月水御書

月水御書

 文永元年(ʼ64)4月17日 43歳 大学三郎の妻

  1. 第一章 唱題の功徳を教える
    1. 現代語訳
    2. 語釈
      1. 法華経
      2. 薬王品
      3. 毎日の所作
      4. 一部八巻・二十八品
      5. 一偈
      6. 一句
      7. 一期
      8. 随喜
      9. 五十展転
      10. 幼穉
      11. はかなき
      12. 利根
      13. 舎利弗
      14. 目連
      15. 文殊
      16. 弥勒
      17. 天台・妙楽の六十巻
      18. 逆罪の凡夫
    3. 講義
      1. 法華経を日ごとに一品づつ……薬王品の一品を毎日の所作にし候
  2. 第二章 夫人の法華経受持を称賛する
    1. 現代語訳
    2. 語釈
      1. 五濁
      2. 日域
      3. 辺土
      4. 五障
      5. 三従
      6. 一代聖教
      7. 顕密二道
      8. 智者学匠
      9. 宿善
      10. 優曇華
      11. 一眼の亀
      12. 善根
      13. 余慶
      14. もだす
    3. 講義
  3. 第三章 題目の功徳を強調する
    1. 現代語訳
    2. 語釈
      1. 如意宝珠
      2. 妄語
      3. 論師
      4. 人師
      5. 先四十余年の経説
      6. 無量義経
      7. 多宝仏
      8. 妙法華経皆是真実
      9. 十方の諸仏
      10. 法華経の座
    3. 講義
      1. 如来の聖教は何れも妄語の御坐すとは承り候はねども・再び仏教を勘えたるに如来の金言の中にも大小・権実・顕密なんど申す事・経文より事起りて候
  4. 第四章 信謗の功罰を説く
    1. 現代語訳
    2. 語釈
      1. 十悪
      2. 五逆
      3. 四重
      4. 重業
      5. 悪道
      6. 腹のあしき
      7. 貪欲
      8. 無量曠劫
      9. 不妄語戒
      10. 調達
      11. 虚誑罪
      12. 瞿伽利
      13. 五戒
      14. 八戒
      15. 十戒
      16. 十善戒
      17. 二百五十戒
      18. 五百戒
      19. 一切経
      20. 念仏者
      21. 阿鼻大城
      22. 往生成仏
      23. 持戒
      24. 在家
      25. 出家
      26. 誹謗
    3. 講義
      1. 法華経を信じたる女人の、世間の罪に引かれて悪道に堕つる事はあるべからず
      2. 一期の間・行じさせ給う処の無量の善根も忽にうせ・並に法華経の御功徳も且く隠れさせ給いて、阿鼻大城に堕ちさせ給はん事・雨の空にとどまらざるが如く・峰の石の谷へころぶが如し
  5. 第五章 方便・寿量の読誦を教示する
    1. 現代語訳
    2. 語釈
      1. 方便品
      2. 寿量品
      3. 長行
      4. 提婆品
      5. 提婆品は方便品の枝葉、薬王品は方便品と寿量品の枝葉
    3. 講義
      1. 法華経は何れの品も先に申しつる様に愚かならねども、殊に二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品にて侍り
      2. されば常の御所作には、方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ
  6. 第六章 月水時の行法を明示する
    1. 現代語訳
    2. 語釈
      1. 七つの文字
      2. 南無一乗妙典
      3. 五辛
      4. 月水
      5. 尸那
    3. 講義
  7. 第七章 修行の要諦を教える
    1. 現代語訳
    2. 語釈
      1. 垂迹
      2. 随方毘尼
      3. 檀那
      4. 礼拝
      5. 天親菩薩
      6. 天台大師
      7. 穴賢
    3. 講義
      1. 日本国は神国なり。此の国の習として、仏菩薩の垂迹不思議に経論にあひにぬ事も多く侍るに、是をそむけば現に当罰あり
      2. 隨方毘尼について

第一章 唱題の功徳を教える

 伝え承る御消息の状に云わく「法華経を日ごとに一品ずつ、二十八日が間に一部をよみまいらせ候いしが、当時は薬王品の一品を毎日の所作にし候。ただ、もとのように一品ずつをよみまいらせ候べきやらん」と云々。
法華経は一日の所作に一部八巻二十八品、あるいは一巻、あるいは一品・一偈・一句・一字、あるいは題目ばかりを南無妙法蓮華経とただ一遍となえ、あるいはまた一期の間にただ一度となえ、あるいはまた一期の間にただ一遍唱うるを聞いて随喜し、あるいはまた随喜する声を聞いて随喜し、これ体に五十展転して、末になりなば、志もうすくなり随喜の心の弱きこと、二・三歳の幼稚の者のはかなきがごとく、牛馬なんどの前後を弁えざるがごとくなりとも、他経を学する人の、利根にして智慧かしこく、舎利弗・目連・文殊・弥勒のごとくなる人の、諸経を胸の内にうかべて御坐しまさん人々の御功徳よりも勝れたること、百千万億倍なるべきよし、経文ならびに天台・妙楽の六十巻の中に見え侍り。
されば、経文には「仏の智慧をもって多少を籌量すとも、その辺を得じ」と説かれて、仏の御智慧すら、この人の功徳をばしろしめさず。仏の御智慧のありがたさは、この三千大千世界に七日、もしは二七日なんどふる雨の数をだにもしろしめして御坐しまし候なるが、ただ法華経の一字を唱えたる人の功徳をのみ知ろしめさずと見えたり。いかにいわんや、我ら逆罪の凡夫の、この功徳をしり候いなんや。

 

現代語訳

言付けられましたお手紙に「法華経を日毎に一品ずつ、二十八日の間に法華経一部を読誦していましたが、現在は薬王品の一品を毎日のつとめとしております。ただ、もとのように一品ずつを読誦すべきでしょうか」とありました。

法華経は一日のつとめに一部八巻二十八品、あるいは一巻、あるいは一品・一偈・一句・一字、あるいは題目ばかりを南無妙法蓮華経とただ一遍唱え、あるいはまた一生の間にただ一度唱え、あるいはまた一生の間にただ一遍唱えるのを聞いて随喜し、あるいはまた、その隨喜する声を聞いて隨喜し、このように五十展転して、おわりになれば志も薄くなり、隨喜の心の弱いことは、二・三歳の幼子がはかないように、牛馬などが前後をわきまえないのと同じようにはかなくなっても、他の経を修学する人で、利根の智慧も深く、舎利弗・目連・文殊・弥勒のような、諸経を胸中に浮かべておられる人々の御功徳よりも、勝れていることは百千万億倍であると、法華経や天台・妙楽の著した六十巻の書物の中に明かされている。

それゆえ、経文には「仏の智慧を以って多少を籌量すとも其の辺を得ず」と説かれており、仏の御智慧でさえ、この人の功徳を知ることはできないのである。仏の智慧のありがたさは、この三千大千世界に七日(1週間)、もしくは二七日(2週間)などの間に降る雨の数ですらもご存知になるほどであるが、ただ、法華経の一字を唱えた人の功徳だけは知ることはできないと経文にあらわれている。いかにいわんや、われら逆罪の凡夫がこの功徳を知ることができようか。

 

語釈

法華経

大乗経典。サンスクリットではサッダルマプンダリーカスートラという。サンスクリット原典の諸本、チベット語訳の他、漢訳に竺法護訳の正法華経(286年訳出)、鳩摩羅什訳の妙法蓮華経(406年訳出)、闍那崛多・達摩笈多共訳の添品妙法蓮華経(601年訳出)の3種があるが、妙法蓮華経がもっとも広く用いられており、一般に法華経といえば妙法蓮華経をさす。経典として編纂されたのは紀元1世紀ごろとされる。それまでの小乗・大乗の対立を止揚・統一する内容をもち、万人成仏を教える法華経を説くことが諸仏の出世の本懐(この世に出現した目的)であり、過去・現在・未来の諸経典の中で最高の経典であることを強調している。インドの竜樹(ナーガールジュナ)や世親(天親、ヴァスバンドゥ)も法華経を高く評価した。すなわち竜樹に帰せられている『大智度論』の中で法華経の思想を紹介し、世親は『法華論(妙法蓮華経憂波提舎)』を著して法華経を宣揚した。中国の天台大師智顗・妙楽大師湛然、日本の伝教大師最澄は、法華経に対する注釈書を著して、諸経典の中で法華経が卓越していることを明らかにするとともに、法華経に基づく仏法の実践を広めた。法華経は大乗経典を代表する経典として、中国・朝鮮・日本などの大乗仏教圏で支配階層から民衆まで広く信仰され、文学・建築・彫刻・絵画・工芸などの諸文化に大きな影響を与えた。

【法華経の構成と内容】妙法蓮華経は28品(章)から成る(羅什訳は27品で、後に提婆達多品が加えられた)。天台大師は前半14品を迹門、後半14品を本門と分け、法華経全体を統一的に解釈した。迹門の中心思想は「一仏乗」の思想である。すなわち、声聞・縁覚・菩薩の三乗を方便であるとして一仏乗こそが真実であることを明かした「開三顕一」の法理である。それまでの経典では衆生の機根に応じて、二乗・三乗の教えが説かれているが、それらは衆生を導くための方便であり、法華経はそれらを止揚・統一した最高の真理(正法・妙法)を説くとする。法華経は三乗の教えを一仏乗の思想のもとに統一したのである。そのことを具体的に示すのが迹門における二乗に対する授記である。それまでの大乗経典では部派仏教を批判する意味で、自身の解脱をもっぱら目指す声聞・縁覚を小乗と呼び不成仏の者として排斥してきた。それに対して法華経では声聞・縁覚にも未来の成仏を保証する記別を与えた。合わせて提婆達多品第12では、提婆達多と竜女の成仏を説いて、これまで不成仏とされてきた悪人や女人の成仏を明かした。このように法華経迹門では、それまでの差別を一切払って、九界の一切衆生が平等に成仏できることを明かした。どのような衆生も排除せず、妙法のもとにすべて包摂していく法華経の特質が迹門に表れている。この法華経迹門に展開される思想をもとに天台大師は一念三千の法門を構築した。後半の本門の中心思想は「久遠の本仏」である。すなわち、釈尊が五百塵点劫の久遠の昔に実は成仏していたと明かす「開近顕遠」の法理である。また、本門冒頭の従地涌出品第15で登場した地涌の菩薩に釈尊滅後の弘通を付嘱することが本門の眼目となっている。如来寿量品第16で、釈尊は今世で初めて成道したのではなく、その本地は五百塵点劫という久遠の昔に成道した仏であるとし、五百塵点劫以来、娑婆世界において衆生を教化してきたと説く。また、成道までは菩薩行を行じていたとし、しかもその仏になって以後も菩薩としての寿命は続いていると説く。すなわち、釈尊は今世で生じ滅することのない永遠の存在であるとし、その久遠の釈迦仏が衆生教化のために種々の姿をとってきたと明かし、一切諸仏を統合する本仏であることを示す。迹門は九界即仏界を示すのに対して本門は仏界即九界を示す。また迹門は法の普遍性を説くのに対し、本門は仏(人)の普遍性を示している。このように迹門と本門は統一的な構成をとっていると見ることができる。しかし、五百塵点劫に成道した釈尊(久遠実成の釈尊という)も、それまで菩薩であった存在が修行の結果、五百塵点劫という一定の時点に成仏したという有始性の制約を免れず、無始無終の真の根源仏とはなっていない。寿量品は五百塵点劫の成道を説くことによって久遠実成の釈尊が師とした根源の妙法(および妙法と一体の根源仏)を示唆したのである。さらに法華経の重大な要素は、この経典が未来の弘通を予言する性格を強くもっていることである。その性格はすでに迹門において法師品第10以後に、釈尊滅後の弘通を弟子たちにうながしていくという内容に表れているが、それがより鮮明になるのは、本門冒頭の従地涌出品第15において、滅後弘通の担い手として地涌の大菩薩が出現することである。また未来を指し示す性格は、常不軽菩薩品第20で逆化(逆縁によって教化すること)という未来の弘通の在り方が不軽菩薩の振る舞いを通して示されるところにも表れている。そして法華経の予言性は、如来神力品第21において釈尊が地涌の菩薩の上首・上行菩薩に滅後弘通の使命を付嘱する「結要付嘱」が説かれることで頂点に達する。この上行菩薩への付嘱は、衆生を化導する教主が現在の釈尊から未来の上行菩薩へと交代することを意味している。未来弘通の使命の付与は、結要付属が主要なものであり、次の嘱累品第22の付嘱は付加的なものである。この嘱累品で法華経の主要な内容は終了する。薬王菩薩本事品第23から普賢菩薩勧発品第28までは、薬王菩薩・妙音菩薩・観音菩薩・普賢菩薩・陀羅尼など、法華経が成立した当時、すでに流布していた信仰形態を法華経の一乗思想の中に位置づけ包摂する趣旨になっている。

