三三蔵祈雨事
建治元年(ʼ75)6月22日 54歳 西山殿
第一章(善知識の大切なるを明かす)
本文
夫れ、木をうえ候には、大風ふき候えども、つよきすけをかいぬればたおれず。本より生いて候木なれども、根の弱きはたおれぬ。甲斐なき者なれども、たすくる者強ければたおれず。すこし健げの者も、独りなれば悪しきみちにはたおれぬ。
また、三千大千世界のなかには、舎利弗・迦葉尊者をのぞいては、仏よにいで給わずば、一人もなく三悪道に堕つべかりしが、仏をたのみまいらせし強縁によりて、一切衆生はおおく仏になりしなり。まして阿闍世王・おうくつまらなんど申せし悪人どもは、いかにもかなうまじくて、必ず阿鼻地獄に堕つべかりしかども、教主釈尊と申す大人にゆきあわせ給いてこそ仏にはならせ給いしか。
されば、仏になるみちは善知識にはすぎず。わがちえなににかせん。ただあつき・つめたきばかりの智慧だにも候ならば、善知識たいせちなり。
現代語訳
さて、植えた木であっても、強い支柱で支えておけば、大風が吹いても倒れない。もともと生えていた木であっても、根が弱いものは倒れてしまう。腑甲斐ない者であっても、助ける者が強ければ倒れない。少し強い者でも、独りであれば、悪い道では倒れてしまう。
三千大千世界のなかでは、舎利弗・迦葉尊者を除いては、仏が世に出現されなかったならば、一人ももれなく三悪道に堕ちるところであったが、仏を頼み奉った強い因縁によって、一切衆生は多く仏になったのである。ましてや阿闍世王や鴦掘摩羅などという悪人達は、どんなにしても成仏ができなくて、必ず阿鼻地獄に堕ちるはずであったけれども、教主釈尊という偉大な人に行きあったからこそ仏になることができたのである。それゆえ仏になる道は善知識に勝るものはない。我が智慧が何の役に立つだろう。ただ熱さ寒さを知るばかりの智慧だけでもあるならば、善知識が大切である。
語釈
三千大千世界
古代インドの世界観の一つ。倶舎論巻十一、雑阿含経巻十六等によると、日月や須弥山を中心として四大州を含む九山八海、および欲界と色界の初禅天とを合わせて小世界という。この小世界を千倍したものを小千世界、小千世界の千倍を中千世界、中千世界の千倍を大千世界とする。小千、中千、大千の三種の世界からなるので三千世界または三千大千世界という。この一つの三千世界が一仏の教化する範囲とされ、これを一仏国とみなす。
舎利弗
梵語シャーリプトラ(Śāriputra)の音写。身子・鶖鷺子等と訳す。釈尊の十大弟子の一人。マガダ国王舎城外のバラモンの家に生まれた。小さいときからひじょうに聡明で、八歳のとき、王舎城中の諸学者と議論して負けなかったという。初め六師外道の一人である刪闍耶に師事したが、のち同門の目連とともに釈尊に帰依した。智慧第一と称される。なお、法華経譬喩品第三の文頭には、同方便品第二に説かれた諸法実相の妙理を舎利弗が領解し、踊躍歓喜したことが説かれ、未来に華光如来になるとの記別を受けている。
迦葉
梵語マハーカーシャパ(Mahākāśyapa)の音写である摩訶迦葉の略。摩訶迦葉波などとも書き、大飲光と訳す。釈尊の十大弟子の一人。付法蔵の第一。王舎城のバラモンの出身で、釈尊の弟子となって八日目に悟りを得たという。衣食住等の欲に執着せず、峻厳な修行生活を貫いたので、釈尊の声聞の弟子のなかでも頭陀第一と称される。釈尊滅後、王舎城外の畢鉢羅窟で第一回の仏典結集を主宰した。以後20年間にわたって小乗教を弘通し、阿難に法を付嘱した後、鶏足山で没したとされる。なお、法華経信解品第四には、須菩提・迦旃延・迦葉・目連の四大声聞が、三車火宅の譬をとおして開三顕一の仏意を領解し、更に舎利弗に対する未来成仏の記別が与えられたことを目の当たりにし、歓喜踊躍したことが説かれ、さらに法華経授記品第六において未来に光明如来になるとの記別を受け、他の三人も各々記別を受けた。
