文永12年(ʼ75)1月27日 54歳 日眼女
第一章(法華経の行者の立ち場を説く)
本文
詮ずるところ、日本国の一切衆生の目をぬき神をまどわかす邪法、真言師にはすぎず。これはしばらくこれを置く。
十喩は一切経と法華経との勝劣を説かせ給うと見えたれども、仏の御心はさには候わず。一切経の行者と法華経の行者とをならべて、法華経の行者は日月等のごとし、諸経の行者は衆星・灯炬のごとしと申すことを詮と思しめされて候。なにをもってこれをしるとならば、第八の譬えの下に一の最大事の文あり。いわゆる、この経文に云わく「有能受持是経典者、亦復如是、於一切衆生中、亦為第一(能くこの経典を受持することあらん者もまたかくのごとく、一切衆生の中において、またこれ第一なり)」等云々。この二十二字は、一経第一の肝心なり、一切衆生の目なり。文の心は、法華経の行者は日月・大梵王・仏のごとし、大日経の行者は衆星・江河・凡夫のごとしととかれて候経文なり。
されば、この世の中の男女僧尼は嫌うべからず、法華経を持たせ給う人は、一切衆生のしゅうとこそ仏は御らん候らめ、梵王・帝釈はあおがせ給うらめと、うれしさ申すばかりなし。
現代語訳
詮ずるところ、日本国中の一切の人々の目をぬき、神をくるわせる邪法は、真言師の修する法に過ぎるものはない。しかし、このことはしばし置く。
法華経薬王品に説かれている十喩をみるに、一切経と法華経との勝劣を説かれたように見えるが、仏の御本意は実はそうではない。それは法を持つ人の立場から、一切経の行者と法華経の行者とを比較して、法華経の行者は日月等のごとく勝れ、諸経の行者は衆星や燈炬のごとく劣るということをあらわすことを、その所詮とされたのである。
どうしてそれがわかるかといえば、十喩の中の第八番目の譬喩の次下に最大事の文がある。その経文に「能く是の経典を受持すること有らん者も、亦復た是の如く、一切衆生の中に於いて、亦た為れ第一なり」等と説かれているのが、それである。
この二十二字の文は、法華経一経の中で第一の肝心の文である。また一切衆生にとって眼目というべき文である。この文の意は、法華経の行者は日月や大梵王・仏のごとく勝れ、大日経の行者は衆星・江河・凡夫のごとく劣るのであると、説かれた経文なのである。
ゆえに、この世の中で法華経を持つ者は、男女・僧尼を問わず、一切衆生の主に当たると、仏は御覧になっているであろう。また梵天・帝釈もこの人を尊敬されるであろうと思えば、嬉しさは申しようもない。
語釈
真言師
真言宗を奉ずる僧侶。真言宗とは、三摩地宗・陀羅尼宗・秘密宗・曼荼羅宗・瑜伽宗等ともいう。空海が中国の真言密教を日本に伝え、一宗として開いた宗派。詳しくは真言陀羅尼宗という。大日如来を教主とし、金剛薩埵・竜猛・竜智・金剛智・不空・恵果・弘法と相承したので、これを付法の八祖とし、大日・金剛薩?を除き善無畏・一行の二師を加えて伝持の八祖と名づける。大日経・金剛頂経を所依の経として、これを両部大経と称する。そのほか多くの経軌・論釈がある。顕密二教判を立て自らの教えを大日法身が自受法楽のために示した真実の秘法である密教とし、他宗の教えを応身の釈迦が衆生の機根に応じてあらわに説いた顕教と下している。なそ、弘法所伝の密教を東密というのに対して、天台宗の慈覚・智証によって伝えられた密教を台密という。
十喩
法華経薬王菩薩本事品第二十三の十の喩で、いずれも諸経の中で法華経が第一の教である事を喩えている。その十喩を示すと、
① 水喩。 諸水の中で海が第一であるように、法華経が諸経の中で第一の教である。
② 山喩。 衆山の中で須弥山が第一であるように、諸経の中で法華経が第一である。
③ 衆星喩。 衆星の中で月天子が第一であるように、諸経の中で法華経が第一である。
④ 日光喩。 日天子がもろもろの闇を除くように、法華経も一切の不善の闇を破る教えである。
⑤ 輪王喩。 諸王の中で転輪聖王が第一であるように、法華経は諸経中の王である。
⑥ 帝釈喩。 帝釈が三十三天中の王であるように、法華経は諸経の中の王である。
⑦ 大梵王喩。 大梵天王が一切の衆生の父であるように、法華経は菩提の心を発す者の父である。
⑧ 四果辟支仏喩。 四果・辟支仏が一切の凡夫の中で第一であるように、法華経とこれを持つ者は人法ともに第一である。
⑨ 菩薩喩。 声聞・辟支仏の中に菩薩が第一であるように、法華経は諸経の中で第一である。
⑩ 仏喩。 仏が諸法の王であるように、法華経は諸経の王である。
一切経
釈尊が一代五十年間に説いた一切の経のこと。一代蔵経、大蔵経ともいう。また仏教の経・律・論の三蔵を含む経典および論釈の総称としても使われる。古くは仏典を三蔵と称したが、後に三蔵の分類に入りきれない経典・論釈がでてきたため一切経・大蔵経と称するようになった。
行者
①仏道を修行する者。②修験動を修行する者。
衆星燈炬
衆星は諸の一切の星。燈炬の燈は灯火、炬はかがり火のこと。法華経の行者を日月に譬えるのに対し、他の一切経の行者を衆星燈炬に譬えたものである。
凡夫
梵語で婆羅、新訳では異生という。元来は一般人のこと。後になって断惑証理の聖者に対する称となった。凡庸な士夫。いまだ四諦の理を見ない浅識愚鈍の者で、煩悩に束縛された者をいう。法華経譬喩品第三に「凡夫は浅識にして深く五欲に著し、聞くとも解すること能わじ」とある。
梵王
