桟敷女房御返事(無量無辺の功徳の事)

 女人は水のごとし、うつわ物にしたがう。女人は矢のごとし、弓につがわさる。女人はふねのごとし、かじのまかするによるべし。しかるに、女人は、おとこぬす人なれば女人ぬす人となる。おとこ王なれば女人きさきとなる。おとこ善人なれば女人仏になる。今生のみならず、後生もおとこによるなり。しかるに、兵衛のさえもんどのは法華経の行者なり。たといいかなることありとも、おとこのめなれば、法華経の女人とこそ仏はしろしめされて候らんに、また我とこころをおこして、法華経の御ために御かたびらおくりたびて候。

 

現代語訳

  女の人は水にたとえることができます。水は器の形に素直に従っていくのです。また、女の人は矢のようなものです。矢は弓につがえられて飛ぶのです。また、女の人は舟のようなものです。舟は楫の取り具合によって、どちらの方向にも進むのです。

それゆえ、女の人はその夫が盗人であれば、妻も盗人となり、夫が王であれば妻は王妃となるのです。夫が正法をたもつ善人であれば、妻も成仏できるのです。今生だけでなく後生も夫によるのです。

ところで、あなたの夫である兵衛左衛門殿は、法華経の行者です。たとえいかなることがあっても、あなたは、そのような人の妻であるから、法華経の女人であるということを仏はよくご承知でしょう。そのうえ、更に、自ら信心をおこして法華経のために帷子を御供養されたことは尊いことです。

 

語釈

 かたびら

夏の着物の一種。「片方」という意で、古くは、衣服に限らず、裏のつかないものの総称であった。それが、平安中期には、公家装束の下着である単小袖をさすようになり、小袖が男女の表着となると、麻や絹縮みの単衣を帷と呼ぶようになった。

 

講義

  桟敷女房は、鎌倉の人で印東三郎左衛門祐信の妻であると伝えられているが、詳細は明らかではない。祐信は下総の印東次郎左衛門祐昭の嫡子で、六老僧の一人、弁阿闍梨日昭の兄である。母の弁殿母尼を桟敷の尼といい、嫁を桟敷女房と呼んだのである。

「さじき」というのは、源頼朝が由比ケ浜の眺望を楽しむために現在の常栄寺の山上に桟敷を設けたことがある。その跡を桟敷と呼び習わしたことから、地名になったものである。

本抄は、この桟敷女房が帷子すなわち単衣を御供養したのに対し、供養の意義と、その功徳がいかに大きいかを、慈愛を込めて教え、その信心を讃められている。

短いお手紙ではあるが、言葉の一つ一つ、行間に、父の娘に対するような、温かい思いやりが感じられる。五月といえば、そろそろ夏という季節で、いわゆる衣更えの侯である。その時に、大聖人に、ぜひこの夏に着てほしいと、真心こめて作った単衣を御供養したのであろう。大聖人は、女房の、こうした、女らしい心づかいとい真心に感じられたものと推察される。

 

女人は水のごとし、うつは物にしたがう云云

 

女性の特質を一般的観点から述べられたところである。

男性はどちらかといえば自ら環境に挑戦しそれを克服し支配していこうとするところに特徴がある。これに対し、女性の場合は自らを環境や相手に合わせ、従っていこうとする傾向が強い。

特に儒教では、三従思想が説かれ、女性は、あくまで男に従うべき者とされた。三従とは、一に幼くして父母に従い、二に嫁しては夫に従い、三に老いては子に従う、である。おそらく桟敷女房も、こうした道徳観のもとに育てられた女性であったろうが、それ以上に夫思いの心の優しい人であったと思われる。

ここで大切なことは「女人は水のごとし」と大聖人が仰せられているのは、ただ盲目的に従うだけの、いわゆる過去の三従思想にみられるような女性であれということではない。信仰をたもっている主人を信頼していくべきことをいわれているのであって、そのあとに「我とこころををこして……」とあるように、自ら発心し、主体的な信心に立ったことに元意があることはいうまでもない。

妙法を持ち、自身を確立した女性は環境に順応しつつ自らの力を発揮し、更に他をも生かしていく存在でなくてはならない。

家庭という小さな分野から、社会という大きな分野へ目を向け、どんな環境に立たされても堂々と自己の信念をもちながら他をも幸せにしていける存在になってこそ女性の人間としての成長がある。

「をとこ善人なれば女人仏になる」の善人とは世間一般にいう善人ではなく、この場合、法華経、即ち三大秘法の御本尊を信受し信行学に励む人のことをいわれているのである。

夫が純粋な信心に励むならば、その妻も必ず夫に従って信心を深め成仏することができる。それは今生のみではなく後世も同じ方程式であるということである。夫婦そろって信心に励む家庭に大聖人からたまわったお手紙は御書の中に数多い。この文も妙法によって描かれた夫婦論と拝することができよう。それは主従関係でなく、信頼関係をいわれているのである。