三悪道
三種の悪道のこと。地獄道・餓鬼道・畜生道をいう。三善道に対する語。三悪趣、三途ともいう。
阿闍世王
梵語アジャータシャトゥル(Ajātaśatru)の音写。未生怨と訳される。釈尊在世における中インドのマガダ国の王。父は頻婆沙羅王、母は韋提希夫人。観無量寿仏経疏によると、父王には世継ぎの子がいなかったので、占い師に夫人を占わせたところ、山中に住む仙人が死後に太子となって生まれてくるであろうと予言した。そこで王は早く子供がほしい一念から、仙人の化身した兎を殺した。まもなく夫人が身ごもったので、再び占わせたところ、占い師は「男子が生まれるが、その子は王のとなるであろう」と予言したので、やがて生まれた男の子は未だ生まれないときから怨(うら)みをもっているというので未生怨と名づけられた。王はその子を恐れて夫人とともに高い建物の上から投げ捨てたが、一本の指を折っただけで無事だったので、阿闍世王を別名婆羅留枝ともいう。長じて提婆達多と親交を結び、仏教の外護者であった父王を監禁し獄死させて王位についた。即位後、マガダ国をインド第一の強国にしたが、反面、釈尊に敵対し、酔象を放って殺そうとするなどの悪逆を行った。後、身体中に悪瘡ができ、改悔して仏教に帰依し、寿命を延ばした。仏滅後は第一回の仏典結集の外護の任を果たすなど、仏法のために尽くした。
あうくつまら
梵名アングリマーラー(Angulimālā)の音写。央掘摩羅・鴦掘摩とも書く。指鬘と訳す。釈尊在世当時の弟子。央掘摩羅経巻一等によると、人を殺して指を切り、鬘(首飾、髪飾)としたのでこの名がある。外道の摩尼跋陀を師としてバラモンを学んでいたが、ある時、師の妻の讒言にあい、怒った師は央掘摩羅に1000人を殺してその指を取るよう命じた。そのため999人を殺害し、最後に自分の母と釈尊を殺害しようとしたが、あわれんだ釈尊は彼を教化し大乗につかせたという。仏説鴦掘摩経では100人を殺そうとして99人を殺したとある。
阿鼻地獄
阿鼻大城・阿鼻地・無間地獄ともいう。阿鼻は梵語アヴィーチィ(Avici)の音写で無間と訳す。苦をうけること間断なきゆえに、この名がある。八大地獄の中で他の七つの地獄よりも千倍も苦しみが大きいといい、欲界の最も深い所にある大燋熱地獄の下にあって、縦広八万由旬、外に七重の鉄の城がある。余りにもこの地獄の苦が大きいので、この地獄の罪人は、大燋熱地獄の罪人を見ると他化自在天の楽しみの如しという。また猛烈な臭気に満ちており、それを嗅ぐと四天下・欲界・六天の転任は皆しぬであろうともいわれている。ただし、出山・没山という山が、この臭気をさえぎっているので、人間界には伝わってこないのである。また、もし仏が無間地獄の苦を具さに説かれると、それを聴く人は血を吐いて死ぬともいう。この地獄における寿命は一中劫で、五逆罪を犯した者が堕ちる。誹謗正法の者は、たとえ悔いても、それに千倍する千劫の間、無間地獄において大苦悩を受ける。懺悔しない者においては「経を読誦し書持吸うこと有らん者を見て憍慢憎嫉して恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入り一劫を具足して劫尽きなば更生まれん、是の如く展転して無数劫に至らん」と説かれている。
善知識