大梵天王のこと。仏教の守護神。色界の初禅天にあり、もとはインド神話のブラフマーで,インドラなどとともに仏教守護神として取り入れられた。ブラフマーは、古代インドにおいて万物の根源とされたブラフマン(Brahman)を神格化したものである。ヒンドゥー教では創造神ブラフマーはヴィシュヌ、シヴァと共に三大神の1人に数えられた。帝釈天と一対として祀られることが多く、両者を併せて「梵釈」と称することもある。
帝釈
梵語シャクラデーヴァーナームインドラ(śakro devānām indraḥ)の訳。釋提桓因・天帝釈ともいう。もともとインド神話上の最高神で雷神であったが、仏法では護法の諸天善神の一つとなる。欲界第二忉利天の主として、須弥山の頂の喜見城に住し三十三天を統領している。釈尊の修行中は、種々に姿を変えて求道心を試みている。法華経序品第一では、眷属二万の天子と共に法華経の会座に連なった。
講義
本抄は文永12年(1275)の正月、四条金吾夫人が33歳の厄年であることを報じ、御供養を申しあげたことに対する日蓮大聖人の御返事で、同月27日、身延において認められたものである。
本抄の大意は、33歳の女性の厄年に当り、いささかの不安感を持っていたのであろうと思われる夫人に対し、大聖人は法華経を持つ女人は、一切衆生の中で第一に勝れ、且つ御本尊に厚く加護されることを説かれている。しかしその御本尊の加護も、信心の厚薄によってきまる故に、夫、金吾にならって、強盛な信心を貫くことをすすめられ、そのような信心に立った時には、33の厄も33の福と転ずると述べられている。
さて、本章は法華経を持った人の位がいかに高いかを説かれている。
法華経薬王品に説かれた十喩は、一応、一切経と法華経との勝劣を説かれているようであるが、実は〝人〟の立場から一切経の行者と法華経の行者の勝劣を説かれたものであると示され、御本尊を持った者は、男女・僧尼を問わず一切衆生の主であると述べられている。
一切経の行者と法華経の行者とをならべて、法華経の行者は日月等のごとし、諸経の行者は衆星燈炬のごとし
法華経薬王品の十喩から、法華経の行者と諸経の行者との差は日月と衆星ほどの違いで、法華経の行者が遥かに勝れていることを説かれた文である。
この文の前に大聖人は十喩について「十喩は一切経と法華経との勝劣を説かせ給うと見えたれども、仏の御心はさには候はず」と述べられて、この文を続けられ、法の勝劣よりは、人の勝劣を明かすところに仏の本意があることをもって「詮と思し食されて候」と結んでおられる。
このような十喩の読み方については、「撰時抄」にもこの旨が明らかにされている。
「又云く『能く是の経典を受持すること有らん者も、亦復是くの如し。一切衆生の中に於て亦これ第一なり』等云云。此の経文をもって案ずるに、華厳経を持てる普賢菩薩・解脱月菩薩等(中略)よりも、末代悪世の凡夫の一戒も持たず、一闡提のごとくに人には思はれたれども、経文のごとく已今当にすぐれて法華経より外は仏になる道なしと強盛に信じて、而も一分の解なからん人人は、彼等の大聖には百千億倍のまさりなりと申す経文なり」(0290:01)とあり、更に「されば今法華経の行者は心うべし。『譬えば一切の川流江河の諸水の中に海これ第一なるが如く、法華経を持つ者も亦復是くの如し』。又『衆星の中に月天子最もこれ第一なるが如く、法華経を持つ者も亦復是くの如し』等と御心えあるべし。当世日本国の智人等は衆星のごとし。日蓮は満月のごとし」(0290:11)の文は法華経の行者と、諸経の行者の勝劣を説かれたものであることを述べられている。
この文について、更に日寛上人は撰時抄文段下に、次のごとくその読み方を示されている。すなわち当抄の大聖人の意をとられて、「されば今法華経の行者は心得べし文。意に云く、有能受持等の文は第八の譬の下に在りと雖も、十喩の一一の下に之ありと心得べしとなり」と十喩のうちの第八喩のみが、法華経受持者と、他の諸経受持者との勝劣を明かしているが、実は他の九つの喩えもすべてが人の勝劣の意義を含めて説かれていると読むべきだ、と教えられているのである。
この文の意味するところは、究極の、仏法の原理のうえからであり、あくまでも「法妙なるが故に人貴し」(1578:法妙なるが故に人:12)ということである。持つ妙法が尊極であるが故に、持つ人も尊いのである。一般に、人間の尊さ、人生の尊さは、いかなる思想、哲学を持ち、それを実践しぬいたかによって決まるといってよい。
また、この文を実践論的に読むならば、偉大な法を持った人は、現実の生活、人生においても、その実証を示していかなければならない、と考えるべきである。法を持つとは、実践化を当然の前提とする。法を信じ、知っているというだけで、なんの努力をしなくても、自分は尊いのだとするのは、単なる自己満足であり、自己の姿から、かえって法を傷つけることになるのである。
有能受持是経典者・亦復如是。於一切衆生中・亦為第一
法華経薬王品に説かれている十喩のうち、第八喩の四果辟支仏喩の中の文で、よくこの経典を持つ者は、一切衆生の中で第一の人であるとの意。この第八喩の文を経文にみれば次のとおりである。
「又た一切の凡夫人の中に須陀洹・斯陀含・阿那含・阿羅漢・辟支仏は為れ第一なるが如く、此の経も亦復た是の如く、一切の如来の説きたまう所、若しは菩薩の説く所、若しは声聞の説く所、諸の経法の中に、最も為れ第一なり。能く是の経典を受持すること有らん者も亦復た是の如く、一切衆生の中に於いて、亦た為れ第一なり」と。
