刑部左衛門尉女房御返事 第四章(真実の孝養を述べる)
弘安3年(ʼ80)10月21日 59歳 刑部左衛門尉の妻
つらつら事の心を案ずるに仏は二百五十戒をも破り十重禁戒をも犯し給う者なり、仏・法華経を説かせ給はずば十方の一切衆生を不孝に堕し給ふ大科まぬかれがたし、故に天台大師此の事を宣べて云く「過則ち仏に属す」云云、有人云く是れ十方三世の御本誓に違背し衆生を欺誑すること有るなり等云云、夫四十余年の大小・顕密の一切経並に真言・華厳・三論・法相・倶舎・成実・律・浄土・禅宗等の仏・菩薩・二乗・梵釈.日月及び元祖等は法華経に随ふ事なくば何なる孝養をなすとも我則堕慳貪の科脱るべからず、故に仏本願に趣いて法華経を説き給いき、而るに法華経の御座には父母ましまさざりしかば親の生れてまします方便土と申す国へ贈り給て候なり、其の御言に云く「而かも彼の土に於いて仏の智慧を求めて是の経を聞くことを得ん」等云云、此の経文は智者ならん人人は心をとどむべし、教主釈尊の父母の御ために説かせ給いて候経文なり、此の法門は唯天台大師と申せし人計りこそ知りてをはし候ひけれ、其の外の諸宗の人人知らざる事なり、日蓮が心中に第一と思ふ法門なり。
父母に御孝養の意あらん人人は法華経を贈り給べし、教主釈尊の父母の御孝養には法華経を贈り給いて候、日蓮が母存生してをはせしに仰せ候し事をも・あまりにそむきまいらせて候しかば、今をくれまいらせて候が・あながちにくやしく覚へて候へば一代聖教を撿へて母の孝養を仕らんと存じ候間、母の御訪い申させ給う人人をば我が身の様に思ひまいらせ候へば、あまりにうれしく思ひまいらせ候間あらあら・かきつけて申し候なり、定めて過去聖霊も忽に六道の垢穢を離れて霊山浄土へ御参り候らん、此の法門を知識に値わせ給いて度度きかせ給うべし、日本国に知る人すくなき法門にて候ぞ、くはしくは又又申すべく候、恐恐謹言
十月二十一日 日 蓮 花 押
尾張刑部左衛門尉殿女房御返事
現代語訳
つくづくとこれらの事の本質を考えてみると、仏は二百五十戒をも破り、十重禁戒をも犯された者であるということになる。仏が、もし法華経を説かれなかったならば、十方世界の一切衆生を不孝に堕とす大科を免れることができないであろう。故に、天台大師はこのことを「その過は則ち仏に属す」と述べている。また、ある人は「これは十方三世の諸仏の本誓に違背して、衆生を欺き誑かすことである」といっている。
仏が四十余年にわたって説いた大乗教・小乗教、顕教・密教などの一切経、ならびに真言・華厳・三論・法相・倶舎・成実・律・浄土・禅宗等の仏・菩薩・二乗・梵天帝釈・日天月天および諸宗の元祖等は、法華経に随わなければどのような孝養をしたとしても、「我則ち慳貪に堕せん」という科を脱がれることはできないのである。故に、仏は本来の誓願にしたがって法華経を説かれたのである。
しかしながら、法華経の会座には父母がおられなかったので、親が生まれかわられている方便土という国へ法華経を贈られたのである。そのときの言葉に「しかも、彼の国において仏の智慧を求めて、この経を聞くことができる」といった。この経文に、智者である人々は心をとどめるべきである。これは教主釈尊が父母のために説かれた経文である。この法門は、ただ、天台大師という人だけが知っておられ、その外の諸宗の人々は知らないことである。そして日蓮が心の中で第一と思う法門である。
父母に孝養しようとする意志のある人々は父母に法華経を贈るべきである。教主釈尊も、父母への孝養のために法華経を贈られている。日蓮は母が生存していたおりは、母のいわれたことにあまりに背いてきたので、今母に先立たれてしまったが、大変に残念に思われてならない。
そこで一代聖教をかんがえて、母への孝養をしようと思っている。そんな折であるから、母を弔おうとされる人々をみると、自分のことのように思われる。したがってあなたが母の供養を願われたことが、あまりにうれしく思われるので、父母孝養の法門をざっと記したのである。必ずや、亡くなられたあなたの母親の霊も、たちまちに、六道の苦しみと穢れを離れて霊山浄土へ参られるであろう。この法華経の法門を善知識にあって度々聞かれるべきである。日本国に知る人の実に少ない法門なのである。くわしくは、またおりをみて申しあげよう。恐恐謹言。
十月二十一日 日 蓮 花 押
尾張刑部左衛門尉殿女房御返事
語句の解説
二百五十戒