【日蓮大聖人と法華経】日蓮大聖人は、法華経をその教説の通りに修行する者として、御自身のことを「法華経の行者」「如説修行の行者」などと言われている。法華経には、釈尊の滅後において法華経を信じ行じ広めていく者に対しては、さまざまな迫害が加えられることが予言されている。法師品第10には「法華経を説く時には釈尊の在世であっても、なお怨嫉が多い。まして滅後の時代となれば、釈尊在世のとき以上の怨嫉がある(如来現在猶多怨嫉。況滅度後)」(法華経362㌻)と説き、また勧持品第13には悪世末法の時代に法華経を広める者に対して俗衆・道門・僭聖の3種の増上慢(三類の強敵)による迫害が盛んに起こっても法華経を弘通するという菩薩の誓いが説かれている。さらに常不軽菩薩品第20には、威音王仏の像法時代に、不軽菩薩が杖木瓦石の難を忍びながら法華経を広め、逆縁の人々をも救ったことが説かれている。大聖人はこれらの経文通りの大難に遭われた。特に文応元年(1260年)7月の「立正安国論」で時の最高権力者を諫められて以後は松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、さらに小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪など、命に及ぶ迫害の連続の御生涯であった。大聖人は、このように法華経を広めたために難に遭われたことが、経文に示されている予言にことごとく符合することから「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(「撰時抄」、0284:08)、「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり」(0266:11)と述べられている。ただし「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(「上野殿御返事」、1546:11)、「仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(「種種御振舞御書」、0910:17)と仰せのように、大聖人は、それまで誰人も広めることのなかった法華経の文底に秘められた肝心である三大秘法の南無妙法蓮華経を説き広められた。そこに、大聖人が末法の教主であられるゆえんがある。法華経の寿量品では、釈尊が五百塵点劫の久遠に成道したことが明かされているが、いかなる法を修行して成仏したかについては明かされていない。法華経の文上に明かされなかった一切衆生成仏の根源の一法、すなわち仏種を、大聖人は南無妙法蓮華経として明かされたのである。

【三種の法華経】法華経には、釈尊の説いた28品の法華経だけではなく、日月灯明仏や大通智勝仏、威音王仏が説いた法華経のことが述べられる。成仏のための極理は一つであるが、説かれた教えには種々の違いがある。しかし、いずれも一切衆生の真の幸福と安楽のために、それぞれの時代に仏が自ら覚知した成仏の法を説き示したものである。それは、すべて法華経である。戸田先生は、正法・像法・末法という三時においてそれぞれの法華経があるとし、正法時代の法華経は釈尊の28品の法華経、像法時代の法華経は天台大師の『摩訶止観』、末法の法華経は日蓮大聖人が示された南無妙法蓮華経であるとし、これらを合わせて「三種の法華経」と呼んだ。

 

薬王品

妙法蓮華経薬王菩薩本事品第23のこと。この品から五品は付嘱流通のなかの化他流通である。弘法の師をつとめるのであって、宿王華菩薩の問いに対し、釈尊は日月乗明徳如来の本事と、その仏から付嘱を受けた薬王菩薩の本事を説いたのであるから、この名前がある。薬王菩薩が苦行して色心三昧を得、報恩に焼身供養したことを説いてある。ここで諸仏の同賛があり、「善い哉、善い哉、善男子、是れ真の精進なり、是れを真の法をもって如来を供養すと名づく」と説かれた。後段で薬王品十喩の譬えが説かれている。

 

毎日の所作

朝夕の勤行・他。

 

一部八巻・二十八品

法華経の構成をいう。

 

一偈

「偈」ゲダ(gāthā)の音写。仏典の中で韻文形式を用いて仏の徳を讃嘆したり、法理を述べたもの。頌ともいう。梵語の仏典では、八音節四句からなるシュローカ、音節数は自由だが必ず八句二行からなるアールヤーなどがある。漢訳仏典では別偈と通偈に分かれており、別偈は一句の字数を三字四字などに定めて四句となしたものをいう。別偈は更に、前に散文の教義なしに記された伽陀と、前に散文の教義があって重ねてその義を説いた祇夜の二つに分かれている。通偈は首盧迦ともいい、散文、韻文にかかわらず、三十二字を一頌と数えることをいう。なお教義には別偈のみを偈とする。

 

一句

句とは通常、数語で一つの意味をなしている最小限度のものをいうが、漢訳経典では、四字または五字などで一句をなすものが多い。偈は一般に経典中の韻文形式で説かれたものをいい、仏の徳または教理を賛嘆している。

 

一期

一生。

 

随喜

「事理に随順し、己を慶び、人を慶ぶなり」と釈し、釈尊の本地深遠の常住を聞いて信順すること、「理に順う」といい、仏の三世益物の一切処に遍きを聞いて信順することを「事に順う」という。「己を慶ぶ」とは、迹門の諸法実相の理、および本門の久遠本地の事を聞いて信解し歓喜を生ずつこと。「人を慶ぶ」とは、仏も衆生も無作の三身を所具しているとの観をもって一切衆生に正道を悟らせようとする大慈悲心を発すことをいうのである。観心の立場から論ずるならば、永遠の生命観に立ち、御本尊の絶対なる功力を信じ、歓喜して行学の力強い実践に励むことである。

 

五十展転

仏の滅後に法華経を聞いて随喜して人に伝え、順次に伝えて五十人目に至ること。法華経随喜功徳品第十八に「阿逸多よ。如来の滅後に、若しは比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、及び余の智者の、若しは長若しは幼は、是の経を聞いて随喜し已って、法会従り出でて、余処に至り、若しは僧坊に在り、若しは空閑の地、若しは城邑・巷陌・聚落・田里にて、其の聞く所の如く、父母・宗親・善友・知識の為めに、力に随って演説せん。是の諸人等は、聞き已って随喜して、復た行きて転教せん。余の人は聞き已って、亦た随喜して転教せん。是の如く展転して、第五十に至らん」とある。展転は、ころがること。めぐりうつることの意。同品では、この五十番目の衆生の随喜の功徳は、無数の衆生に楽具を施し阿羅漢果を得させて得られる功徳より大きいと説いている。

 

幼穉

幼いこと。

 

はかなき

変化して定まらない、頼りないこと。

 

利根

利は鋭利、根は信根不疑等の五根、あるいは眼等の五根である。鈍根に対する語。能力の鋭利なものをいう。

 

舎利弗

梵語シャーリプトラ(Śāriputra)の音写。身子・鶖鷺子等と訳す。釈尊の十大弟子の一人。マガダ国王舎城外のバラモンの家に生まれた。小さいときからひじょうに聡明で、8歳のとき、王舎城中の諸学者と議論して負けなかったという。初め六師外道の一人である刪闍耶に師事したが、のち同門の目連とともに釈尊に帰依した。智慧第一と称される。なお、法華経譬喩品第三の文頭には、同方便品第二に説かれた諸法実相の妙理を舎利弗が領解し、踊躍歓喜したことが説かれ、未来に華光如来になるとの記別を受けている。

 

目連

梵語でマハーマウドガルヤーヤナ(Mahāmaudgalyāyana)といい、摩訶目犍連、目犍連とも書き、菜茯根、采叔氏などと訳す。釈尊十大弟子の一人。神通第一といわれた。仏本行集経巻四十七等によると、マカダ国の王舎城の近くのバラモンの出で、舎利弗と共に六師外道の一人である刪闍耶に師事したが、更に真実の法を求めて釈尊の弟子になったという。法華経授記品第六で多摩羅跋栴檀香仏の記別を受けた。盂蘭盆経上によると、餓鬼道に堕ちた亡母を釈尊の教えに従って救ったといわれる。

 

文殊

文殊師利菩薩のこと。梵語マンジュシュリー(maJjuzrii)の音写で、妙徳・妙首・妙吉祥などと訳す。普賢菩薩と共に迹化の菩薩の上首であり、獅子に乗って釈尊の左脇に侍し、智・慧・証の徳を司る。文殊は、般若を体現する菩薩で、放鉢経には「文殊は仏道中の父母なり」と説かれ、他の諸経にも「菩薩の父母」あるいは「三世の仏母」である等と説かれている。法華経では、序品第一で六瑞が法華経の説かれる瑞相であることを示し、法華経提婆達多品第十二では女人成仏の範を示した竜女を化導している。

 

弥勒

慈氏と訳し、名は阿逸多といい無能勝と訳す。インドの婆羅門の家に生れ、のちに釈尊の弟子となり、慈悲第一といわれ、釈尊の仏位を継ぐべき補処の菩薩となった。釈尊に先立って入滅し、兜率の内院に生まれ、五十六億七千万歳の後、再び世に出て釈尊のあとを継ぐと菩薩処胎経に説かれている。法華経の従地涌出品では発起衆となり、寿量品、分別功徳品、随喜功徳品では対告衆となった菩薩である。

 

天台・妙楽の六十巻

天台大師智顗の「摩訶止観」十巻、「法華玄義」十巻、「法華文句」十巻と、これらに妙楽大師湛然が注釈を加えた「止観輔行伝弘決」十巻、「法華玄義釈籖」十巻、「法華文句記」十巻のこと。法華文句記巻十中には「故に方便の極位の菩薩、猶尚第五十の人に及ばず」とあり、このほか摩訶止観巻一下には「当に知るべし、小乗の極果は大乗の初心に及ばざることを」、法華文句巻十上には「後果に住すと雖も、我が初心に及ばず」とあるなど、法華経を初めて信仰した者の功徳の広大であることを明かしている。

 

逆罪の凡夫

理に逆らう重罪・五逆罪等を犯す凡夫。

 

講義

本抄は、文永元年(1264417日、鎌倉において執筆され、比企大学三郎能本の夫人に与えられた書といわれている。夫の大学三郎は比企家が没落したのち、京都へ行き儒学を修した。順徳天皇に仕えた恩籠を受けるが、のちに鎌倉に赴き幕府に用いられ儒官となる。文応のころに日蓮大聖人に帰依したといわれる。大学三郎の信心は、大聖人の指導どおりに実践する純真なものであったことは、四条金吾殿御返事に「だいがくどの・ゑもんのたいうどのの事どもは申すままにて候あいだ、いのり叶いたるやうにみえて候」(1151:11)とあるところからも知られる。

本抄は別名「方便寿量読誦事」というように、平時における在家女性信徒の修行について法華経一部読誦と薬王品の一品読誦のいずれにすべきかとの夫人の質問に対し、方便・寿量を読誦するよう述べられている。本抄末尾に月水時の行法について質疑応答があるところから、本抄の題号がこのように呼びならわされているが、内容の比重からすれば、別名のほうがふさわしいように思われる。

本抄では、夫人の質問に対し、まず法華経のいかに功徳甚大であるかを説き、次に方便・寿量の二品に一切含まれるゆえに、この二品を読誦すべきことを教えられ、また唱題も、夫人は南無一乗妙典と唱えていたが、南無妙法蓮華経と唱えるべきことを教えられている。最後に、月水時の行法について、本来忌むべきことではないが、世間の風習を考慮に入れるなら、唱題だけをするようにしてはどうかと一往いわれている。

 

法華経を日ごとに一品づつ……薬王品の一品を毎日の所作にし候

 

