聖人知三世事

聖人知三世事 

建治元年(ʼ75) 54歳 富木常忍

背景と大意

日蓮大聖人は建治元年(1275年)、身延においてこの書を著し、下総国の守護・千葉氏の重臣であり、大聖人の最も堅固な弟子の一人であった檀越・富木常忍に送った。富木は下総に住む在家の僧で、大聖人から数十通に及ぶ書簡を受けている。その多くは教義に関する重要な啓示を含んでおり、中でも『観心本尊抄』は最もよく知られている。

本書において大聖人は、過去・現在・未来の三世を完全に理解する者を「聖人」と定義し、この語を仏を指す意味で用いている。仏の予言は、永遠にわたり生命を貫く厳正な因果の法則に基づく。因果を理解して現在を観察すれば、過去と未来を知ることができるのである。日蓮大聖人は、自らを「立正安国論」において予言した「内乱と他国侵逼」が成就したことを根拠として、全世界における第一の聖人であると宣言している。

 

第一章(三世を知るが聖人なるを示す)

本文

  聖人と申すは委細に三世を知るを聖人と云う、儒家の三皇・五帝並びに三聖は但現在を知つて過・未を知らず外道は過去八万・未来八万を知る一分の聖人なり、小乗の二乗は過去・未来の因果を知る外道に勝れたる聖人なり、小乗の菩薩は過去三僧祇菩薩、通教の菩薩は過去に動踰塵劫を経歴せり、別教の菩薩は一一の位の中に多倶低劫の過去を知る、法華経の迹門は過去の三千塵点劫を演説す一代超過是なり、本門は五百塵点劫・過去遠遠劫をも之を演説し又未来無数劫の事をも宣伝し、之に依つて之を案ずるに委く過未を知るは聖人の本なり、教主釈尊既に近くは去つて後三月の涅槃之を知り遠くは後五百歳・広宣流布疑い無き者か、若し爾れば近きを以て遠きを推し現を以て当を知る如是相乃至本末究竟等是なり。

 

現代語訳

 聖人というのは委しく過去・現在・未来の三世を知る人をいう。儒家の三皇・五帝や三聖といわれる孔子・老子・顔回等はただ現在のみを知って過去と未来を知らない。外道は過去八万劫、未来八万劫を知るから一分の聖人といえる。小乗教の二乗である声聞、縁覚は過去と未来の因果を知るから外道に勝れた聖人といえよう。さらに小乗の菩薩は三阿僧祇の過去を知り、権大乗の通教の菩薩は過去に動踰塵劫を経歴し、同じく別教の菩薩は一つ一つの位のなかにおいてさえ多倶低劫の過去を知る。また法華経の迹門では釈尊が三千塵点劫という長遠の過去を説かれている。これは一代超過の法門である。さらに法華経本門では五百塵点劫という遠々劫の過去を明かし、また未来無数劫の事までも宣べられている。

 これらの例証によって考えてみるに、過去と未来を具に知ることこそ聖人の本である。教主釈尊はすでに近くは三月後の入滅を知り、遠くは滅後末法の始めの五百年の法華経の広宣流布を明言されたが、必ず事実となるであろう。もしそうであれば近きをもって遠きを推し量り、現在をもって未来を知ることができるのであり、法華経方便品の「如是相乃至本末究竟等」の文はこのことである。

 

語釈

儒家

 儒者・儒者の家。

三皇

 中国古代の伝説上の理想君主。伏羲・神農・黄帝または伏羲・黄帝・神農とされるなど異説も多い。

五帝

 三皇に続く中国古代の五人の帝王。諸説があるが史記によれば伏羲・顓頊・帝嚳・尭・舜。

三聖

 中国古代の三人の聖人。摩訶止観巻六下には老子・孔子・顔回の三人を挙げているが、異説も多い。

外道

 仏教以外の低級・邪悪な教え。心理にそむく説のこと。

二乗

 十界のなかの声聞・縁覚のこと。法華経以前においては二乗界は永久に成仏できないと、厳しく弾呵されてきたが、法華経にはいって初めて三周の声聞(法説周・喩説周・因縁周)が説かれて、
成仏が約束されたのである。

