刑部左衛門尉女房御返事 第三章(目連の例を挙げて孝不孝を明かす)

 夫目連尊者の父をば吉占師子・母をば青提女と申せしなり、母死して後餓鬼道に堕ちたり、しかれども凡夫の間は知る事なし、証果の二乗となりて天眼を開きて見しかば母餓鬼道に堕ちたりき、あらあさましやといふ計りもなし、餓鬼道に行きて飯をまいらせしかば纔に口に入るかと見えしが飯変じて炎となり・口はかなへの如く飯飯は炭をおこせるが如し、身は灯炬の如くもえあがりしかば神通を現じて水を出だして消す処に・水変じて炎となり弥火炎のごとくもゑあがる、目連自力には叶はざる間・仏の御前に走り参り申してありしかば、十方の聖僧を供養し其の生飯を取りて纔に母の餓鬼道の苦をば救い給へる計りなり・釈迦仏は御誕生の後・七日と申せしに母の摩耶夫人にをくれまいらせましましき、凡夫にてわたらせ給へば母の生処を知しめすことなし、三十の御年に仏にならせ給いて父浄飯王を現身に教化して証果の羅漢となし給ふ、母の御ためには忉利天に昇り給いて摩耶経を説き給いて父母を阿羅漢となしまいらせ給いぬ、此れ等をば爾前の経経の人人は孝養の二乗・孝養の仏とこそ思い候へども、立ち還つて見候へば不孝の声聞・不孝の仏なり、目連尊者程の聖人が母を成仏の道に入れ給はず、釈迦仏程の大聖の父母を二乗の道に入れ奉りて永不成仏の歎きを深くなさせまいらせ給いしをば、孝養とや申すべき不孝とや云うべき、而るに浄名居士・目連を毀て云く六師外道が弟子なり等云云、仏自身を責めて云く我則ち慳貪に堕ちなん此の事は為めて不可なり等云云、然らば目連は知らざれば科浅くもやあるらん、仏は法華経を知ろしめしながら生てをはする父に惜み・死してまします母に再び値い奉りて説かせ給はざりしかば大慳貪の人をば・これより外に尋ぬべからず。

 

現代語訳

目連尊者の父を吉占師子、母を青提女といった。母の青提女は死後餓鬼道に堕ちた。しかしながら目連が凡夫の間はそのことを知らなかった。証果を得た二乗となって、天眼を開いて見たところが母は餓鬼道に堕ちていたのである。あまりのことに「ああなんと嘆かわしいことか」ということもできないほどである。

すぐに餓鬼道に行って飯を差し上げたところ、わずかに口に入れたかとみえたとたんに、飯は変じて炎となり、口は鉄がまのように、飯は炭をおこしたようであった。身は灯炬のように燃えだしたので、目連は神通を現じて、水を放出して消そうとしたところが、水は変じて炎となり、ますます火炎のように、燃えあがった。

目連は、自分の力ではとうてい及ばないので、仏の前に走っていってこのことを申し上げ、仏の教えにしたがって、十方の聖僧を供養し、その生飯を取って、わずかに母の餓鬼道の苦しみを救われただけであった。

釈迦仏は、誕生されて七日目に母の摩耶夫人に先き立たれ、あとに残られた。その時釈迦仏は凡夫であられたので母の生まれかわられたところをご存知なかった。三十歳の時、仏になられて、父の浄飯王を現身のまま教化して、証果を得た阿羅漢とされた。母のためには忉利天に昇られて摩耶経を説かれ、父母をともに阿羅漢とされたのである。これらのことをもって、爾前の経々を信ずる人々は、目連を孝養の二乗といい、釈迦仏を孝養の仏と思っているが、本義に立ち還ってみるならば、不孝の声聞であり、不孝の仏である。なぜならば、目連尊者ほどの聖人が母を成仏の道に入れられず、また釈迦仏ほどの大聖が父母を二乗の道に入れ申し上げて永不成仏の歎きを深くされるようにしたのを孝養というべきか、不孝というべきかは、はっきりしているからである。それについて、浄名居士は目連を謗って「六師外道の弟子である」といい、釈迦仏も自らを責めて「われ則ち慳貪の罪に堕ちるであろう。このことは全く良くない」等といっている。そうであるならば、目連は法華経を知らなかったので不孝の罪はまだ浅いといえよう。しかし釈迦仏は法華経を御存知でいながら、生きておられた父には惜しんでこれを説かず、また亡くなられた母に再び会われながら説かなかったので、これほどの大慳貪の人は、ほかに尋ねることができないのである。