この第八喩は他の九喩とは全く趣が異っている。それは、十喩についてみるに、他の九喩はどれも法華経と他の一切経とを比べて法の勝劣のみを説かれているのに対し、この第八喩は法と人の両面から、その勝劣が説かれている。
しかもこの「有能受持」以下の文は、特に法華経能持の人について説かれたところである。この第八喩が人法に亘って説かれ、特に「能持の人」について特別に説かれたことは重要な意味があるので、本章に「此の二十二字は一経第一の肝心なり。一切衆生の眼目なり」と述べられている所以である。ここは大聖人の御真意は、仏法において法は当然のこと根本となるが、それにも過ぎて、その法を説く人が重要な立ち場にあることを強調されておられるものと拝するのである。
更に末法の弘経の方軌からみたときに、人の問題は法の問題を越えて重要であるといえる。「持妙法華問答抄」には「倩ら世間を見るに法をば貴しと申せども其の人をば万人是を悪む汝能く能く法の源に迷へり何にと云うに一切の草木は地より出生せり、是を以て思うに一切の仏法も又人によりて弘まるべし之に依って天台は仏世すら猶人を以て法を顕はす末代いづくんぞ法は貴けれども人は賎しと云はんやとこそ釈して御座候へ」(0465:16)とある。
当時の人々は、法華経を讃嘆しても法華経の真髄を説く日蓮大聖人を認めようとしなかった。結局、偉大なる根源の法も、そのままでは人のよく知るところではない。つまり、この法を極めた人によって、その本質が明かされ、その真価が顕れるのである。この故に「能持の人」を強調されるのである。
この「能持」について、「御義口伝」には「能持とは能の字之を思う可し」(0709:第一如是我聞の事:03)と、また、同の「能須臾説」では「能の一字之を思う可し」(0743:第十九能須臾説の事:01)とあって、常に大聖人は能の一字に心を留めることを説かれている。「能持是経者」も又、単に経を持ち、信心をするという意ではない。それは法華経を身・口・意の三業に読みきることを意味する。
「本尊問答抄」に「されば日本国・或は口には法華経最第一とはよめども心は最第二・最第三なり或は身口意共に最第二三なり、三業相応して最第一と読める法華経の行者は四百余年が間一人もなしまして能持此経の行者はあるべしともおぼへず」(0370:04)とあるのがこれである。
すなわち、真の「能持是経者」とは法華経を身・口・意の三業に読む者のことでなければならない。それにはいかなることにも強盛な信心にたち大聖人の残された教え、すなわち御書を身読することにある。
「祈禱経送状」に「其れに付いても法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く・一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥に後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得・広宣流布大願をも成就す可きなり」(1357:05)とある。
前半は「能持是経者」の信心の在るべき姿を、後半は持経者の受くべき果報、すなわち、「一切衆生中」第一の者と顕われることを物語っている。大聖人の仏法を実践し切った者は、今世においては生命力の横溢した人生を最高度に楽しみ、後生をもその延長の幸福者として生ずることができるという現当二世に亘る幸福の確立はもとより、更には広宣流布成就の主体者としてその使命を全うすることができるとの仰せである。まさに「一切衆生中第一」の人生を生きる者といえまいか。そのために〝能〟の一字の体得並びに実践をこそ心に期すべきであろう。
此の世の中の男女僧尼は嫌うべからず、法華経を持たせ給う人は一切衆生のしとこそ仏は御らん候らめ
法華経、すなわち末法において日蓮大聖人の仏法を持つ者は、男女の差や僧俗の如何を問わず一切の人々にすぐれ、それらの人の中心存在にあたるとの意である。
ここに大聖人が「男女僧尼は嫌うべからず」といわれるのは、男女の性別や出家或は在俗の差、階層、学識の有無等に関係なく法華経を持つ者すべてをいう。
「一切衆生のしう」とは、人間性の本源に立って、あらゆる人に人生、社会の生き方を教えうる力をもつことである。それは、努力なくしては達成できるものではない。
しかし、妙法を持った人は、日蓮大聖人の仏法をわが身に研鑽し、他の未だ真の仏法を知らざる人々を根底から救うべく、その実践にすぐれた力を発揮せねばなるまい。或は仏法によって磨かれた英知をもとに、社会にその力を付与せねばならない。また無限の慈愛をもって周囲の者を暖かく包み育まねばならぬ。こうして御本尊を根本に内的に自己の充実をはかり、外的にも一切の人々にその力を還元しようと努力するならば、それはやがて一切衆生の主であり、中心存在にあたると仰せられているのである。
第二章(真実の女人成仏を明かす)
本文
