阿仏房尼御前御返事

阿仏房尼御前御返事

 建治元年(ʼ75)9月3日 54歳 千日尼

  1. 第一章(謗法の罪報を教える)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
      1. 一切衆生皆成仏道
  2.  第二章(謗法呵責を説く)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
      1. 此の経文にせめられ奉りて、日蓮は種種の大難に値うといへども「仏法中怨」のいましめを免れんために申すなり
      2. 但し謗法に至って浅深あるべし。偽り愚かにして、せめざる時もあるべし
      3. いふといはざるとの重罪免れ難し。云って罪のまぬがるべきを、見ながら聞きながら置いていましめざる事、眼耳の二徳忽に破れて大無慈悲なり
      4. 重罪消滅しがたし。弥利益の心、尤も然る可きなり
      5. 軽罪の者をば、せむる時もあるべし。又せめずしてをくも候べし
  3.  第三章(一層の信心を励ます)
    1. 本文
    2. 現代語訳
    3. 語釈
    4. 講義
      1. 仏法の道理を人に語らむ者をば、男女僧尼必ずにくむべし。よし、にくまばにくめ、法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし。如説修行の人とは是れなり
      2. 法華経に云く「恐畏の世に於て、能く須臾も説く」云云
      3. 此の度大願を立て、後生を願はせ給へ。少しも謗法不信のとが候はば、無間大城疑いなかるべし云云
      4. 浅き罪ならば、我よりゆるして功徳を得さすべし。重きあやまちならば、信心をはげまして消滅さすべし
      5. 尼御前の御身として謗法の罪の浅深軽重の義をとはせ給う事、まことにありがたき女人にておはすなり云云

第一章(謗法の罪報を教える)

本文

御文に云わく「謗法の浅深・軽重においては罪報いかんや」云々。
 夫れ、法華経の意は、「一切衆生皆成仏道」の御経なり。しかりといえども、信ずる者は成仏をとぐ、謗ずる者は無間大城に堕つ。「もし人信ぜずして、この経を毀謗せば、即ち一切世間の仏種を断ぜん乃至その人は命終して、阿鼻獄に入らん」とは、これなり。謗法の者にも浅深・軽重の異あり。法華経を持ち信ずれども、誠に色心相応の信者、能持此経の行者はまれなり。これらの人は、介爾ばかりの謗法はあれども、深重の罪を受くることはなし。信心はつよく、謗法はよわき故なり。大水をもって小火をけすがごとし。

現代語訳

あなたのお手紙には「謗法の浅い深い、軽い重いに応じて罪報はどのようになるのでしょうか」とある。そもそも法華経の本意は、一切衆生が皆成仏できる道を説いた御経である。そうではあるといっても、この経を信ずる者は成仏を遂げ、謗る者は無間大城に堕ちるのである。法華経の譬喩品に「若し人が、信じないでこの経を毀謗すれば、この人は即ち一切世間の仏種を断ずるであろう。乃至その人は命を終えて阿鼻獄に入るであろう」とあるのはこのことである。

謗法の者にも浅深、軽重の異なりがある。法華経を持ち信じていても、誠に色心相応の信者、能持此経の行者はまれである。これらの人々はごくわずかばかりの謗法はあっても深重の罪を受けることはない。信ずる心は強く謗法は弱いゆえである。譬えば大水で小火を消すようなものである。

語釈

謗法

誹謗正法の略。正しく仏法を理解せず、正法を謗って信受しないこと。正法を憎み、人に誤った法を説いて正法を捨てさせること。

罪報

犯した罪による報いのこと。罪業を因として現在および未来に受ける苦果。

一切衆生皆成仏道

法華経方便品第二には「我が昔の願いし所の如きは、今者已に満足しぬ。一切衆生を化して、皆な仏道に入らしむ」とある。すべての衆生を成仏させることが仏の究極の願いであり、なかんずく、一代聖教の眼目たる法華経の主旨は、すべての衆生が成仏できる方途を示すことにある。

成仏

仏になること。成道、作仏、成正覚ともいう。

無間大城

無間地獄のこと。八大地獄の一つ。間断なく苦しみを受けるので無間といい、周囲に七重の鉄城があるので大城という。五逆罪の一つでも犯す者と正法誹謗の者とがこの地獄に堕ちるとされる。