菩薩

 菩薩薩埵(bodhisattva)の音写。覚有情・道衆生・大心衆生などと訳す。仏道を求める衆生のことで、自ら仏果を得るためのみならず、他人を救済する志を立てて修行する者をいう。

三僧祇

 三阿僧祇劫のこと。菩薩が仏果を得るまでに修行する長時を三つに分けたもの。すなわち菩薩の階位五十位のうち、十信、十住、十行、十廻向の四十位を第一阿僧祇劫とし、十地のうち初地から七地に至るまでを第二阿僧祇劫、八地から十地に至るまでを第三阿僧祇劫としている。三大阿僧祇劫、三祇ともいう。

動踰塵劫

「動もすれば塵劫を踰ゆ」と読む。通教の菩薩の修行の期間が塵劫を踰えていること。通教の菩薩は十地の第七・已弁地で三界見思の惑を断ずるが、断じ尽くすと三界に生ずることができないゆえに、誓って習気を扶持して三界に生じて衆生を化度し、第八地、第九地で修行に励み、塵劫を経て第十地の仏地で余残の習気を断じ尽くし、七宝樹下に天衣を座として成道する。この期間が動もすれば塵劫を踰えることをいう。

多倶低劫

 多くの倶低劫の意。「倶低」は「倶胝」とも書き、数の単位。十万、千万あるいは億とする説もある。「倶低劫」は数えきれないほど長遠な時間のこと。多劫のこと。

三千塵点劫

 法華経化城喩品第七で、三千塵点劫の昔に、大通智勝仏の第十六王子として釈尊が声聞の弟子を化導したことを明かしている。劫とは長時の意。三千塵点劫とは、三千大千世界の国土をすりつぶして微塵とし、東方の千の世界を過ぎるごとに一塵ずつを下し、すべての微塵を下し尽くして、下した国土も下さなかった国土も合わせて微塵にし、その一塵を一劫と数えて、その微塵の数以上の無量無辺の長遠な時をいう。

一代超過

 釈尊一代の教説中、法華経が他の一切経に勝れていることをいう。

五百塵点劫

 法華経如来寿量品第十六で明かされた、釈尊成道以来の長遠の時のこと。五百塵点劫とは、五百千万億那由他阿僧祇の三千大千世界の国土をすりつぶして微塵とし、東方の五百千万億那由他阿僧祇の国を過ぎるごとに一塵ずつを下し、すべての微塵を下し尽くして、下した国土と下さなかった国土とを合わせて微塵にし、その一塵を一劫とした長遠の時にさらに百千万億那由他阿僧祇劫過ぎた時をいう。

後五百歳

 釈尊滅後の時代を500年ごと5つに区切って、仏法流布の時代的推移を説き明かした中の第5番目。この時代は、仏法者が互いに自宗に執着して他人と争い、釈尊の正しい仏法が隠没する時代でありこれを「闘諍言訟・白法隠没」という。また、この時代は末法の正法たる日蓮大聖人の仏法がおこる時代でもある。

如是相乃至本末究竟等

 法華経方便品第二の十如是の前後をあわせ、中間を略した文。

 

講義

 本抄は建治元年(1275)、聖寿54歳の御述作とされる。身延から下総国(千葉県)若宮の富木常忍に与えられた。

 建治の年号は文永12年(1275)4月に改元されており、時の執権は北条時宗。第91代後宇多天皇の御代である。

 日蓮大聖人は文永11年(1274)3月26日、佐渡から鎌倉に帰られ、平左衛門尉に対して3度目の諌暁をされた。「いま一度平左衛門に申しきかせて日本国にせめのこされん衆生をたすけんがために」(1461:07)との救国の心情からである。

 しかし、大聖人の衷心からの諌めも幕府は用いるところとはならず、「三度いさめんに御用いなくば山林に・まじわる」(0982:06)故事に習い、文永11年(1274)5月12日に鎌倉を出て、5月17日、身延に入られたのである。

