上野殿母御前御返事(百箇日追善の事)

上野殿母御前御返事(百箇日追善の事)

 弘安3年(ʼ80)12月中旬 59歳 上野尼

 麞牙二石ならびに鷷鵄一だ。故五郎殿百箇日等云々。
 法華経の第七に云わく「川流江河の諸水の中に、海はこれ第一なり。この法華経もまたかくのごとし」等云々。この経文は、法華経をば大海に譬えられて候。大海と申すは、ふかきこと八万四千由旬、広きことまたかくのごとし。この大海の中にはなになにのすみ候と申し候えば、阿修羅王(数紙欠)

 

現代語訳

白米二石と里芋一駄を故五郎の百箇日法要の御供養として受け取った。

法華経の第七巻薬王菩薩本事品第二十三に「川流・江河・諸水のなかにあって海は第一である。この法華経も、また同様である」とある。この経は、法華経を大海にたとえられている。大海というのは、深さは八万四千由旬あり、広さもまた同様である。この大海のなかには何が棲んでいるかといえば、阿修羅王・

 

語句の解説

麞牙

白米のこと。牙麞の牙が米に似ているところから、このようにいう。

 

蹲鴟

さといもの塊茎のこと。いもがしら、いえのいも等とも呼ばれる。なお「蹲」の字は、原文では左側に尊、右側に鳥であるが活字を得られず、代わりに「上野殿御返事」にお認めの字をあてた。どちらも〝尊〟の字形を共有する。

 

由旬

梵語ヨージャナ(Yojana)の音写。旧訳で兪旬、由延、新訳で踰繕那、踰闍那とも書き、和、和合、応、限量、一程、駅などと訳す。インドにおける距離の単位で、帝王の一日に行軍する距離とされる。その長さは古代中国での40里、30里等諸説があり、大唐西域記巻二によると、仏典の場合、およそ16里にあたるとしている。その他、9マイル、およそ14.4㌔とする説があるが確定しがたい。

 

阿修羅王

阿修羅はアスラ(asura)の音写阿素羅、阿蘇羅、阿須羅、阿素洛、阿須倫、阿須輪などとも書く。非天、非端正、非善戯、非類、無酒、不飲酒、障蔽、質諒、劣天、非類と訳す。六道のひとつで修羅はこの略称。帝釈に敵対する鬼神で大別して三つの意味がある。①無端の義・醜い容貌をしていること。②非天の義・天にあらざること、悪がその戯楽だからである。③無酒の義・悪業の報いにより、酒が得られないのである。戦闘を好む鬼神であり、十界に約し、生命論のうえからいえば、怒りの生命をいう。十法界明因果抄には「第四に修羅道とは止観の一に云く「若し其の心・念念に常に彼に勝らんことを欲し耐えざれば人を下し他を軽しめ己を珍ぶこと鵄の高く飛びて下視が如し而も外には仁・義・礼・智・信を掲げて下品の善心を起し阿修羅の道を行ずるなり」文。」(0430:06)とある。常に内には慢心が強く、心が曲がっているため、すなおに物事を考えることができず、正しいことをいわれてもすぐにカッとなる。しかも外には礼儀をわきまえているような生命の姿である。「諂曲なるは修羅」とあるように諂いっ曲がれる心を修羅とし、闘争を好み、たがいに事実を曲げ、またいつわって他人の悪口をいいあうことである。

講義

本抄は、「上野殿御書」の講義のところにも記しておいたように、本来は二編の別々の御書と考えられるようになっている。すなわち、最初から「……阿修羅王」までが一編で、上野殿御書と同じ御書に組み入れられるものであり、後半は、断簡である。ともに、京都・本満寺に御真筆があったところから混同され、一編にされていたものであろう。

したがって、前半の部分については、御執筆が弘安3年(1280)12月13日となる。また、与えられた人も、「上野殿御書」の講義でも触れたように、上野殿後家尼であると考えられる。しかし後半の断簡は、与えられた人の名も、したためられた年も不明である。

さて本文に入り、最初に白米と芋の御供養を受領した旨記されている。この御供養は故七郎五郎の百箇日の供養のためであったようである。七郎五郎は時光の末弟であるが、16歳の若さで突然死去したのである。弘安3年(1280)9月5日のことであるが、それ以前の御書では七郎五郎について述べておられない。逆に、その年の六月に大聖人にお会いしているほどであるから、病気で死んだとは考えられず、事故等による死と思われる。

百箇日というのは、十王経等の教えに基づいて行われる供養である。十王は人の死後、その罪の軽重を裁き果報を決する10人の王のことである。

初七日の秦広王から始まり、そこで衆生の行く先が決まらなければ次の27日・初江王へと引き継がれ、そこでも決まらなければ次の王というように進んでいって、2年後、3回忌の十番目・五道転輪王に至って、すべての衆生の行く先が決定するのである。この十王のうち、第八番目として、死後百日目を担当するのが平等王であるとされている。この王の本地は観音菩薩であると説かれている。このようにそれぞれの節で罪が判定されるのであるから、その節々に供養をするのである。

本文では続いて、法華経薬王品の、法華経が諸経に勝れることを示した十喩の文の最初の部分、法華経を大海にたとえている個所を挙げておられる。諸経は江河であり、それに比べて法華経は一切を包含する大海であると説いた文である。その海がいかに深いかを示し、そこに阿修羅が住むことを述べられているが、御真筆はそこで途切れている。その後に欠落があるが、おそらく上野殿御書の部分へと続くと考えられる。

 

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