十八円満抄 第十一章(末法における正行と助行を明かす)
所詮末法に入つて天真独朗の法門無益なり助行には用ゆべきなり正行には唯南無妙法蓮華経なり、伝教大師云く「天台大師は釈迦に信順して法華宗を助けて震旦に敷揚し叡山の一家は天台に相承して法華宗を助けて日本に弘通す」今日蓮は塔中相承の南無妙法蓮華経の七字を末法の時・日本国に弘通す是れ豈時国相応の仏法に非ずや、末法に入つて天真独朗の法を弘めて正行と為さん者は必ず無間大城に墜ちんこと疑無し、貴辺年来の権宗を捨てて日蓮が弟子と成り給う真実・時国相応の智人なり総じて予が弟子等は我が如く正理を修行し給え智者・学匠の身と為りても地獄に墜ちて何の詮か有るべき所詮時時念念に南無妙法蓮華経と唱うべし。
現代語訳
所詮、末法に入ったならば、天真独朗の法門は無益であり、ただ助行に用いるだけであって、正行にはただ南無妙法蓮華経を用いるべきである。伝教大師は法華秀句巻下で「天台大師は釈迦に信順して法華宗を助けて中国に弘め、比叡山のわが天台宗は天台大師に相承して法華宗を助けて日本に弘通している」と述べている。
いま日蓮は塔中相承の南無妙法蓮華経の七字を末法の時代に日本に弘通している。これこそ時と国とに相応した仏法ではないか。末法に入って天真独朗の法を弘めて正行とする者は必ず無間大城に墜ちることは疑いない。
貴辺はこれまでの権宗を捨てて日蓮が弟子となられたことは真実の時国相応の智人である。総じて日蓮の弟子等は日蓮と同じく正理を修行すべきである。たとえ智者・学匠の身となっても、地獄に墜ちては何の役にもたたない。所詮、時々・念々に南無妙法蓮華経と唱えるべきである。
語句の解説
助行
仏道修行において中核となる行(正行)を補助する修行。創価学会では、毎日の朝夕の勤行で、唱題と法華経の読誦を行う。南無妙法蓮華経と唱える唱題が正行で、南無妙法蓮華経の意義を賛嘆するために法華経の要諦(方便品の長行と如来寿量品の自我偈)を読誦するのは助行である。
正行
❶人として正しい行動。八正道(仏道修行者として実践・習得すべき八つの徳目)の一つにも数えられる。❷仏道修行において中核となるもの。助行に対する語。創価学会では、毎日の朝夕の勤行で唱題と法華経の読誦を行う。南無妙法蓮華経と唱える唱題が正行で、南無妙法蓮華経の意義を賛嘆するために法華経の要諦(方便品の長行と如来寿量品の自我偈)を読誦するのは助行である。❸中国浄土教の祖師・善導による修行の立て分けで、正しく行うべき修行としての称名念仏。善導は『観無量寿経疏』で、称名念仏だけを正しく行うべき修行とし、他のすべての修行を雑行と位置づけた。
信順
信じ従うこと。
震旦
一説には、中国の秦朝の威勢が外国にまでひびいたので、その名がインドに伝わり、チーナ・スターナ(Cīnasthāna、秦の土地の意)と呼んだのに由来するとされ、この音写が「支那」であるという。また、玄奘の大唐西域記には「日は東隅に出ず、その色は丹のごとし、ゆえに震丹という」とある。震旦の旦は明け方の意で、震丹の丹は赤色のこと。インドから見れば中国は「日出ずる処」の地である。
敷揚
仏法を普く敷き及ぼすこと。
叡山の一家
日本天台宗のこと。
塔中相承
法華経見宝塔品第11であらわれた多宝塔の中において、釈尊が滅後末法における法華経流通を上行等の四菩薩に妙法蓮華経を付嘱したこと。
時国相応の仏法
宗教の五綱にかなった仏法。この文では「時」「国」を強調されている。
無間大城
無間地獄のこと。八大地獄の一つ。間断なく苦しみを受けるので無間といい、周囲に七重の鉄城があるので大城という。五逆罪の一つでも犯す者と正法誹謗の者とがこの地獄に堕ちるとされる。
権宗
権経を依経とする宗派。
正理
正しい道理のこと。
学匠
大寺にあって学問を修めた僧。仏道を修めて師匠の資格ある僧。②学問に通じた人、学者。
地獄
十界・六道・四悪趣の最下位にある境地。地獄の地とは最低の意、獄は繋縛不自在で拘束された不自由な状態・境涯をいう。悪業の因によって受ける極苦の世界。経典によってさまざまな地獄が説かれているが、八熱地獄・八寒地獄・一六小地獄・百三十六地獄が説かれている。顕謗法抄にくわしい。
