窪尼御前御返事(一字供養功徳無尽の事)

窪尼御前御返事(一字供養功徳無尽の事)

 弘安2年(ʼ79)12月27日 58歳 窪尼

 十字五十まい・くしがき一れん・あめおけ一つ、送り給び了わんぬ。
 御心ざしは、さきざきかきつくして、ふでもつい、ゆびもたえぬ。三千大千世界に七日ふる雨のかずはかずえつくしてん、十方世界の大地のちりは知る人もありなん、法華経の一字供養の功徳は知りがたしとこそ、仏はとかせ給いて候え。これをもって御心えあるべし。恐々謹言。
  十二月二十七日    日蓮 花押
 くぼの尼御前御返事

 

現代語訳

十字五十枚、串柿一連、飴桶一つお送りいただきました。尼御前の法華経供養の御志は、先々書き尽くしてしまって、筆も尽き、指も動きません。三千大千世界に七日間、降る雨の数は数え尽くすことができよう。また、十方世界の大地の微塵を数え知る人もいるであろう。しかし、法華経の一字を供養した功徳は知ることは難しいと、仏は説かれています。このことをもって、尼御前の法華経供養の功徳がいかに優れているかを御心得なさい。恐恐謹言。

十二月二十七日            日 蓮  花 押

くぼの尼御前御返事

語句の解説

十字

「じゅうじ」ともいった。蒸餅のこと。蒸した餅の上に、十文字の裂け目を入れて食べやすくしたもの。十字の呼称については晋書の列伝第三巻に「蒸餅の上に十字を作坼せざれば食せず」とあることからきた。

 

三千大千世界

仏教の世界観で、三千世界・大千世界ともいう。古代インド人の描いた宇宙観を用いた。倶舎論巻十一、雑阿含経巻十六などによると須弥山を中心として、その周囲に九山八海と四大洲がある世界を小世界という。この世界を千集めたものを小千世界といい、小千世界を千集めたものを中千世界という。中千世界をさらに千集めたものを大千世界と呼ぶ。この大千世界は小・中・大の三種の千世界から成るので三千大千世界という。三千の世界という意味ではなく、千の三乗の数の世界という意味であり、一仏の教化する範囲とされる。

 

十方世界

東・西・南・北の四方と東南・西南・東北・西北の四維と上・下の二方で十方となり、全宇宙を意味する。

講義

本抄は弘安2年(12791227日、大聖人が御年58歳の時、身延から駿河の窪尼御前に送られた御手紙である。本抄の御真筆は現存していないが、日興上人の写本が大石寺に所蔵されている。

窪尼御前は、大聖人にたまわった御手紙で常に「いよいよ御信用のまさらせ給う事」(1478:12)、「御信心のねのふかく」(1479:02)、「御志殊にふかし」(1481:02)等々と、その信心の志を激賞されている篤信の人である。

本抄においても、窪尼が真心から種々の御供養の物を奉ったことに対して、大聖人は窪尼の信心の志がいかに優れているか、そして功徳のいかに広大であるかについては、すでにたびたび述べ尽くしているから、これ以上もう書くことはできないと仰せられている。

ただ一言、大聖人は、仮に三千大千世界に七日間、降り注ぐ雨の滴の数と、十方世界の大地の塵の数とを算えることのできる人でも、法華経の一字を供養することによって得られる功徳だけは、計り知ることは不可能なほど広大である、と仏は説かれていると紹介されて、尼御前の御供養の功徳の大きさを述べられているのである。

この仏説とは、このとおりに該当する経文は見当たらないが、仏の智慧の広大さを表現するのに、雨の滴、十方世界の塵が数えられるという譬喩がしばしば用いられていたので、それと法華経薬王品の「得る所の功徳は、仏の智慧を以て多少を籌量すとも、その辺を得じ」と併せてこのように仰せられたと考えられる。

「法華経の一字」と仰せられているのは、諸仏に対してその能生の根源である法華経の功徳の大きさを強調されるためで、たとえ一字たりとも、との御意と拝すべきであろう。

末法今時においては、南無妙法蓮華経の御本尊に御供養申し上げることが、この「法華経の一字供養」にあたるのである。

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