我々は信心によって得た功徳の現証として一家和楽の姿を挙げることができる。親子兄弟とそれぞれ立場は違っても、妙法を根本にして大きな目的観に貫かれた家庭は仲良く団結し、外からの障害にも強く、社会に対してもそれ自体価値創造していけるであろう。

この一家和楽の姿も、夫婦二人の単位から出発するものであり、夫婦仲の良いところに健全な家庭も築かれていくのである。

 

 

第二章(法華経供養の功徳を明かす)

本文

 法華経の行者に二人あり・聖人は皮をはいで文字をうつす・凡夫は・ただ・ひとつきて候かたびら・などを法華経の行者に供養すれば皮をはぐうちに仏をさめさせ給うなり、此の人のかたびらは法華経の六万九千三百八十四の文字の仏にまいらせさせ給いぬれば・六万九千三百八十四のかたびらなり、又六万九千三百八十四の仏・一一・六万九千三百八十四の文字なれば・此のかたびらも又かくのごとし、たとへばはるの野の千里ばかりに・くさのみちて候はんに・すこしの豆ばかりの火を・くさ・ひとつにはなちたれば一時に無量無辺の火となる、此のかたびらも又かくのごとし、ひとつのかたびらなれども法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし。
  この功徳は父母・祖父母・乃至無辺の衆生にも・をよぼしてん、まして・わが・いとをしと・をもふ・をとこは申すに及ばずと、おぼしめすべし、おぼしめすべし。
       五月二十五日 日 蓮 花押
    さじき女房御返事

 

現代語訳

 法華経を実践する者に二種類の人があります。聖人と凡人です。聖人は皮をはいで紙として経文を書き写す。凡夫は、着ているたった一枚の帷子(かたびら)などを法華経の行者に供養すれば、それは、聖人が身の皮をはいで仏に供養するのと同じであるとして、仏はおさめられるのです。

あなたが供養されたこの帷子は、法華経の六万九千三百八十四文字の仏に供養したのですから、六万九千三百八十四枚の帷子となるのです。また六万九千三百八十四の仏は、一つ一つが六万九千三百八十四の文字なのですから、六万九千三百八十四の仏にそれぞれ六万九千三百八十四枚の帷子を供養したことになるのです。

例えば、春の野の、千里ばかりの広さに草が生い茂っている所に、豆粒程のほんの小さな火を、草一つに放ったとすると、それはたちまちに燃え広がって無量無辺の火となります。この帷子もそれと全く同じです。一枚の帷子ですけれども、法華経の一切の文字の仏に供養したことになるのです。

この功徳は、あなたの父母、祖父母、更に多くの衆生にも及ぶことは当然です。まして、あなたの最愛の夫に功徳が及ぶことはいうまでもないとよくよく確信していきなさい。

五月二十五日             日 蓮  花 押

さじき女房御返事

 

語釈

聖人

①日蓮大聖人のこと。②仏のこと。③智慧が広く徳の優れた人で、賢人よりも優れた人。世間上では「せいじん」と読み、仏法上では「しょうにん」と読む。

法華経の六万九千三百八十四の文字

法華経一部八巻二十八品の総字数をいう。天台の用いたといわれる略法華経には六万九千三百八十四とあり、それ以後、一般的にこの数が定数として伝わっている。いずれの訳本をもとにするかにより、多少の数の増減はあるが、おおむねこの数に近くなる。本尊供養御書には「法華経の文字は六万九千三百八十四字・一一の文字は我等が目には黒き文字と見え候へども仏の御眼には一一に皆御仏なり」(1536:01)とある。

 

講義

桟敷女房が心を込めた供養をしたことを喜ばれて、その供養の功徳がいかに大きいかを説かれている。

 

法華経の行者に二人あり云云

 

普通「法華経の行者」とは、法華経を説の如く実践する人、という意であり、したがって、その法華経の真髄である妙法を弘める人、という意味で使われる。しかし、ここは、広い意味で用いられており、仏法のために真心を込めて尽くす人を「法華経の行者」と表現されたのである。

さて、そこで〝聖人〟と〝凡夫〟の二種を立て分けておられるが、いうまでもなく〝聖人〟の実践として挙げられている「皮をはいで文字をうつす」というのは、楽法梵志の例である。

楽法梵志は、釈尊の因位の修行の一つとして大智度論等に紹介されている。それによると、楽法梵志は、仏の教えを求めて多くの国を巡り歩いたが、容易に仏の教えを伝える人に会うことができなかった。

十二年目にして、魔が婆羅門に姿を変えて現われ「自分は仏の説いた教えを一偈知っている。もし、お前が自分の皮膚を紙とし、骨を筆とし、血を墨にしてこの偈を書写するなら、お前に教えてやろう」と言った。

