妙一尼御前御消息(冬は必ず春となるの事)
建治元年(ʼ75)5月 54歳 妙一尼
第一章(故聖霊の逝去を悼む)
本文
妙一尼御前 日蓮
夫れ、天に月なく日なくば、草木いかでか生ずべき。人に父母あり。一人もかけば、子息等そだちがたし。その上、過去の聖霊は、あるいは病子あり、あるいは女子あり。とどめおく母もかいがいしからず。たれにいいあずけてか冥途におもむき給いけん。
現代語訳
天に月や太陽がなければ、草木はどうして成長することができるでしょうか。同じように人は父母があって、そのうち一人でも欠ければ、子供は育ち難いものです。
そのうえ亡くなった御主人の場合は、後に残す子供に、あるいは病気の者がおり、あるいは女の子がおります。そのうえ子供達を育てるべき尼御前も、あまり丈夫ではない。こうした状況せすから、いったい誰が後のことを頼んで冥途に赴かれたことでしょう。さぞ、心残りであったでしょう。
語釈
過去の聖霊
死者の霊魂。みたま。
冥途
冥土とも書く。亡者が迷っていく道、死後の世界。主として地獄、餓鬼、畜生の三途をさす。冥界、幽途、黄泉、冥府などともいう。その暗さは闇夜のようなものであり、前後左右が明らかでないという。
講義
本書は日蓮大聖人54歳の建治元年(1275)5月に、身延において認められ、妙一尼に与えられたお手紙でる。
妙一尼の夫は、竜の口法難の後、法華経信仰のために所領を没収され、大聖人の佐渡御流罪中に亡くなったようである。
本書では、妙一尼が、大聖人への御供養に衣を奉ったのに対し、健康のすぐれない体で残された病子、女子達を養育していかなければならない尼御前の苦労を思いやって、心から激励されている。
妙一尼の純粋な信仰に徹した人で、大聖人の流罪された佐渡の地へ一人の下人を遣わし、また後に身延へも一僕を送って奉仕させている。
第一章では、未亡人になった妙一尼の身の上を気遣い、その心情を思いやる日蓮大聖人の慈愛があふれている。一家の柱を失い、病子や女子を残された妻の身の心細さには、この大聖人の激励のお手紙が、どれほど強い支えになったか、測り知れないであろう。
第二章(仏の大慈悲を教える)
本文
大覚世尊・御涅槃の時なげいてのたまはく・我涅槃すべし但心にかかる事は阿闍世王のみ、迦葉童子菩薩・仏に申さく仏は平等の慈悲なり一切衆生のためにいのちを惜み給うべし、いかにかきわけて阿闍世王一人と・をほせあるやらんと問いまいらせしかば、其の御返事に云く「譬えば一人にして七子有り是の七子の中に一子病に遇えり、父母の心平等ならざるには非ず、然れども病子に於ては心則ち偏に重きが如し」等云云、天台摩訶止観に此の経文を釈して云く「譬えば七子の父母平等ならざるには非ず然れども病者に於ては心則ち偏に重きが如し」等云云・とこそ仏は答えさせ給いしか、文の心は人にはあまたの子あれども父母の心は病する子にありとなり、仏の御ためには一切衆生は皆子なり其の中罪ふかくして世間の父母をころし仏経のかたきとなる者は病子のごとし、しかるに阿闍世王は摩竭提国の主なり・我が大檀那たりし頻婆舎羅王をころし我がてきとなりしかば天もすてて日月に変いで地も頂かじとふるひ・万民みな仏法にそむき・他国より摩竭国をせむ、此等は偏に悪人・提婆達多を師とせるゆへなり、結句は今日より悪瘡身に出て三月の七日・無間地獄に堕つべし、これがかなしければ我涅槃せんこと心にかかるというなり、我阿闍世王をすくひなば一切の罪人・阿闍世王のごとしと・なげかせ給いき。
しかるに聖霊は或は病子あり或は女子あり・われすてて冥途にゆきなばかれたる朽木のやうなるとしより尼が一人とどまり此の子どもをいかに心ぐるしかるらんと・なげかれぬらんとおぼゆ、
現代語訳
