兵衛志殿御返事(三障四魔事)2012:11華より。先生の講義
「賢者は喜び」の信心で永遠の勝利を
「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり」
今回は、この有名な御聖訓が記された「兵衛志殿御返事」を拝したい。重要な信心の姿勢が端的に示されている一書です。
三障四魔といっても、できるものなら、困難に遭遇したくない。そう思うのは、人間の心情かもしれません。
しかし、日蓮大聖人は、三障四魔が出来することは「喜び」であると仰せになっています。
なぜ、障魔が競いおこることが「喜び」なのか。どうすれば「喜び」となるのか。
結論を先に言えば。その障魔の坂を上り切るなかで成仏の境涯が築かれ、向上には常楽我浄の大眺望が開かれるからです。
三障四魔について、戸田先生は幾度も語られました。三障四魔は小さな功徳の山から、成仏という大境涯の山に登る谷間に生ずる成仏という鍛錬である、ということを打ちこんでくださるのです。
大切なのは、三障四魔の捉え方です。「これは、自分が呼び起こした障魔だ!」と自覚することです。
一見、障魔から攻め込まれているように思うことがあるかもしれない。しかし本質は逆です。私たちが自ら勇んで成仏の峰に挑んだがゆえに、障魔が競い起こったのです。魔が競うのは、正法である証しです。実践が正しいことの証明です。どこまでも、主体者は自分です。永遠の常楽我浄の幸福境涯を得るために避けて通ることのできない試練である。こう覚悟した者にとって、障魔と戦うことは最高の喜びとなるのです。
自ら勇んで怒濤に向かう
懐かしい思い出があります。
昭和33年(1958)7月、新潟の港から佐渡へ、荒波を渡った時のことです。恩師戸田城聖先生が逝去された直後でした。
悪天候で、いつ欠航になるか分からないために、急いで船に飛び乗り、佐渡で奮闘する同志のもとへ向かいました。
船は4時間も、嵐の海に揺れました。同行した幹部も船酔いに苦しんでいた。
私は甲板に立ち、恩師亡き後、健気に戦う同志を思い、怒濤に向かう「創価学会丸」という民衆の大船の未来を思い描きながら、嵐の海の彼方を見つめました。
「虎うそぶけば大風ふく・竜ぎんずれば雲をこる」(1538:16)です。
この嵐も、自分で呼びおこしたのだ! こう決めれば、希望が、生きがいが、熱く胸に燃え上がります。
自ら勇んで立ち上がる歓喜の信心、日蓮大聖人は、この境涯を、逆境の中にいる門下に教えられたのです。舳先を波に向けなければ、船は転覆してしまいます。魔に対しては、従っても、恐れてもいけない。競い起こる魔には、正面から立ち向かうしかない。魔と戦う中に、金剛不壊の成仏の境涯が確立されるからです。
本文
さてはなによりも御ために第一の大事を申し候なり、正法・像法の時は世もいまだをとろへず聖人・賢人も・つづき生れ候き天も人をまほり給いき、末法になり候へば人のとんよくやうやくすぎ候て主と臣と親と子と兄と弟と諍論ひまなし、まして他人は申すに及ばず
現代語訳
さて、はなにもさておいて、あなたのために第一に大事なことを申します。
正法・像法の時は、世の中もいまだ衰えることなく、聖人・賢人も続いて誕生しました。諸天も人を守りました。末法になりますと、人の貧欲が次第に深くなって、主君と臣下と、親と子と、兄と弟と諍論のやむときがありません。まして、他人同士はいうまでもありません。
講義
2度目の「勘当事件」
成仏の大境涯が獲得できるかどうかの瀬戸際だからこそ、「三障四魔」が競い起こる。その時に“わが弟子よ、断じて負けるな!”“無明を打ち破り、断固、勝ち抜け!”本抄は、そうした、大聖人のほとばしるような思いが拝されるお手紙です。
「さてそれでは、何よりも、あなたのために、第一の大事なことを申し上げましょう」
真心の御供養に対する御礼を述べられた後、最初の一節からも、どこまでも門下の幸福を願われ、仏法の真髄を示される大聖人の御真情が伝わってきます。