善友と同意。正法を教え、ともに修行し、また正法を持ちきるよう守ってくれる人。
講義
本抄は、建治元年(1275)6月22日、聖寿54歳の御時、身延でしたためられ、西山入道に与えられた御手紙である。
西山入道は、駿河国富士郡西山郷の地頭で、所領の名にちなんで西山殿と呼ばれた。日興上人の外祖父である河合入道の一族との説もある。
大聖人に帰依する以前は、真言宗を信仰していた。本抄でも、三人の三蔵並びに弘法の邪義を徹底的に破折され、悪知識である真言の邪師を捨てて、最高の善知識であられる日蓮大聖人を信じてこそ、必ず成仏の功徳を受けることができるとの意を述べておられる。
本抄の題号は、善知識をあらわすために、善無畏・金剛智・不空の三三蔵の祈雨のことを取り上げ、その悪知識なる所以を説かれているところから、三三蔵祈雨事と名づけられたものである。
本抄の御真筆は大石寺に現存する。
さて本抄は、まず初めに仏法を修行し成仏するためには善知識に値うことが肝要であることを、植木とその支え、悪路の歩行に譬喩を借りて示され、阿闍世王や鴦掘摩羅のような堕地獄必定の悪人でさえも釈尊という善知識に値うことによって成仏できたことを説かれている。
植木の譬喩では、木を仏道修行する凡夫にたとえ、強き支柱を善知識にたとえている。大風とは仏道修行の道程に襲いかかる三障四魔の風を意味する。歩行者の譬喩では、歩行者は凡夫であり、道の悪いことは種々の障害、苦難をあらわしている。凡夫の歩行者を助け、導くものが善知識である。
されば仏になるみちは善知識にはすぎず、わが智慧なににかせん、ただあつきつめたきばかりの智慧だにも候ならば善知識たいせちなり
善知識の大切さを説かれた御文である。仏道修行において善知識に値うことこそ成仏への要諦である。寒熱を知るほどの智慧さえあれば善知識を求めて親近し、教えを求めてこそ成仏が可能になるとの仰せである。
善知識とは、仏道を成就させる善因縁の知識をいい、有徳の人を意味する。仏、菩薩、二乗、人天を問わず、人を仏道に導く者を善知識という。
逆に、仏道修行を妨げ、衆生を迷わせる悪友、悪師のことを悪知識という。
増一阿含経巻十一には、比丘が善知識に親近し、悪知識から遠ざかるべき理由が示されている。
「爾の時世尊、諸比丘に告げたまわく『当に善知識に親近すべし、悪行を習い、悪行を信ずること莫かれ。然る所以は、諸比丘、善知識に親近し、已に信ずれば便ち増益し、聞・施・智慧普く悉く増益せん。若し比丘、善知識に親近して悪行を習うこと莫かれ。然る所以は、若し悪知識に近づかば便ち、信・戒・聞・施・智慧なし。是の故に諸比丘、当に善知識に親近すべし。悪知識に近づくこと莫かれ。是の如く諸比丘、当に是の学を作すなし』と」。
すなわち善知識は、信を益し、聞・施・智慧も増益するからである。
法華経妙荘厳王本事品には「若し善男子・善女人は、善根を種えたるが故に、世世に善知識を得ば、其の善知識は、能く仏事を作し、示教利喜して、阿耨多羅三藐三菩提に入らしむ。大王よ。当に知るべし、善知識とは、是れ大因縁なり。所謂る化導して仏を見、阿耨多羅三藐三菩提の心を発すことを得しむ」と説かれている。
ここには、善知識はよく衆生の菩提心を発さしめるとある。
天台大師は摩訶止観巻四で善知識に近づくべきことを説き、その理由を次のように示している。「善知識とは、これ大因縁なり、所謂、化導して仏に見ゆることを得しむ」。
日蓮大聖人は、守護国家論のなかで、末代凡夫のための善知識を次のように論じておられる。