釈尊は入滅の時、嘆いておられました。「自分は入滅するでしょう。ただ、心にかかるのは阿闍世王のことだけです」と。これを聞いて迦葉童子菩薩が、釈尊に「仏の慈悲は平等であって、一切衆生のためにご自身の命を惜しまれるべきであるのに、どうして特別に阿闍世王一人だけが心にかかるといわれたのでしょうか」と問うたところ、釈尊は「たとえばある人に七人の子供があり、その七人の子のうち一人が病気にかかったとします。父母の心は、どの子も平等であるけれども、やはり、病気の子に子に対しては誰よりも、心が傾くようなものです」と答えられました。
天台は摩訶止観にこの経文を解釈して「たとえば七人の子をもった父母は、どの子に対しても平等ではないわけではないが、病気の子に対しては誰よりも、心は重くかけるようなものです」と述べていますが、仏はそのように答えられたのです。
経文の意味は、人には沢山の子供がいますけれども、父母の心は病気する子にひときわ寄せられるということです。仏にとっては、一切衆生はみな我が子です。その中で罪が深くして父母を殺したり、仏や経典を誹謗し、敵対するような者は病気の子のようなものです。
ところで阿闍世王は摩竭提国の王です。釈尊の大檀那であった頻婆舎羅王を殺し、仏に敵対したので天も見捨てて日月の運行に異変が起こり、大地もこの王の上に頂くまいとして振動し、万民は王にしたがってみな仏法に背きました。そのため国は乱れ遂に他国から摩竭提国は攻められたのです。これらは、ひとえに悪人である提婆達多を師とした故です。
その結果、今日二月十五日から全身に悪瘡ができて、三月七日には命がつきて、無間地獄に堕ちるはずです。このことがかなしく、不憫に思われるので、入滅することが心残りなのですと、私はいったのです。もしもこの私が阿闍世王を救うことができれば、その他の一切の罪人も、阿闍世王と同じように、救うことができるのにと、嘆かれたのです。
それについても、亡くなった御主人は、あるいは病気の子があり、あるいは女の子がいます。その子供達を残して死んでいったならば、枯れ朽ちた木のような老いた尼が一人残って、この子供達のことをどれほどいたわしく思うでしょうかと、嘆かれたでしょうと思われます。
語釈
大覚世尊
仏、釈尊の別称。大覚は仏の悟り、世尊は仏の十号の一つで、万徳を具えており、世間から尊ばれるので世尊という。
涅槃
梵語(nirvāana)滅・滅度・寂滅・円寂と訳す。生死の境を出離すること。また自由・安楽・清浄・平和・永遠を備えた幸福境界をいい、慈悲・智慧・福徳・寿命の万徳を具備している境涯ともいえる。①外道では、六行観によって悲想天に達すれば、涅槃を成就できると考えた。②小乗仏教では煩悩を断じ灰身滅智すること。③権大乗では他方の浄土へ往生すること。④法華経では三大秘法の御本尊を信ずることによって、煩悩即菩提・生死即涅槃を証することができると説く。
阿闍世王
梵語アジャータシャトゥル(Ajātaśatru)の音写。未生怨と訳される。釈尊在世における中インドのマガダ国の王。父は頻婆沙羅王、母は韋提希夫人。観無量寿仏経疏によると、父王には世継ぎの子がいなかったので、占い師に夫人を占わせたところ、山中に住む仙人が死後に太子となって生まれてくるであろうと予言した。そこで王は早く子供がほしい一念から、仙人の化身した兎を殺した。まもなく夫人が身ごもったので、再び占わせたところ、占い師は「男子が生まれるが、その子は王のとなるであろう」と予言したので、やがて生まれた男の子は未だ生まれないときから怨みをもっているというので未生怨と名づけられた。王はその子を恐れて夫人とともに高い建物の上から投げ捨てたが、一本の指を折っただけで無事だったので、阿闍世王を別名婆羅留枝ともいう。長じて提婆達多と親交を結び、仏教の外護者であった父王を監禁し獄死させて王位についた。即位後、マガダ国をインド第一の強国にしたが、反面、釈尊に敵対し、酔象を放って殺そうとするなどの悪逆を行った。後、身体中に悪瘡ができ、改悔して仏教に帰依し、寿命を延ばした。仏滅後は第一回の仏典結集の外護の任を果たすなど、仏法のために尽くした。
