四条金吾殿御返事(煩悩即菩提の事)
文永9年(ʼ72)5月2日 51歳 四条金吾
第一章 文底仏法を展開する
本文
日蓮が諸難について御とぶらい、今にはじめざる志、ありがたく候。
法華経の行者としてかかる大難にあい候は、くやしくおもい候わず。いかほど生をうけ死にあい候とも、これほどの果報の生死は候わじ。また三悪四趣にこそ候いつらめ。今は生死切断し、仏果をうべき身となれば、よろこばしく候。
天台・伝教等は、迹門の理の一念三千の法門を弘め給うすら、なお怨嫉の難にあい給いぬ。日本にしては、伝教より義真・円澄・慈覚等、相伝して弘め給う。第十八代の座主、慈慧大師なり。御弟子あまたあり。その中に檀那・恵心・僧賀・禅瑜等と申して四人まします。法門また二つに分かれたり。檀那僧正は教を伝う。恵心僧都は観をまなぶ。されば、教と観とは日月のごとし。教はあさく、観はふかし。されば、檀那の法門はひろくしてあさし。恵心の法門はせばくしてふかし。
今、日蓮が弘通する法門は、せばきようなれどもはなはだふかし。その故は、彼の天台・伝教等の弘むるところの法よりは一重立ち入りたる故なり。本門寿量品の三大事とはこれなり。南無妙法蓮華経の七字ばかりを修行すれば、せばきがごとし。されども、三世の諸仏の師範、十方薩埵の導師、一切衆生皆成仏道の指南にてましますなれば、ふかきなり。
現代語訳
日蓮があった種々の難について御見舞い下さり、前々より変わらないあなたの志、ありがたいことである。
法華経の行者として、このような大難にあったことは悔しくは思わない。どれほど多くこの世に生を受け、死に遭遇したとしても、これほどの果報の生死はないであろう。また、三悪道、四悪趣に堕ちたであろうこの身が、今は生死の苦縛を切断し、仏果を得べき身となったので大変悦ばしいことである。
天台・伝教等は、法華経迹門の理の一念三千の法門を弘められたことですら、なお怨嫉の難にあわれた。日本においては、伝教より義真・円澄・慈覚等が法を相伝して弘められた。第十八代の座主は慈慧大師である。御弟子は数多くいた。その中に、檀那・恵心・僧賀・禅瑜という四人の高弟がいた。
法門もまた二つに分かれていた。檀那僧正は教相の法門を伝え、恵心僧都は観心の法門を学んだ。一体、これらの二つの法門を較べると、教相と観心の法門とでは太陽と月のようなものである。教相は浅い法門であり、観心の法門は深い。それゆえ、檀那僧正の教相法門は広くて浅い。恵心僧都の観心法門は狭くて深いのである。
今、日蓮が弘通する法門は狭いようではあるが、実は甚だ深いのである。その理由は、彼の天台・伝教等の弘められた法門よりは、さらに一重立ち入っているからである。法華経の本門寿量品の三大事とはこのことなのである。
南無妙法蓮華経の七字ばかりを修行するのであるから狭いように思われる。しかしながら、南無妙法蓮華経は、三世の諸仏の師範であり、十方薩埵の導師であり、一切衆生が皆仏道を成ずるための指南であるから、最も深いのである。
語釈
果報の生死
しあわせではない生死流転のこと。
三悪
三悪道・三種の悪道のこと。地獄道・餓鬼道・畜生道をいう。三善道に対する語。三悪趣、三途ともいう。
四趣
四悪道のこと。悪行によって趣くべき四種の苦悩の境界。地獄・餓鬼・畜生・修羅界のこと。
生死切断
法華経を持つことにより、苦しみの流転を断ち切るということ。煩悩即菩提・生死即涅槃と転ずること。
仏果
成仏の果法・果位のこと。衆生が仏道修行をすることによって得る証果をいう。
天台
(0538~0597)。天台大師。中国天台宗の開祖。慧文・慧思よりの相承の関係から第三祖とすることもある。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。中国の陳代・隋代の人。荊州華容県(湖南省)に生まれる。天台山に住したので天台大師と呼ばれ、また隋の晋王より智者大師の号を与えられた。法華経の円理に基づき、一念三千・一心三観の法門を説き明かした像法時代の正師。五時八教の教判を立て南三北七の諸師を打ち破り信伏させた著書に「法華文句」十巻、「法華玄義」十巻、「摩訶止観」十巻等がある。
伝教
(0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。
迹門の理の一念三千
法華経迹門で、諸法実相・十如是、開示悟入の四仏知見が明かされて、開三顕一と悪人成仏・女人成仏が説かれたことにより、十界互具・百界千如が確立した。このことによって、一念三千の理論的な枠組みがほぼ整った。これを理の一念三千というが、ここではまだ迹門の法門であって、本門事の一念三千は大聖人を待たなければならなかったのである。
怨嫉の難
正法を弘めるものが、怨まれ妬まれたりして受ける難。
義真
(0781~0833)伝教大師の跡を継いで比叡山第一の座主となった。相模国(神奈川県)に生まれ、幼少の時から比叡山に登って伝教大師の教えを受けた。中国語が話せたので、伝教大師入唐にも通訳として随伴した。その際、唐の貞元20年12月7日、天台山国清寺で道邃和尚の円頓戒をうけ、竜興寺の順堯から灌頂を受けた。延暦24年(0805)伝教とともに帰朝し、弘仁13年(0822)5月15日、付嘱を受けて山務を総摂し、6月11日、大師滅後7日に迹門戒壇建立の勅許が下り、弘仁14年(0823)月14日、伝教大師が建立した根本中堂、すなわち一乗止観院に延暦寺の勅額をうけ、壇を築くとともに、自ら戒和尚となって円頓大戒を授けた、天長元年(0825)6月23日、比叡山第一の座主となり、天長4年(0828)勅を奉じて円頓戒壇を建立。天長5年(0829)に完成した。その他、叡山の諸堂宇を建立し、天台の宗風宣揚に努めた。天長10年(0833)7月4日、修禅院で53歳寂。著書には嵯峨天皇に奉った「天台宗義集」1巻・「雑疑問」1巻・「大師随身録」1巻等がある。日蓮大聖人は報恩抄に「義真・円澄は第一第二の座主なり第一の義真計り伝教大師ににたり、第二の円澄は半は伝教の御弟子・半は弘法の弟子なり」(0310:報恩抄:14)と申されている。
円澄
(0771~0836)。平安時代前期の天台宗比叡山延暦寺の第二代座主。俗姓は壬生氏。武蔵国埼玉郡の出身。
慈覚
(0794~0864)。比叡山延暦寺第三代座主。諱は円仁。慈覚は諡号。下野国(栃木県)都賀郡に生まれる。俗姓は壬生氏。15歳で比叡山に登り、伝教大師の弟子となった。勅を奉じて、仁明天皇の治世の承和5年(0838)入唐して梵書や天台・真言・禅等を修学し、同14年(0847)に帰国。仁寿4年(0854)、円澄の跡をうけ延暦寺第三代の座主となった。天台宗に真言密教を取り入れ、真言宗の依経である大日経・金剛頂経・蘇悉地経は法華経に対し所詮の理は同じであるが、事相の印と真言とにおいて勝れているとした。著書には「金剛頂経疏」7巻、「蘇悉地経略疏」7巻等がある。
慈慧大師
(0912~0985)。元三大師ともいう。諱は良源。姓は木津氏。叡山第十八代座主。延喜12年(0912)九月、近江国浅井に生まれ、12歳で叡山に登り、康保3年(0966)8月、55歳で天台座主となる。以後19年間、天台教学の復興をはかり、一山の経営にも才腕を振った。後進の育成にも力を注ぎ、その結果、檀那院覚運、恵心院源信、僧賀、禅瑜等の異材を多く輩出させた。寂年は永観3年(0985)正月3日。74歳であった。忌日の正月3日にちなんで、叡山横川の四季講堂で法要が営まれる。これを元三会といい、元三大師のいわれはここにある。元三会は室町時代に一時絶えたが江戸時代まで続いた。