又この経文を昼夜に案じ朝夕によみ候へば常の法華経の行者にては候はぬにはんべり、是経典者とて者の文字はひととよみ候へば此の世の中の比丘・比丘尼・うば塞・うばいの中に法華経を信じまいらせ候・人人かと見えまいらせ候へば・さにては候はず、次下の経文に此の者の文字を仏かさねてとかせ給うて候には若有女人ととかれて候、日蓮法華経より外の一切経をみ候には女人とは・なりたくも候はず、或経には女人をば地獄の使と定められ或経には大蛇と・とかれ或経にはまがれ木のごとし或経には仏種をいれる者とこそとかれて候へ、仏法ならず外典にも栄啓期と申せし者の三楽をうたひし中に無女楽と申して天地の中女人と生れざる事を楽とこそ・たてられて候へ、わざはひは三女より・をこれりと定められて候に、此の法華経計りに此の経を持つ女人は一切の女人に・すぎたるのみならず一切の男子に・こえたりとみえて候、所詮・一切の人にそしられて候よりも女人の御ためには・いとをしと・をもはしき男に・ふびんと・をもはれたらんにはすぎじ、一切の人はにくまばにくめ、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏・乃至梵王・帝釈・日月等にだにも・ふびんと・をもはれまいらせなば・なにかくるしかるべき、法華経にだにも・ほめられたてまつりなば・なにか・くるしかるべき。
現代語訳
またこの経文を昼夜に思索し、朝夕に読んでみると、この経文に説かれている行者とは一般にいう法華経の行者ではないのである。経文の、是経典者とあるその「者」の文字は、人と読むので、この世の中の僧や尼あるいは在家の男女の中で、法華経を信ずる人々をいうのかと思ってみたが、そうではない。次下の経文に、この「者」の文字を仏が重ねて説かれるには「若し女人有って」とある。すなわち法華経を持つ女性について述べられているのである。
日蓮は法華経以外の一切経をみる時には、女性とはなりたくもないと思う。ある経には女性を地獄の使いと定められ、ある経には大蛇と説かれ、ある経にはまがれ木のようだと説かれ、ある経には仏種をいってしまった者と説かれている。
仏法だけではなく外典でも、たとえば中国・春秋時代の栄啓期という者が三楽をうたっているが、その中に無女楽といって、この世の中に女性と生まれなかったことを一つの楽として挙げているのである。また、中国では、わざわいは三女から起こったと定められているが、この法華経のみには、この経を受持する女性は、他の一切の女性にすぐれるだけでなく、一切の男子にも超えていると、説かれている。
詮ずるところ、たとえ一切の人に憎まれたとしても、女性にとっては最愛と思う夫に可愛いと思われたなら本望であろう。それと同様に一切の人に憎まれても、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏や梵王・帝釈・日天・月天等に可愛いと思われるならば、何の不足があろうか。ましてや法華経にほめられるならば、何の不足もあるわけはない。
語釈
比丘
ビクシュ(bhikṣu)の音写。仏教に帰依して,具足戒を受けた成人男子の称。
比丘尼
ビクシュニー(bhiksunīの音写)。仏教に帰依して,具足戒を受けた成人女子の称。
うば塞
在家の男子をいう。
うばい
在家の女子をいう。
若有女人
法華経薬王菩薩本事品第二十三の十喩の次下に、説かれた文の中にある。「若し女人有って、是の薬王菩薩本事品を聞いて、能く受持せば、是の女身を尽くして、後に復た受けじ。若し如来の滅後、後の五百歳の中に、若し女人有って、是の経典を聞いて、説の如く修行せば、此に於いて命終して、即ち安楽世界の阿弥陀仏・大菩薩衆の囲繞せる住処に往きて、蓮華の中の宝座の上に生じ」と。ここでは是経典者こそ女性であることを、示すために用いられた。
栄啓期の三楽
栄啓期は中国春秋時代の人。濁世に超然として自然の中に遊び、天命に安んじ、人生を謳歌した楽天家。栄啓期はこの世に生まれて得た三つのよろこびを①人と生まれ、②男と生まれ、③長寿を得たことであるとした。列子・天瑞篇に「孔子、太山に遊び、栄啓期が郕の野に行くを見る。鹿裘して索を帯にし、琴を鼓いて歌ふ。孔子問うて曰く『先生の楽しむ所以は何ぞや』と。対へて曰く『吾が楽み甚だ多し。天の万物を生ずる、唯だ人を貴しと為す。而して吾れ人たるを得たり、これ一楽なり。男女の別、男は尊く女は賎し、故に男を以て貴しと為す。吾れ既に男たるを得たり。是れ二楽なり。人生、日月を見ず襁褓を免れざるものあるに、吾れ既に已に行年九十なり、是れ三楽なり』」とある。
無女楽
女と生まれなかったことの楽しみ。
三女
中国の伝説中の三悪女で、夏の妹喜、殷の姐己、周の褒姒をいう。それぞれ国王の寵愛を受けたが、かえって王を迷わせ、国を亡ぼすに至った。妹喜は夏の傑王を、姐己は殷の紂王を、褒姒は周の幽王を溺れさせたという。
講義
法華経にのみ、女人成仏が説かれていることを述べられている。
それは、十喩の「能持是経典者」の〝者〟について「若有女人」とあり、女人を含むことが示されているからである。爾前経で徹底的に嫌われた女人が、法華経では一切の女人のみならず、男子にも越えること、したがって法華経の肝心たる御本尊を受持した女性は、御本尊の広大な慈愛に包まれているのであると説かれている。
此の法華経計りに、此の経を持つ女人は一切の女人にすぎたるのみならず、一切の男子にこえたりとみえて候
爾前経ではその性質を徹底的に弾訶され、成仏を許されなかった女性も、法華経ではこの経を持つ時には、男子をも含めて一切の衆生に越えて第一であるとの薬王品の文から、末法に真の法華経を持つ女性がいかにすぐれているかを述べられた文であると共に、法華経がいかに他の一切経にすぐれて力あるかを説かれた文である。
先ず「此の法華経計りに」と特に強調され、法華経のみに女人成仏が説かれた様を考えてみる。「善無畏抄」には次の如くある。