仏種

仏果を生じる因種。南無妙法蓮華経は、一生成仏の果を得るための因の種子であり、衆生の仏性とも、とることができる。

阿鼻獄

阿鼻大城・阿鼻地獄・無間地獄ともいう。阿鼻は梵語アヴィーチィ(Avici)の音写で無間と訳す。苦をうけること間断なきゆえに、この名がある。八大地獄の中で他の七つの地獄よりも千倍も苦しみが大きいといい、欲界の最も深い所にある大燋熱地獄の下にあって、縦広八万由旬、外に七重の鉄の城がある。余りにもこの地獄の苦が大きいので、この地獄の罪人は、大燋熱地獄の罪人を見ると他化自在天の楽しみの如しという。また猛烈な臭気に満ちており、それを嗅ぐと四天下・欲界・六天の転任は皆しぬであろうともいわれている。ただし、出山・没山という山が、この臭気をさえぎっているので、人間界には伝わってこないのである。また、もし仏が無間地獄の苦を具さに説かれると、それを聴く人は血を吐いて死ぬともいう。この地獄における寿命は一中劫で、五逆罪を犯した者が堕ちる。誹謗正法の者は、たとえ悔いても、それに千倍する千劫の間、無間地獄において大苦悩を受ける。懺悔しない者においては「経を読誦し書持吸うこと有らん者を見て憍慢憎嫉して恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入り一劫を具足して劫尽きなば更生まれん、是の如く展転して無数劫に至らん」と説かれている。

色心相応の信者

仏道修行者のあるべき姿を示している。色とは、身体であり、その行動・実践を意味し、心とは、信ずる心ないし智解をいう。すなわち、正法への信心や智解をそのまま実践に移す信者をいう。

能持此経の行者

能持此経とは「能く此の経をたもつ」と読み、法華経分別功徳品第十七の文。「能持是経」また「能奉持此経とある。いかなる難があっても退することなく、強盛な信心で正法を持ち続ける者をいう。

講義

謗法の浅いか深いか、また軽いか重いかによって、罪報の大小はどのようになるのかとの千日尼の質問に答えられたものである。

謗法とは「若し人は信ぜずして、此の経を毀謗せば……」と、法華経譬喩品の文を引かれているように、仏法を信ぜず「此の経」すなわち正法を謗ることである。このように、直接的に、自分が身口意の三業で正法を謗る行為を〝謗法〟と称するのが、根本的な意味である。

そのうえで、こうした謗法を根本に立てられた宗派の信仰をすることをも〝謗法〟と呼ぶ。

謗法の罪の大きさについては、譬喩品に「其の人は命終して、阿鼻獄に入らん」のあと、「一劫を具足して、劫尽きなば更に生まれん。是の如く展転して、無数劫に至らん」と述べられ、明確に示されている。

これは、同じく無間地獄に堕ちる罪とされている五逆罪の場合と対比してみると、いかに重大な罪とされているかが明瞭になる。顕謗法抄に「此の無間地獄の寿命の長短は一中劫なり」(0447:04)とあり、これは五逆罪の場合である。それに対して、誹謗正法の場合は無数劫に及ぶのであり、不軽軽毀の衆の例でいえば、懺悔したけれども千劫・阿鼻地獄に堕ちたのである。

この千劫とは、千中劫の意で、これらによっても、いかに謗法が重い罪とされたかがわかる。おそらく、千日尼も、謗法の罪が重いという話を聞いて、相当に気にしていたのであろう。夫・阿仏房とともに、老いてから正法に帰依した身であるから、それ以前の長年の念仏信仰の謗法の罪障という問題を気に病んでいたとも考えられる。

したがって、ここで示されている大聖人のお答えも、そうした千日尼の心配を十分見抜いてなされていることがうかがえる。

まず、法華経は根本的に「一切衆生皆成仏道の御経」であって、「信ずる者は成仏をとぐ」のである。それは過去の罪障がどうあれ現在の信心の強さが鍵であるということであるから、千日尼の気にしている点を一挙に打ち破った御指導といえる。

その反対に、法華経を謗ずれば無間地獄に堕ちる大罪を受けなければならない。ただしこの謗法行為にも、浅深・軽重は千差万別であって、「色心相応の信者、能持此の行者」にとっては、少々の謗法はあっても、その深重の罪を受けることはない、と仰せである。「色心相応の信者、能持此経の行者」であれば、少々にせよ謗法などないように思われがちであるが、その意味は、一つは過去に積んだ謗法の罪という意で仰せられたと考えられる。また、もう一つは、正法を強盛に実践している現在にも、人間の心は動くものであり、しかも社会的な条件などから一瞬、不信に陥り謗法を犯すこともありうるからである。

いずれにせよ、一人の人間の中に、一方では妙法の信によって成仏へ向かう力があり、同時に誹謗正法によって無間地獄へ向かう力もある。大切なことは、成仏へ向かう信の力を強めることであり、無間へ向かう謗法を最小にすることである。信心の方が強く、謗法の方が弱ければ、小さな火を大水によって容易に消せるように、謗法による罪も、無間地獄に堕ちるほどの大きなものとして受けることはないとの仰せである。