男性出家者(比丘)が守るべき250カ条の律(教団の規則)。『四分律』に説かれる。当時の日本ではこれを受けることで正式の僧と認定された。女性出家者(比丘尼)の律は正確には348カ条であるが、概数で五百戒という。『叡山大師伝』(伝教大師最澄の伝記)弘仁9年(818年)暮春(3月)条には「二百五十戒はたちまちに捨ててしまった」(趣意)とあり、伝教大師は、律は小乗のものであると批判し、大乗の菩薩は大乗戒(具体的には梵網経で説かれる戒)で出家するのが正当であると主張した。こうしたことも踏まえられ、日蓮大聖人は、末法における持戒は、一切の功徳が納められた南無妙法蓮華経を受持することに尽きるとされている。
十重禁戒
大乗の戒の一つで、梵網経巻下に説かれる十種の重大な禁戒をいう。
① 快意殺生戒 いたずらに生命あるものを殺害することを禁じた。
② 劫盗人物戒他 人の財物を盗むことを禁じた。
③ 無慈行欲戒無 慈悲に淫事を行なうことを禁じた。
④ 故心妄語戒人 にうそをついて、邪見や不正行為をさせることを禁じた。
⑤ 酤酒生罪戒 人に酒を売って転倒の心を起こさせることを禁じた。
⑥ 談他過失戒 人の罪過を説くことを禁じた
⑦ 自讃毀他戒 自分を讃め他人を謗ることを禁じた。
⑧ 慳生毀辱戒 人に教えを施さず、人を罵ることを禁じた。
⑨ 瞋不受謝戒 瞋りの心で相手の謝罪を受け入れないことを禁じた。
⑩ 毀謗三宝戒 仏宝、法宝、僧宝(信仰する者の集い)の三宝を謗ることを禁じた。
我則堕慳貪
法華経方便品第二の文。「自ら無上道大乗平等の法を証して、若し小乗を以って化すること乃至一人に於いてもせば、我則ち慳貪に堕せん、此の事は為めて不可なり」とある。
本願
①仏・菩薩が過去世に衆生を救うために発した誓願のこと。証得の果に対して、因位の誓願をいう。本弘誓願、本誓ともいう。2種(総願・別願)に分類される。総願はすべての仏・菩薩に共通の誓願で、四弘誓願がこれにあたる。別願はそれぞれの仏・菩薩の固有の誓願で、例えば阿弥陀仏の四十八願、薬師如来の十二大願などがこれにあたる。また浄土宗では阿弥陀仏の四十八願のうち第十八願(念仏往生)を特に本願(王本願)と呼んでいる。②寺を建立した願主のこと。
方便土
四土の一つで方便有余土のこと。見思惑を断じ、三界の生死を離れた人が住する国土のこと。まだ無明惑を断じ尽くしていないがゆえに有余という。二乗・地前の菩薩の住処。
一代聖教
釈尊が生涯にわたって説いたとされる教え、または経典。聖教とは聖人の教え、すなわち仏の教えのこと。
霊山浄土
法華経の説法が行われた霊鷲山のこと。久遠の釈尊が常住して法華経を説き続ける永遠の浄土とされる。日蓮大聖人は、法華経の行者が今ここにいながら往還できる浄土であるとともに、亡くなった後に往く浄土でもあるとされている。
知識
漢語の「知識」は友人、仲間の意。善知識をさすことが多い。正しく仏道修行へ導き、ともに励む人。
講義
本章は、仏がその本願であった法華経を説くことによって、慳貪の罪科から脱れることができたこと、さらにその経を亡き父母に贈ることによって、父母への孝養ができたことを説かれている。その法華経こそ日蓮大聖人も、心中最第一と思う法門であると法華経を讃歎され、その法華経によって追善供養された刑部左衛門尉女房の亡き母は必ず成仏することを述べられ、さらに得難い仏法を強く求めるように教示されているのである。
其の御言に云く「而かも彼の土に於いて仏の智慧を求めて是の経を聞くことを得ん」等云云、此の経文は智者ならん人人は心をとどむべし
「而かも彼の土に於いて云云」は、法華経化城喩品の文である。大聖人はこの文を引かれて、釈尊が法華経を説いて亡き父母に贈ったことで、その孝養が全うできたことを証明されている。この文は、法華経のみが、真の孝養の教えであることを示す意義の深い文なので、「智者ならん人人は心をとどむべし」と申されるのである。
これは一往の権実相対の立ち場で述べられているが、大聖人の内証よりみるならば「是の経」は三大秘法の仏法であって、この三大秘法によらなければ、真の成仏も真の孝養もないのである。天台は、これを知っていたが、説くことができなかった法門である。これこそ「日蓮が心中に第一と思ふ法門」なのである。
この三大秘法の法門を贈るということは、三大秘法の御本尊に対し南無妙法蓮華経と唱え、その功徳を回向することである。このように題目を唱えることが、自身の成仏を可能にし、ひいては亡き父母の成仏をも決定するのである。