日々の御書

宗教

聖密房御書

 文永後期 聖密房

語られた言葉

日蓮考えて曰く、盗み取りて「理同」と書けるをば、智慧賢き人は用いるべしや

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第六章(法華経が仏意の宗なるを示す)

本文

問うて云くわ法師一人此の悪言をはく如何、答えて云く日蓮は此の人人を難ずるにはあらず但不審する計りなり、いかりをぼせば・さでをはしませ、外道の法門は一千年・八百年・五天にはびこりて輪王より万民かうべをかたぶけたりしかども九十五種共に仏にやぶられたりき、摂論師が邪義・百余年なりしもやぶれき、南北の三百余年の邪見もやぶれき、日本・二百六十余年の六宗の義もやぶれき、其の上此の事は伝教大師の或書の中にやぶられて候を申すなり、日本国は大乗に五宗あり法相・三論・華厳・真言・天台、小乗に三宗あり倶舎・成実・律宗なり、真言・華厳・三論・法相は大乗よりいでたりといへども・くわしく論ずれば皆小乗なり、宗と申すは戒・定・慧の三学を備へたる物なり、其の中に定・慧はさてをきぬ、戒をもて大・小のばうじをうちわかつものなり、東寺の真言・法相・三論・華厳等は戒壇なきゆへに東大寺に入りて小乗律宗の驢乳・臭糞の戒を持つ、戒を用つて論ぜば此等の宗は小乗の宗なるべし、比叡山には天台宗・真言宗の二宗・伝教大師習いつたへ給いたりしかども天台円頓の円定・円慧・円戒の戒壇立つべきよし申させ給いしゆへに天台宗に対しては真言宗の名あるべからずとをぼして天台法華宗の止観・真言とあそばして公家へまいらせ給いき、伝教より慈覚たまはらせ給いし誓戒の文には天台法華宗の止観・真言と正くのせられて真言宗の名をけづられたり、天台法華宗は仏立宗と申して仏より立てられて候、真言宗の真言は当分の宗・論師・人師始めて宗の名をたてたり、而るを事を大日如来・弥勒菩薩等によせたるなり、仏御存知の御意は但法華経一宗なるべし小乗には二宗・十八宗・二十宗候へども但所詮の理は無常の一理なり、法相宗は唯心有境・大乗宗・無量の宗ありとも所詮は唯心有境とだにいはば但一宗なり・三論宗は唯心無境・無量の宗ありとも所詮・唯心無境ならば但一宗なり、此れは大乗の空有の一分か、華厳宗・真言宗あがらば但中・くだらば大乗の空有なるべし、経文の説相は猶華厳・般若にも及ばず但しよき人とをぼしき人人の多く信じたるあいだ、下女を王のあいするににたり、大日経等は下女のごとし理は但中にすぎず、論師・人師は王のごとし・人のあいするによて・いばうがあるなるべし、上の問答等は当時は世すえになりて人の智浅く慢心高きゆへに用ゆる事はなくとも、聖人・賢人なんども出でたらん時は子細もやあらんずらん、不便にをもひ・まいらすれば目安に注せり、御ひまにはならはせ給うべし。
 これは大事の法門なり、こくうざう菩薩にまいりてつねによみ奉らせ給うべし。

     聖密房に之を遣わす                     日蓮花押

現代語訳

問うて言う。なぜ日蓮法師一人だけがこの悪言を吐いているのか。

 答えて言う。日蓮は善無畏や弘法等の人々を非難するのではない。ただ疑問のところを挙げているのである。それを怒るなら、そうされるがよい。インドの外道の法門は八百年あるいは千年の間、インド全体に広まり、上は天輪聖王から下は万民まで帰依したけれども、九十五種の外道はすべて釈尊に破られてしまった。中国では摂論師が邪義が陳・隋代の百余年のあいだ流布したが、玄奘が出るに及んで破られた。南三北七の邪見も三百余年栄えたが、天台大師の出現によって破られたのである。日本においては、仏教伝来から二百六十余年栄えた南都六宗の義も、伝教大師によって破られた。そのうえ、このことは伝教大師が或書の中で破られていることをいっているのである。

