八幡宮造営事 第一章(病苦を忍んで認む)

八幡宮造営事 第一章(病苦を忍んで認む)

 弘安4年(ʼ81)5月26日 60歳 池上宗仲・池上宗長

 この法門申し候こと、すでに二十九年なり。日々の論義、月々の難、両度の流罪に、身つかれ心いたみ候いし故にや、この七・八年が間、年々に衰病おこり候いつれども、なのめにて候いつるが、今年は正月よりその気分出来して、既に一期おわりになりぬべし。その上、齢既に六十にみちぬ。たとい十に一つ今年はすぎ候とも、一・二をばいかでかすぎ候べき。
 「忠言耳に逆らい、良薬口に苦し」とは先賢の言なり。やせ病の者は命をきらう、佞人は諫めを用いずと申すなり。このほどは、上下の人々の御返事申すことなし。心もものうく、手もたゆき故なり。しかりと申せども、このこと大事なれば、苦を忍んで申す。ものうしとおぼすらん一篇、きこしめすべし。村上天皇の前中書王の書を投げ給いしがごとくなることなかれ。

 

現代語訳

この法門(三大秘法)を、弘通しはじめてすでに二十九年になります。日々の論議折伏、月々に受けた難、それのみか、伊豆、佐渡と両度の流罪で、身も疲れ、心もいたんだ故でありましょうか。この七、八年の間、年毎に衰え病気がちになってきましたが、大事にはいたりませんでした。ところが、今年の正月より体が衰弱してきて、すでに一生も終わりになったように思われます。そのうえ、年齢もすでに六十歳に満ちました。たとえ、十のうち一つ今年は過ごしたとしても、あと一、二年をどうして過ごすことができましようか。「忠言は耳に逆い、良薬は口に苦い」とは、昔の賢人の言葉である。病身の者は、自らの生命を嫌う、心の曲がった人は、人の諫めを用いないといわれています。

このごろは、上下の人にかかわらず、どの便りにも、返事を書くこともありません。何となく気もすすまず、手もだるいためです。しかしながら、このことは、非常に大事なことであるから、苦しいのを忍んで返事を申し上げるのです。あなたにはつらく思われるお手紙でしょうが、ぜひこの一篇は読んで心に入れておいていただきたい。村上天皇が前中書王兼明親王の莵裘賦を投げ捨てたようなことのないように願います。

 

語句の解説

なのめにて候いつるが

「なのめ」は「斜め」とも書き、通り一ぺん、普通である、平凡である等の意味がある。大聖人の病気が大事にいたらなかった、との意。

 

手も・たゆき

手もだるいという意味。「たゆき」は「たゆし」の活用形で疲れて力がない、だるいの意。

 

村上天皇の前中書王の書

村上天皇(09260967)は第62代天皇。前中書王は兼明親王(09140987)のこと。兼明親王は醍醐天皇の皇子で文才を謳われた。晩年、関白藤原兼通等のために志を得ず、莵裘賦という文書をつくって村上天皇に献じたが、投げ捨てられ用いられなかったという。

 

講義

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