「文句と申す文の第七の巻には『他経には但男に記して女に記せず』等云云、男子も余経にては仏に成らざれども且らく与えて其をば許してむ、女人に於ては一向諸経に於ては叶う可からずと書かれて候」(1235:18)と。すなわち当分の得道ではあったが、爾前経においても男子には一往の授記があった。しかし女性は爾前経では終始その成仏は認められなかった。
さて、法華経ではじめて一切の衆生は十界互具の生命体であって、尊極の仏界の生命をも具することを説いた。その具体例として展開されたのが、提婆達多品第十二で、最も救い難いとされた悪人と女人を提婆達多の成仏、竜女の成仏として描いたのである。
竜女、年は八歳、竜王の女とはいえ蛇身の竜女が仏に成るなどということは、とうてい理解できるものでない。故に智積菩薩は大衆の疑いを代表して、次のように竜女に対して問うのである。
法華経提婆達多品第十二に「汝は久しからずして無上道を得たりと謂えり。是の事は信じ難し。所以は何ん、女身は垢穢にして、是れ法器に非ず。云何んぞ能く無上菩提を得ん。仏道は懸曠なり。無量劫を経て、勤苦して行を積み、具さに諸度を修し、然る後に乃ち成ず」と。
仏になるには無量劫の間、諸の修行を積んでこそなれるのであって、垢穢の多い女性の身で仏になるわけがないと、竜女に成仏の疑いをはさんだのである。これに答えて、竜女は突如、その身で現象を示した。すなわち「忽然の間に、変じて男子と成った」のである。
この「変成男子」について、日蓮大聖人は「御義口伝」に「変成男子とは竜女も本地南無妙法蓮華経なり」(0747:第八有一宝珠の事:09)と説かれている。これは爾前経にいう改転の成仏、すなわち、女人が女身を男子に変じて成仏するというのとは異る。その身そのままで久遠以来の妙法の生命体、尊極の仏界の生命を内蔵した十界の生命自体であることを示したのである。
しかも竜女の成仏は「忽然の間に」男子に変じたことに意義がある。「忽然の間」とは「甚疾」であり、さらに「甚疾とは頓極・頓速・頓証の法門なり即為疾得無上仏道なり」(0747:第八有一宝珠の事:06)とあるように、竜女の成仏が即身成仏であることを指す。こうして法華経ではじめて女性の成仏が許されたのは、法華経のみが十界互具・一念三千の法門を説いている故である。
この竜女の成仏は、単に竜女一人の成仏ではなく、末法に妙法を持つすべての女性の成仏をいうのであることを、開目抄に「竜女が成仏此れ一人にはあらず、一切の女人の成仏をあらはす。法華已前の諸の小乗教には女人の成仏をゆるさず……『挙一例諸』と申して竜女が成仏は末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし」(0223:07)と説かれている。
次に「此の経を持つ女人は一切の女人にすぎ……一切の男子にこえたりと……」の文について考察したい。
女性の特質ともいうべき、驕慢・嫉妬・愚痴・自己中心主義の根源は、貪・瞋・癡の三毒にあるといえよう。「御義口伝」には「法界の衆生の逆の辺は調達なり法界の貪欲・瞋恚・愚癡の方は悉く竜女なり」(0797:一提婆品:02)とある如くである。
この文よりすれば提婆達多に代表される反逆の姿は男性的特質といえる。それに対し女性は、貪瞋癡の三毒をあらわす。それは生命に本然的なものであるだけに害毒も深い。「女人は垢穢にして」(0472:女人成仏抄:14)、或いは「女人は智浅くして多く邪僻を生ず」(0718:第五比丘比丘尼有懐増上慢優婆塞我慢優婆夷不信の事:03)とあるのも、この辺をいわれるのであろう。
さて、爾前経で成仏を許されなかった女性が、成仏を許されたことは、極めて重要な意義がある。法華経薬王菩薩本事品第二十三には次のようにある。
「後の五百歳の中に、若し女人有って、是の経典を聞いて、説の如く修行せば、此に於いて命終して、即ち安楽世界の阿弥陀仏・大菩薩衆の囲繞せる住処に往きて、蓮華の中の宝座の上に生じ、復た貪欲の悩ます所と為らず、亦復た瞋恚・愚癡(の悩ます所と為らず、亦復た憍慢・嫉妬・諸垢の悩ます所と為らず」と。貪・瞋・癡の三毒にも、驕慢・嫉妬・諸垢にも悩まされないと述べられている。故に未だ真の仏法を知らぬ男性の、無自覚な本能のままに生きるのを凌駕すること、遥かであるといえよう。
このことは、竜女の成仏を、その師文殊師利菩薩が説いても、これを疑い信ずることのできなかった智積菩薩の姿が如実に示している。これについて大聖人は御義口伝(0746)には「元品の無明なり竜女は法性の女人なり(中略)智積菩薩を元品の無明と云う事は不信此女の不信の二字なり不信とは疑惑なり疑惑を根本無明と云うなり」(0746:第七言論未訖の事:03)と、述べられている。
一切の生命が平等であること、いかなる卑賤の者の生命にも尊極の仏界の生命を有することが理解できぬ仏法不信の生命、それが元品の無明であり、真の仏法を知らぬ男性はこれに当ると、大聖人は決定されたのである。