迦葉童子菩薩
迦葉菩薩のこと。迦葉には①釈尊の十大弟子の一人。梵語マハーカーシャパ(Mahā-kāśyapa)の音写である摩訶迦葉の略。摩訶迦葉波などとも書き、大飲光と訳す。付法蔵の第一。王舎城のバラモンの出身で、釈尊の弟子となって八日目にして悟りを得たという。衣食住等の貪欲に執着せず、峻厳な修行生活を貫いたので、釈尊の声聞の弟子のなかでも頭陀第一と称され、法華経授記品第六で未来に光明如来になるとの記別を受けている。釈尊滅後、王舎城外の畢鉢羅窟で第一回の仏典結集を主宰した。以後20年間にわたって小乗教を弘通し、阿難に法を付嘱した後、鶏足山で没したとされる。②優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・の三兄弟、③十力迦葉、迦葉仏、老子の前身とする迦葉菩薩などあるが、本項の迦葉はそのいずれでもなく、④涅槃経ではじめて現れ、仏に三十六の問を発し、その対告衆となっている捃拾の機の迦葉のこと。
摩竭提国
インド古代の王国、マガダ(Magadha)国のこと。現在のインド・ビハール州南部。仏教に関係の深い王舎城や霊鷲山はこの地にあった。
檀那
布施をする人(梵語、ダーナパティ、dānapati。漢訳、陀那鉢底)「檀越」とも称された。中世以降に有力神社に御師職が置かれて祈祷などを通した布教活動が盛んになると、寺院に限らず神社においても祈祷などの依頼者を「檀那」と称するようになった。また、奉公人がその主人を呼ぶ場合などの敬称にも使われ、現在でも女性がその配偶者を呼ぶ場合に使われている。
頻婆舎羅王
梵名ビンビサーラ(Bimbisāra)の音写。影勝・顔色端正などと訳す。釈尊在世における中インド・摩掲陀国の王。阿闍世王の父。釈尊に深く帰依し、仏法を保護した。提婆達多にそそのかされた阿闍世太子に幽閉されるが、かえって阿闍世の不孝を悲しみ諌めた。阿闍世は獄吏に命じて食を断ち、ついに王は命終した。この時、王は釈尊の光明に照らされ、阿那含果を得たといわれる。
提婆達多
提婆ともいう。梵語デーヴァダッタ(Devadatta)の音写の略で、調達ともいい、天授・天熱などと訳す。一説によると釈尊のいとこ、阿難の兄とされる。釈尊の弟子となりながら、生来の高慢な性格から退転し、釈尊に敵対して三逆罪を犯した。そのため、生きながら地獄に堕ちたといわれる。法華経提婆達多品第十二には、提婆達多が過去世において阿私仙人として釈尊の修行を助けたことが明かされ、未来世に天王如来となるとの記別を与えられて悪人成仏の例となっている。
悪瘡
法華経を受持する者を軽笑したり誹謗する者が受ける過悪のひとつ。悪瘡のできもの。はれもの。
無間地獄
八大地獄の中で最も重い大阿鼻地獄のこと。梵語アヴィーチィ(avīci)の音写が阿鼻、漢訳が無間。間断なく苦しみに責められるので、名づけられた。欲界の最低部にあり、周囲は七重の鉄の城壁、七層の鉄網に囲まれ、脱出不可能とされる。五逆罪を犯す者と誹謗正法の者が堕ちるとされる。
講義
釈尊が涅槃の時、阿闍世王の謗法を嘆き、阿闍世王を救うことができれば、一切の罪人を救うこともできると嘆いた例を引かれ、故聖霊がどれほど病気の子や女の子のことを心にかけていたかを推察するところである。尼の心の最も奥深くの悲しみを取り出して、それを共に分かちあわれているのである。一人の老婦人のためにこれほどまで心を込めた指導をされていることに心をとどめなければならない。
譬えば七子の父母平等ならざるには非ず然れども病者に於ては心則ち偏に重きが如し
