下山御消息(第十一段第二)

下山御消息 第十一段第二(正法誹謗は亡国の因)

 建治3年(ʼ77)6月 56歳 下山光基

多宝・十方の諸仏の御前にして、教主釈尊の申し口として末代当世のことを説かせ給いしかば、諸の菩薩記して云わく「悪鬼はその身に入って、我を罵詈・毀辱せん乃至しばしば擯出せられん」等云々。また四仏・釈尊の説くところの最勝王経に云わく「悪人を愛敬し善人を治罰するに由るが故に乃至他方の怨賊来って、国人喪乱に遭わん」等云々。たとい日蓮をば軽賤せさせ給うとも、教主釈尊の金言、多宝・十方の諸仏の証明は空しかるべからず。一切の真言師・禅宗・念仏者等の謗法の悪比丘をば前より御帰依ありしかども、その大科を知らせ給わねば、少し天も許し善神もすてざりけるにや。しかるを、日蓮が出現して、一切の人を恐れず、身命を捨てて指し申さば、賢なる国主ならば子細を聞き給うべきに、聞きもせず用いられざるだにも不思議なるに、あまつさえ頸に及ばんとせしことは存外の次第なり。
しかれば、大悪人を用いる大科、正法の大善人を恥辱する大罪、二悪鼻を並べてこの国に出現せり。譬えば、修羅を恭敬し日天を射奉るがごとし。故に、前代未聞の大事この国に起こるなり。これまた先例なきにあらず。夏の桀王は竜逢が頭を刎ね、殷の紂王は比干が胸をさき、二世王は李斯を殺し、優陀延王は賓頭盧尊者を蔑如し、檀弥羅王は師子尊者の頸をきる。武王は慧遠法師と諍論し、憲宗王は白居易を遠流し、徽宗皇帝は法道三蔵の面に火印をさす。これらは皆、諫暁を用いざるのみならず、還って怨を成せし人々、現世には国を亡ぼし身を失い、後生には悪道に堕つ。これまた人をあなずり、讒言を納れて理を尽くさざりし故なり。

現代語訳

多宝・十方の諸仏の御前で教主釈尊が末法現在のことを説かれたのに対し、諸菩薩が次のように述べたことが記されています。すなわち「悪鬼がその身に入って我を罵り辱めるであろう、…しばしば追放されるであろう」と。

また四仏が釈尊の所説を証明した最勝王経では「悪人を愛し敬い、善人を罰することによって」「他国より怨賊が来襲して、国の人々は災難や喪乱に巻き込まれて命を失うであろう」と説いています。たとえ国主が日蓮のことを軽賎されようとも教主釈尊の金言や多宝・十方の諸仏の証明が虚妄になるはずがありません。

あらゆる真言師・禅宗・念仏者等の謗法の悪僧に以前から帰依していたとはいえ、それが大罪であることを知らないでいたために、諸天も国主の罪を少しは許し、善神もこの国をすてなかったのでありましょう。

しかしながら、日蓮が出現して、一切の人を恐れることなく身命を捨てて、その謗法を指摘し諌め申し上げたからには、賢明な国主であれば詳細を聞かれるべきであるのに、聞きもせず用いられないことすら不可解であるのに、まして首を切ろうとしたことはもってのほかです。

こうして、大悪人を用いる大罪と、正法の大善人を辱めるという大罪、二つの悪が鼻を並べてこの国に出現したのです。これらは、例えば修羅を敬って日天を射るようなものです。それ故に前代未聞の重大事がこの国に起きたのです。

これは先例のないことではありません。夏の桀王は竜蓬が頭を刎ね、殷の紂王は比干が胸を裂き、秦の二世王は李斯を殺し、優陀延王は賓頭盧尊者を軽んじ、檀弥羅王は師子尊者の頸を切りました。北周の武王は慧遠法師と諍論し、唐の憲宗皇帝は白居易を左遷し、栄も徽宗皇帝は法道三蔵の顔に火印をあてて処刑しました。

これらは諌暁を聞き入れないばかりか逆に怨みをなして、現世では国を失い身を亡ぼし、後生には悪道に墜ちた人々です。これもまた善人を軽んじ、讒言を聞き入れて道理を尽くさなかった故です。

講義

幕府自ら政道を破るという理不尽な処置をしたため、大聖人は数々の大難を受けられましたが、これらの難は法華経で予言されたことであり、最勝王経には、仏法を正しく行ずる善人を治罰すれば国が滅ぶと説かれています。したがって、法華経の行者たる大聖人を軽賤し迫害する者は必ず滅びることは必定であるとして、大聖人に対する幕府の迫害がただ単に政道上の誤りを犯したものであるだけでなく、仏法の上からも大罪を免れないことを厳しく指摘されています。

