上野殿御家尼御返事(地獄即寂光御書)2007:12月号大白蓮華より。先生の講義
生も仏 死も仏 「生死ともに歓喜」を築く即身成仏の法門
昭和25年(1950)、恩師・戸田先生は事業面で最大の苦境にありました。影響が学会に及ばないように、理事長を辞任されました。
戸田先生を中心に何十人もの受講者で活気を呈していた本部での講義も、潮が引くようにすくなくなっていった。
しかし先生は、わずか数名のために、時間をこじ開けては、御書講義を続けてくださいました。そして厳然と言い切られたのです。
「私は、たとえ一人でも求める諸君たちのために全力を尽くすのだ」
「私は、仮に地獄に堕ちても平気だ、そのときは地獄の衆生を折伏して寂光土とする。しかし信心弱い君たちのことを考えると心配だ」
どんな苦難の渦中にあっても、どんなに疲れていても、宿命に悩み、指導を求めていく同志を、そして求道の青年を、先生はあらん限りの慈愛と気迫で、励ましてくださいました。
やがて事業の苦境も打開し、会長に就任されて間もなく先生は、会社の事務所を東京・市ヶ谷駅近くのビルの一室に移されました。そして同じビルの小さな一室を学会本部分室とし、訪ねてこられる学会員を、毎日、長時間かけて指導・激励されたのです。
最も苦しんだ人を最高の幸福者に変えるのが日蓮大聖人の仏法です。
地獄をも寂光土に変える力強い妙法です。
当時ビルの受付をされていた女性の方の貴重な証言をうかがいました。その方と親交を結ばれた地域の婦人部の方が、私に伝えてくれたのです。
その方は当時のことを鮮明に覚えておられた。大勢の人が分室を訪れた。しかも、悩みに打ちひしがれたような表情で来た人たちが、まるで別人のような笑顔になって帰っていく。その姿が不思議でならなかった、と。
宿命を使命として、勇気と大確信の炎を、あの友に、この一家の未来にと点じ続ける生き方を教えてくれたのが、牧口先生であり、戸田先生です。
「一人の人」を、どこまでも激励し抜いていく。最も崇高な広宣流布の使命に、ともに立ち上がっていく。これが、創価の師弟を貫く根本精神です。この精神を継承すれば、学会は永遠に発展することは間違いありません。
大聖人が生涯貫かれた「真剣勝負の励まし」の戦いを、今回は「上野殿御家尼御返事」を拝して学んでいきましょう。
本文
御供養の物種種給畢んぬ、抑も上野殿死去の後は・をとづれ冥途より候やらん・きかまほしくをぼへ候、ただしあるべしとも・をぼへず、もし夢にあらずんば・すがたをみる事よもあらじ、まぼろしにあらずんば・みみえ給う事いかが候はん、さだめて霊山浄土にてさばの事をば・ちうやにきき御覧じ候らむ、妻子等は肉眼なればみさせ・きかせ給う事なし・ついには一所とをぼしめせ、生生世世の間ちぎりし夫は大海のいさごのかずよりも・ををくこそをはしまし候いけん、今度のちぎりこそ・まことのちぎりのをとこよ、そのゆへは・をとこのすすめによりて法華経の行者とならせ給へば仏とをがませ給うべし、いきてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり、法華経の第四に云く、「若し能く持つこと有れば 即ち仏身を持つなり」云云。
現代語訳
御供養の品を種々いただきました。
上野殿御死去の後、冥途より訪れられたでしょうか。お聞きしたいものです。しかしあるとも思えません。夢でもなければ姿を見ることはよもやないでしょうし、幻でもなければ、見えるなどということがどうしてありましょう。上野殿はきっと霊山浄土で娑婆のことを昼夜に見聞きされていることでしょう。しかし妻子等は肉眼であるから見ることも聞くこともできませんが、ついには霊山浄土で一緒になると思いなさい。生生世世の間、尼御前が夫婦の契りを交わした男は砂の数よりも多くあることでしょうが、この度の契りこそまことの契りの夫です。そのわけは夫の勧めによって法華経の行者となられたのですから、亡き夫を仏として尊ぶべきです。生きておられた時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なのです。即身成仏という大事の法門はこのことを説きあらわされたのです。法華経の第四の巻、宝塔品に「若し能くこの経を持つ者はすなわこれ仏身を持つものである」とあります。
