仏と衆生の関係を表したものであるから、このような解釈は筋が通らないし「又此の経の首末全く此の旨無し眼を閉し穿鑿せよ」と「此の経」すなわち法華経のどこにもそんなことは説かれていないと述べて打ち破っている。
次いで「舎那の著脱近く尚知らず弥陀は遠きに在り何ぞ嘗て変換せん」とあるが、法華文句巻六上の本文では、この文の前につぎのように説かれいている。
「今文に依りて義を附す。若し窮子を釈せんには二乗の人、半字の法を取りて文を銷し、若し長者を釈せんには廬遮那仏、満子の法門を取りて文を銷す。何となれば、宅内の長者は瓔珞を脱して垢衣を著す。衣瓔は異なりあれども、人は祇是れ一なり。廬遮那仏の無量の神徳を隠して丈六の金輝を示し、糞器を執持して三乗の教えを設くることを譬う。穏顕の殊あれども、何ぞ体別に関らん」と。
この文の後に、先の「舎那の著脱」の文が説かれるのである。内容は「今文に依りて義を附す」とあるように、すでに法雲の解釈を破折した後に、天台智顗自身の長者窮子の譬についての釈義を述べるところである。すなわち、窮子は半字の法門に執着する二乗に譬え、長者は満子の法門を所有している廬遮那仏に譬えている。そのうえで、長者が窮子を誘導するために、自分の着ている瓔珞の豪華な衣服を脱ぎ捨て、窮子と変わらない垢だらけの汚い衣服を著て窮子と対応した譬喩を釈して、この場合、衣服には違いはあるけれども、長者という人は同一である。としている。
それと同じように、一代五時でいえば華厳時の廬遮那仏が、阿含時においては二乗を誘導するために、自ら積み重ねた無量の功徳の仏身を隠して丈六の金輝、すなわち、仏としては最も位の低い一丈六尺の金色に輝く応身仏を示し、あえて托鉢の器を持って、蔵教の三乗の教えを設けたことを長者窮子の教えは譬えているとしている。長者の著ている衣服には違いがあっても、長者自身は同一である。それと同じように、廬遮那仏が無量の功徳の仏身をそのまま顕したり、隠して丈六の応身仏の姿を示したりするように“穏顕”に異なりはあっても、廬遮那仏自体には何の違いもない、と結論している。
この文を受けて「舎那の著脱近く尚知らず弥陀は遠きに在り何ぞ嘗て変換せん」という本文での文が引かれているのである。
まず「舎那の著脱」は廬遮那仏が無量の功徳の仏身を隠したり丈六の応身仏の姿を顕したりすることが、同じ娑婆世界で近くに存在している衆生の前で行われたが、衆生はそれを知ることはなかった。しかし、父の体に変わりない。それに対し、娑婆世界を遠く離れた西方の浄土の阿弥陀仏が釈尊とその姿を交換することなどということは、父が別の人と入れ替わるのであるから、父子の義が成り立たなくなる、と述べている。要するに、ここでは阿弥陀仏が娑婆世界とは無縁であることを強調しているのである。
次いで、この法華文句の文を釈した妙楽の法華文句記巻六上の一節が引用されている。まず、天台智顗が法雲の立てた長者=西方阿弥陀仏とする義を破折した個所を釈して「西方等とは弥陀・釈迦の二仏既に殊なり豈弥陀をして珍玩の服を隠さしめ乃ち釈迦をして弊垢の衣を著せ使めん状、釈迦珍服の隠す可き無く弥陀唯勝妙の形なるに当る、況や宿昔の縁別に化導同じからざるをや、結縁は生の如く成就は養の如し生養の縁異れば父子成ぜず、珍弊途を分ち著脱殊に隔る消経事闕けて調熟の義乖く当部の文永く斯の旨無し」と述べている。
ここの内容は、阿弥陀仏と釈迦牟尼仏の二仏はもともと別の仏であるから、法雲のように豪華な衣服を著ていたのが阿弥陀仏で、それを脱いで垢に汚れた衣服を著たのが釈迦仏だとするのは、釈迦牟尼仏には脱いで隠すような豪華な衣服はなく、結局、阿弥陀仏だけが“勝妙も形”すなわち、すぐれた仏身を有していたことになってしまう。しかも、このあと16王子の図で明らかなように「宿昔の縁別に化導同じからざる」で、釈迦牟尼仏と阿弥陀仏とでは、過去世からの衆生教化の縁は別々で、化導の在り方も同じではないということと相反してしまう。