本抄をいただいた兵衛志は、武蔵国の門下であった池上兄弟の弟で、名は宗長と伝えられます。兄は右衛門大夫宗仲といい、兄弟の父親は左衛門大夫と呼ばれていました。
池上家は、鎌倉幕府に仕えていた武士で、有力な工匠であったとされます。
兄弟は、立宗宣言から間もないころに、大聖人に帰依したと伝えられています。
ところが、兄弟の父は極楽寺良観を信奉していたため、息子たちの信仰に反対で、2度にわたり兄弟を勘当します。
初めの勘当に際し、大聖人が賜ったのが「兄弟抄」です。兄弟とその夫人たちは、大聖人の御指導通りに団結して戦い、一度は勘当をゆるされます。
しかし、良観らの執拗な働きかけもあったのでしょう、康光は再び兄・宗仲を勘当します。その知らせを受けた大聖人が、弟、宗長に宛てて送られたのが本抄です。
例えば、病気の再発など、人生には一度ならず苦難に見舞われたことがあります。その時こそ、まことの勝負です。
再びの兄の勘当 これに対し、兄自身は、何があろうと、大聖人の弟子として信仰を貫く覚悟を決めていました。大聖人も、「今度法華経の行者になり候はんずらん」と、宗仲の決意を賞讃されています。一方、弟・宗長がどう振る舞うか、ここに、今回の問題解決の焦点があると、大聖人は御覧になられていたようです。
おそらく、宗長は、信心と池上家との板挟みの状態で悩んでいたのでしょう。
例えば、兄が家を出て、弟も家を出てしまえば、幕府から任された池上家の職務を、誰も継がなくなり、途絶えることになる。それでは、父にも、他の人々にも、あまりに申し訳ない。そういう思いも、宗長にはあったかもしれません。それが世間の常識に適った感覚であったでしょうし、宗長の心優しい一面であったかもしれない。
大聖人は、本抄の冒頭、末法は、主人と家臣、親と子、兄と弟の間で、争いが絶えない時代であると示されます。それは、貧瞋癡の三毒によって衆生の生命が濁り、そのために、尊重すべき主君や親や師匠を軽んじてしまうからだと仰せです。この時代を見抜いた仏法の洞察です。
しかしそのうえで、大聖人は、主君や親に従うことが悪を行う場合には、諌めることが真実の忠義であり、孝養であると確信されています。表面的な次元から、しっかり現実をみきわめよと戒められているのです。
このことは、先に与えられた「兄弟抄」でも「一切は・をやに随うべきにてこそ候へども・仏になる道は随わぬが孝養の本にて候か」(1085-07)と仰せです。本抄でも大聖人は、この原理に常に立ち返っていくべきことを示されています。本抄の後半では、自分が仏になれば、仏法に違背した親をもみちびくことができると仰せです。
宗長の直面している事態に対して、今が重要な分岐点であり、どこまでも透徹した信心の眼をもって乗り越えていくよう教えられています。人生の十字路に立った時、師匠の指針ほどありがたいものはありません。本抄は一貫して、宗長自身が力強く立ち上がれるように、覚悟を促されています。
弟子が一人立つ。それが師匠の願いです。
本文
ただこのたびゑもんの志どのかさねて親のかんだうあり・とのの御前にこれにて申せしがごとく一定かんだうあるべし・ひやうへの志殿をぼつかなしごぜんかまへて御心へあるべしと申して候しなり今度はとのは一定をち給いぬべしとをぼうるなりをち給はんをいかにと申す事はゆめゆめ候はず但地獄にて日蓮をうらみ給う事なかれしり候まじきなり千年のかるかやも一時にはひとなる百年の功も一言にやぶれ候は法のことわりなり、
現代語訳
ただこのたび、右衛門志殿が勘当されたそうで、そのことに関してはあなたの奥さんにここ身延で言っておいたとおりです。すなわち、その時に「右衛門志殿は、また必ず勘当されるでしょう。そのとき兵衛志殿が気がかりです。そのときに、あなたがしっかりしなくてはいけません」と言っておいたのです。今度はあなたは必ず退転されると思うのです、退転するのを、どうこうというつもりは毛頭ありませんが、ただ、地獄に堕ちてから日蓮を怨んではなりません。その時は知りませんよ。千年間もたった苅茅も一時に灰となってしまい、百年の功も一言で破れるというのは、物事の道理です。