 そのころ鎌倉では、文応元年(1260)7月に日蓮大聖人が幕府に上奏した立正安国論の予言が的中し、自界叛逆難、即ち北条一門の同士討ちが、文永9年(1272)2月に起こり、本抄御述作の1年前、文永11年(1274)秋に他国侵逼難の方も第一回の蒙古襲来「文永の役」として事実となったのであった。しかも、蒙古からは文永の役のあと直ちに使者が来ており、再度の襲来に備えるため国内は騒然としていた。

 蒙古の侵攻に対処するため軍備の増強が図られるとともに、蒙古軍の上陸を阻止するため博多湾の箱崎から今津に至る沿岸に石塁・石築地が構築された。

 そのうえ、幕府と朝廷は、この未曾有の国難を払うため、神社・仏閣に対し、蒙古調伏、国家安泰の祈禱を命じたのである。

 こうした背景をもとに、本抄では初めに五重相対しながら聖人の位を明かされ、つぎに法華経の行者を謗る者は頭破七分の罰を受けることについて「今日蓮を毀呰する事は非一人二人に限る可らず日本一国・一同に同じく破るるなり」と仰せられて「日蓮は一閻浮提第一の聖人」なることを明言されている。

 さらに大聖人の諌言を用いず、かえって軽んじているところから、一国が総罰を受けている旨を明かし、「設い万祈を作すとも日蓮を用いずんば」と、大聖人の仏法による以外に国難を免れる道はないとの大確信を師子吼されている。

 本抄の御正筆は中山法華経寺に伝えられているが、年月日及び御自署の花押を欠いている。ゆえに系年については、古来から「建治元年」とされてきているが、諸史料の考証などから「文永十一年」の御述作と考えることが妥当とする説もある。

 題号は「聖人と申すは委細に三世を知るを聖人と云う」との冒頭の一節から後代に付されたものである。

 

聖人について

 

 本章では、まず「委細に三世を知るを聖人と云う」と、聖人について定義されている。

 聖人の聖とは、本来、耳の穴がよくとおって、ふつうの人には聞こえない声までよく聞くことができるという意味があるといわれる。

 儒教では、賢人は五百年に一人出で、聖人は千年に一人出る等といい、智徳すぐれて万事に通達し、万人が尊仰してやまない理想の人物を聖人と称したようである。中国上古の帝王とされる唐堯や虞舜等、また孔子・老子等がそれである。唐代以後は天子の尊称にも用いられた。

 楚辞・屈原の漁父辞には「聖人は物に凝滞せず」とあり、聖人は時勢とともに推移して物事を的確に処置するところから、執着、拘泥して苦しむことがない、としている。

 しかし、これらの聖人は過去・未来にわたる永遠の生命観を知らないために真の聖人ということはできない。ゆえに日蓮大聖人は「此等の賢聖の人人は聖人なりといえども過去を・しらざること凡夫の背を見ず・未来を・かがみざること盲人の前をみざるがごとし」(0168:02)と仰せられているのである。

 日寛上人は「立正安国論愚記」で「三略の下に云く『賢去れば則ち国微え、聖去れば則ち国乖く』と已上。世間の聖人尚爾なり、況や出世の聖者をや。今はこれ出世の聖人なり」と述べられている。

 大聖人は聖人について「外典に曰く未萠をしるを聖人という内典に云く三世を知るを聖人という」(0287:08)と過去、現在、未来を正しく知っているところにその本質があるとされている。

 「三世を知る」ということは、いわゆる通力ではない。事象の法則に通達しているということである。科学の世界でも同じことがいえるが、不変の法則を正しく洞察したときに、物象や未来の予見ができるのである。仏法は生命の正しい法理を究めたものであるゆえに、仏法に通達した聖人は「三世を知る」ことができるのである。

 したがって仏法上の聖人とは、三世の生命観に立って一切の法門を究尽し、智慧が広大無辺で、慈悲心の深大な人格、すなわち仏を意味する。いわば聖人は仏の別号なのである。本抄において「委く過未を知るは聖人の本なり」とされ、そのうえで御自身を「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」と明言されている深義に意を留めていきたい。