ここの「宿昔の縁別」とは法華経の化城喩品の教えによるもので、それについては本文の後に図示されているので、そこで詳しく触れるとして、要約的に述べると、三千塵点劫の過去世において、大通智勝仏から法華経の教えを受けた16王子のうち、第9王子の阿弥陀仏は西方に縁を求めて、そこの衆生を教化し、第16王子の釈迦牟尼仏は娑婆世界に縁を求めて、そこの衆生を教化したのであり、二仏は衆生との縁も国土も異なり、したがって化導の在り方も異なるということである。結縁は父が子に仏性の生命を授けるようなもので、成就は仏道修行を進ませるようなものであるから、最初の結縁の仏と修行を成就させる仏とが異なるのでは、「父子の義」が成り立たないことになるのである。
次の「珍弊途を分ち著脱殊に隔る」とは、豪華な衣服を著ているか汚れた衣服を著いるかでは異なるし、衣を著しているか脱いでいるかではさらに隔たりがあり、この法雲のような解釈は「消経事闕けて調熟の義乖く」すなわち長者が窮子の機根を整え、父子の関係を明らかにしたという法華経本来の意図にも背いていると破折している。
「舎那の著脱」すなわち廬遮那仏が応身の姿を顕したり隠したりしたのは、廬遮那が動かずして他の場所で説法する義であるのを、衆生は理解できず、遮那仏はどこかにいってしまったと錯覚したのであるが、「弥陀の著弊」釈迦如来がその立派な衣を脱いで粗末な服を著て現れたのが釈迦仏であるなどろいうことはどの経にもない法雲の我見にすぎない、と破っている。
次に「若し平等意趣を論ぜば彼此奚ぞ嘗て自ら矜らん、縦い他を我が身とするも還つて我が化を成す我他の像を立つれば乃ち他の縁を助く人之を見ざれば化縁便ち乱る」と説き、重ねて破折している。
まず「若し平等意趣を論ぜば」とあるのは「平等意趣」すなわち、すべての仏がその本質において法身として平等であるとの立場から、阿弥陀仏と釈迦牟尼仏とは一体であると論ずるなら、「彼此奚ぞ嘗て自ら矜らん」、つまり化城喩品にも見られるように、阿弥陀仏は西方に、釈迦牟尼仏は娑婆世界にと、それぞれの縁を求めて、そこで衆生教化を自ら誇りにしていたようなことはありえないはずである。もし仮に「他を我が身とする」、すなわち他仏を自ら変化身とするならば、結局、それは阿弥陀仏の行うべき西方国土の衆生救済を釈迦牟尼仏が代わりに行っているにすぎないことになり、娑婆世界の衆生とは何の関係もないことになるし、もともと衆生教化の縁が異なる二仏としては成立しなくなる。また、与えていっても「我他の像を立つれば」つまり、たとえば我が他の像を仮に現して衆生教化を行うとするなら、「他の縁」、つまり、他仏の縁を助けることになるが、しかし「人之を見ざれば化縁便ち乱る」、多くの人たちは現にあらわれている姿しか見ないから、本当の仏との縁が分からずに混乱してしまうことになる。
したがって「夫の結縁とは並びに応身に約すること」とあるように、そもそも仏が衆生教化の縁を結ぶ際にはどの仏も等しく応身仏の立場で応ずることになっている。それは法華経譬喩品第三に「我昔曾て二万億の仏の所に於いて、無上道の為の故に、常に汝を教化す」つまり、釈迦牟尼仏は昔から二万億の仏のもとで常に舎利弗を教化してきたと述べられているように終始一貫している。ましてや「十六王子始縦り今に至つて機感相成し任運に分解す」とあるように、化城喩品第七に説かれている16王子は「始」すなわち、三千塵点劫の昔から法華経を説いている時点まで舎利弗の衆生に法を説いてきた。阿弥陀仏は西方でその土の衆生の機感に応じ、釈迦牟尼仏は娑婆世界の衆生の機根に応じるというように、衆生の機とそれを受けての仏の化導は相応じるのであり、そうであってこそ、自然のうちに、機根の分分に即して解悟することができるのである。故に「是の故に彼の弥陀を以て此の変換と為す可からず」と結ばれているように、長者窮子の譬えにおいて、長者が窮子に合わせるために粗末な衣を著ている時は釈迦で、長者としての姿を現した時は阿弥陀仏であるといった“変換”はすることができないのである。