「生も歓喜」「死も歓喜」の大境涯
「いきてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり」
仏法は、一生のうちに成仏を実現し、永遠に自在して希望に満ちた生と死を続けることを可能にする大法です。
「生も歓喜」であれば、「死も歓喜」となります。「死も歓喜」であれば、次の「生も歓喜」です。生死ともに歓喜の連続であり、自他ともの歓喜を現実のものとする使命に生きる生命の真髄を教えています。
今回拝する「上野殿御家尼御返事」は、夫・南条兵衛七郎を亡くした上野尼御前に対するお手紙です。本抄の御執年については諸説あります。夫が亡くなった直後の文永2年(1265)頃か、あるいは、大聖人が佐渡から戻り、身延に入られた直後、再び南条家と頻繁なやりとりを始められる文永11年(1274)頃とされています。
南条家で最初に大聖人に帰依したのは、亡き夫・南条兵衛七郎でした。幕府の御家人であり、大聖人も深い期待を寄せていましたが、重い病のため、文永2年(1265)に亡くなります。
南条兵衛七郎は、大聖人の御指導通り、妙法への信仰を最後まで貫き、その潔い信心は残された家族に受け継がれていきました。
兵衛七郎が亡くなった時、後に家督を継ぐ二男の時光は7歳、五男にあたる末の息子は、まだ母の胎内にいました。母は悲しみをこらえながら、必死になって家族を守り育ててきたに違いありません。
この母の抑えても抑えきれない嘆き、悲しみを、大聖人は深くくみとり、解きほぐすように、励まされたのです。
“夢であるなら夫の姿をみることはできても、現実は、何かしらの便りがあるとも思えません”と仰せになられています。そして、仏法の眼から、亡き夫は、今どこにおられるか、“霊山浄土におられて、御家族のことをいつもご覧になっていますよ”と大聖人は語りかけておられます。
信心の深き心で結ばれた同志、家族、眷属は、必ずまた一緒になれると、温かく包容されているのです。
霊鷲山とは「永遠の生命の故郷」
霊山浄土といっても、念仏の西方極楽浄土のような架空の別世界のことでは絶対にありません。
端的に言えば、霊山浄土とは、大宇宙の仏界そのものです。「一身一念法界に遍し」(0247:如来滅後五五百歳始観心本尊抄:08)とあります。妙法を受持しきって亡くなった人の生命は、宇宙全体を我が生命とする。広大無辺の境地となって、大歓喜の境涯に包まれていく、そのことを戸田先生は「大宇宙の仏界に溶け込む」と言われました。
大聖人は繰り返し仰せです。
「ともに霊山浄土にまいり、お会いしましょう」
「必ず母と子がともに霊山浄土へまいることができましょう」
妙法への信心を生涯、貫き通した人が、等しく到達できる仏の世界。 それが霊山浄土であり、そこでは、深き生命の次元で結ばれた師弟が、同志が、また、親子・夫婦・家族が、晴れ晴れと出会うことができるのです。
地涌の菩薩は、この仏の世界から民衆救済の使命を果たすために娑婆世界に出現し、また、今世の使命を果たして、再び大宇宙の仏界へと戻ります。それが「霊山浄土」です。永遠に戦い続ける地涌の勇者の「生命の故郷」であり、「久遠の同志の世界」です。
生きているうちに、この境地に基づいて仏界を現して、現実の苦難の使命の舞台に雄々しく立ち上がり、自他共の幸福を築いていく、それが「生の仏」です。
そして、使命を果たしきって、三世永遠の自受法楽の軌道に乗り、さらなる誓願の現実のために、次の菩薩道の生へと向かっていく。それが「死の仏」です。
この「生死ともに仏」「生死ともに歓喜」の大境涯を確立するための今世の一生です。否、今世の一生の瞬間瞬間の闘争です。
大聖人は「若し能く持つこと有れば即ち仏身を持つなり」と経文を引かれています。この経文通りに南条兵衛七郎は戦い、一生の間に仏の境涯を確立したからこそ、永遠の仏界の生死の軌道に乗った。
“あなたの亡くなった夫は、まさに法華経に示された通りの「仏様」なのですよ”ご主人は勝ちました! 今度はああたが勝利する番ですよ! と、呼びかけておられるのです。
本文
夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり、これをさとるを仏といふ・これにまよふを凡夫と云う、これをさとるは法華経なり、もししからば法華経をたもちたてまつるものは地獄即寂光とさとり候ぞ、
