当体義抄2

当体義抄

 文永10年(ʼ73) 52歳 最蓮房

第十一章(妙法の五字は末法流布の大白法なることを示す)

本文

問う南岳・天台・伝教等の大師法華経に依つて一乗円宗の教法を弘通し給うと雖も未だ南無妙法蓮華経と唱えたまわざるは如何、若し爾らば此の大師等は未だ当体蓮華を知らず又証得したまわずと云うべきや、答う南岳大師は観音の化身・天台大師は薬王の化身なり等云云、若し爾らば霊山に於て本門寿量の説を聞きし時は之を証得すと雖も在生の時は妙法流布の時に非ず、故に妙法の名字を替えて止観と号し一念三千・一心三観を修し給いしなり、但し此等の大師等も南無妙法蓮華経と唱うる事を自行真実の内証と思食されしなり、南岳大師の法華懺法に云く「南無妙法蓮華経」文、天台大師の云く「南無平等大慧一乗妙法蓮華経」文、又云く「稽首妙法蓮華経」云云、又「帰命妙法蓮華経」云云、伝教大師の最後臨終の十生願の記に云く「南無妙法蓮華経」云云、問う文証分明なり何ぞ是くの如く弘通したまわざるや、答う此れに於て二意有り一には時の至らざるが故に二には付属に非ざるが故なり、凡そ妙法の五字は末法流布の大白法なり地涌千界の大士の付属なり是の故に南岳・天台・伝教等は内に鑑みて末法の導師に之を譲りて弘通し給わざりしなり。

 

現代語訳

問う、南岳大師も、天台大師も、伝教大師も、共に法華経によって一仏乗の円教の法理を弘められたけれども、未だ南無妙法蓮華経とは唱えられなかった。それはどういうわけか。また、もしも、そうであるならば、これらの大師は、まだ真実の当体蓮華を知らないし、また悟ることもできなかったというべきではないか。

答う、南岳大師は観音菩薩の化身であり、天台大師は薬王菩薩の化身であるといわれている。たしかにそうであるが、霊山において本門の寿量品の説法を聞いた時は、この仏の蓮華を証得したけれども、出現した時節が妙法流布の時ではなかったが故に、妙法という名前をかえて、「止観」と名づけて、一念三千、一心三観の法門を修行したのである。ただし、これらの三大師等も、自行のためには、南無妙法蓮華経と唱えることを真実の内証とされたのである。

南岳大師は法華懺法に「南無妙法蓮華経」といい、また天台大師は「南無平等大慧一乗妙法蓮華経」また「稽首妙法蓮華経」また「帰命妙法蓮華経」といわれている。

伝教大師の最後臨終の十生願の記にも「南無妙法蓮華経」と記され、皆、自行として「南無妙法蓮華経」と唱えられたことがわかる。

問う、たしかに文証は明らかである。では、何故内証の悟りをそのまま弘通されなかったのか。答う、それには二つの理由がある。一には文底の大法弘通の時が来なかった故で、すなわち末法の時でなかったためである。二には迹化の菩薩であって文底の大法を付嘱されなかったためである。

およそ妙法の五字(御本尊)は、末法に流布すべき大白法であって、本化地涌千界の上首たる上行菩薩に付嘱されたのである。それ故、南岳、天台、伝教等は、心の中では、十分知っていたのであるが、末法の導師(日蓮大聖人)に譲られて、弘通しなかったのである。

 

語釈

南岳大師は観音の化身

南岳大師(0515~0577)は中国・南北朝時代の北斉の僧。名は慧思。天台大師智顗の師。後半生に南岳(湖南省衡山県)に住んだので南岳大師と通称される。慧文のもとで禅を修行し、法華経による禅定(法華三昧)の境地を体得する。その後、北地の戦乱を避け南岳衡山を目指し、大乗を講説して歩いたが、悪比丘に毒殺されそうになるなど度々生命にかかわる迫害を受けた。これを受け衆生救済の願いを強め、金字の大品般若経および法華経を造り、「立誓願文」を著した。この立誓願文には正法五百年、像法一千年、末法一万年の三時説にたち、自身は末法の0082年に生まれたと述べられており、これは末法思想を中国で最初に説いたものとされる。主著「法華経安楽行義」では、法華経安楽行品第十四に基づく法華三昧を提唱した。天台大師は23歳で光州(河南省)の大蘇山に入って南岳大師の弟子となった。日蓮大聖人の時代の日本では、観音菩薩が南岳大師として現れ、さらに南岳の後身として聖徳太子が現れ仏法を広めたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では、南岳大師を「観音の化身なり」、聖徳太子を「南岳大師の後身なり救世観音の垂迹なり」とされている。