講義
「一筋に思い切って」仏道を成就
再び兄の勘当に際して、大聖人は、宗長に厳しい言い方で諌められています。“あなたは退転するだろう。その時、地獄で日蓮を恨まないように”、と述べられるだけでなく、この趣旨は本抄で幾度となく繰り返されます。
「あなたは目前のことにとらわれた浅はかな考えから父親につくだろう。そうすれば、ものの道理が分からない世間の人々はそれをほめるだろう」
「わずかばかりの利益のために親に媚びへつらって、信心の意志が薄弱で三悪道に堕ちてしまって、日蓮をお恨みなさるな。どう考えても、今度、あなたはきっと退転するにちがいない」
本抄の結びでも、綴られています。
「このように言っても、むだな手紙になるであろうと思うと、書くのも気が進まないが、後々に思いだすために記しておこう」
言うまでもなく、これは、宗長を突き放しているのではなく、どこまでも真剣に宗長の奮起を願われてのことです。門下との強い心の絆があれば、徹して厳しく表現されていると拝されます。弟子の成長を願わない師匠はいません。師匠の叱咤は、弟子を思うゆえの厳愛です。
魔との戦いとは、結局は、自分の無明を打ち破る「信」を起こすことしかありません。宗長をもう一歩、深い信心に、何としても奮い立たせたい! 大聖人は、あたかも、宗長の肩をつかみ、じっと目を見て揺さぶるかのとうに、励まし、誡め、また励まされています。大聖人の渾身のお言葉が、宗長の心の奥へ奥へと、染み込んでいくようです。
一方、本抄で大聖人は、「せんするところひとすぢにをもひ切つて」「親に向つていい切り給へ」「申し切り給へ」「すこしも・をそるる心なかれ」「よくよくをもひ切つて一向に後世をたのまるべし」と仰せです。
「思い切れ」「言い切れ」「申し切れ」「よくよく思い切れ」たたみかけるように大聖人は、「勇気」と「覚悟」をもって魔とたたかいゆくよう教えられています。
今回の事件の急所は、宗長が父親にたいして、「私は兄と行動を同じくしていきます」と言い切れるかどうかです。
「難を乗り越える信心」とは、一念を定めること、腹を決めることから始まります。大聖人が宗長に、強い表現で決意を促されているのも、宗長自身が、深い覚悟で立ち上がれることを確信されてのことと拝されます。
「一家和楽」の妙荘厳王の原理
ここで「一家和楽」について、一点、確認しておきます。本抄で池上家を、法華経に説かれた妙尊厳王の一家に重ねられ、「昔と今と時代は変わっても、法華経に示された道理は変わらない」と仰せです。
戸田先生が、質問会で「親が信心に反対」「夫が学会活動に協力してくれない」等、家庭のことで悩む友に、よく語ってくださったのが、この妙荘厳王の一家の物語でした。
「妙荘厳王品というのは、おもしろい経文です。この経文には、父親の妙尊厳王と母親の浄徳夫人と浄蔵・浄眼の兄弟の、4人のことが説かれています。この4人のうちで、父である妙荘厳王だけ信心をしないのです。そこで、母と2人の兄弟でなんとか父を信心させようと努力するのです」
どうすればよいか、仏のところへ指導を受けにいきました。そして、仏から『信心修行に励み、神通力を現じなさい』と教えられ、そのとおり実践して、ついに父王を信心させることができたのです。神通力とは、いまでいえば、御本尊様を拝んで功徳を受け、立派になることです。
さらに戸田先生は、天台大師の『法華文句』に記された、この一家の過去世についても語られました。
それは、この4人は、過去世に約束をしていたのです。同志として4人が生活をしていた時に、3人は修行に出て、1人は家に残って、家事の一切を受け持ち、3人から学んだことを教わった。未来世において、1人は王となり、1人は妃となり、あとの2人は子どもとして生まれあわせた。王となったのは、家に残って生活を支えていた1人です。