語句の解説

目連尊者

サンスクリットのマウドゥガリヤーヤナの音写。目犍連ともいう。釈尊の声聞の十大弟子の一人で、神通(超常的な力)第一とされる。法華経授記品第6で、目連は未来に多摩羅跋栴檀香如来に成ると釈尊から保証された

 

餓鬼道

餓鬼界のこと。餓鬼の世界。餓鬼が味わう苦悩の境涯。古代インドにおいて餓鬼はもともと「死者」を意味し、常に飢えて食物を欲している死者の世界をさした。「観心本尊抄」には「貪るは餓鬼」とあり、われわれ人界にそなわる餓鬼界は、貪るすがたにうかがえると示されている。これに基づいて生命論では、とどまるところを知らぬ激しい欲望にとらわれ、それが満たされず心身ともに苦悩する生命状態を餓鬼界とする。

 

証果の二乗

見惑・思惑を断じて三明・六通を得たあらかんのこと。(1)三明、小乗の仏、阿羅漢果の聖者がもつ三つの明智。①に宿住智証明で過去のことに通達する。②に死生智証明で未来のことに通達する。③に漏尽智証明で現在のことに通達する。(2)六通、天眼通(何でも見通せる通力)・天耳通(何でも聞ける通力)・他心通(他人の心を見通す通力)・宿命通(衆生の宿命を知る通力)・神足通(機根に応じて自在に身を現わし、思うままに山海を飛行しうる通力)・漏尽通(いっさいの煩悩を断じつくす通力)のこと。

 

天眼

五眼のひとつ。神々の目。昼夜遠近を問わず見えるという。

 

かなへ

鼎の字をあてる。三本足の鉄の釜。

 

神通

神通力のこと。超人的な能力・はたらきをいい、仏・菩薩の有する不可思議な力用をさす。

 

生飯

日常の供膳の飯の上部を取り分けて側におき、鬼神や鳥獣などに供えるもの。三飯、三把、祭飯等とも書き、「さんば」、「さんぱん」ということもある。

 

浄飯王

梵語、シュッドーダナ(Śuddhodana)。インド迦毘羅衛の王で、釈尊の父。はじめ釈尊の出家に反対したが、後に釈尊の化導によって仏法に帰依した。夫人を摩耶という。

 

証果の羅漢

仏や菩薩が有する6種の神通力を得た阿羅漢のこと。阿羅漢とは、声聞の最高位。

 

忉利天

サンスクリットのトラーヤストリンシャの音写。意訳が三十三天。古代インドの世界観で欲界のうちの六欲天の下から2番目。須弥山の頂上に位置し、帝釈天を主とする33の神々(三十三天)が住むとされる。

 

浄名居士

維摩詰・維摩居士のこと。サンスクリットのヴィマラキールティの音写。漢訳語は浄名、無垢称。維摩経に登場する中心人物。釈尊存命中にあった都市ヴァイシャーリーに住む在家の有力信仰者で大富豪でもある菩薩。維摩経によると、無量の諸仏を供養し、大乗仏教の奥義に通達し、仏法流布に貢献した。また非常な雄弁で、巧みな方便でよく衆生を教化した。ある時、維摩詰が病気になり、見舞いに行くことになったが、舎利弗・目連・迦葉らは論破されることを恐れて辞退した。そこで文殊師利が舎利弗らを伴って見舞いに行き、維摩詰と大乗の妙理について法論を行ったという。

 