 

天台大師は薬王の化身

天台大師(0538~0597)は中国・南北朝から隋代にかけての人。天台宗開祖(慧文、慧思に次ぐ第三祖でもあり、竜樹を開祖とするときは第四祖)。天台山に住んだので天台大師といい、また智者大師と尊称する。姓は陳氏。諱は智顗。字は徳安。荊州華容県(湖南省)の人。父の陳起祖は梁の高官であったが、梁末の戦乱で流浪の身となった。その後、両親を失い、18歳の時、湘州果願寺の法緒について出家し、慧曠律師から方等・律蔵を学び、大賢山に入って法華三部経を修学した。陳の天嘉元年(0560)光州の大蘇山に南岳大師慧思を訪れた。南岳は初めて天台と会った時、「昔日、霊山に同じく法華を聴く。宿縁の追う所、今復来る」(隋天台智者大師別伝)と、その邂逅を喜んだ。南岳は天台に普賢道場を示し、四安楽行(身・口・意・誓願)を説いた。大蘇山での厳しい修行の末、法華経薬王菩薩本事品第二十三の「其中諸仏、同時讃言、善哉善哉。善男子。是真精進。是名真法供養如来」の句に至って身心豁然、寂として定に入り、法華三昧を感得したといわれる。これを大蘇開悟といい、後に薬王菩薩の後身と称される所以となった。日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」とされている。

 

南岳大師の法華懺法

法華懺法とは、法華経を読誦して罪障を懺悔する法。天台大師の法華三昧懺儀の中に「南無妙法蓮華経」の語が出ている。しかし、南岳大師の法華懺法という書はないので、失したか、それとも天台の法華三昧懺儀が法華懺法を集大成したものであるという説もある。

 

稽首

南無、帰命の意。

 

臨終の十生願の記

伝教大師の最後臨終の記録のこと。修禅寺決の四丁に「臨終の時南無妙法蓮華経と唱へば妙法三力の功に由て速やかに菩提を成じ生死の身を受けざらしむ」とあるように、明らかに伝教大師は自行として題目を唱えたのである。

 

内に鑑みて

内鑑泠然といって、心の中で知っていても外にはいい出さぬこと。開目抄上に「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」と。また迹面本裏といって、やはり心の中に知ってはいても述べなかったのである。観心本尊抄に「像法の中末に観音・薬王、南岳・天台等と示現し出現して迹門を以て面と為し本門を以て裏と為して百界千如・一念三千其の義を尽せり、但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず所詮円機有つて円時無き故なり」と。

 

講義

この章は、正像未弘の所以を述べることによって、三大秘法の南無妙法蓮華経が末法流布の大白法たることを明かしている。

天台、伝教等も、南無妙法蓮華経と唱えることによって、当体蓮華を証得できることを、自行真実の内証としていた。彼等は内鑑泠然で、内証には知りながら、この章で明かす理由により、説けなかったのである。

したがって「凡そ妙法の五字は末法流布の大白法なり」という御金言のごとく、大聖人が本抄を「大白法を流布する」という言葉で結ばれていることをよくよく知るべきである。あくまで令法久住の立ち場から、広宣流布実現を期して本抄を御述作されたと拝されるのである。

 

 南岳大師は観音の化身・天台大師は薬王の化身なり

 

南岳大師は中国の人で天台大師の師である。観音は観世音菩薩の略称。法華経観世音菩薩普門品では、観世音と名づける因縁を説いて「若し無量百千万億の衆生有って諸の苦悩を受けんに、是の観世音菩薩を聞いて……皆な解脱することを得しめん」とあり、観世音の名を持つ者は火・水・羅刹・王・鬼・枷鎖・怨賊の七難から救うといい、また仏・縁覚等の三十三身を現じて説法し衆生を救うと説いている。南岳はこの観音品より法華経の妙理を体得して、本地を感得したところから、観音の化身という。しかし末法の今日においては観音に功徳はない。御義口伝に「今末法に入つて日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る事は観音の利益より天地雲泥せり」(0776:第二観音妙の事:02)とある。