現代語訳
さて浄土といっても地獄といっても外にあるのではありません。ただ我等の胸中にあるのです。これを悟るのを仏といい、これに迷うのを凡夫といいます。これを悟ることができるのは法華経です。したがって、法華経を受持する者は地獄即寂光とさとることができるのです。
本文
此の法門ゆゆしき大事なれども、これをきかせ給いて後は・いよいよ信心をいたさせ給へ、法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり、天台云く「従藍而青」云云、此の釈の心はあいは葉のときよりも・なをそむれば・いよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし。
現代語訳
これはゆゆしき大事な法門です。尼御前に教えてさしあげます。竜女に対しては文殊菩薩が即身成仏の秘法を説かれたようなものです。この法門を聞かれた後は、いよいよ信心に励まれるがよい。法華経の法門を聞くにつけて、ますます信心に励むのを、まことの道心者というのです。
天台大師は「藍よりして而も青し」云云といわれています。此の釈の意味は、藍は葉の時よりも、染めれば染めるほど、いよいよ青くなるのであり、法華経は藍のようであり、修行が深いのは、藍が染めるにしたがってますます青くなるようなものです。
講義
地獄を寂光土に変える仏法の功力
浄土も地獄も、自身の胸中にある。他のどこかにあると思うのは迷いである。これが日蓮大聖人の仏法です。
ここで大聖人は、焦点を「亡き夫の成仏」から「上野尼御前自身の成仏」に移して、励ましていかれます。
法華経を持つ者は地獄即寂光の法理を現実のものとすることができるのです。
大聖人は四条金吾におおせです「設い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば日蓮を・いかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし、日蓮と殿と共に地獄に入るならば釈迦仏・法華経も地獄にこそ・をはしまさずらめ」(1173:崇峻天皇御書:04)“あなたを守るためだったら、私も地獄に共に行ってあげましょう。わたしが行けば、釈迦仏も仏も共に地獄に来ます”
大聖人も釈迦仏もおられるとなれば、地獄はもはや地獄ではありえません。仏国土へと変わります。そうなれば、獄卒が仏子を責めることはできません。閻魔大王も法華経の守護者にならざるをえません。
今いるこの場所を仏国土にするための法華経です。また、仏国土にしていく挑戦が法華経の信心です。
したがって、法華経の実践を貫いた大聖人の門下が、地獄界で苦しむわけがない。自在の境涯に生ききっていけることは間違いありません。
大聖人は、このことを、尼御前に深く教えようとされた。尼御前もおそらく、それまでにもこの地獄即寂光の法門を聞いたことがあったでしょう。しかし、一歩深く、生命の奥底でつかみとってほしい。体得してほしい。そして、ますます信心に励んでほしいという大聖人のお心が伝わってきます。
即身成仏は歓喜と希望の原理
大聖人が地獄即寂光の法理を説かれたのは、故・南条殿が必ず成仏しているとの安心を尼御前に与えるためであるとともに、夫亡き後に幼い子をかかえて苦闘する尼御前自身に、仏界は我が生命にあるとの究極の希望を教えるためでもありました。
尼御前への激励のために、大聖人はさらに法華経に説かれる竜女の即身成仏に言及されています。
法華経提婆達多品では、文殊師利菩薩が釈尊の命を受けて智積菩薩に妙法の功力を説きます。その時、妙法には即身成仏の力があるとして、その現証として竜女を呼び出して紹介します。
しかし、智積菩薩や舎利弗は、女人成仏も即身成仏を信じようとしません。不信をいだく男たちを前に、竜女は釈尊に「私は大乗の教えを開いて、苦悩の衆生を救ってまいります」と誓願し、即身成仏の現証を示します。その場にいた多くの衆生は、竜女の現証を見て「心大歓喜」心は大いに歓喜して成仏の軌道へと入っていきました。不信の男性たちは返す言葉もなく、竜女に感服し黙然として信受せざるをえなかった。