檀那僧正
(0953~1007)。天台宗の檀那流を創した覚運のこと。京都に藤原貞雅の子として生まれ、池上の皇慶について受戒し、比叡山東塔南谷の檀那院に止住。天台の始覚教相の法門を伝えた学匠。慈慧の一門で、天台教学の双璧として恵心と並び称された。立正観抄送状(0534)に日蓮大聖人は「天台一宗に於て流流各別なりと雖も慧心・檀那の両流を出でず候なり(中略)両流の異義替れども共に本迹を出でず」と述べられている。行年55歳。
恵心
(0942~1017)。慈慧大師の弟子。恵心院源信と呼ばれた。天台宗恵心流の祖。大和国葛城郡に生まれ、9歳で比叡山に登り、13歳で得度し源信と名のった。以後、横川の恵心院に止住。四十四歳のときに著した往生要集は、後年、法然が浄土信仰に入る動機の書ともなっている。元来、恵心の本意は、爾前の念仏の利益と法華経の一念信解の功徳を較べて、一念信解のほうが念仏三昧より百万倍もすぐれると結論するためのものであったが、往生要集は、念仏臭が強かったのである。このことに気づいた恵心は、65歳のときに一乗要決を著わして、法華最勝の深義を論じている。以後、弟子の訓育と著述に努め、天台の観心の法門を宣揚した。行年76歳。
僧賀
(0917~1002)。慈慧大師の弟子。橘恒平の子として延喜17年(0917)京都に生れ、10歳で叡山に登る。本朝高僧伝によれば、一生を通じて名聞名利と戦い、みずぼらしい姿で修行したために、大衆から狂人の扱いを受けた。だが僧賀は、泰然自若として志を貫き、晩年には多くの人々の尊敬を集め、幾多、門弟を育成したと記されている。行年87歳。
禅瑜
慈慧の四高弟の一人。伝不詳。
本門寿量品の三大事
大聖人建立の三大秘法。本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇のこと。
三世の諸仏
過去・現在・未来の三世に出現する諸の仏。小乗教では過去荘厳劫の千仏・現在賢劫の千仏・未来星宿劫の千仏を挙げている。
十方薩埵
十方は、上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた十方のこと。全宇宙を意味する。薩埵は、菩提薩埵の略で、菩薩のこと。
講義
本抄は、文永9年(1272)5月2日、佐渡の一の谷で認められ、四条金吾に送られたお手紙である。「同生同名御書」で明らかなように、四月に四条金吾が大聖人をお訪ねし、鎌倉に帰ったあと、その訪問のお礼の意味をこめて送られたのであろう。
短い手紙であるが、大聖人が弘められる法門は、天台・伝教等の所弘の法より一重立ち入った深い法門であり、「本門寿量品の三大事」であること、この南無妙法蓮華経こそ一切仏法の極説中の極説であること、その大仏法の力用として境智冥合、煩悩即菩提・生死即涅槃の原理等が明かされている。
すなわち、このお手紙の底流にあるものは、末法全民衆救済の御本仏、久遠元初自受用報身如来としての、烈烈たる御確信である。いうまでもなく、そうした内証の法門の内容については、同じ年の2月、やはり四条金吾に託された開目抄に、縷々説かれているところではあるが、要中の要をとって、実に簡潔にその核心が、ここには示されているわけである。
この一事をみても、大聖人が、いかに四条金吾に令法久住のための期待をかけること大であったかが伺われる。四条金吾もまた、大聖人の発迹顕本の座たる竜口の法難にお伴し、さらに、佐渡御流罪中も、あるいは使いを大聖人のもとに送り、あるいは、自身、佐渡まで赴くなどして、身命を願みず、大聖人をお守りしたのである。
今は生死を切断し仏果をうべき身となればよろこばしく候
すでに、竜口の頸の座において、凡身の迹を払い、久遠元初の自受用身の本地をあらわされたことを示されている御文である。一応「仏果をうべき身」と、未来に託した形で表現されているが「よろこばしく候」との大歓喜の御心境のなかに、じつは、果として証得されているのである。
生死とは、六道と四聖と相対するときは、六道を輪廻することをもって、生死流転の内容とするが、ここは、仏果と九界とを相対されているのであるから、九界の迷いの境涯を流転することをもって、生死といわれたと考えてよい。
「開目抄」にいわく「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず・みん人いかに・をぢぬらむ」(0223:16)云云と。
周知のように、大聖人は、実際には竜口で頸をはねられてはいない。幕府の役人が、まさに斬ろうとした瞬間、皓々と光り輝く物体が空にあらわれて、斬ることができなかったのである。しかるに、なぜ「頚はねられぬ」といわれたか。九界の凡夫としての大聖人の御生命は、そこで終わり、末法御本仏、久遠元初自受用身としての新たなる生へと入られたからである。
32歳での立宗以来、この竜口の頸の座の50歳になられるまでの大聖人のお振る舞いは、法華経文上の地涌の菩薩の棟梁、上行菩薩としてのそれであった。したがって、法華経の予言のとおり、ありとあらゆる大難を受け、ついに竜口の頸の座となったのである。大聖人を頸の座にお据えしたことは、結果的には斬れなかったにせよ、衆生の側としては、大聖人を殺害したと同じである。
ゆえに、これをもって大聖人は、上行再誕として一切のなすべき使命は終わったとし、その垂迹の姿を捨てて、生死の苦縛を離れた自受用身の本地の振る舞いをもってあらわれる。これが、発迹顕本であり、ここでは婉曲に、このように表現されたのである。
教と観とは日月のごとし。教はあさく、観はふかし
仏法を学ぶのに二つの流儀がある。教、すなわち教相は、経文・論釈の文々句々に忠実に、客観的・科学的に、その実態を追究していく行き方である。したがって、これは論理的であり、帰納的である。それに対して、観心とは、直観的に悟達の境地を究めようとするもので、実践的であり、演繹的である。
仏は、自ら悟った法を衆生に説き示すのに、衆生の機根に応じ、当時の時代相にあわせて、教え方にも、さまざまの手段を用いる。その教えの表面にあらわれたすがたが「教相」である。悟った法自体は「心」であって、それを直接に観じようとするのが「観心」である。ゆえに、教相の面から追及するのと、観心の立ち場とは、その迫り方が全く逆になるわけである。
教相の方が、客観的であるから、大きく誤りを犯すことが少ないが、教相のみにかかわっていては、いつまで経っても、観心には達しえない恐れもある。教相も、掘り下げて、つきつめていけば、仏の悟りに迫ることはできるのであるが、その理論的な手段のみにとらわれていては、悟りそのものは得られない。なぜなら、悟りとは、理論から実践に飛び移ったところにあるからである。
逆に、観心に固執し、教相を軽んずる行き方は、思いがけない、大きな誤りを犯す恐れがある。経文の正しい指示に従わないが故に、仏の悟りとは全く違った方向に、ガムシャラに進んでしまう危険性があるからである。そうした「観心」の行き方をとって、大きく誤った例を、われわれは「経文は月をさす指にすぎない」として、我見に執し、独善におちいった禅宗に見ることができる。また、この文に仰せの恵心僧都源信も、一時、称名念仏を宣揚した誤りに走ったのであった。
