富木殿御返事(白米供養の事)
富木殿御返事(白米供養の事)
文永7年(ʼ70) 49歳 富木常忍
白米一ほかい本斗六升、たしかに給び候。ときりょうも候わざりつるに、悦び入り候。何事も見参にて申すべく候。
乃時 花押
富木殿
現代語訳
白米一ほかい、本斗六升たしかに頂戴した。ちょうど斎料も尽きたところで、大変ありがたく、よろこばしく思っている。それにつけても、万事、お目にかかって申し上げます。
乃 時 花 押
富 木 殿
語釈
ほかひ
遠行の際に食料を納めて持参する曲物の類。食物を納める移動用の調度。
本斗六升
本斗は1斗とも考えられるが、意味不明。1斗は10升で、1升は約1.8㍑。しかし、当時の度量衡はかなり乱れており、後三条天皇(在位1068~1072)の施かれた延久宣旨枡を使用しているとすれば、当時の1升は現在の約6合に該当する。
ときれう
「とき」は僧家でいう食事のこと。「ときれう」は僧侶の「とき」にあてる金銭や米など。
乃時
すぐその時。即時・即刻と同じ。手紙が到着すると同時に返事を書いた時に用いる語。
講義
抄は文永7年(1270)、富木常忍が白米を御供養されたのに対する返礼の書である。御真筆はかつて存在していたようであるが、現在はない。
これは白米の御供養への返事だけの短い書であるが、当時、食事にあてる米にも事欠く状況にあったことに驚かされる。文永5年(1268)、蒙古から牒状がきて、立正安国論での予言が的中したことから各所へ11通の御状を出されてより、大聖人の周辺があわただしくなり、人の出入り等も激しくなったことが考えられる。文永8年(1271)に至って迫害が本格的になっていることからも、活発に弘教が行われていたであろう。そうしたことから、経済的に逼迫されていたのかもしれない。
富木常忍の御供養は、じつにタイミングがよかったことになる。だれかからそうした状況を聞いて御供養したのかもしれない。おそらく常忍は、つねに大聖人のことを案じていたのであろう。また、その信心を知っておられたゆえに、大聖人もこのように喜ばれているものと拝せられる。
文中、最後にある「乃時」は、そのとき、すぐさまの意である。御供養を携えてきた使いの者に対し、すぐさま返事を書かれて託されたのであろう。口頭ですますのでなく、心からの返書を、時を置かずにしたためられ、激励される大聖人の深いお心遣いを拝察したい。
「何事も見参にて申すべく候」といわれているように、富木常人は、大聖人にしばしばお会いしていたことがわかる。