 日蓮宗他門流では、古来から「日蓮大菩薩」「日蓮上人」等と呼んで、近年になって「日蓮聖人」と呼称するようになったが、仏法僧の三宝のうちの僧宝に大聖人を位置づけ、仏宝に釈尊を仰ぐ、いわゆる釈尊本仏観は依然として変わらず、大聖人を悪しく敬うも甚だしいといわなければならない。

 「一閻浮提第一の聖人」であられるゆえに「大聖人」と申し上げるのである。しかも、「開目抄」に「仏世尊は実語の人なり故に聖人・大人と号す」(0191:05)と。「撰時抄」には「当世には日本第一の大人なり」(0289:07)と。また法華経方便品には「慧日大聖尊」とある。尊即人、人即尊である。したがって、「大聖人」とは日蓮大聖人の自称にして、また仏の別号であることは明白である。

 いわゆる〝聖人〟の呼称は内道・外道に共通して用いられる。したがって、本抄では、五重相対しながらその過去・未来の深さを比較され、聖人の位について勝劣を判じられている。

 「儒家の三皇・五帝並びに三聖は但現在を知つて過・未を知らず」とあるように、中国の外典が教えているのは、現在の人生の中での生きる規範である。インドの外道は「過去八万・未来八万」を知見はするが、そこに流れる生命の因果の法を知らない。ゆえに、与えて〝一分の聖人〟といわれているが仏法の立場から奪っていえば、いまだ三惑未断の凡夫である。開目抄上に「外典・外道の四聖・三仙其の名は聖なりといえども実には三惑未断の凡夫・其の名は賢なりといえども実に因果を弁ざる事嬰児のごとし」(0188:06)と破折されているように、仏法で説く聖人とは、とても比較にはならないのである。

 三世を貫く生命の因果の理法の解明は、実に仏教に限られるのである。それゆえに「小乗の二乗は過去・未来の因果を知る外道に勝れたる聖人なり」といわれるのである。

 この内道の一代聖教においても、小乗の菩薩が過去三阿僧祇劫であるのに対し、通教の菩薩は動踰塵劫、別教の菩薩は五十二位の一つ一つに多俱低劫、法華経迹門は三千塵点劫、本門は五百塵点劫というように、より深く遠い過去を知っている。それだけに偉大な聖人といえるのである。

教主釈尊既に近くは去つて後三月の涅槃之を知り遠くは後五百歳・広宣流布疑い無き者か、若し爾れば近きを以て遠きを推し現を以て当を知る如是相乃至本末究竟等是なり

 釈尊は三か月後の自身の死期を予言し、そのとおり入滅した。これは近き未来の予言の合致である。

 遠き未来の予言は「後五百歳・広宣流布」である。法華経薬王品の「我が滅度の後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得しむること無かれ」の文がそれである。

 後五百歳というと、釈尊滅後二千年から二千五百年の間であり、末法の始を指す。「近きを以て遠きを推し」とあるように、釈尊自身の三か月後の入滅予言の的中という現実の証拠から、遠く二千年先の末法には未曾有の大正法が広宣流布するとの予言に間違いないことを推側しなさいといわれるのである。

 その原理として方便品の「如是相乃至本末究竟等」の十如是の文を示されている。

 本末究竟等について、法華玄義巻二には「初の相を本と為し後の報を末と為す」とある。究竟とは物事の極み・究極のことで如是相から如是報にいたる九如是が一つに帰趨するところを究竟等というのである。

 如是相は目に見える相、姿をいい、現在の目に見える姿をとおして未来を知見することができるということである。「現を以て当を知る」と同意である。すなわち、本とは現であり、末とは当である。究竟等とは現在に未来が含まれていることである。

 釈尊の涅槃の予言が的中という実相を本とし、末法に妙法流布という遠き未来の予言を末として、本末究竟して等しいゆえに「後五百歳・広宣流布疑い無き者か」と仰せなのである。

 

 

第二章(不軽を継ぐ行者なるを明かす)