「第三に正しく末代の凡夫の為の善知識を明さば、問うて云く善財童子は五十余の善知識に値いき其の中に普賢・文殊・観音・弥勒等有り常啼・班足・妙荘厳・阿闍世等は曇無竭・普明・耆婆・二子夫人に値い奉りて生死を離れたり此等は皆大聖なり仏・世を去つて後是の如きの師を得ること難しとなす滅後に於て亦竜樹・天親も去りぬ南岳・天台にも値わず如何が生死を離る可きや、答えて云く末代に於て真実の善知識有り所謂法華涅槃是なり(中略)此の文を見るに法華経は即ち釈迦牟尼仏なり」(0066:06)。
末代凡夫にとっての善知識は、末法の法華経の行者であり、久遠元初の御本仏であられる日蓮大聖人にほかならないのである。
第二章(善知識に値うことの難きを示す)
本文
而るに善知識に値う事が第一のかたき事なり、されば仏は善知識に値う事をば一眼のかめの浮木に入り・梵天よりいとを下て大地のはりのめに入るにたとへ給へり、而るに末代悪世には悪知識は大地微塵よりもをほく善知識は爪上の土よりもすくなし、補陀落山の観世音菩薩は善財童子の善知識・別円二教ををしへて・いまだ純円ならず、常啼菩薩は身をうて善知識をもとめしに曇無竭菩薩にあへり、通別円の三教をならひて法華経ををしへず、舎利弗は金師が善知識・九十日と申せしかば闡提の人となしたりき、ふるなは一夏の説法に大乗の機を小人となす、大聖すら法華経をゆるされず証果のらかん機をしらず、末代悪世の学者等をば此をもつてすいしぬべし、天を地といゐ東を西といゐ・火を水とをしへ・星は月にすぐれたり、ありづかは須弥山にこへたり、なんど申す人人を信じて候はん人人は・ならはざらん悪人に・はるかをとりてをしかりぬべし。
現代語訳
しかしながら、善知識に値うことが最も難しいことである。それゆえ、仏は善知識に値うことを、一眼の亀が浮木に入るようなものであり、梵天より糸を下げて大地に置いた針の目に通すようなものであると譬えられている。そのうえ末代悪世には、悪知識は大地微塵よりも多く、善知識は爪の上の土よりも少ない。
補陀落山の観世音菩薩は善財童子の善知識ではあるが、別教・円教の二教を教えて、いまだ純円の法華経は教えなかった。常啼菩薩は身を売って善知識を求めたところ曇無竭菩薩に会った。しかし通教・別教・円教の三教を習っただけで法華経は教えられなかった。舎利弗は鍛冶屋の善知識となって、九十日の間教えたが、一闡提の人にしてしまった。富楼那は一の間の説法で、大乗の機の人に小乗を教えて小乗の人にしてしまった。
大聖でさえ法華経を説くことは許されず、証果の阿羅漢であっても機根を知らない。末代悪世の学者等のことはこれらの例をもって推し量るべきである。天を地といい、東を西といい、火を水と教え、星は月に優れている、蟻塚は須弥山よりも高いなどという人々を信じている人々は、習わない悪人よりも、はるかに劣っているのである。
語釈
一眼のかめの浮木に入り
法華経妙荘厳王本事品第二十七に「仏には値いたてまつることを得難きこと、優曇波羅華の如く、又た一眼の亀の浮木の孔に値えるが如し」とある。正法に巡りあい、受持することの難しさを、一眼の亀が海中の浮木にあうことの難しさに譬えたもの。きわめて稀なことの譬えに用いられる。雑阿含経巻十五等にも説かれる。「松野殿後家尼御前御返事」に詳しい。
悪知識
善知識に対する語。悪友と同語。仏道修行を妨げ、不幸に陥れる友人。唱法華題目抄には「悪知識と申してわづかに権教を知れる人智者の由をして法華経を我等が機に叶い難き由を和げ申さんを誠と思いて法華経を随喜せし心を打ち捨て余教へうつりはてて一生さて法華経へ帰り入らざらん人は悪道に堕つべき事も有りなん」(0001:08)とある。
補陀落山