これに対するに、竜女は我が身が一念三千の当体であることを述べるのであるが、その最後に次の一文がある。「又聞いて菩提を成ずること唯だ仏のみ当に証知したまうべし。我れは大乗の教を闡いて苦の衆生を度脱せん」と。この「又聞成菩提」について、大聖人は御義口伝「竜女が智積を責めたる言なり」(0746:第七言論未訖の事:10)とされ、「苦の衆生」については「別して女人の事なり」(0746:第七言論未訖の事:11)と指摘されている。諸種の仏道修行を積みあげ、九界の衆生の最高位に居する菩薩に対し、畜身の竜女がこれを諌言する――まことにこれ「一切の男子にこえたり」の姿ではなかろうか。現代でいうならば、大聖人の仏法を持つ女性は、いかなる知識人、有力者、権力者の男性たちにも過ぎて優れていると拝すべきであろう。
しかも、その願いは〝一切の苦悩の人々を救う〟という、人間のあり方として最高の崇高なる願いに立つのである。過去の、また現在のいかなる男性にも過ぎて尊貴であると、称賛される意味はここにある。
故に本抄において大聖人は、過去の竜女の如く、現在法華経を持つ女性こそは、最も劣悪な性にあった者が、最高の仏界の位置にたつという、極めて大なる意義があるが故に〝一切の者に過ぎて第一なり〟と説かれ、しかもそれは女人を意味するのであり、仏の御本意もそこにあるのだと述べられているのである。
第三章(夫人の信心を激励する)
本文
今三十三の御やくとて御布施送りたびて候へば釈迦仏・法華経・日天の御まへに申し上て候、又人の身には左右のかたあり、このかたに二つの神をはします一をば同名神・二をば同生神と申す、此の二つの神は梵天・帝釈・日月の人をまほらせんがために母の腹の内に入りしよりこのかた一生をわるまで影のごとく眼のごとく・つき随いて候が、人の悪をつくり善をなしなむどし候をば・つゆちりばかりも・のこさず天にうたへまいらせ候なるぞ。
華厳経の文にて候を止観の第八に天台大師よませ給へり、但し信心のよはきものをば法華経を持つ女人なれども・すつると・みえて候、例せば大将軍よはければ・したがうものも・かひなし、弓よはければ絃ゆるし・風ゆるければ波ちゐさきは自然の道理なり、而るにさえもん殿は俗の中・日本には・かたをならぶべき者もなき法華経の信者なり、是にあひつれさせ給いぬるは日本第一の女人なり、法華経の御ためには竜女とこそ仏は・をぼしめされ候らめ、女と申す文字をば・かかるとよみ候、藤の松にかかり女の男にかかるも今は左衛門殿を師と・せさせ給いて法華経へ・みちびかれさせ給い候へ。
正月二十七日 日蓮花押
四条金吾殿女房御返事
現代語訳
今年あなたは三十三歳の厄であるからと、御供養を送ってこられたので、釈迦仏・法華経・日天の御前にささげ、あなたの信心の志を申し上げました。
また、人の身には左右の肩がある。この両肩に二神がおられる。一を同名、二を同生という。この二神は梵天・帝釈・日月等が、人を守らせるためにつけた神で、人が母の胎内に宿った時から一生を終るまで、影のように、人の眼のようにつき随っているのであるが、人が悪行を作り、善行をしたことなどを、露・塵ほども残さず、これを諸天に訴えるのである。
これらのことは華厳経の文に説かれているのを、魔訶止観の第八で天台大師はこれを引用して説かれているのである。
但し信心の弱いものは法華経を受持する女性といえども、捨てると書かれている。例えば大将軍の心が弱ければ従卒も不甲斐ない。弓が弱ければ絃もゆるい。風がゆるければ波も小さいのは自然の道理である。
ところで、左衛門殿は在俗の中では日本中には肩を並べる者もない強信な法華経の信者である。この夫に連れ添われるあなたも日本第一の女性である。法華経の御ためには、竜女にも匹敵する健気(けなげ)な女性であると、仏はおもわれているであろう。女という文字はかかると読む。藤は松にかかり、女は男にかかるものであるから、今はあなたは左衛門殿を師とされて、法華経の信心を導かれていきなさい。
また、三十三の厄は転じて三十三の福となるであろう。「七難即滅・七福即生」というのはこれである。年は若返り、福は重なるでしょう。あなかしこ・あなかしこ。
正月二十七日 日 蓮 花 押
四条金吾殿女房御返事
語釈
釈迦仏・法華経・日天の御まへ
釈迦仏は人、法華経は法で人法一筒。日天は諸天善神。あわせて御本尊をさす。御本尊の御前にとの意。
同名・同生
倶生神のこと。人が生まれた時から、つねに人の両肩にあって、その善悪を記して天に報告するという。
華厳経の文
華厳経入法界品第三十九に「人の生まるより則ち二天あり、恒に相随逐す。一を同生といい、二を同名と曰う。天は常に人を見れども、人は天を見ざるが如し。応に知るべし如来も亦復是の如し」とある。
止観の第八
止観は天台の三大部の一つ、摩訶止観のこと。天台が隋の開皇14年(0594)4月26日から、一夏九旬にわたって荊州玉泉寺で講述、弟子の章安が筆録したもの。法華経の根本義たる一心三観・一念三千の法門が説かれている。十巻から成るが、第八の巻の下に「同名同生天はこれ神、よく人を守護す。心固ければすなわち強し、身の神なおしかり」とあって、華厳経の文を引いて説かれている。
さえもん殿