本文

後五百歳には誰人を以て法華経の行者と之を知る可きや予は未だ我が智慧を信ぜず然りと雖も自他の返逆・侵逼之を以て我が智を信ず敢て他人の為に非ず又我が弟子等之を存知せよ日蓮は是れ法華経の行者なり不軽の跡を紹継するの故に軽毀する人は頭七分に破・信ずる者は福を安明に積まん、

現代語訳

後の五百歳の末法には誰人を法華経の行者と知るべきか。日蓮は未だ自身の智慧を信じないけれども自界叛逆難と他国侵逼難の二難の的中により、我が智慧を信じないわけにはいかない。これは他人のためではない。また我が弟子達もこのことをよく知って欲しい。日蓮こそまさしくこの末法にあって法華経の行者なのである。不軽菩薩の跡を承継する法華経の行者であるゆえに、軽しめたり毀ったりする人は頭が七分に破れ、信ずる者は福徳を須弥山のように積むのである。

語釈

自他の返逆・侵逼

日蓮大聖人が文応元年(1260)に上奏された立正安国論のなかで予言された自界叛逆、他国侵逼の二難のことで、文永9年(1272)2月に鎌倉と京都で起きた北条一門の内乱「二月騒動」、さらに文永5年(1268)蒙古からの最初の牒状に始まり同、文永11年(1274)10の蒙古軍の九州襲来をさしている。

不軽

法華経常不軽菩薩品第二十に説かれている常不軽菩薩のこと。威音王仏の滅後の像法時代に出現し、悪口罵詈、杖木瓦石の迫害にあいながらも、すべての人に仏性が具わっているとして常に「我れは深く汝等を敬い、敢て軽慢せず。所以は何ん。汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」といって一切衆生を礼拝した。あらゆる人々を常に軽んじなかったので常不軽と呼ばれた。釈尊の過去の姿の一つとされる。また、不軽を軽賤し迫害を加えた者は、その罪によって千劫の間、阿鼻地獄に堕ちて大苦悩を受けた後、ふたたび不軽の教化にあい仏道に住することができたという。

安明

須弥山のこと。須弥山の漢訳名で妙高とも訳す。

講義

 本章では、後五百歳の末法においては、誰人をもって法華経の行者と知るべきであるかとの設問に対して、「立正安国論」の予言の的中という歴然たる現証から、日蓮大聖人御自身が三世を知る聖人であり、「法華経の行者」即、末法の本仏であることを高らかに宣言されている。

大聖人は安国論で金光明経等の四経を引いて説き、「世皆正に背き人悉く悪に帰す」(0017-12)ゆえに国に三災七難が起こることを明かされ、自界叛逆難・他国侵逼難を予言されたが、それがすでに現れ、予言が的中したことは、まぎれもなく日蓮大聖人が三世を知る聖人であられるとの証拠である。「我が智を信ず」「我が弟子等之を存知せよ」のおことばには「日蓮は是れ法華経の行者なり」の大確信が躍如としているのである。

「法華経の行者」とは、先に外道から小乗、大乗、法華経と比較相対して示されたように、最も勝れている法華経の聖人ということであり、末法の御本仏の別称と拝すべきである。

不軽の跡を紹継するの故に軽毀する人は頭七分に破・信ずる者は福を安明に積まん

「不軽」とは法華経常不軽菩薩品第二十に出てくる不軽菩薩のことである。

同品によると、昔、威音王仏の像法時代に、常不軽菩薩がもっぱら教典を読誦せず、上慢の四衆に対して「我れは深く汝等を敬い、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆な菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし」と唱えて、あらゆる人を礼拝した。

しかし、衆生の多くは不軽菩薩を悪口罵詈して杖木瓦石を加えた。当然のことながら迫害の四衆は阿鼻地獄の苦を受け、その罪畢えおわっのちに再び不軽の教化に巡りあっている。