 日本国には大乗は五宗ある。法相・三論・華厳・真言・天台宗である。小乗に三宗ある。倶舎・成実・律宗である。真言・華厳・三論・法相宗は大乗から出たといっても、詳しく論ずるなら、みな小乗の宗である。

 宗というのは、戒・定・慧の三学を備えているものである。三学のなかで定と慧はひとまずおく、戒をもって大乗・小乗の境を明らかにするものなのである。

 東寺の真言・法相・三論・華厳等は戒壇堂がないので、東大寺の戒壇によって小乗律宗の驢乳・臭糞の戒を受けている。したがって戒を論ずるならば、これらの宗は小乗の宗となるであろう。

 比叡山延暦寺には天台宗・真言宗の二宗を伝教大師が習い伝えられたけれども、天台円頓の円定・円慧・円戒の戒壇を建立すべきことを主張されたため、天台宗に対しては真言宗の名はあってはならないと思われて、天台法華宗の止観業・遮那業と書かれて朝廷に上表されたのである。伝教大師から慈覚が賜った誓戒の文には天台法華宗の止観・真言と正しく載せられて、真言宗の名は削られている。

 天台法華宗は仏立宗といい、釈尊の時から立てられたものである。真言宗の真言は凡夫の立てた宗で、論師・人師がはじめて宗の名をつけたのである。それなのに事を大日如来・弥勒菩薩等によせているのである。釈尊が御存知の御意にかなうのは、ただ法華経による一宗だけなのである。

 小乗には二宗・十八宗・二十宗とあるけれども、その究極の理は無常の一理である。

 法相宗の究極の理は唯心有境である。大乗宗に無量の宗があっても、所詮は唯心有境というならば、ただ法相宗の宗となる。三論宗は唯心無境である。大乗宗に無量の宗があっても、所詮が唯心無境であるならば、但三論宗一宗となる。これは大乗の空有の一分であろうか。

 華厳宗・真言宗は与えていえば但中であり、奪っていえば大乗の空有なのである。経文に説かれた内容はなお大日経は華厳経・般若経にも及ばない。ただ立派と思われる人々が多く信じているのは、下女を王が愛しているように似ている。大日経等は下女のようのものである。その所詮の理は但中の理にすぎない。論師・人師は王のようなものである。人々が敬愛するので威望があるのである。

 以上の問答等は、現在は世も末となって人の智慧が浅く慢心が高いゆえに用いられることはなくても、聖人・賢人などが出現した時には事の子細も明らかになるであろう。あなたを不便と思うので目安として書き注したのである。時間があるときに学んでいきなさい。

 これは大事の法門である。虚空蔵菩薩に詣でて、つねに読まれるがよい。

     聖密房にこれを書き送る                    日蓮花押

語釈

法師

 よく仏法に通じ清浄な行を修して人の師となる者のこと。

五天

 五天竺のこと。インドの古称。全インドを東・西・南・北・中天竺と区分する。五印度・五天・五印ともいう。

輪王

 転輪聖王または転輪王ともいう。仏教で説く理想の君主で、即位するとき天より輪宝を感得し、その輪宝を転じて四方を制するのでこの名がある。輪宝に金・銀・銅・鉄の四種があり、感得する輪宝によって、それぞれ金輪王、銀輪王、銅輪王、鉄輪王とよばれる。

九十五種

 釈尊在世における95派の外道のこと。数え方・詳細については不明。

摂論師が邪義

 摂論宗の法師のこと。摂論宗は中国13宗のひとつ。無着の摂大乗論を所依とし、真諦三蔵を祖とする流派。梁・陳の時代に真諦が無著の摂大乗論と世親の摂大乗論釈を中国に伝え、漢訳して以来、弟子たちによって弘められ一派をなして盛んであったが、唐代に玄奘が新訳を伝え、法相宗ができてから次第に勢力を失った。日本には伝えられていない。教義は九識を立て阿頼耶識以下の八識は迷いであり、これを去って第九識の阿摩羅識の真如に入ることを説いている。邪義とは真諦の教義の相対的誤りをいう。