戸田先生は、この3人が父である妙荘厳を信心させるために悩み、相談したことは、「3人で学んだことを、修行を支えてくれた1人に教える」と約束したことを果たしている姿だと教えられています。
この物語を聞いて、皆、心から納得し、感激しました。妙法に縁した絆は永遠です。今世の役割を果たし抜いていけば、一家和楽を築けることは間違いない、と。
いつも申し上げることですが、全員が信心しなければ和楽が実現できないということはありません。一人が太陽となれば、その陽光は一家、一族を照らします。
その福徳は子々孫々まで包みます。なんの心配もありません。
自分が一家和楽の主人公となれば良いのです。自分の境涯を開いていけば、必ず和楽は実現できます。
本文
すこしも・をそるる心なかれ・過去遠遠劫より法華経を信ぜしかども仏にならぬ事これなり、しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし、 必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり、
現代語訳
少しも恐れる心があってはならない。過去遠遠劫より法華経を信じたけれど、仏になれなかったのは、これによるのです。潮が干るときと満るときと、月の出るときと入るとき、また、夏・秋・冬・春の四季が変わる時には、必ず普段と異なることがあります。凡夫が仏になるときもまた同じです。すなわち、仏になるときには、必ず三障四魔という障害がでて来るので、賢者は喜び、愚者はひるんで退くのです。
講義
“今が、成仏への境目の時”と
潮の満ち引き、月の出入り、四季の境目には、必ず、大きな変化があります。
三障四魔とは、凡夫が仏に成る境目に生ずる、という原理を教えられています。多くの人が仏になれないのも、遠い過去から今に至るまで、せっかく法華経を信じながらも障魔に敗れてしまったからだと仰せです。
今、この時が肝要であると教えられています。三障四魔は成仏の関門です。これを乗り越えれば必ず仏に成れる。だからこそ、「賢者はよろこび愚者は退くこれなり」なのです。
反対に言えば、三障四魔が競わない信心は、本物ではありません。偉大な「創価学会の信心」は、初代会長の牧口先生以来、障魔を恐れずに、不惜身命、死身弘法の戦いを貫き通いてきたからこそ、確立されたのです。このことを永遠に忘れてはなりません。
創価創立の月にちなみ、創価の原点を確認する意味で、牧口先生、戸田先生の御指導をまなびあっていきたい。
創価の父・牧口先生が「魔が起るか起らないかで信者と行者の区別がわかる」と指導なされたことは有名です。
「自分は一個のために信仰している小善生活の人には決して魔は起らない。之に反して菩薩行という大善生活をやれば必ず魔が起る。起ることをもって行者と知るべきである」とも指導されました。
三障四魔は、自他共の無明の発動です。自他共の法性を開く菩薩行を行うゆえに、必ず障魔が起こる。
牧口先生は、さらに、「進んで魔の働きを駆り出して」いくことを教えられています。魔を駆り出して克服することで、信仰を深め、無量の功徳を積み、変毒為薬を実現し、最高の幸福境涯を確立することができる。これが牧口先生の指導です。
そして、その覚悟のままに大難にあわれ、魔と戦い抜く創価の信心を残されました。
戸田先生もまた、「三類の強敵と戦い抜き、三障四魔を断破していくなかに、真の大利益・人間革命の真髄がある」ことを身をもって示されました。そして、いかなる大難に遭おうとも、「これが魔だ!」と見破れば、後は勇気百倍乗り切れると、繰り返し指導されました。
そして戸田先生は、三類の強敵が必ず出現することを断言されていた。「これがでると、私もうれしいと思うが、みなもうれしいと思ってもらいたい。そのときこそ、敢然と戦おうではないか」こう、私たちに呼び掛けられたのです。魔に対して、烈々たる気迫で臨まれる先生でした。
日蓮仏法は、生命変革の宗教です。そして、その信心の精髄は、大聖人直結の学会の中にのみ脈動しています。魔と戦い、魔を打ち破る日蓮大聖人の仏法の実践は、学会の信心の中に厳然と受け継がれました。