釈尊はこの不軽菩薩の修行をとおして、滅後の弘教の方軌と逆縁の功徳を説いたのである。

「寺泊御書」に「法華経は三世の説法の儀式なり、過去の不軽品は今の勧持品今の勧持品は過去の不軽品なり」(0953:18)と。

また「御義口伝」には「過去の不軽菩薩は今日の釈尊なり、釈尊は寿量品の教主なり寿量品の教主とは我等法華経の行者なり、さては我等が事なり今日蓮等の類は不軽なり云云」(0766:第十二常不軽菩薩豈異人乎則我身是の事:01)と示し、同じく「此の廿四字と妙法の五字は替われども其の意は之れ同じ廿四字は略法華経なり」(0764:第五我深敬汝等不敢軽慢所以者何汝等皆行菩薩道当得作仏の事:01)と説かれている。

末法今時の南無妙法蓮華経の七文字の法華経と不軽菩薩の廿四字の法華経とは、ともに下種仏教であり、行者の位もともに凡夫である。また毒鼓の縁・逆縁の功徳によって毀謗者を救うという弘教の方軌も同じである。「不軽の跡を詔継する」意はここにある。

「頭七分に破・信ずる者は福を安明に積まん」とは、まさしく正法誹謗の罰と信受の功徳を明かしている。

「頭七分に破」の出典は法華経陀羅尼品第二十六で、同品に「若し我が呪に順ぜずして、説法者を悩乱せば、頭破れて七分に作ること、阿梨樹の枝の如くならん」とある。

頭破作七分とは、精神が錯乱して物事の正しい判断ができなくなる意である。頭は人間存在の最も大切な精神機能をつかさどっているところであり、それが破壊されていくことを「頭七分に破」といわれたものであろう。

これに対して、大聖人の正法を信受する人は「福を安明に積む」のである。安明とは須弥山の別名である。須弥山のように福徳を積んでいくことができるということである。

この信受・供養の功徳と、軽毀・悩乱の罰についての仰せはそのまま御本尊の両肩に厳然としたためられているところである。

 

 

第三章(一国一同に頭破七分なるを示す)

本文

問うて云く何ぞ汝を毀る人頭破七分無きや、答えて云く古昔の聖人は仏を除いて已外之を毀る人・頭破但一人二人なり今日蓮を毀呰する事は非一人二人に限る可らず日本一国・一同に同じく破るるなり、所謂正嘉の大地震・文永の長星は誰が故ぞ日蓮は一閻浮提第一の聖人なり、上一人より下万民に至るまで之を軽毀して刀杖を加え流罪に処するが故に梵と釈と日月・四天と隣国に仰せ付けて之を逼責するなり、大集経に云く・仁王経に云く・涅槃経に云く・法華経に云く・設い万祈を作すとも日蓮を用いずんば必ず此の国今の壱岐・対馬の如くならん、

 

現代語訳

問うて言う。日蓮御房を毀る人がどうして頭が七分に破れないのか、と。

答えて言う。仏を除いて昔の聖人を毀って頭が破れたのはただ一人二人である。今、日蓮を毀ることはその罪が一人二人に限らない。日本国の人々が一同に頭が破れているのである。すなわち正嘉の大地震や、文永の大彗星はだれのために起きたのであろうか。日蓮は一閻浮提第一の聖人である。日本国の上下万民が一同にこの日蓮を軽んじ毀り、刀杖を加え流罪にしているために梵天、帝釈をはじめ日月、四天等がいかりをなし、隣国にいいつけて攻めさせ、これらの謗法を責めているのである。大集経、仁王経、涅槃経、法華経にこのことが説かれている。たとえ、どのような祈禱を行っても、日蓮を用いないならば、日本国は必ず今の壱岐・対馬のようになるであろう。

 

語釈

毀訾

謗って非難すること。

 

正嘉の大地震

正嘉元年(1257823日の午後九時ごろ、鎌倉地方一帯を襲った大地震。「吾妻鏡」巻四十三にはその時の模様が次のように記されている。「二十三日、乙巳、晴。戌刻大地震。音有り。神社仏閣一宇として全きは無し。山岳頽崩す。人屋顚倒す。築地皆悉く破損す。所々地裂け水涌出す。中下馬橋辺の地裂け破れ、その中より火炎燃え出ず。色青し云々」。

 

