本抄は極めて短い御手紙である。日付があるのみで御執筆の年号は記されていないが、弘安2年(1279)と推定されている。御真筆はかつて東京・常泉寺に存していることがわかった。
与えられた人もわからず、内容も欠けて分からないが、日付・判形が加えられており、この文に大聖人の一大事であると述べられていることから、大事な法門を記された書であったろうと思われる。
本抄を与えられた人に対して、だれかに強く言い切りなさいといわれている。おそらく何らかの迫害があって、それに際しての御教示であろう。
弘安2年は熱原方面においては4月に信徒の四郎男が刀傷されるという事件が起きており、熱原の法難が本格的になろうとしていた。また四条金吾には主君から迫害はなくなったものの、逆に主君に用いられるようになった金吾を恨む同僚からの迫害が起きようとしていた期間である。それらに関係する御手紙であるとも考えられる。
「事の一念三千は、日蓮が身に当りての大事なり」(0717:12)
「寿量品の法門は日蓮が身に取つてたのみあることぞかし」(0892:06)
「日蓮が身に当ての法門わたしまいらせ候ぞ」(1361:16)
これらの御文から拝すると、大聖人個人の身の上のことを仰せなのではなく、大聖人の独一本門を「日蓮が身のうえの一大事」と仰せになっているのではないだろうか。
いずれにせよ周囲の迫害等に負けることなく、堂々と大聖人の仏法を言い切ることが大切であるとの御教示であると拝する。