インド南海岸にあるという山の名。補陀落迦、補陀洛とも書き、海島・光明と訳す。観世音菩薩の住処とされる。華厳経巻五十には、遊行していた善財童子に釈尊が「此の南方に於いて山有り、名づけて光明と曰う。彼に菩薩有り、觀世音と名づく。汝彼に詣りて問え」と奨め、同巻五十一に童子が観世音菩薩に会ったことが述べられている。
観世音菩薩
梵語アヴァローキテーシュヴァラ(Avalokiteśvara)の音写が阿縛盧枳低湿伐羅で、観世音と意訳、略して観音という。光世音、観自在、観世自在とも訳す。異名を蓮華手菩薩、施無畏者、救世菩薩ともいう。法華経観世音菩薩普門品第二十五には、三十三種の身に化身して衆生を救うことが説かれている。
善財童子
華厳経に説かれる。華厳経巻四十五によれば、長者の五百童子の一人で、生まれた時、種々の珍宝が地から涌き出で、衆宝や諸の財物を降らせて一切の庫蔵に充滿させたところから、善財と名付けられたという。文殊師利菩薩に会って菩提心を発して以後、南方に法を求めて観世音菩薩等、五十余の善知識を歴訪し、ついに広大不可思議の仏海に証入したという。
常啼菩薩
梵名サダープララーパ(Sadāpralāpa)。音写して薩陀波倫。般若経巻三百九十八に説かれる。身命を惜しまず、財利を顧みず、東方に般若波羅蜜を求めたという。常啼の名の由来について、大智度論巻九十六には「小事に喜んで啼いた故、また衆生の悪世にあって貧窮・老病・憂苦するのを見て悲泣する故、あるいは仏道を求めて啼哭すること七日七夜であった故に常啼という」(取意)とある。
曇無竭菩薩
梵名ダルモードガタ(Dharmodgata)という。般若経に説かれる菩薩の名。法盛・法勇・法尚等と訳す。大品般若経巻二十七によれば、曇無竭菩薩は、六万八千の婇女と共に五欲を具足し、共に娯楽し已りて、衆香城で日に三度、般若波羅蜜を説いた。城中の男女は、人の多く集まる所に大法座を敷いて、黄金等をもって供養し恭敬した。法を聞き、受持した者は悪道に堕ちなかったといわれる。また薩陀波倫菩薩(常啼菩薩)はこの曇無竭菩薩について法喜を得、三昧を得たという。
通別円
天台の教判にいう化法の四教のうち蔵教をのぞいたもの。 通は通教 (声聞・縁覚・菩薩に通ずる大乗初門の教え)、 別は別教 (菩薩だけに説かれた教え。 空・仮・中の三諦が各別であるような法門)、 円は円教 (完全円満な三諦円融法門)。
金師
金師は鍛冶職のこと。金物を造る者のことで、金属を鍛えるとき、精神の集中を要するので、呼吸を調えることがもっとも大事とされた。教機時国抄には「仏教を弘むる人は必ず機根を知るべし舎利弗尊者は金師に不浄観を教え浣衣の者には数息観を教うる間九十日を経て所化の弟子仏法を一分も覚らずして還つて邪見を起し一闡提と成り畢んぬ、仏は金師に数息観を教え浣衣の者に不浄観を教えたもう故に須臾の間に覚ることを得たり、智慧第一の舎利弗すら尚機を知らず何に況や末代の凡師機を知り難し」(0438:08)とある。
闡提
一闡堤のこと。梵語イッチャンティカ(Icchantika)の音写で、一闡底迦、一闡底柯とも書く。断善根、信不具足、焼種、極悪、不信等の意で、正法を信じないで誹謗し、また誹謗の重罪を悔い改めない者のこと。涅槃経一切大衆所問品第十七には「麁悪言を発して正法を誹謗し、この重業を造り永く改悔せず、心に懺悔無くば、是の如き等の人を、名づけて一闡提の道に趣向すと為す。もし四重を犯し、五逆罪を作り、自ら定んで是の如き重罪を犯すを知りつつ、しかも心にすべて怖畏・慙愧無く、肯て発露せず。仏の正法において、永く護惜建立の心無く、毀呰軽賎して、言に過咎多き、是の如き等の人も、また一闡提の道に趣向すと名づく」とある。