大学三郎の夫人が薬王品をとくに読誦したことについては、同品に、「若し女人有って、是の薬王菩薩本事品を聞いて、能く受持せば、是の女身を尽くして、後に復た受けじ。若し如来の滅後、後の五百歳の中に、若し女人有って、是の経典を聞いて、説の如く修行せば、此に於いて命終して、即ち安楽世界の阿弥陀仏・大菩薩衆の囲繞せる住処に往きて、蓮華の中の宝座の上に生じ」とあり、女人成仏を説いた品として重用されていたようである。このなかで「女身を尽くして、後に復た受けじ」とは、改転の成仏ではなく、一念三千の成仏であり、文中の阿弥陀も権経の仏ではなく法華経の阿弥陀であると読むべきである。

大聖人は薬王品得意抄の中で「此の法華経の薬王品に女人の往生をゆるされ候ぬる事又不思議に候」(1503:07)と述べられており、女性が二十八品の中でとくに薬王品を選んで読誦していた背景がうかがわれる。しかし薬王品を根本のように思うのは本末顚倒である。同抄の中でも薬王品は「正には寿量品を末代の凡夫の行ず可き様を・傍には方便品等の八品を修行す可き様を説く」(1499:04)品で、あくまで方便・寿量が根本であることを教えられている。

また夫人は薬王品読誦の前は一日一品ずつの一部読誦をしていたが、当時一般に一部読誦や書写等が盛んで、唱題は一部読誦の易行化であると考える向きもあったようである。しかし大聖人は、唱法華題目抄の「常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱うべし」(0012:16)や妙法尼御前御返事の「法華経一部の肝心は南無妙法蓮華経の題目にて候、朝夕御唱え候はば正く法華経一部を真読にあそばすにて候」(1402:15)の御文をみても分かる通り、あくまでも唱題を第一にすべきことを教えられていたのである。

本抄の答えでも、最初は「法華経は一日の所作に一部八巻二十八品、或は一巻」等と大学三郎夫人の質問に合わせた書き出し方をされているが、のちに「或は題目ばかりを南無妙法蓮華経と只一遍となへ」といわれ、末尾のほうでは「暗に南無妙法蓮華経と唱えさせ給い候へ」「経をもよみ、及び南無妙法蓮華経とも唱えさせ給い候べし」等と、唱題第一であることを教えられているのである。

なお一部読誦については、要法寺日辰等が五老僧の一部読誦の義を宣揚したが、日寬上人が末法相応抄上で、三つの理由を挙げて明確に破折している。一つは、正行の題目を妨げるがゆえに一部読誦を許さないのである。二十八品の読誦をすることは多くの時間を要し、根本たる唱題をおろそかにするゆえである。二には、末法は折伏の時である。五人所破抄に「今末法の代を迎えて折伏の相を論ずれば一部読誦を専とせず但五字の題目を唱え三類の強敵を受くと雖も諸師の邪義を責む可き者か」(1614:17)とあり、一部読誦は正像摂受の修行であり末法折伏の時においては行じないのである。三には、多くの人がこの法華経のいわれを知らないゆえである。法華経のなんたるかを知らないで読誦したとしても、無意味である。一代聖教大意にいわく「此の法華経は知らずして習い談ずる者は但爾前の経の利益なり」(0404:03)と。

受持・読・誦・解説・書写の五種の修行は正像時代の修行であり、日女御前御返事に「法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱うる即五種の修行を具足するなり」(1245:04)とあるごとく、唱題受持の行に一切が含まれるのである。

 

 

第二章 夫人の法華経受持を称賛する

然りと云えども如来滅後二千二百余年に及んで五濁さかりになりて年久し事にふれて善なる事ありがたし、設ひ善を作人も一の善に十の悪を造り重ねて結句は小善につけて大悪を造り心には大善を修したりと云ふ慢心を起す世となれり、然るに如来の世に出でさせ給いて候し国よりしては二十万里の山海をへだてて東によれる日域辺土の小嶋にうまれ・五障の雲厚うして三従の・きづなに・つながれ給へる女人なんどの御身として法華経を御信用候は・ありがたしなんど・とも申すに限りなく候、凡そ一代聖教を披き見て顕密二道を究め給へる様なる智者学匠だにも・近来は法華経を捨て念仏を申し候に何なる御宿善ありてか此の法華経を一偈一句もあそばす御身と生れさせ給いけん。
  されば此の御消息を拝し候へば優曇華を見たる眼よりもめづらしく・一眼の亀の浮木の穴に値へるよりも乏き事かなと・心ばかりは有がたき御事に思いまいらせ候間、一言・一点も随喜の言を加えて善根の余慶にもやと・はげみ候へども只恐らくは雲の月をかくし塵の鏡をくもらすが如く短く拙き言にて殊勝にめでたき御功徳を申し隠しくもらす事にや候らんといたみ思ひ候ばかりなり、然りと云えども貴命もだすべきにあらず一滴を江海に加へ爝火を日月にそへて水をまし光を添ふると思し食すべし、

 

現代語訳

そうではあるが、釈尊滅後二千二百余年に及んで、五濁が盛んになって年も久しい。何事につけても善い事はきわめて少ない。たとえ善を行なう人も、一つの善を行なうために、十の悪を造り重ねてしまい、結局は小善のために大悪を造り、心では大善を修行したという慢心を起こす世となった。

ところがあなたは、釈尊の出生された国からは、二十万里の山海を隔てて、東によった日本という辺境の小島に生まれ、五障の雲が厚く三従の絆につながれた女人の御身として、法華経を信用されることは、まことに珍しく立派であるなどとも、どのように申しても限りないほどである。

およそ一代聖教を聞き見て、顕教、密教の二道を究めたような智者、学匠ですらも、近ごろは法華経を捨て念仏を称えているというのに、あなたはどのような宿善があって、この法華経を一偈一句も唱えられる御身と生まれられたのであろうか。

それ故、このお手紙を拝見することは、優曇華を見たよりも珍しく、一眼の亀の浮木の穴に値うよりもまれな事かと、心から尊いことであると思ったので、一言一点でも随喜の言葉を加えて、あなたの善根の余慶にもなるようにと励んだが、ただおそらくは雲が月を隠し、塵が鏡を曇らすように、短くつたない言葉で、ことに優れてすばらしいあなたの御功徳を隠し、曇らすことになるのではないかと、恐れ思うばかりである。そうはいっても、もしあなたからの御尋ねに、黙っているわけにもいかないので申し上げるのである。一滴の水を大海に加えて水を増し、ともし火を日月に添えて、光を加えたほどと思っていただきたい。

 

語釈

五濁

劫濁・煩悩濁・衆生濁・見濁・命濁のこと。劫濁とは飢饉・疫病・戦乱が起こって、時代そのものが乱れること。煩悩濁とは、貧・瞋・癡・慢・疑という人間が生まれながらに持っている本能の乱れ。衆生濁とは、不良や犯罪者の激増など人間そのものが濁乱してくること。見濁とは、思想・見解の混乱。命濁とは、病気や早死にが多いことである。末法悪世にはこの五濁がことごとく盛んになると説かれている。五濁は妙法への不信から起こるのであって、信ずることによって破ることができる。御義口伝には「文句の四に云く劫濁は別の体無し劫は是長時・刹那は是短時なり、衆生濁は別の体無し見慢果報を攬る煩悩濁は五鈍使を指て体と為し見濁は五利使を指て体と為し命濁は連持色心を指して体と為す。御義口伝に云く日蓮等の類いは此の五濁を離るるなり、我此土安穏なれば劫濁に非ず・実相無作の仏身なれば衆生濁に非ず・煩悩即菩提生死即涅槃の妙旨なれば煩悩濁に非ず・五百塵点劫より無始本有の身なれば命濁に非ざるなり、正直捨方便但説無上道の行者なれば見濁に非るなり、所詮南無妙法蓮華経を境として起る所の五濁なれば、日本国の一切衆生五濁の正意なり、されば文句四に云く『相とは四濁増劇にして此の時に聚在せり瞋恚増劇にして刀兵起り貪欲増劇にして飢餓起り愚癡増劇にして疾疫起り三災起るが故に煩悩倍隆んに諸見転た熾んなり』経に如来現在猶多怨嫉況滅度後と云う是なり、法華経不信の者を以て五濁障重の者とす」とある。

 

日域

日本のこと。

 

辺土

片田舎、①仏教発祥の地インドから遠く離れた日本のこと。②日蓮大聖人御生誕の地が日本の中心地である京都・鎌倉から遠く離れた地であること。

 

五障

女性の五つの障害。五礙ともいう。法華経提婆達多品第十二の竜女成仏の段に、舎利弗が女人は法器に非ず等と歎じ、更に女人の五障を数えて成仏を難ずる文に「又た女人の身には猶お五障有り。一には梵天王と作ることを得ず。二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、五には仏身なり。云何んぞ女身は速かに成仏することを得ん」とある。

 

三従

中国で,古来用いられた婦人の生涯に対する箴言 。『礼記』や『儀礼』などにもみえる。女性は「幼にしては父兄に従い,嫁しては夫に従い,夫死しては子に従う」ものとされ,家庭のなかにおける婦人の従属性を示す言葉。

 

一代聖教

釈尊が成道してから涅槃に入るまでの間に説いた一切の説法。天台大師は説法の順序に従って華厳・阿含・方等・般若・法華の五時に分けた書。詳しくは御書全集「釈迦一代五時継図」(0633)参照のこと。

 

顕密二道

顕宗と密宗のこと。真言宗では、大日経のように仏の真意を秘密にして説かれた経を密教、法華経のようにあらわに教えを説かれたものを顕教という本末顚倒の邪義を立てている。真実は、大日経のごとき爾前の経々こそ、表面的、皮相的な教えで顕教であり、未曾有の大生命哲理を説き明かした法華経こそ密教である。寿量品には「如来秘密神通之力」とあり、天台の法華文句の九にはこれを受けて「一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」等とある。

 

智者学匠

知恵あるもの、学者。

 

宿善

過去世に積んだ善根のこと。善根とは善を生ずるもとになるもののこと。善根をつむことによって善い果報を受けることができる。宿縁のことともいえる。

 

優曇華

梵語ウドンバラ(Udumbara)の音写「優曇波羅」の略。霊瑞と訳す。①インドの想像上の植物。法華文句巻四上等に、三千年に一度開花するという希有な花で、この花が咲くと金輪王が出現し、また、金輪王が現れるときにはこの花が咲く、と説かれている。法華経妙荘厳王本事品第二十七に「仏には値いたてまつることを得難きこと、優曇波羅華の如く」とあり、この花を譬喩として、仏の出世に値い難いことを説いている。②クワ科イチジク属の落葉喬木。ヒマラヤ地方やビルマやスリランカに分布する。③芭蕉の花の異名。④クサカゲロウの卵が草木等についたもの。

 

一眼の亀

松野殿後家尼御前御返事には「たとひ不思議として栴檀の浮木の穴にたまたま行きあへども我一眼のひがめる故に浮木西にながるれば東と見る故にいそいでのらんと思いておよげば弥弥とをざかる、東に流るを西と見る南北も又此くの如し」(1391:10)とあり、これを凡夫の邪見の譬えとして「東を西と見・北を南と見る事をば我れ等衆生かしこがほに智慧有る由をして勝を劣と思ひ劣を勝と思ふ、得益なき法をば得益あると見る・機にかなはざる法をば機に・かなう法と云う、真言は勝れ法華経は劣り真言は機にかなひ法華経は機に叶はずと見る是なり。」(1392:02)と、申されている。

 

善根

善い果報を招くべき善因。根とは結果を生ずべき因。題目を上げること、折伏・弘教への実践活動が最高の善根である。一生成仏抄には「然る間・仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり」(0383:14)とある。

 

余慶

功徳善根の報いによって起こった慶事のこと。祖先の行った善根の報いが子孫によって現れたり、前世に積んだ善根の報いが残って今世にあらわれたりした吉事をいう。また、ものの余ることの意もある。

 

もだす

①言うべきことを言わないで黙っていること。②そのままにしておくこと。③無視すること。

 

講義

前章で題目を唱える功徳にふれられたが、ここでは、法華経を受持しない慢心の者が多い末代の世のこの日本において、女人の身でありながら法華経を信じ、また質問する信心を、優曇華、浮木の穴に比して称賛されているのである。

如来滅後二千二百余年に及んで 五濁さかりになりて年久し 事にふれて善なる事ありがたし、 設ひ善を作人も一の善に十の悪を造り重ねて結句は小善につけて大悪を造り 心には大善を修したりと云ふ慢心を起す世となれり