痛快な女人成仏のドラマは、希望の閃光で万人を照らし、歓喜の波動をもたらしたのです。
即身成仏の法理は、万人の胸中に歓喜と希望を呼び起こす力があります。大聖人は、尼御前の胸中に真実の希望を湧き立たせるために、本抄で即身成仏の極理を説かれているのです。
法華経の原理を実現する日蓮仏法
「いよいよ信心をいたさせ給え」
「なをなを信心にはげむを・まことの道心者とは申すなり」
大聖人が、即身成仏や地獄即寂光などの深理を説かれるのは、門下の信心を深めるためです。仏法は言葉や観念の遊戯ではない。
本抄で説かれている極理はすべて、私たちの生命の中に仏界という究極の希望があることを教えるものです。それを、自らの命において信じていけば、その信によって、仏界の生命を覆い隠している無明を打ち破り、我が生命に仏界が湧現するのです。
ゆえに、「信」が大事なのです。信心を深めれば深めるほど、私たちの生命は仏界の色彩に染め上げられていくからです。
大聖人は、そのことを、天台大師の「従藍而青」との言葉を通して教えてくださっています。
植物の藍の葉は、薄く青みがかった緑色です。しかし、この葉から採った染料で何回も重ねて染めれば、濃い鮮やかな青になります。
私たちの一生成仏の修行も同じです。成仏の原理が説かれている法華経は、藍の葉に譬えられています。大聖人の仏法の実践は、藍の葉から採った染料を何回も染めていくことに譬えられるでしょう。すなわち、大聖人の仏法では、法理を聞いて信心を深め、ますます修行に励んでいけば、実際に仏界を現し、一生成仏を実現していくことができるのです。
御書を学ぶ目的は、大聖人の御精神に触れて、信心を深めるとともに、仏法の深理に学んで我が内なる希望と平和を確信し、自行化他の実践に励んでいくことにあります。そして、難を勝ち越えてこられた大聖人の実践に学んで、苦難に挑戦していく勇気を奮い起こすことです。この「実践の教学」の要諦を、深く銘記していきたいものです。
本文
故聖霊は此の経の行者なれば即身成仏疑いなし、さのみなげき給うべからず、又なげき給うべきが凡夫のことわりなり、ただし聖人の上にも・これあるなり、釈迦仏・御入滅のとき諸大弟子等のさとりのなげき・凡夫のふるまひを示し給うか。
いかにも・いかにも追善供養を心のをよぶほどはげみ給うべし、古徳のことばにも心地を九識にもち修行をば六識にせよと・をしへ給う・ことわりにもや候らん、此の文には日蓮が秘蔵の法門かきて候ぞ、秘しさせ給へ・秘しさせ給へ、あなかしこ・あなかしこ。
現代語訳
故聖霊は法華経の行者であったから即身成仏は疑いありません。だからさほどに嘆かれることはないのです。しかしまた嘆かれるのが凡夫の道理でありましょう。ただし聖人にもそれはあるのです。釈迦仏が御入滅されたときの覚りを得ている諸大弟子等の嘆きは、凡夫の振る舞いを示されたものでありましょうか。
いかにも・いかにも追善供養の心の及ぶ限り励まれるがよいでしょう。古徳の言葉にも「心地は九識清浄心におき、修行をば六識にせよ」と教えられています。いかにも道理です。この文には日蓮が秘蔵の法門を記しておきました。心して内密にされるがよい。あなかしこ・あなかしこ。
講義
ありのままの姿で、使命の道を
「即身成仏」とは、人間以外の何か特別な姿になることではなく、人間としてのありのままの姿で、永遠なる「常楽我浄」の大境涯を現していくことです。
妙法には無量の功徳が具わっています。あらゆる生命は、現実として十界のどの境涯にあろうと、本来は妙法の当体です。ゆえに、たとえ今、地獄の境涯にあったとしても、一念が転換すれば、直ちに妙法の当体としての清浄にして尊極なる生命を、その身のままで、現すことが可能なのです。これが「即身成仏」です。
ただし、“その身のまま”といっても、当然、“苦しみのまま”“怠惰のまま”では成仏とはいえません。あくまでも一念の転換が必要なのであり、そのための戦いが必要なのです。その戦いを誰でもができるように、日蓮大聖人は御本尊をあらわしてくださったのです。
大聖人は、その身に成就された尊極の生命を御本尊としてあらわしてくださいました。その御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える人は、我が生命を覆う無明を打ち破って、妙法と一体の仏界の生命を、我が身に涌現していけるのです。
