上野殿後家尼御返事

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上野殿後家尼御返事

 文永2年(ʼ65)7月11日 44歳 上野尼

第一章 (亡夫の生死不二の成仏示す)

本文

上野殿後家尼御返事    文永十一年七月    五十三歳御作

  御供養の物種種給畢んぬ、抑も上野殿死去の後は・をとづれ冥途より候やらん・きかまほしくをぼへ候、ただしあるべしとも・をぼへず、もし夢にあらずんば・すがたをみる事よもあらじ、まぼろしにあらずんば・みみえ給う事いかが候はん、さだめて霊山浄土にてさばの事をば・ちうやにきき御覧じ候らむ、妻子等は肉眼なればみさせ・きかせ給う事なし・ついには一所とをぼしめせ、生生世世の間ちぎりし夫は大海のいさごのかずよりも・ををくこそをはしまし候いけん、今度のちぎりこそ・まことのちぎりのをとこよ、そのゆへは・をとこのすすめによりて法華経の行者とならせ給へば仏とをがませ給うべし、いきてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり、法華経の第四に云く、「若し能く持つこと有れば 即ち仏身を持つなり」云云。

現代語訳

御供養の品を種々いただきました。

上野殿御死去の後、冥途より訪れられたでしょうか。お聞きしたいものです。しかしあるとも思えません。夢でもなければ姿を見ることはよもやないでしょうし、幻でもなければ、見えるなどということがどうしてありましょう。きっと霊山浄土で娑婆のことを昼夜に見聞きされていることでしょう。しかし、妻子等は肉眼であるから見ることも聞くこともできませんが、ついには一緒になると思いなさい。生生世世の間夫婦の契りを交わした男は、砂の数よりも多くあることでしょうが、この度の契りこそまことの契りの夫です。そのわけは夫の勧めによって法華経の行者となられたのですから、仏として尊ぶべきです。生きておられた時は生の仏、今は死の仏、生死ともに仏です。即身成仏という大事の法門はこのことを説きあらわされたのです。法華経の第四の巻、宝塔品に「若し能く持つ者は仏身を持つ者である」とあります。

語釈

上野殿

(~1265)。ここでは南条兵衛七郎入道行増のこと。日蓮大聖人御在世当時の信徒で、南条時光の父。幕府の御家人で氏は平氏。伊豆国田方郡南条(静岡県伊豆の国市)を本領としたので南条殿といった。後に駿河国富士郡上方庄上野郷(静岡県富士宮市)の地頭となったので上野殿と呼ばれる。

をとづれ

①訪ねてくること。訪ねること。②たより、手紙、音信。

冥途

冥土とも書く。亡者が迷っていく道、死後の世界。主として地獄、餓鬼、畜生の三途をさす。冥界、幽途、黄泉、冥府などともいう。その暗さは闇夜のようなものであり、前後左右が明らかでないという。

霊山浄土

釈尊が法華経の説法を行なった霊鷲山のこと。寂光土をいう。すなわち仏の住する清浄な国土のこと。日蓮大聖人の仏法においては、御義口伝(0757)に「霊山とは御本尊、並びに日蓮等の類、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり」とあるように、妙法を唱えて仏界を顕す所が皆、寂光の世界となる。

さば

娑婆のこと。梵語サハー(Sahā)の音写。忍土、忍界、堪忍土と訳する。三毒および諸の煩悩を耐え忍んでいかなければならない処という意。したがって、苦悩の充満する人間世界のことをいう。

生生世世

生死を繰り返すなか、生を得て経る多くの世のこと。

いさご

砂のこと。

ちぎり

夫婦の関係を結ぶこと。

即身成仏

凡夫が凡夫そのままの姿で成仏すること。法華経で説かれた法門である。爾前経では凡身を断ち、煩悩を断ってからでなくては成仏できぬとされ、悪人や女人は成仏できぬとされたが、法華経にきて提婆達多と竜女が即身成仏の現証を示したのである。この元意は法華経の根底に秘沈された文底の妙法・久遠元初の妙法を信じたがゆえの成仏であり、その妙法の本体は南無妙法蓮華経の当体、御本尊であり、題目を唱えることにより即身成仏するのである。凡夫即極・直達正観に通じる。

講義

本抄は、文永11年(1274)7月11日、聖寿53歳、身延での御述作である。なお、南条兵衛七郎の死去の年である文永2年(1265)の御述作との説もある。当時は、日蓮大聖人が佐渡から帰られ、鎌倉幕府に対する第三回目の国諌を行われたのち身延に入山されて2ヵ月目にあたる。御真筆は現存していない。

この御手紙をいただいた上野殿後家尼は南条七郎次郎時光の母であり、上野殿母御前、上野殿母尼御前、上野尼御前等とも呼ばれる。

夫の南条兵衛七郎を文永2年(1265)に亡くし、後家尼となって約10年、亡夫の追善供養のため、御供養の品々を大聖人に送られたことに対する御返事である。

後家尼は五男四女の子宝に恵まれており、夫が死去した時には、次男の七郎次郎時光が7歳、五男の七郎五郎はまだ母の胎内にいた。御家尼は長男の七郎太郎の早世の苦悩を乗り越えながら、子供達を立派に養育し、純真な信心を貫いてきた女性である。

とくに、父の跡を継いだ時光の純真不屈の信心は、この母の感化によるところが大であったに違いない。

後家尼への御状は八通ほどあるが、本抄は後家尼への最初の御手紙であり、末尾に「此の文には日蓮が秘蔵の法門かきて候ぞ、秘しさし給へ」と仰せのように、即身成仏、地獄即寂光の甚深の法門を説いて激励されている。内容から別名を「地獄即寂光御書」とも称される。

さて、本抄は、冒頭、亡き南条兵衛七郎を偲んで、生前の強信を称え、夫に先立たれた後家尼の心情を気遣われながら、「ついには一所とをぼしめせ」と、必ず霊山浄土でまみえることができると励まされ、即身成仏、生死不二の義を説かれている。

さらに「生生世世の間ちぎりし夫は大海のいさごのかずよりも・ををくこそをはしまし候いけん、今度のちぎりこそ・まことのちぎりのをとこよ」と、御家尼が今生に南条兵衛七郎と夫婦となり、妙法を信受した不思議な宿縁について、その意義の深さを述べられている。

永遠の生命観のうえからみるならば、後家尼が生まれるごとに夫とした男性は無数に違いない。しかしそのなかでも、この度の夫である南条兵衛七郎こそ、最も尊い夫であると称賛されている。なぜなら、後家尼は夫・兵衛七郎によって妙法への信仰を教えられたのであり、そこには永遠に変わることのない妙法で結ばれた深い縁があるからである。

また「いきてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり」との仰せは、生死不二の成仏を示されたものである。

妙法信仰の大道を貫く人は、生きている時も、死して後も、妙法の世界に包まれた成仏の境界に住していくのである。これを「即身成仏と申す大事の法門」とされている。

即身成仏とは、衆生が凡夫の身でありながら、それを改めることなく、そのまま成仏することである。

法華経以前の諸経では、悪人は善人に身を変じ、歴劫修行によって三十二相八十種好を具えた仏に成ると説かれた。仏というものを凡夫とは隔絶した存在として、これに成るための修行だったのである。

