大白牛車御消息 

大白牛車御消息

弘安4年(ʼ81) 60歳

 

第一章(譬喩品に説かれるを示す)

  そもそも法華経の大白牛車と申すは、我も人も法華経の行者の乗るべき車にて候なり。彼の車をば、法華経の譬喩品と申すに懇ろに説かせ給いて候。ただし、彼の御経は、羅什、略を存するの故に、委しくは説き給わず。天竺の梵品には、車の荘り物、その外、聞・信・戒・定・進・捨・慙の七宝まで委しく説き給いて候を、日蓮あらあら披見に及び候。

 

現代語訳

そもそも法華経の大白牛車というのは、我も人も法華経の行者の乗るべき車である。彼の車の事は、法華経の譬喩品に詳しく説かれている。ただし彼の法華経は、鳩摩羅什が略して訳したゆえに、委しくは説いていない。インドの梵品には、車の飾り物、そのほか、聞信戒定進捨慚の七宝まで委しく説いてあるのを、日蓮は大略目をとおしている。

 

語句の解説

大白牛車

大白牛に引かせた宝車のこと。法華経譬喩品の三車火宅の譬に説かれ、声聞・縁覚・菩薩の三乗の諸経を羊、鹿、牛の三車に譬え、唯一仏乗を開会した法華経を大白牛車に譬えている。法華経譬喩品第三に「大白牛有り 肥壮多力にして 形体は姝好なり 以て宝車を駕せり」とある。

 

譬喩品

妙法蓮華経譬喩品第3のこと。迹門・正宗分の中、法説周の領解・述成・授記段・譬説周の正説段の二つの部分からなる。まず方便品の諸法実相の妙理を領解して歓喜した舎利弗に仏は未来世成仏の記莂を与え、劫・国・名号を明かす。次いで、中根の四大声聞に対する説法に入るが、譬喩を主体とするので譬え説周と呼ばれる。そのなかで仏は三車家宅の譬を説いている。この譬えにおける火宅は三界を、また羊・鹿・牛の三車は三乗を、大白牛車は一仏乗の妙理をあらわしており、一仏乗こそ仏が衆生に与える真実の教えであることを述べている。終わりに、舎利弗の智慧でも法華経の妙理を悟ることはできず、ただ「信を以って入ることができる」と、信の重要性を述べ、逆に正法への不信・誹謗の罪の大きさを説いている。

 

羅什

(0344~0409)。梵語クマーラジーヴァ(Kumārajīva)の音写。中国・姚秦代の訳経僧。鳩摩羅耆婆、鳩摩羅什婆とも書き、羅什三蔵とも呼ばれる。童寿と訳す。父はインドの一国の宰相鳩摩羅炎、母は亀茲国王の妹・耆婆。7歳の時、母と共に出家し、仏法を学ぶ。生来英邁で一日に千偈、三万二千言の経を誦したと言う。9歳の時カシミール国に留学し、王の従弟の槃頭達多について学び、後に諸国を遊歴して仏法を修行した。初め小乗経を、後に須利耶蘇摩について大乗教を学び、亀茲国に帰って大いに大乗仏教を弘めた。しかし、中国の前秦王・符堅は、将軍・呂光に命じて西域を攻めさせ、羅什は、亀茲国を攻略した呂光に連れられて中国へ行く途中、前秦が滅亡したため、呂光の保護を受けて涼州に留まった。その後、後秦王・姚興に迎えられて弘始3年(0401)長安に入り、その保護の下に国師の待遇を得て、訳経に従事した。羅什は多くの外国語に通暁していたので、初期の漢訳経典の誤謬を正し、また抄訳を全訳とするなど、経典の翻訳をした。その翻訳数は、出三蔵記集巻二によると三十五部二九四巻、開元釈教録巻四によると七十四部三八四巻にのぼる。代表的なものに「妙法蓮華経」八巻、「大品般若経」二十七巻、「大智度論」百巻、「中論」四巻、「百論」二巻などがある。弘始11年(0409)8月20日、長安で寂したが、予言どおりに舌のみ焼けず、訳の正しさを証明したと伝えられる。なお、寂年には異説があるが、ここでは高僧伝巻二によった。