以上のように、この段では、まず自らの謗法という問題について、その原理を示されているのである。

一切衆生皆成仏道

法華経方便品第二には「我が昔の願いし所の如きは、今者已に満足しぬ。一切衆生を化して、皆な仏道に入らしむ」とある。すべての衆生を成仏させることが仏の究極の願いであり、なかんずく、一代聖教の眼目たる法華経の主旨は、すべての衆生が成仏できる方途を示すことにある。

 

 

 

 第二章(謗法呵責を説く)

本文

涅槃経に云く「若し善比丘法を壊る者を見て置いて呵責し駆遣し挙処せずんば当に知るべし、是の人は仏法中の怨なり、若し能く駆遣し呵責し挙処せば 是れ我が弟子真の声聞なり」云云、此の経文にせめられ奉りて日蓮は種種の大難に値うといへども・仏法中怨のいましめを免れんために申すなり。

  但し謗法に至つて浅深あるべし、偽り愚かにしてせめざる時もあるべし、真言・天台宗等は法華誹謗の者いたう呵責すべし、然れども大智慧の者ならでは日蓮が弘通の法門分別しがたし、然る間まづまづ・さしをく事あるなり立正安国論の如し、いふと・いはざるとの重罪免れ難し、云つて罪のまぬがるべきを見ながら聞きながら置いていましめざる事・眼耳の二徳忽に破れて大無慈悲なり、章安の云く「慈無くして詐り親むは即ち是れ彼が怨なり」等云云、重罪消滅しがたし弥利益の心尤も然る可きなり、軽罪の者をば・せむる時もあるべし・又せめずしてをくも候べし、自然になをる辺あるべし・せめて自他の罪を脱れて・さてゆるすべし、其の故は一向謗法になれば・まされる大重罪を受くるなり、彼が為に悪を除けば即ち是れ彼が親なりとは是なり。

  日蓮が弟子檀那の中にも多く此くの如き事共候、さだめて尼御前も・きこしめして候らん、一谷の入道の事・日蓮が檀那と内には候へども外は念仏者にて候ぞ・後生は・いかんとすべき、然れども法華経十巻渡して候いしなり。

 

現代語訳

涅槃経にいうには「若し善比丘がいて、法を壊る者を見て、置いて、呵責し駆遣し挙処しなければ、当に知りなさい。是の人は仏法の中の怨である。若し能く駆遣し呵責し挙処するならば、この人は我が弟子であり真実の声聞である」と。この経文にせめられて、日蓮は種々の大難にあうといっても「仏法の中の怨である」の誡めをまぬかれるために、謗法を責めるのである。

ただし、謗法について浅深があるのである。愚かをよそおって責めない時もあろう。真言・天台宗などは法華経誹謗の者であるからきびしく呵責すべきである。しかしながら大智慧の者でなければ日蓮の弘通の法門と彼らの法門とを分別しがたい。したがって、しばらくは彼らの呵責は差し置くことがある。譬えば立正安国論がそうである。

言っても言わなくても重罪はまぬかれがたい。言って罪をまぬかれるのを見ながら聞きながら、そのままにして置いて禁めないことは、眼耳の二徳がたちまちに破れて大無慈悲の振る舞いとなるのである。章安大師のいうには「慈がなくて詐り親しむことは、即ち彼のためには怨の振る舞いである」と。重罪は消滅しがたい。いよいよ他を利益しようとする心を盛んにすることが最も大切である。

軽罪の者を責める時もある。また、責めないでそのままにしておくこともある。自然に直る人もある。謗法を責めて自分も相手も罪をまぬかれて、それからゆるす場合もある。その理由は、一向に謗法に染まってしまうならば、より重い大重罪を受けるからである。章安大師の涅槃経疏の「彼のために悪を除けば、即ち是れは彼のための親である」とあるのは、このことである。

日蓮の弟子檀那の中にも、多くこのような事柄がある。きっと尼御前も聞いておられることであろう。一谷入道は、日蓮の檀那であると内々にはそうなっているけれども、外に対しては念仏者として振る舞っている。後生はどう救いようもない。しかしながら、法華経十巻を渡したのである。

 

語釈

涅槃経

釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経ともいう。①小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」2巻。②大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」40巻。③栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」36巻。「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。

 

善比丘

比丘とは出家した男子・僧侶のこと。よい僧侶をいう。

 

呵責

呵り責めること。相手の罪過を口で厳しく責めること。

 