しかし、法華経では、成仏とは、凡夫の生命の奥底にある仏性を開顕することであり、妙法の功力によって凡夫の肉身そのままの姿で成仏できると説く。すなわち、成仏とは、凡夫自身の内なる仏界の生命を開き顕すことをいう。このことを「御義口伝」では端的に「成は開く義なり」(0753:第三我実成仏已来無量無辺等の事:03)と御教示されている。

日本では、一般に、誤った既成宗教や新興宗教の影響で、先祖や死者を〝仏〟とする考え方が定着しているが、仏法を歪曲するも甚だしい邪見といわなければならない。死ねば誰でも仏に成るわけではないし、逆に、死ななければ成仏できないということでもない。妙法を信受すれば、この人生で成仏する。これが即身成仏であり、法華経見宝塔品第十一の「若し能く持つこと有らば、則ち仏身を持つ」の文を挙げられているのは、この即身成仏を示されているのである。

この宝塔品の文から、日蓮大聖人は「御義口伝」で「法華経を持ち奉るとは我が身仏身と持つなり……さて仏身を持つとは我が身の外に仏無しと持つを云うなり、理即の凡夫と究竟即の仏と二無きなり」(0742:第十三若有能持則持仏身の事:02)と教えられている。

末法の凡夫は御本尊を持ち奉ることによって、我が身即仏身と持つことになるのである。即身成仏の奥義はここにある。

しかも「理即の凡夫と究竟即の仏と二無きなり」(0742:第十三若有能持則持仏身の事:04)と仰せられ、衆生と仏は別々のものではなく、その体は同じであるが、ただ己心の仏性を覚っているのが仏であり、己心の仏性を知らないのが衆生なのである。これをさらに明確にするために、つぎに、十界が我々凡夫の生命に具わっていることを示されるのである。

 

 

 第二章 (地獄即寂光の妙理を明かす)

本文

夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり、これをさとるを仏といふ・これにまよふを凡夫と云う、これをさとるは法華経なり、もししからば法華経をたもちたてまつるものは地獄即寂光とさとり候ぞ、たとひ無量億歳のあひだ権教を修行すとも、法華経をはなるるならば・ただいつも地獄なるべし、此の事日蓮が申すにはあらず・釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏の定めをき給いしなり、されば権教を修行する人は火にやくるもの又火の中へいり、水にしづむものなをふちのそこへ入るがごとし、法華経をたもたざる人は火と水との中にいたるがごとし、法華経誹謗の悪知識たる法然・弘法等をたのみ・阿弥陀経・大日経等を信じ給うは・なを火より火の中・水より水のそこへ入るがごとし、いかでか苦患をまぬかるべきや、等活・黒繩・無間地獄の火坑・紅蓮・大紅蓮の冰の底に入りしづみ給はん事疑なかるべし、法華経の第二に云く「其の人命終して阿鼻獄に入り是くの如く展転して無数劫に至らん」云云。

  故聖霊は此の苦をまぬかれ給い・すでに法華経の行者たる日蓮が檀那なり、経に云く「設い大火に入るも火も焼くこと能わず、若し大水に漂わされ為も其の名号を称れば即ち浅き処を得ん」又云く「火も焼くこと能わず水も漂すこと能わず」云云、あらたのもしや・たのもしや、

 

現代語訳

さて浄土といっても地獄といっても外にあるのではありません。ただ我等の胸中にあるのです。これを悟るのを仏といい、これに迷うのを凡夫といいます。これを悟ることができるのが法華経です。したがって、法華経を受持する者は地獄即寂光と悟ることができるのです。たとえ無量億歳の間、権教を修行しても法華経から離れるならば、いつも地獄なのです。

このことは日蓮がいうのではなく、釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏が定めおかれたことです。

それゆえに権教を修行する人は、火に焼かれる者がさらに火の中に入り、水に沈む者がますます淵の底に入るようなものです。法華経を受持しない人は火や水の中に入っていくようなものです。法華経誹謗の悪知識である法然や弘法をたのみ阿弥陀経や大日経等を信じている者は、なお火より火の中に、水より水の底に入るようなものです。どうして苦患をまぬかれることができるでしょうか。等活、黒繩、さらに無間地獄の火坑、紅蓮、大紅蓮地獄の氷の底に落ちて沈んでしまうことは疑いありません。法華経第二の巻の譬喩品に「其の人は命終して後、阿鼻地獄に堕ち、展り転って無数劫に至る」とあります。

故聖霊はこの苦をまぬかれられています。それはすでに法華経の行者である日蓮の檀那だからです。法華経巻八の普門品に「設い大火に入っても火も焼くことはできない。もし大水に漂わされても、其の名号を称えれば浅き処にたどりつく」と、また同巻七の薬王品に「火も焼くことができず、水も漂わすことができない」等とあります。ああ、頼もしいことです。頼もしいことです。

 

語釈

地獄

十界・六道・四悪趣の最下位にある境地。地獄の地とは最低の意、獄は繋縛不自在で拘束された不自由な状態・境涯をいう。悪業の因によって受ける極苦の世界。経典によってさまざまな地獄が説かれているが、八熱地獄・八寒地獄・一六小地獄・百三十六地獄が説かれている。顕謗法抄にくわしい。

 

地獄即寂光

「地獄」は苦悩の極地である地獄界をいい、「寂光」は仏の住む常寂光土をいう。衆生の一念には十界を具足しているゆえに、地獄界の衆生も仏界を具しており、南無妙法蓮華経を受持することによって、仏界を顕現し、苦悩の境界である地獄界がそのまま常寂光土となることをいう。

 

無量億歳

はかることも、数えることもできないくらい長い時間。

 

権経

実教に対する語。権とは「かり」の意で、法華経に対して釈尊一代説法のうちの四十余年の経教を権経という。これらの経はぜんぶ衆生の機根に合わせて説かれた方便の教えで、法華経を説くための〝かりの教え〟であり、いまだ真実の教えではないからである。念仏の依経である阿弥陀経等は、この権経に属する。

 

釈迦仏

釈迦牟尼仏の略称、たんに釈迦ともいう。釈迦如来・釈迦尊・釈尊・世尊とも言い、通常はインド応誕の釈尊。

 

多宝仏

東方宝淨世界に住む仏。法華経の虚空会座に宝塔の中に坐して出現し、釈迦仏の説く法華経が真実であることを証明し、また、宝塔の中に釈尊と並座し、虚空会の儀式の中心となった。多宝仏はみずから法を説くことはなく、法華経説法のとき、必ず十方の国土に出現して、真実なりと証明するのである。

 

十方分身の諸仏

中心となる仏が衆生教化のために、十方の世界に身を分かちあらわれた仏のこと。ここでは、虚空会座に集まった釈尊の分身仏をさす。

 

