一代五時図 第二章21(第五時のうち、法華涅槃時を図示する)

一代五時図 第二章1(第五時のうち、法華涅槃時を図示する)

 

  │        ┌顕露宗

  │ 実大乗    ├最秘密宗

  ├法華経 ────┼仏立宗

  │ 八箇年     ├法華宗

  │        └天台宗

  │    世尊は法久しくして後に要当に真実を説き給うべし・正直に方便を捨てて但無上道を説く・種種の道を示すと雖も其れ実には仏乗の為なり、今此の三界は皆是れ我が有なり其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり而も今此の処は諸の患難多し唯我れ一人のみ能く救護を為す復教詔すと雖も而も信受せず、若し人信ぜずして此の経を毀謗せば則一切世間の仏種を断ぜん、或は復蹙して疑惑を懐かん汝当に此の人の罪報を説くことを聴くべし・若しは仏の在世若しは滅度の後其れ斯の如き経典を誹謗すること有らん経を読誦し書持する有らん者を見て軽賎憎嫉し而も結恨を懐かん・此の人の罪報を汝今復聴け其の人命終して阿鼻獄に入らん一劫を具足して劫尽きなば更生じ是の如く展転して無数劫に至らん・此に於て死し已つて更に蟒身を受けん其の形長大にして五百由旬ならん、若し是の善男子善女人我が滅度の後に能く竊に一人の為にも法華経の乃至一句を説かん当に知るべし是の人は則如来の使なり如来の所遣として如来の事を行ずるなり、薬王若し悪人有つて不善の心を以て一劫の中に於て現に仏前に於て常に仏を毀罵せん其の罪尚軽し若人一の悪言を以て在家出家の法華経を読誦する者を毀呰せば 其の罪甚だ重し・薬王今汝に告ぐ我が所説の諸経而も此の経の中に於て法華最も第一なり・我が所説の経典無量千万億にして已に説き今説き当に説かん而も其の中に於て此の法華経最も為難信難解なり・若し法師に親近せば速かに菩薩の道を得ん是の師に随順して学せば恒沙の仏を見上ることを得ん、爾の時に宝塔の中より大音声を出して言わく善哉善哉釈迦牟尼世尊能く平等大慧教菩薩法仏所護念の妙法華経を以て大衆の為に説き給う是の如し是の如し釈迦牟尼世尊の所説の如きは皆是れ真実なり・諸余の経典数恒沙の如し此等を説くと雖も未だ難しと為すに足らず若し須弥を接つて他方無数の仏土に擲げ置かんも亦未だ難しと為さず・若し仏の滅度に悪世の中に於て能く此の経を説かん是れ則ち難しと為す、諸の無智の人の悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん我等皆当に忍ぶべし悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為れ得たりと謂い我慢の心充満せん或は阿練若に納衣にして空閑に在つて自ら真の道を行ずと謂いて人間を軽賎する者有らん利養に貪著するが故に白衣の与に法を説いて世に恭敬せらるること六通の羅漢の如くならん・常に大衆の中に在つて我等を毀らんと欲する故に国王大臣婆羅門居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説いて是れ邪見の人外道の論議を説くと謂わん・濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん悪鬼其身に入つて我を罵詈し毀辱せん・濁世の悪比丘は仏の方便随宜所説の法を知らず悪口して嚬蹙し数数擯出せられん、大神力を現し広長舌を出して上梵世に至らしむる諸仏も亦復是の如く広長舌を出し給う。

  │      ┌依法不依人文殊・普賢・観音・地蔵等・竜樹菩薩・善無畏・弘法・慈覚・法蔵・嘉祥・善導等なり

  │ 一日一夜 ├依義不依語   ┌観経等

  └涅槃経───┼依智不依識   ├大日経等

    八十入滅 ├依了義経 法華経 ├深密経等

         └不依不了義経──┼華厳経等

                  └般若経等

 

現代語訳

│        ┌顕露宗

  │ 実大乗    ├最秘密宗

  ├法華経 ────┼仏立宗

  │ 八箇年     ├法華宗

  │        └天台宗

法華経方便品第二には「世尊は、これまでの種々の道を説き示したが、それは本当は、一切衆生を成仏得道させる一仏乗をとくためである」と説かれている。

法華経譬喩品第三には「欲界・色界・無色界の三界はすべて私の所有であり、その中に住む衆生はことごとく私の子であり、しかもこの三界はわずらわしく困難なことが多いが、ただ私のみがよく救済し守護することができる。また、この妙法を教えても、衆生のほうが信受しようとしない」と説かれている。

法華経譬喩品第三には「もし衆生が信じないでこの経の教えをそしるならば、そのときには、一切世間すなわち六道の迷界を脱して成仏するための根本の因である仏種を、みずから断ち切ることになる」ととかれている。