俗にできの悪い子ほど可愛いといわれる。親の子に対する愛情を例に引き、仏の心は一切衆生に対して平等であるが、なかんずく仏に敵対する者、宿業の重い者ほど心にかけて心配するという、仏の広大無辺の慈悲を述べた言葉である。
阿闍世王は、釈尊のいとこである提婆達多にそそのかされて、釈尊の大檀那であった父を幽閉したうえ、その命を断つという逆罪を犯した。そして自ら王位につき、更に提婆達多を新仏にしようとして、酔象を放ち釈尊を殺そうとした。しかしこの策略は失敗し、提婆達多は生きたまま大地が割れて地獄に堕ちた。
のち阿闍世王は、父王を殺した罪を後悔し仏弟子となったものの、犯した数々の謗法の科によってか、全身に悪性のできものが生じ、生きながらにして地獄の苦を味わうという、宿業の深さを示した。
釈尊は自らの死期が訪れた時、そうした阿闍世王という、謗法に染まった一人の人間の生命をあわれみ、それを救うために涅槃経を説いた。これによって阿闍世王は悪瘡も癒え、以後は正法をかたく護持して、釈尊入滅後は仏典の結集をはかり、大いに仏法興隆に尽くした。
この釈尊の入滅と阿闍世王の話の中に、仏法の根本目的がどこにあるかが明らかである。すなわち衆生の病を治すのが、仏法の役割りでる。その病、苦しみが重ければ重いほど、仏は慈悲の心をいよいよ深くして救っていくのである。むしろ、仏の慈悲が平等であるからこそ、苦しみの大きい衆生への慈愛が大きいのである。
第三章(妙法の功徳力を説く)
本文
かの心の・かたがたには又は日蓮が事・心にかからせ給いけん、仏語むなしからざれば法華経ひろまらせ給うべし、それについては此の御房はいかなる事もありて・いみじくならせ給うべしとおぼしつらんに、いうかいなく・ながし失しかばいかにや・いかにや法華経十羅刹はとこそ・をもはれけんに、いままでだにも・ながらえ給いたりしかば日蓮がゆりて候いし時いかに悦ばせ給はん。
又いゐし事むなしからずして・大蒙古国もよせて国土もあやをしげになりて候へばいかに悦び給はん、これは凡夫の心なり、法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を、経文には「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候。
現代語訳
亡き御主人は子供たちの行く末を心配されるとともに、その一方では、また日蓮のことが心にかかっておられたのでしょう。仏語が虚妄でないなら法華経は必ず流布するでしょう。とすれば、この日蓮御房は、何か素晴らしいことがあって、立派に敬われるようになられることと思われていたでしょうに、はかなくも佐渡に流罪されてしまったので、いったい法華経や十羅刹の守護はどうなったのかと思われたでしょう。
せめて今まで生きておられたんら、日蓮が佐渡から赦免になった時、どれほどか喜ばれたことでしょう。
また、立正安国論で予言していたことが事実となり、大蒙古国も攻め寄せて、国土も危うくなっているのを眼のあたりに見たなら、いよいよ大聖人の予言が的中したといって、さぞ喜ばれたことでしょう。
しかし、これは凡夫の心です。法華経を信ずる人は冬のようなものです。冬は必ず春となります。いまだかって冬が春とならずに秋に戻ったなどということは、聞いたことも見たこともありません。
同じように、いまだかつて法華経を信ずる人が凡夫になってしまったなどということも聞いたことがありません。法華経方便品には「もし法を聞くことができた者は、一人として成仏しない者はない」と説かれています。
語釈
十羅刹
羅刹とは悪鬼の意。法華経陀羅尼品に出てくる十人の鬼女で、藍婆、毘藍婆、曲歯、華歯、黒歯、多髪、無厭足、持瓔珞、皐諦、奪一切衆生精気の十人をいう。陀羅尼品に「是の十羅刹女は、鬼子母、并びに其の子、及び眷属と倶に仏の所に詣で、同声に仏に白して言さく、『世尊よ。我れ等も亦た法華経を読誦し受持せん者を擁護して、其の衰患を除かんと欲す』」とある。