四条金吾のこと。(~1300)日蓮大聖人御在世の信徒。四条中務三郎左衛門尉頼基のこと。四条は姓、祖先は藤原鎌足で、18代目隆季のころから四条を名乗った。中務は父の頼昌が中務少丞に任じられていたことから称する。三郎は通称。左衛門尉は護衛の役所である衛門府の左衛門という官職と、律令制四等官の第三位である尉という位をいう。左衛門尉の唐名を金吾校尉というので金吾と通称された。頼基は名。北条氏の一族、江間家に仕えた。武術に優れ、医術にも通達していた。妻は日限女。子に月満御前、経王御前がいる。池上宗仲・宗長兄弟や工藤吉隆らと前後して康元元年(1256)27歳のころに大聖人に帰依したといわれる。それ以来、大聖人の外護に努め、文永8年(1271)9月12日竜の口法難の際には、殉死の覚悟でお供をした。文永9年(1272)2月には佐渡流罪中の日蓮大聖人から人本尊開顕の書である開目抄を与えられた。頼基はたびたび大聖人のもとへ御供養の品々をお送りし、文永9年(1272)5月には佐渡まで大聖人をお訪ねしている。大聖人御入滅の際にも最後まで看病に当たり、御葬送の列にも連なって池上兄弟とともに幡を奉持した。大聖人滅後は、所領の甲斐国内船(山梨県南巨摩郡南部町)へ隠居し、正安2年(1300)3月15日、71歳で死去。
七難即滅・七福即生
七難は仁王経、薬師経、金光明経等に説かれているが、仁王経の七難は①日月失度難 ②衆星変改難 ③諸火梵焼難 ④時節反逆難 ⑤大風数起難 ⑥天地亢陽難 ⑦四方賊来難の七つをいう。七幅は七難の滅することを七幅とする。天台宗では仁王経をもって七難即滅・七福即生の祈禱を行なった。末法においては三大秘法の南無妙法蓮華経が七難即滅・七福即生の法となる。
講義
強盛な信心によって、三十三の厄も三十三の福と転ずることを述べられている。
諸天は法華経を持つ者を守護するのであるが、信心が弱ければ、その人には、守護の働きがあらわれない。日本第一の法華経の行者である四条金吾に連れ添う妻は、日本第一の女性であるから、夫について、信心を励むなら、厄は去り、福は重なり、生涯、若々しい生命力に溢ちた生活ができると、約束されている。
但し信心のよはきものをば、法華経を持つ女人なれどもすつるとみえて候
信心の厚薄によって御本尊、諸天の守りにも強弱の差があり、信心弱きものは御本尊も見捨てるのであると述べられている。
さきの法華経を持つ者は一切衆生の中に第一である――とは御本尊を持った者と持たぬ者との比較であり、御本尊が尊貴の故に持者も尊貴の存在となるのであるが、それはあくまでも如説修行ということを前提としていわれたものである。
御本尊を持っても、その信心の強弱浅深によって、御本尊の守りも差があることになり、受ける功徳は異なるということになる。
藤の松にかかり、女の男にかかるも、今は左衛門殿を師とせさせ給いて、法華経へみちびかれさせ給い候へ
夫の四条金吾を師として仏法を学び、更に立派に信心を貫くよう促された文である。
あらゆる難を受けながらも、大聖人の教えを信じ、実践し、大聖人の外護に心を砕く姿には、大聖人もまた、ひとしお深い感情をもって遇されていたのではなかろうか。このお心が「左衛門殿を師とせさせ給いて」の文となってあらわれたのであろう。
さらにこの「師とせさせ給いて」の言葉は夫と妻のあり方の根本を示されたものと拝せられる。夫婦の和合は単なる愛情をのみ基調としては成りたたない。お互いが人間として理解し合い、その信頼の上に各自の成長のために努力するとき、真の愛情が維持されていくのではなかろうか。
大聖人のこの御文は、いつの時代にも夫婦は人間として成長すべきこと、そのためには妻も夫との対話を通して意識を向上させ、夫婦間の断絶をなくしたところに真の夫婦の和合も、一家の和楽も築けるのであると、示されたと思う。
しかも、一人一人の人間のあり方を、深い生命観の上から洞察する仏法の上に成りたつものである。過去の主従の関係に等しい夫婦のあり方や、近代的な夫婦の情愛をのみ主体とするあり方を越えて、正しい〝法〟を媒体とした真の人間関係に成り立つ、夫婦のあり方の昇華をそこに見る。それが、真の「異体同心」であり、この〝心〟こそ、三大秘法の仏法を信ずる者の信心の心であることを銘記すべきである。
なお、この〝師〟ということについてふれておきたい。生命の極致を説かれた仏法は、最高に高度な哲学の故に難解であり、師なくして一人では修得できるものではない。「蓮盛抄」に「止観に云く『師に値わざれば邪慧日に増し生死月に甚し稠林に曲木を曵くが如く出づる期有こと無けん』云云、凡そ世間の沙汰尚以て他人に談合す況んや出世の深理寧ろ輙く自己を本分とせんや」(0153:11)とある如くである。最後の悟りは自ら自得する以外にない故に無師智というが、そこに至る道程は必ず〝師〟によらなければならない。迷いの人生を彷徨する凡夫が、師弟の道を踏まずして、仏道を成就できるわけがないからである。同抄に仏の教えに依らぬ禅師をさして「等覚の菩薩すら尚教を用いき底下の愚人何ぞ経を信ぜざる」(0153:18)また、続いて止観の文より「此れ則ち法滅の妖怪なり亦是れ時代の妖怪なり」(0154:02)とあるのはこれを物語っている。
ただし、師弟の道とは、封建的な閉鎖的・固定的関係をいうのではない。法が高くすぐれる故に、一日でも一歩でも仏法に長じた者には師弟の礼をとって教えを請うべきなのである。日興上人の「遺誡置文」にも「下劣の者為りと雖も我より智勝れたる者をば仰いで師匠とす可き事」(1618:09)とある。この文の意味するごとく、師として尊敬する意味合いは、仏法修得の度合いの深さに依るべきであって、身分・階層・年齢・男女等の差によるのでないことは明白である。
四条金吾夫妻にあっては、夫婦揃って純粋な信心を続けたが、四条金吾には他に秀でた信心の実践があった故に「師とするように」と、大聖人は仰せられたのである。
「七難即滅・七福即生」とは是なり
法華経を強く信ずることにより、いかなる難も福と転ずるということである。
