日眼女造立釈迦仏供養事 第三章(仏像造立の功徳)

日眼女造立釈迦仏供養事 第三章(仏像造立の功徳)

 弘安2年(ʼ79)2月2日 58歳 日眼女

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 昔優塡大王・釈迦仏を造立し奉りしかば大梵天王・日月等・木像を礼しに参り給いしかば木像説いて云く「我を供養せんよりは優塡大王を供養すべし」等云云、影堅王の画像の釈尊を書き奉りしも又又是くの如し、法華経に云く「若し人仏の為の故に諸の形像を建立す是くの

如き諸人等皆已に仏道を成じき」云云、文の心は一切の女人釈迦仏を造り奉れば現在には日日・月月の大小の難を払ひ後生には必ず仏になるべしと申す文なり。

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現代語訳

昔、優填大王が釈迦仏を造立したところ、大梵天王をはじめ日月等の諸天がその木像を礼拝しに来られた。すると木像はそれらの諸天に対して「私を供養するよりも優填大王を供養しなさい」といわれた。また影堅王が画像の釈尊を書いたときも同じであった。

法華経に「若し人が仏を信敬して画像や木像を造立すれは、それらの人はみな仏道を成就した」と説かれている。この経文は釈尊を造立し奉れば一切の女人は、現在には日々月々の大小の災難を払い、後生には必ず仏になるという意味である。

 

語句の解説

優填大王

梵語ウダヤナ(Udayana)の訳。釈迦在世の憍賞弥国の王。なお優陀延王と同じともされるが、増一阿含経巻二十八には五王として「波斯匿王、毘沙王、優填王、悪生王、優陀延王なり」とあり、別人とされている。また四分律には優陀延王を拘睒弥国の王としている。日蓮大聖人の御書には、優陀延王とあるところは多く悪王の例に引かれ、優填王とあるときは、多く造像のことに引かれている。また釈迦滅後、群臣に勅命を下し牛頭栴檀をもって、五尺の尊像を刻ませたという。これがインドにおける仏像造立の初めともいわれている。

 

影堅王

インドのマカダ国王、王舎城主、頻婆沙羅王(Bimbisāra)のこと。阿闍世王の父。頻婆沙羅は梵語で、影堅、影勝、形牢等と訳す。深く釈迦に帰依し、竹林精舎を建てる等、仏と仏弟子を供養した。提婆達多はこれをねたみ、阿闍世王をそそのかし父王である頻婆沙羅王を幽閉した。仏を信ずる心の深い王は、阿闍世の大不孝を悲しみ、これを教誨したが、怒った阿闍世はかえって王の食を絶ったため死んだといわれる。

講義

我を供養せんよりは優填大王を供養すべし

 

優填大王が釈迦像を造立したとき、梵天や日月が像を拝しにきたが、木像が、自分より優填大王を供養すべきであると述べたという文である。これは仏法を尊崇し仏像を建立した人が、いかにすばらしい福運を受けるかをあらわしている。

また、木像よりも優填大王のほうが尊いという考えは示唆に富んだものである。それは、できあがったものよりも、それを作り出した人間のほうが尊いということであり、そのことを忘れてはならないということである。

これは仏像に限らない。例えば組織にせよ、日々の実践活動の成果にせよ、作り出されたものが尊いのではない。もし、作られたものを尊いとすると、やがて作られたものが自己運動を起こし、人間を犠牲とするようになってしまうのである。組織が人の犠牲になるのならよい。しかし人が組織の犠牲になるようなことは断じてあってはならないのである。一握りの権力者のために庶民が犠牲になり、国家のもとに市民が人柱になり、更にはさまざまな思想の正義の美名のもとに幾多の血が流されてきた歴史が繰り返されてはならないのである。国家や機構、あるいは正義のもとに人民があるのでは決してない。思想でさえも、その存在が個人の犠牲を正当づけるものであってはならない。

組織機構にせよ、国家社会にせよ、また思想にせよ、人がいかによりよく生きてゆくかを追究し、その目的のために作り出されたものであるはずである。その出発点を忘れて、いつのまにか人間が二次的存在になることを強く戒めた文であるととらえたい。

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