次に天台大師は中国で理の一念三千を説いた。薬王菩薩は法華経迹門流通の対告衆として各品に出ている。まず迹門流通分の最初、法師品では「爾の時、世尊は薬王菩薩に因りて、八万の大士に告げたまわく……」とその上首となり、勧持品には二万の菩薩眷属とともに誓言をなし、その後、寿量品・神力品・嘱累品を経て薬王菩薩本事品には薬王菩薩の本事を説き、苦行や焼身供養を明かした。また陀羅尼品では勇施菩薩とともに法華の持者の擁護を誓い、妙荘厳王の太子と生まれては薬上菩薩と共に、浄蔵、浄眼の二太子として父王を救った。

天台は此の薬王菩薩本事品の一偈から自らの本地を感得した故に、その化身と伝えられる。御義口伝下に「天台大師も本地薬王菩薩なり……此の薬王薬師出世の時は天台大師なり……薬王菩薩は止観の一念三千の法門を弘め給う」(0801:―薬王品:02)とある。また前の観音品とともに此の薬王品も末法に利益のないことは、法蓮抄に「薬王品已下の六品得道のもの自我偈の余残なり」(1049:18)とある。

 

先聖の未弘と日蓮大聖人の弘通

 

日蓮大聖人所持の妙法五字は、仏の滅後迦葉、阿難等、馬鳴、竜樹等、天台、伝教等がいまだ弘通したことのない大白法である。

常忍抄にいわく「日蓮が法門は第三の法門なり、世間に粗夢の如く一二をば申せども第三をば申さず候、第三の法門は天台・妙楽・伝教も粗之を示せども未だ事了えず所詮末法の今に譲り与えしなり、五五百歳は是なり」(0981:08)と。

しからば、なぜこれらの先聖が、妙法の五字を弘通されなかったのか。それは次の四つの理由がある。

曾谷入道等許御書にいわく「一には自身堪えざるが故に二には所被の機無きが故に三には仏より譲り与えられざるが故に四には時来らざるが故なり」(1028:16)と。

ひるがえって、日蓮大聖人の弘通は、一には自身堪えうるが故に、二には所被の機有るが故に、三には仏より譲り与うる故に、四には時来るが故なのである。本抄にはこのうち「一には時の至らざるが故に二には付嘱に非ざるが故なり」と二つの理由を明かされたのである。

 

妙法の五字は末法流布の大白法なり

 

妙法蓮華経すなわち御本尊こそ、末法の全民衆を救いきっていく大白法である。

この一句は短い言葉であるが、大聖人が全民衆に妙法流布を告げられた大慈悲の叫びである。

撰時抄にいわく「日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一渧・一微塵のごとし、法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ」(0288:05)と。

報恩抄にいわく「日本・乃至漢土・月氏・一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし」(0328:16)と。

また諸法実相抄にいわく「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」(1360:09)と。

大聖人の仏法は、一時代、一民族の宗教ではない。末法万年尽未来際までの大白法であり、国によって、いかなる民族感情が横たわろうとも、文明の度合いにいかなる格差があろうとも、それらをすべて包含していく大海原にも似た、広くかつ深き、真実の宗教である。

世界を戦争に駆り立てる人間はその本質は悪魔である。そして、この悪魔の生命を人々の心中より根絶して、この地上に楽土を現出せしめようとする人々は、如来の使いである。残念なことに「此の世界は第六天の魔王の所領なり」(1081:15)の御文のごとく、民衆の生命を毒する魔王の生命は、今なおこの地球上を黒々とおおっている。だがこの時こそ、真実の大白法が世界に流布する時である。魔王の軍が勝つか、創価学会という仏の軍勢が勝つか、所詮、仏法は勝負である。

御書にいわく「結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし」(0998:12)と。われわれは、仏の軍勢が必ず勝つと決めて、いかなる難があろうとも微動だにすることなく、強盛なる信心を貫き、民衆の幸福を心から願って、世界広布への前進を力強く続けていこうではないか。

 

 

当体義抄送状

本文

問う当体の蓮華解し難し故に譬喩を仮りて之を顕すとは経文に証拠有るか、答う経に云く「世間の法に染まらざること蓮華の水に在るが如し地より而も涌出す」云云、地涌の菩薩の当体蓮華なり、譬喩は知るべし以上後日に之を改め書すべし、此の法門は妙経所詮の理にして釈迦如来の御本懐・地涌の大士に付属せる末法に弘通せん経の肝心なり、国主信心あらん後始めて之を申す可き秘蔵の法門なり、日蓮最蓮房に伝え畢んぬ。