次に改めて、法華経化城喩品第七に出てくる16王子の化導のうち第1の阿閦仏と、第9王子、第16王子の釈迦仏について図示されている。
「十六王子」の脇書に「大通の太子」「沙弥」と記されているように「十六王子」は三千塵点劫の昔に出現した大通智勝仏の出家前の太子であること、この16王子が父・大通智勝仏の出家し成道した姿を見て、自分たちも出家して、沙弥となった。
この16沙弥は父・大通智勝仏から法華経の説法を聞いて、それぞれ十方の国土に赴いて、それぞれの衆生のために父から聞いたとおりに法華経を重ねて説いた。これを“大通覆講”という。
十六沙弥の名とそれぞれが赴いた国土については省略され、ここでは「東方に赴いた第一阿閦仏」「西方・第十阿弥陀仏」「娑婆世界第十六釈迦如来」の三弥陀について記されている。
三沙弥のそれぞれが自ら赴いた国土の衆生に対して「主師親」の三徳を具えた仏として接すると共に、それぞれの衆生に対して下種を下し、これを成熟させ、ついには脱して成仏させたことを、それぞれに付された「種熟脱」「主師親」の注記によって示されているのである。
三沙弥は父の大通智勝仏から聞いた法華経を覆講したのであるから、説いた教えも同じなら「種熟脱」の化導法も同じであり、「主師親」としての立場・働きも同じである。ただし、決定的に相違しているのは、その赴いた国土であり、娑婆世界の衆生にとって主師親として有縁の仏は釈迦牟尼仏のみであることが明白である。
しかもそれは、最初の下種から最後の得道まで一貫していることを、妙楽の法華文句記巻九から「初此の仏菩薩に従って結縁し還た此の仏菩薩に於て成熟す」という一文を引いて示されているのである。
つまり、いかなる衆生といえども、最初に縁を結び下種を下してもらった仏菩薩に、再び出会って同じ仏菩薩によって、その種を成熟してもらって成仏するという意味でもある。娑婆世界の衆生の場合は釈迦牟尼仏であることはいうまでもない。すなわち、三千塵点劫の昔に大通智勝仏の第16王子であった釈迦牟尼仏によって結縁し仏種を下された娑婆世界の衆生は・今法華経を説きつつある同じ釈迦牟尼仏によってその仏種を熟し脱して成仏するということである。
次に、智顗の法華玄義巻六から二文引用されているが、実は同じ個所を二つに分けて引用されているのである。つまり、前の文と後の文とを逆にして一つにすると、玄義本門となる。
まず「本此の仏に従つて初めて道心を発し亦此の仏に従つて不退地に住す」とあるのは、先の文句記の文と同趣旨である。
そして「仏尚自ら分段に入つて仏事を施作す有縁の者何ぞ来らざるを得ん譬えば百川の海に潮す応須が如し縁に牽れて応生すること亦復是くの如し」とは、仏の成道した後に、「分段」つまり、分段の生死という六道の凡夫の迷いの現実世界に自ら入って衆生のために「仏事」を施し行うが、そのとき、この仏のもとには、もともと有縁の衆生が、あたかも、あらゆる川が海に流れ込むように、有縁の仏のもとに集いくるというのである。
第六章(諸宗派の本尊を図示す)
┌本尊 ┌倶舎宗
劣応身釈迦如来─┼成実宗
└律 宗
盧舎那報身────華厳宗の本尊
┌勝応身に当る
釈迦如来─────法相宗の本尊
┌勝応身に当る
釈迦如来─────三論宗の本尊
┌法身 胎蔵界
大日如来─────真言宗の本尊
└報身金剛界
劣応
┌天台は応身 勝劣
阿弥陀仏─────浄土宗の本尊
└善導等は報身
現代語訳
┌本尊 ┌倶舎宗
劣応身釈迦如来─┼成実宗
└律 宗
盧舎那報身────華厳宗の本尊
┌勝応身に当る
釈迦如来─────法相宗の本尊
┌勝応身に当る
釈迦如来─────三論宗の本尊
┌法身 胎蔵界
大日如来─────真言宗の本尊
└報身 金剛界
劣応
┌天台は応身 勝劣
阿弥陀仏─────浄土宗の本尊
└善導等は報身
語句の解説
講義
仏教各宗派がそれぞれいかなる仏を本尊として立てているかについて図示されている。