凡夫の心
煩悩に束縛されて迷っていること。
講義
あるいは流罪されたといって嘆き、疑い、あるいは許されたといって喜び、また予言が的中したといって喜ぶなど揺れ動く姿を「凡夫の心」であるとされ、「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」という有名な御金言を引かれて、どのような出来事があったとしても、法華経を持った人が必ず勝利し、仏となっていきことは、物事の必然であることを示されている。
法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を、経文には「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候
大御本尊の力用を絶対であると確信し、いかなる出来事にも動ぜず、信仰の実践に励む者は、必ずや人生の冬を転換して、福徳に潤う爛漫の春を謳歌できると、力強く述べられている。
寒く厳しい冬もやがては必ず春へと移り変わっていくのは、自然のリズムの道理である。同じように、大御本尊をたもった私達は、各人の過去世の宿業や現世の謗法等によって多少の時間の経過の相違はあっても、因果の理法として必ず人生に幸福の実証を示し得ることは間違いない。
御本尊に帰依したということは、根源的に生命が浄化され、幸福への軌道に乗っていることを確信すべきである。
苦境に遭遇してなお「冬は必ず春となる」との確信を持ち、御本尊への功力を信ずる一念のあるところに、煩悩即菩提の実証は顕われるのである。
また「いまだきかず、法華経の信ずる人の凡夫となる事を」と述べられているが、本質論からすれば、法華経を信じている人の生命は、そのまま仏の生命なのである。
「法華経を信ずる心強きを名けて仏界と為す」と。したがって、退転し信心を失うならば、悪道の凡夫となってしまうことを知らねばならない。
第四章(故聖霊の信心を称える)
本文
故聖霊は法華経に命をすてて・をはしき、わづかの身命をささえしところを法華経のゆへにめされしは命をすつるにあらずや、彼の雪山童子の半偈のために身をすて薬王菩薩の臂をやき給いしは彼は聖人なり火に水を入るるがごとし、此れは凡夫なり紙を火に入るるがごとし・此れをもつて案ずるに聖霊は此の功徳あり、大月輪の中か大日輪の中か天鏡をもつて妻子の身を浮べて十二時に御らんあるらん、設い妻子は凡夫なれば此れをみずきかず、譬へば耳しゐたる者の雷の声をきかず目つぶれたる者の日輪を見ざるがごとし、御疑あるべからず定めて御まほりとならせ給うらん・其の上さこそ御わたりあるらめ。
現代語訳
亡くなられた御主人は、法華経のために身命を捨てた方です。わずかの身命を支えていた所領を、法華経の故に召し上げられたということは、法華経のために命をすてたのと同じではないでしょうか。
かの雪山童子は仏法の半偈を聞くために身を捨て、薬王菩薩は七万二千歳の間、ひじを焼いて仏前を照らして仏に供養しました。かの人達は、聖人ですからそれらの修行も火に水をいれるようなものでそれほど厳しいものには感じなかった。しかし、あなたの御主人は凡夫ですから、紙を火にいれるようなもので、その難は厳しくかんじられたでしょう。
このことから考えると、法華経のために所領を没収されたあなたの御主人は、命を捨てて仏になった雪山童子や薬王菩薩と同じ功徳があるのです。大月輪の中か、大日輪の中か、天の鏡に妻子の姿を浮かべて昼夜十二時に見守っておられることでしょう。