末法は五濁が盛んであると仰せである。五濁は時代、社会、煩悩、思想、生命の濁りであるが、根本的には煩悩濁と見濁、すなわち思想の乱れが命濁、衆生濁を引き起こし、やがて時代全体の濁り、すなわち劫濁を醸成していくのである。天台の法華文句巻四下に「次第は煩悩と見とを根本と為す。此の二濁より衆生を成ず。衆生より連持の命あり。此の四、時を経るを謂て劫濁と為すなり」とあるのはそれである。

したがって末法の五濁熾盛の因は思想の乱れによるわけであるが、この煩悩濁や見濁はなんの濁りをさすのか。大集経巻五十五には「我が法中に於て、闘諍言訟し白法隠没して堅固なり」とある。すなわち末法においては仏法のなかにおいてさまざまな争いが起こるとの意であるが、見濁とは、まさに仏法、ひろくは宗教に対する衆生の考え方が濁ることをさしていると考えられるのではなかろうか。その最たるものは宗教そのものに対する不信である。末法と正像時代を比較して何もかも末法が濁っているというのは誇張しすぎている。思想等の乱れにしても、かつては道徳さえもわきまえなかった時代があり、社会にあっても法律が満足に整わず、殺戮が日常的であった時代から考えれば、現代のほうが濁っていないという考えも成り立つ。しかし、末法と正像時代の明らかな差異として、宗教に対する根本的な姿勢の問題が挙げられよう。

正像時代においては、時代を経るにしたがって実践が形式化していったにせよ、まだ宗教そのものに対する懐疑は起こっていなかった。ところが末法においてもっとも顕著なのは、この宗教そのものに対する不信である。宗教人自身が、信仰心を根本とするのでなく、名利栄達の手段として、みずからの宗教をみるようになっている。したがって、煩悩にしても、さまざまな煩悩に染まりながらも、宗教によってこれを脱しようと努力したのが正像時代であるとすれば、末法今時は煩悩によって宗教そのものを利用している時代であるともいえよう。

しかも、その根源的な濁りが、社会、人間生命、さらには時代全体の濁りを引き起こしているところに深刻な問題がある。いくら人間のためにさまざまな貢献をしようとしても、根源の生命哲学への肉薄がないゆえに、濁りを強めこそすれ、人類の真実の繁栄につながらない悲劇が多々みられるのである。しかも、このみずからの愚かさ、醜さに対する謙虚な反省のない傲慢さに、時代全体の濁りの深さが知られるのである。

「設ひ善を作人も一の善に十の悪を造り重ねて、結句は小善につけて大悪を造り、心には大善を修したりと云ふ慢心を起す世となれり」と、大聖人は末法という時代の根本的な性質を指摘されている。ここでいう善と悪は、一往法華経と爾前権経を比較しておられるものと考えられるが、もう少し敷衍すれば、善と悪の考え方が混乱していることを指摘されていると拝せられるのである。

一般的に善悪とは、社会的道徳観を基準として考えられることが多い。すなわち、社会的道徳観からみる善悪とは、人間が他者、あるいは社会に対して意志的行為を働きかけ、それが他者・社会にも幸福をもたらせば善と評価され、逆に不幸の結果をまねけば悪とされるのである。

また、善にも大小がある。それは個人次元において、「善」であるとみなされる場合でも、より大きな社会・民族・人類的視座に立つときに、「悪」の役割を果たすこともある。例えば、一地域のみの利益を考えてしたことが、全体に弊害をもたらすこともあるようなものである。そうなれば、その「善」は、小善にすぎない。のみならず、かえって大悪になってしまうのである。宗教においても、絶対的な存在を考え、そのもとに服する人間の道を説くことがあるが、人生への謙虚さを教えるうえにおいて、それなりの意義はあったとしても、権力に利用される側面も同時につくりだしてきたことは否めない。こうして人間を無気力化し、不当な圧政に坑する力を失わせてしまえば大悪であるともいえよう。

したがって、社会的道徳といっても、その規範が明確にされなければならないのである。何が本当に人類全体の幸福のためになり、また個人にあっても、根源的な幸福になるかが考えられなければならないということである。

例えば、貧乏に悩んでいる人がいるとする。その人に金品を与えるのも、一つの善といえば善である。しかし、それがその人の人生打開のための役割を果たせば意味はあるが、もしみずから働き努力していこうという意欲を失わせ、惰性に陥らせたとすれば、善が善でなくなる。

それよりもその人に仕事を与え、技術を教えていくことが大きな役割を果たす場合もあろう。しかしそれもまた、根源的な救いとはなりえない。より根本的には、人生に対する積極的な姿勢をもたせ、またあらゆる困難を乗り越える力をみずからつけさせることである。外から与えたものは、失われていく。しかしみずからの中につかんだ力は失われることはなく、また、貧乏ということだけの問題ではなく、他のあらゆることにおいても解決する力を、その人はもつことができるのである。これこそ真実の善と考えることができよう。

人々の生命の力の仏界を湧現させることを説いた法華経は、その意味からも、まさに大善の法である。三乗を説く爾前経は、いまだ部分的な善であり、その三乗に執するゆえに仏界を求めないとするならば、かえって悪に堕落することになってしまうのである。

それと同じく、物質的繁栄を追求したり、安易な道徳を教えることが、結局、真実の生命哲学を見失わせることになれば、それは大悪となるのである。人間は、つねにみずからの慢心をみつめ、大善を求める謙虚な精神が必要とされるのである。

 

 

第三章 題目の功徳を強調する

先法華経と申すは八巻・一巻・一品・一偈・一句・乃至・題目を唱ふるも功徳は同じ事と思し食すべし、譬えば大海の水は一滴なれども無量の江河の水を納めたり、如意宝珠は一珠なれども万宝をふらす、百千万億の滴珠も又これ同じ法華経は一字も一の滴珠の如し、乃至万億の字も又万億の滴珠の如し、諸経・諸仏の一字一名号は江河の一滴の水山海の一石の如し、一滴に無量の水を備えず一石に無数の石の徳をそなへもたず、若し然らば此の法華経は何れの品にても御坐しませ只御信用の御坐さん品こそ・めづらしくは候へ。
 総じて如来の聖教は何れも妄語の御坐すとは承り候はねども・再び仏教を勘えたるに如来の金言の中にも大小・権実・顕密なんど申す事・経文より事起りて候、随つて論師・人師の釈義にあらあら見えたり、詮を取つて申さば釈尊の五十余年の諸教の中に先四十余年の説教は猶うたがはしく候ぞかし、仏自ら無量義経に「四十余年未だ真実を顕さず」と申す経文まのあたり説かせ給へる故なり、法華経に於ては仏自ら一句の文字を「正直に方便を捨てて但だ無上道を説く」と定めさせ給いぬ、其の上・多宝仏・大地より涌出でさせ給いて「妙法華経皆是真実」と証明を加へ十方の諸仏・皆法華経の座にあつまりて舌を出して法華経の文字は一字なりとも妄語なるまじきよし助成をそへ給へり、譬えば大王と后と長者等の一味同心に約束をなせるが如し、

 

現代語訳

まず法華経というのは、八巻・一巻・一品・一偈・一句ないし題目を唱えるのも、功徳は同じことであるとお考えになるべきである。譬えば大海の水は一滴であっても無量の江河の水を納めている。如意宝珠は一珠であっても万宝をふらす。百千万億の水滴と宝珠も、またこれと同じである。法華経は一字でも一滴の海水、一つの宝珠のごとくである。ないし、法華経の万億の文字もまた万億の水滴や宝珠のごとくである。法華経以外の諸経の一字、諸仏の一名号は、江河の一滴の水、山海の一つの石のごとくである。河の一滴には無量の水を含まないし、山海の一石には無数の石の徳を備えもっていない。もしそうであるならば、この法華経はどの品でもあれ、ただ信用される品こそが尊いのである。

総じて釈尊の聖教は、いずれも妄語があるとは聞いていないが、ふたたび仏教を考えてみると、釈尊の金言のなかにも、大乗教と小乗教、権教と実教、顕教と密教などという差別があることは、もともと経文から起こっている。したがって論師、人師の釈義におおよそはみえているのである。

肝心を取っていえば、釈尊が五十余年にわたって説いた諸教のなかで、最初の四十余年の説教は、なお疑わしく思われる。それは釈迦仏がみずから無量義経に「四十余年には未だ真実を顕さず」という経文を明らかに説かれているからである。

法華経においては、釈迦仏みずから、一文一句をすべて真実として「正直に方便を捨てて但無上道を説く」と定められた。そのうえ、多宝仏は大地から涌出されて「妙法華経は皆是れ真実である」と証明を加え、十方の諸仏は皆、法華経説法の会座に集まって、舌を出して法華経の文字は一字たりとも妄語ではないと助証を添えられた。譬えば大王と后と長者達が心を一つにして、約束をしたようなものである。

 

語釈

如意宝珠

意のままに宝物や衣服・食物を取り出すことのできるという宝珠。如意珠・如意宝ともいう。大智度論には仏舎利の変じたものとか竜王の脳中から出たものといい、雑宝蔵経には摩竭の脳中から出たものといい、また帝釈天の持ち物である金剛杵の砕け落ちたものなど諸説がある。摩訶止観巻五上には「如意珠の如きは天上の勝宝なり、状芥粟の如くして大なる功能あり」等とある。兄弟抄には「妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出して三国の一切衆生に普く与へ給へり」(1087:12)、また御義口伝巻上には提婆達多品の有一宝珠を釈し「一とは妙法蓮華経なり宝とは妙法の用なり珠とは妙法の体なり」(0747:01)と仰せになっている。

 

妄語

虚言のこと。十悪のひとつ。一般世間での妄語は、その及ぼす影響は一時的・小部分であるが、仏法上の妄語は、それを信ずる人を無間地獄に堕さしめ、さらに指導者層の妄語は多くの民衆を苦悩に堕しめることになる。正法への妄語はなおさらである。

 

論師

阿毘曇師ともいう。三蔵のうちの論蔵に通じている人をいったが、論議をよくする人、論をつくって仏法を宣揚したひとをいう。

 

人師

人々を教導する人。一般に竜樹・天親等を論師といったのに対し、天台・伝教を人師という。

 

先四十余年の経説

釈尊は19歳で出家し、30歳にして菩提樹下で成道してから、80歳まで入滅するまで50年間にわたって、大小乗の経教を説いたうちの法華経を説く以前の42年間のこと。

 

無量義経

一巻。蕭斉代の曇摩伽陀耶舎訳。法華経の開経とされる。内容は無量義について「一法より生ず」等と説き、この無量義の法門を修すれば無上正覚を成ずることを明かしている。

 

多宝仏

東方宝淨世界に住む仏。法華経の虚空会座に宝塔の中に坐して出現し、釈迦仏の説く法華経が真実であることを証明し、また、宝塔の中に釈尊と並座し、虚空会の儀式の中心となった。多宝仏はみずから法を説くことはなく、法華経説法のとき、必ず十方の国土に出現して、真実なりと証明するのである。

 

妙法華経皆是真実

法華経見宝塔品第十一に「善き哉、善き哉。釈迦牟尼世尊は、能く平等大慧、菩薩を教うる法にして、仏に護念せらるる妙法華経を以て、大衆の為めに説きたまう。是の如し、是の如し。釈迦牟尼世尊の説きたまう所の如きは、皆な是れ真実なり」とある。この文は、釈尊の説いた法華経が真実であることを宝塔の中から多宝如来が讃歎し、証明していった言葉。

 

十方の諸仏

十方とは上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた十方のことで、あらゆる国土に住する仏、全宇宙の仏を意味する。

 

法華経の座

法華経が説かれた場所。二処三会のこと。前霊鷲山会・虚空会・後霊鷲山会をいう。

 