悪知識

善知識に対する語。悪友と同語。仏道修行を妨げ、不幸に陥れる友人。唱法華題目抄には「悪知識と申してわづかに権教を知れる人智者の由をして法華経を我等が機に叶い難き由を和げ申さんを誠と思いて法華経を随喜せし心を打ち捨て余教へうつりはてて一生さて法華経へ帰り入らざらん人は悪道に堕つべき事も有りなん」(0001:08)とある。

 

法然

(1133~1212)。わが国の浄土宗の元祖で、源空という。伝記によると、童名を勢至丸といい、15歳で比叡山に登り、天台の教観を研究。叡空にしたがって一切経、諸宗の章疏を学んだ。そのときに、善導の「観経疏」の文を見て、承安5年(1175)の春、43歳で浄土宗を開創した。「選択集」を著して、一代仏教を捨てよ、閉じよ、閣け、抛てと唱えた。その後、専修念仏は風俗を壊乱するとの理由で建永2年(1207)土佐国に遠流され、弟子の住蓮、安楽は処刑された。これはその後、許されたが、建暦2年(1212)80歳で没してのち、勅命により骨は鴨川に流され、「選択集」の印版は焼き払われ、専修念仏は禁じられた。

 

弘法

(0774~0835)。日本真言宗の開祖。諱は空海。弘法大師は諡号。讃岐(香川県)に生まれ、15歳で京に上り、20歳のとき勤操にしたがって出家した。延暦23年(0804)渡唐し、長安青竜寺の慧果より胎蔵・金剛両部を伝承された。帰朝後、弘仁7年(0816)から高野山に金剛峯寺の創建に着手した。弘14四年(0823)東寺を賜り、ここを真言宗の根本道場とした。仏教を顕密二教に分け、密教たる大日経を第一の経とし、華厳経を第二、法華経を第三の劣との説を立てた。著書に「三教指帰「弁顕密二教論」「十住心論」などがある。

 

阿弥陀経

鳩摩羅什の訳。釈迦一代説法中方等部に属する。欲界・色界二界の中間、大宝坊で説かれた。無量寿経・観無量寿経とともに浄土の三部経のひとつ。教義は、この世は穢土であり幸福はありえないかあら、死後極楽浄土へ往生する以外にない。そのためには阿弥陀仏の名号を唱えよというもの。現世の諦めを根底とする方便の権教である。

 

大日経

大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐代の善無畏三蔵訳7巻。一切智を体得して成仏を成就するための菩提心、大悲、種々の行法などが説かれ、胎蔵界漫荼羅が示されている。金剛頂経・蘇悉地経と合わせて大日三部経・三部秘経といわれ、真言宗の依経となっている。

 

苦患

苦しみ患うこと。悩み、苦悩。

 

等活・黒繩・無間地獄

八熱地獄のうちの等活地獄、黒縄地獄、無間地獄をさす。

等活地獄は獄卒に身を斬られ砕かれても、すぐに前と等しく復活してさらに責められるのでこの名がある。

黒縄地獄は黒い熱鉄の縄で身にすみをうたれ、それに沿って斬られ、あるいは鋸でひかれ、苦しみにあえぐ地獄である。

無間地獄は間断なく苦を受けるのでこの名がある。大阿鼻地獄ともいう。

これらの地獄の様子は倶舎論等に説かれており地下一千由旬に等活地獄があり、その下に黒縄・衆合・叫喚・大叫喚・焦熱・大焦熱・無間地獄が順次に重なって存在するとされる。

 

火坑

火の坑。地の下にあるとされる八熱地獄に入る坑道。

 

紅蓮・大紅蓮

紅蓮地獄、大紅蓮地獄のことで、いずれも八寒地獄の一つ。紅蓮地獄はあまりの寒さに皮膚が裂けて肉がはみだし、ちょうど紅色の蓮華が開いたようになるのでこの名がある。鉢頭摩地獄の訳。大紅蓮地獄は摩訶鉢頭摩地獄の訳で紅蓮地獄よりさらに寒苦の厳しい地獄。瑜伽論巻四、倶舎論記巻十一などにある。

 

法華経の行者

法華経の教えどうりに如説修行する行者のこと。正像においては釈尊・天台・伝教がそうであり、末法においては日蓮大聖人およびその門下。別しては大聖人ただお一人。「末法の仏」をさす。御義口伝には「されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752:06)また「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(0760:第廿五建立御本尊等の事)とある。

 

檀那

布施をする人(梵語、ダーナパティ、dānapati。漢訳、陀那鉢底)「檀越」とも称された。中世以降に有力神社に御師職が置かれて祈祷などを通した布教活動が盛んになると、寺院に限らず神社においても祈祷などの依頼者を「檀那」と称するようになった。また、奉公人がその主人を呼ぶ場合などの敬称にも使われ、現在でも女性がその配偶者を呼ぶ場合に使われている。

 

講義

浄土といい、地獄といっても、すべて自身の生命の中にあることを教えているのが法華経である。ゆえにその法華経を離れては成仏はない。法華経を受持しきってこそ「地獄即寂光」と悟ることができるのである。

地獄即寂光とは、苦悩の極致である地獄界が、そのまま仏の住む常寂光土となることである。すなわち、法華経に明かされるように、我々の生命は、十界互具・一念三千の当体であり、地獄も浄土も「我等がむね」の間にあり、一体不二である。ただ、我々の心の善悪、法華経を信ずるか否かによって、その住処は浄土にも地獄にもなるのである。自分を取り巻く環境、現実社会は、すべて自身の一念、生命状態の反映にほかならないのである。このことは一生成仏抄にも「衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり」(0384:01)と仰せられている。

これは凡夫の住む娑婆世界を穢土とし、たとえば西方十万億土に極楽浄土があるとした念仏などの爾前の諸経の浄土観を根底から打ち破られたものである。

既存の多くの宗教が、現実から遠く離れた彼方に理想の幸福世界を求めたのに対し、真実の仏法は、人間自身の生命の変革によって、苦悩におおわれた現実世界を幸福の世界へと転換できることを明かし、かつ、その転換の鍵を教えたのである。

この地獄即寂光の妙理を悟っているのが仏であり、それを知らず迷っているのが凡夫であるとされ、仏も凡夫も所詮は一体であるが、ただ、迷・悟の違いによるとの仰せである。

ここで「さとる」とは、御本尊を信受することによって肉団の妙法を湧現することであり、「まよふ」とは、御本尊を信じないことである。

さらに「さとるは法華経」と、法華経一経のみが、仏の悟りを説いた経であり、成仏の直道であるということである。

それゆえに、たとえ爾前権経をどんなに修行しても、成仏の一法たる法華経を離れているならば、「いつも地獄なるべし」と厳誡されている。

「此の事日蓮が申すにはあらず・釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏の定めをき給いしなり」と仰せのように、法華経以外に成仏の道はないということは、日蓮大聖人が勝手にいっていることではなく、あらゆる仏が明言されているところなのである。

まして法華経を謗る邪法邪義を信仰することは、「なを火より火の中・水より水のそこへ入るがごとし」で、今世においても苦しみにあい、死後はさらに、地獄の火坑、紅蓮の氷の底へ入って極苦に生命をさいなまれるのである。