六師外道

釈尊の存命中にガンジス川中流域のインド中心部に勢力のあった6人の仏教以外の思想の指導者のこと。六師は既成のバラモンの権威を否定して自由な思想を展開し、新興の王侯貴族・商人たちの支持と援助を受けた。それぞれが独自の主張をもち、当時の社会で新しい思想の代表とみなされていた。①富蘭那迦葉(プーラナカッサパ)。不生不滅を説き、人間はたとえ何を行っても悪にも善にもならないといい、業と応報の因果を否定する無道徳論者。②末伽梨拘舎梨子(マッカリゴーサーラ)。邪命外道を率いた外道。一切は無因無縁で、すべてはあるがごとくにあり、なるがごとくになると唱え、人間の意志による解脱は不可能であるとして、地水火風空および霊魂などの要素を認める無因論、自然主義的宿命論者。③珊闍耶毘羅胝子(サンジャヤヴェーラッティプッタ)。人知に普遍妥当性を認めず、世に不変の真理はないとし、一方的断定は論争を生じ、解脱の妨げになるという判断中止の思想を主張し、実践修行によって解脱を得ようとした懐疑論者。④阿耆多翅舎欽婆羅(アジタケーサカンバラ)。断滅論を説き、物心二元ともに断滅に帰し、人間は死ぬと無に帰す。したがって過去も未来もなく、善悪の業の果報も受けることがないとして、現世の快楽説と唯物説を主張した感覚論者。順世外道の祖とされる。⑤迦羅鳩駄迦旃延(パクダカッチャーヤナ)。地水火風の四元素と苦・楽・霊魂とが人間構成の七集合要素であるとみなす唯物論的七要素説者。各要素は常住不動で相互に影響作用しないとして、例えば剣で人を切っても生命を奪うことはできない、ただ剣が七要素の間隙を通過するだけであるなどと説く。無因論的感覚論者。⑥尼乾陀若提子(ニガンタナータプッタ)。ジャイナ教の祖。世界・霊魂の相対的常住を認める蓋然説をとり、苦行によって霊魂が物質から分離するとし、これを解脱と呼んでいる苦行論者で、苦行外道という。

 

慳貪

物を惜しんで人に与えず、貪り求めて満足を知らないさま。慳貪には、財物を惜しむ財慳と、正しい教えを説くことを惜しむ法慳がある。慳貪は、死後に餓鬼界に生まれる因となる悪業とされる。

講義

本章は目連と釈尊が母を苦から救った例を挙げられ、爾前経を信じる人々はこれを孝養であると思っているが、目連は餓鬼道の苦を抜いたのみで真実の孝養ではない、また、釈尊が父母を阿羅漢にしたのも同じで、一応、孝養に見えるが、かえって不孝者であると説いている。

そして、真の孝養は父母を成仏させることで、それには法華経によらなければならないことを明かされたのである。したがって刑部左衛門尉女房が法華経をもって亡き母を供養したことは真の孝養であり、その功徳は絶大であると賞賛されたのである。

 

盂蘭盆行事と回向について

 

盂蘭盆の行事は、目連尊者が餓鬼道に堕ちた母を救ったことより起こったものである。目連尊者は釈迦十大弟子の一人で、大目犍連ともいわれ、神通第一とうたわれた。

しかし、その神通力で、母の青提女が、慳貪の罪によって、五百生のあいだの餓鬼道に堕ちていたことを知り、救おうとするが、自力では救うことができず、釈尊の教えを仰いで聖僧を供養し、やっと救うことができたという。

しかし目連の供養は、小乗の教えによるもので、母を餓鬼道から救っただけで成仏させたのではなかった。故に本章でも「纔に母の餓鬼道の苦をば救い給へる計りなり」といわれ、盂蘭盆御書には「其の母は餓鬼道一劫の苦を脱れ給いきと」(1428:11)とあるとおり、真の成道ではなかったことを示している。

当時、目連尊者は、二百五十戒を持っていて智慧もあり、神通力もあったが、まだ法華経が説かれる前であったから、法華経で根本的に母を救うことができなかったのである。このことは盂蘭盆御書に「詮するところは目連尊者が自身のいまだ仏にならざるゆへぞかし、自身仏にならずしては父母をだにもすくいがたし・いわうや他人をや」(1429:05)とある。

だが、その後、法華経が説かれ、小乗教の二百五十戒を捨て、法華経に帰命し信ずることにより、多摩羅跋栴檀香仏となったときに、母・青提女も成仏することができたのである。このことは、先祖あるいは亡くなった者への回向の原理であり、真の回向は、法華経でなければならないということである。

盂蘭盆御書に「目連尊者と申す人は法華経と申す経にて正直捨方便とて、小乗の二百五十戒立ちどころになげすてて南無妙法蓮華経と申せしかば、やがて仏になりて名号をば多摩羅跋栴檀香仏と申す、此の時こそ父母も仏になり給へ」(1429:07)とある。

回向とは仏道修行によって得た功徳を、回し転じて亡くなった人に施すことであり、末法今時の真の回向、追善供養は、三大秘法の御本尊を信受し、唱題し、その功徳を先祖に供養すること以外にないことをよくよく知るべきである。