駆遣

追い払うこと。駆は追う、遣は追う・はなつ等の意。仏教では、破仏法・正法誹謗の者を追放することをいう。

 

挙処

罪を挙げて処断すること。

 

真の声聞

自行のみの小乗教の声聞をさすのではなくて、真に仏の教えを正しく聞き、利他の実践をする人の意。

 

仏法中怨

「仏法の中の怨」と読む。涅槃経巻第三長寿品の文。仏法を破壊する者を見て、その罪過を糾弾しないでいる仏弟子は、仏法の中にあって仏法を破る敵であるということ。

 

真言・天台宗

真言に染まった天台宗。とくに台密は延暦寺第3代座主・慈覚、第5代座主・智証以降は日本天台宗所伝の密教をいう。

 

立正安国論

文応元年(1260716日、日蓮大聖人が39歳の時、当時の最高権力者であった北条時頼に与えられた第一回の諌暁の書。客と主人の問答形式で109答から成っている。当時、相次いで起こった災難の由来を明かし、その原因である謗法の諸宗の信仰を捨てて正法に帰依すべきことを主張され、その通りにしなければ、自界叛逆・他国侵逼の二難が競い起こるであろうと予言されている。

 

眼耳の二徳

眼と耳のすぐれた働きのこと。正しく物事を判断する能力。

 

一谷の入道

(~1278)。佐渡国雑太郡石田郷一谷(新潟県佐渡市畑野)の人。身分のある土豪であったと思われる。文永9年(12724月、佐渡流罪中の日蓮大聖人は塚原三昧堂から一谷に移られ、赦免されるまで、この入道の屋敷に住まれた。一谷の入道は念仏の信者だったが、大聖人の姿に心を動かされ、念仏を改めることはなかったが心では帰伏し、大聖人を危難から守ったようである。

 

檀那

布施をする人(梵語、ダーナパティ、dānapati。漢訳、陀那鉢底)「檀越」とも称された。中世以降に有力神社に御師職が置かれて祈祷などを通した布教活動が盛んになると、寺院に限らず神社においても祈祷などの依頼者を「檀那」と称するようになった。また、奉公人がその主人を呼ぶ場合などの敬称にも使われ、現在でも女性がその配偶者を呼ぶ場合に使われている。

 

後生

三世のひとつで、未来世、後世と同じ。未来世に生を受けること。今生に対する語。

 

法華経十巻

「妙法蓮華経」八巻二十八品に、開経である「無量義経」一巻と結経である「観普賢菩薩行法経」一巻を加えた三部十巻のこと。

 

講義

前の段では、自らの行のうえで、正法への信に対するものとして、謗法の軽重を明かされたが、この段では、化他の行の上での謗法呵責の精神を述べられている。

すなわち、前段が自らの成仏のための条件として信心を勧め、謗法を論じたのに対して、この段の問題は、仏弟子としての化他の実践である。これにも、相反する二つの方向があり、一方は謗法を呵責することで、これは仏弟子たる条件になる。他方は、置不呵責で、軽罪ならばそのまま見過ごす辺もあるが、重大な謗法を呵責しないでおくならば仏法の中の怨となってしまうのである。

したがって、いずれをとるべきかは、相手の謗法自体の浅深と、相手の機根によって判断することが必要となるのである。

 

此の経文にせめられ奉りて、日蓮は種種の大難に値うといへども「仏法中怨」のいましめを免れんために申すなり

 

謗法を犯す者を見ながらそのままにし、呵責・駆遣・挙処しなければ、その人は仏法の中の怨である。謗法者を駆遣・呵責・挙処する人こそ、真の仏弟子である。――この涅槃経の厳しい戒めに従って、謗法呵責の実践を貫いてきたのであると、大聖人の根本精神を明確にされている。

末法は折伏を基本にするのであり、謗法を呵責すべきことは当然である。というより、五濁乱漫の末法が故に、人々は皆謗法に堕している。したがって、末法に正法を行じようとするならば、謗法呵責なしではすませられないのである。

事実、大聖人は、立宗の当初から「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」のいわゆる四箇の格言をもって、既存の誤れる仏教各派を徹底的に破折しながら、正法を説かれた。そして大聖人の一生は、終始、謗法への厳しい呵責の戦いであったといっても過言ではない。それは、この御文にいわれているように、仏説に違背しないためであり、また根本的には、一切衆生のために堕地獄の元凶である謗法を打ち破ることによって、人々を幸せへ導こうとする大慈悲の故であった。

日蓮大聖人が、たび重なる大難にあわれたのは、この謗法呵責の故だったのである。

 