関西での激しい大闘争の渦中に、私は愛する同志と共に、「賢者はよろこび愚者は退くこれなり」の御文を心肝に染めました。私たちは今こそ、賢者として立ち上がるのだ、と。
学会は一切の障魔に勝利したからこそ、世界192ヵ国・地域に広まったのです。世界中に妙法の種がまかれました。牧口先生・戸田先生も、どれほど喜ばれているか。日蓮大聖人も三世十方の諸仏も賞讃されていることは間違いありません。
したがって、仏意仏勅の和合僧である学会の中で信心を貫いていけば、魔を打ち破らないわけがありません。
魔と戦う時に大事なことは、第1に「題目」です。自分の仏の境涯が躍動すれば、魔に打ち勝つことができます。そして、第2に「和合僧」の世界に入ることです。
環境によって自分の生命を支配されてはならない。勇んで「信心の世界」に飛び込むことです。
そうすれば、御本仏の戦う生命が自分の中にも涌現してきます。広宣流布に戦う生命に触れることが、自分を強くします。日蓮大聖人の大確信に接して、宗長は断じて勝利せんと決意を深めたことでしょう。
本文
仏になり候事は此の須弥山にはりをたてて彼の須弥山よりいとをはなちて、そのいとの・すぐにわたりて・はりのあなに入るよりもかたし、いわうや・さかさまに大風のふきむかへたらんは・いよいよかたき事ぞかし、経に云く「億億万劫より不可議に至る時に乃ち是の法華経を聞くことを得億億万劫より不可議に至る諸仏世尊時に是の経を説きたもう・是の故に行者仏滅後に於て是くの如きの経を聞いて疑惑を生ずること勿れ」等云云、此の経文は法華経二十八品の中に・ことにめづらし、序品より法師品にいたるまで等覚已下の人天・四衆・八部・其のかずありしかども仏は但釈迦如来一仏なり重くてかろきへんもあり、宝塔品より嘱累品にいたるまでの十二品は殊に重きが中の重きなり、其の故は釈迦仏の御前に多宝の宝塔涌現せり月の前に日の出でたるがごとし、又十方の諸仏は樹下に御はします十方世界の草木の上に火をともせるがごとし、此の御前にてせんせられたる文なり。
涅槃経に云く「昔無数無量劫より来た常に苦悩を受く、一一の衆生一劫の中に積む所の骨は王舎城の毘富羅山の如く飲む所の乳汁は四海の水の如く身より出す所の血は四海の水より多く父母兄弟妻子眷属の命終に哭泣して出す所の目涙は四大海より多く、地の草木を尽くして四寸の籌と為し以て父母を数うも亦尽くすこと能わじ」云云、此の経文は仏最後に雙林の本に臥てかたり給いし御言なりもつとも心をとどむべし、無量劫より已来生ところの父母は十方世界の大地の草木を四寸に切りてあてかぞうとも・たるべからずと申す経文なり、此等の父母にはあひしかども法華経にはいまだ・あわず、されば父母はまうけやすし法華経はあひがたし、今度あひやすき父母のことばを・そむきて・あひがたき法華経のともにはなれずば我が身・仏になるのみならず・そむきしをやをもみちびきなん、
現代語訳
仏になることは、かりに二つの須弥山が二つ並んでそびえているとして、こちらの須弥山に針を立てて、あちらの須弥山より糸を放つて、その糸がまっすぐに渡って針の穴に入るよりも難しいのです。いわんや、逆向きに大風が吹いてきたならば、いよいよ難しいことです。
常不軽品には「億億万劫の昔から、不可思議劫に至る長い間を経て、この法華経を聞くことができる。億億万劫より不可思議劫に至る長い間を経て、諸仏世尊は、是の経を説かれるのである。このゆえに行者は仏滅後に、このように値い難い経を聞いて疑惑を生じてはならない」と。この経文は、法華経二十八品のなかでも、ことに大事な文であります。序品から法師品に至るまでの法華経の会座には、等覚の菩薩已下の人・天・四衆・八部など、その数は多かったが、仏は但釈迦如来一仏であり、重みがあるようでも軽いともいえます。宝塔品から嘱累品に至るまでの十二品は、とくに重い経のなかでも重いのです。そのゆえは、釈迦仏の御前に多宝の宝塔が湧現しました。それは月の前に日の出たようなものです。また十方の諸仏は樹下におられたが、それは十方世界の草木の上に火をともしたようです。その前で説かれた経文です。