したがって、盂蘭盆の供養も、三大秘法の御本尊を根本としなければならないことは、いうまでもない。しかもその功徳は私達の先祖だけでなく、未来の子孫まで流れていくのである。盂蘭盆御書に「悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず子と孫と末へ七代までもかかり候けるなり、善の中の大善も又又かくのごとし」(1430:02)とあるごとく、いま、私達が広宣流布をめざして、仏道修行に励むことは、自己の福運として顕われるばかりでなく、子孫七代、否それ以上までもつづくのであると仰せである。

 

而るに浄名居士・目連を毀て云く六師外道が弟子なり等云云、仏自身を責めて云く我則ち慳貪に堕ちなん此の事は為めて不可なり等云云

 

この文は爾前の諸経では真の孝養にならないことを、維摩経並びに法華経方便品の文を挙げて、示されているのである。

「而るに浄名居士・目連を毀て云く六師外道が弟子なり等云云」はその出典は明らかでない。あるいは維摩詰所説経巻上弟子品第三に「若し須菩提、仏を見ず法を聞かず、彼の六師外道富蘭那迦葉……等、是れ汝の師にして、其れに因りて出家し、彼の師の堕する所に汝も亦随いて堕すれば乃ち食を取る可し」とある文の須菩提を目連とし、取意してのべられたのであろうか。二乗は利他の心を持たないゆえに、仏弟子ではないと破折された。したがって、二乗の法では、母の成仏は叶わないから、孝養の道とはならないのである。次に「仏自身を責めて云く我則ち慳貪に堕ちなん此の事は為めて不可なり」とは仏が自責される方便品の文で、爾前経では真の成仏の道を説かなかったゆえに慳貪の罪に堕ち、不孝の謗りをまぬかれないのである。さらに、これらの原典に、爾前無得道が、どのように述べられているかを見よう。

先ず維摩経について見るなら、維摩経は小乗の偏見思想を弾呵して、大乗意識を持たせることに主眼を置いた経文で、その痛烈にして辛辣なまでの弾呵破折は、他経の追随を許さないとされている。在家の大富豪である浄名居士に語らせる形で展開しているが、いずれの声聞に対しても厳しく叱責し、開目抄に「しかれば迦葉尊者の渧泣の音は三千をひびかし須菩提尊者は亡然として手の一鉢をすつ」(0205:07)とあるほどであった。たまたま病の床にある浄名居士に対し、仏は声聞・菩薩たちに其の許を訪うように命じたが、各々はかつて居士より、手痛くその信心を難詰されたことがあるので、これを恐れて訪れようとする者はない。ついに文殊菩薩が居士を訪問して種々の問答を展開するのである。先にあげた「若し須菩提……」の文は須菩提がかつて居士より手痛く弾呵された時の居士の叱責の言葉である。このように各声聞が多く弾呵されていたのである。目連も痛烈に叱責されたが、今、大聖人は須菩提への弾呵の文を目連に宛てて説かれているのである。

次に「我則ち慳貪に堕せん……」の文は法華経方便品第二の文で、過去の三乗の爾前経を開いて一仏乗を説かれる開三顕一の偈の中の文である。この文の前には「諸仏世に出でたまうには 唯だ此の一事のみ実なり 余の二は則ち真に非ず 終に小乗を以て 衆生を済度したまわず」と、一乗の法即ち仏乗のみが仏の説かんとした真実の法で、声聞・縁覚・菩薩の三乗は、あくまでも仏の方便の法であったこと、故に小乗においては衆生を救うことができないことを説かれている。ここで問題とする文は今の文に引きつづいて説かれた「仏は自ら大乗に住したまえり……自ら無上道 大乗平等の法を証して 若し小乗を以て 乃至一人をも化せば 我れは則ち慳貪に堕せん 此の事は不可と為す」の中にある。この文でいう小乗とは爾前の諸経を指して小乗教といわれるのであって、権大乗教も含まれる。この文の意は小乗済度は仏の本意でないこと、しかも小乗済度は衆生を地獄に堕とし、成仏の道を塞ぐことになり、真実を説かないから慳貪の罪をまぬかれないと、仏自らをも厳しく責められている文である。

以上のごとく、爾前経においては目連も仏自身も真の孝養ができなかったことを挙げられて爾前経を破折しておられる。いま、爾前経に比ぶべきもない法華経の、しかも文底独一本門の教主釈尊である日蓮大聖人に、御供養した刑部左衛門尉女房の功徳のほどは、測り知れないものであることを暗に示されているのである。

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