仏法は現実論であって架空論ではない。妙法を受持しぬくことによって地獄を即寂光と転じうるのであり、妙法を離れ、また妙法に背いては、どんなに努力しても地獄の苦しみの世界を流転するのみである。心して謗法、退転を戒めていかなければならない。

ともあれ、故聖霊すなわち亡き南条兵衛七郎は、日蓮大聖人の檀那となり、妙法の信仰を貫いて亡くなったのであるから、無間地獄の火坑や大紅蓮地獄の氷といった苦しみの世界をまぬかれ、「火も焼くこと能わず水も漂わすこと能わず」の、絶対的幸福境涯に住しておられることはまちがいないと述べられている。

 

 

 第三章 (真の求道者の在り方教える)

本文

詮するところ地獄を外にもとめ獄卒の鉄杖阿防羅刹のかしやくのこゑ別にこれなし、此の法門ゆゆしき大事なれども、尼にたいしまいらせて・おしへまいらせん、例せば竜女にたいして文殊菩薩は即身成仏の秘法をとき給いしがごとし、これをきかせ給いて後は・いよいよ信心をいたさせ給へ、法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり、天台云く「従藍而青」云云、此の釈の心はあいは葉のときよりも・なをそむれば・いよいよあをし、法華経はあいのごとし修行のふかきは・いよいよあをきがごとし。

 

現代語訳

結局は、地獄といっても、獄卒の鉄杖、阿防羅刹の呵責の声も別に外にあるのではありません。これはゆゆしき大事な法門ですが、尼御前に対して教えてさしあげます。竜女に対して文殊菩薩が即身成仏の秘法を説かれたようなものです。この法門を聞かれた後は、いよいよ信心に励まれるがよい。法華経の法門を聞くにつけて、ますます信心に励むのを、まことの道心者というのです。

天台大師は「藍よりして而も青し」云云といわれています。此の釈の意味は、藍は葉の時よりも、染めれば染めるほど、いよいよ青くなるのであり、法華経は藍のようであり、修行が深いのは、藍が染めるにしたがってますます青くなるようなものです。

 

語釈

獄卒

地獄にいる鬼の獄吏のこと。閻魔王の配下にあるので閻魔卒ともいう。地獄に堕ちた罪人を呵責する獄吏のこと。倶舎論巻十一に「心に常に忿毒を懐き、好んで諸の悪業を集め、他の苦を見て欣悦するものは、死して琰魔の卒と作る」と、獄卒となる因が明かされている。また大智度論巻十六には「獄卒・羅刹は大鉄椎を以って諸の罪人を椎つこと、鍛師の鉄を打つが如く、頭より皮を剝ぎ、乃ち其の足に至る」と獄卒の姿、行為が示されている。

 

阿防羅刹

阿防は獄卒のことで阿坊、阿旁とも書く。牛頭にして手は人、足は牛蹄を持ち、力が強く性格は凶暴でその恐ろしさは羅刹のようなので、阿防羅刹という。

 

文殊菩薩

文殊師利菩薩のこと。迹化の菩薩の上首。普賢菩薩とともに釈尊の脇士として智・慧・証の徳を司り、普賢が理を表すのに対し、文殊は智を表す。沙竭羅竜王の王宮に行き、八歳の竜女を化導し、法華経の会座に伴ってあらわれた。

 

従藍而青

中国・戦国時代の思想家で荀子の語。「青は藍より出でてしかも藍よりも青し」と読む。藍染は、何度も染め重ねるうちにもとの藍の色よりも青く染め上がることから、人が成長する上では努力や鍛錬が大切でそれを重ねれば、自分の思う以上の結果を得ることができることを意味する。また、師匠を越えて弟子が成長する姿にも例えられる。

 

講義

「詮するところ地獄を外にもとめ獄卒の鉄杖阿防羅刹のかしやくのこゑ別にこれなし」と、地獄が、一般に信じられているようにお伽話的な存在ではなく、現実の中にあることを明かされるにあたり、後家尼に対し、法門を聞いていよいよ信心に励むよう促されている。

ここで明かされることは、まことに深い仏法の教えであり、ふつう愚癡の生命に覆われているとされる末法の女人にはふさわしくないように思われるかも知れない。しかし、法華経の説会で文殊師利菩薩が竜女に対して即身成仏の法門を説いたと同様に、日蓮大聖人も後家尼の深信に対して即身成仏の秘法を説こうといわれている。

そして「これをきかせ給いて後は・いよいよ信心をいたさせ給へ」といわれ、甚深の法門を聞いたことを機に、いっそうの信心に励むよう勧められている。広く御書を拝し教学を学ぶ目的は、まさに、ここにあることを知らなければならない。

 

法華経の法門をきくにつけて・なをなを信心をはげむを・まことの道心者とは申すなり

 

仏法を聞けば聞くほど、その法門を知れば知るほど、ますます求道の炎を燃やしていくのが、真実の信仰者の在り方であると御教示されているのである。

広大深遠な仏法には「これでよし」というものはない。もし、そういう心を持てば、それはすでに慢心であり、増上慢にほかならない。信心の成長は、その瞬間から止まってしまう。「月月・日日につより給へ」(1190:聖人御難事:11)と仰せのように、生涯求道の精神こそ、信仰者の不変の姿勢であらねばならない。

また信心は、障魔との戦いである。行解が進めば進むほど、障魔の嵐も強くなるのが当然の原理である。そのとき、それまでと同じ気持ち、姿勢であっては、障魔を破って前進することはできない。

より一層の信心のエネルギーをもって、究極に迫っていく熱誠の求道心が必要となる。その前進のエネルギーあってこそ、無上道を我が身の内に体得し、諸難を悠々と越えゆく境涯を開いていくことができるのである。

大聖人が「なをなを」の言葉に託された激励を心底に深く刻み込み、今日より明日、今年よりは来年と、力強い求道の歩みを進めていくことが大切である。

 

天台云く「従藍而青」云云

 

「従藍而青」とは、天台大師の摩訶止観巻一上の文である。「藍よりして而も青し」と読む。「青は藍より出でて、しかも藍より青し」の意である。

藍は、元来、青色の染料を得るための植物であるが、藍自体はそれほど濃い色ではない。しかし、この藍から絞った液に布を浸し重ねて何度も染めていけば、深い見事な青色となっていく。

法門自体は藍のようなものである。この法門を聞いて信心にいよいよ励んでいくとき、どこまでも深い〝青〟色になっていくということである。

すなわち、修行を重ねれば重ねるほど、ますます自身の内なる仏界の生命の輝きが増し、自身を成長させていくことができるのである。

日蓮大聖人はあらゆる人達の成仏の根本として御本尊を顕し残されたのである。御本尊は〝藍〟にたとえられると仰せである。その〝藍〟からどれだけ深い〝青〟を引き出すかは、我々の修行、信心の厚薄にかかっている。

さらに、これを〝人〟に約して考えると、先輩と後輩の在り方になぞらえられる。〝藍〟は先輩であり、〝青〟は後輩である。後輩の立場からみれば、先輩の内にある〝藍〟の力をどれだけ引き出して、自らの成長の糧としていくか、ということになる。世にいう「出藍の誉れ」というのはこれである。

