女房の御参詣こそ、ゆめともうつつとも、ありがたく候いしか。心ざしいちのはせ申す。当時の御いも、ふゆのたこうなのごとし、あになつのゆきにことならん。
舂き麦一俵・芋一籠・笋二丸、給び畢わんぬ。
五月二十八日
現代語訳
女房殿の御参詣は、夢とも現とも判じがたいほどありがたく、うれしいことでありました。御志は、実に手あつく、真心のこもったものです。今の時期のお芋ほどめずらしく、冬の筍のようであり、それは、まさに夏の雪にも異ならず珍しいものです。
舂麦一俵・芋一篭・筍二本いただきました。
五月廿八日
語釈
いちのはせ
第一の御馳走。
いも
里芋のこと。
かたうな
タケノコのこと。
舂麦
大麦を臼でつき、平たくしたもの。
講義
本抄は、宛名も、年号もないため、女房とは誰人の女房のことであるか不明である「女房の御参詣」とあるが、女房自身に与えられたものと思われるし、女房の参詣についてその夫に対する御礼とも考えられる。「心ざしいちのはせ申す」とあるように、真心こめて大聖人への信心がうかがわれるところから、信心強盛であったにちがいない。
女房の御参詣を「ゆめとも・うつつとも・ありがたく候いしか」とあり、さらに春麦とか芋とか筍という御供養の品からみても、遠方の人ではないようである。
年号もはっきりしないが、女房の御参詣ということからも、身延時代であることはまず間違いない。旧暦の5月末に届いたということは、今の6月末か7月初めであるから、里芋の出る時期としてはまことに珍しいことで、ことのほか大聖人のお喜びが推察される。
当時の大聖人への御供養は、遠く離れた鎌倉からの信者からは、金銭が多く、身延の山での生活を直接支える食物の御供養は、身延周辺ないし駿河にいた信者を中心にするものが多かった。
いずれにしても、この女房の参詣と供養を、大聖人は、とくに喜ばれ、深くその信心の真心をたたえておられるのである。供養の御心にことよせて、その信心を愛でられていると拝すべきであろう。