ふるな
梵名プールナ・マイトラーヤニープトラ(Pūrṇa Maitrāyanīputra)の音写である富楼那弥多羅尼子の略。釈尊十大弟子の一人。釈迦の実父・浄飯王の国師バラモンの子で、釈尊と同年月に生まれたという。聡明で弁論に長じ、説法第一と称される。後世、弁舌の勝れていることを称して富楼那の弁という。法華経化城喩品第七に説かれた化城宝処の喩をとおして開三顕一の仏意を領解し、法華経五百弟子受記品第八において法明如来の記別を受けた。
一夏
4月16日から7月15日までの90日間のこと。僧侶が行脚をしないて室内で修行に励む期間をいう。インドでは夏季に雨が多く托鉢伝道に適しないため、修行僧達は、夏の三か月間は一定の場所にこもって修行したことに由来する。本文の「一夏の説法」の故事については法華経三大部補注巻一に「宝篋経に云く、富楼那が三昧に入り、百千の尼乾外道を見て、化導をしようとして法を説いたが、反って軽笑せられ、三月のうちに教化を受けた者は無かった」とある。
大乗
仏法において、煩雑な戒律によって立てた法門は、声聞・縁覚の教えで、限られた少数の人々しか救うことができない。これを、生死の彼岸より涅槃の彼岸に渡す乗り物に譬え小乗という。法華経は、一切衆生に皆仏性ありとし、妙境に縁すれば全ての人が成仏得道できると説くので、大乗という。阿含経に対すれば、華厳・阿含・方等・般若は大乗であるが、法華経に対しては小乗となり、三大秘法に対しては、他の一切の仏説は小乗となる。
証果のらかん
六神通を得た阿羅漢のこと。すなわち、天眼通(何でも見通せる通力)・天耳通(何でも聞ける通力)・他心通(他人の心を見通す通力)・宿命通(衆生の宿命を知る通力)・神足通(機根に応じて自在に身を現わし、思うままに山海を飛行しうる通力)・漏尽通(いっさいの煩悩を断じつくす通力)のこと。仏道修行の根本は漏尽通の薪を焼き菩提の慧火に転換していくのであり、阿羅漢は声聞の四種の聖果の最高位。無学・無生・殺賊・応具と訳す。この位は三界における見惑・思惑を断じ尽して涅槃真空の理を実証する。また三界に生まれる素因を離れたとはいっても、なお前世の因に報われた現在の一期の果報身を余すゆえに、紆余涅槃という。声聞乗における極果で、すでに学ぶべきことがないゆえに無学と名づけ、見思を断尽するゆえに殺賊といい、極果に住して人天の供養に応ずる身なるがゆえに応供という。また、この生が尽きると無余涅槃に入り、ふたたび三界に生ずることがないゆえに無生と名づけられた。仏弟子の最高位であるとともに、世間の指導者でもある。仏法流布の国土における一般論としては、聖人とは仏法の指導者であり、羅漢はその実践者である。聖人を智者、羅漢を学者・賢人と考えることもできる。
須弥山
古代インドの世界観の中で世界の中心にあるとされる山。梵語スメール(Sumeru)の音写で、修迷楼、蘇迷盧などとも書き、妙高、安明などと訳す。古代インドの世界観によると、この世界の下には三輪(風輪・水輪・金輪)があり、その最上層の金輪の上に九つの山と八つの海があって、この九山八海からなる世界を一小世界としている。須弥山は九山の一つで、一小世界の中心であり、高さは水底から十六万八千由旬といわれる。須弥山の周囲を七つの香海と金山とが交互に取り巻き、その外側に鹹水(塩水)の海がある。この鹹海の中に閻浮提などの四大洲が浮かんでいるとする。
講義