講義

ここでは法華経読誦について、とくに題目を唱える功徳を強調されている。「八巻・一巻・一品・一偈・一句・乃至・題目を唱ふるも、功徳は同じ事と思し食すべし」と、一往、一部読誦と題目を唱えることを同列に扱われているようではあるが、真意は唱題にそれだけの力があることを説かれるにあり、そのあとは、大海の一滴の水の中に無量の江河の水が納まっているように、一切を納めている題目に、いわんとされる正意があることは明瞭である。したがって、以下の「何れの品にても御坐しませ、只御信用の御坐さん品こそめづらしくは候へ」との文も、夫人の信心をほめ、退することのないよう慮っての言葉であろうと思われる。

 

如来の聖教は何れも妄語の御坐すとは承り候はねども・再び仏教を勘えたるに如来の金言の中にも大小・権実・顕密なんど申す事・経文より事起りて候

 

仏法の正邪・浅深を明らかにしなければならないという考え方に対する反論の一つとして、「宗教というのは山へ登るようなものであり、どの教えであっても山へ登るのに変わりはないはずだ」という意見がある。たしかに、仏法は八万法蔵といわれるほど膨大であり、そのすべてを究めるのは難しい。したがっていずれも仏の金言だとして、蔵の中から闇雲に経文を取り出し依経にするというような僧侶も過去にいた以上、一般の人々がそう考えるのも無理はないかもしれない。

しかし、その考え方自体、すでに仏の教えに背いていることを知らなければならないのである。さまざまな経典が、いずれも同じく頂上に通じているというのは、いったいだれが決めたのか。実は、すでにそれが我見となっているのである。めざす頂上へ登る道だと思っていたところが、じつは、たんにトレーニングのためのコースで、それを先へ進むと、谷底へ落ちる崖に通じていたり、迷路でないとは断言できない。

大聖人は、仏の金言であっても、大小権実等があると、はっきりと指摘されている。「四十余年未顕真実」とか、「正直捨方便」等の文をみても、根本として用いるべき教えと、そうでない教えのあることは、経文自体にすでに述べられているのである。「経文より事起りて候」といわれているのはそれである。

子供に道徳・倫理を教えるためにおとぎ話を話す。しかしこれは事実ではない。道徳を知るためには必要であるが、それをすべて真実と考えるべきではない。あくまでも「かり」の教えなのである。学問においても、たとえばニュートンの万有引力の法則は、日常生活における知識としては、それで十分である。しかし、アインシュタインの相対性原理からみれば、絶対の真理ではなく、あくまでも近似値にすぎない。宇宙科学、素粒子等の分野においては、近似値として扱わねばならず、相対性原理に基づいて計算しなければ大変なことになる。

仏法は、生命についてのきわめて複雑で微妙かつ深奥の哲理である。これを人々に理解させるために、仏は、種々の譬喩を用いながら部分的な真理から説き起こし、最後に究極を明かして全体を完成したのである。部分的に真実であっても、これをすべてにあてはまる真実と思い込んだならば、大変な誤りである。どのような経典でもいいということは、もっとも無責任な考え方であるともいえる。

法華経は究極の法を説いた経であるから、その一字一句も全体を含んでいる。しかし、部分を明かしたに過ぎない爾前経は、それだけで全体を含むことはない。「法華折伏破権門理」であり、法華経は生命の根源についての教えであるゆえに、厳密にその内容を点検し、権門の理は厳しく破折するのである。

 

 

 

第四章 信謗の功罰を説く

若し法華経の一字をも唱えん男女等・十悪・五逆・四重等の無量の重業に引かれて悪道におつるならば日月は東より出でさせ給はぬ事はありとも・大地は反覆する事はありとも・大海の潮はみちひぬ事はありとも、破たる石は合うとも江河の水は大海に入らずとも・法華経を信じたる女人の世間の罪に引かれて悪道に堕つる事はあるべからず、若し法華経を信じたる女人・物をねたむ故・腹のあしきゆへ・貪欲の深きゆへなんどに引れて悪道に堕つるならば・釈迦如来・多宝仏・十方の諸仏・無量曠劫よりこのかた持ち来り給へる不妄語戒忽に破れて調達が虚誑罪にも勝れ瞿伽利が大妄語にも超えたらん争か・しかるべきや。
  法華経を持つ人・憑しく有りがたし、但し一生が間・一悪をも犯さず・五戒・八戒・十戒・十善戒・二百五十戒・五百戒・無量の戒を持ち・一切経をそらに浮べ・一切の諸仏菩薩を供養し無量の善根をつませ給うとも、法華経計りを御信用なく又御信用はありとも諸経・諸仏にも並べて思し食し・又並べて思し食さずとも他の善根をば隙なく行じて時時・法華経を行じ・法華経を用ひざる謗法の念仏者なんどにも語らひをなし、法華経を末代の機に叶はずと申す者を科とも思し食さずば・一期の間・行じさせ給う処の無量の善根も忽にうせ・並に法華経の御功徳も且く隠れさせ給いて、阿鼻大城に堕ちさせ給はん事・雨の空にとどまらざるが如く・峰の石の谷へころぶが如しと思し食すべし、十悪・五逆を造れる者なれども法華経に背く事なければ往生成仏は疑なき事に侍り、一切経をたもち諸仏菩薩を信じたる持戒の人なれども法華経を用る事無ければ悪道に堕つる事疑なしと見えたり。

  予が愚見をもつて近来の世間を見るに多くは在家・出家・誹謗の者のみあり、

 

現代語訳

もし法華経の一字をも唱える男女達が、十悪・五逆・四重等の無量の重業に引かれて悪道に堕ちるならば、日月が東から出ないことがあろうとも、大地が覆ることがあろうとも、大海の潮が満干ないことがあろうとも、われた石が元通りに合おうとも、江河の水が大海に流れ込まなくとも、法華経を信仰している女人が、世間の罪に引かれて悪道に堕ちることはあるわけがない。

もし法華経を信仰している女人が、物を妬むゆえ、意地が悪いゆえ、欲深きゆえなどに引かれて悪道に堕ちるならば、釈迦如来・多宝仏・十方の諸仏が、無量曠劫の過去から今日まで持ち続けてこられた不妄語戒は、たちまちに破れて、提婆達多の虚誑罪にも過ぎ、瞿伽利の大妄語にも超えるであろう。どうしてそのようなことがあろうか。

法華経を持つ人は、このように頼もしくありがたいのである。

ただし一生の間一つの悪をも犯さず、五戒・八戒・十戒・十善戒・二百五十戒・五百戒・無量の戒を持ち、一切経を暗記し、一切の諸仏や菩薩を供養し、無量の善根を積まれたとしても、法華経だけをご信用にならず、また信仰はしていても、諸教や諸仏と同等に考えたり、また同等とは思わなくとも、法華経以外の善根をひまなく修行して時々法華経を修行したり、法華経を用いない謗法の念仏者などとも親しく法門を語り合い、法華経を末法の機根の者には適合しない教えであるという者に対して罪悪とも思わないならば、一生の間に修行した無量の善根もたちまちに消え失せ、また法華経の御功徳もしばらく隠れてしまって、阿鼻大城に堕ちられることは、雨が空にとどまっていないように、峰の石が谷へ転げ落ちるようなものであるとお考えなさい。

十悪・五逆を造った者であっても、法華経に背くことがなければ、往生成仏は疑いないことである。一切経を持ち、諸仏や菩薩を信じている持戒の人であっても、法華経を用いることがなかったならば、悪道に堕ちることは疑いないと経文にみえている。

私が愚見をもって近ごろの世間を見ると、多くは在家・出家とも法華誹謗の者ばかりである。

 

語釈

十悪

十種の悪業のこと。身口意の三業にわたる、最もはなはだしい十種の悪い行為。倶舎論巻十六等に説かれる。十悪業、十不善業ともいう。すなわち、身に行う三悪として殺生、偸盗、邪淫、口の四悪として妄語、綺語、悪口、両舌、心の三悪としては、貪欲、瞋恚、愚癡がある。

 

五逆

五逆罪または五無間業ともいい、殺父、殺母、殺阿羅漢、破和合僧、出仏身血のこと。これを犯した者は無間地獄に堕ちるとされている。

 

四重

四衆のうち、比丘の極重罪のことで、十悪業のなかでとくに重い殺生・偸盗・邪淫・妄語の四つをいう。また四重禁戒といって、一に不殺生戒、二に不偸盗戒、三に不邪淫戒、四に不妄語戒で、これを犯せば教団を放逐される。出家としての最重罪である。

 

重業

重い罪業。正法誹謗の罪。

 

悪道

三悪道(地獄・餓鬼・畜生)四悪趣(三悪道+修羅)の略。悪行によって趣くべき苦悩の世界。悪趣ともいう。

 

腹のあしき

①腹黒いこと。②短気なこと。

 

貪欲

貪ること。三毒のひとつ。一切の煩悩の根本の一つ。世間の事物を貪愛し五欲の心に執着する働き。

 

無量曠劫

量り知れないほどの長い期間。「無量」は無限の意。「劫」は長遠の時間。長さについては経論によって諸説があるが、倶舎論巻十二によると、人寿十歳から始めて百年ごとに一歳を加え、人寿八万歳にいたるまでの期間を一増といい、逆に八万歳から十歳にいたるまでを一減とし、この一増一減を劫としている。(他説あり)。

 

不妄語戒

偽りの言葉をいわないこと。うそをつかないこと。五戒・十重禁戒のひとつ。

 

調達

提婆達多のこと。

 

虚誑罪

嘘つきの罪。

 

瞿伽利

梵名コーカーリカ(Kokālika)の音写。倶伽利・仇伽離などとも書き、悪時者・牛守と訳す。釈迦族の出身。雑阿含経巻四十八等によると、提婆達多の弟子であり、釈尊の制止も聞かず、舎利弗や目連を悪欲があると難じた。その報いによって、身に悪瘡を生じて大蓮華地獄に堕ちた。

 

五戒

小乗教で、八斎戒とともに俗男俗女のために説かれた戒。一に不殺生戒、二に不偸盗戒、三に不妄語戒、四に不邪淫戒、五に不飲酒戒をいう。この五戒をよく持つ者は、主君、父母、兄弟、妻子、世人に信任され、賛嘆され、身心安穏であって善を修するのに障りが少ない。死んでは、また人に生まれ、慶幸をうけることができるという。

 

八戒

在家の男女が,一日だけ出家生活にならって守る八つの戒め。五戒の不邪淫戒を不淫戒とし,さらに装身・化粧をやめ歌舞を視聴しない,高く立派な寝台に寝ない,非時の食をとらない,の三つを加えたもの。八斎戒。八戒斎。

 

十戒

小乗教の在家戒としての十戒は明確ではない。大乗教の在家戒である十善戒としては、不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不両舌・不悪口・不綺語・不貪欲・不瞋恚・不邪見がある。

 

十善戒

正法念処経巻二に説かれている十種の善業道。一に不殺生、二に不偸盗、三に不邪淫、四に不妄語、五に不綺語、六に不悪口、七に不両舌、八に不貪欲、九に不瞋恚、十に不邪見である。十善戒とは、身口意の三業にわたって、十悪を防止する制戒で十善道ともいう。即ち受十善戒経には「若し此の十善戒を受持し、十悪業を破り、上、天上に生じ、梵天王となり、下、世間に生まれて転輪王となり十善を教化す」とある。

 

二百五十戒

男性出家者(比丘)が守るべき250カ条の律(教団の規則)。『四分律』に説かれる。当時の日本ではこれを受けることで正式の僧と認定された。女性出家者(比丘尼)の律は正確には348カ条であるが、概数で五百戒という。『叡山大師伝』(伝教大師最澄の伝記)弘仁9年(818年)暮春(3月)条には「二百五十戒はたちまちに捨ててしまった」(趣意)とあり、伝教大師は、律は小乗のものであると批判し、大乗の菩薩は大乗戒(具体的には梵網経で説かれる戒)で出家するのが正当であると主張した。こうしたことも踏まえられ、日蓮大聖人は、末法における持戒は、一切の功徳が納められた南無妙法蓮華経を受持することに尽きるとされている。

 

五百戒

比丘尼の具足戒で、その戒数には諸説があり、四分律に説かれる三百四十八戒が一般的である。多数の意味で五百としたもの。

 

一切経

釈尊が一代五十年間に説いた一切の経のこと。一代蔵経、大蔵経ともいう。また仏教の経・律・論の三蔵を含む経典および論釈の総称としても使われる。古くは仏典を三蔵と称したが、後に三蔵の分類に入りきれない経典・論釈がでてきたため一切経・大蔵経と称するようになった。