法華経譬喩品第三には「あるいはまた、顔をしかめ眉をひそめて法華経を非難し、疑惑を懐くであろう。あなたは、まさに、この人の罪報を聴くべきである」と説かれている。

法華経譬喩品第三には「あるいは、釈尊が生きてる間や釈尊が入滅の後の世にあって、この経典を誹謗することがあるであろう。また、法華経を読んだり、暗誦したり、書写したり、護持したりしている者を見て、彼を軽んじたり、賎めたり、憎み嫉み、しかも強い恨みを懐くであろう。この人の罪報をあなたは今、ふたたび聴きなさい。その人は、命を終えた後、阿鼻地獄に入るであろう。その阿鼻地獄において一劫もの非常に長い期間を全うしたならば、また再びその阿鼻地獄に生まれるというふうにして、阿鼻地獄に次々と移っていき、数えきることができないほどの長期間に至るであろう」と説かれている。

法華経譬喩品第三には「ここにおいて、その『死』が終わったあとに、生を受けたとしても蟒身を受けるであろう。その形はきわめて長大で五百由旬にもなるであろう」と説かれている。

法華経法師品第十には「もし、この法華経を信ずる在家・出家の男性および在家・出家の女性が、私の入滅の後に、ごく、わずかに一人のためにも、法華経の、あるいは一句を説くとしよう。まさに知りなさい。この人はすなわち、如来の使者であり、如来から遣わされた者として、如来の振る舞いをなすのである」と説かれている。

法華経法師品第十には「薬王菩薩よ、今、あなたに告げる。私が説いてきたところの諸経があるが、この経のなかにおいて、法華経が第一であり、最も勝れた教えなのである。私が説いてきたところの経典ははかり知れないほど数多くあるが、已に説いた経・今説く経、当に説こうとしている経の三説を超過し、その中において法華経が最も信じ難く理解し難い経典なのである」と説かれている。

法華経法師品第十には「もし法師に親しみ近づくならば、すみやかに菩薩道を成就し、成仏得道できるであろう。この師の教えに従って仏道修行するならば、ガンジス河の砂の数のような、無数の仏を見たてまつることができるであろう」と説かれている。

法華経 見宝搭品第十一には「その時に、宝塔の中から大音声をいだして讃嘆していわく『善い哉、善い哉。釈迦牟尼世尊、平等大慧、教菩薩法、仏所護念の妙法華経をもって、法華経の会座に連なった大衆および一切衆生のために説かれた。そのとおりである、そのとおりである。釈迦牟尼世尊の所説は、皆これ真実である』と説かれている。

法華経見宝搭品第十一には「一切のなかの法華経以外の諸経典はあたかも、ガンジス河の砂の数のようであって無数である。これら、法華経以外の無数の経典を説くといっても、いまだ難しいとするに足らない。もし須弥山を手にとって他方無数の仏土になげおくことも、また難しいとはしない。もし、仏の滅度の、末法の五濁が盛んな悪い世の中、世界において、よくこの経を説くとしよう。これこそ難しいとするのである」と説かれている。

法華経勘持品第十三には「仏法に対する理解のない多くの人々がいて、法華経の行者に対して悪口を言ったりののしるであろう。さらに、刀や杖で法華経の行者を亡き者にしようとして迫害する者が出現するであろう。私たちは皆、まさに忍ばなければならない。五濁悪世の末法の僧は、よこしまな智慧をもち、心はへつらい曲がっていて、未だ悟りを証得したと錯覚し、我慢の心が満ちているであろう。この人は、自己の利益だけを追求し、むさぼり執着する故に、白衣のために法を説いて、世間の人々から慎まれ敬えるさまは、六神通を得た阿羅漢のごとくであろう」と説かれている。

法華経勧持品第十三には「常に一般民衆の中にあって、私たちをそしろうと欲するが故に、国王・大臣・社会で最も尊崇される婆羅門・在家の長者である居士、及びそれ以外の出家した男性の僧たちに向かって、私たちを誹謗するために、私の悪として、『この人たちは、邪悪な考えを持っている人たちであり、外道の理論や教義を説いている』というであろう」と説かれている。

法華経勘持品第十三には「濁って乱れきった末法の世の中の邪悪な僧は、釈尊が方便として衆生の機根に随って仮に説いた教えであることを知らないで、悪口を加え、顔をしかめ、眉をひそめて非難し、正法の弘通の故に、二度にわたって追放という迫害を受けるであろう」と説かれている。

法華経如来神力品第二十一には「釈尊は大きく不可思議な大神力を顕現して、広く長い舌をいだして、上は梵世にまで至らしめた。釈尊の十方分身の諸仏もまた同様である。釈尊と同じように広く長い舌をいだされた」とある。

 │      ┌依法不依人文殊・普賢・観音・地蔵等・竜樹菩薩・善無畏・弘法・慈覚・法蔵・嘉祥・善導等なり

  │ 一日一夜 ├依義不依語   ┌観経等

  └涅槃経───┼依智不依識   ├大日経等

    八十入滅 ├依了義経 法華経 ├深密経等

         └不依不了義経──┼華厳経等

                  └般若経等

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