十八円満抄
弘安3年(ʼ80)11月3日 59歳 最蓮房
第十章(天真独朗の止観は末法に不適なるを明かす)
本文
問うて云く天真独朗の法・滅後に於て何れの時か流布せしむべきや、答えて云く像法に於て弘通すべきなり、問うて云く末法に於て流布の法の名目如何、答えて云く日蓮の己心相承の秘法此の答に顕すべきなり所謂南無妙法蓮華経是なり、問うて云く証文如何、答えて云く神力品に云く「爾の時・仏・上行等の菩薩に告げたまわく要を以て之を言わば乃至宣示顕説す」云云、天台大師云く「爾時仏告上行の下は第三結要付属なり」又云く「経中の要説・要は四事に在り総じて一経を結するに唯四ならくのみ其の枢柄を撮つて之を授与す」問うて云く今の文は上行菩薩等に授与するの文なり汝何んが故ぞ己心相承の秘法と云うや、答えて云く上行菩薩の弘通し給うべき秘法を日蓮先き立つて之を弘む身に当るの意に非ずや上行菩薩の代官の一分なり、
現代語訳
問うて言う。天真独朗の法は、仏滅後においてはいずれの時に流布したらよいのであろうか。
答えて言う。像法の代に流布すべきである。
問うて言う。末法において流布すべき名目はどうか。
答えて言う。日蓮が己心に相承した秘法をこの答えで明らかにしよう。いわゆる南無妙法蓮華経のことである。
問うて言う。その証文はどのようなものであろうか。
答えて言う。法華経如来神力品第二十一には「爾の時に仏は上行等の菩薩に告げられて、要をもってこれをいうならば(乃至)宣示顕説していくのである」と述べている。天台大師は法華文句巻十下で「『爾時仏告上行』から下の文は第三の結要付属をあらわしている」と釈している。また「法華経中の要説の要は四事に在るのである。総じて法華経はただ四事に在るのである。総じて法華経はただ四事に結ばれているのである。その根本をとって上行等に授与した」と言っている。
問うて言う。今の文は上行菩薩等に授与する文である。どうして汝が己心相承の秘法と云うのか。
答えて言う。上行菩薩の弘通される秘法を日蓮が先立ってこれを弘めているのである。身に当たるというのはこの意である。日蓮は上行菩薩の代官の一分なのである。
語釈
滅後
仏が入滅したあと。
像法
釈迦滅後千~二千年の間。すべての仏に正像末がある。この時期は教法は存在するが、人々の信仰が形式に流されて、真実の修行が行われず、証果を得るものが少ない時代。
末法
正像末の三時の一つ。衆生が三毒強盛の故に証果が得られない時代。釈迦仏法においては、滅後2000年以降をいう。
相承
相は相対の意、承は伝承の義。師弟相対して師匠から弟子に法を伝承すること。
神力品
妙法蓮華経如来神力品第21のこと。妙法の大法を付嘱するために、10種の神力を現じ、四句の要法をもって地涌の菩薩に付嘱する。別付嘱と結要付嘱ともいうことが説かれている。
上行等の菩薩
涌出品に出てくる上行菩薩を筆頭とする無辺行・浄行・安立行の四菩薩のこと。
宣示顕説
はっきりと説き示し、説き顕わしたこと。
結要付属
肝要をまとめて付属すること。法華経如来神力品第21には「要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す」とある。
四事
法華経如来神力品第21に説かれる四句の要法のこと。「要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す」の文を指す。
枢炳
枢は扉の回転軸、炳は器具のとって、いずれもものごとの肝心要をいう。
代官
主君の代理として職務に当たる者。
講義
これまでの修禅寺相伝日記に記された法は像法に流布された仏法であり、末法流布の法は、大聖人が相承された南無妙法蓮華経であることが説かれているのである。
神力品に云く「爾の時・仏・上行等の菩薩に告げたまわく要を以て之を言わば乃至宣示顕説す」
法華経如来神力品第二十一の文である。
この品では、釈尊が妙法蓮華経の大法を地涌の菩薩に付嘱するにあたって、十神力を現じた後、このような十の神力をもってしても妙法蓮華経の大法の功徳はとても表わし尽くせるものではないが、要約すれば次のようになると述べ、四つの句に要約してこの大法を上行菩薩を上首とする地涌の菩薩に付嘱するのである。ここから、この付嘱は「結要付嘱」と名づけられる。
すなわち「要を以って之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す」という文である。
「如来の一切の所有の法」とは、仏が有している一切の法であり、「如来の一切の自在の神力」とは仏が行う衆生救済のすべての力用、「如来の一切の秘要の蔵」とは仏が悟った秘密の真理、「如来の一切の甚深の事」とは仏のすべての修行の因果をさす。
この文を天台大師は釈して「爾時仏告上行の下は第三結要付嘱なり」と述べて、この文が結要付嘱に当たることを明かすとともに、更に、五重玄義に配している。
「如来の一切の所有の法」が名玄義、「如来の一切の自在の神力」が用玄義、「如来の一切の秘要の蔵」が体玄義、「如来の一切の甚深の事」が宗玄義、そして「此の経に於いて宣示顕説す」が教玄義にあたる、と。
日蓮大聖人は、この四句の要法を三大秘法禀承事において、三大秘法の依文とされている。
問うて云く今の文は上行菩薩等に授与するの文なり汝何んが故ぞ己心相承の秘法と云うや、答えて云く上行菩薩の弘通し給うべき秘法を日蓮先き立つて之を弘む身に当るの意に非ずや上行菩薩の代官の一分なり
上行菩薩を上首とする地涌の菩薩に付嘱されたこの神力品の文を授与されたことは経文に明確であるが、日蓮大聖人が「己心相承の秘法」といわれたことに対し疑問を設け、それに答えるかたちで大聖人の御立場をしめされるのである。
すなわち、上行菩薩の弘通されるはずの法を、今、大聖人が弘通されていつこと自体、己心に相承したからにほかならないというお答えである。ただし「日蓮先き立つて」弘められているのであり、「上行菩薩の代官の一分」であると、謙遜して述べられている。
本来、日蓮大聖人は「久遠名字より已来た本因本果の主・本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮詮要す」(0854:03)と仰せられているのである。
なお三大秘法禀承事では「此の三大秘法は二千余年の当初・地涌千界の上首として日蓮慥かに教主大覚世尊より口決相承せしなり、今日蓮が所行は霊鷲山の禀承に芥爾計りの相違なき色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」(1023:05)と明かされている。