文永の長星

「史料綜覧」によると、文永元年(1264626日に東北の上空に彗星が出現し、74日に再び現れ、8月に入っても光は衰えなかった。このため、彗星を攘う祈禱が連日のように行われたという。「安国論御勘由来」には「又其の後文永元年甲子七月五日彗星東方に出で余光大体一国土に及ぶ、此れ又世始まりてより已来無き所の凶瑞なり内外典の学者も其の凶瑞の根源を知らず」とある。

 

梵と釈と日月・四天と隣国

梵天王・帝釈天・日天・月天・四天王という国家を守護する諸天と隣国(主として蒙古をさす。)。

 

大集経に云く

「若し国王有って、無量世に於て施・戒・慧を修し、我が法の滅するを見て、捨てて擁護せざれば、是くの如き所種の無量の善根は、悉く皆滅失し、其の国には当に三の不祥事有るべし。一に穀貴、二に兵革、三に疫病なり」等の文をさす。

 

仁王経に云く

「国土乱るる時は先ず鬼神乱る。鬼神乱るるが故に万民乱れ、賊来って国を劫かし、百姓亡喪して、臣と君と太子と王子と百官と共に是非を生ず。天地怪異にして、二十八宿星の道も日月も時を失し度を失し、多くの賊起ること有り」、「我今五眼をもって明かに三世を見るに一切の国王皆過去に五百の仏に侍うるに由りて帝王の主と為ることを得たり。是の故に一切の聖人羅漢は、為に彼の国に来り生じて大利益を作さん。若し王の福尽きん時には一切の聖人は皆捨て去らん。若し一切の聖人去らん時は七難必ず起らん」等の文をさす。

 

涅槃経に云く

「善友を遠離し正法を聞かず……悪法に住せば……是の因縁の故に沈没して阿鼻地獄に在って、受くる所の身形、縦広八万四千由延ならん」等の文。

 

法華経に云く

妙法蓮華経巻二譬喩品第三の「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」等の文。

 

壱岐・対馬

朝鮮半島と九州との間に飛石状をなす島。西海道11か国に入る。現在は長崎県に所属。早くから大陸との交通・軍事上の要地となっており、天智天皇3年(0664)には対馬に防人と烽が置かれた。文永11年(127410月、及び弘安4年(12815月の元寇では、元の大軍に蹂躙された。

 

講義

本章は、日蓮大聖人を軽毀している人は頭破作七分となっていないではないか、との質問に対して、古昔の聖人を毀る者は一、二人で、頭破作七分の罰も目に見えてわかったが、大聖人の場合は一国挙げて軽毀しているため、日本一国一同に頭破作七分となっているためわからないのである。しかし、その証拠として依正不二の原理で天変地夭が競い起こるのであると明かされている。

それにもかかわらず、一閻浮提第一の聖人である日蓮大聖人を刀杖や流罪に処してなおも迫害しているため、諸天が隣国に仰せつけて日本を責めさせているのである。

「撰時抄」にも「正嘉の大地しん文永の大彗星はいかなる事によつて出来せるや答えて云く天台云く『智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る』等云云、問て云く心いかん、答えて云く上行菩薩の大地より出現し給いたりしをば弥勒菩薩・文殊師利菩薩・観世音菩薩・薬王菩薩等の四十一品の無明を断ぜし人人も元品の無明を断ぜざれば愚人といはれて寿量品の南無妙法蓮華経の末法に流布せんずるゆへに、此の菩薩を召し出されたるとはしらざりしという事なり、問うて云く日本漢土月支の中に此の事を知る人あるべしや、答えて云く見思を断尽し四十一品の無明を尽せる大菩薩だにも此の事をしらせ給はずいかにいわうや一毫の惑をも断ぜぬ者どもの此の事を知るべきか、問うて云く智人なくばいかでか此れを対治すべき例せば病の所起を知らぬ人の病人を治すれば人必ず死す、此の災の根源を知らぬ人人がいのりをなさば国まさに亡びん事疑いなきか、あらあさましやあらあさましや、答えて云く蛇は七日が内の大雨をしり烏は年中の吉凶をしる此れ則ち大竜の所従又久学のゆへか、日蓮は凡夫なり、此の事をしるべからずといえども汝等にほぼこれをさとさん、彼の周の平王の時・禿にして裸なる者出現せしを辛有といゐし者うらなつて云く百年が内に世ほろびん同じき幽王の時山川くづれ大地ふるひき白陽と云う者 勘えていはく十二年の内に大王事に値せ給うべし、今の大地震・大長星等は国王・日蓮をにくみて亡国の法たる禅宗と念仏者と真言師をかたふどせらるれば天いからせ給いていださせ給うところの災難なり」(0284:10)と述べられている。