教は浅くて、仏の悟りに達し得ないことが欠陥であり、観は深いが、視野が狭いので、方向を誤る危険が残るのである。
したがって、正しい仏道修行は、教観ともに兼備して、過つことなく、しかも、深く実践的に仏法の極理を体得していかなければならないであろう。
日蓮大聖人の仏法においても、これは同じことである。教相面から、正しい認識を得るための教学、観心面の深い体得をめざす行すなわち実践の両者が、車の両輪のごとく、鳥の双翼のように整い、相い助け合って、はじめて、仏法の真髄を得ることが可能となるのである。
本門寿量品の三大事
ここで仰せの本門寿量品とは、文底独一本門の意である。すなわち、そのゆえに、次下に「南無妙法蓮華経の七字ばかりを修行すれば」云云といわれているのである。もし、これを文上の寿量品とのみ取れば、次下の文との連係は、きわめて不明瞭となってしまうであろう。
元来、法華経の本門は、全体が、末法弘通の大仏法たる三大秘法の南無妙法蓮華経への序分であり、予言書となっている。迹門においては、舎利弗以下の声聞の弟子たち、提婆達多のごとき悪人、竜女以下の女性等々、釈迦仏有縁の人々が、次々と成仏得道していく。それに対して、本門では、在世の衆生が、本門の説法を聞いて得脱したということは、一つとして説かれていない。このことからも、本門の説法は、それ自体、釈迦在世の衆生のためではなく、また、釈迦の仏法のためでもない、滅後のため、なかんずく、釈迦の教法が力を失う末法という時に出現する、新たなる大仏法のための準備の書であることが知られるのである。
本門十四品の肝心たる寿量品も、その例外ではない。否、寿量品こそ、末法出現の法体を、もっとも核心に迫って描き出そうとしたものだったのである。したがって「本門寿量品の三大事」とは、寿量文底深秘の独一本門の三大秘法の異名にほかならないのである。
三世の諸仏の師範、十方薩埵の導師、一切衆生皆成仏道の指南にてましますなればふかきなり
南無妙法蓮華経は、成仏の究極の本種であり、一切の仏法の根源であることを宣言された御文である。
「三世の諸仏の師範」とは、過去・現在・未来の、一切の仏が手本とし規範としたものが南無妙法蓮華経であるということである。これは、時間に約して、無始の過去より無終の未来にいたる全てを含み、本果の仏界に即していわれているのである。いかなる時代に生まれようと、いかなる仏にあおうと、成仏の究極の法は南無妙法蓮華経以外にないことを知らねばならない。
「十方薩埵の導師」とは、東西南北上下等の一切の国土において、菩薩の修行の導師は、ただ南無妙法蓮華経以外にないということである。これは、空間に約して、全宇宙を包含する。薩埵すなわち、菩提薩埵とは、成仏得道を目指して修行する人で、その修行を正しく導くものは南無妙法蓮華経なのである。この大宇宙のいかなる世界、国土に生まれようと、正しい仏道修行の導師は、南無妙法蓮華経以外には断じてありえないのである。
「一切衆生皆成仏道の指南」とは、十界の一切衆生にとって、皆ひとしく成仏できるための指南は、南無妙法蓮華経の一法であるとの謂である。いかなる境涯にあろうと、あらゆる衆生が平等に救われ、成仏できるのがこの大仏法なのである。
このように、時間と空間の全てを包含し、しかも、民衆の生命的境涯の全てを総括して、ただ妙法のみが成仏すなわち絶対的幸福を得る唯一の法であることを示されているのである。三世と十方つまり時間と空間とで、物理的世界は一切含まれる。だが、同じ時間、空間の中にいても、生命的には、それぞれの境涯によって、住む世界は全く異なる。そこに「一切衆生」の一言によって、こうした生命的境涯の違いも、皆平等に包みこまれるのである。
短い、簡潔な表現をされているが、この南無妙法蓮華経こそ、究極の救済の法であることが、明快に説かれ、しかも全てを包含して余すところがない。なお〝師範〟〝導師〟〟〝指南〟と使い分けられている言葉にも、深い御配慮がうかがわれる。仏法を知らない衆生にとっては、何を目指すべきかの方向を指し示す〝指南〟が必要であり、現に仏道を求めて修行し前進している菩薩にとっては、その前進を正しく導く〝導師〟が必要である。すでに仏果を得た仏にとっては、妙法は仏としての範を示す〝師範〟である。
これを、われわれの実践に約するならば「一切衆生皆成仏道の指南」ということは、苦しみ、悩みに直面したときに、根本的解決は何に求めるべきかというと、御本尊に祈り、真剣に唱提に励むことである。「十方薩埵の導師」とは、広宣流布を目指し、民衆救済を目指す活動において、あくまで御本尊を根本の導師としていくことである。「三世の諸仏の師範」とは、御本尊を師範とし、正境として境智冥合したとき、わがこの生命は仏界に住し、仏身を成ずるということである。しかも、それは、いかなる時代であろうと、いかなる国土であろうと、いかなる境涯にあろうと、永遠に変わることのない不動の哲理であることを知らねばならない。
第二章 諸仏の智慧の当体を明かす
本文
経に云く「諸仏智慧・甚深無量」云云、此の経文に諸仏とは十方三世の一切の諸仏・真言宗の大日如来・浄土宗の阿弥陀・乃至諸宗・諸経の仏・菩薩・過去・未来・現在の総諸仏・現在の釈迦如来等を諸仏と説き挙げて次に智慧といへり、此の智慧とは・なにものぞ諸法実相・十如果成の法体なり、其の法体とは又なにものぞ南無妙法蓮華経是なり、釈に云く「実相の深理・本有の妙法蓮華経」といへり、其の諸法実相と云うも釈迦多宝の二仏とならうなり、諸法をば多宝に約し実相をば釈迦に約す、是れ又境智の二法なり多宝は境なり釈迦は智なり、境智而二にして・しかも境智不二の内証なり、此等はゆゆしき大事の法門なり煩悩即菩提・生死即涅槃と云うもこれなり、まさしく男女交会のとき南無妙法蓮華経と・となふるところを煩悩即菩提・生死即涅槃と云うなり、生死の当体不生不滅とさとるより外に生死即涅槃はなきなり、普賢経に云く「煩悩を断ぜず五欲を離れず諸根を浄むることを得て諸罪を滅除す」止観に云く「無明塵労は即是菩提生死は即涅槃なり」寿量品に云く「毎に自ら是の念を作す、何を以てか衆生をして無上道に入り、速に仏身を成就することを得せしめん」と方便品に云く「世間の相常住なり」等は此の意なるべし、此くの如く法体と云うも全く余には非ずただ南無妙法蓮華経の事なり、
現代語訳
法華経方便品第二にいわく「諸仏の智慧は甚深無量なり」と。この経文にある諸仏とは、十方三世の一切の諸仏のことであり、真言宗の大日如来、浄土宗の阿弥陀仏、ならびに諸宗および諸経の仏菩薩、過去・未来・現在の総諸仏、現在の釈迦如来等を諸仏の〝一言〟で説き挙げている。そして次に、智慧といっている。
この智慧とは何か。それは諸法実相、十如果成の法体である。ではその法体とは、また何か。南無妙法蓮華経がこれである。釈にはこれを指して「実相の深理・本有の妙法蓮華経」といっている。
その諸法実相というのも釈迦多宝の二仏であると相伝しているのである。諸法を多宝仏に約し、実相を釈迦仏に約す。これはまた境智の二法である。多宝仏は境であり、釈迦仏は智である。境と智とは二であってしかも不二であるというのが仏の内証である。これらは非常に大事な法門である。煩悩即菩提・生死即涅槃というのもこのことである。まさしく男女交会のときに南無妙法蓮華経と唱えるところを煩悩即菩提・生死即涅槃というのである。