但し謗法に至って浅深あるべし。偽り愚かにして、せめざる時もあるべし

 

大綱として論ずれば、あくまで謗法を呵責すべきであるが、細目に入っていえば、だからといって、いつ、いかなる場合も、どういう相手に対しても、常に厳しく破折しなければならないかというと、そうではない。同じく謗法といっても、浅い場合も、深い場合もある。また、知らないさまを装って破折しない場合もある。

その大聖人御自身の例として、真言・天台宗等を、立正安国論などの初期の段階では、特に顕著に破折しなかったことを述べられている。これは、真言・天台宗が謗法として浅いからではなく、きわめて深いけれども、人々にとって、大聖人の弘通されている法門と、この真言・天台宗との相違を分別することが困難であったからである。

その理由は、真言・天台宗においても一念三千法門等を立てており、一往、文上法華の義は重んじている。日蓮大聖人の仏法がこれとどう違うかがわかるためには、文上と文底の義、すなわち種脱相対までこなければならない。

大聖人の仏法自体は、当然、最初から文底独一本門であるが、その哲学的解明は、浅きから深きへ、順を追わざるを得ず、したがって、種脱相対は竜口の発迹顕本以後となった。このゆえに、初期の段階では、権実相対に力点を置かれ、とくに立正安国論では、権教の代表として念仏破折を主柱とされたのである。

 

いふといはざるとの重罪免れ難し。云って罪のまぬがるべきを、見ながら聞きながら置いていましめざる事、眼耳の二徳忽に破れて大無慈悲なり

 

立正安国論で真言・天台の呵責を差し置いたのは、言っても人々に理解ができず、したがって改心もできないことが明らかであったからである。言っても、言わなくても、重罪を受けることに変わりはない。だが、言えば相手も納得ができ、謗法の罪をまぬかれるとわかっていながら、呵責しないとすれば、自分自身の眼耳の二徳を破ることになり、相手に対しても大無慈悲となる、との仰せである。

「眼耳の二徳忽に破れ」とは、その前の「見ながら聞きながら」と関連している。眼で謗法を見、耳で謗法を聞いて、そこから謗法を呵責すれば、仏弟子としての尊い行ないの上に、眼と耳の徳を増すことになる。ところが、見ながら聞きながら、謗法を呵責しなかったとすれば、その眼と耳の徳を破ることになってしまうのである。すなわち、眼と耳に限らず、仏弟子としての尊い実践のうえに、その目的観・使命感のもとに五体を駆使し、また、一部の思想・知識を使ったとき、その五体、思想・知識のすべても生きてくるのである。

 

重罪消滅しがたし。弥利益の心、尤も然る可きなり

 

過去の謗法の重罪は、容易に消滅するものではない。したがって、罪障を消滅させるためには、相手を折伏し、利益することを心がけていきなさいとの御指導である。

すなわち、慈悲の心をもって折伏することが未来に向かって、より大きい功徳・福運を積ませ、幸福の未来を築かせることになるということである。過去に罪を犯しているならば、因果の理法で、その報いは、いつか必ず受けなければならない。報いを受けてはじめてその罪業は消えるのである。しかし縁がなければいつまでも消滅できない。その「縁」となるのが折伏である。

 

軽罪の者をば、せむる時もあるべし。又せめずしてをくも候べし

 

相手の謗法の罪が軽いものである場合にも、責める時もあれば、責めないで相手が自然に気づくのを待つ時もあると、いろいろなケースがあることを述べられている。

軽いものでも、それがやがて重いものへ発展する恐れを秘めている場合は、きちんと破折するのが慈悲であるとも言われている。

要は、いろいろな場合があるので一律にすべきでなく、また、表面の現象にとらわれるのでなく、その内面を見抜いていくことが大切だということである。

 

 

 

 第三章(一層の信心を励ます)

本文

弥信心をはげみ給うべし、仏法の道理を人に語らむ者をば男女僧尼必ずにくむべし、よしにくまばにくめ法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし、如説修行の人とは是れなり、法華経に云く「恐畏の世に於て能く須臾も説く」云云、悪世末法の時・三毒強盛の悪人等・集りて候時・正法を暫時も信じ持ちたらん者をば天人供養あるべしと云う経文なり。