まず、俱舎宗・成実宗・律宗は、「劣応身釈迦如来」を本尊としていることを示されている。「劣応身釈迦如来」とは、釈迦如来が仏に対して現すさまざまな姿のうち、四教のなかで蔵経を説くために示された丈六の生身の仏身をいう。生身の仏身は無常を免れないので「劣応」というのである。次に華厳宗では「廬舎那報身」を本尊としている。天台家の解釈では、華厳経は4教の中では別・円2教である。次に法相宗の本尊と三論宗の本尊は共に、「勝応身の釈迦如来」である。劣応身が丈六の生身であるのに対し、神通力を具えて変幻自在であるのを勝応身といい、ついで真言宗の本尊は「大日如来」であること、ただし、胎蔵界の大日が法身であるのに対し、金剛界の大日は報身であることを記されている。この大日如来の法身・理を表したところを「胎蔵界」といい、報身・智をあらわしたところを「金剛界」というので、このように記されたのである。次に浄土宗の本尊は「阿弥陀仏」であるが、この阿弥陀仏の捉え方に天台大師と善導とで違いがある。浄土教の祖師である善導は阿弥陀如来を「報身」としているが、「天台は応身」と記され、そのすぐ下に「劣応・勝劣」と記されているように、天台にいわせると阿弥陀如来は応身にすぎず、よくて勝応、厳しくいえば劣応身に位置付けられる。
第七章(天台宗の本尊を図示し総括する)
五百問論に云く「若し父の寿の遠きを知らず復父統の邦に迷わば徒に才能と謂うとも全く人の子に非ず、三皇已前は父を知らず人皆禽獣に同じ」
┌華厳のるさな真言の大日等は皆此の仏の眷属たり
┌久遠実成実修実証の仏
天台宗の御本尊
└釈迦如来
┌応身──有始有終
始成の三身┼報身──有始無終┬─真言の大日等
└法身──無始無終┘
┌応身 ┐
久成の三身┼報身┼無始無終
└法身 ┘
華厳宗・真言宗の無始無終の三身を立つるは天台の名目を盗み取つて自の依経に入れしなり。
現代語訳
五百問論に「もし父の寿命の遠いことを知らず、また父の統治する国に迷っていれば、いたずらに才能があっても全く人の子ではない。三皇以前は父を知らず、人は禽獣に同じである」とある。
┌華厳経の廬舎那仏、真言の大日如来等は皆この仏の眷属である。
┌久遠実成実修実証の仏
天台宗の御本尊
└釈迦如来
┌応身──有始有終
始成の三身┼報身──有始無終┬─真言の大日等
└法身──無始無終┘
┌応身 ┐
久成の三身┼報身┼無始無終
└法身 ┘
華厳宗・真言宗の無始無終を立てているのは、天台宗の呼称を盗み取って自宗の依経に入れたのである。
語句の解説
五百間論
妙楽大師の著作3巻。法相宗の慈恩は法華玄賛で法華経を賛嘆しているが、法相宗の立場から説いているため、かえって法華の心を殺していると破折し、真の法華経の妙旨を顕示している。
父統の邦
父が統治する国のこと。父は仏、久遠の本仏であり、父統の邦とは娑婆世界をさす。
三皇
古代中国の伝説上の理想的な王たち。諸説あるが、伏羲・神農・黄帝の3人とされる。
禽獣
鳥と獣のこと。
天台宗の御本尊
久遠実成の釈尊のこと。
久遠実成実修実証の仏
久遠の昔に成道した釈尊・本果一番成道の釈尊のこと。久遠実成実修実証は釈尊自身に約し菩薩道を行じた実修をいい、また仏果を証得し成仏の相を示したことをいう。
華厳のるさな
旧訳華厳経・梵網経等に説かれる仏・盧遮那のこと。禅宗では盧遮那を本尊とする。
真言の大日
真言宗で本尊と立てる大日如来のこと。
仏の眷属
仏は久遠の昔に成道した久遠実成の釈尊。眷属は①一族・親族・輩。②従者・家来。③仏・菩薩の脇士や従者。仏の説法を聞き、それを信じて行ずる者をいう。
始成の三身
始成正覚の三身如来のこと。
有始有終
始めもあり終わりもあること。爾前経では応身を有始有終とする。
有始無終
始めがあり終わりがないこと。爾前経では報身を有始無終とする。報身とは智慧身ともいい、仏道修行の功徳によって、真実の理にかなう真実の智慧を体得した仏をさす。爾前経の仏は始成正覚といって、修行の結果、今世ではじめて成仏したと説くから、その智慧もまた有始であるが、仏の肉身の滅度の後も、智慧身は永遠に続き無終であると考えた。