狂い病んでいるのが少数の人である時は、狂っていることが識別できるが、皆が狂っているときは認識しがたい。だが、自分で見えない自分の顔も、鏡に映せばわかるように、正報の生命の狂いは依報の上に映し出される。それが正嘉の大地震、文永の彗星等の異変であると仰せである。

 

 

第四章(法妙なる故に人貴きを示す)

本文

我が弟子仰いで之を見よ此れ偏に日蓮が尊貴なるに非ず法華経の御力の殊勝なるに依るなり、身を挙ぐれば慢ずと想い身を下せば経を蔑る松高ければ藤長く源深ければ流れ遠し、幸なるかな楽しいかな穢土に於て喜楽を受くるは但日蓮一人なる而已。

 

現代語訳

我が弟子達よ、この言を信じてその時を見なさい。このことは日蓮が貴尊であるのではない。法華経の御力がことに勝れていることによるのである。我が身を挙げれば慢心していると思い、身を下せば法華経をあなどる。松が高ければ松にかかる藤は長く、源が深ければ流れもしたがって長い。なんと幸せなことよ。楽しいことか。穢土にあってこのような喜びを受けるのは、ただ日蓮一人のみである。

 

語釈

穢土

けがれた国土のこと。浄土に対する語。凡夫の住む、苦悩に満ちた娑婆世界を穢土という。

 

講義

本章は法華経の力が殊勝なるゆえに、これを持ち、弘通する人も尊貴なのであるという「法妙なるが故に人貴し」の原理を、松にかかる藤、川の源とその流れの関係を例に挙げて述べられている。

日蓮大聖人が「一閻浮提第一の聖人である」と御自身を称揚すれば、尊大高慢と取るのが世間の習いであるが、といって御自身を卑下すれば、人々は、大聖人の所持の法である南無妙法蓮華経を蔑如することになる。

松が高ければ、それをつたって伸びる藤も高く伸びていく。川の源が深ければ深いほど、その流れも長遠となる。これが「法妙なるが故に人貴し」の道理である。

われわれの信心に約せば、「松高ければ」とは、宇宙の本源たる南無妙法蓮華経であり、御本尊が偉大であり尊高であられるゆえに御本尊を信受した人は、福徳も無限に伸び、悠々たる人生を歩むことができるのである。

「源深ければ」とは、御本尊が久遠元初の妙法の当体であるゆえに、「流れ遠し」で、個人にあっては永遠の幸福を確立することができ、また、大聖人の仏法が末法万年に流布していくのである。

「幸なるかな楽しいかな穢土に於て喜楽を受くるは但日蓮一人なる而已」とのお言葉に、御本仏としての絶対的な御境界を拝するべきであろう。

穢土とはこの娑婆世界である。穢土というも、浄土というも「心の善悪による」ゆえに、すべて一念一心の反映であり、大聖人の場合、御本仏の御境界のおもむくところ、いずこにあられても即寂光土なのである。

御流罪の地・佐渡にあられて「当世・日本国に第一に富める者は日蓮なるべし」(0223:開目抄下:02)とも、また「流人なれども喜悦はかりなし」(1360:諸法実相抄:17)と仰せられたのも同意である。

「但日蓮一人なる而已」の「但」とは唯一の意であり、大聖人こそ末法万年の闇を照らす御本仏であるとの、広大無辺の大慈大悲の御境界が躍如としていると拝するのである。

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