  此の度大願を立て後生を願はせ給へ・少しも謗法不信のとが候はば無間大城疑いなかるべし、譬ば海上を船にのるに船おろそかにあらざれども・あか入りぬれば必ず船中の人人一時に死するなり、なはて堅固なれども蟻の穴あれば必ず終に湛へたる水のたまらざるが如し、謗法不信のあかをとり・信心のなはてを・かたむべきなり、浅き罪ならば我よりゆるして功徳を得さすべし、重きあやまちならば信心をはげまして消滅さすべし、尼御前の御身として謗法の罪の浅深軽重の義をとはせ給う事・まことに・ありがたき女人にておはすなり、竜女にあにをとるべきや、「我大乗の教を闡いて苦の衆生を度脱せん」とは是なり、「其の義趣を問うは是れ則ち難しと為す」と云つて法華経の義理を問う人は・かたしと説かれて候、相構えて相構えて力あらん程は謗法をばせめさせ給うべし、日蓮が義を助け給う事・不思議に覚え候ぞ不思議に覚え候ぞ、穴賢穴賢。

       九月三日                        日蓮花押

     阿仏房尼御前御返事

 

現代語訳

いよいよ信心を励んでいきなさい。仏法の道理を人に語ろうとする者を、男女僧尼が必ず憎むであろう。憎むなら憎むがよい。法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身を任すべきである。如説修行の人とはこういう人をいうのである。法華経の見宝塔品には「恐畏の世に於いて、よくわずかの間でも説く」とある。これは悪世末法の時、三毒強盛の悪人達が集まっている時に、正法をわずかの間でも信じ持つ者を天人が供養するであろうという経文である。

此の度、大願を立て後生を願っていきなさい。少しでも謗法や不信の失があるならば、無間大城に堕ちることは疑いないであろう。譬えば海上を船に乗って行くのに、船は粗悪でなくても、水が入ったならば必ず船は沈み、船中の人々は一時に死ぬのである。また、畷は堅固であっても、蟻の穴があれば必ず最後には湛えた水が溜らないようなものである。したがって、謗法不信の水を取り除き、信心の畷を固めるべきである。

浅い罪であるならばこちらからゆるして功徳を得させるべきである。重い過失であるならば信心を励まして、その重罪を消滅させるべきである。

尼御前のお立場で謗法の罪の浅深・軽重の意味を問われた事は、実に希有な女性であられる。竜女にどうして劣るであろうか。法華経提婆品に「我れ大乗の教を闡いて苦の衆生を度脱せん」と説かれてあるのはこのことである。また「その義趣を問うことは、是れ則ち難しいことである」といって、法華経の義理を問う人はなかなか現れがたいと説かれている。心して、力のあるかぎりは、謗法を責めていきなさい。日蓮の義を助けられることは、実に不思議に感じられてなりません。穴賢穴賢。

九月三日              日 蓮  花 押

阿仏房尼御前御返事

 

語釈

釈迦仏

釈迦牟尼仏の略称、たんに釈迦ともいう。釈迦如来・釈迦尊・釈尊・世尊とも言い、通常はインド応誕の釈尊。

 

天台

05380597)。天台大師。中国天台宗の開祖。慧文・慧思よりの相承の関係から第三祖とすることもある。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。中国の陳代・隋代の人。荊州華容県(湖南省)に生まれる。天台山に住したので天台大師と呼ばれ、また隋の晋王より智者大師の号を与えられた。法華経の円理に基づき、一念三千・一心三観の法門を説き明かした像法時代の正師。五時八教の教判を立て南三北七の諸師を打ち破り信伏させた著書に「法華文句」十巻、「法華玄義」十巻、「摩訶止観」十巻等がある。

 

妙楽

07110782)。中国唐代の人。諱は湛然。天台宗の第九祖、天台大師より六世の法孫で、大いに天台の教義を宣揚し、中興の祖といわれた。行年72歳。著書には天台三大部を釈した法華文句記、法華玄義釈籖、摩訶止観輔行伝弘決等がある。

 

伝教

07670822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。

 

章安

05610632)。章安大師のこと。中国天台宗第四祖(①北斉の慧文、②南岳慧思、③天台智顗、④章安灌頂)。天台大師の弟子で、師の論釈をことごとく聴取し、結集したといわれる。諱は灌頂。中国の浙江省臨海県章安の人で、七歳で摂静寺に入り、25歳で天台大師に謁して後、常随給仕して所説の法門をことごとく領解した。その聴受ののち編纂した天台三大部(「法華玄義」「法華文句」「摩訶止観」)をはじめ、大小部合わせて百余巻がある。師が亡くなってから「涅槃玄義」二巻、「涅槃経疏」20巻を著わす。その名声は高く、三論の嘉祥は章安の「義記」を借覧して天台に帰伏したという。唐の貞観687日、天台山国清寺で72歳で寂し、弟子智威(に法灯を伝えた。

 