また先輩の立場についていえば、どれだけ後輩を、自分以上の見事な〝青〟に染め上げるか、という姿勢で育成に取り組むことであり、互いに切磋琢磨する原理ともいえよう。

我々は広宣流布の途上で、同信の友を自分以上に成長させようと励まし合いつつ、共戦の前進を続けることが、そのまま自らが美しい〝青〟と成長していくことになる。さらに信心の〝青〟を深めていきたいものである。

 

 

 第四章 (逆即是順の法華経の功力)

本文

地獄と云う二字をばつちをほるとよめり、人の死する時つちをほらぬもの候べきか、これを地獄と云う、死人をやく火は無間の火炎なり、妻子・眷属の死人の前後にあらそひゆくは獄卒・阿防羅刹なり、妻子等のかなしみなくは獄卒のこゑなり、二尺五寸の杖は鉄杖なり・馬は馬頭・牛は牛頭なり、穴は無間大城・八万四千のかまは八万四千の塵労門・家をきりいづるは死出の山・孝子の河のほとりにたたずむは三途の愛河なり、別に求むる事はかなしはかなし、此の法華経をたもちたてまつる人は此れをうちかへし・地獄は寂光土・火焔は報身如来の智火・死人は法身如来・火坑は大慈悲為室の応身如来、又つえは妙法実相のつえ、三途の愛河は生死即涅槃の大海・死出の山は煩悩即菩提の重山なり、かく御心得させ給へ・即身成仏とも開仏知見ともこれをさとり・これをひらくを申すなり、提婆達多は阿鼻獄を寂光極楽とひらき、竜女が即身成仏もこれより外は候はず、逆即是順の法華経なればなり・これ妙の一字の功徳なり。

 

現代語訳

地獄という二字を土を掘ると読むのです。人が死んだとき土を掘らないものがいるでしょうか。これを地獄というのです。死人を焼く火は無間地獄の火炎です。妻子、眷属が死人の前後をあらそってついていくのは獄卒、阿防羅刹です。妻子等が悲しみ泣くのは獄卒の声です。二尺五寸の杖はその鉄杖であり、馬は馬頭という鬼、牛は牛頭という鬼です。穴は無間大城であり、八万四千の地獄のかまは八万四千の煩悩であり、家を出るのは死出の山、孝子が河のほとりにたたずむのは三途の愛河です。これ以外によそに求めることははかないことです。

この法華経を受持する人はこのことを打ちかえし、地獄は寂光土、火焔は報身如来の智火、死人は法身如来、火坑は大慈悲を室と為す応身如来、また杖は妙法実相の杖、三途の愛河は生死即涅槃の大海、死出の山は煩悩即菩提の重山となると心得なさい。このように悟り、また開くのを即身成仏とも開仏知見ともいうのです。提婆達多は阿鼻獄を寂光極楽と開き、竜女の即身成仏もこのことにほかならないのです。それは逆即是順の法華経だからであり、これが妙の一字の功徳です。

 

語釈

地獄

十界・六道・四悪趣の最下位にある境地。地獄の地とは最低の意、獄は繋縛不自在で拘束された不自由な状態・境涯をいう。悪業の因によって受ける極苦の世界。経典によってさまざまな地獄が説かれているが、八熱地獄・八寒地獄・一六小地獄・百三十六地獄が説かれている。顕謗法抄にくわしい。

 

二尺五寸の杖

死者は、冥途の険しい山道を旅しなければならないということから、死者に約76㌢の杖をもたせて葬る風習があった。

 

馬頭

地獄に住む馬頭人身の獄卒。馬頭羅刹のこと。死後の衆生が冥途へ行くとき、その前後で鉄棒をもって追いたてながら引導するという。首楞厳経卷八に「亡者の神識大鉄城を見る。火蛇火狗・虎狼獅子・牛頭獄卒・馬頭羅刹・手に槍矟を執り、城内に駆け入る」とある。

 

牛頭

地獄の極卒のこと。体が人間で頭が牛の形をしている鬼。

 

八万四千の塵労門

一切の煩悩について説いた法門のことをさしていう。八万四千は実際の数ではなく、大数、多数の意。塵労は煩悩の異名。大智度論巻五十九には煩悩を病にたとえて、淫欲の病に二万一千、瞋恚の病に二万一千、愚癡の病に二万一千、等分の病に二万一千の八万四千の病があると説かれている。

 

死出の山

十王経によると、死後の世界にある険しい山で、死者が冥府において初七日の間に秦広王のところに行く途中にある山。

 

三途の愛河

地獄・餓鬼・畜生の三途に堕とす貪愛の煩悩のこと。「愛河」は貪愛が人を押し流すことから河にたとえたもの。

 

報身如来

仏の三身の一つ。仏の智慧をあらわす仏身。自ら内証の法楽を受ける身を自受用報身、十地の菩薩のために法を説き、大乗の法楽を受用させる身を他受用報身といい、実報土に住する。三大秘法禀承事には「寿量品に云く『如来秘密神通之力』等云云、疏の九に云く『一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず』等云云」(1022:09)、総勘文抄には「此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好と為す是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり」(0562:01)、四条金吾釈迦仏供養事には「三身とは一には法身如来・二には報身如来・三には応身如来なり、 此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐす譬へば月の体は法身・月の光は報身・月の影は応身にたとう、一の月に三のことわりあり・一仏に三身の徳まします」(1144:08)等とある。

 

法身如来

仏の三身の一つ。真理を身体とする仏。常住普遍の真理もしくは法性そのものをいい、寂光土に住する。三大秘法禀承事には「寿量品に云く『如来秘密神通之力』等云云、疏の九に云く『一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず』等云云」(1022:09)、総勘文抄には「此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好と為す是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり」(0562:01)、四条金吾釈迦仏供養事には「三身とは一には法身如来・二には報身如来・三には応身如来なり、此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐす譬へば月の体は法身・月の光は報身・月の影は応身にたとう、一の月に三のことわりあり・一仏に三身の徳まします」(1144:08)等とある。

 

大慈悲為室

法師品に「大慈悲を室と為し」とある。衣座室の三軌のうち室を表したものである。

 

応身如来

仏の三身の一つ。仏の肉体・または慈悲をあらわす。三大秘法禀承事には「寿量品に云く『如来秘密神通之力』等云云、疏の九に云く『一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず』等云云」(1022:09)、総勘文抄には「此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好と為す是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり」(0562:01)、四条金吾釈迦仏供養事には「三身とは一には法身如来・二には報身如来・三には応身如来なり、 此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐす譬へば月の体は法身・月の光は報身・月の影は応身にたとう、一の月に三のことわりあり・一仏に三身の徳まします」(1144:08)等とある。

 

妙法実相

妙法蓮華経が諸法の実相であるということ。

 