南北の三百余年の邪見

 中国の天台大師以前の300余年間に盛んであった南三北七の諸説の誤りをいう。天台大師はこれらの邪義を打ち破り、五時八教の教相判釈をもって、法華経が最勝であることを説いた。

六宗の義

 南都六宗のこと。三論・成美・法相・俱舎・律・華厳崇のこと。これらは仏説である経を所依とせず、論・釈を所依としたものが多く、釈尊の本意である法華経を立てていなかった。

伝教大師

 (0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。

大乗

 仏法において、煩雑な戒律によって立てた法門は、声聞・縁覚の教えで、限られた少数の人々しか救うことができない。これを、生死の彼岸より涅槃の彼岸に渡す乗り物に譬え小乗という。法華経は、一切衆生に皆仏性ありとし、妙境に縁すれば全ての人が成仏得道できると説くので、大乗という。阿含経に対すれば、華厳・阿含・方等・般若は大乗であるが、法華経に対しては小乗となり、三大秘法に対しては、他の一切の仏説は小乗となる。

天台

 天台法華宗の事。法華経を正依の経として、天台大師が南岳大師より法をうけて「法華玄義」「法華文句」「摩訶止観」の三大部を完成させ、一方、南三北七の邪義をも打ち破った。天台の正法は章安大師によって伝承され、中興の祖と呼ばれた妙楽大師によって大いに興隆し、わが国では伝教大師が延暦3年(0784)に入唐し、妙輅の弟子である行満座主および道邃和尚によって天台の法門を伝承された。帰国後、殿上において南都六宗と法論を行い、三乗を破して一仏乗の義を顯揚した。教相には五時八教を立て、観心には三諦円融の理をとなえ、理の一念三千・一心三観の理を証することにより、即身成仏を期している。

小乗

 小乗教のこと。仏典を二つに大別したうちのひとつ。乗とは運乗の義で、教法を迷いの彼岸から悟りの彼岸に運ぶための乗り物にたとえたもの。菩薩道を教えた大乗に対し、小乗とは自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の道を説き、阿羅漢果を得させる教法、四諦の法門、変わり者、悪人等の意。

倶舎

  倶舎宗のこと。くわしくは「阿毘達磨倶舎」といい、薩婆多宗ともいう。訳して「対法蔵」。世親菩薩の倶舎論を所依とする小乗の宗派で、一切有部の教義を講究する宗派。わが国では法相宗の附宗として伝来し、東大寺を中心に倶舎論が研究された。

成実

 四世紀頃のインドの学僧・訶梨跋摩の成実論を所依とする宗。教義は自我も法も空であるとの人法二空を説き、この空観に基づいて修行の段階を二十七に分別し煩悩から脱することを教えている。小乗教中では、最も進んだ教義とされる。五世紀初頭、鳩摩羅什によって成実論が漢訳されると、羅什門下によって盛んに研究された。しかし、天台大師や吉蔵によって小乗と断定されてから衰退した。

律宗

 戒律を修行する宗派。南都六宗の一つ。中国では四分律によって開かれた学派とその系統を受けるものをいい、代表的なものに唐代初期に道宣律師が開いた南山律宗がある。日本では、南山宗を学んだ鑑真が来朝し、天平勝宝6年(0754)に奈良・東大寺に戒壇院を設けた。その後、天平宝字3年(0759)に唐招提寺を開いて律研究の道場としてから律宗が成立した。更に下野(栃木県)の薬師寺、筑紫(福岡県)の観世音寺にも戒壇院が設けられ、日本中の僧尼がこの三か所のいずれかで受戒することになり、日本の仏教の根本宗として大いに栄えた。その後平安時代にかけて次第に衰えていき、鎌倉時代になって一時復興したが、その後、再び衰微した。

戒・定・慧の三学

 戒は戒律、防非止悪。定は禅定、心を静めて悟りを開くこと。慧は智慧、煩悩を断破して真理の本性をえること。日蓮大聖人の仏法においては、定を本門の本尊、戒を本門の戒壇、慧を本門の題目とし、三学を三大秘法とする。