無始無終
始めもなく終わりもないこと。三世にわたる常住不滅をいう。
久成の三身
久遠実成の三身如来のこと。
天台の名目
天台宗が立てている教義のこと。
依経
よりろとする経のこと。一代聖教大意には「華厳宗と申す宗は智厳法師・法蔵法師・澄観法師等の人師.華厳経に依つて立てたり、倶舎宗・成実宗.律宗は宝法師・光法師・道宣等の人師・阿含経に依つて立てたり、法相宗と申す宗は玄奘三蔵・慈恩法師等・方等部の内に上生経・下生経・成仏経・解深密経・瑜伽論・唯識論等の経論に依つて立てたり、三論宗と申す宗は般若経・百論・中論・十二門論・大論等の経論に依つて吉蔵大師立て給へり、華厳宗と申すは華厳と法華涅槃は同じく円教と立つ余は皆劣と云うなる可し、法相宗には解深密経と華厳・般若・法華・涅槃は同じ程の経と云う、三論宗とは般若経と華厳・法華・涅槃は同じ程の経なり、但し法相の依経・諸の小乗経は劣なりと立つ、此等は皆法華已前の諸経に依つて立てたる宗なり、爾前の円を極として立てたる宗どもなり、宗宗の人人の諍は有れども経経に依つて勝劣を判ぜん時は いかにも法華経は勝れたるべきなり、人師の釈を以て勝劣を論ずる事無し」(0397:05)とある。
講義
本抄の最後にあたるところで、天台宗の本尊を根本とし、そのもとにこれまで挙げてこられた諸宗派の本尊を位置付けられ総括されている。天台宗の本尊を根本とされていることは「天台宗の御本尊」と呼称され、本尊の前に「御」という敬称をつけられているところから明らかである。
まず、妙楽大師の五百問論の一節を引用されている。五百問論は法相宗の慈恩が法華玄義賛十巻を著して法華経を讃嘆したのに対して、かえって法華経の心を殺していると破折し、法華経の深淵な主旨を示そうとした妙楽の著作である。
ここに引用された一節の前後を含めて、原文を挙げると次のようになる。すなわち「一代教の中に末だ曾て遠を顕さず、父母の寿、知らざるべからず。始めて此の中に於いて方に顕本を著す。若し権を以て実に望むれば、実、正にして、権、傍なり。若し迹を以て本に望むれば、迹、権にして、本実なり、如何にして一経の正軌を以て反りて流通と為すや、前八品の内に已に正宗あり。安楽行に至るを流通分と為す。豈、必ず遠寿を説くを方に迹門の正説の流通と為さしむるや。但恐る。才、一国に当るも父母の季を識らざれば、失うところ小といえども、辱むること至って大なり。もし父母の遠きを知らざれば、復父統の邦に迷う。徒に才能と謂うとも全く人の子に非ず」と。
この文は、一代の聖教のなかで、かつて説かれたことのなかった父母の寿、すなわち釈尊の久遠の寿命と本地が本門寿量品で初めて明かされ、それ以前の諸経や法華経迹門は傍となり権となって、本門こそが真実であり正説となったとしている。ただし、大聖人は「父母の寿」とある原文から、特に「父の寿」を強調されている。次いで本抄に引用されている文では、たとえ一つの国で随一の才能を誇っていたとしても、自分の父の年を知らなかったなれば、失うところは小さいにしろ、恥ずかしさのほうがかなり大きいはずである。
また、もし父の寿の遠いことを知らなければ「父統の邦」すなわち、父の統治する国に迷うように、仏の遠寿を知らなければ久遠常住の本仏が常に説法教化している娑婆世界に迷うことになり、そうであっては、才能あっても恩知らずになり、人の子とはいえないことになる。それはちょうど中国古代の伝説の帝王「三皇」以前の、人びと皆が父を知らずに禽獣と変わらない状態であったと同じになる、と破折している。つまり、法華経如来寿量品第十六を知らない諸宗派は、真実の父を知らない畜生と同じであると破折しているのである。
こうして「天台宗の御本尊」に付記されているように「釈迦如来」であるが、同じ釈迦仏でも三論宗・法相宗、さらには俱舎・成実・律の諸宗と違って「久遠実成実修実証の仏」であることを示されている。