 

念仏者

念仏宗(浄土宗)を信じる人・僧侶。念仏とは本来は、仏の相好・功徳を感じて口に仏の名を称えることをいった。しかし、ここでは浄土宗の別称の意で使われている。浄土宗とは、中国では曇鸞・道綽・善導等が弘め、日本においては法然によって弘められた。爾前権教の浄土の三部経を依経とする宗派であり、日蓮大聖人はこれを指して、念仏無間地獄と決定されている。

 

阿鼻大城

阿鼻獄・阿鼻地獄・無間地獄ともいう。阿鼻は梵語アヴィーチィ(Avici)の音写で無間と訳す。苦をうけること間断なきゆえに、この名がある。八大地獄の中で他の七つの地獄よりも千倍も苦しみが大きいといい、欲界の最も深い所にある大燋熱地獄の下にあって、縦広八万由旬、外に七重の鉄の城がある。余りにもこの地獄の苦が大きいので、この地獄の罪人は、大燋熱地獄の罪人を見ると他化自在天の楽しみの如しという。また猛烈な臭気に満ちており、それを嗅ぐと四天下・欲界・六天の転任は皆しぬであろうともいわれている。ただし、出山・没山という山が、この臭気をさえぎっているので、人間界には伝わってこないのである。また、もし仏が無間地獄の苦を具さに説かれると、それを聴く人は血を吐いて死ぬともいう。この地獄における寿命は一中劫で、五逆罪を犯した者が堕ちる。誹謗正法の者は、たとえ悔いても、それに千倍する千劫の間、無間地獄において大苦悩を受ける。懺悔しない者においては「経を読誦し書持吸うこと有らん者を見て憍慢憎嫉して恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入り一劫を具足して劫尽きなば更生まれん、是の如く展転して無数劫に至らん」と説かれている。

 

往生成仏

①衆生の住むこの娑婆世界を去って仏国土に往き、すぐれた果報の生を得ること。往生には阿弥陀の西方極楽往生や弥勒の兜率天往生などがある。②往生と成仏の二義に分け、往生は死後に他の世界に往き生まれること。成仏は仏の境界を得ること。

 

持戒

「戒」とはっ戒・定・慧の三学のひとつで、仏法を修業する者が守るべき規範をいう。心身の非を防ぎ悪を止めることをもって義とする。戒を受け、身口意の三業で持つこと。

 

在家

①在俗のままで仏法に帰依すること。またその人。②民家、在郷の家、田舎の家。③中世、領事の所轄内で屋敷を与えられ、居住し、在家役を負担していた農民。

 

出家

世俗の家を出て仏門に入ること。在家に対する語。妻子・眷属等の縁を断ち切り仏道修行に励む者のこと。比丘・比丘尼のこと。

 

誹謗

悪口をいい、謗ること。譬喩品には14種の誹謗があると説く。松野殿御返事には「一に憍慢.・二に懈怠・三に計我・四に浅識・五に著欲・六に不解・七に不信・八に顰蹙・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善・十二に憎善・十三に嫉善.十四に恨善なり」(1382)とある。

 

講義

法華経の甚深の功徳、また、法華不信の者、誤った信仰に立つ者の罪を明かされた段である。

本章は、大別すると、次のように分けることができる。まず「若し法華経の一字をも唱えん」から「法華経を持つ人憑しく有りがたし」までが、法華経受持の大利益を述べられたところである。ついで「但し一生が間」から「ころぶが如しと思し食すべし」までが、不信、あるいは誤れる信仰の者の罪が説かれる。

そして「十悪・五逆を造れる者」からは、信不信の者の功罪を簡潔に要約され、本章のまとめとされている。

 

法華経を信じたる女人の、世間の罪に引かれて悪道に堕つる事はあるべからず

 

法華経の功徳力を示された御文である。

ここで「世間の罪」とは、世間的な罪悪ということであるが、さらにいえば、女性が一般的にもっている生命の傾向性のうち、マイナス面についていわれたものと拝せられる。法華経を持った女性は、仏法の最高の法を信受したのであるから、その功徳によって、世間一般の女性のように、女性特有の「性」によって悪道に堕ちることはない、との意である。大聖人は、女性のもって生まれた性質として、以下に「物をねたむ故、腹のあしきゆへ、貪欲の深きゆへ」と、三点を挙げておられる。「物をねたむ」とは癡、「腹のあしき」とは瞋、「貪欲の深き」は貪で、生命の深奥に潜んでいる貪瞋癡の三毒に配することができよう。

三毒は、人間の根本煩悩であり、人を不幸へと誘う根源である。こうした三毒が女性の中に深く横たわっていることを指摘しておられるのである。しかし、法華経を信受する女性は、こういう性向に引きずられて悪道に向かうことはないと明かされている。

妙法の教えは三毒の性分を断てというのではない。それは本来、不可能である。そうではなくて、三毒を即三徳に、煩悩を即菩提へと転じていくのである。一切の悪を善へ、負を正へと転換しゆくのである。それを可能にするところに、法華経の偉大な仏力法力がある。この煩悩即菩提、三毒即三徳の原理こそ、法華経の骨髄をなす法門である。もし法華経を信受した女性が、三毒に引きまわされて悪道に堕ちるようなことがあれば、法華経の教え自体が妄語となってしまう。ゆえに「釈迦如来・多宝仏・十方の諸仏、無量曠劫よりこのかた持ち来り給へる不妄語戒忽に破れて、調達が虚誑罪にも勝れ、瞿伽利が大妄語にも超えたらん」と、大確信をもって断言されているのである。

 

一期の間・行じさせ給う処の無量の善根も忽にうせ・並に法華経の御功徳も且く隠れさせ給いて、阿鼻大城に堕ちさせ給はん事・雨の空にとどまらざるが如く・峰の石の谷へころぶが如し

 

一生の間どんなに仏教を修行したとしても、法華経にそむいて他経を修行する者は、阿鼻大城へ堕ちると、厳に戒められた御文である。

どういう人が阿鼻大城へ堕ちるか、ということを、ここでは具体的に述べられている。ここで本文にそってみてみよう。まず「法華経計りを御信用なく」とあるように、法華経を信じない人である。多くの戒律を持ち、無量の善根を積んだ人であっても、成仏の直道である法華経を信じなければ、それらの善根はすべて、無意味であり、かえって、法華不信の罪によって、阿鼻大城へと堕ちてしまうのである。次に「御信用はありとも諸経諸仏にも並べて思し食し」ている人である。法華経は一仏乗を説いた教えであり、諸経は方便権教である。その根本的な違いを知らず、同列においている人はやはり成仏は叶わないばかりか、「法華経の御功徳も且く隠れさせ給いて、阿鼻大城に堕ちさせ給はん」と戒められている。

さらに「又並べて思し食さずとも、他の善根をば隙なく行じて時時法華経を行じ」ている人である。他の善根とは、法華経以外の経典を読んだり、行じたりすることである。また、広くいえば、日々の振る舞いの中の善行などを隙なく行なっている人のことである。こうした法華経以外の善根を隙なく行じて「時時法華経を行じ」というのは、法華経を他経よりも下においている姿である。こういう人も、当然、前者と同様、阿鼻地獄へ堕ちるのである。

また「法華経を用ひざる謗法の念仏者なんどにも語らひをなし」ている人である。大聖人は念仏に対して「念仏は無間地獄の業」と喝破されている。人々を不幸に堕とす元凶たる念仏、念仏者を破折しないで親しく語らうのは、すでに謗法と同座した姿である。もとより、社会に住む以上、だれとでも親しく共栄することは当然のことでもある。ここでいわれているのは、人々を不幸におとしいれる念仏思想を破折することなく、親しく迎合する姿勢が問題であるということである。破邪顕正の精神を喪失した人は、真の法華経の行者ではないのである。ゆえに阿鼻地獄の類となってしまうのである。

最後に「法華経を末代の機に叶はずと申す者を科とも思し食さず」の人である。これも同じく、法華経の魂は折伏にある。末法の大法たる法華経を謗ずる者を前にして、それをなんとも気に懸けないというのは、すでに折伏精神を失った者である。いかに、法華経を信じているといっても、そういう折伏精神のない人の善根は、朝日に消える露のようなものでしかない。形のみの信の人は、やはり法華経の功徳を消すのみならず、阿鼻地獄へ趣くとの諫めである。いずれをとっても真実の仏法者が自戒すべき重大な御指南であるといえよう。

 

 

第五章 方便・寿量の読誦を教示する

但し御不審の事・法華経は何れの品も先に申しつる様に愚かならねども殊に二十八品の中に勝れて・めでたきは方便品と寿量品にて侍り、余品は皆枝葉にて候なり、されば常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ、又別に書き出しても・あそばし候べく候、余の二十六品は身に影の随ひ玉に財の備わるが如し、寿量品・方便品をよみ候へば自然に余品はよみ候はねども備はり候なり、薬王品・提婆品は女人の成仏往生を説かれて候品にては候へども提婆品は方便品の枝葉・薬王品は方便品と寿量品の枝葉にて候、されば常には此の方便品・寿量品の二品をあそばし候て余の品をば時時・御いとまの・ひまに・あそばすべく候。

 

現代語訳

ただし法華経の中でもどの品を修行したらよいのか、というあなたのご不審について申し上げる。法華経はどの品も先に申し上げたように粗末ではないが、ことに二十八品の中でも勝れて立派な品は方便品と寿量品である。余品は、皆枝葉なのである。それゆえ、平常のご所作には、方便品の長行と寿量品の長行とを習い読むようになさい。また別に書き出して読まれてもよいことである。その他の二十六品は身に影が従い、玉に財としての価値が備わるようなもので、寿量品・方便品を読むならば、自然に余品は読まなくても備わるのである。

薬王品・提婆品は女人の成仏往生を説かれている品であるが、提婆品は方便品の枝葉であり、薬王品は方便品と寿量品の枝葉である。それゆえ、つねにはこの方便品・寿量品の二品を読まれて、余の品は時々ひまのある時に読まれるがよい。

 

語釈

方便品

妙法蓮華経方便品第二のこと。法華経迹門正宗分の初めに当たり、迹門の主意である開三顕一の法門が展開されている。無量義処三昧に入っていた釈尊が立ち上がり、仏の智慧を賛嘆しつつ、自らが成就した難解の法を十如是として明かし、一仏乗を説くために方便力をもって三乗の法を設けたことを、十方諸仏・過去仏・未来仏・現在仏・釈迦仏の五仏の説法の方程式を引いて明かしている。

 

寿量品

如来寿量品第16のこと。如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号である。別して本地三仏の別号。寿量とは、十方三世・二仏・三仏の諸仏の功徳を詮量えるので、寿量品という。今は、本地の三仏の功徳を詮量するのである。この品こそ、釈尊出世の本懐であり、一切衆生成仏得道の真実義である。寿量品得意抄には「一切経の中に此の寿量品ましまさずは天に日月無く国に大王なく山海に玉なく人にたましゐ無からんがごとし、されば寿量品なくしては一切経いたづらごとなるべし」(1211:17)と、この品が重要であることを説かれている。その元意は文底に事行の一念三千の南無妙法蓮華経が秘し沈められているからである。御義口伝には「如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752:04)、また「然りと雖も而も当品は末法の要法に非ざるか其の故は此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益滅後は下種なり仍て下種を以て末法の詮と為す」(0753:第三我実成仏巳来無量無辺等の事:07)とあり、末法においては、寿量品といえども、三大秘法の大御本尊の説明書であり、蔵と宝の関係になるのである。

 

長行

経文のうち字数に関係なく書かれた散文。字句を制限せず、行数が長い。

 