生死の当体は不生不滅であると悟ることのほかに生死即涅槃はないのである。普賢菩薩行法経に「煩悩を断ぜず、五欲を離れず、諸根を浄めることができて諸罪を滅除する」とあり、摩訶止観の第一には「無明の塵労は即ち菩提であり、生死は即涅槃である」と説いている。
法華経の如来寿量品第十六には「毎に自ら是の念を起こす。どのようにして一切衆生を無上道に入らしめ速かに仏身を成就させることができるかと」と説き、同方便品第二には「世間の相は常住である」等と説いている。これが煩悩即菩提・生死即涅槃の意である。このように法体といっても、全く他のものではなく、ただ南無妙法蓮華経のことである。
語釈
諸仏智慧・甚深無量
方便品の文。「爾の時に世尊、三昧より安詳として起ちて、舎利弗に告げたまわく、諸仏の智慧は甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり。一切の声聞・辟支仏の知ること能わざる所なり」とある。「諸仏智慧甚深無量」とは、仏の実智を歎じている文。
大日如来
大日は梵語(mahāvairocana)遍照如来・光明遍照・遍一切処などと訳す。密教の教主・本尊。真言宗では、一切衆生を救済する如来の智慧を光にたとえ、それが地上の万物を照らす陽光に似るので、大日如来というとし、宇宙森羅万象の真理・法則を仏格化した法身仏で、すべて仏・菩薩を生み出す根本仏としている。大日如来には智法身の金剛界大日と理法身の胎蔵界大日の二尊がある。
阿弥陀
梵名をアミターバ(Amitābha)、あるいはアミターユス(Amitāyus)といい、どちらも阿弥陀と音写し、前者を無量光仏、後者を無量寿仏と訳す。仏説無量寿経によると、過去無数劫に世自在王仏の時、ある国王が無上道心を発し王位を捨てて出家し、法蔵比丘となり、仏のもとで修行をし後に阿弥陀仏となったという。
諸法実相・十如果成の法体
諸法実相とは、宇宙にあるありとあらゆる存在ならびに現象を諸法ととらえ、その諸法のありのままの姿、真実の相を実相という。十如果成は、三周の声聞が法華経の会座にいたり、はじめて仏果を開いたことをさす。
実相の深理・本有の妙法蓮華経
天台の言葉といわれている。方便品にいう諸法実相、その実相の本体は、本門に説く久遠以来本有である妙法蓮華経そのものであるということ。諸法実相抄にもこの文を引かれ「此の釈の意は実相の名言は迹門に主づけ本有の妙法蓮華経と云うは本門の上の法門なり」(1359:07)とある。
煩悩即菩提
九界即仏界の哲理。煩悩がなければ悟りはない。人生に悩みがあるがその悩みがなくなったところが菩提ではなく、悩みそのものが菩提である。止観には「無明塵労は即菩提・生死は即涅槃なり」とあり、生死即涅槃の同意語。
生死即涅槃
生死とは迷い、涅槃とは悟り。この二つは一体のものであって不二であることをいう。止観には「無明塵労は即菩提・生死は即涅槃なり」とあり、煩悩即菩提の同意語。
生死の当体不生不滅
生死生死を繰り返していく、その当体は生じたり滅したりするものではなく、不生不滅で本より常住の当体であるということ。生命それ自体の永遠性・普遍性をあらわす。
普賢経
曇摩蜜多訳。0441年までに完成。法華経の結経とされる。普賢菩薩を観ずる方法と、六根の罪を懺悔する方法などを述べたもの。観普賢菩薩行法経。普賢観経。
五欲
五根が五塵の境に対して起こす欲望である。すなわち色欲・声欲・香欲・味欲・触欲のこと。
無明塵労は即是れ菩提
摩訶止観第一上に「無明塵労即ち菩提なれば集として断ず可き無く……生死即ち涅槃なれば滅として証す可き無し」とある。無明とは迷いのこと、塵労とは煩悩のことで、無明も塵労も共に、妙法によってそのままの姿で菩提と開くことができることを明かした文である。御義口伝(0780)には「八万四千の天女とは八万四千の塵労門なり、是れ即ち煩悩即菩提生死即涅槃なり」(0780:第三八万四千天女の事:01)とある。
無上道
種脱相対して、無上道とは文底下種の妙法であり、無上のなかの無上である。御義口伝には「無上道とは南無妙法蓮華経是なり」(0749:第十三但惜無上道の事:02)「今日蓮等の類いの心は無上とは南無妙法蓮華経・無上の中の極無上なり」(0727:第五無上宝聚不求自得の事:05)等とある。
世間の相常住なり
法華経方便品第二の文で「是の法は法位に住して 世間の相は常住なり」とある。世間の相とは差別相のことで、さまざまに変化する現象をいう。生住異滅・有為転変の世界が、この妙法を根本とするとき、そのまま、常住の幸福境涯となるということ。「世間の相」とは煩悩・生死であり、「常住なり」とは菩提・涅槃の境地といってもよい。
講義
前章で「三世の諸仏の師範、十方薩埵の導師、一切衆生皆成仏道の指南にてまします」と仰せられたのを、さらに具体的に掘り下げて展開されている。
この章全体をあえて区分すると、まず、その諸仏智慧甚深無量ということについて、その智慧の当体が南無妙法蓮華経であることが明かされている。これは南無妙法蓮華経が「三世の諸仏の師範」であるということと対応する。
この諸仏の智慧とは、方便品において「諸法実相」と説くのであるが、諸法実相を分けて、諸法を多宝、実相を釈迦に約す。迹門では諸法実相の理であらわしたのが、本門では二仏並座の事としてあらわされるわけである。多宝は境、釈迦は智で、この境智が二にして不二であることをあらわしている。智慧とは、境と智が冥合するところにあるわけで、釈迦・多宝二仏並座の姿は、十方の菩薩の智慧を導く導師なのである。
縁覚以下の衆生に約するなら、二仏並座即境智冥合は、煩悩即菩提・生死即涅槃の原理を意味する。法華経本門の二仏並座の宝搭の儀式を実体としてあらわしたのが、南無妙法蓮華経の御本尊にほかならない。この御本尊を受持し、南無妙法蓮華経と唱えるとき、煩悩は煩悩のままに、生死は生死のままに、菩提・涅槃と開けて、絶対的幸福境涯に住することができるのである。
煩悩を断尽するのでなく、生死を厭離するのでなく、凡夫がその身そのままで仏界を開くことができるゆえに「一切衆生皆成仏道の指南」なのであり、あらゆる衆生が平等に救われることとなる。
諸仏の智慧は甚深無量なり
爾前権教においては、仏の功徳に満ちあふれた姿を宣揚するものが多い。それに対して法華経迹門では、仏の智慧を歎ずる。ここに応仏と真仏との違いがある。真仏は智慧を表とするのである。それに対し、応仏は、その荘厳華麗な三十二相八十種好の姿をもって衆生に憧憬の心を生ぜしめる。
これは、爾前権教にあらわれる仏が、たとえば西方十方億土の極楽世界の阿弥陀仏などのように、他土の仏であることと無関係ではない。この世界は穢土であり、いかんともしがたい苦悩の世界であって、仏は、この世界にあらわれることはない。衆生も、こうした世界で救われることはなくて、他土の仏に憧れ、救いを求めれば、来世には、その浄土へ生ずることができるのみである。仏にしてみれば苦悩の世界に入って、現実を変革し、民衆を救うわけではないから、智慧は必要としない。
ところが、法華経は、この世界において民衆を救うことを大前提とする。したがって、そこには、現実を支配する苦しみ、悩み、その由って来たる生命の汚濁と、どのように対決し、これを解決していくかが明らかにされなければならない。必然的に、法華経において、仏の最大条件は〝智慧〟となるのである。