法華経に云く「恐畏の世に……」

法華経見宝塔品第十一に「恐畏の世に於いて、能く須臾も説かば、一切の天人は、皆な応に供養すべし」とある。六難九易を示した後に、恐畏の世、すなわち三毒強盛な悪人の充満する末法の世に正法を説く人の受ける功徳の素晴らしさを述べている。

 

須臾

時の量、斬時、刹那、瞬間。

 

悪世末法の時

分別功徳品には「悪世末法の時、能く是の経を持たん者は」とあり、第五の五百歳、闘諍堅固・白法隠没の悪世において、地涌の菩薩が出現することを明かしている。

 

三毒強盛

善根を毒する煩悩である貧・瞋・癡の三毒が、強く盛んなこと。

 

正法

正しい法。邪法に対する語。

 

天人

天界および人界の衆生。

 

なはて

田のあぜ、土手のこと。

 

功徳

功能福徳の意。功は福利を招く効能。この効能が善行に徳としてそなわっていることを功徳という。化城喩品には、大通智勝仏に対して梵天が宮殿に供養した功徳が説かれている。

 

竜女

竜の女身である竜女は、大海の婆竭羅竜王のむすめで八歳であった。文殊師利菩薩が竜宮で法華経を説いたのを聞いて菩提心を起こし、ついで霊鷲山で釈尊の前で即身成仏の現証を顕わした。これを竜女作仏という。法華経が爾前の女人不成仏・改転の成仏を破折している。

 

「我大乗の教を闡いて、苦の衆生を度脱せん」

法華経提婆達多品第十二にある。正覚を成じた竜女が、大乗経である法華経を説いて、苦悩する衆生を救済することを誓った文。

 

度脱

生死の迷い・苦しみを乗り越えて、悟りの境地に至らせること。度は渡と同義で、迷いの彼岸から悟りの彼岸へ渡すこと。脱は彼岸の世界から脱すること。

 

「其の義趣を問うは、是れ則ち難しと為す」

法華経見宝塔品第十一の文。六難の一つ。義趣とは、文の義の帰着するところ、結論として帰り趣くところの意。すなわち釈尊滅後において、法華経を持ち、経文の意義・趣旨について問いを発することはきわめて困難であることを述べている。

 

講義

この段では、総じて信心実践の根本の心構えとして「如説修行」が大事であることを述べられ、この如説修行をする人を、現世においては必ず諸天が供養・加護することを示されている。

そして、後生の成仏のためには、自身に微塵も謗法があってはならないこと、女人の身でありながら他のために謗法を責め、正法を教えていくのは竜女に劣らない尊いことであると励まされている。

これまでは、謗法についての道理と、一般的な原理を述べてこられたのに対し、ここでは、具体的・実践的に阿仏房尼に信心のあり方と自覚を促し励まされているところである。

とくに、自らの信心に関しては「少しも謗法不信のとが候はば、無間大城疑いなかるべし」と厳しい姿勢を強調されているのに対し、他に対しては「浅き罪ならば、我よりゆるして」と寛容さを教えられている点も、大事であろう。

 

仏法の道理を人に語らむ者をば、男女僧尼必ずにくむべし。よし、にくまばにくめ、法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし。如説修行の人とは是れなり

 

「仏法の道理」とは、謗法不信こそ無間地獄の業因であるということであり、したがって「仏法の道理を語る」とは、折伏を行ずることである。折伏すれば、人々から憎まれるのは道理であり、それを恐れてはならない。ただ、法華経・釈迦仏等の金言に身をまかせて、その教えのままに実践すること、すなわち「如説修行」が仏法の実践の根本精神であることを強調されている。

ここに自ら仰せられている通りに、法華経をそのまま実践されたのが日蓮大聖人であった。そして、大聖人はそれによって、御自身が末法の御本仏であることを立証されたのである。いま、末法の大白法を信受する者にとって根本としなければならないのは、末法御本仏である日蓮大聖人の教えである。したがって大聖人の書き遺された御書をその通りに実践していくことが、末法今時における如説修行であることを知らなければならない。

いずれにせよ、如説に修行すれば、それは衆生の元品の無明を打ち破ることになるから、迷妄の執着心から生ずる抵抗、反発にあうことも必定である。そこに、いわゆる怨嫉、迫害等の苦難に直面するのである。

だが、このように正法を、仏の教えのままに行ずる人に対しては、世間の人々がどんなに迫害を加えるにせよ、天人の供養があり、加護がある。

 

法華経に云く「恐畏の世に於て、能く須臾も説く」云云

 