法華経 見宝搭品第十一では、多宝如来が東方宝浄世界から法華経の会座に出現し、宝塔の中から「釈迦牟尼世尊、所説の如きは、皆是れ真実なり」との大音声を放ち、釈尊の説く法華経が真実であることを証明した旨、説かれています。そして、十方世界にまします分身の諸仏も来集したのです。

見宝塔品から嘱累品第二十二までの12品は、多宝仏・十方の諸仏の御前で、しかも虚空で行われた説法であり、それ故に大聖人は「宝塔品より嘱累品にいたるまでの十二品は殊に重きが中の重きなり」(御書全集1092頁6行目、兵衛志殿御返事)と位置付けられ、その理由として「其の故は釈迦仏の御前に多宝の宝塔涌現せり月の前に日の出でたるがごとし、又十方の諸仏は樹下に御はします十方世界の草木の上に火をともせるがごとし、此の御前にてせんせられたる文」(御書全集1092頁7行目、兵衛志殿御返事)と仰せられています。

釈尊はこれら多宝・十方の諸仏の御前で、六難九易をもって滅後弘通の至難さを述べて菩薩衆に弘経の発誓を勧め、それに応えた菩薩たちは、悪世末法において法華経を弘める者に悪口罵詈・杖木瓦石・数数見擯出等々の大難があることを明確に説いたのです。大聖人はこれらの大難をことごとく受けられることにより法華経の経文を身読されたのです。

大聖人は本抄で、この菩薩たちが発誓して述べた法華経勧持品第十三の文を引かれるとともに、正法を行ずる善人を理不尽に罰すると、国が滅びるとの金光明経の文を挙げられています。

最勝王経は、釈尊が王舎城耆闍崛山で説かれたとされ、国王が諸教の王であるこの経を護持すれば四天王をはじめ一切の諸天善神が守護しますが、逆に、国王が正法をないがしろにすれば、諸天善神が国を捨てるために数々の災難が起こるとされています。

金光明経は中国・日本において、古くから法華経・仁王経とともに護国三部経の一つとして尊重されてきました。本抄の引用は正法正論品第二十の一節です。その前後をここに引用しておきましょう。

「若し王正法を捨てて悪法を以って人を化すれば、諸天本宮に処し、見已りて憂悩を生ず。彼の諸の天王衆、共に是の如き言を作す。此の王非法を作し、悪党相親附し、王位久安ならずと、諸天皆忿恨す。彼の忿を懐くに由るが故に、其の国当に敗亡すべし、非法を以て人を数え、国内に流行せば、闘諍して奸偽多く、疾疫衆の苦を生ず。天主御念せず、余天威く捨棄し、国土当に滅亡す可し、王身苦厄を受け、父母及び妻子、兄弟幷に姉妹、俱に愛の別離に遭い、乃至身は亡歿せん。変怪ありて流星堕ち、二日俱時に出て、他方の怨賊来たり、国忍喪乱に遭わん」とあり、また「悪鬼来たりて国に入り、疾疫遍く流行す。国中の最たる王臣、及び諸の輔相、其の心諂倭を懐き、並に悉く非法を行ず。非法を行ずるを見ては、愛敬を生じ、善法を行ずる人に於いて、苦楚して治罰する。悪人を愛敬し、善人を治罰するに依るが故に、星宿及び風雨、皆時を以って行われず」と説かれています。

仏法を破壊しようとする者こそ「悪人」の最たるものであり、当時の建長寺の道隆や極楽寺良観等がそれに当たり、この「悪人」を大事にして、「善人を治罰する」とは、良観らの讒言を一方的に用いて大聖人を流罪に処したことに当たるでありましょう。であればこそ、経文の通り天変地夭が絶えず、さらに蒙古の襲来は、「他方の怨賊来たり、国人喪乱に遭わん」の経文に符合しています。故に大聖人は「日蓮を流罪するは国土滅亡の先兆なり」(御書全集1372頁1行目、波木井三郎殿御返事)と喝破されています。

ともあれ、謗法の悪僧を重んずれば亡国は必定であり、このことを諌めている大聖人の言葉に耳を傾けるのが当然であるにもかかわらず、ただ聞こうとしないのみか、斬首しようとしたのは、もってのほかであると厳しく断じられているのです。

そして、幕府が良観らの邪僧の讒言を聞き入れて、大聖人を迫害したことは、仏法の眼から見れば、二重の意味で大きな罪を犯していることになると指摘されています。第一に謗法の大悪人を信じる大科であり、第二に正法の大善人たる大聖人を恥辱する大罪です。この二つの悪が鼻を並べて日本に出現したが故に、前代未聞の大事が起きているのである、と。

そして次に、賢人・忠臣等の讒言を用いず、かえって怨をなしたために国と身を滅ぼした歴史上の帝王たちの先例を挙げられています。

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