御本尊を信ずるということは、大聖人の尊極の生命が自分にもあると信ずることであります。それは、大聖人と同じく「法華経の行者」としての信心と実践を貫いていくことに他ならない。師弟不二の信心にして、初めて、自分の生命を曇らせる無明を打ち破っていけるのです。
本抄では、故・上野殿は「法華経の行者」であったがゆえに即身成仏は間違いないと言われています。すなわち、法華経の行者であれば、生きている時は「生の仏」であり、今は「死の仏」である。ゆえに、生前も憂慮すべきものは何もないし、死後も揺るぎない宇宙の仏界にいることは間違いない。“本来ならば、何も嘆くことはないのですよ”という、生命への深い洞察に基づいた励ましのお言葉なのです
現実の世界で勝利者に
そのうえで“分かっていても、つい嘆いてしまうのが凡夫の理です。聖人と言われる人たちだって、特別な時には、やはり嘆くものです”と、包み込むように励まされています。
別れを嘆くことが凡夫の理であるならば、心の及ぶかぎりの故人への追善供養を励んでいきなさいと勧められています。嘆きの心を追善の祈りに変えいてきなさい、と言われているのです。
どこまでも門下の心情を大切にされるのが日蓮大聖人です。御手紙の一文字一文字が、尼御前を大きく包んでいきます。大空の如く、大海の如く、広大な心が御本仏の御心です。
ここで「はげみ給うべし」と仰せです。夫に先立たれた嘆きも、妙法の祈りへと昇華させれば、自身を高め、一生成仏へと結実していくための修行になるのです。追善の祈りも、妙法の祈りであれば、立派な仏道修行になるのです。
御本尊の前では、何も飾る必要はない。嬉しいときには嬉しいままに、悲しいときはかなしいままに、ありのままの自分で御本尊を拝していくことです。苦楽ともに思い合わせて、題目を唱えに唱え抜くのです。妙法の広大な力によって、その祈りがすべて仏道修行になります。何があろうと唱題し抜いた人が、真の勝利を得るのです。
何があっても、妙法を唱え、妙法の力用を我が生命に現していける。その人こそが「生の仏」に他ならないのです。
「根底がもう安心しきっている、それが仏なのです」と戸田先生は言われていた。
「病気などで悩んでいた人も、御本尊様を受持することによって、すなわち、安心しきった生命に変わるのだ。根底が安心しきって、生きていること自体が楽しいようになる」「生きていること自体が、絶対に楽しいということが仏ではないだろうか、これが、大聖人様の御境涯を得られたことになるのではないだろうか」
まさに、この境涯を尼御前に教えるために、大聖人は「心地を九識にもち修行をば六識にせよ」との言葉を引かれている。
「九識」とは、究極の真理である妙法と一体の清浄なる生命です。あらゆる生命に本来具わる仏性と同意です。私たちの生命は、本来、この「九識」という「心の王」「心の本体」が住する都なのです。
この生命本来の「九識心王真如の都」を大聖人は御本尊としてあらわしてくださった。ゆえに、「心地を九識にもち」とは、御本尊を信じて南無妙法蓮華経の題目を唱えていきことに他ならないのです。
「修行を六識に」の「六識」とは、現実世界の現象に応じて働く五感と、その五感を統合する意識のことです。つまり、六識とは現実生活といえる。現実生活を修行の場として、仏界の生命を我が身に確立していくのです。「信心即生活」です。
敷衍すれば、「心地を九識に」「修行を六識に」とは、学会活動そのものであるともいえるでしょう。心の根底を「仏界」に置き、「苦悩に満ちた現実世界」に打って出て、妙法を弘め、人々を救っていくからです。
信心の励ましは、生命と生命の真剣勝負であり、いわば“一念三千と一念三千のぶつかりあい”です。わが生命を、仏界へ仏界へと引き上げていく渾身の戦いです。
大聖人のお手紙を拝して尼御前は、どれほど勇気づけられたことでしょう。
この健気な母は後年、16歳の五男を突然に亡くします。時光もまた、命に及ぶ病に侵されてしまう。しかし、そうした宿命との戦いに際して、尼御前は、どこまでも大聖人を求め抜き、見事に勝利していきます。
仏法の生死感を極めた師匠と共に戦えることが、どれほど、すばらしいことか、師弟共に「生も歓喜」「死も歓喜」の境涯を歩むことが、真の即身成仏の法門なのです。