                              日 蓮 花押

 

現代語訳

問う、当体の蓮華ということは、理解しがたい。そこで譬喩を仮りて、これを顕わしたというが、その証拠が経文にあるか。

答う、従地涌出品第十五に「本化の菩薩は、世間の法に染まらないこと、あたかも蓮華が泥水の中にありながら、清浄であるのと同じである。しかも、この本化の菩薩は大地から涌出した」と説かれている。これは、まさしく地涌の菩薩が当体蓮華であることを示している。譬喩はおのずと明瞭であろう。これについては後日、改めて書くことにする。

この当体蓮華の法門は、法華経の究極の理であり、釈尊の出世の本懐であって、地涌の大士たる上行菩薩に付嘱したところの末法に弘通すべき法門の肝心である。このことは国主が信心した後に、はじめて申し出すべき秘蔵の法門である。日蓮は、これを最蓮房に一切伝えた。

日 蓮  花 押

 

語釈

経に云く

法華経従地涌出品第十五に「此の諸の仏子等は 其の数量る可からず 久しく已に仏道を行じて 神通智力に住せり 善く菩薩の道を学して 世間の法に染まらざること 蓮華の水に在るが如し 地従りして涌出し 皆な恭敬の心を起こして 世尊の前に住せり」とある。

 

蓮華の水に在るが如し

「如蓮華在水」を読み下した文。法華経従地涌出品第十五にある。地涌の菩薩が、煩悩・業・苦の渦巻く世間のなかにあっても、それに染まらないさまを、蓮華が泥水のなかに清浄な花を咲かせることに譬えている。ただし日蓮大聖人の仏法では、煩悩・業・苦の三道に染まらずとあるのは、それらを断絶するのではない、法身・般若・解脱の三徳と転ずるのである。如蓮華在水の原理は、人生、社会、世界を常寂光土と変える原理なのである。

 

講義

この送状は、題名の示すように、当体義抄に添えて、最蓮房に与えられたものである。当体蓮華の意義について、重ねて簡明に示されると共に「国主信心あらん後始めて之を申す可き秘蔵の法門なり」と、この法門の弘通の方軌について指示されている。

 

 地涌の菩薩の当体蓮華なり

 

「如蓮華在水」の蓮華は、地涌の菩薩の姿を譬えた、譬喩蓮華である。その当体蓮華は地涌の菩薩そのものに他ならない。

不幸と悲惨と、欺瞞と残酷が充満する世界にあっても、われら地涌の菩薩は、妙法を持つが故に、微塵も染まることなく、幸福と平和へ、誠実と慈悲の人生を貫いていくことができるということである。

むしろ、汚泥を離れて蓮華がないのと同じく、そうした世の中なればこそ、地涌の菩薩として出現し、民衆救済のために立ち上がったのである。現実から逃避し、よそに楽土を求めたのは、念仏等の既成仏教であり、キリスト教の天国思想であった。真実の仏法は、現実を直視し、現実の中に飛び込み、民衆と苦楽を共にしながら、妙法の力によって、清浄無垢の生命の輝きを開発していくのである。

このとき、かつての泥沼は、まったく変わって、美しい蓮華の花の咲き競う楽園となる。すなわち、国土の成仏が成し遂げられるわけである。

仏界を涌現するといっても、それは、あくまでも九界の生活の上にこそ実証されるものである。煩悩・業・苦を断絶するのではなく、妙法により、それらを法身・般若・解脱と転ずるのである。如蓮華在水の原理は、この人生、社会、世界を常寂光土と変える原理なのである。

 

国主信心あらん後始めて之を申す可き秘蔵の法門なり

 

「国主信心あらん後」とは、広宣流布の時という意味である。重要の法門なるが故に、その時の来るまで、大事に秘蔵しなさいとの仰せである。

国主とは、現代に約すれば、国の主権者ということである。民主主義国家においては、国民大衆こそ、真実の国主である。議員、大臣等は、主権者たる国民の意思を代行する公僕である。されば「国主信心あらん後」とは、三大秘法の大仏法が流布しつつある現代をおいて他には絶対にない。

まさに、この当体義抄の甚深の哲理が、妙法信受の人々によって、真剣に学ばれ、実践されるべき時が、いま来ていることを知らなければならない。

 

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