生死即涅槃の大海

「生死」とは迷い、「涅槃」とは悟り。この二つは一体のものであって不二であることをいう。止観には「無明塵労は即菩提・生死は即涅槃なり」とある。妙法を受持する九界の衆生が、その身そのままで究極の心理を体現し、涅槃常楽の境界を得ることができることを、大海にたとえたもの。

 

煩悩即菩提

九界即仏界の哲理。煩悩がなければ悟りはない。人生に悩みがあるがその悩みがなくなったところが菩提ではなく、悩みそのものが菩提である。止観には「無明塵労は即菩提・生死は即涅槃なり」とあり、生死即涅槃の同意語。

 

開仏知見

開示悟入・四仏知見のひとつ。開とは信心のことである。信心をもって妙法を唱え奉れば、やがて仏知見を開くことができるのである。信心の異名である。

 

提婆達多

提婆ともいう。梵語デーヴァダッタ(Devadatta)の音写の略で、調達ともいい、天授・天熱などと訳す。一説によると釈尊のいとこ、阿難の兄とされる。釈尊の弟子となりながら、生来の高慢な性格から退転し、釈尊に敵対して三逆罪を犯した。そのため、生きながら地獄に堕ちたといわれる。法華経提婆達多品第十二には、提婆達多が過去世において阿私仙人として釈尊の修行を助けたことが明かされ、未来世に天王如来となるとの記別を与えられて悪人成仏の例となっている。

 

寂光極楽

「寂光」は寂光世界で仏国土のこと。「極楽」は普通は阿弥陀仏の仏国土をさすが、一般的な仏国土の意である。

 

逆即是順

「逆即ち是れ順なりと読み、「逆」は逆縁、「順」は順縁を意味する。悪逆の提婆達多が天王如来の記別を受けたことを意味する。

 

講義

すでに述べられたように「浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり」であるが、それを具体的な死にまつわる事象に即して示されている。

地獄といえば地の下一千由旬のところにある特別な世界と考えられているが、事実は、そのような現実ばなれした存在をいうのではなく、死者を地下に埋葬する、その穴が地獄であると仰せである。もとより、すべての人にとって埋葬の穴が地獄になるのではなく「我等がむねの間にあり」といわれるように、地獄に堕ちるべき悪業を犯した人にとって地獄になるのである。餓鬼界に堕ちるべき業を犯した人にとっては餓鬼道となるし、正法の信仰を全うし成仏の因を作った人にとっては寂光土となることは、いうまでもない。

また同様に、死人を焼く火は、堕地獄の業を作った人にとっては地獄の火炎となるのに対し、成仏の因を作った人にとっては報身如来の智火となるのである。死者に持たせる二尺五寸の杖は、地獄の業の人にとっては獄卒の鉄杖となるのに対し、成仏の因を作った人にとっては妙法実相の杖となる。

まさに「浄土と云うも地獄と云うも外には候はず」で、空想的な彼方の世界にあるのではなく、現実の世界にあるもの、現実に行われる事象が、その人の生命の境界によって地獄の極苦を与えるものともなれば、逆に寂光浄土をもたらすものともなるのである。要は、その人の生命の境界によるのであり、したがって「ただ我等がむねの間にあり」といわれたのである。この生命の境界の違いを生ずる根源は、この人生をどのように生き、いかなる善悪の業を作ったかである。その極苦の業因が正法誹謗であり、極善の業が正法の信行である。ゆえに「此の法華経をたもちたてまつる人」は、地獄を寂光土と転じ、火焰を報身如来、自身を法身如来、火坑を応身如来として三身即一の仏身を現じ、三途の河を生死即涅槃の大海、死出の山を煩悩即菩提の重山とすることができるのである。

 

火焔は報身如来の智火・死人は法身如来・火坑は大慈悲為室の応身如来

 

死者を火葬する場合についての仰せである。悪業深重の人にとっては、死体を焼く焰は無間地獄の劫火となるが、法華経の正法を受持して成仏の因を作った人にとっては、報身如来の智慧と顕れるのである。

報身如来は智慧身ともいい、智慧はこの世界を明るく照らし出すゆえに火焔にたとえられる。ここから、死体が焼かれて発する焰を報身如来に配せられたのであろう。

法身如来は、生命自体をさす。ゆえに、死体の身体そのものを法身如来と配せられたのである。

応身如来は、衆生を救うために顕す姿、現ずる振る舞いをいう。その本質は慈悲であり、法師品には、忍辱の衣、一切法空の座に対し大慈悲を室と為すと記され、火葬場の坑が応身如来になると述べられたのである。

もとより、これは火葬に付する場合について言われたのであるが、火葬にしなければ三身如来の仏身とならないということではない。社会的慣習によって、火葬以外の様々な葬り方が行われるが、その場合も妙法を信受しぬいて亡くなった人の生命が三身如来となって成仏を遂げうることは、全く変わりないと拝すべきであろう。

 

つえは妙法実相のつえ、三途の愛河は生死即涅槃の大海・死出の山は煩悩即菩提の重山なり

 

妙法を受持して亡くなった人にとっては、諸法の実相たる妙法が死後の冥途の旅路を助けてくれる確かな杖となり、三途の河は三悪道へ向かう恐ろしい河ではなく、涅槃の境地の洋々たる大海となり、死出の山道は、菩提の楽しみを味わわせてくれる美しい景勝の山々となるということである。そこには、苦しみや恐怖、不安はなく、穏やかな大海を航海する楽しみにあふれていることであろう。

このように確信して、生涯、妙法の信心を貫いていくようにとの激励の御指導である。

 

提婆達多は阿鼻獄を寂光極楽とひらき、竜女が即身成仏もこれより外は候はず、逆即是順の法華経なればなり・これ妙の一字の功徳なり

 

提婆達多は釈尊に敵対し、五逆罪のうち、破和合僧、出仏身血、殺阿羅漢の三逆罪を犯し、生きながら無間地獄に堕ちたとされている。しかし、法華経提婆達多品では、この提婆達多も天王如来となって天道世界という仏国土に住するであろうと、成仏の授記がなされた。ゆえに、本抄では「阿鼻極を寂光極楽とひらき」と仰せられているのである。

竜女は畜生界の衆生であり、その生命は愚癡を本質とする。文殊師利菩薩の化導によって菩提心を起こし、法華経の会座に詣でて、その場で成仏の姿を示したのであった。ゆえに「竜女が即身成仏」といわれているのである。

提婆達多の生命は瞋恚であり、竜女は愚癡である。いずれも、成仏につながるとされた慈悲、智慧とは逆の生命であるが、そうした貪・瞋・癡の三毒を変じて薬となす力を法華経がもっていることを象徴化して、提婆・竜女の成仏が説かれたのである。

 

 

 第五章 (即身成仏の経証釈を示す)

本文

竜樹菩薩の云く「譬えば大薬師の能く毒を変じて薬と為すが如し」云云、妙楽大師云く「豈伽耶を離れて別に常寂を求めん寂光の外・別に娑婆有るに非ず」云云、又云く「実相は必ず諸法・諸法は必ず十如・十如は必ず十界・十界は必ず身土なり」云云、法華経に云く「諸法実相乃至・本末究竟等」云云、寿量品に云く「我実に成仏してより已来無量無辺なり」等云云、此の経文に我と申すは十界なり・十界本有の仏なれば浄土に住するなり、方便品に云く「是の法は法位に住して世間の相常住なり」云云、世間のならひとして三世常恒の相なれば・なげくべきにあらず・をどろくべきにあらず、相の一字は八相なり・八相も生死の二字をいでず、かくさとるを法華経の行者の即身成仏と申すなり、