しかしながら、この方便品の「諸仏の智慧」の文の主眼は〝諸仏〟にあるのではなく、〝智慧〟にある。諸仏の智慧、すなわち諸仏の悟りの究極の法、諸仏の師範とは、いったいいかなるものなのか。――これを明らかにすることこそ最大眼目である。つまり、この智慧とは、諸仏を仏たらしめた智慧、諸仏の仏としての活動を支える源泉であり、とりもなおさず「三世の諸仏の師範」にほかならないのである。
ゆえに、天台は法華文句に、この文を釈して「仏の実智の豎に如理の底に徹することを明す故に甚深と言い、横に法界の辺を窮む故に無量と言う」といったのである。如理とは真理であり、生命の究極の本質である。
「御義口伝」、涌出品一箇の大事にいわく「此の四菩薩は下方に住する故に釈に『法性之淵底玄宗之極地』と云えり、下方を以て住処とす下方とは真理なり、輔正記に云く『下方とは生公の云く住して理に在るなり』と云云、此の理の住処より顕れ出づるを事と云うなり」(0751:09)と。
ここにいう〝如理〟とは〝理〟〝真理〟と同義で、生命の根本の実体としての南無妙法蓮華経にほかならない。仏の智慧とは、万法の底にあるこの〝如理〟に徹したものであるがゆえに〝甚深〟と表現されたのである。「横に法界の辺を窮む」とは、宇宙の全体、生命のあらゆる境地を窮めつくした智慧である。すなわち、宇宙即我、我即宇宙の境涯ともいえる。これまた、宇宙それ自体が南無妙法蓮華経であり、この妙法を窮むるがゆえにその智慧は〝無量〟なのである。
いかなる時代のいかなる世界の仏にせよ、およそ、仏たるものは、全て、この妙法――南無妙法蓮華経を悟ってはじめて仏たりうる。これを知らなければ、等覚の位には到っても、妙覚の仏ではありえない。爾前権教では、一言で仏とはいっても、それぞれ異なった法を持ち、それぞれに異なった智慧をもつように説かれてきた。それを、この法華経方便品の文は、一切の諸仏に通ずる、仏としての資格の原点というべき〝智慧〟があることを明らかにしているのである。
その智慧の内容を方便品では〝諸法実相〟と明かすわけであるが、この諸法実相とは何かを辿っていったとき、日蓮大聖人は南無妙法蓮華経こそ、その永劫の実体であると結論されるのである。「釈に云く」の「実相の深理・本有の妙法蓮華経」は、天台の言葉であるが、迹門方便品にいう諸法実相の〝実相〟は、その本体は本門寿量品の〝本有の妙法蓮華経〟であるとの意である。〝本有の妙法蓮華経〟とは、その体、文底深秘の南無妙法蓮華経であるから、諸仏智慧とは諸法実相の法体であり、それが南無妙法蓮華経であるとの仰せを明確に裏付けているのである。
諸法実相と云うも釈迦・多宝の二仏とならうなり
迹門で諸法実相の理として説かれたものは、本門においては釈迦・多宝の二仏として実相にあらわされているのである。ここに、迹門は理を説いたのに対し、本門はそれを事によってあらわしていることが明白である。
次下の文に「諸法をば多宝に約し、実相をば釈迦に約す」とあるように、諸法・実相を仏身に約して示したのが、釈迦・多宝の二仏なのである。「諸法実相抄」を拝すると、諸法とは「下地獄より上仏界までの十界の依正の当体」(1358:01)とも「法界のすがた」また「万法の当体のすがた」(1359:04)等と説かれている。実相とは「実相と云うは妙法蓮華経の異名なり」(1359:03)である。
これは、多宝如来が何のために出現したかを経文によって見ると、明らかである。多宝の出現は、まず、迹門に焦点をおいてみれば、迹門における釈迦の所説を「皆是れ真実なり」と証明するためである。これを「証前の宝搭」という。すなわち、多宝の存在は、客観性を意味するのであり、釈迦の説を客観的に裏付ける意義をもつ。一方、諸法実相において、諸法とは前述のように「万法の当体のすがた」であり、客観的にあらわれた姿である。故に、多宝は〝諸法〟に対応する。
釈迦は説法する智慧の当体であり、その所説の極理である妙法蓮華経そのものをあらわす。ゆえに、釈迦は、諸法実相の〝実相〟に対応するのである。
また、以上のことから、多宝は境=客観性、釈迦は智=主観性となることも、明瞭に理解されよう。多宝の証明が終わって、宝搭の扉が開き、釈迦と多宝の二仏が並座する儀式は、本門の説法に入る序分であり、これを「起後の宝搭」という。この二仏並座は、境智冥合を意味し、すでに、境智冥合したところの奥にある法体、すなわち文底深沈の南無妙法蓮華経の根本義をここに示すのである。
この釈迦・多宝二仏並座に象徴される法華経本門の説法は弥勒等の菩薩を対告衆とする。したがって「是れ又境智の二法なり。多宝は境なり、釈迦は智なり。境智而二にして、しかも境智不二の内証なり」の段は、先の「十方薩埵の導師」という一文に対応する内容を持つと考えることができよう。
煩悩即菩提・生死即涅槃と云うもこれなり
煩悩即菩提とは、煩悩すなわち九界の生命に必然的に具って起こってくる悩みが、妙法に縁することによって、即、菩提となるということである。菩提とは、仏の正覚の智慧の意である。生死即涅槃とは、九界の生命の苦しみである生老病死の四苦が、妙法の力によって、即、不生不滅の法性を証験した解脱の境地に転ずることである。
本来、爾前権教においては、菩提の智火は煩悩の火を滅してはじめて得られるものであり、涅槃の大海には生死の苦海を逃れてはじめて入ることができると説かれてきた。しかるに、菩提は煩悩あっての菩提であり、涅槃は生死が即涅槃になるのだと説いたのが法華経の哲理なのである。
ところで、ここで問題は、なぜ諸法実相、また境智不二の法理が煩悩即菩提、生死即涅槃になるかということである。この点について明らかにしておきたい。
諸法実相とは、すでに述べたように「下地獄より上仏界までの十界の依正の当体」(1358:01))がそのまま妙法蓮華経の姿であるということである。すなわち、九界即仏界の法理をあらわす。ゆえに、九界の煩悩が即、仏界の菩提となるのである。また、九界の生死の境地が即、仏界の涅槃の境涯になるわけである。
次に、境智冥合の原理についてみると、これは、そこに、より実践的な要素を加味しなければならない。つまり、妙法の正境に縁したとき、自身の内なる妙法が境智冥合して開発し顕現して、わが身も妙法の当体となるのである。このゆえに、九界の身そのままで、内に妙法が開覚することにより、煩悩即菩提、生死即涅槃となるのである。
「男女交会のとき」とはいうまでもなく夫婦生活のことである。すなわち三界六道のありのままの姿であり、その煩悩・生死の姿そのままで、ただ南無妙法蓮華経と唱えるときに、煩悩は即、菩提と転換し、生死の苦しみは即、涅槃と開けることを教えられたものである。
次に引かれている普賢経の文、摩訶止観の文、また、寿量品、方便品の文も、みな、この衆生の煩悩が即、菩提となり、生死が即、涅槃となるとの原理の証明として示されているのである。したがって、真実の妙法、南無妙法蓮華経の大仏法は、九界の衆生が、そのありのままの生命活動を抑制したり歪曲したりすることは全く不必要であり、最も自然の姿で、日常活動のなかに実践し、しかも開覚していくことができることになる。先の章で述べられているように「一切衆生皆成仏道の指南」たる所以は、まさにここにある。
生死の当体不生不滅とさとるより外に生死即涅槃はなきなり