涅槃経には「無数無量劫の昔より以来、衆生はつねに苦悩をうけてきた。一人一人の衆生はそのただ一つの劫の間だけでも、数えきれないほど何回も生を受けてきており、その間に積んだところの骨は王舎城の毘富羅山のようになる。また、飲んだところの乳汁は四海の水のようであり、身より出した血は四海の水よりも多く、父母兄弟妻子眷属の命終に哭泣して流したところの涙は四大海の水よりも多く、大地の草木の全てを四寸の籌として、それによって、父母の数を数えてもなお数えることはできない」と。この経文は、釈尊が最後に雙林の下で臥して説かれた経であり、最も心をとどめなければなりません。無量劫より、以来、自分を生んでくれた父母は十方世界の大地の草木を四寸に切って、一人一人にあてて数えても数えたりないという経文です。
このように数多くの父母には値ったけれども、法華経にはいまだ値っていません。それほどに父母には値い易いが法華経には値い難いのです。今度、値い易い父母の言葉に背いて、値い難い法華経の友から離れなかったならば、わが身が仏に成るだけではなく、背いた親も導くことができましょう。
講義
「法華経に巡りあう」難しさ
門下の覚悟を促した後、大聖人はさらに、幾つかの観点から激励を重ねられます。
一つは、法華経に巡りあえたことが、いかに希有であるか。その信心を貫き、成仏することが、いかに至難であるか。心せよ、その瀬戸際が今だと、大聖人は教えられています。
そして法華経は、釈迦仏だけでなく、多宝如来・十方の諸仏が集い、滅後の一切衆生の成仏を約束している経典である。絶対に間違いないと確信を深めさせていきます。
そのうえで、やはり宗長にとって、父母への孝養は重大なテーマです。大聖人は、再度真の孝養について言及されていきます。
大聖人は“人は生死生死を繰り返すなかで、ほとんど無数ともいえる父母にあっている”との涅槃経の文をひかれています。
この対比で明らかなのは、父母にはあいやすいが、法華経にはあい難いということです。大聖人は「あい難き法華経の友から離れなければ、わが身が仏になるだけではなく、背いた親をも導くことができるでしょう」とも仰せです。「法華経の友」は妙法を教えてくれる、共に実践する善知識です。
親孝行をしたいと、多くの人が思っている。その思いがあるだけでも、素晴らしいことです。しかし、どんな宿命にも負けない、強い生命へと自身を境涯革命してゆくことが、真の親孝行となる。何のための信仰か、自分が縁する全ての人と仏縁を結び、皆を幸福にするための信仰です。一人も残らず、本物の「勝利者」になり、永遠の「孝養」を果たしてほしいとのお心が伝わってきます。
本文
これは・とによせ・かくによせて・わどのばらを持斎・念仏者等が・つくり・をとさんために・をやを・すすめをとすなり、両火房は百万反の念仏をすすめて人人の内をせきて法華経のたねを・たたんと・はかるときくなり、 極楽寺殿はいみじかりし人ぞかし、念仏者等にたぼらかされて日蓮を怨ませ給いしかば我が身といい其の一門皆ほろびさせ給う・ただいまは・へちごの守殿一人計りなり、両火房を御信用ある人はいみじきと御らむあるか、なごへの一門の善光寺・長楽寺・大仏殿立てさせ給いて其の一門のならせ給う事をみよ、又守殿は日本国の主にてをはするが、一閻浮提のごとくなる・かたきをへさせ給へり。
わどの兄をすてて.あにがあとを・ゆづられたりとも千万年のさかへ.かたかるべし、しらず又わづかの程にや・いかんが・このよならんずらん、よくよくをもひ切つて一向に後世をたのまるべし、
現代語訳
これは、なにかと、ことによせて持斎・念仏者たちがさまざまに画策してあなたたちを退転させるために、まず親をそそのかして悪道に堕としているのです。両火房は百万弁の念仏称名をすすめ、人々の仲を裂いて法華経の仏種を断とうと謀っているときいております。