東寺

 第50代桓武天皇の勅により、延暦15年(0796)、羅城門(羅生門)の左右に、左大寺・右大寺の2寺が建ち、その左大寺が東寺。弘仁4年(0823)、第52代嵯峨天皇が空海に勅わった。 

戒壇

 受戒の儀式を行う場所。場内で高く築くので壇という。

東大寺

 聖武天皇の天平13年(0741)に国分寺の建立が計画され、天平15年(0743)に本尊廬舎那仏の造立が発願され、天平21年(0749)に完成し、天平勝宝4年(0752)盛大な開眼供養が行われた寺院。奈良の大仏のこと。

驢乳・臭糞の戒

 驢乳はロバの乳。牛乳と同じ色であるが、味は不味で飲みにくい。臭糞は汚物のこと。戒律が多く、少しの悟りも得られない小乗戒を取るに足りない驢乳・臭糞にたとえたもの。

比叡山

 延暦寺のこと。滋賀県大津市にある天台宗の総本山。比叡山は山号。延暦4年(0785)伝教大師最澄がこの地に草庵を結び、同7年(0788)根本中道を創建したことに始まる。

止観・真言

 伝教大師が山家学生式で日本天台宗の修行を止観業と遮那業(真言)の両業と定めたこと。

公家

 朝廷に仕えるもののこと。本来は天皇・朝廷をさすが、武家に対して朝廷に仕えた貴族・官人の総称となった。

慈覚

 (0794~0864)。比叡山延暦寺第三代座主。諱は円仁。慈覚は諡号。下野国(栃木県)都賀郡に生まれる。俗姓は壬生氏。15歳で比叡山に登り、伝教大師の弟子となった。勅を奉じて、仁明天皇の治世の承和5年(0838)入唐して梵書や天台・真言・禅等を修学し、同14年(0847)に帰国。仁寿4年(0854)、円澄の跡をうけ延暦寺第三代の座主となった。天台宗に真言密教を取り入れ、真言宗の依経である大日経・金剛頂経・蘇悉地経は法華経に対し所詮の理は同じであるが、事相の印と真言とにおいて勝れているとした。著書には「金剛頂経疏」7巻、「蘇悉地経略疏」7巻等がある。

仏立宗

 仏の立てた宗。法華宗のこと。

論師

 阿毘曇師ともいう。三蔵のうちの論蔵に通じている人をいったが、論議をよくする人、論をつくって仏法を宣揚したひとをいう。

人師

 人々を教導する人。一般に竜樹・天親等を論師といったのに対し、天台・伝教を人師という。

弥勒菩薩

 慈氏と訳し、名は阿逸多といい無能勝と訳す。インドの婆羅門の家に生れ、のちに釈尊の弟子となり、慈悲第一といわれ、釈尊の仏位を継ぐべき補処の菩薩となった。釈尊に先立って入滅し、兜率の内院に生まれ、五十六億七千万歳の後、再び世に出て釈尊のあとを継ぐと菩薩処胎経に説かれている。法華経の従地涌出品では発起衆となり、寿量品、分別功徳品、随喜功徳品では対告衆となった菩薩である。

小乗には二宗・十八宗・二十宗

 インドにおける教理上の分派のこと。二宗は紀元前4世紀ごろ、大天が異議を唱えたことによって分裂した大衆部と上座部。十宗とは大衆部が分かれて八部となり、上座部が分かれて十部になったものの総称。二十宗とは先の十八部に根本の大衆部・上座部を合わせて二十宗とする。

無常の一理

 無常とは常に生滅変化して移り変わり、瞬間も同じ状態にとどまらないことをいう。小乗部は部派は多くとも、その究極の理は世間の無常無我を悟り、色心の煩悩を断じ尽くす無余涅槃の空理に帰すことにある。

唯心有境

 ただ心のみが一切法の根本であり、しかも心が縁して識を生じさせる対境は有であるとみること。大乗のうちの無著・世親の系統の主張を引く法相宗では境空心有(唯心有境)をその究極の理とする。