 

天竺

古来、中国や日本で用いられたインドの呼び名。大唐西域記巻第二には「夫れ天竺の称は異議糺紛せり、舊は身毒と云い或は賢豆と曰えり。今は正音に従って宜しく印度と云うべし」とある。

 

講義

本抄は、御述作の年代も宛名も不明であるが、古来、弘安4年(1281)、身延でしたためられ在家信徒の誰かに送られた御手紙とされている。なお、御真筆は現存していない。

最初に、大白牛車という車は、法華経の行者の乗ることのできる車であり、法華経の譬喩品にあるが、その詳しい有り様は羅什の漢訳では略されているが、梵語の原典には説かれており、それを大聖人もあらあら読んだと仰せられている。

 

大白牛車と申すは我も人も法華経の行者の乗るべき車にて候なり

 

大白牛車は、法華経譬喩品第三に説かれる有名な「三車火宅の譬」の中に出てくる車である。この譬えを簡単に述べると、あるとき、ある長者の家が火事になり、火に包まれている家の中では長者の子供達が何も知らずに夢中で遊んでいた。

長者は、遊びに夢中の子供達を救い出すため、一計を案じて、子供達に対して、家の外に子供達が欲しがっていた好きな羊車・鹿車・牛車があるから、出てくるよう呼び掛けた。

それを聞いて、喜んで火宅を飛び出してきた子供達に、長者は三車よりはるかに優れた大白牛車を与えた、という内容である。

この譬えで、火宅は三界六道を、長者は仏を、子供達は一切衆生を、それぞれ表している。そして、子供達が火に包まれた家で無心に遊んでいるというのは、一切衆生が煩悩の火の燃えさかる苦しみ多き娑婆世界の真っ只中に居ながら、そのことに気づかずに生きている姿をたとえている。また、長者が子供達に与えるといった三車は声聞・縁覚・菩薩の三乗の権教をさし、大白牛車とは、一仏乗の法華経をあらわしている。この譬えは、いわゆる開三顕一の法門を見事に表しているのである。

大白牛車は、大きな白牛に引かせ宝で飾られた車で、しかも、「其の疾きこと風の如し」と述べられている。「疾き」とは即身成仏をあらわしているのである。

そして「我も人も法華経の行者の乗るべき車にて候なり」とあるように、この一仏乗の法華経は、ただ法華経の行者のみが乗ることのできる車である。〝我も人も〟との言葉のなかに、利己主義を排し、他者とともどもに乗るとの利他の精神が示されている。

 

聞信戒定進捨慚の七宝

 

鳩摩羅什が漢訳した妙法蓮華経の譬喩品には、大白牛車の飾りものとして金・銀・瑠璃・硨磲・瑪瑙・真珠・玫瑰の七宝しか説かれていない。本抄で大聖人は、天竺の梵本の譬喩品には聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝についても説かれていると仰せられている。日蓮大聖人が披見された梵本の譬喩品がどのようなものであったか、今日では不明であるが、現在、発見されている幾種類かの梵本を見ても、やはり、金・銀の七宝のみで、聞・信等の七宝は説かれていない。

ゆえに、羅什訳と梵本との関係については今では確かめようがないが、しかし、むしろ、大聖人は七宝を、仏性を輝かせる宝との意義からとらえなおされて、金・銀等の七宝とは聞・信等の七財を表すと解釈されたと考えられる。

同じことは、「阿仏房御書」において、法華経見宝塔品第十一で涌出した宝塔を荘厳する金・銀等の七宝を、やはり、聞・信等の七宝と釈されているところにもみられる。

さて、聞・信等の七宝は、七聖財、七徳財、七宝財ともいわれ、仏道修行を行う人の貯えるべき七つの財宝である。この七聖財については、古く長阿含経巻九にその原形を見ることができる。すなわち「如来が七成法、七財を謂う、信財、戒財、慙財、愧財、聞財、施財、慧財を七財となす」とある。