すなわち、本門寿量品で明らかにされた五百塵点劫という久遠の昔に菩薩道を行じ、成道した仏である。この仏が以来、「或は己身を示して、或は他身を示し」て無数の衆生を化導してきたのであり「華厳のるさな真言の大日等は皆此の仏の眷属」にほかならない。それ以外の報身・勝応身・劣応身の釈迦如来は垂迹となる。
「実修実証の仏」とは天台智顗の法華玄義巻一に「因は久遠の実修を窮め、果は久遠の実証を窮む」とある一節からとられたものである。
「因は久遠の実修」は久遠五百塵点劫の昔において、釈迦如来が因として修行した菩薩道のことで、寿量品に「我れ本、菩薩の道を行じて」とあるとおりである。
「果は久遠の実証」は釈迦如来が久遠に菩薩道の因を修行した結果、仏果を証得したことを指し、同品に「我、実に成仏してより已来、久遠なること斯の若し」とあるとおりである。
次いで「始成の三身」と「久遠の三身」とを対比して図示されている。どちらも「応身」「報身」「法身」の三身の仏であることに変わりないが、それなりの仏身の「始」と「終」に相違がある。
まず「始成の三身」であるが「始成」とは始成正覚のことで、19歳で出家し30歳の時、菩提樹の下で、始めて正覚を成就した立場の釈迦仏で、爾前経と法華経迹門の教主としての釈尊を指す。ただし、三身を具足しているのは法華経迹門の釈尊である。
この仏にあっては、衆生の機根に応じて変化して現れる仏身、つまり「応身」は、30成道という「始まり」と、80入滅という「終わり」があるので「有始有終」と記されている。「報身」とは仏の智慧をあらわす仏身であるが、因行果徳身ともいうように、仏になるための因としての行を積み、その報いとしての功徳を具えた仏身のことで、この「報身」は30成道という「始」まりがあるが、成就された仏としての智慧は永遠に続いていくので「有始無終」と記されている。「法身」は永遠不変の悟りの真理そのものを仏身としたのであり、これは永遠不変なので「無始無終」と記されている。
ところで図示では「報身」と「法身」から線を引いて「真言の大日等」と記されている。先に「真言宗の本尊」として「大日如来」が挙げられた個所で「法身・胎蔵界」「報身・金剛界」と記されていたように、真言宗では大日如来を「報身」「法身」の仏としている。
しかし、この「真言の大白法」は、法華経迹門の釈尊の「報身」「法身」の一分を説いたのも、言い換えると垂迹身にほかならないことを、ここで示されているのである。
次に「久成の三身」については法・報・応の三身ともに「無始無終」の完全な仏であることを示されている。これを三身即一身・一身即三身の円融相即の実仏という。
最後に「華厳宗・真言宗の無始無終の三身を立つるは天台の名目を盗み取つて自の依経に入れしなり」と記され、華厳・真言の二宗を破折されている。
すなわち、華厳宗の廬遮那仏、真言宗の大日如来は「始成の三身」で不完全な仏身であるにもかかわらず、この二宗が共に「無始無終の三身」すなわち「久成の三身」をたてわけるのは、それぞれが依経とする華厳宗や大日経の釈の中に天台独自の教義である「久成の三身」「無始無終の三身」という名称を盗んで取り入れたからにほかならない、と破折され本抄を結ばれている。
しかしながら、法華経寿量品の仏は「五百塵点劫」という久遠の昔ではあるが、ある時点で「成仏」したということが始まりではないかという疑問が生じる。この点については、寿量品の説示を読めば分かるように、実際には五百塵点劫の時をさらに「過ぎたること百千万億那由佗劫」で「無始」となるのである。ただし、大聖人が天台宗の仏法を「像法時代」として末法のために寿量品の文底から顕される久遠元初の仏は、寿量文上の本果の仏に対して、本因の仏という違いがある。
したがって、本抄では「天台宗の御本尊」すなわち「久成の三身」を完全な仏身として一往の結論を示されているが、これはあくまで、寿量品文底下種仏法の御本尊である久遠元初自受用報身如来へと弟子たちを導かれていくための随宣方便と拝されるのである。