 

現代語訳

竜樹菩薩は「譬えば大薬師が能く毒を変じて薬と為すようなものである」と述べ、妙楽大師は「伽耶城を離れて別に常寂光を求めてはいけない。寂光土の外に別に娑婆世界が有るのではない」とも、また「実相は必ず諸法であり、諸法は必ず十如である。十如は必ず十界であり、十界は必ず身土である」とも述べている。法華経方便品には「諸法実相乃至本末究竟等」と、また寿量品には「我れ実に成仏してより已来、無量無辺である」等とあります。

此の経文に我とあるのは十界のことです。十界は本有の仏であるから浄土に住するのです。法華経方便品には「是の法は法位に住して世間の相常住である」とあります。世間の習いとして三世常恒の相なのであるから嘆くべきでないし、驚くべきでもありません。

相の一字は八相であり、その八相も生死の二字を出ない。このように悟ることを法華経の行者の即身成仏というのです。

 

語釈

伽耶

釈尊成道の地。ガンジス河の支流である尼連禅河の岸辺に位置する。釈尊はこの河岸の菩提樹下に坐して開悟したので、仏陀伽耶と呼ぶ。しかし法華経如来寿量品第十六には「一切世間の天・人、及び阿修羅は、皆な今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して、阿耨多羅三藐三菩提を得たと謂えり。然るに善男子よ。我れは実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり」と説かれ、伽耶において成道したとされた始成正覚の迹の姿を払い、久遠実成の成道を明かした。ただしこの御抄では、常寂光土といっても他土に求めるべきでなく、現実の娑婆世界の中にあることをいわれている。

 

竜樹菩薩

付法蔵の第十四。仏滅後700年ごろ、南インドに出て、おおいに大乗の教義を弘めた大論師。梵名はナーガールジュナ(Nāgārjuna)。のちに出た天親菩薩と共に正法時代後半の正法護持者として名高い。はじめは小乗経を学んでいたが、のちヒマラヤ地方で一老比丘より大乗経典を授けられ、以後、大乗仏法の宣揚に尽くした。南インドの国王が外道を信じていたので、これを破折するために、赤幡を持って王宮の前を七年間往来した。ついに王がこれを知り、外道と討論させた。竜樹は、ことごとく外道を論破し、国王の敬信をうけ、大乗経をひろめた。著書に「十二門論」1巻、「十住毘婆沙論」17巻、「中観論」4巻等がある。

 

妙楽大師

(0711~0782)。中国・唐代の人。天台宗第九祖。天台大師より六世の法孫で、中興の祖としておおいに天台の協議を宣揚し、実践修行に尽くし、仏法を興隆した。常州晋陵県荊渓(江蘇省)の人。諱は湛然。姓は戚氏。家は代々儒教をもって立っていた。はじめ蘭陵の妙楽寺に住したことから妙楽大師と呼ばれ、また出身地の名により荊渓尊者ともいわれる。開元18年(0730)左渓玄朗について天台教学を学び、天宝7年(0748)38歳の時、宿願を達成して宜興乗楽寺で出家した。当時は禅・華厳・真言・法相などの各宗が盛んになり、天台宗は衰退していたが、妙楽大師は法華一乗真実の立場から各宗を論破し、天台大師の法華三大部の注釈書を著すなどおおいに天台学を宣揚した。天宝から大暦の間に、玄宗・粛宗・代宗から宮廷に呼ばれたが病と称して応ぜず、晩年は天台山国清寺に入り、仏隴(ぶつろう)道場で没した。著書には天台三大部の注釈として「法華玄義釈籖」10巻、「法華文句記」10巻、「止観輔行伝弘決」10巻、また「五百問論」3巻等多数ある。

 

十界

地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏界をいう。観心本尊抄には「或時は喜び或時は瞋り或時は平に或時は貪り現じ或時は癡現じ或時は諂曲なり」(0241-07)「四聖も又爾る可きか試みに道理を添加して万か一之を宣べん、所以に世間の無常は眼前に有り豈人界に二乗界無からんや、無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり、但仏界計り現じ難し九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ、法華経の文に人界を説いて云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」涅槃経に云く「大乗を学する者は肉眼有りと雖も名けて仏眼と為す」等云云、末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり」(0241:11)とある。

 

十界本有の仏

十界の衆生はもともと本有の仏であるということ。あらゆる衆生に、地獄界より仏界に至るまでの十界の生命活動が、無始以来、本然的にそなわっているゆえに仏界の生命も本然的にそなわっているのである。

 

八相

仏が衆生を救うため出現し、成道 を中心として、一生の間に示す八種の相。①下天、②託胎、③出胎、④出家、⑤降魔、⑥成道、⑦転法輪、⑧入涅槃。

 

講義

逆即是順――貪・瞋・癡の三毒強盛の衆生をも成仏せしめるところに、妙法の功力があることを裏づけて、まず竜樹の大智度論の言葉を挙げられている。この竜樹の言葉は、法華経の二乗作仏に関して述べられたものであるが、瞋恚の提婆、愚癡の竜女の成仏にも当然あてはまるので引かれたのである。

次の妙楽大師の法華文句記の言葉は、常寂光土といっても西方浄土のような他土に求めるべきものではなく、現実に我々が住しているこの娑婆世界にこそ求めるべきであるとの意である。伽耶とは、いうまでもなく、釈尊が成道した所であり、娑婆世界の中にある。この現実の世界を穢土として厭い、死後、西方浄土に往生しようとする念仏の考え方を打ち破り、現在の人生において、この娑婆世界で成仏するという法華経の真実の成仏観を浮き彫りにした言葉といえよう。

同じく妙楽大師の「実相は必ず諸法・諸法は必ず十如・十如は必ず十界・十界は必ず身土なり」との金剛錍の言葉は、十界の身土すなわち正報・依法は、すべて実相すなわち妙法蓮華経のあらわれであり、十界のいかなる衆生も、我が身が本来、妙法蓮華経の当体であることを覚るときに即身成仏することを示している。〝身土〟とあるように、その生命は仏身となり、その国土は寂光土となるのである。

これらの引用文の関係について、あえて考察すれば、竜樹の言葉は先の「竜女が即身成仏」に関連しており、妙楽大師の「豈伽耶を離れて……」の文は「提婆達多は阿鼻獄を寂光極楽とひらき」に関連している。

なぜなら竜樹の言葉は正報たる生命の変革を述べたものであるのに対し、妙楽大師の言は依報たる国土について述べているからである。しかして「実相は必ず諸法・諸法は必ず……身土なり」の文は、これら依報・正報を包括した全体の変革をあらわしているといえよう。