たとえ妻子は凡夫ですから、ちょうど耳の聞こえない人が雷の音を聞かず目の見えない人が日輪を見ないように、これを見ることも聞くこともできなかったとしても、決して疑ってはなりません。必ず主人はあなた方を守っていられることでしょう。それだけではなく、さぞかしあなた方のところへ来られていることでしょう。
語釈
聖人
①日蓮大聖人のこと。②仏のこと。③智慧が広く徳の優れた人で、賢人よりも優れた人。世間上では「せいじん」と読み、仏法上では「しょうにん」と読む。
十二時
一時は現在の二時間で、十二時で一昼夜、一日中のこと。十二時を二六時中ともいう。
講義
命を支える所領を奪われても信心を貫いた故聖霊がその功徳で天にあって妻子を常に見守っていることを述べて、激励されている。
雪山童子、薬王菩薩が身命を投げ出して、仏道修行をした例を引いて、日蓮大聖人の仏法を信ずる故に所領を没収された亡夫も同じ功徳があるとされる。
「彼は聖人なり、火に水を入れるがごとし、此れは凡夫なり、紙を火に入れるがごとし」とあるが、「彼は聖人なり」と述べられているのは、雪山童子や薬王菩薩が、それまで歴劫修行を積み重ねて相当の位に登っていたことを示している。そのような修行を積んだ人々にとっては、仏法のために身命を捨てることは、それほど難しいことではなかったかもしれない。しかし、凡夫である亡夫が、法華経の信仰ゆえに所領を取り上げられたのは「火に紙を入れる」ように厳しいものであったに違いない。その大難を耐えて信心を貫いた姿をほめられているのである。そしてそこに即身成仏の間違いないことを述べられているのである。
日蓮大聖人の仏法は、歴劫修行を積み上げた聖人のための仏法ではない。あくまでも我々荒凡夫のためのものである。我々にとって大事なことは、どのような事柄にぶつかっても揺るがない信心である。その信心の中に、雪山童子や薬王菩薩と同じ功徳が含まれ、即身成仏の実証が現われるのである。
第五章(尼御前の信心を励ます)
本文
力あらばとひまひらせんと・をもうところに衣を一つ給ぶでう存外の次第なり、法華経はいみじき御経にてをはすれば・もし今生にいきある身ともなり候いなば尼ごぜんの生きてをわしませ、もしは草のかげにても御らんあれ、をさなききんだち等をばかへり見たてまつるべし。
さどの国と申しこれと申し下人一人つけられて候は・いつの世にかわすれ候べき、此の恩は・かへりて・つかへたてまつり候べし、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経・恐恐謹言。
現代語訳
できることならば、こちらから訪ねようと思っていたところへ、かえって衣を一ついただいたことは、全く思いがけない次第です。
法華経はありがたいお経ですから、もし今生に勢いのある身となったら、尼御前が生きておられるにせよ、もしくは草葉の陰からご覧になっているにせよ、幼い子供達は、日蓮が見守って育てるでありましょう。
佐渡の国といい、この身延の山といい、下人を一人つけられた御志は、いつの世にも忘れることがありましょうか。この御恩はまた生まれ替わって報いるでありましょう。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経・恐恐謹言。
五月 日 日蓮花押
妙一尼御前
語釈
きんだち
貴族や名門の家の子弟。ここでは、北条一門の子息たち。
講義
「自分に力があるなら、ほんとうはこちらからお訪ねしようと思っていたところに逆に衣を供養してこられたことは存外です」というお言葉は、大聖人が人間として平等の立場で、礼を尽くして接しられている姿勢がうかがえる。
しかも、そればかりでなく、妙一尼が最も心かけているであろう、幼い子らを、どこまでも大聖人が見守っていくことを約束されているところに、慈父にも似たあたたかい愛情が感じられるのである。