提婆品

妙法蓮華経提婆達多品第12のこと。法師品と見宝塔品が功徳の深重をあげて流通を勧めたのに対し、かつての提婆の弘教と、釈尊の成道の両方を兼ね益した前例を引いて、功徳の深重を証し、流通を勧めるのである。まず前段に国王と阿私仙人の昔話をあげ、釈尊が「果を採り、水を汲み薪を拾い食を設けて」千年間給仕するところの苦行のありさまを説いている。その阿私仙人とは提婆達多のことであり、この大権の聖者が、業因感果の理を示すために、みずから五逆を作り、現身で地獄に堕ちたが、妙法の効力によって、天王如来の記別を受けたのである。迹門正宗八品では声聞の作仏の得記を明かし、流通分にはいって法師品では善人成仏を明かしたのに対して、この提婆品では悪人と女人の成仏を説き、宝塔品では釈迦・多宝の二仏並座は、一切衆生の色心が本有の境智を顕わしているので、すなわち、理性の即身成仏を説いたのであるが、この品では地獄の提婆達多と、海中から出た畜生である竜女の成仏をといたのであるから、事相の即身成仏が説かれたのである。

 

提婆品は方便品の枝葉、薬王品は方便品と寿量品の枝葉

釈迦一代の経々は、その内容によって序分、正宗分、流通分と分かれる。法華経迹門の中では、序分は無量義経と序品、正宗分は方便品第二から人記品第九、流通分は法師品第十から安楽行品第十四までとなる。ゆえに提婆達多品第十二は流通分となり、迹門の肝心である方便品の枝葉となる。また、一経十巻の中では、序分は無量義経と序品、正宗分は方便品第二から分別功徳品第十七の第十九行の偈まで、流通分は分別功徳品第十七のその後から普賢菩薩勧発品第二十八、普賢経までである。ゆえに薬王品第二十三は流通分にあたり、方便品と寿量品の枝葉となるのである。

 

講義

この章では、法華経一部読誦、また薬王品読誦に励んでいるという大学三郎夫人に対して、それを改め方便・寿量読誦の修行にかえていくよう教えられている。

法華経二十八品を毎日一品ずつ読んでいた大学三郎の妻が、このところ、女人成仏を説く薬王品をとくに熱心に読経しているという、その心情は、十分に推察できる。提婆品の竜女の成仏と同様に、薬王品には女人の成仏往生が明確に説かれている。ゆえに、女性として薬王品に魅かれるのは当然のことであるかもしれない。しかし、法華経の肝要は方便品と寿量品であり、夫人の読む薬王品は、方便・寿量の枝葉にあたる品であるから、枝葉末節にとらわれた修行である、と諭され、常には方便・寿量を読誦し、暇のある時に薬王品等の余品を読むべきことを教えられたのが本章の内容である。

 

法華経は何れの品も先に申しつる様に愚かならねども、殊に二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品にて侍り

 

法華経は釈尊の隨自意の説法であり、二十八品はいずれも真実を伝えた文である。この言葉は、これまで爾前経との比較の上から法華経の勝れた点を明かしてこられたことから明らかであり、権実相対に立っていわれているのである。しかし、法華経のなかでいえば、二十八品のうちでも、とくに重要な品として、方便品と寿量品を挙げられている。方便品は迹門の肝心であり、寿量品は本門の肝心である。その理由は、方便品では、「十方仏土の中には、唯一乗の法のみ有り。二無く亦三無し」等と、開三顕一の法門が説かれ、二乗作仏の深義が顕れるゆえである。本門寿量品では、「我実に成仏してより已来、無量無辺……」と、釈尊の成道の本地が明かされる。

この点については本書所収の「寿量品得意抄」に詳しいが、爾前経、また法華経迹門においては、まだ釈尊の成道の本地が顕れず、始成正覚の仏であった。つまり、過去世に無量の菩薩道を行じた、その結果として、釈尊は、インドに応誕し、ここで始めて仏果を得たと説かれる。この始成正覚を打ち破ったのが寿量品である。

開目抄上にいわく「本門にいたりて、始成正覚をやぶれば、四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぬ。爾前迹門の十界の因果を打ちやぶつて、本門の十界の因果をとき顕す。此れ即ち本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備りて、真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」(0197:15)と。

始成正覚の仏の説法には、真実の九界即仏界の義は説かれない。仏と衆生との間には、深い断絶が存する。爾前の諸経には、この致命的な欠陥がある。また、迹門において、方便品第二から人記品第九までの間に、四大声聞等への記別が授けられるが、それは、いずれも、未来成仏の記別であり、はるかな未来をめざしての歴劫修行の果てに到達できる境涯として説かれたものであって即身成仏ではない。

こうした、種々の爾前、迹門の限界を破ったのが、寿量品の説法なのである。

このように、方便品と寿量品の両品に、法華経の深理が収まっているのであり、余品はこの両品の枝葉となるのである。

 

されば常の御所作には、方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ

 

薬王品読誦に励む夫人に対し、方便品と寿量品こそ、法華経の肝心であることを諄々と説かれ、日々の読経は、この両品にせよ、と教えられている。

末法における法華経の修行の根幹は、いうまでもなく三大秘法の南無妙法蓮華経の唱題にある。「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(1546:11、上野殿御返事)とあるとおりである。法華経の方便品と寿量品を読誦するのも、この妙法の題目の力を、さらに鮮明にするために読むのである。

日寬上人は、方便・寿量の読誦の意義を当流行事抄のなかで、次のように述べている。「修行に二有り所謂正行及び助行なり、(中略)当門所修の二行の中に初めに助行とは方便・寿量の両品を読誦し正行甚深の功徳を助顕す、譬えば灰汁の清水を助け塩酢の米麺の味を助くるが如し、故に助行と言うなり、此の助行の中に亦傍正有り、方便を傍とし寿量を正と為す」と。

ここに明らかなように、末法の正行は南無妙法蓮華経であり、この妙法の甚深の功徳を助顕するために、方便・寿量を助行として読むのである。例として挙げられている「灰汁と清水」「塩酢と米麺」の関係も、灰汁・塩酢が従であり助行にあたり、清水・米麺が主であり正行にあたる。弘決巻二に「垢衣を洗うにまず灰汁をもってし、後に清水をもってするがごとし」とあるように、昔は石けんのかわりにまず灰汁をつかって洗濯をし、あとで清水ですすいだのである。汚れを落とす力は清水によらなければならないが、灰汁を加えると、それがさらに効果的になる。また、米麺は食糧として欠かせない材料である。その米麺をいっそうおいしく食べるには、塩や酢の助けが必要である。この分かりやすいたとえを通し、日寬上人は、正行と助行の関係性を明瞭に表されているのである。妙楽は、「正助・合行して因って大益を得」と述べ、この両方を、あいまって行ずるところに、大功徳があることを示している。

次に、助行の中の方便品が傍、寿量品が正となる。日寬上人は、方便品を読むのは所破・借文のため、寿量品を読むのは所破・所用のため、といわれている。所破とは、破折の意であり、方便・寿量を文底観心の義によって破しつつ読むことである。これは相待妙の観点から、文底の妙法の広大甚深の義を明かすためである。こうして、方便・寿量を破折しながら、もう一面において、方便品を借文、寿量品を所用として読む。これは絶待妙の読み方である。詳しくは当流行事抄講義に譲ることとする。

 

 

第六章 月水時の行法を明示する

又御消息の状に云く日ごとに三度づつ七つの文字を拝しまいらせ候事と、南無一乗妙典と一万遍申し候事とをば日ごとにし候が、例の事に成つて候程は御経をばよみまいらせ候はず、拝しまいらせ候事も一乗妙典と申し候事も・そらにし候は苦しかるまじくや候らん、それも例の事の日数の程は叶うまじくや候らん、いく日ばかりにて・よみまいらせ候はんずる等と云云、此の段は一切の女人ごとの御不審に常に問せ給い候御事にて侍り、又古へも女人の御不審に付いて申したる人も多く候へども一代聖教にさして説かれたる処のなきかの故に証文分明に出したる人もおはせず、日蓮粗聖教を見候にも酒肉・五辛・婬事なんどの様に不浄を分明に月日をさして禁めたる様に月水をいみたる経論を未だ勘へず候なり、在世の時多く盛んの女人・尼になり仏法を行ぜしかども月水の時と申して嫌はれたる事なし、是をもつて推し量り侍るに月水と申す物は外より来れる不浄にもあらず、只女人のくせかたわ生死の種を継ぐべき理にや、又長病の様なる物なり例せば屎尿なんどは人の身より出れども能く浄くなしぬれば別にいみもなし是体に侍る事か。
  されば印度・尸那なんどにも・いたくいむよしも聞えず、

 

現代語訳

また、お手紙には「日毎に三度ずつ七文字の題目を申し上げることと、南無一乗妙典と一万遍唱えることを日毎に行なっておりますが、例のことに習っている間は、御経は読みません。七文字を拝み申し上げることも、一乗妙典と唱えることも、御宝前にまいらず暗唱するのは許されるのでしょうか。それも例の事のある日数の間は、いけないのでしょうか。いく日ほど過ぎたら、読誦申し上げてよいのでしょうか」等とある。

この件は、一切の女人皆のご不審でよく問われることである。また、昔の女人のご不審について答えた人も多くいるが、一代聖教に、とくにこれとして説かれたところがないからか、証文を明らかにした人もいない。日蓮がほぼ聖教を見るにも、酒肉、五辛、婬事などのように、不浄を明らかに月日をさして禁止しているように、月水を忌む経論をいまだ勘えあたらないのである。

釈尊在世の時、多くの若い女人が尼になり、仏法を行じたけれども、月水の時といって嫌われたことはない。このことから推量するのに、月水というものは外から来た不浄でもない。ただ女人としての肉体的特質で、それは生死の種を継ぐべき道理としてのもののようである。また長患いのようなものである。たとえば屎尿などは人の身から出るが、よく清くさえすれば別に忌むべきものではない。これと同じようなことであろう。

それゆえ、インド・中国などにも、それほど忌み嫌うとも聞いていない。

 

語釈

七つの文字

南無妙法蓮華経のこと。

 

南無一乗妙典

法華経の題目・南無妙法蓮華経のこと。

 

五辛

五辛とは、五種の辛味のある蔬菜のこと。諸説があるが、梵網経巻下には、大蒜、革葱、慈葱、蘭葱、興渠とある。いずれも出家に対して、あるいは仏事の際などに禁止、もしくは制限された。

 

月水

月経のこと。

 

尸那

外国人が中国を指して呼んだ名。尸那は中国の王朝名である秦がなまって伝えられ、それが漢訳されたといわれる。インドではチーナとよばれていた。

 

講義

本章は月水時における行法についての質問に答えられたところである。この質問からすると、当時、かなり広く月経は不浄なことと考えられていたようである。それは女性蔑視の一つの要因ともなっていたのであろう。大聖人はそうした社会の風潮を十分に考慮されているが、それでも、かなり今日的な考えをもっておられることが分かる。これも根本的な男女平等の思想に立っての発言であるといえよう。

女性の月水については、古来さまざまな禁忌があり、一種の慣習となって、女性の日常生活を広範囲にわたって規制してきた。わが国でも、昔から「月水」を「月華」「経水」などと呼び、神事においては、とくに厳しく忌み嫌ったようである。古事類苑には「経水中の女性は、七日間は神事につくことを憚かる。七日以後、三ヵ日は潔斎の儀を行い沐浴して心身を浄め、十、十一日頃より参詣する事は憚からず」とある。その他、数多くの古典書にも記されているし、いまなお、農漁村には、こうした風習が多く残っているという。これらには、女性を庇護するという発想も含まれていると考えられるが、やはり、そこには女性に対する不浄の観念が、依然として根強くあるのではないかと思われる。

大聖人は本章において、こうした宗教的偏見からくる慣習を打破され、正しい信仰と仏道修行の確立を諄々と勧められておられるのである。具さには、

①一代聖教に忌み嫌う説き方はなく、したがって証文を明確に出す人がいなかったこと。

②酒肉、五辛、婬事などのように不浄を明らかに月日までさして禁止しているのに、月水を忌む経論があるとはいまだに思い当たらないこと。

③釈迦在世に多くの女性が尼になり、仏法を修行したが、月水の時であるといって嫌われたことがないこと。

以上の点を挙げて、仏法では月水時に修行を禁止したり、月水そのものを忌み嫌ったりすることのないことを示され、安心して信心修行に励むよう教えられている。

また、「月水と申す物は外より来れる不浄にもあらず……」と、月水というものは、つまり倫理観、道徳観のうえからうんぬんされるような悪行から起こったものではなく、いわば、女性が本来もっている特質ともいうべきもので、それは大切な一個の生命を出生させるために起こるものなのである。換言すれば、種族保存のため、子孫の繁栄という、女性としてもっている大きな役割に伴うものとも考えられる。また、月水は長期の病気のようなものともいえるし、生理的現象としてみれば、それは、たとえば屎尿が人の体内より自然に排出するものであって、常には不浄とされているが、不可避的な生理現象であり、なんら忌み嫌われるものではない。むしろ、人間の生命を健康に維持するための新陳代謝として不可欠なものである。それと同じように月水もまた、忌み嫌うべきものではないと仰せられている。じつに今日的な考え方である。