唯心無境

 ただ心のみが一切法の根本であり、しかも心が縁して識を生じさせる対境は無であるとみること。大乗のうちで諸法皆空を説く竜樹・提婆系統の主張を引く三論宗では心境俱空(唯心無境)をその究極の理とする。

大乗の空有

 天台大師によると蔵教の空は色を細かく分析していくと空となるとする。これを折空という。通教の空は諸法は因縁所生であるとして、存在そのものに空をみるので体空、別教の空は仮諦・中諦とは隔歴した空諦をみるので偏空といい、仮諦・中諦と相即した空諦を円空とする。ここでは通教の空をいい、小乗の有は無常を免れないが、大乗の有とは他縁に依らない円理をいう。三論宗は大乗の空の立場であり、法相宗は有の立場である。

但中

 別教における隔歴の三諦における中諦をいう。すべては因縁によって仮に存在しているのに過ぎないゆえに空であり、空という固定的な体もまたないゆえに空もまた空である。したがって仮と共に否定して偏執のないところに真実があり、これを中という。ただし、別教の中諦は空・仮を超越して隔歴を立てるから但中という。

説相

 経文や論・釈等の所説や内容。言説や文章にどう述べられているかという事。

般若

 般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称。漢訳には唐代の玄奘訳の「大般若経」六百巻から二百六十二文字の「般若心経」まで多数ある。内容は、般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。

聖人

 ①日蓮大聖人のこと。②仏のこと。③智慧が広く徳の優れた人で、賢人よりも優れた人。世間上では「せいじん」と読み、仏法上では「しょうにん」と読む。

賢人

 賢明で高い人格をもった指導者。聖人が独創的な開拓者であるのに対し、賢人はそれをひきついでいく人を指す。仏法の上では聖人である仏の教えを守り、弘めていく人が賢人といえる。

こくうざう菩薩

 智慧と福徳を蔵することが大空にも似て広大無辺であるがゆえに、そしてそれを衆生の願いにしたがって施すのに尽きることがない菩薩であるがゆえに虚空蔵菩薩という。その形像は、蓮華座に坐して五智宝冠をいただき、右手に智慧の利剣、左手に福徳の蓮華と如意宝珠を持っている等さまざまである。密教では胎蔵界漫荼羅虚空院の中尊とされている。大聖人が修学、出家された清澄寺の本尊が虚空蔵菩薩であった。

講義

本章は、南都六宗は悉く伝教大師によって破折されたこと、真言については、伝教大師は法華宗の一分としたことを述べられ、仏の本意はただ法華経一宗に限ること、また大日経は、別教の隔歴の理で法華経の円融の理に及ばないことを述べ、聖密房に対して、これらの点をしっかり学ぶようすすめて本抄を結ばれている。

 はじめに、このように他宗破折の言をなすのは大聖人一人ではないか、という疑問に対して、釈尊がインドのバラモン95流をすべて破られたこと、唐の玄奘三蔵が梁の真諦三蔵が伝えた摂論宗を破折したこと、天台大師は南三北七の邪義を破られた等の先例を挙げて、真言の破折もすでに伝教大師がある書のなかでされていることであると答え、正義によって、真言の邪義を破るのは当然であると示されている。

伝教大師の真言破折

 「此の事は伝教大師の或書の中にやぶられて候」の御文については、報恩抄に「真言・止観の二宗の勝劣は漢土に多く子細あれども又大日経の義釈には理同事勝とかきたれども伝教大師は善無畏三蔵のあやまりなり、大日経は法華経には劣りたりと知しめして八宗とはせさせ給はず真言宗の名をけづりて法華宗の内に入れ七宗となし大日経をば法華天台宗の傍依経となして華厳・大品・般若・涅槃等の例とせり、而れども大事の円頓の大乗別受戒の大戒壇を我が国に立う立じの諍論がわずらはしきに依りてや真言・天台の二宗の勝劣は弟子にも分明にをしえ給わざりけるか、但依憑集と申す文に正しく真言宗は法華天台宗の正義を偸みとりて大日経に入れて理同とせり、されば彼の宗は天台宗に落ちたる宗なり」(0304:10)とあるところから、依馮集の記述を指すものと思われる。