前段で善知識の大切さを説かれたあと、この段では善知識に値うことのむずかしさを〝一眼の亀〟等の仏の記文を引かれ、また観世音菩薩、曇無竭菩薩、舎利弗、富楼那等の例を示され、さらに末代の悪世の学者の姿を挙げて、教示されている。
善知識に値うことが爪上の土より少ないことは、守護国家論にも、涅槃経の文を引用された後、次のように仰せである。
「此の文の如くんば法華涅槃を信ぜずして一闡提と作るは十方の土の如く法華涅槃を信ずるは爪上の土の如し」(0064:01)。
とくに、末代悪世についても「故に末代に於て法華経を信ずる者は爪上の土の如く法華経を信ぜずして権教に堕落する者は十方の微塵の如し」(0064:11)と仰せである。
本文に「大聖すら法華経をゆるされず」と仰せになっているのは、善財童子に華厳経の別円二教を教えた観世音菩薩、並びに常啼菩薩に般若経の通別円三教を教えた曇無竭菩薩のことをさしている。
これらの大聖は、いずれも爾前の円にとどまり、法華経の純円を人々に教え弘めることはできなかったのである。
「証果のらかん機をしらず」とは、鍛冶職に不浄観、浣衣者に数息観を説き、かえって一闡提人とした舎利弗、大乗教を聞くべき機根の衆生に小乗教を説き、ついに小乗の人とした富楼那をさしている。舎利弗や富楼那のような証果を得た阿羅漢でさえも、機根を見抜くことができなかったのである。
舎利弗のことについては、教機時国抄で次のように仰せである。
「舎利弗尊者は金師に不浄観を教え浣衣の者には数息観を教うる間九十日を経て所化の弟子仏法を一分も覚らずして還つて邪見を起し一闡提と成り畢んぬ」(0438:08)。
このような上代の実例から推測しても、末代悪世の学者が善知識であるはずはないのである。「天を地といゐ……火を水とをしへ」とは、真言宗が釈尊を凡夫だといってバカにしていることであり、「星は月にすぐれたり、ありづか(蟻塚)は須弥山にこへたり」とは、大日経を法華経より勝れていると言っていることをさされていると拝せられる。こうした顚倒した彼ら悪知識の教説を信ずれば、仏法を習わない世間の悪人よりもはるかに悪い境界、すなわち無間地獄に堕ちるのであり、悪知識の恐ろしさを知らなければならない。
したがって、悪知識を避け、善知識に親近することが大切なのであるが、現実には悪知識が充満しているのが濁世でもある。その場合、正法を知った者にとって大事なことは、たんに悪知識を避け、逃れようとするだけの消極的な行き方ではなく、悪知識をも善知識としていく強さである。それは、正しい善知識をあくまでも自らの根本とした時、悪知識も善知識に変えていけるのである。
日蓮大聖人は、釈尊にとっては提婆達多も、また御自身にとっては良観や平左衛門尉等も善知識であるとされている。
種種御振舞御書には次のように仰せである。
「釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり(中略)日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信・法師には良観・道隆・道阿弥陀仏と平左衛門尉・守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ」(0917:05)、また、富木殿御返事にも「其の上又違恨無し諸の悪人は又善知識なり」(0962:08)と仰せである。
一往、仏道修行をする者に迫害を加える人は悪知識であるが、彼らに値って信心をますます強盛にしていくならば、苦難を受けることによって過去世からの宿業を転換し、成仏得道できるゆえに、善知識に変えていくことができるのである。