窪尼御前御返事(阿那律の事)

 仏の御弟子の中にあなりちと申せし人は、こくぼん王の御子、いえにたからをみてておわしき。のちに仏の御でしとなりては、天眼第一のあなりちとて三千大千世界を御覧ありし人、法華経の座にては普明如来とならせ給う。そのさきのよのことをたずぬれば、ひえのはん一つを辟支仏と申す仏の弟子にくようせしゆえなり。
 いまの比丘尼は、あわのわさごめ山中におくりて、法華経にくようしまいらせ給う。いかでか仏にならせ給わざるべき。恐々謹言。
  六月二十七日    日蓮 花押
 くぼの尼御前御返事

 

現代語訳

仏の御弟子の阿那律という人は、斛飯王の子で家には財宝が満ちていました。のちに仏の御弟子となってからは天眼第一の阿那律と呼ばれ、三千大千世界を見尽くすことのできた人で、法華経の会座で普明如来となられたのです。

この人の前世を尋ねると、稗の飯を辟支仏という仏の弟子に供養したから、このような果報を得たのです。

いま尼御前は粟の早稲米をわざわざ身延の山中に送って法華経に供養されたのですから、どうして仏になられないわけがありましょうか。恐恐謹言。

六月二十七日            日 蓮  花 押

窪の尼御前御返事

語句の解説

あなりち

梵名アニルッダ(Aniruddha)の音写。阿㝹樓駄とも書く。無貧・如意と訳す。釈尊十大弟子の一人で、天眼第一と称せられた。釈尊の従弟。楞厳経巻五によれば、出家した当初、居眠りをしていたため仏から呵られ、自らを責めて七日間眠らずにいて両眼を失ったという。法華文句巻一下には「阿㝹樓駄、また阿那律という、また阿泥盧豆という。皆、梵音の奢切のみ。此には無貧と翻じ、または如意、または無猟と名づくるなり。昔、饑世に於いて辟支仏に稗の飯を贈るに、九十一劫の果報を充足することを獲たり」とある。

 

こくぼん王

迦毘羅城の主。獅子頬王の子で、浄飯王の弟。釈尊の叔父。阿那律の父。なお、提婆達多・阿難の父とする説もある。

 

天眼

①五眼の一。天界の衆生がもつ眼で、昼夜遠近を問わず物を見ることができる。②天眼通のこと。六通の一。衆生の未来の生死の姿を自在に見ることのできる通力。

 

三千大千世界

古代インドの世界観の一つ。倶舎論巻十一、雑阿含経巻十六等によると、日月や須弥山を中心として四大州を含む九山八海、および欲界と色界の初禅天とを合わせて小世界という。この小世界を千倍したものを小千世界、小千世界の千倍を中千世界、中千世界の千倍を大千世界とする。小千、中千、大千の三種の世界からなるので三千世界または三千大千世界という。この一つの三千世界が一仏の教化する範囲とされ、これを一仏国とみなす。

 

法華経

釈尊一代50年の説法のうちはじめの42年にわたって、華厳・阿含・方等・般若と方便の諸経を説き、最後の無量義経で「四十余年未顕真実」と爾前諸経を打ち破り「世尊法久後、要当説真実」と立てて後、8年間で説かれた真実の経。六訳三存。

現存しない経

①法華三昧経 六巻 魏の正無畏訳(0256年)

②薩曇分陀利経 六巻 西晋の竺法護訳(0265年)

③方等法華経 五巻 東晋の支道根訳(0335年)

現存する経

④正法華経 十巻 西晋の竺法護訳(0286年)

⑤妙法蓮華経 八巻 姚秦の鳩摩羅什訳(0406年)

⑥添品法華経 七巻 隋の闍那崛多・達磨芨多共訳(0601年)

このうち羅什三蔵訳の⑤妙法蓮華経が、仏の真意を正しく伝える名訳といわれており、大聖人もこれを用いられている。説処は中インド摩竭提国の首都・王舎城の東北にある耆闍崛山=霊鷲山で前後が説かれ、中間の宝塔品第十一の後半から嘱累品第二十二までは虚空会で説かれたことから、二処三会の儀式という。内容は前十四品の迹門で舎利弗等の二乗作仏、女人・悪人の成仏を説き、在世の衆生を得脱せしめ、宝塔品・提婆品で滅後の弘経をすすめ、勧持品・安楽行品で迹化他方のが弘経の誓いをする。本門に入って涌出品で本化地涌の菩薩が出現し、寿量品で永遠の生命が明かされ「我本行菩薩道」と五百塵点劫成道を示し文底に三大秘法を秘沈せしめ、このあと神力・嘱累では付嘱の儀式、以下の品で無量の功徳が説かれるのである。ゆえに法華経の正意は、在世および正像の衆生のためにとかれたというより、末法万年の一切衆生の救済のために説かれた経典である。即ち①釈尊の法華経二十八品②天台の摩訶止観③大聖人の三大秘法の南無妙法蓮華経と区分する。

 

普明如来

五百弟子授記品で阿闍憍陳女をはじめとした500人、余の700人とを合わせた1200人の阿羅漢に授記された、未来に成仏した時の名号。1200人が同一の名号を授記されている。

 

ひえ

イネ科の一年草。種子は穀物として食用に、また葉・茎とともに飼料に用いられる。気候不順に強く、やせ地でも育つので飢饉の時に米や麦などの不足を補うものとして栽培された。

 

辟支仏

梵語プラティエーカブッダ(Pratyeka-buddha)の音写。独覚・縁覚・因縁覚と訳す。「各自に覚った者」の意。仏の教導によらず、自らの力で理を覚る者のこと。有仏の世には十二因縁の理を観じて断惑証理(だんなくしょうり)し、無仏の世には性寂静を好み、飛花落葉などの外縁によって覚りを得るという。

講義

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