 伝教大師の著された依馮集は、依馮天台宗といって、序分の「天台の伝法は諸宗の明鏡なり」から始まって、仏教の各宗派が天台に依馮して宗を立て義を立てていることを明かしたものであり、その中に「新来の真言家は則ち筆授の相承を泯し、旧到の華厳家は則ち影響の規模を隠す」とある。この「筆授の相承を泯し」とは、もともと天台僧であった一行阿闍梨の大日経疏は、天台法華宗の立場で大日経を解釈したものであるが、弘法はそれを用いながら、法華経を大日の三部経に劣るとして一行の相承を無視した、との意味である。そのように伝教大師は、真言宗が天台の正義を盗み入れたうえで大日経が勝れたりとした誤りを指摘して破られているのである。

 つぎに大聖人は、戒という面から考察されて真言・法相・三論・華厳の各宗は、名は大乗であっても、東大寺の小乗の戒壇をふみ、小乗の戒を受け持っている以上、「戒を用つて論ぜば此等の宗は小乗の宗なるべし」と断ぜられ、真言も小乗宗であるとされている。

 なお本抄と同意の御文が、法門申さるべき様の事に「法相・三論・華厳・東寺の真言等は大乗宗・設い定慧は大乗なれども東大寺の小乗戒を持つゆへに戒は小乗なるべし」(1270:06)とある。

 また、伝教大師は、唐に渡って天台宗・真言宗の二宗の教義を学び伝えたが、比叡山に法華経迹門の円頓の戒壇の建立を発願し、天台法華宗のほかに真言宗の名があってはならないと宗の名を削り「天台法華宗の止観・真言」と真言を法華経の傍依の経との立場を定められたのである。

 なお、伝教大師が真言宗を破られていた点は、報恩抄によれば、

    一、真言には宗の名をつけず、天台法華宗と称したこと

    二、守護章に大日経を傍依の経としたこと

    三、依馮集で真言を破していること

    四、真言の祖・不空を無智な「魯人」とよんでいること

    五、そのような含光の物語を書き載せていること

 などが挙げられる。

 このように、伝教大師の本意は「仏御存知の本意は但法華経一宗なるべし」であり、天台法華宗こそ仏のたてた「仏立宗」とされたのである。

 真言破折の最後に、大聖人は「華厳宗・真言宗あがらば但中・くだらば大乗の空有なるべし」と教理の内容から論じられ、法華経はもちろん、華厳経・般若経にも及ばない低い法理の真言宗がこれだけ尊信され流布したのは「よき人とをぼしき人人の多く信じたる」ためであり「論師・人師は王のごとし・人のあいするによて・いばうがあるなるべし」と、インドから中国へ渡った善無畏等や、入唐して学び朝廷に用いられた弘法など、立派そうに見える人師・論師によって弘められたからであることを指摘されている。

 もとより仏法は「依法不依人」の戒めどおり、法の内容によって判ずべきである。真言に説かれる法理は、与えていっても「但中」すなわち三諦のうち空諦・仮諦を否定して立てる中諦にすぎず、法華経の説く円融の三諦にはるかに及ばないのである。また奪って論ずれば、通教の空と有と同じで、三論宗や法相宗の所説と異ならない浅理にすぎないのである。それを法華経と理が同じなどというのはおこがましいかぎりといわなければならない。

 こうして、冒頭に挙げた真言の邪義のうち、一貫して理同事勝を破折されているのは、清澄寺が台密であり、聖密房がその邪義に長く染まっていることを考慮されたものであろう。「不便にをもひ・まいらすれば目安に注せり」の御文に、妙密房の心中の謗法を打ち破らんとの大慈悲を感ずることができる。

 本抄の最後に「これは大事の法門なり、こくうざう菩薩にまいりてつねによみ奉らせ給うべし」とされていることは、清澄寺大衆中で「虚空蔵の御前にして大衆ごとに・よみきかせ給へ」(0895:15)と仰せのように、清澄寺の大衆にも聞かせ、覚醒させたいとのお心と拝せられる。

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