講義
天真独朗の観法は像法の仏法であり、末法においては、ただ南無妙法蓮華経を唱えていくべきであると述べられ、天真独朗の法は末法においては、せいぜい助行でしかないことを仰せられている。
そして、日蓮大聖人が弘通する南無妙法蓮華経こそ、末法という「時」と、日本国という「国」とに相応した「時国相応の仏法」であることを述べられ、末法においては無益な法門である天真独朗の観法を正行とするような者は、無間地獄に堕ちることは間違いない、と厳しく破折されている。
また、最蓮房日浄に対して、権教を捨てて大聖人の弟子となったことを「真実・時国相応の智者」であると讃嘆された後「総じて予が弟子等は我が如く正理を修行し給え智者・学匠の身と為りても地獄に墜ちて何の詮か有るべき所詮時時念念に南無妙法蓮華経と唱うべし」と唱題行を勧められている。
末法における正行と助行について
本抄では、末法の修行として、正行に南無妙法蓮華経を置かれ、天真独朗の観法は助行として用いていくべきであると述べられている。
「正行」とは成仏に至る根本となる修行をさし「助行」はその正行の助縁となる修行をいう。
日寛上人は当流行事抄において「修行に二有り、所謂、正行及び助行なり、宗々殊なりと雖も、同じく正助を立つ。同じく正助を立つれども行体各異なり」と説かれているように、宗派により正行・助行の内容は異なっている。創価学会においては三大秘法の御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱題することが正行であり、助行としては法華経の方便品・寿量品を読誦する。
本抄において天真独朗の観法を助行としてもよいと仰せられているのは、あくまで、元天台宗の学匠であったとされる最蓮房日浄に対する対機説法であった、と考えられる。
今日蓮は塔中相承の南無妙法蓮華経の七字を末法の時・日本国に弘通す是れ豈時国相応の仏法に非ずや
日蓮大聖人が末法の今時、日本国に弘通する南無妙法蓮華経の大法は時と国とに合致した仏法であると述べられている。
この文のまえに、伝教大師の法華秀句巻下の文を引用されている。
この文を意味するところは、中国の天台大師は、インドの釈尊に信順して法華経の宗を中国に流布したが、今、「叡山の一家」である伝教大師は、その天台大師の教えを相承して法華経の宗を日本に流通しているのである、というものである。
この文を受けられて、日蓮大聖人は「塔中相承」の南無妙法蓮華経の七字を末法の時に日本国に弘通していることは時国相応の仏法だからであると説かれている。
顕仏未来記には、同じ伝教大師の法華秀句の文を引用された後、「安州の日蓮は恐くは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す三に一を加えて三国四師と号く」(0509:10)と仰せられている。
ここに「三国四師」とは、インドの釈尊、中国の天台大師、日本の伝教大師、そして日蓮大聖人で、国としてはインド・中国・日本の三国、法華経の師としては釈尊・天台大師・伝教大師・日蓮大聖人の四師、ということになる。釈尊・天台大師・伝教大師の三師は、末法以前の法華経の師であるのに対し、日蓮大聖人のみが末法の法華経の師、ということである。
末法の弘通のために法華経神力品にあるように、宝塔の中で相承されたのが三大秘法の南無妙法蓮華経であるゆえに、今、大聖人は日本に出現され、この妙法を弘められているのである。
総じて予が弟子等は我が如く正理を修行し給え智者・学匠の身と為りても地獄に墜ちて何の詮か有るべき所詮時時念念に南無妙法蓮華経と唱うべし
日蓮大聖人の弟子門下であるならば、師である日蓮大聖人がなされたように、「正理」すなわち三大秘法の南無妙法蓮華経を忠実に修行していきなさい、と勧められ、次に、「智者・学匠の身と為りても地獄に堕ちて何の詮か有るべき」と戒められている。
すなわち、たとえばそれほどの智者や学匠の身となっても「正理」に背き、邪法を行じて地獄に堕ちてしまっては、何の意味もないのであり、ひたすら南無妙法蓮華経と唱えて成仏していくことが肝要であると結論されている。