法華経見宝塔品第十一の末尾にある文である。そこには、仏滅後の受持・読誦を奨めてその功徳が説かれている。

「此の経は持ち難し。若し暫くも持たば、我れは即ち歓喜す。諸仏も亦た然なり。是の如きの人は、諸仏の歎めたまう所なり。是れは則ち勇猛なり。是れは則ち精進なり。是れを戒を持ち、頭陀を行ずる者と名づく。則ち為れ疾く、無上の仏道を得ん。能く来世に於いて、此の経を読み持たば、是れ真の仏子、淳善の地に住す。仏の滅度の後に、能く其の義を解せば、是れ諸の天人、世間の眼なり。恐畏の世に於いて、能く須臾も説かば、一切の天人は、皆な応に供養すべし」

いま本文で引用されたのは、この中の一行のみであるが、引用の次に述べられている「悪世末法の時……供養あるべしと云う経文なり」の大聖人の文は、その前後の全体的な意味をまとめていわれたものである。

悪世末法の時代は、三毒強盛の悪人の生まれてくる時であり、故に五濁悪世というのである。そして、この三毒強盛の人々に、その生命濁乱の根本である謗法を責めるのであるから、激しい反対と迫害を惹き起こすことになるのは当然である。したがって「恐畏の世」と法華経は記しているのである。

ともあれ、どんなに世間の謗法に執着する人々から憎まれたとしても、折伏する人に対しては必ず諸天の加護と供養があるのであって、最後は必ず勝利の姿を示していけることを確信すべきである。

 

此の度大願を立て、後生を願はせ給へ。少しも謗法不信のとが候はば、無間大城疑いなかるべし云云

 

まず「大願」とは成仏である。御義口伝には「大願とは法華弘通なり」とある。広宣流布の実践のなかに成仏の道があることはいうまでもない。

次に「少しも……」の文は、自分に微塵も謗法があってはならないことを、重ねて強調されているのである。なぜなら、どんなに懸命に信心に励み、功徳を積んでいるようであっても、自身のわずかな謗法から、せっかくの功徳も漏れていくし、また、そうしたわずかの謗法の穴から魔につけこまれて、わが身を滅ぼす結果になってしまうからである。

船に水が入れば、船は沈み、乗っている人は皆、死んでしまう。これは、自身の謗法を通じて魔に支配されていくことを譬えていわれたものである。

水田のあぜに穴があれば、それが小さなものであっても、少しずつ水が漏れ、水を一杯にはっても、いつの間にか無くなって乾ききるということになる。これは、信心に励んで得た功徳が、謗法という穴から漏れてしまうことを譬えられている。自分の信心には、微塵も謗法がないよう、厳しく見つめていくことが大切であろう。

 

浅き罪ならば、我よりゆるして功徳を得さすべし。重きあやまちならば、信心をはげまして消滅さすべし

 

他の人の謗法に対する態度をいわれているところである。

すでに述べられているように「少しも謗法不信のとが候はば、無間大城疑いなかるべし」であるから、他人の謗法に関しては、自分に関するより寛容であることを教えられているといっても、無慈悲であってよいというのではない。当人を正しい信心に目覚めさせることが目的であるから、傍から一つ一つ細かく、厳しくいうことによって、かえって信心の自覚を抑えてしまうのではならない。この観点から、浅い罪の場合には、一々厳しくいわないで、むしろ前向きに信心の功徳を増大せる方向性を示されているのである

もし、重大な過ちであったり、また、前にもあったように、重罪につながる誤りがある場合は、厳しく信心を励まして、その謗法の罪を消滅させるべきである、というのである。

そこには、一貫して、相手を成仏へと導き、立ち上がらせようとする忍耐強い慈悲がなくてはならない。この御文に示されている根本精神は、まさしくそこにあることを知るべきであろう。

 

尼御前の御身として謗法の罪の浅深軽重の義をとはせ給う事、まことにありがたき女人にておはすなり云云

 

謗法の浅深軽重という問題は、阿仏房尼すなわち千日尼にとって、自身の問題であるとともに、佐渡における大聖人門下の中心者として、後輩の指導のため、また折伏弘教の推進のために、絶えず、ぶつかっていた問題でもあったのであろう。

老齢の女性の身で、このように法のために戦っている千日尼を、大聖人は心から讃え、また「法華経の義理を問う人はかたし」と、このような大事な問題について指導を求めてきた尼の求道心の旺盛さを讃嘆されている。

しかもなお「相構えて相構えて、力あらん程は謗法をばせめさせ給うべし」と、更に一層の実践に励むよう促されている。仏道修行は、生涯の最後の瞬間に至るまで、最大限の精進をすべきものである。この一文にこめられた大聖人の御指導をこそ、厳しくわが身にあてて拝していきたいものである。

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