生死即涅槃といっても、生老病死の四苦そのものがなくなるわけではない。永遠の生命を覚知した仏といえども、生老病死の諸相を現ずるのが道理である。では、仏といっても九界さらには三界六道の迷いの衆生と変わるところがないのか。
否、である。生死は生命が本然の変化として現ずるもので、その生死を繰り返す当体としての生命そのものは、生ずるものでもなければ滅することもない、永遠不変の常住の実体である。その不生不滅の当体を覚知しているのが仏で、九界の衆生は、ただ現象のうえで生じたり死んだりする姿しか見ない。
これは、譬えていえば、目を開けて前方に何があるのかと見極め、今歩いている道がどこに通じていくかを知って進んでいくのが仏の境地である。それに対して、迷いの衆生は目を塞がれている状態である。一歩先がどうなっているかもわからず、したがって、今にも崖から落ちるのではないか、壁にぶつかるのではないか等と、不安に怯えながら進んでいくことになる。あるいは、また、明日を知って今日を生きるのと、明日を知るすべもなく、今日を生きるのとの違いともいえよう。
ともあれ「生死の当体不生不滅とさとる」か否かということは、わずかの違いといえばわずかである。だが、生きていくうえでの確信、英知、希望等々、その人の生命の状態は天地雲泥の違いがあるといわなければなるまい。
第三章 法華誹謗の業因を示す
本文
かかる・いみじく・たうとき法華経を過去にてひざのしたに・をきたてまつり或はあなづりくちひそみ、或は信じ奉らず、或は法華経の法門をならうて一人をも教化し法命をつぐ人を悪心をもつて・とによせ・かくによせ・おこづきわらひ、或は後生のつとめなれども先今生かなひがたければ・しばらく・さしをけなんどと無量にいひうとめ謗ぜしによつて今生に日蓮種種の大難にあうなり。
諸経の頂上たる御経をひきくをき奉る故によりて現世に又人にさげられ用いられざるなり、譬喩品に「人にしたしみつくとも人心にいれて不便とおもふべからず」と説きたり、
現代語訳
このような非常に尊い法華経を過去において、膝の下に置いたり、あるいはあなどり、苦々しげに口をゆがめ、あるいはこの経を信じなかった。あるいは法華経の法門を習い一人の人でも教化して、法の命を継ごうとする人を、悪心をもって何かにつけて愚弄し嘲笑したりした。あるいは後生の大事なつとめではあるけれども、まず今生は叶いがたいので、しばらく止めておけなどと際限のないほど忌み嫌った。このように法華経を謗じたことによって、今生において日蓮は種々の大難にあうのである。
諸経の頂上である法華経を低く置いた罪で、現世において、人に卑しめられ用いられないのである。法華経譬喩品第三に「人に親しみ近づいても、その人は心にかけて不便に思ってくれないであろう」と説かれている。
語釈
くちひそみ
正法を持つ者に対して、顔をしかめたり、眉をひそめたりすること。
教化
教導・化益すること。衆生を教え導き、衆生に利益を与えること。開化・施化と同義。
法命
① 仏法の命脈。仏法の伝統。②僧侶の寿命 。③「慧命 。
おこづきわらひ
「おこづき」は調子にのっておどけること、ばかにすることで、「痴付き」「烏滸付き」とも書く。「わらひ」は、この場合、嘲笑すること。
譬喩品に「人にしたしみつくとも……」
これは、法華経譬喩品第三の「貧窮下賤にして 人の使う所と為り 多病痟痩にして 依怙する所無く 人に親附すと雖も人は意に在かじ」を取意して、わかりやすく示されたものである。
講義
日蓮大聖人が今生に、妙法流布の戦いにあたって、このように種々の大難にあっているのは、過去に、この偉大な妙法を誹謗し、この妙法の持者を馬鹿にした報いであると述べられている段である。
末法の御本仏であり、久遠元初の自受用報身如来である大聖人が、なぜ自らの過去をこのようにいわれたのか。いうまでもなく、これは、示同凡夫のお立ち場である。末法の三毒強盛の衆生に対しては、釈迦仏法のように、三十二相八十種好の荘厳な姿で、大衆とは別の次元に居て、それで衆生を教化することはできない。自らも、人々と同じであることを示し、大衆の中に入って、その平等の立ち場の上で、法を説くときにはじめて目覚めさせていくことができるのである。
もし、仏が一般衆生とは違った、特別な姿であったら、衆生は「仏とは我々と違うものであり、自分たちはとうてい仏になぞなれない」としか思えないであろう。仏の教化の目的は、仏を特別な存在として、これに憧れさせることや、畏敬の心をもって従わせることにあるのではない。寿量品にあるように「いかにして衆生をして……仏身を成就することを得せしめる」かが目的であり、課題なのである。それには、衆生が、自分たちも仏になれるのだという気持ちをもたなければならない。ゆえに、仏は、凡夫と同じ姿を示してあらわれるのである。
いま一つ、この文によって示されていることの大事な点は、仏法の因果の理法の厳しさである。爾前権教では、たとえば心地観経に「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ」と説き、今生において受ける、さまざまの苦しみには、それぞれ過去の悪業が原因していると説く。今生に貧乏するのは、過去の盗みの報いである等々である。
これに対して、大聖人がここに示されているのは、全て、過去に妙法を誹謗した等の悪業の報いということである。それは、大聖人が今生においてあらわれている難は、全て妙法を受持し弘めるために起こったもので、「世間の失は一分もない」ということと対応する。法華経のゆえに苦しみにあうのは、法華経ないし法華経の行者を過去に誹謗したという悪業があるからである。
ところで、このように、御自身の立場では「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ」の原理で、現在の姿を基準に過去を論じられているのであるが、この御文を、大聖人を迫害している民衆、権力者の立場に約すと、そのまま、未来への厳しい警告を秘めていることが理解される。すなわち「未来の果を知らんと欲せば其の現在の果を見よ」で、いま、大聖人を軽蔑し、憎み、いじめている人々は、必ず未来において、種々の苦悩を受けることをまぬかれないのである。そうした全衆生に対する警告の意味も、この御文は包含していることを忘れてはなるまい。
第四章 金吾夫妻の信心を激励する
本文
然るに貴辺法華経の行者となり結句大難にもあひ日蓮をもたすけ給う事、法師品の文に「遣化四衆・比丘比丘尼優婆塞優婆夷」と説き給ふ此の中の優婆塞とは貴辺の事にあらずんば・たれをかささむ、すでに法を聞いて信受して逆はざればなり不思議や不思議や、若し然らば日蓮・法華経の法師なる事疑なきか、則ち如来使にもにたるらん行如来事をも行ずるになりなん。
多宝塔中にして二仏並坐の時・上行菩薩に譲り給いし題目の五字を日蓮粗ひろめ申すなり、此れ即ち上行菩薩の御使いか、貴辺又日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ是れ豈流通にあらずや、法華経の信心を・とをし給へ・火をきるに・やすみぬれば火をえず、強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾・四条金吾と鎌倉中の上下万人乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ、あしき名さへ流す況やよき名をや何に況や法華経ゆへの名をや、女房にも此の由を云ひふくめて日月・両眼・さうのつばさと調ひ給へ、日月あらば冥途あるべきや両眼あらば三仏の顔貌拝見疑なし、さうのつばさあらば寂光の宝刹へ飛ばん事・須臾刹那なるべし、委しくは又又申べく候、恐惶謹言。