また、注維摩詰経巻七にも「富に七財宝あり、什曰く、信戒聞捨慧慙愧なり」とあり、長阿含経のそれと順序は異なるが全く同じものである。

いま、本抄の七宝と対照してみると、「聞」・「信」・「戒」・「慙」の四つは同じであるが、残りの三つはそれぞれ表現が異なっている。

まず、慧財の〝慧〟は定慧とも併記されるところから、「定」に当たるであろう。施財は別名を〝捨財〟ともいうから、「捨」にあたることが分かる。最後の愧財は、その意味が消極的なものに転じて「進」となったのであろう。

では、七宝の一つ一つについて説明してみよう。

まず、「聞」であるが、これは「聞法」のことで、仏法を聞くことである。

次に「信」は「信受」で、聞いた法を能く信受することである。

「戒」は「持戒」で、仏法を受持して、身・口・意の三業にわたる非を防ぎ、悪を止めることである。

さらに「定」は「禅定」で、心が外界の縁に紛動されることなく統一されていることである。

また「進」は「精進」で、仏法を身に実践し慚怠のないことであり、「捨」は「喜捨」で、仏法のために身命を惜しまないような一念で喜んで布施することである。

「慚」は「慚愧」で、これまでの六財の行を積んでも、自己満足せずに、まだ足りないとして己に慚じて、より一層の向上をなさんと決意することである。この場合の「慚」が、世間体等を気にする〝恥〟とは根本的に異なることはいうまでもない。

さきに、愧財が「進」に当たることを推量したが、愧の意味が、慚と同じで、自己満足せずに、未だ足りないと慚じて、一層の向上を誓うことであるから、「進」になることは明らかである。つまり、それまでの、慚財と愧財の内から、一つを「進」として立てたものといえよう。

いずれにしても、これらの七つは、仏道修行にとり不可欠の条件を挙げたものであり、妙法を根本に日々励むことにより、仏道修行者自身の生命を荘厳し、仏果の悟りに到達することができるのである。

さらに、敷衍して論ずるならば、聞・信・戒・定・進・捨・慚は、一般的な意味でも、人間の人間らしさ、人間としての尊厳性をあらわす特質であり、機能ということができる。

「聞」言葉を使い、言葉を理解することが出来るところに、人間の一つの特質があることを意味している。

「信」その聞いたところ、教えを信ずることができるところに人間の尊さがあることをあらわしている。

「戒」自己抑制、自己制御の力を意味している。

「定」人間は、不動の信念、生涯を貫く理想をもつことのできる存在であることを示している。

「進」目標、理想を目指して、常に、自らを励まし、進ませていく向上心である。

「捨」目標、理想、あるいは、他者のために、何ものも惜しまない精神である。

「慚」常に謙虚に、慢心することなく、自己反省していくことである。

このように、この七つは、仏道修行ということを離れても、人間としての尊厳性を支える要件として、広く示唆を与える財宝であるといえよう。

 

第二章(梵品により大白牛車の有り様を示す)

 

大白牛車御消息 第三章(結び)

我より後に来り給はん人人は此の車にめされて霊山へ御出で有るべく候、日蓮も同じ車に乗りて御迎いにまかり向ふべく候、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

                                 日蓮花押

 

現代語訳

日蓮より後に来る人々は、この車に乗られて霊山へ御出でになられるがよい。その時、日蓮も同じ車に乗ってお迎えに向かうであろう。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。

日 蓮  花 押

 

語句の解説

霊山

霊鷲山の略で、釈尊が法華経を説いた処である。ここから仏国土の意味で使われるようになった。

 

講義

「我より後に来り給はん人人」は、大聖人より後で亡くなる人ということである。ここに深い意義がこめられていると拝せられる。すなわち、大聖人御在世の人々は、久遠元初自受用報身であられる大聖人を拝することによって成仏することができた。では、大聖人御入滅後の人々は、どうすれば成仏できるか。大聖人は、滅後、尽未来際の一切衆生のために「大白牛車」すなわち御本尊を御建立になったのである。

そして今、自分より後に亡くなる人は御本尊を信受することによって必ず成仏できると教えてくださっているのである。その時は「日蓮も同じ車に乗りて」と仰せられているのは人法一箇の深旨を示されているのである。

 

 

タイトルとURLをコピーしました