楽法梵志は、心から喜んで、その通りにしてその一偈を書写したというのである。

このエピソードが教えていることは、我が身を儀牲にしても法を聞き、後世に伝えたいという純粋にして強い求道心が、成仏への因の一つとなったということである。たとえ、それを教えてくれた者が魔であったとしても、尊いのはそこに伝えられた〝法〟であり、そして、法を求めた熱烈な求法精神なのである。

そのように実際に、自分の骨を削って筆にし、皮をはいで紙とするなどということは、とうてい通常の凡夫にはできることではない。故に〝凡夫〟とは違った存在という意味で〝聖人〟といわれたのであろう。そこには、また、これはあくまで求道心というものを劇的に表現するために、経文の上に説かれたことであるとのニュアンスも込められているようである。

しかし、同時に、より深い立場から拝するならば、日蓮大聖人の実践そのものが、我が身を法のために捧げ切った〝聖人〟のなによりの実証であったといわなければならない。骨を削り、身の皮をはぐのと、権力による斬首の座に身をさらすのと、形は違っても、我が身を仏法のためになげうって惜しまないという精神においては、なんの違いもないからである。

これに対して〝凡夫〟の実践のあり方とはそうした、文字通り、仏法のために我が身命をなげうつ〝行者〟〝仏〟を支える在家信徒の姿勢である。この場合は、自分が一枚しかない着物、一つしかない食物を、惜しまずに〝聖人〟〝仏〟に供養することが、自分の皮をはいだのと同じ意義があり、自らの生命を捧げたのと同じことになるというのである。〝行者〟〝仏〟に着物や食物を供養するのは、それらの品によって行者、仏に生命を永らえてもらい、仏法を弘め、久住させてもらうためである。即ち、法を尊び、法を守ろうとする精神において、この凡夫は〝聖人〟〝仏〟と同等の場に立つのであり、行動の違いはその役割りの違いに過ぎないのである。

そして、この同じ「身軽法重」の精神に貫かれている故に、行動上の違いはあっても、同じ功徳があるものとされるのである。〝聖人〟と〝凡夫〟と立て分けられたからといって、凡夫を愚人や子供扱いにし、甘やかすような、あるいは一段下に見下すような考え方をされているわけでは絶対にないことを知るべきであろう。

 

又六万九千三百八十四の仏、一一六万九千三百八十四の文字なれば、此のかたびらも又かくのごとし

 

法華経題目抄にいわく「六万九千三百八十四字一一の字の下に一の妙あり総じて六万九千三百八十四の妙あり、妙とは天竺には薩と云い漢土には妙と云う妙とは具の義なり具とは円満の義なり、法華経の一一の文字・一字一字に余の六万九千三百八十四字を納めたり」(0944:05)と。

つまり、六万九千三百八十四字の一つ一つが、また六万九千三百八十四字を納めているということは、法華経の一字一字が、法華経の全体を包含しているということである。

桟敷女房は法華経のために一枚の帷子を供養したのであるが、それは、六万九千三百八十四の仏に供養したことになるばかりでなく、その六万九千三百八十四の仏の一つ一つが六万九千三百八十四の仏を包含しているのであるから、それらの全ての仏にも供養したことになるとの意である。

即ち、法華経即妙法こそ、三世十方のあらゆる仏の根源である故に、妙法への供養は、一切の仏に供養したことになる。いかほど妙法への供養の功徳が絶大であるかをおおせられているのである。

しかしながら、ここではっきりしておかなければならないことは、法華経への供養といっても、現実には、桟敷女房は、日蓮大聖人に供養したのである。それをなぜ「法華経への供養」と言われるかといえば、大聖人こそ人法一箇の無作三身の仏であられるからである。いいかえると、三世十方のあらゆる仏の根源としての久遠元初の自受用身とは日蓮大聖人に他ならないことを示されたものと拝すべきであろう。

 

この功徳は父母・祖父母乃至無辺の衆生にもをよぼしてん。まして我いとをしとをもふをとこごは申すに及ばずと、おぼしめすべし、おぼしめすべし

 

法華経の功徳の絶大さを具体的な表現で教えられたのである。このお手紙を与えられた桟敷女房は、決してあり余った生活の中から帷子を供養したのではないであろう。流通経済の発達していなかった当時、おそらく手ずから織り、縫いあげたものにちがいない。しかも交通の便も悪いなかで、大聖人のお手許にさし上げるまで、それはどれほどか祈りを込め、大切に扱われたことであろう。

その夫人の真心あふれる信心を大聖人はめでられているのである。また、その夫人の功徳が単に夫人だけにとどまらず父母、祖父母、無辺の衆生にまでいきわたる。ましてあなたがいとおしく思っている主人が守られないわけがないと励まされているのである。

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