次の法華経方便品の「諸法実相乃至・本末究竟等」は、今の妙楽大師の「実相は必ず諸法・諸法は必ず十如……」の釈の立てられた根本を挙げられたのである。

 

寿量品に云く「我実に成仏してより已来無量無辺なり」等云云

 

この寿量品の文は、本来は、釈尊が久遠の昔に成仏したことを明かしたものである。しかし、ここで大聖人は「我と申すは十界なり」といわれ、十界のすべての衆生が本有の仏であるとの文として用いられている。

すなわち、十界のいかなる衆生も、もともと仏性を秘めているのであるが、その己心の仏性を知らないために、九界の迷いの世界を流転しているのである。己心の仏性を悟ったときに、本有の仏であることが明らかになるのである。本有の仏であるならば、十界のいかなる衆生も、その住する国土は、そのままで〝浄土〟となる。これを「十界本有の仏なれば浄土に住するなり」と仰せられたのである。

 

方便品に云く「是の法は法位に住して世間の相常住なり」云云

 

〝是の法〟とは無明の九界をさし、〝法位〟とは法性の真如の位を意味する。「是の法は法位に住して」とは、無明即法性、九界即仏界の謂である。九界即仏界であるがゆえに、〝世間の相〟すなわち六道・九界の世界が、即、本有常住の実相となるのである。

したがって、つぎに、生まれては死に、死んでは生まれる生死流転の姿も、それ自体が三世常恒の相であり、生命の実相にほかならない。

「相の一字は八相なり・八相も生死の二字をいでず」と仰せのように、仏の示される八相作仏も、所詮は生死の二法であり、仏も生死流転はまぬかれないということである。

ゆえに「世間のならひとして三世常恒の相なれば・なげくべきにあらず・をどろくべきにあらず」といわれ、上野殿の死に関しても、けっして嘆いたり驚いたりすべきではないと、仏法に対する透徹した信に立つよう、後家尼を御教示されているのである。

 

 

 第六章 (尼への弔意と勧誡)

本文

故聖霊は此の経の行者なれば即身成仏疑いなし、さのみなげき給うべからず、又なげき給うべきが凡夫のことわりなり、ただし聖人の上にも・これあるなり、釈迦仏・御入滅のとき諸大弟子等のさとりのなげき・凡夫のふるまひを示し給うか。

  いかにも・いかにも追善供養を心のをよぶほどはげみ給うべし、古徳のことばにも心地を九識にもち修行をば六識にせよと・をしへ給う・ことわりにもや候らん、此の文には日蓮が秘蔵の法門かきて候ぞ、秘しさせ給へ・秘しさせ給へ、あなかしこ・あなかしこ。

       七月十一日                       日蓮花押

     上野殿後家尼御前御返事

 

現代語訳

故聖霊は法華経の行者であったから即身成仏は疑いありません。だからさほどに嘆かれることはないのです。しかしまた嘆かれるのが凡夫の道理でありましょう。ただし聖人にもこれはあるのです。釈迦仏が御入滅されたときの、覚りを得ている諸大弟子等の嘆きは、凡夫の振る舞いを示されたものでありましょうか。

いかにも、いかにも追善供養を心の及ぶ限り励まれるがよいでしょう。古徳の言葉にも「心地は九識清浄心におき、修行をば六識にせよ」と教えていますが、いかにも道理です。この文には日蓮が秘蔵の法門を記しておきました。心して内密にされるがよい。あなかしこ、あなかしこ。

七月十一日            日 蓮  花 押

上野殿後家尼御前御返事

 

語釈

追善供養

死者の成仏を願って行う供養のこと。

 

心地

心を大地にたとえたもので、大地より五穀五果を生ずるように、衆生の心より善悪五趣を生ずるゆえに大地にたとえ心地という。

 

九識

物事を識別する九種の心の作用。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識に、第七の末那、第八の阿頼耶識、第九の阿摩羅識を加える。識は対象を認めてその異同を知る心の作用をさす。俱舎宗などでは六識を、法相宗では八識を立て、第八識を心王とする。天台宗ではさらにその奥底の第九識の阿摩羅識を清浄無染の根本識とし、第九識を心王とする。心王とは、心の作用を起こす本体をいい、この心王に対して心数は心にともなって起こってくる作用である。ここでは、九識の全体ではなく、第九識の阿摩羅識をさしている。

 

六識

物事を識別する九種の心の作用。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識のこと。

 

講義

夫に先立たれた後家尼へ心温まる弔慰を重ねて示され、亡夫の追善供養を心ゆくまで励むよう勧められながら、古徳の言葉を引用し、仏道修行の在り方を指導して結びとされている。

提婆や竜女をさえ成仏せしめるのが妙法の功力である。いわんや妙法を受持して生涯を全うした南条兵衛七郎が成仏していることは疑う余地もない。したがって、嘆く必要はないではないかと慰められている。とはいえ「又なげき給うべきが凡夫のことわりなり」と仰せられ、凡夫の身として、夫を亡くした尼御前の嘆く気持ちも無理はないと温かく抱きかかえられているのである。

そして「聖人の上にも・これあるなり」と、釈迦仏が入滅されたとき、すでに悟りの境地に達していた〝聖人〟である声聞の諸大弟子たちも嘆き悲しんだ例を挙げられ「凡夫のふるまひを示し給うか」と述べられている。大聖人の深い慈悲と、人間性あふれる御姿を拝することができる一節といえよう。

 

古徳のことばにも心地を九識にもち修行をば六識にせよと・をしへ給う

 

古徳がだれであるかは不明であるが、信心修行の在り方を示すために引用されている。

九識・六識は、天台宗などで立てた九識論で説く法門である。九識論は人間の意識作用を分析し、無意識層の奥にまで拡がる生命構造の重層性を明かしたものである。

六識は眼・耳・鼻・舌・身・意の六根に具わる識をいう。九識は根本浄識といい、八識までを心数というのに対し心王ともいう。

九識は生命の根本・根源に存する常住不変の真理であるゆえである。

日蓮大聖人は、「日女御前御返事」に「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり」(1244:09)と仰せられているように、「九識心王真如の都」は、この御本尊を信受する衆生の胸中の肉団に顕れる仏界を意味するのである。

したがって、「心地を九識にもち」とは、生命究極の根拠を「九識心王」に固定させること、つまり信の一念を妙法に決定されることである。

「修行をば六識にせよ」とは、外界に向かう六識の全機能を最高度に発揮して、自行化他にわたる精進に徹することである。すなわち、御本尊を眼に拝し、勤行唱題に励み、法門を聴聞し、常に仏法を思い現実の社会の中で実践につとめることである。

この六識による絶えざる実践によってのみ、九識心王の太陽を我が生命の都に輝かせ、一生成仏の大道を進むことができるのである。

最後に「此の文には日蓮が秘蔵の法門かきて候ぞ、秘しさせ給へ・秘しさせ給へ」と仰せられている。地獄といい仏といっても、我々凡夫の生命の中にあるとの教えは、当時一般に信じられていた仏教常識から隔絶した甚深の法理であった。ゆえに、無分別に他人に語ってはならないと戒められたのである。

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