北条重時は立派な人でしたが、念仏者等に騙されて日蓮を怨みにおもわれたので、わが身といい、その一門といい、皆滅びてしまったのです。ただいま残っているのは、北条業時一人だけです。両火房を信用している人が栄えているとお思いになりますが、名越の一門が善光寺・長楽寺・大仏殿を建てられて、その後、その一門がどうなったかをみてみなさい。また、北条時宗は日本国の主であられるが、一閻浮提すなわち全世界を敵にまわしたといってもいいような、大蒙古国という敵にぶつかっています。
あなたが兄を捨てて、兄が勘当になったその跡を譲られたとしても、千万年も栄えることは難しいのです。わずかの間に滅びてしまうかもしれない。どうしてこの世の内にほろびないという保証がありましょうか。よくよく思い切ってひたすら後世を頼みなさい。
講義
何を根本に生きるか
続けて大聖人は、今回の勘当事件をもたらした構図を明快にします。今回の事件の本質は、親をたぶらかして、息子たちを陥れようとする極楽寺良観らの奸策であり、人々の善根を破壊する悪行に乗ってしまえば、最後は一門が滅んでしまうと喝破されます。
「一切は現証に如かず」(1279:16)です。断じて、魔の勢力に負けてはならないことを教えられています。
そして最後に、変化し、移ろいゆく一時の繁栄にいきるのではなく、永遠の幸福境涯を勝ち開いていきなさいと、重ねて、法華経への深い信心に立つことを促されています。
もちろん在家の門下が、現実の生活と社会の中で格闘し、信仰の証しを築く不屈の闘争を続けていくことを大聖人はよく御存じです。常に現実社会での勝利を喜んでくださっています。そのうえで、信仰の本当の目的は、永遠の幸福を築き上げることであると確認されているのです。そのためにも、自分の境涯の変革が重要となります。
三障四魔が競うことは、いよいよ、永遠の仏の境涯を築く試練である。これを乗り越えれば、自由自在の境涯を築くことができる。ゆえに、大聖人は“絶対に退転してはいけない、魔に立ち向かい、生命を鍛え抜け”と教えられているのです。
三障四魔と戦う中に、自分の「勝利の歴史」を築かれます。
師弟共に広宣流布に生き抜く、その「前進」の心には、魔が立ち入ることはできません。「喜ばしいことだ」「戦おう」との決然たる心で立つことが、魔を打ち破る方途です。
師弟共戦こそが、魔を乗り越えて新時代を拓き、「希望の未来」を築くのです。
広宣流布の時が到来!
ちょうど90年前の11月、世界的な物理学者アインシュタイン博士が日本を訪れました。
慶応大学で行われた博士の講演を、牧口先生と一緒に聴いたことを、戸田先生はこのうえない誉れとされていました。
そして、当時の様子を、すでに30年以上たってからも、私たちに対して、つい昨日のように述壊され「時に巡りあえた誉れ」について話してくださいました。
「一人一人が広宣流布の闘士として働いた名誉は、どれほど大きく、どれほどの功徳をうけることでありましょうか。また広宣流布の暁に、この大闘争に加わることができなかった人々の悲しみは、さぞやどれくらいでありましょうか。時にめぐりあうことは重大なことであります。
「いまここに、広宣流布の時きたって、その広宣流布の闘志として、これから百年、二百年の後に、『あれみよ、あの人々は、広宣流布のために働いた人々である。広宣流布の闘士であったよ』と後の世の人にうたわれ、かつはまた、大御本尊にほめたたえられる人が、幾人あることでありましょうか」
一人一人に三障四魔が競うことは、閻浮提広宣流布の時が到来したということであると確信していただきたいのです。
私は、わが同志が、また、縁するすべての友が、一人も残らず、幸福を築いてもらいたい。
池上兄弟は、団結第一で勝利しました。勘当が解け、最後は父親が入信します。
「あなたがたの信心は、未来までの物語として、これ以上のものはありません」
大聖人が池上兄弟を讃えられたように、わが大切な創価の同志の奮闘が、未来永遠に、人類の希望と輝きゆくことを、私は毎日、真剣に祈り続けていきます。