「七難即滅・七福即生」の七難は、語訳に示したとおり、本来は仁王経等に説かれた国家的な難をいい、末法今時において、その難を克服する法、即ち〝即滅〟の法は三大秘法の南無妙法蓮華経であり、これによって国家の安寧を保ち繁栄を期すことができるという、鎮護国家の原理を説かれたものであるが、大聖人はこの原理を個人の場合にも適用されたのである。七難をも転じて七福に換える、それはまた変毒為薬の原理を示されたものともいえる。
そこには更に次のような意味をもって説かれたものと拝せる。
一にはいかなる大難があろうとも、御本尊を受持する限り、必ず幸せに転ずることができるという、御本尊の偉大な功力を確信すべきことを説かれている。
祈禱抄の「大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(1351:18)とあるのは、これを物語っている。
二に真の福、すなわち大いなる幸福は大いなる難を前提とするものであることを説かれていると拝せる。豊かな恵まれた環境に生まれ、不自由を知らぬ生活は、一応幸福であるといえようが、それで、はたして真の喜びを味わうことができるであろうか。況んやひとたび苦難に遭遇した時、それまでの栄華ははかなく崩れ去るのが世間の常である。そうした周囲の状況によって変化する幸福、すなわち相対的幸福は、環境のいかんにかかわらず、わが生命の内より打ちたてる幸福、すなわち絶対的幸福には劣るといえる。
三に、転重軽受によって根本の宿命を打開したものこそが真実の幸福生活であること。
いかなる難も、その因って来る原因がある。それらの根源は受難者の法華経誹謗の罪にあることは、諸御書に明かである。その重罪に比べれば現在、妙法を持っていかなる大難にあおうとも、まだまだ過去に犯した罪よりも軽いのであると、大聖人は説かれている
「開目抄」に「此の大難の来るは過去の重罪の今生の護法に招出だせるなるべし」(0233:03)と自身の重罪を消滅するため望んで招き寄せた難であると説かれている。
年はわかうなり、福はかさなり候べし
三十三の厄の除災をねがう夫人に対し、七難が七福と転ずることを説かれた大聖人は、ついでそれが現実生活にどう現われるかを説かれたもので、法華経を持つ者の生命は、年々に若々しく、その生活は福運に満ちた人生が展開することを示されている。
「年はわかうなり」は生命自体を指し、「福はかさなり候べし」はその生命をめぐって展開する生活現象をいわれているといえよう。
法華経薬王品に「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり。若し人病有らんに、是の経を聞くことを得ば、病は即ち消滅して、不老不死ならん」とある。大聖人は此の文を御義口伝(0774)に次のように説かれている。
「若人とは上・仏果より下・地獄の罪人まで之を摂す可きなり、病とは三毒の煩悩・仏菩薩に於ても亦之れ有るなり、不老は釈尊不死は地涌の類たり、是は滅後当今の衆生の為に説かれたり、然らば病とは謗法なり、此の経を受持し奉る者は病即消滅疑無きなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云」(0774:第六若人有病得聞是経病即消滅不老不死の事:02)と。
この「不老不死」とは現実に如何なる生命現象を指すのであろうか。法華文句に「不老は是れ楽、不死は是れ常、此の経を聞いて常楽の解を得」とある。
人生の苦はさまざまであるが、その究極は生・老・病・死の四苦であるという。〝老〟は肉体的にも精神的にも、人間の負う大いなる〝苦〟の一つである。〝苦〟の反対である〝楽〟もさまざまといえるが、人生最大の苦の四苦が解決されることが、最大の楽となるのではなかろうか。
今、薬王品の文、あるいは御義口伝の文に見るごとく、法華経を持ち、信心唱題に励む者に、仏の大慈悲は〝抜苦与楽〟と現われるのである。更には我が身が地涌の菩薩、釈尊の生命と現れる――即ち自らの仏界の生命を湧現し、慈悲の当体と現れるのであるから、いつか心身共に生命力は旺盛となって若々しく躍動し、高い目的観に立って人生を逞しく前進することができるのである。
こうした生命のあり方の根底を知り、その生命観にたって日常を活動できる人生こそ、「福はかさなり候べし」の〝福運〟の人生というべきではなかろうか。
「観心本尊抄」に「釈尊の因行・果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246:15)と説かれている。
インドの釈迦が三十成道まで、あらゆる苦行を通して求道したものの、更には四十余年間は明かされなかった深秘の秘法を、末法の現在、御本尊を持ち唱題に励む者が、直ちにその境涯に迫り、その法の主体者と顕れるのである。更にはその人の人生は「所願満足・衆生所遊楽」「現世安穏・後生善処」に示されるがごとく、人生を自由自在に遊戯しながら、かつ価値ある生活が送れるということは、まさに〝至福の人〟というべきであろう。「無上の宝聚求めざるに自ら得たり」はこのことを物語っている。
「十字御書」には「今又法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし」(1492:08)とあるが、この福運を招くためにも「信ずる」ことに重要な意義のあることを心すべきであろう。