第七章では日本の国情を勘案した修行法を教えられているが、大聖人の本意は本章に述べられているところにある。当時の社会にあって、こうした考えをもつことがいかに斬新なことであったか、推察するに余りある。しかも、こうした考えを、経典等の根拠を確かめつつ披瀝されているところに、大聖人の厳正な姿勢を拝することができる。仏界という最高の生命を有する存在であるがゆえに男女といっても絶対的に平等視する大聖人の仏法において、瑣末な差異など問題にならないのは当然であるが、合理的な考察と、原典主義の検討の結果、大胆に述べられているところに、意義の大きさがあるといえよう。

 

 

 

第七章 修行の要諦を教える

但し日本国は神国なり此の国の習として仏・菩薩の垂迹不思議に経論にあひにぬ事も多く侍るに・是をそむけば現に当罰あり、委細に経論を勘へ見るに仏法の中に随方毘尼と申す戒の法門は是に当れり、此の戒の心はいたう事かけざる事をば少少仏教にたがふとも其の国の風俗に違うべからざるよし仏一つの戒を説き給へり、此の由を知ざる智者共神は鬼神なれば敬ふべからずなんど申す強義を申して多くの檀那を損ずる事ありと見えて候なり、若し然らば此の国の明神・多分は此の月水をいませ給へり、生を此の国にうけん人人は大に忌み給うべきか、但し女人の日の所作は苦しかるべからずと覚え候か、元より法華経を信ぜざる様なる人人が経をいかにしても云いうとめんと思うが・さすがに・ただちに経を捨てよとは云いえずして、身の不浄なんどにつけて法華経を遠ざからしめんと思う程に、又不浄の時・此れを行ずれば経を愚かにしまいらする・なんど・おどして罪を得させ候なり、此の事をば一切御心得候て月水の御時は七日までも其の気の有らん程は御経をば・よませ給はずして暗に南無妙法蓮華経と唱えさせ給い候へ、礼拝をも経にむかはせ給はずして拝せさせ給うべし、又不慮に臨終なんどの近づき候はんには魚鳥なんどを服せさせ給うても候へ、よみぬべくば経をもよみ及び南無妙法蓮華経とも唱えさせ給い候べし、又月水なんどは申すに及び候はず又南無一乗妙典と唱えさせ給う事是れ同じ事には侍れども天親菩薩・天台大師等の唱えさせ給い候しが如く・只南無妙法蓮華経と唱えさせ給うべきか、是れ子細ありてかくの如くは申し候なり、穴賢穴賢。

       文永元年甲子四月十七日                 日蓮花押

     大学三郎殿御内御報

 

現代語訳

ただし日本国は神国である。この国の習慣として、仏・菩薩の垂迹としての神は不思議なもので、経論に合致しないことも多いけれども、これに背けば現に罰を受けるのである。委細に経論を考えてみると、仏法の中の随随方毘尼という戒の法門がこれにあたる。この戒の心は、甚だしく欠陥のないことなら、少々仏教に違うことがあっても、その国の風俗に背かないのがよいと、仏は一つの戒を説かれたのである。このいわれを知らない智者達は、神は鬼神であるから敬うべきではないなどという強硬な意見を出して、多くの檀那の信仰心を損なうことがあるようである。もし隨方毘尼の戒に従えば、この国の神々は、多くはこの月水を忌まれるゆえに、生をこの国に受けた人々は、心して忌むべきであろうか。

ただし女人の毎日のつとめには、差し支えないと思われる。もとより法華経を信じないような人々が、法華経をなんとかして嫌わせようと思うが、さすがに、ただちに経を捨てよとはいえないので、身の不浄などにかこつけて、法華経から遠ざからせようと思うゆえに、また不浄の時に、これを行ずれば経を粗末にすることになるなどと脅して、法華経を捨てるという罪を得させようとするものである。

このことを一切心得られて、月水の時は七日ほどもその気配のある時は、経を読まれずに、暗でただ南無妙法蓮華経と唱えておいでなさい。礼拝も経に向かわずに拝むようになさるがよい。また思いがけずに臨終などが近づいたような時は、鳥や魚を食しておられる時でも読むことができるならば経もよみ、そして南無妙法蓮華経とも唱えられるがよい。また月水などは申すまでもない。

また南無一乗妙典と唱えられること、これは同じことではあるが、天親菩薩・天台大師などが唱えられたように、ただ南無妙法蓮華経と唱えられるべきであろう。これは子細があって、このように申すのである。穴賢穴賢。

文永元年甲子四月十七日     日 蓮  花 押

大学三郎殿御内御報

 

語釈

垂迹

「迹を垂れる」と読む。仏・菩薩が衆生を利益するために、種々の所にさまざまな身に姿を変えて現れること。またその身をいう。本地に対する語。もとの仏・菩薩が本地から真実身を隠して化現した姿が垂迹であり、それは本体と影・天月と地月の関係にたとえられる。

 

随方毘尼

仏教の戒律の一種で、TPOにあわせた規制や緩和を行うこと。随処毘尼などともいう。毘尼とはサンスクリット語で戒律を意味するVinayaの音写。基本的に、仏教における戒律は仏によって制定されたものであった。しかし仏教がインドから東へ伝わっていくと、実際にはその地域などや風習など、また時代によって規定を変えなければならなかった。これを随方という。仏の法に随順していれば、毘尼(戒律)の原則的な規制に関わらず、時や場所、またそのケースによって新たに制定したり、また反対に緩和したり廃止してもよいとされるようになった。これが随方毘尼である。仏教が拡がるに従い、この制度やその解釈を悪用して、破戒行為を行うケースも多いとされる。また、女人禁制なども日本特有の随方毘尼の一種とされる。

 

檀那

布施をする人(梵語、ダーナパティ、dānapati。漢訳、陀那鉢底)「檀越」とも称された。中世以降に有力神社に御師職が置かれて祈祷などを通した布教活動が盛んになると、寺院に限らず神社においても祈祷などの依頼者を「檀那」と称するようになった。また、奉公人がその主人を呼ぶ場合などの敬称にも使われ、現在でも女性がその配偶者を呼ぶ場合に使われている。

 

礼拝

一定の動作・作法によって感情・尊敬・祈願・誓いなどの意をあらわすこと。信仰の対象を拝むこと。

 

天親菩薩

生没年不明。45世紀ごろのインドの学僧。梵語でヴァスバンドゥ(Vasubandhu)といい、世親とも訳す。大唐西域記巻五等によると、北インド・健駄羅国の出身。無著の弟。はじめ、阿踰闍国で説一切有部の小乗教を学び、大毘婆沙論を講説して倶舎論を著した。後、兄の無着に導かれて小乗教を捨て、大乗教を学んだ。そのとき小乗に固執した非を悔いて舌を切ろうとしたが、兄に舌をもって大乗を謗じたのであれば、以後舌をもって大乗を讃して罪をつぐなうようにと諭され、大いに大乗の論をつくり大乗教を宣揚した。著書に「倶舎論」三十巻、「十地経論」十二巻、「法華論」二巻、「摂大乗論釈」十五巻、「仏性論」六巻など多数あり、千部の論師といわれる。

 

天台大師

538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って一念開悟し、円頓止観を悟った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳・隋を治めていた、陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。

【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」とされている。

 

穴賢

「あな」は感動詞、「かしこ」は形容詞「かしこ()し」の語幹。①尊いものに対し畏敬を表すときの「ああ、もったいないことよ」「ああ、恐れ多い」の意。②丁寧な呼びかけの語。「恐れ入りますが」の意。③否定の語を伴って相手の言動をたしなめるときに用いる。「決して」「くれぐれも」「ゆめゆめ」……してはならない、との意。④手紙の文末に用いて敬意を表す語。

 

講義

日本国は神国なり。此の国の習として、仏菩薩の垂迹不思議に経論にあひにぬ事も多く侍るに、是をそむけば現に当罰あり

 

日本には古来の神道があり、神々を尊崇する習慣がある。ここでは一応それを用いながら論をすすめておられる。また、神国であるというのは、日本は山紫水明、気候や収穫に恵まれた国であり、諸天善神に守護された福運ある国であるとの意味も含まれていよう。

仏法においては、土着のものの考え方を排斥してみずからの思想を一方的に押しつけるということはしない。根本的な哲理を基礎に据えれば、あとはその国、時代の風習を包み込みながら流布していくのである。神に対する考え方もそうである。日本において例えば八幡宮に祭られる八幡大明神は応神天皇であるが、仏法が日本に定着するにつれ、この神が仏法における諸天善神と結びつけられる。そして八幡大菩薩と呼称されるのである。このゆえに、大聖人は諫暁八幡抄には大隅の正八幡宮の石の文「昔し霊鷲山に在つて妙法華経を説き今正宮の中に在て大菩薩と示現す」(0588:03)を引いて本地は釈迦仏、垂迹は八幡大菩薩と述べられているのである。仏法を弘めるにあたって、この古来の神を中心にした習俗等が経論に説くところと少し食い違っても、ひとまずこれらの風習に従うべきことを教えられているのである。

「是をそむけば現に当罰あり」とは、枝葉末節にこだわって伝統的風習に背くことが、自身のためにも仏法流布のためにもマイナスとなったのであろう。もちろん「当罰」があることを強調されているのではなく、日本という風土を考えなければならないことを教えられていると拝すべきである。

なお「経論にあひにぬ」の文は「経論に合致している」と逆の意味に解釈することもできるが、いずれにしても伝統的風習を考慮すべきであるという大綱は変わらない。

 

隨方毘尼について

 

隨方毘尼とは、隨方が隨方隨時、すなわち時代や地域の風習に随うことであり、毘尼とは戒律のことであるから、仏法の本義にたがわなければ、その国・社会あるいは時代の状況を考え、それに応じた実践をすべきであるという考え方をさすのである。この戒のなかに、仏法がいかに時代・社会を重んじて仏法流布を考えたかが分かる。

仏法においては、一切法の根源を知るのが本意であり、これに基づいて文明を支えていくことに意味があるのであって、枝葉のことに至るまで一切、仏法が支配しなければならないというような偏狭な考えはもっていない。中世キリスト教において、その思想からすれば天動説でなければならないとして、コペルニクスやガリレオ等の地動説に教会からの圧力が加えられたのは有名であるが、仏法においては、そうした偏狭な考え方はない。むしろ、それぞれの国土の考え方に応じた弘め方をし、風習等を取り入れた面があるのは、われわれのよく知るところである。

一切の根源さえ把握していれば、あとの枝葉は、それぞれの時代・社会の状況に応じて自在に取捨選択できるのである。その意味では仏法はすこぶる寛容な思想であるということができよう。また、このように仏法が偏狭でなかったところに、三千年を経る今日においても、みずみずしさを失わないゆえんがあるのではなかろうか。

この原理からするならば、われわれ仏法を持つ者は、仏法の根本義においては、いささかも妥協することなく、峻厳な態度をもって、法華折伏・破権門理の姿勢を貫いていかなければならないが、それ以外のことにおいては、つねに柔軟な姿勢で取り組んでいくことを忘れてはなるまい。

仏法の本義からいえば、月水時であろうとなかろうと、一切違いはないのであり、仏道修行においてなんら差があるはずはない。このことを大聖人は最初にはっきりと述べておられる。しかし、それを押し通すと、日本の精神的風土に受け入れられがたい面があり、拒絶反応を起こすことも考えられる。したがってそうした状況を考慮されて、化儀の面においては妥協され、しかも根本的には、いついかなるところにおいても唱題を根本とすべきことを諄々と教えられているのであり、大聖人の配慮が察せられる箇所である。

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