五月二日 日蓮花押
四条金吾殿御返事
現代語訳
ところがあなたは、法華経の行者となり、ついには大難にもあい、日蓮をも助けて下さった。法華経法師品第十の文に「化の四衆、すなわち比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷を遣わして」と説かれているが、このなかの優婆塞とは、あなたのことでなければ、誰のことをさすのであろうか。なぜなら、あなたは、すでに法華経を聞いて信受し、違背するところがないからである。大変不思議なことである。
もしあなたが法師品の優婆塞であるならば、日蓮は法華経の法師であることは疑いないといえまいか。経文に説かれる「則ち如来の使」にも似た資格をもち、その行動は「行如来事」を行じていることになるであろう。
多宝塔中で、釈迦・多宝の二仏が並坐した時、上行菩薩に譲られた題目の五字を、日蓮は粗弘めたのである。このことはすなわち、日蓮は上行菩薩の御使いといえるのではないか。あなたもまた、日蓮に従い、法華経の行者として諸人にこの法を話されている。これこそ法華経流通の義ではないか。
法華経の信心を貫き通しなさい。火打ち石で火をつけるのに、途中で休んでしまえば火を得られない。強盛な大信力を出して、法華宗の四条金吾、四条金吾と鎌倉中の上下万人および日本国の一切衆生の口にうたわれていきなさい。
人は悪名でさえ流すものだ。まして善き名を流すのは当然である。ましてや法華経のゆえの名においてはいうまでもない。
夫人にもこのことをいいふくめて、日月、両眼、双の翼のように、二人がしっかり力を合わせていきなさい。日月が共にあるならば、冥途の闇のあるはずはない。両眼があれば、釈迦、多宝、十方分身の三仏の御顔を拝見できることは疑いない。双の翼があれば、寂光の宝刹へ飛ぶこともほんの瞬間である。委しくは、またまた申し上げる。恐惶謹言。
五月二日 日 蓮 花 押
四条金吾殿御返事
語釈
遣化四衆・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷
法華経法師品第十にあり、仏は比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の四衆を遣わして法師を供養せしめ、法を弘通せしめるとある。法師品の長行には「薬王よ。我れは余国に於いて、化人を遣わして、其れが為めに聴法の衆を集め、亦た化の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を遣わして、其の説法を聴かしめん」とあり、同じく法師品の偈には、「我れは化の四衆、比丘比丘尼、及び清信士女を遣わして、法師を供養せしめ、諸の衆生を引導して、之れを集めて法を聴かしめん」とある。この〝清信士〟が優婆塞になり、〝清信女〟が優婆夷にあたる。比丘、比丘尼は出家の僧と尼。優婆塞、優婆夷は在家の男女の信者。
行如来事
如来の振舞を行ずるということ。
上行菩薩
法華経従地涌出品第15で、大地から涌出した地涌の菩薩の上首。釈尊は法華経如来寿量品第16の説法の後に、法華経如来神力品第21で滅後末法のため、上行菩薩に法華経を付嘱したことをいう。上行菩薩の本地は久遠元初の自受用法身如来である。
流通
承通分のこと。その内容的な意義について分析する場合、大きく序分・正宗分・流通分の三段に分ける。序分とは、中心眼目をあらわすための前置き、準備段階、正宗分とは、正論、中心眼目となる部分、流通分とは、正宗分に説かれた哲理・法理を、時機にしたがって応用し、流れかよわしめること。
冥途
冥土とも書く。亡者が迷っていく道、死後の世界。主として地獄、餓鬼、畜生の三途をさす。冥界、幽途、黄泉、冥府などともいう。その暗さは闇夜のようなものであり、前後左右が明らかでないという。
三仏
①法身仏・報身仏・応身仏のこと。爾前の諸経では三仏が別々に説かれる。(蔵教の仏は、初地以前の凡夫二乗に対して応現する列応仏で、八相成道の仏、一丈六尺の仏身、老比丘の相をしている。通教の仏は、初地以上の菩薩に対して応現する勝応身の仏、他受用身ともいう。別教の仏は蓮華蔵世界七宝菩提樹の下大宝華王座に座し、円満の報身仏)法華経迹門では方便品第二の十如実相に約して、三身即一身の仏が説かれる。ここではまだ三身常住は説き明かされず、法華本門に至って、初めて久遠五百塵点劫以来の三身常住の仏が説き明かされた。この寿量品の仏といえども、五百塵点劫という過去の限界がある。文底独一本門の仏は、久遠元初自受用無作三身如来である。②釈迦仏・他方仏・十方分身の仏のこと。
寂光の宝刹
仏の住する世界のこと。
須臾刹那
須臾も刹那もともに瞬間のこと。
講義
四条金吾の一層の信心の自覚と成長を、さまざまな角度から、懇切に指導し、激励されている。まず、大聖人との関係について焦点をあてて述べられ、次に、社会との関係、最後に夫妻の関係に言及して、信心実践のあり方を示されるのである。
大聖人との関係は、いうまでもなく、信仰の根本の拠りどころの問題である。大聖人が入滅されて久しい今日といえども、さらに万年尽未来の先までも、御本尊と自分、大聖人のお教えと自分の人生という問題として、仏法を信じ実践する者にとって、中核の問題である。
対社会の問題は、ここでは「鎌倉中の上下万人、乃至日本国の一切衆生」といわれているが、対地域社会ともいえるし、対職場社会、対専門分野等々ともいえよう。ともあれ、現に自分が生き、活動しているその社会で、法華経ゆえの名を流していきなさいとの仰せである。もとより、それは、当初は悪口憎言であるかも知れない。だが、真にその社会にあって、人間として立派に生き、妙法の哲理を実証し、人々を救いきっていくなら、必ずやそれは称賛の言葉となることは疑いない。「うたはれ給へ」とは、悪い名としてではなく、妙法ゆえの最高に善き名として、人々の口に伝えられていくことを、このようにいわれているのである。
さて、このように、大聖人につききっていくためにも、また、社会の中で活躍していくためにも、大切なのは、家庭の中の支えであり、とくに夫妻が心を一つにしていくことである。家庭は人間として生きていくための最も現実的な、物心両面にわたる支えであり、原動力である。夫妻が、同じ目的に向かい、同じ自覚に立って支え合い、励まし合っていかなければ、仏法を求めていくといい、社会に活躍していくといっても、やがては破綻し崩れてしまうものである。これは、卑近ではあるが、それだけ重要な問題である。身近なことが、人間の心を直接的に支配するからである。
法師品の文に「遣化四衆・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷」について
四条金吾は、常に大聖人の御身を心配し、はるばる佐渡の地へも自ら赴いたり、あるいは使いを出して、種々の物を御供養申し上げている。また、大聖人もおられず、おもだった出家の弟子たちも牢につながれたり、追放されたりしている鎌倉にあって、四条金吾は鎌倉在住の信徒の文字通りの中心者であった。多くの人に仏法を聴かしめていたであろう。
このように法師品の文の示すところが、そっくり今の四条金吾の実践に合致するがゆえに、この法師品の優婆塞とは、四条金吾のことでなくて誰をさすだろうかといわれたのである。
いうまでもなく〝法師〟とは日蓮大聖人である。南無妙法蓮華経の大法の師であり、人法一箇の仏である。四条金吾の大聖人に対する関係は、今にはじまった偶然的なものではなく、法華経の法師品に明確に説かれている、深い因縁のものであり、ひいては久遠の契りなのだという意義をこめて示された御文であろう。
この「優婆塞」の自覚は、ひとり四条金吾に限るものではなく、末法万年尽未来にわたる、妙法の信徒の自覚でなければならないことは、いうまでもない。と同時に、我々は、この経の文から〝よき信者〟としての基本条件をしっかり胸におさめていかなければなるまい。
すなわち「法師を供養せしめ」とは、唯一の令法久住かつ広宣流布の団体、現今の僧宝である創価学会を厳然と守り、その発展に寄与することであり、個人の生活に約していえば、日々、御本尊に給仕し、勤行をすることともいえよう。「諸の衆生を引導して、之れを集めて法を聴かしめん」とは、民衆の中にあって、庶民の指導者として依怙依託となり、さらに妙法を聴かしめ、妙法に結縁せしめることである。
「則如来使」にもにたるらん、「行如来事」をも行ずるになりなん
法華経の法師品第十に「我が滅度の後、能く竊かに一人の為めにも、法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし、是の人は則ち如来の使にして、如来に遣わされて、如来の事を行ず」とある。
ここで「法華経の乃至一句」とは、七文字の法華経たる南無妙法蓮華経に他ならない。一往、外用の辺においていうならば、大聖人は、上行菩薩として釈迦より付嘱を受けて、末法に南無妙法蓮華経の法を説かれるのである。この上行菩薩としての立ち場が「如来の使」「如来の所遣」ということになる。
「使い」「所遣」とは、その使いを出した当人に代わって、それと同じ権利を行使するものである。一国の大使や公使、あるいは特使は、自国政府ならびに国民に代わって、その国家意思を代弁して交渉ないし契約するのである。「如来の使」「如来の所遣」ということも、これと同じことである。「如来の使」であるということは、即「如来の事」を行ずるのである。
この文において、大聖人は「如来の使遣として如来の事を行ずる」ということを通し、御自身が、一往外用の辺では「如来の使」たる上行菩薩であることを示されるとともに、再往内証(さいおうないしょう)の辺では、末法の世における如来そのもの、すなわち、末法救済の仏としての自覚を述べられていると拝すべきであろう。
是れ豈流通にあらずや
仏法において大事なのは、いかに法を民衆の間に流通するか、また後の時代にまで令法久住せしめるか、である。釈迦の場合、法華経の文々句々、さらには一代の経々の全てが、ある意味では滅後の流通のためであったといえる。ゆえに、滅後の弘通を誰がするかというとき、釈迦は、弥勒・文殊等の迹化の菩薩を斥けて、本化地涌の菩薩にはじめて法を付嘱したのである。
大聖人の場合も、幕府権力の弾圧による激動の戦いの中に、民衆の間に妙法を説き、幾多の著作を通して後世のために理念を遺し、さらに、門下の育成に全魂を傾注されたのである。ゆえに、この文の上の文に「貴辺又日蓮にしたがひて法華経の行者として諸人にかたり給ふ」とあるように、この仏法を流通することの尊さを強調されているのである。
いかなる時代にあっても、妙法を受持した者として絶対に忘れてならないことは、この清浄無垢の法水を、いかに民衆の間に、後世のために流通せしめるかということである。したがって、法水を正しく流通することは、仏の弟子として、最も尊く、誇りある任務であり、逆に、法水の流れを滞らせたり、濁らせることは、最も罪深い行為と知らなければならないであろう。
強盛の大信力をいだして法華宗の四条金吾、四条金吾と鎌倉中の上下万人、乃至日本国の一切衆生の口にうたはれ給へ
妙法を受持した人は、現実の社会にあっても、最高に人から讃嘆され、慕われる、人生の勝利者でなくてはならないとの御文である。またそうした現実社会での、人間としての勝利の実証を示すことが、妙法の正しい実践の姿であるとの御文と拝すべきである。
法華経の信仰は、現実の社会で人間として生きていくさまざまの営為と離れたところにあるのではない。正しい信仰は正しい人間としての姿の中にあらわれる。信仰は即生活とあらわれ、生活の根底に信仰があるのである。信仰は立派であるが、人間としては感心しないというのは、その信仰自体が歪んでいることを知らねばならない。逆に、人間としていかに立派に、正しく生きていこうとしても、根底に正しい信仰がなければ、それは、必ず挫折してしまうものである。
信仰は一切の根底であり、人格の骨格であり土台である。だが、表面にあらわれてくるものは、人間としてのあり方、人格であって、骨格や土台は、表からは見えない。ただし、見えないけれども、それが、どれだけしっかりしているかによって、一切が決まってくるを知らなければならない。
女房にも此の由を云ひふくめて、日月・両眼・さうのつばさと調ひ給へ
夫婦がそろって、信仰に生きぬくことの大切さを述べられた御文である。およそ、家庭は、人間にとって、生活の基盤であり、社会に活躍していくうえでも重要な足場である。
すでに述べたように、真実の仏法の実践は、現実の生活、人生を離れたところにあるのではない。いかにして、自分自身を変革し、自己の家庭を向上させ、ひいては、この社会を変革していくかが大事である。その現実との対決を忘れては仏法はないといっても過言ではなかろう。
そうした、きわめて現実的な人間性の絆と、死後永劫の幸福、寂光の宝刹あるいは三仏の顔貌拝見という、高邁な理想とのギャップをどう考えるか。――この現実と理想を一体として示されたのが、この御文ともいえよう。いいかえると、この現実を背負い、この現実を変革しない限り、死後永遠の幸福、成仏の理想境涯ということも叶わないということである。否、この御文は、それをさらに進めて、重荷であり、煩悩の種であり、絆であった夫婦であったとしても、実は死後の暗黒を照らす日月であり、三仏の顔貌を拝見する両眼であり、寂光の宝刹へ須臾に飛ぶための翼であると明かされているのである。
このことは、夫婦という問題のみに限ることではない。現実社会の中で自分が負っていかねばならない種々の責任――職業や公的役目等々、あるいは自己の人間的な特質などについてもいえる。それらのものを、妙法のために生かし、人々の幸福と社会の繁栄のために最大に価値を発揮させていったとき、すべての煩悩は、即、菩提となり、一つ一つの苦労や努力が、永遠に崩れない福運の根源となっていくのである。
「日月あらば」以下の文は、死後の世界に約しての仰せであるが、現実のこの人生についても、そのまま当てはまる。「日月あらば冥途あるべきや」とは、日々の生活を最高に希望をもち、確信をもって、乱舞しながら前進していけるということである。「両眼あらば三仏の顔貌拝見疑なし」とは、最高に英知を発揮し、歓喜しながら、一日一日を生きていけるということである。「寂光の宝刹へ飛ばん事・須臾刹那なるべし」とは、生活革命し、その住する境遇の一切が功徳に満ちあふれた幸せの境涯になるということといえよう。